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第三十五話 アヤメとアマンナ2

35.a



 た、タイタニスのアンポンタンめ...どうしてあんな事を言ったんだ!さっきから変な事ばかり考えてしまう。

 時間はお昼時、と言ってもここに太陽は昇らないので時計の針だけで判断している。部屋の中には大きく包まった物体とその周りには大量の紙が散乱していて、内容は「私は愛する人のキスすら気絶するへたれです」と綺麗な字で書かれていた。


「これ、アヤメに持っていってあげようか?」


 ペラリと紙を持ち上げてへたれのグガランナに声をかける。


「……………」  


「怖いよ、何か言いなよ」


 布団から顔を覗かせ何も言わない、口がぱくぱくと動いていたので近寄ってみた。


「……私、彼女の妻なのよ…それなのに…キスしてもらえず…車で殺されそうになったわ……」


「大変だったんだね」


 小声で何やら訳の分からない呪詛を唱えていたので適当に相槌を打って布団を被せてあげた。関わらない方がいい。

 

「はぁーー……部屋から出ないと…お腹が……」


 朝ご飯を食べていないので空腹感で気分が悪い。こんな事は初めてだ、この空腹感は疑似的なものなんだろうけど、それでもお腹と背中がくっつきそうで考え事をしてもあまり集中出来ずにいる。


(そういえば、初めて出会った頃のアヤメは…)


 ご飯を求めてあの居住区エリアへ探しに行ったのだ、そしてグガランナに食料庫を開けてもらい脇目も振らずにご飯を食べまくっていたと後で教えてもらったことがあった。その時と同じ状況になった今のわたしは、果たして誰かを気づかえるだのろうか、無理だな。


「アヤメって…本当に優しいんだな…」


 そんな優しいあの子をわたしは手駒にすることしか頭になかったんだと、改めて自分自身に嫌悪してしまった。


「はぁーー……行くかぁ……」


 だからと言って食べるものは食べないとこのマテリアルが保たない、主に精神的に。重い足取りで部屋の扉へと向かい、あの子と鉢合わせしないように祈りながら扉を開けると、


「あ、アマンナ!良かったら今から、」


 脱兎の如く逃げ出した。



「アマンナお姉様…落ち込みすぎですよ」


「ありがとう、スイちゃん…こんなわたしのために……」


「美味しいものを食べたら元気が出ますよ」


 アヤメから逃げ出して屋上で縮こまっているとスイちゃんが声をかけてくれた。今さら食堂には行けないので食べ物を持ってきてもらうようにお願いしたのだ。所謂パシりだ。


「パシらせてごめんね…」


「ぱ、ぱし?何ですかそれ、初めて聞きましたよ」


「いや、パシりではないだろう」


「?!」

「ナツメさん!」


 声がした方を見やるとナツメが屋上の入り口に立っていた、手には何やら持っている。


「お前なぁ…まだ部屋から出てるからいいものの、アヤメから聞いたぞ、私を見るなり逃げ出しから食べ物を持っていってほしいって、あまり心配かけさせるな」


「…」


 そう言いながらわたしとスイちゃんが座っている青くカラーリングされたテーブルまでやって来て、アヤメに渡してほしいと言われた食べ物を無造作に置いた。


「こら!アヤメに頼まれたんだろ!適当に置くな!」


「はいはい、私もここに座るぞ、スイもどうだ?一緒に食べるか?」


「はい!」


 嬉しそうにナツメと並んで座り、ご飯を食べ始めた。それにならいわたしもスイちゃんが持ってきてくれたパッケージを開きもそもそと食べ始める。


(あれ、昨日何か大事なことを教えてもらったような…)


 お腹に食べ物が入っていく、何とも言えない満足感を噛みしめ、次第にすっきりとしてきた頭で考えていると、昨日タイタニスとした会話で確か皆んなに伝えないといけないことがあったのを思い出す。


「ナツメさんはどんなご飯が好きなんですか?」


 目をキラキラさせながらスイちゃんがナツメに好きな食べ物を聞いている。


「んー…そうだなぁ、美味ければなんでもいいが…やっぱり腹を空かせて食うのが一番好きかな」


「?」

「?」


 二人の会話を聞いていたわたしも、ナツメの言う事が分からず、スイちゃんと目を合わせて首を傾げた。


「はにほれ」


「食べながら喋るな」


「いた」


「あの、ナツメさん、どういう意味ですか?お腹を空かせて食べるのが美味しいんですか?」


 スイちゃんの質問を、新しいパッケージを開けながら答えている。


「そりゃそうさ、空腹は一番の調味料と言ってな、仕事終わりに食べるご飯がこれまた美味いんだよ」


 その顔は普段と違ってまるで子供のようだ、ナツメも目をキラキラさせている。


「そうなんだ…」


「ま、お前は最近になって人様になったから分からんだろうがな、食欲を満たすのは生き物の義務だ、そこに喜びを見出すのは何ら不思議ではない」


 まぁまぁだなと、わたしと同じように喋りながら食べているのでさっきのお返しで頭を小突いた。


「それとアマンナ、お腹が空いている時にあまり考え事はするなよ」


「ふぉひて?」


 ナツメに小突かれそうになったので避けた。


「悪い方へ悪い方へといってしまうからな、ろくでもない事ばかり考えてしまうんだ」


 その言葉にはっとする。さっきまでのわたしだ、何を考えてもアヤメと自分を比較して落ち込んでいたではないか。挙句にアヤメからも逃げてしまうし。


「ほうはね、ろふなほとはんはえないへ」


「お姉様…食べかすが…」


「それ、食べたらちゃんとアヤメにお礼を言いに行けよ、いいな?」


 それだけ言い残して颯爽と屋上から、スイちゃんも連れて出て行った。

 



 もちろんお礼を言いに行けるはずもなく、アヤメに出会わないようにホテルの中をうろうろとしていた。部屋に戻っても病んだグガランナしかいないのだ、外をぶらついた方がまだいい。


「あら、そういえば何か忘れているような…」


 何だっけ…確か侵入がどうとかこうとか、その後に子供がどうとか......はっ


「そうだよ、あのアンポンタンが変な事言うから変にアヤメのこと意識しちゃうんだよ」


 部屋を出て、出会した時のあの子の服装がだらしなかったのだ。寝起きでそのまま出てきたかのように、細い二の腕や鎖骨辺りも丸見えで...小さいながらもしっかりとした胸の形がシャツに浮き出ていて...触ったらきっと柔らかくて、そして...


