第四十八話 邂逅
48.a
依存症。それは現代病と言い換えても差し支えのない、精神的な病いである。現代を生きる人もマキナも、何かに縋り続けなければ生きていくことすらままならない。それだけこの世は混迷を極めており、何が善で何が悪かは明日の風が吹くように勝手気ままで、いつ自分が悪者にされるかも知れぬ緊張感と戦いながら、いつ手にするかも分からない幸福のために喘ぐように生きていると言っても良い。だからこそ何かに縋るのだ。自分の身を投げ出せる「モノ」に甘えて、他人の目から解放されてリフレッシュしていく。「それ」が無ければ息を吐けぬ程に依存していくことは、決して悪ではない。
まぁ人様に迷惑を掛けてしまうのは良くないが私は誰にも迷惑を掛けていない。今はまだ、であるが。
「アヤメぇぇええ!!!!」
誰もいないブリッジで一人で雄叫びを上げた。禁断症状と呼ばれるものだ。だってアヤメと会っていないんだ、現実でも仮想でも、彼女の顔と声に触れていないと落ち着かない。いてもたってもいられない焦燥感に駆られ不安を拭えないのではないかとさらに焦燥感が募っていく。こうして立派な依存患者となっていくのだ。
「いやまだ私は平気だ!決して依存している訳ではない!」
アオラとホテルに入る直前に録音していたアヤメとの通信記録を大音量でブリッジ内に流していると、本当に通信が掛かってきた。別に聞こえる訳ではないが呼んでくれた私の名前を耐久BGMに加工していたデータを慌てて止めた。
「何かしら?」
[やっほーグガランナ、元気にしてた?]
................
[もしもーし、あなたの可愛いアマンナちゃんですよー]
................
[あれ、繋がっているはずなのに、グガランナ?どうかしたの?]
「うぅ、ふぇえアマンナぁ、早く戻ってきてぇえ、うぇえん!!」
[謎のマジ泣き]
詮ずるところは寂しかったのだ。アマンナの声を聞いて安堵感から不覚にも泣いてしまった。
◇
時刻は夜の帳を抜けて空が明るんでいる時間帯だった。艦体から降りてエレベーター出口前と向かっている。初めてここに来た時にアヤメから教えてもらった道路の白線を見ながら、逸る心を抑えて足を向けていた。
スイちゃん達が街へ出かけた後、次から次へと私のところに異常事態が発生したと知らせる通信ばかり掛かってきた。ピューマは逃げ出すわスイちゃんは行方不明になるわ、それにティアマト達が警官隊の建物内で爆発事故に巻き込まれるわタイタニスが死んでしまったわ(彼もマキナだから死にはしないだろう)と、不安を煽ってくることばかり連絡してくるのでさすがに心細くなっていた。
けれど、つい先程カサンさんから無事にスイちゃんを救出した連絡が入り長くて不安だった夜にようやく終わりが見えてきたところだったのだ。そして気が緩んだ途端に禁断症状。無理もない。私は悪くない、魅力的で優しいアヤメが悪い。
到着したエレベーター出口前は、勿論だががらんとしていて誰もいない。朝靄の中に佇むエレベーターの塔の天辺は薄く霞み朝焼けの光を受けてぼんやりと輝いていた。
しんとした空気を吸い込み、すっかり慣れてしまった煤の匂いを肺に満たしていく。彼女もここで何度も朝を迎えて何度もこの空気を吸ったのかと思うと、不思議な感慨も一緒になって肺に入ってきたようだった。
高さ数十メートルはあろうかという出口前でそわそわして待っているとアマンナから通信が入った。
[開けてー]
扉を開けろということだろう。仮想世界で訓練を受けて少しは変わったかと思えば全くだ、甘えん坊はなかなか治らないらしい。
扉横に設置されたスイッチボックスを操作して扉を開いた。盛大に軋む耳障りな音を立てながらゆっくりと、まだ眠りについているだろう軍事基地を起こすように開いていった。そしていの一番に赤い人型機が排気ノズルを巧みに扱い難なくエレベーターから踊り出てきた。
「うわぁ」
あまりの迫力に間抜けな声が出てしまった、目の前を不思議と静かな噴流を出しながら通り過ぎて行ったからだ、そして後から三機、白と青と緑のカラフルな人型機部隊がエレベーター前から出てきた。
さらに強くなった朝焼けの光を浴びて計四機の人型機が軍事基地に屹立した。続いてコクピットのハッチが開いて思い思いに中からパイロットが現れてきた。
「やっほーグガランナぁ、大人しくしてたぁ?」
赤い人型機からはフライトスーツに身を包んだアマンナが、ヘルメットを脱いで大きく手を振りながら声をかけてきた。
「まるで子供みたいな言い方しないでちょうだい、大人しくしていたわよ!」
ほんと、何も変わらない。けれどその姿に安心してしまった。
そして今度は青い機体からナツメさんが、緑の機体からはテッドさんが顔を覗かせた。ということは...
コクピットから一本のロープが垂れ下がり皆んなが基地へと降りてきた。まだ降りてこない白い機体を見上げながら皆んなの所へ駆け寄る。
「久しぶりだなグガランナ」
「え、えぇ、久しぶり……なんですよね、皆さんは、私はたった三日前ですが」
「そうですね、僕達は向こうに三ヶ月もいましたから、グガランナさんのお顔はとても久しぶりに見た思いです」
少女然とした笑顔を私に見せてくれたテッドさん。違うんだ。私が見たい笑顔はあなたではない。
「あ、あの、アヤメは?あの白い人型機にはアヤメが乗っているんですよね?どうして降りてこないのでしょうか……」
私の言葉にゆっくりと視線を合わせる二人。そして沈黙。
「そんなまさか!」
「その……まさか、なんだよグガランナ……」
こうしてはいられないと近寄ってきたアマンナに目もくれずに白い人型機へと駆け出した。
(そんなまさか!アヤメの身に何か起こったんだわ!あぁ何てことなの!!)
さっきまでの不安と焦燥感とは比べてものにもならない焦りで電動ロープに足をかけ損ねた、それでもロープにしがみ付き腕の力だけでコクピットに登るまで捕まり続けた。到着する前からコクピットに飛び移って緊急開閉ボタンを壊す勢いで押し、跳ね上げるように開いたハッチから覗き込んで名前を叫んでしまった。そして怒られた。
「アヤメぇぇえ!!」
「うるさぁあい!!!」
「え?」
コクピットの狭い座席に横になり膝を抱えていたアヤメが、寝ぼけ眼を私に向けていた。え?
「アヤメ?」
「もうこっちは眠くて眠くて仕方ないの、静かにして……」
「あれ?」
そしてそのまま寝入ってしまった。その寝顔はまるで天使のよう、長い睫毛にも朝焼けの光が降り注ぎ天の神からの寵愛を受けているようだ。いやじゃなくて、どういうこと?
