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Cell.18 ミトコンドリアの長い一日・前編




 坩堝(るつぼ)【名詞】

 金属を高音に熱し溶かすつぼのこと。あるいは、有形無形に限らず様々なものが一つに溶け合う様を表す。

 ちなみに、遠い世界の話だが、『坩堝は当たり、トロルはハズレ』という言葉があるらしい。




 カピタニアの街の全てに埃が積もり、道端にはゴミが溜まり、道行く人たちの顔は険しい。歩いているだけで気が滅入るような、そんな所だった。

 けれど、不思議と街の景色を眺めているだけで気分が落ち着く。不幸な目に遭っているのは私だけではないと、そう思わせてくれるのかもしれない。

 

「刹那さん、どうでしょうか、この街は」


 先を歩く案内人が私の名を呼び、注意を引きつけた。煉瓦で建てられた簡素な家から視線を外し、声をかけておきながら歩みを止めない案内人の背中を見やった。


「……」


 見るだけだ、とくに返事はしない。無言の返事を貰った案内人が何かを察したのか、「足元には気を付けてください」とだけ口にし、注意を促してきた。

 カピタニアの街は歩き難い、無舗装なので道が凸凹しているのだ。視線を外した先程の家をもう一度見やる、入り口に数人が屯し、私たちに不躾な視線を投げかけていた。──入り口のさらに奥を覗き込もうとした時、いよいよ足が引っかかり、危うく転倒しかけた。先を歩く案内人の背中に覆い被さるような形になり、道端に倒れ込むような事態にはならなかった。

 厚い背中が目の前にある、気を付けろと言われたそばからこれである。

 口を開きたくなかったけど、謝罪するしかなかった。


「すみません」


「い、いえ、や、役得みたいなものです、ですから」


 何でキョドる。それに役得ってどういう意味?


(ああ、胸が当たったのか…)


 その後も口数が少ないだけで案外ピュアな案内人の跡に続き、街の中心部に到着した。

 そこは公園だった、埃塗れの街の中で際立って綺麗な所だ。

 霊園だ。十字架の墓碑がいくつも、何重にもなって広がっている。その墓碑は埃に塗れることなく、ひっそりと佇んでいた。

 霊園に到着してしばらく黙祷を捧げた案内人が口を開いた。


「彼らこそ英雄です、この街のために命を投げ捨てたのですから」


 案内人は禿頭で、日に焼けた肌をしている。純朴そうな顔が墓碑に真っ直ぐと向けられており、その双眸は死者を偲んでか、薄らと光っていた。

 よく他人の前で涙を見せられるものだと感心する、打算か、あるいは墓碑の下に眠っているのが自身の家族か、そのどちらかだ。

 どちらでも良いと判断し、カピタニアに訪れた本来の目的を果たすことにした。

 自分から話しかけた。その時、ふわりと柔らかい風が吹き、埃っぽい臭いの中に花の香りを薄らと感じた。


「この街について教えてください、私はそのためにここへ訪れました」


 瞳を涙で濡らしたまま、案内人が私を見つめた。


「人柱の街です、ここは。どうしようもない、まるで人の怠慢がかき集められたような所です」


「怠慢とは?どういう意味なのですか?」


 案内人は私の質問に答えず、近くに設置してあったベンチへ誘導した。どうやら長い話になるらしい。

 丁寧に敷き詰められた煉瓦の上を歩く、砂利は無く、こつこつと乾いた音がした。

 勧められるままベンチに腰を下ろす、案内人がようやく口を開いた。開いたかと思えば、例え話を始めた。


「お腹を空かせた子供がいるとします、育ち盛りですから、空腹はあまりに可哀想です」


「それで?」


「手元の食材は肉と魚、それから野菜と味を引き立たせる香辛料がいくつか。刹那さんは肉と魚、どちらを与えますか?」


「どちらでも同じなのでは?」


 案内人は顔色を変えずに続きを話す。


「そう、どちらも同じです。ですが、塀の中に住む人間たちはこのどちらでも同じ問題について延々と悩み、対立し続けているのです。肉を与えるのも魚を与えるのも同じ事、けれどその選択の違いだけで彼らは何千年と喧嘩しているのです」


