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第四十話 仮初の命

40.a



『出発してから同時刻』


 最後にいつ休みを取ったのか覚えていない。ここ最近の私に与えられる自由時間はトイレの中ぐらいだ。

 朝から軍事基地内の異常がないか夜間警備員の報告書に目を通してからは、だいたい各区に前回の飛空艦騒ぎの説明に足を運ぶのが私の日々の業務となっていた。たまに思い出したかのように政府から基地再利用案として打ち合わせが入ったり、さらに思い出したかのように基地内で発生するトラブルに対応したり。

 そもそもだ「聞こえているな」あの時ヒルトンおじさんが私に基地の責任者を押し付けたのが始まりなんだ。「お前がアオラだな、返事をしろ」私はただグガランナ達の手伝いをしただけであってこんな役目を押し付けられる謂れはないんだ「さすがに用足しが長すぎではないか?」それなのに....


「我はタイタニス、お前に用がある、しかし体の不調であるならすぐにここへ医者を呼びつけよう」


「そこで待ってろ!!」


 どうして私はトイレの時間すら奪われなければいけないんだ。



「ナツメの依頼?」


「そうだ、奴と取り引きしたのだ」


「何を?」


「いずれこの街に環境洗浄機能を有した機械生命体が艦体で運び込まれる、その対応はお前だ、アオラ」


「……SFのネタか何かか?」


「これはフィクションではない」


 女子トイレの中で待ち伏せしていたのはタイタニスと名乗った中年男性だった。顔は彫が深くギラリと眼を光らせている、髪は銀?オールバックに整髪料でガチガチにしているのか全く崩れない。スーツ姿にストールが様になっているので何処ぞのマフィアにしか見えない。けれど一番の特徴は、


「まぁ、それよりタイタニスさん、もう少し寛いだらどうなんだ」


「………何?寛げ?ふざけろというのか?」


「いや、そこまでは言っていないが…その出立でな、ソファに行儀良く座られるとこっちの居心地が悪くなるんだ」


 そう、こんなビシッと決めているのに背筋はピンと伸ばしてきちんと手は太ももの上、そして視線は真っ直ぐ私に固定されている。とても真面目。行儀の良い中年マフィア言ったところだった。


(就活生?)


 アンバランスを具現化したようなアンバランスさだった。


「今は仕事中だ、ふざける訳にはいかない」


「……確かに、なら私はいいのか?こんなにだらけた姿で対応しているけど」


 こっちは何連勤したのかも覚えていないんだ。体と精神は疲労困ぱい、真面目にしたいが柔らかいソファに体が埋もれてしまいやる気が全く起きない。


「構わない、これは我が決めた義だ、他人は関係ない」


「あそう、タイタニスさんは一人で仕事をしているのか?」


「そうだ、他の存在など我に関係ない」


「あそう、ならあんたがふざけているんだな」


 私の言葉に反応を示した、光線が出るのか?と言わんばかり睨んできた。


「………聞こうか、貴様の言い分を」


「まぁまぁいいじゃないか、あんたがごっこ遊びするのは勝手だ、もう敬ったりはしないが」


「………」


「あぁ…いやすまん、態度が悪いのは自覚しているんだが口が言うことを聞かなくてな、悪態ばかりついてしまうんだ」


「当たり前だ、口は言葉を発する器官だ、言葉を聞くのは耳だろう」


「…」


「何だ」


「さてはお前………芸人だな?」



✳︎



 司令官に伝え聞いていたアオラという人間は破棄された軍事基地の代理責任者を任されていた。恐らく歴代で最も不真面目な責任者であろう、ソファにだらしなく身を預けて衣服も正そうとしない。見たくもない肌着とやたらと派手な下着が露わになっている、それなのに何故我がふざけた奴だと罵られなければいけないのか。

 預けていた身をようやく正す気になったのか、体を起こして衣服を整えている。その顔は薄らと赤らんでいた。


「…悪い、見たくもない姿を見せてしまった」


「何故分かった」


「目は口ほどに物を言う、あんたが教えたんだろ?嫌そうに私の胸元を見ていたじゃないか」


 驚きだ。口で言わずとも伝える事が可能であることに、ましてやこの女に教わるなど。


「礼を言う、また新たに知識を増やすことが出来た」


「はぁ」


 赤く、無造作に伸ばした髪を払っている。


「我がここに来た理由は、お前をピューマ受取人としてその任を与えることとその説明だ」


 我の言葉に狼狽えている。


「待て待てっ!これ以上は無理だぞ!代理責任者で毎日毎日一杯だってのに!誰だ!そんな馬鹿げた任を与えた奴は!」


「ナツメだ」


 身を投げ出すように前に屈みになり見たくもない胸が衣服から丸見えになっている、徐に顔を上げて怒りに震えている。


「……あんのくそ女ふざけたことぉ……てめぇは中層で好き勝手出来るからって面倒事押し付けやがってぇ……」


「面倒事ではない、お前達が破棄しているカリブンという資源を再利用させるための計画だ、これが叶えばこの街にもいくらかの平穏が訪れるのではないのか?」


 難しい話しにも難なく理解しすぐに飲み込んだようだ。見た目とは違い有能な人間のようだ。


「………それは本当か?さっきのぴゅーまって奴が洗浄機能を持った……あぁそれでこっちにグガランナの飛空艦で運んでくるってことなのか」


「奴を知っているのか?」


「あ、あぁ知っているも何もグガランナとアマンナも知ってるぜ、何度か飯も食いに行ったことがあるしな」


 もう一度衣服を整えソファに身を預けた。


「それでそのぴゅーまって奴らを招き入れた後はどうすればいいんだ?」


「向こうにはマギールという責任者がいる、後は奴に任せれば良かろう、我も詳しくは聞かされていない」


「そういうこと、私はグガランナ達に橋渡しをすればいい訳だ、しかしだな一つ問題がある」


 案内された整備舎の隊長室のそばを車が通り過ぎ、室内をヘッドライトで照らしていく。七つも電球がついた照明以外何も置かれていないくせに、人間の染み付いた匂いがするおかしな部屋だった。

 嗅覚機能を切っておけば良かったといくらか後悔しながら続きを促した。


「何だ」


「廃棄場所は誰も知らないんだ、処理している場所もな、総司令と一部の人間にしか知らされていないんだよ」


「そんなこと」


 鼻で笑い、我が誰であるかを堂々と告げた。


「この街は我が一から作りあげたものだ、後でいくら人間達が増改築しようとも手に取るように分かる、案ずるな」


「………そうか、なら話しは決まりだな」


 後にして思えば、この発言は失敗であったといたく後悔をした。



40.アヤメとマギリ



 説明会も無事に終わり詰所で実習日報を書いてから軽く伸びをした。背中がポキポキと音を鳴らし、鳴ってはならないところの骨までいきそうだったので慌てて姿勢を正す。


「危なかった」


「何が?」


 詰所は上層にある特殊部隊の場所と似ているようで似ていない。窓から見える景色は格納庫の壁ばかり、見てもちっとも楽しくない。今ちょうど訓練を終えたのか三機の人型機が格納庫前に着陸したようだった。肩には数字がペイントされているだろうが...ここからでは見えない。

 室内に目を戻すと綺麗に整頓された椅子とテーブル、壁には私達のヘルメットが掛けられている。コネクタケーブルと呼ばれる人型機のコンソールとヘルメットのバイザーに表示される視覚を同期させる役割を持っている黒いケーブルが、尻尾のように垂れ下がっていた。


