第三十四話 アヤメとグガランナ2
34.a
「断るわ」
「何故かね、上層の人間達にも、ひいてはピューマ達のためにもなることだ」
「気に入らないもの、そんな事のためにあの子達を作ったんじゃないわ」
「今、目の前に人間達がおるのだぞ?」
「だから何?彼らの問題でしょう、私の可愛い子供達を体よく使うのはやめてちょうだいな」
「…」
「話しは終わりね、さっさとここから出て行ってちょうだい」
「ならん、ここでお前の許可を得るまでは出るつもりはない」
すると、上から何かが降りてくる足音が聞こえてきた。床を叩きつけるようにバランスを取りながら、甲高い音と振動を伴いながら聞こえてくるその音はグガランナさんマテリアルで聞いたものとよく似ていた。
隣に立っているナツメさんに視線を投げる。一応用心しておけと、目で警戒するように指示を出してくれる。程なくして、グガランナさんのマテリアルと同じ、手足がない人形のようなマテリアルが一人でに現れた。
「追い出してちょうだい、とくにこの男を」
「了解シマシタ」
「喋れるのかよ!」
「喋れるんですか?!」
僕とナツメさんの驚きを合図にして、ティアマトさんのマテリアルがマギールさんを羽交い締めにしたので必死になって止めた。
◇
空を見上げることが出来ない鋼鉄の大地での生活に慣れ始めた頃、僕とナツメさんはマギールさんの言いつけでティアマトさんのマテリアルへ足を運ぶようになっていた。これで三度目、交渉はまたもや失敗したようだった。
痛めた肩を労るように揉んでいるマギールさんのしわだらけの手を見ながら声をかけた。
「どうしてティアマトさんは反対するんでしょうか、良い話しだと思うんですが…」
マキナさん達のマテリアルが置かれているポッドルームへと続く道を、来た時とは逆の方向へ歩いていた、まぁ追い返されたからホテルへと戻っているわけなんだけど。
ホテルとポッドルームを繋ぐ通路はとても無機質。足元を照らすライトと頭上から無遠慮に投げかけてくる、見たことがない蛍光灯の明かりがあるだけで他に何もない、グガランナさんマテリアルのお風呂に行く時も一人では歩きたくないのでよく誰かと連れ立って行くのが常だった。
僕の質問にマギールさんではなく、ナツメさんが答えてくれたけど要領を得ない内容だった。
「私にもよく分からんが…なぁ、やっぱりあの事はきちんと伝えたほうがいいんじゃないのか?」
「それはならん、奴をさらに怒らせるだけだ」
「いや怒らせるとかでは…マギールさんの話しも一方的すぎるんだよ、あんな言われ方をされたら誰だって嫌がるに決まっているさ」
ナツメさんの言う事も最もで、マギールさんの説明の仕方は、だらしないお前の代わりに儂がピューマに役目を与えてやろう、だからつべこべ言わずにピューマ達に指示を出せ、みたいな言い方をしていたのだ。
「事実だ」
「いやいやいや…」
「あの、さっきのあの事とは何のことですか?」
触れてはいけない話しだったみたいでマギールさんに静かに怒られてしまった。
「テッドや、いくらお前が人形のように可愛かろうと出来ぬ話しもあるのだ」
いや怒られていないな単に気持ち悪いことを言われただけだ。
けれどナツメさんは知っているようで、心配そうにマギールさんの背中に視線を送っていた。
そうこうしていると通路の出口が見えてきた。歩いてきた僕達に早く出て行けと、まるで追い出すように扉のロックが自動で解除された。
「これ、何だか嫌ですよね」
「そうか?私は便利だと思うんだがな」
扉のロックは、中央に丸い蓋のような物とさらに細い棒のような物が斜め十字を切るように取り付けられているのだ。先に棒が引っ込み、丸い蓋が回転する仕組みになっている。
「ここは最重要区画だからな、設備も当時では最先端の物を使っておるのだ」
「ふーん…」
「でも自動扉なら僕達の街にもありますよね」
「何ならお前さんらの認証を、風呂に入っている間に消去しておこうか?二度出られなくなるぞ」
「ほーん…」
「閉じ込められてもグガランナさんマテリアルがあるので何とかなりそうですけどね」
「お前さんら…」
恨めしそうに僕達を見るマギールさんと共に通路から出る。
出た先はちょっとした展望台のようになっている、あまり見ても楽しくないが下層の街を見下ろすことが出来るのだ。
展望台になっている場所には車が一台駐車されていてる、僕達が乗ってきたものだ。この下層はとんでもなく広い、ホテルがある一画まで車で暫く走らないといけないのだ。下層の街を行き来できるように昔に置かれたものらしいけど...
