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Cell.12 スキンシップの取り方




 交感神経(こうかんしんけい)【名詞】

 高等脊椎動物の交感神経系を構成する神経。

 心拍数上昇、瞳孔の拡大などに作用し、副交感神経と共に自律神経を担う。緊張する時に働く神経みたいな。

 えっちな妄想をする時にも作用する神経系である。




 リトル・ファーザーの依頼を受けて(あるいは口車に乗せられて)ファーストを守ってから数日が経過し、その間僕とイーオンは部屋に閉じ込められていた。何で?

 ギーリか、あるいはテクニカが怒り狂った隊長に進言してくれたのか、初日はそれぞれの自室に軟禁されていたのに、二日目から僕もイーオンの部屋で過ごすようになった。

 いくら二人とはいえ、一日中部屋に閉じ込められていたらやる事がなくなってしまう。

 昔話、アカデミーでの思い出話、それからお互いに好きな動画やアニメ、映画の話、果てはミトコンドリアを退役した後の話、もう沢山した。

 イーオンと時間を気にすることなくお喋りするのは楽しいけれど、さすがに飽きてくる、楽しいけどね?それは向こうも同じなのか、会話が途切れるとごろんとベッドの上で横になる。

 僕もイーオンのベッドにお邪魔して横になる、イーオンが僕のお腹に手を回して引き寄せて、そして僕は人の体温を感じながら微睡む。

 これが堪らなく気持ちが良い。

 一度、食事の差し入れにやって来たテクニカに二人でベッドインしているところを見られたことがあった。それからというもの、食事の差し入れ時に変な正方形の袋も持ってくるようになった。

 興味本意でその袋を開け、中から妙にヌメヌメした細長いゴムを取り出したことがある。イーオンと「何に使うんだろうね、これ」と話し合い、口に当てて空気を入れたり、水を入れて膨らませたりした。

 後日、テクニカがその袋を持ってくる度にイーオンが顔を赤くしながらゴミ箱へ捨てるようになった。ははあ、あれはきっと調べたな?あとで僕も調べてみよう。

 僕も顔を赤く染める羽目になってしまった。あの変なゴムは(男性)が使う物だった。

 まだそういう仲じゃないから!





「どうだった?」


 クルルたちに食事の差し入れをしてきたテクニカがブリッジに戻って来た。


「ついにコンドームをその場で返すようになった「そんな事誰も訊いてないから。元気だったかどうかって訊いてるの!」


 以前、私にも渡してきた正方形の袋を持ちながらテクニカが首を傾げ、「閉じ込めてあげたのにムラムラしないなんておかしい」とおかしい発言をした。

 ギーリに目配せをする、私では手に余る。

 私の目配せを理解し、こくんと頷いたギーリがあろうことか、「サイズが合わないんじゃない?」と悪ノリしだした。


「あ!そういう事か!いや〜悪いことしちゃったな〜」


「自分サイズの物を渡したら駄目だよ、クルルが自信失くすって」


「いやその、ほんとどうでも良いんだけど、ゴムって伸び縮みするのにサイズってあるの?」


 使ったことが無いので、こんどーむとやらの事情についてはよく分からない。ギーリが注意するどころかテクニカの話に乗ってしまったので、オブリ・ガーデンに関するミーティングは一旦置いておくことにした。

 私の質問にテクニカが「あるよ」と答えた。


「SからXLまである。勿論私は〜…XL!!」


「デカっ!……え、ちなみにギーリはどのサイズを使うの?」


「ん〜…SかMかな。平均よりちょい下ぐらい」


「ふ〜ん。なんかギーリの方が良さそう」


「でも慣れてくるとティーキィーの方が良くなってくるよ」


「ほんとどうでもいい情報」


「もしサランが使うなら私と同じサイズになるだろうね」


「え?どうしてそうなるの?」


「聞きたい?私の自論。人のステータスは二つまでってやつ」


「え、まあ…物は試しに聞いてあげてもいいけど…」


「私のように体格と頭が恵まれている人はナニが小さくなる。逆にティーキィーのように体格とナニが恵まれていると頭が悪くなる「いや照れる〜」


「褒めてる要素が一体どこに…まあ、確かに私も体格は恵まれている方だし、頭だって悪くはないって自覚はあるし…だから小さいってこと?」


「そうそう」


「それなら、クルルは大きくなるはずじゃない?頭は良くて、けれど体格は小さい、なら…」


「……」

「……」


 ギーリとテクニカが互いに見つめ合い、次の瞬間、「XXLか!!」と叫んだ。


「ガチか!ちょー見たくなってきた!「やめて「イーオン、大丈夫なの…?いきなりそんなサイズを「ほんとやめて、イーオンはそんな事しない「サランは見たくないの?!XXL!私のサイズで月ならクルルのサイズは火星までひとっ飛びだよ!「確かにテクニカは頭が悪い「でしょ?」


 馬鹿げた話もここまで、ちょうど良い休憩になった(後でイーオンに変な事していないか問い詰めよう!!)。

 湾曲モニターに表示させていた世界地図を見やりながら、まずは航路の選定から再審議を行なった。

 航路は二つ。大西洋に出て南下するルート、それからカリブ海を経由して南下するルートである。

 カリブ海は北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の間に位置し、この海には数多くの島がある。北はアメリカ、南はブラジル、そしてメキシコと三方に囲われた海なのでとにかく利権争いが絶えない、らしい。

 プログラム・ファーザーには大西洋経由のルートを勧められたが、あそこにはまだ大勢の部隊が残っている。とてもではないがそんな空を行く気にはなれず、かと言って残っているルートが大昔の海賊時代のように常に争いが絶えないカリブ海しかない。

 さっきまでこんどーむの話で盛り上がっていたテクニカが、「メキシコって、昔の国だよね?」と最もな疑問を口にした。


「ファーザー曰く、メキシコ領に人が住んでるんだって。ファーストにもオブリ・ガーデンにも馴染めない人たちが組織した国家がある、って話だけど…」


「そんな話、アカデミーで聞いたことなかったけど…」


「まあ、つまりファーストとオブリ・ガーデン、それからメキシコでカリブ海の海産物を奪い合っているらしいから、どのみち警戒は必要みたい」


「ん〜…どこを進んでも危険はある、ってことか…」


「そうなるわね…謹慎処分が解けてからクルルにも訊ねてみましょう」


 またしても保留、こればっかりは天才船長の意向を聞かないと決定できない。

 次に、オブリ・ガーデンの内情について話し合う。


「少佐から貰った情報では、オブリ・ガーデンは主に三つの特約区に分かれているみたい」


「とくやくくって何?」


「今から説明するね。一つ目が経済推進地域、二つ目が自然保護特化区、三つ目が宗教保護区。この三つの特約区はそれぞれ別に定められた法律があって、それぞれの区はその法律に従い、そして互いに不可侵、みたい」


「それって三権分立とは違うの?」


 私とギーリが同時にテクニカを見た。本人は「ん?」と首を傾げている。たまに頭が良いのでこっちは戸惑うばかりだ。


「えっと…三権分立とは違う、みたい。その法律が区法と呼ばれるもので、互いが互いに邪魔をするな、っていう決まりみたいだから」


「なんでそんな事になってるんだろうね」


「それを私たちが調査しに行くの」


「経済地域には経済地域の法律があって、宗教保護区には宗教保護区の法律がある、そして互いに不可侵である。──これさあ、私たちみたいな外からやって来た人にも当てはまるのかな」


