表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/335

第三十三話 アヤメとアマンナ

33.a



「もうー早く出てきなよーいい加減に謝りに行きなよー」


「プエラ?アヤメの部屋の前で何をしているのかしら」


 ティアマトのマテリアルから帰ってくると、少し顔が赤いプエラがアヤメの部屋の前に立ち何やら声をかけていた。


「あ、お帰り、グガランナ」


「えぇ、ただいま…」


 私に向き直り、頬やおでこに少し赤い跡を残している顔を見せてきた、


「アヤメがさ、部屋に引きこもって出てこないんだよ」


「えぇ?!」


 何が...私がティアマトとお喋りしている間に何があったのか。私もプエラの横に立ち遠慮がちに扉をノックしながら声をかける。 


「アヤメ?私よ、扉を開けてもらえないかしら」


 すると中からアマンナの声が聞こえきた、それに邪魔者扱いするように追い払ってきたではないか。


「あっちに行って!わたし一人で十分だから!とくにグガランナは要らないから!」


「アマンナ?!中に入るなら開けなさい!何をやっているの!」


「…」


 返事がないどころか何やら物音がする、扉の前に何やら置いているような...アマンナ!


「こら!さらに開けられなくしてどうするの!いいからここを開けなさい!」


「あちゃー逆効果だったか…」


 諦めたように被りを振っている。何が起こったのかプエラに尋ねてみると、その場に崩れ落ちてしまった。


「アヤメがね、停電した時にどさくさに紛れてナツメの胸を触ったみたいなんだよ、それがバレちゃったから部屋に引きこもってるの」



「あの、お姉様…」


「ありがとう…スイちゃん…」


 場所は変わって食堂、私の艦体から持ち出した調度品で少しはマシになった食堂の長机の端に座りスイちゃんに飲み物を持ってきてもらっていた。あまりのショックで座り込んでいるといつの間にかスイちゃんを連れて来ていたプエラが、言下に面倒を見るようスイに言い渡していた。

 オリジナル・マテリアルで初めて会ったこの子は戦闘機という無粋な物に押し込まれ、健気にもプエラ達を戦闘の面で手助けをしていたのだ。あまりにも不便に見えてしまったため、私のコアルームで人型のマテリアルをこしらえこの子に与えていたのだ。


「調子はどうかしら、もうそのマテリアルには慣れた?」


「はい!お姉様のおかげで皆さんと手を取り合えるようになりました!」


 お盆を胸に抱えて天真爛漫に笑顔を見せてくれる、その表情を見て一安心する。

 この子はティアマトが中層で作ったマギリと呼ばれる女の子のデータだ、ショッピングモールで覚醒したと聞いてすぐに分かった。アマンナとも相談して不便なこの子にマテリアルを作ってあげようとなったのだ。


「あの、お姉様、一つ聞いてもいいですか?」


「ええ、何かしら」


 淹れてくれた紅茶に口をつけながらスイちゃんの質問を聞く。


「どうして私にここまでしてくれたのでしょうか、ナノ・ジュエルはとても貴重な物ですよね…」


 不安げに抱えているお盆に視線を落としながら、とつとつと語ってくれる。


「それはね、あなたことが見ていられなかったからよ」


「…?」


(いやぁ…何て答えようかな…)


 少し考える。本当の事をどこまで話せばいいのか、作られたデータが途中で自我を持ち、プエラ達に助けられたところまではこの子も知っているのだ。ただ、誰が作ったのか、その目的までは知ってはいないようだった。


(もう本当に、頼もしいのか迷惑ばかりなのか…)


 この子がマギリのデータだと知って、俄然面倒を見るつもりでいた、いや、むしろ放ってはおけなかった。

 黙り込んでしまった私を、あらぬ勘違いをして慌ててしまったスイを優しく抱きしめてあげた。


「あ、あの、お姉様…言いたくないことでしたら、無理に聞くつもりは…ふわぁ!」


「ごめんなさい気を使わせてしまって、あなたにはとにかく元気に過ごしてほしいの、今まで不便な思いをした分、私とアマンナであなたをうんと優しくしてあげるから、ね?」


 体を離して座った状態でもまだ下にあるスイちゃんの瞳を見つめる、色素が薄く黄色にも見える澄んだ茶色の瞳が潤んで私を見返していた。


「おね、お姉様ぁ」


「ふふ」


 これ単に誤魔化してるだけなんだけどな、と心の中で言い訳をしているとコールがかかってきた。一瞬、アマンナからかと思ったが違ったようだ、相手はあのディアボロスからだった。


[グガランナ、答えろ、何故下層に人間共がいるんだ]


[何のことかしら?]


 惚けてみせたが駄目だったようだ、鋭い言葉で言い放つ。


[惚けても無駄だ、今すぐ下層から放逐しろ、さもなくば駆除機体を向かわせるぞ]


[そんな事をして困るのはあなたもでしょうに、要件はそれだけかしら?]


[…いいやまだある、お前もアマンナから聞いているな?テンペスト・ガイアを決議にかけることを、お前に伝えておきたい事があるんだ]


 食堂の壁に掛けられた絵画を見ながらディアボロスと会話を続ける。すぐ近くには心配そうに私を見上げているスイちゃんもいる、もう暫く通話がかかりそうなのでスイちゃんを抱え上げて自分の膝の上に座らせてあげた。


[えぇアマンナからも聞いているわ、残念だけどあの子は決議の場には参加させない、いいわね?]


[何故だ?奴もマキナなら参加権は、]


[いいえ、あの子は私の子機よ、あなたも子機であるウロボロスに参加させるのかしら]


[そういう事か道理で…]


 言葉を濁したのですかさず問い質す。


[何かしら、言いたい事があるならどうぞ]


[奴のマテリアル・ポッドが下層にないとタイタニスから連絡をもらっていてな、不審に思っていたが謎が解けたよ]


[それは何よりだわ、それで伝えておきたいことって何かしら]


[テンペスト・ガイアが秘密裏に計画している概要についてだ、それとこの話しは一切司令官にはするなよ]


[そう…そこまで彼女を毛嫌いしているなら今から直接そっちに行くわ]


 私の申し出を、それはそれは慌てながらもきっぱりと断ってきた。


[…………は?今から……こっちに来る?俺のナビウス・ネットにログインするということか?何故?いやいやいや待て今は駄目だ!あー…散らかっているんだ、そう!オーディンの筋肉馬鹿がだな、]


[唯一の友人を貶すのはやめなさいな、見苦しいわよディアボロス]


[待ってくれ!急にも程があるだろう!]


 無視して話しを進める。私の膝に座っていたスイちゃんの頬を撫でてあげながら、ディアボロスに告げた。


[あなたが連絡を寄越したんでしょう?それと女の子も一緒だけどいいわよね?]


 間抜けな彼の声を聞いたのは、これが初めてかもしれなかった。


[うへ?]