「無視?」


「してないよ」


「もう終わったの?」


「うん」


「いつも何て書いてるの?」


「今日も一日プエラが可愛かったって書いてるよ」


「ふーん……」


 チラチラと私を伺う。


「プエラ」


「うん」


 近づいてきたプエラの腕を取り体を寄せる、そして私はいつもそばにいる小さな恋人に頭を押し付けた。


「むふぅ」


「甘えん坊め」


「はぁーやっと終わった、ごめんね待たせて」


「いいよ、勝手に待ってるだけだから」


「むふぅ」


「はーい」


 小さくて冷たい手で、私のうなじを撫でてくれる。それだけで疲れが取れていくようだ。

 胸とお腹の中間辺りから顔を離してプエラを見上げる、細められた目に見つめられていたようだった。


「何?」


「ううん何でもない」


「………お腹が空いたとか?」


「違う」


「プエラも撫でてほしいとか?」


「それも違うよ」


「……私と一緒いるのが嬉しいとか?」


「うん」


「……あんまり言わせないでくれる?結構恥ずかしいんだよ、これ」


「ふふ、ありがとう」


 そう言って私の恋人は嬉しそうに笑った。



 もうべったり。あんなにいがみ合っていたのが嘘のよう、私とプエラは付いて離れずずっと一緒にいるのだ。家の中でも訓練校でも買い物に行く時もどんな時でも一緒にいる。    

 シャワールームで体を洗ってから自宅へと向かう、私の方が早かったようで脱衣所には誰もいない。いや、もう一人入っているようだ。私とプエラ以外のフライトスーツと私服が開けっぱなしのロッカーに入れられていた。


(不用心な…)


 階段状に作られた脱衣所は少し変わっている、段差になっている所にロッカーが置かれているので隣の人とぶつかることはないが数が少ない。たまに取り合いになる時もあるぐらいだ。

 自分のロッカーへ、ぺたぺたと足を鳴らしながら向かい扉を開けると一枚のメモ用紙が裏側に貼られていた。


「ん?」


 糊が付いたメモ用紙には小さいながらにもやたらと達筆な文字で「ありがとう」と書かれていた。


(……)


 むず痒い。全力べったり。何が?と思うけどいつものことだ。

プエラはあまり喋らなくなった。一言二言で済ませることが多く、まるで私に分かってほしいのか汲んでほしいのか、とにかく言わせようとしてくるのだ。

 それがまた......


(可愛いんだよねぇ……あんな可愛いさは初めてだ)

 

 さっきみたいに伺うように視線を寄越して問いかけてくる。私もたまに意地悪したくなるので何も言わなかったりわざと違うことを言ってプエラを困らせる。泣きそうになりながら寄ってくるのがまた...あぁ駄目だ。最近はプエラのことばかり考えてしまう。


(それも後…)


 少し気分が暗くなってしまった時にシャワールームの扉が開いた。ようやく小さな恋人が帰ってきたのかと思い、遠慮なく振り返るとそこには紫色の髪をした大きな女性が立っていた。


「…」


「…」


 熱いお湯を浴びたばかりなのか、白い肌がほのかに赤みがかっておりモデル顔負けのスタイルで、それに大きな胸も形を崩さずに見せつけている。大人びた顔は目も口も開けっぱなしで驚いているようだ。え?

 

「えぇぇぇえ?!!!!」

「えぇぇぇえ?!!!!」


 二人同時に驚きの声を上げた。


「マギリじゃん!!」

「アヤメじゃん!!」


 お互いに指を指して名前を言う。


「何やってんのこんな所で?!!」

「何やってんのこんな所で?!!」


 え?マギリ?まさかのマギリ?え?!


「嘘っ!マギリだよね?!どうしてたの?!えええ?まさかマギリも訓練受けてたの?」


「そうだよ!私もだよ!えええ?アヤメだよね?あの時建設現場で別れたアヤメだよね?!データじゃないよね?!」


「それなら触りなよ!ほら!ちゃんと私でしょうが!!」


「いやいや意味分かんない!ほぇーまさかアヤメもこっちに来てたなんて……ん?ティアマトから何も聞いてないの?私のこと」


「ん?それならマギリだって私のこと聞いてないの?」


「聞いてないんだよそれが!なんなら私、何の説明も受けずに訓練始めさせられたんだからね!!」


「何て可哀想な私の親友……ん?なら今は誰と生活しているの?確か二人一組だったよね?」


「ナツメさん」


「ーっ!へ、へぇ、そっか、それは良かったねぇ………………ん?マギリってもう編成班?」


「そうだけど……ん?」


「何番機?」

「何番機?」


 再び二人揃って指を指した時にシャワールームから小さな影が飛び出してきた、そして裸のまま私に抱きついてきた。


「わ、プエラ!びっくりした」


「あ、この子……」


 知っているのかな?マギリとプエラ、初対面のはずだけど。


「ほらプエラ、私の親友だよ、前に話したことあったでしょ」


 露わになっている私の胸に遠慮なく抱きつきかぶりを振っている。ん?


「ど、どうしたのプエラ?」


 初めての反応...これは分からないぞ、どうすればいいんだ?


「マギリは知ってるの?プエラのこと」


「うん、模擬戦の時に………ん?あれ、確かあの時はこの子と一番機が一緒だったような……」


「……私だよ」


「えええ?!!」

「えええ?!!」


 再び叫び声を上げた。


「十三番機?!」

「アイリスってアヤメのことだったの?!」


「アイリスって言うなぁ!!」


 プエラが吠える、また私の代わりに怒ってくれたけどそれどころではなかった。


「ええじゃあ何か、私は親友に倒されたということかっ!!何たる運命力!!」


「そんなものないっ!早く出ていって!いいからあっちに行って!!」


「んだとぉ…挨拶した時も唾を吐きやがってこんちくしょうめぇ……」


 私の体から少しだけ離してぶんぶんと手を振っている、それにマギリも恨みがましくプエラを睨んでいた。


「何があったの?何でいきなり喧嘩してるの?」


「はっはーん、君もしかしてアヤメのことが……」


「好きだよ悪い?!!今いっちばん好きな人なの!邪魔するなぁ!!」


「へーじゃあ昔の一番は誰かなぁ?私はずっとアヤメが一番だよぉ、キスもしてもらえたしぃ、ひっひっひ」


 何て意地の悪い笑顔。


「マギリ、やめて恥ずかしい…」


 私の注意に目を剥くプエラ。


「ほ、ほ、ほ、ほほほ本当に?き、ききすしたの?」


「あっれぇ君はまだなんだぁ」


「し、したことあるもん!き、ききすぐらい!したことあるもん!!」


「本当かなぁ?その割には随分慌ててるみたいだけど…………実はまだなんでしょっ!!」


「ちがうもぉーん!!あやめぇぇ!!」


 指を指されて決め台詞のようにトドメを刺されたプエラが私に再び抱きついてきた。


「へっくしっ!!」


 その後、マギリも交えてわいわいしながら脱衣所を後にした。



「ティアマトさん、私が電話をかけた理由分かりますよね」


[…]


「どうしてマギリもこっちに来ていることを黙っていたんですか?」


[サプライズ]


「…」


[いえ、あのねアヤメ、本当にごめんなさい……あなたと暫く別れるのが悲しくてつい……大事なことを伝え忘れていたわ]


