Cell.11 交わらない思い2
ミナレット【固有名詞】
アラビア語で火、光を灯す場所という意味。
その多くは宗教施設としての色合いが強く、神聖な場所に用いられてきた建築方式の一つ。
「いやもう〜そりゃあんまりですよ隊長〜僕の出身はファーストじゃなくてフェノスカンディア!」
「ごめんごめん」
「全員間違えてるじゃないですか!ちゃんと説明しましたよね?!」
「ごめんごめん、組み合わせがややこし過ぎてさ。そっちの状況はどう?ノラリスからヤバ目って聞いてるんだけど」
少し遠い位置からドローンが私を監視している、時折りドローンのカメラに向かってウィンクしたり、手を振ったりしておちょくってみるが、とくに誰かがやって来る気配はない。
インプラント通信で会話をしている相手はウルスラだ、私はてっきりファーストの所属だと思っていたので怒らせてしまった。
元隊員であるウルスラと会話を続けながら、日光に照らされた白亜の居城を眺める。
「ここはいつでもヤバいですよ、とにかくノルディックの連中がこっちに仕掛けて来ますので」
「議会は?間に入ってくれないの?」
「間に入ってますよ、議会でも二分化されて僕側とノルディック側に別れて対立してますね」
「泥沼やんけ…」
「仕方がないですよ、そういう土地柄ですから。ビスマルクのくそじじいからそろそろ応援が来るって聞きましたけど、まだ見つからないんですか?」
見つからない、インターシップの中でもとくに力を持っているとされているアフラマズダの消息は、いくら探せども見つかっていない。
最後の砦として、今目の前にあるアレクサンドリアの城がある。
ヴァルヴエンドが建設された土地の名残りからか、アレクサンドリアの尖塔の多くがミナレットという、タマネギ型の屋根が採用されていた。
そのミナレットが日光を受けてもなお反射せず、マッドな白色となって空に浮かんでいるように見える。
あの中にアフラマズダに関する情報が眠っているはずだ。
「見つからないんだよね〜それが、ヴァルヴエンドの中でもインターシップについて知ってる人が別れてるみたいだし、よく分かんないだよね」
「いっそのこと直接行かれては?ガイアの枝葉に事情を説明してエレベーターを使わせてもらうんですよ」
「ふむふむ…ライアネットで調べ物をすると…」
「イスカルガに依頼して付いて来てもらえば強行突破もできるのでは?あいつなら低軌道部隊を蹴散らしてくれるでしょ」
「ねえ、それ私たちまで政治に巻き込もうとしてない?イスカルガの管轄ってファーストだったよね、鬼の居ぬ間に炊き込みご飯作るつもりでしょ」
「アマンナさん変わんね〜それを言うなら洗濯ですよ」
「否定はしないんだね」
「う、うう〜ん…僕たちも色々大変なんすよ…一筋縄でいかないというか…ちくわを割ったように解決できないというか…」
「それを言うなら備長炭ね。──けどまあ、ライアネットに直接行く案はアリかもね」
「あ、その時はぜひお目付け役のイスカルガも…」
「はいはい。ありがとね、ウルスラ」
「またいつでも。他の奴らにも連絡してあげてください」
「うい〜」
通話を切り、遥かな高みにいる月を見上げようとした。月は見つけられなかったが、未だに旋回飛行を続けている監視ドローンがいたので、中指を突き立ててやった。
すると監視ドローンがびゅやっ!と接近し、私に攻撃を開始してきた。
「いたたっいたたたっ!止めろ!止めなさい!」
ファンが壊れるのも厭わず何度もタックルを仕掛けてくる。
「あんた何やってんの?」
共にアレクサンドリアへ視察に来ていたひねくれらに背後から声をかけられ、満足したのか監視ドローンが私の元から離れて行った。
◇
「ライアネットに直接?」
「そうそう、昔の隊員がね、そうしたらどうだって提案してきて」
ノラリスの声明のお陰で私たちは晴れてお尋ね者ではなくなり、上層へ気軽に行けるようになった。「これもしかしたらワンチャンあるんじゃね?」のノリでプエラと二人、連絡橋の入場ゲートまでやって来たその帰りである。
ゲートで入場受付けをしていた強面の人に「パスは?」と訊かれ、「ですよね」と言って引き返したばかりである。やはりアレクサンドリアに許可を貰わないと中に入れないらしい。
連絡橋は人が通れるゲートと車が通れるゲートが二種類存在し、私たちが歩く歩道の上は高速道路になっていた。その道路からジャンクションで乗り入れできるらしく、さっきからハイウェイをかっ飛ばす車でごうごうと少しうるさかった。
プエラと二人、高速道路高架下の道を歩く。
「それ無理なんじゃない?枝葉の連中には貸しがあるから融通効くかもだけどさ、低軌道見張ってる奴らが黙ってないでしょ」
ロングヘアからさっぱりセミロングへ退化したプエラがそう言う。私もそう思う、だからこうしてアフラマズダが管轄するテンペスト・シリンダーにやって来たわけなのだから。
「イスカルガが強行型だからワンチャンあるかもしれないってさ、隊員がそう言ってたよ。政治に巻き込まれそうだったから遠慮したけども」
「あそこはいっつも争ってるからね〜食べ物やら資源やら不足しまくってるし、邪魔なイスカルガをどっかにやってファーストからパチりたいんでしょ」
「私もそう思う、危うく巻き込まれるところだった」
この歳にもなれば(この歳にもなればと言うのはとても変だが)互いに喧嘩もしなくなる。昔は顔を合わせたら常に罵倒していたが、プエラも私も落ち着いたものだ。
