表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/335

第四十二話 夏祭り

42.とあるマンション



 仮想世界での生活も残り一カ月を切ったある日のこと、テッドが夜這いならぬ朝這いにやって来た。寝起きだったわたしは薄いシーツで体を隠しいじらしく上目使いでテッドを見ていると、


「ここを出る前にアマンナに何かプレゼントがしたいんだ、良かったら今日一緒に出かけようか」


「ひゃっほーい!」


 出来るオンナを演じることも忘れて全裸のままベッドから飛び跳ねた。うぶなテッドはさぞかし頬を染めてあわてふためくことだろうと思っていたのに、「はいはい」と言いながらシーツを投げて寄越したのが気に入らなかった。

 


 デートの支度を済ませた私とテッドは、少しだけ思いやりを覚えた太陽の柔らかい日差しを浴びながら、いつか歩いた通りに来ていた。けれど暑いものは暑い、手で風を送りながら家具量販店のショウケースに映ったわたし達の姿を見やるとどこからどう見ても...


「兄妹だな」


「ん?どうしたの?」


「何でもない」


 少しお嬢様っぽくフリルの付いたロングスカートを穿いてみたけど、たまらんぐらいに暑かった。袖なしのブラウスで少し涼しさを取り入れてみたけど失敗どころではない。脱ぎたい。


「ねぇーテッド」

 

「脱いだら駄目だよ、さっきからパタパタしてるけど」


「…」


「あ、ごめん、違った?」


「下着までは脱がないよ?」



 着いたのはよく買い物に来る大きなデパートだった。色気もない。


「テッドってさ、わたしのことを何だと思ってるの?すぐに服を脱ぐ野蛮な女とでも思ってるの?」


「自分から下着まではとか言ったくせに……」


「違うよ、どこに行くか聞きたかったんだよ、それなのに無視するしさぁ〜」


 繋いだ手をぶんぶんと振りながら抗議するがまるで聞く耳を持ってくれない。


「変なことを言うアマンナが悪いの、今から行くのは花屋さんだよ」


 大きなデパートは吹き抜けになっておらずあまり開放感はないが、所狭しと様々な商品が置かれたフロアはどこを見てもわくわくしてしまう。お酒の色とりどりの瓶が並んだ棚の隣には、可愛らしく梱包されたお菓子がきっちりと並べられて、その隣には「タイムセール」と書かれたワゴンの中に乱雑に置かれた入浴剤があった。

 行き交う人もカゴを片手に商品棚を見ながら歩き、多少ぶつかったところで誰も気にしない。混沌と寛容が入り混じった空間は何度来ても楽しかった。

 入り口から入ってすぐのフロアを抜けて、わたし御用達の服屋さんも通り抜けると反対側の入り口に面した所にお目当ての花屋さんが見えてきた。通路にも置かれた植木鉢には街の中にも咲いていない珍しい花がたくさんあり、ここで気の利いたことでも言えればいいのだが生憎花には興味がなかったので何も言えない。

 繋いでいた手を離し花のお世話をしていた店員さんにテッドが声をかけた。


「すみません、昨日お願いしていた物は出来たましたか?」


「はい、少々お待ちください」


 店員さんが奥に引っ込んだところでわたしもテッドに声をかける。


「お店の花を買うんじゃないの?」


「ううん、違うよ少し待っててね」


「?」


 そう言われたら待つしかないので、お店に飾られている花を見ながら待つことにした。沢山の蕾を付けたものや、赤色や黄色、それにピンク色の花びらを付けた色んな花を見やっていると、少しお洒落なテーブルの上に「今月の花言葉」と書かれた札を付けた花が飾られていた。花びらは五枚程、その生え際辺りにぐるっと白い線がある少し変わった花だった。名前は、


「アネモネ………可愛いじゃん」


「ん?何かいいの見つかったの?」


「ううん、何でも」


 アネモネの花言葉を読みながら声をかけてきたテッドに答えると、手を引かれて少しびっくりしてしまった。


「わ」


「はいこれ」


「へ?」


 手渡されたのは、黒いリボンが飲み口に巻かれた空瓶だった。どうやって中に入れたのか二種類の花があり一つは鐘の形をした紫色の花、もう一つは少し地味だけど白くて小さな蕾を沢山付けた同じように白い花だった。鐘の形をした花を囲むように白い花が置かれ、まるで支えているように見える。

 わたしの手のひらにも乗る程の小さな空瓶だけど、存在感があって鐘の花が輝いているように感じられた。


(こ、言葉が出てこない……)


 え?!こんな所で渡すのっ?!とか、もっと可愛らしいものが良かった!とか、ありがとう!とか、嬉しい!とか、色んな言葉が頭の中でぐるぐる回るだけで口からは何も出てこない。空瓶に映った少し間抜けなわたしの顔を見ながらついて出た言葉が、


「……こんなの貰ってもいいの?」


「うん、アマンナにはお返しがしたかったから」


「何もしてないよ……わたし、ただはしゃいでるだけで……」

 

