Cell.20 ミトコンドリアの長い一日・サラン編
雨降って地固まる【諺】
サっちゃんやビーと喧嘩してヤバくなったけど逆にそれが仲を深めるきっかけになった!みたいな!
「ヨ〜コ〜?どこにいるの〜?」と、サっちゃんの間延びした声が届いてくる。その声はとても綺麗で首筋がくすぐったくなる。
ノラリスの主翼から見る大地は白っぽく、その白さが砂なのか雲なのか見分けがつかないほど、もっと空も青かったら良いのにと思うが、まあ良いのにと思うだけだ。
「ビー、ヨーコいた〜?」
「こっちにもいないぞ〜」
おやおや、ビーまで私のことを捜しているようだ、よほど心配をかけているらしい。
(どうして二人は平気なの?)
人捜しだなんて、生まれて初めての経験のはずだ、私だってそんな経験をしていない。
ナツメさんから「二度と主翼に出るなよ!」と注意を受けた主翼は、私にとって絶好の穴場なのである。一人で考え事をしたい時とか、声に自信が持てない時に練習したりとか。
「いたっ、いたたたっ!」
ぶわっと強い風が吹き、顔にぴしぴしと細かい何かが当たってきた、危うく目に入りかけた。どうやら乾いた大地は人に優しくしてくれないらしい。
二人の呼びかけを無視し、主翼の転落防止柵に体を預けながら景色を見るともなしに見る(実際面白くもない)。
あともう少し景色を見たら二人の所へ行こう、と思ったのにサっちゃんが、
「早く出て来ないとヨーコがまた主翼に出たってナツメさんに言いつけるよ〜!」
「待って〜〜〜!それだけは止めて〜〜〜!」
乾いた大地の強い風にも負けず、大きな声を出しながら二人の元へ走って行った。
◇
結局怒られる。
ナツメさんが「お前な〜…」すうと深呼吸をした、雷落ちたな。
「主翼に出るなとあれほど言っただろ!これで何度目だよ!」
「だって柵が付いてますし、身を乗りださなければ平気かなって」
「柵はあくまでも転落防止用であってお前の安全を約束してくれるものじゃないんだよ!」
「それどういう意味です?」
「お前ならいつか乗り越えそう「そこまで馬鹿じゃありませんから!失礼な!」
場所はノラリスから変わって電車の中、行き先は上層だ。今から私たち三人は上層にある病院へ赴き、脳の検査を受けることになっている。
この電車は最新式で、移動用の可愛らしいエレベーターが車内を上下に貫くように設置されている。古い電車だったら移動は梯子である、エレベーター最高。
私とナツメさんが同じ席、その一段下にビーとサっちゃんがいる(場所変わって!)。『柵から頭を出さないでください』と注意書きされている柵から頭を出して、二人に話しかけようとするとナツメさんが叱ってきた。
「お前はその文字が見えないのか!」
「皆んなやってますから!私だけじゃありませんから!」
「いいからじっとしてろ!」
「子供扱いしないで!」
「だったら大人らしい態度で座ってろ!」
下の座席から二人の笑い声が届く、平和そうで良いな。
普段なら、私のことを笑う二人へ怒りを込めたメッセージを届けるなりするのだが、今はそれができない。
そう、小さな頃から使い続けていたメッセージや、それ以外のたくさんのアプリが使えないのだ。
こめかみを叩いても電源が入らない、故障したわけでも脳に異常が出たわけでもない。
ましてや、使えなくなっているのが私だけでなく、ヴァルヴエンドに住む全ての人が使えなくなっている。
それは何故か?
