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第三十八話 それぞれの関係

38.アヤメ



 仮想世界で訓練を受け始めて一ヶ月が過ぎた。すっかり人型機の操縦も手に馴染み私は班の中でもトップクラスと言われる程に成長していた。

 機体の初期動作の試験も合格、まぁ銃の扱いは特殊部隊で叩き込まれていたし元々慣れていることもあってトップ成績で試験に合格した。それに模擬戦も負け知らずで「常勝不敗のアイリス」と渾名まで頂戴した。

 そんな順風満帆に見える仮想世界での暮らしにも一つだけ大きな悩みがある。プエラだ。


「お帰り」


「ただいま」


「試験はどうだった?」


「まぁまぁ」


「そっか」


「私、今日は友達の所に行ってくるから」


「晩ご飯は?」


「いらない」


「気をつけてね」


「…」


 玄関に鞄を置いてそのまま出て行く、いつものことだ。

プエラの軽すぎる鞄を持って黒電話と台所の間にある急勾配の階段を手をつきながら登る。上がったすぐ前の襖の部屋が私、そして左手の奥に洋室が一つだけあってそこがプエラの部屋だ。私とプエラの部屋の間には物置部屋?四畳しかない部屋があり、その反対側に大きめのベランダに出られる建て付けの悪い扉がある。汚れたガラスの向こうにはさっき干したばかりの洗濯物が気持ち良さそうに風になびいていた。


(洗濯物になりたい)


 洋室の扉を開けてあまり中を見ないようにしながら入り口に鞄を置いてすぐに閉める。開けた時に漂ってきた匂いはスナック菓子のものだ、昨日はプエラの友達が家に遊びに来ていたのでうるさかった。

 毎日これだ、プエラは友達の所に行くか家に呼ぶかのどちらかで常に誰かしらと一緒にいる。私と会わないようにしてるのか...一ヶ月前に一緒に買い物に行ってからは一度も二人で行動したことなんてなかった。話しだってまともにしていない。


(何で私なんだろう)


 疑問と溜息とちょっとした苛立ちと一緒に一階に降りてご飯の用意をする。階段を降りる時は斜めになった天井にビールを片手に持った水着姿の女性のポスターが貼られているのが見える。


(あれ、いつか剥がしたい)


 邪魔。あの笑顔に見下ろされながら階段を降りたくない。誰だあんな所に貼った奴。

 一階に降りて台所へ向かう。前に仮想世界で住んでいたマンションと違ってここは古いけど、その代わりに料理をするスペースが広いので何だかかんだと気に入っている。前の台所はまな板一枚置いただけで一杯だったスペースが、今は三枚並べてもまだ余裕があるのだ、並べたことはないけど。

 ここに来た初日はナツメから電話がかかってきた、何か飲む物はないのか、と言われて知らんがなと思いながらも対応したのが随分と昔のように思える。それっきりだ、あれから電話はかかってこない、だから私もかけない。


(私がナツメと一緒だったら…)


 きっと毎日毎日何かと理由をつけてキスをせがんだに違いない。まぁナツメはまだ私のことを避けているみたいだからキスなんてしてくれないんだろうけど。


「はぁ…」


 今日は適当でいいや、どうせ私一人しか食べないんだから。そう思って戸棚を開けると空っぽの醤油が出てきた。


「あー買ってくるの忘れてた」


 しょうがないと思いもう一度階段を登って自室へと戻り上着と財布を取って、またポスターに見下ろされながら降りる。玄関の下駄箱の上に置きっぱなしの自転車の鍵を持って外に出る。今日の訓練は昼一番に終わったのでまだ太陽は高く日差しもさんさんと降り注いでいた。入り口の近くに停めてある自転車のサドルをぱしぱし叩いて熱さを確認する、今日もこんがりと目玉焼きが焼けそうな程に熱い。前に一度、うっかり太ももでサドルを挟んでしまい坂の上にある新しい街の通りのど真ん中で「熱い!」と一人で叫んだことがある、恥ずかしさと痛さで涙目になりながら家に帰り、屈辱と共に太ももに軟膏を塗ったあの時間は永遠に忘れない。

 誰も守らない横断歩道の手前を左に曲がり、横目に神社の森を見ながらペダルを漕いでいるとクマゼミの大合唱が聞こえてくる。この仮想世界に来て虫や動物を沢山知ることが出来た、どれだけ私が上の街にいた時に無頓着であったことか。


「ニャー」


 左手に建ち並ぶ民家の堀の上に三毛猫が尻尾を垂らしてあくびをしていた。自転車を停めてのんびりとしている猫に近づいて行く。


「にゃーにゃー」


「ミャー」

 

 猫語を話すと逃げずに撫でさせてもらえると分かったので、周りに誰もいないことを確認してからよく猫語を話すようになった。


「にゃー、にゃー?」


 ぺろぺろと前足を舐めて毛繕いをしている。いくら日陰になっているとはいえ熱くないのかな?と思いながら頭を撫でていると家の主さんが出て来た、袴姿のおじさんだった。


「おや、もう一匹猫が住み着いたと思ったら君だったのか、上手に鳴いていたから分からなかったよ」


「あ、いえ、すみません、変なことしてしまって」


「いいさ、そいつも一人でいつも私の家に来るからね、構ってやって、それじゃあね」


 そう言っておじさんが横断歩道の方へと歩いて行った。


(恥ずかしぃー!)


 慌てて自転車に乗り逃げるようにペダルを漕ぐ、黙っていたクマゼミがまるで恥をかいた私を見計らったかのように鳴き出した。


(さっき鳴ってよ!!)



「はー涼しい」


 三毛猫と別れてペダルを漕ぐこと十分ちょっと、一番近くのスーパーまでやって来た。大型の駐車場には何台もの車が停まり家族連れや喧嘩しているお年を召された夫婦の人達と一緒に店内に入った。入り口近くのカゴを取ろうとした時、


「あ」


「あ」


 ナツメが口を開けて立っていた。


「買い物?」


「あぁ、お前もか」


「見れば分かるでしょ」


「何で喧嘩腰なんだ」


「それ恥ずかしくないの?」


「この服か?気に入っているんだがな」


「コスプレしてるみたい」


「それは褒めているのか?」


「ううん馬鹿にしてる」


「お前…」


「怪我はもう大丈夫なの?」


「見れば分かるだろ」


「そ、そんな言い方しなくても……」


「悪い…」


「じゃあナツメの奢りね」


 スーパーに併設されているフードコートを指差す。


「お前」


「トッピング盛り盛りで」


「出すとは言ってないぞ」


「じゃあ仕方ない、盛りで」


「はいはい」


 ナツメを無理矢理フードコートまで連れて行く、他に何人ものお客さんが並んでいたので最後尾に立つ。


「ここ人気があるんだな、よくマギリが口にしているよ」


「マギリは元気にしてる?」


「いいや、人が変わったみたいに訓練しているからそろそろ倒れるんじゃないか」


「止めなくていいの?私の親友なんだけど」


「私が仕向けたからな、それに私も一発殴り返してやらないと気が済まない」


 一週間前にナツメとマギリが模擬戦で重傷を負ったとティアマトさんから聞いていた。二人ともティアマトさんのおかげですぐに復帰したらしく、今は対戦相手にリベンジするために猛特訓らしい。


「仲良くていいね」


「お前はどうなんだ、プエラと仲良くやれているのか?」


「見れば分かるでしょ」


 前の人に距離を詰めながら答える。


「喧嘩でもしているのか?」


「逆」


「逆?仲良くないんだろ?」


「全然喋ってない」


「何でまた」


「合わないんじゃない?私とプエラって」


「そうか?似た者同士だと思うがな」


「えぇそう?どの辺が?」


「キスをせがんでくる辺り」


「やっぱり盛り盛り盛りで」


「いやいや…」


「自然な感じで自慢するのはやめてもらえませんか」


「いやいや、お前が聞いたんだろ」


「ナツメが先に言ったんでしょ」


「いやいや…」


 ナツメとの会話は落ち着く、ずーっと列が進まなければいいのにと儚く思っていると、アイスクリームの店員さんからアイスを受け取った前の三人組がこちらに向かって歩いて来た。そのうちの一人がプエラだった。


「あれー?!ナツメじゃん!!何してんのこんな所で!久しぶりだねー元気にしてた?」


「あーこの人がプエラが言ってた…例の人?」


「かっこいいー!」


「プエラか、久しぶりだな」


 ...あー何かやだなこの感じ。


「何その服!凄く似合ってるね、ナツメ昔の人みたい!」


「それは褒めているのか?」


「ううん馬鹿にしてる」


「こいつ!」


 ナツメがプエラの頭を小突いたところで列から離れた。振り向き様に見えた他の友達らも私と同じ表情をしていたので気にはなったけど、赤の他人だしどうでもいいと食品売り場の方へ足を向けた。背後からはプエラの明るい笑い声が聞こえてきたのでいよいよ腹が立ってしまった。



「はぁー」


 あれから急いで買い物を済ませて家まで戻り、料理をする気にもなれなかったのでご飯パックとレトルトのカレーをまとめてレンチンすると、中途半端に解凍された何ともいえないカレーが出来上がってしまった。もそもそ食べている時のあの惨めさったらない。

