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第五十話 謙虚な英雄

50.a



 とんでもない、私が街を救ったような言い方はやめてほしい。タイタニスさんや電話越しのマギールさんの言いなりになっていただけなんだ、それなのにカーボン・リベラを救った英雄だなんて、傀儡英雄もいいところだ。それに大体アオラが不在だから私が代わりを務めただけに過ぎないんだ。

 文句を言わねば気が済まないということで、半ば基地から逃げるように後にして警官隊の附属病院へと車を走らせていた。時間帯は夜、いつもなら通勤帰りの車や今から出掛けて行く人で賑わう街もしんと静まり返り、まるで廃墟のような様相を呈していた。外出禁止令はとっくに解除されているが、誰も家から出てこようとしない。


(まぁ…そりゃそうか)


 せっかく休みになったんだ、それに商業施設も軒並み閉店となればわざわざ街へ出掛けようとする人はいないのかもしれない。

 車を走らせること数十分、アオラが入院している病院が見えてきた。施設としては門を閉じてはいないようだが、有事の際は一切の照明を落として敵に発見されにくいよう真っ暗になっていた。駐車場に車を停め、病院のエントランスホールにいたナースにアオラが入っている病棟を聞き出し、非常灯に切り替わった廊下を歩く。途中、薄暗くなった病院が珍しいのか小さな男の子が廊下を駆け回っているのが見えた。母親に叱られたところで御用となった男の子を見やりながらアオラの病室へと足を進める。

 到着した扉をノックすることもなく堂々と開け放ち、中で驚いた顔をしたアオラと再会した。何も変わっていなかった、強いて言うなら髪型ぐらいか?まだ包帯を巻いているようだった。


「驚かせるなよ、死神かと思ったじゃないか」


「久しぶりだな、アオラ」


「あぁ、中層攻略戦前が最後になるのか」


 病室内は一切明かりが点けられていない、とくに病院には戦える人や戦える道具が無いために編み出された生き残る術というものだ。

 ベッドの上で起き上がり、窓の向こうに視線を投げていたアオラが、ゆっくりとこちらに向き直った。


「お前には言いたい事が山のようにあるんだが……さて、どうしたもんか」


「奇遇だな、私もお前に言いたい事があってわざわざ見舞いにまで来てやったんだ」


 ベッドの前に置かれた丸い椅子に腰を下ろす。


「なら私からいいか?」


「聞こう」


「……お前は中層で何をやっていたんだ?」


「そう、改めて聞かれると言葉が出てこないな……何から説明すればいいのか……」


「マキナという連中がこっちに来るわ、カリブンを再利用出来るようにしてやると言われるわ、今までの人生で培ってきた価値観が一瞬で蒸発したわ」


「お前に価値観と呼べるものがあったんだな、感心したよ」


 何様だと、腕をどつかれた。


「アヤメのことで怒った件は水に流してやるよ、生きていてくれたからな」


「流す必要はない、私の落ち度だ、お前だけでも覚えていてくれないと困る」


 少し目を見開き、


「お前本当にナツメか?価値観が蒸発したのは私だけではなかったんだな」


 はぁと溜息を吐いてから答えた。


「思い知らされたよ、私がどれだけあいつに甘えていたのか、まぁ今も大して変わらないかもしれないがな」


「………」


 アオラが何とも言えない表情をしている。


「言いたいことはそれだけか?」


「……まぁ、いいか、お前が反省しているなら、いいやまだある、何で私なんかにピューマの面倒を押し付けたんだ!」


「お前しか適任者がいなかったからだ、他にいたらお前なんかに頼んだりしない」


「ふざけたことを抜かしやがって!どれだけ大変だったと思っているんだ!」


「それを言うなら私だってそうだ!何で私なんかが基地の代理責任なんてやらなくてはならないんだ!」


 外出禁止令の発令手続きを始めとして、雑多な事務を部屋に缶詰にされてずっとやっていたのだ。


「少しは私の苦労が分かったか?ん?それでも私はスイちゃんを助けるために体まで張ったんだぞ?」


「……まぁ、そうだな、それに関しては礼を言う」


「……お前、本当に変わったんだな」


 心底驚いたように、あけすけに物を言うアオラ。


「場所を変えないか?お前には色々と伝えないといけないことがあるんだ」


 私の言葉に素直に従い、足に掛けていたシーツを払って立ち上がろうとした。少しよろめいたので慌てて手を貸そうとすると、


「やめろばかっ!お前の手なんか借りられるかっ!」


 そばかすの頬を染めている。


「確かに、お前の照れ顔なんざビーストの腹わた程に見たくないな」


 口だけは相変わらずだな、と皮肉を言ってから先に病室を出て行った。



 何処へ行くとも伝えていないのに勝手に先を歩くアオラに黙って付いて行く。病室前の廊下を渡り、面会時間外でもないのに街と同じように静まり返った病棟には私とアオラの歩く音だけが響く。待ち合いロビーを越えてガラスの扉を開けてそのまま外へと出て行く、出た先は中庭になっているようで取って付けたように浮かぶ月の明かりだけを受けた木々があった。その一本の根本に設えてあるベンチにアオラが座り、顎でしゃくって私にも座るように促した。

 少し間隔を空けて座り私から切り出した。


「スイの事についてだが、お前は何か聞いているか?」


「ロボットに乗って戦っていた事と、グガランナのことをお姉様と呼んでいるぐらいしか知らん...何かあるのか?」


 少し不安げに問い返してくる。


「あの子は人間ではないし、グガランナ達のようなマキナでもない、少し変わった存在なんだ」


「それは何だ?」


「ティアマトが中層で作ったホログラムデータなんだ、それに自我が芽生えてグガランナにマテリアルを作ってもらったのが、今のスイだ」


「………」


 何も言わずに私から視線を外して真上の枝葉を見つめている。見上げたままアオラがぽつりと呟くように言った。


「家族は?」


「……いない、グガランナ達がそれにあたるかは分からんが……」


「なら、私らと同じだな」


 そこで私に向き直った。


「あの子の面倒は私が見るよ」


「お前が?それは本気か?」


「嘘じゃないさ、あの子がビーストに囚われていた時にそう、強く思ったんだよ、私もよく分かっていないが」


「ビーストに囚われていた?何の話しだ」


「そのままさ、大きくて丸いカバーの中にスイちゃんが閉じ込められていたんだ、最初は気を失っていたが私が呼びかけるとすぐに目を覚ました」


「………」


「それに閉じ込められて眠っている時に夢を見たってさ、色取り取りのはえ?だったか、そいつらから自分の家を守っていたんだと」


「……それで?」


「最後は灰色のはえに落とされて、壁に埋まっていた子供達も巻き添えにして落ちた、とかなんとか……いや、白いはえだったかな」


 よく分からんが...