「いゃぁ!!!!!!そんな目で見るなぁ!!!!!」


 自分の考えている事があまりにも下品すぎてその場で叫んでしまった。逃げた理由が二つもあったのだ。嫌われていないかと怯える気持ちと下心がにょきにょきと顔を出してくるので、慌てて逃げてしまった。


「あのアンポンタンめがぁ…余計なことを言いやがってぇ……」


「何をやっているのよアマンナ」


「?!!」


 驚いて後ろを見やると、ホテルの入り口からティアマトがこっちに向かって歩いているところだった。


「な、何でもない…」


「あっそう、まぁいいわ、それより…ほら、いるかしら?」


「は?」


「ほら、花の名前をした二人よ、分かるでしょ?」


「……………誰?」


「はぁ…あなた少しは勉強したらどうなの?アヤメとナツメよ、あの二人に用事があってここまで来たのよ?歩いて」


 知らんがな。


「ナツメならさっきまで屋上で一緒だったからその辺にいるんじゃない?」


「そう…アヤメは?どこにいるのかしら」


「う、あの子ならきっと部屋にいると思うけど…」


 皆んなが踏み締めたせいで段々と汚れてきた絨毯を見ながら答えた。そのせいでティアマトの怪訝な表情に気づけなかった。


「は?あの子?あなたいつの間にそんな上から目線でアヤメのことを呼ぶようになったのよ」


「………」


 ...本当だ。いつの間にこんな...


「わ、忘れて」


「あなた、あの子と喧嘩しているのよね?仲直りはしたの?」


「ティアマトも言ってんじゃん!!」


「私はいいの、あの子との仲だから」


「意味分かんない」


「もういいわ、一人でいじけていなさいな」


 グガランナと似た口調のくせに全く優しくないティアマトの背中を見送る。少しふらついているのは本当にグガランナ・マテリアルから歩いてきたのだろう。

 構ってくれない冷たい背中に仕返しするように、労りの言葉を投げかけた。


「そんなにふらついて、自分の歳考えなよ」


 めちゃくちゃ追いかけられた。



35.b



 お昼を過ぎた時、余裕の微笑みをたたえながら私の部屋にティアマトさんが訪れた。昨日言っていた通り今までの行いについて説明責任を果たしに来てくれたのだ、けれどそんな余裕の笑顔に応えられる程の余裕が今の私には無く、素っ気ない態度を取ってしまった。


「はぁ…何でそんなに笑っているんですか」


「おじゃ…お邪魔だったかしら…」


 少し傷ついたように頭を下げる、さすがに言い過ぎたと、でも舌の根も乾かないうちにもてなす言葉を言えるはずがないので、代わりに足をマッサージしようとティアマトさんの前に屈むと、


「あら、ちゃんと自分の立場を弁えているのね、感心だわ」


 いたいいたいいたいいたいたい!と、屈むのをやめて耳を引っ張りながら部屋の中へと案内してあげる。


「アヤメ…マギリの言っていた通りだわ、あなたの指はとてつもなく痛いのよ、少し手加減してくれないかしら…」


「はぁ…ティアマトさん、あのせっかく来てもらったのに悪いのですが…」


 アマンナの事で頭を抱えていると言おうとすると先回りされてしまった。


「アマンナの事で悩んでいるのよね?」


「分かるんですか…」


「えぇ、あの子もロビーであなたと同じようにきせっ……悩んでいるのを見たのよ」


 ...え、アマンナが悩む?


「どうしてアマンナが悩んでいるんですか?アマンナが私を避けているんですよ?」


「さぁね、そこまでは知らないけれど、一度きちんと話しをしてみなさいな、決して嫌っているからあなたを避けている訳ではないわ」


 ...それが出来ないから悩んでいるのに、けれどティアマトさんの話しで少しだけ元気が出てきた。


「…ありがとうございます、足、大丈夫ですか?良ければマッサージしましょうか?」


「さっきのは…」


「はい、足を引きずっているように見えたので、それにこっちまで歩いて来たんですよね」


 すると、ティアマトさんが私の手を優しく取って語りかけるように感謝の言葉を述べてくれた、それに驚く程に手が温かった。


「あなた…本当に優しい子なのね、あのグガランナが心酔するのも分かる気がするわ、嫌っている私にまでそんなに気を使ってくれるんですもの」


「いや、嫌っている訳では…」


 ティアマトさんには椅子に座ってもらい、行儀が悪いと思ったけど床にあぐらをかいてマッサージを始めた。お風呂でグガランナに言われた事が頭をよぎったので、あまり畏まらずに楽な姿勢でマッサージをしようと思ったのだ。それなのに...


「アヤメ、下着が丸見えよ?きちんと座りなさい、マッサージしてもらえるのは嬉しいけど、あなたの下着を見ても嬉しくないわ」


「………うるさいな」


「何?何か言ったかしら?………ふふ」


「何で笑うんですか?」


「いいえ、何でもないわ」


 そして、私がマッサージをしながらティアマトさんが今日までの事を訥々と語ってくれた。


「初めはね、単なる好奇心から、始まったのよ」


「…」


「あのグガランナが、あそこまで入れ込むのがとても気になったから、だからあなたの前にマギリのデータを作って寄越したのよ」


「どうしてですか?」


「…自分から会いに行ける程の勇気がなかったからよ、笑ってくれて構わないわ」


 あはははと笑うと頭を叩かれた。


「自分から言ったくせに……」


「それと、仮想世界でマギリを作った理由はね、とてもくだらない事よ、それでも聞きたいかしら」


 顔を上げず、手と同じように温かいふくらはぎを揉みながら促した。


「…教えてください」


「グガランナにね、私の偉大さを見せつけたかったの、私なら彼女の望む事をしてあげられると、私を置いて中層へ旅立ったことを後悔させてやりたかったのよ」


 上向いてティアマトさんの表情を伺う。悲しそうに私を見やり、ここにはいないグガランナのことを思っている、そんな複雑な表情だった。


「面倒くさい人ですね」


「グガランナにもよく言われたわ」


 次は私の番だと思い、怒っていた理由をはっきりと教えてあげた。


「大切な友人を二度も失ってしまいました、そのきっかけを作ったあなたに怒っていました…それだけです」


「…そう」


「…それと、マギリと会わせてくれてありがとうございました、あの仮想世界での時間はとても楽しかったです」


「…」


 また表情を伺うため視線を上げたけど、すぐに逸らした。

 まるで母親のように私を見ていたからだ。その視線に耐えきれず、あの時、落ちたエリアで初めて顔を舐められた恥ずかしさを思い出していた。


「ありがとうアヤメ、もう十分よ」


 そう言ってその温かい手で優しく私の頭を撫でてくれた、不思議と嫌な気にならなかった。


「…これから、」


 予定を聞こうと思った矢先、ティアマトさんに言葉を被せられてしまった。


「アヤメ、元気がないのは何もアマンナに悩んでいるだけではないわよね?それに、さっきちらりと見えた皆んなも、何だか元気がないように思えるわ」


 言われてみれば...いや、というかこの街は...