「どちらを選んでも不正解ではない、だから和解が成立せず対立していると?」


「そうです。問題があるとすれば、肉だけでは足りないと子供が魚まで要求してくることでしょうか、一度に多く与えてしまうと明日の食べる物に困ってしまいます」


 今度は私が「そうですね」と相づちをうつ。


「その第三の問題を提起して両者の対立に介入しているのがマリアの人間たちです。もうあそこは坩堝ですよ、正義とイデオロギーが溶け合いその結果、皆が悲鳴を上げています」


「それはまた…どうしようもないですね」


「ええ、どうしようもないです。──ところで、刹那さん」


 案内人が急に話を区切り、改めて私の名を呼ぶ。


「マグナカルタから発行された許可証はお持ちですか?」


 懐に手を伸ばし、カピタニアへ訪れる前に渡された一枚のデジタルカードを取り出す。それはカードサイズのタブレットであり、電源を入れると『越区(えっく)滞在許可証』と表示された、他に機能は付いていない。


「ありますけど、これが何か?」


 案内人が無感動に言う。


「失くさないようにお気を付けください。たとえ正義の坩堝とは言え、堀の中へ憧れを持つ者がいますから」





「くっそ寝てて草あ〜〜〜!」


 今何時?外真っ暗でウケる。

 いやウケている場合ではない、寝起きで重い頭を使って状況整理に務める。

 大きくてふかふかのベッド、ちょっと柔らか過ぎて腰が重い、しょうがない股間に重たい物をぶら下げているか──そんな事は今はどうでもいい。

 ここはホテルだ、オブリ・ガーデン内のホテル、その一室で私は深夜近くまで眠りこけていたようだ。一室に一つのベッドしかないので、クルルやサランはきっと別室にいるはずだ。


「いやにしても体が軽いのなんの、食べ物の力ってやっぱ偉大だわ、良く食べて良く眠る子が良く育つって本当かもしれない」とデカい独り言を口にしつつ、ベッドから下りて部屋を出る。

 お洒落でいかにもみたいなヒーリングライトに照らされた薄暗い廊下を渡り、スウィートルームらしいリビングルームに入ると、驚いたことにクルルとサランがいた。

 サランはソファですやあ...としており、クルルはその隣に座り、膝を抱えて眠っているようだった。

 クルルに声をかける。


「ちゃんとベッドで寝た方がいいよ、そんな所で眠っても体の疲れは取れないよ」


 クルルがすぐに頭を上げ、何故だか不機嫌そうに眉をしかめた。いやしかめた理由は分かる、私がすぐに眠ったからだ。


「やっと起きた…もうほんとこっちは大変だっていうのに…」


「何が?サランも寝てるじゃん」


 クルルが言う。


「サランが気絶した、急に倒れた…」


「草…」


 私も口を開けざるを得なかった。



 サランはガチでいきなり倒れたらしい。


「直前までここは私が頑張るしかないとか快刀乱麻を断つとか息巻いてたくせに、いきなり倒れるんだもん、本当に焦った」


「な、なに?解答大麻?」


「私がオブリ・ガーデンの問題を解決するんだってこと!僕を起こしに来たかと思えば一人で勝手に息巻いで勝手に倒れるんだもん!」


「あ〜…疲労じゃない?ほら、私たちちゃんとした食事ってここ最近ご無沙汰だったわけだし」


「それだけで倒れるなら分かるけどいまだに目を覚まさないのはマズくない?」


「人呼べば?」


「この状況で人を呼んでいいと思う?面倒見てやったんだからって絶対足元すくってくるよ──みたいな相談をしたかったのにテクニカは寝てるし!ほんと一人で頭抱えてたんだから!」