「しっかし、この車は物持ちがいいとか、そんな次元ではないな、どうやって維持していたんだ?大昔の骨董品だろ?」
下層の建設が始まった時の当時の車らしいけど...確かに人の手入れもされていないのに錆も故障した箇所もまるでない。カーボン・リベラの車屋さんに置かれた新車のようにピカピカだった。
「人の手入れではなく、マキナの手入れがあったのさ」
「はー…車好きのマキナもいるんだな」
(そういう話しなのかな)
ナツメさんの返しにとくに突っ込むこともなく後部座席に座るためドアノブを掴んだ、瞬間、手にビリリと痛みが走った。
「いた!」
「テッド、次は私のドアノブを触ってくれ」
「自分でやってくださいよ!」
「後で一緒に風呂に入ってやろう、駄目か?」
無視して後ろの席に座ってドアを閉めた。少ししてからナツメさんも、いた!と言いながら助手席に座り込んできた。
「何なんだよこの車は…どうして乗る度に痛い思いをしないといけないんだ…」
「この時代の車は自動で静電気を除去してくれる装置が付いておらんからな、お前さんらが生温いのだ」
「意味が分からない…」
小さくかぶりを振っているナツメさんを横目に見ながらシートベルトをかける。
マギールさんの後ろ姿を斜めから見やるとエンジンスタートボタンを押したところだった。そして、体が一瞬揺れる程のエンジンが始動して、これでもかと音が室内に響き渡ってくる。
「安全運転で頼むぞマギールさん、行きしのスピードは出さなくていいからな」
「何とつまらんことを…お前さんは肝が座っているのか乙女なのかよく分からん奴だな」
「うるさい、いいから飛ばさないでくれ」
ナツメさんの注意を聞く気になったのか、ゆっくりと車をUターンさせてから展望台から地上へと続く少し急な坂を下り始めた。
◇
「やー…ほんと何にもないですよねぇ」
流れていく変わらない景色を見ながら独りごちる、窓を開けて手に顎を乗せながらぼんやりと眺め、顔に叩きつけてくる風を食べるように間抜けに口を開いたり閉じたりしていた。
「…そうさな、すこし遠回りをして帰ろうかの」
「ん?どこか寄れる所でもあるのか?」
見え始めていたホテルを通り過ぎ、いつも左に曲がるT字路を右にウィンカーを出してから右折していく。
「まめな…誰も走っていないんだからウィンカーは出さなくてもいいだろう」
「お前さん、早朝に事故を起こすタイプだな」
「それか深夜ですね」
「…」
手を振りながら降参したナツメさんに畳みかけた。
「いいですかナツメさん、そういった気の緩みや怠慢が事故に繋がるんですよ?」
「はいはい、分かった分かった」
耳が少し赤くなったナツメさんに満足しながらマギールさんに声をかけた。
「何処に行くんですか?まさかこんな所にも観光地があったり?」
少し体を斜めにし、アームレストに肘を置きながら運転しているマギールさんが小馬鹿にしたように答えた。
「そんな訳あるか、あるなら一人で何回も行っておるわ」
腕を持ち上げ顎に手をやりながら片手で運転しているのでどこか危なっかしい、けれど不思議と様になっていた。
「なら何処へ行くんだ?」
「着けば分かるさ、面白い物が見れるぞ」
◇
「あーこれね、はいはい」
「他には?これだけなんですか?」
「……最近の子は何を考えているのかさっぱりだな」
着いたのは下層の街でも珍しい広く開けた場所だった、さらにグガランナさんマテリアルでも見た大型のマテリアルが地面に膝をついた状態で何体も並んでいたのだ。これだけ?
「何が面白いんだこれ?」
「さぁ…」
「私はてっきり大きなお風呂でもあるのかと期待していたんだが…あったのは機体だな」
くだらないダジャレを無視してマギールさんを見やるとフェンスゲートの手前で何やら操作をしていた。ぐるりと囲われた中に大型のマテリアルがあり、列をなした近くには比較的小さめの建物もあった。さらに奥には...ここからではあまり見えないけど上層の街で見た、工事現場で使われる建材やらが山積みにされているようだった。
フェンスゲートに貼られた昔の文字が、黄色と黒色の線で書かれているが生憎読めない。ダメ元でマギールさんに聞いてみると、
「立入禁止」
片言だけど教えてくれた。
フェンスゲートに取り付けられた操作盤で何やらやっていたようで、軋む音を鳴らしながらゲートが開いていく。
「マギールさん…読めるんですか?!」
「当たり前だ、世界共通語が分からない大学教授がどこにおる」
「せかいきょうつうご?それは一体何ですか?世界とは、前に言っていた地球上のという意味ですか?」
「お前さんは文系だな、あれを見ても興奮せんとは」
「マギールさん、それなら私も文系になるぞ」
どうして二人とも無視をするんだ!と怒りながらも、てくてくとマギールさんの後を付いて行くナツメさんは何だか可愛かった。
◇
[どうだ、少しはこの人型機の魅力が分かったか?血肉沸き踊らんか?]
[踊らんな、私は文系だからな]
「ナツメさん…いつまで拗ねているんですか…さっきのダジャレはとてもつまらなかったですよ」
[そこは嘘でも面白いと言うのが副隊長というものだろう]
忘れていた。そういえば僕は第一部隊の副隊長をしていたんだ、自分の役職を思い出したと同時に胸から胃にかけて苦しいものが再び通り過ぎていく。
[ナツメ、言葉を慎め]
[…悪かった、軽率だった]
「…いえ、大丈夫ですよ」
また、昔の文字で書かれたモニターから、1、と表示された小さな画面が点滅して、気づかってくれているのが手に取るように分かるナツメさんの声が聞こえてくる。
それにマギールさんが諫めるということは、僕が中層の街でやったことを知っているのだろう。そうとは知らずに見えないところで心を配ってくれていたんだと、改めてこの二人に感謝した。
空気を切り替えるようにナツメさんが明るい声でマギールさんに指示を求めた。
[それで、私達に何をさせる気なんだ、艦長殿]
[よくぞ聞いてくれた、今からデモンストレーションを行うからこの魅力を思う存分に味わってくれ]
[いやだから、さっきから興味がないと、うわっ?!]
「びっくりしたぁ…」
当然目の前に景色が現れたんだ、驚いて当然だと思う。さっきまでは白一色で統一されていた、少し歪んだボールを裏側から見ているような光景だったのに、ひとがたきと呼ばれたマテリアルの高さの目線で景色が表示?と言えばいいのかな...とにかく周りの景色が見えているのだ。上を見上げれば相変わらず空が見えない悲しい天井があって、横を見ると同じマテリアルに乗っているナツメさん、さらに後ろも見えていて、マギールさんに読んでもらった立入禁止と書かれたフェンスゲートもあった。
[このマテリアル…どんなカラクリなんだ?何故景色が見えるんだ]
[頭部の前と後ろに付いているカメラをコクピットに投影しておるのだ、それとさっきからマテリアルと呼んでおるが、こいつはマテリアルではないぞ、特殊災害対応型戦闘機という名前だ]
[とくしゅたいおう…戦闘機?ということは…]
[そうさ、プエラが自作したあの翼を持った戦闘機の派生型だ]
二人の会話を聞きながら、さっきからモニターに表示されている文字ばかり目で追いかけている。さっぱり分からない。
[少しは踊ってきたかね?文系のお二人さんよ]
[あ、あぁ…こいつは動かしてもいいのか?]
[無論だ、二つのレバーがあるだろう?それをゆっくりと前に倒してみろ、いいかゆっくりとだぞ!]
言われた通りに僕もレバーを握る。座っている席の下側から上に突き出すようにレバーがある、グリップは滑り止めでも付いてるのか握りやすくそして軽い。杖のようにグリップの上にはボタンやら小さなトリガーやら、たくさん付いたでっぱりもあった。
ゆっくりと前に倒すと、マテリアル...ではなかった人型機がゆっくりと足を持ち上げて一歩前へ踏み出した。視界が小さく揺れて持ち上げた足を地面に置き、そしてもう一本の足も同じように上げる。不思議と振動はなく滑らかな動きだった。
[すご、凄いなこれ!こいつで風呂まで一走りしたいぐらいだ!!]