「…ずっと同じ明るさなので気が滅入るんですよ…」


「…………分かる」


 ほんとかよ。


「あの…今さらですけど、さっきはすみませんでした、冷たく出迎えてしまって…ティアマトさんの笑顔に腹が立ってしまって…」


「うふふっ、あなたって本当に、あの子に似てるわね」


 誰?と聞こうと思ったけど、ティアマトさんがまた頭を撫でてきたのでされるがままになってしまった。



✳︎



 見ていられないよ、何をやっているんだあの子は...せっかく見つけた相手なのに。それなのに鼻の下を伸ばして情けないったらないよ...


「あ、そうだ」


 何やら思い出したみたいだ、居住棟、彼女らがホテルと呼んでいる建物の外で、体を動かしていると急にその動きを止めて何もない空間を見つめだした。徐々にその綺麗な眉を歪めて思案顔になっていく。


「いや、でも、誰が動かせるの?」


 独り言の内容は、恐らくタイタニスに言われたレガトゥム計画の成れの果て、いや失敗作と言ってもいいだろう、ノヴァグの襲来について考えているのだ。テンペスト・シリンダーの外殻部は哀れな生き物達の巣窟となっている。


「マギールなら何とか…あれ、アヤメは確か…」


 その名を口にした途端、歪んでいた綺麗な眉が徐々に垂れ下がり薄い唇の口角が上がり始めてきた。自分でも知らないうちに彼女との思い出に浸かっているのがよく分かる。何とも幸せそうな顔をしていた。


(そんなに好きなら今すぐ会いに行きなよ)


 すると、


「あぁぁあ!!!!!だからそんな目で見るなぁ!!!!!」


(はぁ…)


 何回叫んだら気が済むんだ...この繰り返しだ、彼女にどう接すればいいのかと悩み数瞬のうちに悲鳴を上げてまるで逃げるように走り出して行く。

 けれど、今回は走らずその場でしゃがみ込み頭を抱え込み始めた。痒いの?と言わんばかりに頭をガリガリと掻いている。

 あ、良いことを思いついた。昔の日本人もよく裸の付き合いは大切だと言っていたから...


「うわぁ?!え!な、何?」


 すぐ近くにあった大昔の車に権限を乱用して盗難防止用アラートを鳴らしてあげた、案の定彼女はくだらない思考をやめて突然鳴り出した車を注意深く観察している。


「な、何で鳴ってるの?」


 それにしてもこの子独り言が多いな。

恐る恐る車に近づき、矯めつ眇めつ眺めた後そのまま後ずさる。


「え、うるさいんだけどこの車…誰か呼んでこようかな…」

 

 アラームの止め方が分からないので触らないことにしたのだろう、それでアヤメを呼んでくれるならもう余計なことはしなくていいのだがきっと違う誰かに声をかけるはずだ。

 さらに乱用して車の扉を開けてあげる。


「?!すご!え?自動で開くのこの車?凄くないですか!」


 いいから早く乗りなよ。

それにしても、大昔の車もきちんとサーバー管理されているみたいで助かった。

車に興味津々の彼女がゆっくりと近づき、開けた扉から車内を観察している。


「あれでも思ったより普通だな、アオラの車の方がまだカッコ良かったかな…」


 いいから早く乗れ!と少し苛立ってしまったのが電子神経を繋げた車にも伝わってしまった、思いの外勢いよく扉が閉まり彼女のお尻を殴りつけるようにして車内へと押し込めた。


「ぎゃあ!」


 短い悲鳴と共に助手席に監禁された彼女は慌てたように内側から開けようとしている。その顔は必死で今にも泣き出しそうだ、少し心苦しく...いや、僕に心なんてものはなかったな...まぁいいか、とにかく彼女には早く笑顔になってほしいからと自分に言い訳をした。


(会えた時にちゃんと謝ろう…)


 僕のことを覚えているかは知らないけどね。



✳︎



「何かしらこの音…アラーム?」


「………あ、ほんとですね、これ多分車のアラート音じゃ……」


 ティアマトさんと部屋で紅茶を飲みながら駄弁っていると、遠くから緊張感を煽ってくるような無視出来ない音が聞こえてきた。ホテルの駐車場に停めている移動用の車からだろう。


「……それで、アヤメはこれからどうするのかしら」


 あれ、この音を聞いても平気な人が目の前にいた。


「どうするって言われても…」


「グガランナにも言ったことだけど、流れに身を任せるのはやめなさい、きっと後悔するわ」


「何か、あったんですか?」


「……そうね、あの時は皆んな、自分の確かな意志を持っていなかったから、悲劇が起こったんだと思うわ」


 意味が分からない。


「意味が分かりませんよ、ティアマトさん、またはぐらかすのはやめてください」


 椅子から立ち上がり、温かい脇腹をつついていると絵画から通信が入った。


[アヤメ、悪イが、今かラ車を見テコイ、アラートが鳴ッて皆んな眠れないンダ]


「あ、あぁ、うん分かった、見てくるよ」


 ナツメから車のアラートを止めにいけと言われたので上着を羽織り、出かける準備をする。


「ティアマトさん、少し待っていてくださいね、すぐ戻ってきますので」


「ええ、その間にあの子の様子でもみてくるわ」


 そこでんん?と思った。皆んな眠れない?


「ナツメ?誰かと一緒なの?それに眠れないってまだ夕方ぐらいだと思うけど」


[言葉のアヤメだ]


「…」

「…」


[違う、コトバの綾だ]


 何か…様子がおかしいな。


「あなたまさか、アルコールでも摂取しているのかしら」


 ティアマトさんも様子がおかしいと思ったのか絵画に向かって怪訝な言葉をかける。

 けれどナツメは取り合わず、車を私に押し付けるようにして通話を切ってしまった。


[いいカラ、頼んだゾ]


「切れちゃった…」


「アルコールは体にも精神にも毒ね…後で廃棄しておかないと…」


 それ、マギールさんが暴れるんじゃないのかなと思いながら部屋の扉を開けるとテッドさんが立っていた。


「わ、びっくりした、どうしたんですか?」


「あー…今からもしかして、車に行かれますか?」


 私の顔色を伺うように、まるで車へ行くことを知っているかのような質問だった。


「そう…ですけど」


「それならいいです、それじゃあよろしくお願いしますね」

 

 そう言い残しすたすたとエレベーターまで向かうテッドさん。

 いやいや私もエレベーターまで行くんだよ。


「ちょっと待ってください、私もエレベーターに乗りますのでって!テッドさん?!」


 乗り込んだエレベーターを私の呼びかけも無視してそのまま扉を閉めてしまった。


(もう!階段で行かないといけないじゃん!)

