表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
323/335

Cell.13 逃げるな!




 呼び立てる【他動詞】

 わざわざ招き寄せる。呼び寄せる。


 他動詞【を〜】

 主語が他に影響を及ぼす動詞であり、目的語を必要とする動詞。

 例)ヨーコがアマンナと遊ぶ。

 この時、【遊ぶ】が他動詞。を〜、はどこにいった?




 先生の一言がきっかけだった。


 ──サっちゃんは声が綺麗だね、色んな人に届けようよ。


 どうやって届けるの?と、緑ヶ丘学園の先生に訊ねた記憶がある。


 ──ディーヴァになるの、そうすれば色んな人に聴いてもらえるよ、励ましだって送れる、沢山の人から好かれるようになるよ。


 私は確か、そんな自分を想像して何も答えず、先生の前で顔を俯けた、ような気がする。

 だって恥ずかしかったから、沢山の人の前に出ることが、そこで歌を歌うことが、その時はとても恥ずかしいことのように感じられた。

 でも、先生が言うからにはきっとそうなのだろうと自分の歌声に自信が持てるようになり、初めての親子面談の時に打ち明けた、ディーヴァになりたいと。

 両親は何と答えたか、あまり記憶に無い。記憶に無い、ということはきっとあまり良い返事ではなかったのだろう、だから覚えていない。

 こういう人たちが私の両親なのかと落胆したが、緑ヶ丘学園の先生たちは慰めてくれた。

 やっぱり先生は先生なんだとひどく安心した覚えもある。たとえ両親が応援してくれなくても、そんな先生たちがそうだと言うのならディーヴァを目指してみよう、そう決意し学園を卒業した。

 そして、入学した下リガメルアカデミーで私は歌唱候補生の現実を目の当たりにし、打ちひしがれた。

 絶望した入学式を昨日の事のように思い出せる。私より上手い人は沢山いた、歌唱候補生になれただけでも奇跡のように思い、ビーやヨーコたちと出会うまで楽しいアカデミー生活を送れなかった。

 そう、私をここまで連れて来てくれたのは自分の力ではなく、紛れもなくビーとヨーコの二人だ。

 そんな二人と今、上手くコミュニケーションが取れないでいた。


「それで、先生の所に戻って来たんだ?」


「うん…なんだかもう、どうすれば良いのか本当に分からなくて…」


「サっちゃんなら大丈夫だと思うけどな〜先生を頼らなくても乗り越えられるよ」


「どうすればいい?」


 久しぶりにやって来た学園の職員室、ここはいつ来ても変わらない場所、私たち学園生にとってまさに実家である。

 先生に弱音を吐いた通り、ビーとヨーコとはここ最近、疎遠になっている。自分でもどうすれば良いのか分からず、学園生にしか乗車できない上下電車に乗り、下層よりさらに下にある緑ヶ丘学園まで足を運んだ。

 職員室には私たち以外にも先生や生徒、卒業生の姿が見える。見知った顔は一つもないけれど、誰も私たちに注意を払っていなかった。

 先生が私の質問には答えず、授業でいつも使用していたタブレットを渡してきた。


「これは?」


「昔の授業風景だよ。見てごらん」


「いや、どうやったら解決できるのかって訊いてるのに…」


「いいからいいから」


 と、まるで取り合ってくれない。

 仕方がないので言われた通り、画面に視線を落とす。先生は机に向き直って作業を始めてしまった。

 タブレットの画面をタップし、停止していた動画を再生する。そこには低学年らしきクラスの授業が、黒板の視点から録画されているものだった。


「こんなの撮ってたの?全然知らなかった…」


「皆んなには秘密だよ。先生同士で共有していたの」


 こっちを向いてくれないのは寂しいけれど、一生懸命手を動かす先生が独り言にも応えてくれた。

 等間隔に並べられた机、きちんと座っている生徒たち、動画を見ているだけで懐かしい気持ちが込み上げ、つい笑みが溢れてしまう。


「では、今からお友達と一緒にこの問題を解いてみましょう。勿論、一人で挑戦してみてもいいですよ〜」


 動画の先生が生徒たちにそう呼びかけると、生徒たちが一斉に席を立ち思い思いの場所へ移動した。

 そりゃそうだ、授業中にそんな事言われたら誰だって友達の所へ行く、私もきっと席を離れてお喋りに興じることだろう。

 けれど、クラスが騒がしくなる中、席を離れずじっとしている生徒もいた。一人で挑戦したいのか、あるいは...


「──えっ…」


 その生徒は髪の色がとても目立つ子だった。それに、面影もどこか似ている所があり...


「先生、これってもしかして…」


 先生が答えた。


「ヨーコちゃんだよ。次の動画も見てみて」


 見てはいけない物を見てしまった思いに駆られ、寂しそうにしている小さなヨーコから逃げるようにして画面をスライドさせた。

 次の動画は体育館の中を映した物であり、もう既にそこに映っていた。

 停止マークに隠れるようにして、体育館の床を見つめながら立っているビーの姿が画面の中央に映し出されている。そのビーは今とそう変わらない背格好をしている、つまりヨーコと比べて最近の物である。

 見ていられなかった、再生する気にもなれなかった。


「どうしてこんな物を…どうして私に見せたの?」


 見たくなかった、たとえ動画でも二人が寂しそうにしている姿など見たくなかった。

 また、先生が答える。


「もしかしたら、今も二人はそうやって寂しそうにしているかもしれないよ?」


「どうしてそんな意地悪なことを言うの?」


「サっちゃん、ううん──」と、先生が机に向けていた体を私に向け、とても真摯な声で「サーフィヤ・タクスンさん」と、まるで今日初めて会う他人のような呼び方をした。普通に止めてほしい。