「そんな事ないよ、いつもありがとう」


「…」


 じわじわと心の中にあったかい何かが湧いて生まれてきた、今まで感じたことがない感情に戸惑いつつもやっぱりお礼は言わないと、そう思いゆっくりと顔を上げた。


「あ、ありがとう」


「いいえ、これからもよろしくね」


 アネモネにも花言葉があったように、この花にもあるのかとても、とても興味が湧いた。それに鐘と地味な花の名前も知りたくなった。


「これは?何ていう花なの?」


「鐘のお花がカンパニュラ、それから少し小さいお花がカスミソウ、どっちも「感謝」っていう花言葉なんだよ」


「ストレートっ!!」


「あはははっ、そうかもね」


「ふふ、ありがとうテッド、これ大事にするよ」


「ここを出るまでだけどね」


「わたしには十分だよ」


 そう言って、肩から掛けていた小さな鞄に大事にしまって、もう一度テッドの手を繋いで休日を心ゆくまで楽しんだ。

 思いやりを忘れた太陽が容赦なく街を照らして、それに負けじとセミ達が合唱をしている。

 心から...心からこの世界が永遠に続けばいいのにと、あの日見た赤い夕日を思い出しながら好きな人達に囲まれたこの世界を愛おしく思い、そして悲しくもなってしまった。

 あと一カ月で終わってしまう日々をどう過ごせばいいのか悩みながらテッドと再び街へ繰り出した。



42.とある一軒家



「これー、あとこれも、あーあとこれもいいな」


「プエラ、買いすぎだよ」


「大丈夫だよ、アヤメが料理してくれるから」


「プエラも手伝うんだよ」


「ばっちこいですよ!」


 いつものスーパーで、プエラが一生懸命にカートを押して次から次へとカゴに商品を入れていく。一度押してみたかったんだそうだ、カゴの中には人参、ジャガイモに玉ねぎ、それから白菜と何故かオクラが大量に入れられていた。それからプエラが好きなお菓子も沢山。

 この間の特別実習で皆んなに迷惑をかけてしまったので私から手料理を振る舞うことになったのだ、そんなに上手ではないがこれで皆んなが少しでも喜んでくれるならとプエラと一緒にスーパーまで買い付けに来ていた。

 ここの生活もあと残り一カ月を切った。最初は...言うなればどん底からのスタートだったが今にしてみればとても名残惜しい、私もプエラもナツメも皆んなも何だかんだとここをとても気に入っているので帰りたくないそうだ、どうしてここに来たのかも皆んな理由を忘れてしまったみたいに生活自体を楽しんでいた。


「これもー」


「プエラ」


「うそうそ」


 カゴに入れたのは.......やめておこう。さっきまでお菓子売り場にいたはずなのに、いつの間にか風邪薬や生理用品売り場の所へと来ていたのだ。


「こんなもんじゃない?」


「アヤメはもう大丈夫なの?」


 カゴを覗き込み、パック詰めされたお肉の上にお菓子の箱が置かれていたので潰れないように直していると、プエラが変わらない口調で私の事を聞いてきた。一瞬心が跳ねてしまった。


「…………どう思う?」


「いや、聞かれても」


「……私まだマギリとアマンナ達に会ってないんだよね…どうしよう」


「放っとけばいいんじゃない?マギリなんか」


「………いつの間にそんなに仲良くなったの?」


「……嫉妬ですか」


「悪いですか」


「………遠慮してよぉ、恥ずかしいよぉ」


「ふふふ、聞いたプエラが悪い」


 特別実習の前に私はマギリにひどい事を言ってしまった、その自覚はある。けれど、どう謝ればいいか、どう切り出せばいいか分からず知らず知らずのうちにマギリを遠ざけるようにしていた。

 

「何なら今から家に行ってみる?それに夏祭りのこともあるしさ」


「あー…それもいいかもねぇ…」


 夏祭り。私の家の近くにある杉の木に囲まれた神社で夏祭りが行われるのだ、本当はもっと前にやるはずだったみたいだけど隣街にクモガエルが出現したこともあって延期になっていたのだ。その夏祭りが明日の夕方から始まるみたいなので、皆んなを誘ってみてはどうかとプエラから提案されていた。

 カゴにもたれかかり溜息を吐く。プエラと一緒に買い物をしてはいるけど...


「はぁ〜…皆んな喜んでくれるかなぁ…」


 不安で一杯、自分から誰かを思って行動を起こすのが初めてだからだ。

今までは相手の動きを見て、こうしてほしいだろうな、とか、こうすればいいんだろうな、とか、正解のある優しさを行ってきたのだ。それが今度は正解も分からない、どう思われるかも分からない事をする、不安で仕方がない。

 そんな私の心境を知ってかプエラが頭を撫でながら諭すように教えてくれた。


「それが当たり前」


「うぐぅ…」


「ま、私は一発で成功したけどね」


「アドバイスになってないっ!」


「あははっ!そうかもね、私はナツメに会えて幸運だったよ、本当はアヤメにも会いたかったけどアマンナとグガランナがべったりだったし、それにナツメのことも振って最初はあんまり好きじゃなかったし」


「そうだったんだ…………ん?何で知ってるの?」


「見てたから、メインシャフトの休憩室で一回だけ警報鳴らしたでしょ?覚えてない?」


「………あぁーっ!!私が寝たフリをしていた時のっ!!あれ、プエラだったんだ……」


 メインシャフトのホテルのような所で歩き疲れた私はグガランナの膝を枕代わりにして寝たフリ、というか喋り声て起きてしまい起き出すタイミングを逃してしまっていた、確かにその時警報が一回だけ鳴ったのだ。


「そ、あれ私だよ」


「……そんなに前から私のことを……」


「その後にね、血だらけのナツメを助けてあげたんだよ、私の事を好きになってほしかったから、たったそれだけの理由で死にそうになっていたナツメを助けたんだ」


「プエラは優しいね」


 私の言葉を、聞いているのかいないのか、明後日の方向を見ているプエラが反応を示さない。

 カートを押して、レジに並んだ時にようやく私の言葉に答えた。


「…そんな事ないよ」


「ん?」


「私のはただの我儘だから…」


「我儘でそこまでしないよ、私なら絶対にしない」


「…説得力あるね」


「でしょ?」


「自慢するところ?」


 優しく目を細めたプエラの少し汗ばんだ頭を撫でてあげた。


「私も頑張るよ、プエラみたいに」


「うん!喜んでもらえるといいね」


 そして買い物を終えて、いつもより重い袋を家に持って帰り戦利品を整理している時に私とプエラは悲鳴を上げてしまった。



 全く容赦しない太陽の日差しを浴びながら、神社の前を自転車で通り過ぎ初めて通る山間の坂道をプエラと一緒に登っていく、後ろにプエラを乗せてカゴにはよからぬ物も入れて。