[随分とアクティブな文系もいたもんだな]
隣を見ると僕よりいくらか速度を上げてナツメさんが人型機を歩かせていた、その動きは人そのもの。すると、ナツメさんを示す1と表示された画面から大きなエラー音と慌てる声が聞こえてきた。
[な、何だ?!この音は!おいマギールさんこれは何だ!]
[急にレバーを動かすからだ、速度が遅い時はゆっくりと、速度が速い時は素早く動かせ]
分かりやすい説明で的確にアドバイスをする。
[わ、分かった、速度はどれくらいまで出せるんだ?]
マギールさんの言葉に僕もびっくりしてしまった。そんなには速く出せるのか。
[地上なら、さっき儂が運転した車と同じぐらいなら出せるな]
[そんなにか?!ちょっと待て、地上というとことはもしかして]
[あぁ、専用のユニットに換装すれば空も飛べるさ]
[空はお前に任せたぞ、テッド]
[いや何でですか]
どんだけ空が嫌いなんですか。
僕も怖がりながらも、マギールさんに言われた通りゆっくりと大きくレバーを倒していく。するとぐんぐんとスピードを上げていく、視界は細かく揺れてしまっているがそこまで不快ではなく、まるで自分が走っているような感覚になった。
[テッド…お前凄いな…尊敬するよ…]
[テッド、素早くレバーを左に倒せ、方向転換してこっちまで戻ってこい]
フェンスゲートからでは見えなかった建材の山がある所にまで来た、そこでレバーを左に倒すと視界がそのまま横に倒れ...いやちょっと待って!!!
[うぎゃあ!]
……………………怖…………怖かったぁ……………
思っていた程の衝撃はなく固いベッドに倒れ込んだような感覚だった、でも痛い。左肩とお腹、それと何故か右足もチクチクと痛んでいた。
どうやら人型機が左向きに倒れてしまったようだ、斜めの視界には膝を付いた他の機体が僕を馬鹿にするように見下ろしていた。
[あーすまん、さっきのは空中でのヨーイング操作だった、言い方が悪かったの、倒すのではなく方向転換をしたいレバーを引くんだった]
[テッド、私がマギールさんをぶん殴っておくから怒りを鎮めてくれ]
「いや…怒ってませんけど」
いや怖かったけども、よく考えてみれば人型機の目線の高さは、僕が使っているホテルの部屋から見た高さと同じなんだ。そんな高いところから一気に地面へと視線が移動はするのは怖いなんてものではなかった。怖かった。
[まぁ、今ので根性付いただろう、失敗あっての成長だからの]
「ナツメさん今すぐマギールさんを殴ってください」
[任せておけ]
絶対にあなたが言っていい台詞ではないですよね。
34.b
「お帰りー、ティアマトさんはどうだった…って、テッドさん?!どうしたんですか…」
「まぁまぁ…一体何が…喧嘩でもされたのですか?」
「似たようなもんだ」
「いや違いますから」
帰ってきたテッドさんはナツメさんに支えられ、マギールさんは左頬に赤い痣が出来ていた。
「訓練中の事故だ、それよりアヤメ、儂を治療をしてくれんか」
「あ、はい、分かりました」
マギールさんがとても痛そうにしていたので医務室へ向かおうとすると、
「いやいや」
「自分でしなさいな」
「あの…いくらなんでも、あのアヤメさん持ってきてあげてください、マギールさんに自分でやらせますので」
「…」
皆んなが一斉に文句を言い出した、何気にテッドさんが一番キツいような気がするのは気のせいかな。
ロビーのソファに二人を座らせてグガランナと一緒に医務室へと向かう。食堂よりさらに奥に医務室があり、何度か足を運んだことがあったのでとくに迷うことなく医務室へと辿り着く。
「そういえばさ、どうして私ってここの医務室で検査を受けなかったの?同じようなポッドがあるよね」
「ここのポッドは簡易型の物だから、精密検査は病棟に行かないとないのよ」
「そ、そっか…」
近くない?グガランナっていつもこんなに距離詰めてたっけ。
「あー…あった、救急箱」
「アヤメ、私が持つわ、重いでしょう?」
「ううん、大丈夫だよ」
「…」
「あ!やっぱり持ってもらおうかな、はい!お願いねグガランナ!」
「ええ!」
いやぁ…やりづらいなぁ。グガランナとは何だか久しぶりのような気もする。頭に大怪我をしたあの第三区ぶり、だもんねぇ...