ま、それと脳の検査は別件で、私たちリ・ホープがガーデン・セルに違法登録していないか、その調査の為である。
ガココンと電車がレールにセットされ、すぐに「発車します」と覇気の無い車掌さんの合図で動き出した。
動き出してすぐ、ナツメさんに話しかけた。
「アヤメさんは大丈夫なんですか?あれから全く見ないんですけど」
ここに住む人はもう見慣れた景色なので今更見ることもないけど、外からやって来た人はやっぱりこの電車が珍しいらしく、決まって車窓の外を見る。ただのぶっといレールしか見えないのだが、ナツメさんはそのレールを見ていた。
ナツメさんは視線を変えずに「放っておけ」としか返さなかった。
「冷た〜い」
「いい、いい、気にしても無駄だから、今頃アマンナとまた海の中にでも潜ってるだろうさ」
「あの人ダイバーだったんですか?」
ようやくナツメさんが視線をつまらないレールから剥がし、こっちに向いてくれた。白い瞳をより涼やかに見せる黒い髪、その瞳を邪魔しない薄い顔立ち、いつ見ても飽きない。ま、口を開けば怒鳴ってばかりなのでその口には飽きたけど。
「三次元飛行の練習だってさ、この間の実地訓練で色々結果が出たから機体と自分の腕にフィードバックしたいんだと。今頃マリーンにいると思うぞ」
「あのまま行かせて良かったんですか?すごいことになってましたけど」
そう、宇宙へ飛び出し、そして帰ってきたアヤメさんは何というか、「あ、人って壊れたらこうなるんだ」みたいな、それぐらい情緒が安定せず、しきりに興奮した様子だった。
怒ったり笑ったり悔しがったり、普段はあんなに静かで微笑みを絶やさなくて是非ともナツメさんに爪の垢を飲ませたいくらい優しい人なのに、見兼ねたグガランナさんが薬を渡すまでアヤメさんははしゃぎ続けていた。
ナツメさんが暴言を吐く。
「お前もいつもあんな感じだろ」
「そうなの?!そんな目で見られてたの私?!」
「お前の方がヒドい」
「その言い方がヒドい!」
電車が上層に到着し、改札口にいたナツメさんみたいな見た目がキツい人と共に病院へ行き、検査が始まる前にビーにこう言われた。
「お前、ナツメさんと一番仲良いよな。よくあんなおっかない人とあんな気軽に喋れるなと思うよ」
「どこが?いつも怒られてばっかりじゃん」
「ナツメさんが普段からお前呼びするの、ヨーコだけだよ」
「ええもう止めて、プエラさんに聞かれたらどうするの」
「ああそうだ、どうせならプエラさんの前で話せば良かった」
「ビーもヒドい!」
くすくすと笑うサっちゃんが服を脱ぎ、用意されていた検査衣の袖に腕を通している。
三人の中ですらりと細く、声も繊細なサっちゃんが着替え終わり、意地悪な目をしながら言った。
「私たちに迷惑かけたし、帰りに何か奢ってもらわないとね、じゃないとプエラさんに告げ口しちゃうかも」
「サっちゃんだったらいい、ビーは嫌「なんでだよ!」
皆んな薄っぺらい服に着替え、更衣室から出る。下層の病院はこっちが気を使うぐらい真っ白で綺麗過ぎるけど、上層の病院は下層とは違うらしい。森?グリーンの壁、カーペットはブラウンの中にホワイトの線が複雑に入っている、道のつもり?森の中を散策しているような気分になる。森に行ったことはないけど。
「で?もう大丈夫なのか?」
少し先を行くビーがこっちに振り向いた、さっぱりしたショートヘアはただのショートヘアであまり面白味がない。
「というかなんで二人は平気なの?ネットが使えないんだよ?信じられないよ!」
「う〜ん」
「そうね〜」
おやおや?二人して同じ反応だ、この間はあんなに避けていたのに、私も含めて皆んな仲良くなりました!まる!
廊下の曲がり角で立ち止まり、ビーもサっちゃんも「案外平気」と答えた。信じられない!
「何もできないんだよ?!動画も見れないアニメも見れないゲームもお喋りも誰とも繋がれないんだよ?!ビーだって髪にデコれないんだよ?!こんなにも孤独を感じたことなんて今まで一度もな──「お静かにお願いしますね〜」
通りがかった病院の人に注意され、三人息を揃えて歩き出す。この何気ない所でも呼吸が合うのはくすぐったくなる嬉しさがある、雨降って地固まる、みたいな!
森の小道のような廊下を渡り、「来い!」と言われていた部屋の前までやって来た。まだまだ喋り足りなかったので周囲に人がいないことを確認し、二人に話しかけた。
「二人は何してたの?」
「何って、とくに何も。サっちゃんとサロンでお喋りしてたぐらい」
「呼んでよ!私も呼んでよ!」シャウトする。
「ヨーコうるさいよ。ヨーコも呼ぼうかって話になったけど、最近落ち込んでいるみたいだからあまり気を遣わせるのもあれかなって思って」
「その気遣いが逆に寂しいよ!」
「お前たちは少しの間も静かにできないのかっ」
部屋からナツメさんが顔だけだし、ちょっとだけ頬を染めながら叱ってきた、というかもう居たんですね、というか何で恥ずかしがってるの?
