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Cell.3 案内人イルシード




 電母(でんぼ)【固有名詞】

 またの名を閃雷娘娘(せんでんにゃんにゃん)

 雷公と共に現れ雷をおこすとされている、中国、道教に伝わる神。にゃんにゃん。

 雷は"神鳴り"と言われ、過去において、雲の上の放電現象は神の仕業だとされていた。にゃ〜ん。ぴかっ!




「私が皆んなを案内します」


 ゲイクムヌ、それからラグナカンのブリッジが静かになった。


「イルシードで嵐の隙間を抜けて、安全な高度まで上がったら救難信号を出すんです。ヒマラヤの向こうには漢帝がありますから、きっと信号を拾ってくれるはずです」


 おや?このスフィアはアニメーションのアプリがインストールされているらしい。スフィアが飛んだり跳ねたりしながら、ラグナカンにいる皆んなの声を届けてくれた。


「馬鹿!」

「それは駄目だよ危険過ぎる!」

「イーオンもっと真面目に考えて!」

「こんな状況でも飛びたがってて草」


「他に方法はあるの?デンボーに捕まってもう後戻りできないんだよ?だったら進むしかないよ」


 スフィアが沈黙する、他に代案が思い浮かばないらしい。

 ばーばも私の案に反対した。


「イーオン、お前には無理だ、どうしてだか分かるか?お前はデンボーに負けたからこの船にやって来たんだ、そんな奴がこの嵐を抜けられる道理がどこにある?」


「そう!そうだよイーオン!考え直して!」

「意地悪ばばあに賛成!」

「私も船長の意見に賛成」

「でもどうするの?イーオンの言う通り、ちょっとずつつ前に進んでるよ?そのうち飛べなくなっちゃうんじゃないの?」


「…………」


 テクニカの意見にばーばでさえも口を閉ざす。

 イシュウは何も言わず、ただじっと事の成り行きを見守っているだけ。

 観念したようにばーばがはっ、と息を吐き出した。


「イーオン、案内すると言ったが、どうやって?この嵐を抜ける方法でも知ってるって言うのかい?この私ですら知らないことをお前は知っているとでも言うのか?」


 ごくりと唾を飲み込む。


「…デンボーは電場と磁場の両方がある、だから通信が混線して、ヴァルヴエンドの本部とも連絡が取れない」


「それで?」


「逆に言えば、その電磁波を利用することができる。電磁波は電場と磁場の作用に対して垂直方向、つまり横向きにしか進まないので、電磁波が発生していない空域を見つけられることができる」


「──今の話どう思うね」


 ばーばがラグナカンにいる皆んなへ問いかけ、答えたのは我らが天才船長クルルだった。


「イーオンの話は電磁波を放つ物体がその空間に固定されている時だけ、それに電磁波は屈折したり反射したり、空間中の別の物質に影響を受けてしまうから実質は無限大だよ、安全な空域を見つける根拠としては乏しい」


 理路整然と反論を受けてしまった。

 けれどばーばの意見は違った。


「だが、この子の言う事にも一理ある。電磁波だけじゃなく、安全な空域を見つける手段は他にもあるはずだ」


「ヒマラヤ山脈の向こう側は乾燥地帯…よね」と、サランが発言した。


「そして私たちがいる側は豪雪地帯でもある…その違いを雲の中から見分けられたら…あるいは…」


「ヒマラヤの向こうに拘る必要がどこにあるって言うんだい、私たちはとにかく高高度へ抜けてデンボーを見下ろさなくちゃいけない、そうでなくちゃこの嵐に揉まれて藻屑になっちまう」


「雲を抜けるだけなら逆に流れに乗ったら?電磁波って右向きにしか発生しないんでしょ?だったら電磁波からラスボスの居城を割り出して、上昇気流に乗ればいい。違う?」


 ラスボスの居城って何、どこから出てきたのラスボスの居城。

 けれど、ラグナカンにいる皆んなはテクニカの話にピンと来たようで、「それだ!」と声を揃えていた。


「積乱雲は上昇と下降の二つの気流がある!これだけ強い磁場が形成されているなら電磁波から気流を割り出せるはずだ!」


「ちょいとお待ち、雲にだって気分ってもんがあるんだ、生まれたての雲は気分も良くてすぐ上向くが、死にかけの雲はすぐに気持ちが下向く。目の前のどの雲がそれなのか、お前たちに見分けがつくのか?この歳になるまで空で生き続けてきた私にだって分かりゃしないよ」


 ずっと黙っていたイシュウが口を開き、諭すように言った。


「ばーば、怖がっていたら前に進めません、これはそういう話だと思います」


「イシュウ!お前はまた口答えをして!」


「皆んなが進む方法を考えてくれました、あとはイーオンに託すだけです」


 スフィアからも反対の声が。


「待ってイシュウって人!イーオンはただ空を飛びたがってるだけだから!多分そこまで深く考えてないと思うよ!」

「そうだよ!まだ時間はある!もう少し皆んなで考えようよ!」

「意地悪ばばあの言い分は最もだよ!誰かが反対して考えを揉まなきゃ良い案も生まれない!」

「誰もイーオンの味方してなくて草」


 船の揺れがどんどん強くなる。ブリッジに置かれている木彫り細工の人形や、椅子、コンソールデスクの上に置かれたままになっているコップ、それからスフィアも、揺れてかたかたと音を立て、映像に乱れもあった。

