Cell.21 ミトコンドリアの長い一日・激動編
心証【名詞】
裁判官が訴訟事件の審理において、心の中に得た確信や認識のこと。
なお、心象とは別の意味を持ち、こちらはある人物や物事に対して得られた想像などを差す。
『激動』とは、物事が激しく揺れ動く様を言う。
ただ、物事はいきなり激しく揺れ動いたりなどしない、必ずと言って良いほどその予兆がある。
「そう思うのだけど君はどう考えている、ベニーニュ」
「とくに何も考えておりませんよシトリー、ただ事に対処する、それだけです」
「君らしい返答だ、実に頼り甲斐がある」
それは例えば、長らく膠着状態に陥っていたオブリ・ガーデンにミトコンドリアという使者が訪れた事、これにより膠着していた組織関係に揺らぎが生まれ、現在は互いに接触し合うようになった。
ミーシャからの報告によれば、マグナカルタがマリアの要人を招くことになったという。その経緯は、違法に柵越えをしたミトコンドリア隊員二名を拘束していたマリアからの要求に答えるという形だが、私が知る限りではベアトリスがマグナカルタの長に就任してから初めてのはずだ。
他にも、マリアの拘束から逃すためにカピタニア、リオ・グランデへ移ったミトコンドリアの別隊員二名が行方不明になり、その対策会議としてAPIOもマグナカルタ入りすることが決まっているという。APIO側の人選はまだ不明だが、間違いなくあの冷徹指揮官が出席するはずだ。
カピタニアは治外法権、法も善も正義も機能しない暴力だけの世界、それにオブリ・ガーデンから離れれば離れるほど危険になる。そのような環境で人捜しとなれば、バンデイラに出動指示が下りるはずだ。
オブリ・ガーデン内はミトコンドリアの登場により、良い意味での刺激となり活性化が進んだ。口先だけのノルディックの連中とは違い、揺れ動いた組織関係が今後の良好な関係へと発展していくに違いない。
あとは私たちの仕事だけだ。
「抜かりないように、一つの揺らぎも見逃してはいけないよ」
「分かっていますよシトリー、地震の予兆は絶対に見逃しません」
ここは良い、どんな些細な予兆振動も感知することができる。
まあ、ここを担当している私たちの船長さんはそうでもないのだが、うるさいったらない。
「ねえ、少しぐらいお喋りしようよ!せっかく再会したんだからさ!宇宙に飛び出した話とか聞きたくないの?このイスカルガがたんと聞かせてあげるよ!」
*
「はあ〜もうほんと何やってんだろ私ってば、イーオンに八つ当たりしてさ」
大きな独り言は他人の耳に入ることなく、見知らぬ街の中へ消えて行く。リオ・グランデを抜け、イタマラカという小さな街を越え、その次の街に入った。
イタマラカを抜ける時からそうだったのだが通りから人の姿が消え始め、また名前を知らないこの街に入ってからは誰も見かけなくなった。
見かけなくなった代わりに、カピタニアという街、あるいはカピタニアというその機能を目の当たりにすることとなった。
(あの固まった岩のような物は…きっとマグマだ)
ヤマアラシのように切り立った構造物は何も住居用に設置されているのではなかった、迫り来るマグマを堰き止める、言わば防波堤の役割りを持っていた。
過去にはきっと、この街までマグマが迫ったことがあるのだろう、だから建物を侵食し、道を塞ぎ、モニュメントのように鎮座していた。
この街の惨状を目の当たりにし、ようやくオブリ・ガーデンという国そのものを理解できた、ような気がする。カリブ海にはオブリ・ガーデンから逃げ出した人たちが住み、ここに住む人たちはオブリ・ガーデンに住む人たちを少なからず憎んでいる。
生まれた地域による命の危険の差異は差別である、何かの歴史書で読んだ偉人の言葉だ、確かにその通りだと思う。
ここから先はオブリ・ガーデンにとってとても醜い場所になる、誰にも見せたくない知られたくない、けれどそこに在るもの。
(私もさっきは醜い所をイーオンに見せてしまったな〜…)
早く仲間の元へ戻らなければ、そう思うが足は止まらず、どんどん街の中心地へ向かう。
本来はきちんと区画整理されていたであろう四角四面の通りの一部に、大きく抉るようにして鎮座している岩があった。その高さは優に十メートルを越え、三階建てのビルに匹敵している、そして驚いたことにその岩に窓ガラスがはめ込まれていた。
(まさか…)
仲間に対する気遅れ、申し訳なさ、未知に対する好奇心、様々な感情が胸で溶け合い、坩堝のようにぐつぐつと煮えたぎっている。それでも好奇心を抑えられず、その岩の周りをぐるりと調べ、そして入り口を見つけてしまった。どうやらこの街に住む人たちは、侵食してきたマグマも住居用として利用しているらしい、何とも逞しい。
古びたその入り口は木製のドアが使用されており、明かり取りのガラスは白く汚れてヒビが入っていた。ゆっくりとノブを回すとかちゃりと音が鳴り、軋みながら扉が開いた。
もしかしたら人がいるかもしれない、何ならプライベート用の建物かもしれない、頭だけ出して中を確認する。
「──っ!」
視界に飛び込んできたのは誰かの拳だった。
◇
「すまない、まさか外からの客人だと思わなくて」
「あ、いえ、こちらこそ…ノックもせずに扉を開けてしまって…」
「お前を殴り付けた部下は厳重に処罰するつもりだ」
「あ、いえ、そこまでしなくても…」