「それで自分も寝てたら世話ないよ──「何か言った?!「何も言ってません!──とりまギーリに連絡取ろう、副隊長だし、判断を仰がねば」


「……っ」


 さっきまであんなに勢いがあったのに、私がギーリの名前を出すとクルルが途端に口を閉ざした。まだ気にしているらしい。


「そんなにギーリのことが気になる?」


「そりゃまあ…ひどいこと言っちゃったし…」


「状況的に仕方がなかったと思うけど。どんな時でも自分の気持ちを相手に伝えるなんて無理な話なんだから、ギーリと一緒で気にし過ぎだよ」


「ギーリも気にしてるだけ?」


「人間落ちてる方が気が楽だからね〜」


「は?どういう意味なの?」


 有名な女怪盗も口にした言葉だが、躓いてしまうのは誰かのせいかもしれないが、立ち上がれないのは誰のせいでもないという。

 この言葉は真理だと思う。人間は何かを目指して努力するより、何かを恨んで下を向いている方が楽なのだ、だってエネルギーを必要としないし。

 ギーリは私ほどメンタルが強くない(私も大して変わらないが)、ましてや心を許した相手にひどい言葉をぶつけられたら下を向きたくもなるだろう。

 首を傾げたままのクルルを放置してこめかみを叩く、しかして電源が入らなかった。


「ん?」


「人のこと無視してどうかしたの?」


 きっちりと嫌味を挟んでくるクルルにも電源を入れるよう促した。


「クルルも電源入れてみてくれる?」


 言われるがままクルルが自分のこめかみを叩き、私と同じように「ん?」と言い、今度は逆の方向に首を傾げた。


「システム調整中ってなに?」


「圏外じゃなくなってるけど、システム調整中ってなに?こんなエラー初めてだよね?」


「電波は生きてるけど使えない、ってことだよね。どういうことなの?」


「クルルが知らないんなら私に分かるはずがないよ。人を呼ぼう、そんでギーリに連絡を入れてもらう、それでいい?」


 あの宝石のような海に滞在していた時から通信状況が悪かったが、その時は『圏外』としか表示されなかった。

 そしてここに来て『システム調整中』である、一体何があったのか、これではギーリどころか大佐にも連絡が取れない。

 サランも眠りこけたままだし、ここから逃げ出すためのパイロットも不在だし、副隊長も不貞腐れたままだし、私はそうクルルに提案した。

 クルルも観念したのか、「分かった」とだけ言い、室内に置かれていた通信端末を手に取った。

 人はすぐにやって来た。

 おそらくそうだろうなとは思っていたが、その人とはベアトリスさんだった。


「どうかなさいましたか?」


 私たちの前に立つこの人は確かに綺麗だと思う、が、それはダッチワイフ的な美しさに近い。

 ダッチワイフベアトリスにこれこれこのようにと説明し、副隊長であるギーリに連絡を入れてもらうよう依頼した。

 ダッチワイフベアトリスはすぐに承諾した。


「分かりました、こちらで係の者に連絡を入れて戻ってくるよう指示を出します。サランさんはどうなさいますか?よろしければ最寄りの診療機関へお連れいたしますが」


「それはいいです、多分疲労で眠っているだけなので。朝になっても目を覚まさないようであればその時はお願いします」


「分かりました。それでは」


 ダッチワイフは変に食ってかかるような真似はせずにすぐに退室していった。

 クルルが驚きの目を私に向けてくる。


「え、普通に喋れるじゃん、初対面の人って苦手だったんじゃないの?」


「いや、配達員を相手にする感じで受け答えしただけ」


「はいたついんってなに?」


「──ああ、上層はもっぱらドローンが配達してるから知らないんだ、下層は今でも人が荷物を運んでるよ。これだから上層の人間は」


「なんだと?そういう自分はいつもコンドーム持ち歩いてるくせに!」


「紳士の嗜み」


「──今はそういうことどうでもいいんだよ!もうこれ以上面倒事にならないようサランを叩き起こそう!」


「ただのドSで草」


 それから私とクルルであの手この手を使ってサランを起こそうと試みるも(胸三回、下半身四回)、ベアトリスさんよりダッチワイフかな?と思えるほど反応を示さなかった。

 

「マズくないこれ、本当に目を覚まさないんだけど」


「その手癖の悪さ何とかしなよ、ちゃんと見てるんだからね」


「いやサランって性格は苛烈だけど見た目はほんとに良いからつい…イーオン絶対苦労してそう」


「それを言うならギーリもね、この間も椅子に座れないって嘆いてたよ」


「私の性欲に文句言って」


「ほんと」可愛らしいクルルがちっと乾いた舌打ちした。


「そういう軽いノリでギーリと話してあげたら?そっちの方が気楽でいいでしょ」


 クルルが何か言おうと口を開いた時、退室したはずのダッチワイフがノーノックで入って来た。私もクルルもびっくりする。


「──失礼します。その、なんと申し上げたらよいか」


 出会ってからここまでハキハキと喋り続けていたダッチワイフにしては珍しく、言葉を選んでいる様子だ。

 嫌な予感しかしない。


「何があったんですか?」


 ようやく人間味を感じたベアトリスさんが言う。


「ギーリさんが宗教保護区の入区管理所で拘束されました、何でも越区許可証を紛失したらしく…」


「………」

「………」


 もうめんどくさここ!!





