第五十三話 過拡張現実
53.a
「お姫様にも名前は無いんですか?」
「………えっ?私の、ことでしょうか……?」
「はい、そう……なんですけど…」
「私が姫だなんてそんな……こんな醜くい女が持って良い位ではありません」
冗談?
「では何とお呼びすれば?」
「豚、犬、おい、そこの、何とでもお呼びなってくださいまし」
「いやいや……」
「冗談が過ぎました、お許しください、何せ主以外の人様とお話しするのが初めてなもので」
「はぁ」
「アヤメ様はお優しい方なのですね、こんな私にお声を掛けてくださるなんて」
床画?それと天井画が描かれた石作りのドームを出て空の道をお姫様と歩いていた。従者の人は先にドームから出ており部屋の用意をしてくれているそうだ。贅沢。
お姫様が上がってきた階段を降りていくとそこには、いくつもの塔の頂上が雲を突き破りその顔を覗かせていた光景だった。通路の幅はとても広くクマさんが横になってもまだ余裕がある程、けれど手摺りも何も無くいくらここが仮想展開された中にいるとはいえ、通路の端を歩く気にはなれなかった。
周囲の景色に飽きたのか、真っ直ぐ前を見据えながらナツメが棘のある言葉をお姫様に掛けた。
「こんな贅沢な場所を作るぐらいなら、人様とやらに資源ぐらい送ったらどうなんだ、仮想展開させているのもタダではないんだろう」
「直にここも潰えてしまうでしょう、お渡し出来れば良いのですが何せ量が量なものですから、何の足しになりません」
「最悪」
「ふん」
私の言葉にもまるで動じない。一体どうしたんだろう、ここに来てからナツメの様子が変だ。スイちゃんもナツメを気づかっているのか様子を伺っている。
「あの、ナツメさん?もしかしてお疲れですか?」
「あぁ、こっちはやりたくもない事をやらされそうになっているんだ、何とも思わないお前達がおかしい」
「……あの、」
「ナツメ、スイに当たるのは辞めろ」
「なら私から遠ざけてくださいよ」
「………」
「…………はぁ」
言葉を掛けようかと思いはしたが、口を開いたところでやめた。今のナツメに何を言っても聞きはしない、いつか見たあの時に戻っている。
(この景色が嫌いなのかな、それともお姫様達のこと?)
ゆるりと視線を周囲に向けた。先程までは朝焼けのように儚く日の光が塔の頂上と雲を照らしていたが、今は鮮烈な夕焼けに空模様が変わっていた。水平線になるにつれ赤色から黄色に境目なく変わりゆく空の色は見ていて飽きない。浮かぶ雲も多角的に光が当たっているのか一つとして同じ形も色もなく、塔の頂上も相まって幻想と開放と、そして荘厳とも言える景色が全方位に広がっていた。確かにこれは贅沢と言えるかもしれない。
(だからと言って八つ当たりするなんて……)
厳かとは言えない重い空気のまま、先導するお姫様の後を付いて行く。
◇
ドラゴン。もしくは竜と名の付く生き物は架空上のものであり、私もティアマトさんのオリジナル・マテリアルをこの目にするまでは知らなかった存在だ。鱗は鋼と同等とされており、牙は対物ライフルと同様に鋼を貫くとされている。爪は鋼も石も何をも引き裂き見るも無残な姿へと一変させ、黒く研ぎ澄まされたそれに触れた者の命を過たず絶する。
「私も価値観が蒸発しそう」
滑らかな手触りがする椅子に腰をかけてあんぐりと口を開けていた。頭からかけていた淡く発光しているベールが、窓から迷い込んできた風に撫でられてゆっくりと翻った。
十階層が鋼鉄の摩天楼なら、ここは大樹の摩天楼だ。大樹から伸びる枝は平らに均され別の大樹へと続き、その上を私と同じようにベールをかけた人達が行き交っていた。大樹の枝葉の上から降り注ぐ太陽の光は、盛大な木漏れ日を地へと投げかけている。私の部屋にも等しく降り注ぎ、手のひらでは収まらないギザギザした葉の影が眠気を誘うように優しく揺れていた。
「もう無理!頭に入らない!夢の世界だと言われた方がまだ納得できる!」
駄目だ!状況に流されるな私!ここは仮想展開された空間なんだ!
ほんの一時、太陽の光が何かに隠れたように遮られた。そしてその何かが通り過ぎ再び太陽の光が降り注ぐ。
「いやもぅドラゴンじゃん……こんなに沢山いていいもんなの?」
そう、ここには数多のドラゴンが空を行き交い耳の長い見目麗しい人が沢山いるのだ。お姫様の後に付いて行き、それぞれに割り当てられた部屋で疲れを癒してくださいと言われてこれだよ。取れるか!
「し、失礼します!」
「ん?」
誰かが扉をノックした、その声はとても可愛らしい。声だけでは男の子か女の子か分からない。
「どうぞ」
そう、声をかけるとおずおずと扉が開かれ大樹をくり抜くように作られた部屋に男の子が緊張した様子で入ってきた。両手で必死になって掴んでいるトレーが震えて、乗せていたカップが危なっかしく揺れている。
「だ、大丈夫?」
「は、はい!おま、お待ちください…」
視線はトレーの上に集中しており足元を全く見ていない。あ!と思った時には、室内にも顔を覗かせていた意地悪にしか見えない大樹の根っこに足を引っ掛けてしまっていた。
「熱い熱いっ!」
「あぁっ…」
あと数歩というところで男の子が転けてしまったのでトレーに乗せていた熱い液体が私にもかかってしまった。床に投げ出してしまったポッドから甘く香しい匂いがふんわりと漂ってくる。
かかったのは脛からくるぶし辺りなのでどうってことはなさそうだが、男の子はそうでもなかった。
「あぁ、あのっ、すみまっ、すみませんでしたっ!」
今にも死にそうな顔をして私の顔とかかった足の辺りを交互に見ている。何でもないよと声をかけても落ち着かない。これでは埒が明かないと思い、
「私にもこの辺りを案内してくれない?それで許してあげるよ」
別に怒ってもないんだが、謝ってばかりなので話しにならなかった。
「はい!はい今すぐにご案内致します!」
「いや!ゆっくりでいいからね!そんなに慌てなくても大丈夫だから!」
二人で床を掃除してから、大樹の摩天楼へ探索に出掛けた。
◇
「こいつはぁたまげたぁ……」
「?」
私もアマンナに倣って「丸!」ってやりたかったけどさすがに自重した。
私は確かにあの空中通路から「こちらです」と言われた部屋に入ったはずなんだ、それがどうして部屋を出てみると、雲の民は姿を消し塔の頂上も何処かへ消え去り代わりに大樹の中に作られた豪華なお城へと変わっていたのだ。通路の幅は...同じよう?左右と前に通路が伸びて、さっき通ってきたまま...のように思う。
隣に静かに佇んでいる男の子に声をかけた。