「元テロリストグループが目にかけている候補生は随分と元気が良いようだ」
ビーと知り合いらしいアルターさん、それと白衣を着たお医者さん、そしてさらにあと一人いた。
銃弾を弾きそうな(実際弾くらしい)かっちりとした軍服、左胸には星の輝きのように光る勲章の群れ、けれど悲しいかな、その輝きを台無しにする暗く沈んだ顔の人だ。肌が浅黒いだけではないだろう、出会い頭の台詞も含めて一発で嫌いになりました!ばつ!
「ナツメさん?この人は?」
ビーも嫌気が差したのだろう、不快感を隠そうとせずナツメさんに訊ねた。
答えたのはナツメさんではなくその本人だった。
「ヴァルヴエンド軍支部に務めるゲーリックだ。君たちに訊ねたいことがあってお邪魔させてもらった」
ビーが自分のつむじをとんとんと叩きながら、「検査なら今から受けますけど?」と挑発した。
ゲーリックとかいうどこかの香辛料みたいな人が答えた。
「それとは別件だ。──サラン・ユスカリア・ターニャ、この名前に聞き覚えは?リガメルアカデミーの卒業資格は確認できたが、歌唱候補生としての活動記録がどこにもないんだ」
*
原始の地球は現在と環境が大きく異なり、空は荒れ、海も荒れ、生命体が根を張れるような場所ではなかった。
だが、神の設計ミスなのか、はたまた生命とはそういうものなのか、荒れ狂う海の底でバクテリア、原初の生き物が誕生した。
この原初の生き物は荒れ狂う海の底でただ耐え忍ぶだけでなく、様々な外的要素を取り入れて進化を続けた。その過程で自らを分裂する能力、細胞にとって心臓に等しい核を保護する膜など、外的環境に適用するため力を身に付けていった。
実に不可思議だ、理性を持たないはずの細胞が環境に適用するため自らを作り変え、あまつさえ分裂が暴走化しないようにテロメアという抑制機能まで作った。
細胞は分裂の度にこのテロメアが短くなり、一定の長さを下回ると分裂が停止する。一般的にがん細胞と呼ばれるものは、このテロメアが暴走した結果に発生すると言われている。
細胞というミクロの世界ですらこのような異常事態が発生する、その細胞を擁する人にも異常事態(例えば風邪とか、鬱とか)が発生するのも、その人を擁する地球文明にだって発生するのは当然の理だと言えよう。
「いやね?だからと言ってあなたたちのその格好は何なの?」
「神の仰せの通りでございます」
「もう、あの頃の私はここには居ません」
「ね?今細胞単位で異常事態の説明をしてあげたでしょ?どうしてあなたたち二人がシスターの格好をしてそんな畏まった態度を取っているのか、今度はあなたたちがちゃんと説明してくれる?」
「この態度こそ、慈愛に溢れたものだと僕は思います」
「暴走した性欲も神の下できっと愛されていることでしょう」
「テクニカ!それ絶対ふざけてるわよね?!」
渋い顔をしたベアトリスから許可証を貰い受け、単身で乗り込んだ宗教保護区、通称マリアの教会内で再会した二人は異常事態に見舞われていた。
クルルのシスター服は可愛い、裾が余ってるし、人形みたいな可愛いらしさがあって大変良き。テクニカはもう何というか、いや似合ってはいるんだけど逆にえっちというか、絶対不純な動機で入信しただろと言わんばかりのシスターに変身していた。
教会内の応接室には私たち以外にもマリアの人が同席している、その人も何ら口を挟もうとせずただ成り行きを見守っているだけだ。邪魔なんだけど?