「はぁ…」


「…」


 家に帰って早々に私はティアマトさんに電話を掛けていた、勿論マギリについてだ。あの時泣きじゃくる私を無理矢理連れて行ったくせに、どうして伝えてくれなかったのかと苦情の電話だった。


「…」


「ティアマトさん…そう言ってもらえるのは確かに嬉しっ?!……ですけど、ちゃんと伝えてください、本当にびっくりしました」


[え、えぇ……アヤメ?何かしているのかしら、今の声は……]


「な、何でもありません」


 マギリと会えたことを嬉しいと言おうとした時に、家に帰ってからさらにべったりしてきたプエラがきつく抱きしめたのだ。


[そ、そう、それとアヤメ、仮想世界に誰かがハッキングを仕掛けているわ、気をつけてね]


「ハッキングって……大丈夫なんですか?」


 プエラがびくりと体を震わせた。


[今のところはね、けれど前回のようにテンペスト・ガイアが何かしら工作活動をしているかもしれないから、もしおかしなことがあればすぐに連絡してちょうだい]


「分かりました……それとあともう一ついいですか?こっちに出現したクモガエルはティアマトさんが何かやったから何ですか?」


 私、というより皆んなを代表をして聞いたつもりだった。その質問にあっけからんとした答えが帰ってきた。


[そうよ、こっちで戦闘に慣れてもらおうと思ってね]


「はぁ…そうですか、あんなに臭いんですか?クモガエルって、臭いが付かないようにいつも遠距離から倒しているんですが…」


 少し間を置いてから返事がくる。この人は本当に隠し事が下手な人だ。


[…………臭い?……そ、そうね、臭いわね]


 下手どころではなかった。


「ティアマトさん、バレバレですよ、アマンナが怒っていましたよ?何も臭いまで再現しなくてもいいだろうにって」


[……アヤメ、そのクモガエルを調べることは出来るかしら?私は戦闘が出来るように見た目を柔らかくして再現しただけなのよ、臭いまで付けた記憶はないわ]


 心の中で一つ溜息を吐いてから。そのおかげで良い事を思いついたのでそのまま口にした。


「それならお願い事プラス一で」


[…アヤメ]


「嫌ならこっちに来ますか?それでも全然いいですよ、ティアマトさんと久しぶりに会えますし」


 すると少し遠くから「逃すなぁ!」「あなただけ抜け駆けなんか許さないわ!」「お母さぁん!!」と乱闘騒ぎが聞こえてきた。お母さん?


「ティアマトさん?大丈夫ですか?」


[え、えぇ、だ、大丈夫よアヤメ、何とか行ける方法と言い訳を考えてそっちに行くわ、一緒に問題を片付けましょう、急用を思い出したから切るわね]


 一気に捲し立てて電話を切ってしまった...お母さんって子供がいたのか?

私に抱きついていたプエラも怪訝顔だ、電話の様子が聞こえていたのだろう。


「な、何か今の、随分と騒がしかったみたいだけど」


「さぁ……それよりプエラ、ハッキングについて何か知ってるの?」


 徐に視線を外して体を離していく。逃げるつもりだ。すかさず体を締め上げた。


「うっへぇ?!あ、アヤメ!痛い!」


「何か知ってるんだよね?私から一度も逃げたことがないのに、さすがに変だよ」


「し、知らない!こ、心当たりもない!」


 慌てて口を滑らせてくれた。


「心当たりはあるんだね?プエラのことなら何でも分かるよ」


「う、うぅ〜…」


 今までとは別の意味で泣きそうだった、細い腕で拘束を解こうとするがその力が徐々に弱まってきた。


「私、プエラともっと仲良くなりたいな、けど…嘘を吐くような子とはなれないかなぁ……」


 まぁ口だけなんだけど。多分笑っているであろう私の顔を見つめているプエラがあっさり降参した。


「全部吐きます」



「ゼウス?」


「そう、口達者のゼウス、そいつが教官に化けてこっちに来てるの」


 場所は変わって居間の座布団の上。私に背中を預けてもたれかかるように体育座りをしているプエラを後ろから支えている、最近お気に入りの座り方だった。

 新しいマキナの名前を教えてもらった、けれどその名前は確か...


「ギリシア神話の最高神……だったよね、ゼウスって名前は」


「うん、よく知ってるね、偉い偉い」


 お腹に回している私の手を弧を描くように撫でた。


「教官に化けてるっていうのは…どうして分かったの?」


「んー…勘?何となくそうかなぁって感じ、模擬戦やった時に事前説明したあの教官覚えてる?やたらと芝居がかった変な喋り方してる奴」


 私の頭の中で、まるで舞台台詞のように抑揚をつけて、抜けるなら今のうちだよ!とどこか楽しそうにしていた教官の声が蘇ってきた。


「あぁ、あの人かぁ…確かに言われてみれば……」


「そうあいつ、あいつには本当に迷惑を掛けられたというか良い思い出がないというか……関わりたくなかったから嘘ついたの、ごめんね」


「いいよ、教えてくれてありがとう」

 

「あー…それで……その、あ、アヤメ?」


 もう話しは終わりと言わんばかりに口調がいつものように戻った。また当てっこゲームの始まりだ。けれど私はわざと分からないふりをした。


「何?」


「え?さっき言ってた……もっと仲良くって……やつなんだけど……」


「そんな事言ったかな私、あまり覚えてないや」


「そんな……」


 またいつものように泣きそうな顔で振り返る...と思っていたけど。私の腕を振り解いて立ち上がったしまった、それに何だか怒っているよう。


「もういいっ」


「あ!ちょっと!」


 予想外の反応に慌ててしまった、私が立ち上がった時には既に居間から出てしまい、前のように踵を踏み付けながら廊下を歩いている。


「プエラ!待って!」


「…」


 私の呼び声には答えず後ろ髪をなびかせながら階段を登っていく。四つん這いになってまるで猫のように素早く登っていくので、私が階段に足をかけた時には廊下の角に消えていた。


「プエラ!…………危ない!!」


 急いで登ったため階段を踏み外してしまい思わず声が出てしまった。

冷や汗をかきながら階段を登りプエラの部屋へと目指す。


(あー!やり過ぎたかなぁ……)


 つい、いじめてしまった。またあの可愛い顔が見たかったから。けれどこんな言い訳が通用するだろうか。


「ぷ、プエラ?入るよ?いい?」


 何度かノックをするが返事がない。恐る恐るドアノブを開くと真っ暗の部屋の中、窓際に置かれたベッドがこんもりと膨れていた。前に嗅いだお菓子の臭いもなく、どこか甘い匂いがしていた。


「ぷ、プエラぁ、入るよぉ」


「…」


 被った布団の中で身動ぎをしたが返事がない、相当怒ってしまったのか。

ゆっくりと歩きながらベッドに近づく、それでも何も言わないし起きてもこない。


「…」


「プエラ、ごめんね意地悪しすぎたよ、だからね?顔を見せてくれない?」


「…」


「ふ、布団捲るよ?嫌なら嫌って言ってね?」


 赤いシーツを被せた掛け布団を捲るとそこには...