「君はさっきまで何処にいたの?ここが空中庭園だった時なんだけどさ」
「それでしたら、僕の自室で待機していました、今の風景に変わる前におもてなしをするようにと言いつけられました」
やっぱり変わっているという認識はあるんだな。
「誰に言われたの?」
「主様ですが……お名前の事をお聞きになっているのですよね?」
「うん、やっぱり君にも名前がないの?」
「はい」
とくに必要ではありませんので、そう言ってから私の前を歩き始めた男の子の後を付いて行く。
◇
「丸!」
「……ま、丸!」
駄目だやってしまった。部屋を出た通路からもこの景色はちらちらと見えていたんだ無理もない。お姫様と会話をした石畳だった場所まで戻ってきて、言葉を失うどころか我慢していた言葉がついて出てきたのだ。私の後ろに立っていた男の子も真似て「丸!」をやっていたけど、力んでしまったのか腕を垂直に上げて手を合わせているので「それは三角だよ」と言うと顔を真っ赤に染め上げていた。
冷たかった石畳から、温かい切り株に変わっていた場所から見える景色は幻想的と言う他にない。頭上は枝葉で覆われた自然に作られた天井が陽の光を和らげ、足元には変わらず床画が描かれていた。そして眼前には、幾重にも重なった枝葉から溢れるように光の柱が林立し、様々な形をした大樹が我先にと争うように天へと伸びるように立っていた。その間を天然通路が行き交い人々も交流し、ドラゴンもまたこの風景に馴染んでいるように枝に止まり、通路の端で体を休め、眼下に広がる小さく混然とした町へと羽ばたいていたのだった。
男の子がゆっくりと、遠慮するように距離を開けて隣に立った。
「もうお気づきかもしれませんが、現実の街とリンクしています」
「やっぱり?そんな気はしてた、塔が立っている位置と樹が立っている位置が一緒かなって、合ってる?」
「はい、皆様方が入って来られた白く輝く塔も仮想展開された建物なんです」
「あそこからだったんだ、じゃあ目の前を歩いている耳が長い人達は本物?」
「いいえ、ただの映像にすぎません、ちなみにですがドラゴンも同じものです」
「だよね、あんなのが本当にいたら腰を抜かしちゃうよ」
そこで初めて男の子がくすくすと笑った。
「ねぇ、君はもしかして舟に乗っていたりしてなかった?」
何となく打ち解けられたかな?と思い、真っ白の塔に入る前に見た湖の舟について聞いてみたのだが、どこか歯切れの悪い返事が返ってきた。
「ふ、舟?な、何のこと、でしょうか」
「違う?塔の前にも大きな公園があって、その中に湖もあるよね?そこで君が舟に乗っていたような気がしたんだけど……」
がっし!と手を握られた。
「あの、お願いですから、その事はどうか内緒にしていただけないでしょうか、勝手な行動は処罰の対象となっていますので……どうかぁっ」
目を瞑って握った私の手を額に擦り付けている。何かの作法?
この時の私の顔は、さぞかし嫌な笑みを浮かべていたに違いない。
「内緒にしてほしいなら、ね?分かるよね?」
「うぅ…」
「秘密っていうものは、誰かと共有した方が良い時もあるんだよ?お姉さんがその事を教えてあげるから、ね?」
「わか、分かりましたぁ…お連れいたしますぅ……」
まぁ、結局男の子に連れて行ってもらえたのはまだ先になるんだが。その前にお姫様からの召集がかかり製造区への侵攻作戦が告げられたのであった。
◇
「まぁ!何という事でしょう!アヤメったら本当に誰とでも仲良くなるのね!見損なったわ!ついに男の子にまで手を付けるだなんて!」
「見ちゃ駄目だからね、余計なお姫様のことは気にしなくていいから」
「は、はぁ……わっ」
男の子と手を繋いで(逃がさないために)小さな妖精に案内してもらった場所までやって来て早々に、グガランナに言われた言葉だった。
着いた場所はお城。端的に言ってお城。もう頭もお腹も一杯で入りそうにないが、ツタに覆われた古城といった風情があった。いつか見た雪景色の向こうにそびえていたあのお城にも似ている。
馬鹿みたいに大きな鉄製の門扉が開かれ、天窓からさんさんと降り注ぐ陽の光の中に皆んなが集まっていた。どうやら私達が一番遅かったらしい。余計なグガランナを見せないように男の子を手で覆っていると、お姫様が螺旋階段の上から姿を現した。
「ご足労いただき誠に感謝致します」
「前口上はいい、早く本題に入ってくれ」
いくらか機嫌を直したようにも見えるが、まだ言葉の棘が抜けていないようだ。ベールの向こう側はしかめっ面のままだった。
「では、皆様方には先程も申し上げた通り製造装置を止めていただきたいのです」
「質問いいかい?戦士が手にしていたあの槍は私達を追いかけていた敵を簡単に貫いたんだ、どうしてあんな手練れがいながら今まで放置していたんだ?」
同じようにベールをかけたアオラが出来の良い生徒のように質問していた。確かにアオラの言う通り、私達に頼まずとも処理はできたはずだ。
それに何故かナツメが吐き捨てるように答えた。
「自分達の手を汚したくなかったんだろう、違うか」
「とんでもございません、私共がこの地に誕生した後にかのマキナが製造装置を作り始めたのです、どうする事も出来ませんでした」
「まぁ…そうなるんだろうが……んん?」
首を捻った拍子にベールがはらりと捲れた。アオラは納得していないようだった。
「いい加減に腹を割ったらどうなんだ、正直と言ってお前達の態度には虫唾が走る」
さすがにその言葉は言い過ぎだ、気がついた時にはナツメに手を出してしまっていた。乾いた音が一度。右手の指の付け根が痛かった。
「ナツメこそいい加減にしなよっ!さっきから何なのさっ!助けてもらっておきながらその言い草はおかしいでしょっ!!」
中層のエントランスホールと同じ気迫を感じた。
「お前もいい加減に気付けよっ!こいつらが初めて会敵した時にどうして私らを全滅させなかったのかっ!」
お姫様が揺らぐ気配がした。
「アオラの言った通りだ!あれだけの手練れがたった六人風情を倒せないと思うのかっ?!私達を利用するためにわざと生かしていたんだろうっ!」
カサン隊長がナツメの後ろに立った。
「こいつに一票だ、確かにそうだと言える場面はあった、あの敵を丘の上で倒してみせたが、実はもっと前に察知はしていたんだろう?」
「………」
「これ見よがしに倒してあたしらを引き込むつもりだったんだな、策士というか、周りくどいというか」
「……何か、仰られてはどうですか」
薄らとした笑みを崩さずに私達を見下ろしている。