「とにかくお前が助けてくれたんだろ、重ねて礼を言う」


「はいはい、私はいいからカサンにも礼を言っておくんだな」


「……あの結婚逃しも絡んでいたのか、面倒だな……」


「その結婚逃しの家にスイちゃんはいるんだぞ?後で行ってやれよ、いいな」


 かぶりを振ってとりあえずカサン隊長への挨拶は頭から弾き出す。


「それと、マキナについてだがお前にも言っておかないといけないことがある」


「何だ?」


「私達が長年苦しんできたビーストは、ディアボロスというマキナの仕業だったんだ、今の資源量では足りないからと人間の数を調整していたらしい」


 アオラから表情が消えた。呼吸も忘れてしまっているようだ。


「………それは本当なのか?」


「あぁ、確かに聞いた事だ」


 突然立ち上がり、その手に拳を握り締めていた。さっきとは打って変わって眉毛を釣り上げ息も荒くなっていた。


「あぁ…おい!それは本当なんだろうなぁ?!間違いなく私らの家族はそいつに殺されたんだろぉ?!」


 アオラの叫びが病院の中庭にこだました、風も吹いていないのに木々の枝葉が揺れて騒ついているように聞こえる。


「……そうなるな」


「てめぇ…何でそんなに平気なんだよっ?!腹が立たないのかっ?!ええ?!」


 私ににじり寄り胸倉を掴まれた。その震える手を上から押さえ付ける。


「これも、今を生きている人間達のためにやっている事なんだそうだ、だから私やお前が今日まで生きてこられたんだ」


「…………………………」


 たっぷりと間を置いてから力無く手を離して、再びベンチに座った。


「だからと言って納得出来るかよ、私のパパもママもあいつらに殺されたんだ……あんな酷い殺され方、あるかよ………」


 手で顔を覆い何度も首を振っている。

少し手をずらし私に視線を寄越してきた。


「……お前はどう思っているんだ」


「……私も最初は憤りを感じたさ、どうして当たり前のように過ごしている私達が殺されなければいけないのかと怒ったさ」


 一度言葉を区切ってから、一気に言い切った。


「このテンペスト・シリンダーが建てられた地球の惨状を見て考えが変わった、資源のために争いを続けて変わり果てた地球は昔の私達、人間なんだよ、それを防ぐためにマキナが今日まで私達の知らないところで手を打っていたと思うと……まぁ、何だ、繰り返しになるが考えが変わったんだ」


「お前の話しはよく分からないが、マキナは何でそんなに偉そうなんだよ、私らの問題だろう」


「………確かにな」


「それに昔の人類と同じにするなよ、私らは私らだ、それを黙って解決してやろうだなんて偉そうにも程がある」


「確かにな、お前の言う通りかもしれない」


 こいつとこんなに真面目な話しをした事がなかったせいか、運動した後のように胸が落ち着かない。だが、伝えて良かったと、後悔は無かった。


「………それが病室では出来ない話しってか」


 まさかこいつもそうなのか、それともまだ怒っているのか少しだけ頬が赤いままに続きを促してきた。


「いいやまだある、お前は数日後には退院出来るそうじゃないか」

 

 予想していなかった事を言われたのか、ぽかんと口を開けている。


「あ、あぁ、そうだが、それが何だ?」


 今度は私がたっぷりと間を置いてから、


「何をするにしても、人手というものはいるんだ、期待しているぞアオラ整備長」



50.b



 くっさい、臭い。最悪、何て事なの。あんな醜い野郎に私の大事なマテリアルに傷を入れらるなんて屈辱以外の何ものでもない。

 アヤメが鼻を摘みながら私に声をかけてきた。


「ぐがらんは、くはい、なんとはひて」


「待ってアヤメ、それ私が臭いみたいな言い方になってないかしら?」


「ぐがらんは、くはいよ、からはあらいなよ」


「アマンナ!あなたまで!」


 場所は艦内の展望デッキ。今は展望用に設えたガラスを開け放ち艦内の換気をしているところだった。ここだけではない、艦内の至る所を開けて空気の入れ替えをしている、あの野郎のせいでマテリアルが故障してしまい、その時に発生した臭いが空調設備を通って艦内に入り込み充満してしまったのだ。最悪。


「はぁ冗談はいいとして、どうするの?このマテリアルを修理するんならまた下層に戻るの?」


「そうなるわ、けれどね……」


「それがねぇ…今の状態だと飛べないんだよ」


「え?そうなの?故障したのはお尻だよね?」


「お尻って言わないで」


「お尻の中にコアルームがあるでしょ?そこまで故障しちゃうと飛べなくなるんだよ、意味分かんないけど」


「意味が分からないのによく飛ばせるね」


「それを言うなら人型機の原理を理解していないのに飛ばしているアヤメもそうよ」


 「グガランナのくせにぃ!」とアヤメからお腹を突かれた。もっと言ってやろう。


「じゃあどうするのさ」


「今、タイタニスに下層のメイン・サーバーで調べてもらっているわ、それ次第かしら」


「それまでは休憩出来るってこと?ひゃっほーい!やっと休みだぁ!」


「…」

「…」


 私とアマンナも、アヤメの突然のはしゃぎように言葉を失った。


「あ、アヤメ?」


「え?何?」


「いや、何でもない……けど、今のもう一回やってもらえないかしら」


「ひゃっほーい!」


 よし撮れた。もういい。アマンナから冷ややかな虫を見るような目を無視しながら会話を続ける。


「そういえば、アヤメが第三区に向かってからこっちに来るまでずっと忙しかったものね」


 第三区で大怪我を負って下層で再会してからも、あれやこれやと問題ばかり起きて挙句仮想世界で訓練まで受けていたのだ。何もやる事がない、というのは一番の休養なのかもしれない。忙しくしていた人に限った話しだが。


「そう!かな?そうでもないような気もするけどさ、こう…何も考えずに済むのは気楽でいいじゃん!」


 底抜けに明るい笑顔でそう話すアヤメ。何か引っかかりながらもその笑顔に見惚れてしまい深く考えずに流した。


「アヤメはいつもどんな事をしてるの?」


 アマンナが良い質問をしてくれた。そういえば私も知らない。


「んー…どんな……買い物はティアマトさんと済ませたし……」


「ん?」

「え?」


 え?聞き捨てならない事を堂々と言ってのけた。え?買い物?