 イシュウが私の手を取る、真っ直ぐに、あの時見せた決意の顔で、見つめている。


「私はイーオンを信じる、ばーばはできこっないって言ったけど、ばーばですら飛んだことがない空を飛んでイーオンは生きてるだもん。イーオンなら私たちを案内してくれる」


「待って!イシュウ、待って!そういう事ではないの!もっと案を出して安全にしましょうって言ってるの!」

「イーオン!駄目だよ!まだ飛んだら駄目だからね!」

「イーオン!飛びたい気持ちは分かるけど今はぐっと堪えて!」

「でも早くしないとマズいよ、揺れがどんどん大きくなってる」


「イーオン、この揺れが収まることだって考えられる、電母様が雲の上まで導いてくれるかもしれない。それでもお前は危険な橋を渡ろうって言うのかい?」


 今度はばーばが私を諭してきた──いや、違う、ばーばは私の決意の底を確認しているのだ。

 だから私は、イシュウのようにあれ!と念じながら、お腹に力を込めて答えた。


「たらればで生きていけるほど世の中甘くはないんでしょ?ばーばが言ったんだよ。私だったら安全な道を見つけて案内できる、確実に生き残れる方法を見つけた人が生き残れる」


 破顔一笑。阿鼻叫喚。ばーばは笑い、ラグナカンの皆んなは悲鳴を上げた。


「──はあ、まさか同じガキに二本も取られるだなんてね、私もヤキが回ったよ──イシュウ!こいつの機体にシーリングしてきな!それが終わったらさっさとこいつを飛ばしてやれ!」


「はい!──行こう!」


「うん!」


 イシュウと一緒に倉庫へ向かって走り出した。





 生きた心地がしない。自分のベッドの上で過ごすあの時間がいかに満たされて平和であったことか。

 それは何も、我らが天才飛行士イーオンがこの空を飛ぶからと言ったわけではない、この景色だ、この積乱雲だ、テクニカが言ったようになるほどと、確かに言い得て妙である。

 怖い、純粋な恐怖を感じる、上にも下にも分厚い雲が存在し、ただの水蒸気のはずなのに、とてつもない質量を持っているかのように感じる。雲と衝突してしまうんじゃないか、衝突したらラグナカンが壊れてしまうんじゃないか。

 それにあの穴はなんだ、ぽっかりと空いた大きな穴が深い深い底無し沼に見える。しかもその穴が上にも下にも存在している。

 確かに、この世界を混沌に陥れるような悪い奴が根城にしていそうな場所だ。

 僕たちは今からこの空を飛ぶ、いつ抜けられるか分からない、そもそも無事に辿り着けるかも分からないこの空を。

 さっきからずっと指が震えている、それが恐怖から来るものなのか、ラグナカンが暴風に曝されているからなのか、どっちか全く分からない!

 ああ!恐怖に飲み込まれてしまいそう!

 

(狂気に飲まれた方が楽だと何かの本で読んだことがあるけどその通りだよ!正気でいるから恐怖を感じてしまうんだ!)


 がつん、とした衝撃の後、一〇本の指がてんでばらばらの方向へ引っ張られた。そのお陰で理性を取り戻すことができた。


「あーーー!操縦席に殺されるぅーーー!ぐぬぬぬっ!」


 異変が起きたのはラグナカンだけではない、アイスピックホエールにも起こっていた。

 ラグナカンの船首に突き刺さったワイヤーロープが今にも切れんばかりに張っている、その根元にいるアイスピックホエールがいきなり高度を上げのだ。

 いいや、上げたんじゃない、上昇気流に押し上げられたんだ!

 ギーリが叫ぶ、その叫びを聞いてまた恐怖が押し寄せてくる。


「鯨の尻尾が!まだイーオンは出てないよね?!あそこにイルシードが収まってるんだよね?!マズいよこのままじゃっ──」


 アイスピックホエールの尾鰭から背骨にかけて亀裂が入っている、何とか距離を縮めようとするが、今度はラグナカンが一気に上方向へ押し上げられ、あっという間に高度が逆転してしまった。

 誰かが、ああ!と叫ぶ、亀裂を起点にして尾鰭が壊れてしまい、中から色んな物が外へ飛び出した。

 その中にイルシードの姿があった。満足にエンジン出力も上がっていないはずだ、あれでは空を飛ぶことができない!

 でも!イルシードに乗っているのは我らが天才飛行士イーオン!

 木の葉のようにひらひらと落ちたかと思えば、落下スピードを利用して上昇飛行へスムーズに移行していた。

 あり得ないと思った、この非現実的な景色よりもイーオンの操縦の方があり得ないと思った。

 イーオンから通信が入る。


「お待たせ!私に付いて来て!」


 それだけ?あんな事があったのにたったのそれだけ?