33.b.



 奴から連絡が来た時は何事かと大慌てしてしまった。奴からは滅多に来ないんだ、まさかテンペスト・ガイアが計画を発動したのかと肝を冷やしてしまったが違った。

 奴は、ディアボロスは何も飾られていない美術館の一室を一人で、ログインした時から忙しく飾り付けを行なっていた。


「見ていないで手伝えよ!これ重いんだぞ!」


「知るかよ」


 なにが重いだ...最初からセットしておけばいいだろうに。

 窓からの景色は大きな川が見えていた、そして川の向こうには細かな細工が施された建築物があり、そのさらに向こうは曇天の曇り空であった。眺めていた窓にも慎ましく雨が降りつけ、石で作られた人を模した銅像にもきちんと手入れがされている植え込みも等しく雨に濡れていた。

 室内に視線を戻すと、どこかの王族を思わせる豪華絢爛の調度品に囲まれた場所であった。天井も、壁も、床も椅子も何もかも。触っていない所がない程に煌びやかに仕立てられた部屋は些か目に毒であった。

 執事調の服を着ている馬鹿な友人に声をかける。


「諦めろ、グガランナはもう…人様のものなんだ」


 俺の言葉に驚いたのか、手にしていた一枚の絵画を落としてしまう。


「何でそうなんだよ!違うわい!今ここに!俺の芸術の素晴らしさを見せつけるためにやってんだ!!」


「だが、グガランナの子供も一緒に来るのだろう?」


「ぬぅ」


 何だあの顔初めて見た。鼻の穴を広げて口も半端に開けているあの表情に名前は付いているのか?


「今更だと思うぞ?やめておけ、傷口が広がるだけだ」


「かの有名な芸術家はな、こう言ったのさ、素晴らしき芸術は自らの価値観を破壊した先にあると」


 立ち直りが早いな。


「評価されなければ意味がないと思うがな」


 俺の言葉についに崩れ落ちた。


「お前…芸術家の……天敵みたいな奴だな…こんな所で権能を発動するのはやめてくれないか?」


 近くにあった、金の宝石で組み上げ座面と背もたれは赤い布で作られた椅子に腰をかけた。


(ふむ…思っていたより悪くないな…)

 

 赤い布の中に柔らかい綿でも詰めているのか、固そうに見えたクッションも座ったと同時に沈み込み、かといって体を返してくる。これも一つ一つ目の前の男が作り上げたのかと思うと、驚きと共に疑問が湧き上がってきた。また、一枚の絵画を壁に掛けていたディアボロスに率直に聞いてみた。


「何故、ここまで芸術に拘るんだ?」


 こちらを見るともなく、掛けた絵画の左右のバランスを確認しながら答えた。


「この一枚の絵も、言うなれば直線と曲線の集合体に過ぎない、それらが組み合わさり一枚の世界を描いている、分かるか?」


「あぁ」


 分からないが相槌を打った。


「本当かよ…俺はな芸術に無限の可能性を見出しているんだ、何でも作れる、何でも描ける、たった一つの意思で何倍、何十倍の世界を作り上げられるんだ、浪漫を感じないか?」


「あぁ」


「一つの人格では一つの人生しか歩むことが出来ないが、芸術は違う、一つの意思で数多の世界を渡り歩くことが出来るんだ、過去の人間達が作ってきたありとあらゆる作品には感動したね!」


「そうなのね」


「あぁそうとも!なら俺も人類に負けないぐらいの作品を作ってやろうと躍起になったのさ!一から作り上げるのは無理な話しだがな、人類の英知を真似ながら、悩みながら出来上がったあの感動は言葉に出来ない歓喜があるのさ!」


「そう」


「あぁ!少しでも俺の言い分が理解出来るならお前も作ってみせろオーディン!お前には人間の外観データを完璧に作れたんだ!素養がある!どう………だ………」


 熱弁を振るっていて入ってきたグガランナに気づかず、振り返ったディアボロスが硬直した。


「久しぶりねディアボロス、何も変わっていないのね」


「………」


「それにオーディンも久しぶり、彼があまりにも熱く語っていたから挨拶を後回しにしてしまったわ」


「いい、気にするな」


 彼女はこの時代の服装に合わせてか、フリルが付いたつばの広い帽子を被り、袖口が広がった随所に花が刺繍されたスカートと一体型のドレスを着ていた。ドレスの裾も腰を起点にして広がり肌が見えないのに、その細い女性らしい体付きが如実に分かってしまう、見事な着こなしを見せつけていた。


「……」


「ほう、君がグガランナの子供か」


 ドレスの裾から顔を覗かせたのは、グガランナと同じドレスを着てその上から赤い上着を羽織った緑色の瞳をした子供だった。フード付きの外套もしていたので髪の色は分からない、頭からすっぽりとフードを被ってよく表情が見えないが怯えているようだ。


「………待ちなさい、今何て言ったのかしら」


「この子はお前のだろう?相手は誰かは知らんが…歓迎しよう小さきマキナよ」


 腰を屈めて目線を合わす。俺の出立に圧倒されたのか一言も発しずに再びグガランナの後ろに隠れてしまった。


「そんな訳ないでしょう!私の子供ではないわよ!」


「そうなのか?ディアボロスからはあいつがついに未亡人になったと聞いていたが」


「ディアボロス!!」


「冗談だよ真に受けるな」


「では、その子は一体何なんだ?お前の子機はあのアマンナだろう?」


 確か子機は一つしか作れなかったはずだ。


「そんな事よりも、本題に入ってちょうだいな」


「あぁそうだな、懐かしい旧友が子供を連れて来た微妙な同窓会はもうここいらでいいだろう」


 何故そんなに嫌われる事ばかり言えるのか、頭を抱えながらグガランナに殴られるところをただ黙って見守っていた。



✳︎



「へは、あらはめて、ここひきてもはったはなひをひよう」


 そんなに強く殴ってはいなかったわよね?それは当て付けかしら。


「ディアボロス、ふざけるのは後にしてくれ」


「ううん!では、改めて、ここに来てもらった話しをしよう」


 ここは美術館の大通り...と言えばいいのか分からないが、とにかく天井が高くアーチ状に作られた石の冷たさを感じる場所だった。ディアボロスは階段を登った先にある壇上に立ち、横に細長く様々な人が食事をしている風景を描いた絵画の前に立って話しを始めた。