 

「あた」


 髪の毛が湯船に浸からないよう頭に巻いていたタオルが解けてしまった。面倒臭いもういいや。


「ていっ!」


 タオルを取って入り口に向かって投げる。

このお風呂は気に入らない、足を曲げないと肩まで浸からないので窮屈だ。窓の外には街灯が見えていて明かりに集まった虫達が何匹か見えている。


(二日…これだけ過ごして向こうでは二日しか経ってないのか…)


 たまに忘れてしまいそうになる、何のためにここに来たのか。下層に押し寄せて来ているくもがえるというまだ一度も見たことがない敵を倒すために、人型機の訓練を受けに来ているのだ。けれど毎日毎日ここで過ごしていると、まるでここが現実のように思えてしまい早く卒業して一人暮らししたいとまで考えたことがあった。


「はぁー」


「ばぁー」


 外から声が聞こえてきた、女の子のような声だけどとても疲れているようだ。おっさん臭い溜息を吐いたらしい。皆んな何かしら疲れたり悩んだりしているんだなと親近感を覚えてしまった。

 鈴虫の音に混じってバスのエンジン音が聞こえてきたところでお風呂から上がり、放り投げたタオルに足を滑らせそうになりながら浴室から出る。鏡に写ったぺったんこの胸に、お前はいつになったら大きくなるんだ、と説教していると玄関の扉が開く音がした。


(あれ、こっちに帰ってくるんだ)


 プエラはてっきりナツメの家に泊まると思っていたのに、どうして戻って来たんだろう。それにドカ歩きだ、踵を踏みつけるように階段を登っている音がして「危ない!」とプエラの叫び声が聞こえてきた。怒りながら登っていたので階段を踏み外して転びそうになったのだろう。

 寝巻きに着替えて台所の冷蔵庫からキンキンに冷えた麦茶を取り出しコップと一緒に居間へと入る。テレビをつけると頭にぬいぐるみを乗せた男性が喋っていた。何だこいつと興味を引かれてしまったので見るとはなしに見ているとプエラが階段から降りてきた。変わらず怒っているようで歩き方も扉の閉め方も荒々しい。


(やだなぁもう、気をつかうんだけど)


 とばっちりがこっちに来ないかと冷や冷やしてしまう。

トイレから出てきたプエラが居間に入ってきた、少し驚きながらも声をかける。


「ど、どうしたのさっきから、怒ってるみたいだけど」


「別に」


 眉間にしわを寄せて突っ返すように低い声で答える。昼間の明るい声は何処へいったのか。


「ナツメと何かあったの?あの後遊びに行ったんだよね」


「アヤメに関係ない」


 奥の襖を開け放ち、私もプエラも使っていない部屋で何やらゴソゴソとやっている音が聞こえてくる、テレビではぬいぐるみ頭の男性タレントが熱心にぬいぐるみの良さを語っているところで、プエラの八つ当たり気味の音で聞こえにくい。早く居間から出て行ってほしかったので物探しを手伝おうと声をかけると、


「何を探してるの?」


「アヤメに関係ないって言ってるでしょ!!」


「…!静かにしてね、周りに迷惑だから」


「うっさい!!」


 怒鳴り返されてしまった。それも二度も。


「…」


「あーもう!どこ?!………あった、こんなとこにあった!」


 ようやくお目当ての物を見つけたようで同じ足取りでこっちに戻ってくる。そして、


「アヤメ、私ナツメの家で生活できるように願い事叶えてもらうつもりだから、いいよね別に」

 

 あぁ…あれを探していたのか。


「……いいよ別に、プエラがそれでいいなら」


「こっちで生活していてもちっとも楽しくない!何で私が、」


 アヤメと一緒になったのか意味が分からない、そう言いながら居間を出て再び階段を登っていった。



[あー…アヤメさん?そろそろ休憩にしましょうか、先生疲れてきたわ]


「なら五分後に戻って来てください、ここで待機していますので」


[あー…何かあったのかしら?良ければ先生が相談にのりますよ?]


「手合わせしてくれたら解決しますので続きをお願いします、もう一分経ちましたよ」


 ひぇぇ!!と言いながら教官が去っていくのを眺める。


「はぁー…」


 溜息ばかり吐いてしまう。

昨日のプエラはティアマトさんから言われていた願い事を叶える手紙を探していたのだ。願いを一つだけ書いて家の前にある郵便ポストに入れる、あとはティアマトさんから返事が返ってくるのを待つだけだ。ちなみに電話受付はしないらしい。意味が分からない。


(何でこんな回りくどいやり方をするんだろう)


 室外実習場は他にも人型機が駐機されているがどれもぼろぼろだ、まぁ私がめった打ちにしたからなんだが。

新しい挑戦者が現れたようだ、肩に「7」の数字をペイントした人型機が入り口から華麗に歩いて来るのが見えた。


[常勝不敗のアイリスと一度は手合わせをしてみたかったんだ]


「あっそう、それなら構えて」


[言っておくが同じ好だからといって手を抜くなよ]


「それフラグって言うんだよ」


 ちなみにだが、私の肩には「1」とペイントされている。ここに入学して自前の人型機をあてがわれた時は何も書かれていなかった、成績順に数字をペイントされていくのだ。一つの班は六名で構成されており私が第一班、ナツメが第二班になるのでその中でナツメが成績トップということになる。言うなれば各班のトップが戦うことになるのだ。


[フラグは折るものだろう?それに私はリベンジしたい相手がいるんだ、強い奴とはいくらでも手合わせをしておきたい]


「はいはい、じゃあいくよ」


 開始の合図も待たずに前へ駆け出す。広い実習場の真ん中にナツメの人型機が拳を構えた姿勢で私が来るのを待っている。その余裕さに腹が立ってしまいさらにスピードを上げた。


[おいおいマギリと同じ戦法を使うのか?お前らタックルが好きだな]


 返事をすることもなくナツメ機に近づき、走りながら右手に拳を構えて、


[お前まさかっ?!!待て待て待て待て!!]


「ふんっ!!」


 足を止めることなく勢いのままに拳をナツメ機の頭部に叩き込んだ。


[うぐぅえっ!!]


 拳で砕かれた頭部からカメラのレンズやら細かな部品が宙を舞う。さらにちなみにだが、ペイントされた人型機の所有権は訓練校から訓練生本人に譲渡されるので修理も自腹、直すのも本人だ。


「弱い」


 仰向けにひっくり返ったナツメ機に吐き捨てるように勝利宣言をする。


[お前……ふざけんなよ……ただの不意打ちだろ……]


「正々堂々と言わなかったナツメが悪い」


[後で付き合えよ、分かったな!!]


 こうして私の不敗記録がさらに伸びるのであった。



 各班には一つ格納庫が与えられ、今私は第二班の所に来ていた。さっきの模擬戦で頭部が破損してしまったのでナツメに手伝わされているのだ。


「お前何かあったのか?」


「?」


「いやいや、お前の機嫌ぐらいすぐに分かるぞ」


「いや、そうじゃなくてプエラはそっちに行ってないの?」


「プエラ?お前が怒っているのはアイスの盛り盛りじゃないのか?昨日は黙って消えただろうに、あの後どれだけ探したと思っているんだ」


「……あ、ごめん」


「相変わらずだなお前、気をつかわせるのが上手い」


「…ごめん」


「?」


 首を傾げながらも機体の修理に戻っている。ナツメの後ろ姿に少しだけ頭を下げてから私も修理作業を手伝うことにした。


「それで、プエラの奴がどうしたって?」


「……そろそろお別れするかもしれない」


「何だそれ」


 ナツメに代えのカメラレンズを渡しながら、ティアマトさんに贔屓してもらっている経緯を説明してあげた。終えたと同時に固まったナツメに気づかずもう一個のカメラレンズを渡し損ねて落としそうになった。


「危ない!」


「あぁいや、悪い……お前よくここまでやってこられたな…三か月の説明を忘れていたって、どうやったら忘れるんだよ」


「私の頭を撫でるのに必死になりすぎたって言ってた」


「はぁー…あの人は真面目なのかふざけているのかよく分からんな」


 今度はちゃんと受け取って頭部のぽっかりと空いた隙間に埋め込んでいく。

人の頭より大きいカメラレンズの周りに固定器具を手慣れた手付きではめていく。


「ナツメさては……二度目だな?」


「そうだよ、ここは壊れやすいんだよ」


 つなぎ服を着たナツメは珍しいことに髪の毛をオールバックにして髪留めでセットしている、作業中に髪の毛が目に入りそうで鬱陶しいらしい。切れよ。


「で、プエラはどんな願い事にしたんだ?」


 ここで言おうかと思ったけど、どうせすぐに分かることだし、それに絶対悪口しか出てこないと思ってはぐらかした。


「ナツメと毎日キスしたいって」


「何を今さら…………はっ」

 

「…」


「…」


「…」


「…スパナとレンチを取ってくれ」


「どれ?これ?あーこれのこと、はいっ!」


「いった!!!」


 修理が終わってからもナツメは痛そうにしていたけど頭は下げなかった。自業自得だ、いや違うか、単に嫉妬しただけだ。



「以上を持ちまして今後のガイダンスを終了します、皆様お疲れ様でした」


 訓練校の本館一階にある講義室で説明会が終わった。機体動作に武器取り扱いの過程をほぼ終えたので、これからは班行動による課外実習が主な訓練になると言われてさっきから胃が痛い。


「プエラー、今日もあの人のところに行くのー?私も付いて行っていい?」


「えー?どうかなー急に行ったら失礼なんじゃない?」


「まーたそんな事言ってぇ、昨日はあんなに鼻の下伸ばしてたくせにぃ、このこのぉ」


「ちょ、ちょっとやめて、恥ずかしいでしょ」


「よろしくねープエラさーん」


 プエラを中心に訓練生が集まりだした、ここに集められているのは各学年の成績優秀者だ。もちろん私も説明会に参加していて、今までの班編成を変えると説明も受けていた。


(マジで?訓練中も一緒になるの?)