ゲート前の歩道を渡り、市街地に戻って来た。店舗やら民家やらが等間隔に建てられ、人も車も交通量が決して多くはない。アレクサンドリアに従事する人たちのベッドタウンだろう、高速道路が頭上を覆っているのであまり景観はよろしくないが、のどかな所だった。
まばらに人が行き交う歩道を進んで行くと、ちょっとしたショップストリートに出た。その店舗が並ぶ中、プエラが一つのショップの前で足を止めた。
足を止めたのはコスメショップだ、アニメキャラクターが小さな瓶を片手にウィンクしている広告を見ながら、「あの子たちは大丈夫なの?」と私に訊ねてくる。
「なんか、衝突して仲間割れしてるっぽいね」
「それ大丈夫なの?次のオーディションまで数ヶ月もないんでしょ」
「外野が介入しても複雑になるだけでしょ、北欧の所みたいに。仲は上手くいってないみたいだけど、トレーニングはきちんとしてるみたいだよ」
「介入ね〜…なら、私は…」と、意味深な言葉を残して一人、コスメショップへ入店した。
私はコスメに毛ほども興味がなかったのでさっさと帰る。向こうも突然のソロプレイに走ったので、声をかけずに帰ってもお互い様だろう。
その後、いつものグルメストリートに顔を出して、かな〜り寄り道してからノラリスへ帰投した。
帰投したノラリスでは、プエラがリ・ホープの三人を集めて何やら講義をしていた。
講義をしている場所は、ナツメがよく入り浸っているサロンだ。リ・ホープの三人は豪華なソファにお尻を沈め、プエラはその三人の前に立って偉そうにしながら何かを説明している。テーブルの上には、私には馴染みのない小瓶がずらりと並んでいた。
面白そうだったので三人の後ろに立って私も講義に参加する。サーフィヤとヨーコが私に気付いてチラ見してくるが、またすぐにプエラへ顔を向けていた。
「アイドルがどういうものなのか私は詳しくないけど、人様の前に立つのならやっぱり外見は磨かないと駄目でしょ」
「いやプエラさん、それは分かるんだけど、私らまだ子供だし…こういうやつって歳取ってからするもんじゃね?」
「誰が年寄りよ!「誰も言っとらんわ「化粧水はお肌の栄養補給!ランニングした後は飲料水を飲んで失った栄養を補給するでしょ?それと同じ事なの!」
私の突っ込みにも意を介さず、それらしい事を言う、サーフィヤとヨーコはふむふむと納得した様子を見せていた。
「言われてみれば確かに…」
「喉が渇いているのにドリンクを飲まないって変だもんね」
(ん?この二人って喧嘩してたんじゃ…)
美容に興味無さそうなビスヘムは面倒臭そうにしながら、一つの瓶を手に取って見ているだけだが、サーフィヤとヨーコは肩を寄せ合いながら様々な瓶を手に取っていた。
同じ世代でも興味を向ける対象に偏りがあるらしい、ビスヘムはもう既に飽きており、サーフィヤとヨーコの二人は、プエラに美容について質問をしていた。
プエラからインプラントで通信が入る。
「ビスヘムのフォローよろ」
「はいはい」
思っクソ介入しとるやんけ、と言わずにビスヘムの傍へ近づく。プエラはプエラでこの三人のことを気にかけているようだ、だからさっきコスメショップに足を踏み入れたのだ。
「最近調子どう?」
「声のかけ方雑っすね。いいですよ、そんな気を遣わなくて、私こういうのほんと興味無いので」
「私もほんと興味ない、こんな物買うなら食べ物買う」
「確かに串焼きの匂いしますもん。あ、ターミナル近くのストリートにも串焼き屋あるの知ってます?」
「え、あんな所にあんの?」
「モール前でやってる屋台のお弟子さんが開いたらしいですよ、結構人気出てます」
「ガチか!私あそこのファンなんだよね〜今から行ってみる?」
「行きましょうか!こんな女々しい物の話をしているぐらいなら……」
と、そこでその女々しい物の話で盛り上がっていた三人が、私たちにジト目を寄越していたことに気付いた。ビスヘムもソファから立ち上がった姿勢のまま固まっている。
「なに?」
「いや別に〜お金に余裕がある人は違うな〜って」
「私たちはバイト増やしてるのに、ビーだけ…」
「な、なんだよ…私だってそろそろバイトを探そうと…」
「まだ探してすらいないの?」
「嘘、そんなにナツメさんから貰ったの?だからバイトしてないんでしょ?」
「ま、まあまあ〜」と私が間に入ったのがいけなかった。
「アマンナさんまで味方に付けて〜!私なんか歳上に怒られてばっかりなのに!」
「ほんとビーって歳上にはよく好かれるよね、私なんか歳上歳下関係なく好かれないのに」
「それ私関係無い…」
「ほ、ほらプエラ!あんたも黙ってないで何とか言いなよ!あんたがこの場を作ったんでしょ!」
「私は皆んなに自分磨きをできるよう教えてあげてただけ、勝手に出て行こうとしたあんたが悪いんじゃない?」
「ちょっともうプエラ…」
「す、すみません、なんか私のせいで…」
「それなんか私たちも悪者になってるじゃん!」
「私たちが止めなかったらどのみち出て行くつもりだったんでしょ?プエラさんに失礼だよ」
見事に二分化されてしまった。
私とビスヘム、プエラとサーフィヤ、ヨーコという対立が秒で出来上がった。北欧の二の舞にならないよう、下手な介入は止めておこうね、と話をしたばかりだというのに。
そこへプリドが割って入って来るものだから...