 それでまた踏ん切りがついた、怖がってはいられない、ラグナカンよりうんと小さなイルシードに乗るイーオンが怖がっていないんだ。

 どちらかと言えば、ギーリの方がアクシデントに強いと思う。現に今も、隊長のサランではなくギーリが指示を飛ばしている。


「イーオンに任せっきりじゃ駄目だよ!私らでも抜けられそうな道を見つけるんだ!レーダーでも何でも使って皆んなで見つけるよ!」


「行くぜノーダメノーコンティニュぅ〜!」


 テクニカもギーリの発破を受けてやる気に...いや違う、あれはただやけっぱちになってるだけだ、声が震えているのが手に取るように分かる。


(よし!周りを見る余裕が出てきた!何とかなる!)


 案内人イルシードが、真っ赤に燃えるかなとこ雲を迂回するように進んでいる、僕とゲイクムヌはその後を追いかけ、かなとこ雲の天辺に出た。

 出たかと思えばその向こうには逆さまになっているかなとこ雲があった、無数の大穴が空き、ちろちろと青光りした舌を何度も出している。

 指は今にも千切れそうだ、指先の感覚だって随分と感じていない、レバーリングを外した途端ポロリと落ちるかもしれない。

 それでもだ、僕たちの前を行く案内人の背中を見ていると、そんな弱気が引っ込んでしまう。

 イルシードは両翼を何度も細かく調整しながら、時に煽られながら、徐々に高度を上げて行く。

 サランは信じられない物を見ているかのように言った。


「どうして…どうしてイーオンはこんな空を飛べるの?何か見えてるの?」


 僕は生憎とお喋りに参加できない、その答えが分かっていても口を開けなかった。

 代わりに我らが副隊長ギーリが答える。


「きっと、一度目の飛行でコツを掴んだんだと思う。ぶつかったら駄目な気流と、ぶつかっても平気な気流が分かるんだよ、イーオンには」


「たった一回で?たった一回の飛行でそこまで分かるの?」


 さもありなんと、ギーリが断言した。


「だからイーオンがミトコンドリアに選ばれたんだよ」


「やっぱり…さっきは電磁波がどうとか言ってたけど、そもそも飛ぶ自信があったから案内するって言ったんだね」


 ──電磁波。

 さっき見たかなとこ雲は放電現象を起こしていた、他の雲よりも明らかに電場が作用している証だ。

 前方にイルシード、右斜め前にゲイクムヌを確認し、集中を切れさせないよう注意しながらギーリに伝える。


「イーオンに連絡を入れてみて!きっと繋がらないはず!」

 

 ギーリが「それだったらやる必要性が」と小声で呟くも、すぐに僕の意図に気付いてくれた。


「繋がらない!さっきは繋がったはずなのに!この空域は電磁波が飛び交ってるんだ!」


「私がレーダーを見てみる、ギーリはそのままモニターを監視してて!」


 ようやく息を吹き返したサランがそう指示を出す。

 電磁波よりも注意しなければならない事がある。ゲイクムヌはこのデンボーと名付けられた超巨大積乱雲に捕まっているのだ。

 

「電磁波が発生してるなら磁場もあるって事だよね?雷に…あ〜それから何だ、何に気を付ければ──「砂嵐!」×2「そうそれだ!」


 それはすぐにやって来た、イルシードの左斜め前、逆さまかなとこ雲の向こう側、黒い塊が群れとなって押し寄せてくる。その大きさは数十キロは下るまい、どんどん塊が大きくなってきた。

 つまり、逆さまかなとこ雲に対して磁場は水平方向に働いていることを示す。

 であれば、電場は磁場に対して垂直方向だから──。


「電磁波の進行方向は真上だ!あの砂嵐の向こう側へ行けたら──いやというかその前に避けないと!「もう無理!!」


 一瞬で視界が黒く染まる、磁気力を持った砂の大嵐だ。左右も上下も嵐で埋め尽くされている、僕を怖がらせていた雲たちは見る影もない。

 突入した。


「──あ、もう駄目!」


 僕が自分の意志でレバーリングから指を離すのと、モニターに『レバーリング:ロック、ダイレクトレバー:アンロック』と表示されたのがほぼ同時だった。

 がんがんと巨人に叩かれるような衝撃が何度もラグナカンを襲う、前を飛ぶイルシードを心配する余裕すらない。

 操縦システムも僕の指が持たないと判断したのだ。

 グラス型ヘルメットの下側、見切れた部分から見えた限りで、僕の指が何倍にも膨れ上がってパンパンになっていた。骨折していないことを祈るばかりだ。

 もはや自分の手とは思えない手でレバーを握り締め、ラグナカンの姿勢制御に務める。レバーを引けども引けども一向に持ち上がらない、操縦システムがラグナカンにかかっている負荷を疑似的に投影させているせいだ。

 つまり、ラグナカンの船首がどんどんマイナス域に向かっている。

 堪らず僕は助けを求めた。


「レバー引っ張って〜〜〜!このままじゃ落ちるぅ〜〜〜!」


 三人ともすぐに駆け寄ってくれた。

 四人がかりでレバーを引く。


「痛い痛い痛い痛い僕の腕じゃなくてレバーレバー!」


 誰だ!僕の腕を引っ張ってるの!手首からもげちゃう!