「はぁーもうプエラ……」


「べっー!!!」


 悪戯顔のプエラが舌を出して笑っていた。


「たまには仕返ししないとね!アヤメのバーカ!」


「こら!本気で心配したんだからね!」


「いつもアヤメだってやってんじゃん!私だって意地悪したい時はしたいんだよ!べっー!」


「何回も何回も!はぁーもう本気で怒らせてしまったかと……」


 その場に座り込んで溜息を吐いた。


「それで?怒らせてしまった私に何をしてくれるの?」


 後ろに手を回してまるで子供のように可愛らしく愛嬌を振りまいている。

プエラの手を少し乱暴に引き寄せ私の前に座らせた。


「うわ?!あ、アヤメ!」


 驚くプエラを他所に黙っておでこに口づけをした。


「〜っ!」


 少し冷たいおでこから口元を離してプエラを見る、頬を赤く染めて何をされたのか、まだ理解が追いついていないようだ。


「あ、あ、アヤメ、今のは……」


 さらに黙ってもう一度、今度はゆっくりと口づけをした。自分が何をされているのかきちんと理解させるためにも。


「あや、アヤメ…そんな何度も……」


「まだ二回だよ」


「え?」


 今度は赤く染まった頬っぺたに。


「うゃぁあっ!!」


「ふふっ」


 さらにもう一度。


「わ、分かった、私が、私が悪かったからもう……」


 何度も口づけをされて少しフラフラとしている。構うもんか。


「ダメ、この世界を出たら恋人同士じゃなくなっちゃうんだよ?今のうちに沢山しておかないと」


「な、な、なんでふかその理由は……」


 また、おでこにしてあげる。


「うぅ〜こんないっぺんにキス……何かもったいない……」


「なら毎日してあげるよ」


「!」


 プエラが泣きそうだ。


「あ、アヤメってほんと、え、遠慮がないね」


「他に何か言うことは?」


 掴んでいた腕を離してさっき口づけをした頬っぺたを優しく撫でる、少し蕩けたような表情になり私の瞳をしっかりと見つめてくる。


「あ、ありがとう……私の我儘に、付き合ってくれて……」


「他」


「他?……って言われても……もう十分……」


「嘘」


「………………………ないよ、本当に」


 そして、私に嘘を吐いた小さな恋人に最初で最後のキスをしてあげた。



✳︎



「やめてくれないかいマギリ君、お邪魔させてもらっているだけで包丁を構えるのは」


「…」


「いやいや元はと言えば君が悪いんだよ?僕の誘いを断ったのは君の方だろう」


「…」


「分かった、分かったから包丁を下ろしてくれないか?落ち着いて話しが出来ない」


 アヤメに引っ付いていたプエラと呼ばれる女の子を散々からかって少しは気が晴れた心持ちで家に帰ってくると、あの気持ち悪い教官が当たり前のように囲炉裏の前に座っていた。生憎ナツメさんは留守で、私一人で対処しなければならない。だから包丁を持ってきたのだ。


「何かご用ですか」


「君に話しがあってきたんだよ」


「交番なら階段を降りて左手に行けばありますよ」


「違う、自首する所を探している訳ではないんだ」


「…」


「はぁ、まぁあんな手紙を読んだ後なら仕方ないか……」


 意外と真面目なのかきちんと正座をしている。眉目秀麗とはこのこと、その綺麗な顔つきをした教官が作り物のように細い手で顔を覆っている、今がチャンス?

 対処しようとした矢先、私に視線を向けて誘いをかけてきた。


「君、僕の手駒にならないかい?」


「誰かぁぁぁあ!!!!!」


「ま、待ちたまえ!そういう意味じゃない!現実でも自分の体が欲しくないかと聞いているんだ!」


 大声で叫ぶのは何も、助けを呼ぶだけでなくよからぬことを企てている相手の動きを止めることにもなるんだそうだ。しかしこのクソ教官は止まるどころか、体が欲しくないかと聞いてきたではないか。


「現実でも如何わしいことをしようなんて……」


「君、やっぱり面白いね、体というのはマテリアルのことさ」


「!」


「欲しいだろう?向こうでもアヤメや他の仲間達と会いたいだろう」


「!!」


 こいつ...


「……あなたは誰ですか?教官…ではないですよね?」


「いいやちゃんとした教官さ、確かにここで生まれた存在ではないけどね」


「勿体ぶってないで答えてください」


「僕はゼウス」


「ふざけてるですか?どうして最高神と言われた神があんな気持ち悪い手紙を書くんですか」


「あれ、本当なんだけどな……」


「…?まさかマキナ?」


「そうさ、グラナトゥム・マキナが一人、ゼウスとは僕のことだよ」



 ゼウスと名乗ったマキナは囲炉裏がある部屋から廊下に出て、その先にあるこの日本家屋で一番大きい庭園へと来ていた、勿論何をしでかすのか分からないので私も後を付いて行く。

 菰が巻かれた松の木や、厳しい灯篭が置かれた庭園を眺められる縁側に腰をかけて隣に座るように促してきた。三人分の間隔を開けて座り、溜息と共にゼウスが話しを始めた。


「僕がここに来た理由は一つ、君達の手助けをするためさ」


「で?」


「全く警戒されているね、まぁいいけど」


「全くの使い方間違ってますよ」


「いやいや、全くとは欠けることなく完全なという意味さ、君達の使い方が間違っているのさ」


「はぁ、勉強になりましたそれでは警察を呼んできますね」


「はぁ…………いいかいマギリ君、僕はティアマトに許可をもらってここにいるんだ、警察を呼んだところで何ら意味はない」


「全く意味がない、ではなく?」


「それが間違い....君は話題の誘導が上手いね、益々気に入ったよ」


 さっきはあんなに行儀が良かったのに、今度は片膝を立てて日本庭園を見ている。


「………はぁ、本当にマキナって人達は本当に自分勝手なんですね、急に現れたり私を勝手に作ったり」


「君は二番目さ、一番目は既にマテリアルを持って現実で皆んなと触れ合っているよ」


「は?」


「作ったのは僕ではないんだけどね、グガランナが作った物だ」


「…」


 その名前は確か...アヤメと仲が良い友達だったはず...友達とはティアマト達と同じマキナだったのか。


「…それで、私に何をさせる気ですか」


「プエラを処分してくれないかい、今後彼女が邪魔になってくるんだ」


「…は」


 意味が分からない。あの女の子を...殺せというのか?

ゼウスは私にまるで興味がないように前を向いている、雲に隠れていた月が姿を現し日本庭園と、それを望むゼウスの顔を朧げに照らした。


「あぁ、言っておくけど殺せと言っている訳じゃないんだ、ここから退場させてくれたらそれでいい」


「…」


「いずれ向こうには大挙としてノヴァグが押し寄せてくる、あれではいくら人型機を操れるようになったからといって対処は出来ないだろう」


「それがどうして……あの子を退場させることになるんですか?」


「ノアの方舟、聞いたことぐらいはあるだろう?」


「確か……」


 聞いたことはある。世界が大洪水に飲み込まれる前に人や動物達を生かすために作られた船、だったはずだ。


「知っているならそれでいいさ、ここにいる人間達だけでも生かしたいのさ、僕なりの気づかいだと思ってくれていい」


「………向こうはどうなるんですか」


「終わる、下層が破壊されたらテンペスト・シリンダーの機能が働かなくなる、そうなってしまえば………そうだね言うなれば彼女達の住む街が無くなってしまうのさ」


「…」


「君達は仮想世界で訓練を受けた後は、向こうに戻って殲滅作戦を開始するんだろう?」


「そうです、私は参加出来ませんが……」


「その方がいい、あれは異常だ、彼女の何があそこまでさせたのか甚だ疑問だけどね」


 要領を得ない。何の話しをしているのか。


「…私がここで断ったらどうするんですか」


「どうもしないさ、一つ溜息を吐いてまた旅に出るだけさ」


「…」


 何なんだ勘弁してくれないか本当に。アヤメと再会しただけで頭が一杯なのに今度は女の子を退場させろだの、向こうが終わってしまうからここを方舟にするだのと。それに私が二番目?つまりティアマトは別のデータを作っていたということか、どうしてそれを私に教えたんだこのマキナは。


