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Cell.22 国歌斉唱〜長い一日の終わりに〜




ブラジル国歌(Hino Nacional Brasileiro:ポルトガル語)

作詞:ジョアキン・オゾリオ・ドゥーケ・エストラーダ

作曲:フランシスコ・マヌエル・ダ・シウヴァ

Wikipediaより参照

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ブラジルの国歌


1.

静穏なるイピランガの岸辺は聞けり英雄たる人々の叫びが響き渡るを

この瞬間、輝く自由の太陽は光芒(こうぼう)を放ち祖国の空を照らし出す

この平等の誓約を我らが強き武力で獲得せんとすれば汝の懐に

おお自由よ、我らの思いは死をも恐れず!

おお、我らが愛し崇拝する祖国よ万歳、万歳!

ブラジル、熱烈なる夢、愛と希望の命みなぎる光は地上に降り注ぐ

汝が美しく微笑み、澄み渡る空に南十字星の姿が燦然(さんぜん)と光輝く

汝の大自然による巨人は美しく、強く、恐れも知らぬコロッサスにして汝の未来はその偉大さを映し出す讃えるべき土地

千の国々の中にある汝はブラジル愛する祖国!

この大地の息子らの汝は優しき母にして愛する祖国ブラジル!




 熱い、と思う。ブラジルの国歌は歌詞に高い温度を感じる。それは祖国から独立を果たした時の当時の人々の思いであり、それから多様性に富んだブラジルそのものの大自然を表していると推察する。

 私が歌って良いのか、という疑問が真っ先に生じた。私はここまで熱い人間ではない、歌うのならオブリ・ガーデンに住まう人たちだ、それが一番だ。

 だが、マリアの人間も言っていたが、もう誰も歌わなくなった、忘れ去られた国歌を口にする者は誰もいない。ましてや、この熱い歌すらも飲み込まんとする火の海が迫っている今となっては、人々の耳に入れることも難しいだろう。

 だからこそ、私の出番なのである。関心を持たない人たちの耳をこっちに向けさせる努力なら嫌というほどしてきたし、むしろ、耳を向けさせてなんなら心まで奪ってなんぼの存在が歌姫だと自負している。

 歌で人の心を解放してあげる、イーオンがそうしたように、核弾頭を食らったミスター・リンカーンのように、相手も自分も心踊らせてこそディーヴァ。


「こっちでも映像は確認した。イーオンたちもすぐにラグナカンまで戻って、合流次第発進する」


「了解、もうラグナカンは見えてる、すぐに到着する」


 ラグナカンのブリッジは緊張に包まれている、それもそうだ、何せプレートの境目からマグマが噴出してこのオブリ・ガーデンに迫っているのだから。

 未曾有の事態、何の余震も地震もなく、突如として地球が牙を剥いた。不幸中の幸いとして、マグナカルタ側が地震に備えて準備を進めていたことだ。

 リオ・グランデの街で行方知れずとなっていたイーオン、それからギーリ、そして現地のケアという人を乗せたネイビーカラーの機体がすぐ横に着陸し、離陸準備を済ませていたラグナカンに搭乗した。本来であれば、事前に手続きを済ませないと現地の人は搭乗できない決まりになっているが、今はそんな事言っている余裕はなかった。

 そして、イーオンたちがブリッジに到着し、ようやく全隊員が集まった。オブリ・ガーデンに到着して初めてである。

 けれど、その安堵に浸っている余裕も命令無視をして行方をくらました隊員らを叱責する時間もなかった。

 依頼を受けていたブラジル国歌の確認を終え、一同に会した面々の前に立つ。ケアと呼ばれる人はどうやら私たちより歳下らしく、クルルと同じように幼い顔をしていた。だが、その顔に子供特有の甘えの色は無く、大人顔負けの厳しい顔つきをしていた。

 少佐とやり取りした内容を皆に伝える。


「オブリ・ガーデンの救助活動に参加します、現在、マグナカルタがカピタニアの住民たちを受け入れるための準備を進めています、私たちはこの船を使って一人でも多くオブリ・ガーデン内へ連れて来ること、少佐からも救助活動の許可は下りています」


「私はてっきり逃げると思ってたけど、意外と律儀なんだね」


 ティーキィーがわざわざ嫌な事を言ってくれた、その確認と擦り合わせも必要な事だ。ただ、ティーキィーの見えない気遣いに気付けなかったのか(まあ無理もない)、ケアは遠慮なく攻撃的な目を向けていた。


「オブリ・ガーデンから退去することも考えたけど、ミトコンドリアとしての任務を全うすることを優先させてもらったわ。不服ならここから降りてもらっても構わない、何せ私たちの命もかかっているんだから。ヴァルヴエンドからも応援の部隊が出動することも決まっている、救助活動に不服の者はこの場で待機、応援部隊の船に乗船してもらって結構よ」


 イーオンが素早く問うた。


「応援部隊が到着するまでの時間は?」


「早くても日没後になるわ、あと六時間ほどと言ったところかしら」


「遅いね、無理もないけど」


「そうね、事前に把握できていれば良かったけど」


 日没後、きっとオブリ・ガーデンは火の海に曝されている、それでもヴァルヴエンドは部隊の派遣を決定した。

 

「それなら人助けをしていた方が良いね、ただ待ってるってのも気持ち的にしんどいし」


 ティーキィーの身も蓋もない言い分に、ついにケアが噛みついた。


「私らはあんたのリラクゼーションの代わりってか?気持ち良くなるために人助けするんならこの場に残ってろよ」


 ギーリがケアの名前を呼んで嗜める。


「ケア」


「何すか!私はここを代表してこいつに文句を言っただけっすよ?!」


 最もな言い分だ、私もケアと同じ立場になったら間違いなく怒っていたことだろう。

 イーオンが言う。


「テクニカは文句を言いながらも命を懸けるんだよ?それでも君は命を懸けてくれる人に文句を言うの?」


「……っ」


 むすっとした表情になりつつも、ケアは口をぐっと閉ざした。

 幼いなりにも分別はあるらしい、嫌な成長の仕方だ、子供はもっと我が儘を言うべきだ。

 文句を言われたティーキィーに─表面上は─傷付いた様子は見受けられない、言われることは想定の内だったのだろう。それでも救助する側の私たちを考慮して、逃げるべきだ、と遠回しに言ってくれた。

 ティーキィーの気遣いもあって、他の隊員の決意が固まったようだ。──そう!ここにいる隊員は決して折れない!逃げない!誰も自分からごめんなさいを言わない強気な奴らばかり!

