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Cell.10 アクロバットムーブ




 プログラム・ファーザーはとても偉そう、悪い意味での偉そうである。

 ファーザーとか言っておきながら、見た目は僕とそう歳が変わらないように見える青年だ。そのファーザーは僕の管制席に偉そうにしながら座り、目玉から空間へレーザーを照射してヴァーチャルモニターを投影させていた。

 

「ねえ、そこ僕の席なんだけど」


 リトル・ファーザー(嫌味を込めて命名!)はヴァーチャルモニターを凝視したまま、「これでも君たちに気を遣っているんだけどね」と偉そうに返事をした。


「どこが?偉そうにしか見えないけど」


「まあ、実際私は偉い立場にいるわけだからね、君の見立ては間違っていない。それをわざわざ口にする理由が分からないが」


 空間に表示されているモニターは全部で四つ、その内の一つは五角形をした模型図だ。多分、ファーストの全体図か何かだと思う。

 その他の三つは何かの数値を示すグラフ、項目毎に並んだレーダー、あとは天気予報図だ。天気予報図?ラムウが天候管理をしているはずなのに?

 僕はある一つの推論を得られたので、遠慮なくリトル・ファーザーに声をかけた。


「もしかして、ここを司令室代わりにしてる?」


「そうさ、私がここで状況確認に務め、君はモニターを見ているだけでいい。見て分からない?」


「別に、訊いただけじゃん」


「君も技術者畑の端くれで自分の腕を耕しているのなら、いちいち人に訊かずに目で見て盗むべきだ」


「何を言ってるのかさっぱり分からない、あとほんと偉そう」


「──あ、偉そうってそう意味?」


 ようやくリトル・ファーザーがこっちを向く、空間に表示されていたモニターがノイズに塗れて一瞬だけふっと消えていた。

 リトル・ファーザーはもう一度前を向き(前を向く必要性はあるの?)、モニターを表示させるが、「う〜ん」とまだ声変わりしていない幼なさを残す声で唸った。


「なに?見て盗めとか言うけどこっちはさっぱりだよ」


「賊の侵入速度が予想以上に早い、君も発進準備を進めたまえ」


「だからそこが僕の席だって言ってるじゃん、リトル・ファーザーが座っているから何もできないよ」


「君もオールドと同じ呼び方をするのだな」


「誰?」


「グレイル・オールドマン、ファーストに配備されたゴエティアのパイロットを務める超高齢の男だ、齢は三百に近い」


 にかわには信じ難い。ハーフマキナの概論は僕も把握しているけど、人間は果たして体の一部をマキナ化させたからといって、そう長い年月を生きられるだろうか?

 偉そうにしている割には人の言う事は聞くらしい、リトル・ファーザーが頭を固定したまま席から立ち、すぐ隣のイーオンの席にまたすぐに座った。

 ようやく空いた自分専用の席に座り、コンソールを立ち上げて艦体制御システムにアクセスする。

 他の三人は緊急事態に備えて艦内のチェックをしている。艦内マップに三人の位置が表示されていた。


「ねえ、その話、本当なの?人って体を機械化させたからといって寿命以上の年月を生きられるの?」


「君のその着眼点はとても良い。身体的な制約は解除されるが精神的な制約はそのままだ、つまり記憶域に限界が訪れてエラーが蓄積し、脳が脳としての機能を失ってしまう」


「海馬の代わりを別の脳の一部が代替しようとして失敗するってこと?」


「それは一例に過ぎないとだけ答えておこう。詳しく知りたければドゥクスという男に尋ねるといい」


「ドゥクス?」


「ドゥクス・コンキリオだ、マリーンに派遣されたコンキリオタイプのハーフマキナ。派遣先で人体実験を繰り返して君のその疑問解明に着手した指揮官、あるいはイカれた男だ」


「確かにイカれてるね、自分で実験すれば良いものを、人様の体でやるんだから」


「だがそのお陰で多くの事が判明した、ウルフラグが未だに秘匿し続けている特別個体機に関する製造方法も、少しずつだが明るみになっている」


「また作ろうって?世界で三六機も存在しているのに?」


「さあ?三六機では足りないから製造方法を知りたいのだろう。──君は天才と呼ばれるだけの事はある、会話のテンポが心地よくていつまでも喋っていたくなる」


「そりゃどうも。僕も何故君がそこまで詳しいのか、ぜひとも教えてもらいたいね。ドゥクスという男にしかり、僕の評判についてしかり」


「…………」


 急に言葉が返ってこなくなったので、リトル・ファーザーへついと視線を投げる。

 とても険しい顔付きになっていたので驚き、そして背中の辺りがすうっと冷えてしまった。

 僕が声をかけるより早く向こうから「ロック!」と鋭い指示が飛んできた。けれどその曖昧な出し方が悪かった。


「どこを?!」


「──遅かった、賊がジュピター・ハブを通じてスカイシップのドッグへ侵入を開始している、この船にも入り込まれた」


「そんな──」


 ステータスチェックのシークエンスを強制終了させて艦内マップに切り替える。

 いた、最悪だ。生体認証を済ませていない人間が三名、グレーのポイントでマップされ、搭乗口から船内フロアを目指して移動しているようだった。

 リトル・ファザーがマイクを貸せと指示し、僕は言われた通りにやった。

 有事の対応なんて、そんな訓練は受けていない、こんな偉そうな奴に任せてしまうのは悔しかったけど、今は仕方がなかった。

 リトル・ファーザーがコンソールに向かって侵入者を威嚇した。


「聞こえているね?艦内にいる人間に手出しをすればこの私が容赦しない。プログラム・ファーザー、この名前ぐらいは耳にしたことがあるだろう?私が相手にしてやろう、ブリッジまで来い」


(いや僕もいるんだけどな〜)


 サラン他二名からメッセージが光速で飛んできた。


サラン:今の放送なに?!


ギーリ:ガチ?!


テクニカ:今どこ?!


クルル:船内フロアに侵入!皆んなは自室へ逃げてロックをかけて!


 三人を示すグリーンのポイントが素早く移動を開始し、それぞれの部屋に移っていった。

 僕も移動したいのはやまやまだが、グレーのポイントはもう既に船内フロアに到着している。螺旋階段を駆け上がればブリッジはすぐそこだ。

 席から立ち上がりたい衝動を抑えながら、僕は三人の元へ通じている全ての扉にロックをかけておいた。

 その手続きを終えたと同時にブリッジルームの扉が開く。

 入室してきたのは武装した人間たちだった──頭のどこかで否定していたけど、ファーザーの言う賊という人たちは実在した。

 黒く光り、使い込まれたように見える銃が僕たちに向けられていた。

 デンボーの中へ突入した時と似たような緊張感が僕の中を駆け巡る、あの時は自然に対する恐怖だったけど今は人に対する恐怖があった。

 全身をコンバットスーツで包み、顔も隠し、銃口を向けてくるこの人間たちが何をしでかすか分からない、その恐怖で体が強く緊張していた。


(バーコード…?)