 

 ロビーや食堂と違い、どこかエレベーターシャフトの非常階段を思わせる冷たい階段を駆け足で降りていく。

 どうしてテッドさんがあんな意地悪をしたのか、駐車場に着いてすぐに分かった。



「アマンナ?!」


 アラート音が鳴る車の助手席に、パニックになって今にも泣き出しそうなアマンナがいたのだ。私を見るなり窓ガラスをぺちぺちと叩き、助けを求めていた。


「アヤメ!出して!急に閉じ込められた!」


 少しくぐもった声を聞きながらドアノブに手をかざして解除する。


「閉じ込められたって…自分から入ったんじゃないの?」


「ち、違うよ!急に音が鳴ったから近寄って確かめてたら、扉が開いて、それで中を見てたらいきなりお尻をばん!ってされて、本当だよ!わたし何も悪いことしてないよ!!」


「分かった、分かったからね?ほら、降りよう」


「…………」


 差し出した手をただ眺めているだけで取ろうとしない。どうしたのかと、声をかけ、ぎゃっ?!


「アヤメ?!」


「いったぁ…え?!何?!」


 さらに車のエンジンが自動でかかり、続いて電動パーキングブレーキの解除音、挙句に緩やかにスピードが上がりそのまま駐車場を出て行ってしまった。

 私もアマンナも大パニックだ。


「なんで?!なんで?!何やったのアヤメ?!」


「何もしてないよ!!早く、早く止めないと!ヤバいヤバい!」


「アヤメ!おっぱい丸見えだよ?!何で何も付けてないのさ!!」


「そんなこといちいち言わなくていいんだよ!!!早く!アマンナ!パーキングブレーキかけて!!」


 何故か扉が勢いよく閉まり、お尻を叩かれアマンナの膝の上に寝転ぶような姿勢になっている。とても窮屈だけどその前に車を止めないといけない。


「どれ?!これ?!これでいいの?!かけるね!!」


「ばかっ!それじゃないよ!リクライニングしてどうっぎゃああ?!!」


 アマンナが間違ったボタンを操作して助手席の背もたれが倒れてしまった。


「アヤメ!駄目だよこんな所で!誰かに見られたらどうするのさ!!」


「ふざけるな!アマンナが倒したんでしょうが!!!」


 倒れた弾みで私がアマンナに覆い被さる形になった。アマンナは私の目をはっきりと見て、あの夜に見せてくれた赤い瞳ではなくいつもの青い色をしていた。


「子供!!子供はまだ早いと思うよ?!!もう少しお互いのことをよく知ってあいだ!!」


「いい加減にして!!さっきからふざけたことばっかり言って!!私に文句があるなら先に言いなよ!!今まで逃げてたんでしょ?!」


 寝ぼけたことばかり言うアマンナの頬を叩いた。


「……………ごめんなさええええ?!!スピード上がってない?!何したのアヤメ?!!」


「私じゃないよ何この車意味分かんない!!!」


 アマンナの言葉を聞き終わる前にさらに上がったスピードに悲鳴を上げる。

 暫く車の中でぎゃあぎゃあと二人、喚きあっていた。



「どこ…ここ…」


「……やっと終わった…」


 車が到着したのはポッドルームがある通路前の広場だった。密着させていた体を離して車から降りる、ずっとこの姿勢で暴走を始めた車の中で叫び続けていたのだ。声も体もぼろぼろだった。

 その場にへたり込み長い溜息をついた、私とアマンナの間で帰ったらマギールさんをめった打ちにしようと心からの約束を交わした。


「アヤメ…大丈夫?ごめんね、なんか…あほなことばっかり言って…」


「ほんとだよ…何が子供は三人までだよ、初めて言われたよ…」


 のろのろと私の隣まで来て、同じようにぺたんと座り込んだ。


「アマンナこそ下着丸見えだよ」


「もういいよ、羞恥心は車の中に置いてきた…」


「持ってたんだ」


「なんだとう?!持ってるよ!」


 肩を叩いてくるアマンナを見やり、何だか安心してきた。あんなに避けていたのに当たり前のように戯れてくるアマンナが嬉しかったのだ。


「ね、どうせならお風呂入ろうよ」


「いいね!行こう!疲れた体にはやっぱりお湯だよ!」


「いやお湯じゃなくてお風呂だから」

 

 私が先に立ち上がりアマンナに手を差し出す、今度はちゃんと握ってくれた。優しく引っ張りあげてそのまま後ろから羽交い締めにして逃げられないようにする。


「あ、アヤメ?こ、こんな所で、そんな」


 まだ馬鹿な事を言うアマンナの耳元に、今までの気苦労を返してもらうように冷たく囁きかけた。


「私から逃げられると思わないでねアマンナ、今まで逃げていた理由洗いざらい全部白状してもらうから、ね?」


 笑いかけてあげるとアマンナが泣き出した。



「いい?もう二度と馬鹿なことは言わないように」


「はい!」


「アマンナはそんな下品な事を言う子じゃないでしょ?アマンナは元気一杯の悪戯好きの女の子のままでいて」


「はい!分かりました!」


 湯船に髪の毛が浸からないようタオルで頭をぐるぐる巻きにしたアマンナが、素直に返事を返す。

 二人で手を繋いでグガランナ・マテリアルのお風呂までやってきた、鼻の穴から艦内に入って脱衣所を目指し、服を脱いだ私をじろじろと見てきたので「特殊部隊の詰所を汚した男の人と同じ目をしているよ」と優しく諭すと今の態度を取るようになった。