コクピットから目を離して下を見やれば、声を殺して笑っている二人とどこか落ち着かないテッドさんがそこにいた。
「アマンナぁぁあ!!!!」
軋む扉にも負けない程に上げた私の叫び声は、目覚めたばかりの軍事基地によく響いた。
✳︎
「二人の容態は安定しました、もう心配はありません」
「そうですか、お手数をお掛けしました」
「………ですが、あのスイという女の子は……その何と言えばいいのか、こんな言い方をするとまるで…」
言い淀む医者の代わりにあたしが答えてやった。まぁ無理もないだろう、あれは人間ではない。
「スイは人間ではありませんよ、マキナと呼ばれる……まぁアンドロイドのようなものです、何でも中層で過ごしていたとか」
「はぁ…道理で」
眼鏡を掛け直しながら医者がそう返したのを聞いて、安っぽいアルミフレームの丸椅子から腰を上げる。
「夜分遅くに申し訳ありませんでした……ところで貴方は独身ですか?」
「は?」
「いえ、気になったものですから」
「…独身では……ありませんがそれが何か?」
「そうですか、重ね重ね本当に申し訳ありません」
「はぁ」
口を開けた間抜けな男に興味はない。そのまま踵を返して診察室から出て行く。
あんのくそったれが...戦場で余計なことを言いやがって、こっちがかかなくていい恥をかいてしまったではないか。
スイを救出に向かったアオラは全身薬傷まみれの重症だった。地面に寝転び安らかな顔をしていたのでついに天に召されたかと勘違いをしてしまった。傍らには号泣しながらしがみついていたスイがいて、こいつもまた頭や足から血を流していた...跡のようなものがあった。まぁ面倒臭かったのでまとめて救急センターに連れて行った訳だ、そして時刻はすっかり朝、今日も健気に太陽が昇って頼んでもいないのに街を照らしてくれている。
(あたしが結婚出来ないのは、人を信用しないからなのか?)
別に焦っている訳ではない。ただ、これだと思える相手と出会わないだけだ。別に高望みをしている訳でもない。ただ、どうしても気に食わない部分が先に目がいってしまい、心が動かないのだ。さっきの男のように、こっちの質問にあんぐりと口を開けるだなんて失礼だろう。
診察室が並んだ棟を出て、太陽に照らされた外通路を通ってアオラ達がいる病棟へと向かう。手近にいたナースを捕まえて「独身ですか?」と聞いてしまい、虫を見るような目を向けられながらもアオラの病室へと案内してくれた。あのナースはあたしと同じに違いないと一人で得心しながら、アオラの病室の扉を開いた。
四つのベッドが間仕切り用のカーテンに遮られ、その内二つが埋まっているようだ、勿論アオラとスイだろう。窓際に置かれたベッドの上にアオラが寝息を立てて、その傍らにはやはりスイもいた。同じように寝ているようだった。
「全く……」
寄り添うように寝ているスイを起こそうかと思いはしたが、あれだけ怖い思いをしたんだ。自然と起きてくるまではそっとしといてやろうと、こっちも変わらず安っぽいアルミフレームの丸椅子に腰をかけてしばらく眺めた。
(まるで姉妹みたいだな、いや子供か?)
あたしも子供がいていい年なんだが、生憎相手がいない。相手がいなくちゃ生めるもんも生めやしない。
(はぁ……駄目だ、さっきから同じ事ばかり考えてしまう…)
要はアオラの一言に傷付いていたのだ。誰かを手放しで信じてみろと、初めて言われた一言だった。今まで何度も恋人がいないことを弄られてきた。その度に笑い飛ばし、あたしに見合う相手を連れて来いと言い返していた。しかしアオラの一言は効いた、胸にさくっと刺さってしまった、まるであたしが人間不信みたいな言い方に年甲斐もなく落ち込んでしまった。
(落ち込むということはやっぱり)
自覚していたという事でもある。
そろそろ基地へ一旦戻ろうかという時にスイが目を覚ました。ゆっくりと体を起こしてアオラを見て、そして寝ぼけた目をあたしに向けてきた。最初は誰だか分からなかったみたいだがすぐに気づいたようだ。
「カサンさん……」
「無事で何よりだ、体の具合は?」
「…………」
あたしではなくアオラを見て、ゆっくりと答えた。
「へ、平気です……私は、私の体はマテリアルなので……」
まるで怯えているようだ。
「あたしが怖いのか?」
「…………」
アオラから視線を外してあたしを見た後俯いてしまった。
「まぁいい、お前が無事ならアオラも喜ぶぞ」
「……そうでしょうか」
「あぁ、こいつはお前を助けるのに必死だったからな」
「どうしてですか?会ったばかりの私にここまでしてくれるなんて」
「信じられないというのか?それはさすがにこいつに失礼だろう」
「…………」
「……何があったんだ、あの路地裏で、何をされたんだ?」
こんなに怯えるような子だったか?
「………私のせいで、女の人も、お猿さんも、死んでしまいました……私がここに来なければ、生きていたかもしれないのに……」
「…………」
今度はあたしが視線を外してしまった。
「言われたんです、私は生きてはならない存在だと……怖くて走って逃げて、途中で捕まって、知らない女の人に連れて行かれて、気づいたら……」
何も言えない。そんな経験はした事がない。掛けるべき言葉も思い付かない。
「………私はここにいてもいいんでしょうか」
「……あたしが決める事じゃないが、まぁ、その、何だ?いいんじゃないか?」
「……」
「お猿さんはまぁ仕方がないとしか言いようがないが…現場の近くで倒れていた女性なら無事だ」
「!」
「一命は取り留めたとさ、警官隊の人間から教えてもらった、だから、あー、気にするな」
下を向きながら話していたのでスイの涙に気づくのが遅れた。何も言わないスイを見やると声も出さずに大粒の涙を流していたのだ、口も目元もひくつきながらぼろぼろと泣いている。
慌てたあたしは椅子から立ち上がりスイへと駆け寄った。
「な、泣くな、な?」
「………」
さっきとは違って真っ直ぐにあたしを見ながら首を振り、そしてお腹に顔を寄せてきた。片手であたしの服をきつく握りしめて縋ってきた。どうしていいか分からず頭を撫でてやると、決壊したように声を上げて泣き出してしまった。
さすがにスイの泣き声で起きたのか、アオラが何も言わずにあたしを見ていた。
「……ここは天国か?」
「見りゃ分かるだろ」
「それは良かった、お前みたいな天使がいるのかと嘆きそうになったよ」
「地獄に落とすぞ、それよりスイを何とかしてくれ」
「スイ、大丈夫か?」
「あ、アオラ、アオラさぁん、わたし、わたし…」
「いいんだ、いいんだよ、気にするな、カサンも言っていただろう?」
「はい……」
「誰もお前を責めたりなんかしないさ」
「そうだ、スイは何も悪くないんだ、やった犯人が悪いに決まっている」
「はい……」
「元気だせよリトルビースト、そんな顔を見たくて助けたんじゃないんだ」
アオラの言葉に涙を拭いて、精一杯の笑顔をあたしにも見せてくれた。
「あの、助けていただいて、ありがとうございました!」
「いいってことよ、な?」
「……あぁそうだな」
自然と溢れた笑みを自分で少し驚きながらも、そう答えた。
48.b
「基地代理責任者の容態は?」
「落ち着いたようです、ですがすぐに復職するのは無理があるかと」
「まぁいい、面会出来るようになったらすぐに連絡を」
「かしこまりました」
最近になって就いたばかりの秘書官と別れて、月曜日朝一番からの会議のためにエレベーターに乗り込んだ。
(まさかあの女の話しが真実になるとは……)
頭が痛い、何も憂鬱なブルーマンデーのせいだけではない、昨日に発生した通り魔事件の被害者になった女の子とその家族と思われる女性の身体についての報告のせいでもある。どうやら人間ではないと、巷で噂になっていた宇宙船の住人ではないかと報告書に記載されていたのだ。馬鹿馬鹿しいと一笑に付したがどうやら本当らしい。肝心の代理責任者は救出の際に大怪我を負って入院中、代わりにこの私が議会に報告をしなければならない。
開いたエレベーターの扉を抜けて、総司令の寵愛を受けて作られた議会所の通路を歩く。贅沢を極めた調度品に囲まれ毛の長い絨毯を踏み締めて会議室へと向かう、その途中に政府高官である細身の男が待ち構えていたように立っていた。
「ヒルトン、話しは聞いている、一体何があったんだ?」
「それを今から説明しに行くんだ、黙って付いて来い」
「セルゲイ総司令官からの使いの者か?こっちは何も知らされていないんだ」
「そんな訳ないだろう」
「なら、あのマギールという初老の男性は何だ?」
さすがにその発言には目を剥いてしまい立ち止まってしまった。何故あの狸爺いの名前を?