「聞いていないんだけど」


「いや、そんな事いちいち言わなくてもいいでしょ」


「どこ?!どこに行ったの?!」


 目を剥いて聞き出すアマンナ。


「どこって…この街のセントラルターミナルだけど」


「何そのカッコいい名前!わたしも行きたい!」


「もう行ったから私はいいよ、テッドさんやナツメを誘って行ってみたら?」


「なら!他に行きたい場所はないかしら!ないかしら!!」


 肩を掴んで揺さぶりながら、アヤメに息抜き出来そうな場所を問い質した。


「いやちょっと!揺らさないで!必死すぎる!」


「だって!やっとあなたと再会出来たのよ?!それなのにティアマトなんかに先を越されるなんて!嫉妬で気が狂いそうだわ!」


「言葉選びなよ!ストレートにも程があるでしょ!重すぎる!」


「本人にまで言われるなんて……自重しなよ」


 私の拘束から逃れたアヤメが距離を取った。


「行きたい場所って言われても……私基本的に出不精だから目的がないと出かけたりしないし」


「なら、私を愛でるために出かけるというのは?」


「意味が分からなさすぎて頭が回らない、むしろ二人は行きたい場所とかってないの?」


 アマンナと視線を合わす。するとアマンナが何か思い付いたようだ。


「えーと何だっけ、そう!船が沢山ある場所に行ってみたい!」


「第六区に?何でまた、そこがどんな所か知ってるの?」


「あ、アオラにね、そんな所があるんだよって教えてもらったから、かな?」


 この子...絶対自分の名前を探しに行くつもりね。前に一度アオラさんに見せてもらった動画で、世界を統べる程の可憐さを備えた小さな大天使(勿論アヤメの事)に自分の名前を呼ばれていたのだ。


「そっか、それなら明日アオラの所にお見舞いに寄ってから行ってみよっか、私も初めてだし」


「え?」

「え?」


「え?」


 皆んなして固まった。そんなはずは...確かにアオラさんに見せてもらった動画はアヤメのはずだ。

 予想していなかった言葉にアマンナがつい口を滑らせてしまった。


「そんなはずないよ、小さな時にアオラと行ってるはずだよ」


「………何でアマンナがそんな事知ってるの?」


「あ」


「…」


「…」


 アヤメがにじり寄りながら飛びかかろうと構えている、そしてアマンナは心底しまったという顔をしながら私の後ろに隠れようとしていた。

 手を伸ばして自分からアマンナを引き寄せ後ろに回し、両腕を広げた。


「さぁアヤメ、私ごとアマンナを捕まえてちょうだいっ!」


「だから重いって」

「グガランナ邪魔、そして臭い」


 一気にしらけた場を三人で後にした。明日のために入念に体を洗っておかないと、一緒にお風呂に入ったアマンナの背中には私の手形が綺麗に残っていた。だから臭いのは私じゃない!



 天気はまぁまぁ、体調もまぁまぁ、気合だけ十分に入っている。ここでしっかりと自分をアピールしておかないと何だか嫌われてしまいそう!

 せっかくだから一緒に寝ましょうと夜這いをかけて、無言で部屋から追い出されたのが昨日の夜。明くる日の朝、艦体の出入り口で待ち合わせて車が置かれている基地の駐車場へと三人揃って向かっていた。私は前に買ってもらった茶色のコートに暗めの赤いセーター、それから白いパンツというアヤメコーディネイトに身を包んでいた。いつの間に買ったのか、アマンナはデニム生地のオーバーオールに白いシャツを着て髪型はポニーテール、赤いキャップを被っている。まるで子供の装いだ、「子供のあなたにぴったりね」と馬鹿にすると「アヤメに言付けてやる」と返ってきたので大慌てしてしまった。アマンナが自分で買った物ではなく、昨日ティアマトと一緒に出かけたセントラルターミナルでアマンナの分も買ってもらっていたらしい。いつの間に受け取っていたのか。


(何で私の分だけないのっ!)


 アヤメはスカートが嫌いなのか今日もパンツだ。それに生地の一部が傷んで素肌が丸見えになっていたので「そんな古いパンツでいいの?」と聞くと睨まれてしまった。どうやら「ダメージパンツ」と言うらしく、あれもお洒落らしい。早速やらかした、これでは当分私の洋服に買ってもらえそうにない。

 白くて丈の長いカーディガンが風に翻っているのを見ながらアヤメに声をかけた。


「あ、アヤメ!その洋服とても似合っていると思うわ!」


 風で飛ばないよう、キャップのつばを摘みながら振り返り、


「その褒め言葉さっき聞きたかったよ、どうせ私は「古いパンツ」を平気で履く貧乏な女ですよ」


「いや誰もそこまで言ってないんだけど」


 まだ拗ねている。「お尻に帰って反省していなよ」と言ったアマンナの背中をもう一度叩こうとしたら避けられてしまった。私だけ!私だけキャップを被ってない!まるで仲間外れだ。

 到着した駐車場前には、昨日ナツメさんが止めを刺したあの野郎のマテリアルが図々しくもゲート前の通りに寝転んでいた。大きさは人型機よりもさらに大きい、犬と蛇を足してあの野郎の成分を足してさらに憎悪で割ったような醜いマテリアルだ。

 アヤメの少し後ろを歩いていたアマンナが、工具や重機を使って作業をしている人達を見やりながら声をかけている。


「ねぇアヤメ、あれ何してるの?」


「あれ解体してるんだよ、ビーストは敵だけど素材はこの街で作れる物より良質だからっていう理由でさ、私が持ってたライフルもビーストの素材から出来てたんだよ」


「なら、あの野郎の素材も何かに使われるのかしら」


「あの野郎って……うん、何に使われるかは知らないけどね、決まったら基地が発表してくれるよ」


 絶対使いたくない。

作業関係者の車も多く停まる駐車場の中に、一台の丸っこい車が停まっていた。アヤメが迷うことなくその車へと歩いて行く、何を思ったのかアマンナが走り出し車の運転席側の扉に立った。「わたしが運転したい!」と馬鹿なことを言い出し、「私はまだ捕まりたくない!」とアマンナにチョップをかましてから運転席へと座った。

 アマンナが助手席、私が後部座席に座った。


(いつか絶対……その席を私のものにしてやる!)


「何でわたしが運転したらダメなの?人型機だって余裕じゃん」


「操作技術の話しじゃないよ、運転出来る年齢が決められてるの」


「わたし絶対にアヤメより年上だよ?」


「それ誰に証明するの?見た目はアマンナの方が子供だよ」


 この街では成人、所謂大人として認められる年齢が法律で決められており、その年齢に満たない者は車を運転することも所有することも禁止されているらしい。


「わたしマキナだよ?」


 まだ食い下がる。


「私はそう思ってない、ただの我儘な女の子」


 アヤメの言葉に破顔一笑している。


「いいから!車を出してちょうだい!」


 後ろからアヤメのヘッドレストをぱんぱん叩いて甘ったるい空気になる前に防ごうとした。

 ゆっくりと進み出した車が駐車場から出て、灰色の雲の合間に見える青空と太陽に見下ろされながら基地を出発した。



✳︎



「おー!誰かと思えばお前らか!元気にしていたか?」


「うん、オアラはもう大丈夫なの?明日には退院出来るってナースさんに教えてもらったんだけど」


「あぁもう平気さ、今はただの検査入院だよ、よ!元気にしていたかアマンナ」


「う、うん、わたしは元気だよ」


 どこか歯切れが悪いアマンナ。さっきまでの浮かれた顔はどこへ?