「………ふぅ、人との交渉事は難しいものですね、とても勉強になりました」
「……お姫様?」
「……まだその位を付けて下さるのですね、優しさを通り越して嫌味に聞こえますのはきっと、私の心が腐っている証拠でしょう」
雰囲気ががらりと変わった。
螺旋階段手前の手摺りに手を置き話していたお姫様が、ゆっくりと階段を降りてきた。ドレスの長い裾を床に垂らしながら、歩く所作もどこか投げやりに見える。
罵声を浴びせたナツメすら、お姫様の豹変ぶりに戸惑っているようだ。
「この中からどなたかに仮想世界へ飛んで頂きたいのです、勿論そこにいるマキナ以外、つまりは人間が、ですよ」
「それをさせる為に……ですか?」
「そうです、そこで私達の過去を探って頂きたいのです、それこそ本願、それこそ私達が今を生きる全ての理由、目的です」
「………仮想世界なら、」
「自分達で行けと申しますか、それが出来ないからこうして謀ろうとしたのですよ?」
グガランナがすかさず割って入った。
「騙さないといけない程、危険という事でしょうか」
「そうです何せ、××××××の××××ですから………忘れていました、ここには展開させていましたね、解除致しましょう」
お姫様がぱちんと指を鳴らすと世界が一変した。
瓦礫、破片、クズの山、ゴミ、塵芥、諸々全てのゴミが集まったような場所に変わっていた。目の前に立っていたはずのお姫様は見当たらず、代わりに立っていたのは目玉だけが残った一体の機械人形だった。左右についた目玉をぎょろぎょろと動かして周りを観察している。
機械人形が不吉な軋みを鳴らしながら腕を上げると元の世界に瞬時に戻った。
「もう、発声器官も失っていましたね、仮想展開させなければあなた方と話すことすらままならない」
...どこから?一体どこから私達は仮想展開された街にいたんだ?いや、そもそも今は現実なのか、展開された場所なのかも分からない。さっきの姿が本当のお姫様なのか、それとも仮想展開された姿なのか。
今、目の前に立っているのがお姫様なのかも分からなくなってしまった。
「ここから帰りたいなら、どうか私のお願い事を聞いて下さいまし」
53.b
停止していた世界に変化が起こった。仄暗い穴からすり潰されたイルカが溢れてきていたがそれも徐々に止まり、今度は雲が溢れてきた。
(なんだなんだぁ?今度は何が起こるっていうんだ?)
次第に雲の数も増え始め次から次へと止めどなく溢れてくる、穴から吹き付ける風もどこか温かい。決して強くはない風に、動きを止めてマネキンに変わり果てていた人間共が巻き上げられ宙へと舞っていく。まるで紙のような軽さだ。そして、溢れ続けていた雲もようやく止まり、この世界の空に元からあった雲と紙のように舞った人間共と、穴から新しく増えた雲でよく分からない光景になってしまった。
女を見やりながら肩を竦めて「どうするんだ」というジェスチャーを取った。意味が通じたのかすぐに返事が返ってきた。
「こっちに応援を呼んでいるわ、こうなってしまったら防壁が意味を成さないもの、すぐに来れるでしょう」
ここでようやくこの女が何者なのか、その正体が分かった。
マスターコンソールを使って何やら操作を始め、間を置かずしてそいつが現れた。足下からテクスチャが構築され、赤い靴にスラリと細い子供の足、膝丈のフリルの付いたスカート...じゃないな、青いワンピースに最近ハマりつつあるぺったんこの胸、そして黙っていれば人形のように繊細な顔と長いまつ毛に白い髪。
(プエラ・コンキリオ……ってことはこの女が……)
ディアちゃんが目の敵にしているテンペスト・ガイアか...道理でオレのこともディアちゃんのことも知っている訳だ。
全身を現したのに目蓋を閉じたままだ、覚醒していないのか演出なのか知らんがこの間の仕返しと言わんはがりに足早に歩き、目を開ける前にぶん殴ってやろうと思った。
しかし残念、手をあげた時に目蓋を開いた。ぱっちりと開けた瞳でオレを見るなり固まってしまった。
「…………、………、……」
口を閉じたり開いたり、何がしたいんだこいつ。こちとらテメぇのせいで散々な思いをしたんだ、鬱憤を晴らすために胸倉を掴み拳を構えた。
「やめなさい、いくら何でもあの子はそんな事しない」
プエラ・コンキリオが今にも泣き出しそうな顔をしていたが、テンペスト・ガイアの言葉に状況を理解したのか、あの時に見せた冷めた面に戻っていく。つまらなぇ、こんな何かも諦めた奴を殴っても面白くも何ともない。
掴んでいた胸倉を乱暴に放して距離を取った。
「すぐに状況精査に入りなさい」
「はい」
テメぇがやらねぇのかよとツッコミたかったが生憎言葉がまだ出せない。再び目蓋を閉じたプエラ・コンキリオがすぐに口を開いた。
「攻撃を受けたようです、相手はオーディン、それとヴィザールと名付けられた子機です、場所はディアボロスのナビウス・ネット」
「何故そんな所に?」
「テンペスト・シリンダーの歴史カテゴリーから移動したようです、原因は不明」
「不明?意味が分からないわ……」
額に手を当ててかぶりを振っている。何なんだ?こっちはさっぱりだ。
「ディアボロスにマーキングされているようです、位置が特定されています」
目蓋を閉じただけなのに次から次へと情報を吐き出している。これが司令官と呼ばれる由縁か、何かも筒抜けらしい。
(さて、どうしたもんかねぇ……)
「はぁ…ほんとどこまでも邪魔しかしない、けれどもう終わりも近い、後はデータさえ取れれば……現在位置は?」
「ここです」
一瞬、何をしたのか分からなかった。気づいた時には、頬が赤くなった司令官が斜め下を向かされていた。
「ふざけないで、何のためにここに呼んだと思っているの?」
「………現在地はここ、としか言いようがありません」
「次も同じ事を言ったらあなたのデータを消すわよ?」
...あれだけ冷めた面をしていた奴が見せる反応では無かった。瞳孔が開き体がわなないてる。何度か唾を飲み込みやっとの体で口を開く。視線は懇願。真っ直ぐにテンペスト・ガイアに注がれている。
「…………こ、ここ、としか、確かにここなんです、嘘ではありません、私達が立っている場所と同じ位置に存在しています」
「そう」
あれだけ必死になって説明した司令官に対して、たった一言。これパワハラって言うんじゃないのか?だが本人は気にしていないようで、激しく運動した後のようにぐったりとしていた。いつの間にか汗もかいていたようだった。
(汗も滴る良い女……ってガキに興味はねぇな)
槍で刺してもいいなら話しは別だが。
(んぁ?)