 我らが天才船長クルルが気焔を吐く!


「早く行こう!助けを待ってる人たちが沢山いるんだから!」

「これ実質的にクルルの独裁じゃね、クルルが行くって言ったら誰も止められないでしょ」

「ぐちぐち言ってないで準備を始めるよ、ラグナカンにあるサバイバルキットを全部出そう」

「私も手伝います!」

「ギーリには懐いてるんだねケアちゃんは」

「ちゃん付けは止めてもらえません?!」

「イーオンって歳下はちゃん付けするんだね、なら僕はクルルちゃん?」

「今さらじゃない?今さらちゃん付けされたいの?クルルをちゃん付けするならサランをちゃん付けしたい」

「なんでやねん」

「ほら!隊長らしくしなよサランちゃん!」

「皆さん状況分かってます?国の一大事なんすけど」


 一番歳下のケアが場を締め、皆がブリッジから走り出した。

 気分はひどく高揚している、極度の緊張から来る一時的なアドレナリンの異常放出だ。

 けど、私たちは慣れていた、ああまたねはいはい、みたいな、デンボーを抜け、ファーストの空で侵略部隊と渡り合ってきた私たちはこの緊張感に慣れていた。

 オブリ・ガーデンにマグマが迫り来る。





 そもブラジルは、誰かの支配を必要としない土地だった。にも関わらず、大航海時代にブラジルが北欧に露呈し、そこから支配の時代が始まった。

 サトウキビ、鉱石、肥沃な土地ならではの産物が北欧の経済を、そして世界経済を潤し、一攫千金を夢見る金の亡者たちがブラジルに自分の土地を持ちたがった。商人(金の亡者)たちに任せていたらブラジルがあっという間に荒廃してしまう、だから当時のポルトガル王室が監視することになり、そこからさらにブラジルが混迷を極めていくことになる。

 広大なサトウキビ畑で働かせるための安易な労働力として、ブラジルに住んでいた先住民たちを奴隷化、それでは飽き足らずアフリカから人を移送し、その結果黒人奴隷の社会が時間をかけずに完成した。

 坩堝の誕生である、北欧文化、先住民文化、アフリカ文化、これらの異なる文化が一つの土地に集結し、互いに影響を与え合いながら『ブラジル』という国家を築きあげていくことになる。

 無論、歴史の中で衝突は幾度もあった。

 ポルトガルから派遣されたイエズス会の神父が村を形成し、その神父が本国の軍人たちと争い、村人を守った事例もある。

 バンデイラ。先住民狩りを生業としていたハンターたちと先住民が争ったこともある、その際、バンデイラ側が敗北を喫した事例もあり、支配する側とされる側の戦いが何度も行われてきた。

 不思議なことに、文化、文明が違う者同士が衝突をしても、その文化、文明ごと排除されるようなことはなかった。必ず生き残ってきた、だからこそ今日(こんにち)のオブリ・ガーデンが存在している。

 だが、マグマは残酷だ、人の争いより無慈悲であり全てを溶かしてしまう、何も残らない。

 残るのは残された者たちの悲嘆だけだ。これでは文化を存続させることも、文明を発展させることも不可能になる。

 最初の一手が遅れてしまった。シトリーとベニーニュは何をしていたのだろうか。

 越区に必要な手続きを手早く済ませながら、当の二機へ通信を入れた、こんな時でも手続きを要することに強い不満感を覚えながら。


「シトリー、ベニーニュ、あなたたちの落ち度ですよ、一体何を見ていたのですか?」


 マグマが迫り来る方角はカピタニア、マラニョン・ワン、ここフェルナンブコより西南に位置し、その間に設けられている入区管理所は実に一二に及ぶ。その一つ一つから許可を貰わねば、私のような代表者でも越区は違法行為に該当してしまう。

 この短時間で一二の内、半分の管理所から返答があった、しかしあと半分がオフラインのままだ。もどかしいやら腹ただしいやら。

 二機から返事があった。


「ちゃんと見ていたとも!けれども余震も本震もなくいきなりマグマが溢れたんだよ!何かのエラーかと思って報告も判断も遅れてしまったんだ!」


「ベアトリス、私たちの落ち度です、しかし、自然が本来の摂理に反すると誰が予測できたでしょうか」


 ベニーニュの言う通りだ、自然がいつも予測の範囲内に収まるとは限らない。

 二機とやり取りをしている間、許可待ちになった管理所が残り二つまでになった。

 そこで、はたと気が付いた、未だ許可が下りない管理所は自動修復壁からほど近い場所にある区だ。許可が下りないのではなく...


(下ろせない?──もう既に現場は混乱状況にあるということですね)


 すぐにミーシャを呼び出した。

 素粒子間任意結合流体を解除し、人の形から私本来の姿へ戻り、マグナカルタの入区管理所の外で待機する。

 

(素粒子...原子を構成するクォーツを自在に操作する技術)


 何故、このような技がありながら、未だ人類は自然を予知できないのか。それに、この技術も極めて限定的である。

 まるで...


(まるで私たちがテレビゲームを作っているかのように…デバイスからコードを作成してキャラクターを仕上げるかのような…)


 このような技術があるのであれば、一瞬でマグマを防げるようなゲートを作成できれば良いのにと、心底思う。だが、素粒子間任意結合流体が影響を及ぼせる範囲はその本人のみ、である。


(──いえ、そう思い込んでいるのは私の方…)


 合流したミーシャにコントロールレバーを任せ発進した後、シトリーとベニーニュにマグマを防げるゲートを私たちの手で作成する案を提案した。

 答えはとても簡単だった。


「マグマを防ぐことができる物質を君は知っているのかい?」


「……」


「いくら素粒子間任意結合流体の技術が素晴らしかろうかと、知らない物を作れるほど優れているわけではない」


「ええ、あなたの言う通りかと」


 それもそうだ、私としたことが何とも幼稚な案を。

 マグナカルタを発進し、そう時間をかけずに自動修復壁が見えてきた。地平線まで弧を描くフェンスの向こう側に、足場がびっしりと組まれた壁もまた、地平線の彼方まで続いている。それからその壁の足元には、人ごみと見紛うほどのキャンピングカーがあった。

 自動修復壁で働く従事者たちは常にキャンピングカーで移動をしながら、問題が発生した修復壁を常に修理し続けている。そして、時に応じて修復壁の通用ゲートを開き、従事者たちが自分たちの故郷へ帰って行く。