「人は歳を重ねるごとに様々な事を経験して成長していきます。その成長の中には恥をかかないようにするための防衛手段も含まれています。この防衛手段が時として、人との関わりを遠ざけてしまうことがあります」


「……」


 不思議な感覚だ、あの先生に敬語を使われていることが不気味で、けれど先生はいつも通り優しい瞳をしていて、けれど甘えを許さない態度が垣間見えていた。

 何も答えられない、黙って先生の話に耳を傾ける。


「タクスンさん、あなたの出番です。動画に映っていた二人に声をかけてあげるように、あなたが距離を縮めてあげるんです。そうすれば、きっと今の悩みも解決するはずです」


「だ、だから、その縮め方が…」


「分からないはずはありません、だってあなたは先生が愛したサっちゃんですから」


 先生が優しく私の手を握ってくれた。


「サっちゃんは昔から他の子より聡明で、気配りもできていました。その分、人付き合いに疲れて一人でいることも多かったけれど、決して人を傷付けるような生徒ではありませんでした。──まだ、甘えたい?」


 あなたには力があるでしょう?、と先生が遠回しに教えてくれた。

 先生の言いたかった事が分かった途端、何だか今の自分がとても恥ずかしくなって、つい先生の柔らかな手から逃れてしまった。


「う、ううん、もう大丈夫!──あ、その、アドバイス、あ、ありがとうございました」

 

 先生はきっと、私を生徒としてではなく、一人の人間として接してくれたのだ。だから私も、先生のその見えない気配りに応えようと敬語を使った。


「サっちゃんに敬語を使われるのはちょっと変な気分」


「ええ〜先生が先じゃん…」


「頑張って、きっと二人もサっちゃんのことを待ってるよ」


 先生はいつもと変わらない笑顔で優しく手を振ってくれた。

 教員室を退出する時、最後に先生に向かって礼をした。頭を上げると、先生がまた手を振ってくれていた。





「ここも謎だと言えば謎だな。お前はどう思う?」


「学園を卒業した者でなければ乗車できない電車…そして、ネットにも情報が一切無い教育機関…」


「緑ヶ丘学園、ねえ…俺が入学したら一日で恥丘学園になってしまうな」


「……」


「恥ずかしい丘と書いて恥丘だ!」


 モンローさんの馬鹿げた発言を無視し、もう一度ネットで情報を探ってみる。

 下層のウエストターミナル、緑ヶ丘学園行きのプラットホームは空調が効いており過ごしやすい。隣に座る輩は大変過ごし難いが、まあ無視すればどうにでもなる。


「──やっぱり駄目ですね、どんなワードで検索をかけてみてもやはり出てきません」


「恥丘学園と打ち込んでみろ、もしかしたら検索に引っかかるかもしれない」


「ナツメさん呼びますよ?」


「悪かった、今の発言は無しだ」


 股間を拳銃で撃ち抜かれたのがよほど堪えているらしい、ナツメさんの名前を出すとモンローさんが静かになった。

 『学園』、『緑ヶ丘』、『学園生』...分かる範囲のワードを打ち込んでも、検索結果に出てくる物は全てアカデミー関係のホームページだけだ。

 プラットホームの電工掲示板を確認する、緑ヶ丘学園発の電車がもう間も無く到着する時刻だった。

 僕とモンローさんはタクスンの出迎えに来ていた。

 何でも、先生たちにリ・ホープのことを相談したいとか。


「この先生ってのもよく分からん存在だ」


「そうですね、グレンダとヨーコに訊ねてみても先生は先生だって言いますし」


「容姿、性格、年齢、性別、どれ一つとして分かりやしない。もしかしたら、この先生とやらの存在を公にしないために隠しているのかもしれないな」

 

「それは何故?」


 この国で買った携帯端末から視線を変え、隣に座るモンローさんを見上げる。

 

「恥丘だからだよ。恥ずかしい丘は隠すのが当たり前だろ?」


「………………」


「待て、その携帯はしまえ。──待て待て!ナツメに報告しようとするな!今のは例えであってだな、緑ヶ丘学園の教員たちに秘密が隠されているから公にしていないって言いたかっただけだ!」