「──こんな所にいましたか皆さん!次のライブのお話を貰って来ましたよ!──ん?どうかされたんですか?喧嘩中ですか?」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
絶賛ややこしい空気になっていたリ・ホープと余計な事をした私とプエラは、その話に素直に喜べなかった。
◇
「お前たちな〜たださえナイーブな年頃だってのに…」
「さーせん」
「さーせん…」
「フェノスカンディアとノルディックみたいになったじゃないか、お前たちは一体何を見て来たんだ?」
「食べ物」
「ナツメ…」
プリドがメガネの位置を直しながらナツメに、「この二人全然反省してないですよ」と言う。
場所はノラリスから変わって下層のショッピングモール近くの音楽街、この区画はライブハウスやレコードショップなどが密集しており、歌唱候補生たちにとっては聖地であり、戦場でもある所だ。
私たちはプリドが出場枠を貰ってきたライブハウスに足を運んでいるところだ。
ナツメとプリドが前を行き、その後ろを私とプエラが歩く。私はプリドの跳ねた後ろ髪に向かって「ちょっとは私たちの味方もしろ」と小言をぶつけた。
「これでも一応あの子らに気を遣ってるんだけど、まあ失敗したわけなんだけども」
「気を遣ってどうするんです?」と、プリドが足を止めず頭だけでこっちに向ける、その弾みで長い揉み上げがくるんと宙を舞い、ファンピクでデコった花びらもきらきらと舞った。
「グループ内のいざこざに付き合ってても意味ないですよ、毎日どうでも良い事で喧嘩してます」
「そういうもんなの?」
「ですです、下手に気を遣うよりさっさと練習しろ!って言ってあげた方が結果的に上手くいきます。ま、あくまでも結果論なので、上手くいかない時もありますけど」
「それ駄目じゃね?」
「駄目じゃないです、候補生たちの目標はあくまでもディーヴァであって、所属しているグループの存続ではありませんから。グループが解散になって他所と合併するのも日常茶飯です」
「身も豚もないね」
「それを言うなら蓋」×3
音楽街はモールの裏手にあり、せっかく天井が空いているのに、そのモールのせいで一日中薄暗い所になっている。
その分派手と言うか何と言うか、壁や柱に貼られた電子チラシがマジックライトのように輝き、各店舗の電子掲示板はスポットライトの如く道を照らしている。ここを歩いているだけでアイドルになれたかのような気分になれる場所だった。
私とプエラ、それからナツメは馴染みが無い所なのでお上りさんのように視線を泳がせているが、プリドの頭は固定されたまま、目的地へ向かって真っ直ぐと進んでいる。きっとここは自分にとって庭みたいなものなのだろう。
音楽街に足を踏み入れてからしばらく歩き、ようやく目的地のライブハウスに到着した。そのライブハウスは、筒状の変わった建物よりさりに奥まった所に位置し、決して立地が良い所とは言えない場所にあった。
「こんな所なのか…あまり良い場所とは言えないな…」
たとえ馴染みがなくてもそこら辺はナツメにも分かるらしい。ナツメの瞳が少しだけ不満そうに細められている。
プリドがさもありなんと、下層で凌ぎを削るアイドル事情を語ってくれた。
「たとえ立地が悪くてもライブの出場枠を取れるだけ幸運ですよ、なにせ下層にはごまんとグループがいるわけなんですから。ここに来るまで路上で歌ってる人が一人もいなかったでしょ?それ、禁止にしないと路上が候補生で溢れ返ってしまいますから」
「な、なるほど…大変なんだな、候補生…」
「ねえ、疑問に思うんだけどさ」と、ナツメが傍にいたら絶対離れないプエラがプリドに問いかける。
「なんですか?」
「わざわざオフラインでライブする必要ある?ネットで配信すれば良くない?実際それやってるグループがほとんどじゃん」
「確かに」と、相槌をうつ。
「こんな足が遠のきそうな場所でライブするぐらいなら、ネットで配信するミュージックビデオに力を入れるべきだと思う」
プエラのくせにそれらしい事を言う。
プリドはそんなプエラに向かって「ちっちっ」と芝居がかったような仕草をし、質問に質問で返していた。
「ネットで見られる物をわざわざ足を運んでまで見に来る人ってどう思います?」
「暇人」
「暇人」
しまった...ひねくれらと答えが被ってしまった、向こうも嫌そうな顔をしながら私のことを睨みつけている。いや知らんがな。
私とプエラの返答は粗末なものだったけど、ナツメはピンと来たらしい。
「ああ…それだけ好きってことか。動画ではなく生目で見たい人がわざわざ足を運ぶ…つまりそれだけのファンを作る必要がある、ってことか?」
プリドは欲しかった答えを貰えたからか、「その通り!」と嬉しそうに微笑んだ。
「オーディションってネットでの投票もできますけど、ネットで済ませる人ってその時その時の流行りや気分で投票先を変えてしまうんです。でも、ライブ会場に足を運んでくれるファンの人は絶対そんな事はしません。絶対票を増やすためにも、やっぱり自分の足で稼いでファンを作る必要があるのです」
「は〜なるほどな〜」
「にわかファンだけじゃ駄目ってことなのね」
「だからこうして地道にライブする必要があるって事か…」
「まあ、私のこのやり方がマストではないのも確かです。過去にはネット配信だけでディーヴァまで上り詰めた人もいますし、逆にネット配信だけで活動してたグループが、ハディラ・カディラのオーディションに落ちたこともあります」
「それは切ない」
「心が折れるどころの騒ぎじゃない」
「二度と立ち上がれる気がしない」
私たち三人、そのグループの最後に思いを馳せる。最後の最後でオーディションに落ちた心境はいかばかりのものなのだろうか...想像すらできない。
筒状の建物(ここは楽器の販売店らしい)の横を通り、そのライブハウスとやらの入り口に四人が立つ。このライブハウスにもデカデカと電子掲示板が設置されており、次のライブ告知を表示させていた。
日付は明日の夜、出場するグループは四組み、電子掲示板には既にリ・ホープの名前が掲載されていた。
リ・ホープの名前を見つけたナツメが「あ!うちらの名前がある!」と、自分が出演するわけでもないのに嬉しそうにしていた。
「うちらて」
「いや、すまん…つい、別にノラリスの専属ってわけでもないんだが…」
「これ一発目に出演するのは理由があるの?」と、プエラがまたプリドに質問した。
「そりゃこの中で一番人気がないからですよ」
「ええ〜?人気がないのに一番始めに歌うのか?」と、ナツメは不服そうだ。
「開演と同時にやって来る人ってあんまりいませんしね、ライブって定刻通りに始まらない事が多いんですよ。だからここのライブハウスも一番人気がないグループを頭に持ってきます、で、目玉は最後って感じです」
「ふ〜〜〜ん」
ナツメは一つも納得していないご様子だ。
明日の夜に開演するライブの順番はリ・ホープが一番目、その間に二つ挟み、最後が『あばら骨』とかいう、変な名前のグループだった。
どうやらこの『あばら骨』が一番の人気らしい。しかもソロで活躍しているそうだ。
「あんな変な名前の奴にリ・ホープが負けるのか…」
プリドが指でメガネを支えながら電子掲示板を見上げている。
「あばら骨は元ディーヴァの人ですから」
とんでも発言にぎょっ!と目を剥く私たち三人。
「え!」
「ディーヴァ?!」
「軍人じゃないのか?こんな所で歌ってていいのか?」
「ですから、元、ディーヴァです。戦術歌唱を退役した後もステージに立つ人はいます。ま、こんな場末で歌ってる時点でお察しなんですが」
「ひどい言いようだな…」
「見れば分かります」
プリドがそう吐き捨てるように言ったあと、「せっかくここまで来たんで他所も見て回りましょう!」と、人が変わったように明るく私たちを誘った。
けれど、プリドが吐き捨てるように酷評したそのあばら骨とやらに、リ・ホープの人気は負けていることになる。果たして、リ・ホープが人気を勝ち取り、アレクサンドリアでオーディションを受けられるのはいつの日になることやら...