 私はその通用ゲートの開放手続きにやって来た、マグマが迫っているマラニョン側のゲートを開き、一人でも多くの人を非難させるために。

 目的地が視界に収まり、高度を下げたあたりで悪い報せが入った。発信者はミトコンドリアのサラン隊長からだった。


「ベアトリス、ごめんなさい、私たちの軍の救助はあてにできそうにないわ」

 

「何があったのですか?」


「救助部隊の編成も終えてあとは発進するだけというタイミングで、全ての基地が封鎖されてしまったらしいの。割愛して説明するけど、私たちもオブリ・ガーデンと似たような国際関係を結んでいてね、その相手国が基地のクリアランス・デリバリーを全て占拠してしまったのよ、つい今し方ミトコンドリアの指揮官からそう連絡があったわ」


「そうですか…」


「その代わり、になるかは分からないけれど、オリジンとマリーンを管轄するノウティリスがこっちに向かっているらしいわ、ヴァルヴエンド側でも強行離陸を確認したそうよ」


「そうですか、それは良かった。それと、あなたに謝罪の言葉は似合いませんよ、首筋が粟立つので今後はお控えください」


「そう?私もそう思ってた。──ラグナカンは無事に離陸、現在オブリ・ガーデンからカピタニアの制空圏へ進入、またすぐに連絡するわ」


「よろしくお願いします」


 通信を終え、終えたと同時に聞き耳を立てていたらしいシトリーが気色ばんだ声で言ってきた。


「ノウティリスってことはマリサも来てくれるのかい?!ああ!早くこの目でマリサの姿を見たい!」


「静かにしてくださいシトリーマグマに沈めますよ」


「み、皆さん、本当にお元気ですね…」


「ミーシャ、この二人だけは参考にしないでください」


「それ私も入っているのですか?心外ですベアトリス」


「通信以上」


 余裕を失わない二機とも通信を終え、従事者たちのキャンプ村に着陸した。キャンピングカーが移動するための舗装された道路、それから無舗装の土地にはキャンピングカーがぎっしりと、時折りテントなども張られていた。

 ミーシャが降機したあと、私も再び人の形へ戻り、戻ったと同時に入区管理所の人間たちが走ってやって来た。立派に違法行為を働いたのだ、無理もない。

 息を荒くして走ってきた人間たちに手を挙げて制止を求め、先に用件から切り出した。


「マラニョン側の通用ゲートを全て開放してください、そのお願いにやって参りました」


 管理所の人間が鼻息荒いまま答えた。


「もう開放してるわ!!来るのが遅いんだよ!!」





 ラグナカンの中が熱くなったように感じられたのは何も気のせいなどではなく、外気温が通常よりも著しく高くなっていた。


「……」


 エアハーヴィットから望む大地、原始地球を覆っていたマグマオーシャンを彷彿とさせるような、赤い海がそこに広がっていた。そして今、最も外れに位置するカピタニアにマグマが激しく衝突し、見る間に防波堤となっているカピタニアが崩れた。


「──ああ?!そういうこと?!」


 崩れたカピタニアがマグマに溶けて無くなるかと思いきや、その場で爆発的に膨張したではないか。その膨張率が著しくぱんぱんに膨れ上がったボールのよう、マグマの進行を一時的に食い止めていた。

 マグマは容赦がない、けれど津波と違って欠点がある。温度だ、時間の経過と共に温度が低下し進む力も溶かす力も失われる。

 けれど、膨張したカピタニアもすぐに後続のマグマに飲み込まれてしまった、だが、一時的でも食い止められたお陰か、マグマの進行速度が緩やかになっていた。マグマが進む先にはまだまだカピタニアがある、これら全てが作動すればオブリ・ガーデンに到達するまで十分な時間を稼げるはずだ。

 問題があるとすれば、普段は住居として扱われているカピタニアに人が残っている事だ。

 エアハーヴィットからブリッジへ急いで向かう。ブリッジに到着すると同時にイーオンとケアが急いだ様子で飛び出していった。


「いやちょっと待って──」


 なかなか、出来た隊員のようだ。

 走る足も止めずにイーオンが答える。


「カピタニアに人が残っていないか確認しに行くの!!ケアちゃんはその案内!!」


「頼んだわよ!!」


 イーオンもきっとカピタニアが膨張した様子を見ていたのだ。

 艦長席で待機していたクルルに指示を出す。


「クルル!今すぐオブリ・ガーデンに戻って!私もカピタニアの確認に回るわ!」


「はい?戻ったところでどうするの?」


「私がオブリ・ガーデンの人型機を操縦するの!」


「はあ〜?」×3


 クルル、それからギーリとティーキィーが三者一様に驚いた。そういや言ってなかったな。


「私もパイロット資格を持ってるの!だから早く!」


「──分かった!すぐに戻るよ!」


「ギーリとティーキィーはサバイバルキットの確認!急いで!」


 ギーリとティーキィーがブリッジから退出し、その直後イーオンから発進準備完了のコールがあった。程なくしてラグナカンの船底から振動が伝わり、ケアを乗せたイルシードが発進した。

 空へ飛び立つイルシードを見て、私が乗ることはこれから先ずっとないんだろうなと、何故だか確信してしまった。





「あそこっす!あの建物まで飛んでくださ──いいやぁあ〜あっ?!」


 急制動に慣れていないのだろう(当たり前だけど)、コントロールレバーを倒した途端、ケアちゃんがパイロットシートに掴みながら奇声を上げた。

 指示された建物は経年による風化が目立つ一つのカピタニアだった、マグマが衝突した街よりも高く、けれどその分あちこちが傷んでいる。

 他の建物と何ら違いはなく、何故ピンポイントで指示を出したのか、ケアちゃんが教えてくれた。


「あれ私が住んでる家っす!あそこにいけ好かないばばあもいるんすよ!」


「その人が取り残されてる可能性があるってこと?」


「いなけりゃそれでいいすっけどね!誰にも相手にされてないからもしかしたらまだ家にいるかもしれないっす!」


 イルシードが着陸できそうな広場を見つけ、すぐさま高度を下げる。

 ランディングギアが接地したと同時にハッチを開く、途端に耳に障る警報音が届いてきた。街に人が居る様子は見受けられない、カリブ海のトリニダーのように薄ら寒い光景が広がっていた。