慈愛に溢れた(私からしてみれば人を見下す傲慢な)笑顔で見守っていたマリアの関係者が「サランさん」と、ついに会話に割って入ってきた。
「こうしてお二人は神の慈愛に触れ、今までの生き方を改める決心をしたのです。どうか見守っていただくことはできませんか?」
「あなた何言ってんの?寝言はベッドで言えって神様から教わらなかったの?」
関係者の顔にヒビはまだ入らない、クルルもテクニカも薄ら寒い笑顔を貼り付けてただ見守っているだけ。
「そのような言葉遣いは感心致しません。サランさん、お二人は改心したのです、そのお心に触れて驚かれているだけでしょう、お二人を優しく見守っていただくことはできませんか?」
「できませんけど?クルルとテクニカの国籍はご存知?いくらマリアが宗教を理由に見境なく人を保護すると言っても、節操無さそうすぎなのでは?」
まだ顔にヒビは入らない、随分と面の皮が厚いようだ。
「このお二人は自ら帰依することを選んだのです、神のご慈悲を授かるのに国籍は関係ないでしょう?」
「ああ言えばこう言うタイプね。あなた友達居ないでしょ?聖書が親友って?ならその親友を連れて来なさいよ、その聖書にクルルとテクニカを無理やり帰依させても良いって明言されているなら引き下がるわ」
「聖書は万人に説かれたもの、特定の人物を差すようなことは致しません」
古めかしい、由緒を感じる部屋だ。調度品のどれもは古いが汚れなどなく、日頃から清掃されているのが一目で分かる。
シスター服に身を包んだ二人はただじっとしているだけ、信じられない、クルルはまあ良いとしてあのテクニカがあそこまで静か──いや、初対面の人の前ではいつもあんな感じだわ、くそ、あれが演技なのか素なのか読めない。
揺さぶる相手を変えることにした。
「クルル、テクニカ、あなたたち、本当にここで信仰活動に励みたいという事でいいのね?少佐にそう報告するわよ?」
「──少佐?」
それみろやっぱり演技やんけ!胸の前で手を組みいかにもな仕草をしていたテクニカが、ぽかんと口を開けた。
「コンキリオ少佐に、クルルとテクニカの両名が現地の宗教に感化されて活動に励みたがっている、と伝えても良いのかって訊いているのよ」
「大佐じゃないの…?」
「少佐よ!自分の上官の役職ぐらいきちんと覚えておきなさい!──まったく。そこまでして励みたいと言うのなら然るべき手続きを取って励んでもらえる?──クルル、あなたはどうなの?」
「僕の意志は神の下にこそあります」
何を言っているのかよく分からないが、そっちがその気ならそれで良い。
「分かったわ、いや全然分からないけど。──あなたたち三人が私の意見に従わないと言うのであれば、国際問題に発展させてもらうわ、それでいいわね?ヴァルヴエンドとオブリ・ガーデンが明確な係争状態に陥ろうとも二人の身柄をこっちに渡してもらうわ」
顔にヒビが入ったのはクルルの方だった。
「──あ!その、ええと「──クルルさん」
「……」
名前を呼ばれたクルルが不自然に口を閉ざした。
*
〜サランがマリアへやって来るちょっと前まで遡る〜
「生地がごわごわで草、何この服、しかも他人の匂いがするし普通に嫌なんですけど」
「我慢してティーキィー、僕も嫌なんだから」
「クルルにニックネームで呼ばれるのも草、ギーリに嫉妬されそう」
「自惚れ過ぎて草」
ヤバい、テクニカ語の侵蝕が日々進行している。でもどうしてだろう?慣れるとこっちの方が言い易くて草。
ホテルのスウィートルームほどではないにしろ、教会の中でも取り分けて綺麗で大きな部屋に泊まらせてもらった(あるいは軟禁された)。
ティーキィーが言ったように、きちんと食事を済ませた後の睡眠は確かに格別だった。トリニダーの街から昨日までろくに食事を取らず、気絶するように睡眠を取っていた、起きても体の怠さが取れず、それどころか空腹による倦怠感が日に日に増していったのだ。
けれど今は違う、深夜にあんな事があったのにも関わらず、マリアの人たちに無理やりここへ連行されてきたにも関わらず、貸してもらったベッドで取った睡眠は格別なものになった。
(睡眠不足は人生の敵)
先程、マリアの人が今目の前に置かれている服を持って来て、まあ要約すると「世話してやったんだからこの服を着て態度を示せ」みたいな事を言ってきたのだ。
勿論僕もティーキィーも嫌がった、けれどここは敵地のど真ん中、味方もいないし頼れる人もいない。なら、状況が変わるまで服を着て大人しくしておこう、という結論になった。できれば僕だって着替えたくはない。
着替えるため、まずは今身に付けている服を脱がないといけない、ティーキィーの前で。
「あっち向いてて」
「今さらじゃね。ああ、私に襲われると思った?むしろクルルが私を襲うかもしれないじゃん」
「それ僕が根っからのマリア信者になることと同義だよ」
「可能性あって草」
冗談を言いながら(冗談だよね?)ティーキィーが服を脱ぎ、僕も服を脱いだ。ちらりと見るのも何だか負けのような気がしたので、堂々とティーキィーの下着姿を見てやった。
「どう?私のプロポーション」
「う〜ん…なんというか…」
えへん!と偉そうに立っているティーキィーの姿は何というか...作り物っぽい?胸も大きいし股間の膨らみも立派だけど...