「テンペスト・ガイアの計画についてもう一度、ここで話しをしようと思う、オーディンには既に説明をしているな」


「あぁ、俺に気を使わなくていい」


「なら結構、グガランナ、レガトゥム計画という名前を聞いことはあるか?」


 壇上の前には、不思議と座り心地が良い木で作られた長椅子が置かれており、一番端から順番にスイちゃん、私、そして少し離れてオーディンが座っていた。

 もちろんそんな名前は一度も聞いたことがなかったので首を振って返事とした。


「だろうな、これはテンペスト・ガイアが建造初期から進めていた計画だ、誰も知らないのは無理もない」


「建造初期…テンペスト・シリンダーが稼動し始めた時からという意味かしら?」


「そうだ、奴は始めから俺達マキナも、人間にも期待なんてしていなかったということさ」


「その内容は?」


 少し間が開く。ディアボロスの視線は私の隣に座るスイちゃんに注がれていた。


「スイちゃん、少し席を外してくれるかしら、すぐに迎えに行くから、ね?」


「はい」


 短く返事をしてとことこと大通りに設けられた木の扉へと向かっていく。そして重い扉の開閉音を聞いてから再びディアボロスに向き直る。


「お礼を言うわ、あの子に気をつかってもらったみたいで」


「勘違いするな、あのマキナがこの場の密談を口外しないとは限らないからな」


 この屑が...ディアボロスを睨め付けていると、隣で小さくかぶりを振っているオーディンが視界に入ってきた。


「まぁいいわ、続けてちょうだい」


「いいだろう、テンペスト・ガイアは後にマキナも人間も必要としない新しい環境を作ろうとしている」


 何となく察しはついていたが具体的な方法が分からない。


「どうやって?」


「あの虫、見たことあるか?」


「は?」


 急に何を...クモガエルのことを言っているのか。


「……え、えぇ虫なら見たことがあるけど、それが何かしら?」


「そいつらだよ、次のテンペスト・シリンダーの住人は」


「……………は、……はぁ?」


 ディアボロスの話しに頭が真っ白になってしまった、オーディンが隣から同意を示してくれた。


「無理もない、俺も初めて聞いた時はお前と同じ反応だった」


「………もう一度聞くわ、どうやってあの虫達にテンペスト・シリンダーを任せるのよ?」


「俺達同様にサーバーから管理するのさ、そして人間と同じように繁殖させてこの作られた大地を支配させるつもりだ」


 理解は出来たが...まだ腑に落ちない。


「……つまりは、人間と同じような生態系と共にマキナと同じサーバーからも管理が出来るようにしたい…と?」


「そうだ、それが奴の狙いだ」


「意味が分からないわ、どうしてそこまでするのよ?」


「虫達は、互いに殺し合うことをしないからだろうな、それに引き換え俺達マキナや人間はどうだ?」


「待ちなさい、いくら虫が同族を殺さないにしても捕食目的で命を奪うことはあるでしょうに」


「人間は?奴らは命を繋ぐために人間を殺して食うのか?そんな事はしないだろう」


「………」


 だからと言って納得出来ない、出来るはずがない。


「それなら、あなた達が長年人間を手にかけていたのは…」


「増えすぎてしまった人類を調整していたんだ、それでも奴らの繁殖力には敵わないがな」


「………」


 さっきから言葉が出てこない。彼がしていることは褒められる行為ではない、けれどそれを否定出来るだけの経験も目的も倫理観も、何もかもが今の私には無かった。


「俺が実行者だ、そしてオーディンは俺の言いなりになっていたに過ぎない、誤解はするなよ」


「ディアボロス、こんな所で格好をつけるな、俺も何人もこの手にかけてきた、それもこれもテンペスト・ガイアの計画を不要だと他のマキナ達に認識してもらうためだ」


「お前こそでしゃばるなよオーディン、人間を殺したのはここ最近だろうが、嫌われ役は俺一人で十分なんだよ」


「嫌われ役は多い方がいいだろう、それにお前は元から嫌われている、今更格好つけても遅い」


「何だとう?それならお前は嫌われていないとでも言うのか?んんんんん?その自信はどこから来るんだ言ってみろその筋肉か?その無駄な筋肉に自信が詰まっているのか?」


「ならお前のその無駄に嫌われる素質はどこに詰まっているんだ?何故わざわざ自分から嫌われるような発言ばかりするんだ、見ていられないぞ」


「関係ないねぇ!これは俺のオリジナリティだ!誰かに好かれたくてやってるんじゃねぇんだよ!このいけ好かない偽王子が!」


「何だと貴様!毎度毎度俺の心配に泥を塗る真似をして!いいか貴様は、」


「静かになさい!!!!!」


「…」

「…すまない」


 急に始まったくだらない口喧嘩を一喝して止める。まだ何か言い足りないのか二人ともお互いに睨み合っている。


「…とにかく、あなた達の言い分はよく分かったわ、けれど賛成は出来ない」


「無論だ、お前に分かってほしくてこんな話しをした訳ではない」


「けれど…やめさせる道理もない」


「…」


 オーディンが私を見つめ、その真意を探っているような気配があった。


「あなた達は曲がりなりにもこのテンペスト・シリンダーを思っての行動なのでしょう?それを批判出来る権利は私には無いわ、ただそれだけよ」


 壇上で私の話しを黙って聞いていたディアボロスが、苦しい選択を迫ってきた。


「お前はどうするつもりなんだ、俺達の話しを聞いて、まだ人間達と仲良くするつもりなのか?」


「言ったでしょう?賛成するつもりはないと、反対もしない、ただ黙って見守るだけよ」


「答えになっていない、それなら俺が、お前が好いている人間達を殺したらどうする?」


「…………それは………」


「…グガランナ、俺達に協力してくれないか、何も人殺しの手伝いをしろとは言わない」


「…………」


 悩んだ。大いに悩んでしまった。彼らの行為は受け入られるものではない、けれどいくらやり方が非道であってもひいてはテンペスト・シリンダーの生存環境を守るためなのだ。

 それに引き換え私はどうだろうか...ただ、大好きな彼女と毎日を無為に過ごしていただけだ、己が役目を果たさずに彼女との日々を楽しんでいたに過ぎない。

 重苦しい胸の内と共に、彼ら、言うなればマキナとして先を行く二人にこう答えた。


「………考えさせてちょうだい、この場で答えを出すことが出来ないわ」


「…ディアボロス」


「いいだろう、まぁ本音を言えば一考してくれるだけで御の字だ、ただお前には一つだけやってもらいたいことがある」


「…分かっているわ、決議の場で反対に回ればいいのよね?」


「ならいい、こちらから言うことは何もない」


 こうして彼らとの密談の場が終了した。



33.c



 気がつくと、歪んだ女の子が私を覗き込んでいた。紫色の髪と緑色の瞳をした女の子が虚な瞳を向けていたので慌ててしまった、さらに気がつくとどうやら川の水面に映っていたようだった。道理で歪んでいたわけだ、今も遠くで跳ねた魚の波紋を受けて虚な瞳から少しは生気を得た顔が揺らいでいるのが見える。


(あれ…ここ何処だろう…)


 いつの間にこんな所に来ていたのか、全く覚えていない。確か室内に飾られた女の人が描かれた絵を見上げていたはずだ、そこまでは覚えているのだが...