「ばかプエラ」


「うぐぅ…」


「あのレジの人は一体どんな気持ちで精算したんだろう」


「え?女の子同士だよね?……みたいな」


「ばかプー」


「うぐぅ……」


「プエラが返しなよ」


「そこを何とか………」


「何それ……ふふ、あははっ」


「あははっ!やーもぅ!恥ずかしいぃ!絶対変な二人組だと思われたよ!」


「大丈夫だよ、ちゃんと恋人同士に見えてたから」


「そーゆー問題なの?」


 自転車の後ろに乗せたプエラと馬鹿な会話をしながら、セミの鳴き声と一緒にペダルを漕いでいく。木と草と、あと少し潮の匂いを嗅ぎながら少し遠くに見える新しいマンションや家が建ち並ぶ街を睨みながら、徐々に勾配がきつくなってきた坂道を登る。

 立ちながらペダルを漕いでいたので少し疲れてきた、坂道が平らになり「道の駅」と書かれた大きな看板の前でサドルに腰を下ろしてうっかり太ももを付けてしまった。


「熱い!」


「あははっ!まーたやってんのー!」


「何で知ってるのっ?!」


「前にガニ股で太ももに何か塗ってるの見たことあるもん!」


「わぁーやめてぇー!私の屈辱の時間ーっ!」


「あはははっ!」


 あの時とは違って、まだ笑ってくれる人がいたのであまり腹も立たなかった。



 「道の駅」を通り過ぎて再び坂道を登り、一度も入ったことがないデパートを抜けて、錆だらけのフェンスを見ながら自転車を漕ぐ。お弁当を持って散歩をしてみたい公園とその近くにあるお洒落なカフェテラスも抜けるとやたらと細い通りに出る。確かここを過ぎた先にアマンナ達が住むマンションがあるはずだ。

 家具が沢山置かれたガラス張りの建物を抜けてようやくお目当てのマンションが見えてきた。ビルやお店の一画にぽつんと建っているマンションは十階建、きちんと整理された植え込みの前に自転車を停めて一息吐く。


「はぁー疲れたー」


「お疲れ様、アヤメ」


「帰りはプエラね」


「や」


「そこを何とか……」


 自転車から降りてプエラと手を繋いでエントランスへと入る。涼しいエアコンの風を浴びながらアマンナ達の住む部屋番号を押してインターホンを鳴らした、程なくしてテッドさんが応答してくれた。


「あー…私です、アヤメです」


[アヤメさん!どうしたんですか急に?もう大丈夫なんですか?アマンナも心配していましたよ]


 いつもと変わらない、けれどとてもリラックスした雰囲気で答えてくれたので少し安心した。


「実は…あーその、」


[あ、良ければ入られますか?外は暑いでしょう]


「分かってるなら早く入れなさい!この性欲お化け!」


[プエラ!二人とも遊びに来てくれたんだね!すぐに開けるよ、どうぞ]


 すぐ隣にある自動扉のロックが解除されて私とプエラは一緒に扉を抜けた、何ともお洒落な廊下を歩きエレベーターへと乗り込む。

 私とプエラは黙ったままだ、おそらくプエラも同じことを思っているだろう。


「何この差」

「何この差」


 エントランスからエレベーターに続く廊下には足元に間接照明があり、まるで庭園のように庭石風味の装飾がされていたのだ、廊下の端には石が敷き詰められ小さな作り物の草や花が咲いていた。私達の家とはまるで違う雰囲気に驚きと苛立ちが同時に起こった。

 けれどまぁ...いいか、あの家は古いしあのポスターには未だ腹を立てているけど愛着も湧いてしまっているのだ。


「ねぇプエラ、ここを出るまでにさあのポスター剥がさない?」


「心から賛成、あれ何?誰が貼ったの?」


「もしかしてテッドさん用………とかだったり」


「あり得る」


 一体どんな基準で家が割り当てられたのか気にしつつも、到着したエレベーターから降りてアマンナ達の部屋を目指す。一つ角を曲がった先に「アマンナ♡テッド」と表札を飾った扉を見つけた。


「…」

「…」


 一応、扉横のインターホンを鳴らす。私もプエラも無言だ。それに何だか扉の向こうが騒がしい。


「…」

「…」


 一応鳴らしましたよ、と心の中で断りを入れてから遠慮なく扉を開けるとリビングに続く廊下の真ん中で、裸のアマンナがテッドさんに馬乗りになっていた。


「…」

「…」

「…」

「…」


 口を開けて私を見ているアマンナと、何故か抵抗しているテッドさんが私達を見て落ち着き払った様子で慌てて言い訳を始めた。


「誤解です、これは誤解です、いいですか?誤解ですよ?だからプエラそんな目で見るのやめてくれない?」


「…」

「あ、ちょうどいいや、後であんた達にいいものをあげるね」


「な、何かな、というかアマンナ?早く退いてくれない?」


 それでも何も言わないアマンナ。


「アマンナ、早く服を着て」


 私の言葉に雷を撃たれたように素早く体を起こしリビングへと消えていった。


「?」

「まさか本当にはいっ………」


 何やら馬鹿なことを言いかけたのでプエラのお尻を抓った。



「お食事会に夏祭り!とても楽しそうですね!是非遊びに行きます!」


「…」

「…」

「…」


「あれ?」


 アマンナが慌てて身支度を整えてリビングに皆んな揃ってソファに腰をかけている。アマンナの服装はいつものワンピースに戻っており髪型もポニーテールからお下げに戻していた。