「何か心配?」


「例えば、私たちが三手に分かれて調査するとするじゃん?そうなると、私たちはそれぞれの区の法律に従うことになるじゃん。もし、オブリ・ガーデンを離れる時にその法律が邪魔になったとしたら、結構ややこしい事になりそうだなって思って」


「あ〜…」

「あ〜…それはあるかも」


「経済地域ならいつでも出国できるけど、自然保護特化区は出国するまで厳しい審査があるとか…だったら面倒臭いでしょ」


「確かに。なら私はギーリで決定かな、出国するまで会えないとか絶対浮気する」

「なら私はイーオンで決まりね、変なコトしないように見張っておかないと…イシュウのこともあるし!」


「いやこのメンバー重い人が多いな…そうなるとクルルは一人?あの子絶対拗ねるよ」


「ん〜…それは困る…」


「──いや、メンバー決めは今はどうでもいいの。とにかく、オブリ・ガーデンは三つの区に分かれていることは覚えておいて」


「おっけ〜もう忘れそう〜」

「三権分立はどこから出てきた?」

「精巣」

「XLは伊達じゃないってか」


「ああ!先が思いやられる!」



 何も私の一存で二人を謹慎に処したわけではない。先の一件で二人が隊長である私の決定に従わず、プログラム・ファーザーの指示を受諾して戦闘空域に飛び出したのが原因だ。

 あくまで結果論である、二人の決定がファーストを守り、被害を最小限に抑えられたのは結果論。最悪、私たちは異郷の空で死んでいたかもしれない。

 勿論少佐にも報告した、というよりせざるを得なかった。議会とファーストからヴァルヴエンドへ「ミトコンドリアのお陰で助かったよ!」と報告が入ってしまい、「どういう事だ?」と問い詰められた次第である。その結果、命令違反を犯した二人に謹慎処分が下されたわけである。

 ま、そんな事よりもだ、今は様子を見に来た二人だ。

 扉の向こうから二人の声が届いてくる。


(なんか…喧嘩してるっぽい!!)


 さっさと扉を開けて突入すれば良いものを、私は聞き耳を立てて中の様子を窺った。


「だから!わざとじゃないって!信じてよ!」

「でも、いきなり…」

「い、イーオンだって僕を引き寄せたでしょ?だからも僕もそうしようってしただけで…気付かなかったんだって!」

「気付かないものなの?あんな…あんなに固くなってたのに?」

「せ、生理現象だから仕方がないよ!」

「ごめん、私そういうのに慣れてなくて…びっくりして…クルルに悪気は無いって分かっててもまだ怖いっていうか…」


「……」


 話から察するにクルルがイーオンに対して粗相をやらかしたっぽい。

 何だろうこの気持ち、大事な隊員同士の喧嘩なのに...本来であれば気に病むことなのに...なんかすごい楽しい!もっと喧嘩しろ!二人は仲が良すぎるのよ!

 駄目だめ、このままでは私の人間性が地の底まで落ちてしまう。

 扉に引っ付けていた耳を剥がして立ち上がり、さっさと中に突入した。

 平然を装い、「何かあったの?」と二人に訊ねた。


「あ!」

「サラン!」


「っ!」


 私の入室に、まずクルルが股間をクッションで押さえたまま座り込み、イーオンが私に向かって駆け出していた。

 イーオンが私の腕を強く掴みながら背中に回り、ぴたりと体をくっ付けてきた、よほどクルルのことが怖かったらしい。

 背中に伝わるイーオンの体温。

 涙ぐむクルルは悲しそうに悔しそうに、私とイーオンを見上げている(股間にクッションをあてがったまま)。

 平然を装い、もう一度「何があったの?」とクルルに訊ねた。


「み、見て、わ、分からない?そ、そういうコトがあって…イーオンを怖がらせてしまって…」


「──そうなの?」


 肩甲骨あたりに頬を当てているイーオンへ振り返る、生憎とつむじしか見えない。そのイーオンが「だいたい合ってる…」と答えた。


「クルルと一緒にいるのが嫌なら私の部屋に来る?」


「そうする…」


「ま、待って!待ってよ!誤解だって!お願いだから一緒にいてよ!」


「でも、イーオンはまだクルルのこと怖がってるよ?ここは一旦距離を置いた方がいいと思う」


「そんな!今さら一人で謹慎なんて…お願い!僕を置いていかないで!一人は嫌だ!」


 あ〜〜〜何これすごい気持ち良い...あのクルルが縋り、縋られたイーオンは私に引っ付いている。

 この伝わる体温が何より優越、そして愉悦。


「大丈夫、ギーリかテクニカをクルルに付けてあげる」


「やだ!それは絶対やだ!だったら一人でいい!ナニされるか分かったものじゃない!」


「クルルだって私にナニかしようとしたくせに…」


「だから違うって!」


「嘘!ちょっとお尻にグリグリさせてたじゃん!」


「〜〜〜!〜〜〜!」


 お?まさかの確信犯?クルルが顔を臨界点まで赤くしてその場で丸まってしまった。可愛い顔をして、そういうコトにはやっぱり興味があるらしい。

 

「そのくせわざとじゃないとか生理現象とか嘘ばっかり!だから怖いの!──もういいよ!行こうサラン!部屋まで連れてって!」


「わ、分かったから引っ張らないで!」


 あ〜〜〜!もう地の底に落ちてもいい!もっと喧嘩しろ!そしてもっと私に引っ付くが良い!

 イーオンが私の部屋に入った途端、中からロックをかけられた。あれ?


「ちょっと!私が入れないよ!ここ私の部屋なのに!」


「謹慎でしょ!サランが一緒だったら意味ないよ!それにサランとずっと一緒ってそれも無理だから!」


「何ですって?!?!」


 イーオンはイーオンらしい。クルルからイーオンを奪って浮かれていた気持ちが地の底まで落ちてしまった。



「オブリ・ガーデンから入塔の許可が下りた、ファーストの時のような問題は起こらないだろう、ただ──サラン隊長?聞いているかね?」


「──あ、はい!」


「オブリ・ガーデンはファーストほど外の人間を招いているわけではない、入塔に関する規律も曖昧な部分があり──」駄目だ、コンキリオ少佐の話が頭に上手く入ってこない。

 あれから私はイーオンに閉め出されてしまい、自分の部屋に入れないでいた。お陰でシャワーやら自分の身支度やら、思うように取れない。

 まあ、それは良い、共用のレストルームを使用すればいいだけの話だ。

 それよりも、少佐の話を頭から追いやっているのはギーリの自論だ、こいつのせいで思考を奪われていた。

 『もし、イーオンがこんどーむを使うのならどのサイズになるのだろう?』

 この馬鹿げた疑問が先程から頭の中を支配し続けていた。

 イーオンの体格は決して恵まれている方ではない、と思う。なら、この時点で頭が良かろうが悪かろうが、ナニはLサイズを超えることになる。ほんとに自分でも馬鹿だと思う、こんな事を真面目に考えているなんて。

 もし、イーオンがLサイズのこんどーむを持って私の所に来たら...クルルがやったみたいにイーオンが私のお尻にグリグリしてきたら...私はどうするのだろう?

 そんな妄想ばかりしてしまい、その妄想の甘い蜜にやられてしまい、コンキリオ少佐と通信中だというのに集中できないでいた。


「──サラン隊長!聞いているのか!」


「──はい!聞いてま──す!」


 いやいや、あのイーオンだよ?私の所に来る?来たとしても、「他に行くあてがなかったから」とか言い出しそう、でも私はそんなイーオンでも相手にしてしまいそう。なにそれ。悔しい!私が待っていたみたいじゃない!都合の良い人みたいな!