 慣れない場所に緊張してしまっているのか、熱に浮かされたような頭を持ち上げると、そこは川のほとりだった。


「ふぇ…何ここ…」


 向こう岸は遠く大きな川が目の前に流れていた。さらに遠くには冷たい雨に打たれたレンガ作りの建物が見えて、空一面の曇り空が誰も住んでいない可哀想な建物を際立たせていた。

 さっき覗き込んでいたのは自分の顔だった、見慣れない顔にすぐに気づくことが出来ずに慌ててしまったらしい。

 そして自分自身も細かい雨に打たれていた、仮想世界のはずなのに雨は冷たくしとしとと着ているドレスも濡らしていく。


「は、早く戻らないと」


 心細かった、早くあの人に会いたかった。初めて会ったのに、まるで妹のように可愛がってくれるあの人と手を繋ぎたかった。

 後ろを振り向くと少し遠くに建物が見えた、さっきまで私が居た建物のはずだ。草の根を掻き分けて急いで戻る。せっかく仕立ててもらったドレスと赤い靴が、どんどん汚れていくので会った時に怒られないかと心配になってしまった。

 

「うう、何でこんな所に来ちゃったんだろう」


 雨に濡れてぬかるんだ地面をパシャパシャといわせながら、ここに来たことを後悔する。確かにお姉様は席を外してくれと言ったが、何も建物から出ろなんて一言も言ってなかったはずだ。


「いたっ、え、切れちゃったの?」


 手にちくりとし傷みが走ったので見てみると小さな切り傷ができていた。そんな、草を触っただけなのに...

 手の傷みと雨の冷たさといくら走っても一向に近づくことができない建物に、いよいよ泣き出してしまいそうになった時、突然暗い影が上から降ってきた。驚いて見上げると、少し眠そうにした男の人が傘をさして私を見下ろしていた。


「やっと見つけたよ、こんな所で何をしていたんだ?お母さんが心配していたぞ」



「スイ!良かった!何処にいたのよ、心配したわ!」


 眠そうにした男の人に連れられて建物の入り口まで戻ってきた。半円状にカーブをした入り口には雨避けの天井が突き出している、その下でお姉様が心配そうに佇んでいたのが遠くからも見えていたので、安心よりも先に怒られないかと恐怖心が頭をよぎった。けれどお姉様は雨に濡れるのも厭わずに私に駆け寄ってくれて、そして力強く抱きしめてくれた。


「いた、痛いです、お姉様…」


「ごめんなさい、どうして建物から出たのよ」


 心配そうに見つめてくれるその顔を見た時、なりを潜めていた心細さがぐんぐんと顔を出してきた。


「ご、ごめんなさい…私も…その…」


「ここは素晴らしい所だから無理もない、あの有名なセーヌ川を一目見たかったんだろう」


 全く検討違いも甚だしいがそういう事にしておいた。心細さも呆れて引っ込んでしまったようだ。


「は、はい…」


「はぁもう本当に…ほら私の手を繋いで」


 差し出された手を遠慮なく握った。


(もう絶対に離さない!)


 一応、眠そうな男の人にもお礼を言おうと見上げると、私を観察するような目で見られていたので竦み上がってしまった。それでも恐る恐る感謝の思いを告げた。


「あの、ありがとうございました」


「……いいさ、気にするな」


 やや間があって返事が返ってきた。訝しみながらもお姉様の影に隠れる、もうこれ以上この男の人の視線に晒されたくなかったからだ。


「ディアボロス、最後に私から一つお願いをいいかしら?」

 

「言っておくがこの子の父親になってほしいと言うならお断りだ、俺は所帯は持たないようにしているんで……何だよ冗談だよそんな目で見るな」


 この人...馬鹿なんじゃないのかな、私のお父さんになるっていうことはお姉様の妻になるということだ。お姉様の表情は見えないが呆れ返っていることだろう、私も同意の意味を込めて男の人に見えないように舌を突き出した。


(べーっ)


「何でこのマキナを連れて来たんだ?」


「あなたには関係のない話しよ」


「そうか、けどこのマキナは納得していないみたいだぞ」


 ...どうして何も言ってないのに分かるのか。さっきのあの目は私の心を見透かしていたのかと思うと、さらに怖くなってしまった。お姉様が気づかうように私を見下ろしている。


「………後で、きちんとあなたにも説明するわ、それまで我慢していてね」


「はい」

 

 小さく返事をする、あまり心配をかけたくなかった。

 また男の人に向き直り話しを続ける。


「ディアボロス、あなた下層のホテルに飾られている絵画は分かるわよね?というよりあなたが飾ったものでしょう?」


「…」


「それにそこから覗けるように設定しているわよね?」


「…何の話しか分からんな」


 絶対嘘だ。目を見れば分かる、話しを聞いていながら頭の中では別の事を考えている、頭の回転が早い人にしか出来ない特有の目をしていた。

 けれどお姉様の方が一枚上手だったようですぐに提案に乗ってきた。


「タダでとは言わないわ、私の方からティアマトに決議の根回しをしておくから、あなたの絵画を貸してちょうだいな」


「………いいだろう」


 …付いて行くんじゃなかったと心から後悔してしまった、川のほとりで雨に打たれていた方が百倍マシだった。



「あぁ!あぁ何てこと!!あぁアマンナ駄目よ!そんな!そんなことまでしてしまえるなんて…羨ましい…どうして私はあの時ティアマトに、あぁーーー!!!」


 案内された部屋は不思議ととても質素だった。この建物は何処もキラキラとしていると思っていたけど、この部屋には一つの椅子があるだけで他に何もない。最初に案内された部屋の中から全ての家財なんかを丸ごと出したような所だった。

 そして...お姉様が椅子に座って暫くすると...今みたいな奇声を上げながら取り乱し始めたのだ...


「おい、あれは何を見ているんだ?」


「……アヤメさんの部屋の様子を…見ていると思います…」


 きっと部屋に引きこもってしまったお姉様の大事な人を見ているのだろう。

 そういえば、食堂でこの男の人と通話している時もしきりと壁に掛けられた絵画を見ていたような気がするのだ。この事に気づいたお姉様は直接ここへ来て、初めからお願いするつもりだったのだろう。


(ふぇ…見たくなかった、こんなお姉様見たくなかったよぉ……)


 何がいいんだあんな人。金髪で青い目をしているからといって何がいいのかさっぱり分からない。

 もうこんなお姉様は見ていられなかったので縋るように手を取り懇願した。


「お姉様!もうやめてください!見ていられません!スイが、スイがきっと綺麗になってみせますのでどうかやめてください!」


「おいおいおいおい…こっちが見てらんないよ…」


「スイちゃん…いいえ駄目よこれは義務だものちゃんとこの目に焼き付けて後でお咎めしないといけないのよそうよこれは私とあの二人のためだもの目を背けていけないわ」


 目の焦点が定まらず、うわ言のように呟いている。


(あーーーー見たくなかったぁ!!!!)