この時から私はライアネットへ直接行く算段を立て始めたのであった。
*
(良いな〜皆んなでお出かけか〜)
まさか自分がバイトしている楽器店の前で、ナツメさんやプリドたちを見かけるだなんて思わなかった。
どうやらこのお店が目当てではないらしく、前を通り過ぎてさらに奥へと向かって行った。きっと明日のライブハウスの下見にでも来たのだろう。
(私にも声かけてくれたら少しぐらい付き合うのに…今朝のことまだ怒ってるのかな〜)
店内にお客さんの姿はあまりない、数人がちらほらと弦楽器を見て回っている。
その数人ですら二人連れだ、私はよく一人で買い物やお出かけをするというのに。
皆んなももっと一人で行動してみたら〜?一人だって色々と楽しめることを知るべきだ。
──なんて強がってみても、この寂しさだけは薄まらないし失くならない。
弦楽器、というか大人気のギターやベースを見ていた生徒が私の前を通り過ぎ、レジカウンターの奥にある階段を上って二階へと向かって行った。
その後ろ姿を見送ったあと、またぐるぐると同じ事ばかり考える。
(サっちゃんも冷たいし、ビーも相手にしてくれないし…私ってそんなにウザったいの?)
プエラさんの美容講座はとても良かった、私もそこまで興味はなかったけど、「お肌も筋肉と一緒で日頃からのケアが大事!歳を取れば分かる」というあの格言がなかなか胸に響き、じゃあ私も、という具合で関心の目が向いた。
それはサっちゃんも一緒だったようで、ノラリスに移住してから何かと私を避けていたあのサっちゃんと一緒にお喋りすることができた。うん、化粧水は関係ないな、サっちゃんとお喋りできれば別にプロテインの話でも良かった。
あんなに楽しくお喋りできたというのに...サっちゃんは講座が終わった途端、さっさと自分の部屋へ引き上げてしまった。
(まだまだお喋りしたかったのに…四六時中一緒だなんて夢みたいなのに…むぅ〜ん)
「──ねえ、ちょっと聞いてるの?」
「──あ、はい!」
びっくりした、気付かない間にお客さんが目の前に立っていた。
その人はとても怒っている様子だった、印刷されたような眉が綺麗に顰められており、凛々しい二重の目は不愉快そうに歪んでいる。
「あなた、リ・ホープの子よね、声をかけてるのに無視するなんて、馬鹿にしてるの?」
「い、いえ…か、考え事をしていまして…」
「はあ?」
凄い低音、喉の中にウーファーでも仕込んでいるのだろうか...そんな声で凄まれたらさすがにビビってしまう。
考え事をしていたのは事実なのに、どうやら信じてもらえず、その人がさらにヒートアップしていった。
「私が誰だか分からないの?あなた、明日ビターで出演するのよね?」
「え…」ビターはライブハウスの名前だ。
「空いた枠をあなたたちで埋めてあげたのはこの私よ?その私が直接声をかけてあげたのに考え事をしていたから無視したなんて、失礼にも程があるでしょ」
「あ〜…」
綺麗過ぎるその顔ばかりに目がいっていたので気付かなかったけど、どうやらこの人が『あばら骨』という名前で活動している元ディーヴァらしい。
水色の長い髪をお団子にし、すらりと長い体を上下お揃いのレザー調のジャケットで包んでいる。
そして、お団子にした髪にディーヴァ専用のロゴがデコレーションされていた。
ディーヴァに所属したことがある人間にしかダウンロードできないロゴだ。そのロゴを目指して私たちは日々頑張っている。
どうやら私はとんでもない人を怒らせてしまったようだ。
「あ、あの…そのお話しは…ほ、本当なんですか?」
「そうよ、元々予定していたグループが駄目になってしまってね、そこへプリド・ファランって子がビターにやって来て、あなたたちの売り込みをしてきたのよ。店長は嫌だと断ったけど、私がオーケーを出した、だからあなたたちは明日、ライブに出演できるのよ」
「あ、そ、その…考え事をしていたのは本当で…む、無視をしたわけでは…」
「それが何?私はあなたに三度も頑張ってねって声をかけたのよ?そしてあなたはそれに返事をしなかった。あなたが何と言おうが立派なシカトでしょうが」
「そ、それは…」
マズい、これは非常にマズい、私たちの出演を店長に掛け合ってくれた人を怒らせてしまった。下手をすればこの場で出演自体がキャンセルになりかねない。
それだけは防がないと、皆んなに合わせる顔がない。
「す、すみませんでした…」
ありがとうございました〜の要領で手を揃え、元ディーヴァの人に向かって頭を下げた。
ゆっくりと下げた頭を戻すと、さっきの四人がそこに立っていた。
びっくりした、とくにナツメさん、今朝私に見せた時以上に怒っている様子だった。
「おいオカマ野郎」
「──は?」と、元ディーヴァの人がナツメさんへ振り返った。
「なにいちゃもん付けてんだ?この子が何か悪いことしたのか?ん?」
「ナツメ、止めなって、こういう奴って自分に正義があるって信じてるから言っても聞きやしないよ」
「プエラの言う通り、カステラで訴えた方が早いよ」
「アマンナさん、カスハラですから」
「…………」
元ディーヴァの人も私も急な事態に理解が追い付かず、私と同じように口をぽかんと開けたままだ。
でも、どうしてだろう?理解が追い付いていないのに何だか嬉しい。
元ディーヴァの人が早く復帰し、「オカマ野郎って私のこと?」とナツメさんに言い返していた。