 さっきの失態を無かったことにしたいのか、普段より幾分明るい口調で私の誘いに応じてくれたが場の空気はエアコンの涼しさより寒々しい。聞こえよがしに溜息を吐いてぴくりと肩を震わせた二人に面と向かって質問する。


「いつもあんな感じなんですか?お二人は」


「違うよ!」

「違いますよ!」


「ほんとかなぁ〜、随分とアマンナの裸に慣れてたようだけど…」


 プエラの指摘は最もだ、裸でしかも......わ、私だってあんな経験がないのにみ、み、密着した状態で平然としていられるなんて。

 さすがに心配になったのでアマンナに声を落として尋ねる。


「本当なの?アマンナ」


「ほ……………んとうです……」


 腰を浅くかけて両手は太ももの上、きちんとした態度を取ってはいるがお風呂で見せた表情のまま、また私のことをチラチラと伺っていたので少しキツめに言い放った。


「何?アマンナはテッドさんと子供を作るつもりだったの?」


 私の言葉に愕然とした表情に変わり、


「………もう、もうわたしお嫁に行けないっ!!ぷぎゃぁぁあっ!!!!」


 叫びながらリビングを走って出て行ってしまう、あれは泣いているのか?また溜息を吐いた後にテッドさんに向き直る。


「テッドさん」


「…すみません、けれどアマンナは悪くないんです、そりゃ目に余る冗談も多いですが僕を気づかってくれているのは間違いなんです、そこは分かっていただけませんか?」


「何であんたを気づかうのよ」


 太ももに肘をついて頬杖をしているプエラがした質問に、私も当のプエラも何も言えなくなってしまった。


「…中層の街で僕はナツメさんを助けるために、第一部隊の人達を見殺しにしたんです、その事で眠れなかったりどうしても大声を出したりする日が続いてしまって……アマンナの度が過ぎた冗談も、それを忘れさせようとしてくれてのことだと思うんです」


 情緒不安定な僕を優しく抱きしめてくれていたんです、と言うテッドさんの目はとても真摯でそこには何の他意も感じられなかった。


「…………」


「…………」


 何も言えない、言えるはずがない。どんな苦しみだったのか想像も出来ない。


「テッドさん……」


「あんた、これからどうするの?」


「……落ち着いたら、街の警官隊へ自首するつもりだよ、まぁ何て言われるか分からないけど」


 私も何とか声を捻り出した。


「…その事はナツメは知っているんですか?」


「いいえ何も、気をつかわせたくないので伝えていませんし、これからも言うつもりはありません」


「…」


「…」


 私とプエラが目配せをする。言いたいことは分かっているつもりだ。


「アヤメさん?それにプエラまで…どうしたの?」


「いえ、何でも……あー…その何というか……私は気にしていませんよ」


「え?」


「テッドさんが他の隊員を巻き込んでまでナツメを助けたこと、何とも思いません」


 意を決して胸の内を伝えると、後は簡単に言葉が出てきた。


「自業自得です、他の皆んなが色んな人を犠牲にしながら戦ってきたのは見てきましたので、いつかは私達もああなるだろうと思っていましたから」


「…なら次は僕が……」


「…」


 難しい、何と言えばいいのか分からない。私はそんな事を考えさせるために言った訳ではないのに、あらぬ解釈をさせてしまったのだ。

 けれどプエラはいつもの口調であっけからんと、どうでもよさそうにテッドさんに声をかける。


「アヤメが言いたいのはそんな事じゃないから、それにあんたは今まで自分が助かるために誰かを見放してきたの?」


「違うよっ!そんな事はしていないっ!!」


 テッドさんの声量に耳鳴りがしてしまう、私もプエラも、そして怒鳴った本人もびっくりしたように顔を俯かせてしまった。


「……だったら顔をあげなさいよ、下を向く必要はないでしょ」


「…ごめん、怒鳴ってしまって」


(アマンナはずっと……こんな調子のテッドさんを……)


 何だか悪い事をしてしまった、さっきのあの発言は多少なりともここまで仲良くなっていたことに対しての嫉妬も含んでいたのだ。


「…ごめんなさい、変な話しをしてしまって……」


「ん?」

「え?」


「?」


「え?どこが変な話しなんですか?とても重要なことじゃないですか」


「そうよ、あんた何言ってんの?」


「いや…でもこんなどうしようもない、重たい話しを聞いたところで……」


「どうしようもなくないですよ、ここまで一緒に来たな………かま…じゃ、ない、です、か……」


「そこで照れるの?え?そこで照れるの?」


「はぁーっだって今までこんなこと言ったことないもん!仲間です!仲間ぁ!!!」


「ぷっ、はははっ、何ですかそれ」


 暗い顔をしたテッドさんが少しだけ笑顔になり、私のしどろもどろになってしまった言葉を笑ってくれた。

 さすがに恥ずかしくなってきたのでアマンナの所へ謝りに行くと半ば逃げるようにリビングを後にした。



「アマンナー入るよー」


「?!」


 部屋の中から何故か驚く気配がした、さっきアマンナには少し嫌な言い方をしてしまったので謝りがてらに、アマンナの一人部屋という一体どんな風になっているのか興味しか湧かない部屋の中を見に来たのだ。それなのに返事がない。


「アマンナー、入っていい?」


「…っ!!」


 ん?何やら騒がしいような...これは何かを片付けているのか?

「アマンナ」と可愛らしく書かれた部屋のドアノブに触れた瞬間、向こうから勢いよく扉が開き額に薄らと汗をかいたアマンナが固い笑顔で出迎えてくれた。もう怪しさしかないアマンナの出迎えを無視して無理やり体をねじ込む。


「アヤメ!まさかわたしのっ」


「ちょっと入るよー」


「ま!待って待って待って!何もないから!ね?!」


「ちょっ?!アマンナ!通せんぼはっ!よくないっ!」


 私に背を向け両腕を広げて通らせないように踏ん張っている。怪しい!