 ケアちゃんが猫のようにイルシードから軽やかな身ごなしで飛び出し、先ほどの建物まで一目散で駆けて行く、「いやちょっと待って!」と慌てて私も跡に続いた。


(マグマがここに到着するまでおおよそ一時間、それまでに退避しないと)


 ギーリと喧嘩したリオ・グランデの街とは違い、ここは道路が舗装されて比較的に綺麗だ、綺麗である分今のこの状況がとても異質に見えるが、走り易くて助かった。

 ケアちゃんが建物の前でかくんと足先を変え、速度を緩めず突入して行く、その後に私も続いて跡を追いかける。

 建物の内部はマンションのエントランスのようになっており、固いコンクリート製の廊下が続いている、その先は階段に変わっていた。その階段からケアちゃんの足音が響いてくる。ただ、不幸なことにケアちゃんの足音はうんと高い所から落ちてきており、どうやらこの長い階段を上らないといけないらしい。

 懸命に足を動かして階段を上りきり、エントランスと同様コンクリート製の廊下の先から誰かが言い争う声が届いてきた。

 ケアちゃんとそのおばあさんである。


「いいからさっさと準備しなって!何を勝手に諦めてるのさ!」


「誰も頼んじゃいないよ!どうせ避難先でも爪弾きにされるだけだ!私の娘みたいにね!それに迎えに来たって、あんた一人で何ができるって言うのさ!」


 一番端の端、入り口前に沢山の植木鉢が置かれた扉の向こうにケアちゃんの背中が見えた。緊急事態だからと断りもせず私も入室する。


「だからパイロットも連れて来たって──ほらあ!イーオンさんだよ!この人が連れてってくれるから!」


 おばあさんと問答をしていたケアちゃんが私に気付き振り向いた、ケアちゃんの前には口を大きく開けた年配の人がソファに座っていた。


(意地悪そうには見えないけど…)


 なんて口に出さず、手短に自己紹介を済ませ、すぐに避難するよう促した。しかし、


「別にいいよ私はここで、娘が出て行ってからとんと生きる気力が失せてしまってね、悪いけどこのまま帰ってちょうだい」


「そうやって人の気遣いにも泥を塗るからチェタも嫌気が差して出て行ったの!いい加減その性格直しなよ!」


「あんたが娘と喧嘩するから出て行ったんだ!私のせいにするな!」


「そりゃこっちの台詞!」


 何だこの二人、この状況でよく喧嘩ができるな。


「そんな事今はどうでもいいから!オブリ・ガーデンに入ってから喧嘩して!」


「ほら!イーオンさんもこう言ってるから早く準備して!」


「嫌われ者を助けてなんの得がある!」


「──ああもう!ケアちゃん!この人を抱えて走るよ!」


「止めろ──大きなお世話!」


 何この人、年配とは思えないほどの力で抵抗してくるではないか。

 私とケアちゃんが両側から挟み込み、無理やりおばあさんを立たせた時、耳に障るどころか立っていられないほどの爆音が発生した。





「サラン?!何が起こってるの?!爆発音がこっちにも届いてきたよ!」


「ああ、嘘…」


 良くも悪くもスタンダードタイプの人型機を立ち上げ、離陸してすぐの事だった。覚束ない操作で何とか機体を進ませている時に、()()が発生した。


「イーオンと連絡が取れない!もしかして何かに巻き込まれた?!──サラン?!応答して!」


「街が…膨らんでるわ…」


 眼下に広がるカピタニアは所々が異様に膨れ上がり、球体状の物体が生まれていた。


「街が膨らんでる?!──温度に反応する仕組みだったってこと?!」


 パニックになったクルルがそう問い詰めてくるが、生憎と私には分からない。


「カピタニアの機能についてはそっちで確認して!私はイーオンを探すわ!」


「りょ、了解!イルシードの座標をそっちに送信する!何かあったらすぐに報告して!」


「言われなくても!」


 クルルに送ってもらった『unknown』の座標を頼りに機体を飛ばし、運良くイルシードをすぐに見つけることはできた。けれど、イルシードのコクピットハッチは解放された状態であり、中に人がいる様子はなかった。おそらく、既に降機して救助活動に出ているのだ。


(どれ?!どの建物にいるのよ?!)


 分からない、どこに向かったのかさっぱり分からない、周囲の建物は異様に膨れ上がった物、その爆発に巻き込まれて屋上付近が半壊した物、その地上部分は瓦礫で埋もれ、道が塞がっている所もあった。

 間違いなくイーオンはこの爆発に巻き込まれた、どこかで気を失っているのか、あるいは。


「────っ」


 頭が真っ白になった、今自分が機体を操作して空にいることや、自分が隊長であること、ここが異国の空であることさえも忘れ、ただただ、ただただ、激しく後悔した。

 私が救助活動を命令せず、オブリ・ガーデンの天井で待機していれば、間違いなくイーオンはこの爆発に巻き込まれることはなかった。

 (隊長)のせいである。

 後悔の念に押し潰されそうになる中、クルルからのコール音で何とか意識を保てた。


「サラン!ベアトリスさんに確認したよ!カピタニアは設定された温度に達すると堰き止める機能が作動するみたい!オブリ・ガーデンに近いカピタニアは今までその機能が作動したことがないから、きっと誤作動を起こしたんじゃないかって!」


「──そ、そう、分かったわ」


「外気温を確認して!」


 意識は保てたがまだ頭は回らない、言われるがまま外気温を確認する、気温は既に四〇度を超えており、まだまだ上がりそうな気配があった。


(たったの四〇度で作動するってどんだけボロいのよ!!)