「他に誰がいる?」
「いや、オカマ野郎って…ああ、あなたたちは他所から来たのね?だからそんな失礼な事が言えるのでしょう」
「オカマ野郎にオカマ野郎と言って何が悪い。──なあ、その子が何か悪いことしたのかって訊いてんだよ、てめえの小さい声の方が悪いんじゃないのか?あ?」
怖い怖い、キレ方がもう悪者だ、睨み付けながら徐々に距離を詰めているので元ディーヴァの人もたじたじだ。
ははあ、今朝のあのキレ方はまだ愛があったんだなと気付かされた。翼で洗濯物を干していた私を怒った時、ナツメさんはこんなキレ方はしていなかった。
レジカウンターまで詰められ、私に背を向けてナツメさんと対峙している元ディーヴァの人が、起死回生の一言を放った。私はそれを回避するために頭を下げたというのに...
「あなた、私が誰だか分からないの?別にいいわよ、このまま喧嘩を続けても、明日のリ・ホープの出演がキャンセルになるだけだからね。誰のお陰であなたたちみたいなコブ付きが出られると思っているのかしら」
ナツメさんが「ああ?!」とさらにキレ、その二人の間に割って入るようにプリドがすっと現れ、当然の事のように言った。
「別に構いませんよ、あなたみたいな人が主役を張るようなライブハウスなんてたかが知れてますし」
「ちょっ?!」×4
プリドの爆弾発言に、つい今し方までキレていたナツメさんすらびっくりしている。
プリドの爆弾がさらに投下された。
「店長が断った理由、教えてあげましょうか?リ・ホープ目当てにやって来るお客さんを収容できないから嫌だと断ったんですよ。確かにリ・ホープは悪い意味でも目立っていますが、あなたみたいな人と比べたら話題性が高いですからね」
そ、そうだったのか...私たちはノラリスでゲリラライブをやったし、てっきり悪目立ちしているから店長が断ったと思っていたけど...
さすが元ディーヴァと言うべきか、プリドのそれらしい説明に自信もたっぷりと宣言した。
「なら、明日が楽しみね、私かあなたたちか、どっちに観客が付くか。──それじゃあね」
元ディーヴァの人が意気揚々と去って行く、ナツメさんに凄まれたことも意に介さず。
お店から去った後、さっきの堂々とした様子と打って変わってプリドがナツメさんに怒りながら泣きついた。
「──もう何やってるんですかナツメさん!!私の営業努力を無駄にするおつもりですか!!」
(ああやっぱり…ハッタリだったのか…)
「いやだって、さっきはお前…」
「あんなのただのハッタリじゃないですか!あの人ですよあの人!あの人がビターで一番売れているあばら骨ですよ!あそこまでキレてたらもう謝っても無駄だったんで強気でハッタリをかましたんです!ヨーコさんみたいにとりあえず頭下げとけば良かったんですよ!」
「す、すまん…ついカッとなって…」
「そこがナツメの良い所」
「駄目な所でもある」
「もう!お二人もそんな事言ってないで止めてくれたら良かったのに!」
あばら骨と対峙している時はあんなに怖かったのに、今のナツメさんは子供みたいにしゅんとなって肩が下がっていた。その様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
◇
バイト先でナツメさんたちが私を助けてくれた、あんな風に庇ってくれたのは初めてだったので胸がほんのりと暖かくなった。
だと言うのに。
「このセトリは納得いかない。何で私がソロで一発目なの?」
「いえですから、グレンダさんの歌声でリ・ホープのイメージを払拭していただきたくて…」
「私に恥をかけって?一組目の一曲目だよ?誰が聴くんだ、そんなの。それに一番納得できないのはサっちゃんだけソロが無いってこと」
「…………」
ビーの容赦ない指摘にプリドが黙り込んでしまう。
バイトが終わり、るんるん気分で帰ってきたノラリスでプリドがリ・ホープのメンバーに招集をかけ、午前中にプエラさんがコスメ講座をしたサロンで四人、テーブルを挟んで向かい合っていた。
売ったらそれだけで億万長者になれそうなテーブルの上には、今時珍しい紙に歌う曲の順番が書かれていた。これをセットリストと言い、皆んな略して『セトリ』という言い方をしている。
セトリに書かれている曲はどれも見たことがない名前ばかり、プリドが作曲した新しい曲だ。私はその新曲を早く聴きたいのだが、セトリを目にした途端、ビーが不機嫌になってしまった。
空気は悪い。ほんのりと暖かった胸も、サマクの砂嵐に塗れたように澱んでいる。
空気を悪くした自覚があるのかないのか、ビーの大人びた二つの目はプリドにじとっと注がれている。
これではプリドがあんまりだ、せっかく新しい曲を三つも作り上げてくれたというのに。
意を決してビーとプリドの間に割って入る、ナツメさんがそうしてくれたように。
「私が一曲目を担当するよ、そうすればビーも恥をかかずに済むでしょ」
ビーの怖い二つの目がすっと動き、私に狙いを定めた。あ、駄目な言い方をしたかもしれないとこの時点で後悔するが、後の祭りだった。
「私のこと馬鹿にしてるのか?」
「い、いや…そういうつもりじゃ…び、ビーがそういう言い方をしたから」
「私のせいか?このセトリを変えたら済む話なんじゃないのか?──ヨーコ、お前、自分だけソロ貰えたらそれでいいのか?」
ついカッとなてしまう。どうしてそんな言い方をするの?