アオラも心配していたのか、キャップを取っていたアマンナの頭を撫でている。


「何だぁ?まだあの事気にしてるのか?いいさ、お前が顔を出してくれたんだから」


「うん!」


 アマンナが嬉しそうに笑っている。何だか嬉しいような寂しいような、もどかしい気持ちが胸に居座った。

 少し見ない間にアオラも変わったようだ、前のようなどこかすれた感じがなくなり本当のお姉さんのような雰囲気があった。アマンナの頭をひとしきり撫でた後、私に向き直った。


「明日からまたそっちで厄介になるからわざわざ来なくても良かったのに」


「何それどういう意味?アオラは責任者代理なんだから戻ってくるのは当たり前だよね」


「まぁそうなんだが……まぁいいか、お前達はこれから何処か出掛けるのか?随分とめかし込んでいるみたいだが」


「?」


「今からね、皆んなで第六区へ向かうんだ!」


「前に見せた動画の所にか?」


「そう!すっごい楽しみ!」


「そいつぁいい、この街の目玉だからな」


「目玉?街なのに目ん玉なんか付いてるの?」


 アオラの隣に腰をかけて話し込んでいる。昨日私が問い詰めた通り、アマンナ達は私が小さかった頃に第六区へ遊びに行った動画を見せてもらっていたのだ。アオラとアマンナ、並んで仲良く話しをする二人を見ていると胸が痛くなってきた。

 グガランナがやれやれといった体で目玉の説明を始めた。


「違うわ、とっておきという意味よ」


「それも違うような気がするが……カーボン・リベラでは有名な所でな、誰でも一度は遊びに行くんだ」


「何をするところなの?船が沢山あるんだよね」


「それは着いてからのお楽しみさ」


 アマンナ達が気の済むまでお喋りを楽しんだ後、アオラの病室を後にした。アオラが言っていた明日から厄介になるという言葉の意味は、お出掛けから帰ってきた時に判明するのだがそれはまた後の話しであった。



「こいつぁとんでもねぇ所に来ちまった……」


「誰の真似してるの?」


「アヤメ、気にしたら負けよ」


 「丸!」と言いながら両腕で丸を作っている。ほんとどこでそんな事を覚えてきたのか。

 アオラと別れた後にいくつかの価橋を超えて第六区へとやって来た、途中何度もスピードを上げてほしいと駄々をこねるアマンナのお願いを無視するのが大変だった。あんなに求められたら飛ばしたくなったがここはカーボン・リベラ、スピード超過は一発免停なので必死になって堪えていた。

 ここは湖の街、建物なんて船をメンテナンスするぐらいしか建っておらず、後は沢山の湖と船溜りと船、降り立った駐車場から一望出来る眺めも立派な観光地となっていた。

 一番手前にある湖には既に何隻か船が出ているようで甲板に出ている人達が楽しんでいるのが見えていた。湖の大きさはグガランナ・マテリアルが停泊している軍事基地の広さぐらいだろうか。そしてここ以外にも大小様々な湖が近くにも遠くにも見えていた。

 アマンナが私の手を取り先を急かすように引っ張ってきた。


「行こう!」


「うん、いいよ」


 階段を降りた先は木の板で作られた通りになっている。アオラに教えてもらった通り船を管理している貸出所に行かないといけない、木の板が軋む音を鳴らしながら見えている小ぢんまりとした建物へと足を向ける。


「立派なマギールの小屋みたいだね」


「言われてみれば……そうかもね」


 歩いている道と同じように木で作られた貸出所は正方形でマギールさんの小屋と形は違うが、似ていると言われたら似ているのかもしれない。

 貸出所の前に行列が出来ていたので最後尾に並んで待っているとグガランナが何か見つけたようだった。


「あれ?もしかしてあれって……」


「ん?」


「何?」


 グガランナが指をさした方を見やれば、湖のほとりに作られたモールの一角に一体のピューマが当たり前のようにそこにいた。


「んんん?あれピューマだよね?何してるのあんな所で」

 

 観光客に混じってモールに並んだ出店の前を行ったり来たりとしている。ピューマの大きさは人の腰ぐらい、小さなクチバシとあれは手?翼?平べったい両腕を同じように丸っこい体にぺちぺちと叩いているようだ。周りの観光客は物珍しそうに眺め、中には頭を撫でている人達もいた。


「あれペンギンじゃない?」


「そうね、確かにお似合いの場所かもしれないわ」


 すると、慌てるように何人かの人達がぺんぎんに駆け寄りおっかなびっくりの体で抱き寄せそのまま走り去って行った。


「あれもしかして逃げ出したのかな」


「っぽい、全く落ち着きのない奴め、気持ちは良く分かる」


「アマンナも連れて行ってもらったらどうかしら」


 今日の日を境にしてネット上では至る所から「鋼色の動物達!」というトピックで取り上げられるようになった。



 昨日の外出禁止令もあってか、今日の第六区は羽を伸ばす人達が大勢訪れているようで個人用の船は全て出払っていた。少人数で乗れる船が一番の人気で、他人の目を気にせず湖を堪能出来るからだ。仕方ないと他の人達と一緒に定期的に巡回している大きな船に乗り込み、船内にあるお店やレストランを冷やかして回りながら甲板に出たところだった。個人用がいいとまだ駄々をこねていたアマンナはすっかり機嫌を直したようで、あっちにふらふらこっちにふらふらと忙しくなく歩き回っていた。


「ねぇグガランナも艦内にお店作ったら?ここみたいにしてさっ!その方が絶対いいよ!」


「誰が買いに来るのよ」


 一本に束ねた髪の毛がキャップから伸びて、ぴょんぴょんと跳ねている。


「わたしもう一回見て来てもいいっ?!」


「うんいいよ、ここで待ってるからね」


「ひゃっほーい!」


 他の人にぶつかりそうになりながら再び船内へと走って行く、その後をグガランナが保護者よろしく付いて行った。

 ぽつんと一人になってしまった。周りに知っている人なんて誰もいない、これでは部屋に引きこもっているのと変わらないと思い、再び忍び寄ってきた暗い気持ちのままに湖に目を落とした。


「はぁ……」


 船が進むたびに新しい波が生まれ、先頭から尾を引くように波紋が広がっていく。それを見ながら頭から締め出そうと試みたが駄目だった。ちょうど真ん前を走っていた一回り小さい船の甲板に似ている子がいたからだった。



✳︎



「見失ったわ……」

 

 なんて事なの。あの子ったら人を撒くのが上手くなってないかしら。

人にぶつかりそうになるのも構わず走り回っていたので何度も注意をした。それに嫌気が差したのか、アヤメに渡せそうなプレゼントはないかと店に並んだアンティーク調の小物に目をやった隙にアマンナが逃げ出したようなのだ。


(一旦戻りましょう、それに……)


 アヤメの様子が昨日から少し変わっていたので気がかりではあった。タイタニスが調べ物をしている間が休みになると聞いた時のあのはしゃぎよう、アオラさんと会話をしている時は黙ってじっとしていてほんの少しだけ悲しそうにしていたのだ。情緒不安定、と言えば言い過ぎかもしれないが...