 下学年の班と私達の学年の班を折半して班を組み直すとのこと。そして私とプエラはものの見事に同じ班になったのだ、それにいつも遊びに来て姦しい笑い声を上げていたプエラの友達も同じ班になったのだ。胃痛。


(溜息が止まらないよ…)


 すると、あれだけ騒いでいたプエラの取り巻...友達が私の所へやって来たではないか、何を言われるのかと身構えてしまったが挨拶をしに来てくれたらしい。


「よろしくお願いします、先輩!」


「アイリスさんってお呼びしてもいいですか?」


「よろしくね二人とも、あとアヤメって呼んでね、その渾名は恥ずかしいから」


 黒い髪のストレートの子と茶色の髪のショートの子、二人ともよく見ると何だか似ているようだ。それに黒髪の女の子の手のひらがマメだらけだった。


「それ見せてくれる?」


「……え?」


「ほら、マメになってるから痛いかと思って、テーピング巻いてると楽になるよ」


「……」


 鞄の中からネコさんマークのポーチを出して入れてあったテーピングを渡してあげる。


「……あのどうやって使ったら、」


「あーはいはい、ちょっと手を貸してくれる?」


 私より大きい手を掴み、いつもやっているように巻いてあげた。


「まぁ、これやっちゃうと剥がした時にベタベタになるから気持ち悪いんだけどね、治りも早くなるからそれあげるよ」


「……ありがとうございます」


「いいえ、これから頑張ろうね」


「………」


 そう言って席を立った。

あの二人...意外と良い子なのかな、素直そうだし、どうしてプエラと連んでいるんだろうと考えてしまい、軽い自己嫌悪に陥りながらも講義室を後にした。



 ガイダンスが終わってからナツメのところに寄って湿布薬を渡してから帰った。まだ痛そうにしていたのでナツメが悪いんだよ、と最後まで嫉妬全開の言葉をかけると、渡した湿布薬を顔に叩きつけられたので半泣きで家路についた。

 バス停の後ろにある我が家の前、郵便ポストの前にプエラが立っていた。その手には手紙があるようでティアマトさんから返事が来たのだろう、今日でお別れかと思いきや...当のプエラの顔はとても険しい。


「お帰り」


「…」


 念のため声をかけたが返事がない。鞄も地面に置いて睨むように手紙を読んでいる。

先に家の中に入り靴を脱いでいるとプエラも中に入ってきた。久しぶりに二人揃って家に入った。


「はぁ…何て書いてあったの」


 観念して手紙の内容を聞いてみるとそっけない答えが返ってきた。


「駄目だって」


「ここで生活しろって?」


「そう」


「仕方ないよ」


「何が?何が仕方ないの?」


「ティアマトさんの言う事聞かないと駄目って意味だよ」


「…」


 私の言葉を睨むように聞いている。


「…はぁ、何があったの?昨日は」


「ため息」


「え?」


「ため息ばっかり、私といるのが嫌なんでしょ」


「…ごめん」


「…また謝った、私ってそんなに怖いの?話しする度にため息つかれるこっちの身にもなってよ」


「…分かった」


「何それ、ほんとに分かってんの?」


 後ろを振り返り靴を脱ごうとしていたプエラの手を掴んでそのまま家に上がらせる。


「ちょ、ちょっとまだ靴がっ」


「いいから」


 家に入り黒電話が置かれた棚の所まで連れてくる。そして、


「この黒電話の線を抜いて」


「は?」


「いいから抜いて」


「何で?抜いたら使えなくなるんでしょ」


「すぐに向こうに戻れるよ」


「向こうって…」


 ナツメから教えてもらったギブアップのやり方だ。


「現実の世界」


「…」


 怯えたように黒電話を見つめるプエラの表情、どうしてそんな顔をするのかが分からない。


「抜いて」


「……手を離して、痛い」


 知らずのうちに強く握っていたようだ、離したと同時に私から距離を置く。


「……アヤメ、怖い」


「当たり前だよ、あんな事言われて笑ってなんかいられない、私と一緒にいるのが意味分かんないんでしょ?」


「…」


 吐きそうになった溜息を堪える。


「どうしたの?ここにいても楽しくないんでしょ、それにナツメの家にも行けないんなら向こうに戻りなよ」


「…ごめん」


 それだけ言い残し、片方の靴を履いたまま私の隣を通り過ぎて階段を登っていく。また「危ない!」と言うかと思ったけど今度は踏み外すことなく登れたようだ。扉の閉まる音がして詰めていた息をようはく吐き出した。


「はぁ……何で戻らないんだろう……」


 玄関にはプエラの鞄と片方の靴と、そしてひぐらしの鳴く声が聞こえてきた。階上を見やりどうして線を抜かなかったのか、私が怖いなら部屋ではなくナツメの所に行けばいいのにと、もう一度溜息を吐いた。



38.b



『出発してから十六時間後』



 私とグガランナお姉様の圧倒的勝利の後、外壁を開けて中層に戻ってきた私達に二度目の試練が待ち構えていた。


「はぁ!」


「変な声を出さないで」


「ひゃ!」


「スイ、あなたもよこんな…んふぅ!」


「…」

「…」

「…何かしらその目は」


「一番ヤバい声を出してるじゃない、マギールに聞かれたらどうするのよ、こんなぬるぬるはぁ!!」


「いいから手を動かしなさい、この子達は汚水を綺麗にするやくめぇっ!!」


(帰りたい)


「スイちゃん!これが終わった後は一緒にお風呂に入りましょう!全身ぬるぬるのべたべただから気持ちひぃ!!」


「それわざとかしら?」

「今のわざとですか?」


「違うわよ!服に入りそうだったから声が出たのよ!仕方ないでしょ!」


 私達がいるのはマギールさんの掘っ建て小屋の近くの川だ。川の中で生活している魚をさっきからひぃひぃ言いながら回収している。目下最大の敵は、


「このうなぎぃ!いい加減に捕まりやがれですよぉ!」


 どうしてうなぎなの?確かうなぎは川で生活して最後は海で卵を産んで一生を終える生態系だったはず...それがどうして汚水を綺麗にすることになるのか。


「あの、ひぃ!お母さん、ひゃ!どうしてうなぎなんですふぁ!!」


「スイ、色々と突っ込みたいけどそうね、この子達は正面から見ると可愛いのよ、だからこの子にしたの」


「決める理由軽くないですか」

「回収する身にもなりなさいよ」


「うるさいわね、私だってまさかこんな事になるなんて夢にも思わなかったのよ」


 きらきらと光る川には大きく囲いがされてその中にうなぎやら他の魚達が所狭しと泳いでいる。これを一匹ずつ回収していかないといけないなんて...


「それはそうとスイ、あなたマギールの様子を見に行きなさい、サボっていたら遠慮なく撃っていいから」


「撃ちませんよ」


「それなら私も行くわ」


「グガランナ、逃げたくなるのは分かるけど、早くここを回収しないといけないでしょうに」


「スイちゃんが危ないもの、あなたあの家の地下に何があるのかもう忘れたの?ここに来る時に説明したでしょう」


「……私も行くわ」


 誰も止めなかった。結局三人で川の魚達を放ったらかしにして様子を見に行くことになった。



✳︎



 皆んなでうなぎを放置して、マギールがピューマ達を私のマテリアルに誘導している所まで足を運ぶことになった。


(何だか懐かしいな)


 川のほとりから緩やかな坂を上がり、マギールが住んでいた見すぼらしい小屋へと向かう。ここには数日間しか滞在しなかったが思い出が詰まった場所でもある、何せ私が初めてこのマテリアルを造った場所でもあり、彼女と初めて対面して言葉を交わした場所でもあるのだ。それに川のほとりで私に見惚れて顔を赤く染めた...そう、言うなれば、


「初夜の場所!!」


「ほら、早くしなさい」

「お姉様、滑らないように気をつけてくださいね」


 思わず口に出したというのに誰からも突っ込まれない。

気を取り直してゆっくりと上がっていく、短く生えた草に混じって色とりどりの花が咲き後ろを振り向くと頂に雪を残した山が見える。彼女はあの山を臭そうと言っていたが、今なら分かる。上層の街は雨も雪もひどい臭いがするらしいので、それを思っての感想だったのだろう。こうして隣にいないのに彼女の事を強く感じることが出来るのは何よりの幸せだった、いや本音を言うと今すぐにでも会いたいけど。


「あれがマギールさんのお家ですか」


「えぇそうよ、近づいたら駄目よ」


「……少しだけでも入っていいかしら」


 徐にお願いするとあっさりと許可が下りた。


「少しだけならね、地下にはスイちゃんを行かせないように」


「……あなたは行かないのかしら?」


「行っても意味がないもの、あなたの邪魔をするつもりはないわ」


 何だバレているのか、私が思い出に浸りたいことを。


「そう…ならお言葉に甘えて少し覗いてくるわ」


「えぇ、いってらっしゃい」


 横に流した亜麻色の髪が風になびいて、優しく微笑む彼女の姿は確かにスイちゃんの言う通りかもしれない。


「行ってきます、お母さん!」


 ティアマトに叩かれたお尻をさすりながら小屋の扉を開けて中に入っていった。



✳︎



「…」


「…」


「あれ人間かな?」


「いや人間でしょ」


「姉妹?」


「あんな姉妹いるぅ?髪の毛の色バラバラじゃん」


「異母姉妹とか?」


「何人母親がいるのよ」 


 それに街から見えていたあの牛の形をしたダサい宇宙船も気になる。丘を挟んで遠くに牛のお尻が見えているのだ、おそらくあの宇宙船の関係者だと思うけど...