「そんな下品な例えをしなくてもそれぐらい分かりますよ、その理由を訊ねたつもりだったん──「お待たせしました」


「っ?!」×2


 背後から、幼くても綺麗な声で呼びかけられてしまい、固まる僕とモンローさん。

 ゆっくりと振り返る、そこにはいつの間にか停車していた電車、それから待ち人であるタクスンが制服姿で立っていた。

 彼女はあまりファンピクを好まないのだろう、艶やかな黒髪はただ黒く、肌は何も描かれていないキャンバスのように白いだけだ。

 THE・清楚って感じ。一番好みである。


「あ〜その、今の会話、聞いてた?」


 ん?とタクスンが首を小さく傾げてから、「聞かれたらマズいことでも話していたんですか?」と逆に訊いてきた。


「ううん、何でもないよ。じゃあ、帰ろうか」


「はい、よろしくお願いします」


 ベンチから立ち上がり、ちきゅう、ちきゅう、と連呼していたモンローさんがタクスンに訊ねる。


「リ・ホープはどうにかなりそうなのか?その事で相談をして来たんだろう?」


「はい、先生のお陰で。あとは私次第なんですけど…」


「それは解決したと言うのか?大したことないんだな、緑ヶ丘学園の先生とやらは」


「モンローさん?!」


 探りを入れるにしたってもうちょっと言葉に気を遣うとか...タクスンの反応は予想通りだった。


「先生を侮辱するんですか?」


「いやなに、悩みを抱えた生徒をそのままにして放り出すのかと思ってな」


 リ・ホープの中で比較的に大人びたように見えるタクスンの瞳が怒りに細められる。


「先生は乗り越えられるだけの力が私にはあると諭してくれました。それ以上の暴言は止めてください」


「悪かった、悪かったよ、お前が暗い顔をしたまま帰って来たのが気に食わなかっただけだ」


 全く悪びれた様子を見せないモンローさんがお手上げのポーズを取り、その後はさっさと一人で歩き出してしまった。

 一応、フォローを入れておく。


「ごめんね、あれでもあの人、君のこと心配してるんだよ」


「それは、まあ…でも、今のはさすがに…」


「今のは君の方が正しいよ、大事な人を馬鹿にされて怒らない人はいないから」


「はい」


 タクスンの表情から怒りが消えたのを見届けて、僕たちもモンローさんの跡を追いかけるべく歩き出した。



「おい、ちきゅうってのは何なんだ?答えてみろや」


「……」

「……」


「ネタは上がってんだよてめえら、サーフィヤを待っている間に駅のホームでちきゅう、ちきゅうって連呼してたんだろ?」


(嘘吐くなよ!丸聞こえじゃないか!)


 ウエストターミナルから引き上げ、自分の部屋で寛いでいるとナツメさんが鬼の形相で訪れ、そしてサロンに連れて行かれてしまった。なんと、そこでは既にモンローさんが正座をしており、怒り心頭のナツメさんが「隣に座れ」と言われて今に至る次第である。

 ナツメさんが今にも殴りかからんばかりの怒声で言う。


「恥ずかしい丘と書いてちきゅうと呼ぶらしいな、サーフィヤに訊かれたよ──どういう意味なんですか?ってな!!」


(ああ…そうだ、タクスンは一言も否定していなかった、聞かれたらマズいことなのかとしか言わなかったな…だからナツメさんに訊いたのか…)


 事の張本人であるモンローさんが自分の股間を手で押さえながら、「その前にいいか?」と冷静な口調で言う。が、その手がもう既にダサいので何ら冷静には見えなかった。


「んだよ言ってみろ!!そんな事を訊かれる身にもなれってんだ!!」


「今からする話はリ・ホープには他言無用だ、いいな?」


 それでも冷静さを欠かないモンローさんの口調にナツメさんも毒気を抜かれたのか、「言ってみろ」と静かに応えた。


「緑ヶ丘学園の教員たちについて話をしていたんだよ。どうやらこの教員に秘密があるみたいでな、それを隠すためにネットから遠ざけられていると踏んでいる」


「それは何故?」


 それさっき僕も訊いた、僕が訊いた時は「恥丘だからだよ!」と馬鹿な発言をしていたが、モンローさんもKYして真面目に答えた。


「インターシップと関わりがあるからだろう。それ以外に何がある?」


「じゃあ何か、緑ヶ丘の教員たちがアフラマズダを隠したって言うのか?」


「そうじゃない、同じ技術で作られた存在だと言っている」


「先生が…人間ではないと、そう言いたいんですか?」


「よく考えてみろ、誰に訊いても容姿像が浮かばない、人相も要領を得ない、ただ先生としか分からない存在。もしかしたら、本当にそこにいるのかすら怪しい。ここにいる連中は選択する権利も与えられず、インプラントルーターを子供の時分に移植されるんだろう?だったら視覚を誤魔化すのだって造作もないことだ」


「筋は通ってはいるが…」


 ナツメさんの言いたい事は分かる。


「何故そこまでするのか、その動機ですよね、不可解なのは」


 (たまにはまともな事を言う)モンローさんの推測が全て事実であったとして、やはり『先生』という存在は不可解である。

 

「それを調べるためにもサーフィヤに探りを入れて、それで怒らせてしまった、それだけの事だ。忘れるなよナツメ、俺たちの目的はアイドルをプロデュースすることではない、アフラマズダを調べにこの国にやって来たんだ。あいつらの面倒を見ているのはあくまでもその為だ、履き違えるなよ」


「──肝に銘じておくよ」


「必要であれば、リ・ホープとの縁を切ってでも緑ヶ丘学園を調べに行く。その役目は俺が担う、お前には荷が重いだろう」


「どうせ女子学生を手籠にするんだろ?あ?」


「……」


 駄目だこの人!ナツメさんから全然信用されていない!最後らへんは格好良く話が締まりそうだったのに!

 気付けば、僕たちが入って来た反対側の入り口からアマンナとヨーコがこちらを覗き込んでいた。正座をしている僕たちが面白いのか、単なる冷やしか(きっと両方だな)、二人はニヤニヤした笑みを顔に貼り付けている。

 話が頭に戻る。


「で?ちきゅうってのは何なんだ?」


「全く…そんなに知りたいのなら教えてやる──」


 モンローさんが徐に立ち上がり、ナツメさんの下半身を指差しながら言った。


「誰にも踏み越えてもらえないお前のその股間の事だ!!」


 その後、二人は船内中で追いかけっこし、最後はなんとモンローさんが逃げ切った。

 アマンナとヨーコはそんな二人をお腹を抱えながら笑っていた。





アルター:今どこにいる?


サっちゃん:今どこ?話したいことがあるの


 別々の相手から同時にメッセージを貰い、飲もうとしていたドリンクを手に持ったまま固まる。

 数瞬悩んだの後、まずはトレーニングで渇いた喉を潤し、それからアルターさんにメッセージを返した。


ビスヘム:下層の音楽街、何か用事?


アルター:会って話したい事がある、私用ではないよ


ビスヘム:嫌な予感しかしませんが…


アルター:代わりと言ってはなんだが、君たちのライブチケットを購入しよう、二人分だ


ビスヘム:その話乗った!