「それでアマンナ、どうして私から逃げてたの?」


「う、あの時…アヤメにすっごく失礼なことをしちゃったと思って、反省したんだけど…アヤメがどう思っているのか分かんなかったから…会うのが怖くて」


 湯船から手を出してもじもじとさせている。目はちらちらと私を伺うように見ているので本当に反省しているのか疑問に思った。


「アマンナ、大して気にしてないよね?本当の事を言って」


「……………アヤメも変わったね」


「アマンナ」


「気にしてたのは本当だよ」


 強めに言うとそれだけ答えて私から視線を外した。

 しびれを切らしてもう一度声をかけようとすると、アマンナも困ったように続きを喋ってくれた。


「わたしもね、何であんな事したのか分かんないんだ、アヤメが私を守ってくれるまで何だか熱に浮かされたみたいに固執しちゃって」


「何に?」


 手でお湯をすくって顔を洗うようにかけた。


「アヤメに、わたしのものになれー!ってずっと思ってて、変だよね?」


「それ、私に言うの?」


「何?この間の仕返し?」


「アマンナは私が死ぬまでそばにいてくれるんだよね?」


 私の言葉に目を見張り何を言ったのか、それとも何を言われたのか理解しようとしていた。


「………わたしそんな事まで言ってたの?」


「言ったよ、凄く嬉しかった」


「………重いとか、何かないの?」


「別に、私にはちょうどいいぐらいだよ」


 湯船から出ていた肩を浸けて浴槽の壁にもたれかかった。それを見ていたアマンナも真似をして肩を並べた。二人同じようにお風呂の天井に描かれた、山の天辺が白く塗られた臭そうな絵を見ながら話しを続けた。


「私はね、もう誰も見放したくないの、私が辛くなってくるから」


「……友達のことだよね」


「そう、アマンナだからじゃないよ、私がそうだと決めたことを守っているだけ、だからあの時アマンナを守ったの」


「…」


「私のそばから離れないと言ってくれた、その思いに応えたかったから、それを言ってくれるなら誰でもいいんだよ」


「どうしてそんなに自分を悪く言うの?何が怖いの?」


「…」


 アマンナの鋭い質問に答えを窮してしまう。何も言い返せない。


「ならいいよ、わたしもアヤメに応えるよ」


「…何それ、いつまでも終わんないじゃん」


 私はアマンナの思いに応えて、それにアマンナが応えてくれて...いつまでもいつまでも、昔の自分を払拭するために優しくし続けなければいけないのか。息が詰まりそうだ。

 けれどアマンナの言葉に考えが変わった、暗くて糞みたいな私の思いを吹き飛ばしてくれた。


「どうして?すっごく良い関係だと思わない?わたしはそう思う」


「…何が?何がいいの?」


「だって、お互いに優しくし合うんだよ?どんな時でも嫌になっても、わたしがわたしである限り、アヤメがアヤメである限り、好き嫌いとかを抜きにした最高の関係性だと思うよ」


 顔を湯船に浸けた。アマンナの細い足が歪んで見える。


「ぷはぁ」


「…何か言ってよ、わたしだけ恥ずかしいよ」


「そ、そうはもね」


「え?!何?!まさかアヤメ泣いてるの?!」


 問答無用でお湯をアマンナの顔にかけた...見られたくなかったから。


「ぶへぇ!こらぁ!」


「知らないよ!泣かせたアマンナが悪い!」


「やっぱり泣いてんじゃん!泣き虫!」


「うるさい!」


「そうやっていつまでも泣いていればいいよ!わたしがいつでも優しくしてあげるから!」


「うっはい!」


「また泣いた!やーい泣き虫やーい!」


「こんの!」


 暫くアマンナとお湯をかけ合い、のぼせて倒れる寸前まで言い合いを続けていた。

 はっきりと言うと、アマンナの言葉は嬉しかった。確かにそうかな、と思えた。相手を抜きにした思いやりは偽物だと思っていた私に、アマンナは好き嫌いを超えた関係だと言ってくれたのだ。

 脱衣所に戻り裸も隠さずにアマンナに仕返しをした。


「私の裸見なくていいの?」

 

「いや…あの、本当にすみませんでした…」


 下を向いておじぎをするように謝るアマンナを見てほくそ笑む。


「いいよーいつでも見ていいからねー」


「意地の悪い…」


 体を拭きながら文句を言うアマンナ、このやり取りに何だか背中がこそばゆくなってくる。


「………ありがとう、アマンナ」


「ほんとそういうところだからね!油断してる時に優しくするのやめてね?!グッとくるから!」


 声を上げて笑いながら身支度を整えて、アマンナとはしゃぎ合いながらお風呂を後にした。



35.c



「サーカディアンリズムの乱れだろうな、皆の体調不良は」


「さーか……つまりは何だ?」


「文系を名乗るのに名前も言えんのかね」


「さーかーであんりずむだろ?それぐらいは言えるさ」


「生き物には二十四時間周期、」


「二十五、二十四じゃなくて二十五」


 プエラの短い指摘に黙り込むどこぞの大学教授。


「……体内時計があってだな、太陽の浮き沈みに同調しておるのだ、それが崩れているから慢性的な倦怠感を感じておるのだろう」


「…おい、あれは本当に教授なのか?」

「…指摘に謝罪しないなんて…」

「…テッド達はあんなんになったら駄目だからね」


「崩れるとは?どうして崩れたら倦怠感を感じるんだ?」


「寝ている間に体内では生きていく上で必要な物を作っておる、それが常に光に晒された状態で体がフリーランを認識しないのだ」


「…何でいきなり走るとか言い出したんだ?」

「…さぁ」


「いい加減にせんかっ!!」


「悪かったよ、冗談だよ、とにかく下層が暗くならないのが問題なんだよな?」


「分かっておるなら最初から聞くな!!」


 私達の悪ふざけに怒ったマギールさんが何やら一気飲みをして、グラスをテーブルに叩きつけるように置いた。酒か?