 もう場所を覚える気にもなれない、目の前にあるフェンスがどこのもので自分が今どこにいるのか、もはやどうでもいい。

 疲労につぐ疲労で心身が熱を帯びたようにぼうっとし思考もうまく定まらないが、目の前に聳える教会は立派だと思う。

 オブリ・ガーデンは自然と動物と共存しているからか、街の全てがヒーリングライトに薄らと照らされている。そのライトに照らされた教会はどこか儚げで、けれど威厳もあって、ああ確かに、何か困ったことがあれば頼りたくなるような不思議なオーラを放っていた。


(だったらこのシステムエラーを直して)


 バンデイラの部隊に連れ回されている時から何度も確かめているが、一向に直る気配が無い。

 『システム調整中』、初めて見るエラー表示だ。ヴァルヴエンドで何かあったに違いない、あるいは大陸間通信ドローンに不具合が起きたのか。

 これでは仲間と連絡が取れない、いい加減お姫様プレイにも飽きてきたのでサランたちの所へ帰りた──


(なんでサランなの?)


 なんで?どうして真っ先に思い浮かんだのがサランの顔なの?

 なんかすごい嫌!


「ご気分が優れませんか?何度もこみかみをさすっておられるようですが…」


「──あ、いえ」


 誰だっけ、確か立派な家名があったはずだけど疲れ果てているのでぱっと名前が出てこない。

 バンデイラの見回りに同行してきた人が直近に立っており、気付くのが遅れてしまった私は少しだけ肝を冷やした。

 その人が心配そうに私の顔を覗き込む。


「申し訳ありません、この基地で最後ですのでもう少しのご辛抱を。バンデイラの司令官がこちらに向かっています」


「その人と会うんですか?」


「はい、司令官もイーオンさんとお会いできることを楽しみにしておられます」


 本当かな〜?

 そう、私はオブリ・ガーデンの全ての基地を回遊していたのだ、で、どうやらここが最後らしい。本当かな〜?

 もうほんと疲れた、自分で操縦したい欲求を抑えつつ人の話に耳を傾けるのはほんと疲れる、イルシードが恋しい。

 今は屋外の作戦司令部にいる、分厚い布地のテントの中、その隙間から宗教保護区の教会を見ることができる。

 それから、見切れてしまっているが宗教保護区と自然保護特化区の合間にぽつねんと建物が一つだけ立っている、これはどこもそう、この建物で出入りの審査をしており、名前を入区管理所と言うらしい。

 長く続くフェンスを断ち切って建つその建物はどれも外観は同じ、味気無いものだがそれがオブリ・ガーデンの秩序を保ち、混乱を防いでいる、らしい。まだ見学はしていない。するつもりはない。

 (あ、そうそう、思い出した)カヴァルカンチさんと雑談をしながら時間を潰していると、テントの外がにわかに騒がしくなった。


「何かあったんですか?」


 そう訊ねると、カヴァルカンチさんの立派な眉が困ったように下がった。


「まあ、そうですね、ここはカピタニアに近い基地ですから…」


「カピタニアって、外の街の名前でしたよね、それとこの騒ぎに何か関係あるんですか?」


「ぐ、ぐいぐいと来ますね」


「疲れてますので」


「?」


 疲労が極まるとろくすっぽ考えずに口から言葉が出てしまう。私も?状態である。

 テント内で待機していた人たちもにわかに慌ただしくなり、何人かがインカムへ応答しながら小走りで駆け出していく。そんな大事になるのかと興味が湧き、私もテントから顔を出した。