 縋っていた手も離し、あの優しいお姉様はもういないんだと諦めて部屋を出ようとすると止められてしまった。


「逃げるなスイよ、俺を一人にするんじゃない」

 

「離してください!」


「お前!本当は賢いくせに何で子供のフリをしているんだ!バレされたくなかったらここにいろ!いいな?!」


「鬼ぃ!!鬼畜ぅ!!」


「好きなように言え!!」


 渋々部屋の中に戻る。すると、虚な目を男の人に向けてお姉様がさらにお願いをしてきた。


「ディアボロス…この絵画から、通信出来るようにしてくれないかしら…もう見ていられないわ…」


「任せろ!!!」


 早く帰ってほしかったのだろう、その受け答えはとても頼もしく思えた。



33.d



(右よし…左よし…ご安全にぃ…ストップ!!)


「…え?アヤメさんが?…」


「…あぁ、だからお前も…」


 遠くから会話が聞こえてきたので慌ててテーブルの下に隠れた、手にはパッケージされた食事を四つ程抱えている。程なくしてテッドとナツメが食堂に入ってきた。


「あのアヤメさんがまさかそんな事をするなんて…」


「まぁちゃんと確認を取ったわけじゃないんだが、状況証拠は揃っているからなぁ」


 ラフな格好をして二人共汗をかいていた、きっと外で運動をしてきたのだろう。ナツメはタンクトップ姿で肩も腕もさらけ出していて、さっきからテッドがちらちらとナツメの胸ばかり見ていた。


(けしからん奴め…)


 そういえば一度、お風呂でナツメと一緒になったことがあって何の気なしに、わたしと同じ大きさだよね、と言ったら鬼の形相で水責めを食らった事があった。それ以来一度も胸の話題を出したことがない、人の地雷は踏んではならないと教訓になった一幕であった。

 鼻の下を伸ばしたテッドを見やりながら、気づかれないようにもう一つある食堂の入り口へと足を運ぶ。


「部屋に引きこもっている間、食事はどうしているんでしょうか」


「プエラとマギールが腹を空かせた時にとっ捕まえるようにと言って与えてはいないんだが、不思議と出てこないんだ」


「それ、アマンナが食事を運んでいるんじゃないんですか?」


 わたしの名前が出てきたので焦ってしまい、一つ食べ物を落としてしまった。挙句に足で蹴飛ばしてしまい隣のテーブルの下に滑らせてしまった。


(くぅー!あれ楽しみにしてたのにぃ!)


 自分の姿を見せる訳にいかないので、仕方がないと割り切り急いで入り口へと向かう。すると、


「そういえばお前、随分とアマンナと仲良くなったみたいだな」


「…言っておきますけどお兄ちゃん発言はアマンナからですからね、僕がそうしろと言ったわけじゃありませんので」


 何だとう?!テッドが先に言ったんだろう!!自分の置かれている状況も忘れて会話を聞き入ってしまう。


「はいはい、どっちでもいいが、大事にしろよ?向こうから慕ってくれるなんてそうそうないことだからな」


「分かっていますよ、僕も彼女のことは放っておけませんので、それにアマンナって意外と気配りが出来て優しいんですよ?」


 い、急がないといけないのに足を止めてしまった。テッドがわたしのことをどう思っているのから聞きたかったからだ。


「ほーん、あいつがねぇ…私には悪戯ばっかりしてくるんだがな」


「ナツメさんのことも何だかんで好きなんですよ、きっと」


 んな訳あるか、持っていたパッケージを投げそうになった。


「グガランナとアマンナならどっちを選ぶんだ?私はグガランナだな、あいつはイジると心底面白い」


「僕はアマンナですね、彼女と一日過ごしてみたいです」


 な、な、何の話しをしているのか...どっちを選ぶとか選ばないとか...それにわたしと一日も過ごしたいのかテッドは...今度会った時はお願い叶えてあげようかなと考えていると入り口が目の前にあったので、


(ご安全にぃ!!!)


 二人の会話から逃げるように食堂を後にした。



 運良く誰にも見つからずにアヤメの部屋まで戻ってきた。持っていたカードキーを挿して部屋に入る、すると奥からアヤメが私を呼ぶ声がしてきた。


「アマンナぁ…どこ?どこに行ったのぉ?」


「ここにいるよーちょっと待っててねー」


 わたしだって今の状態が良くないことぐらい分かるのだ。ナツメの胸を触って皆んなの前に出にくくなってしまうのは仕方がないことかもしれない。あの時アヤメに手を引っ張られそのまま部屋へと連行されて、お願いだから私を見放さないでと懇願された時は、体中に甘く危ない幸せの電気が流れたのだ、流れてしまったのだ。どうすることも出来なかった。


「はい、食事持ってきたよ」


「ありがとう、こんな私のために…」


 アヤメの髪はボサボサ、それに服もだらしなく、胸も下着も丸見えだった。綺麗な足であぐらをかいてベッドの上で食べようとしていたので、わざと冷たく注意した。


「そんな所で食べるならもう持ってきてあげないよ、一人で取りに行ってね」


「そ、そんな!ごめん、ちゃんと机で食べるから!そんなこと言わないでアマンナ、ね?一緒に食べようよ、言うこと聞くからさ」


 小声で小さく、お願い、と言われてわたしの耳から甘い声が忍び込んできた...これなんだよ、これを聞いてしまうとやめられないんだ。


「うんいいよ、それじゃあ机で食べよっか」


「うん!」


 持ってきたパッケージを開けて二人で食事を取る。もそもそと食べているとアヤメがわたしを見ていることに気づいた。どうしたのかと声をかける。


「何?どうかしたの?」


「あのね…その、体を洗いたいなぁって」


 恥ずかしそうにお願いをしてきた、きっとお風呂にも入っていないので体を綺麗にしたいのだろう。けれどこの部屋にはシャワールームもなく、体を洗えずにいたのだ。


「それじゃあ部屋を一緒に出る?」


「で、出ても大丈夫かな…私、ナツメにあんな事しちゃったし…」


 何でナツメの胸を触ったのかと聞くと、テッドに先を越されたのが悔しかったんだそうだ。だからと言って暗闇に紛れて触らなくてもと思うが...