その時、オレの目の前に一本の槍が生まれた。嘘かと思うが本当だ、突然現れたのでびっくりしたが、確かに地面に刺した状態で唐突に現れた。試しに握ってみたが冷んやりとした柄の感触とずっしりとした重さも本物だ、何故?そう思うのと刺さっていた穂先を引き抜くのが同時だった。
「あなた、」
女が口を開くより早く一刺し、重心を落とし必要な距離だけ足を動かし槍の腹辺りを掴んで素早く前に突き出した。それだけで女の頭を貫いた。
「ひゃっはぁー!!やっぱ良いねぇー!!」
「こいつ!それにこの声はっ」
やっぱここでは死なねぇか、オレの動きに驚いている司令官を横目に、貫いた女を見やれば頭から映像が崩れでいく。ここが奴の仮想世界なら、本体は今でもぴんぴんしているはずだ。
「やーと喋れるようになったぜ!……ん?体はこのままかよ、下らねぇ」
槍を掴んだ手は細いままだ。
威嚇するように槍を振り回し、首に柄を回して両腕をかけた。
「あんた、ウロボロス…どうしてこんな所に」
「んぁ?正体に気づいていたんじゃないのか?」
「ただの映像だと思っていたのよ、中身まで知る訳ないでしょ」
「そりゃそうか、で?どうなんだよ、裏切ってまでついたテンペスト・ガイアの元は、テメぇにはお似合いかもなぁ」
「………」
「そうそう、オレに向ける目はそんなんでいいんだよ、こないだの礼はここで返す…ぜぇ!」
だらけた構えのままに先ずは石突きで司令官の胴を突く。
「うぐぅ?!」
口から唾を飛ばして呻く、不意をついたのであっさりと入った。今度は一回転して太刀打ちでよろめいた司令官の頭をぶっ叩いてやった。
「はぁーっ!ストレス解消っ!」
真横に吹っ飛び地面に転がった、ワンピースは捲れ上がり素足が丸見えになっていた。
「ここの連中もガキに手を出していたんだ、ここで見逃す道理はないねぇ!」
「……こんの、屑野郎!」
「はっ!」
鼻先で笑い飛ばして槍の穂を足に向けて構えた。頭から血を流し口の端から涎も垂らした司令官が視界に入る。獲物、まさに獲物。これで興奮しない屑はいない。
「テメぇもここの連中に描いてもらったらどうだ?きっと良い値で売れるぜ」
「この私が一方的にやられるとでも?」
何をしたのか知らんが、司令官の後ろから今度は人型機が生えてきた。胴体から下は地面に埋まり、やたらと鋭利にデザインされた灰色の機体だ。上半身だけを再現しやがったのか、何とも器用な。
「だったら何だ、オレがこんなガラクタを相手にすると思うか?」
「なっ」
機体が構えていてるのは見えていたが、それよりもさらに早く懐に入り込んで石突きを司令官に下から振るった。顎を叩いて体ごと持ち上げ、空いた胴に今度はオレの拳を叩き込んでやった。
「ぐぅっ……」
腹を抑えて呻く司令官にさっきから興奮が止まらない。口もバグったんじゃないのかっていうぐらいに笑っているのが自分でも分かる。あの時に、篝火の前であの男がやってみせたようにオレも槍を逆手に構える。
「……あんたが、本物なら、どれだけ気が楽だったことか…」
「いやいやぁ、オレぁ本物だぜぇ?」
とくに前口上もなくすぐに太もも目掛けて槍を下ろした。肉を貫き地面に穂先が刺さった感触が手から伝わってくる。早くやりたかったからだ、その事で頭が一杯だった。
思った通りいやそれ以上!
「たまんないねぇ!!こーんな楽しい事を昔の奴らはやっていたのかよ!!生まれてくる時代を間違えたぜぇ!!」
耳元では既に、人では出せない轟音がしていたが、どうしようも無かった。左の視界を埋め尽くす程大きく黒い何かが迫っていたところまでは意識はあった。全身の骨が砕けたと思わんばかりの衝撃が身を包み体が軽くなった。
「…………は、」
声が出せるようになった時には既に、どうしようもない程ぼろぼろだった。たった一発殴られただけなのに。
どうやらあの絵画を飾った家の中まで吹っ飛んだらしい、今となってはすっかり見ても何とも思わない、稚拙な絵画ばかりが並んでいた。あの老夫婦もきっと、殺しの刺激を夢見て絵画を眺めていたに違いない。
オレが飛ばされて家をひっくり返した弾みでかは知らないが、まだ見たことがない絵画が床に落とされていた。寝転んだ状態なので斜めにしか見ることができないが、どうやら三人の人間を描いているようだった。それもガキ、男が一人に女が二人。どこかで見覚えがあるような気がしたが、とくに思い出すこともなく意識を手放した。
✳︎
少し、いやかなり丸くなったナツメが先導しその後を私達と戦士の人達がぞろぞろと付いて行く。お姫様...と言っていいのか分からなくなってしまったが、彼女のお願い事を聞くことにしたのだ。仕方がない。それに人間駆除機体の工場は実在するらしく嘘ではないらしい。こちらにも利があるならと、ナツメが代表して引き受けた。
先頭集団は私達、少し後ろを歩くスイちゃんが小声で話しかけてきた。
「ここもやっぱり……仮想展開された場所なんでしょうか」
「どうだろう……」
歩いている場所は屋内展示場だ、今ではすっかり元通りになっており初めて足を踏み入れた時と何ら変わりがない。足下に咲く花は透けたままだが。
遠目にあの町が見えてきた、戦士の人がいうにはあれで集落らしい。昔はもっと沢山の集落が中層には点在していたそうだ。そして、エディスンと呼ばれた街に住む人達と争いを繰り返していたことも教えてもらった。
集落に入り祭壇広場を抜けてすぐ、ナツメが歩みを止めて後ろへと振り返った。何かあったのだろうか。
「防人はいないか!」
ナツメの呼び声に素早く答え、一人の戦士が歩み出てきた。私達を真っ白の塔へ案内してくれたあの人だ。
「何か……………む、これは一体……」
何だ何だと私や他の戦士の人も前へと歩み出て、異変にすぐに気づいた。倒したはずのあの敵がどこにもいない、槍に貫かれ地面に倒れ伏していたはずなのに。
「どうしていない?」
「おい」
防人(そう呼ばせてもらおう)の人に戦士の一人が呼ばれて指示を与えてられている。
「周辺の索敵へ急げ」
「はっ!」
戦士の人達が素早く隊を組んで散っていく。
「しばし待たれよ人の子よ、あり得ぬことだがあやつが復活して動き出したのかもしれぬ」
「あれが仮想だけの敵ということは?」
アオラの言葉に、
「しかしお前達もここへ来るまでに同じ敵と遭遇していたのだろう?それは考え難いのではないか?」
「確かに」
当たり前の事を返した。アオラはすごすご引っ込んでいる。
「ばか」
「いやだって聞いとかないとと思って…」