アルター:安心してほしい、君たちの事ではない


ビスヘム:駅の改札口で待ってるよ


アルター:すまない。それと、歳上にタメ口は遣うものではないよ


ビスヘム:お説教は会った時にお願いしますよ


 電子機器から排出された少し埃っぽい臭い、それから壁や天井のシートに染み付いた他人の臭い、それらがない混ぜになって私の鼻を襲う。

 いつ嗅いでも懐かしさが込み上げる。


(もしかして、リ・ホープを抜けるとか…?そんなの無理に決まってんだろ)


 このタイミングで話があるって、もうそれしかなくね?サっちゃんから逃げたところで意味はないけど...


(あんな言われ方されたの初めてだしな、どう返したら良いのか分かんない)


 とりあえずスルーしておこう、下手なメッセージを送ってこれ以上怒らせたくない。

 こめかみを叩いて画面を落とし、帰り支度を始める。持ち込んだ楽曲データをスタジオ備え付けの外部端末から抜き取り、スピーカーやマイクをデフォルトの調整に戻しておく。

 それからスタジオを後にし、カウンターで利用料金を支払い、待ち合わせ場所の駅へ向かった。


「え、もしかしてもうこっちに来てたのか?」


「今し方着いたところだよ。急に呼び立ててすまない」


 駅に着いてすぐだった。アルターさんが到着するまで時間を持て余すと思っていたので、プリドから貰った新曲を聴き直そうとしたのだが、もう既にアルターさんが改札口前に立っていた。

 しかも、見知らぬ人と一緒に、だ。

 そいつははっきりと言って挙動不審な奴、頭のてっぺんはつるり、何だか偉そうなジャケットを羽織ってはいるが...

 アルターさんに確認を求めた。


「その人は?アルターさんの知り合い?」


「ついでだから連れて来たんだ。君たちのファンだよ、結成当時からリ・ホープを追いかけている」


「ガチか!!」


 それを早く言え!

 容姿はどうかと思うがファンは大事にしないといけない、私たちの歌をわざわざ好きになってくれたんだから。

 その人の手を取り勝手に握手する、ずっとキョロキョロとしていたそいつが「キャンメル・クール・メビウス!」と急に叫んだ、きっと自己紹介のつもりだろう。

 キャンメルと名乗ったこの人は、リ・ホープに所属する私に緊張していたのだ。


「よろしくキャンメルさん!いつも聴いてくれてありがとうな!」


「ああ…今首にボールペンを刺されても悔いはない…」


「こいつほんとに大丈夫なの?」


 え、何それ。やっぱ変な奴だな。

 アルターさんは上品な笑顔をしたまま、「君に会えて錯乱しているんだろう」と言い、すぐに笑顔を消して仕事モードに入った。


「場所を変えよう、立ち話で片付く件ではないんだ」


「その前にいいか?その件って私たち絡みか?」


 アルターさんは一言だけ、「違う」と断言した。



 場所は変わって...


「あばら骨を調べている?」


「あ、ああ、君たちが出演するライブハウスで一番人気の歌手だ。私のチームではこのあばら骨という人物について調査を進めている」


「それはまた何故?」


「そ、それについては私から話そう。何から話せば良いのか…そ、そうだな、ビターのライブが延期になった時、実は私はここまで足を運んだことがある。そ、その時に現役のディヴァレッサー部隊の人間に声をかけられたんだ」


「???」


 この二人の話が全く要領を得ないんだが。

 言ってる事は理解できる、アルターさんはあばら骨について調査をし、キャンメルさんは下層に足を運び、そこで現役の軍人に声をかけられた...それで?どうして私の所に話が来る?何か関係あるか?

 ()()に場所を変えてから、キャンメルさんのようにキョドリ始めたアルターさんが話を切り、「その前いいか?」と訊ねてきた。

 やっぱり駄目だった?


「ここ、私たち部外者が入って良いのか…?」


 ()()とは、ノラリスの事である。


「部外者って、私のお客さんなんだから部外者ではないでしょ」


「いやいや…君、理解してる?私はついこの間までここを攻めようとしていた側なんだぞ?」


 そう!私は二人をノラリスのサロンまで連れて来たのだ!だってお金をかけたくなかったし、下手な店に入ったらコーヒーの一杯だけでとんでもない値段を要求される。


「別にいいでしょ。それよりも、二人の話、良く分かんないんだけど、どうして私に接触してきたわけ?」


 最近の子はよく分からない、と呟いてからアルターさんが話を戻した。


「まあ君がそこまで言うのなら。──おほん、調査の結果、このあばら骨というアーティストがガーデン・セルを乱用している事実が浮上した」


「それって確か…規制が入った軍用システム、だっけ?」


「そうだ。ミーティア・グランデの一件以来、ガーデン・セルに対する信用度が落ち、利用者を一部の者に限定する処置が取られた。それから私的使用の厳罰化も決まったが、このアーティストはそれに反して日頃から使用している嫌疑がかけられている。そこへ──」と、隣に座るキャンメルさんに話を振った。


「そこで私が、あばら骨が良く利用しているライブハウスに姿を見せた、それもライブの延期が決まり店を締めているはずの所にだ。私もあばら骨から何かしらの援助を受けているのではないかと疑いをかけられ、連行された訳だな」


「そういう事か。そりゃ災難だったね、キャンメルさん」


 そう同情を示すと、キャンメルさんが急にこめかみを叩いて、「い、今の台詞をもう一度!」とせがんできた。


「後にしてください、学長「これでも学長かよ「今の台詞も欲しい!「キャンメル学長!追い出しますよ!──それでだ、そういった事情を持つアーティストと君たちが接触したわけだから、私たちのチームも動かざるを得なかったという訳だよ。理解してくれたか?」