「何故知っているんだ?」
「会議室にいるからだ」
より一層憂鬱になった心持ちで、昔の悪友と肩を並べて会議室へと入って行く。観音開きの扉を開けて入れば真っ先にあの狸爺いが目に入ってきた。一体どうやってこの議会に潜り込んだというのか。
「やぁやぁ久しいなヒルトンよ、変わらず元気のようで何よりだ」
「……」
目礼だけで答える。
会議室には街を取り仕切る各副主要都市の認定を持っている区長、それから元軍事基地の責任者達、各企業のCEOに政府関係者。この街を動かすに値する人間が雁首揃えて席についていた。議題は宇宙船とそれらの乗組員について、何とも馬鹿げた内容だった。
「では、早速私の方から報告をさせていただきます、よろしいですね?」
皆が一様に頷き、さっさと終わらせるために報告書に記載された内容の音読を始めた。
「先日にカーボン・リベラに飛来した宇宙船についてですが、基地代理責任者の調べで「グガランナ・マテリアル」という名称を突き止めました、さらに乗組員である者は「グラナトゥム・マキナ」と呼ばれるアンドロイドです」
誰も頷かない、ここいらの情報は既に周知の事実なのだろう。続けていく。
「彼らが再びこの街に舞い戻った理由については、」
「儂の方から説明しよう、当事者が話した方が良いだろう」
私の説明を遮り狸爺いが素早く立ち上がり、壇上へと歩みを進めてきた。私は満面の笑顔を浮かべてそれを迎え撃ち、小言で他の者には聞こえないよう追撃した。
「何であんたがここにいるんだ」
「悪事は千里を走る、お前さんの仲間は煙たい者ばかりだな」
狸爺いが政府高官である悪友を一瞥してから答えた。
(そういう事か…)
「何が狙いなんだ」
「ただの弔いさ」
何とも薄気味の悪い男だ、大手を振って脅してくれた方がまだマシだ。
「いやすまない、予定にないでしゃばりをしてしまったので彼を驚かせてしまった、儂は中層で彼らピューマ達の面倒をみていたマキナである、ここに来たのは他でもない、廃棄されているカリブンの再資源化をするためだ」
場に騒めきが走る。奴の言っている事が事実で可能なら、それは大した快挙になる。だが初めて見る男を前にして両手を上げて賛同するようなお人好しはここにはいない。
「失礼ですが、貴方は警官隊の関係者ですか?初めて見るお顔ですが」
軍事基地の元関係者が率直に聞いた。
「あぁそうとも、彼と現在代理責任の座についてるアオラというすれた女の面倒をみておったのだ、そうだな?ヒルトンよ」
「……………えぇ」
「そうですか………」
吊り上がった眼鏡を直しながら、不承不承に引き下がった。ついで政府関係者である中年の女性が手を上げながら発言した。
「あなたの言う再資源化というのは誰が卸しを担当するのでしょう、それに廃棄されたカリブンは総司令が一任した者にしか居場所も処理場も分からないはずですよ」
「それについて問題はない、ある程度の場所は割り出しておる」
「では、総司令ともこの打ち合わせを?」
「そうなるが、奴は今中層での攻略が忙しくてな」
「そうですか、取り扱いについて総司令は何か仰っていましたか?」
「取り扱い?」
今度はお腹の中に爆弾でも仕込んでいるのか、民間企業の太ったCEOが割り込んできた。
「カリブンの販売担当は政府だが、再資源化したものは違うだろう?それはカリブンとは呼ばない、それなら民間に競売をかけるべきだと思うがね」
「流通ルートはどうされるおつもりで?資源の配給が遅滞すれば大問題に繋がりますが」
「それもだ、いい加減利益を独占するのはやめたらどうなんだ、何事にも新しい風というものは必要だ」
「利益?私共が利益確保のためにカリブンを扱っていたとでも言いたいのですか?」
「待たんか、儂が話し合いたいのは誰が扱うかという事ではなく、」
「それ以外に何が?ここできちんと決めておかねばならない問題でしょう」
「その前によろしいですか?中層攻略の件はどうなっているのでしょう、新たな資源を求めと謳いながら未だにこの街へ供給されていないではありませんか、そちらを先に片付けた方がよろしいのでは?」
各人がまるで議長になったかのように話し合いが勝手に進められ、既に誰もが壇上に立ったこの男に目もくれていなかった。頭を抱えた狸爺いを見て、私の周りで好き勝手に手回しをされた鬱憤が多少は晴れた。
こうなる事が目に見えていた、昨日の夜に持ち掛けられた話しを無下にしたのは蚊帳の外に立ちたかったからだ。この男はこれからさぞかし悩むことだろう。
悪友がこの男をここに招いたのも何かしらの利益にありつけると思ったからに違いないが、こっちはもう悪事に手を染めるつもりは毛頭なかった。
ブルーマンデー。兎にも角にも憂鬱なこの一日が、ここから先当分続くだろうと暗澹たる気持ちで会議を眺めていた。
✳︎
「失敗した、まさかあやつらがあそこまで目先の人参にしがみ付くとは思わなんだ」
太陽が天辺に昇り始めた頃、私に割り当てられた部屋にマギールが入ってくるなり愚痴を溢し始めた。聞いていた会議の結果についてだろう。
「それで、結局どうなったのかしら」
「次回に持ち越し」
肩を竦めて両手を上げて降参のポーズを取っている。
「だから言ったでしょう、私達だけで内密に事を進めた方がいいと」
マギールが街の連中を呼び寄せて、そこで一括して説明するまで黙っているようにと言われていた。
「そらはならん」
「何故?」
「カリブンを扱うのは儂らではなく、この街の人間達だ、彼らのやり方に任せなければ意味がない」
「だからそのタイミングが早すぎるのではないかと言っているの、何も一からやらせなくてもいいでしょう?完成した再カリブンを彼らに見せてからでも良かったじゃない」
「それだと間違いなく儂らが街の中心に取り込まれてしまう、様々な人間が儂らに傅き持ち上げて、それこそ王のように扱い始めるだろうな」
「そんな事が……」
「ある、力を持つとはそういう事だ、彼らの足で立ってもらわねば成長にならない」
確かに。まるで魔法のように資源を皆んなの前に出してしまうと、後は話し合いではなく取り込み、果ては奪い合いに発展してしまうのだろう。それを分かっていたからこの男は黙っておけと指示を出していたのだ。
「あの男…ディアボロスが余計な事をしなければ、今頃は一つぐらいは完成品があったかもしれんが、癪に触るが奴の動きで助けられたと言ってもよい、まさかあそこまでとは……」
余程話し合いの場が堪えたのか、眉間にしわを寄せてがっくりとしていた。
マギールが腰をかけた斜向かいに、私も座ろうとした時、控えめなノックがされた。私が答えると見目麗しい女性が入ってきてマギールを連れて行こうとした。
「意見交換だと?」
「はい、有り体に言えば、ですが、先程の話しを詳しく聞きたいのです、とても魅力的な内容でしたので」
この女性は秘書官か何かだろう、主の言伝を持って来たのだ。そして意外と強引な人なのか、子供のように言い訳を始めたマギールの腕を取って何かを反論する前にそそくさと部屋から出て行った。
残ったのは私だけ、昨日の夜から一人だ。
「………」
誰もいない応接室、見た目は華やかで豪華に仕立てられているが少しも心が満たされない。あのタイタニスも私と警官隊を庇ってマテリアルを大破させてから連絡の一つも寄越さない。