 銃を持つその手だけは露出しており、手の甲に長方形のバーコードが描かれているのが見えた。

 僕の後ろにいるリトル・ファーザーが小さな声で、「ノルディックではない…?」と少し慌てた様子で口から溢したのを耳にした。

 銃口を突き付けていた一人が僕たちに言う。


「殺しに来たんじゃない、奪いに来ただけだ」


 その声音はどこか震えているように思う、緊張からか高揚からか、どちらかまでは分からない。


「この船を、君たちが?実に運のない者たちだ」


 制圧されているというのに、リトル・ファーザーのその偉そうな態度にまるで変化がない、意外にも僕はそれを頼もしいと思ってしまった。


「どういう意味だ?何故我々に運がないと言える?」


「この船はヴァルヴエンドの新造艦だ、君たちが掌握しようものなら本国へ即座に通報が届けられるだろう」


「──そうか、都合が良い」」


 ああ!と肝を冷やした時にはもう、耳が痛くなるような発射音に、聞くのも悍ましい破壊音がブリッジの中を満たす。

 信じられない、武装した人間がラグナカンのコンソールに向かって発砲したのだ。

 火薬の臭いに眩暈がしそう、いや、眩暈がしそうな理由は他にある。

 理不尽。ただここにいるだけ受けてしまった暴力と言うべきか、どうして?という強い疑念と、どうして?という強い怒りが僕の全てを支配する。

 これを理不尽というのだろう、良い勉強になった。

 

「馬鹿な男だ、物理的な破壊など不可能だというのに」


「ここから出て行け、この船はもう我々の物だ──」


 その人間が言い終わる前に、ラグナカンの制御システムからアラートが発せられた。天井裏に設置されたスピーカーからビープ音が降り注ぎ、武装した人間たちがにわかに慌て始める。

 慌てたのは僕も同じだった、そういう仕組みだと知らなかったのだ。

 床下に収納されていたラグナカンの操縦席が一人でに起動し、スリットのロックが解除された。この船を攻撃した人間たちがいる目の前で、床下からその姿を露出させていた。

 人間たちは驚く様子を見せず、ただ淡々とマガジンを交換して操縦席に狙いを付けた。


「止め──「残念だったなあこのテロリスト共め!このオーディンが貴様らを天国へ送ってやろう!!」


 それは止めてくれと、雷に打たれたように動き出した途端だった。背後から雄叫びを上げながら大男が突進し、操縦席に狙いを付けていた奴をボーリングピンのように弾き飛ばしていた。

 壁だ、その堂々たる佇まいと鋼鉄に見えて仕方がない筋肉はまるで壁のよう。壁から生えた二本のピストンみたいな腕が、残り二人の侵入者も撃退し、あっという間に制圧していた。


「良くやったオーディン、感謝する」


 名前をオーディンという。銀の髪を短く刈り込み、リトル・ファーザーに向かってにやっと笑って見せた白い歯が、きらきらと輝いていたのが印象的だった。

 そのオーディンという人間が僕のことを見下ろしてきた。


「すまない、来るのが遅れてしまった。スカイドッグのコンコースがまるであみだくじのようでな、道に迷ってしまった」


「あ、ああ…いや…」


「女の子のくせに大した度胸だ、テロリストに立ち向かうなんてな!!」


「い、いや、ちょっと!」


 侵入者を撃退したその大きな手で僕の頭を掴もうとしてきたので、思わず体を捻って避けてしまった。普通に怖い。


「お、すまんすまん。──ファーザー、ここを離れてくれ、こんな所に居られたら動き難いにも程がある」


「司令官なんて何処にいても邪魔なだけだと思うが」


「それもそうだ。そろそろ星統航空がドッグを解放させると聞いている。どのみちここから出ろ、ファーザー」


「解放って…」


「ファーストから逃げろってことだよ、ミラクルガール、ガイア・ファミリアが前線を構築する前にテロリストが街中に散ってしまった、もう手が付けられん」


「どうやら私は彼らを甘く見ていたらしい…ただの大規模な集団窃盗かと思ったが…」

 

「捨て鉢になった兵士ほど厄介な者はいない。これは立派な侵略戦争、そして向こうに軍配が上がりつつある」


 オーディン・ウォール(壁そのものだから!)が最後にこう締め括った。


「ファーストを放棄する。だからミトコンドリア、お前たちもここを離脱する準備に入れ」





クルル:機体に搭乗する許可が下りたよ!その基地にある機体に乗ってこっちまで戻って来て!


クルル:プログラム・ガイアがファーストを放棄する決定を下したみたい!皆んな逃げてる!


 乗ってるよ、乗ってる、マンハッタン基地に格納されていた全ての機体が出払っているので、私は残されたたった一つの機体に乗っている。

 型式『U1-D003』、機体ネーム『ゴエティア』。

 私は今、ファーストに配備された特別個体機のパイロットシートに収まっていた。

 コクピットの中には何も無い、三人入っても十分なゆとりを得られそうなほど広く、その中央にぽつんとシートが置かれているだけ。

 コンソールもレバーも無い、ガラスハッチではないので外の様子も分からない、スクリーンもない。

 これではどうすることもできない、パイロットはただこのシートに座っているだけの機体だ。


(こんな物にあの人は…)


 いつも私の先を行くパイロット。何を思い、何を決意してこの機体のパイロットになることを決めたのか。

 人の身を捨ててまで、グレイル・オールドマンはゴエティアのパートナーになった。

 およそ窺い知ることすらできない、他人の思いの丈に考えを巡らせていると、ゴエティアが静かに、ゆっくりと持ち上がった。私が操縦するラプター・ウールとは比べものにもならない、滑らかな動きだった。

 私はアカデミーを卒業するまで、努力を怠ったつもりはないし、努力をする上で手を抜いたことは一度もない。

 だからこそ、他の候補生たちを押し除けて私が主席という、栄えある成績を修めることができたのだ。

 それなのにこれはどういう事なのだろう、どうして私にできなくて他の人にできるのか。

 有頂天になっていたのかもしれない、ばーばやイシュウが忌避していたあのデンボーの中を飛び、皆んなを案内できたことに自信を付けて、それがあまり余って有頂天になっていた。

 その鼻っ柱をグレイルに叩き折られ、そしてまた、ゴエティアに実力の差を見せつけられた。

 ゴエティアは厳密に言えば人ではない、でもだ、ゴエティアにできて私にできないのがとても悔しい。

 高度を上げ、機首をエントリーコンコースへ向け、速度を上げていくこの全ての動作が羨ましかった。

 あの優しいゴエティアだ、お願いすればきっと聞き届けてくれるはず。


「ゴエティア、外の景色が見たい、駄目?」


 返事は無い。けれど気配みたいなものは感じる。


「ゴエティア、聞こえてるよね?お願い、外の景色が見たい」

 

 それでも返事はなく、代わりにのっぺりとした球体面に外の映像が映し出された。

 時刻は日付が変わる前、けれど外は明るい。オレンジライトの時間はほんの一瞬で、その後すぐに真昼のように明るくなった。

 昼、と思っていたがどうやら違うらしく、ハンガー内を照らすようにただ白色のライトが点灯しているだけのようだ。遠い先にある天井に、規則正しく並ぶライトを薄らと見ることができた。

 視線の先を変え、模型のように見えていたネオ・ニューヨークを見下ろす。

 目に見えた攻撃は受けていないように思う、摩天楼のアイデンティティと言うべき高層ビルに変わりはなく、破壊されている所はどこにも見受けられない。

 でも、ビルの合間から薄らと黒煙が上がっていた。

 建物は攻撃を受けていなくても、人々が攻撃を受けている証だった。

 ゴエティアはネオ・ニューヨークを眼下に収めながら通過し、この位置からでも見えるエントリーコンコースへ向かって行く。白く濁ったように見えるのは空気のせいだろう、空の一部にぽっかりと穴が空き、その中からグリーンの誘導灯が見えていた。

 侵入してきた部隊に攻撃を受け、苦しんでいるであろう街の人たちに背を向け、私も逃げるためにラグナカンへ向かっている。


 ──アクロバットしかしたことがない奴が俺たちの空で偉そうな真似はするな──今すぐにここから出て行け!!