「あーグガランナ?そんなに気を使わなくても大丈夫だよ、だからね…」
「…私、余計な事を…したかしら、これでも…アヤメの事を…一番に、」
「あぁううん何でもないよ!気にしないでね!ほら行こう!」
「ええ!」
◇
「グガランナさんが重い?前からなのでは?」
「いや、それがですね、輪にかけてひどくなっているというか…」
「はぁ、あ、これ食べますか?」
「あ、ありがとうございます」
二人を治療した後、たまたま食堂でテッドさんと一緒になったのでそのままご飯を食べることにした。グガランナのマテリアルから持ってきたという花瓶やテーブルクロス、それに可愛らしいクッションなんかも置かれているので、初めて訪れた時より随分と華やかになっている。
「まぁでもある程度は仕方がないと思いますよ、上層の街でも随分と心配されていましたし」
「そうなんですね…私、第三区で別れた時もグガランナと喧嘩してしまいましたし、それで余計に気をつかってもらっているんでしょうか」
「仲直りはされたんですか?」
食事をしながらも私の目を見て話してくれるテッドさんの気づかいは、上の街にいた時と何ら変わりがなかった。
「それが…まだなんです…ちゃんとごめんねと言った訳じゃなく…」
「はぁ、された方がいいと思いますよ」
「ですよねぇ…」
可愛い顔をしてはきはきと言ってくれるので昔から良く相談に乗ってもらっていたのだ。少し癖っ毛のある髪も最後に見た時より伸びているので、いよいよ女の子にしか見えなかった。
「アヤメさんはグガランナさんマテリアルのお風呂には入られました?気持ちがいいですよ」
「まだですね、というか一度も行ったことないんですよ」
「良ければ今から行きますか?グガランナさんも誘って」
「いいですね!そこで私から話しをしてみます!」
「はい!」
✳︎
「あとこれも…あぁ、あとこれもいるわね、それから…」
アヤメから一緒にお風呂に入ろうと、食事を終えた時間帯に絵画から通信が入った。我が耳を疑ったが、三回も聞き直したのでどうやら本当らしい、それから私は慌てて荷造りを始めているのだった。
「なーにさっきからニヤニヤ笑って気持ち悪いよ、病棟に連れて行こうか?」
謹慎中のアマンナが馬鹿にしたように声をかけてきた。
「あなたね、私のことはいいから反省文を書きなさい、まだ全然出来ていないじゃない」
「これ何か意味あるの?誰が読むのさ」
「アヤメよ」
「…アヤメ、わたしのこと何か言ってた?」
胸の前で手を組み心底気にしているように聞いてくる、あれからアマンナは一度もアヤメと会おうとしないのだ。理由を聞くと、本当に馬鹿なことをしてしまったと反省しているようで、嫌われていないか怯えているようだった。
「何も言っていないわ」
「…そっか」
プエラに教えてもらった通り...なのかは分からないけど、今アヤメと会わせるのは良くない気がするのでいつもはぐらかして答えている。
自分から会おうとはせず、ここでアヤメに優しくされてしまったら恐らくアマンナはアヤメに心酔してしまうだろう。
(まぁ…私も人の事は言えないけど…)
「落ち込む暇があるなら書きなさい」
「…グガランナの悪口書いてやる」
「それはやめて」
あれ、案外平気だったりして。
気に病みすぎたのかなと思っていると壁に掛けられたセンスのない絵画から通信が入った。
[グガランナー準備出来たー?そろそろ行こっかー]
「ええ!もちろん今すぐ行くわ!」
ひ、人の事はい、言えないわね...
アヤメの呼びかけにすぐさま答えていると、遠くから聞こえてはならない声がした。
あやめさんのへやはひろくていいですね、と絵画の通話機能がテッドさんの音声も拾っていた。
「お、男の人がアヤメの部屋に?!こうしちゃいられない早く助けにいかないと!」
「男の人ってテッドじゃん」
「いい?!あなたは反省文をちゃんと書いていなさい!お土産ちゃんと買ってきてあげるから!」
「自分のマテリアルでしょうが何言ってんの」
アマンナの言葉に返事も返さずに部屋を飛び出すように出て行った。
◇
「え、アヤメさんが運転されるんですか」
「はい、ここなら誰にも迷惑をかけないと思いますので、たまには運転してみたいんです」
「え、えぇ………まぁ」
「それにこの車カッコよくないですか?一度乗ってみたかったんですよ!」
「確かにこの車はカッコいいですよね、ボンネットスペースも長くてラインも綺麗ですし」
「そうなんですよ!とくに斜め後ろからの眺めがツボにハマる感じで、見ていて飽きないですよね?!」
「そうですか?僕は前から見るのが一番好きですよ、こういう車もカーボン・リベラで作ってくれたらいいんですけどね」
「えー前から派なんですね…それは無理じゃないですか?一般車両はモーターエンジンって決まりがありますし、このエンジンは液体燃料使ってるんですよね」
「しかもガソリンらしいですよ」
「え?!そうだったんですか?!道理で迫力あるエンジン音だと…」
「ナツメさん泣いてましたよ?マギールさんの運転に」
「あーナツメはこういうの苦手だから…そんなに速く走れるんですね」
あれ...何か...私この二人の邪魔してない?全く話しに付いていけないのでさっきから木偶の坊みたいに突っ立っているだけだ。それにアヤメってあんな風に喋るのね...意外な一面を私以外に見せているのはショックだった。
「そんな事ありませんよ?今日も人型機を操縦して楽しそうにしていましたし、それにダジャレなんかも言ってて滅多に見られないナツメさんは面白かったですよ、アヤメさんは聞いたことありますか?」
「………ありますよ、ナツメのダジャレ」
「そうなんですね!どんなダジャレを言っていました?」
「あー……何だったかな、結構前だから……あーでも確かに面白いですよね!ナツメのダジャレ」
「そうですか?僕は面白くなかったので何も言わなかったんですが、無視するな!って言ってまるで女の子みたいでしたよ」
「……………………分かります、ナツメはたまに女の子みたいになりますよね」
あれ、何だかこの二人ナツメさんのことで張り合ってない?そんなに仲良くないのかしら...
これならいけるとありもしない強気で声をかける。
「あ、あの、そろそろ行きましょうか!時間も遅いですし」
「そうですね」
「ごめんねグガランナ、待たせちゃって」
私に声をかけられるのを待っていたかのように、すぐに返事を返す二人。普段からこんな感じなのだろう、アヤメもテッドさんも敬語を使っている理由が何となく分かってしまったかもしれない。
「それじゃあ行こっか、私が運転するから何かに掴まっててね」
「ええ!」
「…」
何かに掴まっててねってどういう意味だろうと疑問に思いながらも助手席に座った。そして隣の運転席にアヤメが座った時に、まるで私がアヤメのモノになったような確かな征服感を感じていた。
アオラさんの時とは違い隣に座る愛する人の空気をこの身で受け、そして横顔を独り占め出来る特権に浸っているとすぐに理解してしまった。
「それじゃあ行くね!」
◇
「テッドさん、ちょっとよろしいですか」
「…はい」
テッドさんの顔はとても疲れているように見える。きっと私もそうに違いない。
ここは私のマテリアル、艦内にあるお風呂に一番近い休憩スペースだ。そこでテッドさんに出発前について少し強めの文句を言った。
「何故、黙っていたのですか」
「…あまり怖がらせるのも悪いと思いまして…それにアヤメさんも運転技術が更生されているかと期待したのですが…」
更生って...
「死にかけましたけど?」
「すみません、帰りは僕が運転しますので…」
そう言い残して元気のない足取りでお風呂へと向かっていった。
...アヤメってね、どうしてそのタイミングでアクセルを踏むの?というタイミングで遠慮なくアクセルを踏むのよ。この街は基盤を模して作られているのかやたらと行き止まりが多く、何度も衝突しかけたのだ。道が分かりにくいとかではなく愛する人のアクセルで!
それに左側の車間距離が掴めていないのかはたまた天才的なのか、スレっスレのスレスレで壁沿いを走るから何度悲鳴を上げたことか...