「なら、溜息を吐いて旅に出てください」


 少し眉を上げて私に振り返った。そしてさっきのように目を細め観察するように続きを促した。


「理由を聞いてもいいかい?僕の提案に乗らないのは何故だい?」


「信用に値しないからです」


「嘘を吐いているとでも?」


「いいえ、プエラという女の子を退場させるためだけに私に近づいてきたんですよね、その後が分かったものではありません」

 

「…」


 やおら立ち上がり縁側に佇むゼウスと呼ばれたマキナが宣言した。


「プエラ・コンキリオはいずれ、君達の敵になる存在だ、彼女の役割はテンペスト・ガイアの元で指揮を取ることだ、そして女王は人とマキナから生存権を剥奪するつもりでいるんだ」


「何でそんな事を私に……」


 ムカついた。ゼウスと呼ばれたやっぱりクソ野郎の言葉に腹を立ててしまった。


「君が蚊帳の外だからさ」


 瞬きをした間に姿を消した。

まるで姿を消すのを待っていたかのように、玄関の扉が開きナツメさんが帰ってきた。私は走り出し廊下を歩いてきていたナツメさんにタックルをかまして拘束した。



 私がタックルしたせいでみぞおちが痛いと嘆くナツメさんを無理矢理私の自室へと連れて行く。

 あの時目覚めた部屋をそのまま使っている、部屋は八畳もあってやや広くて掃除が面倒臭いけど気に入ってはいる。赤茶の座布団をナツメさんに押し付けて部屋の真ん中に座らせた。私が怒っている理由を察したのか、部屋に入ったあたりから嘆くのをやめ、何から言おうかとその顔はどこか思案顔だった。


「アヤメのことだな、訓練校で会ったのか」


「イエス」


「理由は簡単だ、模擬戦の時に手心を加えないようにするためだ」


「…何で悪い言い方をするんですか、私に気をつかってくれたんですよね?」


 分かっているなら何でタックルしたんだ、と恨みがましく睨んでくる。私が怒っているのはその事ではない。


「どうして終わった後にでも教えてくれなかったんですか!私、シャワールームで素っ裸で再会したんですよ!」


「それは……私が悪いのか?」


 首を傾げたナツメさんにチョップをお見舞いする。


「分かった、悪かった、お前が向こうに行きそうでな、心配だったんだよ」


「……ん?」


 今、何と。


「嫉妬だ、お前とアヤメは随分と仲が良かったんだろ?………まぁ嫉妬が全てじゃないが黙っていたのはそれだよ」


「えへへへぇ、そうですかぁ、ナツメさんがぁ嫉妬ぉ、えへへへ」


 顔を赤くしてかぶりを振っている、恥ずかしいことを無理矢理私が言わせたんだ。


「まぁ分かりました、それはいいです、後この家にクソ教官が入り込んでいました」


「…は?それは……不法侵入?」


「いいえ、それが自分のことをゼウスと名乗っていました、ティアマトにちゃんと許可をもらって遊びに来たと言っていましたよ」


「……マキナか、でもどうしてこの家に来たんだ」


 ナツメさんにはゼウスから言われたことを全部伝えた。私には荷が重すぎる話しばかりだったからだ、プエラと呼ばれた女の子のことも、現実世界に迫っている敵のことや破壊されると住む場所が無くなってしまうことも。話し終えると下げていた頭をゆっくりと上げた。


「………そうか、お前の話しは分かった」


「………すみません、私一人で抱え込める内容ではなかったので……」


「いやいいさ、それよりお前には礼を言わんとな、プエラを庇ってくれたみたいで、感謝する」


「……いえ、そんな……」


 あぐらをかいていたナツメさんが両膝に手をついて深く頭を下げている。私はあまり嬉しくなかった、そんなに思っている相手なのかと勘ぐってしまったからだ。


「それと、向こうの敵については、どうしようもないなこればっかりは、こっちから出来ることが何もない」


「…大丈夫なんですか?ゼウスの奴もあれは異常だって言っていましたよ」


「……一度きちんと問い正した方が良さそうだな…ティアマトさんは何も言わないからなぁ」


「……すみません、何か私だけ向こうに行けなくて…」


「私はその方がいい」


「え」


 ショックだった。まさかナツメさんからそんな事を言われるなんて思わなかったから。あんなに訓練を頑張ったのに...


「お前を失いたくはないからだ、変な勘違いはするなよ」


「へ」


「お前はいくら人型機の腕が上がったとはいえ、実際の戦場は知らんだろう?素人がうろついて生きて帰れる程優しくはないんだ」


「へー、素人、素人ですか、へー」


「……何だ?」


「いいえ別に!素人!そうですか素人!!」


「怒ってるのか?」


「怒ってませんよっ!!!」


 私の怒鳴り声に身を引いている。


「……お前な、ムキになるなよ」


「私だってね!色んな事考えながら訓練しているんですよ!それを素人だなんて!」


「ならお前は目の前で人が死んだところを見たことがあるのか?」


「…」


「そういう事を言っているんだ」


 その言葉を最後にナツメさんが立ち上がり、部屋から出て行く前に私に言葉を投げかけた。


「見なくていいものはいくらでもある、とくに人の死体がそうだ、それだけで判断力も気力も奪われるんだ、お前はそのままでいろ、いいな?」


 しかし、私はこの後嫌という程見る羽目になったのだった。



40.c



『出発してから一日と四時間後』



 中層でピューマ達を収納した後は幾ばくかの遅延はあったものの予定通りに航路についた。仮想展開された月の明かりを受けて進む空の道を照らしている、眼下には久しく灯されなかった街の明かりがまるで篝火のように点いており、元気で言う事を聞かなかったあの四人組も無事に寝床に着いたことだろう。


「またか…」


 マキナの司令官がバウムクーヘン型と呼んだグガランナ・マテリアルのブリッジには儂一人。一つのサブ・コンソールの前に陣取り隠していた酒を嗜みながら月を肴にしていたところだった。しかし、コンソールからは先程から仮想世界で訓練を受けているはずのナツメが、何度も現実世界で覚醒していると知らせが届いていた。

 それに奴らはサーカディアンリズムを弄られこちらでの一時間あたりに二日も過ごしていることになっている、そして覚醒した回数は一時間で六回、つまり向こうで日に三回も死亡したことになっているのだ。


「一体何が…」


 周囲を見やる。月の明かりを堪能するためにブリッジ内の照明はわざと落としてある。コンソールの目に悪い明かりと月の優しい光に照らされた薄暗いブリッジには、勿論儂以外には誰もいない。メイン・コンソールはその主を失いブリッジにその玉座を現している。ティアマトとグガランナが艦体の後方にある居住区エリアに足を運んでいるためだ。