 いやまさか、アシュと散歩がてらに哨戒していたらこんな異常事態に遭遇するとは思わなかった。

 双眼鏡から目を離したアシュが私を見やる。


「これ、誰に報告すればいいの?」


「あー…」


 ビーストがいなくなったあの街は...まぁ言うなれば楽園だ、襲ってくる敵もいなくなったし何より食料が沢山あるのだ。それも自動で次々と作られるのでいくら食べても減ることがない。食料が自動で作られる場所は限られていて私達特殊部隊が交代制で守りと監視を兼ねて見張っている。その指揮を取っているのが総司令ではなくあのサニア隊長なのだ。

 こめかみに指を押し当てながら考える。どっちだ?どっちに報告したらいいんだ?そんな事より最終攻略戦前に自宅から持ってきたゲームの続きの方が気になってしまい集中出来ない。頭を押さえてまま唸っている私を見てアシュが声をかけてきた。


「頭悪いの?勉強したら?」


「頭が痛いの?休憩したら?でしょ、ナチュラルに間違えたまま馬鹿にするのやめてくんない」

 

「どうせゲームの事考えてたんでしょ?」


「………そんな訳ないじゃん」


「アリンも変わったよね、いつも以上に間抜けな顔をしてるよ」


「ひっぱたくぞ」


 駄目だ、こいつと会話をしても得られるものが何もない、楽しいけど。

手持ちの武器は自動拳銃が一丁のみ、これでは戦闘になった時にまるで勝ち目がない。ここは一旦離脱して直接報告した方がいいだろう、それに向こうは宇宙船なんていうそれこそゲームやアニメの世界でしか登場しないテクノロジーを持っているのだ。ここで通信して奴らに傍受されたら洒落にならない。


「一旦戻ろう、アシュ、運転お願い」


「あいよー」


 坂を下った先にいつも乗り回している小さな四輪式の車がある、ホテルの中で見つけて当たり前のように動くので勝手に私物化させてもらっている。

 アシュが運転席、そして私が隣に乗り込んで街へと車を飛ばして行く。


「…」


 ここの景色は何度見ても飽きることがない、小さな草原と向こうに見える大きな山、それと小さな川といういかにもな風景は心が洗われるようで新鮮な気持ちになれる。それなのにどこか懐かしいような気持ちにもさせてくれるので、最近はぼんやりと景色を眺めることが多くなったように思う。


「すぅ……はぁ……」


 それに空気も澄んでいて...そうなのだ、ここに来て二つ目に感動したのが綺麗な空気だ。街にいた時はあの汚い空気が当たり前だったので何とも思わなかったが、今にしてみればどれだけ汚れた空気を吸っていたのかと驚愕してしまったのだ。


「ねぇ、アシュ」


「んー?」


 前を見ながら返事だけ返してくる。アシュの髪も随分と伸びたように見える、強い風になびく前髪がとても邪魔そうだ。


「あんたさぁ、街に戻りたい?」


「今戻ってんじゃん」


「違うよ、上」


「あぁ、戻りたい」


 意外な答え...私と一緒だと思ってたけど。


「どうして?」


「新しいゲームが買えないから」


「……あぁ」


「アリンは?戻りたくないの?」


「戻った時に私の分も買ってきてくれない?」

 

「…」


「半分出すから」


「全額だろそこは!」


 何て緊張感のないやり取りか、最後に戦闘したのは随分と前なのだ。仕方ないと言い訳をしていると車に積んである無線機から男の声が聞こえてきた。もちろん総司令からではない。


[聞こえておるなお二人さん、変な事されたくなかったら今すぐに引き返してこい]


「…」

「…」


[茶色頭の女の子二人、バギーに乗っているのがここからでも見えておるわ、聞こえておるなら手を上げろ]


 私がゆっくりと手を上げると、アシュもゆっくりと手を上げていた。


「あんた馬鹿じゃないの?!!運転中にハンドルから手を離すなぁ!!」


[その子の言う通りだ、お前さんは運転をしていろ]


 まったくひやひやさせよってからに、と小さな声で呟いたのが聞こえた。


「アシュ…どうするの?」


「これ行くしかないんじゃない?」


「いやでも、こんな得体の知れない奴の言うこと聞けるの?」


[聞こえておるぞ!]


「あの、一ついいですか?見えてるってことは私達は狙われてるんですかね、脅されてます?」


[いいや、ちょうど人手に困っておるところでな、労働者を探しておったのだ]


 アシュと顔を合わせて二人一緒に首を傾げた。


[前を見ろ!前を!!]



✳︎



 久しぶりに入ったマギールの家は、当然というか何も変わったところがなくあの日上層を目指して旅立った時のままだった。

 何が面白いのか今でもさっぱりだが、地下へと続く玄関から壁一面にあれやこれやと飾られている、いくつか置かれた椅子は私が昔に踏み抜いた箇所だ、確かあの辺りは脆くなっているのでこれ以上私に踏み抜かれないために置いたはずだ。

 階段を降りて右に行くとマギールの私室と私達が寝泊りした客室がある。


「この奥は何があるんですか?とっても面白そう!」


「虫の標本があるだけよ」


「つまらない所ですね」


 木の板がはめ込まれた廊下を歩きながら左へと曲がり広間へと向かう。ここは牛型のマテリアルで付けた傷とアマンナが暴れて壊した土壁がある。マギールがその後形を整えて小物置にしたのだ、何という器用さ。


「はぇー可愛らしい置物がたくさんありますねー」


 棚の縁に手をかけて覗き込むように見ているスイちゃんを抱えてあげた。これで少しは見やすくなるだろう。


「ほわぁー可愛らしいですねー、本当にマギールさんが作ったんですかこれ」


「えぇ、似つかわしくないとおもっ………」


「お姉様?」


 言葉の途中で固まった私を振り仰ぐスイちゃん、動物達の置物の奥にあるおかしな人形を見つけてしまい言葉を失ってしまったのだ。


「スイちゃん、あの人形取ってもらえないかしら」


「これですか?……ふぅーーん!ほっ!」


「ありがとう」


 少し奥まったところにあったのでスイちゃんに頑張ってもらった。


(間違いないわ、この人形……)


 黄色の髪をした、どこか私に似た人形の鼻に輪っかが付けられている。


(あの老いぼれ本当に作ってたのか、いつの間に?)


 あぁ私達が上層を目指している時か...


「変わった人形ですね……ん?これ……」


「さ、行きましょうかスイちゃん」


 スイちゃんが何かに気づく前に床に下ろして広間へと向かう。


「広い!あぁそれにさっきの川も見えるんですね!」


「えぇそうね……」


 広間に入ると大きな変わった模様をした絨毯と壁際に置かれた椅子、それに数え切れない程の本を収めた棚とやはり壁にはあれこれと飾り付けされているようだった。

 壁のある一箇所に見たことがない男性と人形のように可愛らしい女性が写った写真が飾られていた、テラスのような場所で男性が女性の肩に手を回し二人ともカメラに向かって微笑んでいるようだ。


(誰?何で関係ない写真を飾るのか)


 広間に目を戻す。一番に思い出すのはやはりあの記憶だろう、私の顔を見て大笑いした彼女のあの笑顔。遠慮もへったくれもなく出会ったばかりのぎこちなさを吹き飛ばすように笑っていた。


(あの笑顔に救われたんだよなぁ、緊張して何を喋ろうかとガチガチになってたから、笑ってくれて助かったよ)


「ん?あれ、お姉様」


 思い出に耽っているとスイちゃんに呼ばれた、くり抜き窓の前で私に向かって手招きしている。


「何かしら」


「あれ、バギーに乗った人がこっちに来ましたよ?」


 言われた通りに見やると女の子が二人、バギーに乗ってこっちに向かっているのが見えていた。



✳︎



「何かご用かしら」


「…」


「…」


 車...そういえばさっきの通信でばぎーって言っていたわね、ばぎーから降りるなり声をかけられた。茶色の髪を横に流したお姉さん風の女性だ、しかしその声音はどこか警戒しており表情も固い。後ろに見える妖精でも住んでいそうな小屋は何?秘密基地にしか見えない。まさかこんか所にオーバーテクノロジーの総本山が隠れていたなんて...