「駄目だ、ここはそういうルールだ、ルールは舐められたら終わりなんだ」
「はあ、そうですか…」
殴られた左頬はまだ重い痛みが残っている、けれど、私の目の前にいるこの強面の人が丁寧に治療してくれて、今は湿布が貼られている。
岩の中とは思えない清潔な部屋だ、部屋の中にある食器棚には何も置かれていないが、消毒液の匂いがするあたり、ここは医務室なのかもしれない。
強面の人以外にも人がおり、皆一様に同じスーツを着用している、何かのチームのように見受けられた。
強面の人の顔には黒い模様があり、その模様も相まっていよいよ怖く見える。私がこの人たちのテリトリーを邪魔したことは明らかで、幾らか申し訳ない気持ちを抱えながらも訊ねるしかなかった。
「私のこと、知っていたんですか?外から来た客人だってさっき言いましたよね」
強面の人の返答は予想の斜め上だった。
「まだ何か不満があるのか?あるんなら言え、そっちも無断で扉を開けたが怪我を負わせたのはこちらだ」
「──え?不満…?」
「顔に書いてあるぞ、遠回しな言い方は止めて直接言え。ここにいる連中は中にいる奴らほど賢くはない」
「……」
一瞬何を言っているのか、理解できなかった。私はただ自分の事を知っていたのか、と訊ねただけなのに。
返答に困っていただけなのに、何を勘違いしたのか、ああ、と頭に置いてから、
「中、とはオブリ・ガーデンの中に住んでいる奴らの事だ。奴らは毎日金の勘定しかしていないからな」
「──あ、そういう事ではなく、顔に書いてあると…不満そうな顔してました?」
「してたわボケ、だから言っているんだ」
(いやボケって言わなくても)
言葉はとても悪い、けれど嫌な気はしなかった。どうして?似たようなやり取りをさっきしたからだ。
イーオンと同じだ、この人も表情から他人の気持ちを察することができるのだ。
私はさっきイーオンに何をした?この人にもまた遠回しな嫌味をぶつけてしまうのか?
そう思うと目頭が熱くなってきた、自分の不甲斐なさに、イーオンに対する申し訳なさに。
無理やり堪えた涙が行き場を失い、代わりに口から嗚咽が漏れ出る。
「──ふっ、くぅっ……」
強面の人は本当に容赦がない、結局涙も出てきてボロボロ泣き始めた私に遠慮なく雷を落としてきた。
「まだ痛むんならはっきりとそう言いやがれ!怪我人が遠慮なんかしてんじゃねえ!──おい!ケアを呼んでこいっ!どんな力で殴ったらこんな事になるんだっ!」
「ちょ、ちょっ…待っ…」
私の情けない声なんて誰の耳にも入らず、血相を変えた一人がケアという人を呼びに走って行った。
そしてすぐにその人を連れて来た、驚いたことに見た目は私たちとそう変わらない、華奢な人だった。さらに驚いたことに、私と同じように左頬がこれでもかと腫れ上がっていた。
「なんすか!もう制裁は受けましたけど!元はと言えばこの女が無断で入って来たのが悪いんでしょう?!」
「こいつが俺たちに何か悪さをしたか?」
怒気を多分に含んだその声が、ケアという人の反論を余韻ごと掻き消した、凄い声だ。
「いやいや!ボスが中の連中に気を付けろって言ったんすよ!そろそろ抜き打ちで見回りに来るはずだからって!」
「仮にこいつが中の連中だったとして、どのみちお前は取り返しのつかない事をした自覚はあるのか?」
「……」
「──ケアをこっちに寄越せ」
「──いやちょっとガチで勘弁してくださいよこれで殴れるの何度目だと思ってんすか!!」
「てめえがヘマばっかりするのがいけねえんだろうが!」
「いやいやもうほんとっ──」と、そこでケアという人が凄まじい速度で私の前に移動し目にも止まらぬ速さで、土下座した。
「ほんとすみませんでしたっ!!もうほんとマジで勘弁してくださいっ!!」
綺麗な土下座だった、あ、土下座って世界共通なんだと思えるぐらい、まるでお手本のようだ。
必死に涙を拭って声を整える、この場にいる皆が何と答えるか私に視線を注いでいたからだ。
「す、すみません、泣いたのは痛いから、ではないんです、仲間にも同じ事を言われて、それでムカついてつい意地悪なことを言ってしまって、それで喧嘩して、リオ・グランデから飛び出してきたんです、それでこの建物を見つけて…」
ひどい説明だ、脈絡なんかあったものではない、これでは何の説明にもなっていない。
だが、不思議と伝わったようだった。
ケアさんががばっと顔を上げてこう言った。
「駄目じゃないすか喧嘩なんかしたら、この街では友達は貴重なんすよ?早く仲直りしないと私みたいにこき使われることになりますよ?」
その話で何となくケアさんの事情は察した。
なるほど、何の脈絡のない説明でも伝わる人には伝わるらしい。
*
やっとの思いでクルルとティーキィーを連れ戻せたかと思えば、次の問題が呼んでもないのに訪れやがった。
「で?どうしてあんたのお仲間さんは捜索依頼を断ったのかしら?シトリーと…確かベニーニュだっけ?悪類と神類が仲良くデートでもしてるって?」
「おや、そこまでご存知でしたか、さすがヴァルヴエンドの使者を務めるだけのことはありますね」
場所はマリアからとんぼ返りをして再びマグナカルタへ戻り、その車中でベアトリスに問い詰めていた。七人乗りの大型車の後部座席からティーキィーが「まさかサランに嫉妬されるだなんて」と言い、クルルが「草」と一言だけ返していた。