「アヤメがっ!そんなデカしりだと思わなっ!かったよ!」


「誰がっ!デカしりだっ!デリカシーでしょうっ!が!いいから中に入らせてっ!!」


「いーやーだっ!ここは絶対に見せられないっ!!」


 どうやったらそんな力が出せるのか、アマンナの背中はびくともしない。押しても駄目なら引いてみなと、アマンナから離れて少し声を落として悲しそうに言う。


「…アマンナの部屋、見たかったのに……そんなにさっきのこと、気にしてるの?」


 こちらをチラリとも見ずに勢いよく扉を閉め切り、扉の向こうから言い返してきた。


「今さらそんな泣き脅しが通用すると思うなぁぁあ!!!ここは!絶対!通さないっ!!」


「こんのっ!!アマンナぁっ!!いいから開けなさいっ!!」


 暫くの間、私とアマンナは扉越しに喧嘩をしているのであった。



42.とある日本家屋



 時は夕暮れ。一日の流れをとくに感じる時間帯だ。朝は気怠くも清々しく、昼は暑さを感じながらも何処へ出掛けようかと胸に期待が膨らむ時間。そして夕暮れは結局何もせず無為に過ごした一日を反省して、赤色に染まりゆく街並みに自身を重ねて思いを馳せるのだ。そして、これから過ごす時間はよりよくしようと考えていると「でかっ!何この家っ!」「おかしいっ!絶対おかしいって!」私の思考を邪魔するように姦しい声が玄関先の石階段から聞こえてきた。


「あの二人か…」


 コの字型の縁側に腰をかけてマギリが気に入っている庭園を眺めながら黄昏ていると、あんなに落ち込んでいた「きゃあーっ!玄関広っ!えっー!私の部屋より広いってどういうことなのっ?!信じられないっ!!」あのアヤメが叫びながら我が家の玄関を褒めている。それに「少しは私らの家を見習えっ!何だこの贅沢っ!旅館じゃんっ!ただの旅館だよここっ!!」プエラも褒めているのか怒っているのか分からない叫び声を上げている。

 どうやら玄関から上がったようで、まるで家捜しをしているように家のあちこちを見て回っているようだった。「ぎゃぁあっ!!」とか「いゃああっ!!」とか「来るんじゃなかったぁあっ!!」とか、全く落ち着く様子がないので私から出向いてやることにした。

 腰を上げて玄関へ赴くと他に二人、やたらと静かなアマンナとあの二人の叫び声に驚いているテッドが靴も脱がずに立っていた。

 別に拒んでいる訳でもないので早く上がれと声をかける。


「あの二人を止めてきてくれ」


「は、はい…にしても凄い家ですね」


「そうか?そうかもな、私とマギリだけでは持て余しているからなぁ、それより十九番機いつもの減らず口はどうしたんだ?やけに静かじゃないか」


 チラリと一瞥してお淑やかに口を開いた。


「嫌ですね隊長、いつもわたくしはこんなものでしてよ、おほほほ」


「テッド、お前の仕業か?」


「…本当にアマンナは影響を受け易いんです…直におさまると思いますので」


 アマンナの頭を下げさせようとしているあたりがまるで、兄のように見えてしまうのは不思議なことではないだろう。

 さっきから「おかしい!」と「理不尽!」を連呼して騒ぎ回っているあの二人を止めに行こうと、仮想世界に来て兄妹になった二人を上り框に立たせると当のアヤメとプエラが怒り肩でせっかく掃除した廊下を踏み付けながら歩いてきた。


「見つけましたよアヤメさん!」


「見つけましたよプエラさん!この贅沢者をどう懲らしめてやりましょうかっ!」


 似たような歩き方で似たような台詞を言う二人。


(本当に仲が悪かったのか?全くそうは見えんがな)


 一時は焼きもちを妬いていたが...今はそんな事よりもだ。


「それで、お前達は一体何をしに来たんだ」


 四者四様に答えが返ってきたのでさすがに頭が痛くなってしまった。


「マギリに謝りに来たのっ!」

「ナツメと遊びに来たのっ!」

「え?お食事会と夏祭りの誘いですよね?」

「おほほほ」



「いやもう何この家、いるだけで自信失くしそう」


「いい加減に……」


「でも本当に広いお家ですよねぇ……」


 物珍しそうに辺りを見回している。


「それで、お食事会とやらは何処でするんだ?この家を使ってくれてもいいぞ、何せ部屋はたくさん余っているからな」


「何あの余裕」

「ほっぺ叩きたい」

「まぁまぁ」

「ナツメの家じゃないでしょ」


 さっきと同じように好き勝手にもの言う四人。

 足をだらんと伸ばしてぷらぷらと振って、両手で畳に手を付いて天井を見上げているアヤメに声をかける。


「それはそうとお前、ここで何か言うことはないのか」


「………ある、けどマギリがいないし……」


 溜息を一つ吐いてから立ち上がりマギリの部屋へと向かう。


「少し待っていろ、私が呼んでくるから」


 少し心配そうに私を見上げている。特別実習前に何があったのか、マギリから聞かされていたので知ってはいる。


「……マギリ、やっぱり私に会いたくないのかな…」


「心配するな」


 アヤメの頭に優しく手を置いてから向かおうとするが、プエラとアマンナが噛み付いてきた。


「馴れ馴れしいっ!」


「次!私だかんねっ!」


 無視して居間を出る。

襖を閉めてもまだ騒いでいる二人の声を聞きながら、この世界に来て初めて一同が会したことに感慨深い思いを抱きながら歩みを進める。

 きっとあいつも私と同じ事を思っているに違いない。



✳︎



 騒がしくて目が覚めた。二度目に目覚めた時と同じように、部屋の中が赤色に染まる時間帯だった。すぐに誰か気づきはしたが会う気になれなかったのでそのまま部屋に閉じこもっていたのだ。