(アクロバットしかって、そのしかって事にこっちは…)


 命を懸けていた、と言うのは簡単、でも、それを他人から否定された時、私の中でそれに言い返す言葉を持っていない、その事を思い知らされた。

 自分から見たいと言っておきながら、外の景色に目もくれず、自分の心ばかり見ていた。その間にもゴエティアは進み続け、エントリーコンコースの中に突入していた。

 視界を何度も緑色の灯りが通り過ぎていく、そしてしばらくもしないうちにトンネルの出口が近付いてきた。


「──ああ……」


 感嘆に溺れた声が出てしまった。

 戦場だ、人が人の命を奪う場所。その場所がファーストを出てすぐの空から形成され、うんと遠くまで広がっていた。

 編隊を組んだラプター・ウールが空を飛び交い、フレアがあちこちでばら撒かれ、弾丸の熱戦が幾重にも伸び、今、一機のラプター・ウールが被弾して海へ落ちて行った。


(ここが…私が目指していた場所…ああ、デンボーがおままごとに見えてしまう…)


 恐怖からか、それとも憧れからか、私の体は震え、その震えが手足にまで伝わっている。

 いつ、誰が死んでもおかしくない、そして、その不条理が許された場所でもある。

 ──壮観だった、デンボーの雲の王国とはまた違った壮大な景色が私の前に広がっている。ディヴァレッサーはこの空を武器も持たずに飛び回り、歌姫の声を届ける。

 私はそのためにアカデミーで血と汗を流し、その内定を勝ち取ったはずだ。その直後、バベルによってその進路を覆されてしまったが、私にはこの空を飛べるだけの力があるという事だ。

 震えが高揚に変わった時、通信できないと思っていたゴエティアに人の声がした。

 その相手はこの機体のパートナー、グレイル・オールドマン。


「無事だな?そのまま母船へ向かってここから逃げろ」


「どうして?」と、いきなり訊ねてしまったが、自分の声は思っていた以上にしっかりとしていた。

 こんな問いかけでも、グレイルは答えてくれた。そして、端的で主語もなかったのにグレイルは質問の意図を汲み取ってくれた。

 どうして私の面倒を見てくれたの?


「お前がな、俺の妹にそっくりだったんだよ、だからゴエティアや基地の連中に無理を言って俺が面倒を見ていた。今となってはそれが失敗だったがな」


「私はグレイルの妹なんかじゃない」


「そうそう、そうやって歯向かってくるところもそっくりなんだ。この歳にもなればな、色んな事を忘れてしまう、大切な仲間や愛した女とその子供の顔、自分がどれだけ大切だと思っていても、記憶がどんどん褪せてしまう。それでも、俺が唯一守ってやれなかった妹だけは…ジェシカのことだけは忘れないんだよ」


「…………」


 最後にグレイルが言う。


「逃げろ、この場はもう持たない、ゴエティアがハッキングできた機体は半分にも満たない。今から母艦を叩きに行く、その間にお前は何処へでも行け。──楽しかったよイーオン、まあ、アクロバットでも何でも頑張れよ」


 通信が切れる、私に返事をする機会も与えずに。


「ゴエティア、行こう、ラグナカンへ。私を連れて行って」


 そう呼びかけると、今の今まで無視ってたくせに返事があった。「え?逃げるのよね?」と。





「おらおらさっさと降りろテロリスト共め!そんなに暴れたいならこの俺が──」相手にしてやろう!みたいな、物騒な事を平然と口にする大男が、黒ずくめの人間たちを引き連れて搭乗口へ向かって行った。


(と、とにかくクルルの所へ行かないと!)


 非常事態に突入した船内はどこかいつもと違うように見え、それは私自身なのだと気付く。

 自室のロックが解除されたので脅威が去ったのだろうと判断し外に出てみやれば、ダイナーの店長を務めているオーディンという大男とすれ違い、その時に武装している人間を()()()見た。

 あれは紛れも無く銃だった。動画やゲームでしか見たことがない代物、コントローラーを通じて何度も遊んだことがある"人を殺せる"武器だ。

 自然の脅威とはまた違う緊張と恐怖があった、他人の指先一つで命が失われる状況下に今はある、一刻も早くこの状況から抜け出したかった、だからクルルの元へ向かっているのだ。

 早く逃げて!──そう言うために。

 思考が乱れると足も上手く使えなくなるらしい、覚束ない足取りで階段を上ってブリッジへ向かう。

 扉が開かれると同時に火薬の臭いが鼻に付き、普段は滅多に嗅がない臭いに思考がさらに乱れた。

 床に散らばっている物など視界にも入れたくなかった。

 

「ク、クルル!は、早くここから逃げて!」


「ギーリ?!皆んなは無事なの?!」


 クルルは絶対に嫌な思いをしたはずだ、それなのに私たちの事を気にかけてくれた。

 大した子だと思う、歳下なのに立派だと思った。


「だ、大丈夫だと思う!わ、私たちの所にまで来なかったから!ほ、他の二人は部屋から出てきてないけど…」


「イーオンが到着したらすぐに脱出するよ!それまで待ってて!」


 ああ...イーオン、こんな事になるならあの時無理やりにでも基地から引っ張ってきたら良かった!


「本当にそれでいいのかい?」


「っ?!」


 だ、誰?!

 奥の管制席に誰かが座っていた、コンソールの陰に隠れて見えていなかった。

 その人は私たちとそう歳が変わらないように見え、けれど座っているその姿勢がとても偉そうに見える。

 この状況にそぐわない人物だ。となれば...


(あの人がプログラム・ファーザー…?)


 ティーキィーと似た薄い金の髪をツンツンに尖らせたその人は、椅子のアームレストに肘をついてリラックスしていた。

 船長専用席で何やら作業をしていたクルルがキツい声音で「それってどういう意味?」と言い返した。


「聞くところによれば、君たちの軍隊は歌を戦術に組み込み、今日まで数々の戦果を挙げたそうじゃないか」


 プログラム・ファーザーは態度を崩さず、ゆっくりとした口調で話す。


「そして、君たちはその為の専門的な学業を修め、新設の部隊に抜擢された、言うなればエリートだ」


「何が言いたいの?」


「今がまさしくその状況ではないのかな?と僕は問いたい、こういう有事の時こそ人の真価が問われる。身の危険を感じて逃げ出すのは生命体として当たり前の行動だが、国の権威と信頼を背負ったエリートが取っていい行動ではない、と僕は思うよ」


「まさか僕たちに戦場へ出ろって言ってるの?」


「僕は始めからそのお願いをしていたよ、君たちのボスにね」


 何だそれ、と私は怒った。自分たちは逃げ出す準備をしているくせに私たちには戦えと言うの?


「ふ──「ふざけないでください、プログラム・ファーザー」


 私の言葉に被せて同じ事を言ったのはサランだった。

 いつの間にかブリッジに入ってきていたサランは強い眼差しでプログラム・ファーザーを睨んでおり、口にせずとも怒っているのが見て取れた。

 サランが私を庇うようにしてプログラム・ファーザーとの間に立ち、向こうがこちらの反論を聞く前にさらに挑発的な言葉を放った。


「君も戦場で歌う者を目指していたんだろう?素晴らしい歌だったよ、国民の皆が心を奪われた──それは自分の命が約束された場所でしか歌えないのかな?戦場では歌えない?」


「何ですって…」


 サランの導火線が短くなった。

 サランは自身の歌を貶されることに慣れていない、だからこそ先日のライブ行脚が決まったのだし、馬鹿にしたファーストの人間たちを見返したのだ。

 これはマズいと思った、プログラム・ファーザーの挑発に乗せられサランならやりかねない。

 そして何より、サランには戦場で戦況をひっくり返すだけの力がある。何せ、ディーヴァの教育機関に入ることが決まっていたのだから。

 けれど思いの外、サランはあっさりと引き下がった。


「──申し訳ありませんが、隊員らの命が優先です。ご所望であれば、今からヴァルヴエンドに部隊を手配するよう連絡を取りましょうか?」


「いいや結構だよ、君たちでなければ意味が無い、そう伝えたはずだけど…まあいいか、歌う者だろうが戦う者だろうが、臆病者に戦場へ行かせるわけにはいかないからね」


「何ですって──「ど、どうどう!サラン落ち着いて!」


 あ、全然引き下がってない!無理やり断っただけだ!さらに挑発されたサランは怒り心頭といった様子で、今にも飛び出しそうになっていた。

 慌てて私が止めに入る。


「向こうの思惑に乗せられたらダメ!イーオンが帰ってきたらすぐに出発するから!」


「まだ私を馬鹿にする奴がいるだなんてっ!イーオンに無視られるより腹が立つっ!」


「ああ、ミトコンドリアのパイロットに歌を聴いてもらえなかったのかい?それは残念、君に興味がないんだよ」


「〜〜〜!〜〜〜!」


「止めなってサラン!」

「リトル・ファーザー!それ以上言ったら承知しないよ!」


「戦場で歌えば聴いてもらえるかもしれないよ?」


 その最後の言葉でついにキレたのか、はたまた本当にその気になってしまったのか、私の腕の中で暴れていたサランが急に静かになった。怖い。本気でやりそう。

 静けさが満ち、誰も何も発言しない中、通信を傍受した電子音がコンソールから発せられた。

 その時、視界からシャットアウトしていたコンソールの有り様を目の当たりにした。いくつも穴が空いてぼろぼろになっており、そのコンソールの下にはいくつかの筒状の物体が転がっていた、この火薬の臭いの元はきっとあれだろう。電子音を発しているのはその隣、侵入者に破壊されずに済んだコンソールからだった。