ミーシャが運転する大型車が向かっている所は、各区の要人が一同に集い会議、あるいは会談する場所、俗に言う国会議事堂である。
危なげなく運転するミーシャのハンドルに、体の揺れを預けながらベアトリスに答えた。
「ベアトリス、と言えばブラジルでは有名な名前の一つだしね、あなたは人類ってところかしら」
「そこまでご存知でしたか、博識を通り越してもはや気持ち悪い知識量ですね。そうですとも、私がSU6-H003ベアトリス、そしてマグナカルタの代表を務めています。いずれ露呈することなので先に申し上げておきますが、アマゾンの代表はベニーニュ、マリアの代表はシトリーが務めています」
「で?」
余計な情報は要らない、私が知りたいのはその二機が捜索の依頼を断った理由だ。
「ご興味は湧きませんか?特別個体機が人類を導いているのですよ」
「で?」
「──全く性急な人です。国会議事堂で全てお話します、あなた方の受け入れを一時お断りさせていただいた理由も含めて全て、です、それまでご辛抱ください」
「納得のいく説明をお願いしますね」
会話が終わり、車のエンジン音と人の息遣いしか聞こえなくなった。
静かな車が走る中、目的地である国会議事堂がすぐに見えてきた。ツインタワーに変わったモニュメントを配置した建物群だった。
「あの二つのモニュメントは?」
「過去の政治体制を表現した物らしいですよ、詳しい文献が残っていないので詳細は不明ですが、一つが下院、一つが上院を表しています」
そのモニュメントはお皿だ、一つは上を向いて置かれ、もう一つは下を向いて置かれているように見える。
オブリ・ガーデンは限られた土地を無駄なく使用している、そのせいもあってかアマゾン以外開けた場所があまりないのだが、国会議事堂周辺だけは他に建物はなく、とても贅沢な使い方をしていた。
車が分岐を曲がって国会議事堂方面へ進んでいく、その折、空をゆっくりと行くヘリコプターの姿も見えた。
各区要人が一同に集う。
後で聞いた話だが、実に約百年ぶりの事だったという。知らんがな。
◇
清潔感、解放感、そして重厚感がある会議室は物々しい雰囲気に包まれている。これだけの一大イベントならメディアの撮影も入りそうなものだが、関係者以外誰もいなかった。
まるでパーティーのようなテーブルの配置である、特大ラウンドテーブルを皆で囲うのではなく、それぞれのグループに別れてそれぞれがそこに座る。マグナカルタを頭にして左右にマリア、アマゾンの関係者が座り、ひし形になるように私たちミトコンドリアがテーブルに付いていた。
話し合いの場の口火を落としたのは私だ。
「まずは社交辞令を済ませましょう、この度は私たちミトコンドリアをオブリ・ガーデンにお招きいただきありがとうございました」
物々しい雰囲気に変化はない、誰もが友好的だと捉えていない証拠だ、私もそのつもりだし、クルルは下を向いて小さく首を振っているだけだ。
「まずはオブリ・ガーデンの状況を教えてください」
この質問に答える者は誰もいない、なら名指しにしてやろうという事でアマゾンテーブルに座っていた老指揮官を指名した。
「キロンボ・デ・バレスさん、何故、ミトコンドリアのパイロットを無理やり連行したのですか?」
「その質問の前に、先ずは君たちがここへ訪れた理由について説明願いたい。我々はただ議会から紹介を受けたヴァルヴエンドの使節団が来る、という説明しか受けていない」
「私どもはその議会への加入が遅れています、その為世界の情勢にまだまだ疎く、自ら情報を収集する必要があるとヴァルヴエンド軍でそう判断されたため、ミトコンドリアが結成、そしてオブリ・ガーデンへ入塔することとなりました」
「その件に関しては君たちに受け入れ拒否の回答をしたはずだ、そしてその決定を覆した記憶は無い。勝手にやって来て我々の国について説明しろとは、厚顔無恥な使節団がいたものだ」
初耳である。無論、私たちを受け入れたマグナカルタの代表者に訊ねた。
「ベアトリスさん?」
「厚顔無恥とは厚かましくて恥知らずなという──「ベアトリスさん?「漫才してて草「バレス指揮官の言う通り、オブリ・ガーデンの状況を鑑みて各区でオンライン会議を取り、あなた方ミトコンドリアを一時受け入れ拒否にする決定が各区で承認されました。ですが、この決定を覆えすのに各区の承認が必要である、という事は決まっておりませんので、我々マグナカルタがお出迎えをすることとなりました」
「で、話が頭に戻るわけですよ指揮官殿、何故あなた方は受け入れを認めていない厚顔無恥の使節団の一人を拉致したのですか?それ相応の理由がありますよね?」
快刀乱麻を断つ。有言実行だ、斬り込まないと乱れた麻を斬ることができない。
さすがに言い逃れできないと判断したのか、指揮官が答えた。
「フェノスカンディア訪問裁判団の心証を良くするためだ」
「ほうもん…さいばんだんのしんしょう…?」
いきなり核心の回答を出されてもこちらとしては理解ができない、随分と性急な性格をしているようである。
無論、説明を求めた。
「具体的な説明をお願いします」
答えたのはバレス指揮官ではなくベアトリスだった。
「もう間も無くフェノスカンディアから使者が訪れます。その方たちを味方に付けるため、あなた方ミトコンドリアに取り入ろうと画策したのですよ、それは勿論我々もそうですが」
「オブリ・ガーデンの政治に介入したのはノルディックの方でしょう?何故フェノスカンディアが?」