「そんなわけない!サっちゃんだけソロが無いのは変だけどそれはプリドに考えがあってのことでしょ?!」
「──どうなんだよ、サっちゃんだけソロが無い理由、話してみろよ」
「だからそんな言い方しないで!相手を怖がらせるだけだよ!」
実際プリドはビーの怒気にすっかり縮こまっている。両膝に握り拳を置き、首をすぼめて下ばかり向いていた。
そのプリドが申し訳なさそうにしながら答えた。
「こ、今回は、リ・ホープのイメージを皆んなに持ってもらおうと…そ、それでお二人にソロで…と、思いまして…」
「サっちゃんじゃ駄目ってか?」
「……じ、時間的な余裕がなくて…」
「私かヨーコの歌を削ればいいだろ。さっきからその話をしてるよな、私、人の話聞いてる?」
「…………」
プリドが完全に硬直してしまった、これではもう何も話せないだろう。
サっちゃんもそんなプリドに見切りを付けたのか、すっとソファから立ち上がった。
「私のことで勝手に喧嘩しないでちょうだい。ねえビー、そうやって私の為に喧嘩すればするほど私を傷付けてるってことが分からない?」
「はあ?」
「私はビーやヨーコみたいに優れた歌唱力は無い、せいぜい二人の声を裏で支えてあげられるくらい。それがプリドにも分かっていたから私にソロが無いの。それは別に不思議なことじゃないし、不公平とも思わない。だって、私たちとプリドってまだ何の付き合いがないんだもの」
「そんな事…そんな事思ってないよ、サっちゃんを傷付けたつもりは…」
「つもりでしょ?私はソロで歌える二人が良いなって思ってたよ。──私はこのセトリで賛成、あとはどうするか三人で決めて」
それだけを言い、サっちゃんが私たちの元から離れて行く。
止めるべきか見送るべきか、一瞬だけ悩んだけど、ソファに沈み込んだお尻が上がってくれそうになかったので、見送ることを選んだ。
ビーはもう、ソファの上で取り乱し始め、「そんなつもりじゃなかった!」とか、「お前のせいだぞ!」とプリドに八つ当たりをし、最終的には「これでどうなっても知らないからな!」と啖呵を切ってサっちゃんの跡に続いた。
プリドは泣いていた、顔を俯けているので表情は見えないけれど、握り拳の上に雫がぽたり、ぽたりと落ちていた。
どうしてこうなってしまったんだろう。ノラリスに来るまでは三人上手くやれていたのに、プリドという専属の作曲家まで入ってくれたのに。
どうして?何がいけないの?私はどうすれば良かったの?今のままではいけなかったの?
分からない分からない。人が変わってしまったように冷たくなったサっちゃんも、プリドにひどい言葉をぶつけたビーの気持ちも、泣いてしまった歳下の作曲家をどう慰めてあげたら良いのかも、何もかもが分からない。
プリドの丸まった背中に手を置き、ゆっくりと上下に動かしてあげた。それがいけなかったのか良かったのか、プリドの口から小さな嗚咽が漏れ始めた。
それが本当に申し訳なくて、私の前で恥をかかせてしまったことが申し訳なくて、「私もこのセトリで賛成だよ」とだけ言い、プリドの傍から私も離れた。
大丈夫なんだろうか、私たち...こんな事になるなら──。
(ノラリスになんか来るんじゃなかった、アカデミーに戻りたい…)
──そう、思ってしまった。
*
「なにい〜?ライブが延期い〜?おいおいおいおい…」
アルターが去った後の穴を埋めるのに苦労した、あの歳で航空操縦士としての資格を持っている人間は稀だ。ヴァルヴエンドの中を駆けずり回ってようやく見つけた人間がまた...教育者としてまずこちらが教育しないといけない奴だった。
まあそれは良い、ようやくその人間も軌道に乗り、有給休暇を取れるまでに余裕が出てきた。
明日は下層の音楽街に居を構えるビターというライブハウスで、リ・ホープのライブがあるはず...だった。それに合わせて有給を取ったというのに、ビターの公式ホームページで一週間の延期が告知されていた。ばんなそかな。
私は頭を抱えてしまった、今さらせっかく取れた有給を取り消すだなんて勿体無い、けれどライブが延期になったのなら休む意味もない。
(困ったな〜せっかく楽しみにしていたのに…)
一日の業務を死にもの狂いで終わらせ、アカデミーの門を出たばかりだ。私の前にはリガメル宇宙港が聳え、その先頭に位置する宇宙港ドッグは雲に隠れてよく見えなかった。
太陽が沈みかけ、夜の色に染まりつつある空の下、気もそぞろに帰路に就く。
宇宙港を見て思い出した、我がアカデミーを代表するイーオン・ユリア・メリアがまた金星を上げたらしい。前回はヒマラヤ山脈の上空に発生していた大嵐を抜け、今回はなんと北欧のテンペスト・シリンダー同士の諍いを止めたようだ。
ファーストに所属する現役のパイロットがそのように証言したらしい、また、ファースト議会塔主を務めるプログラム・ガイアの側近も同様に謝辞を述べたようだ。
(アルターはどう思っているのか…悔しいのか誇りに思うのか…そんなジレンマに悩むのはせいぜいが青春で終わろうものなのに)
それだけ鮮烈だったのだろう、イーオン・ユリア・メリアが飛ぶその姿というものが、教鞭を取り続けてきた人間を惑わしてしまうほどに。
いやいや、今はアカデミーを裏切って去ったアルターのことなどに思考を巡らせている時ではない。明日の、というよりたった今から休みになった私の貴重な休みをどう過ごすべきか、その事について建設的に考える必要がある。
アカデミーの駐車場に常駐されている車に乗り込み、自分の手で運転するのが面倒だったので「駅まで送ってくれ」と発言した。音声入力を認識したカーナビシステムが自動運転で発進し、ゆっくりと駐車場の中を走行する。
どうせなら雰囲気だけでも楽しもうと考えた末の行動だ、ヤケクソとも言う、なんならライブハウスの店長に一言文句を言ってやろうぐらいの気概だった。
アカデミーから駅まで十分とかからないが、ウエストターミナル行きの駅まで行くのに小一時間はかかる。そこから上下電車に乗り換え、ようやく下層へ行くことができる。