 誤作動を起こした箇所はどれも屋上付近だ、温度が高い空気は上昇する、きっとその性質が悪いように作用したのだ。

 腹が立ったおかげで思考も戻ってきた、クルルに報告する。


「イルシードは発見したけどパイロットたちがいない!きっと救助活動で外に出ているんだわ!」


 クルルからの返事はなかった、きっとショックを受けているのだろう、その無音は痛いほどによく分かる。

 ようやくクルルから返事があった。


「そんな…巻き込まれた…?どうするの…?」


「どうって──助けに行くしかないでしょ!」


 その声は若くて、けれど冷たくて、突然通信に割り込んできた。


「二次遭難者を助けられるのはプロだけだよ、君たち素人には無理だ。諦めなさい」


 発信元の信号ステータスはSU6-D003、通称シトリー。


「あんたは…その型式は…」


「やあやあどうも、ベアトリスが迷惑をかけているみたいだね、オブリ・ガーデンを代表して謝罪するよ。その為にも先ずは君たちも避難しなさい」


「何を言って…諦めろって…」


「君の隊員は限りなく助からないステージに居る、危険な賭けに出るくらいなら生きている君たちだけでも避難して、とそう言っているんだ」


 烈火の如く怒りが湧き上がった。


「ふざけないで!あなたたちオブリ・ガーデンがこの街の仕様をきちんと説明していればこんな事にはならなかったのよ!誰のせいだと思ってるの?!」


「だから謝罪すると言ったんだ。──すまないね、これでも一応人助けのつもりなんだ」


 コンソールに一瞬だけノイズが走り、そして握っていたコントロールレバーにロックがかかった。最悪だ。


「あんた!私の機体を…勝手に触るんじゃないわよ!まだイーオンたちが残ってるって言ってるでしょ?!」


 シトリーは私を相手にしなかった、既に通信は切られており、機体が一人でに動き始めて進路をオブリ・ガーデンに固定した。

 イルシードに背中を向けた時、またしても爆発が起こった。けれどその爆発は屋上付近のものではなく、足元から起こったものだ。

 機体のカメラを確認する。画面の端に位置しているカピタニアがゆっくりと倒壊していくところが映されていた。


(ああそんな…もうここまで…)


 倒壊し、画面から消えてしまったカピタニアがもう一度爆発を起こし、球体状の防波堤を形成していた。





 幸いにも生きていた、けれど頭と体の中心が異様に重たい、それに手足にも力が入らない。

 仰向けに倒れたままゆっくりと首を動かす、さらに幸いなことにケアちゃんもおばあさんも私のすぐ近くに倒れていた。

 室内のガラスは全て割れ、私の体にも破片が乗っている、床はきらきらと輝き、そして割れた窓から白煙が入り込んできていた。

 意識が覚醒していくうちに次第に力が入るようになり、何とか体を起こしてバイザーの通信ボタンをタップする。

 返事はすぐにあった。


「イーオン?!イーオンなのね?!」


 耳に障る、うるさいったらない。


「うるさい…言わなくても分かるでしょ」


「は〜〜〜良かった〜〜〜もうほんとに死ぬかと──今どこにいるの?!早く座標を送って!シトリーとか言うくそ野郎に救援に向かわせるから!」


「ちょっと待って…体が思うように──っ!!」


 きっと、この衝撃で目を覚ましたのだ、激しい瞬間的な揺れが襲ってきた。その衝撃に体が大きく揺れ、また床に倒れてしまう。けれど、その揺れのお陰もあって意識を失っていた二人が目を覚ました。


「ああ…天国ってリアル路線なの…?」

「最悪だ…天国に行ってもケアの声が聞こえるよ…」


(仲良いよねこの二人…)


 不謹慎にも、私は目の前で横たわる二人よりイルシードのことを心配してしまった。

 この衝撃はおそらくカピタニアがマグマを堰き止めるために作動したものだ、となればすぐにこの街にもマグマがやって来る。

 それにものすごく暑い、いや熱い、空気に触れているだけでも肌が焼けそうだ。


「二人とも…立って、急いで脱出するよ…」


「あれ、イーオンさんもこっちに来たんすね…なんかすいません、私のせいで…」


「ここ天国じゃないから早くして」


「ガチっすか?!──いたたたっ…」


「すまないね本当に…イーオンとやら、私のせいで…」


「いいから早くっ!喧嘩も謝罪も避難してから聞くからっ!」


 そう叱りつけてやると、二人とも顔を歪ませながら起き上がり、あとは誰に言われるでもなく扉を目指した。

 廊下もひどい有り様だった、窓ガラスだけではなく扉の破片も至るところに散乱しており、足の踏み場もないほどだった。あれだけ喧嘩していた二人もこの惨状を前にして、ただもくもくと足を動かしている。

 幸いなことに階段は無傷のようであり、衝撃でいくらか破損してしまっているが地上まで下りることができた。

 しかし、不幸な事に...


「ああ?!イーオンさんの機体がっ…」


 無理もない、上空のあちこちで爆発が起きれば地上も無傷では済むまい。イルシードの左翼に建物の瓦礫が落ちていた。


「この近くに車はない?!」


 ケアちゃんがショックを受けてくれたからだろうか、私も十分ショックを受けてしまったが冷静さを失わずにすんだ。他人の物なのに、まるで自分の事のようにケアちゃんが落ち込んでいた。


「ないっす、多分…全部出払ってるはずなんで…ここから徒歩で向かうしか…」


「徒歩って…」


 無理だろう、距離があまりに遠すぎるし、あまりにマグマの進行速度が速い。ここに着陸した時は感じなかった熱を今は強く感じる、それに息苦しくもある。

 おばあさんが地面に座り込んだ。


「すまない、私のせいだね、私が意地なんか張ってしまったから…」


「どうせ嫌われてるんだろうと思って見に来た私のせいだよ、ばばあが気にすることじゃないよ」


「優しいあんたが娘と大喧嘩をしたんだ、きっと娘も悪かったんだろうね…そうだと分かっていても、私はあんたのせいにしたかったんだ…」


「ばばあ──ううん、ネラルおばさん…私の方こそ、チェタを止められなくてごめんね」


(ああ駄目だ、すっかり諦めてしまってる…)


 危険を伴うがラグナカンに救助を求めるしかない。

 バイザーの通信ボタンをタップする、クルルに呼びかけようとすると、知らない声が耳に届いてきた。


「ああ良かった、探す手間が省けたよ」


「は?誰?──」慌てて言葉を選ぶ、もしかしたらオブリ・ガーデンの人かもしれないと思ったから。しかし違った。


「私はノウティリスだ、君の通信信号を確認したからすぐに救助へ向かう、そこに横たわっている機体も一緒に回収しよう」


「………」


「イーオンさん?!」

「大丈夫かい?!」


 良かった...ああ、本当に、イルシードを置いて行かないといけないとショックだったから...