「そりゃまあ…何か、私たちもガーデン・セルを利用しているんじゃないかって疑っているのか?」


「端的に言えばそうなる、いずれ君たちにもSPS検査の件で出頭命令が出されるはずだ」


「なんそれ」


「ソウル・ポジショニング・システムの略語だ、ガーデン・セルの利用者は必ずこのSPSを登録することになっている」


「ええ何それめんどくせえ…」


「疑いは晴らすためにあるんだ、自身が望もうと望むまいと。それから、今の話を君の方から別のメンバーにも通しておいてほしい」


「え…?」


「その方がスムーズだろう?いきなり言われても困惑するだけだ」


「そ、そりゃそうだが…わ、私からじゃないと駄目?」


 アルターさんとキャンメルさんが首を傾げる。


「何かあったのか?」


「いやまあ、実は…」と、情けないが現状のリ・ホープについて説明した。主に私が原因となって空気が悪くなっている事について。

 一通り聞き終えた二人も「う〜ん」と唸った。


「君の怒りは正当に感じられるが…」


「フォローはしたのかね?」


「フォローって?」


 キャンメルさんが真面目な顔をして言う。やはり教育者と言うべきか、威厳を感じた。


「喧嘩することが悪ではないよ、それだけ君たちがリ・ホープを大事にしているという事だ。ただ、喧嘩をすれば当たり前だが空気は悪くなる、そこで君が何もせず傍観している事は悪だと言えよう」


「それは分かってるんだけど…」


「フォローの仕方が分からない?そりゃ当然だ、何せ大人である私たちですら分からない問題だ」


「なんだそれ」


「だからこそだよ、正解が無い問題だからこそ真面目にやる、一生懸命挑戦する、その過程が君の糧になる。学び舎では教え切れない所だ」


「……」


 自分が間違った事をしたとは思っていない。サっちゃんだけソロ曲が無いのは不愉快だし、まるでサっちゃんだけ爪弾きにされているように感じた。

 でもだ、その本人が「迷惑だ」と私に向かって言ったんだ、もうあの時はどうすれば良いのか分からず、プリドに八つ当たりをしてしまった。

 それがいけなかったのか、ヨーコにも嫌な思いをさせてしまった。


(まずはプリドからかな…あいつも口を聞いてないし…)


 あるじゃん、自分にも間違っていた事が。

 自問自答している間、口を閉ざしていたアルターさんが私に訊ねてきた。


「君は何故ディーヴァを目指すんだ?」


「何故って…」


 どうしてそんな事を訊くのだろう、歌唱候補生がディーヴァを目指すのは当たり前の事なのに。

 質問に答えられない私にアルターさんが畳み掛けてくる。


「歌が上手いから?皆んなが目指しているから?だから君もディーヴァを目指している?」


「ちょ、ちょっと待って、その言い方だとまるでディーヴァを目指すのが悪いみたいに聞こえるんだけど」


「自分なりの動機を持ってほしい、私のようにならない為にもね。何故、ディーヴァを目指すのか、ディーヴァではないと駄目なのか、この問いは自分にしか答えられないよ。──君に発破をかけてあげよう」


「葉っぱ?」


 聞き慣れない単語に私は葉っぱが生い茂る木を連想した。けれど、違ったようだ。


「あばら骨が投稿しているミュージックビデオの中で、最も多い再生回数は五〇〇〇万回に上る。それからチャネルの登録者数は二〇〇万人以上だ。君たちはこれを超えないといけない」


「……」


「そうでなければディーヴァにはなれない、だから君が持つ動機を訊ねたんだ。これは並大抵の事ではないよ」


 精一杯の意気地を集めて反論する。


「い、いやでも、そいつが私たちと同じ時期にオーディションを受けるわけじゃ…」


「ディーヴァを退役した歌姫が持つ再生回数を超えられずに合格すると?君はまぐれを期待してディーヴァを目指しているのか?」


「……」


 アルターさんの直球な物言いに、視線を落としてしまった。デスクの上に置かれたアルターさんの両手に視線を注ぐ。「話が長くなってしまったが」と前置きを口にしてから、続きを話した。


「私もね、ディヴァレッサーを目指していた、けれど入隊基準に到達することができなくて教師の道を選んだ」


 ──ああ、そういう事か、アルターさんの質問の意図がようやく分かった。

 私も同じ質問を口にした。


「それは何故?」


「飛びたかったからだよ、パイロットとしての道を諦めたくなかった、だから教師の道を選んでリガメルアカデミーに残った。最初は順調だったさ、教育に悩むことはあっても自分が選んだ道に迷うことなく、今日まで沢山の候補生を見送っていた。けれど…」そこで一旦言葉を区切り、「見せつけられた、ある生徒に、自由に、思うがままに空を飛ぶその姿を見せつけられてしまった。この時初めて、選んだ道を後悔してしまった、私もあの時諦めずにディヴァレッサーを目指していればと、ね」


 下がっていた視線が戻り、アルターさんの瞳を見つめる。葛藤、悩み、後悔、色んな感情がない混ぜになったその瞳から目を離せなかった。


「動機はとても大切だ、何故目指すのか、何故それが良いのか。それがはっきりとしている人間は強い、迷わない、多少の苦労があっても平気な顔をして乗り越えていく。──さて、あとは君が考える番だ、ビスヘム・グレンダ」


「ああ、そうだな、アルターさんの言う通りだよ」


「余計な世話だったと思うが、これでも元は教師でね、昔の血が騒いだんだよ」


「だったら今すぐアカデミーに戻ったらどうなんだ、君の穴を埋めるのに大変な思いをしたんだぞ」


「だから今日こうして学長も誘ったんですよ」


「いや全然足りん、もっとリ・ホープのメンバーに会わせろ」


 どうやら話はこれで終わりらしい、二人が冗談を言い合いながらソファから立ち上がった。

 興味本意で私は名前を訊ねてみた。


「なあ、そのパイロットって誰なんだ?アルターさん、というか現役の教師すら惑わせる奴ってちょっと興味ある」


 アルターさんが答えてくれた、悔しいような誇らしいような、変な顔をして。


「イーオン・ユリア・メリアだ。あの子ほどの腕を持つパイロットはそうそういない」


(そんな奴もいるのか……ん?メリアって確か──)


 何かを思い出しかけた時、キャンメルさんが見た事がない物体を手にしながら「き、記念に一枚良いだろうか?!」と食い気味で迫ってきた。


「それなに?」


「こ、これはカメラだ!」


「目で撮ればいいじゃん、なんでそんな物で撮るの?」


「視覚デバイスからプリントアウトした写真はどうしても画像が乱れてしまうからだ!」


「へ〜変なの。というか、今まで私のこと撮ってなかったのか?」


「そんな失礼な真似はしない!盗み撮った写真なんぞに価値はない!」


 いやその、わざわざプリントアウトする意味が良く分かってないんだけど...