以前の説明で、オブリ・ガーデンの政治にノルディックの経団連が介入、その後に各区で軋轢が生じて今の内紛状況に発展したと聞かされた。
そこへ何故フェノスカンディアが絡んでくるのか、ややこしいのは国内だけで十分だというのに。その思いはオブリ・ガーデンの皆にもあるのか、私の質問に要人たちが眉を顰めた。
眉を顰めたまま、ベアトリスが答える。
「フェノスカンディアとノルディックもまた、簡単な国際関係ではないという事ですよ。ここ最近、両者の関係が悪化して、ノルディックの経済不審の一端が我々オブリ・ガーデンにもあるとフェノスカンディア側に判断されてしまったのです」
「で?」
「それで、オブリ・ガーデンの内情視察と政務整理のために裁判団が訪問することになったのです、だから訪問裁判団。そして、訪問裁判団の判決次第では区の解体も命じられるおそれが出てきました、だから我々は必死だったのですよ」
「私たちがあなたたちの味方をしたところで…」
バレス指揮官が継ぐ。
「焼け石に水だろう。だが、溺れかけの者は何にでも手を伸ばす」
ノルディックの経団連こそが裁かれるべきなのでは?と口にしかけ、誰にも気付かれずに言葉を飲み込む。おそらく、その議論はとうの昔に済んでいることだろう、軋轢が生じて今の関係に陥ってしまったが、ノルディックの助けがなければオブリ・ガーデンはとうの昔にフェノスカンディアの支配下に置かれていたはずだ。
(何と言えばいいのか…どうしようもない状態がずっと続いているのね…)
竹を割ったように問題を解決できないもどかしさ、また、その煩わしさ、ここにいる人たちはこの二つの感情と葛藤しながら今日までオブリ・ガーデンを導いてきたのだ。
「──けど、それはそれよね、私たちが巻き込まれて良い理由にも根拠にもならないわ」
だがそれはそれ、これはこれ。
私の言い分に待ったをかけたのはマリアの要人、大教会という組織のトップに君臨している総長だ。複雑な金の刺繍が入ったカズラを羽織り、頭には大層な冠が載せられていた。
「あなた方ミトコンドリアに依頼した件はどうなるのですか?誰も口にすることがなくなった古き良き国歌を復活させることが私どもの願いなのです」
そう懇願するように口にしたマリアの人をバレス指揮官が鼻で笑い飛ばす。
「はっ、それに何の意味がある。国歌ならカピタニアで毎日聴けるではないか、今日も壁で働く者たちが陰気に口ずさんでいるだろうさ」
バレス指揮官の発言にベアトリスが食ってかかった。
「バレス殿、発言の撤回を、修復壁で労働に従事している者を侮蔑しているようにしか聞こえません」
「それを言うならマリアだろうに、カピタニアから音楽の自由を奪って街中で毎日国歌を流し続けているではないか」
「私どもオブリ・ガーデンが他国の介入に遅れを取ることなく、そして須く多くの人が一つになるためには抽象的かつセンセーショナルな要素が不可欠です、その為に国歌を提供しているのであって強制させた覚えはございません。──そうでしょう?ミトコンドリアの歌姫よ、あなたのその歌う力があったればこそ、ガイアの枝葉とファーストを救済の道へと導いたのでしょう?」
「ファーストはそうだけど、枝葉は違うわ、言うなれば売名行為のために歌を歌ったに過ぎない、勝手に神格化しないでちょうだい」
何だか私も当事者化しつつあるな。
クルルが「こうも足並みが揃わないことってあるんだね」とティーキィーに小声で話しかけていた。私もそう思う、そういう事を話し合いたいのではない。快刀乱麻!快刀乱麻!
「こっちの要求としてはミトコンドリア全隊員の安全の確保すなわちカピタニアで行方不明になった副隊長と飛行士の救助、全隊員が揃わなければ国歌なんかただの一回も歌いません」
話しが違う!とマリアの人間が吠える。その怒りを遮るようにしてバレス指揮官が言う。
「リオ・グランデより外れは奴らの支配下だ」
「奴らとは?」
「名も無きカルテルだよ、レシーフェという男がそのカルテルを仕切っている。とにかく頭が切れる男でな、我々バンデイラでも手に余る奴だ」
「そのカルテルに囚われた可能性があるってこと?」
「と、いうより奴らの支配下だから下手な救助活動はできない、と言った方が適切だ。やるなら焦土作戦を決行してからでないと我々にも被害が出る」
「もうこっちは出てるんですけど」
「聞けば、君の部下が勝手な判断でリオ・グランデを離れたそうじゃないか」
「誰のせいでカピタニアへ遁走することになったと思ってるの?──ねえ?神様は何と言っているのかしら」
「捕虜が目的ではなく保護が目的でした、その認識の違いが原因でしょう」
──どうやら私もすっかりと当事者化してしまったらしい、余計な一言を言ってしまった。
「ねえ、あんたたちさ、ちょっとは助け合おうって思わないの?損しないよう保身的な立ち回りばっかりしてるからいつまで経ってもオブリ・ガーデンの足並みが揃わないのよ?」
アマゾンの代表者、マリアの代表者、そしてマグナカルタの代表者でありどちらかと言えばミトコンドリアに協力的だったベアトリスまでもが椅子を蹴倒し、
「お前が言うなっ!!」×3
と、声を揃えて私を糾弾してきた。
クルルが天井を仰ぎ、「これはダメだ」とお手上げ状態へ移行、ティーキィーはこのまどろっこしい会議に飽きたのか睡眠状態へ移行していた。
あれ、私の味方は?