「まーでも確かに…気が滅入るよねぁ、ずっと明るいんだもん、なんかメリハリがないというか…」


 プエラが両手で頬杖をつきながら喋る。手に押し潰された頬が歪み、何とも不細工な顔をしていた。


「ここの管轄は誰になるんだ?やはりタイタニスか?奴に頼めんのか」


「あー…頼んでみよっか、確かに言われてみれば…」


 体を起こして虚空を眺め始めた、おそらくタイタニスとやらのマキナに連絡を取っているのだろう。

 少し頬が赤らんでいるマギールさんにマキナについて質問してみた。


「なぁ、言い方は悪くなるんだがマキナ達も体内時計とやらはあるのか?言っちゃ悪いが機械の体なんだろ?いたいいたいっ」


 連絡を取っているはずのプエラが私の背中を遠慮なく叩いてくる。


「ふーむ…何と言えばいいのか…半々と言ったところかの」


 珍しく歯切れの悪い返答をもらった。


「半々?」


「無機物と有機物の融合体と言えば分かるか?」


「分からん」


「ベンゼン環という言葉は聞いたことがあるか?」


「プエラ、タイタニスさんはどうだ?」


 おまえさんからきいといて...と恨みがましく睨んでくるが、そんな事よりプエラの表情が気になった。眉根を寄せている、まさかこちらのお願いが通らなかったのだろうか。

 プエラの通信が終わるのを皆が固唾を飲んで見守る。通信を終えたプエラが真っ先に、


「アマンナは?!!!あんの馬鹿たれがぁ!!!」


 テーブルを叩きながら立ち上がり今にも飛び出しそうな勢いだったので慌てて止めに入る。


「な、何だどうしたんだ?何を言われたんだ?」


「あ、アマンナならもしかしたらアヤメさんとドライブに行ってると思うけど…」


「はぁ?!!こんな非常事態にぃ?!!何を考えてんのよ!!」


 怒りが収まらないプエラがテッドの襟首を掴み揺さぶり始めた。


「何でっ僕は関係ないよっ」


「何であの二人を止めなかったのよ!!」


「だからっ何を言われたのさっ」


 すると、食堂の入り口から当の二人が仲良く入ってきた。あんなに逃げていたくせに、すっかり仲直りして前より幾分か距離が縮まったように見えた。


「それで外に出て体操してたの?そんなんでお腹がすくわけないじゃん」


「えーそうかな、わたしお腹ぺこりんこなんだけど」


「アマンナってどこからそんな変な言葉覚えてくるの?」


「アマンナぁ!!あんた今までどこにいたのよ!!」


「うわぁびっくりしたぁ」

「どうしたの、そんなに怒って」


 驚く二人を他所にプエラがタイタニスさんと交わした内容を吠えるように伝えた。


「アマンナ!タイタニスから私達の所にあの虫達が迫って来ていることを聞いていたんでしょ?!!どうして今まで黙っていたのよ!!」


「………………………あぁ!忘れてた」


「「「「アマンナっ!!」」」」



✳︎



 愛する人の唇...それは悠久の彼方より、ヒトに受け継がれし誉れの証なり。

誰かに教わった訳でもなし、それなのにヒトは生を受けた時から求めるのだ。

 たわわに実った果実を貪るように...いや、ちょっと違うわね、そんなにはしたない私ではない、むしろへたれているからこんな詩を書いているのだ。

 単にいじけているだけだ、周りに迷惑を掛けているのは重々承知している。アマンナに渡した反省文の紙が余っていたのでベッドに寝転びながら久しぶりに詩を考えていた。


(紙に書き起こすのもいいわね)


 そうだ、後で我が師匠であるプエラに読んでもらって採点してもらおうと考えた時に絵画から通信が入った。相手はナツメさんからだった。


[グガランナ、今すぐに食堂へ来てくれ、大変な事になった]


 大変?愛する人にキスをお預けされるより大変な事などあるものか。

 返事も返さずに再び詩を書こうとすると、ナツメさんの言葉に頭の中にあった詩も吹っ飛んでしまい、寝巻き姿のまま部屋を飛び出した。


[アヤメがクモガエルに襲われて重傷を負ってしまったんだ…最後にお前を一目見たいと…すぐに来てくれないか…]



「アヤメぇぇえ!!!!!」

 

「ようし、これで全員揃ったな」

「叫んでないで早く座れ」

「ほらアマンナも立ちなよ」

「えーわたしも?」

「ティアマト、ピューマ達への伝達は?」

「もう終わっているわ」

「何で私が死んだことになってんの?」


 駆け込んだ食堂には一堂が会していた、そして愛する人がいつものように拗ねた愛らしい表情を振り撒いている。

 ナツメさんに駆け寄りこれでもかと揺さぶった。


「な、な、なつ!ナツメさん!これは!」


「わかったからっ!揺らすっな!嘘をっついたのはっ謝るっよっ!!」


「グガランナ、早く座りなさいな、皆んなあなたことを待っていたのよ?」


 どうして当たり前のようにアヤメの隣に座っているの?そしてアヤメはどうして当たり前のようにティアマトと距離を縮めているの?


「アヤメが…生きていた…そして…取られた…」



「思い込み激しすぎじゃないグガランナ、そんな簡単に死なないよ」


「…言われる身にもなってよ」


「利用される身にもなって」


「ほら、二人とも」


 ティアマトがまるで保護者のように仲裁に入った、そして話しを進めていく。


「とりあえず、ピューマの移送計画は私とグガランナ、それからマギールでいいわね?」


「え」


「うむ、先ずはグガランナ・マテリアルを中層へ飛ばす、そしてティアマトが召集をかけたピューマを艦体へ乗せてそのまま上層へと上がる、まぁ簡単だがそう上手くいかんだろうて」