「──もういい、ミーティングは中止だ、後日に改める」


「──あ、はい!聞いてます!」


「もういいと言っている!通信以上!」


 ようやく妄想に集中できる、なんか怒ってたけど別にいいでしょ。

 イーオンがクルルから離れて私に引っ付いてきた時は最高だった、あの体温、あの柔らかさ、堪らなく愛おしい。

 そしてそのイーオンが私の部屋にいる、一人で、いつでも二人っきりになれる状況なのに部屋に入らせてもらえない!私の部屋なのに!

 あれ?もし私がギーリやテクニカたちみたいにこんどーむを使う側だったら...


(あ、良かった、絶対狂ってた、間違いなくイーオンに狂ってたわ)


 頭が瞬間冷却した途端、コンキリオ少佐の怒鳴り声が脳裏に浮かぶが後の祭りだ。そして、プライベートルームのラウンドテーブルに私以外の人が座っていたことに今気付いた。


「──わ!びっくりした…」


「……」


 クルルだ。さっきの顔色と打って変わって青ざめた煩悩船長が斜向かいの席に座っていた。


「大丈夫?」


「もうあんな事二度としない…イーオンのあの目付き、夢に出てきそう…」


「何があったの?本当にクルルから粗相を働いたの?」


「それが…」


 たださえ小さいのに一回り小さくなったクルルがぽつり、ぽつりと語り始めた。

 聞けば何でもイーオンの方からスキンシップを取ってきたらしい。


「最初は体を引き寄せてくるぐらいだったんだけど…そのうちに服の下にも手を入れるようになってきて…それで、何と言うか…もっとしたいなって思っちゃって…」


「まあ〜そう思うのは…無理もないかな〜」


 不思議なのは、クルルがスキンシップの取り方を分かっていないことだった。この子は誰にも物怖じしないし、他人を選別したりしない、てっきり人付き合いに長けているものとばかり思っていたけど、どうやら私の思い違いのようだ。

 しゅんとしているクルルに教えてあげた。


「スキンシップを取る目的の違いじゃないかな、イーオンが戸惑ったのは」


「どういう事…?」


「イーオンは安心、クルルは気持ち良さ、その違いってこと。その認識の擦り合わせをすっ飛ばしたのが原因だと私は思う」


「え、でもイーオンだって何も言ってこなかったよ?」


「クルルだって何も言わずにしようとしたんでしょ?そこで認識の違いが分かってイーオンも慌てたんだと思う。あの子だって別に大人ってわけでもないし、もしかしたらクルルが初めてだったかもしれないし」


「あ〜…僕も初めてだったから…」


(やっぱりそうなのか…)


「その、やっぱり変、かな?黙ってそういうコトしようとするの…僕はてっきり良いのかなって思って、直接聞くのって何だか恥ずかしかったし…」


「人によるかな」


「そうなの?相手が良かったら黙ったままでもいいの?」


「う〜ん…ギーリならナシよりのアリ、テクニカは駄目、イーオンはアリ」


「ふ、ふ〜ん…」


 自分の評価が気になるのだろう、私の方から言ってあげることにした。


「クルルはアリ」


「え、そうなの?どうして?どっちかと言うと僕もテクニカ寄りだと思ってたんだけど…」


「だって歳下だし、まあ良いかなって思っちゃう」


「あ、そういう理由…」


「私も聞いていい?クルルってもっと人付き合いが上手いと思ってた、こういう無言の承諾もきちんと見極められるんだろうなって」


「僕が?」とクルルが自分のことを指差し、「そんな事ない」ときっぱりと否定した。


「僕はアカデミーに入学した時から勉学にしか興味がなかったから、人付き合いなんてむしろ誰がするかって思ってたよ」


「へえ〜」


 珍しい、クルルが自分の話をするだなんて。

 これは逃してなるものか!と思い、テーブルのタッチパネルを操作してハーブティーを用意する。茶葉の種類はオレンジブロッサムだ、抗うつと不安を和らげてくれる作用がある、今のクルルにぴったりだと判断した。


「途中まで独りでも平気だと思ったんだけど、だんだんと人の目が気になるようになってきて、そういう自分がとても嫌で、だったらこっちから話しかけちゃえって。誰とでも話せるようになったけど距離感が苦手、今でも良く分かんない、機械を相手にしてる方がまだ良いよ」


 テーブルに内蔵されたヒーターが作動し、微かな駆動音が伝わる。それから爽やかな果物の香りが立つ。私はあまり好みではないが柑橘系の香りだ。


「よく話しかけられるようになったね、普通だったらそのまま人との距離を空けちゃうようになると思うけど」


「何となくっていう状態がすごく嫌で、人付き合いを遠ざけてきたけど好きか嫌いか自分でもよく分かってなかったから」


 抽出が終わり、テーブルの中からぱかりと二つのティーカップが出てきた。その一つをクルルに渡し、残りの一つを手に取って口に含んでみる。


「……」


 うん、味は普通だ、普通のハーブティーである。

 このハーブティーは船内で排出された廃棄物を原材料にして作られている、だから飲むのが少しだけ怖かった。

 正直に言って、このバイオマスハーブティーの方がコストがかかっている。船内で回収された廃棄物を分解、洗浄、それぞれの食料原材料と配合、その後に検査工程を経てようやく私たちの元に帰ってくる(こういう言い方はちょっと嫌だが)。

 維持コストを度外視してでも採用されたのには理由がある、船内で排出される廃棄物の量を少しでも減らすためだ。

 人間は生きているだけでゴミを出す、バイオマスとして再利用しないと船内がゴミで埋め尽くされてしまう、旅をしながら地球の空にゴミをばら撒くわけにもいかない。

 クルルは気にした様子を見せず、何度かティーカップに口を付けている。きっと味より話す内容に気が取られているのだろう。しめしめ、である。


「結局のところ、僕は自分のことしか気にしてないんだよね、独りぼっちの自分が恥ずかしい、だから人に話しかける、けれどそこに学びはない、だから失敗する」


「それが自主退学した理由?無理に人付き合いを続けながら勉学に励むよりも、思い切ってミトコンドリアへ行っちゃえ!みたいな」


「……」


「……」


「……」


 あれ、会話が途切れた、明らかにクルルは私の質問を濁している、お茶だけに。

 探られたくない腹があるのだろう、私もそうだ、ハーブティーを半分ほど飲むまで無言で過ごした後、オブリ・ガーデンのルートについて訊ねた。

 

「──二つあるんだね、大西洋かカリブ海か…少佐は何て?」


「私たちに任せるって。どっちも危険があるから、クルルの意見を訊かないことには決められないって一旦保留になってる。クルルはどっちを選ぶ?」


 先にハーブティーを飲み干したクルルが「ごちそうさまでした」と言い、即決に近い形で「大西洋ルート」と答えた。


「どうして?まだファーストを襲った部隊が残ってるのに?」


「だからだよ。ファーストを襲った部隊は食料や物資が目当て、僕たちを襲ったところで何の旨みもないしそれは向こうも承知のはずだよ。わざわざ危険を冒してまで僕たちを攻撃する理由が無い」


 すっかり調子を取り戻したようだ、煩悩船長の顔が消え、いつもの天才船長の表情が出ている。


「分かった、そのルートで検討してみる」


「カリブ海も行ってみたい気はするけど…オブリ・ガーデンの帰りでも良いんじゃない?ファーストとオブリ・ガーデン、二つの国と友好な関係を築いてからの方が安全に海を渡れそう」