*
道理で、私の顔が知れ渡っていたわけだ。
「スパイの真似事をして申し訳ありませんでした」
「あなたもレシーフェさんの仲間だったんですね」
「仲間じゃないっすよただの下僕っすよ私ら」
カピタニアの街を案内してくれた人が私の目の前に立っている、申し訳なさそうな顔をしながら、墓前で見せた誠実な瞳をそのままに。
聞けば、各区にもレシーフェさんの指示で潜り込んでいる人が大勢いると言う。その情報収集に抜かりはなく、またネットワークも広い。レシーフェさんがカピタニアで支持されている理由の一つでもあった。
イタマラカの次の街、インピランガに置かれた拠点を案内してもらっている時に、誠実な案内人と再会を果たした。今は歳下の案内人の背中を追いかけているところだ。
下僕発言をしたケアが歩き出し、その跡に続く。私と同じポニーテールで、けれど髪の色ははっきりとした茶色だ、右に左にだらしなく揺れている。
インピランガの街は冷え固まったマグマといつ壊れてもおかしくない古い建物が密集し、その一つ一つが人の住処になっている。また、通りのあちこちには錆びたバス停がいくつもあり、ケアが言うには自動修復壁へ向かうバスが一日中走り回っていたらしい。
「この街に人がいないのは皆んなその自動修復壁に向かったからなの?」
少し緊張しながらケアに話しかける、私の性格上、初対面の相手には誰であれ敬語を使いたいのだが、ケアがあまりにも「タメでいいっすよ!」と言うものだからタメ口を使っている。
歩みを止めないケアが前を向いたまま答えた、歩んでいる先には一際大きい岩の山があった。
「皆んな逃げたんすよ、大きな地震が来るって言われて」
「──は?」
その岩の山も住居化されており、取り付けられた窓から別の建物へ向かってロープが通され、そのロープに沢山の洗濯物が干されている。また、一階の入り口近辺には大量の箱が詰まれ、レシーフェさんに勝るとも劣らない強面で屈強な人たちが荷運びに勤しんでいた。
確かにそういう慌ただしさを感じていた、まるでここから逃げ出すような。
初耳だ、けれど人がいないこの寂しい街を納得するのに十分な話だった。
「そんな話聞いたことないけど…」
「そりゃそうっすよ、中にいる連中も黙っているらしいっすから。姉さん、こっちに来る前はカリブにいたんすよね、あいつらが大量に買い込んでるって話聞かなかったっすか?」
聞いた、確かにその話は耳にした、あのカンクンの一味もそのような事を口にしていた。
「黙ってる理由は?それが本当なら大変な事になるよね」
「ここはそういう街っすから、地震が来ても大丈夫なように、マグマが迫って来ても堰き止められるように。だからこんな物が建てられてるんすよ」と、ケアが高い円錐状の構造物を指差した。それはまるでカピタニアの墓標のようでさえあった。
「ボスがじじばばや子供を先に逃して、あとは若い私らが残って食べ物なんかの必要な物を荷造りしてるんす、そこへ姉さんがやって来て私が勘違いして殴って仲良くなったんすよ」
仲良くなった覚えはないが、「そうだったんだね」と一応同意を示す。
(これ、皆んなは知ってるのかな、地震が来るってこと)
荷造りをしていた一人が「サボってんじゃねえ!!」とケアを怒鳴りつけ、「ボスの言い付けっすよ!!」と、一番歳が若いはずなのに言い返していた。
ケアが立ち止まりくるりと振り返った、その時ポニーテールが元気よく跳ねた。
「姉さんは運が良いっすよ!私らといれば安全ですから!」
そう言うケアの表情に偽りはなく、乾いた大地のようにからっとした元気もあった。
私は言葉を返せなかった。
*
(ソラの旅は良かった、超絶グレイト!アヤメが虜になる理由も良く分かるってものね)
イスカルガのブリッジのマスターコンソール前、今日はエモート・コアの気分だったので人型で現界している。薄い胸を細い腕で組むようにして持ち上げ、あの日強行突破を試みた低軌道宙域の航路を検分していた。
おそらくだがもうこの航路は使えまい、今頃は部隊が増員されて突破が困難になっているはずだ。あの時突破できたのは、あの時の作戦が全て突発的だったからに過ぎない。
月には私たちのサーバーがあり、そしてそれらを監視している命友会の方面基地もある。
筒抜けなのだ、私たちの会話は、だから緻密な作戦計画は取れない、だからこそ突発的である必要があった。
コースの検分と月の周回軌道、それから命友会の本拠地となっているコロニーの予想軌道を計算していると、深海の覇者から連絡があった。こういう人間との会話が命友会に聞かれることはない、聞かれるのは私たち六隻の会話だけだ。
(まああれを人間と呼んでいいのかは別として)
コールに応えると深海の覇者がいきなり用件を口にしてきた。