 発信者の名前はマンハッタン基地に滞在していたイーオンのものだった。





 本当にこんな事を続けていて良いのかと疑問に思う。

 鉄の檻の中から帰還した仲間たちが船の中で喝采を上げ、その声がコンソールから私の元にも届いていた。

 あそこの国の食べ物は美味しい、油が多くて食べ過ぎてしまうと胸焼けを起こしてしまうが、お腹が空いた時に齧り付くホットドッグは堪らなく美味い。

 (私の生まれ故郷らしい)ノルディックの食べ物は淡白な物が多い、ジャガイモは当たり前であの国にとっての高級品が海産物と言うんだから、世界中どこも食糧事情は似たり寄ったりなのかもしれない。

 そんな中で私たちの旅団は世界各地の国から『盗み』を働く。

 知らなかった、この歳になるまで盗みを働いていただなんて。小さな頃はどの国も優しくて、空を旅する私たちに食べ物を分けてくれていたと信じていた。

 だが、現実は違った。歳を重ねて大人になり、子供を卒業して働くようになってから知らされた事実だった。

 私の相棒で友達でもあるイヴリンに話しかけた、この気持ちを誰かと共有したかったからだ。


「ねえイヴリン、こんな事続けていていいの?いつか世界中から指名手配されるんじゃない?」


 互いに船を守るようにして配置に付いている。彼女が後方、私が前方、コクピットに暗視モードで表示された映像には、旅団の全ての船が太平洋上を覆い、ファーストに近い空ではドッグファイトが繰り広げられている。

 後方にいるイヴリンから返事が返ってきた。


「聞いた話によると今回が最後みたいだよ。だから気にする必要は無いんじゃない?」


「最後って…これからどうするの?」


「何処だっけ…確か、人が住めそうな土地が見つかったんだって、そっちに行くって聞いたことがある」


「それって何処なの?というかそんな所あった?」と、会話を続けていると部隊長から通信が入った。


「お喋りはそこまでだ。オーロラ、イブリン、持ち場を離れて第二種戦闘空域まで進入しろ、荷物を受け取った船は南下させることが決まった」


 その指示に肝が冷える。私たちはまだ訓練を終えたばかりで一人前のパイロットではない、戦闘経験だって勿論無い、だから進入指示が準戦闘空域である第二種までに留められている。

 私とイヴリンが返答する、二人とも声が震えていた。


「わ、分かりました」


「りょ、了解!」


「心配するな、前線が少し後退しているだけだ、すぐに持ち直す。ただ、いざという時のためにセーフティーだけ解除しておくように。通信以上、以降別命あるまで待機せよ」


 私たちの母船が舵を切って南へ向かい、空に濃い煙を残して去って行く。それを見届けた後、私たちは指示通りファースト方面の空域に向かって機体を進ませた。

 第一種戦闘空域はとても明るかった、前線で戦うパイロットたちがファーストの部隊と交戦し、墜とし、墜とされ、暗視映像で見て取れるほどの命のやり取りをしていた。

 あの前線が崩されたら私たちの出番である。

 けれど、その出番はまだまだやって来そうにない。部隊長が言った通り、暗視映像を白く染める交戦地域がファースト側へ押し戻されていた。

 私とイヴリンは安堵する。トリガーを引く決意はまだできていない、レバーを握るのがやっとだ。

 ファーストの軍用機は突出した力を持ち、世界の中でトップクラスに強い、らしい、前線に立つパイロットたちはとにかく嫌っていたように思う。

 それでもだ、数の差というのは勝敗に直結し、ただ多いというだけで優位に立つことができる。

 その事実を裏付けるように仲間たちがどんどん押し戻していく、画面を覆っていた白い閃光がどんどん小さくなり、その度に緊張が解けていく。

 総力戦である、世界各地に散らばる旅団が大西洋に集結し、最も実りがあるファーストへ()()を働いているのだ。

 それも奇襲に近い作戦だ、トップクラスの実力があるとは言えど、夜に紛れて押し寄せる人型機部隊の前では実力が出せないのだ。


(これで良いんだろうけど、きっと良くない状況になる…)


 緊張が解れると、またぞろ同じ考えが過ぎる。旅団長(皆んなからボスと呼ばれている)が言っていたように、葛藤と後悔は──。

 

「──ん?何か聞こえない?」


「何?──ん?本当だ…何か聞こえる…」


 ()()が聞こえた時、母船にいる仲間たちが楽器を演奏しているのかなと思った。けれど、母船との通信は既に切れている。

 ()()は軽やかなトランペットの音だった。





「この音は何だ?!どこから聞こえてくる?!」


 バスドラムのリズムに乗せられたトランペットの音色がどこからともなく聞こえてくる、この状況を前にしてついに気が狂ったのかとさえ思った。

 どうやら気が狂ったのは私だけではないらしく、マンハッタンの管制塔に詰めていた他の士官や管制官らも「なんか聞こえてきたんですけど!」と慌て始めていた。

 そのうちの一人が「あれ、これどこかで聴いたことがあるぞ」と言い出し、「これスーミーじゃない?」と別の管制官が私語で答えていた。


「私語は慎め!作戦中だ!」


 言われてみれば私も聴いたことがあるかもしれない、スーミーで一時期流行したジャズをベースにした曲だ。

 パイロットの誰かがコクピットで再生している...?それが聴こえてきているのか...?

 トランペットが奏でる音は軽やかかつ、()()な印象を受けた。この状況に屈せず、自分たちの勝利を確信したかのようなトランペットの音色に合わせ、ドラムとチューバの音色がそれを支えている。

 別の管制官が緊迫した様子で報告してきた。


「──ジュピター・ハブより戦闘空域に進入するスカイシップあり!IFFはミトコンドリア、ラグナカンです!」


 ついトランペットの音色に聴き入ってしまっていた私はすぐに意識を耳から引き剥がした。


「──すぐに転進させろ!離脱するように指示を出せ!」


 管制官は返事をせず、すぐにラグナカンへ通信を入れた。


「こちらマンハッタン管制塔!直ちに舵を切って引き返してください!あなたたちが向かっている空域で現在戦闘が行なわれています!」


「いやなに、これで良いんだ、ご忠告どうも」


(この声は…)


 ラグナカンから返ってきた声は確か...グレイルが"リトル"と馬鹿にしている、プログラム・ガイアの配下にあたる男のものだった。

 管制官に代わって今度は私が忠告する。


「プログラム・ファーザー、お言葉ですが現在私の部下たちが空で死闘を繰り広げています。正直に申し上げましょう、彼らの邪魔をしないでいただきたい」


「この曲、良いと思わないかい?彼女たちの──ミトコンドリアがスーミーから選曲した物なんだ」


「この曲はあなたの仕業ですか?」


「そうさ、ミトコンドリアはファーストに歌を届けると言った、そして今から戦場に歌を届けてもらおうと考えている。奇貨の恩恵を受けたのがリンカーンだけだなんて、そんな不公平な話はないだろう?」


「……」


 つい今し方、不遜にも戦場に流れるこの曲を『良い』と感じたが、今は『邪魔』に感じる。

 

「プログラム・ファーザー…あなたもラグナカンに乗船しているのですね…?」


「そうとも、司令官はどこにいても邪魔者──「ここにいても邪魔だけどねえ!!「──失礼、戦況が好転すればすぐに撤退──「話と違うでしょうが!ナノ・スピーカーの散布だけだって言ったのに何で戦闘空域に──「ああ、ミトコンドリアのお陰なんだ、通信を介さずに曲が聴こえるのは空中に散布した小さなスピーカーだ。信じられない性能だろう?どんな物質でも必ず反響させて音波を届けるんだ」


「…………」


 どうやら、あちらの人間はまともらしい、異常なのは異常な行動を指示したプログラム・ファーザーのだけのようだ。彼の言葉を遮るようにして、若い女の怒った声が割って入ってきていた。

 ファーザーが説明した通りであれば、この聴こえてくる曲は止めようがないという事になる。スカイシップであろうとラプターであろうと、それは敵も変わらず、どんな構造体でろうと反響させて中にいる人間に音を届ける。

 迷惑極まりない、聴きたい曲であれば良いが、聴きたくない曲を聴かされるストレスは高い。

 ──聴きたい曲であれば()()

 防戦一方で精彩を欠いていた部隊に変化が起こった。

 人型機の混成部隊に押されていたラプター・ウールの飛行部隊が、敵の背後を取れるようになってきた。


(これは一体、この曲のせいなのか…?)