 ここで極度に高まっていた緊張が解けてしまい、私もその場にへたり込んでしまった。そして気温が異常に高まっていく中、飛行艦が空にその姿を見せ、さらに四機の人型機も下りてきた。

 「壊れた機体に乗っても仕方がないだろ!」と青い機体のパイロットに文句を言われながらもイルシードのコクピットに(がん)として収まり、他の機体に持ち上げられながら高度を上げていくその途中で私は見てしまった、先ほどまで座り込んでいた地面がマグマに飲まれる瞬間を。

 ケアちゃんもネラルおばさんも他の機体に搭乗している。

 間一髪だった。





「あれがノウティリス…どうしてノウティリスがここに…?」


「何でもいいわ…イーオンたちを助けてくれたから…」


「なんか潜水艦っぽくね」


「ノウティリスってノーチラスに名前の響きが似てるよね。名高い潜水艦に寄せてんじゃないの?」


「意識高くて草」


「ちょっと、二人とも…駄弁ってないで受け入れの準備して…私ちょっと腰が抜けちゃって動けそうにない…」


「ここにもばばあが居て草」


 早く行けえ!とサランが吠えると、こんな状況でもいつも通りの二人がブリッジから駆けて行った。

 僕もサランほどではないけど自分の席で脱力状態になり、あの二人のように機敏に動けそうにはない。


(ああ良かった本当に、もし来てくれなかったらと思うと…)


 絶する。飛べなくなったイルシードと共に帰らぬ人になってしまったイーオンを想像してしまい、背筋が凍り、首が粟立ち、その緊張と恐怖から解放されて力が抜けてしまった。

 いくら僕たちが束の間の安堵を手に入れようと周りの状況は進み続け、まだまだ放心していたかったのにそのノウティリスから通信が入った。


「ノウティリスだ、君たちのパイロットと民間人二名を救助をした、受け入れを希望する」


 コンソールの席に項垂れるようにして座っているサランが僕の方を見ながら首を振った、どうやらまだ喋れる状態ではないらしい。


「あ、ど、どうも、本当に、何と言えばいいのか…」


「オブリ・ガーデンを管轄しているイスカルガから救助要請を受けてね、弾丸軌道でやって来た次第だ。それにしても声が随分と若い、君が新型艦の艦長?」


「え、艦長では…操縦士という役職を持ってはいますけど…」


「君が操縦している?それは驚きだ、是非とも艦内の見学を──「ノラリス!場を弁えろ!──乗組員のナツメだ、君たちの聞かん坊パイロットは無事、民間人二人も軽傷を負っているが命に別状はないから安心してくれ、ただ戦闘機型の機体は左主翼が破損している、自立航行は不可能だろう」


「あ、ありがとうございます…」


「直にそちらに到着する、準備を進めておいてほしい」


「わ、分かりました」


 世間話を始めようとしたノウティリスさん(?)を一喝した怖そうな人と通信を終え、それからすぐにノウティリスが到着した。

 

「ナツメだ、救助に間に合って本当に良かった」


「こ、こちらこそ、本当にありがとうございました」


 対面したナツメさんという人は何というか、あまり人間味を感じない人だった。涼やかで切れ長の瞳に整った薄い顔立ち、サランとは違うベクトルで美しい人だ。それに何より、その白い虹彩だ、つい見てしまう。本人はじろじろと見られることに慣れているのか、僕が不躾に見てもあまり気に障った様子はなかった。

 ナツメさん以外にもパイロットが一人いる、どこかで見たことがある人...いや、全身が義体化されているからサイボーグ?あれ?


「やあやあどうも、可愛らしいお嬢さん、俺の名前は──「ヒュー・モンロー、ですよね?船内にギーリとテクニカがいますので、絶対に会わない方がいいですよ」


 先んじてそう言う、二人は一瞬何のことだかと目を点にし、ナツメさんが先に復帰した。


「まさか!──お前この野郎駅で拉致った相手ってラグナカンの隊員だったのか?!」


 ナツメさんが自分よりも体格が大きいモンローさんに掴みかかっている、掴みかかられたモンローさんはたじたじだ、何というか、二人の上下関係が一瞬で分かってしまった。

 

「いやいや!いやいや何で胸倉を掴む?奇跡の再会だと喜ぶところだろう?──分かったならこの手を離せ!」


「どうせお前のことだからラグナカンの隊員が誰か把握しててこの遠征に参加したんだろ?!ああ?!道理でおかしいと思ったんだよ!」


「なわけあるか純粋に人助けの精神で来ただけだ!曲がりなりにも元軍人だぞ?!兵士としての矜持はまだ捨てていない!」


「どうせベッドの上なら百戦錬磨とか抜かすんだろ?!」


「……」


「お前をここから突き落としてやるよ「──あの〜そろそろイーオンと会いたいのですが…」と、僕が割って入ると二人は喧嘩をしながらも艦内へ戻って行った。何なんだ?


(僕の周りは仲良しさんが多いな…)


 あまり緊張感のない大人二人の背中を見送った。

 そして僕も、奇跡(?)の再会を果たすのだった。

 ナツメさんとモンローさんが去り、イーオンとケアちゃん、それから救助された現地の人と一緒に現れたのはさっきの二人ではなく、


「ああ?!」


「?」


 良い旅を、って言った人だ!思わず指を差してしまった。でも様子が変だ、差された本人は首を傾げている。


「あれ、僕のこと覚えてないんですか?リガメルの宇宙港で会いましたよね?」


「──そう?そうだったかな?」


 あれ...見た目は優しそうな人なのに、随分と淡白だな。


「あなた捕まってましたよね?それでエレベーター前ですれ違いざまに良い旅をって、僕に言ったんですけど…」


「──君男の子だったの?!思い出したよ!僕はてっきり女の子かと、女の子に声をかけた記憶はあったけど」


「あ、そうですか。あ、イーオンたちを預かりますね、ありがとうございました」


「ああ、よろしくね、三人とも大きな怪我はないから安心して」


「どうもです」


「きゅ、急に冷たくなったね…」


「振られてやんの〜」と、また新しい人が現れた。その人はどうやら親らしく、僕より少しだけ背が高い子供と手を繋いでいた。


(え?子供が船に乗っていいの?いや僕も厳密に言えばまだ子供なんだけどさ)


 その子供は...何というか、いやらしい言い方になってしまうけど、発育がとても進んでいてミトコンドリアのどの隊員よりも胸が大きい、愛嬌がある大きな目は垂れており、髪も癖っ毛でふんわりとしていた。


「私はアマンナ、しくよろね〜」


(し、しくよろ?)


「オレはガングニール、助けが間に合って良かったゼ!」


「ああうん、僕はクルル。親と一緒に来てくれたんだね、嬉しいけど無理はしなくていいよ」


「親…」

「親…?」


 手を繋いだままの二人が互いに見つめ合い、そしてすぐに爆笑した、それはもうゲラゲラと、「手を繋いでただけなのに親ってw」とか、「コイツがオレの親とか世も末w」とか、そんな感じ。


(何なんだこの人たちは。ああもう無視無視、まともなのはナツメさんだけっぽいし相手にするのはやめよう、空気に飲まれる)


 ほんと失礼な人たちばっかり!見た目で性別を判断するし、勘違いとは言え人の気遣いを前にして先ずは笑うだなんて!