 人混みを掻き分けて外へとまろび出る。人とすれ違うのがやっとな外通路を歩き甲板に向かうとアヤメの姿がそこには無かった。


「!」


 待っていると言ったのに。あのアヤメが嘘を吐くとは思えない、もしかしたら何かあったのかもしれないとくまなく周囲を探すが見当たらない。手近にいた観光客を捕まえた。


「失礼ですが私の天使を見ませんでしたか?!」


「はぁ?」


 駄目だ話しにならない。アヤメを見て天使と思えないなんて。

そうして次から次へと人を捕まえてアヤメが何処に行ったか聞いて回り、ようやく答えてくれたのはスイちゃんと同じくらいの背丈をした女の子だった。


「天使…かどうかは分かりませんが……泣いている女の人ならさっき船の中に行きましたけど……」


「白い衣をまとっていたかしら?!」


「は、はいっ……白いカーディガンを着ていました……」


 何たる行幸。この子はきっと将来この街を統べるアヤメの臣下になるに違いない。日の光を受けて茶色に輝くその頭を優しく撫で、感謝の言葉を告げてから私も船内へと入って行く。

 さっきいた所とは逆に位置する船内には個室が設えてあるようで廊下にはいくつもの扉が並んでいた。失礼も承知で扉に付いた丸い覗き窓から室内を伺い一室ずつ確認していく。そして、


「………」


 いた、いてくれた。廊下の端の一室に下を向いてソファに座っているアヤメを見つけた。一瞬躊躇いはしたが放ってはおけないと扉を開いた。アヤメが驚いたように顔を上げて、その弾みで涙が瞳から溢れ落ちた。


「……グガランナ……」


「……隣、いいかしら」


 何も言わずにスペースを空けてくれた、遠慮なく隣に座り暫く無言で過ごした。

観光客が何度か部屋の前を歩き過ぎた後、アヤメから切り出してくれた。


「どうしてここが分かったの?」


 表情とは違い声はしっかりしている。


「私にしてみれば、あなたが何処にいてもすぐに見つけ出せるわ、だから隠し事はしないでちょうだい………何があったの?」


 また重いとか言われるかと身構えたが、すんなりと白状してくれた。


「………ごめん、プエラの事で頭が一杯で……」


「……それは、下層でアヤメ達が攻撃を受けた事かしら」


「そう……せっかく仲良くなれたのにさ、どうしてあんな事したんだろうって、考えただけで苦しくなっちゃって……」


「………」


 心の底から力が抜けていく感覚に囚われながらも懸命に言葉を紡いだ。


「それは……本人に聞かないと分からない事だけど……昨日のあなたは空元気だったのね」


「……うん、けど駄目だった、忘れるなんて出来ない」

 

 そう話すアヤメはとても苦しそうだ。

昨日、アマンナが通信をしたプエラはどこか様子がおかしかった。あれだけ甘えていたナツメさんの事すら他人呼ばわりしていたのだ。アマンナと話し合った内容を伝えるべきだと思った。


「アヤメ、プエラはきっとテンペスト・ガイアの元についたのだと思うわ」


「……テンペスト・ガイアさんに?」


 さん付けなんかしなくていいと思いながら、


「そうよ、それが彼女の役目だもの」


「私達を攻撃した理由は?それも役目なの?」

 

「……テンペスト・ガイアが立てた計画の邪魔になっているのかもしれない、それはやはり聞いてみないことには……」


「………」


 詰まるところは私達マキナにも分かっていないのだ。どうしてアヤメがここまで悩まなくてはいけないのかと、ここにはいない彼女らに憤りを感じた。あなた達の勝手な振る舞いで心優しいアヤメがここまで悩んで苦しんでいると、何が何でも伝えて頬の一つも引っ叩いてやりたかった。


「これだけは覚えておいて、私は何があってもあなたの味方よ、何処にいても駆けつけるし何処で苦しんでいても私が救い出してみせるわ……だからそんな顔をしないでちょうだい」


「…………うん」


 ま、要するにだ。私はまたしても心から嫉妬してしまったのだ、本当に底無しの嫉妬心には自分でも参ってしまうが仕方ない。目の前にいる彼女のことを心から好きになってしまったのだから。

 窓の外に気配を感じたので見やると、背伸びをして覗き込んでいたアマンナがそこにいた。少し拗ねているように見える。私から扉を開けてやり皮肉を言いながら迎え入れてやった。


「なぁにぃ?せっかくの時間を邪魔しに来たの、あなたはアヤメに新しい服を買ってもらっておきながらまだ足りないのかしらぁ?」


「必死すぎる」


「グガランナも服が欲しかったの?」


「え?」


 少し元気になったアヤメが薄らと微笑みかけてくれた。え?欲しかったのって当たり前でしょ。


「前に買ってあげた服のこと、何にも言ってくれなかったから別に欲しくなかったのかなって思ってたよ」


「うわぁ……それひどすぎない?」


「違うわよ!あまりの嬉しさに言葉が無かったのよ!家宝よ!この服は!」


「えー?それならそうって言ってほしかったなぁ、アマンナはすっごい喜んでくれたからまた服を買ってあげようと思ってたし」


「自業自得じゃん、感謝の言葉も言い忘れる奴にまた買ってあげようなんて誰も思わないよ」


 ぐぅの音も出ない。

そうして、小さな個室の中で三人肩を寄せ合い雑談に花を咲かせた。結局アマンナの名前を見つけることは出来なかったが、楽しくお喋りをしている本人は満足そうにしていた。

 まぁまぁだった天気もすっかりと晴れ渡り、アヤメのことでもやもやしていた私のまぁまぁな体調も晴れ渡った天気のように爽やかになっていた。アヤメとアマンナ、この二人と一緒にいる時間が一番落ち着くし何よりの宝に思えたからだった。

 気が済むまでお喋りを楽しんだ後、個室を出て再び甲板に出た時にアマンナが大きな声を上げた。「あれ見て!」と指さす方を見やれば、私達が乗っている船と同じ大きさの船が隣を横切っており「あまんな号」とはっきりと書かれた文字があった。あれだけ喋ってはしゃいでいたというのに今日一番のはしゃぎようを見せるアマンナだった。