 万年床の布団に大の字で寝転びひぐらしの音を聞きながらこれからどうなるのか考えている、さっきからその事ばかりだ。あと一ヶ月...タイムリミットはすぐそこにまで迫っている、また私は一人ぼっちになってしまうのかと思うと心が苦しく目頭も熱くなってしまうので、皆んなとは会いたくなかった。

 ひぐらしといつかの蛙の鳴き声が聞こえた時、誰かが歩いてくる足音が私の部屋に近づいてきた。この二ヶ月ですっかり耳に馴染んだナツメさんのものだ。私の様子を見に来てくれたのだろう。程なくして私の部屋の前に立ちナツメさんも何だか悲しそうな声音で私に呼び掛けた。


「マギリ、いるんだろう?居間に来い、皆んなが待ってるぞ」


 意地悪に返す。


「会ってどうするんですか、どうせ来月にはみーんな向こうに帰っちゃうくせに」


「そうだな、出来ることなら私もここにいたいよ」


 さらに意地悪に返す。


「嘘、本当は私みたいな面倒臭い女と別れられて嬉しいんですよね」


「自覚があるなら何とかしろ」


 優しくない返事が返ってきてしまった。


「何ですかそれ、甘えているのに」


「私にではなくアヤメにそうしろ、きっと喜ぶぞあいつも」


「………私のこと、何か言ってました?」


 すると、襖の前に立っていたはずのナツメさんが問答無用で開け放ち部屋の中に入ってきた、慌てた私はその場に起き上がり抗議した。


「こらぁ!勝手に入ってこないください!ここは神聖な場所なんですよっ!」


「はいはい、面倒臭い面倒臭い」


「何て雑なっ!あ、ちょっと!」


 ぐい、と手を引っ張られその場で立たされてしまいさらにぐいぐいと私を部屋の外へと連れ出して行く。


「アヤメの奴がこの間の詫びに手料理を振る舞いたいんだと、それと夏祭りにも連れて行きたいらしい」


「えっ?!」


「だから、お前が来ないと話しにならないんだよ」


「わっ、ちょちょっと!あ、歩きますからっ!」


「アヤメもお前のことを気にしていたよ、私とは会いたくないのかって」


「…会いたくないです」


 私の言葉に足を止める、ちょうどそこは二人が初めて出会ったあの丸窓障子がある部屋の前だった。

 夕日も落ちて家全体が地球の陰に隠れてしまったように薄暗く、ナツメさんの顔もちゃんと見ることが出来ない。


「どうして?」


「…また別れてしまうので、それならこのままでもいいかなって……」


「それは良くないぞマギリ」


「どうしてですか?」


「まるで会わなければ良かったと聞こえるからだ、別れを辛く思える程に好きになれたんだと胸を張れ、それが一番いい」


「…ナツメさんも、私と別れるのは辛いですか」


 薄暗いところに目が慣れたのか、返事を聞く前にはナツメさんがにっこりと笑う様が分かるようになっていた。


「勿論だ、私はこの家と世界とマギリから別れないといけないことが一番辛い、この間からそのことばかり考えている、私からすれば他の事は全て些事だよ」


 ...確かにここ最近のナツメさんは、よく縁側に腰をかけてじっとしていることが多いように思う。


(そっか…私のこと…考えてくれていたんだ…)


 それだけで胸の内側から温かくなり、夏だというのに全く不快に感じなかった。


「……分かりました、今から皆んなの所へ行きます」


「…それは良かったよ、お前と一つでも多く思い出を作りたいんだ、協力してくれ」


 そこまで言われたら無視する訳にもいかず、少しは軽くなった足取りで皆んなが揃っている居間へナツメさんと一緒に向かうのだった。



42.夏祭り



 ナツメとマギリが住んでいる家の麓には、その土地に御座します神々を祀る社があり、古い時代より魔除けとして構えている鳥居の向こうに様々な屋台とそれらを冷やかす着物姿の人々が大勢いた。

 隣街に突如として現れたー皆に強くなってほしいと思うティアマトの親心による計らいであったとしてもー異形の怪物のせいで延期になっていた夏祭りが、残暑にさしかかろうとしている季節の変わり目にようやく催されることになったのだ。そしてそこには、あの時に仮初の命に思いやりを忘れてしまった彼と彼女らも集まっていた。

 着物姿のマギリといつもの作務衣を着こなしたナツメが鳥居の前で皆を待っている。夏祭り前に訓練校近くの海辺でアヤメの手料理と、初めての海を堪能した彼らは一旦別れて再び神社に集まる約束をしていた、一番近いマギリとナツメが身支度を済ませ真っ先に来ていたのだ。

 水色の着物を着たマギリが、太陽はとうに沈んだというのに眩しそうに笑いながらナツメとお喋りを楽しんでいる。


「ナツメさん、すっごいカナヅチなんですね、あれはさすがに笑っちゃいましたよ、ふふふっ」


「私だけか?というか皆んなも海は初めてだろうに…何の練習もせずに泳いだアヤメがおかしいんだよ」


「それに、アヤメの手料理も何というか……ぷぷぷっ」


「笑うなよ、あいつが来てから盛大に弄るつもりでいるんだから」


 アヤメの料理は出来栄えは良かった、しかし肝心の味付けを怠ってしまい何ともいえない、まるでスポンジを噛んでいるような味気ないものになっていたのだ。だが、皆の優しさで「美味い!心を無にすれば食べられないこともない!」と、励ましているのか馬鹿にしているのかどちらともつかない言葉をかけながら、笑い合って平らげたのだ。