 アルターさんが「そういう趣味なんだ、付き合ってやってくれ」と助け舟を出して来たので潔く乗ることにした。


「ならアルターさんも一緒に撮ろうぜ!」


「誰がシャッターを切るんだ!「こうすりゃいいだろ!「──?!?!」


 キャンメルさんから変な物体を引ったくり、二人をぐぐぐと引き寄せて体を密着させ、変な物体の中央にあるレンズを私たちに向けさせた。


「これでどうすんの?」

 

 妙な感じに顔を赤くしたキャンメルさんが「そ、そのボタンを押してくれ!早く!」と言ったので、言われた通りにボタンを押した。

 パシャリ!と一部分が発光した。


「そんなに嫌がらなくても」


 キャンメルさんとアルターさん(アルターさんも顔が赤いな)がさささと体を離した後、変な物体をキャンメルさんに渡してあげた。


「そ、そういう事ではない!君が急に体をくっ付けるから…」


「ビスヘム、君はまだ未成年であることを自覚した方がいい」


「へいへい。で、どんな感じ?」


 どうやらその物体は撮った写真をその場で確認できるらしい、レンズがある逆の面に小さなモニターがあり、そこに今し方撮った写真が表示されていた。

 私、キャンメルさん、アルターさんの順番に、顔がアップされた状態で映っていた。うんうん、なんか仲良しって感じでとても良い。


「思い付きでやっただけだけど良く撮れてるじゃん」

 

「今日からこれが我が家の家宝だ…」と、重たい事を口にしながらキャンメルさんがふらふらとした足取りで去り、アルターさんが最後にこう言った。


「それじゃあ失礼させてもらうよ、さっきの件、君に頼んだ。それと、次会う時までにディーヴァを目指す理由を考えておいて」


「へいへい」


 大人二人の背中を見送ったあと、その後しばらくソファの背もたれに体を預けていた。

 さて、どう話を切り出そうかな...サっちゃんのメッセージも無視ったままだし...

 観念し、こめかみを叩いてメッセージアプリを起こした。





ビー:話がある、まずはヨーコからだ


(なんで私一人だけ?!絶対ヤなんだけど!)


 スルーだ、スルーしよう。

 絶対セトリの件についてだ、ビーはまだ怒ってるんだ、絶対一人で会うもんか!怖くてしょうがない!


「ヨーコ?」


 一緒に遊んでいたアマンナさんが私の顔をすぐ横から覗き込んでくる。その際、両方の揉み上げにデコレーションした串焼きがぷららんと揺れた、それが何だかアマンナさんらしくて面白かった。


「何でもないですよ!」


「それはそうとさ、そろそろ出かけなくていいの?」と、アマンナさんが壁掛け時計に目配せをした。

 うげ、と小さく呻く、本当だ、バイトの時間だ。


「ええ〜一人で行くんですか〜?アマンナさんも付いて来てくださいよ〜」


「やだよ〜労働とか耳にしただけで嫌気が差すんだも〜ん」


 アマンナさんの肩を掴み、そんなに強くない力で揺さぶる。その度にまた揉み上げの串焼きがぷらんぷらんと揺れた。

 行きたくない、でも、労働しないと食べるご飯がない、ちくしょう!ノラリスの人たちは皆んな優しいけどそこまで面倒を見てくれなかった。


(ビーもサっちゃんもずっとこれをやってたんだよね〜ほんと私って恵まれてたんだな〜…)


 真ん丸のラグの上に広げたデコレーションの瓶を片付けていく、ちくしょう!いつだって楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 私の部屋に来る前は大の大人が必死に追いかけっこをしている姿を目の当たりにし、モンローさんには悪いけど笑ってしまった。とても綺麗なフォームで船内を駆け回る姿は圧巻だった、そして息を切らさないナツメさんは普通に怖かった。

 片付けも終わり、嫌々ながらクローゼットの扉を開ける。クローゼットの中には、前に住んでいた所から持ってきた衣服がズラリと並んでいる。

 なんかもうどうでも良かったのでアカデミー指定のジャージを手に取る。

 ジャージを羽織った私にアマンナさんが一言。


「それってそんなに着心地良いの?」


「雑に扱っても生地が傷まないんですよね、これ。皆んな重宝してますよ、ビーもサっちゃんも…」


「ん?」


「──いえ、何でも!」


 一度だけ、まるで示し合わせたかのように三人が同じジャージを羽織ってきたことがあった。その時はほんとに恥ずかしくて、途中からビーが笑い出し、それに釣られてサっちゃんまでもが笑い出し、そして私も笑ってトレーニングどころではなくなってしまったことがあった。

 そのビーから、私にだけ話があるとメッセージが飛んできた。そのメッセージはまだ未読のままにしてある。

 もう怖くてしょうがない!!