明日が休みの日でもないと行けない距離だ。
(くう〜〜〜これが明日の下見であればどれだけ楽しかったことか…延期が本当に悔やまれる…)
悶々としながら車に揺られ、電車に揺られ、そしてアカデミーから二時間弱で下層のウエストターミナル駅に到着した。
◇
目的地であるライブハウスに到着し、『closed』の案内も無視して店内へ突入、店長っぽい人間を見つけた私は無言実行した。
「リ・ホープをディスるなんて何を考えている!!ライブが延期になっただけでも腹ただしいというのに!!君は一体何を考えている!!」
「ど、どうどう、と、とりあえず落ち着いてください、ね?」
ライブハウスのスタッフたちと何やら話をしていた店長は、私の剣幕に及び腰になっている、そうだろうそうだろう、こっちは片道二時間かけてやって来たのだから。
それよりもだ、電車に揺られている間に閲覧していたホームページの記事に私は怒り心頭だった。
この店長、自分でリ・ホープの出演を許可しておきながら、自分のサイトでそのリ・ホープを批判していたのだ。信じられない。
及び腰どころか私から逃げようとしていた店長へさらに詰め寄った。
「強行ライブで功を奏しただけのグループ、だと?──力があるから強行ライブでも皆に歌を届けられたのだろう!!本当にただのにわかであればここまで話題になったりはしない!!」
「わ、分かってますから!けれどこっちも色々とあるんです!」
「分かっているなら何故素直に褒めない?教育者たれば些細な欠点など目を瞑って褒めてやることも必要な事だ!」
「私はライブハウスを経営する人間であって教育者じゃありません!」
「──それもそうだ、失礼したよ」
店長が他のスタッフへ散るよう、手を振るサインを出し、「こいつ頭おかしい」とか平気で口にしながら広いライブ会場へ散って行った。
どうやら店長たちはライブ会場の内装を変更しているらしく、シアターほどの広さがあるフロアの壁の近くにいくつもの脚立が置かれていた。
それからその壁には次のライブに出演するグループたちの電子チラシが、ざっくばらんのように見えて芸術的な配置で貼られており、その中にリ・ホープを見つけた。
数が圧倒的に少ない、リ・ホープだけ壁の一部にしか貼られていなかった。そして、その近くに脚立が見当たらないあたりもう作業を終えたあとなのだろう。
(色々ある、ね…アイドルグループと言えども所詮は政治と同じだ…)
ウザそうにしながらも私の傍から離れていない店長へ、ここへ来た本来の目的を訊ねた。
「何故延期にした?私は明日のライブのためにせっかく有給を取ったというのに」
「そんな事を訊くためにわざわざ?よっぽどリ・ホープのことが好きなんですね」
「ああそうとも、強行ライブの前から私はリ・ホープのファンだった」
「ああそれは…本当に申し訳ない…あなたみたいなファンに是非とも来てほしかったんですけど…あの人ですよ、あの人」と、店長が盛大に貼られている電子チラシを指差した。
「あばら骨…?」
「そう、あばら骨さんは元ディーヴァの歌姫でして、この辺りでは有名な歌い手なんです。で、その人の人気のお陰で私らのハコが何とか経営できている状況でして…」
「──ああやはりか、そのあばら骨とリ・ホープが衝突してしまったのか」
「そうです、どっちの歌が来場してくれた人に評価されるか、コテンパンに思い知らせてやると息巻いていまして…私たちも急な変更に手を焼いているんですよ。かと言ってあばら骨さんも無視できないし…ってカンジです」
「そうか、そうとは知らずに怒鳴ってしまってすまなかったよ。ただ、それだけ楽しみにしていたという事だけは理解してほしい」
「はい…こちらこそ申し訳ありません、あなたみたいに熱い人には久しぶりに会いました、良ければまたうちのライブハウスに…」
「リ・ホープが出演するのであれば、な!」
「は、はい…」
「仕事の邪魔をした。頑張ってくれたまえ」
そう言い、踵を返してフロアを後にする、良かった、不法侵入で訴えられなくて。
フロアを出た先はライブハウスのエントランスとなっており、入って来た時は怒りで頭が埋め尽くされていたので周りを見る余裕なんてものはなかった。出る時になってようやく視界に入ってきた。
フロアのパンクな装いと打って変わり、エントランスは歌劇場の様相を呈している。天井は高く、ラウンド型の大きなライトが設置され、その周りに金の彫り細工が施されているようだ。所々、金のめっきが剥がれているあたり、この建物に年季が入っていることが窺えた。
丸い形をしたエントランスの壁際には、金の彫り細工と同様に年季が入った椅子が何脚も並べられ、今は音響機材や電子チラシの束が乗せられいる。それから作業中のスタッフたちのジャケットだろうか、服が椅子の背もたれにかけられていた。
目を見張るような凝った装飾が随所に散りばめられたエントランスを後にし、ライブハウスを後にした時だ、こんな中年に声をかけてくる者がいた。
「失礼、このライブハウスにどのような用事で?今日は店を閉じていますよね?」
「何かね、これでも急いでいるんだ、歩きながらでもよければ話ぐらいは聞いてやろう」
その者は私と同様、スーツに身を包んでおり、一目で鍛え上げられているのが分かった。
胡散臭いにも程がある、ライブハウスから出てきた中年を捕まえるなぞ、まともな立場に就く人間であるはずがない。
「このバッジ、ご存知ありませんか?」
「なに?バッジがどうしたと──……」
歩みを止めなかった私はつい足を止めてしまい、その者が指差すバッジとやらを見てしまった。
それはマイクを持った歌姫の周りを戦闘機が飛ぶシンボルマークであり、それはディヴァレッサーに所属する者にしか与えられない、ある種の称号であり勲章でもあった。
私は現役の導歌曲芸飛行部隊の人間に呼び止められてしまい、逃げ出す口実も思い浮かばぬまま、連行されてしまった。何故?