 わたしは今のアヤメを誰にも見せたくなかったので嘘をついた。


「やめた方がいいと思うよ、さっきも食堂でナツメとテッドが…ううん、もう少し時間を開けた方がいいと思う」


「そ、そんなに怒ってるんだ…あぁ、私は何てことを…それにテッドさんと話しているってことは、私が何をしたのか知っているんだよね…あぁ、そんな…」


 持っていた甘い香りがする食べ物を机に置き、頭を抱えてしまった。そこですかさずわたしがアヤメに近寄りその頭を抱きしめてあげた。そして、すっかり決まり文句になってしまったことを囁いてあげる。


「大丈夫、わたしが守ってあげるから、ね?皆んなの事は気にしなくていいよ、わたしの言う事だけ聞いていればいいの、そうすればわたしはずっとアヤメのそばにいてあげるからね」


「ありがとう…アマンナ…アマンナだけだよ、私に優しくしてくれるのは…」


 わざと嘘をつき部屋から出られなくしてわたしに頼らざるを得ない状況を作り続ける、こうしてアヤメはどんどんわたしに依存していくのだ。この環境がたまらなく気持ちが良い。あの時、ティアマトの仮想世界で縋った相手が、今度はわたしに縋ってくるのだ。やめられるはずがなかった。



✳︎



「何をやっているんだあいつは…」


「アマンナ…」


「あいつ馬鹿なんじゃないの?」


「あ、あの!お姉様をあまり悪く言うのは……な、何でもないです…」


「スイが煎れるコーヒーは美味いな」


「ありがとうございます」


 すたすたとマギールさんから離れていくスイを見やりながら、もう一度確認のためにグガランナに話しを振る。


「グガランナ、間違いないんだな?アマンナがアヤメに嘘をついて部屋から出られないようにしているのは」


「はい、この目と耳で心を削りながら確認を取ってきたので間違いありません」


「それは知らんが」


「あの一時は地獄以外の何物でもありませんでした…」


 グガランナから食堂に集まってほしいと、アヤメが部屋から出なくなってちょうど丸二日を迎えようという時に声をかけられた...二日も経っているんだ。


(おかしいと思っていたんだよ)


 あれだけ私にキスを要求しておきながら、たかだか胸を黙って触ったぐらいで部屋に引きこもるなんて。私も何度か部屋を訪れたが決まってアマンナが対応していたのも不審に思い始めていたのだ。


「それ、早くなんとかしないとお互いに共依存に陥っちゃうよ」


「あまり良い傾向ではないな」


「…その無知を承知でお聞きしたいのですが、共依存とは?」


 どうでもよさそうにプエラがとんでもないことをすらすらと語る。いつもの癖だ。


「相手に自分の行動が左右されてしまうこと、アマンナが望むことしかしなくなるし自分の意志を持てなくなっちゃうの、さらにややこしいのが私達がそれを怒ると落ち込み過ぎてさらに依存にハマっていくのよ」


「あぁ……なんてことかしら………」


 グガランナが綺麗な指で額を押さえて考え込んでいる。


「今すぐになんとかしないと不味いの?」


「なんなら自分達から部屋から出るのを待ってみる?」


「そうなれば手遅れだろうな、既にアマンナのコントロール下に置かれた証拠だ」


 でしょうね、とプエラが言い終えて紅茶に口をする。


「それならアヤメさんだけでも何とかできるのでは?」


「無駄よ、アマンナも言うことを聞くアヤメに自己肯定感を獲得してしまっているから、無理に引き剥がすと今度はアマンナがアヤメに依存してしまうでしょうね」


 まぁまぁねと言いながらプエラがティーカップをテーブルに置いた。それを見計らい私から提案する。


「今すぐにアマンナを部屋から引きずり出そう、そうすればどやしつけるだけで済む話しだ」


「でもどうすれば?」


「今、絵画を改修させているところです、あるマキナにお願いをして通話ができるようにしてもらっています」


「何か良い案はあるのか?」


 私の質問に自信なさげに答える。


「アマンナはお化けが苦手なので、それを上手く使えばあの子だけでも部屋から出てくるんじゃないかと…」


「そのマキナって誰?」


 プエラに聞かれても答えない。いや、よく見ると耳元あたりが二人とも点滅している。


「あぁ…あいつかぁ、いやでも…あぁそうか建築関係はタイタニスだから管轄が変わってくるのか」


「何の話し?」


「ううん何でもないわ、その改修はいつ終わるの?」


 するとまた耳元が点滅した、おそらくあれは通信を行なっているのだろう。程なくしてグガランナがプエラの質問に答えた。


「今日の夜までには終わるそうよ」


「なら決まりね、はぁ全くもう、このホテルは誰かが引きこもらないといけない決まりでもあるのかしらね」


 それを合図にして席についていた皆が立ち上がり始める、私はプエラを呼び止めていた。


「プエラ、お前はここに残ってくれ、話しがある」


 私に止められたのが意外だったのか、きょとんした顔をしながらも再び席に座った。


「あ、あぁうん、分かった」


「グガランナ、準備が出来たら声をかけてくれ…あぁいや絵画を通じて会話が出来るようになるんだったな」

 

「はい、その時は私から通信しますので部屋で待っていてください」


 そうして私とプエラを残して皆が食堂から出て行った。

 それを待っていたように、まるで誇ったように笑いかけてくる。


「それで何?私だけに用事って、皆んなの前では出来ない話しでもするの?」

 

 頬杖をつきながら私を見やっている、心苦しいが言わねばならない。


「お前、私の部屋に入り浸るのはもうやめろ」


「………………は?いや、どうして…どうしてそんなこと言うの?」


 さっきまでの笑顔はなく、柳眉をひそみた顔をしている。


(やはり苦手だな、この顔は…)


 いつか見た、私が八つ当たりをしてしまった時と同じ表情をしている。その表情があの時の苦痛を呼び起こし見ていることに耐えられなくなってしまう。だからかもしれないが、なるべく彼女のお願い事は聞くようにしているのだ。


「さっきの話しだが、私達にも当てはまるとは、」


「思わない」


 言い終わらないうちに反論してくる。それが言えるということは...


「共依存の話しをしている時には分かっていたことなんだろ?お前も十分に賢い奴だからな」


「…」


 さらに柳眉をしかめ、懇願するように声を落として言い募ってくる。


「…分かった、もう我儘は言わないようにするからせめて部屋にいさせて、少しでもナツメのそばにいたいの」


(違う違う違う!私はこんな顔をさせたくて言ったんじゃない!)