「──それは確かにそうね。ありがとう、参考になったわ」


 メキシコが何かして来てもファーストとオブリ・ガーデンが何とかしてくれそう、クルルはその事を言っているのだ。

 ハーブティーを飲み終え、クルルのちょっとした秘密を知れたところで強烈な違和感が。何故クルルは外に出ているの?謹慎処分中なんだけど。


「ねえクルル、何で外に出てるの?」


「今頃なの?──少佐がね、様子がおかしい隊長の下で謹慎していても意味が無いって解除してくれたよ。それに既に始末書は僕もイーオンも提出してるしね」


「…………」


「ずっと上の空だったから様子を見てやれって言われちゃったよ。サランこそ大丈夫なの?」


「だ、大丈夫です…」


「だったら良いけど…」


 んんん?ここでまた強烈な違和感が。

 その違和感を確かめるより先に、クルルがそっと私の手を握ってきた。


「その、相談に乗ってくれてありがとう、お陰で気が楽になったよ」


 びっくりしたけどクルルなりの誠意のようだ。私もクルルの手を握り、力を込めてあげた。


「どういたしまして。人間関係の悩みは誰もが通る道だから、むしろ今悩んで良かったと私は思う。そうでなくちゃテクニカみたいに頭のネジが飛んじゃって、将来絶対苦労するようになるからね」


 クルルが「説得力がすごい」と微笑んだ。



 いやいや、イーオンは?私の部屋で何してるの?少佐から謹慎処分が解かれたんだよね?始末書もクルルと一緒に提出してるんでしょ?どうして私の部屋から出てこないの?

 さっき感じた強烈な違和感の正体だ、クルルは部屋から出て来たのにイーオンだけ出て来ない。

 私と一緒にお茶したクルルは部屋に戻り、ギーリとテクニカが自室にいるのかは分からない、大方違う所でよろしくやっているのだろう、そういう話をしてたし。

 さて、どうしようかと自分の部屋の前で腕組みをする。このまま突入するか、それとも一声かけるか。

 何故声をかける?まさかあのイーオンが私の部屋で()()()()()とでも言うのか。

 それは無いなと妄想を否定する、どうやら今日の私は先日の極度の緊張もあってか、性的な発情を迎えているようだ。

 だから皆んなもそういうモードになっているのだ、生命体は危機を直前にすると子孫を残そうと本能が働き、サーカディアンリズムに反して発情期を迎える。きっとそう。

 自室のロックは既にブリッジで解除済みである、いつでも突入できる。というか突入した。


「イーオン、いい加減自分の部屋に戻っ──」


「〜〜〜!〜〜〜!」


 さっきのクルルだ、さっきのクルルのように顔を真っ赤に染め上げたイーオンがベッドの上で固まっていた、シーツで自分の体を隠すように。


「何してるの?というか、何かしてたの?」


「べ、別に、何でもない」


「何でもないなら自分の部屋に戻って、いい加減自分の部屋で休みたいの」


「あ、後にして、今はちょっと、無理…」


「どうして?何もないんでしょ?」


「いいから!後にして──いや嘘でしょ?!シーツを取らないでよ!」


「ここは私のベッド!なんか変なコトしてたんでしょ!」


「何もしてないって!」と、言うわりには顔から耳まで、挙げ句には首まで真っ赤にしている、よほど恥ずかしいらしい。

 嗜虐心が唆られる。なにこれ。すごく楽しい!


「イーオン、誰にも言わないから正直に言って」


「だから何でもないって!──そうだ!今日は私のベッド使って!部屋を交換しようよ!」


「そんなの無理に決まってるじゃない」


「……」


「私がヘンな気持ちになっちゃうもの」


「〜〜〜!〜〜〜!」


「こ、こら!私の私物を投げるな!壊れたらどうするの!」


「このド変態!信じられない!」


「いやお互い様でしょうが!あんた絶対私のベッドで変なコトしてたでしょ!!」


「してない!!」


「だったらベッドから下りろ!!」


「だから無理!!」


 子供のように駄々をこね、いつまで経ってもベッドから下りようとしないイーオンに痺れを切らし、私の方から問答無用で近付いてやった。逃げ場なんてないのにイーオンが距離を取ろうとする、背後にあるのは壁だけだ、その壁に背中を預けて必死の形相でこちらを睨み付けている。

 ベッドに上がる、イーオンの体が強張るのが伝わってくる、遠慮なくさらに接近する、イーオンが観念したように目元を細めて今にも泣きそうな顔になる。さらに唆られる。シーツに包まったイーオンの体に手を回して引き寄せた。

 汗臭い、濃い匂いがする、さっき飲んだハーブティーの香りなんて一発で消し飛ぶほど。

 私の腕に収まったイーオンは不思議と大人しくしていた、こちらに体を預けているようだ。

 さらに引き寄せる、私の頬にイーオンの耳が当たっている。


「ねえ、正直に言って。してたんでしょ?私のベッドで」


 イーオンが答える。


「しつこい、何もしてない」


 折れない、この子は本当に折れない、私のテリトリーだというのに、私がイニシアティブを握っているというのに。


「こんなに汗臭いのに?」


「自分の臭いじゃないの。サランの方こそ臭い」


「だったら私から離れればいいじゃない」


「……」


「分かった、降参、私がこうしていたいからちょっと大人しくしてて」


「サランがそう言うんだったらいいよ」


「だったら腕ぐらい回しなさいよ」


 イーオンが私の背中に腕を回してきた、それも割と速攻で、回された手に優しく力が込められ、二人の隙間が完全に無くなった。

 いや、シーツが間に挟まっている、ものすごく邪魔、この薄い布が死ぬほど邪魔だった。

 

(意外と胸あるわね、この子…)


 私の胸に確かな弾力が当たっており、それがとてもではないがイーオンの物とは思えなかった。着痩せするタイプなのかな?

 体は火照ったように熱いのに、頭はしんしんと雪が降る冬のように冷えている。自分でも良く分からない、興奮しているのかリラックスしているのか、どっちにしたって心地良いことに変わりはない。

 私とイーオンに挟まっているシーツがなかったらどうなっていたのだろう?このシーツはきっと理性の防波堤だ、だから一線を超えずにいられるのだ。

 そう思うと何だか悔しくて、この子の体に爪痕を残したかったのでお尻に手を伸ばす。イーオンに反応は無い、手で揉んでみる、するとイーオンも私のお尻に手を伸ばしてきた。

 んだそれと思い、お尻から手を離して背中に戻し、今度は優しさもへったくれもない力で思いっきり抓ってやる。


「〜〜〜!!」


 イーオンも私の背中を抓ってきた!痛い!当たり前だが。もうこうなったらお互いに暴力の始まりである、背中、二の腕、お尻、手の届くありとあらゆる範囲に手を伸ばして抓りあげ、それを真似するようにイーオンも私を抓ってきた。


「──痛い痛い痛い!降参、降参!」


「ふん!サランが先だからね!」


 体を離して直近でイーオンを見る、潤んだ瞳が真っ直ぐ私に向けられ、口は拗ねた子供のように窄められている。


「なに?もっと抱き締められたかった?」


「は?何でそうなるの?」


「だって、拗ねた顔をしてるから」


「してないよ。自分の方こそ鏡を見てきなよ、すごく嬉しそうにしてるよ。痛いのが良かった?」


「それはイーオンもそうじゃない、撫でられるより抓った時の方が感じてたでしょ」


「それはサランでしょ」


「サラン、サランって、私ばっかりじゃない」


「〜〜〜!〜〜〜!」


 いや何故そこで照れる?痛くもないパンチを乱打してきた。


「もう分かった!十分に満足しました!だからさっさとシャワーでも浴びてきなさい!あんたも私も汗だくよ!」


「全く…サランが変なコト始めるから…」


「分かった分かった」


 もうどうでも良くなったのか、あれだけ離そうとしなかったシーツをいとも簡単に離し、下着姿のままでレストルームへ向かって行った。いや私の部屋で浴びるのかよ!