「………はぁ」
誰からも...心配されていない?そんなまさかと思うが、改心したのはここ最近だ。昔の私はどちらかと言うと勝手気ままでアマンナとそう大して変わらない。いよいよ昔のバチが当たり始めたかと思った時に、今度はノックも無く扉が開いた。
「やっほーティアマトさん、元気にしてた?」
「………」
扉を開けた所で片足を上げて、さぁ今から入らんとばかりの姿勢でアヤメがそこに立っていた。こんな茶目っ気がこの子にあったのかという驚きと、あの時の事をまるで気にしていない無邪気な笑顔に救われ、昨日の夜から続いていた侘しさも一緒に溶けてしまったようだ、ついでに私も外聞も。
「あれ?何で固まってるの」
「アヤメぇ〜私の愛し子ぉ〜」
「謎のマジ泣き」
アヤメが迎えに来てくれたのだ。それはそれは嬉しかった。
◇
「なら、下層の方はとりあえずは大丈夫なのね」
「うん、まぁタイタニスさんは少し怒られたけど」
「あんなの放っておけばいいのよ、どうせ今頃嬉々として直しにかかっているはずよ」
「辛辣すぎる」
「それはそうでしょう、私の事を放ったらかしにして連絡の一つも寄越さないのよ?」
「警官隊の人は大丈夫だったの?」
「大丈夫よ、朝になって挨拶しに来てくれたわ、それはそうとあの二人は?アマンナはいいとしてどうしてグガランナがいないのよ」
何故だか黙り込むアヤメ。交差点の信号に捕まった時にようやく私を向いた。そして和かに笑っている。
「どうして私だけがここに来たと思う?」
「…………」
「ちなみにあの二人には謹慎させています」
「………あのねアヤメ」
「シャラップ!」
「…………」
「それに私、ティアマトさんにまだお願い事してなかったよね?」
「い、命だけは取らないで……」
「私のこと何だと思ってるの」
バレたのだ。私が作ってあげたあの仮想世界が。でもどうして?
ゆっくりと発進した車は交差点を越えてアヤメ側に並木通りを見ながら緩やかに基地方面へと進んでいた。
「どうして分かったのかしら」
「グガランナがね、私に抱きつきながら「やっぱりこっちのアヤメがいい」なんて言うもんだから「なら、どっちのアヤメが嫌なの」って聞いたら白状してくれた」
「……はぁ」
「随分と長い間、「向こう」の私がお世話していたみたいだね、ティアマトさん」
「……泣き付かれたのよ、あまりにも寂しいから何とかしてくれって、下層で再会した時に」
「全く」
「言葉もないわ」
昨日お邪魔させてもらったカフェテラスは、今日も健気に商売をしていたので少し安心した。もしかしたら迷惑を掛けてしまったかもしれないと心配していたからだ。
「それで、お願い事って何かしら」
「今日は一日ティアマトさんは私の言いなりだから、いい?」
少しだけ背中がぞくりとしてしまった。バレていないか心配しながらアヤメを見やる。
「……何をすればいいのかしら」
私の言葉に答えず、代わりに背中がシートに押し付けられた。急な加速のためだ。
「?!」
聞いた事がないエンジン音と共にぐんぐんスピードが上がっていく。ちょうど市街地の道路から高速道路に乗ったところだった、軍事基地へ戻らず何処かに行くつもりなのだろうが...怖い!
「怖い怖い!アヤメ!前に車がっ!」
「喋ると舌噛むよ」
「むぅっ!」
乗った高速道路からは星型の軍事基地の壁が見えており、その中央にお尻をこっちに向けたグガランナ・マテリアルが小さく見えていた。
そして、一番右の車線に乗った途端、さらにスピードが上がって目を回してしまった。
◇
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「そんな大袈裟な、ほら早く降りて」
「ちょ、ちょっと待って…」
着いた場所はどうやら....何処だ、ここ?
「アヤメ?ここは一体...」
「もういいから!付いてくれば分かるから!」
見ない間に随分とせっかちになったアヤメが私の手を取り車から引っ張り出した。私達が乗ってきた車以外にもズラリと様々な車が並んでいる、そして駐車場の向こうにはかなとこ雲を背景にしてガラス貼りの建物があった。とても大きい、頂上はどうなっているのかここからでは見えない。
「これは何?」
「駅」
「駅?」
私がおうむ返しをした言葉に返事もせずに手を繋いだまま建物へと向かう。
入り口には大勢の人がキャリーケースやら大きめのバッグパックを背負って建物へと吸い込まれていく。入り口の扉も壁もガラス貼りで中が見えそうで見えない特殊な模様が施されているようだ。笑い声や話し声、それに抱き合っている人やふざけ合っている人達、爽やかな風が吹く中にもあちこちから喧騒が伝わってきた。
「………」
アヤメに手を引かれたまま入った建物の中はとても...現実的でありながら幻想的な空間だった。建物の外観はどちらかと言うと多角的に作られていたのに中は綺麗な円を描いていた。上を見上げれば幾重にも重なった空中通路があり、壁に沿うように沢山のお店があった。そして中央には同じ制服を着た男性、女性が忙しくなく人から何かを受け取っており、その周りは列をなしてさらに沢山の人がいた。
目の前にあった階段を降りていくと、
「わぁ、これ大丈夫なのかしら」
「お上りさんみたい」
くすくすと薄く笑うアヤメの笑顔と、眼下に広がる景色に心が奪われてしまった。床も見事なガラス貼りで空中に浮いているように駅のホームがあったのだ、一番近くに見えるホームにちょうど電車が入ってきた、筒のような変わった形をした電車に車輪はなくパンダグラフと呼ばれる天井部分がレールに固定されているようだ。
「これもしかして、モノレール?」
「そ」
アヤメも私の見学に付き合ってくれるようだ、一緒になって眼下の景色を眺めていた。隣からアヤメが指をさしながら説明してくれた。
「ほら、あそこにもモノレールがあるでしょ?全部で十個ぐらいはあるんじゃないのかな?ホームが」
「そんなに?」
「この主要都市の外側に作られていてさ、外からぐるっと回るようにモノレールが走ってるの」
入ってきたばかりのモノレールが滑らかに出て行った。そしてアヤメの言う通りにさらに下にもモノレールのホームがあった。
「どうやって降りるの?」
「あそこで駅員さんにチケット渡してから、あそこ」
アヤメが指をさした方を見れば、入り口とは違う方向に空中へと続くエスカレーターが半ば外に出るような形であった。
「あそこから一階ずつちまちま降りていくんだよ、ま、それもここの観光になってるから誰も文句言わないけどさ」
「へぇー…今から何処かへ行くの?」
「まさか、私の目当てはモノレールじゃないよ、また機会があれば来よっか、皆んなも誘ってさ」
「えぇ!」
「………言っとくけど、ティアマトさんを喜ばせるために連れて来たんじゃないんだからね?」
そうだった。私はアヤメの言いなりだったんだ。
それにさっきは思いっきり童心に帰って返事をしてしまった。恥ずかしい。
空中エスカレーターとは逆の方向へ足を向けた。建物内の天辺までガラス貼りにされたその向こうには、日の光を浴びたかなとこ雲が気持ち良さそうにゆったりとしている、時間帯もあってか建物内に照明は点けられておらず、日向と日陰のコントラストがより一層幻想的に見せてくれていた。