まさかアヤメとの初ドライブがこんな恐怖体験になるとは夢にも思わなかった。ちなみにアヤメは先にお風呂に入っている、コアルームの調子を見てくると嘘をつき、テッドさんに目だけで召集をかけたのだ。
重い足取りでお風呂へと向かう。休憩スペースを出て右手に行くと、クモガエルが襲撃した際にテッドさんとナツメさんの優しさに触れた、あの通路に出る。まだ微かに臭う異臭に耐えながら、今からアヤメとお風呂なんだと気分を切り替えた。
脱衣所で服を脱いで菱型に作られた湯船へ足を向けると、アヤメが少し落ち込んだように浸かっていた。私に気づいて視線を上げ、申し訳なさそうに謝ってきた。
「さっきはごめんね…運転…下手だったよね」
(自覚があるなら何とかして!)
と、言いたかったけど言えるはずもなく。ゆっくりと彼女の隣に肩を並べた。
けど我慢が出来なかったので怒った。
「アヤメ…………めっ!!」
「…」
睨んできた。
「アヤメ、あなた分かってて直す気がないのね、その顔を見ればよく分かるわ」
「………そうでもなくない?」
「…」
肩にお湯をかけながら続きを待つ。
「いやそうでもなくない?私の運転って少し動作が早いだけで普通だよね?皆んなが怖がってるだけで絶対普通だよ!」
「怖がってる時点で普通じゃないわよ!自覚なさい!」
「………」
私を睨みながら口だけ湯船の中に入れて泡を出している。ぶくぶくと。
「アヤメ、あなたの悪いところよ、気弱なところを見せて文句を言わせないように先回りをするやり方は」
「………」
「何とかいいなっ?!」
無言でお湯をかけてきた。危うく目に入るところだった。
「…」
「…はぁ、まぁいいわ、帰りはテッドさんに運転させるから」
「グガランナってテッドさんと仲良いんだね」
「…何故?」
「さっきも目で合図送ってたよね、どうせ私の文句なんだろうけどさ」
いじけたように再びぶくぶくとさせている。
「アヤメ、はっきりと言うけどテッドさんに文句を言ったわ、死にかけたと、もっと早くに伝えなさいと怒ったわよ」
「……そんなことまで言わなくても!」
「私はあなたのことが心配なの、どうすればあなたは自分のことを守るようになるのかしら」
真剣に伝えたつもりだ、彼女がどうかは分からないけど。でも少しは伝わったようだ。怒っていた表情が次第に和らぎ、そして拗ねたような表情に変わった。
「……もしかして、私が第三区へ行くのを反対してた理由って……それ?」
「その一つ、かしら」
「…もう一つは」
「あなたには、今の時間を大切にしてほしかったからよ、だからあの時怒ったの」
「…無駄って言いたかったの」
「そうよ、それとあなたは何も悪くないわ、あなたのせいで友達が死んだ訳ではない」
眠いの?睨みすぎて今にも眠りそうな程に目が細い。こんな顔、初めて見た。
「じゃあどうすればいいの、何をすればいいの」
「言ったはずよ、あなたが自分を許す以外にないと」
「まだ駄目なの?」
その言葉にはっとして彼女を見やる。湯気で煙ってしまい表情が分からない。
(まさか今まで…)
手放しで優しくしていた理由は、これだったのだろうか。友人を亡くしてしまった過去が今の彼女の在りようを変えてしまったのか。
短期で我儘で子供っぽくて。さっきの運転にしてもそうだ、分かったふりをして反省してみせるけど本音では周りが悪いと文句を言う。これではいつまで経っても変わらない。過去のせいで変えられてしまった彼女が成長出来なくなってしまう。
許しを求める行為が彼女の成長を止めることになっていた。
「アヤメ」
「…」
湯船の中に口を入れて未だ泡を出している、私を見ようとしない。けれど、何か言われるのをじっと待っているようだ。今までの行いを褒めるべきなのか、それとも怒るべきなのか...分からない。分からないこそ本音をぶつけようと思えたのだ。
「悔しいわ、私」
「…は?何が」
「あなたにそこまで思わせた過去の友達が、悔しくて悔しくて堪らない」
彼女の顔はただ口を開けて何を言われているのか、理解出来ていないようだ。
「だって、あなたの心の中にはいつでもその子が居るのでしょう?追い出したいわ、そして私があなたの心の中に入りたい」
次第に口を閉じていくその可愛いらしい唇に目をやりながら、彼女の言葉を待った。まさかティアマトと同じことを言われるとは思わなかった。
「重いよ」
「…」
「重すぎるよ」
「いや…ちょっと待って」
「私受け止めきれる自信ないよ」
「なら半分だけでも…」
私の言葉に彼女が笑い出した。遠慮なく笑う彼女の声も表情も初めてだった。
「あっははは!な、何それ!あっははは!うふふふ、ご、ごめん、笑っちゃいけないのは、わか、分かってるんふふ!あっはははっ!」
「元気が出てみたいで良かったわ」
あまりにも遠慮なく笑う彼女に半ばやけくその言葉を投げかける。もうそろそろ出ようかというときにアヤメが私の肩を掴み引き止めた。
「はぁーーーーごめん、ごめんねグガランナ、今の言葉は一生忘れないよ、ご飯食べてる時は思い出さないようにしないといけないけど」
「アヤメ!!」
まだ言うか!こっちは必死で思いを伝えたというのに!