 確かに...こんな顔をしてもらえたら気持ちがいいのかもしれない。そこまで自分を求めてくれるのかと、自己を最大限に肯定してくれるものになるだろう。

 これが私だけで完結するならいい、ただ独占欲を満たすだけで終わるからだ。だが、私もプエラに今の表情を逆手に取られて様々な要求をされたら、きっと断れない。どんな事でも叶えようとするだろう。

 私とプエラも知らず知らずのうちに共依存に陥りそうになっていたのだ。


「プエラ、駄目だ、用もなく部屋に来るのは今後禁止にする、いいな?」


 それでもプエラは食い下がってくる。


「ナツメが言ったんだよ?終わりを知ったなら楽しむ努力をしろと、私はただナツメと一緒に少しでも楽しみたいの」


 駄目だ。駄目だ駄目だ、そんな事を言われたら首を縦に振らざるを得ない。


「それでもだ、私だけでなく、他にも楽しみを見出すんだ」


 それでもまだ食い下がる。だが、しかめていた綺麗な眉毛が段々と釣り上がってきた。


「どうして?どうして私を遠ざけるの?何かした?嫌なことしたの?それなら何もしないし、何も言わない、ナツメの邪魔は絶対にしない、許しがもらえるまで私はあなたの言いなりになるから、お願いそんな悲しいことは言わないで」


 ...頭も心もグラグラする。こんなに可愛い女の子が私の言いなりになるからと言い募ってくるのだ、限界が近い、首を縦に振ってしまいそうだ。だが振るわけにはいかない、ここで振ってしまったらそれこそ、迎えてはいけない結末を今すぐに迎え入れてしまうことになる。


「駄目だ、いい加減に分かってくれ」


 その言葉を聞いた途端、プエラの感情が決壊した。


「…うぅ何よそれぇ!私がこんだけ言ってるのに!!昨日はあんなにキスしてくれたのにぃ!!もういいよ!ナツメのことなんか知るもんですか!頼まれても部屋に遊びに行くかぁ!バーカバーカ!あっかんべー!べーのべーだぁ!」


 最後は子供みたいに舌を突き出し、唾がかかるのも仕方なしと言われるがままだった。怒り肩で食堂の入り口へと向かうプエラの背中を見ながら、長い溜息をついた。


「はぁーーー………何とか、なったのか?」


 どっと疲れた体をそのままテーブルに預け、暫く一人で悶々としていた。



✳︎



 駄目だ。駄目なのは分かっている。それなのにどうしても、アマンナに甘えてしまう。さっきの食事が終わってからも私はひたすらアマンナに甘え倒していた。

 だって心地がいいのだ、たまに怒られたり注意されたりもするけど基本的にアマンナは私に優しくしてくれる。こんな心地は久しぶりだった。


「アヤメー、そろそろ寝よっか」


 アマンナが私の髪を手櫛で解きながら囁きかけてきた。全く眠くない、もう少しこうしていたかったけど、


「うん、分かった」


 アマンナに部屋を出て行ってほしくなかったから素直に言うことを聞いた...違うな、私に優しくしてくれる人を離したくなかっただけだ。


(はぁー…何だか嫌になってくる)


 アマンナである必要はないのだ、ただ私に優しくしてくれるなら誰でもいい、グガランナでもナツメでもプエラでも、まぁプエラはあまり喋ったことがないので甘えるとは思えないが。

 自分のあまりの節操なさに軽い自己嫌悪に陥っていると、アマンナが再び囁きかけてきた。


「どうしたのアヤメ、苦しいことがあるなら言ってね」


「……私で、いいのかな」


「うん?どういう意味?」


 手櫛で髪を解かし、一緒に耳たぶも撫でていくアマンナのやり方はひどく癖になる。


「私はね、誰でもいいんだよ」


「…」


 ベッドに横たわりアマンナの太ももが見えている、膝枕をしてもらっている視界にはテーブルに乗ったお菓子の袋と、椅子の背もたれにタオルがかけられていた。


「別に、アマンナじゃなくてもいいんだよ、ひどいと思わない?」


「それ、私に言ってどうするの」


 怒らせたかと視線を上げると、


「何で…怒らないの?」


 変わらず微笑んでいた。不思議だった、こんなにひどいことを当たり前のようにつらつらと喋っているのに顔色一つ変えないのだ。


「怒らせたかったの?」


「ううん…私はただ…」


 言い淀む私に、アマンナは変わらない、けれど初めて聞く声音で語りかけるように胸の内を教えてくれた。


「いいよわたしじゃなくても、いつかわたしじゃないとダメだと思わせるから、グガランナにも教えたことがないことだけど、わたしはね、アヤメがこの世界からいなくなるまでずっとそばにいるつもりなんだ」


「…………」


「例え、わたしの相手をしてくれなくなってもわたしは見放さない、どんな時でもアヤメの力になるつもりだよ」


「そんなに………どうして、私なの?」


 青い瞳から、紫へ、そして太陽のようにあったかい赤い瞳に変わった優しい目を見つめながら聞いた。


「好きだから!ただそれだけ、でもわたしにとっては大切なこと、君にとってはどうかは分からないけどね」


 答えないと、いけないと思った。例え私が甘えたいという願望を叶えてくれる存在を欲して、そばにいてくれていたアマンナに...いいや彼女にもたれかかっていただけなんだとしても。

 そんな時だった。部屋に異変が起きたのは。



✳︎



 チェックメイト...これでもうアヤメはわたし手の内だ。そう確信した、テンパっておかしな言葉使いになってしまったけど。

 見つめる瞳ははっきりと、今までにないぐらいにわたしを認識しているのが手に取るように分かる。さっきの言葉は...まぁ確かにショックだったけど、それすらも抱擁してみせたのだ。

 体中を感じたことがない満足感が支配して、さぁこれからこの子をどうしてやろうかと邪な企てをしていると、突然、窓が叩かれたようだった。え、窓?


「………今の何……?」


 すると今度は部屋の中から、


「……ぎぃーーーー、ぎぃーーーー、……」


 人の声を割いたような、不快な音が聞こえ始めた。

 辺りを見回してもとくに異変はない。でも空耳で片付けるにしては...


「ねぇアマンナ、何か聞こえない?それに窓、誰か叩いたよね?」


「そ、そ、そそんなはずないよ、だってここ三階だぜ?」

 

「誰の真似をしているの…」


 ゆっくりと起き上がり辺りを心配そうに見ている、ここはしっかりしないと、せっかくアヤメがわたしのものになりそうな時に失態なんて見せられないと思った矢先にわたしはアヤメに抱きついていた。


「うわ、アマンナどうしたの?大丈夫?」


「やぁやぁやぁやぁ…窓ぉ、窓ぉ」


 見ていけないものを見てしまった。窓に二つ、人の目玉があったのだ。

 そして...