 続々と人が夏祭りにやって来る中に、すっかり兄妹のように仲良くなったテッドとアマンナが、敷き詰められた砂利を下駄で弾きながら歩いてきた。二人とも手を繋ぎやはり海辺で遊んだことを話題にしていた。


「海の水ってあんなにしょっぱいなんて思わなかったよ、あれなら塩はいらないんじゃない?」


 当たり前の話しだが、海水を飲むと体内の塩分濃度が著しく上昇してしまい、果ては細胞内で脱水症状を引き起こしとても危険である。それを知らずに閃いたと言わんばかりに語るアマンナの様子に肩を落としてしまうテッド、彼はいつもこんな調子の妹に振り回されて頭の片隅に今尚残り続ける記憶に悩まされずに済んでいる、この間は彼女にブリザードフラワーをプレゼントして少しでもお礼が出来たと思っていたが...まだまだ妹の方が上手のようだ。


(また、何かプレゼントしなくちゃ、ここを離れたらずっと一緒という訳じゃないんだから…)


「アマンナ、海水は飲んだら駄目だからね」


「え?わたし沢山飲んだけど平気だったよ?」


「…」


「あれ?」


 頭を抱え始めたテッドを他所に、鳥居の前で待っていたナツメ達が声をかけてくる。


「ほぉ〜、馬子にも衣装とはよく言ったものだなぁ、お前今度からずっと着物ですごせ、その方がいいぞ」


「わぁ!アマンナの着物は可愛いね!」


「どやぁ!」


「それはアマンナは可愛くないと言いたいのか?」


「いや!違いますよ!アマンナ違うからね!」


「必死の否定…怪しいな」


 テッドはナツメと同じ黒を基調にした作務衣を着ており、アマンナは紫をベースに細かな白い花が刺繍された着物を着ていた。それはどこかテッドからプレゼントされたブリザードフラワーを思わせるものがあった。

 鳥居の前を陣取っているナツメ達が通り過ぎていく人達を眺めながら、まだ来ていない二人を額に手を当て探している。


「あの二人はまだか?もうそろそろだと思うんだが……」


「あ、あれじゃないですか?アヤメとぷ………んん?」


 どうやらマギリが人混みの中からアヤメとプエラを見つけたようだが何やら様子がおかしい。

 それもそのはず、せっかく着付けの時間を取って別れたはずの二人が海辺で遊んでいた格好のままに駆け足でやって来たからだ。アヤメは短いパンツに草履をひっかけTシャツにパーカーを羽織った姿、プエラは麦わら帽子を被りアヤメと同じようにワンピースの上からパーカーを羽織っている。

 鳥居の前に着くなりプエラがアヤメの肩を叩き始めたではないか。


「もう!もう!アヤメのアンポンタンっ!せっかく着物の用意もしてたのにぃ!あんなの放っておけば良かったじゃん!」


「面目ない…いやぁごめんね、遅くなっちゃって」


 頭に手を当て申し訳なさそうにしている。


「何かあったのか?というか何で二人は着替えていないんだ」


「いやぁ……ちょっと色々あって……」


「えぇーアヤメの着物姿楽しみにしてたのにぃ…」


 アマンナが拗ねたように口を尖らせる。

この二人は海辺から帰ってくるなり、いい加減に階段の上に貼られたポスターを処分しようと、プエラに支えてもらいながら少し危なっかしい状態でアヤメが取りにかかったのだ。しかし、何をどうやっても剥がすことが出来ずムキになったアヤメがプエラの制止も聞かずに着替えの時間をまるまる使ってしまっていたのだ。それでも結局間に合わず最後の打ち上げ花火のこともあり二人は着付けを諦め急いで神社へと向かったのだった。

 まだ拗ねている、肩を日焼けして少し赤いプエラにナツメが声をかける。


「まぁいいさ、それよりプエラ、私と二人で店を冷やかしに行かないか?」


「うん!どっかのおバカさんは放って行きましょ!」


「プエラぁ、悪かったよぉ」


 涙目のアヤメにマギリが声をかけ、ナツメ達に連れ立っていく。


「ほら、アヤメも行こう、早く遊ばないと勿体ないよ」


「あぁうん、行こっか」


「それに…約束もあるしね、ちゃんと叶えてもらうよ」

 

「うん、分かってるよ、それじゃあ二人ともまた後でね」


「はい、アマンナ、僕達も行こうか」


「いぇーい!お祭りだぜぇ!行こう!」


 こうして彼らの夏祭りは始まった。



「何あれ」


「分からん」


「何あれ、何で魚すくってんの?」


「後で食べるんじゃないか?」


「あんなちっこいのを?大してお腹の足しにはならないんじゃない?」


 プエラがナツメの腕を取り、しな垂れかかった老いた杉の木の前に出していた屋台を見ながら検討外れの会話をしている。二人が見ているのは金魚すくいだ、だが初めて見る二人にはさっぱり分からないのだろう。

 会話を聞いていた屋台のおじさんが二人に声をかける。


「食ってどうするんだ、これはすくった後に愛でるものさ、どうだ?そこの可愛らしいお嬢さんのために挑戦してみる気はないか?」


「いいだろう」


 すぐ煽りに乗るナツメだ、まんまとおじさんの誘いに乗りやったこともない金魚すくいに挑戦する。ナツメが渡されたのは紙が貼られた丸い輪っかと取手が付いたものだ。


「ポイは三回までなら交換出来るからな」


「よし、目にもの見せてくれる」


(子供っぽいなぁ)


 次から次へとポイを破いては悔しがるナツメを、まるで母親のように目を細めて優しくプエラが見守っている。

 彼女は、この仮想世界で過ごした日々に心から満足していた。ナツメにアヤメ、二人から一心の寵愛を受けて誰からも相手にしてもらえないと嘆いていたあの日々に決別することが出来たのだ。プエラ・コンキリオとして特別なものを。それは形や地位でもない、一番分かりにくく、そして一番心に残る思い出として彼女は手に入れることが出来た。


(…)


 微笑みから柳眉をひそみてナツメの背中を見やっている。

出来ることならこの世界から離れたくない、いくらティアマトに郷愁感を植え付けられたからといっても、それだけでは片付けられない思いがプエラにはあった。

 帰りたくない、このままここにいたい、永遠に時間が止まればいいのにと、三回目の挑戦をしても未だに金魚をすくえないナツメの背中を見ながら切に願った。


(嫌だな…)


 けれど、そんな事はありえない。人が人であるならいずれは死に行き別れが来る。だから彼女は...