 出してしまった。

 武装した人たちが円を作って何かを閉じ込めているようである、人垣のせいでその中心はよく見えないがどうやら人のようだ。


「これがあれば中へ入れるんでしょ?!あなたたちが決めたルールでしょう!」


 教会を見上げられる基地の広場で、その人の叫び声が上がる。

 その人の叫びに応えたのは神などではなく、入区管理所の人だった。


「盗んだ物は無効だと言っているだろう!早くそれを手放してさっさと帰るんだ!」


「嫌よあんな所!私たちがあなたたちを守ってあげているのに!褒められもしないどころか毎日危険な目に遭うだなんて、もうごめんだわ!」


「いいからその許可証を渡せ!今なら見なかったことにできる!頼むから──」


 管理所の人が言葉を飲み込み口を閉ざした。

 人垣の外からゆっくりとした歩調で誰かが現れた。その人は士官を背後に控え、堂々とした佇まいを見せる初老の人だ。

 きっと、バンデイラの司令官を預かる人物だろう。誰もが敬礼し、微動だにしなくなった。

 どうやら他人の許可証を盗み、オブリ・ガーデンへ入ろうとしたその人は、バンデイラの司令官へ縋っていた。


「これを!これを見てください!これがあれば中へ入れる──」


 ──頭を引っ込めていればと、後悔する。

 司令官は躊躇う素ぶりを見せず、慣れた手つきで拳銃を取り出し発砲した。

 縋っていた人の叫びが止み、人々の幸せを司る教会前の広場に静けさが戻った。

 硝煙の臭いが辺りに漂う。司令官が厳かに言う。


「秩序は保つ為にある、乱す者は正義であれ悪であれ律しろ、さもなくば悪が正義に勝り国が乱れる。我々は秩序を保つ為にトリガーを握っている、その事を忘れるな」


 その秩序の為に、命乞いをする人すら撃ってみせた司令官がゆっくりと歩き出す。

 広場に倒れたその人に一瞥すらくれていなかった。



 絶対嘘でしょ、私と会うのが楽しみだったなんて。嘘を吐いた自覚があるのか、カヴァルカンチさんも目を合わせてくれようとしない。

 まあ、民間人を射殺するような人との会話を求められても困るだけなのだが。

 バンデイラを預かり、APIOのトップに君臨している司令官の名前はキロンボ・デ・バレス、その冷徹さは私にも向けられ、「歓迎する」と口にはしたが、人を撃った時と同じ目をしていた。

 司令官は何をしに来たのか、基地最寄りの宿泊施設へ向かう道すがら、目を合わせないようにしているカヴァルカンチさんへ尋ねた。

 カヴァルカンチさん曰く「間が悪かった」らしい。


「本当はイーオンさんと会談していただく予定だったのですが、密入者が現れてしまって…ああいった問題に対処しているのもバンデイラなのです」


「あの人が叫んでいた事は本当なんですか?あれはどういう意味なのですか?」


「えーとですね…」


 目を合わせてくれたが、今度は分かりやすく困った顔をした。

 (絶対痒くないだろ)ぽりぽりと頬をかきながらカヴァルカンチさんが答える。


「確かにカピタニアの街は過酷な労働が多いかと…けれどその分手厚い福利厚生があると申しますか…それでも不平不満があるのは重々承知しているというか…」


「それが嫌でオブリ・ガーデンに入ろうとする人がいるんですよね?他人の許可証?を奪ってまで」


「まあ、はい…」


「どうしてこんな状況が続いているんですか?」


 言い淀んでいたカヴァルカンチさんが急にキッパリと、「それは過去のせいです」と答えた。


「過去?」


「事の発端は無理やりオブリ・ガーデンを作ったせいなんです、出発前にご説明した通り、ここにマキナはいません」


「そのせいで過酷な労働が発生している?──もしかして自動修復壁のこと?」


「そうです、オブリ・ガーデンを囲う壁はカピタニアの人たちの手によって維持され、私たちの安全が約束されています。なので、彼らの願いを聞き入れるのはそう簡単な話ではないのです」