 一度押し戻された前線が再び敵側へ進められていく、その跡を追うようにしてラグナカンが前進、曲のクオリティが上がったように思われ、曲調がより激しいものになっていった。

 ここからでは実際の戦場の様子を知ることができない、レーダーに表示された味方機の光点だけが一歩、また一歩と進んでいくのを見ているだけだ。

 この状況を好機と捉え、どこか浮ついたまま全部隊へ号令をかけた。


「防戦は終わりだ!侵入者に裁きの鉄槌を下せ!ファーストの力を見せつけろ!」





「イヴリン!この音は一体何なの?!どうにかならない?!」


「私に言われても──ああ鬱陶しい!通信も良く聞こえない!」


 そうだ、とても鬱陶しい、目の前の状況に集中することができない。

 三日月が昇る空、厚く垂れ込めた雲の下で私たちの味方が後退を始めていた。あり得ない、数の差は優位であるはずなのに、その差をひっくり返さんばかりにファーストの部隊が前進を始めている。

 暗視映像の白い部分がどんどん大きくなっていく、第一種戦闘空域が広がりを見せているのだ、もう間も無く第二種戦闘空域も飲み込まれてしまう。

 そうなったら私たちの出番だ。まだ決意は固まっていない。

 来るな、来るなと念じる度にファーストの部隊がこちらに近付き、耳に障るこの音楽が神経を逆撫でにする。

 そしてついに、


「オーロラ、イヴリン、第二旅団の部隊の援護に付け!奴らが敵の本丸を叩きに行く!」


(ああ!そんな!)


 震える指先でコンソールを操作し、システムをコンバットに切り替える。ボタンをタップしたと同時にコントロールレバーのトリガーが解除され、機体制御システムがより機敏になった。


「いいか良く聞け!お前たちが前に出る必要は無い!この曲の発信源を叩けばすぐに撤退しろ!お前たちが新人であることも向こうには伝えてある!」


「りょ、了解!」


「わ、分かりました!」


「無理はするな!通信以上!」


 部隊長からの指示が嘘であればいいのにと願う、けれど私たちの空域に第二旅団の部隊が現れた。数はたったの三機だ、おそらく前線で僚機を失ってしまったのだ、だから私たちに指示が回ってきたのだ。

 第二旅団の部隊は前線を迂回するよう進路を取り、『N/A(※該当無し)』と表示されている光点を目指していた。

 私とイヴリンがその部隊の後ろに付く、先を行く人型機のアフターバーナーも暗視映像の視覚保護を受けて白く光り、やたらと眩しかった。

 いや、もっと眩しい物があった。それは進行方向の先にある、雲の真下に位置する高度で光りを放っていた。


(あれは…?あれが敵の本丸…?)


 この曲のリズムに合わせて明滅を繰り返している船があった、私たちが乗船している物より一回り小さく、とても武装した船には見えない。

 合流した部隊がその船に進路を合わせた。どうやらあれが目標らしい。

 さっさと攻撃して任務を終わらせてほしい、そう願ったのがいけなかったのか、一番恐れていたことが現実になった。


「──ああ!嫌!」


 コンソールにロックオンのアラート警告、真っ赤に染まる画面は私が一番見たくなかったものだ。

 合流した部隊の援護を期待した、それに私が新人であることは報告を受けているはずだ。

 その部隊長から通信が入った。


「──上手く敵を引きつけておいてくれ!その間に俺たちが叩きに行く!」


 怒りと絶望で頭が瞬間沸騰する、ふざけないで、こっちは経験もまるで無いのに。


「ひっ」


 ミサイルアラート、体に染み付いていた退避行動に習ってレバーを引き上げ、敵のミサイルの射線から逃れる。

 そのまま上昇を続け、コンソールを確認する、私の背後に付いた敵機体の数は二だった。敵の進路予測はぴたりと私の機体に重なっていた。


「はっ、はっ、はっ、はっ!」


 自分が今どこに向かっているのかまるで分からない、モニターの映像は目まぐるしく空と海を交互に映しているだけだ。

 頭の中は真っ白だ、息をしている感覚もレバーを握っている感覚も得られない。

 恐ろしい、後ろが恐ろしい、首筋から背中にかけて冷たい電気が何度も流れている。

 もう一度ミサイルアラート、その射線を切るようにレバーを右側へ倒し──


「はっ、はっ、はっ、はっ!」


 ──いた、横滑りするように飛んできたファーストの機体が私の退避進路で待ち伏せしていた。

 敵機体の機関銃が発光した、コクピットに重たい衝撃が走る、レバーが揺れ、機体コントロールも乱れた。

 火薬の臭いだ、密閉されたコクピットのはずなのに火薬の臭いがした。

 

「オーロラ!逃げて!」


 もう終わりだと諦めかけた時、イヴリンから通信が入り、敵機体の機首の一部が小規模な爆発を起こした、きっと火薬が誘爆を起こしたのだ。

 助かった、イヴリンが助けにやって来てくれたのだ、でもそれは自ら敵機の前に姿を現したことになる。


「イヴリン!駄目!これ以上は──」


 意識を奪うほどの衝撃、爆発音、スーツ越しでも分かる熱い温度。ついにミサイルが着弾したのだ。

 最後に見えたモニターの映像には、イヴリンが華麗に空を飛ぶ姿が──。



 生きていた。意識が戻ったと同時にひどい安堵感を覚えた。

 

「鳥…鳥がいる…」


 大西洋の何と冷たいことか、けれど、この冷たさは私が生きている証拠であり、奇跡的に死を免れたことを意味している。

 機体の破片にしがみつき、見上げた夜空には一羽の鳥がいた。それは逆さまに翼を生やし、時折り淡く発光しながら戦場の空を飛んでいた。

 破片の近くで浮かぶ救難ビーコンよりも淡い光りを放つ鳥は、目標にしていた船の周りを飛んでいる、まるで巣を守る親鳥のように。

 第二旅団の部隊はどうなったのだろう、攻撃すると言っていた船は今なお健在だ、もしかしたらあの鳥に墜とされたのかもしれない。

 もし墜とされたとしても、不思議と哀れむ心が芽生えてこなかった。

 夜空で光る爆発の明かりに波が照らされ、その水面にリズムに乗って明滅する船と親鳥も歪んで映し出されている。その鳥が船を離れ、北西方面に向かって真っ直ぐに飛んで行った。

 迷う素ぶりが無い、飛ぶことを疑わない鳥のように、その前進翼の機体が遠く離れて行った。


「……ラ、……ロラ!応答……オーロラ!」


 ヘルメットのインカムから友人の声が届いてきた、今度こそ力が抜け、しがみついていた破片から手を離しそうになった。

 いやいや、こんな所で溺れてたまるか!せっかく生き延びたんだ!