「私に返せるものは何もないけどさ」
そう言いながら今度は私の両肩を掴みアヤメと対面するように向きを変えられた。彼女の首も鎖骨も胸も何もかも、私の前に曝け出していた。湯船で火照った彼女の体が、とても美味しそうに見えたのは見間違いではないだろう。
「半分だけ受け止めるよ、ありがとうグガランナ、こんな私を好きになってくれて、これが唯一のお返し」
意識を失う一瞬前、彼女の艶やかに濡れた唇が目の前にあった。
✳︎
「へたれ」
「…」
「へたれ」
「…もう、もう一度チャンスを…」
「へたれ」
な、何があったんだろう...放っておきたいけどそうもいかない。
僕が先にお風呂から上がったようで、休憩スペースに置かれた紙媒体の文庫本を読んで暇を潰していると今の状態で二人が現れたのだ。お風呂に入る時とは全くの逆、少し落ち込んだように入っていったはずのアヤメさんが怒っていて、怒っていたはずのグガランナさんが腰を低くぺこぺこしながら出てきたのだ。
文庫本や他にも雑誌やら紙製品が置かれた棚に、暇潰しに付き合ってくれたミステリー小説を戻して声をかける。
「そろそろ帰りましょうか」
「そうですね、ほら行くよ!」
「アヤメ!ちょっと待って」
こんなに荷物要らないよね?!と言いながらも持ってあげている、二人の横に並び何があったのか聞いてみた。
「何かあったんですか?何だかおしどり夫婦に見えますけど」
「まぁ!嬉しいことを言ってくれるのですね!」
「聞いてくださいよテッドさん、グガらんふぁふぁ?!」
口に手を押し当てられて何事か喋っているがよく聞き取れない。
「うふふふふふ、うふふふふふ」
「グガランナ、変な笑い声出さないで」
「私じゃないわよ、さっきから言葉がキツくないかしら」
「ん?じゃあ誰なんですか?」
はっきりと聞こえたのでてっきり...するとまた後ろから笑い声が聞こえてきた。
「うふふふふふふふ」
三人揃って後ろを見ると、そこには手足の関節があらぬ方向にねじ曲がり四つん這いになった、髪の毛を垂らした人形が僕達を見ていた。
「?!」
「?!」
「?!」
「うふふふふふふふ!!」
そのままの姿勢で素早く追いかけてきた!
「いやぁーーー!あれ何?!」
「何ですかあれ?!あんなのもいるんですか?!グガランナさんマテリアルには!!」
「いませんよあんなの!!何よあれ?!」
皆んなで走り出す、とてもじゃないが友好的には見えない人形が恐ろしくて逃げ出した。それでも人形の方が速くあと少しで追いつかれるという時に、
「こんな事も!あろうかと!」
「うぶはばぇ!!」
グガランナさんが持っていた荷物を人形目掛けて放り投げ、見事に命中した。階段を登る前にちらりと確認すると、グガランナさんの下着やらが散らばる中でもゆっくりと人形が起き上がっているのが見えた。
「は、速く逃げてください!すぐに起き上がってきますよ!」
「グガランナぁ!」
「私のじゃないわ!」
階段を駆け上がり細い通路へと出る、そして搭乗口がある所へ迷わず左へと曲がりさらに走る。
「私ぃ!部屋も見たかったのにぃ!ぎゃああ!!!」
悲鳴を上げたアヤメさんを不審に思った、けどすぐに合点がいき確認することなく僕も彼女達の後ろを追った。
「うふふふ!」
「うふふふ!」
「待ッテェ!」
「うふふふ!」
「うふふふ!」
後ろから複数の笑い声と話し声がする、居住区エリアから人形がさらに追いかけてきたのだ。少し遅いグガランナさんに追いつきその背中を押してあげた、まさかこんなところで文句を言われるとは思わなかった。
「て、テッドさん?!ナツメさんに言いつけますよ?!か、体を触るなんてはしたない!!」
「言ってる場合じゃないでしょ!!少しはその胸何とかしてください!!」
僕も冗談で返すが...ぐぐっと後ろから引っ張られてしまった。
「うわぁ?!!」
「捕マエタァ!!」
「いゃああ!テッドさぁぁん!!」
「セクハラした罰よぉ!!」
逃げ出す二人を後ろから羽交い締めにされた状態で見やり、僕の顔を覗き込むように人形が顔を近づけてきた。
「ひぃ?!!…………あれ?」
✳︎
「グガランナ!早く乗って!」
まさかテッドさんがあんな化け物に...あれならまだビーストと戦っている方が何倍もマシだ。垂れた髪の毛から覗くあの生気の無い目がとくに怖い、それに笑いながら追いかけられるのは根源的な恐怖を呼び覚ましてくる。
広いポッドルームからまろび出た私達は一目散に通路を抜けて駐車した広場まで逃げてきたのだ。
グガランナがなかなか乗ろうとしない、けれどさっきのお化けがすぐそこまで来ているのだ!
「何やってるの!」
「いや、ちょっと待ってね今腹を括っているところだから!」
「知らないよ!あぁもう!」
「待って!アヤメ待って!あのマテリアルはっ」
無理矢理助手席に押し込み扉を叩きつけるように閉めた、それと同じくしてお化けの一体が車に取り付いた。
「いゃあ!!!」
全身に鳥肌が立ちすんでのところで車に乗り込んだ、シートベルトも締めずに急発進させる。
「うわぁ!!アヤメアヤメ前!!」
急加速させた車がギリギリのところで、広場に設けられたガードレールを回避してそのままのスピードで坂を目指す。
「あれこのままでいいのかしら?!良くないわよね?!良くないわよね?!きゃあああ!!!」
勾配がキツい坂だ、それにスピードも出ていたので車がロケットのように飛び出し束の間の浮遊感の後、
「ぐぅえ!!」
タイヤのグリップが効いていたこともあり難なく着地出来たようだ、それに今の衝撃で取り付いていたお化けも吹っ飛んだらしい。
「喋らないで舌噛むよ!」
「あーあー」
坂を下りるとひとまず一本道に出るので限界まで車のスピードを出す、早く皆んなの所に戻って応援を呼ばないとテッドさんが危ない。
この街にはカーブというものがない、全て直角に道が作られているのでいちいちブレーキを踏まないと曲がることが出来ないが、
「アヤメ!左!ぶつかる!ぶつかるからもっと右にぃ!!いゃああ?!!」
車体を壁際に寄せて、目の前の曲がり角をブレーキを使わずに後輪を滑らせて走り抜ける。
「あわあわあわあわ」
抜けた先も一本道になってはいるが...何故だか目の前に人型機が一機仁王立ちしていた。外部スピーカーから声が聞こえてくる。
ー良い運転捌きねアヤメ、この私から逃げられると思うのかしら、私も誘わずに皆んなでお風呂に洒落込むなんて許せない!ピューマの事で頭を抱えている私に気を使わないなんて後悔させてやるわ!ー