 ようやくだ、四人がかりでようやくラグナカンの姿勢が安定域に達した。もし、レバーリングで操縦を続けていたらと思うと...間違いなく指が落ちていたはずだ。こっわ。

 僕の真横に立つテクニカが唐突に「あれナニジン?!」と叫んだ。


「ギーリ!今の見た?!」


「見てないよ!何を見たの?!」


「何と言われたら困る、けれど絶対変なのがいた」


「見間違いじゃないの?!サランは?何か見た?!」


「見てる余裕なんかない!クルルの指が今にも弾けそうでヒヤヒヤする!」


「いや僕の指は見なくていいよ!サランもモニター見てて!──イーオンは?!意地悪ばばあはいる?!」


「大丈夫!ちゃんといるよ!」


「おっかしいな〜ラスボスが飼ってるケロベロスだと思ったのに…」


「犬がこんな所飛んでるわけないだろ!」


 一瞬で空を覆い尽くした砂嵐が一瞬で過ぎ去り、再び大質量の空が視界に戻ってきた。

 おや?と思った時と、イーオンから通信が入ったのが同時だった。


「こちらイーオン!次黒い塊が飛んできたら全力で避けるから!飛んでてもちっとも面白くない!」


 通信が回復したことは良いことだ、うんうん、電磁波の影響も少なくなったということだ、それも良い、うんうん。

 え?イーオン?言うに事欠いてそれなの?


(あれ…なんだろ、なんというか…)──っ?!」


 そこで無慈悲なシステム通知。『ダイレクトレバー:ロック、レバーリング:アンロック』と出た。


「鬼ぃ〜〜〜!もうこのレバーでいいじゃ〜ん!」


 ぱっと離してアシストカバーに腕を通す、そしてまたぱっと指にレバーリングがはまった。


「──いやそんな事よりも、今の砂嵐だったよね?どうして僕たち平気なの?あの嵐は磁性体なんじゃないの?」


「言われてみれば…砂嵐じゃなかったってこと?」


「クルルがラグナカンにバフかけたのでは?「そのバフってのが良く分かんないけど僕にそんな暇がなかったのはテクニカも知ってるよね?!」


 こっちはてんてこ舞いだったっていうのに、案内人は素知らぬ顔でなおも飛行中、高高度へ上がるための上昇気流を捉えた様子もなく、マイペースに高度を上げている。

 ここでゲイクムヌから通信が入った、ラスボス雲に突入してから初めてである。

 意地悪ばばあはもう意地悪ではなくなっていた、その声はすっかり威勢が削がれ、今にも倒れそうなほど弱々しいものになっていた。


「電母様だ…私は電母様の怒りを買ったんだ…分かっていたんだ…イシュウの言う事が正しい…生きていくためだと人を見下してきた結果がこれだよ…」


「いやちょっと意地悪ばばあ!元気出しなよ!こっちまで元気がなくなっちゃう!」


「命を助けた者に命を預けるしかない…お前たちが立てた予想はことごとく全て外れた…この山に閉じ込められた砂も、磁場を生む電母様の下僕だったってことだ…」


 そうかもしれない、いや事実として、砂が磁場を生む物体だった事は僕たちが生きて出られたことがその証明だ。

 磁場を形成する物体はその磁場に影響を受けない。

 なら、ゲイクムヌは何に引っ張られたんだ?

 この空には砂以外の磁性体が潜んでいることになる。

 意地悪ばばあが全てに達観したように、自分の命に諦観したように言った。


「電母様だよ、この空に電母様がいる…だから私は捕まってしまったんだ…もうイーオンだけが頼りだ、あの子の勘に私らの命が乗っかっている…」


 通信が切れる。すぐにギーリが毒を吐いた。


「なんで年寄りって理解できない事があったらすぐに神様のせいにするんだろうね」


「だから信仰が生まれたんじゃない?」


「それ言えてるかも〜」


「私賢い〜わらわら「そこ!現実逃避しないの!それに意地悪ばばあの言う通りだよ!私たちでイーオンをサポートしないと!」


 でんぼ様とやらが一体何者なのか、生憎と神学は門外漢なのでその知識が無い。でも、察するに空の支配者か、あるいは雷を司る神様なのだろう。


(本当に…?本当にそんな超常的な生き物が存在するの…?)


 サランがテクニカに訊ねる。

 