「え?」


「あの、カーボン・リベラに到着したらどうされるんですか?誰が面倒を…」


「アオラだな、一旦奴に預けよう」


「大丈夫なの?アオラってあんまり面倒見良くないよ」


「だがなぁ、他に候補がいないんだ、仕方がない」


「あの」


 さっきから何の話しをしているのかしら、全く付いていけず、誰も私に構いやしない。 


「後一つ、クモガエルの襲撃はどう対処するんだ、アマンナ隊長」


「ええ?!!」


「はい、とくにありません、殴って解決するしかありません」


「アマンナ」


「グガランナぁ!!助けて!!」


「アマンナ!あんたが責任を取りなさい!あと二日しかないのよ!貴重な一日をアヤメとイチャコラして過ごしたのは誰よ!」


「それならアヤメもそうじゃない?」


「ええ?!ちょっと待って私その、何?くもがえるって知らないよ?!」


「副隊長、前へ」


「え?僕ですか?」


「いや違う、お前ではない、すまない後できちんと謝罪する」


「アヤメ、アマンナと指揮を取って」


「ええー…副隊長ってやっぱり私のこと…」


「諦めなよアヤメ、往生際が悪いよ」


「お前が言うな!」

「あんたのせいでしょうが!」

「アマンナって何でそんなに強気なの?」


 不愉快。


「指揮を取れって言われても…何をすればいいの?」


「人型機を稼働させて、必要な位置に展開させる、そこからお前らの陣頭指揮で迎え撃つ、簡単だろ?」


「なわけあるか!ナツメはやったことあんの?!」


「ない、仮想世界で教育を受けたのはお前だけだ、やれ」


「無理、いやちょっと待って…」


「それならあなた達も仮想世界で訓練を受けてきなさいな、いくらでも用意できるわよ」


「え」

「え」


「ほら!ナツメとテッドさんも仮想世界に行けばいいんだよ!それに私だって講義だけで実習はまだだ!!」


「………大丈夫なのか?私達が仮想世界に行っても……」

「あ、僕は後方担当なので外れますね」


「テッドさん、ナツメと同じ部屋で過ごせますよ」


「行きましょうか!」


「うわぁテッドってそういえば性欲お化けなの忘れてた」


「性欲お化けお兄ちゃん?」


「アマンナ、どっちか一つにして」 


「んー………………性欲お化け!」


「お前さんら真面目に話し合いをしろ!」


 我慢にならない。


「はぁ…えーとそれなら、撃退班はナツメとテッド、それからアヤメとわたしかな、他に立候補はいる?あ、プエラは確定だから」


「何が?!」


「ティアマトさんの仮想世界はどこから入れば?」


「私のマテリアルをポッドルームに預けておくわ、私がアヤメに助けを求めたのも、凍結を解除してほしかったからなのよ」


「何て大それたことを…」


「なら先ずはティアマトのぽっとるーらーを解除してからだな、その後に…何だ文句があるなら言え」


「それわざと?」

「さすがに擁護できない…」

「ポットルーラーって何さ」


「ティアマトさんのポットルーラーを解除した後にグガランナさんマテリアルで三人は中層に上がり、僕達はポットルーラーから仮想世界で訓練を受ける、これでいいですかナツメさん、他にポットルーラーに入りたい方は…」


「おい、テッド、さっきの仕返しか?」


「それで良いだろう、ポットルーラーにはプエラも連れて行け」


「はいはいポットルーラーに行くわよ」


「……分かったから、もう悪ふざけはしないから連呼するのはやめてくれ…」


「ふざけてたのかよ」

「わざとかよ」

「ナツメって意外とふざけるのよね」

「まぁ、戦闘前だからテンションが上がっているんだと思うよ」

「プエラ、気をつけてね、すぐに愛してるとか言ってくるから」

「え、むしろばっちこいなんですけど」

「えぇー…」




「いい加減にしてよっ!!!私を無視して話しを進めるなっ!!!」




 皆んなが一斉に私を見る。腕組みをしながら立っていたナツメさんも、その隣に陣取るように座っていたプエラも、生真面目に姿勢を正していたテッドさんも、やる気がなさそうに椅子を反対に向けて座っていたアマンナも、アルコールの匂いがするグラスを口につけていたマギールも、表情が分からないのは私の両隣にいるアヤメとティアマトだけだ。

 不愉快だった、私を置いて会話を進めていくことが、どうしても誰も私に説明をしてくれないのか。我慢にならなかった、まるで存在価値を否定してくるような話し合いの場にいることが。

 私が怒鳴ったことで時間が止まってしまた場を、再び口論の場に戻したのはナツメさんだった。


「お前が悪いんだろうが!!!アヤメにキスしてもらえなかったぐらいで部屋に引きこもりやがって!!!この場に呼んでもらえるだけでも有難いと思え!!!」


「なっ?!!あなたに分かるの?!!キスのお預けを食らったこの私の気持ちが!!!」


「分かる」

「分かる」

「分かる」

「グガランナ…静かにして…恥ずかしいよ」


「それが何だ!何か関係あるのか!!それにだいたい無視されたくなかったら自分から聞きにこい!!黙って口開けていたらご飯を持ってきてくれるのはアヤメぐらいだ!!」


「私は親鳥じゃないよ!何その例え!!」


「だからこうして怒っているじゃない!!何のよこの話し合いは!!さっぱり分かんないわよ!!」


「最初っからそう言えよ!言っただろう!皆んなが優しくしてくれる訳ではないと!自分から声をかけていくしかないと!」


 その言葉にはっとして黙ってしまう。確かに言われた、初めてナツメさんとお風呂に入った時に教えてもらったことだった。

 私が黙ったのを見て、ナツメさんも落ち着いたように話しを続ける。


「いいかグガランナ、人の優しさを当てにするな、ろくでもない人間になるぞ」


「そうナツメみたいに」

「うんうん」

「振られた話し?」

「しっアマンナ静かに」


「わ、私はマキナよ、に、人間じゃないわ」


「あなた、この場面で口答えするの?」


「ならそれでいい、ろくなマキナにならないぞ、聞きたいことがあるならその口で言え、いくらでも教えてやる」


 真っ直ぐに見つめられてしまい、言葉が出てこなくなってしまった。何を聞けばいいのか、何から聞いたら分かるのか、それすらも分からない自分がここにいた。


「な、な、何から聞けばいいのか、分からないわ、お、教えてちょうだい」


 私の隣で小さくかぶりを振って下を向くティアマトが目に入った。恥ずかしさでさっきとは違う意味でこの場から逃げたかった。

 けれどナツメさんは一つ頷いてからゆっくりと話してくれた。


「それが当たり前だ、いいかグガランナ、余計な意地は張らずに素直に聞け、それが一番物事を理解していくのに手っ取り早いんだ」


「…」


 これで良かったのかと、心にすとんと何かが収まった。


「私達は今、中層にいるピューマと呼ばれるティアマトさんの子供達を上層へ移送する話しと、二日後に襲ってくるクモガエルの撃退について話し合いをしているんだ」


「……えぇ、アマンナが隊長を任された訳は?」


 隣に座っていたプエラが答えた。


「このアンポンタンが昨日にタイタニスから教えもらっていたのに、誰にも報告せずにアヤメと遊んでいたからよ、本人は仕方がなかったと言ってまるで反省してなかったから、だから責任取らせているのよ」


「アンポンタンはタイタニス…」

「アマンナ」

「黙っておれ」


「分かった…ピューマを上層に持って行くのは何故かしら」


「資源の問題を解決してもらうためだ、それについてはマギールさん、説明を頼めるか?分かりやすく!」


「承った、よく聞けグガランナ、上層の人間達はメインシャフトの循環区でリサイクルされる前のナノ・ジュエルを採取して利用していたのだ」


「…それで?」


「採取したナノ・ジュエルは使用後に破棄しておるみたいだから、それをピューマ達に洗浄させてもう一度資源として再利用させる計画だ、その大事な移送を儂とティアマト、それからお前さんのマテリアルで実行するつもりなんだ」


「珍しく分かりやすいな」

「本当ですね」

「お酒入ってるからじゃない?」

「ずっと飲んでればいいよ」

「あれ…何か忘れてるような…」


「分かった、けど断るわ、私はアヤメの隣に居たいもの」


「…」

「…」

「…」

「…」

「はぁ…」

「…」

「なら一緒に仮想世界に来る?」

「皆さーん、お食事お持ちしましたよー」


 私を交えた話し合いは、夜の帳を潜り抜けても終わらなかった。



35.d



[というわけでタイタニス、上層にいるアオラという人間にコンタクト取ってくれない?]