「イーオンの方が魅力ある」と正直に言うと、ティーキィーも正直に答えた。
「そりゃそうでしょ、全部盛ってるし。私、昔は貧相な体だったんだよ」
「そうなの?」
「昔の私ってほんと自信がなくてさ、それなら手っ取り早く自信つけるために嫌いなこの体をデコってやろうって思って。そこから謎にモテ出した」
「その短絡さがいかにもティーキィーっぽい」
「そうそう、自信がないくせにせっかちでさ、こんな奴誰が好きになるんだろうって今でもたまに思う」
「僕にカウンセリング求めてる?無駄だからね、僕も似たようなものだし」
先に着替えを終え、見た目だけは立派なシスターになったティーキィーがにんまりと笑いながら、「似た者同士じゃん」と僕の背中をぱしんと叩いてきた。その力加減の無さ、その気やすさ、堪らなく恥ずかしかった。
──ちょっとは良い所があるじゃんと思ったのも束の間、ティーキィーが「予定変更!」と言い出し後ろから僕に抱きついてきた。
「スキンシップが急過ぎ──勃ってんじゃん!そのデカいの押し付けてこないで!」
「ごめんよ、私の脳みそって股間にあるんだ」
「体デコってないで脳外科行きなよ!」
「なに?そこに行けばもっと大きくなれるの?」
「これ以上デカくしてどうするの!」
「銀河の果てまで!」
なんてふざけ合いながら僕も着替えをしていると、部屋の外から人の話し声が届いて来た。この部屋は中庭を面する位置にあり、窓から公園のような庭を眺めることができる。その庭沿いに設けられた道を二人のシスターが歩いているのが見えた。
自然と口を閉ざす僕とティーキィー、そして聞き耳を立てる。
「随分と有名な方が来られたのですね」
「ファーストでは国を救ったとか、その美声で次期大統領を虜にしたとか」
「だから司祭様は面会を承諾されたのですね」
さっとティーキィーと目を合わせ、小声で話し合う。
「どういう事…?美声で虜にしたって、もしかしてサランのこと…?」
「なんでこっちの人がサランのこと知ってるの…?」
「さあ…」
もっと情報が欲しい、そう思った矢先、ありがたいことに会話をしている二人が部屋の前で立ち止まってくれた。敬虔なシスターも立ち話は止められないらしい。
「その美声の持ち主の名前はサランという方で、ファースト以外にもオーストラリアの地で名前を馳せたとか、そのような噂も聞いております」
「それはそれは、是非とも私どもの所に来てほしいですね、神のご慈悲と神に愛された声、何とも数奇な運命です」
「いえ、神に愛された者は神の元に集う運命なのでしょう」
だからそれを数奇な運命って言うんでしょうが、とティーキィーが小声で突っ込んでいるのを聞き流しつつ、僕は思案した。
(どういう事?サランがオーストラリアの地で名前を馳せたって…オーストラリアと言えば今はガイアの枝葉と呼ばれている所だよね?)