 シーツをどかしてベッドを確認する。そこには二人分の汗の染みが残っていた。


(あいた〜あの子これが狙いで…いや、誘ったのは私の方か…)


 イーオンを待っていられなかった私はイーオンの自室へ向かい、レストルームを使わせてもらうことにした。

 結局その日はイーオンと部屋を交換することになった。

 イーオンの部屋でシャワーを浴びて、イーオンのベッドで横になる。不思議とヘンな気持ちにはならなかった。本当だよ?さっき散々体を抓り合ったからだろうか、体が満ち足りていたのかもしれない。

 その日の夜はぐっすりと眠ることができた。

 聞くところによれば、『快感』と『痛み』は紙一重らしい。交感神経と副交感神経のバランスが乱れると、『痛み』として受け取ったはずの神経細胞を『快感』として誤認することがあるんだとか。

 だから何?って話だけど。





ティーキィー:緊急事態発生


ギーリ:何事か


ティーキィー:イーオンからサランの匂いがする


ティーキィー:イーオンってクルルと喧嘩してたんじゃないの?


ティーキィー:当日に他の人と寝る?


ティーキィー:意外とやる、イーオン、みくびってた


ティーキィー:なんか漲ってきた!


ギーリ:止めて、どうせ断られるのがオチ


ギーリ:昨日あれだけしたんだから今日は無理だよ


ティーキィー:太陽圏超えちゃう?


ギーリ:その前にお尻がブラックホールになっちゃう


ティーキィー:え?それってつまり…?


ギーリ:誘ってねえわ!


ティーキィー:じゃあクルル誘う、今傷心中のはずだからワンチャンあると思う


ティーキィー:あると思います!


ギーリ:誘えたら教えて、私も行く


ティーキィー:串刺しにしてやんよ!


ギーリ:そのイキだ!天才船長を落とせ!


ティーキィー:私が刺される方でもいいよ?


ティーキィー:_| ̄|○<アーーー!


コンキリオ少佐:君たちは馬鹿なのか?このやり取りが隠語の羅列であることぐらい私にでも分かる


コンキリオ少佐:プライベートのアドレスならまだしも、隊のアドレスでこのようなやり取りはするな!


ティーキィー:[メッセージを削除しました]


ティーキィー:[メッセージを削除しました]


ギーリ:[メッセージを削除しました]


ギーリ:[メッセージを削除しました]


コンキリオ少佐:今更だわ!


コンキリオ少佐:ギーリ副隊長、サラン隊長に代わって君に指示を出す、時間になったら私に通信を入れるように


(え〜めんどくさ〜まだトイレ中なのに…)


 さっさと用を済ませてブリッジへ向かう。

 いつもより時間をかけて歩き、修理中のコンソールは避けて通信アプリを起動、指示通りコンキリオ少佐に繋げた。

 何故わざわざ映像通信を?その疑問はすぐに解けることとなった。

 モニターに表示された映像にはコンキリオ少佐以外に、他の人物がいた。確か、ウルフラグの弁護士を務める麻布という人が少佐の傍らに立っていた。


「少佐、まさかと思いますが先程のメッセージをその人に見せたりしていませんよね?」


「見せるか馬鹿者。──おほん、こちらは麻布、主に特別個体機を担当している」


 少佐より歳を重ねたように見える弁護士が軽く頭を下げ、社交辞令も謝辞も一切なく本題に入った。まあ、無駄な話をしないのは印象が良い。


「オブリ・ガーデンに配備されている特別個体機の一つ、SU6-D003がこちらの意図しない形で起動してしまいました。あなた方ミトコンドリアにはこの機体の調査もお願いしたいと考えております」


「正確な配備場所、それと有人パイロットの有無を教えてください」


 麻布弁護士が少しだけ虚を突かれたように固まった、私の素早い返答を予期していなかったのだろう。

 こちらを値踏みするような雰囲気が消え、より冷徹さを帯びるようになった弁護士が質問に答えた。


「通称シトリーの配備場所はオブリ・ガーデンの中心都市フェルナンブコ、ですが今から約四〇時間前に起動、その後は自動修復壁近くまで飛行し、以降は消息を絶っています。有人パイロットの登録は今のところ認められておりません」


「オブリ・ガーデンの特別個体機に関する認知度を教えてください」


「経済推進地域のみ、テンペスト・シリンダーと特別個体機に関して認知と知識を持っています。それ以外の区については不透明な所があり、今この場で断言することはできません」


(同じテンペスト・シリンダー内なのに?そこまで差が出るものなの?)


 何それめんどくさそう、下手すりゃ私たちの存在が知識体系の崩壊の引き金となるかもしれない。

 コンキリオ少佐が口を挟む。


「今説明した通り、君たちには当分の間経済推進地域での活動が主になる。ミトコンドリアの受け入れを承諾してくれたのが、一二塔主議会オブリ・ガーデン代表のベアトリスという人物だ、この方は経済推進地域の行政機関に所属している」


「少佐、つまり別の区にも別の行政機関があるという事ですか?」


「ある、という説明は代表から聞いているがその実態についてまでは知らされていない。この実態調査も君たちの任務だ」


 ファーストが一番目の訪問先に選ばれた理由が何となく分かった。あそこは全ての国民がテンペスト・シリンダーについて把握しており、それでいてなお私たちの入塔時に摩擦があった。

 となれば、これから先の訪問はファースト以上の摩擦が起こるだろう。それを予期し、トレーニングの要領でまずはファーストに訪問させたのだ。

 思っていた以上に私たちの任務は困難を極めるようだ。


「了解しました、特別個体機並びに各区の行政機関について調査致します」


「くれぐれも区境(くざかい)を超えないように、超えてしまうと代表でも手出しができなくなるそうだ、つまり一度超えてしまうと帰還が困難になる」


「めんどくさそう…」


「──はい?」

「何か言ったかね?」


「いえ。隊員らと情報共有し、事前ミーティングを行ないます、その詳細については後日報告致します」


「頼んだ。サラン隊長にはいい加減意識を切り替えるようにと伝えておけ、リラクゼーションは確かに必要だが今回は度が過ぎる」


「ならちょうど良い娼婦でもこちらに送ってください」


「通信以上!!」


 私の暴言が意外だったのか、頬を赤らめた少佐が乱暴に通信を切った。

 ふうと溜め息を吐き緊張を解く、そのまま椅子に腰を下ろしてしまいお尻に痛みが走った。


「〜〜〜!」


 今、船内はピンク警報発令中である、以前デンボーを抜けた時も似たような状況になった。

 極度の緊張状態が解かれると、人はリラックスを求めて誰かと体を重ねたくなる。人肌はそれだけ効果が高く、本能的な部分でも他者の温もりを強く求めるのだ。

 まだまだ満足していないティーキィーはクルルに狙いを定めて落としに行っている、そしてそのティーキィーから再びメッセージが入った(勿論プライベートのアドレスに)。


ティーキィー:緊急事態発生


ギーリ:返り討ちにでもあった?


ティーキィー:サランからイーオンの匂いがした!


ティーキィー:どういう事?どうして別々の匂いがするの?二人は一緒だったんじゃないの?


ティーキィー:それと二人とも体のあちこちが赤くなってた!


ティーキィー:???