ま、そんな気分もアヤメに連れて行かれた場所で一気に霧散した訳だけど。
48.c
「…」
「…」
「…間抜け」
「…庇ってくれてもいいでしょうに」
「もうこのアンポンタン!アヤメにバレちゃったじゃんか!せっかく三人だけの秘密の場所だったのに!!」
「あなたに分かる?!愛しの彼女に会えないこの寂しさと不安がっ!!」
「知るかっ!グガランナが口を滑らさなかったら今だって会えていたのに!」
「はっ!あなたはまだ理解していないようね、仮想世界で慰めてもらうあの虚しさが!本物の温かさの前には風前の灯火も同義よ!」
「はーっ!何でも言う事を聞いてもらえるあの蕩けるような甘い濃密な空間を知っておきながらよくもまぁ、そんな強がりが言えたね!」
「やめましょうアマンナ」
「…」
「虚しさが怒髪天だわ」
「それ使い方間違ってるから」
監禁されて早三時間。愛しのアヤメが無事と分かると寝入った彼女を見つめ続けて。そして起きた彼女を抱きしめて口を滑らせてしまった。起き抜けのくせにやたらと耳敏いアヤメに突っ込まれてしまい、仮想世界にもアヤメがいることを白状してしまった。近くにいたはずのアマンナは姿を消し、ものの数分でアヤメに首根っこを掴まれて御用と相成った。
そして私の私室で謹慎処分となったのだった。
「どうやって謝ろうか」
「土下座しかないでしょう」
「いやそれもうやったよね?」
「まるで見向きもされなかったけど、二人の合体技なら……」
「それおふざけ動画のやつだよね?本当にやったら追い出されると思うよ」
「文句ばっかり言っていないであなたも考えなさい」
「はぁー…どうしよう…」
悶々と悩むアマンナ。
「それと、あなたに報告しておかないといけないことがあるわ」
「また何かやらかしたの?全然大人しくしてないじゃん」
「違うわ、ディアボロスにスイちゃんの正体が知られてしまったの、はっきりとあの子のことを「マギリ」と呼んだわ」
「…」
ベッドにあぐらをかいて頬杖をついていたアマンナが、ゆっくりと私の方を見た。
「…グガランナは何て説明していたの?ディアボロスに」
「言葉を濁して明言は避けていたけど……私の子機ではないことも知られてしまったわ、そうなると必然的にあなたも…」
「…」
「…」
さっきとは違う沈黙が場を支配した。俯き私につむじを見せているこの子のことが、この瞬間だけは何を考えているのか分からなかった。
「ま、しょうがないよ」
「アマンナ……」
「やめてやめて、グガランナとはこういうシリアス展開は望んでない」
「あなたね……」
「…」
「…」
アマンナが小さく吐いた溜息が耳に入ってしまった。何でもないように見せかけているが、アマンナも自分の出生についてはいたく気にしているはずだった。
この子の存在が未だに分からない。出会った当初はこんな自分勝手で我儘なマキナもいるんだな、ぐらいにしか思わなかったが、アヤメと出会って色んな人やマキナと関わっていくうちに「グラナトゥム・マキナ」ではないことが段々と分かってきたのだ。この子にはオリジナル・マテリアルもないし、専用のポッドもまた、存在しない。
では何故私の隣にいたのかという疑問だけが残る。そして何処からやってきたのかという疑問もだ。
「わ」
こんな事した試しなんて今まで一度も無かったのに、不思議とすんなりと出来てしまった。アマンナのつむじから優しく頭を撫でてあげたのだ。
「あなたはサーバーに繋がれているのよね?」
「…うん」
「私と同じように牛型のマテリアルに換装して中層を旅したわよね?」
「うん」
「メインシャフトでアヤメと出会って、今の人型のマテリアルにも換装したわよね?」
「そう」
「ならいいわ、あなたはあなたよアマンナ」
「もうちょっと気の利いたこと言えないの?何言われるか読めちゃったんだけど」
全力で耳を引っ張り上げた。
「痛い痛い痛い痛い痛い!!やーめーてぇ!耳がもげるぅ!!」
大きな目をさらに開いて涙を流しながら抗議してくるが無視する。
「こんの甘えん坊!少しはシャキッとしなさいな!あれだけ私に中層で迷惑掛けておきながら未だに謝ってもらってすらないんだけど?!」
「ひゃぁー痛いぃ!分かったから離してぇ!!」
ちなみにだが、初めて会話した時はお互い通信越しだったので姿は知らない。「やっほー」と呼びかけられてパニックになり「あれ、繋がってるはずなんだけどな」という呑気な声だけは今でもはっきりと覚えていた。
「あなた、私に最初なんて声をかけたのか覚えているかしら」
「……耳の痛さで吹き飛んだよ、このばか力め……」
「はぁ…まぁいいわ、少しは反省しなさい」
「グガランナでもしょうが、アヤメの問題が何一つとして解決していないし解決策も全く決まってないよ」
「あぁそうだった……アヤメぇ……」
今度は私が頭を抱える番だった。
✳︎
「あの二人は大丈夫なんだろうな」
「恐らく」
「あんなにキレたあいつは久しぶりに見たぞ、何をやらかしたんだ?」
「知らぬが花ですよ」
「それは仏ではなかったか?」
基地に着くなり泥のように眠った後、テッドを叩き起こしていつ約束したかも忘れてしまった風呂へと連れて行くところだった。三ヵ月ぶ...もう三ヵ月ぶりでいいだろう、三ヵ月ぶりに見たグガランナ・マテリアルは変わっていないようで所々変わっていた。主に引っ掻き傷や大分汚れてしまった休憩スペースのソファやら窓やら、何かが騒いだ後のようになっていた。
「これ、もしかしてピューマ達が暴れた後?とかだったり」
「あーあるな、それは十分にあり得る」
「掃除もしないなんて……」
「掃除をしたそばから汚されていたから諦めたんじゃないか?」
「それはただ悪循環を招くだけですよ」
ガランとして誰も、生き物の気配がまるでしない艦内をテッドと肩を並べてお風呂へと歩いて行く。居住区の奥から細道を通り、あの時襲われた記憶がフラッシュバックしながらも一階へと続く階段へと足を向ける。防護扉で止めを刺したままにしているようで、上を見上げれば凹んだ扉の底と、未だに異物が付着していた。あいつは案外ものぐさなのかもしれない。
お風呂前に到着し当たり前のように男性湯へ行こうとしたテッドの襟首を掴んだ。
「ぐぇっ」
「お前はこっちだ」
「…………」
「風呂に入ってやると約束していなかったか?」
「それ、代わりに僕が車の扉を開けたらの話しでしたよね?」
「そうだったか?まぁいいではないかたまには、「副隊長」を労っておかないとな」
「………はぁ」
少し緊張しているようだ。仕方ない。
先に私が服を脱ぎ散らかして浴場へと向かい、後からテッドが入ってくる手筈だ。今のうちに何を言うか考えておかないと下手を打ちそうだった。
久しぶりに入ったお風呂は格別だった。仮想世界も悪くなかったがやはりこちらの方が良い、体の芯まで染み渡り疲れが湯気と一緒に換気扇へと吸い込まれていく思いだ。暫くしてからやっとテッドが姿を見せて、まるで女のようにタオルで全身を隠していた。みっともない。
「今すぐにタオルを取るんだ!」
「アホなこと言ってないで向こうをむいてください」
下層ではあんなに口説いてきたというのにこの態度の差は何だ?