「オーロラ!応答して!」


「イヴリン…助かったよ〜」


「ああ、オーロラ!良かったっ…ああ、本当に…」


 私を思って涙ぐむ友人の声を耳にしながら、もう姿が見えなくなった鳥を目で追いかけた。

 夜空には薄らと光る軌跡が残っているだけだった。


 うん、止めよう、私はあんな風に戦場を飛ぶことはできない。

 船に戻ったらパイロットなんて止めてやる、そう言ってやるんだ。





「管制塔よりアルファワン、敵の陣形に乱れが生じました、この隙に敵部隊の母艦を叩いてください。補給の後、指定する空域へ侵入、機対艦ミサイルで攻撃を行なってください」


「コピー。補給の後、敵母艦へMSMで攻撃」


「通信以上」


 補給機から燃料と弾薬を補給し、死の弾丸が飛び交う戦場へ戻った。

 理不尽と呼ぶべき圧倒的な戦力差の中、俺たちの味方は良くやれている方だ。ラグナカンの余計な横槍もあってか、敵の侵攻を何とか食い止められている。

 だが時間の問題だ、こちらの体力もあまり残されていない、敵がもう一度陣形を立て直したらその時こそ終わりだ。

 ──だと言うのに。


「アルファワン!お前の妹がそっちに向かったぞ!」


「ああ?!」


「味方の制止を振り切って飛び出したらしい!お前最後になんて声をかけたんだ!まさかまた喧嘩売ったんじゃないだろうな?!」


「んなわけあるか!達者でなって声かけたわ!」


 基地司令官の罵倒がスピーカーから飛んでくるがこっちも知ったこっちゃない。

 レーダーを確認する、基地司令官の言う通り、登録されていない識別反応が高速で俺たちの部隊に接近しつつあった。

 

(くそったれ!ガチかよあいつ!!)


 速いなんてものじゃない、もう既に戦闘空域に突入している。俺の位置からでは視認できない、敵の人型機と味方機が混戦し、高度が低い雲によって姿が隠されていた。

 いや、隠されているんじゃない、あいつは自分の姿を隠すようにして飛んでいるのだ。

 自機と高速で移動する光点の予測進路を計算する、間違いなくあいつは俺たちの部隊を目指して飛んでいる。

 混戦空域を抜け出し、開けた空に出る。雲の切れ目からあいつも飛び出してきた。

 案内人イルシード。あいつの愛機であるコードネーム。

 真っ直ぐと伸びるように、海上数十メートルの位置を、波飛沫を上げながら直進飛行していた。

 速い!速い!速い!敵機の熱線もものともせずこっちに突っ込んできやがる!イカれた飛び方だ!

 俺もつい、加速ペダルを踏み込んでいた。


「イーオン!!逃げろと言っただろ!!」


 返事は無い、代わりに機首を持ち上げ高度を上げている。イルシードの予測進路はぴたりと俺の──前だった。


「ふざけろてめえ!!こんな時ですら俺に勝とうってか?!」


 ホッピングマニューバで一歩前に出る、速度が一旦落ちるが仕方がない、俺の前に別の機体がいること自体が気に食わない。

 イルシードに気を取られたのがいけなかった、馬鹿みたいに空に蔓延る敵機体からロックオンされてしまった。

 ミサイルアラート、けたたましい警告音に耳が焼かれるが、つむじから響くゴエティアの声に比べたらいくらかマシだった。

 だが、耳を焼いていた警告音がすぐに消失した、別にミサイルが勝手に自爆したわけではない。

 俺たちの後ろに付いたイルシードに標的を変えたのだ。


(ガチで速え!!)


 ミサイルの標的にされたイルシードが宙を舞う。俺たちの頭上を横方向へ大きくローリングしながら、フレアを放ちミサイルを誘爆させながら舞う。

 ──不覚にも、ああ!そうさ!不覚にもイルシードのローリングを美しいと思ってしまった!

 とんでもない、死地でできるローリングじゃない、あいつは命を懸けている、アクロバットムーブに命を懸けている!

 だからこそこっちも負けていられない!コンバットムーブに命を捧げて今日まで生きてきた!たかが一八のガキに負けていられなかった。

 宙を舞いながらミサイルの群れを捌いたイルシードが俺たちと高度を合わせた。

 ──生まれて初めてだった、味方機のケツを見たのは。

 前を行く、イルシードが俺の前を行く、この混戦した空を案内するように、俺よりうんと歳が若いガキが前を行く!

 信じられねえ!まるで夢みたいだ!進めど進めどイルシードを抜かせる気がしねえ!

 前進翼に切り裂かれた空気が白い筋となり、アフターバーナーが空を焦がす。その軌跡を俺はこの目で見る羽目になってしまった。

 再びミサイルアラート、お次はデカい、敵のスカイシップから放たれた多弾頭再飛翔体だ。

 流石に肝を冷やす、イルシードより直進方向で一度目の起爆を終え、複数の小型弾頭に分裂した再飛翔体がこっちに向かって殺到してくる。

 イルシードが舵を切った、ほのかに光っていたのは気のせいか?

 ──いや、いいや違う!さっきのミサイルは標的をイルシードに変えたんじゃない!イルシードがミサイルを引きつけたのだ!

 多弾頭再飛翔体の全てをイルシードが引きつけ、俺たちより後方へ逃げるようにして飛んでいった。

 進行方向がクリアになる、あいつとのデッドヒートで気付いていなかったが、敵の本丸はもう目前だった。

 もうほんとどうでも良かった、ファーストの存亡も自分の死に場所も、妹のこともゴエティアのことも何もかも。

 あいつが目指していたという部隊の本意を目の当たりにした俺は、今まで灯ったことがない強い熱を自分の胸に感じとった。

 まだ死ねない、あんな命懸けのアクロバットムーブを見せつけられて、攻撃能力も無い、ただひたすらに敵機の攻撃を引きつけ躱し続けるあの飛び方に、衝撃を受けてしまった。

 この世界は広い、俺の視野はどれだけ狭かったのだろう、まだまだ飛べる、朝の事が記憶できないからなんだ?愛したクソみたいな女房の顔を忘れたからと言ってなんだ?

 負けていられない!あんなガキに頭を取られたまま死ねるかってんだ!

 まだまだ生きてやる。

 この空も俺にとってはただの前座に過ぎなかったようだ。


「失せろこのクソども、死にたくなかったらとっととこの空から引き上げるんだな」


 相手も決死の作戦だったのだろう、近辺に人型機の姿はなく、母艦と思しき大型のスカイシップが一隻だけだった。

 情けのつもりで通信を入れたわけではない、本当に邪魔だったから声をかけただけだ。

 敵の母艦から返答があった。


「御慈悲に感謝しよう。──撤退させていただく、どうやら運に恵まれなかったようだ」


「運だと?」


「あれはなんだ…何故あのミサイルを避けられる…」


 イルシードだろう、レーダーで確認を続けていたので視認せずとも分かる。

 イーオンはあのミサイルの群れも捌いてみせたのだ、その勇姿に敵母艦の人間は恐れを抱いたのだろう。

 自分がやったわけではないのに自分のことのように嬉しかった。


「ざまあみろこのインベーダーどもめ。あいつの名前を覚えておけ、案内人イルシードだ」


「肝に銘じておこう。──今回の賠償については議会を通じてまた連絡させてもらう」


「ああ?賠償だあ?──あ、おい!!」


 人様の物を奪っておいて賠償とは...