ギーリ:そういう愛の確かめ方もあるんだよ


ギーリ:快感と痛みは紙一重だからね


ティーキィー:???


ティーキィー:二人がお互いに虐めてたってこと?


ティーキィー:世界は広いな、気持ち良さはデカさに比例しないということか


ギーリ:クルルはどうだった?返り討ち?


ティーキィー:誘ったら中指突き立てられた


ティーキィー:なんか興奮した


ティーキィー:それで満足したからもういい


ティーキィー:今どこにいるの?


ギーリ:いやだから無理だって、椅子に座るのもやっとなのに


ティーキィー:お願い!このままじゃ暴発してラグナカンが沈んじゃう!


ギーリ:どうせ沈めるならラグナカンにお願いして、穴の一つや二つぐらい持ってるでしょ


 その後、ラグナカンの倉庫で下半身を丸出しにしていたティーキィーがクルルに見つかり、今度はティーキィーが自室で謹慎することになった。あいつ何やってんの?



「ギーリっていつもあんなモノを相手にしてるの?」


「そうだよ。ティーキィーのどうだった?」


「鈍器かと思った」


「え…」

「そこまでなの…?」


「あれならバットを持たずにホームランが打てるよ」


「人殺せるレベルだよそれ」

「バットほどの大きさがあるって言いたいのね」


「……」

「……」


「なに?」

「何でじっと見てくるの?」


 場所はブリッジから移動してミーティングルーム、ティーキィーを除いた四人が集まり少佐から伝えられた内容を共有するところだ。

 私とクルルが並んで座り、向かいにはイーオンとサランが並んでいる、それもいつもより距離感が近く、肩がこつこつとぶつかるほどの近さだった。


(こりゃまた残酷な…クルルと喧嘩したその日にって…イーオンって意外と魔性?)


 念の為、クルルにメッセージを送ってあげた。


ギーリ:気にしたら負けだよ


クルル:何が?


 クルルも空気を読んでかメッセージで返事をしてきた。


ギーリ:イーオンとサランだよ


クルル:もしかして僕に気を遣ってるの?


ギーリ:気にしてないの?昨日はイーオンと喧嘩したんでしょ?


クルル:気にしてないよ、イーオンがサランのこと好きなのは知ってたし


ギーリ:トライアングルラブ…


クルル:サランは僕にも優しくしてくれるしね


ギーリ:私の優しさも忘れないでよね


クルル:ありがとう


(ああ!なんかすごいキュンときた!)


ギーリ:今日部屋に行ってもいい?


クルル:何かするの?


ギーリ:ナニかしたい


クルル:鈍器じゃないよね?


ギーリ:ホームランは打てないけどサインなら書けるよ


「クルル?どうかしたの?」


 隣を見ると、クルルがデスクに突っ伏して肩を震わせている、どうやら私の冴えないジョークがウケたらしい。これもう今夜確定じゃね?


(すまんティーキィー!抜け駆けさせてもらうぜ!)


 こうなってくると夜が待ち遠しい、隣にいるクルルが愛おしく見えてくる。性的な意味で。

 ヤバい、私もまだまだ警報発令中らしい、こういう時は本能に従って思うがままにやった方がさっぱりする。

 その前に、まずはミーティングである。

 少佐、それから麻布弁護士から伝えられた指示内容を皆んなと共有し、そして案の定の反応が返ってきた。


「めんどくさ」と言ったのはサランだ。


「それ私も言った、けど向こうは調べさせるつもりだよ。それと、区を超えて移動しないようにって言われた。私の懸念が当たってた」


 イーオンが首を傾げながら「どういう懸念なの?」と訊ねてくる。


「それぞれの区の法律は不可侵でお互いに越権してはならないってこと。つまり、ベアトリスという人がいる経済地域から一歩外に出ると帰ってこられなくなるってこと」


「はあ…それは確かにめんどくさいね」


 クルルがぼそりと、「イーオンの方がめんどくさいけどね」と小言を吐いた。びっくりする私とサラン。


「え?なに?何か言った?」


「別に何でも〜」


(昨日のことめっちゃ根に持ってるやんけ!)


 クルルがまさかそんな事を言うなんて...クルルはお澄まし顔で明後日の方向を向き、イーオンはそんなクルルを不機嫌そうに睨みつけている。やっぱこの二人仲良いな。ちょっと妬ける。


「ま、まあ、とにかくオブリ・ガーデンはそんな感じだから、三手に分かれての調査は今のところ不可能だね。それからイーオン、今回は飛行士としての仕事をしてもらう予定だから」


「──ああ、ファーストみたいに停泊できる場所が無いから?」


「そう、入塔する当日に向こうの人と連携を取ってランデブーポイントの割り出しをしてほしい、そしてその後にラグナカンの誘導。できるよね?」


「任せて」


 イーオンなら余裕だろう、何せデンボーを抜けて、先日は戦場だって飛んでみせたのだから。


「後ろを取られないように気を付けてね〜」と、クルルがまた余計な事を言う。イーオンも負けじと言い返す。


「大丈夫だよ〜後ろを取られたらクルルの時みたいに突き飛ばしてあげるから〜」


「顔を真っ赤にして?」


「股間を押さえてた人がよく言うよ」


「止めなさい二人とも」

「喧嘩なら後にして」


「べぇ〜!」

「ふん!」


「それと、最後にファーストから出塔セレモニーの案内が届いてるよ」


「セレモニー?」


 ミーティングルームの電子ボードにセレモニーの案内を反映させた。前に座る二人がこちらに後頭部を向け、クルルがあろうことかイーオンの頭をポカリと叩いた。


「後ろ取った〜!」


「こんの!」


「止めなさいって!」


 ファーストは先日の件で私たちにお礼をしたいらしく、国を挙げて送り出してくれるらしい、有り難い話である。セレモニーの主催者はシリウスじいが務める。──と、いう話をしたいのだけど、子供二人はまだ喧嘩を続けていた。


「いい加減にしないとまた部屋に閉じ込めるよ?」と言っても聞きやしない、デスクの上で幼稚なドッグファイトを繰り広げている。


「ティーキィーの部屋だけどいい?」


「……」

「……」


 即座に席に着く二人。よほどティーキィーの鈍器が怖いらしい。


「──セレモニーの開催は私たちの出塔日に合わせてくれるってさ。それと、サランにライブのオファーが来てるよ、どうする?」


 サランは嬉しそうに「勿論」と快諾した。


「じゃあ、シリウスじいにそう返事しておくね。ミーティングは以上、お疲れ様」


 もうこの時から私もピンクファイトが股間で繰り広げられていたので、クルルに「これから部屋に行ってもいい?」と訊ねた。


「今から?いいけど」


「やったぁ!」


 喜んだのも束の間、先に席を外してミーティングルームから退出しようとしていた二人が「どうかしたの?」と足を止めた。クルルが答える。


「これからギーリと一緒に部屋で過ごすの、ナニかするみたい」


「何それ〜〜〜!!」と怒ってきたのはイーオンだった。目をかっ!と開いてクルルに詰め寄っている。


「昨日は私にあんなコトしておきながら今日はギーリなの?!節操無さすぎだよ!!」


「そういう自分だって昨日はサランと一緒だったんでしょ?!人のこと言えないじゃん!」


「べ、別に!何もしてないもん!」


「嘘!絶対嘘!今まで一番仲良いじゃん二人!」


 サランはそんな二人を遠巻きにしながら、なんか勝ち誇ったような笑みを湛えている。

 耳まで赤く染めたイーオンが、「本当にギーリと一緒でいいの?」と、まるで私が悪者みたいな言い方をした。


「ちょっとイーオン、その言い方は流石にあんまりじゃない?私だってクルルと仲良くなりたいのに」


「串刺しにされるかもしれないよ」


「?!?!」


「どういう事?串刺しってなに?」


「少佐から見張っておけってメッセージが──?!?!」


 よく動いてくれた私の体!