 何とか合流できたイーオンたちは僕たちの会話には参加せず、どこかぼうっとした様子だった。きっと極限状態から解放されて放心しているのだろう、無理に会話などはせずすぐさまラグナカンの中へ引っ張って行く。もうあの人たちと話したくなかったし!

 三人を医療ルームへ連れて行き、ギーリたちにバトンタッチしてなんかすごい疲れたのでプライベートルームへ引き上げる。そこには放心状態から復帰したサランがいた。


「ノウティリスの人たちどうだった?」


「相手にしなくて良いよ、失礼な人たちばっかりだったから」


「クルルがそう言うんならそうするわ。対応してくれてありがとう」


「次はサランだからね」


「考えておく」


「いや対応してくれる?隊長でしょ?」


 一息吐きたい、けれど状況が許してくれなかった。




「通用ゲートが閉じないとはどういう事ですか?!日頃からメンテナンスはしているのでしょう?!」


 マラニョン・ワン側、通用ゲート口付近は避難してきた人たちで溢れ、私たちの会話が聞こえていないのか、安堵の表情に包まれている、それは大変喜ばしい、けれど修復壁で従事している者が報告してきたその内容は喜ばしいものではなかった。

 現場の責任者を務めているその者は見るからに眉を下げていた。


「していますとも!けれど扉を開閉させるワイヤーロープが切れてしまったのです!何せ扉が扉ですから修理にも時間がかかります!」


「何故こんなタイミングで…」


 通用ゲートは飛行船の使用も想定され、大きさは実に数十メートルに達する。それほど長大な扉を動かすワイヤーロープともなれば、やはりそれだけ大きく強靭な物でないといけない。修理は行えるが時間がかかる、そしてその時間が圧倒的に足りなかった。

 責任者が言う。


「ここから退避してください!そのように連絡を!」


「しかし!ゲートを開けたままではマグマがここまで入り込んでしまいます!そうなった時の被害は想定すらできません!」


「かと言ってこの場に残っていても人的被害が出るだけです!我々はここに残って修理作業を続けますから!」


 責任者がそう悲痛な決意を述べ、私の返事も聞かずに去って行った。

 即座に二機へ報告する、返答は時間稼ぎだった。


「周囲のカピタニアを全て倒壊させて人為的に作動させるんだ、幸か不幸かイスカルガもこっちに向かっている、それで時間は稼げるはずだ」


「ベアトリス、外のことは私たちが対処します、あなたは中にいる人たちの誘導をお願いします、よろしいですね?」


「ええ、お願いします」


 方向性は決まった、可能な限りカピタニアの防波堤を機能させ、マグマの進行を遅らせる。

 もし失敗してしまったらと、悪い未来予想図を描いてしまい、人知れず身震いする。被害は甚大、いいや、オブリ・ガーデンの再起には世紀単位の時間を要することだろう。

 そも自動修復壁とていつまで耐えられるか未知数である、ここまでマグマの侵入を許したことはなく、経験にない事だ。

 

(思考したところで解決はしません、今はすべきことに集中しましょう)


 ミーシャを呼び、さらに人を集めて事情を説明をし、速やかに退避するよう促す。集めた人たちが三々五々に散り、私とミーシャは空から機体に内蔵されたスピーカーを用いて退避勧告を行なった。

 効果はすぐに現れた、私の予想に反した形で。


「何故ゲートに向かう?!それもほぼ全員ではありませんか!」


「これは…一体どういう事なのでしょう…」


 キャンピングカーで待機していた人たちも含め、皆が一斉にゲートへ向かっていくではないか、その行動に理解が及ばない、本当に何故?

 外で作戦行動中のベニーニュから、イスカルガがオブリ・ガーデンに到着したと報告があった、その際に自動修復壁周辺で起こった出来事についてこちらからも報告した、ベニーニュが答える。


「もしかしたら、人為的にゲートを閉じようとしているのかもしれません」


「そんな馬鹿な、その可能性は私も考えましたが不可能だと判断しました、とても人の力で動かせるものではないはずですよ」


「他に思い当たる理由はありますか?──あなたの欠点ですよ、良いも悪いも思い込みが強過ぎます」


「……」


「どちらにせよ、修復壁の労働者たちは避難しないことを選択したのです。覚悟を決めてください、マグマと立ち向かうことを選んだ人たちはあなたよりも決意が深い」


「──ええ、そうですね、生き急いでいるようにも見えますが」


「そうならないように陰から配慮するのが代表者としての務めですよ、その自信がないのなら誰を殺してでもあなたの意見に従わせるべきです、アマゾンの指揮官のようにね」


「本当に、あなたの忠言はいつも時に適っていますね」


「時に応じたことしか口にしませんので。シトリーとイスカルガとも共有しておきます、我々に退路はないと」


「お願いします」


 ベニーニュと通信を終えたと同時にミーシャが訊ねてくる。


「そうは言ってもどうするのですか?この機体を使ってもあのゲートは動かせないと思いますけど…」


「一先ず現場へ向かいましょう、作戦立案はそれからです」


「わ、分かりました!」


 ミーシャのコントロールはとても丁寧である、どんな時も、現在の危機迫る状況でもそれは変わらなかった。だからだろう、いくらか冷静を保つことができた。

 到着した現場ではさらに予想外の事が起こっていた。


「綱引きじゃないんだから!!何に命を賭けているのですか!!」


「べ、ベアトリスさん、お、落ち着いて…」


 あろう事か、本当に状況を理解しているのか?飛行船も使用する大型のゲートにロープをひっかけ、その場にいるほとんどの労働者たちが綱引きよろしく引っ張っているではないか、信じられない。無論、扉が動いている様子は見受けられなかった。

 機体に内蔵されているスピーカーを使って退避を呼びかけた、悲しいかな腹ただしいかな、誰も従う素ぶりを見せず懸命にロープを引っ張っているだけだった。


(覚悟を決めろとはこういう事なのですか?!)


 失敗したらどうなる?この場にいる人たちは須くマグマに飲まれる、あまりに危険過ぎる、それでも労働者たちはロープから手を離さない。


 ──おお自由よ、我らの思いは死をも恐れず!