 敵母艦が通信を切ってさっさと船首の向きを変え、空域から離脱していった。





「いやはや、実に素晴らしいよコンキリオ少佐、まさか君たちの部隊が任務外で金星を上げるとはね」


「……………」


「何故黙る?もっと喜ぶべきだろう?連盟の失態の象徴とも言うべきノルディックの係争が、その沈静化の為に組織した私の部隊が、その為に教育機関から急遽招集させた戦術歌唱者が、その全てが無駄になったんだからね!君の部下のお陰だよ!もっと喜ぶべきだろう!違うのかね?!」


「返す言葉がありません」


「言葉を返せと言っているんじゃない!喜べと──「その辺りで、ゲーリック中佐。コンキリオ、今回の件について所感を求める」


「所感?始末書ではなく?」


「何故、このような事が起こった?」


「イーオン飛行士は並々ならぬ情熱をディヴァレッサーへ抱いていました、その情熱さが故に。また、現地パイロットの腕に感銘を受け、任務を放棄して師事を受けていたと報告を受けています。以上から察するに、イーオン飛行士は撤退ではなく援護を選択したと考えられます」


「飛行士の未熟さではないと?あくまでも飛行士の意向に従った結果だと?そう言うのだね、コンキリオ」


「私はまだミトコンドリアの指揮官であれば、その隊員らを庇うのが道理です、処罰は私だけに留めてください」


「処罰はしない、ミトコンドリアの任務は我々ヴァルヴエンドにとってとても貴重な物になる。まあ、ファーストに関するレポートが未提出だった場合、即刻任を解いて帰国するよう指示を出していたがね」


「恐れ入ります」


「ゲーリック中佐、派遣部隊を解除し、招集した隊員らを本隊へ復帰させるように。それからディーヴァたちも機関へ戻したまえ「──デキストリン大将!その決定はいくらなんでも「──君は随分とディーヴァたちと懇意にしているようだね、ハディラ・カディラにも自分専用の席を確保しているそうじゃないか、良ければ今度私も招待してくれないか?そこでならコンキリオの文句について聞いてあげよう」


「……指示に従い、ノルディック派遣部隊は解除、招集させた戦術歌唱者らも機関へ戻します」


「よろしい。コンキリオ、次からは事前に報告したまえ。今回は運が良かっただけだ、次、その飛行士や他の隊員らが異郷の空で死ぬ羽目になるかもしれない。その時になって君から始末書を貰っても誰も喜ばない」


「申し訳ありません」


「以上だ、深夜にも関わらずすまなかった、両名とも有給休暇を申請しておくように。──あ、サービス労働は一切認めない、出した体で働いた場合は即刻解雇だ」


 頭を抱えた。緊急の連絡が来たから何かと思えば...


(イーオン!!何を考えて──ああ、良かった、全て丸く収まって本当に良かった…自分の首だけならまだしも、異郷の空で首になったらどうなっていたことか…)


 時間は早朝、まだ日が昇らない時刻だ。もう起きてしまったからには眠るわけもいかず、というより興奮してしまって眠気などまるでなかった。

 最近になって良く見るようになった音楽サイトを立ち上げ、この沸騰した頭を冷却すべく、見るともなしに眺めていく。


(大したものだ、イーオン飛行士、それからサラン隊長もそうだ。立場上、どうしても叱責が先に来てしまうが、あの子らが持つポテンシャルは相当高い位置にある)


 その音楽サイトには下層、上層を問わず活躍しているグループユニットが掲載されており、注目を集める歌唱候補生らの中にリ・ホープの名前があった。

 飛行艦の発着場で行なったあのゲリラライブの尾がまだ引いており、徐々にだが人気を集めているようだ。けれど、私もそうだしサラン隊長もそうだが、まだまだ批判的な声が多い。

 所詮はブリッジホープの、というより、ミーティア・グランデの真似事に過ぎない。

 容姿が伝説の歌姫に似ていることは仕方がないとしても、せめてグループ名だけでも別のものにすれば、まだ人気は出ていたかもしれない。

 愛用の枕に頭を預けたまま、リ・ホープの流れ星を聴くことにした。


(今日は休みになったんだ…たまにはこういうのも良いだろう)


 伝説の歌姫と良く似て、けれど決定的に違う候補生の歌声が再生された。

 意識が覚醒したものと思っていたが、アルナン・ヨーコという候補生の歌を聴いているうちに眠ってしまった。





 サマクアズームからでは、東の地平線からおはようした太陽を眺めることができない。そのため、ランニングコースとして使っているこの滑走路はまだ夜の闇が支配しており、いくらか走り難かった。

 私の前をビーが走り、私の後ろをサっちゃんが走っている。

 耳に届くのは自分の喘ぐように息をする音、それからこんな朝早くから離陸準備をしている飛行船のタービン音だけだ。

 風は穏やか、ランニング中の私たちには関係ありません、けれど空を飛ぶ船にとっては絶好のフライト日和だろう。

 足元の誘導灯の色が変化し、付近を歩く人間たちに注意を促す。

 ビーが止まり、私が止まり、サっちゃんはもう既に腹骨滑走路の方へ避難していた。


「サっちゃんてめえ!」

「サっちゃんそういう所だよ!」


「え?足元見たら分かるでしょうに」


 一人だけ避難していたサっちゃんに文句を言いながら、私とビーがだっと走り出す。

 その直後、え?私たちのこと見えてないの?と言わんばかりに飛行船が背骨滑走路を駆け抜け、ようやく明るみ始めた空へ向かって飛んでいった。



 リ・ホープは今、ある問題に直面していた。

 それは集団生活における人間関係の摩擦である。

 私、ビー、それからサっちゃんは住んでいたマンションを引き払い、ノラリスの船にお世話になっている。

 もうこれがすごいのなんの、政府要人をお出迎えするような迎賓館ばりの装いなのだ。

 内装はこだわり抜いたであろう一品たちがずらりと配置され、どれを見ても目を奪われる物ばかりだ。良さは全然分からないけど、多分凄いんだろうなみたいな。

 皆んなでご飯を食べる所も、シャワーを浴びるレストルームも、洗濯する場所だけでコインランドリーみたいに質素だったけど、まあとにかく見所が沢山って感じかな!

 私たち一人一人にも個室が与えられ、しかもそれが以前まで住んでいた間取りより広いものだったから皆んなテンション爆上がりだった。

 けれど、良い事ばかりではない。私たちはアカデミーを卒業して(単位は既に持っていたのでいつでも卒業できた)ノラリスの乗組員になったわけだから、労働をしなければならない。働かざる者歌うべからず、自分のご飯は自分で用意するものだ、用意すべき物を用意してから歌唱トレーニングを行なう、当たり前のようでこの当たり前がなかなか辛い。

 アカデミーの支援を受けられなくなるのがこんなに大変なのかと、引っ越し初日で私たちは痛感させられ、三人で助け合えるところは助け合おうと円陣を組みたかったのだけど、ここでサっちゃんがそれを拒否。「自分の事は自分で何とかするのが普通じゃない?」いやその普通が大変だと話をしている...と、ちょっとした言い合いになった。

 それが初めての摩擦だった。リ・ホープはサっちゃんと私たち、という構図に陥り上手くコミニュケーションが取れないでいた。

 朝のランニングトレーニングからノラリスへ帰って来た途端、サっちゃんが「お疲れ様」とだけ言い、すたすたと搭乗口へ歩いて行く。その腕を取って「今から皆んなでシャワーを浴びようよ!」と誘いたいが、そんな事しても喧嘩にしかならない事は二日目の朝で学習済みである。

 ビーへ振り返る、困ったように肩をすくめただけで何も言ってくれなかった。

 

「ビーは?今からさっぱりするよね?」


「そのつもりだけど、お前はなにか、誰かと常に一緒じゃないと嫌なの?私は全然良いんだけどさ」


「せっかく皆んな一緒になれたんだから、別々に行動する方が意味分かんなくない?」


「まあ…そういう考え方もあるわけだが…」


「なに?」


「何でもないよ。さっさとシャワー浴びてご飯にしようぜ!」


 ビーが朝の太陽にも負けない爽やかな笑顔を浮かべた。この笑顔をこれから毎日見られるのだから、嬉しくないはずがない。

 ビーに続いて私もノラリスの搭乗口を目指す。

 腹骨滑走路から搭乗口までは橋がかけられ、その橋の上から何百メートルと下にある荒涼とした大地と、点在している人の住処を見下ろすことができた。

 何度見てもお尻がひゅううんとなるような景色を見下ろしながら、ノラリスの船内へ入る。

 この搭乗口とは別に、私たちが野外ライブをした船外発着場と呼ばれる人用の出入り口がある。そっちが本命らしく、こっちの搭乗口はどちらかと言えば、物資の搬入口としての側面が強いらしい。