「ふぅむ……」


 グラスが空になったらあの上品に口喧しい二人の所へ行くか、酔いが少し回った頭で月明かりと同じように朧気に考え、一口酒を呑み込んだ。



✳︎



「どういう事かしら…この一時間でポッドで治療を受ける回数が跳ね上がっているなんて…向こうで一体何が……」


 仮想世界から帰ってきたグガランナが衣服の乱れも直さずに虚空を見つめながら小声で呟いた。服はマテリアルを製造した時に着ていたものではなく、上層でアヤメに選んでもらい購入した服だった。この子は仮想世界に行く時は決まってその服を着るのが習わしとなっているようだ、赤いセーターは肩からはだけでしまい下着のブラジャーが顔を覗かせている。

 それにしたって頭が痛い。グガランナの言う通りこの一時間でナツメとアヤメは何度も仮想世界で死亡扱いとなって現実世界に戻ってきているのだ。身体に深い影響は無い、だからといってそう何度も覚醒していいものでもないのだ。

 夜空に浮かんだ丸い月に薄暗い部屋が照らされ私もグガランナも優しくもまるで、その姿と心の内を暴いているようだった。


「恐らくだけど、向こうでクモガエルと模擬戦をやっているのよ、そして命を投げ捨てているのだわ」


「投げ捨ててって……止めなくていいの?」


 ようやく衣服の乱れに気づいたのか、それでもあまり気にしていないように見えていた肩をセーターで隠しながら私に問い掛けてくる。


「これも訓練のうち……と言いたいところだけど、そうね、覚醒したタイミングで事情を聞いてみるわ」


 腰をかけていた椅子から徐に立ち上がり、月の明かりが照らしたくれた通りに歩みを進める。すぐにグガランナが身を横たえているベッドに辿り着きすぐさま投げ出していた足をぺちんと叩いた。


「痛い、何するの?」


「あなたの下着に興味はないわ、早く隠しなさいな」


 私の注意に頬を染めて長くて薄い生地で裁縫されたスカートの裾を掴んで素早く払った、今更行儀良くしたところで遅いのだが私の注意を受けたくなかったのだろう、足を揃えて居住まいを正した。

 眉間を寄せた表情で睨むグガランナに一声かけてやろうと口を開いた時にまたオリジナル・マテリアルで誰かが覚醒したようだ、しかも今度はあのテッドのようだ。少女のように柔らかい印象と常に一歩引いた奥ゆかしいあの子までもが死亡してしまうなんて、いよいよ仮想世界で予期していた事が起こった証拠だった。

 投げ出していた足を今度は床に置き、散々注意してようやく様になった座り方で腰をかけていたグガランナに手短に説明しすぐさまテッドに連絡を取った。


「テッドも目覚めたみたいね、今から連絡を取るから少し待っていなさい」

 

「えぇ……テッドも?」


 怪訝な表情で答えるグガランナを他所にオリジナル・マテリアルに置かれた医療用ポッドへ通信をかけ、それと同じくしてこのマテリアルの視界をオリジナル・マテリアルと同期させた。起き上がってくる彼らの様子をこの目で確認したかったからだ。

 医療用ポッドが置かれている部屋はオリジナル・マテリアルの二階、円周状に配置された計六個のうちの一つが、準危険状態を示すオレンジ色のランプを明滅させていた。ポッドの扉の透過率を変えてテッドの体を直接確認した瞬間、思わず奇声を発してしまった。


「はゃあ?!!」


「?!」


 つ、付いている。何が?と聞かれると口には出せないが付いていたのだ。当たり前だ、あの子は生物学上「雄」に分類されるからだ。

 私の奇声にドン引きしながらもグガランナが声をかけてくる。


「ティアマト?どうしたのかしら……」


「なん……でもないわ、気にしないでちょうだい、大人の階段を登っただけよ」


「はぁ?」


 視界は同期させたままにしているのでグガランナの表情は分からないが、さぞかし眉根を寄せていることだろう。

 気を取り直して覚醒したばかりで、まだ焦点が定まっていないテッドに声をかけた。


「おはようテッド、気分はどうかしら?」


[あれ……ティアマトさんの声が……ん〜]


 私の声に反応して身動ぎをしている、声の出所を探っているのだろう。


「通信しているだけよ、そばには誰もいないわ」


[あ、あぁ、そっか今は上層の街に……あれ、そうかここはティアマトさんのマテリアル…]


 徐々に意識も覚醒しだしたのだろう、次第に焦点も定まり口調もしっかりとしてきた。

頃合いだと思い仮想世界で何が起こっているのか確認と、少しばかりの注意も含めてあの六人の中で唯一の男の子に話しを続けた。


「テッド、仮想世界で何が起こっているの?それと簡単にこっちに戻ってきては駄目よ、他の皆んなにもそう伝えてちょうだい」


[はい…すみません、今は訓練校が総出でクモガエルの駆除をしているところなんです、けれど敵が強すぎて……ナツメさんもアヤメさんも「死んで敵の動きを覚えるしかない」と言って、何度も特攻を仕掛けているんです……」


(思った通りだわ…頭が痛い……)


 吐きそうになった溜息を堪えてさらに会話を続ける。テッドの顔色も随分と良くなりいつでも仮想世界に飛ばせるのだが、本当にこのまま行かせてもよいのかと少しばかり不安になってしまった。


「それであなたも特攻を仕掛けてこっちに戻ってきたのかしら?」


[いえ、僕は僚機を庇って……あぁでもそうかもしれません、皆んな熱に浮かされたみたいになっちゃっているのでもしかしたら僕も……]


「はぁ」


[すみません…]


 駄目だ、結局吐いてしまった。

しかし、悪い空気を吐き出したおかげか頭の中に一つの妙案が思い浮かんだ。それに、前にアヤメと電話を介して通信した時も「私に会えるからこっちに来て臭いの原因を調べろ」とも言っていた事を思い出したのだ。行くしかないわね。


「テッド、あと数十分はポッドで待機していなさい、いいわね?」


[はい分かりました、お母さん]


「おかっ?!」


「?」


 グガランナが私の発言に訝しむ気配を感じつつも、準備を始めるために通信を切った。



✳︎



 何が楽しくて渋いおじさんとドライブをしないといけないのか...


「タイタニスさん?本当にこっちでいいのか?」


 五年もローンを組んで買った車の中には、私とタイタニスと呼ばれた行儀の良い中年マフィアが肩を並べている。軍事基地に勤めていた時は移動用にしか使っていなかったのでいつも綺麗に掃除してあったが、最近は各区へ出向く時の足代わりになっているので私の履いてるスニーカーと同じぐらいに車内も汚れてしまっている。後部座席には食べ終わった後の包み紙や袋が散乱しその上に重要書類と表示されたペーパーブックが置かれていた。間違えて捨ててしまいそうだ。

 サイドミラーを見ているタイタニスが顔も向けずに答えた。


「合っている、そのまま進んでくれ」


「何を見ているんださっきから」


「…」


 タイタニスと軽い打ち合わせをした後、廃棄場所の下見に行くことになった。軍事基地を出発して、まだまだ働いている人を詰め込んだ建物の合間を縫うように車を運転している。お店の看板や広告には、先日現れた巨大船をモチーフにした商品を売り出していることが書かれており、今のカーボン・リベラではちょっとした話題になっていた。