[断る]


[あそう…ならあんたが隠しているマテリアルを使って向かわせるけどいい?全部の層にあるわよね?]


[…それは権能の乱用では、]


[あんたがそれ言うの?ならマテリアルは鉄屑に変えておくわよ?]


 暫く沈黙し、逃げの一手を考えていると通信の相手がナツメと呼ばれる人間に変わった。

 司令官とは違い、独特の重みを感じさせる知性のある声だった。


[ナツメと申します、プエラ・コンキリオの急なお願いは私達から端を発したものです、話しだけでも聞いていただけないでしょうか]


 脳裏に昔相手にした人間達の顔が過ぎる。そのせいもあってか、不快な感情値もいくらか減少し続きを促した。


[聞こう]


[感謝致します]



✳︎



「せーのっ!ほらもう一度!せーーのっ!」


 マテリアル・ポッドが置かれた広大な部屋に男女の入り混じった声が響き渡る。彼らがこじ開けようとしているのはティアマトのオリジナル・マテリアルを格納する大きな扉だ...いや、開けようとしているのは延べ数十メートルに渡る大扉ではなくその隣に併設された人間サイズの扉のようだ。彼らはきっと手動操作による凍結解除が目的のようだ。

 リーダー格の男..............いやあれは女か?あんな胸の無い女性は見たことが無かったから判断が狂ってしまった。


「本当に開くのかこの扉は……というかこの部屋、と言っていいのか?とんでもなく広いな…」


「もしかしたら第一区ぐらいの面積では…端っこが見えないですよ」


 リーダー格のおとこ女の隣に立った少女がゆっくりと立ち上がり遠くを見渡すように額に手を当てて見やっている。ここはポッドルーム、覚醒したマキナ達のオリジナル・マテリアルを格納する場所であり、建造当時は無かった後付けの施設のようなものだ。下層の外壁に沿うように作られたポッド・ルームは楕円を伸ばしたような形をしており、下層の約半周程の面積を有している。


「はぁ…入り口近くにあったのが幸いだなこれは…あんな端っこなら行くのにどれだけかかるのやら」


 おとこ女が肩を落とし溜息をついている。手動操作盤の扉に悪戦苦闘した疲れと、広大な面積に思いを馳せていらぬ気苦労までしたのだろう。


「スイちゃんにやらせたら駄目なの?一発でいけるんじゃない?」


 グガランナの子機であるアマンナが同じように疲れた声を出して、人型機に転身出来る変わった小さなマキナに助けを求めたようだ。だが、近くに待機していたティアマトが言下に却下した。


ー駄目、扉が壊れるわー


「えぇーーー………もう何時間やってると思ってんのさぁ…」


ー扉のロックは解除されたの、早く開けなさいなー

 

 ティアマトの声は竜型マテリアルの口から発せられている。高さは三十メートルはあるだろう巨大なマテリアルは、我々マキナの中でも三番目の巨大さを誇っている。


(うーん…ここいらで手助けするのも…)


 先日、この下層から異常なハッキングを受けたとしてプログラム・ガイアから調査指示をもらってやって来たのだ。誰が彼女らに手を貸したのか、とても興味深い。ここで彼女達の計画が頓挫してしまえば尻尾を掴む機会がさらに減ってしまうだろう。元来の好奇心に押されてすぐさま連絡を取った。


[ガイア、ティアマトのマテリアル・ポッドを開けてくれないかい?とても困っているみたいなんだ]


[申請理由を]


 端的に返ってくる自動音声に答えた。


[ハッキング元を辿るためさ、彼女達のためじゃない、いいのかい?アクセス場所すら特定出来なかったんだ、そんな犯人を野放しにしている方がよっぽど不利益だと思うよ?]


[承認致します、扉の開放まであと一分]


 ありゃ、気の早い。


「んんん?何か…外れる音が…」


「ん?揺れていないか?気のせい…」


 彼女達はポッド・ルームの扉の上に立ち作業をしていたのだ、とても危ない。プログラム・ガイアが即決で判断を下したため彼女らが退避する前に扉が開き始めたのだ。早速叫び声がこだまする。


「何か開いてますよーーー?!!何やったの!!」


「私がそんなことするかっ!!おい全員逃げろっ!!」


「うわうわうわっ?!!」


ー早く私の手に乗りなさい!ー


 マテリアルを格納する扉は各マキナ達の体格に合わせて作られているのは勿論のこと、三番目の巨大さを誇るティアマトの扉もまた同じ巨大な扉を有しているのだ。

 竜の後ろ姿を真上から見たような形に作られた扉が、端から順にロックボルトが外れていく。空気の抜けるような音と共に一枚ずつ補強扉が開き、中からさらに主要扉をロックしていた無慈悲な光を湛えたボルトが姿を見せる。


「でっか!!何あれ!!」


「喋ってないで早く乗れ!!」


「ティアマトさん!上がってください!」


 少じょ......いやぁあれは男だな。騙されないぞ僕は、あれは間違いなく股間でモノを考える生き物だ。何故?男なのに少女のような顔をしているのか...男の娘?とにかく彼が声を上げたと同時に一番近くの補助扉が勢いよくスライドし、ティアマトの手の下を殺人的なスピードで通り過ぎた。


「あっぶなぁ!!」


「はー…」


「もう大丈夫ですかね…」


 男の娘の声に応えるように、主要扉のロックボルトが盛大に圧縮空気を周囲に開放した。その圧力もまた、人の身で浴びたら無事では済まないだろう、手のひらに乗せた虫のように彼方まで飛んでいってしまうからだ。


ー何故急に開いたのよ?!こんなことならこの子達を連れて来るんじゃなかったわ!ー


「ティアマト!」


 アマンナの呼び声と共に手のひらに乗せた彼女らをもう一つの手で覆い隠すように守った、そして圧縮空気の衝撃。


「熱い熱い熱い熱い!!!」


「サウナ?」


「グガランナさんの方がまだ熱いですかね」


 平気なのかこの二人は?ティアマトの手で守られているからといっても、巨大な高温の空気の塊を浴びているのだ、それを、サウナ?のたった一言で済ませたこの二人に大変興味が湧いた。

 いやはや、興味は尽きない。この世は不思議と未知と理不尽で出来ていると、向こうの僕もよく言ったものだ。


 こうして、彼女らとの初めての邂逅を終えた僕は、とくに報告することもなく再び電子世界の旅へと出るのであった。

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