 アシュが私に目配せしてくる、しかし私は答えない。前回のザコビー戦でこいつが何をしでかすか分からないと学んだからだ。


「え?無視?急に冷たくすんのやめてくんない?」


「無視?無視なんかしていないわ」


「あ、いえ、あなたではなくて…」


「それで、あなた達はどうしてここに来たのかしら」


「あの…ばぎーの通信で人手に困ってるから手伝いに来いと言われて…へ、変な事するぞ!と脅されたので来ました!迷惑なら帰りますので!」


 後半は叫びに近かった、いきなり通信で呼び出されてお姉さん風の美人に冷たく問い詰められるのだ、誰だって泣くに違いない。

 けれど女性は額に手を当てて大きな溜息を吐いた、思ってもみない反応に戸惑ってしまう。


「あの変態……こんな子供にまで手を出そうとするなんて……」


 アシュが何を思ったのか声をかけた。


「あのぉ……ここで何をされているんですか?」


 ゆっくりと顔を上げて女性が答える。


「そうね……これはあなた達のためでもあるから手伝ってもらおうかしら」


「え?」

「はい?」


 答えになってないんですけど...

すると妖精の小屋からさっき見えていた残りの二人が............エルフ?それに本当に妖精のように可愛らしい子供が出てきたではないか。


「あら、こっちの人かしら、ご機嫌よう可愛らしいお嬢さん方」


「こ、こんにちはぁ……」


 金髪のエルフが優雅に微笑みながら挨拶をしてくれて、その影に隠れた妖精のような子供がおっかなびっくりといった体で声をかけてくれた。

 すかさずアシュに私から目配せをする、案の定さっきの仕返しと言わんばかりに無視された。


「こ、ご機嫌よう?」


「えぇ、あなた方はどちらから?」


「えーと、あの向こうにある街から……あ、いえ、私達は上層の街からこっちにやってきました……」


「そう、ならアヤメと同じ部隊の方かしら?」


 アヤメって誰だ。いやでもこの人は特殊部隊に知り合いがいるのか、その言葉に少しだけ警戒心が解けた。


「はい、私達は特殊部隊で中層に資源を求めてやってきました」


「そう、それは大変だったわね」


「あ、いえ……私達は、ん?」


 アシュがやたらと服を引っ張ってくるので見やると愕然とした表情で目の前の三人を見ていた。


「…エルフじゃん……目の前にエルフと妖精がいるよ……」


「あんた今までどこ見てたの?」


 初めてアシュと意見が一致した。



✳︎



「敵、四名に増加」


[待機しろ]


「いや、ここからなら一発で仕留められる」


[待機しろ]


「いや、一発も必要ないこの場で殲滅できる」


[待機…それは無理だろう、何で嘘をつくんだ]


「嘘ではない、なら試してみるか?」


[オーディン、遊びじゃないんだふざけるのは岩を斬った時だけにしてくれ]


 身を屈めていたマテリアルが倒れるように地面に伏した。これはずっこけたのか?!何て器用な奴なんだ!


「……ディアボロス……忘れてくれないか、あの時の俺はどうかしていた」


[……お前……マルチタレントでも目指しているのか?硬派な男優を演じつつも実はリアクション芸にも……]


「静かにしろぉ!!!」


 オーディンの馬鹿みたいに大きな声、略して馬声に驚き近くにいた鳥型のピューマ達が慌てて逃げ出していく。


[オーディン、お前の器用さはよく分かったから馬鹿キャラ演じるのはやめてくれないか?グガランナ達にバレてしまう]


「……貴様……会った時は覚えていろ……」


 ちなみに俺はオーディンの目を借りてグガランナ・マテリアルが降り立った地点を確認している。中層の外壁が開き奴らが再び戻って来ていたのはすぐに察知していた。


[それでどうするよオーディン、奴らの邪魔でもするのか?]


「……お前が司令官だろうに、俺に指示を求めるな」


[はぁ…]


 手元に駆除機体は一つもない、ここに来た人間共に殲滅させられたからだ。オーディンも倒したサニアとかいう化け物のせいだ、奴は片腕を失くした状態でも次々に駆除機体をただのガラクタに変えていったのだ。


(とは言えだ、やるべきことは変わらない)


 目の上のたんこぶを退場させたからといってテンペスト・シリンダーが抱えている問題を解決したことにはならない。未だ資源に悩んでいる人間共が目の前にいるのだ、奴らが自分達で調整しないというなら例え殺戮を行ったとしても俺らがやらなくてはならない。


[オーディン、近づいてくれ]


「分かった」


 ゆっくりと立ち上がり今し方ピューマ達が逃げていった木立へと足を進める。ここを超えた先にグガランナ・マテリアルが中層域に生息しているピューマ達を艦内へ招き入れているのだ。


「何故、こんなことを……ここを破棄するつもりなのか?」


[いいや、上層の街で捨てられたナノ・ジュエルを綺麗にするつもりだろう]


「?」


 そういえばこいつには説明していなかったな。


[人間達も俺同様にリサイクル前のナノ・ジュエルを利用しているんだよ、奴らは使い終わった後は捨てているみたいだがな]


「じゃあ何か、駆除機体は掠め取ったナノ・ジュエルから出来ていたということか?」


[あぁそうだ、ピューマの身体構造を真似してな、もちろんティアマトに許可は取っていない]


 俺の説明にまさかの発言をする兄弟。


「お前それはただの盗作だろ!」


[はぁ?!そんな訳ないだろ!こっちは再利用してやってんだぞ?!]


「芸術家が一番やってはいけないことだろう!お前は何をやっているんだ!見損なったぞ!!」


[馬鹿言え!それを言うならこの世にたった一つオリジナルなんてものはない!何かしらの影響を受けて世の中の芸術品は完成するんだ!]


「だからお前の場合は盗作だ!盗んだものだろうが!偉そうに言うなよこの似非野郎!!」


[何だとこの筋肉馬鹿野郎が!]


「筋肉馬鹿野郎だと?お前は筋肉の気持ちを考えたことはあるのか?ん?いざという時はこの筋肉が盾となりこぶっ」


 視界が途切れた、それに一瞬前に聞こえたあの音は.....え、狙撃されたのか?



✳︎



「…目標、沈黙」


「何がしたかったんだあいつ」


「さぁ」


「まぁでも何事もなくて良かったよ!」


 ザコビー...丘の向こうで一人でわちゃわちゃしていたので遠慮なく狙撃させてもらった。拳を握ったり振り回したり...案外可哀想な奴なのかもしれない。


「…それよりアリン、動物に触れられるのって本当?嘘ついたら撃つよ」


「嘘ついてないわよ、マギール?とかいう人に頼まれたのよ」


「どんな……もしかして剥げた頭の人?軍人さんみたいな……」


「何であんたが知ってんの?……あぁ前に見た二人組ってもしかして……」


「ちょっとミトン!一人で行くな!」


「…人間に興味ない」


「いやあんたも人間でしょうが」


 一人で先行するミトンの後を追いかける。

あのお姉さん風の女性はティアマトという名前の人で、金髪エルフはグガランナ、妖精はスイという名前らしい。この中層にやって来た理由も教えてもらい街の皆んなのためになるならと、ミトン達にも応援を頼んだのだ。


「……あ、あれ?!もしかしてあれは?!はぁー!!」


「ちょっとアシュ騒ぎすぎ」


「あたしじゃないから」


「うわぁ…ビーストがたくさん…」


「あれはぴゅーまって名前らしいけど…」


 ザコビーを狙撃したポイントから引き返し妖精の小屋を超えると木立のそばに開けた広い空き地がある。そこには何と宇宙船に収容されていく全身銀色の動物達が列をなしてるのだ。博物館で見た動物から見たことがない生き物もいる、皆んな大人しく並んでおりどの生き物も近くに立っている禿頭のおじぃちゃんを襲おうとしないのだ、ティアマトさんの言った通りこの生き物達はビーストではないようだ。

 先を走っていたはずのミトンが次第に遅くなり、そしてその場で立ち尽くした。


「ミトン?どうしたの?」


「…」


 私も追いつきミトンの前に回り込むと、今にも泣きそうな顔になっていた。感動している訳ではなさそうだ。


「…カリン、あれ」


「ん?」


 ミトンが指を指した方を見ると街に入る前に狙撃したクマがいたのだ、おそらくその仲間だと思うけど...