「……」


 何と答えたら良いのか分からず、とりあえず歩みを進める、宿泊所はもう目と鼻の先だ、この石畳みの道を踏む足音が会話を流してくれることだろう。

 イシュウの時はまだ簡単だった、今ならそう思う。目に見えた危険が差し迫っていて、協力しなければならない状況下になって、二人は和解という結果に辿り着けた。

 けどここは違う、あまりに複雑が過ぎる。私のような外様の人間がどうこうできる問題ではなく、それはオブリ・ガーデンに住む人たちも同じだ。

 疲労で熱を帯びていた頭の芯が、度を過ぎた疲労を前にして逆に冷え始める。足はまだ動くが、宿泊所に着いた途端、そこで終わることだろう。

 にしても長い一日だった、目が覚めてもまだ続くのかと思うと億劫だ。


「──えっ!」


「?」


 宿泊所の入り口前で突然、カヴァルカンチさんが鋭く声を上げた。今まで気付かなかったが、耳にインカムをはめているようだ。右手で右耳を押さえた仕草で固まっている。

 嫌な予感しかしない。


「どうかされましたか?もしかして泊まる所を間違えたとか?」


 冗談じゃない、もうこっちは一歩動けないんだぞ、今から別の所へ向かうだなんて絶対無理だ。

 カヴァルカンチさんが答える。


「その、イーオンさんと一緒に来られた方たちがマグナカルタから脱走したと…」


「……」


「今、その方たちが指名手配されたと…その報告が…それから、イーオンさんも念の為に拘束しておけと私に指示が…」


「……」


「失礼します!」


「?!」


 申し訳なさそうにしている割には機敏な動きを見せたカヴァルカンチさん、咄嗟に逃げ出そうとするも後ろから抱きつかれてしまった。


「に、逃げないでください!逃げたら余計に立場が悪くなりますよ!」


「もうめんどくさいここ!お願いだからイルシードに帰らせて!」


「そんな事言わずに!面倒臭いのは皆んなも一緒ですから!」


 疲労が体の隅々まで行き届いているので上手く力が入らない、カヴァルカンチさんはただの民間人なのに、お腹に巻き付いた細い腕から逃げ出すことができなかっ──。


「ちょっとお?!なんで服の中に手を入れるの?!」


 服の裾を捲り、直接お腹に手を入れてきた、カヴァルカンチさんの温もりが伝わってくる。


「そんな寂しいじゃないですかせっかく同年代の人と出会えたのに!」


「アプローチが急過ぎる!」


「ここはそういう国ですから!男も女も情熱的なんですよ!諦めてここで一緒に暮らしましょうよ!」


「そういうカヴァルカンチさんが私たちと一緒に来ればいいでしょ!空の方が絶対楽しい!」


 え、マジ?とカヴァルカンチさんの熱い吐息が耳に当たる。当たったと同時に空から強烈なライトも当てられた。それと、拡声器を使った警告も下りてきた。


「ミトコンドリアのイーオン・ユリア・メリア飛行士!違法越区幇助の罪で拘束する!抵抗はせずこちらの指示に従え!」


 後ろから抱きつかれているのでよくは見えないが、どうやら大型ドローンに人が乗っているようだ。

 それから次々に大型ドローンがやって来て、抵抗するのもめんどくさかったので手を挙げて万歳の仕草を取る。どうやらこの仕草は世界共通らしく、抵抗の素ぶり無しと判断されてカヴァルカンチさんが手を離した。

 で、すぐに手錠をかけられてしまった。

 は?自分たちが誘拐しておきながらその誘拐した相手に手錠をかけるって何なの?

 連行された場所は入区管理所の留置所だ。





 テクニカ風に言うならば、簡単に乗り越えられて草、区法とかご立派なものがありながら物理的な障害は高さだけのようである。


「クルル!もっと早く走って!」


「走ってるよ!これ限界だよ!」


 ベアトリスさんからギーリが拘束されている場所を聞き出し位置を確認し、ホテルを抜け出して一時間も経っていない。経っていないのに僕たちはもうお尋ね者扱いだ。

 いや、テクニカが意外とアグレッシブに動くのなんの、普段の様子からは想像も付かない機敏な身ごなし、普段からそうテキパキと動いたら?

 フェンスを超えた先は森が広がっており、追っ手を撒くのに適している。獣道だか人の通り道だか、良く分からない細い道をひたすら走る、テクニカの背中を追いかけて足を動かし続ける。細かくて鋭い葉っぱが手足に当たるが構いやしない、早くギーリの元へ急がないと。


(ここは面倒臭過ぎる!隊長が起きない以上は僕たちで何とかしないと!)