 いやというか何でバラすの?!いくらミトコンドリアのアドレスでやり取りしたメッセージとはいえ、バラすか普通?!

 素早い身のこなしでイーオンの背後に回って羽交い締めにし、その小さな口に手を当てがった。


「ちょっと!イーオンが困ってるでしょ!私の前でベタベタしないで!」


「こんな時に嫉妬しないで!──ほら!イーオン行くよ!これ以上余計なコト喋ったら駄目!」


「ちょっとギーリ!串刺しってどういう意味?!僕ナニされるの?!」


 もがもがと暴れていたイーオンが途端に大人しくなる、何で?まあいい、今のうちにクルルから引き剥がさないと!


「何でもない!何でもないから!あとで部屋に行くからね!」


「だから串刺しって何!」


 あ!とサランが何かを思いついたような言い方をし、両方の人差し指をピンと立てて横に向けた。それ止めて!バレるから!


「こう、テクニカと二人でクルルを挟んで…アーーー!みたいな」


 自分がそうなる場面を想像したのだろう、クルルがぼっ、ぼっと顔を赤らめ、「やだそんなの〜!!」と叫びながら私から距離を取り、サランの背中に回ってしまった。


「ちょっと待ってよクルル!それは誤解だって!私は止めた方だよ?!」


 私の手から逃れたイーオンが口を開く。その時、手のひらにイーオンの歯が当たったのがなんかエロかった。


「嘘!嘘だからね!ギーリがもし誘えたら私も呼べって言ってたよ!串刺しにするつもりだから気を付け──「こら!余計なコト言ったら駄目だって!」


「だからさっきテクニカが僕の所に来たんだ!おかしいと思ったんだよ!」


 いよいよをもってサランの背中に隠れたクルルが、「あともうちょっとで串刺しにされるところだった…」と、恨みがましく私を睨め付けてきた。


「もうだから違うってば!──イーオンのせいだ!せっかくクルルと二人っきりになれたのに!責任取れ!」


「別にいいよ」とイーオンがさらりと答える、そして爆弾発言。


「ギーリの大きさなら怖くない」


「……」


「え!ってことは…クルルがLサイズ確定?!」


「何の話?」


 密着してる...イーオンのお尻に...私のが...それで大きさがバレて...え、私の方がクルルより小さいの...?

 その後、謹慎中のティーキィーの部屋へ走り、二つの意味で慰めてもらった。





 学び舎は歳を重ねても変わらず、けれど少しだけ建物が新しくなっているようだった。

 今日はミトコンドリアを送り出す記念すべきセレモニーの日だ、場所はミズーリ・モンロー州にある大学内の総合スタジアム。

 良く晴れた青い空(天気設定に払った料金は今まで一番の高額だったが…)、最大動員数が五万人に上るスタジアムの中央にはミトコンドリアのスカイシップ、ラグナカンが停泊している。

 太陽の光を独り占めしているラグナカンは、目を細めなければならないほど輝いている。ラグナカンの前にはステージが組まれ、さらにその前には元老院、各ファミリアのドン、他には大枚を叩いてチケットを購入した者たちが座れる席が用意されていた。

 大統領選挙以降、人前に姿を見せなかったベガ・アルタイルも参列することになっている。というか隣にいる。

 地球のコアまで響きそうな低い声で、彼が穏やかに話しかけてきた。


「見事だよ、シリウス。目の狂いがあったのはどうやら私のようだ」


 VIPルームに彼の声が響き渡る、不思議と威圧感はなかった。


「ミトコンドリアのお陰で我々は救われた、彼女たちに合わせる顔がないと言うものだ」


「ベガ・アルタイル、ミトコンドリアのメンバーを性別で呼ぶの失礼にあたる、何でも向こうでは性別を隠すのが習わしらしい」


「そうか、ミトコンドリアと話す前に君と会って良かったよ。──さて、ここからが君にとっての正念場になる、ミトコンドリアが去り、世界から注目を集めたファーストがどのように牽引していくのか」


「分かっている、建国の父に恥じぬよう、努力するさ」


「ならばいい。それでは先に失礼させてもらう」


 ベガ・アルタイルが退去し、その後すぐミトコンドリアのメンバーがVIPルームに現れた。わざわざ私の元に足を運んでくれたのだ。

 あの日、初めて会った時と同じ正装に身を包んだサランが恭しく礼をした。


「ミスター・リンカーン、今日はこのような素敵なセレモニーを開催していただけたこと、心から嬉しく思います」


「わざわざ足を運んでくれてすまない、私の方から出向くつもりだったのに」


「その割には来るのが遅い──いたっ!」


 遠慮なく冗談を言うテクニカの頭をギーリが叩いた。

 この二人、初めに会った時は一言も口を聞いてくれなかったが、一度仲良くなるとこちらの立場を考慮せず接してくれるようになった。それは私が大統領に就任しても変わらず、この二人のやり取りをもう見れないのかと思うと寂しくなる。


「君たち二人にも世話になった、コモンズの人たちも君たちに感謝しているよ」


「こちらこそ。テクニカがあの街に住むと言って聞かなくて大変だったけど、良い思い出になった。シリウスじい、没頭し過ぎて周りに迷惑をかけたら駄目だよ」


「肝に銘じておくよ。イーオンの姿が見えないが…」


「申し訳ありません、今最後の打ち合わせをしていまして…マンハッタン基地の紹介、本人も本当に感謝していますと申していました」


「そうか、なら飛ぶ姿を見てお別れとさせていただくよ。ところで…サラン、君はいつになったら我が儘な歌姫に戻るんだい?そう畏まられるとむず痒いのだが」


 そう冗談を言うと、ミトコンドリアのメンバーが歳相応の笑顔をこぼした。



「ノラリス?」


「ああそうだ、ノラリスという大型のスカイシップが昔、ファーストに訪問したことがあったんだ」


 VIPルームで一度別れた後、再びステージの前で顔を合わせ、共に肩を並べながらセレモニーを鑑賞している。

 スタジアムは満席だ、それがとても嬉しい、ミトコンドリアが来訪をした時は私一人で迎えたが、送り出す時は五万人の友が来てくれた。

 ステージでは有志による催し物が行なわれ、その休憩時間にサランと会話をしていた。


「今日はその時とは比べものにもならないほど盛大なものになったと感慨に耽っていたよ、あの時は見送りどころかひっそりとファーストから出ていったからな」


「嫌われていたんですか?」


「ろくでもない連中だったと耳にしている。この州の名前はミズーリ・モンロー、第五代大統領であるジェームズ・モンローの名を冠している、彼は奴隷制度の段階的な廃止を目指し、先鞭を付けた偉人として有名だ」


「はあ…それで?」


「ノラリスのメンバーの中に、ヒュー・モンローという男がいてな「ヒュー・モンロー?!」×2


 サランの隣に座っていたギーリとテクニカが、驚きの様子を見せた。


「知り合いかね?」


 二人は小さな声で「言う…?」とか、「今更…」とか、「言ったところで…」とか話し合い、結局「何でもない」と答えた。


「よ、よく分からんが…この男が自分と同じ名前を冠する土地だといってここに居着いてね、それはそれはもうトラブルを起こしたそうだ」


「どうせセクハラでしょ」とギーリが吐き捨てるように言う。


「そう、女性関係でトラブルを起こし続けた、異邦の人だからと裁判所も最初は大目に見ていたが、最後は無視するようになったと聞く」


「当然」


(知り合いなんだな…)