 そこでふと、忘れられた歌を思い出した。

 イピランガで決死の戦い繰り広げた英雄たちの叫び、まるでその叫びが蘇ったようではないか。


 ──ブラジル、熱烈なる夢、愛と希望の命みなぎる光は地上に降り注ぐ!


 そうだ、ここはブラジルだ、名前こそ変われど多様性に富んだ夢と愛と希望が存在し、大自然の恵みに祝福された場所。いずれ全ての国家が到達する完成に近い坩堝文明、どうして見捨てられようか。

 熱き血潮が躍動する、覚悟を決めあぐねていた我が胸中もいよいよ肝が座った。


「ミーシャ、付き合ってくれますか?」


 ミーシャが答える、ここにも祖国を愛する血潮が一人。


「勿論です!」


 地上で英雄の叫びを上げながらロープを引く労働者たちを飛び越え、直接扉の縁を掴んだ、何とも恐ろしい大きさだ、特別個体機の私ですらちっぽけに思える。しかし、もう逃げぬと決めた覚悟がその恐怖を払い退けた。

 エンジンの回転数を最大まで上昇させる、マニピュレーターと腕部に過負荷がかかりアラートが響く、それでもゲートが動く気配はない、だが、地上の叫びがいや増したような気がした。

 いや、気がした、ではない、実際に人が増えている、中には修道服姿のマリアの人間たちもいた、さらにパイロットスーツ姿のアマゾンの人間もいた。

 誰も、間違いなく、越区手続きは取っていないはずだ、それなのに通用ゲートに集まった。

 特別個体機が一機増えたところで焼け石に水、そう判断し扉からマニピュレーターを離し、扉のあちこちにロープをかけて地上で戦う人たちに託すことにした。

 私が作業している間にも人々が陸続と集い、まるでマグマに対抗するかのように人の波が生まれていた。ロープ引きに参加できない者は炊き出しを始め、手をぼろぼろにした人たちのバックアップ体制を構築していた。

 もうここまで来たらカーニバルだ、人々は熱狂状態になり、何のためにゲートを人力で閉じようとしているのか忘却したようにさえ見える、マグナカルタもマリアもアマゾンも関係ない、そこへ──。


「おお、我らが愛し崇拝する祖国よ〜万歳、万歳〜!」

 

 今まで耳にしたことがないほど美しく、それでいて力強い歌声が聞こえてきた。そのリズムは耳に馴染み、決して真新しさは感じない楽曲だが、本当に、本当に不思議なことに、自然と歌詞が口からぽろりと出てきた。

 忘れ去られた国歌、マリアが大事に保管しいつの日か復活することを夢見た我々の歌。

 ああ、何て良い曲なのだろう、他の誰でもない、我々の為に作られた世界でたった一つだけの歌。

 力が湧いてくる、ミーシャも力任せに歌っている、ゲートの向こうに火の海が見えても退く心は生まれない──その時、今までびくともしなかったロープに手応えがあった。

 扉が動いたのだ。


「引けえーーーっ!!!!」


 何も人力だけで為せたわけではない、APIO所属の多くの人型機がこの戦線に加わってくれたのだ。

 徐々に、ゆっくりとだが確実に扉が閉まる、しかしマグマの進行速度の方が速い、イスカルガから通信が入る。


「私の船で堰き止める!あとの事は任せた!」


 そう言うが早いか、久方ぶりに目にしたイスカルガが防波堤の如くマグマの中へ強行着陸を行なった。マグマがイスカルガさえも飲み込む、溶かされ、束の間の再会を果たした我々の船が火の海に沈んだ。

 本当にいくらかの時間を稼いだだけだ、次に現れたのがノウティリスだった。


「あと少しだ!扉を閉じよ!」


 イスカルガによって勢いが減衰したマグマにノウティリスまでもが強行着陸、さらに進行速度が緩やかになる。

 二隻の犠牲に報いるにはここでゲートを閉めるしかない!


「愛する祖国ブラジル!!」


 ミトコンドリアの歌姫は歌い続けている、その歌に合わせるように、掛け声のように私も歌った。力が増した、明らかに扉が閉じる速度が上がった。

 しかし足りない、時間が足りない!マグマはもう目前だ、オブリ・ガーデンの自動修復壁に接触した。


「秩序を乱すものはなんであれ許さない」


「バレス指揮官──」


 扉が閉じゆくその隙間、差し迫る火の海に向かって、カピタニアの瓦礫を抱える人型機が一機通過していった。


「秩序を乱す者は人であれこの国から取り除いてきた、その命に報いる時がようやく来た」


 自爆するつもりだ。もう救助は間に合わない。

 指揮官と最後の言葉を交わす。


「辞世の句として皆に伝えます」


「結構だ。──愛する祖国を頼んだ」


 何の未練も残さず指揮官が搭乗する人型機が爆発、その熱に反応した瓦礫が一瞬で膨張し、最後の最後、マグマの進行を防いでくれた。

 だが、閉じゆくその刹那、それでもなおマグマが入り込んできた。


「指揮官の命を無駄にするなーーー!!」


 それが最後の掛け声となり、ゲートがぴたりと閉じた。





 太陽が沈んだ空は暗く、けれど大地はまだ明るい。所々赤熱した炎が揺らぎ、自然の篝火を焚いていた。

 オブリ・ガーデンの天井、マラニョン側から望む大地は太平洋から進軍してきたマグマの残党がちらほらと、侵入できなかったオブリ・ガーデンを前にして恨めしそうにしていた。

 無事にゲートも閉じられ、未曾有の災害を前にしてオブリ・ガーデンは最小限の被害だけで食い止めることに成功した。それもこれも全て、尊き犠牲があったからだ。

 キロンボ・デ・バレス指揮官、この方の働きがなければオブリ・ガーデンがどうなっていたのか分からない、ゲートを閉じれずマグマの侵入を許し、付近にいた人たち全ての命が奪われたことは想像に難くない。


「は〜…終わったね…」


「そうね…」


 イーオンが私の隣に立ち、一緒に眼下を眺める。

 オブリ・ガーデンに到着してから怒涛の連続だった、まるで長い一日のように、その長きに渡る日がようやく終わりを迎えた。

 夜を迎えることがこんなにも、穏やかで喜ばしいことだなんて知らなかった。

 どこからともなく、マグマにも負けない熱い歌が聞こえてきた。

※次回2025/8/30 20:00更新

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