 ミトンが泣きそうになっている理由が何となく分かった。


「…」


「…」


「…」


「…」


 皆んなが押し黙る、あのアシュですら何も言わない、いつもの減らず口を期待したけどさすがに無理そうだ。

 私達のバギーに通信してきた禿頭のマギールという人が振り向いた。


「何をしておるんだ!さっさとこっちに来て手伝わんか!」


「…ミトン」


「はぁ、あんた達はここで待ってて」


「お姉ちゃん…」


 こういう時は副隊長が出張った方がいい、いつもの役回りだ。カリンから聞いてはいた、私とアシュが倒れている時にクマに似たビーストが現れてミトンが狙撃したことを、それと大好きな生き物をいくら皆んなを守るためといえ撃ってしまったことを気に病んでいた話しもだ。

 私一人で説明しに行こうとするとミトンに服を引っ張られた。


「…私も行くよ」


「いいよ別に」


「…行く」


「…分かった」


 少し気難しそうなおじぃちゃんだ、私達の話しを聞いて怒るに違いない。


「何をっ…………」


「あの、お話があります」


 私達四人の雰囲気に気圧されたのか何かを言いかけて、すぐに口をつぐんだ。


「何かね」


「街に入る前に、あそこに見えているクマをビーストと間違えて射殺しました」


 私の言葉に目を見張っている。きっとこの人にとっては大切な動物なのだろう、その反応でよく分かった。


「…………」


「…撃ったのは私です、けどその後に少しだけ起き上がって謝りました、けどまたすぐに倒れてしまって……」


「撃てと命じたのは私です」


「何故撃ったのかね?」


 鋭い視線に臆してしまい下を向いてしまう。


「…そ、それは敵に見えたからです」


「…ビーストと呼ばれている敵については知っているが、どこが似ておるのだ?大きな爪はあるか?牙を持っておるのか?何故撃てと命じる前に調べもしなかったのだ」


「…」


 矢継ぎ早に質問されてしまい答えが出てこない。

勇気を振り絞って上向くと、怒っているように聞こえた声音と違ってその表情はとても悲しそうだった。

 何も答えない私に見切りをつけたのか、それとも別の理由か、マギールさんから切り上げてきた。


「……もうよい」 


「…すみません、それでは私達はこれで……」


 踵を返そうとすると、スイと名乗った妖精のような子供が声を上げながら私達に駆け寄ってきた。


「あー!!あの時のお姉ちゃん!!久しぶりー!!」


「?!」

「?!」

「え?」

「お姉ちゃん?」


 驚く私達、それにマギールさんもびっくりしていた。


「スイ?こやつらを知っておるのか?」


「はい!私がクマさんになった時にすっごく撫でてくれたお姉ちゃんですよ!」


「クマぁ?」


「???」


「スイ…お前さんまさか…あの時いなくなっていたのは…」


「はい!とっても暇でしたので近くにいたクマさんの中に入ったんですよ!」


 何を言って......クマの中に入ったってこの子本当に妖精か何かなの?


「あれじゃあ…あの時起き上がったのは…君だったってこと?」


 ミトンが恐る恐る声をかける、それにとびっきりの笑顔で答えるスイ。


「はい!クマさんも気にするなって言ってましたよ、私は何のことかよく分からなかったんですが……」


「気にするなって……」


「あやつは確かに死んだはずだぞ、スイ、そんな出鱈目は言うものでは…」


「いいえ、あのクマさんは私が出て行くまでちゃんと生きていましたよ、だから私が入れたんです、このお姉ちゃんに会えたら伝えてほしいと言われていたので」


「そう……だったのか…」


「…………気にするなって」


「はい!全然怒っていませんでした!」


「……ふぇ、うわぁ、うわぁぁん、よか、よがっだよぉ〜」


 その場に座り込み声を上げて泣き始めたミトンを暫く眺め、スイもミトンのそばに立ってずっと頭を撫でていた。さっきまでの緊張感も無くなりマギールさんも薄らと笑っているように見えた。


「…では、お前さんらはあの子に代わって手伝ってくれるか?」


「はい」


 そしてこの後マギールさんや他の皆んなのことを詳しく教えてもらい、私達は計三回も腰を抜かした。



38.テッド



「テッドー、これなんかどう?」


「………今すぐに戻してきて」


「えーまたかー、これもダメなのか…」


 じゃあどれなら買ってもいいんだ、と独り言を言いながら官能小説の棚へと戻しにいく。


「アマンナ!!」



 僕とアマンナが二人揃って訓練が午前で終わったので、訓練校で落ち合いそのままこの街の本屋さんへと足を運んでいた。アマンナから通学中に読む本を探していると聞いていたので一緒に本屋さんまで買いに来ていたのだ。それなのにアマンナときたら...

 本屋さんでの買い物を終えて、小さな自然公園の近くにあるカフェに来ている。すぐそばには大きな樹が立っていて、木漏れ日の下で冷たいアイスコーヒーとケーキを食べながら会話をしていた。


「テッドは厳しい」


「普通だよ、目の前であんなエッチな小説を買おうとしていたら誰でも止めるよ」


「わたしはテッドより年上だよ?」


「僕はそう思ってない」


「……おんな?」


「アマンナ」


「むぅ…」


 ひょっとこみたいに口を尖らせているのが何だか面白くて笑ってしまった。

アマンナは最近になって髪型を変えたようだ、お下げを解いて後ろに一つでまとめている、ポニーテールという髪型だ。訓練校の制服はブレザー型で緑と黒のチェック柄のスカートとよく合っているように思う。まぁ上はワイシャツ一枚だけなので少し危なっかしいけど。


「アマンナ、上着は?もしかして何も着ないで訓練校に行ってるの?」


「家」


「駄目だよ着ないと、雨に濡れたらどうするのさ」


「暑」


「暑いからってちゃんと着ないと、下着が透けたら大変だよ」


「無」


「む?むって何?……まさか下着も付けてないなんて言わないよね?!」


「もう!うるさいうるさい!せっかく遊びに来てるのに注意ばっかり!ちゃんと付けてないよ!」


「どっち?!言葉使いおかしくない?!付けてるの?付けてないの?」


「付けてなかったらどうするのさ」


「このまま真っ直ぐに家に帰るよ!」


「付けてます、三枚ぐらい付けているので大丈夫です」


「本当かなぁ……」


 そっぽを向きストローでジュースを飲み始める、おすまし顔でこちらをチラチラと見ている。


「アマンナの買い物はもういいの?それなら今から付き合ってもらっていい?」


「どこに行くの?」


 僕に向き直り行き先を聞いてくる、すぐに機嫌が直るのもアマンナらしい。


「買い物じゃないんだけどね、行きたい所があるんだ」


「ほ」


「…」


「て」


「…」


「ぶぅ?!!」


「あはははっ不細工な顔っ」


「テッドがやったんでしょっ!!」


 また馬鹿みたいなことを言おうとしたので口を片手で掴むとさっきみたいにひょっとこの顔になったので遠慮なく笑った。その後ゆっくりと頼んだメニューを片付けて仲良く手を繋いでお店を出て行った。



「けっ」


「アマンナ」


「しけてらぁ」


「やめなさい」


「色気もへったくれもねぇぜ」


 ほんとどっから覚えてくるんだろうこの言葉...

僕とアマンナは通学途中にある背の低い山に来ていた、一度ここに登ってみたかったのだ。さぞかし景色がいいことだろうと思っていたけど...予想以上だった。

 登山道の途中に展望台があるのは知っていたので、むずがるアマンナを無理矢理引っ張ってゴンドラに詰め込みやって来た。山の麓には観光名所になっている神社があり、屋台やら大小様々な社が軒を連ねている合間にゴンドラの入り口があるのだ。


「ゴンドラからの景色は良かったでしょ?」


「あんなの人型機の訓練で嫌というほど見てきたから今さらいいよ」


 まぁ、アマンナの言う通り、最近は飛行ユニットを背中に装着して編隊飛行の訓練ばかりしている。


「…そっかぁ僕はアマンナとここに来たかったんだけどなぁ、残念だよ」


「いや、よく見るとなかなかいいね!気に入りました!」


 「丸!」と言って両腕を丸の形にしたのでまた笑ってしまった、本当にアマンナは僕のことを笑わせようとばかりしてくる、だから僕はアマンナに少し申し訳なさそうに断った。


「はぁーおっかしいの、アマンナってほんと面白いね」


「そう?」


「うん、だからねもうこれ以上僕に気を使わなくていいよ、十分元気になれたから」


「さぁね、何のことかな」


「それ、わざとだよね」


「…」


「昨日はごめんね、いきなり部屋にお邪魔しちゃって」


「…いいよ別に、いつでも来なよ」


 さらに言うと、アマンナはよくお姉さんのように優しく笑うことも増えたのだ。とくに僕が急に落ち込んだり、夜中に大きな声を出してしまった時は微笑んで抱きしめてくれる。それだけでも有り難いのにアマンナは四六時中僕に気をつかってくれるのだ。


「うん、ありがとう」


「…」


 これじゃあどっちが年上か分からない。


「それで、この後はどうするの?向こうの藪にでもけしこむかい?」


「それ、しけこむ、だよ」


「…………何でそんなこと知ってんの?!いやぁーやっぱりテッドも男の子だねぇ!いいよーいつでも来なよっ!」


「行かないよ、さっきのありがとうを返してよ」


「やだ!これはわたしのありがとうだ!」


 さっき見せたお姉さん顔ではなく年相応の無邪気な笑顔をしていた。アマンナの背後には大きな入道雲が堂々とそびえ立ち、その足元には大きな船が一隻だけ海に浮かんでいる。セミさんの鳴き声を聞きながら、どうやったらアマンナにお返しが出来るか考えていると、タービンが高速回転する独特のエンジン音がセミさんの声に混じって聞こえてきた。そしてすぐにその音が大きくなり飛行機曇を残しながら二機の人型機が僕達の真上を通り過ぎ、青く抜けるような大空に飛翔していく。一瞬見えた数字は「7」、それから「13」だった。