 ステージでは次の催し物の準備が進められている、我々にとっては馴染み深いスーミーのライブが行なわれるようだ。この次はセレモニーの目玉であるサランのライブだ。

 その歌姫が問うてきた。


「そのノラリスは何故ファーストに?」


「私は彼らと関わりがなかったからよくは知らないが、アフラマズダという船を探していたらしい」


「アフラマズダ…?」


「ノラリス、それからイスカルガの仲間だと聞いているよ。──サラン、そろそろ時間だ、準備をしてきたまえ」


「──ああ、はい。それでは」


「ああ、楽しみにしているよ」


 歌姫が微笑み、係りの者に案内されて私たちの元から離れて行った。

 


 サランは何の飾り気もない、ミトコンドリアの正装のままステージに上がった。

 良く晴れた青い空の下、サランの歌がスタジアムを包む。あの日と同じ歌で、けれど違う声音で、力強く歌うのではなく、スタジアムに滲ませるように、別れを惜しむように歌う。

 伴奏はスーミーで作成された物を使用している、それがまるでミトコンドリアとファーストを融合させたかのような感慨を与え、またしても涙腺が緩んでしまった。

 ミトコンドリアの来訪はファーストにとってとても有益なものになった。サランたちのお陰だ、国民が自由を希求する心を思い出し、それから盗みを働くテロリストたちの脅威からも守ってくれた。

 サランが歌い終わると同時に、空に編隊飛行部隊が現れた。先頭を行くのはラプター・ウール、その後ろにミトコンドリアのイルシードが付いている。

 計五機からなる飛行部隊がスモークで空に星を描き、その中心点を一機のラプター・ウールとイルシードが一糸乱れぬ飛行で貫いた。

 見事だった。


「プレジデント、こちらのインカムを」


「これは?」


 セレモニーが終盤に差しかかり、私の挨拶を前にして一人の補佐官がインカムを渡してきた。


「パイロットのイーオンから挨拶です」


「このタイミングでか…」


 飛行部隊が去った空を見上げる、スモークによって描かれた星が徐々に崩れ始めており、イルシードの姿を見つけることができなかった。

 インカムは既にオンライン状態であり、小型スピーカーからイーオンの息遣いが聞こえてきた。イルシードのコクピットは恐ろしいほどに静かであった。


「シリウスだ。先程の飛行は見事だったよ」


「──あ!ええと!その、あ〜、ありがとうございました!」


 何に対しての礼なのか、言葉が少なくて要領を得ない、パイロットらしいと言えばパイロットらしい。


「あなたのお陰でグレイルさんと出会えました!」


「それは何よりだ。あまり喧嘩はしないようにしなさい」


「注意します!」


 イーオンはとことんと素直だ、初めて会った時も不機嫌さを隠そうともしなかった。


「本当は皆んなと足を運ぶ予定だったんですがそれどころじゃなくて、今日までずっと仮想訓練機の練習ばかりで現地のトライは今日が初だったんです!」


「それは大したものだ。前を飛んでいたのはそのグレイル・オールドマンなのだろう?先を譲ってよかったのかね」


 イーオンがまたしても素直に、屈託なく答えた。


「いつでも勝てますから!」


 最後にもう一度、イルシードが私たちの前に姿を見せた。ラグナカンに降り注ぐ太陽の光が一瞬だけ遮られ、イルシードの主翼が一度だけ強く光った。



「もっと喋りなよ!」

「セレモニーの締めなのに短か過ぎる!」

「自分が大統領って自覚ある?そういう所から人に舐められるんだよ」

「ミスター・リンカーン、がっかりです」

 

「分かった分かった、次はきちんと話すさ。締めの挨拶なんてさっさと終わらせた方がいいだろうに、セレモニーだって長時間に及んでいるんだから」


「こちらイーオン、エントリーコンコースに異常無し、ジュピター・ハブ内に飛行するオブジェクト無し、外は晴れ、風は南南西に一五メール、いつでもどうぞ、ラグナカンの発進に合わせます」


 喧しいったら。

 セレモニーの全ての行程を終え、後はラグナカンを見送るだけになった。補佐官から受け取ったインカムは装着したままだ、ランデブーの為に出動しているイーオン以外のメンバーは皆ラグナカンに乗船している。

 最後の別れになるかもしれないのに、ミトコンドリアはいつも通りだった。


「じゃあね!」


 操縦士を務めるクルルの挨拶を合図に、ラグナカンのメインエンジンが起動する。空気が細かく震えるのが分かり、袖を通しているジャケットの裾も細かく振動していた。

 ラグナカンの船体がゆっくりとした動作で持ち上がる、それに合わせてスタジアムの観客席にいる友たちが手にしていた風船を手放した。

 数万個に及ぶ風船は圧巻だ、その数に埋もれるようにしてラグナカンが高度を上げ、スタジアムを飛び出し、エントリーコンコースへ向けて舵を切った。

 こうして、我々に食べ応えがある歌を届けてくれた異国のシンガーソングライターが、地球の空へ旅立った。





「達者でな、イーオン」


「次に会う時までに腕を上げておいてください、グレイルさん」


「んだとっ?!──とっと行っちまえ!この可愛げのない子供め!」


 大西洋上まで護衛に就いてくれていたラプター・ウールの部隊が転進し、何の未練も残さずファーストへ向かっていった。

 ファーストの空とは違い、外は薄雲が流れている。先日、ファーストを襲った部隊の姿はどこにもなく、飛んでいるのはイルシードとラグナカンだけだった。

 急に寂しさを覚えてしまった。こんな気持ちになるぐらいなら、もうちょっと丁寧な挨拶をすればよかったかもしれない。

 でも、気持ちが良い。邪魔する物がなにもない空は飛んでいるだけで気持ちが良かった。

 我らが天才船長から通信が入る。


「イーオン、帰投して、案内お疲れ様」


「了解、帰投します」


「ラグナカンの船底に着いたらオートモードに切り替えてね」


「了解」


 セレモニーを迎える前日には船内の雰囲気も落ち着いた。今思えばちょっとおかしかったと思う。クルルにグリグリされ、サランと抱き合い、また別の日にはギーリと一緒にシャワーを浴びて、最後はテクニカを皆んなで甘やかしたりした。


「……」


 ()()()のことがまざまざと蘇る。触れられた部分が熱を帯びたようになり、痛いはずなのにどこか心地良くて、体をびくりと反応させる度に心が満たされて...一番良かったと思う。ま、本人には絶対こんな事伝えたりはしないが。

 まだ抓られた所が熱を持っているように感じられる、それが鬱陶しいような...

 ()()()からも通信が入った。


「イーオン、挨拶ぐらいきちんとしてちょうだい」


「あの人はあれぐらいがちょうどいいの。口を挟まないで」


「ハンガーのロックボルト、隊長権限でパスかけて私に頭を下げないと飛べないようにしてあげる」


「すみませんでした!以後注意します!」


「全く!──任務お疲れ様でした、帰投後はミーティングルームに来てちょうだい、少佐も交えて最後の打ち合わせを行ないます」


「了解!」


 ああ勿体無い、こんなに綺麗な空を離れないといけないなんて。

 速度を落とし、ラグナカンの船底に着いてオートモードに切り替えた。


 次はどんな所だろう?とても楽しみだ。

※次回 2025/5/3 20:00 更新

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