 車内のアンビエントライトに照らされた男の顔を伺う。会った時から整えられた眉をしかめて何やら思案顔だった。


(大丈夫なのかぁ…こいつ…)


 言われた通りに車を運転しているが向かっている場所は住宅地だ、確かアヤメも住んでいた区画だったはず。

 安全運転しているのか脇見運転なのか分からない前の車に少し苛ついていると、建物の谷間を抜けて住宅地へと繋がっている幹線道路に入った。見下ろしていた建物もなくなり遠目には博物館を囲っている小さな森が見えている。

 車に乗ってから一度も視線を動かさなかったタイタニスが私に顔を向けた。


「尾行されている、気を付けろ」


「んん?!今何て言ったんだ?!」


「後ろに車が一台、軍事基地を出た後すぐだ」


「あんたそれでずっとサイドミラー見ていたのか?」


「そうだ」


「いやいやいや…こんな映画みたいな展開は期待してないんだけどな……」


「これはフィクションではない」


「どうすりゃいいんだよ監督さんよ、尾行されたことなんて一度もない素人だぞこっちは」


「左に切れ」


「ん?…うぅぎゃあああ?!??!」


 切れとか言っておきながら自分で切りやがった!!

予想に反した動きをする機械程怖いものはない、目前に見えていた行き先を示す案内板の下を通ると思っていた車が急制動を行い、運転席の扉側に体が振られてしまったのだ、頭はパニックだ。

 ルームミラーを確認すると確かに、慌てて私達の車に付いてきた一台のバンが見えている。蛇行運転をしながら迫ってきていた。

 タイタニスの太い指をした手から無言でハンドルを奪い返す。


「あれは何だ?!あんたの知り合いか?!」


「そうだ」


「おいおい、頼むよぉ私は平穏に暮らしたいだけなんだよぉ」


「後少しの辛抱だ」


「本当かよ……ひっ?!」


 運転席側のサイドミラーを見て戦慄が走った。後ろのバンに乗っていた男が身を乗り出し銃を構えていたのだ、しかもその男が今まさに隣に乗っているタイタニスにそっくりだったのだ。


「なぁなぁあんたには双子の兄か弟がいるのか?頼むから身内の喧嘩に巻き込まないでくれないか?」


「……やはりあいつか」


「意味深なこと言ってないで早く何とかしてくれぇ!!ひぃぃ!!!」


 窓ガラスを締め切った状態でも聞こえてきた発砲音に身を竦め、間を置かずに車に被弾する音が周囲一帯に鳴り響いた。気が気じゃなかった。


「おい!どうすんだよこれ!あんたがローンを払えよな!!」


「生憎だが収入がない」

 

 馬鹿なやり取りをしている間にも銃撃は続いている。割られた後ろの窓ガラスから風が入り込み重要書類と書かれたペーパーブックが舞い上がったところで、タイタニスが徐に片手を上げてまるで見えないピアノを演奏しているように滑らかに指を動かし始めた。


「おいっ、あんた、」


「静かにしてくれ、今処理しているところだ」


 タイタニスの顔を見れば、まるで悲しんでいるようだ。本当に兄弟だったのか?

悪い事をしてしまったと勝手に反省していると続いていた銃撃がやみ、それどころかバンのスピードも緩やかに落ちていった。そして路肩に車体をぶつけて甲高い音を鳴らしながら停車した。

 さすがにこのまま運転出来る程の余裕はなかったので私も路肩に停車して、詰めていた息を吐き出した。


「はぁー」


「すまなかったな、我の不手際だ」


「意味が分からない、あれは一体誰だったんだ?」


「我のマテリアルだ、他のマキナに掌握されて尾行に使われてしまったのだ」


「…」


「言ったであろう我の不手際だと、初めて起動させたこのマテリアルを感知して奴が仕掛けてきたのだ」


「…その奴ってのは誰なんだ?」


「テンペスト・ガイア」


 「この大地を管理している我らの」というところまでは聞いたが、我慢にならなかったのでグーパンしてやった。結局身内の揉め事に巻き込まれただけではないか。



「いやぁー寒いなぁタイタニス、あんたは平気そうだが生憎私は人間でなぁ、体だけじゃなくて財布の中身も凍えそうだよ」


 博物館前の道路で襲撃をしてきた奴らとお別れし再び幹線道路に乗って住宅地を目指した。途中何台かの車とすれ違い奇異の視線を向けられてしまった。無理もない、後部座席の窓ガラスは割れ車体のあちこちに穴を開けているからだ。

 視線に耐えながら何とか目的地周辺に辿り着き、出来の悪い中年マフィアナビに従って車をゆっくりと走らせる。両隣にマンションビルや一軒家が建ち並ぶ通りを走っている時は人とすれ違わないかと冷や冷やした。

 私のこれ見よがしの嫌味にもきちんと応える。


「だから我には収入がないと言っているだろう」


「あんたの体があるじゃないか」


「…労働しろと?」


「他にあるか?ん?あんたの義とやらは大した事がないんだな」


 思った通りに売り言葉を買ってくれたみたいだ。


「いいだろう、お前が納得するまで労働としてこの体を提供しよう」


 高架下を通りながら周りに車や人がいないかチェックしながら走る。こんな所で鼠取りをしている警官隊にでも見つかってしまったら何を言われるか分かったものではない。


「いいのか?そんな安請け合いをして、ナツメとも取り引きをしているだろう?」


「奴からの依頼は簡単な事だ、下層域の明かりに明暗を付けるだけだからな、そりよりも奴らが少しばかり骨が折れるだろう」


「よく分からんが、了承したということでいいんだな」


 ここで逃す訳にはいかないと念入りに言質を取りにいく。


「構わん」


 街灯の明かりを受けたサイドミラーにはにんまりと笑っている私の顔が映っている。

そうこうしていると、タイタニスが手を上げて車を停めるように指示を出してきた。

 着いた場所は、住宅地からも少し離れた空き地のようだった。さらに近くには溜池があり、街灯の明かりを歪に反射している。


「んー?」


 どうやら水面ではなく何やら丸い物体が浮いているようだった。それも辺り一面、水面が露出しているところはなくびっしりと敷き詰められていた。


「…………もしかして、」


 私がタイタニスに声をかけようとした時、背後から女性の声が聞こえてきた。そして私の質問にタイタニスの代わりにその女性が答えた。


「そう、ここがカリブンの廃棄場所よ」


 後ろを振り向くと、タイタニスと瓜二つの中年マフィアが立っているではないか。


「あんた…良い趣味してんなぁ、悪い事言わないからあれはやめておけ、どんな感性をしていたら中年マフィアの姿で女の声を出そうと思うんだ?誰にうけんるだ?」


「静かにしろ」


 タイタニスが私の突っ込みを一蹴しオカマ中年マフィアへ向き直った。


「何か用か、テンペスト・ガイア」


「やはりあなたは人間を選んだのね、その選択はいずれきっと後悔することになるわ」


「質問に答えろ、何か用か?」


「ただの挨拶よ、これがあなたと個人的に会うのが最後になるだろうから」


「結構だ、すぐに消えろ」


「…」


 テンペスト・ガイアと呼んだ中年マフィアがいくらか傷付いた顔をした。


「…そうね、もうお暇させてもらうわ、何かと準備に忙しいし、それにあの子も迎え入れるためにやらなくてはならないことがあるし、せいぜい残り少ない余生を人間共と楽しみなさい、タイタニス」