「やっと!取れたぞプエラ!ほら見てみろ!」


 暗くて深い思考からナツメの笑い声に引っ張り上げられ、弾けんばかりの笑顔と共にプエラに白くて小さな金魚を見せつけてきた、苦心の末にようやく手にした戦果だ。


「うん!おめでとうナツメ!」


 暗い気持ちを吹き飛ばすようにナツメに応えてあげる。


「いよーし、やり方さえ分かれば……」


「ちょいと待ちな、もう替えがないんだ、また後で遊びに来な」


 ナツメの隣を見やると紙が破けたポイが山積みにされている、ナツメは屋台のポイを全て使い切ってしまったのだ。



「元気がないように見えるが、何かあったのか?」


「…よく分かったね」


 ナツメから受け取った、白くて小さな金魚が入った袋を下げながら「ゴンドラ乗り場」と書かれた看板の前を歩く。


「遊び疲れて…っていう訳ではなさそうだな」


 少し後ろを歩くこの人はどうして分かるんだろうと、不思議に思いながらプエラが振り向き、愛想も必要としない二人の間柄だからこそ取れる態度で答える。


「ずーっとね考えてるの、このまま時間が、」


 ナツメが言葉を被せるように先んじた。


「止まればいいと?」


「…うん」


「全くだ、私も同じことを考えているよ、ここは居心地がとても良い、満ち足りた世界だ」


「何か良い方法はない?ティアマトにお願いするとかさ、向こうでクモガエルを倒したらまたここに戻ってくるとか」


 ナツメが手にしていた食べ終えたりんご飴の串をカゴに投げ入れた、ビニール製の袋に串が当たる乾いた音がして、


「無いな、残念だが」


 きっぱりと現実を突きつけてきた。

その返事に納得がいかないプエラは、非難がましくナツメを見やる。


「何それ、さっきと言ってることが反対じゃん、ナツメは向こうに帰りたいの?私は帰りたくない、皆んなここにいてほしい、アヤメもテッドもマギリもまぁアマンナも……それにナツメと一緒に生活してみたいし海も二人っきりで行ってみたい、隣の街までドライブも行きたいし、デパートで買い物もしたい、やりたいことが沢山あるの、三ヶ月じゃ全然足りない、いくら時間があっても足りないよ、ね?だからさティアマトにお願いして…」


 駄目だった。自分の胸にある思いを認め口にしたとたんに溢れてきた、心が締め付けられて過ぎていく時間を惜しんでしまい、焦るようにナツメに言い切った。けれどナツメはさっきよりも強張った表情でプエラの話しを突っぱねた。


「駄目だ、それは駄目だぞプエラ」


「どうしてっ!!」


「どうしてもだ、私達の時間は限られているんだ、確かにここは素晴らしいが私達が生きる世界ではない、それに、」


 我慢にならなかった。プエラはナツメの言葉を遮り怒鳴ってしまう。


「もういいよっ!そうやって何でも分かったような顔してちっとも私のことを考えてくれない!ナツメなんか嫌いだぁ!べっー!」


 そんな時だ。人型機のエンジン音にも負けない程と大きな音が空から降ってきたのが。

ナツメに舌を突き出した事も忘れてプエラが夏の夜空を見つめている。

 さらにもう一度。


「わぁ……」


「これが…はなびというやつか……凄いな」


「あーいたいた!こんな所にいたよ」

「あらまぁ抜け駆けですかお二人さん」

「アマンナ…食べ過ぎだよ」

「ふぅっふぇっ」


 ゴンドラ乗り場の前に一同が会した。社や巫女が売り子をしている売店前の広場には一本の神木がそびえ立ちその向こうの夜空には、色取り取りに輝く花火が打ち上げられていた。

 お腹と耳を震わせてたった一度の開花を思う存分に輝かせている打ち上げ花火を彼と彼女らはただ黙って見ている。花開く瞬間に皆の顔を照らし、鼓膜を震わせて、夏の思い出としてその姿を焼き付けているようだ。


「はぁー綺麗だなぁ」


「アヤメ、こういう時はね、たーまやーって言うんだよ」


「どうして関西弁?」


「ん?関西弁?」


「たまやって玉やって意味なんでしょ?違うの?」


「違うよ、というかアマンナは関西弁知ってるんだ」


「うん、たまにプエラが使ってるから、な?そうでやんなプエラはん」


「…何それ全然違うわよ」


「そういうプエラは使えるの?」


「当たり前やろ、何回つかってると思ってんねん」


「おぉ」

「おぉ」

「おぉ」

「おぉ」


「…ほらプエラ、花火を見ろ、もったいないぞ」


「…うん」


「あれは出来てますね」


「見れば分かるよ」


「テッドはーん、はいあーん、してくれおくんなはれ」


「アマンナ…対抗しなくていいから…」


 花火の音に混じって彼と彼女らはとりとめがない会話を続けながら、花開く瞬間を心から満喫した。


 そして、彼と彼女らが一同に会したのはこれが最後となった。

※次回 2021/2/15 20:00更新予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