言われた通りに天井に描かれた絵を見ながらテッドが入ってくるのを待つ。とても静かに湯船に浸かり、少し私と距離を置いた場所に座った。
「それで、何ですか「隊長」」
「…………あー…言いたくなかったらいいんだが……」
「………」
「…」
ちらりとテッドを一瞥してから再び湯船に視線を戻す。怒っているのか拗ねているのか、男のくせに柳眉を寄せて私と同じように湯船を睨んでいた。
「アマンナが言っていた事だが…」
「言いたくありません」
「…」
「…何でもありません、僕は平気です」
「…何故、強がるんだ」
「…」
「私に出来ることはないか?」
「ありません」
「…」
「…」
駄目だ。何も言ってくれそうにない。
意地を張っているようにも見えるし、本当に言いたくないようにも見える。結局のところ、よく分からない。どうして私には何も言ってくれないのか、ただの自惚れ?実は別の事で悩んでいる?
(分からん)
誰だ、お風呂は裸の付き合いだから仲が深まると言った奴は。
「…」
もう一度テッドを見やると寄せていた柳眉は元に戻っていつも通りの顔つきをしていた。
自分の肩を揉みながら(ほんと女の子にしか見えない華奢な体付きだ)ようやく私に視線を向けて、小さな声で呟いた。
「…本当に困ったら……その時は言います…なので暫くは……」
そしてその言葉を野郎の声に邪魔されてしまった。
「いやっはぁー!!元気にしていたかぁぁい?!!不用心は災いの元ってねぇ!!」
「?!」
「…」
「おやおやぁ?あまりの感激に声が出ない感じ?何ならこのオレ様が声帯を引っ張り出してやろうか?ん?」
驚くテッドを尻目に体も隠さず素早く湯船から上がり声がした脱衣所へと足早に向かう。その間も不法侵入者は何事か喚き続けていた。
「おいおいせっかくこのオレ様がわざわざ会いに来てやったっていうのに無視かい?一番堪えるからヤメテくんないかなぁ?!いい加減に怒っちゃうぞぉ〜」
「静かにしろぉ!!」
脱衣所の扉を開け放ち一喝してやると、ぽかんと口を開けた間抜け面の男がそこに立っていた。驚き?羞恥?そんなものはない!大事なテッドとの会話を邪魔された怒りしかない!
「うっはーまな板、見て損した」
「…」
「まぁまぁ聞きなって、オレに八つ裂きにされた恨みはそのまな板に閉まっておいてだな、ディアちゃんからの言伝なんだわ」
「…」
私の下着を指にかけてくるくると回しながら話しを続けている。
「手を引くなら今のうち、オーディンの件も合わせてこれ以上は容赦しない、だって⭐︎」
ウィンクをしながらそう締め括った男に我慢がならなかったので、瞬時に腕を掴んで背負い投げをかました。しかし、余程訓練を受けていたのか、それともそれだけ能力の高いマテリアルを使っているのかは不明だが難なく着地してみせた。
髪は黒で地味だが、もみあげは斜めに切り揃えられ頭の後ろを刈り上げた髪型をしている、服装は革のジャケットにダメージパンツ、ブーツには物騒にも刃物が仕込まれているようだ。見た目はどこぞのモデルのような格好だが、こいつは間違いなくウロボロスだ。
「それだけのためにわざわざ侵入してきたというのか」
「そ」
「…」
「で、折角だからこのマテリアルの調子を確かめようとわざわざめかしこんでやった訳、どう?オレの気づかい、あんな野郎より冴えてると思わない?」
「……あんな野郎とは、誰のことを言っている」
「あんたが一緒に風呂に入ってる野郎だよ、あれはないね、折角あんたが勇気を出して言ってやってるのにあの態度!据え膳食わぬは男の恥ってね!うぉっと!」
「ナツメさん!」
止めに入ったテッドの言葉も耳に入らない。テッドを馬鹿にしたこのマキナだけは許さない、見舞った右ストレートも余裕で躱されてしまったので尚のこと腹を立ててしまった。
「まぁここで?決着つけるのもヤブサカじゃないが、手出し無用と言いつけられてるもんだからしょうがない、寸止めで悪いね!健気に溜めといてくへ?!」
今度は捉えた、左ストレートだ。顔面に私の拳を食らったウロボロスがもんどりうって倒れた。そして馬乗りになってさらに拳を叩き込む。
「いや!暴力!DV!反対!」
「ナツメさん!落ち着いてください!それより早く服を!」
「そっち?!見たところで何の得もないから!気にしなくていいよ!」
腕を固めてガードされているのでまるでダメージが通らない。
「それとだなまな板よ!プエラ・コンキリオは諦めなっ!奴はもうただの手下に成り下がっちまったよっ!」
構えた拳が振り下ろされずに途中で止まった。
「隙ありっ!!」
「ぐっ?!」
鳩尾を殴られ態勢を崩した時に跳ね退けられた、今度は私が仰向けに寝転びすかさず体をきちんと隠したテッドが割って入った。
「いやお前はオトコだろう、何だその隠し方は、あれか?巷で人気のオトコの娘ってやつか?」
「僕は子供じゃない!いい加減にここから出て行け!」
「ほぉー…お兄さん何だか目覚めてしまいそう……こうもまな板続きだとそれはそれでありかと……」
脱衣所の籠から自動拳銃を取り出し無警告で発砲した。人型のマテリアルにも何か仕込んでいるのか構えた腕に被弾して弾かれてしまった。そして艦内のスピーカーからグガランナの声がした。
ーこの音は何?!脱衣所で何をしているの?!ー
「グガランナっ!脱衣所にウロボロスが侵入しているぞ!ここの警備は一体どうなっているんだっ!」
ーなっ?!ナツメさん?!それは本当ですか?!ー
「そうだよ〜ん、皆んなの裸を堪能してるところだよ〜ん」
ーロックー
ん?ロック?
すると脱衣所の外から何かが大勢走って来る音が聞こえてきた。固い何かで床を叩くようなこの音は...