立ち話はほんのいっ時で、外にいる二人はすぐに歩き出していなくなった。
ティーキィーに今の話の内容を訊くと、「そういう事もある」と答えた。
「そういう事って?」
「候補生が外に売りに出ること、枝葉以外にもお隣のカッパドキアとか、で、そのまま有名になって移住する人もたまにいる」
「そうなの?歌唱候補生ってそんな所にまで手を伸ばしてるの?」
「熾烈なの、ほんと生き残るために手段なんか選んでられないの、私とギーリはその熾烈さに負けて作曲家に転身した口だよ。移住する人も熾烈な争いよりちやほやされる外国へ逃げたんだと思う」
「そこまでなんだ…そうとは知らずに今まで好き勝手投票してたよ」
「投票する人はそれで良いと思うよ、ただ人格を否定するような批判さえしなければ」
「つまり…サランはガイアの枝葉でとても有名だったってこと?そんな事一言も口にしてなかったよね?」
「してなかっただけで実際はそうだったんじゃないの?有名だったからこっちの人もサランの名前を知ってたんでしょ」
ガイアの枝葉とオブリ・ガーデンは歴史の観点から見ても関係が深い間柄にある、その人の流れや航路が生き残っていてもなんら不思議ではない、その流れに乗ってサランの名前がオブリ・ガーデンに届いていたのだ。
(つまり僕たちは初めからマリアにロックオンされていた…?だから追いかけられていた時に無条件で助け出した…もしここへサランがやって来たら…)
めんどくさいことになりそう。
もうこれ以上状況をややこしくしないためにも、一旦マリアに従っているフリをした方がいい。サランはまず間違いなくマリアの言い分になんか従わない、なんなら国を挙げて喧嘩してやるとか言い出しそう、そうなったらミトコンドリアだけの問題に収まらない。
(せっかく外に出られたのに今さら向こうに戻るだなんて考えられない、まだまだ行きたい所が沢山あるんだ)
そうあってはならない、ミトコンドリアとして存続できるならマリアの下僕にでもなんにでもなってやろう。
ティーキィーと口裏合わせをする。
「サランを守るためにもここは芝居をうとう、僕たちだけでも加入させて良かったとマリアの人たちに思わせるんだ」
ティーキィーが答えた。少しの間を設けたあとに。
「それがクルルの本心だって言うんならそれでいいよ」
「……」
見抜かれてて草。
*
〜そして現在に戻る〜
「──あ!その、ええと「──クルルさん」
「……」
名前を呼ばれたクルルが不自然に口を閉ざした。
「クルルさんが大変仲間思いなのはお会いしてからの短い時間でも見て取れるほど、重々理解しております。おそらく、私どもの言い付けを守っているのもサランさんをお守りするためなのでしょう?」
「分かってるんならさっさと解放しなさいよ」
傲慢な笑顔(慈愛に溢れたとも言う)を絶やさないマリアの人間が、少しだけ顔色を変えて話しを始めた。
「私どもはただ、神のご慈悲を皆様方に届けたいだけなのです、この精神に偽りはなく、少々手荒な真似に陥ってしまいがちなのも自覚しております。──サラン・ユスカリア・ターニャさん、ガイアの枝葉のみならずファーストでもその名を轟かせたあなた様の声で、私どもの歌を歌ってはいただけませんか?」
「それは要求ってことでいいのね?ならこっちは対価を求めるわよ?」
──あたぁ...しくった、と後悔したところで後の祭りだ。
「それで構いません」
「……」
私の予想では、対価を断るものだと思っていた、しかし相手がそれを了承してしまった以上、ここからビジネスとしての関係を持たねばならない。めんどくさ。でも無視できない、何せ相手側にクルルとテクニカがいるのだから。
これ見よがしに深い溜め息を吐き、ベアトリスの気持ちがよく分かったところで口を開いた。
「こっちの対価はクルルとテクニカの無条件の解放、それと金輪際ミトコンドリアに関わらないこと、それでいいわね」
「前半はお約束できますが、後半はできかねます、きっとあなたのファンがマリアのみならずオブリ・ガーデン内に沢山できるでしょうから」
「で?その歌とやらは?」
この会話の流れが予定調和の内だったのか、そう訊ねた途端、新しく人が入ってきた。入ってきたかと思えば古びた機械をテーブルにそっと置き、物理式のボタンをパチリと押した。
すっかり洗脳をモードを解いたテクニカが「これなに?」とクルルに訊ね、「多分ラジカセだと思う」と素で答えていた。
「らじかせってなに?」
「昔の古いタイプの録音装置のことだよ、ヴァルヴエンドにもコレクターがいるからネットで何度か見たことある」
「ねえ、素でお喋りする前に私に何か言うことがあるんじゃないの?」と注意をすると、逆に怒られてしまった。ウケる。
「サランが急に倒れるのが悪いんでしょうが!!それで僕たちだけでもギーリを助けに行こうって話になったの!!」
「胸あざす」
「本当に大変だったんだから!!夜中の森の中で追いかけ回されるし!!麻酔銃撃たれるし!!ティーキィーに何度も襲われそうになるし!!」
「足もあざます」
「サランが寝こけずにしっかりしてたらこんな事になってなかったの!!」
怒りに任せて幕して立てるクルルに向かって手のひらを差し出し、ストップを求めた。
「情報量が多過ぎる!何でクルルがティーキィーって呼んでるの?!え?!どういう事?!何でマリアに脱走した二人が仲良くなってるの?!」
「情報一つしかなくて草」
「あの〜」
「クルル!テクニカがさっきから変な事言ってるけど私が眠っている間に何か変なコトしたったことでいいのよね?!」
「あの〜そろそろ」
「うん、くっそ触ってた、中身はアレだけど顔だけは良いからってめちゃくちゃ触ってたよ」
「テクニカ、あなただけここに置いていってもいいのよ」
「そんな事したら私の王国が誕生してそれこそ国際問題に発展するけどいいの?絶倫舐めたら痛い目に遭うよ、世界が」
「誰もごめんなさいって言わなくて草」
「クルル!その喋り方今すぐ止めなさい!癖になって抜けなくなるわよ!」
マリアの人がついにキレた。
「いい加減になさってください!!こちらは真面目に話をしているのですよ!!歌を聴いてください!!」
と、古い機械にも関わらず、その人が力任せにボタンを押し込んだ。壊れても知りませんよ?