敵が倒れていた場所を見やれば雨のように降った槍の跡も無くなっている。そこで、ん?と強い疑問を感じた。
「防人さんも、仮想展開された方なんですか?」
「さきもりさんとは、またおかしな言い方をする……我らは実体を持つ、これで良いか?」
引っかかるような言い方だ。
「なら、私達も実体を持つと言っていいんでしょうか?」
「何が言いたい」
「いえ、ここの仮想展開を解除したら、槍が刺さっていた場所がどうなっているのか分かるかなと思って」
「そんな事せずとも、我らを幻だと疑っているならそのライフルで我の頭を撃ち抜くといい、もしくは貴様の仲間をこの槍で突いてやろうか?」
辺りに緊張した空気が流れる。
「……すみません、敵の正体が分かると思って良く考えもせずに言ってしまいました」
素直に頭を下げた、別に疑ってる訳ではない。
まだ怒っているかと心配したが、防人さんもすんなりと機嫌を直してくれた。
「…………我こそ言葉が過ぎた、謝罪しよう」
すると、何故かグガランナが勝ち誇ったように口を挟んできた。
「えぇ!えぇ!神をも超えるこの心優しいアヤメに感謝しなさい!他の人だったら今頃本当に頭を撃ち抜かれてうべぇっ」
「やめてグガランナ、怒ってないから!」
私の隣から顔を突き出していたグガランナの頬をぺちんと叩いた。
「ふん、まぁいい、そこのマキナは放っておいて、貴様の言う通りにしてみよう、何か分かるやもしれん」
「貴様って言うのをやめなさい!我慢にならないわっ!」
まだ言う。
防人さんがうろんげにグガランナを見やりながらも何やら通信を取っているようだ、被っていた兜の一部が点滅していた。
「ならば、親愛を込めてアヤメと呼ばせてもらおう、これで良いか」
「駄目に決まっているでしょう!新参者のくせに呼び捨てだなんて!」
私にしがみつきながらぎゃーぎゃー喚くグガランナを他所に、防人さんの通信が終わり瞬く間に仮想展開が解除された。敵に襲われた時と同様に中層を模した風景が消え、非常灯に照らされた丘の上には下半身だけが残された敵の残骸があった。
「何だありゃ、下半身だけ?意味が分からない、何があったんだ?」
「私も防人と呼ばせてもらうが、上半身はお前達が持っていったのか?」
薄暗い中でも口を開けて驚いているアオラと、防人さんに視線を寄越しているナツメの姿が目に入った。そして、アオラ同様に驚いている防人さんの姿もだ。
「まさか、そのような事を我らがするはずもなく、どういう事なんだこれは………」
「防人さんもお手上げらしいな」
今度は私に視線を投げたが、それよりもだ。
「私はてっきり何もいないと思ってたんだけど……追いかけてきた敵は、実は仮想展開させた姿で、それを防人さんが追い払ってくれた……みたいな?」
「それはさっき私も聞いただろう、バカ」
さっきの仕返し?むっと睨んでから続きを話した。
「現実……って言えばいいのかな、エレベーターシャフトで会った敵はここまで来てなくて、丘で姿を表した敵が仮想展開されてたのかなって思ったの、それなのに下半身だけでも残ってたから余計に分かんなくなっちゃったけど…」
「筋は通っているが……何故そっくりなんだ?」
「さぁ…でも、それなら防人さん達だって、あー何と言えばいいのか…」
「同じ存在だと?この我らが敵と?」
「………はい」
そこで顔をしかめていた防人さんが高らかに笑い声を上げた。もうびっくり。ナツメなんか銃を構えている始末だ。
「ぬぅはっはっはっ!まさか!この我らが敵と同じだと!違うかな、敵が我らの姿を真似ているとは何故思えんのだ人の子よ!」
「おい…順番関係あんのか?結局同じなんだろ?」
「しっ!静かにして!」
アオラと小声でやり取りをしている間に笑い終わったようだ。ナツメと同じぐらい丸くなった表情で私達を見回した。
「はー実に愉快、いやはや、貴様のような人の子であれば要らぬ存在であったろうに、野蛮な人間共に初めて感謝したわ」
索敵から戻ってきた他の戦士の人達も防人さんの変わりようにおっかなびっくりしていた。耳打ちで素早く報告を済ませた後、再び私達の後ろについたので軽く頭を下げた。
正面を向いた時、防人さんに見つめられていたので余計な事をしたかと焦ってしまった。
「………」
「で、索敵の結果はどうだったんだ」
口を開きかけた時にナツメが声をかけたので、何事も無かったように受け取った報告を告げた。
「周囲に敵影なし、異常もここにはなし」
「なら、」
ナツメの言葉を受けて、
「外にはあるという事だ、十分に警戒しておけ」
53.c
私達が初めて屋内展示場に入った入り口から出てすぐの空中通路でナツメが防人さんに声をかけていた。私との会話の内容をずっと考えていたらしい。
「防人、確認したいんだか、結局お前達はどういう存在なんだ?現実でも仮想展開された場所でも問題なく活動出来るのは分かったが、私ら人間とは違うのだろう?」
もう、ナツメといがみ合っていた事は気にしていないのか、自然な笑みを湛えてから答えた。
「いかにも、貴様らには仮想での攻撃手段は持ち合わせていないだろうが、我らにはある」
「それは槍だろうが」
「ならば持ってみるといい」
小馬鹿にしたナツメが何の疑いもなく、防人さんが突き出した槍の下に手を入れた。そして防人さんが何のてらいもなく離しナツメの手をすり抜けて辺り一面に乾いた音が、からんからんと鳴ったのだ。
「は?」
「は?ふざけるなよナツメ、何やってんだ」
「いや、待ってくれ!確かに私は掴んだはずだぞ!」
「あの、ナツメさん疲れているようでしたら、やっぱり休憩を取られた方が……」
「スイ!違うんだ!確かに私は……」
「次、試してみたい者はいるか?いくらでも付き合うぞ」
随分とフレンドリーになった防人さんの言葉を受けて皆んなが並んだ。前から順番に落とされる槍を掴もうとするがすり抜けことごとく地面に落ちていく。
前に立っていたカサン隊長が終わって、さぁいよいよ私の番だという時に斥候に出ていた戦士の人が慌てて駆けて来た。
「しばし待て」
槍の下に手を入れて、いつでも来い!と構えている状態で待たされてしまった。斥候の方から耳打ちで報告をもらい、みるみる眉根が寄っていく。報告を聞き終わるや否や、槍を持ち直して堂々と告げた。
「この先に逃げ出した敵を発見したと報告を受けた、それと心してかかれ、あそこは既に異界となっている」
◇