「邪魔するなぁー!!!今いいところなんだぞぉー!!!!!」


「アマンナ、いいよ、続きは家に帰ってからしっ………」


 ナツメさんと、まだ会ったことがないマギリさんの編隊飛行に文句を言うアマンナを止めるつもりが...変な言い方になってしまった。あれだけ!あれだけませたことを言っていたくせに僕の言葉を聞いた途端、後ずさりを始めた。


「て、テッド、まだわたし達は…早いと、」


 恥ずかしいことを言ってしまった僕は自棄になってさらに言葉を続ける。


「そんなことないよ、アマンナのことはよく知っているつもりだから、二人だけの夜を過ごそうよ」


 するとアマンナが真顔になり、冷たく注意をしてきた。


「テッド、冗談にも程があります、反省してください」


「ごめんなさい」


 素直に頭を下げて、再び上げるとアマンナとバッチリ目が合い、どちらからともなく声を上げて笑い合った。

 それに応えるようにセミさんも鳴き声を上げ始め、いつも以上に流れてくる涙を気づかれないように拭いていた。



38.ナツメ



「高度そのまま、二時方向に舵切り替え」


[了解!]


 親機の指示通り、左斜め後ろに追従していた僚機が付いてくる。見えている視界は青一色、空と海が地平線で混同し見分けがつかない。たまに浮かんでいる雲よりも高い高度にいるため海に雲の影が落ちているのは新鮮だった、初めて見る光景だ。

人型機エンジンは通常のエンジンの八倍程の出力がある...らしい。それはつまり八倍もうるさいということだ、コクピット内は密閉性に優れているというが...うるそいぞ普通に。

 それにこの専用ヘルメットも鬱陶しいことこの上ない、視界が狭まりせっかくの風景が見えにくい、いや見えてはいるんだ、ヘルメット内にも追加で仮想投影されてはいる。いるが解像度が荒いためイライラする。

 進行方向には立ちはだかるように大きな雲があり、さらにその足元にも別班を乗せた軍艦が見えていた。二つの班で編隊飛行の訓練を行なっているところだった。


「僚機へ、いよいよ来週だ、準備はいいか?」


[はい!いつでもいけます!]


[私語は慎むように]


 教官から早速注意を受ける。だが無視する。


「僚機へ、この訓練が終わったら即帰宅するように」


[嫌です!]


[はぁ…いいかい?他にも訓練生が編隊飛行をしているんだ、私語は集中を乱す、君達も煩わされたくないだろう?]


「了解です、だそうだマギリ、いいか?絶対に帰れよ」


[………了解です]


「はぁ」

[はぁ]


 私と教官が揃って溜息を吐く。

軍艦より帰投命令が出されたのでさらに舵を切る、風切音と共に今度は街の風景も視界に収まりミニチュアサイズの建物が広がっていた。訓練校、奥にはのどかな田園風景、さらにその奥にはこの街と別の街を繋ぐ赤い橋が見えた。仮想世界の全容を一目で見られるのは圧巻の一言、別の街には恐らく行けはしないだろうがあそこに住む人達は一体どんな暮らしをしているのか、考えが及んだだけでも胸が高鳴った。



 軍艦に着陸後、甲板の上に駐機させた「13」とペイントされた人型機の前で待ち伏せをする。ちなみに見えていたあの雲は入刀雲と言うらしい、私達の街ではお目にかかれない変わった雲だ、何か刃でも入れるのだろうか。

 入刀雲を見ながら待っているがなかなか降りてこない、心配になったので度重なる機体の修理で培った機体登りを発揮してコクピットへと近づく。問答無用で開閉スイッチを押すと中で縮こまっているマギリがいた、ヘルメットも取らずに震えているので焦って大声を出してしまった。


「マギリ!どうした何があった?!」


 私の声に周りにいた訓練生や整備士達が何事かと集まってきた。近くにいた適当な訓練生に救急隊員を呼んでくるよう指示を出す。


「マギリ!返事をしてくれ!すまないがっ」


 コクピットに入ったと同時に動きを止める、私が。ある臭いに気づいたからだ。これはやってしまったか?私が。


「…………」


「…………」


 太陽の光が十分に届かずハッチの影に隠れたマギリが顔を上げる、その顔は赤く染まり私を睨んでいる。


「おい!パイロットは無事か?!」


 早速救急隊員が来てくれたようだがこの状態でマギリを出す訳にはいかない。困った挙句に私が取った行動が、


「いやぁ!私も二回目だから思わず漏らしてしまったよ!はっはっはっ!すまんが着がっ?!?!?!」


 お腹に衝撃を受けたと思ったら、後はそのまま地面まで真っ逆さまだった。私の上に落ちてくるヘルメットの影が見えたところで再びおでこに衝撃を食らった。



「すまない」


「…」


「お前が降りてこなかったから心配だったんだ」


「私のせいですか」


「違う、だがそうだ」


「…」


「お前、ここのところ訓練ばかりしていただろ?編隊飛行訓練は一番体力を使うから、まさかと思ってしまってな、私の早とちりだった」


「…」


 ちなみに頭を下げたままなので、マギリの濡れた足しか見えていない。軍艦内のシャワールームへマギリに殴られながら無理矢理連れて来たのだ、そして体を洗い終わった直後に押しかけ頭を下げ続けている。


「はぁ……もういいですから、出て行ってください、着替えが出来ません」


 しかし、私には引き下がれない理由があった。


「あと、今日はお前を何が何でも休ませる」


「…」


 マギリが濡れたまま脱衣所へと向かう、さらにちなみだが私の背中はずぶ濡れだ、さっきから冷たい水を浴び続けているのでいい加減寒くなってきた。ここは脱衣所でもない、正真正銘のシャワールームでフライトスーツ姿で冷たいシャワーを浴びながら謝っていたのだ。

 私も脱衣所に入ろうとすると勢いよく扉を閉められてしまった、中から怒鳴り声がする。


「着替え!出来ないって言ったでしょ!!」


「分かった、だがそこにいろ、いいな!絶対に外へ出るなよ!」


「うっさい!」


「好きなだけ文句を言ってくれていい、だが自分の体を大事にしてくれないか」


「…」


「私のせいだと言え!あの時守ってくれたから無理をしていると言うんだ!」


 ガチャリと音がした。


「え」


「訓練が終わったら迎えに来ますので、そこで反省していてください」

 

「え?」


 そして、そのまま脱衣所を出て行ったようだ。


「え?風邪を引いてしまうんだが…」


 その後、二時間後に現れたマギリに私は暖を取るため羽交い締めにするように抱きついた。



 マギリは人が変わったように訓練を続けている、それこそ何かに取り憑かれたように模擬戦、射撃訓練、格闘訓練、校内で出来る全てのことをこなし続けていた。見ていられなかった、あの時はまさかここまで頑張りを見せるとは思わなかったのだ。マギリは良く言えば乙女チックな恋愛脳をしている子で、熱い視線をよく私に向けていることには気づいていた。悪く言えば我儘で、人の言う事なんて人型機の中でしか聞かない、さらには平気で人をシャワールームに閉じ込め...これどっちも悪口だな。

 驚いた...正直に言うと。さっきも言ったがここまで頑張れるとは思っていなかったのだ、普通の子だし、銃なんて一度も握ったことがないと本人も言っていたのだ。

 冷え上がった私が着替え、訓練校に戻った時から雨が降り始めていた。大粒の雨が熱したアスファルトの道路を叩き、雨とゴム臭い蒸せ返るような混じった臭いを嗅ぎながら家路についている。私の前をマギリが歩きその斜め後ろを私が付いて行く、さっきの飛行訓練とは逆の位置になっていた。

 一切こちらを向かない不親切な親機に向かって指示を求めた。


「マギリ、機嫌を直してくれないか?」


「…」


「どうすれば直してくれるんだ?」


「私の訓練に付き合ってください」


「それはさっき断ったはずだ」


「…」


「分かった、分かったよ一度だけだそ?」


 そこでようやく振り向いたマギリは、とても真剣な目つきをしていた。


「私に撃たせてください」


「……何をだ?」


「ナツメさんを」


「…」


 傘に大粒の雨が当たる、近くをバスが通り過ぎて行く、それ以外に音は聞こえない。


「理由は?」


「ナツメさんに言った通り、今度は私が銃を向ける番です」


「意味が分からない、きちんと答えてくれ」


「言った通りです、私はナツメさんを人が撃てる人なんだと言いました、その言葉は無かったことに出来ません、だから今度は私が人殺しになります」


 その言葉に思わず小さく頭を振ってしまった。


「マギリ」


「何ですか」


「やめてくれ、そんなお前を見たくて言ったんじゃないんだ、私は戦う理由を与えたかっただけなんだ」


「知ってます」


「なら、何故ここまでするんだ?」


 長い沈黙。マギリの後ろを早足でかけて行く学生が見えた、顔は傘で隠れてしまって分からない。マギリの右肩が雨で濡れてしまい、ワイシャツの下に付けているキャミソールも透けて見えてしまっている。ようやく顔を上げたマギリが、