「……ぎぃーーーー、ぎぃーーーー、……」


「ぎゃぁあーーーーーーーー?!!!!」


 今度はハッキリとわたしの耳元で不気味な声がした。

 もうパニックだ、失態とかどうでもいい。


「ちょっと待っててね」


 そう言ってすぐに立ち上がりわたしから離れようとするアヤメ。


「だ、だ、ダメだよ!わた、わたしから離れたら、もうここにいてあげないぎゃぁあーーーーーーーー!!!!!」


「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!」


 いつものように冷たく言い放つつもりが窓にあった目玉が少しずつ動いているのが見えたのだ、それもカーテンの隙間から。

 布団をまるっと被り視界を遮断していると、何やらガチャガチャと、久しぶりに聞いた音がし始めた。あれこれって確かと思った時には鼓膜が破れたかと思う程の発砲音が鳴った。


「さっさとここから出て行けぇ!!」


「アヤメ?!」


 アンチマテリアル・ライフルを構えたアヤメが窓に向かって一発。そしてさらに一発撃った。


「今度は私がアマンナを守る番だからね!そこでジッとしてて!」


 その姿を見て理屈をすっ飛ばして猛省した。

 すると今度は窓から人の声が、まずいまずい、と慌てている様子で聞こえてきた。アヤメの勇敢な姿を見て少しはスッキリした頭で室内を見てみると、飾られた絵画の額縁の一箇所が点滅している。


(あら、これまずいのでは…)


 アヤメを止めようと振り向くがもうスイッチがバッチリと入っているみたいで、窓に近づき見えない敵、ううん、ナツメかテッドにトドメを刺そうとしていた。


「ストーップ!アヤメストーップ!!!」


「気にしないで!ビーストに慣れてるからこんなのへっちゃらだよ!!」


 窓をライフルで叩き割り、銃身を窓の外に出した途端に男女の声が泣きながら、こうさーん!!!と叫んでいるのを聞いて、わたしは...わたしは...怒られるのがとても嫌だったので、大好きなアヤメすら放ったらかしにして部屋の扉へとダッシュした。そのまま開け放つと問答無用のゲンコツと共に意識が吹っ飛んでしまった。



33.extra



 疲れた...もう何も考えたくないし体も動かしたくない。

 グガランナと協力してアマンナを部屋から引きずり出す作戦は、三階角部屋の窓を大破させてしまったものの何とか成功に終わることが出来た。出来たが後が大変だった...

 私達を敵だと認識してしまったアヤメは大慌てのパニック状態でしかも臭い。丸二日、体も洗わずに過ごしていたんだそりゃ臭いに決まっている。撃ってしまったことと胸を触ったことをひたすら謝ってくるアヤメを無視しながら風呂に入らせるのは重労働だった。挙句には私も洗ってあげるねとか言い出して、私の服を脱がそうとする手と格闘しながらは本当に大変だった。あのアヤメの裸体が目の前にあるというのに色気もへったくれもありはしなかった。


(まぁ…おかげて意識せずにすんだのだが…)


 計算外だった。アマンナの言いなりになっているので、お化け役としてわざわざ外壁をよじ登った私達を攻撃してくるとは思わなかったのだ。あいつは土壇場で力を発揮する、爆弾を平気で撃つ女だということをすっかり忘れていた。アマンナを守るための行動だったのだろうがおかげて死にかけた。

 アマンナは知らん。部屋の外で待機していたマギールさんに捕まったとグガランナから聞いて、私が責任を持って面倒を見ますと言ったので好きなようにさせている。

 食堂でテッドと軽く食事を済ませてから自室へと戻る。テッドもテッドで良い勉強になりましたとよく分からないことを言っていたので、まぁ奴は大丈夫だろう。

 くたびれた足を引きずりながら部屋の扉を開けると、あれだけの思いをして入り浸るなと注意したプエラがいつものようにベッドに寝転んでいた。うつ伏せで両足をぺちぺちと叩きながらゲームをしている、スカートが捲れ上がって白い下着が丸見えだった。


「あ、お帰りナツメ、どうだった?なんか発砲音が二回も聞こえたけど大丈夫だったの?」


 気軽にかけてきた声を無視して凹凸がないお尻を叩き、びくりとした後にスカートで下着を隠してやる。


「いや何で叩くのさ、普通に隠してよ」


「お前…あれだけ注意したのに、何で私の部屋にいるんだよ」


 ゲーム画面から目を離さずに起き上がり、もう一つの携帯ゲーム機を取り出した。


「ナツメとゲームをしようと思ってさ、用事があるなら来てもいいんでしょ?だから来たの」



「下手っぴ」


「うるさいな」


「あ、そっちのエリアに行ったよ」


「ちょっと待って今回復を…あぁ?!」


「何やってんのさぁ、あと一回だけじゃん」


「今のはしょうがないだろ!不慮の事故だ!」



「おいダメージが入らないぞ」


「砥石のアイコンあるでしょ、それ定期的に使わないとダメージ通らないよ」


「何て面倒な…」


「銃に替えてみたら?」


「あれは弾の管理が面倒だ」


「えー」



「やーもう何回戦ったら気が済むのよ全然出ないんですけどぉ!」


「……あぁこれのことか?」


「……は?何で二つも?ビギナーズラックにも程があるでしょ…」


「日頃の行いだろ」


「言うねー」



「蹴って!ナツメ私を蹴って!」


「………」


「違うわい!私じゃないよプレイヤーを蹴ってよ!罠が無駄になるじゃない!あー!…あぁもうまーたエリア移動した…」


「いきなり蹴ってなんて言われても分かる訳ないだろ、目覚めたのかと勘違いしたじゃないか」


「このタイミングで目覚める奴なんているの?」



「………」


「………」


「………」


「………」


「…やるねぇ」


「………」


「………」


「………」


(あれ、ナツメって意外とゲーム好きなのかな…めっちゃ集中してるんだけど)


「…よし」



 さすがに疲れてきたのでゲーム画面から目を離し、時間を確認した、びっくりした。


「…もうこんな時間か、あっという間だな」


 同じ姿勢でゲームをしていたせいもあって体も痛かった、さすがにお開きにしようとプエラに声をかける。


「また今度にしよう、さすがに眠くなってきたよ」


「えーまだまだこれからじゃん」


「お前な…」


 拗ねたように唇を尖らせる、時間も、疲れた頭も判断を鈍らせてしまったのかもしれない。食堂で注意したことも忘れてプエラに近寄りながら、


「キスしてやるから今度にしてくれ」


「……は?ナツメからやめようって話しをしたくせに…ナツメがそれ言うの?」


 怒られてしまった。ばつが悪くなりすごすごと引っ込む。


「……あぁそうだった、悪かったよ、忘れてくれ」


 だが、


「は?悪かったって何?キスするのが悪いことなの?」


 恐らく私の目はきょとんとしていることだろう、プエラはゲームを続けているので私を見ていない。


「…なら、忘れてくれ」


「無理」


「…」


「一日一回なら?……いいでしょそれぐらいなら」


 やっとこっちを見た。携帯ゲーム機からはすっかり馴染みとなったクエストクリアの音楽が流れていた。


「………分かったよ、私も守るからお前も守ってくれ」


「はいはい」


「私の真似か?似ているな」


「はいはい…ふふ」


 顔を上げたと同時に...


「ありがとう、ナツメ」


 こいつは何でいつもいつもキスをするとお礼を言うのか。


「言っておくが、私がキス魔になったのはお前に原因があるからな」


 アヤメと同じ言い方を真似て返すが、プエラの方が一枚上手だったようだ。


「それなら、私が責任取ってあげるからいつでもしてね、待ってるから」


 少女のようで妖艶に微笑む彼女の笑顔には、まだまだ勝てそうになかった。

※ 次回 2021/1/29 20:00 更新予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