「ねえテクニカ、さっき変なの見たって言ったよね?それがもしかしたら意地悪ばばあの言うでんぼ様じゃない?」


「人じゃなかったよ、犬だったよ犬」


「いやその人か犬かはこの際重要ではなくて、それが磁気を帯びた物体だったかもって話をしてるの」


「仮にそれが磁石の役割をしてたとしても、私たち平気だったじゃん。意地悪ばばあの言ってることって外れてると思う」


 この空域に迷い込んでしまった鳥の群れがあった。斜め下、距離は数キロ先、案内人のように風を読みながら僕たちと同じ進路を飛行している。

 可哀想だと思った、けれど大したものだと思う。鳥たちは諦めることなくそれでも翼を動かしている、僕たちと同じように。

 鳥たちのすぐ下には、アルプス・ヒマラヤ山脈のような雲の群れがあった。峰のように鋭く立ち、雪をまぶしたようにまだら模様だ。

 僕はその鳥を監視しながら、自分の考えを口にした。


「周期的に発生していると思う、さっきはたまたま、次はどうなるか分からない」


「放電が終わったあとってこと?」


「そう、自然の放電って常時発生してるものじゃないし、そうなると電場や磁場が発生してないのも頷ける」


 テクニカがギーリに向かって「何の話してるの?」と訊ねるのが聞こえ、ギーリが「魔法は連発できないって話」と謎の例えを用いていた。

 鳥たちは進路を変えたようだ、進行方向に対して左側へ角度を付け、僕たちに背中を向けて飛んでいく。

 僕はたったそれだけの事で焦った、人間には感知できない何かをあの鳥たちは察知したのではないかと。

 鳥たちは正しかった、でも間に合わなかった。


「あ〜鳥〜〜〜!!」


「何事なの」

「クルル?何が見えてるの?」

「──あれだよあれ!犬!ケルベロス!」


 テクニカも気付いた。

 鳥たちが飛行していた真下、山のように峻厳な雲の隙間からそいつが現れた。

 残骸だ。ズームした映像を見る限り、何かの残骸が意志を持ったように暴れていた。その暴力に鳥たちはなす術もなく蹂躙されてしまい、一羽と残らずこの空から去っていた。

 ズーム映像をワイドスクリーンにも表示させ、サランがその残骸を見て間髪入れずに「デブリだ!」と叫んだ。


「ごみ?」


「そう!宇宙のごみ!低軌道上を周回してる衛星の成れの果て!きっとここに落ちてきたんだと思う!」


「そんな物が…ってことは、ここいら一帯は衛星のゴミ捨て場になってるってこと?」


「そうだと思う!」


 残骸は積乱雲が持つ気流に揉みくちゃにされ、今も山脈のような雲の上で暴れ回っている。

 今はただの残骸の群れだが、場合によっては犬に見えなくもない。テクニカも「幽霊見たり枯れ尾花」と急に難しいこと言って一人で納得していた。


「残骸すら閉じ込めるってアルプスの山はヤバいね」とギーリが言う。


「アルプス・ヒマラヤ山脈は南北で大気の流れを遮断してるの、そのせいでモンスーンが発生して私たちが住んでいる南側では雨と雪、北側のチベット周辺は逆に乾燥地帯になってる」


 サランの解説にテクニカが「な〜る」と合いの手をうった。それ合いの手なの?


「だからさっきその違いを見分けてここを抜け出す足がかりにしようと言ったんだね。サラン賢い」


「そういうテクニカも十分賢いわ」


「いや〜賢い人たちの会話を聞いてたから知性が勝手に上がった」


「楽だわ〜ティーキィーそれは楽だわ〜、経験値稼ぐ必要ないんだもん」


「──お喋りはそこまでにしてね。皆んなモニターを監視して、残骸がこの一帯を飛び回っているなら注意しないと」


 僕がそう促す、お喋りをする余裕まで得た皆んなが再び集中する気配が伝わってきた。

 ──僕は皆んなに注意を呼びかけるより早く、左手人差し指のリングを強く引っ張った。ぐんと速度が上昇し、誰かがブリッジの床に尻餅をついた。


「クルル!黙って速度を上げないで!」


「ごめん!でもイルシードが危ない!」


 それだけで伝わったらしい、サランがイルシードへ通信を入れるも「また電磁波帯に突入した!」と教えてくれた。

 イルシードの右斜め後方、上昇と下降の気流が入り乱れているのか、上下に激しい水蒸気の流れを作っている雲から残骸が飛び出してきた。

 僕たちは進行方向上だからいい、ゲイクムヌも回避行動に移ったけどイルシードはまだ気付いていない。

 通信も今は使えない、速度を上げて正解だった。

 残骸に食われたさっきの鳥たちが脳裏を過ぎる。あんな風にさせてしまってはいけない!


「全員席に着いて対ショック姿勢!あの残骸をラグナカンのお腹に当ててやり過ごす!」


 返事は無い、ラグナカンの唸るエンジン音で皆んなの動きを探ることもできない。

 左手人差し指を引っ張りつつ、やけに軽い左手小指を外側へ開く、攣りそう、ラグナカンの左主翼がマイナス域へ転じ、それに合わせて船体がかくっと傾く。

 飛び出してきた残骸はロケット燃料のタンクだったのか、円筒形をしており、見たことがないシンボルマークが印刷されていた。

 円筒形の残骸以外にも、何かの躯体と思しきフレームだったり、ひしゃげてしまったパネルだったり、様々だ、その残骸の群れが速度を上げ、錐揉みしながらイルシードの背後へ迫る。

 さらに加速リングを引っ張る。あれ?十分な加速をしているはずなのにイルシードに追いつけない、どうして?