ナツメが灰色の機体の前に佇んでいる。機体の下半身は地面の中に埋まり上半身だけを覗かせて。威嚇目的でデザインされたとしか思えない、この機体に攻撃されたと小声で教えてもらった。そして黙り込んでしまって暫く時間が経つ。
防人さんに言われた通り、十階層の搬入口周辺は「異界」と化していた。空には大きな暗い穴が開き、その下には見た事もない生き物が無残な姿で晒され、空にはとても近い所に雲が浮かび、紙人形のように人が宙を舞っていたのだ。私達が着いたのは街中だ、初めて見る。
「ナツメ……」
「お前は見ていなかったんだな」
こちらを向こうともしない。ナツメの横顔は今にも泣きそうだった、目を細め眉を寄せて堪えているように見える。
「ごめん……」
「何故謝る、その必要はない」
ゆっくりと手にしていたアサルト・ライフルを持ち直した。その弾みでかちゃりと音が鳴った。私が目を伏せた隙に銃をまた構えたようだ、そして三回発砲音が鳴り響く。
「何だっ?!」
近くで待機していた防人さんが慌てて駆け寄ってくる。私も突然の行動に驚いてしまった。
「ナツメ?!何やってんの?!」
「見てみろ」
顎でしゃくってみせたので、言われた通り見やると機体のコクピット辺りに三つの弾痕があった。機体ってあんな簡単に傷が入ったっけ、という疑問と一つの発見をした。
「あの機体は、現実にあるって事?!」
「違うんじゃないのか?何かの現実体に仮想画像でも貼っつけているだけかもしれん」
「何があったのか報告せよと言っている!我に心配を掛けさせるなっ!」
「まぁた随分と親切になったもんだな、出会ったばかりのお前に会わせてやりたいぐらいだ」
「抜かせ!良いか!勝手な真似は二度とするなよ、あれにもし何やら仕掛けがあったら今頃どうなっていたと思う!」
ナツメが撃った機体を指さしながら、私は肝を冷やしてしまったが、ナツメはどこか悪戯っ子のように意地悪く笑っている。
「その時はお前が守ってくれるんだろう?だから「防人」と呼ばれているんだろうが」
「貴様……」
出会ったばかりとは違う意味の睨み合いが始まったところで、二人のそばから離れた。あの調子ならきっと大丈夫だ。
「それにしてもここは何?」
独り言のつもりだったが、代わり映えしない建物の前に並べられたよく分からない商品?に鼻を近づけてふんふんしていたスイちゃんが答えてくれた。
「ここは私がいたエディスンという街中ですよ、アヤメさん」
クマさんの目を真っ直ぐに向けるため、少し苦しそうに体を捻っている。軒先に並んだ商品の前にお尻をどかっと置いて座っていた。
「えー、えですん?」
「エディスンです!大怪我を負ったナツメさんの介抱をプエラさんがしていた場所です、そこで私もお二人に助けてもらったんです、まさかこんな形で帰ってくるとは思っていませんでしたが……」
アオラと一緒になって周囲の警戒をしていたグガランナが、自分の役目も忘れて私とスイちゃんの所へ走って来た、それもかなり慌てている。
「アヤメ!こっちにいらっしゃい!思い出の場所がすぐ近くにあるわよ!」
「あ!思い出した!私ここに来たことあるよ!」
「え?そうなんですか?」
「うん、アマンナと二人でね、散歩がてらに確かショッピングモールに入ったはずなんだ」
「ショッピング………モール………」
「あぁ!アヤメ!あの……そ、そうだわ結婚しましょう!それがいいわ、絶対にいい!」
「静かにして、うるさいよ」
「ショッピングモール……」
「す、スイちゃんもどう?!私と結婚しない?!」
「ばか!そんな軽々しく言えるもんじゃないよっ!さっきから何なのさっ!」
もう、手振り身振りとにかく私とスイちゃんの気を引こうとしている。その意味が分からない。
「スイちゃんは…………あれ、そういえばスイちゃんって何処から来たの?確かグガランナにマテリアルをどうとかって……」
「……私はこの街のショッピングモールで覚醒した元データなんです、プエラさんには自我が芽生えたーとか教えてもらいましたけど…その後に出会ったグガランナお姉様にマテリアルを作ってもらったんです」
あれだけ邪魔していたグガランナが明後日の方向を向いている、私はそのままグガランナを見やりながら話しを続けた。
「……走ってた?スイちゃんがショッピングモールにいた時走ってなかった?」
「何で……知っているんですか?」
「吹き抜けのエリアにあった象さんのそば?」
「何で知ってるんですか!」
「そのまま階段に向かって走って転けたよね?」
「何で知ってるんですか?!私の夢の記憶なのに!!」
「その後ろを私が追いかけていたからだよ」
「…………………………はぁ?」
あれ。睨むようにグガランナを見ていたけど、話しの途中で思ってもみないスイちゃんの声音に慌てて向き直った。
「何言っているんですか?そんな訳ないじゃないですか」
「……紫色の髪、してたよね?」
「どうして知ってるんですかぁ!!私とお姉様だけの秘密なのに!!グガランナお姉様!!」
クマさんがぽかぽかと殴っているがあれはただの滅多打ちという攻撃だ、ひぃひぃ言いながらグガランナが受けている。
「ちょっと、待って、スイちゃん!痛い!」
後で問い質そう。きっとグガランナはスイちゃんの事を隠していたに違いない、それが明るみに出そうになっていたからあんなに引き止めていたのだ。
周りにいた戦士の人がにわかに殺気立った、皆んなが槍を構えてクマさんへと穂先を向け始めた。私は慌てて止めに入ろうとしたが...
「待ってスイちゃん!まっ、て!……ぐっ?!!」
「グガランナっ?!スイちゃんやり過ぎだよ!!」
尋常じゃない声がグガランナから聞こえてきた、クマさんを見やればとても冗談には見えない速度と重い拳を当てているではないか、次第にグガランナの腰が折れて地面に膝を付いた、それでもやめようとしない。
「スイ!何をしている!悪ふざけにも程があるだろっ!」
騒ぎを聞きつけたナツメが割って入ろうと手を伸ばすと、それすらもクマさんの手で払い退けるように腕を払ってきた。そして、こちらを向いたクマさんの目が赤く光っていた。
「Wuoooornnuxwtpっ!!!」
「スイっ?!」
「攻撃体制を取れ!」
「待ってくれよ!何かの間違いだ!」
「知れた事か!攻撃を受けている事に変わりなし!貴様らの仲間が地に倒れ伏しているのが見えないのか!」
「グガランナ!グガランナぁ!」
四つん這いになって牙を剥き出し、獲物を狩る前の獣のように口から涎を垂らしたクマさんの向こうに、微動だにしなくなったグガランナが倒れていた。
(あぁ…!あぁ……!そんな!)