 ぽっかりと空いた搭乗口は目算で十数メートルの高さがあり、確かに人が利用するには大き過ぎる。

 搭乗口から船内へ入り、ぽつぽつと置かれている積荷の脇を通って船内の一階を目指す。

 ここは倉庫として使われており、ノラリスで暮らす人たちの日用品なんかが納められている場所だ。

 うん、実に生活臭がすごい。レジスタンス組織として、また影の正義のヒーロー集団としては実に人間臭い。

 倉庫を抜けると、そこには工場のような無機質な廊下が待っており、そこも抜けてエレベーターに乗り込んでようやく迎賓館みたいなフロアへ行くことができる。

 どれだけ汚しても掃除をすればすぐ綺麗になりそうなその廊下を歩いていると、エレベーターの前で立っている人影を見つけた。一瞬、サっちゃんが待ってくれているのかなと期待したけど、サっちゃんは腕を組んで眉を吊り上げながら待つような人ではない。

 エレベーター前に立っていたのはナツメさんだった。


「ヨーコ」と、帰って来た私に向かって早々ナツメさんが凄みを利かせてきた。


「な、なんですか…」


「お前、主翼に洗濯物を干すなと注意したよな?」


「…………」


 ビーが呆れ顔になった。これはマズい、味方してくれなさそう。


「ヨーコ…」


「だって良く晴れてたし、風も出てなかったら飛ばされないだろうと思って」


「ちゃんと乾燥機もレストルームにあるだろ?何でそっちを使わないんだ」


「乾燥機ってパリパリになるし、たまには太陽で乾かしたいし」


「それなら船外発着場でもいいだろ?何でわざわざ危険な翼の上に出るんだ」


「船外発着場は風通しが悪いんだもん、やっぱり翼の上が一番良いよ、だって風を一番受ける所なんだもん」


「ヨーコ!これでも私はお前に怒ってるんだぞ?それが分からないのか?」


「悪いことはしてません!悪いことをしたんなら謝ります!」


「翼の上に出る事自体がもう悪いことなんだよ!扉にも不要な外出を禁止するって張り紙があるだろ?!」


「洗濯物は不要ではありません!むしろ必要不可欠なことです!」


「だから乾燥機を使えと言っている!」


「だから乾燥機はパリパリになって生地が傷むって言ってるじゃないですか!」


「自分の命より自分の服を優先するって言うのか?!」


「だったら翼に転落防止用の柵を付ければいいじゃないですか柵を!」


「ヨーコ!!」


「私は悪くありません!!」


 気が付いたらビーの姿がなくなっていた。ぐすん。

 この後、ナツメさんに説教されながら二人でエレベーターに乗った。





 ノラリスの船は地下一階、上三階の計四階構造をしており、ナツメさんが怒っていた主翼には一階部分から行くことができた。


(ガチじゃねえか)


 一階はまだ船としての色合いが強く、地下一階の無機質な廊下と遜色がない。その廊下の途中に主翼を外から整備するための通用口があり、その扉の前にきちんと折り畳まれた衣服が置かれていた。

 その衣服の束を手に持つ、まだしっとりと濡れていたので生乾きだろう。


(ちゃんと畳んで置かれているあたり、やっぱりここの人たちって優しいんだよな)


 私だったら畳んだりせず、適当に投げて放置する。

 手にしたヨーコの服を持ったまま主翼の通用口から離れ、エレベーターへ引き返す。


「ん?」


 エレベーターを降りた時は閉まっていた扉が開かれており、中から騒々しい音が漏れていた。

 一階部分はほとんどが機械室となっており、そう頻繁に来るような所ではない、つい気になった私はエレベーターに向けていた足を開きっぱなしの扉へ向け、中を覗き込んだ。

 油の匂いが一気に鼻へ押し寄せてくる、それから何かが細かく回転する音、電気が何かを焼く音、この巨大な船の心臓部たるに相応しい音と匂いだ。

 天井に吊るされた大型のライトはずっと向こうにまで続いている、この機械室はノラリスの中でも最大であり、メインのエンジンルームとなっていた。

 なんと驚いた事に、そのメインエンジンルームを見下ろせる通路にサっちゃんの姿があった。それから見慣れないおじさんが一人。

 無意識のうちにサっちゃんの腕を取っていた。


「わ!」


「サっちゃんこの人危ないよ、ナツメさんが言うエロじじいに違いない!」


「失礼な、私の名前はノラリスだ、エロじじいじゃない!」


「ん?ノラリスって…この船の名前だよな…?」


「そう、ノラリスさんに色々と教えてもらってたの、別に変なことはされてないよ」


「何を教えてもらってたんだ?」


 サっちゃんと、ノラリスと名乗ったおじさんを見やる。サっちゃんはランニングウェアを着たまま、ノラリスは重圧そうなジャケットにスラックス、それから胸元には変な飾りが付けられていた。

 ノラリスがその蓄えられた顎鬚を触りながら、「実に勤勉である、結構結構」と一人で満足そうにしていた。


「だからなに?」


「この船についてだよ、お世話になってるんだから何か手伝えることはないかなって思って」


「へえ〜ヨーコとは大違い、あいつまたナツメさんに怒られてたぞ」


「そりゃああんな所に洗濯物干してたからでしょ、ノラリスさんと一緒に回収したんだから」


「ああ、そういう…」


 ノラリスが豊かに眉を寄せながら、「あの子はごめんなさいと言えない病気にでもかかっているのか?」と訊ねてきた。だいたい合ってるので何もフォローできなかった。


「私らも数回しか聞いたことないな、あいつのごめんなさい」


「問題児はもう間に合っているんだけど…」


「すみません…ヨーコは昔からあんな感じで…」


「それでも招待したのは私たちだ、気兼ねなくこの船で過ごすといい。──で、さっきの話の続きだけど、国外派遣部隊に招集を受けていたディーヴァ候補生たちは、君と同時期にオーディションを受けた歌唱候補生たちだ」  


 アカデミーに通う生徒は"歌唱候補生"と呼ばれ、教育機関で戦術と歌唱力に磨きをかける生徒を"ディーヴァ候補生"と呼び分けている。

 そんな話を二人でしていたことに、少しだけ意外に思った。

 

(サっちゃん…てっきり私たちが嫌になったのかと思っていたけど…)


 サっちゃんは真面目な顔をしてノラリスに言った。


「なら、私たちが教育機関に入っていたら、そんな無謀な事をやらされていた可能性が…」


「あった、今回は運良く派遣先の情勢が安定に向かったからこの話自体がなくなったけど、何の教育も済んでいない候補生がいきなり戦場へ投入されていた可能性があった」


「んだその話、本当か?」


「本当だよ、私たちはタイミングが良かったんだよ」


「一つ訊きたい事がある」と、ノラリスおじさんが改まってそう言ってきた。


「どうして君たちはディーヴァを目指す?ヴァルヴエンドにはディーヴァ以外にも生きる道があるじゃないか、民間で自分の曲を売ったりね。わざわざ危険な道を歩もうとしているその自覚はあるの?」


「自分の歌で人の命を救えるんだ、多少の危険は覚悟してるさ」


「ディーヴァは誰もが目指す称号です。戦場で武器を持たずに心を震わせる歌を奏でる者、それがディーヴァ」


「そうか──」と、納得しているのかしていないのか、ノラリスおじさんの言葉に重ねるようして、私たちの後ろから──こんなにうるさい所でも──良く届く声で歌い上げる奴がいた。


「ミーティア・グランデに負けないため!私の方が凄いってことを証明するためにディーヴァを目指す!」


 ヨーコだ。ナツメさんに叱られていたので放置してきたヨーコが、そう宣言した。

 伝説の歌姫を超えるため、と。

 私たちの話がヨーコの耳にも届いていたのだ。

 ヨーコの桃色の髪が、メインエンジンから排出された汚い空気にあてられ、ふわりと舞った。

 サっちゃんと上手くいっていないのに、ナツメさんに叱られたばかりだというのに、ヨーコの瞳には強い光が宿ったままだ。

 その強い光は流れ星のよう、その煌めきは何をもの光を凌駕する。

 アルナン・ヨーコだけはこの先何があっても夢を諦めないだろう、そう確信した。

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