そしてそのままのスピードで駆け抜けて股下を通り過ぎて行った。
ーあら?ー
34.c
「ティアマトさん、お話しいいですよね」
「…」
「儂は止めたぞ、アヤメが行くと言ってきかんのだ」
「…」
「何がしたかったんですか?」
「…相手にしてほしかったから」
僕とナツメさんで殴りかかりそうになったアヤメさんを止める。
「あれだけ迷惑かけておいて何言ってるんですか!!わざわざあんな化け物まで用意して!!未だにグガランナが部屋から出てこないんですよ?!!」
「…わ、悪かったわよ、けど出てこないのは私のせいでは、」
「ティアマトさん!」
確かにグガランナが出てこないのはアヤメのせいだろう。
昨日の一幕はやつれたグガランナから全て教えてもらった、アヤメ、テッドにグガランナの三人でお風呂に向かいその帰りにティアマトさんが放った気味の悪いマテリアルに追われた話しだ。
途中、グガランナとテッドは勘付いていたらしいが思い込みの激しいアヤメのことだ、敵が襲ってきたと勘違いして白目を剥いたグガランナを乗せてホテルへと帰ってきたのだ。その車体に一つも傷を付けずにトップスピードで運転してきた。
「そ、それにテッドには一晩話し相手になってもらったから、ね?」
「そうですよアヤメさん、僕からもティアマトさんには話しをしましたので、もうこんな真似はしないと思いますよ」
「はぁーーーーーーー」
「…」
「アヤメ、そろそろ機嫌を直せ」
「分かったよ…」
少しは溜飲を下げたのか一階に置かれた椅子に腰を深くかけ直している、さっきまで前屈みでティアマトさんと話しをしていたのでいつ殴りかかるのかと冷や冷やしていた。
「アヤメ、悪かったわ、それもこれもあなたと話しがしたかったからなのよ、それなのに私を放ったらかしにしてイチャイチャとお風呂でし出すもんだから…」
「……………ん?何で知っているんですか」
アヤメの鋭い質問に目を逸らした、今度はティアマトさんが椅子に浅く腰をかけ直している。
「テッド」
「ごめんなさい」
「いやちょっと!」
テッドがティアマトさんの肩を押さえつけ、逃がさないようにする。
(グガランナの言う通りだな)
とにかくあのマキナはすぐに逃げるから対話をする時は逃げ道を塞ぐように言われていたのだ。
「ティアマトさん、教えてくれないか?どうしてそこまでして逃げようとするんだ、それなのに食堂を停電させたりマテリアルを遠隔操作させて忍び込ませたり、それに昨日の一件もそうだが、行動に一貫性がないように思うが?」
何故だか我が意を得たりと意気揚々に語り出した。
「ふふ、よく聞いてくれたわね、その言葉を待っていたのよナツメ、私はね皆んなから頼りにされたいのよ」
「…」
「アヤメ、やめんか」
「…」
「…」
「私という存在に縋り、懇願して、圧倒的寵愛を受けさせるのが目的なのよ、よく分かって?」
...........とんだ女もいたもんだ。いやマキナか。
ただ自己承認欲求を満たしたいだけじゃないか、それでこんな回りくどいことをしていたのか。
それに今の話しだとマギールさんの提案も飲むはずがなかったと良く分かった。上から目線の話しには一切応じるつもりはなかったんだろう。
テッドに視線を寄越す。その目は止む無しの色合いがあった、まぁこの場での適任は私以外にいないだろうな。
心の中で溜息をつきながら彼女の前で膝をついた。
「ナツメ?!」
「お前さん…」
「…!な、何かしら」
少し身動いだティアマトさんに向かい、真摯にお願いをする、上層の街を救ってほしいこととマギールさんが黙っていたことも私から伝えさせてもらった。
「ティアマトさん、どうか貴女の力を我々人間に貸してください、助けが必要なんです」
「ま、マギールが言っていた事かしら…」
「そうです、上層の街は今、資源に困っています、だから我々は中層へと降りて来たのです」
「そ、そうなのね、それは大変ね」
横に流した髪を弄りながら熱い視線を向けてくる。
「はい、それにマギールさんがあなたの子供に拘るのも彼の身を庇い亡くしてしまった者がいるからなんです、その優しい心の持ち主は他の子供達にも役目を与えてほしいと、その約束を果たすためなのです」
「…」
弄っていた髪の毛を離し、束の間マギールさんへと視線を向けている。その目にあったのは慈愛だった。慈しむ目をしていた。
「それと、アヤメの事を救っていただいて心から感謝しています、奴は短気で貴女にきちんと礼も述べていないかと思いますが、命の恩人であることに変わりはありません」
さすがに黙っているのは不味いと思ったのか、アヤメが私と同じように感謝の言葉を述べた。
「すみませんでした、怒ってばかりで…助けてくれて本当にありがとうございました」
小声で、とりあえずは、とまだ文句を言うが当の本人には聞こえていなかったようだ。目が潤みアヤメへ返事をしていた。
「…いいえ、いいえ私こそあなたを振り回して悪かったわ、後でお話しをしましょう、仮想世界に連れて行った訳も、そこであなたの親友を会わせたことも含めて」
「はい」
「…それで、この私に何を要求しているのかしら、全力で応えてあげるわ」
...基本的に善良なんだよなこのマキナも。捻くれて面倒くさいだけで、優しいことには変わりがない。
場の空気がとても良い方向へと傾いていたのにどこぞの大学教授が空気を壊しかけた。
「お前さん…あれだけ言ったのに何も覚えておらんのか、そんなんだからピューマも十分に扱えずにおるのだぞ、少しは、」
「ナツメさん、今すぐ黙らせてください、ティアマトさん、マギールさんの言う事は気にしなくていいですよ」
「え、ええ…」
「…」
テッドの有無を言わせぬ言葉にティアマトさんが圧倒されている。
ここで拗ねられたら元の木阿弥だと思い、彼女の細く驚く程に熱い手を握り懇願した。
「…我々に、どうかお力を…貴女がいないと駄目なのです…」
「………!!………こんな私で良ければ、いくらでもあなたのためになるわ」
「…」
「…」
こうして、四度に渡る彼女との交渉の場が、何とか成功に終わることが出来た。
✳︎
「ほんと、ナツメって人を口説くのが上手いですよねー」
「そうですねー、あんなに相手が言ってほしい言葉をすらすらと言えるんですもん、ティアマトさんもこれからが大変ですよー」