 サランが叫ぶ。


「クルル!イルシードも加速してる!」


「何で!」


「分かんないけど!分かんないけどクルルに合わせてイーオンも速度を上げてるよ!」


 残骸が進行方向に対し、水平に散らばった。


「もしかしてクルルに抜かされると思ってるんじゃない?!だから速度を上げたんだ!」


 ギーリがそう言うと、テクニカが「草あ〜!」と叫ぶ。


「はあ?!そんなつもりはないって!通信入れて!入れるまで入れて!」


「やってる!まだ駄目!電磁波帯から抜けてない!」


「もう!このままじゃ危ないってのに!──ごめん皆んな!」


 散らばった残骸が気流に押し上げられ、僕たちと同じように速度をつけた。

 ラグナカンのお腹に当ててやり過ごす作戦はもう取れない、かと言ってこのまま突っ込めばブリッジに直撃して皆んなが危ない。

 取った行動は一つ。ローリングだ。

 速度を殺さず、右手中指、小指をなんか良い感じに広げる、左側へ傾いていたラグナカンが水平、右側へと傾き、どんどん傾く。


「クルル?!」

「ローリングだよ!そうじゃないと目の前の残骸に当たっちゃう!」


 もう後戻りできない、今さら水平に戻せないところまで来たら、左手中指、小指を限界まで引っ張る。システムからアラート通知、体の右半分に全体重が乗り、その体重が頭に乗った時強い眩暈を覚える。吐きそう。でも大丈夫そう!速度はまだ死んでいない、体左半分が重たくなり、ついで足元に力が入るようになった時、左主翼に残骸が当たってしまう。またシステムからエラー通知。

 ラグナカンが水平位置に戻ってもエラーが鳴り止まない、どうやら一回転してしまったので船内設備に異常が出たらしい。そりゃそうだ。

 いや、そんな事よりも...案内人イルシード!


「何でまだ前を飛んでるんだよ〜!!しかも僕の真似までして〜!!」


 イルシードはラグナカンのすぐ前、距離にして五〇メートルもない前方でローリングをしていた。どう?私の方が上手でしょ?と言わんばかりに滑らかな動きだ。

 と、前を飛んでいたはずのイルシードが急に速度を落とし、ラグナカンの真下、お腹の位置についた。なんで?

 ローリングという曲芸飛行から復帰したサランが、「もしかして…」と言う。


「もしかして…イシュウって人もイルシードに乗ってるの?」


「え?」


「だって、イーオンって自分のテリトリーに厳しいじゃない、だから抜かされまいと速度を上げたんでしょ?それなのに急にこっちの意図を汲んだように速度を落としたから…」


「イシュウって人がイーオンに助言した?だから前を譲ったってこと?」


 すると、ここまでの緊張と疲労と、僕が脳みそを振ってしまったせいもあって声が沈んでいたサランが「あ〜あ〜!」と怒り始めた。


「なんかすごいムカついてきた!私には八つ当たりするくせに出会ったばかりの人には自分の機体に乗せるの?!なにそれすごいムカつく!私は絶対乗せないくせに!私の言う事は聞いてくれないくせに〜!」


 状況的にはそうかもしれない、イシュウという人は尾鰭が破壊される直前までそこにいたはずだ。咄嗟の判断でイーオンがイルシードへ乗せたとしても、何ら不思議ではない。

 ダウンしていたギーリも復活し、「あんなデスローリングの後にお喋りできる二人が信じられない」と感嘆し、サランへ止めを刺した。


「運命の相手って時間とか超越するからね。ティーキィーと出会った時恋人いたけど、半日で私の物にしたし」


 その情報今必要なの?というかまさかの奪略愛。

 それテクニカが単に他好きしただけなのでは?と言うより早く、周囲の空域に変化が起こる。

 ラグナカンより上、高い高度から残骸が落ちてきた。運良く小ぶりな物だったので、鈍い衝撃が走っただけで済んだ。

 どうして?その答えは、置き去りにしたはずの残骸たちが教えてくれた。

 速度をぐんと上げて僕を追い越し、どんどん上へ上へと昇っていくのだ。

 デスローリング最後の被害者、テクニカがぐったりとした声で僕に判断に求めてきた。


「あれ…あれに乗ったら上まで行けるんじゃね、そろそろセーブしたい…疲れた…」


 頼みの綱の案内人も僕のお腹で沈黙したまま、きっとあの残骸が見えていないのだ。ゲイクムヌもラグナカンの背後に付いている、さっきの残骸に被弾してしまったのか、鯨の眉間にパネルが突き刺さっていた。

 皆、もう満身創痍だ。ラグナカンのお腹、それも船首にぴたりと付け、こっちの隙を窺うようにして、今にも飛び出そうと構えているイルシードの方がおかしい。

 判断の時。僕は皆んながそう呼んでくれる操縦士クルル!


「行こう!あの流れに乗ってデンボーを抜けよう!」


 なんか操縦システムから通知が届いたけどそれどころじゃない、左手人差し指のレバーリングがぐんと重たくなり、けれど残り九本の指がぐんと軽くなった。

 ラグナカンの船首をプラス域へ、その瞬間、さらに加速リングが重たさを増し、残り九本の指が全部落ちたのかと思った。リングに締め付けられていた感覚がまるでない、ついに神経が狂ってしまったようだ。

 それなのにこれはどういう事なのだろう!ラグナカンもどんどん高度を上げていく、軽やかに、暴れることなくスムーズに!加速リングも限界域を超えてなおまだまだ余力を感じる!