*
軽快なリズムから始まったその歌は、所謂国歌というものだった。
その国の特徴を歌詞に落とし込み、他国に対して存在をアピールするもの、あるいは、国民に対して愛国心を芽生えさせ育むもの。
カピタニア、リオ・グランデの街ではこの国歌なる歌を至るところで聴くことができる。それは宿泊させてもらったホテル内で、それは通りに置かれた古ぼけたスピーカーから、それはたとえば今食事をしている店内で。
(砂っぽい…駄目だ、気になって仕方がない)
誰もいない店内、カウンターでギーリと並んで食事を取っている。隣にいるギーリは何でもなさそうな顔でスプーンを進めているが、生憎と私のスプーンの進みは遅い。
この街はとても砂っぽい、埃も気になるし、ここに来てから喉の調子も悪い。
もう何度も聞かされた国歌がサビに入った、軽快な伴奏とは反対に歌声は落ち着いていて厚みがある。自然を愛し、拝み、自然と調和した自分たちの国を讃える歌だ。
「──うえ、砂が入ってた…」
奥歯でジャリっとした感触があり、もうこれは食べられないとスプーンをテーブルに置いた。驚いたことにギーリは完食していた。
「よく食べられるね」
「慣れだと思うけど。生活環境の違いかな」
「下層ってそうだったの?」
「物によるけどね、ヒドい所はここよりヒドかったから。下層の食事事情聞きたい?」
「いえ結構です」
水を飲んで喉を洗いたいが、その水にも砂が入っていたりする、飲めたものではない。聞けば、オブリ・ガーデンから離れれば離れるほど生活環境が悪化していくらしい。マリアから脱走し、アルトゥールさんの知り合いだという人がそう教えてくれた。
そのお知り合いさんは今席を外している、どうやら私たちを中へ戻すための算段を立ててくれているらしい。まあ、APIOでパイロットを務めているアルトゥールさんの知り合いなわけだから、そういった方法も持ち合わせているのだろう。
残した食事と水をどう処理しようかと思案していると、誰もいないレストランに三人の老人が入って来た。私たち二人を見るなり、
「こりゃまたべっぴんさんがいたもんだ」
と、それだけを言い、そこが三人にとっていつもの席なのか、窓際のテーブルに座って懐から瓶を取り出し勝手にあおり始めた。
「なにあれ」
「しっ、聞こえたらどうするの」
満足に食事が取れない苛立ちもあって、つい不躾なことを言ってしまった。三人の老人は聞こえているのかいないのか、瓶の次はカードを出してゲームを始めていた。ほんとなにあれ。
要らないのなら食わせろと言ってきたギーリに私のお皿を渡し、よく食べられるなと思いつつ話しかけた。
「で、実際のところどうなの?まだ引きずってるの?」
「う〜ん…微妙?」
スプーンを咥えたままギーリが首を少しだけ傾げた。
「ギーリって繊細なんだね、気にし過ぎるというかなんというか」
「繊細ってつもりはないけどね。でも、クルルにあんな事を言われるとは夢にも思わなかったから、それに状況が状況だったし、私の判断で皆んな空腹に悩むことになったわけだし」
「まあ…それは確かにそうだけど、誰かギーリに対してお前のせいだ!って言った人はいるの?」
「皆んな口にしないだけでそう思ってるんだろうなって思ってた」
「そりゃ駄目だ、どんどん落ち込むだけだよ」
「イーオンは厳しいね」
そこで会話が途切れ、背後でカードを切る音、それからリピート設定されている国歌だけが聞こえるようになった。
その歌に何か思い入れでもあるのか、カードゲームに興じている老人たちが話しを始めた。
「この歌を聴く度に思い出すよ、土くれだらけのこの土地を耕していた若い頃を」
「ああ、耕したな、うんと耕して種蒔いたな」
「お前は違う種を蒔いていただけだろ」
「この街を興したのは俺たちだっていうのに、この扱いと来たもんだ、誰が地震から守ってやってると思っているんだ」
「またその話か、お前は負けが込むといっつもその話ばかりするな」
「ああ、その話ばかりだ、いつも他人のせい」
「やかましい!──今じゃこの歌を覚えている奴は誰もいねえ、俺たち死に損ないのじじいしか覚えちゃいねえ!」
「死に損ないはお前だけだ、一緒にするな」
「ああ、死に損ないはお前だけだ」
「やかましい!!」
(うるさ)
喧嘩をしながらカードゲームに興じていた老人たちの会話はそこで途切れ、戻っていた静寂を破くようにギーリが口を開いた。
「イーオンにはさ、あんな風に喧嘩しながら遊べる友達はいたの?」
「──え?」
思わずカチンと来る。その言い方はまるで...