「うげぇなんだこいつら?!オレ様の体に勝手に触るな!惚れても知らねぇぞっ!」
脱衣所に入ってきたのはグガランナのオリジナル・マテリアル、素体側と言えばいいのか人形のようなあの時のマテリアルが複数体入ってきた。脱衣所に入るなりウロボロスを拘束し鋭利な腕で滅多刺しにしているが、マテリアル側が力負けしたようにどんどん破損していく。
「いった!このくそ!もういい!オレはこのあたりで退散してやるからさっさと退きやがれ!」
ウロボロスが手近にいたグガランナ・マテリアルを腕一本で昏倒させてそのまま走って脱衣所から出て行った。その後を追うようにして残りのグガランナ・マテリアルも脱衣所から姿を消した。
「…」
「…」
残された私達はあまりに突然だった侵入と騒動に、頭が真っ白になってしまった。
「へっくしっ!!」
私だけ素っ裸のままだ。今でもきちんと隠しているテッドの要領の良さに腹が立ってしまったのでひん剥いてやった。
◇
「ナツメさん、待ってください」
「…」
「さっきの男が言っていた、プエラはもう諦めろってどういう意味なんですか?」
「…」
「ナツメさん?何か知っているんですよね?未だに僕達の前に現れないプエラについて教えてください」
「…」
さっきとは逆の立場になった、今度は私が黙りを決め込む番だった。
手早く着替えを済ませてグガランナが謹慎している部屋へと向かっている最中だった。アヤメの言いつけで部屋に入っているらしいが今はそれどころではない、部屋から引っ張り出して侵入したきたあのウロボロス相手に対処しなければならない。奴は生粋の戦闘狂だ、これで金輪際現れないとはとても思えなかった。
「ナツメさん!僕だってプエラのことは大事に思っているんですよ?!」
ついに吠えてきたテッドを見やる。
「お前にも言えない事情があるように、私にも言えない事情があるんだよ、気にするな」
「無理です!何かあったんですよね?」
「ない」
「ならどうしてプエラはこっちに来ないんですか?」
「仕事だ」
「あんなに遊んでいたのに今更?本当なんですか?」
「しつこい」
「…」
居住区に入ってグガランナの私室の前に立つ。物の見事な南京錠がかけられていたので遠慮なく銃で破壊した。「ひやぁ?!!」と中から叫び声が上がったが我慢してもらいたい。グリップで取れかかった南京錠を叩き落として部屋に入る。
「入り方!入り方何とかしてください!ウロボロスが攻めてきたと勘違いしたでしょっ!!」
「緊急事態だ、今すぐブリッジへ向かってくれ、賊の対処をしないといけない、アヤメには私から説明しておく」
「はぁー…怖かったぁ、ナツメが賊に見えるよ」
「もう耳はやめてぇ!!」と、グガランナと抱き合うようにして縮こまっていたアマンナの耳を引っ張った。
私の腕をぱしぱしと叩きながらテッドがアマンナを救出し、私を睨みつけてきた。
「アマンナをいじめないでください!それとアマンナ、プエラが今どうしているか分かる?」
「愛しの兄よ……ん?ひねくれら?」
助けてくれたテッドに縋り、プエラを変わらず変な渾名で呼んでいる。
「そう、連絡取れないかな?」
「待てテッド!」
「ナツメさんが教えてくれないなら僕から調べます、別にいいですよね?!」
「え?何かあったの?」
「プエラが未だに姿を見せないから心配になったの!」
「えーあんなのほっときゃいいよ、どうせ出てくるのが億劫になったから昔みたいに引きこもってるんでしょ」
「……アマンナ、もしアマンナがプエラの立場になって誰からも心配されなかったらどう思う?」
「ひねくれら!今どこにいるんだ!テッドが心配してるから今すぐ出てこいっ!」
耳が点滅しているので通信をしているのだろうが、すぐさま止めに入った。
「やめろアマンナ!今すぐに切れ!」
「は?」
そして、あの下層で聞いた時とはまた随分違った声音で、艦内のスピーカーからプエラの声が流れてきた。
ーうっさいわねぇ、何?今忙しいんですけどー
「忙しいじゃないよ、今どこにいんの?テッドが心配してるよ」
「プエラ!」
ーう、まぁ色々あってちょっと、かな?で、何の用なの?ー
「何の用って……プエラは今どこかで働いてるの?」
ーうんまぁ、そんな感じかな、ちょっと抜け出せそうにない感じー
本物か?このプエラは本物なのか?だったらあの時に撃ってきたのは誰だったんだ?
「ほら、ひねくれらが好きなナツメもここにいるよ」
ただの勘違い...いや、そもそもパイロットの姿までは見ていなかったんだ、プエラのショルダー・アートを真似た機体に第三者が乗っていたと説明した方が、この場がとてもしっくりくる。
私も何か言いかけようと口を開きかけた時、やはり異常はあの時から起こっていたんだと思い知らされた。
ー誰?なつめって誰?新しいマキナ?それに知らない声も混じっていたけど、あんた今何処にいるの?ー
「…………プエラ?何ふざけてるの?」
ーあーもう!うっさいわねぇ、切るから、二度とかけてこないでー
しんとした室内に誰しもが口を開かない。
「………ナツメ、さん?」
「…………」
誰も言葉を発しない代わりに私の目から涙が出てきたようだった。
「何があったの?」
珍しく全くふざけないアマンナの言葉にすんなりと答えてしまった、いや、黙っていられなかった。
「下層で、プエラに撃たれたんだよ、私達全員が、お前とテッドは気を失っていたから気づけなかったかもしれんが………」
「アヤメは?」
「もう……説明した」
「どうして…黙っていたんですか…」
「お前達が、ショックを受けないかと、思って」
「言ってる本人が一番ショック受けてるんだから世話ないよ」
ぐぅの音も出ない。
「いや、すまなかった、舌の根も乾かないうちに言うことではないが……」
「いえそんな…僕のことよりも」
「ナツメさん、プエラの事が好きだったのですね、だから一番にショックを受けているのでしょう、それは自然な事だと思います」
グガランナの言葉にもう一度涙が溢れた。
少しは軽くなった心持ちで皆んなを見やり、プエラの事とウロボロスの事と、少しばかりの話し合いを始めた。
答えは出せなくてもいい、共有することが肝要だと、いつか教えてもらったマギールさんの言葉をそのまま口にして、「泣き虫のくせに偉そうにすんな」と茶々を入れてきたアマンナに拳骨を見舞ってやった。
48.d
モノレールのセントラルターミナルは角ばった建物の中に、少し小さめの円筒形がはいったような構造になっているため、外観と内装に必然的に隙間が出来る。その隙間を空中通路が繋ぎ買い物袋や戦利品を両手に抱えた人々がひっきりなしに行き交っていた。
そしてその隙間には各区から集まった流行物の服であったりアクセサリーだったり、とにかくお洒落に事欠かないお店が押し込まれたように入っているのだ。
上から二番目の空中通路を歩いていると後ろからティアマトさんが泣き言を言い始めた。
「これなら……命を取られた方がまだマシだわ……」
「はいはい、もう一軒回ったら休憩にするから」
「まだ回るのこの子元気にも程がある」と愚痴を言うティアマトさんには、両腕に紙袋を下げさせさらに空いた両手にいくつも箱を乗せていた。バランス感覚が良い。
空中通路を渡り切った先には既に沢山の人が集まっていた。ここに軒を並べるお店はとにかく安い、そして品揃えも豊富とくれば至る区から集まってくるのは無理もない話しであった。
「あ!」
「何?!」
「ちょっとこれ持ってて!」
返事も待たずにティアマトさんに私の戦利品を押し付けて、人の波へとダイブした。誰も気づかわないのが当たり前、足は踏まれるわ肘打ちされるわ、それでも商品棚の前に何とか辿り着き見えていた品物に手を伸ばした。しかしすんでのところで別の人にかっさわれてしまい惜しくも逃してしまった。
「あー!それ私のー!」
と、言ったところで誰も返しはしない。私も何度も言われた台詞だった。
まぁいっか、見つけただけでもめっけもの、買えたら明日は外には出るながここの諺だ、幸運をここで使いすぎて罰が当たるという意味らしい。
また、人の波を掻き分け通路に戻るとティアマトさんがついに通路の端のほうで座り込んでいた。その姿を見て、仮想世界に如何わしいモノを作った事に対する怒りがようやく鎮まった。作るなら一言ぐらい断りを入れてほしい。