見たことが無かった、全身にあざを作ってボロボロになって地面に倒れて動かなくなったグガランナを。見たく無かった。どうしてこんな事に、今までにないぐらい動揺してしまい、これは何かの冗談だと必死になって言い聞かせている自分がいた。
それでも、背中に回していた対物ライフルに手をかける。
「スイちゃん!返事をして!聞こえているんでしょう?!」
「Wouuuny……Wouu……」
口角を上げ牙を見せて唸り声を上げて威嚇している。
「何かの冗談だよね?!そうだと言って!!」
ライフルのグリップを握り、銃口をクマさんへとゆっくり向けていく。それに反応して相手も横へと少しずつズレていく。手足を上げずにいつでも動き出せるように地面を擦りながら。後ろ足がグガランナの体を蹴飛ばした、人形のように転がったのを見ていい加減に腹を括った。
(先ずはグガランナを助けないと!)
セーフティーを解除した時、防人さんの声がすぐ後ろから聞こえてきた。
「人の子よ、貴様が手を汚す必要もない、あれはグラナトゥム・マキナだ、あのマテリアルが大破しようとエモート・コアは無事だろう」
「だからと言って見過ごせと?大事な人を見捨てるつもりはありません」
肩を掴まれた。
「ならばこそ!我らがいようというものだ!兆しを受けし者よ、その心意気を幾千万の彼方へ語り継いでくれたまえ!行け!」
掴んだ肩をクマさんとは別の方向へ引っ張り投げ出し、それと同じくして戦士の槍が突き出された。ぶれる視界には槍に貫かれ、クマさんの爪で引き裂かれ、瞬時のうちに入り乱れた戦場と化していた。
◇
ライフルを構えたまま走る。
「何処へ行けばいいんだ!ナツメ!」
初めて聞く切羽詰まったカサン隊長の声が前から風に流れてきた。
「とにかく目的地へ!ここにいても仕方がない!」
「スイちゃんを見捨てると言うのか?!」
「あれはスイではない!ビーストと同じ目をしていた!」
私とアオラが並走して、その少し先をカサン隊長とナツメが走っている。
ここは確かに瓦礫の山だったはずなのに、いくら走っても当たることがない。大きな岩や集落だった残骸は避けて走っているが、それでもここまで当たらないのは不自然だ。
(けれど今は!走るしかない!)
「Woooooooonn!」
「WooonWooon!」
「くそっ!」
「Woooon!Woon!!」
「誰だビーストが殲滅されたなんて言った奴は!!」
「WoooooooooooooonnWu!!!」
「お前だよ!何がピクニックだ!向こうに帰ったら覚えていろよ!」
「アオラ!うるさい!敵の方角が分からないでしょ!!」
「Won!!!」
後ろから!
私ら四人を囲んでいたビーストの一体が先制攻撃を仕掛けてきた、その場で立ち止まり飛び掛かってきたビーストの口の中に銃身を突っ込み素早くトリガーを引く。
「ByougAッ!!」
腹の中から対物ライフルが火を噴いた、敵が膨れ上がり絶命したのを確認もせずに銃身を引き抜く。
「カサン隊長二時に三!ナツメ九時に四!」
草原の只中に突如として生えている瓦礫や、空中に植生している植物の影にはビーストが隠れながら並走しているのが見えていた。あの辺りは現実に瓦礫か何かがあるのだろう。
カサン隊長のアサルト・ライフルが進行方向を垂直にして弧を描きながら、赤く発熱した弾丸の軌跡が瓦礫の向こうへと襲いかかった。
「ちっ!見えない壁というのは厄介だ!」
瓦礫と空中に弾かれてしまい敵には届かなかったが威嚇にはなったようだ、走っていたビーストが距離を開け始める。
「今の内に!」
「っても何処へ行けばいいんだ!当てずっぽうに走る訳にも行かないだろっ!ナツメ!」
カサン隊長と同じように曲射を行っていたナツメが走りながら答えた。
「黙って付いて来いこのド素人がっ!戦場で口出しするんじゃないっ!」
今度は、木だと思っていたのにそれを擦り抜け隠れていたビーストを弾丸が穿っていた。
「いいねナツメ!」
ビーストが派手に火花を上げて、走っていた慣性で草原を滑るようにして倒れていく。それを見た他のビーストが前後に分かれた。
(いくら現実と仮想がぐちゃぐちゃになったとはいえ!物理的な距離までは変わっていないはず!)
だからビーストがすぐに姿を現したのだ、それはおそらくこの階層にある工場区から出てきたということだ。
「アオラ!狙われてるよ!」
アオラに近いビーストが距離を測っている、襲う寸前の動きだ。岩や木に巧みに隠れながら機会を伺っている。
「はぁー!あれがアヤメ似の美人さんならどんと来いなんだがなぁ!」
「ふざけてないで注意して!」
アオラは射撃が苦手なのは知っている。だからと言って明後日の方向にグレネードを投げまくるのはやめてほしい。二つか三つ、ピンを抜いたグレネードが立て続けに爆発した。
「Wxnッ?!」
驚いたビーストが、爆発して土煙を上げている一歩手前でたたらを踏んだ、それを見逃さずレティクルを合わせてトリガーを引く。さっきはビーストの腹の中で見えなかった盛大なマズルフラッシュの後、風船に泥を詰めたかのような破裂音が聞こえ、今度は血柱が上がった。
「グレネードを投げるなら声をかけろっ!次無言で投げたらお前の頭を撃ち抜いてビーストの餌にしてやるっ!」
隣を走っていたカサン隊長から罵声を浴びせられている。別の方向を向いていたのだ、それは驚いたはずだ。
「グレネード!」
今度はナツメが叫び、走っている方向へビーストもいないのに投げた。
「気でも狂ったかっ!」
投げたグレネードが、向こうに見えているはずの大きな雲の手前、空中で当たって跳ね返ってきた。
「なっ?!」
「お前!!」
「はぁ?!」
「確かめ方が雑!!」
と、言ったところで遅い。皆んな四方に散って跳ね返ってきたグレネードから逃げるように向きを変えた。十分に走れるだけ走った後、そこに何があるのかも分からないのに身を空中に投げ出し飛び込んだ。
(グレネードにやられるぐらいなら!瓦礫にぶつかった方がまだマシ!!)
結局何かにぶつかったんだが。頭を守るように腕を出していたので右腕がとくに痛い。ぶつかりながら地面に伏して、一拍置いて耳鳴りがする程の爆発音と何かの悲鳴が辺りに響いた。
無理やり呼吸して生きている事を確かめてから素早く身を起こした。
(あっぶなっ!すぐそこじゃんっ!)