 いやね?この脱走劇が決して最適解ではないことぐらい理解している、でも、オブリ・ガーデンに解決を任せていたらいつになるか分からないし、下手したらこの面倒臭さに取り込まれてしまう恐れがある。

 テクニカは即断だった、「それなら私たちで助けに行こう」と言ってくれた。

 だからホテルから抜け出した、すぐに追いかけてくるだろうと思ったがそれは案の定で、森に突入してからしばらく続いたが、どうやら引き返したようだ。

 フェンスの先から唐突に続いていた森はどこまでも広がっており、テクニカが持つライトだけが唯一の光源である。

 上下に激しく揺れるライトが照らす景色は陰鬱にさえ思える木々、真っ暗に染まる枝葉だけ、誰も追いかけて来ないのに心は大いに焦っていた。

 本当に辿り着けるのだろうか?不安は容易にストレスへ転じ、心身に大きな影響を与える。


「て、テクニカ!い、一旦ストップ!」


 容赦なくて草。


「駄目!足止めたら走れなくなるよ!」


(急にスパルタ〜!)


 重く乗しかかる森の闇と不安と焦りと戦いながら足を動かし続け、テクニカの判断が間違っていなかったと思い知る。

 今の僕にとってはすっかり耳に馴染んだ音、それはフィンが高速で回転する音であり、機械の心臓と言ってもいい、その音が上空から届いて来たのだ。

 決して味方であるはずがない、新たな追っ手が僕たちの元にやって来たのだ。

 

「──うわっ」


 見えるはずもないのに視線を上向けていたせいで、急に立ち止まったテクニカに気付くのが遅れ、走った勢いをそのままにぶつかってしまった。

 見ず知らずの森の道の上で二人して倒れ込む、僕がテクニカに馬乗りなる形になってしまった。


「ご、ごめ──」


「静かに」


 いつの間にライトを消したのか、二人の間に漆黒の闇が下りている、この距離ですらテクニカの表情が見えない。が。


「これなに、ねえ?これなに?」


 腰を動かしながら問い詰める、テクニカも体をくねらせた。


「いや興奮してて、それにクルルが上に乗ってるとか勃たせるなって言う方が無理」


「いやもうほんと、なにこれ丸太じゃん、ギーリがガチで可哀想」


「意外と余裕あるね」


「テクニカのお陰で不安が──」


 いやもうほんと今日のテクニカ何なの?

 すっと口に手を当てがわれて、かと思えばいともたやすく体勢を逆転させ、今度はテクニカが僕の上に覆い被さった。

 仰向けに伏せられ、だから必然的にテクニカの丸太がお尻に当たってしまう。こっわ。

 けれど、丸太より怖い存在がすぐに現れた。それはすぐ隣から、何かの足音、この漆黒の闇の中で迷いなく進むその音は異常だと思った。

 

(バンデイラ、っていう部隊?確かイーオンを連れ去った…)


 僕に覆い被さっているテクニカも身動ぎ一つしない、それも異常のように思え、丸太の存在も相まってやっぱり怖さが背中に移った時、その足音が軽やかに遠ざかっていった。

 耳元でテクニカが囁く。


「危ない、あと少しで粗相するところだった」


 その下品なジョークには付き合わず、僕は訊ねた。


「こういう事に手慣れてるね、テクニカ」


「そりゃ下層育ちですから、お上品な市民には分からないよ」


「アカデミーを中退した理由とその丸太のお世話、どっちか選べって言われたらどっちを選ぶ?」


「え、両方に決まってんじゃん。──クルルもワケありなんだね」


「そうじゃなかったらミトコンドリアに入隊してないよ、卒業資格を蹴ってまで入隊したお下品な理由があるんだから」


 テクニカが先に立ち上がり、僕に向かって手を差し出した。お尻に残る熱を感じながら、僕はテクニカの手を取った。

 テクニカが答える。


「やっぱ丸太の方で、クルルの下品な姿はベッドの上で見たい」


「なにそれ」


 テクニカらしい即物的な答えを聞いてつい笑みが溢れてしまう。僕もまだまだ余裕はあるらしい。

 けれど、その余裕は唐突に発生したビープ音によってすぐ瓦解してしまった。

 その音は先ほど足音がした茂みの向こうからだ。音と共に、明滅する赤い光りを放っていた。

 無言で駆け出す二人、音と光の正体はよく分からないが、下手を打ったことだけは理解できた。

 駆け出してすぐ、あちこちから同様の音と光が発せられるようになった、どうやらあちらの方が一枚上手らしい。


(バンデイラは元々先住民狩りをしていた部隊の名前!こういうことはお手ものって事?!)