 残骸の群れと追いかけっこだ、追い越しは抜かれ、競い合うようにデンボーの天辺を目指す。

 その群れの中に鳥の死骸を見つけた、残骸に命を奪われた時はあんなに高度が低かったのに、その鳥たちが死した後、空へ向かっている。

 僕は鳥たちに応援してもらっていると思った、僕はただ見ていただけなのに、その鳥たちが翼を広げ、導いてくれているようだった。

 確かに、こんなおかしな状況で、物理現象も乱気流に飲まれてしまうような場所で、不可思議な事に遭遇したら、神様のせいにしたくもなる。

 その神様がついにその姿を見せた。

 ブリッジの皆んなが「あれ何〜〜〜!」と叫んだ。

 そいつは最後の積乱雲に隠れていた、放電現象が起こっている雲の中、そのシルエットだけを浮かび上がらせている。


「逃げて逃げて逃げて──」

「残骸には見えない!稼働しているように──」

「ここまで来てやり直しは挫折案件──」


 もう皆んな大パニックだ。

 あの積乱雲の中に残骸が集まり閉じ込められ、まるで何かがいるように見えているだけだ。それに合わせて雷も発生しているから、あたかもそういう風に見えるのだろう。

 でも、


(一〇キロ近くある残骸ってなに?それこそ衛星そのものが閉じ込められでもしない限り…いやそもそもどうして落下しないの?)


 直上、ぽっかりと空いた穴がある、けれどそれは底無し沼ではなく、月明かりに照らされた大気圏だ。

 あと少し、あと少し、いよいよ加速リングにロックがかかる、これ以上速度は上げられない、あと少し!

 イルシードが前へ飛び出した。



「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「ああ、ああ、ありがとうございます…ありがとうございます…電母様…電母様のお陰です…皆が無事です…ありがとうございます…本当にありがとうございます…」


 ラグナカンはとても静かになっていた、いや一人だけ神に祈りを捧げているのでうるさいけど。

 この静けさが怖い、さっきまでずっっっっっと機体が揺れていたので、まだ揺れているような感覚がある。

 指は落ちていなかった、自動航行に切り替え、アシストレバーから引き抜いた僕の手にはちゃんと一〇本の指が付いている。膨れ上がって手袋をはめているみたいだけど、ちゃんと付いていた。

 皆んな放心状態、僕もそう、話す気力も立ち上がる気力もない。今頃になって喉の渇きを覚えたけど、ブリッジから出る気になれなかった。

 ワイドスクリーンのモニターには木星の表面が映し出されていた。別に木星まで飛んできたわけではない。

 成層圏まで何の汚れもない綺麗な空が広がり、真円に近い月が照らしている。けれど、ラグナカンより下は木星の表面を映したように酷い有り様だった。

 どろどろに溶け合った雲が蠢き、その隙間から青白い光が何度も発生している。その光景が水平線の彼方まで続いていた、僕たちはこんな空の中を飛んできたのだ。信じられない。

 信じられないと言えばイルシードだ、今し方もラグナカンの前を横切り、上方向へローリングしている。

 今度は雲の上をすれすれで飛行し、かと思えば雲の下を潜りすぐ上がってくる、それを何度も繰り返して雲を宙へ跳ね上げさせていた。

 遊んでいた、イルシードはこの空の上で遊ぶように飛んでいた。どうやら我らが天才飛行士イーオンはまだまだ飛び足りないらしい。

 なんだそれ。なんかムカついてきた。


(帰ってきたら絶対説教してやる!)


 意地悪ばばあの祈りの声を遮るように通信が入った、相手はコンキリオおじさんからではなかった。


「こちら漢帝、貴官らの所属を問いたい。ここは我らが母なる帝の空にて、如何様にして参ったか。繰り返す──」


 あれ?どうして向こうから?まだ何も救難要請は出していないのに...

 まあいいかと体を起こす、おっも、サランが既に復帰しており、やり取りをしてくれた。


「こ、こちら…ヴァルヴエンド国防軍、国外派遣部隊所属のサランです…故あってここまで飛んできました…」


 肩っ苦しい話し方をしていた相手が「飛んできたあ?」と素っ頓狂な声を上げた。


「デンボーの中を?本当に?大気圏外から進入したのではなく?」


「ち、違います…ヴァルヴエンドを出航したあと、ゲイクムヌ──この鯨みたいな船とトラブルがあって、やむなくこの空域を抜けて来たんです。あなたたちに救助を求めます、指揮責任者は同部隊のコンキリオ・新垣・レオンです」


「──照会した、君たちの所属の確認が取れた、本殿から救助の許可も下りた──にしてはやけに早いな──そちらの損害状況を伝えてほしい、迅速に対処させてもらう。この空を飛んで来るだなんて大したものだ」


 きっと漢帝の航空パイロットだろう、その人が僕たちに労いの言葉をかけて、最後にこう言った。


「それと、すまないが現在飛行中のパイロットへ帰投要請を出してほしい。そんな好き勝手に飛ばれたら救助艇が迷惑する」


 ダウンしていた皆んなが口を揃えた。


「イーオン戻って来て!!!!」×4





「……………」


 頭痛い...掻き過ぎて頭皮が痛む...