(ヤだな〜なんの話だろ…私だけ?なんで私だけ?セトリの事ならプリドだよね、プリドが決めたんだし…)


 片付けを終え、身支度も整えて部屋を出ようとすると、アマンナさんに声をかけられた。


「で?結局他の子たちと上手くいってるの?」


「……」


「上手くいってないから私に絡んできたんでしょ?」


「分かってるんならいちいちそんな事聞かないでください」


 (揉み上げに串焼きを吊るしてるくせに!)アマンナさんが大人びたことを言う。


「後悔だけはしないようにね」


「ふん!そこまで仲が悪くなったわけじゃありませんから!余計なお世話です!」


「だったらリ・ホープから逃げるな!」


「あ〜!あ〜!聞こえない聞こえな〜い!遊んでくれてありがとうございました〜!」と言ってそのまま逃げる。


「はい、行ってらっしゃい」


 アマンナさんは大人びた笑顔のまま、私を見送ってくれた。毎日見送ってくれないかな。



 いつもこう、昔から同じ目に遭ってばかりだ。

 どんなに仲が良くなっても、もう絶対に壊れない!と信じても、私が手にした居場所は今日まで何度も壊れ、結局一人ぼっちに逆戻りしていた。

 バイトへ行く道すがら、何度も自問する、何が駄目だったのか、何がいけなかったのか、間違いはどこからスタートしていたのか、今の自分は間違っているのか正しいのか誰が間違ったのか皆んなが間違えたのか。

 また、壊れてしまうのか。


(はあ〜あ…ヤだな〜皆んなと会いたくない、どんな顔をすれば良いのか分からない…私が謝ればいいのかな、でも絶対変なこと言ってないし…)


 ナツメさんの話に乗ったのがいけなかった?影のヒーローを応援するんだ!って決めたのがいけなかった?


「ヤだな〜もう…またバラバラになるの…」


 ()()、こうやって皆んながちょっとずつ疎遠になって、次第に誰とも口を聞かなくなって、そして、()()バラバラに散ってしまう。

 見たくない見たくない、他人行儀な顔をして去っていく友達の顔なんて見たくもない。そんな顔を見てしまうと、一緒に作った思い出も否定されているような気になってしまう。

 私って一体何だったの?みたいな。

 ──でも!!


「ん〜〜〜!なんかすごい嫌!──あっ…」


 つい、思考に没頭し過ぎるあまり周囲の確認もせずにシャウトしてしまった、普通に歩道、グループを作っているアカデミーの生徒が変な目を私に向けてきた。見せ物じゃないよ!

 グループを視界からシャットアウトしてメッセージアプリを起動する、メッセージを送る相手はサっちゃんだ(あ!ビーにメッセージ返すの忘れてた!)。

 あの日、ビーはサっちゃんの為にプリドと喧嘩した、ソロ曲がサっちゃんだけ無かったこと、それが一番の原因だと思う。

 だからこそサっちゃんの真意を知らないといけない、ビーが喧嘩してくれたことが本当に嫌だったのか、本当はソロで歌いたいのか。

 そこを知らないと皆んなと話し合いができない!


ヨーコ:バイトが終わったらサっちゃんと話したい!


 勢いに任せてメッセージを送信した、こういう時はうじうじ悩んでも仕方がない!当たって砕けろだ!砕けたら駄目だめ!


(もうバラバラになるのはヤだ!皆んなともっと歌いたい!)


 サっちゃんから返事を待つ、やっぱりメッセージは止めておくべきだったかな、と私の弱虫が泣き言を言い始めるが無視する!だってもう送っちゃったし!

 そうこうしているうちに楽器店に着いてしまった。

 そして!


「…………………」


 メッセージが返ってこなかった!


「…………………」


 ええ〜どうして...別にサっちゃんと喧嘩してるわけでもないのに...無視られた...


「いらっしゃいませ〜……」


 適当なタイミングで挨拶をする、黙って突っ立ってるわけにもいかないのでそれっぽい雰囲気を出しとく。でも、接客する気には毛頭なれない。

 なんかさっきお客さんが来たような気がしたけどそうでもなかったので視線を下げる、考えることはサっちゃんについてだ。

 メッセージを返してくれないことは今まで何度もあったけど、このタイミングでスルーされるのはキツい、せっかく勇気を出して送ったのに。


「あ、あの〜…リ・ホープの子だよね…?」


「……………あ、いらっしゃいませ〜」


「あ、客じゃないんだけど…君たちが出演するライブの日程が変更になったんだよ。それでバイトの子に君がここで働いてるって聞いたから直接伝えようと思って──って、聞いてる?」


「あ、はい……」


「そ、そう…ほんと急で申し訳ないんだけど、ライブは明日に決まったから、他のメンバーにも伝えておいてもらえる?」


「あ、はい……」


「あばら骨さんの要望でね、どうしても明日じゃないと都合がつかなくなったみたいで…応援してるからね、頑張って」


「あ、はい……」


 いらっしゃいませ〜と挨拶しながら頭を下げる。

 頭を上げると、ずっとぼやぼやと何かを話していたお客さんの姿が消えていた。

 はて、何を言っていたのかと今さらになって思い返す。もし商品の予約注文とかだったら私がこなさないといけない業務だ。

 

「──あれ、ライブの日程が何とかって…あれれ?明日とか言ってなかった?」


 それマズくない?この状況でさすがにライブはマズい。

 ご飯を食べ過ぎたお腹のように重たい足を動かし、カウンターを離れてお店を出る。私たちが出演するライブ会場はすぐそこだ。


「うそ…明日って、そんな…」


 ビターが掲げる電子掲示板には、ライブの開催日時がきちんと記されている。

 明日だ。ライブまで既に二四時間を切っていた。





「そりゃ元軍人なのですから、SPSが登録されているのは当たり前でしょう。早くしてもらえますか?この後大事な用事がありますので」


「……」


 確かに、あばら骨、もといエマ・カリネス・ベルテの言う通り、ヴァルヴエンド軍が所有するガーデン・セルのSPS登録情報に偽りは無く、()()()では最後の素体交換は軍の退役前まで遡る。