「イスカルガ、あなたの仲間が居なくなったみたいだけど何かあったの?」
「──は?居なくなったって──げ、本当じゃん…声ぐらいかけてよ…」
「ガーデンは大丈夫?観測室でずっと地震の監視をしてたよね、もしかして地震が起こったとか?」
「地震が発生したら私の所にも一報が届くようになってるから、それは無いわ」
「ならどうして飛び出したの?シトリーとベニーニュがまだ実地テストが済んでいない強襲用カタパルトを使って地上まで浮上したんだけど」
「それガチ?」
「ガチガチ」
「一旦切るわ、またあとで報告する」
「問題が起こったら速やかに報告を、でなければ私の休日に影響が出ます」
知らんがなと思いながらインプラント通信を切る。
ブリッジを後にし、私とホームを繋ぐ接舷橋を足早く渡る、けれど悲しいかな、この低身長では早歩きをしたところでタイムを縮められそうになかった。
二人が詰めていた観測室に到着し、ノックもせずに堂々と突入する。室内は甘ったるいお菓子と飲み物の匂いでいっぱいになっており、つい今し方まで二人が居た痕跡が色濃く残っていた。
「くっさ」
と、暴言を吐きつつもオブリ・ガーデンの近くを通っているナスカと南アメリカプレートの観測画面を確認する。
確認してすぐ、私も走り出す羽目になった。
深海の覇者へ連絡を入れた。
「ガチでヤバいことになってた!」
「いやもうそんな気はしてた…で、何があったの?」
「プレートの境い目からマグマが溢れてる!クソったれ過去の負債めまだ私たちを苦しめるつもりか!」
「地震は発生していないんでしょ?それでどうしてマグマが溢れるの?」
「知らないわよそんな事地球に聞いて!──私も出るから強襲用カタパルトまで船を運んでちょうだい!」
深海の覇者も観測室の計測画面を確認したのだろう、ぎょええ!と大声で叫んでいた。このホームの全ての建造計画に携わっているのに、ここに来てかねてから危惧されていたオブリ・ガーデンの問題が発生したのだ、そりゃ叫びたくもなるだろう。
「──オブリ・ガーデンに割り当てていた居住スペースを全て開放するから連れて来られるだけ救助に向かって!スペースが足りなかったら報告して!別のスペースも開放するから!」
「オッケー!ノラリスにも連絡を入れておいて!私の船だけじゃ救助できる人にも限りがあるわ!」
「オッケー!」
来た道を小さな足を目一杯動かしてひた走る。戻って来たと同時に接舷橋が切り離され、私は陸上選手よろしく私に向かって大ジャンプした、着地は失敗、顔面から床にダイブした。
「いたたた…──こんな事してる場合じゃない!」
すぐにエモート・コアを解除し、発進準備に取りかかった。取りかかると同時に先に飛び出した二人から連絡が入った。
「イスカルガ!マズいことになった、私たちは自然を舐めていたみたいだ!」
「非常にマズいです、今マグマを確認しました、かなりの速度をもってカピタニアに接近しつつあります」
「分かっている!私も発進する!二人は早くオブリへ向かってくれ!」
「あんた一人来たところで何になる!最悪の状況を見越してそっちで待機していろ!」
「子供たちを見捨てる親に未来などない!」
「その親が居なくなった子供たちはどうすれば良い?!あんたはファーストの子供まで路頭に迷わせる気か?!」
「ぐぬぬっ…ああ言えばこう言う!こういう時ぐらい足並みを揃えようとか思わないのか?!」
「生憎と私もガーデン出身の身でね!文明の坩堝で産まれた奴は皆んな人の言う事を聞かないのさ!」
私も似たようなものだ、シトリーに止められても発進準備を止めることはしない。
準備が整った、あとはグランド・デリバリーにコールを入れるだけだ。
「イスカルガだ!いつでも出られる!」
グランド・デリバリーで待機していた深海の覇者からコールが返ってきた。
「八七番ゲートを使って!そっちが一番オブリ・ガーデンに近いから!」
「了解!イスカルガ、出る!」
ロックボルトの解除音、超巨体を一気に加速させるための爆発音。
深海が揺れた瞬間だった。
*
案内を一通り終え、はじめに立ち寄った所まで戻って来た時だった。ふとした違和感を覚え、誰もいないがらんとした通りに顔を向けた。
勿論何もない、人もいないし、変わらず寂しい光景が広がっていた。先に建物内に入っていたケアが声をかけてきた。
「どうかしたんすか?まだ見たい所ありました?」
「あ、ううん、何でも──ねえ、何か聞こえない?」
「何かってなんすか」
ケアの問いかけは街に吹く風によって流される、けれどその風の中にはっきりとした音があった。
初めて訪れた時は耳にして、インピランガに来てから一度も聞かなかった音、それはエンジン音だった。
「車?」
「姉さんって耳良いんすね、なんにも聞こえないっす」