 告げ終えたと同時に足から力が抜けたようにその場で崩れ落ちてしまった。固い地面に人間が倒れる音が辺りに反響し冷や汗をかいてしまった。

 

「どうすんだ、あれ」


 顎でしゃくって処理を押し付ける。


「くだらない事に大事なマテリアルを潰しよって」


 溜池を囲うようにフェンスが立てられ、テンペスト何某が操っていたオカマ中年マフィアのマテリアルは道沿いに倒れている。その倒れているマテリアルを中年マフィアが抱え上げ事もあろうにフェンスの向こう側へ投げ入れた。再び辺りに鈍い嫌な音が鳴り響く。


「お前はそこにいろ、すぐに戻る」


「誰が行くか」


 思った通りにタイタニスもフェンスをよじ登ったあたりで背中を向けて、なるべく他人のふりをした。道路を挟んだ向こうには民家が立ち並び今頃は家族で食卓を囲んでいるか、団欒しているか、私はすっかりご無沙汰になってしまった激しい夜を過ごしているかもしれない、そんな彼らに音が聞こえていないか怯えながら待っていると何か大きなモノが溜池に落ちた音がした。


「はぁ…あれが人間だったらただの殺人だぞ…」


 溜池に身内を投げ入れたタイタニスがストールを風になびかせながら私が立っている所までゆっくりと歩いてくる。遠くに見える主要都市のビル群を背景にして歩いてくるタイタニスはいよいよマフィアにしか見えなかった。


「待たせたな」


「……いや別に、本当にあれはマテリアルなんだよな?」


「おかしな事を聞く」


 私の質問に初めて笑みを見せた。薄い唇を上げ目を細めるその笑い方はどこか温かみを感じるものがあったが、忘れてはいけない。人の姿をしたマテリアルを容赦なく池に投げ入れるような男だ。

 大きなお世話だと思いはしたが小言を言わずにはいられなかったので遠慮なく言ってやった。


「あんたな、身内とは仲良くしておけよ、一番ごたごたして面倒臭いんだ」


 ま、遅いかもしれないがと付け加える。

それに再び笑うように冷たいのか温かいのか分からない男が答えた。


「今更だな、我と奴には和解というものはない」


 何せ、と少し視線を外し、


「昔は互いに殺し合った仲だからな」


 と、どこか懺悔のようにも感じ取れる言葉を呟いた。



40.彼と彼女ら



 ティアマトが創造した仮想世界は大きく三つに街が分けられている。一つが訓練校と呼ばれる、彼女達が人型機の操縦ライセンスを取得するために通い詰めている学校が置かれた街、もう一つは坂の上に築かれた都市再開発の真新しい建物が目立つ街だ。さらにもう一つはこれらの街から海を隔て大橋を渡った先にある、ビル群とベッドタウンがある労働者に大変喜ばれそうな街がある。

 そのベッドタウンは今や、労働者を労る地ではなくなり至る所に夥しい血痕と見たことも聞いたこともない虫の死体が散乱していた、景観も何もない。あるのは汚れて異臭を放つ血痕と死体、それから建物には穿たれた人の手では恐らく不可能な大きな穴が空いていた。

 人型機。正式名称は特殊災害対応型戦闘機。荒廃した地球環境で起こり得る様々な災害に対応する事を目的として製造された、人を模した鋼鉄の巨人。その役目はテンペスト・シリンダーが竣工した後は終えるだろうとされていたが、今まさしくこの仮想世界で戦闘機エンジンの八倍相当の出力から生み出される巨人の力を、ティアマトの計らいで模擬戦目的として製成されたクモガエルと呼ばれる虫達に遠慮なく振るっていた。

 ベッドタウンの一画に「7」とペイントされ彼女が入刀雲と間違えて呼んだ絵が描かれた機体が、膝を地面に付け建物の向こうを伺っていた。程なくして二体のクモガエルが異音を発しながら獲物を求めて建物の陰から踊り出てきた、初めから彼女の機体に狙いを付けていたのだ。


「ちっ!!」


 待ち伏せが失敗したと判断した彼女は素早く機体を翻し破壊された建物をさらに壊しながら、ベッドタウンに沿うように輝いて見える海辺へとひた走った。

 彼女の動きを見ていた「1」とペイントされた機体がまるで馬鹿にするように通信を行った。


「あっれぇ?ナツメさぁん?せっかくのチャンスを棒に振るんですかぁ?」


「見ているなら援護ぐらいしたらどうなんだこの性悪女がぁっ!!」


 ナツメと呼ばれた、別称「畑荒らし」の渾名を持つ七番機のパイロットがコンソールに向かって唾を飛ばした。援護もせずに馬鹿にされるのだ、いくら彼女がリーダー格としての器があろうとも怒鳴り声を上げたくもなるだろう。

 昔に使用されていた英単語を知らずに使っている一番機パイロットが、ナツメの呼びかけを無視しあろう事か味方越しに大型アンチマテリアル・ライフルを構えたではないか、人と同じ大きさのボルトを引きボルトアクション方式のライフルに貫徹鉄鋼弾を装填した。本当に撃つつもりだろう、一番機パイロットの面影はヘルメットのバイザーに隠れてしまい伺うことは出来ないがその動作が物語っている。それに慌てたナツメがさらにコンソールに向かって唾を飛ばした。


「お前!ふざけるなよ!」


「殺らないナツメが悪い」


 海辺からライフルの照準を合わせていた一番機が、建物を破壊しながら走って来ていた七番機に的を絞りその後ろに迫っていた敵ごと撃ち抜く算段だ。およそ人間が取る行動でも作戦でもない、この行為は仮想世界だからこそ取れる愚かな行為であった。

 味方に撃ち抜かれる訳にいくまいとナツメが背中に回していたライオットシールドを手に取り前面へと突き出す。これでは誰が味方で誰が敵かまるで分からない。

 それでも、黄色のアイリスが添えられた一番機は迷う事なくトリガーを引いた。砲身から発射炎とフラッシュを伴いながら一発の貫徹鉄鋼弾がナツメとクモガエルを貫かんと飛翔する、名前の通り鋼鉄の巨人すら貫く威力を持った弾丸だ、容易くナツメも敵も諸共屠ることであろう。


「くそっ!また私の負けか!」


「へっ!弱いナツメが悪いんだよ!」


 その汚い笑い声と共に七番機とクモガエルは弾丸に撃ち抜かれ味方も敵も交えて地面に倒れ伏した。

 機体から上がる炎と死体から昇る異臭に海辺が支配された時に別の方角から歩いて来る十九番機の姿が見えた、さらに後方には二十五番機の姿もある。彼らは真新しい街で兄妹のように距離を縮めており、その仲の良さもこの異常な戦場にあっても変化がないように見える。しかし会話の内容を聞く限りでは彼らもまた、異様な空気にあてられてしまったようだ。


「ね?だからアヤメが勝つって言ったでしょ?」


「今度こそナツメさんが勝つと思っていたんだけどねぇ……残念だよ」

 

 彼ら二人は仲良くどちらが先に死ぬかを賭けていたのだ、そしてアヤメと呼ばれた一番機パイロットが仲間ごと敵を殺したことに十九番機が喜び、ナツメが死んだことに二十五番機が悔しがっていた。

 異常な光景だった。ここが仮想世界だからと言い訳も出来ない程に、彼と彼女らはいくら倒れても死なない仮想の命に狂っていたのだった。

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