 これ以上追求してもしらを切られるだけと判断した私は口を閉ざすが、新しい同僚は追撃の手を打った。


「お待ちを、まだ確認したいことがあります。最後の素体交換の際、性別設定は女性型と記録されていますが、今のあなたはどう見ても男性型です。これはどのように説明されますか?正規の手順を踏まずに素体交換されているのではありませんか?」


「まさか」とエマ氏が鼻で笑う、なかなか様になっている笑い方だ。きっと今日まで数多くの人を馬鹿にし続けてきたのだろう。


「退役後に性転換手術を受けたのです。だってほら、生理って面倒臭いでしょう?それが嫌で手術を受ける人だって多いですしね」


「カルテはありますか?」


(無駄だな、これでは追い込めない…)


 そんな物、とっくの昔に作成済みだろう、それが違法か合法かは知らないが。

 エマ氏はまるで予定調和のように「もちろん」と答える。


「ただ、今すぐ用意するのは難しいですよ、何せその病院にありますので。連絡先をお教えしますので良ければそちらで確認を取ってください」


「……」


 同僚も追撃が徒労に終わるだけと悟ったのか、私と同様に口を閉ざした。

 ただ、こういう生徒は多く見てきた。成長の為の努力ではなく、言い訳を上達させるための努力をしてきた生徒たち。そういう生徒たちは決まって自信に溢れているような顔つきをする。

 私は追撃ではなく、搦手(からめて)を使うことにした。


「今の声、よほど気に入っておられるようですね」


「──なんですか?声?」


 エマ氏の人を食ったような表情に亀裂が入る。


「あなたが何度も素体を交換する理由はそれでしょう、声帯だっていつまでも健康な状態を維持できませんから、ましてやあなたのように歌を生業としている人ならなおさら」


「私を侮辱するんですか?」


 案の定の反応だ、言い訳が上手い者は核心を突かれるとすぐムキになる。


「いいえ。こちらとしてはあなたを検挙するだけの証拠はまだ揃っていませんが、嫌疑をかけられるだけの証拠は揃っています。さらに言ってしまえば、あなたはノラリスと関わりがあるリ・ホープと接触を果たしています。疑いを晴らすためにも私たちに協力すべきかと」


「はあ?私が?ノラリス?あなた何を言っているの?」


「疑いというものは自身が望もうと望むまいと晴らすためにあるのですよ。リ・ホープのメンバーは私たちの協力に快く承諾してくれましたが…」


 エマ氏は私の話のどの部分に反応したのか、顔色をすぐに戻して「そういう事ね」と一人で何かを納得していた。


「あなたのせいだったのね、リ・ホープがギスギスしているの」


「──なんですか?ギスギス?」


 今度のこっちが聞き返す番になった。リ・ホープがギスギス?


「そうですよ、ライブの直前だというのにグループ仲が最悪みたいでね、だからライブの開催日を明日に変更したのよ」


「それは何故?」


「気に入らないからに決まっているでしょう。私はね、ディーヴァを目指す奴らは誰だって気に入らない、あの世界に入られる前に私の手で心を折ってあげるのよ」


(はあ〜とんだゲス野郎もいたもんだ…)


 同僚も苦虫を噛まされ無理やり飲まされたような顔をしている。


「まあ、私が本気を出すまでもなくどのみちあの子たちは終わりだったろうけどね、あなたたちからそんな疑いをかけられた程度で不仲になるんですもの。でもまあいいわ、二度とステージに立てないぐらい恥をかかせてあげる。──有益な情報をありがとうございました、アルターさん、それでは失礼しますね」


 下層の警察署内、その取調室から退去するエマ氏を見送った後、私はデスクに突っ伏した。その時、用意しただけで手つかずだったカップから少しだけコーヒーが溢れた。


「私はこの間まで生徒を相手にしていたんだぞ…なんで新任の調査官がこんな警察の真似事なんか…」


 隣に座る新しい同僚、カズサが「でもなかなか様になってましたよ」と言う。確か、私より歳下のはずだ。


「そういう君こそ──」体を戻して、「よくあそこで食らいついたな、絶対はぐらかされると分かっていただろうに」


「いやなんかムカついて」


「それは分かる」


「リ・ホープ、大丈夫なんですかね、明日ライブがあるってあの人言ってましたけど…」


「リ・ホープを知っているのか?」


 中性的な顔つきをしているカズサが「いやあ…」と照れ始め、「実はファンでして…」と恥ずかしそうに言った。


「この間のゲリラライブの時に初めて知りまして、それから動画とか見るようになっていつの間にか、ってやつです」


「ちなみに誰が一番好きなんだ?私はグレンダだ」裸も見たし。


「私はサーフィヤって子が好きですね、清楚で地味な感じがするのにあんな所で堂々とライブしてて、なんか格好良いなって」


「へえ〜」と、カズサと談笑しつつ強張った体を解していると連絡が入った。相手は上司に位置するグレオ星管士からだ。


「アルターさん、カズサさん、こちらでエマ・カリネス・ベルテのカルテが保管されている病院を特定しました。至急、カルテの回収に向かってください、本人から連絡を受けて何かしらの改竄が行なわれるかもしれません」


 談笑する暇すら与えられないらしい。

 私は簡潔に返事をし、椅子から立ち上がった。


「行こうか」


「はい…」


 エマ氏の考えは見当違いも甚だしいが、確かに今のリ・ホープの状況はグレンダの話を聞く限り良くはない。その情報を一体どこから仕入れてきたのか...

 

(──それだけファンが多いという事か…)


 急な予定が入らない限り、私も明日のライブに行くことができる。明日のライブがどうなってしまうのか、私もリ・ホープを案じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