「ねえ、その姉さんって止めてくれない?普通に慣れないんだけど」
「いやそんな事言われましても──あ!私も聞こえましたよ!確かに車がこっちに向かってきてますね!でもなんで?そんなスケジュールはなかったはずなのに」
ちょっと待っててくださいね〜、とケアが中へ走って行った、きっとレシーフェさんに報告へ行ったのだろう。
それから時を置かずして車がインピランガに到着した、しかも沢山の車だ。その一台の車から人が慌てた様子で下り、私には目もくれずに建物の中へ走って行った。
(なんなんだ?何かあったっぽいけど…)
それからすぐ、インピランガの街に警報が鳴り響いた。
*
「カピタニアの住民がこっちへ向かっている?それは何故ですか?ミーシャ、報告は具体的にといつも言っているでしょう」
「いや、いつもは簡潔にと──理由は分かりません!ですがカンタナより全ての街から住民が移動しています!」
少しだけ反論しようとしたミーシャが文句を慎み、健気に報告を行なった。
ちょうど会議の場が紛糾し、緊張感が極まっていた時だった、私も含めて全ての要人たちが息抜きを求めてミーシャの報告に耳を傾けた。
だが、息抜きとはほど遠いものになった。
住民の総移動、考えられる要因は一つしかない。自然災害。オブリ・ガーデンは他国と戦争状況にはないため、自然災害しか考えられなかった。
しかし、大きな揺れはこの場にいる誰も感じていない。
「ベアトリス、あなた確か何かしらの対策をしていると口にしていたわね」
「ええ、プレートの活動がここ最近活発になっているので地震対策を進めていたのです。だからカンクンから物資を購入して、あなた方の私物やら使い方も分からないような文明品が私の手元に転がりこんできたのですよ。しかし…」
「カルテルが暴動を起こしただけでは?そろそろ訪問裁判団が姿を見せるはずだぞ」
「陸に生きる者が空を支配するフェノスカンディアに喧嘩を売りますか?そのような愚行を犯す男ではないでしょう」
「じゃあ一体何故カピタニアの住民がこっちに向かっているんだ?」
バレス指揮官の問いに答えられる者は存在せず、会議の場が静かになる。ミーシャは困ったように私たちの顔に視線を何度も行ったり来たりさせ、その中でクルルとティーキィーが立ち上がった。
「隊長、ここは自分たちの船に戻るべきかと、僕たちがここにいても皆んなが困るだけです「激しく同意」
私も激しく同意をしようとしたのだが、ベアトリスに肩をがっ!と掴まれた。
「いえいえ、サランさんももう立派に私たちの仲間ですよ。そんな大切な仲間を異常事態の中へ放り出すわけにはいかないでしょう」
「この手を離しなさい!あなたこういう時に限って仲間だなんて!よく言えたわね!」
ベアトリスが手を離そうとしない!
──そこへさらに人が訪れ、会議の場が再び緊張状態に突入した。
「バレス指揮官!ご報告します!現在オブリ・ガーデンに太平洋から噴出したマグマが接近しております!──ご指示を!」
その人はAPIO所属のパイロットであり、パイロットスーツのまま、額に大粒の汗を付けたまま報告していた。
誰もが驚き口を開け、けれどその人の報告に疑問を抱かずすぐに受け入れていた。
「カピタニア方面基地に出動している全ての兵士に撤退指示を出せ!物資は最低限、運べぬ機体は投棄せよ!」
「了解しました!」
パイロットはすぐに去っていった。
当然こちらには疑問があった。
「地震は起こっていないわよね?それがどうしてマグマが迫っているのよ?」
指揮官は席を立ちながら吐き捨てるように言った。
「自分で調べろ、自由に動かせるご自慢の船があるのだろう?──先に失礼する」
無慈悲な背中へ怒りをぶつけた。
「外にいる人たちはどうするのよ?!見捨てる気?!」
「最悪の事態を想定して動くのが我々軍人だ、人命救助の際に機体を動かせるパイロットがいなければ、それこそ多くの人命が失われることになるだろう」
無慈悲で冷徹な指揮官は背中を見せたまま答え、歩みも止めずに会議の場から出て行った。その跡を追いかけるようにしてマリア側の人たちも出て行き、マグナカルタと私たちだけが残った。
「ベアトリス、さっきの報告を信じるの?」
「ここはそういう国なのです、確かに地震はありませんでしたが、予期していた事態ではあります。──ミーシャ、この方たちを船まで案内してください」
「分かりました!」
「さっきは私のことを仲間だと言ったくせに?」
「勿論ですとも。仲間であるあなた方には船を出してもらって事実確認へ出向いてほしいのです。依頼しても構いませんね?」
答えたのは私ではなく、我らが天才船長のクルルだった。
「勿論!──行くよ二人とも!」
ミーシャが先に駆け出し、その跡に私たちも続いた。
本当に?本当にマグマがこの国に迫っているの?