「戦う理由を与えてくれたからです、今の私にはあいつらをぶん殴る以外に存在価値がありません、だからここまでやっているんです」


 心の内を大粒の雨と同じように、私に叩きつけて振り返ることなく家へと向かって行った。



「重い」


 風呂に入って最初に出た言葉だ。


「重いな、あいつ」

 

 私を撃たせてくれとは何なんだ、どうしろと言うんだ。私は、私のせいにして訓練をやめさせたかっただけなんだ。それなのにあんな言葉を聞くなんて思わなかった、これで「やっぱりリベンジやめにしました」何て言おうものならその場で撃たれてしまいそうだ。


「はぁふぅ……」

 

 溜息と湯船に浸かっている気持ち良さでよく分からない息が出てしまった。

自分のまな板を見ながらどうすればいいか考える。


(どうしてここまでするのか…それが分からない)


 確かに私はマギリに言われた言葉に腹を立てていた、その話しをすることなく模擬戦を行い敵の実弾に嬲られている時にあいつに言ったんだ、お前を守ってやると、それでお前はどうするんだ、と。それは仕返しに近い言葉だったのかもしれない、いやきっとマギリは私が言った以上に重く受け止めていたのだ。


(やはり私のせいだよな…)


 付き合うしかないのか...奴らに勝って終わりにする以外にないのか...もしそれでもあいつが元に戻らなかったら...

 そこでふとある事実に気づきその場で立ち上がる。風呂場の鏡に私の裸が写っていた。とてもまな板...ではない、現実の体と瓜二つ、少しぐらい胸を盛ってくれてもと思うがマギリにはないのだ、現実の体が。ここでの訓練が終わればあいつがどうなってしまうのか、それが分かってしまったので私も腹を括った。

 

「やるか」


 湯船から上がり脱衣所に戻るとマギリがちょうど服を脱いでいるところだった。さっきの雰囲気とはまるで違い、私の裸を見ただけで悲鳴を上げた。


「ほぎゃあああ?!!!!!何で裸なんですか??!?服!服着てくださいよ!!」


「お前、ここ風呂場だぞ……」


「いいから!いいから早く!目に幸せすぎるから着てください!!」


 何だこいつ...案外平気なのかもしれない。


「ならもっと私を見ろ!!幸せになれるならいくらでも見ていい!!」


「あほなこと言ってないで!!もう何なんですかさっきの雰囲気ぶち壊しじゃないですか!!」


「お前が言うな」


「言えるわ!」


「マギリ、付き合うぞ、お前の人殺しに」


「…」


「いくらでも私を撃て、そして満足のいく仮想世界の生活を送るぞ、向こうの奴らも妬むぐらいに楽しく過ごそう」


「……何で」


「…」


「……そこまでってだから服を着ろぉ!!!」


 ずっと下を向いていたマギリ、私が真面目な話しを始めたので服を着たと勘違いしたのだろう。甘いな。


「はぁ〜もう分かりました、分かりましたからこれ以上私に幸せを与えないでください」


「さてはお前……案外平気だな?」


「…」


「よし、それなら一緒に入るか、二度風呂大いに結構………っておい」


 私の裸を見るだけ見て脱衣所から出て行った、いや違うな恥ずかしかったんだな。



 昨日から今日の朝方まで降り続けた雨が街全体を濡らし、ようやく雨雲に勝てた太陽の光を浴びて輝いているように見える。家から道路に降りる石作りの階段ははっきりと言ってクソだったが、雨上がりの街を見るのはやはり晴れやかだった。

 今日は一日リベンジ戦に向けてマギリと特訓をするつもりだ、ここに来て初めて肩を並べて訓練校へと向かっている。昨日の帰りとは大違いだ、私の胸も腕も足も。


「ぷくくくっ」


 僚機が私を後ろから小さく笑う。


「気をつけろよお前も、あそこの階段は血も涙もない」


「あはははっ!二回!二回も転けますか!」


「滑った先でまた滑るとはな」


 社が見えた辺りだ、何やら運び込んで準備をしているなと思った矢先に視界がぶれてこれは不味いと踏ん張ったらマギリのスカートの中身が見えてしまった。視界が安定した時には腕と足が痛く、ゲラゲラ笑われながらマギリに起こされたので胸も痛い、恥をかいたという意味で。

 道路に降りて神社の前を通りかかると、社前に人だかりが出来ていた。


「あれは何をしているんだ?というかさっき足を滑らせたのはあれを見ていたからなんだ」


「あーあれ、お祭りの準備ですよ」


「祭り?何をするんだ」


「屋台…食べ物を売ったり玩具を売ったりする小さなお店を沢山出して、皆んなでわいわいする感じですかね、最後には花火も上がりますよ」


「ふーん…」


「あれ、あまり興味ない感じですかね」


「いや、お前の説明がよく分からなくてな」


 転んで痛めた腕を的確に叩いてくる、訓練の成果が出ているようで何よりだと言うとまた笑い転げていた。



「遠慮はするな」


[…]


 マギリ機が緊張した面持ちで手にしたアサルト・ライフルで私に狙いを付ける。両手でレティクルを向けているはずなのに安定せずにブレてばかりだ。

 大雨でぬかるんだ屋外実習場には私達以外に誰もいない、そりゃそうだ、泥まみれの人型機の清掃なんて誰もしたくないからだ。


「…」


[…あ、セーフティー…]


「おいおい、ルーキーじゃないんだしっかりしろ」


[…すみません]


 大丈夫かこいつ...

度胸を付けたいと、人型機を起動させている時に唐突に言われた。私を本当に撃ちたいのではなく、人を撃てるだけの度胸を付けたいと。そのために訓練もこなして模擬戦に明け暮れ「13」の成績を獲得したと言っていた。


「マギリ、お前十分に強いんじゃないのか?模擬戦では撃てていたんだろ?」


[相手は私と同じデータなので平気でしたが…ナツメさんは向こうの人なんで…]


 そういう事か...

セーフティーを解除して再び狙いを付ける。

ちなみに私は何も付けていない、ライオットシールドも格納庫に置きっぱなしだ。それにペイント弾だ、当たったところで清掃が面倒臭いだけで怪我はすまい。それなのにどうしてあそこまで躊躇うのか。


[…いきます]


「あぁ、一緒に機体を洗ってくれたらそれでいい」


[え?]


 間抜け声と共にマズルフラッシュ、そして頭部カメラに被弾、鳴り響くエラー音。


「…」


[…]


 きっと私の顔は引きつり笑いを浮かべていることだろう。

半分の視界が消えてしまったコクピット内にさも当たり前のようにもの言うマギリの声がする。


[これ実弾ですよ?]


「先に言えよ!分からんだろうが!」


[道理で…防護盾を持ってこないのはそういう理由…]


「お前…それで撃つのを躊躇っていたのか?!」


[そりゃそうでしょ!訓練に付き合ってほしいとは言ったけど何も丸腰て撃たせてくれなんて一言も……ナツメさんの覚悟が重いなぁって]


「お前が言うな!」


 しかも一発で一番致命的なカメラを撃ち抜くなんて...

私達以外に誰も使わないだろうと思っていた実習場に他の班が格納庫からぞろぞろと出てきた。ここからではよく見えないがあれは...


[わ、あれって編成一班ですか?怖ぁ……]


 編成とは、他学年と混成された班のことで彼らの主な訓練は実戦形式に則ったものだ。いずれ私達も編成されて新しい班に入るはずだ。

 「1」「2」「3」それから下学年を示すピリオドを付けた「7.」「8.」「9.」と、全機にきっちりと上位三名を示す数字がペイントされていた、精鋭中の精鋭である証だ。マギリがびびるのも無理はない。

 惚けて見ていた私達に、どこから見ていたのか、教官から通信が入った。


[やぁ二人共訓練ご苦労様、彼ら編成一班が次の君達のリベンジ戦の相手になるからよく見ておきたまえ]


「は?」

[は?]


[君達の成長はめざましいものがあるからね、二人一組の模擬戦ではつまらないだろうと思って僕なりの気づかいだよ]


「ふざけるなよクソ教官、前回の模擬戦で黙って実弾を使わせた件をまだ許したつもりもないんだ、それなのに、」


[いやいや、それに君達のリベンジ相手もちゃんといるだろう?「1」は知っての通り常勝不敗のアイリスだ、つまり……ね?いい対戦相手だと思わないかい?]


[クソ教官お言葉ですが、]


[それにだ、君達があの1番機を編入させた班に勝ってみろ、良い余興にもなるしリベンジもこれ以上ないぐらい果たせるんだ、ま、勝てたらの話しだけどね?]


「いいだろう」


[ナツメさん?!何煽られてるんですか!]


「あの2番機と3番機が前回の対戦相手ということなんだろう?余計なものが付いただけで倒す相手に変わりはない」


[なら決まりだね、明日は逃げずにちゃんと来るように]


 そう言って通信を切られた。マギリからこてんぱんに殴られたのは言うまでもないが、どこか楽しそうにもしていた。

※次回 2021/2/7 20:00 更新予定

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