げんなりしたティアマトさんを無理矢理立たせて、もう一つのお目当ての場所へと連れて行った。
この街でも数少ない、私が好む場所。展望台へ。
◇
「どうでもいいわ……休ませてちょうだい……」
連れて来た絶景を前にして最初に言った言葉だ。
「悪かったって、ここのモール、一緒に回ってくれるにもっ…友達がいなかったからさ」
「荷物持ちよね?言い直さなくてもいいわ」
一番高い展望台は「幸運」にも人がまばらだった。正方形に作られた展望台は階段状になっていて下へ降りて行く程に空の景色を眺められるのだ。そして私とティアマトさんは飲み物を片手に展望台の入り口から一番近い段差に腰かけていた。
「ごめんってば、ほら、その袋に入ってるのティアマトさんの分だから、ね?」
「あぁ…だから私に服のサイズを聞いていたのね、てっきり自分の分だけかと」
気怠そうにティアマトさんが開けた紙袋の中には、似合うだろうと思い買った七分丈のパンツと肌触りが良いジャケットが入れてある。
「ティアマトさんもグガランナと一緒で見た目が大人っぽいし身長もスラリと高いからさ、まぁ何を着ても似合うんだろうけど」
「ありがとう、大切に着るわ」
そこでようやく微笑みを浮かべてくれた。
「アヤメはこういう景色が好きなのかしら」
少し元気が出てきたのか、さっきは興味がないと言ったくせにゆっくりと立ち上がりさらに「幸運」なことに誰もいなくなった展望台の下へと降りて行く、それに私も続いた。とても好きだ。
「うん、ここから見える景色が一番好き」
「どうして?理由を聞いてもいいかしら」
一番に下に降りてティアマトさんと肩を並べながら束の間景色を堪能する。見渡す限りの雲の絨毯がそこにはあり、隠れるようにして隣の区や価橋があった。あの区はどんな所だろうと、さらにあの雲の向こうには何があるんだろうと、思いを馳せることが出来る。だから好きなんだ。
「…私ね、自分が住んでいる街はあまり好きじゃないんだ」
「…そう」
「狭いなぁって、昔からずっとそう思って過ごしてきたんだ、もっと広い場所に行きたいって、そう願ってきた」
「まるでここがどんな所か知っていたみたいね」
「ま、そんな事はないんだけどさ、ここにいるとこう…想像が膨らむというか、わくわくするというか、そんな感じ、だから好きなの」
「出て行くつもりなの?」
「え?」
ティアマトさんの言葉の意味が分からず聞き返してしまった。
「ここより広い場所って、それは地球のことでしょう?アヤメ、あなたはいずれここを出て行くつもりなのかしら」
「………」
そんな考え今まで一度もなかった。出て...行けるの?行った先には何があるの?でも、
「前に見せてもらったあの景色が今の地球なんだよね?出て行っても、どこにも行けないんじゃ……」
「…そうね、そうかもしれないけど、まだ誰も知らないことよ、ここを出た先に何があるのかなんて、それこそ私達マキナですら知らないこと」
「…」
「もしかしたら地球はある程度回復しているかもしれない、もしかしたら既に生き物や人が住んでいるかもしれない、もしかしたら何も変わってなくてあなたのように夢見た冒険者の死体があるのかもしれない」
それはまるで夢のような世界に思えた。ここではない何処かへ、果ても分からない遠い場所へ、誰も見たことも聞いたこともない異国の土地へ、自分の足で歩いて目で見て感じて。それを想像しただけで胸の中で何かが弾けて全身に広がっていった。頭の隅々から毛細血管の一本に至るまで激流のように興奮が駆け巡りここに立っていることすら惜しいような、そんな気分になってしまった。早く行きたいと、行ってみたいと思ってしまった。
「そ、れは…でも、私、なんかが……」
「行けるといいわね、アヤメ、あなたの行きたい世界に」
はぁと落ち着くために息を吐いたのにまるで効果がない。心臓は何度も激しく脈打ち、興奮のためか視界も狭まっているように思う。
「私はマキナだからここを離れる訳にはいかないけど…あなたのように人の子ならきっと行ってしまえるのでしょうね」
その言葉を聞いてようやく落ち着いた。
「……行ってみたいけど、ティアマトさんやグガランナ達を置いていくしかないなら、私はいいかな」
「…ふぅん?」
まるで信じていないという目をしている。そしてその目が一瞬にして怪訝な、攻撃的な視線へと変わった。
「アヤメ」
素早く手を引かれティアマトさんの後ろに回された、いつの間にそこに立っていたのか、初めて見る男の人がいた。とても眠そうにしている目と適当に切ったような髪型をした男性だった。ロングコートが風に激しく靡いている。
「ティアマト、今すぐに人間と手を組むのをやめろ」
「…」
「悲惨なことになる」
「それが、スイを襲った理由?」
「そうだ」
「そんな事でこの子を手放すとでも?」
「勘違いをするな、お前は誰かの親ではない、ただのマキナだ、役割を与えられただけの生命体にすぎないんだよ」
「…」
「どう…なると言うんですか」
初めて見たのに、圧倒される程の殺気を放っていた。
「スイに聞くんだな、「どうなった」かは奴が良く知っているはずだ」
「…あなたは、何のために人を殺していたんですか」
「タイタニスから聞いているのだろう?」
「本当に私達人のためにしている事なんですか?」
ごう、と強く風が吹き何か言ったようだが聞き取れなかった。本人も分かっていたのか、一度きつく口を結んでから言い直した。
「違う、俺は人間が憎くて憎くて仕方がない、私情を挟んでいると言ってもいい、だから遠慮なく殺してきたんだ」
「………」
「今更お前達に理解してもらおうなどと露とも思わない、好きなように謗るがいい、そしてアヤメ、お前も悲惨な結末を迎えたくないのなら今すぐに手を引いて日常に戻ることだ」
「でも、誰かがやらなくてはならない事をしているのですよね?あなたも、グガランナもティアマトさんもマキナの人達皆んなが」
「………」
計るような視線を向けている。
「なら、私は引いたりしません」
「何のためにするんだ」
「何のため?」
「お前は何のためにマキナに関わりこのテンペスト・シリンダーに関わろうとするんだ」
「…………」
言葉が...出てこない。
「いいか、ただのお人好しで関わっているならすぐにやめろ、目障りだ」
「ディアボロス!」
「何の信念も目的も理由も持たずに、俺達の為そうとしている事を邪魔されるのは目障り以外の何ものでもない、ここは勧善懲悪の世界ではない、子供じみた正義感を振りかざすのは他所でやれ」
「………」
「俺よりも優れたやり方でこの世界を救えるならいくらでも従う、この命だってくれてやろう、お前にはそれがあるのか?」
「それは……これから、皆んなで考えていけば……」
「話しにならない、お前達はこんな人間に縋ってきたというのか?マキナが聞いて呆れる」
そう言い残して私には目もくれずに、展望台のデッキから身を投げた。
「?!」
「?!」
こんな所から身投げするなんて思わなかった、風が吹き荒び地面なんてそれこそ遠い世界のように見えない所にあるんだ。けれど下から何かが上がってくるのが見えた、黒い翼を広げた「ソレ」はまるで怪物のようだった。骨組みされた「ソレ」は人型機も大きく上回る程の巨大さで、曲がりくねった背骨にまとわりつくように胴体と腰がくっつくき、長い手足をだらんと垂れた骨の怪物だった。頭部は一本の角を生やし、窪んだ眼球は黒く光り、犬歯が鋭利に尖った口元を臆面もなく見せつけていた。その肩に先程身投げした男の人...ディアボロスさんが立っていたのだ。
この風の中なのによく通る声で告げた。
「俺の目的は今も昔も変わらない、テンペスト・ガイアの愚行を先ずは止めることだ、そしてこの世界を完璧な箱庭へと昇華させることだ、邪魔はするなよ人間、次に会う時は遠慮なく牙を剥かせてもらう」
「待ってっ!!」
私の声は、怪物の翼が作り上げた暴風に遮られて届くことはなかった。そしてせっかく買った戦利品の洋服までもが風に巻き上げられ空の彼方へと飛んでいってしまった。私の「幸運」はここで尽きてしまったようだ、せっかく欲しい物を見逃してまで使わずに取っておいたものだったのに、買えなくても外を出歩かない方がいいこともあると、身を持って知ったのだった。