*
警報が鳴り響く中、レシーフェさんの指示の下、様々な人が怒号を上げながら動き回っていた。ケアも姿を消し、私だけこの騒動に取り残されていた。
マグマが迫っているという、地震は起きていなかったはずなのに、この街の全てを溶かし飲み込む火の海が陸に上がりもう直に到着するそうだ。
(……)
災害だ、人が一様に同じ反応を示すことを災害と呼ぶ。皆が決死の顔をして逃げ出す準備に奔走している、荷物なら置いていけば良いのにと思うが、ここにいる人たちはオブリ・ガーデンから支援を受けられないのだ。
生活物資を捨ててここを離れることは自殺行為に等しい、だから決死なのだ。
荷物を運び終えた車から順次発進していく、走り出した車が向かった方角はてんでばらばらだ、オブリ・ガーデンを目指す車もあれば明後日の方角を目指す車もある。
姿を消していたケアが汗だくになって現れた、その手にはバックパックが握られていた。
「姉さん!中へ向かう車がありますのでそちらに!」
「ケアはどうするの?」
「どうもしませんよ!隙を見て空いてる車に乗り込むだけっす!──早く!」
あれだけ寂しかった街の景色が今となってはとても騒々しい、砂煙りがいくつも立ち込め、人の怒号も収まらない。
ケアに力強く手を引かれて走り出してすぐ、今度は空模様も騒々しくなった。
大きな、大きな影がインピランガの街に下りてきた。太陽が雲に隠れたわけではない、一際大きな船が太陽をインピランガから隠したのだ。
その大きさたるや、ヴァルヴエンド軍本部のバビロニア級飛行艦に匹敵する。
私は助けが来たものだと思った、けれどケアの険しい表情に変化はなく、走り出した足も止めようとしない。
「ねえ!あれって私たちを助けに来たんじゃないの?!」
「私らを助ける物好きなんかいるわけないっすよ!あれはフェノスカンディアのクソ船っすよ!」
(フェノスカンディア?あんな大きな船を持っていたの?)
もう一度空を見上げる、船、というより空に浮かぶ大地だ、円盤状の底面部にいくつものエンジンを装着し、無理やり揚力を得ているように見える。
空から一際耳に障るエンジン音が下りてくる、フェノスカンディアの船が徐々に高度を上げ始めたのだ。ケアの話は本当らしい、助ける素ぶりも見せずオブリ・ガーデンの制空圏から去ろうとしていた。
そのエンジンの噴き出す炎に被さるようにして、複数の機体が飛び回っているのが見えた。一つの機体を別の機体が追従しているように見え、追従されていた機体が大きく距離を取り、私たちがいる街へ下りてきた。
「なんか来たよ!」
「ええ?!──あれって基地の機体じゃないすか!」
「味方ってこと?!」
「少なくともオブリ・ガーデンの機体っすね!」
他の人たちも高度を下げて接近してくる機体に気付いた、一体何なんだ?方面基地の兵士たちはカピタニアの住人を見捨てて逃げ出したのでは?
くすんだネイビーにカラーリングされた方面基地の機体が、準備に奔走する建物のすぐ近くに荒々しく着陸した。その際、地面が少しだけ揺れ、車とは比べものにもならない大きな砂煙りが宙を舞った。
ケアのみならず、屋外にいたほとんどの人が「邪魔なんだよあっちに行けえ!!」と機体へ向かって文句を飛ばした。
その文句を飛ばされた機体のコクピットハッチが開き、中から出てきたパイロットの姿に強い既視感を感じた。
イーオンだった。
「やっと見つけた!ギーリ!早くこの機体に乗って!」
「イーオン?!」
「姉さんの仲間っすか?!──なら早く行ってください!あっちの方が安全ですから!」
いやいや、そんな事より今の目の前の出来事だ。
「何でそんな物に乗ってるの?!というか乗れたの?!」
「そんな事はいいから乗ってから説明するから!」
「さっき追いかけられてなかった?!」
「救助もしないフェノスカンディアの船に文句を言っただけだよ!ほんとダサい連中!そんなんだから覇権を握れないんだよ!」
何その文句知らんがな、ケアが「面白い人っすね」と私にだけ聞こえるように言った。
ケアが私のそばから離れようとしたので、今度はこっちから手を握った。
「ケアも一緒に!」
「いや、どうして──「どうせ乗る車のあてもないんでしょ?!行きあたりばったりなら私と一緒に来て!」
ケアの判断は早かった、どうせそうだろうなとは思っていたけど。
「行きます!」
ケアと共に走り出し、イーオンが下ろしてくれた電動式タラップに足をかけ、ケアを引っ張り上げた。
二人してコクピットに乗り込む、イーオンは文句も口にせずハッチを閉め、すぐに発進した。
慣れない垂直Gにみぞおちが苦しくなる、ケアも「うえ」と汚く呻いていた。
どうしてイーオンがオブリ・ガーデンの機体に乗っているのか、概ねだが事情は察せた、それより今大事な事はマグマが本当に迫っているかどうかだ。
「イーオン、本当なの?マグマが迫ってるって」
イーオンが答えた、さっき喧嘩した蟠りも無視して誠実に、あ、私はこんな人と喧嘩したんだとさらに心苦しくなったが今はそれに構っている余裕はなかった。
「見る?カメラ映像なら録画してある」
「見せて」
タッチパネル式のコンソールを操作し、イーオンが見せてくれた。
そこにはもうもうと白煙を上げ、海から陸に上がっている溶岩流の姿が映されていた。その速度たるや、一般的な速さではなく異常とも言えるほどスピードがあった。
陸に上がったマグマは大地を、木々を、触れた物全てを熱し溶かし、残酷に進み続けていた。
本当だった、オブリ・ガーデンは今、迫り来るマグマの危機に晒されていた。
※次回 2025/8/16 20:00更新