 何なんだこのレポートは、映画のシナリオチャートでも読んでいる気分だ。これを私が報告しないといけないのか?本部ではなく制作会社に持ち込みたいぐらいだ。

 ミトコンドリアは無事。ラグナカンの破損具合は軽微、隊員らは心神喪失状態が二名、指を捻挫、打撲...ああ、怪我をした者が一名、残り二名に何ら怪我はない。

 そのうち一名が飛行士だって言うんだから信じられない。まさか隠していないだろうな?まあ報告を受けても、労災金の支払いはだいぶ先になるのだが。

 最後の一名はこのレポートを作成した隊長である。


(サラン・ユスカリア・ターニャ…)


 昼を過ぎたあたりから降り出した雨が止み、ヴァルヴエンドの中心都市アレクサンドリアを水の都へ変えていた。

 国防軍支部、それからウルフラグ本社と星管連盟本部が肩を並べて設置()()()()()()()白亜の城、アレキサンドリアは水も滴る良い城となっていた。

 建材として使用されている大理石が月光に照らされ輝き、私の私室を夜であるにも関わらず明るくさせていた。

 窓外の景色に見やりながらレポートを読み進める。

 ミトコンドリアは現在、漢帝近くの大気圏最上層にて救助を受けている。漢帝の救助艇からいくらか燃料を分けてもらった後、ファーストの訪問任務へ復帰する予定だ。

 ただ、些か不審な点がある、それは漢帝軍のパイロットも発言したことだが、本殿(漢帝の軍本部はそのように呼ばれている)の救助要請に対する許可があまりにも早過ぎるのだ。

 まるで待っていました!と言わんばかり。自国の防空圏内を早期警戒として飛び回ることは何ら不思議な事ではない、そのお陰もあってミトコンドリアは運良く発見された。しかし、漢帝が他国籍部隊に対して、救助の手を差し伸べるその判断が早過ぎる。

 まるで予測していたかのように。


(あそこのプログラム・ガイアは議会の長も務めている。貸しを作ってしまったが、あちらにも探られたくない腹があるようだな…)


 よし、放っておこう、無視だ無視。何かしらの見返りを要求してくるまで、こちらからも下手な連絡は控えておこう。

 レポートを読み終わる。それと時を同じくしてこの部屋に来訪する者が現れた、一息吐きたい欲求を細やかなノック音が奪っていく。


「入ってくれ」


 入室して来たのは、リガメルアカデミーで教鞭を取るアルター・スメラギ・イオ、教員用の正装ではなく軍で支給されている服に袖を通している。

 この教官、軍への移籍を受け入れていた、その挨拶にやって来たのだ。


「失礼致します。私は──「自己紹介は結構だ、君の事は報告を受けている。それから礼も結構、君はまだ軍人ではないよ」


 アルターは生真面目な面差しをしており、その性格が全身に現れている。服の乱れがなければ髪にも乱れがない、今日まで生徒たちの模範となるべく、己を厳しく律してきたその精神が垣間見えた。


「私の元へ挨拶に来てくれたのは感謝する、しかし、君の責任者は私以外の者が選抜されることになっているよ。わざわざ足を運んでくれたのにすまない」


「いいえ、私はただ気持ちを切り替えるために足を運んだのです。こちらこそ気を遣わせてしまい、申し訳ありません」


 アルターの顔が白亜の城の輝きに照らされている。その瞳に宿るは決意ではなく──。


「訊いても?何故この話を受けたんだ?」


 アルターが答えた。


「私は自分の教え子に嫉妬してしまいました、あなたが預かるイーオン・ユリア・メリアに。あの子は私の教え子でもありました、先日の逃走犯の騒ぎの際、あの子は私の目の前で踊るように空を飛んだのです。その姿を見た時、もう教鞭を握れないと悟りました、だからキャンメル学長と喧嘩してまで軍に移籍することを選んだのです」


「結構。その率直な嫉妬心、そして向上心、これから先どんな事があっても捨ててはいけないよ。イーオン飛行士がそうであったように、君も空へ上がることを諦めてはならない。──君に発破をかけてあげよう、ミトコンドリアの部隊が延べ数百キロに渡る嵐の中を突っ切り、無事に漢帝の空に辿り着いた。その嵐の中、ラグナカンを先導したのは──「イーオンなのですね」


 声が震えていた、嫉妬か、あるいは自分の教えに対する誇りか。

 この者はその狭間で揺れ動いている。


「そうとも。イーオン飛行士もまた、ミトコンドリアの配属に不満を抱いていたと報告を受けている。さて、君がすぐに空へ上がれるかと言ったらその限りではない、それでも君は軍に移籍すると言うのかね?教官を続けていたらいつでも飛べる空を捨ててまで。ここで断るのなら私が話を通しておこう」


 アルターはきっぱりとそれを否定した。


「いいえ。私もあの子のように空を飛びたい、自分のために、思うがままに。それを叶えられるのは学び舎の空ではありません」


「──結構だ。ご足労していただき感謝する。アルター、君のその思いは後任の者に伝えておこう」


 空に魅せられた者が私の部屋から去っていった。

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