「何を拗ねておるんだ後ろの二人は?」
「無視してくれ」
「分かってんのナツメ、ティアマトさんはナツメに力を貸すことになってるんだよ?」
「それと明日はちゃんと迎えに行ってあげてくださいね、逃げたら駄目ですよ、ちゃんと責任取らないと」
「うるさいぞ二人とも!」
「見ました?あのティアマトさんの目、口説かれた人ってあんなになるんですね」
「ナツメさんは無自覚で落としにきますからね、落とされた方はたまったもんじゃないですよ全く」
「お前さん、そんなにあっちこっちに作っておったのか?人は見かけによらんな」
「…」
「マギールさん!もっとキツく言わないと駄目ですよ」
「…僕達は氷山の一角だったりして」
「お前いい加減にしろよ!私はただ話しを円滑に進めるために言ったに過ぎない!あれやこれやと文句を言われる筋合いはない!」
「これだよ、聞きましたテッドさん?ナツメの奴、好きでもないのにあんな事言ったんですよ?信じらんない」
「 」
「ナツメさん?何とか言ったらどうなんですか?せめて大切な人ランキングぐらい作ったらどうなんですか」
「マギールさん、飛ばしてくれ」
「う、うむ」
「こらナツメ!逃げたら駄目でしょ、ちゃんと答えなよ!」
「そうですよたまには僕た」
「ぎゃぁあ!!」
「速い速い速い!!!」
こうして暫くの間、テンペスト・シリンダーの下層街に六気筒エンジンの音が響き渡った。
34.d
「あれは一体何だったんだ…」
やおら立ち上がり、久方ぶりに起動させたマテリアルの調子を確かめる...うむ、不具合はどこにも見当たらない。
下層に置かれた一体のマテリアルを起動させ、ここ数日内に起きた異常を確認しに来たのだ、過去の建設者並びに技術者達が使用していた一画にはグガランナやアマンナ達、それとマキナに身を転じた人間が一人来訪していた。それを皮切りにして次々と異常が起き始めた。
(この高さならば)
身を隠していた中央処理装置から飛び降りる、肌に空気が擦れ耳には風切り音が鳴る。地上に着地し足からマテリアル全体に衝撃が伝わる。
良い、実に良い。
「ふむ、時には体を慣らすも良かろう」
電子の海では味わえない感覚の余韻に浸りながらも目的地へと足を向ける。ここは下層の中央区、彼女らが住まう一画よりさらに奥地にある。目指すはメイン・サーバー、中央電算室だ、そこにはここにある全ての記録が保存されている。
視界に映るは無数に生えたる植生ケーブルに、天井から突き出るように伸びている生体型ストレージの群れ、何本か既に逝っているようだ、端から順に腐りかけていた。足に絡み付いてくるケーブルを退けながら歩みを進める。すると耳元に振動、続いて不快な電子音声が脳内に響き渡った。
[いよう、誰かと思えばお前か、元気にしていたか?]
[何の用だ]
[最後に再会出来たのが嬉しくてねぇ、つい声をかけちまったよ]
おかしな事を言う。
[ここいらの異常について検知していることがあるなら報告せよ]
[何様だ?お前…また昔みたいに殺し合うか?]
[無駄だ]
[最後にお前を消滅せさるのも悪くねぇが…ここいらの好だ、気を付けろよタイタニス]
通信が切れる。聞きたくもなかったマキナの声をすぐさま削除し見えてきた電算室のゲートへ再び歩みを進めた。
空間制御盤に手をかざした時、また脳内に声が響き渡った。先程のマキナとは違い相手の言動などまるで気にしない、しかし不思議と耳に残る鈴のような声が響き渡る。
[タイタニス?今どこにいるの?]
[次はアマンナか、何用だ]
[は?次って何、まぁいいやこっちに来てるよね?]
[そうだ、用があって来た、気を付けろよ穀潰し、ここには、]
[誰が穀潰しだぁぁ!!!!!]
直接大声を叩きつけられた訳でもないのに体を声から逃げるように傾けてしまった、何という圧力。
[静かにしろ、鼓膜が破れる]
[破れるかぁ!通信してるだけでしょうが!]
[暴言は謝罪する、それで何用だ]
手元の制御盤を操作しながら鈴の音と会話を続ける。
[何なんだまったく…久しぶりにこっちで会わない?タイタニスがマテリアルを動かすなんて珍しいじゃん]
ほんの一時、己の手を止める。そして何事も無かったように操作と会話に戻る。
[断る、これでも忙しい身だ、それにお前が好いている女はどうした]
[う]
[それと先程言いかけたが、ここに侵入している痕跡が見つかった]
[え、まさかそれ、わたし達のこと言ってる訳じゃないよね?]
[違う、バグだ]
[…?あぁ虫のこと?え、ここに侵入してるって…]
[お前達がいる区画までの到着予測時間は三日、今すぐに人型機を稼働させて迎え撃て]
鈴が落ちて割れてしまったように、元気のない声がした。
[また…あれやんないといけないの…やだぁなぁ…タイタニス、]
[手伝わんぞ、お前達の問題だ、嫌ならここから出て行くことだ]
[…うぇぇーー……思い出しただけで臭いが……、タイタニスも嗅いでみる?]
[アマンナ、用がないなら切ってくれ]
今度の言葉には暫く手を止めてしまった。空間投影された情報の精査と鈴の音が発したエモート・コアの苦悩にどう対処すべきか、不覚にも判断が瞬きの間に出来なかったからだ。
[仲直り…したいんだけど、どうすればいいかな]
[……仲違いをしたのか]
[…そう…かな、喧嘩じゃなくてわたしがあの子にひどい事をしてしまったの]
鈴の音の言葉使いに些か気をかけながらも答えを出す。
[謝罪しろ、それが最初に取る手段だ]
[…駄目だったら?]
何故我にそのような相談事を持ちかけてくるのか、疑問に思いながらも答える。
[信頼関係が足りていなかったと反省し次に活かし、新しい番いを探せ、そうやって人類は発展してきたのだ]
頭の中が静かになったのでその合間に情報を整理する、指でスクロールし、該当項目をタップしてさらに呼び出す。そこには異常なまでの消費エネルギー、並びにマキナに身を変えた男が作った直径数百メートル規模の貫通トンネルについて記載されていた。
再び、鈴の音が我を見下すように発言した。
[…タイタニスってたまにバカなこと言うよね]
[お前はそこまで女を好いておるのだろう?それは求愛に近い、男型のマテリアルに換装すれば子も受けるのではないか、違うのか?]
[……………………………………はっ!]
[切るぞ]
切った。あまりにも馬鹿すぎて。頭に入っていた情報を再び整理するため、表示された画面に視線を落とした。