*
臨時の駐屯基地に指定されたドウィンクスにて、私が所属することになった特別調査チームの結成式が行なわれた。
総合指揮はグレオ星管士、現場指揮はオイルマン少佐、私を含めて一〇名のパイロットが招集されており、その他にもバックアップを担当する者たちがドウィンクス方面国防軍基地に集まった。
恙無く結成式が終わった直後だ、誰一人として知り合いがいないのでさっさと家路に就こうとすると、オイルマン少佐に呼び止められた。
「先の作戦では迷惑をかけた、君のような教育者がチームに来てくれたこと、心から感謝する」
「元、ですが」
オイルマンってジョークなの?
ミーティングルーム前の廊下で呼び止めた少佐は名前の通り、肌がオイルを塗ったように薄らと光っていた。廊下の窓向こうに並ぶ外灯の明かりにテカテカとしている。
軍人らしい大きな体格に黒い肌、黒い髪はさっぱりと短く、豊かな顎ひげを蓄えている人だ。
差し出しされた手は大きく、人型機のマニピュレーターのように固い。ただ、握っているだけでどこか安心感を覚えた。
「アルター・スメラギ・イオです。操縦資格を持っているだけで右も左も分かっていません、どうかご指導のほど、お願い致します」
「ご丁寧な挨拶痛み入る」
「痛み入るの使い方が…」
「君を呼び止めたのは早速仕事があるからだよ」
「あ、そういう…」
他の隊員らが、私たちには目もくれずミーティングルームから離れて行く。人の姿が消えたあと、ようやくオイルマン少佐が口を開いた。
「キャメル・クール・メビウスという名前に聞き覚えはあるね?」
「えええ?──あ、いえ、失礼しました。覚えがあるもなにも、私の元上司です」
予想外の名前が口から出てきたので思わず面食らう。
「この者が建造物侵入罪の容疑で勾留されていてね、君に迎えに行ってほしいんだ。旧知の仲であれば多少は恥も和らぐというものだろう?」
「いえ、余計に恥をかくだけでは…?」
何をやっているんだキャメル学長...学生の模範となるべき大人が不法侵入だなんて...
「その、何故私なのですか?元アカデミー出身だから、でしょうか?」
オイルマン少佐が否定する。
「いいや、君が私の部下だからだ。なに、行けば分かる」
で、指示された警察署にやって来てみれば...
「アルター?!どうして君が...」
本当にいた、面談室の防弾ガラスの向こう側にキャメル学長が情けなく椅子に座っていた。
「学長…どうしてこのような所に…」
キャメル学長の向かい側に座る。
とくに普段と変わった様子は見受けられない、服装もアカデミーに在籍していた時によく見かけていたものだ。これではまるで、学長が連れ去られてきたようなものだ。
「チームの指揮官からあなたがここに勾留されていると聞いて来たのです。訳を聞いても?」
「その前にボールペンか何か、尖った物を貸してくれないか?頸動脈に刺してこの恥から逃げ出したい」
ああ、いつもの学長だ。本当に罪を犯して連行されたわけではないのだろう、その冗談は笑えないが。
「後にしてください「後だったらいいのか「学長、何があったのですか?」
どうやら学長はライブ会場の下見に出かけ、その帰りにディヴァレッサー部隊の人間につかまったそうだ。
「何故それだけで?」
「私にも分からない。ライブ会場を経営する者からそのような被害届けが出されたのならまだしも、あそこの店長はまた来てくれと私に言ったぐらいだ」
「いや無断で入店するのもどうかと思うのですが──キャメル学長、まだリ・ホープを応援していますか?」
「無論だとも」
「そのライブ会場にリ・ホープが出演するのですね?」
「そうとも、だから下見に行ったんだ。せっかく有給を取ったというのにそのライブが延期になってしまったがね!残念だよ!」
(だから…リ・ホープはディヴァレッサー部隊にも目を付けられているということ…?それとも別の何か…そこに学長が踏み込んでしまったから連行された…?)
「アルター?」
「──ああいえ、考え事をしていました」
建造物侵入罪はあくまでも建前だ、ディヴァレッサーの人間が学長を連行したのには別に理由があるはずだ。
室内に待機していた警察官に声をかける。
「調書はもうお済みですか?」
「ええ、お陰様でリ・ホープについて詳しくなりました」
「なら、私が身元引き受け人になりますので手続きをお願いします」
「待ってくれアルター!君に迷惑を──「ご家族の方に来てもらいますか?恥は最小限に留めるべきでしょう」
その後、警察署のエントランスで再会した学長が「今すぐ私の首にボールペンを刺してくれ!」と騒ぎ始め、周囲にいた警察官らをドン引きさせた。
何かある、そしてその何かをあの場で口にできなかったからこそ、オイルマン少佐は私に行けと命じたのだ。
私が思い描いた空に辿り着けるのは、どうやらまだまだ先のようだった。