私より十メートルも無い所から、もうもうと土煙を上げ、辺り一面にビーストの残骸と血らしき液体が飛び散っていた。
「皆んな!平気?!」
私の呼び声に二人がすぐに答えてくれたので安心した。
「絶対殺す!ナツメテメぇ!」
「ナツメ!お前はいつの間に新兵に戻っていたんだ!次やったら殺すぞっ!」
皆んなから殺すコールを受けたナツメが、
「誰のおかげで敵を倒したと思っているんだ少しぐらい感謝しろぉ!」
全く反省していない様子で叫び返していた。
53.d
「お前!どうしてそんな大事なことも言わずに走り出したんだ!てっきりしらみ潰しに探すんだと思っていたんだぞ!」
「あの状況でいつお前みたいな頭の悪い奴に説明する時間があったんだ!言ってみろ!お前の妹の方が賢いじゃないか!」
「私を巻き込むな!喧嘩なら他所でやって!」
「ビーストが現れたタイミングを考えれば誰でも分かるだろうが!あんなに早く追い付ける訳がないだろ!少しは考えろ!」
「なんだとぉ?」
「アオラ、ナツメ、いい加減にしてくれ」
「…」
「…」
機嫌がすこぶる悪いカサン隊長の静かな叱責に黙る二人。
辺りに私達四人の足音と手にした銃の金属音が鳴り響く。私とナツメの予想通り、物理的な距離は変わっていなかったのですぐにエリアの端に到着すること出来た。そして、廃墟となった建物の中から頭を出していたビーストを運良く見つける事ができたので私の対物ライフルで遠慮なく狙撃させてもらってから、工場区へと侵入した。
まだ文句を言い足りないのかアオラが皮肉を言う。
「これで工場区じゃなかったら笑い話しだな」
「アオラ、次言ったらさっきの問い質すよ」
「………」
「情けない姉だな、妹に尻に敷かれているじゃないか」
居住エリア前の通路より、さらに狭い所を歩いている。床も壁も天井も無機質な軽金属で作られ明かりは足下にある非常灯のみだ。ここをさっき私が頭を撃ち抜いたビーストが通ってきたのかと思うと少し不思議だ。
「ここ、点検用通路か?」
そう、まさにそれ。
「ビーストが逃げ出した?というか、工場で作られた奴がどうやって外に出ているかは知らんが……」
答えはすぐに分かった。
◇
「私はここに来てから、ただのお上りさんだったんじゃないかと思うようになったんだ」
「…」
「…」
「皆んなもそうか」
アオラの独り言は、稼働している製造機械群の音でよく聞き取れない、いや言葉を返す気も起きない。
点検用通路を抜けた先、そこには超大型のパイプオルガンが待ち構えていた。それも何個も並べられてその一つ一つが稼働しているようだ、蒸気を吐き出し鉄と鉄がぶつかり合い、パイプにあたる部分から定期的に音が鳴らされる。
「ここが…私らの敵の本拠地……」
アオラの言葉に黙っていた三人のスイッチが入った。
「とてもそうは見えんがな……早くここを止めよう、スイの事も心配だ」
「あれはもう駄目だろう、戦士の奴らに串刺しにされて終わりだろうさ」
カサン隊長が煙と音を吐き続けているパイプオルガンを睨みながら吐き捨てるように呟いた。
「……面倒を見るという話しは?」
「ただの気紛れさ、あいつを信じてみれば何か変わるかもしれないと期待したが、まさかビーストだったなんてな、洒落にならない」
何か言いかけたアオラより早く、
「スイちゃんはビーストじゃありませんよ」
「だったら何だって言うんだぁっ!!お前はあれを見なかったのかっ?!味方を何回も殴り付けていただろぉっ!!」
機嫌が悪い理由はそれか。唾を飛ばす程の剣幕で私が怒鳴られてしまった。
「そんなに怒るんなら本人に言えばいいじゃないですか、たかだか一回裏切られたぐらいで」
「……何?」
「言っておきますけどね!私が何回ナツメに使い捨てにされてきたと思っているんですかっ!!」
「……何?」
今のはアオラだ。
「ならお前はあんな姿をしたスイを信じられるというのか?!味方を何度も殴っていたんだぞ?!」
「だからそれを止めるためにこうして工場区まで来たんじゃないですか!スイちゃんの瞳が緑から赤色に変わっているの見ませんでしたか?!」
「アヤメの言う通りですよ、ここの工場区から何かしら細工を受けていると思ったんです、それにあのクマはピューマ、厳密に言えばビーストではありません」
「何でそこまで出来るんだ?」
カサン隊長が欲しかった答えではなかったらしい。剣幕は相変わらずだがまるで子供のように答えを求めている、もどかしい、私も何となくは分かるがきちんとした言葉が出てこない。
赤い非常灯を背景にしてカサン隊長がジッと私を見ていた。
「……好きです」
「ふざけているなら今すぐここから落とすぞ」
「ま、間違えました、スイちゃんのことが好きだからです、だからここまで頑張れるんです」
「おいカサン、いい加減に諦めろ」
今度は怠そうに銃を構えていたアオラが言葉をかけた。
「何をだ?何を諦めろと言っている」
「お前、誰かが先に胸襟を開いてくれるのを期待しているだろ、自分は閉じっぱなしのくせして」
「!」
「だからお前は誰も信用できないし何かあったらすぐに見放す、そのくせ自分には心を開いてほしいだなんてビーストよりも虫の良い話しだ」
アオラの言葉に破顔一笑したカサン隊長。
ひとしきり笑った後、随分と晴れやかになった笑顔を私達に向けた。
「こんなに笑ったのは久々だよ、礼を言うぞアオラ」
「気色悪い女だ」
「もういいですか?結婚逃し、腹が括れたんならさっさと行きたいんですが」
「あぁもういい、あたしも取り敢えずはスイに賭けてみるよ、それが駄目だったらまぁ、仕方ない」
「やる前から駄目とか言わないでください、卑怯者が言うことですよ」
私もライフルを構え直してナツメの後に続いた。
「浅瀬の渡らせ方を教える奴らは揃いも揃って口が強いな」
「今から渡るのは向こうに架かった通路なんですが」
「何でもない」
摩天楼の街にあった通路とは違って、ちゃんとワイヤーロープで支えられた通路を歩く。私の目線とちょうど同じ高さにパイプオルガンの天辺があり、下を覗き込むとまるで見えない。高さがあるのかないのか、張り巡らされたパイプやケーブルで地面が見えないのだ。そして、蒸気で白く煙る向こうに二つに光る赤い瞳を見つけてしまった。