 その部隊に所属する人はバンデライテという。当時のブラジルは大規模プランテーションなどの人員を確保するため奴隷をアフリカから輸入したり、バンデイラに先住民狩りをさせていたという。

 足音なんて聞こえるはずもないが、背中にナイフを刺されたような緊張感が走り、疲れているはずの足が軽やかに動く。きっと、次止まった時が最後だ、二度と走れないことだろう。

 だが、先に走れなくなったのはテクニカだった、テクニカが突然前のめりに倒れてしまった。


「テクニカ?!」


「い、いいから走って!」


「走れるわけないでしょ!」


 地面に転がったライトを手に取りテクニカを照らす、テクニカは右足を押さえながら苦悶の表情を浮かべていた。

 どうやら撃たれたらしい、信じられない、いくら脱走した身とはいえ、客人として迎えられた僕たちを撃ってきたのだ。

 けれど血は出ていない、テクニカは右の太ももを押さえているが何ともないように見える。


「どういうこと?!撃たれたんでしょ?!血は出てないよ!」


「た、多分麻酔か何かだと思う、め、めちゃくちゃ痺れてきた」


 生物が持つ感覚器官の中で、臭覚と聴覚が最も敏感だと言われている。それは視界に映る前から敵の存在を知るために必要な器官だからであり、その機能が今、明確に働いた。

 背後から複数の足音が近付いてくる、背中に刺さっていたナイフが脳天に移動し、僕はいよいよパニックに陥ってしまった。

 苦悶の表情を浮かべるテクニカ、そして僕たちを捕らえようと迫ってくる足音。どちらから対処すれば良いか分からず、そもそも対処能力はあるのかと疑問に没してしまう。


「──っ!!」


 パニックで棒立ちになっていたのがいけなかったのか、それともこうなる運命だったのか、右足に重い痛みが唐突に走り、僕もテクニカの横に倒れ込んでしまった。

 麻酔というのは本当らしい、重い痛みはすぐに鎮静化し、かと思えば下半身の感覚が徐々に失われていく。

 足音の正体が僕たちの目の前に現れた。


「これ以上の抵抗はよしてくれよ、面倒が増えるだけだ」


 地面に転がったライトの明かりで何とか姿を確認できた、全身をスニーキングスーツで包み、厚いゴーグルをはめた人間が二人、僕たちを見下ろしている。

 一人が僕たちに向かって淡々と言う。


「その麻酔は時間経過で切れる、後遺症も残らないが、二発目は後遺症になる。この意味は分かるな?」


「撃たれたくなかったら、従えって?人様の仲間を拘束した輩の言う事を信じろって?」


(ちょ!テクニカ!)


 まさかの反論、焦る僕。


「お喋りをしたいわけじゃない、俺たちはただ仕事をこなしているだけだ。拘束する、基地まで連行──」


 見下ろしていた二人が勢いよく空を見上げる、何事かと僕も釣られて空を見上げる。それがいけなかった、視界を焼くほどの強烈なライトが降り注いできた。

 あとついでに声も、どうやらあのフィンはこの人たちの勢力ではなかったらしい。


「ここはいかなる人種も保護されるべき宗教保護区、慈悲なる母の前でそのような行ないは許されません」


 甲高いエンジン音に紛れながらも乾いた舌打ちが耳に届いた。


「ちっ、また面倒臭いのがやって来たな…災難だな、外から来た客人よ、気に入られないようにせいぜい悪態をつき続けることだ」


 不穏な言葉を残してバンデイラが去って行く、職務放棄をしてまで逃げ出したい相手らしい。

 助かったのかさらなる問題に足を突っ込んでしまったのか、今の僕には分からないことなのでちっとも安心できなかった。

※2025/7/26 20:00 更新予定

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