50.c



 「はいこれ」と素っ気なく渡された包紙の中には、船の操舵輪を模した木彫りの小物が入っていた。


「何だこれは」


 私の掌にすっぽり収まり重みもある。それをまるで突っ返すように見せてしまったためアヤメが不機嫌な顔をしてみせた。


「いらないの?なら捨てておいて」


「いや違う、そういう意味で言ったんじゃない、お前が私にプレゼントなんてビーストが夏祭りで金魚すくいをするようなものだろう」


「何それ、絶対あり得ないって言いたいの?それならいらないって言われた方がまだマシだよ」


 今度は腕組みまで始めた。余程怒らせてしまったらしいが今の私はそれどころではない。司令室に篭りっきりだったためか、悪口ばかりついて出てしまう。


「プレゼントよりも事務仕事を手伝ってくれた方が有難いんだがな」


「はぁー…ほんとっ、何と言えばいいのか……」


「悪かったよ、けれどそれどころじゃないんだ」


 机の上に置かれたペーパーブックには今回のウロボロス襲撃の件を政府に報告するよう、その旨が記載されていた。私は今まで報告書なるものは適当に済ませてほいほい提出していたので困っていた。さすがに今の立場で「大変でしたけど頑張りました」と書く訳にもいかず頭を抱えていたのだ。

 アヤメもペーパーブックを覗き込みあっけからんと言い放つ。


「明日にはアオラもこっちに戻ってくるんだから別にいいんじゃないの」

 

「明日?明日からはメインシャフト六階層に下りる事になっているぞ」


 せっかくあらかた書類仕事を片付けたというのに最後にとんでもない仕事が待っていた。諦めて「苦慮すべき事態ばかり発生しましたが精一杯努めてさせていただきました」と大して内容が変わっていない文章にしようと決めたところでアヤメに机を叩かれた。


「はぁ?!聞いてないんですけど?!」


「グガランナ・マテリアルをリペアするためだ、何でもティアマトが六階層に作ったマテリアル・ポッドが代用品になるらしい、タイタイニスさんから連絡をもらっていたんだよ」


「いつ?!」


「昨日」


「何でそんな大事な事言わなかったの?!」


「お前のあの浮かれようを見ているとな、まぁ当日でいいかと思って」


「いい訳あるかっ!それに六階層って……」


「お前が落ちた所だな」


 瞬き数回分の沈黙の後、


「あそこのマテリアル・ポッドって確か、侵入してきたビーストをやっつけるためにアマンナが投げて壊れたはずだよ」


 その後、艦内で見かけたアマンナに無言で拳骨をかました。「痛いんですけど何するのさ!」と言われたが「余計な仕事を増やすな!」と言い返した。



 ティアマトに確認を取ってもらって三基あるうちの一基だけマテリアル・ポッドが壊れている事が分かったのでそのまま計画を進めることにした。ちなみに投げたのはアマンナではなくビーストだったらしい、「わたしってそんな力持ちだったっけぇ?!」と怒るアマンナに平謝りしているアヤメを尻目に艦内から駐車場へと足を向けた。今からカサン隊長の所へ出向かないといけない。気が重い。


(別に電話でもいいだろうに……何でまた直接来いだなんて……)


 お前の顔が見たいと言われてしまっては返す言葉もなく、昔にしごかれた記憶から億劫になったが従うことにした。

 昨日、禁止令が解かれた後とは違い今日の夜の街は賑わっているようだ。カサン隊長が建てた一戸建てがある区画へ仕事終わりのワンボックスカーと並んで走り小一時間程で到着した。当時は結婚相手すらいないのに建ててどうするんだと弄られていたが、いやはやどうして。乗り上げた駐車場は広く芝生付き、家も立派とくれば言葉を失い見上げる他になかった。

 呼び鈴を鳴らして暫く待っていると軽やかな足音が家の中から聞こえてきた、そんなにあのカサン隊長がはしゃいでいるのかと戦々恐々としてしまい、扉が開く前に逃げ出そうかと算段をつけた矢先、


「はい!お待ちしてましたナツメさん!」


「スイ!」


 扉を開けたのはスイだった。



「すまないな、忙しいところ呼び付けてしままって」

 

「いえ、恐縮です」


 案内された家の中も立派だった。そもそも玄関に椅子を置くのはホテルぐらいだろうと思っていたのに、当たり前のように扉を開けたすぐの所に置かれていた。廊下を軋ませながら向かった先にあるリビングも解放的で、空に浮かぶ月が家の中からでも見ることが出来た。随所に置かれた緑もどこか中層で一時過ごしたあの病院を思わせる。少し胸が痛みながらスイが運んでくれたコーヒーに口を付けた。


「美味しいな」


「本当ですか?!良かったです!」


 ...まぁ本当はまだ溶け切っていない塊を飲んでしまったんだが...スイの笑顔を見ていると言うに言えなかった。


「どれどれ、少しは上達したのか」


 そう言いながら現れたカサン隊長が、私が口を付けたコーヒーを一口飲んだ。


「ん...まだ溶け切っていないじゃないか、まだまだだな、飲めたもんじゃない」


「すみません…作り直してきます……」


「いや、いいんだ、せっかくだから飲むよ」


「甘やかしてどうする、こいつのためにならないだろう」


「隊長、少しは言い方ってもんが……」


「スイ、お前はどうしたい?」


 出たよ。本人に選択権を預けているようで実質ないようなものだ、そんな事を聞かれたらやり直しをせざるを得ない。

 だが、スイはあまり気にしていないようで元気に返事を返した。


「作り直してきます!せっかくナツメさんが遊びに来てくれましたので!」


「ならいい」


「………」


 鼻で溜息を吐いたのを見届けてから、隊長も向かいのソファに腰をかけた。


「気に入った相手だけは優しくする癖は変わらないな」


「そういう隊長も、あってないような選択をさせるのも変わりませんね」


「なぁに昔の話しさ、元気にしていたか?あたしの部隊にいた日数は少なかったがよく覚えているよ」


「さぁね昔の話しなのですっかり忘れてしまいましたよ、それよりも私をここに呼んだ理由は何ですか?」


「可愛げのなさも変わらずか...スイについてなんだがな、あたしが面倒を見たいと思っているんだ」


 隊長がソファに身を預け、革張りの生地が小さく軋んだ。


「……面倒を見たい?スイがどういう存在か、」


「知っている、スイは人間でもなければマキナでもない、言うなればあたしやお前と同じようなものだと認識している」


「………私の一存で決められる事では……」


「反対はしないんだな?」


「理由を聞いても?」


「気紛れだよ」


「そんな理由で……」


「というのはまぁ……言い過ぎか……まぁ何だ、その、あー…」


 頭をガリガリとかいている。よほど言いづらい事なのか、私が聞いてもいいのかと逡巡してしまう。


「言いたくない事でしたら、」

「誰かを信用してみたくなったんだよ」


 二人同時に発言してしまいよく聞き取れなかった。私と隊長が視線を合わせて間合いを測っている。


「すみませんがもう一度、」

「あの子でないと駄目な理由はないが」


「…」

「…」

 