「いなかったでしょって言いたいの?」
「別にそんな言い方してしないよ」
「いやそんな風にしか聞こえないけど。ギーリにはいたの?」
「いたらなに?それとイーオンの友達に何か関係あるの?」
「なにその言い方」
背後から聞こえていたカードを切る音が止んでいる、そうだと分かっていても口を止められなかった。
「私に何か不満があるの?あるからそんな言い方するんでしょ?言いなよ」
「別にないけど」
「そういうところじゃないギーリの駄目なところって、思ってる事を口にしないからコミュニケーションに齟齬が出てクルルみたいな事になるんだよ」
「私にはいたよ?喧嘩しながら遊べる友達が」
「だから!その言い方がムカつくって言ってんの!遠回しに言うのやめたら?!」
「そういうイーオンこそもうちょっと人に興味持ったら?!イルシードのことばかり考えているから私の気持ちが分からないんだよ!簡単な言葉で片付けてさ!」
「一人で勝手に塞ぎ込んで落ち込んでいく人相手に何ができるのさ!それだったらメンテナンスしたら喜んでくれる機械の相手をしている方がまだマシだよ!」
「何それっ──もういい!イーオンみたいな軽薄な人と旅なんかできない!」
「こっちだって!ギーリみたいなめんどくさい構ってちゃんなんかと一緒にいられるか!」
「〜〜〜!」
「〜〜〜!」
お互いがお互いに中指を突き立て合う、そしてギーリは椅子を蹴倒しそのままお店から出て行った。
カードを切る手が止まっていた老人の一人が私に声をかけてきた。
「ああ、そのなんだ、悪いこと言わねえから追いかけた方がいいぞ。この街はいつ何が起こるか分からねえからな」
「大きなお世話です!!」
「そ、そうか…それは悪かった…」
そして、私もお店を後にした。アルトゥールさんのお知り合いから「準備が整うまで待っていろ」と言われていたお店を勝手に出た。別にいいでしょ、ギーリも出て行ったんだし。
*
「べ、ベアトリスさん…その、大変な事が…起こりました」
「ミーシャ、いつも言っているでしょう、報告は簡潔にと」
「は、はい。リオ・グランデの街でミトコンドリアの副隊長さんと飛行士さんが行方不明になりました、報告は以上です!」
「──え、ええ?行方不明って…あの行方不明?」
「はい!行方が掴めません!シトリーさんとベニーニュさんに捜索の依頼を出したのですが断られました!」
「……」
絶句。言葉が出て来ない。
ミーシャはいつも通りの元気いっぱいな顔、その元気をこちらにも分けてほしいぐらいだ。
(何でこんな時に…あと少しでマリアと和解して操縦士と司厨士を解放してもらうはずだったのに…)
先程ミトコンドリアの隊長からホテル宛てに連絡があった、マリアが大事に保管していた国歌を隊長に歌ってもらいたいと依頼があり、その代わりとして身柄を拘束している操縦士と司厨士の返還が決まった。決まった直後にミーシャの報告だ。
(あの苛烈な隊長になんと報告すれば良いのやら…地震対策も大詰めでそんな時間は割けぬというのに…)
仕方がない、言わねばならないことは時間をかけず速やかに言うべきである。
保護対象である副隊長と飛行士がリオ・グランデで行方不明になった事を隊長に伝えた、反応は予想した通りだった。
一言だけ。
「もうめんどくさっ!!」
※次回 2025/8/9 20:00