 何故発言が被るのか、二人して睨み合っていると再びスイが元気良く現れた。いやというかだな、勝手に話しを進めるのはどういう事なんだ?聞き取れていないのは分かっている事だろうに。



 その後、スイと三人で会話をしてからカサン隊長の自宅を後にした。呼び付けた理由はスイの件についてだろう、明日の事は一度も口にしなかった。

 薄い雲の向こうに月が隠れ、カサン隊長の自宅があるベッドタウンからは高い位置にあるためか主要都市のビル郡を望むことが出来た。こんなに良い景色をいつも眺めているのかと釈然としないながらも車を進めた。


「久々に帰るか」


 誰もいない車の中で独りごちた。

ベッドタウンから主要都市へ向かう幹線道路に乗ってとんぼ返りをしてから私の自宅へと向かう。基地を中心とするなら私の自宅はカサン隊長やアヤメが住んでいる区画とは逆の所にある、滅多に帰らない寝るためだけの家だ。愛着もそこまでない。

 また小一時間程かけて基地へと戻り、駐車場に車を置いてから徒歩で向かうことにした。艦内に顔を出して帰ろうかと思いはしたが、また面倒事に巻き込まれたくなかったのでそのまま帰ることにした。

 基地の正面ゲートを潜り、広い敷地のさらに向こうに林立しているビルの谷間にぶつかった風が私の所にまで吹いてくる、いつから着出したのかも忘れてしまった軍用ジャケットの裾が風に煽られ激しく靡いていた。

 基地を抜けるまでが面倒臭いが出るとすぐの所に私が住んでいるアパートがある、この距離のためだけに借りた自宅だ、愛着なんざ湧くはずもない。

 最後に寝泊まりしたのは中層攻略戦前の夜だ、さらにその前の記憶なんて殆ど残っていない。星型の防護壁を望むアパートに到着し自宅の扉を開けるや否や、


「うっ」


  臭い...え?何故だ?何故臭いんだ?


「うーわ最悪だよ………これ捨てるの忘れていたな……」


 玄関前には使い終わったカリブンがまとめて箱の中に放置されていた。薄暗い中でも臭いだけで分かってしまう程だ、甘いようなすえたような...ひどい臭いだ。そうだ、確かあの時基地へ向かう途中にカリブンの事を思い出したんだが、同じマンションに住んでいるリアナと鉢合わせしたんだった。それですっかり頭から抜け落ちてしまったのだ。


「仕方ない」


 息を止めて急ぎ足でベランダへと向かい、寝室にあった何かを蹴飛ばしながら扉を開け放つ。そしてベランダにカリブンを置いて再び勢いよく扉を閉めた。


「はぁ…今日一だな、これは」


 今日で一番の重労働、はさすがに言い過ぎか。

部屋の明かりを点けて私が座れる場所を探した、結局無かったのでソファに乗っていたナニカをどかして腰を下ろした。


「………」


 見上げた天井はシミ一つ無く綺麗なもんだが、見下げた床は見れたもんじゃない。散らかっているにも程があるからだ。


「……掃除はまた今度にしよう」


 とんでもない。私が英雄だなんて、自分の部屋すら掃除が出来ないものぐさ女なんだ。


「だったら掃除しろよっていう」


 独りごちた後に、それでもやっぱり自分の家は落ち着くなと思いながら眠りについていった。



50.d



 ここでの生活にも随分と慣れてきた。中層の作られた夜空に浮かぶ月も、何かの規則に従い満ち欠けを繰り返している。今夜は満月。上層の街に居た時はついぞ見惚れることは無かった月を、私に割り当てられたホテルの一室からぼんやりと眺めて見入っていた。

 

「………まだ、痛むわね」


 私の右腕は使い物にならない、下ろしているだけなら支障はないが動かそうとすると途端に激痛が走る。何度も何度も無理をしてきたせいだ、ナツメ隊長をあのビーストから守った後は何とか動く程度だったのに、その後さらに街に潜伏していたビーストを仕留めていくうちに今の状態になっていた。他の隊員達から再三に渡って戦闘行為を止められたが、いかんせん魅入られていたのだ、今まさに浮かぶあの満月のように。


「はぁ……」


 敵を倒していく快感が癖になってしまったのだ、私が無理をしているのはここにいる人達の為ではない。自分の為だ。欲求を満たす以外に銃を握る理由が今の私にはなかった。それなのにここを救った英雄だと皆から讃えられ、今となってはまるで女王のような扱いを受けていた。


「とんでもないわ、私が英雄だなんて」


 割り当てられた部屋もこのホテルのスイートルーム、おそらく一番上質な部屋を隊員も一般市民も両手を上げて賛成してくれた。正直あまり興味が無かったが、皆の好意を無下にする訳にもいかないと渋々承諾して使っている。

 窓際に置いた椅子から室内を見渡す、ここはリビングルーム。部屋の中央は段差状になって一段低い所にソファとテーブルと、点けても何も映さないモニターがあった。

 そろそろ眠りにつこうかという時に部屋の呼び鈴が鳴らされた、こんな時間に来客とは珍しい。天井の随所に空けられた天窓から差し込む月明かりを受けたリビングルームを通り過ぎて、この部屋の所謂エントランスへと足を向けた。とくに警戒する事もなく相手も確認する事もなく無用心にも部屋の扉を開けた、すかざす口元を手で押さえ付けられて使い物にならない右腕を無理矢理体の後ろへと回されしてしまった。腕から頭にかけて、まさに今私の口元を押さえているこの手にわし摑みにされたような激痛が走った。


「ーっ!!」


「騒ぐな」


 扉の向こうに立っていたのは、すっかり落ちぶれ人前に姿を現さなくなったセルゲイ総司令だった。綺麗に整えていた、一度も魅入った事がない口周りの髭も無造作に伸びており目元も窪んでいた。

 さらに締め上げるように手に力を入れながらゆっくりと脅迫してきた。


「トップの会談といこうではないか、サニアよ」



「何が…お望みでしょうか」


「………」


 室内にあったリキュールカウンターからグラスを持ち出し一人で呑んでいる。扉の前で乱暴をしておきながら静かなものだ、私を椅子に縛ってから一言も発していない。


(何がしたいの?)


 黙々と酒を呑み、唐突に口を開いたので最初、何を言っているのか分からなかった。


「この街に残っている資源が最後になる」


「?」


「ここが尽きてしまえばお終いさ、中層も上層も資源が枯渇する」


「……何故そんな事を私に」


「この街の実質的な支配者がお前だからだサニアよ、だからこの話しをしに来たんだ」


「……言っておきますが私から彼らに何か指示を出した覚えは、」


「それが不味いと言っているのが分からんのかぁっ!!」


「っ!」


 突然の罵声。耳鳴りがする程の大声を発し肩で息をしている。

情緒不安定、いつ何をされるのか分からない恐怖が足元から忍び寄って来た。


「私の苦労は一体何だったのだ……中層を夢見たあの日に戻りたいぐらいだ……」


 付き合っていられない。こんな奴と同じ空間には居たくなかったが椅子に縛られてしまっている。それに右腕も激痛が走ったままだ、いい加減に何とかしないと次の戦闘が出来なくなってしまう。それだけは嫌だった。


「私は何をすれば…良いでしょうか」


 言葉を選びながら発言する。どこに導火線があるのか分かったものではない。


「今すぐに暴走している奴らを止めろ、命を取っても構わない」


「それでは、何のためにここまで来たのか……」


「ここにいる連中に食い潰されては同じ事だ、資源は持って帰らねばならない」


「………お言葉ですが、ナツメ隊長が仰っていたあの計画とやらは?」


「お前はあの与太話を信じるというのか?」


 少なくとも貴方に比べたらと、言葉がついて出そうになったのを堪えた。


「……賭けてみるべきではないかと」


「それが駄目ならどうする?だから今ある資源が重要だとさっきから言っているんだ」


 この男にもまだ理は残っているようだ、いや、その「理」しか残っていないから苦しんでいるのだろう。この街に逃げ込みビーストを殲滅し今までにない平和な時を、生産され続ける食料を浪費しながら謳歌出来ればこの男もここまでやつれることはなかったはずだ。


(ま、知った事ではないけれど……)


 この男もナツメ隊長が言っていた計画に賭けるつもりなのだろう、だがもし失敗した時のためにこの街に残された資源は確保すべきだと言っている。理屈は通っているが果たしてそれが彼らに通用するかは別問題だ。


「……私の方からも彼らに話しをしてみます」


 またしても唐突に立ち上がり私のそばまで近寄って来た。手には酒が入ったグラスを持ち口に付けながら、不躾に私を見下ろしている。


「少しは私を労ったらどうだ、その体で」


「………」


「誰が戦場にすら立った事がないお前を、隊長に押し上げたと思っている」


「……それについては、感謝しています」


「そもそもお前が先だろうに、股を開げたのは」


「………」


 知らなかったわ、戦場以外でもここまで殺戮衝動を駆り立ててくれる存在がいるだなんて。

 今は好きにさせておこうと顎を持ち上げて迎え入れる合図を送った矢先、室内に異変が起きた。


『この映像を見ている我らが子孫よ、よくここまで戻って来た』


「!」

「…っ」


 驚いた、あれだけ何も映さなかったモニターが一人の壮年を映し出していたからだ。予め録画でもしていたのか勝手に話しを続けている。


『エディスンの街にはナノ・ジュエルを隠しておいた、君達がどこの階層から来たかは知る由もないが好きに使うといい、しかし』


 そこで言葉を区切り、


『ディアボロス、奴には気を付けろ、人を憎んでプログラム・ガイアの理から外れた者の名だ、放棄したメインシャフトの階層に「ビースト」と名付けた怪物を産む製造区がある、帰りには十分に気を付けてくれたまえ』


 それだけ喋ってあっさりと映像が消えてしまった。束の間私もこの男も無言で過ごす。


「…」


「…」


 興をそがれてしまったのか、私の服にかけていた手を離してやおら向き直りソファへと再び腰を下ろした。安堵の溜息を吐いて言葉を待った。


「……今のは何だ?」


「分かりません」


「隠していた?隠していただけで何故この街の機能が活動しているんだ、現に食料を生産し続けているではないか……」


「……我々がこの街に来たタイミングで生産が始まったのかもしれません」


 黒い物体が目前に飛んできたかと思えば、避けたと同時にこめかみに鈍い痛みが走った。そして酒の匂い、グラスを投げつけられてしまったのだ。


「ここへ来るなとでも言いたいのかっ!!」


 罵声の内容が支離滅裂だった。無駄に声をかけるべきではなかった。

 先程の異変よりも先ずはこの男だ、どうしたら帰ってくれるのかと思案を続けていると、三度唐突に立ち上がり事もあろうに部屋から出て行こうとしているではないか。一体何がしたいのか、椅子に縛られたままだ。腕の痛みも鈍化してきているのでそろそろ不味い。


「総司令っ!!」


 声をかけたが無駄なようだ、扉がゆっくりと閉まる音が聞こえてきた。


(このまま朝まで過ごせというの?冗談じゃない!)


 朝になれば頼んでもいないのに食事を持って来てくれる人がいる、その時には救出されるだろうがそれでは駄目だ。この腕が腐って落ちてしまう、そうなってしまえばもう私が戦場に立つこともなくなりあの快感を味わえなくなってしまう。それは駄目だ、それだけは絶対にあってはならない。

 

「……うぐっ!」


 痛みを堪えて身動ぎするが縛られたロープはびくともしない。


「あなたも大変ね、おかしな上官に目を付けられてしまって」


「!」


 またあの手の映像かと、痛みに堪えて下げていた視線を上げると息を飲んでしまった。立っていたのだ、あの下らない男に変わって少女然としたマキナが。名前は確か...


「プエラ……」


「コンキリオ、覚えていてくれて嬉しいわ、サニアさん」


 肩の少し先まで伸ばした白い髪が月明かりを受けていよいよ神々しく見えてしまう。水色のワンピースに赤い靴、前に見た時と同じ出で立ちかどうかはまでは記憶していないが、私にとって何よりの助けに見えた。


「プエラ、お願いがあるの、私を助けてくれないかしら」


「えぇ分かっているわ、そのつもりであなたに会いに来たから」


 音もなく歩き私の後ろに回り早速解いてくれると思いきや、うなじを愛撫するように触ってきた。


「な、にを」


「あなたを助けるのと、一つお願いがあって来たの」


 喋りながら愛撫を続けている、うなじから耳へとたっぷり時間をかけてから続きを話した。


「私達の庇護下に入ってほしいの」


「……それは、誰のと、聞けばいいのかしら」


「テンペスト・ガイア、私が敬う上官よ」


「……交換条件、という、事かしら」


 変わらず愛撫を続けているので気持ち良さと恐怖にまともに喋る事が出来ない。


「好きなように受けとってもらっていいわ、悪い条件ではないと思うけど、そ、れ、に」


「んんっ」


「あなたの腕も治してあげるわ、どう?」


 その言葉に果てそうになった。醜い獣に成り下がったような気分だ、少女の愛撫とその言葉に激しく感じてしまった私は。


「……いいわ、あなたの言う事を聞いてあげる」

 

 ...私が英雄だなんてとんでもない。

ロープが解かれ窮屈さから解放された途端に振り向いたがもう既に、私を獣に堕とした天使はいなかった。

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