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Cell.1 時代遅れの鯨




 Cell【名詞】

 1.細胞

 2.個室(修道院の〜、独房の〜)

 3.政治、組織の最少単位

 4.蜂の巣の穴

 5.電池(Cellの集合体がbattery)

 ※本作では1.細胞を選択。




 下層の総合滑走路は魚の骨のように、一本のメイン滑走路から細かな滑走路が対称にいくつも伸びている。サマクアズームとは"魚の骨"という意味があるらしく、私たちが乗艦しているノラリスは腹骨(はらぼね)一番滑走路に停泊していた。ちなみに、数字が若くなるほど総合受け付けセンターから遠い、つまり一番端っこ。遠い。疲れる。

 お昼を前にして買い出しへ出かけていた私は、その腹骨一番滑走路を目指して歩いていた。

 五〇番滑走路を過ぎたあたりでものすごく嫌気が差し、その滑走路の入り口に置かれていたパイプ椅子に腰を下ろした。

 きっと、この滑走路を利用していた客の忘れ物だろう、椅子の留め具は錆びれ、少し身動ぎしただけでぎいぎいと鳴く。

 今日も良く晴れているが、砂を多分に含んだ大気のせいで白く煙っていた。右を向けば霞んだヴァルヴエンドの街、左を向けばもう真っ白と言っても良い中東の空が広がっていた。

 視線を落として自分の足を見やる。黒いレギンスに包まれた足は健康そのもの、ぺちぺち叩いても弾力があり、しっかりとした感触が返ってくる。

 これでも五〇代だぜ?


(いや〜私もついに五十路…いやあと数年の猶予があるけどアラフィフ…)


 いや五〇代の太腿を叩いたことがないので良く分かんないけども、自分基準だけれども。

 グガランナとアマンナの三人で旅をしていたのがもう二〇年も前になる。いや〜時の流れはほんと早い...

 なんかねもう、色んな事に対する"気力"というものが、昔と比べてなくなっているのが自分でもよく分かる。

 一日を通じてずっと気持ちが平坦なまま、何を見ても触れても食べても、「ふ〜ん」みたいな。

 アマンナと空を飛んでいる時はギリ、けれどそれもいずれ気力がなくなり、鳥より速く空を飛んでもテンションが上がらなくなることだろう。

 なにそれちょー嫌、でも、歳には勝てない。

 埃っぽい風にあてられながら、その後もしばらく人生に思いを馳せた。





 遅い。買い出しに出かけたアヤメが全然戻って来ない。

 良く入り浸っている艦長ご自慢のサロンにいた私は、どこで買ってきたんだよと言わんばかりの豪快な壁掛け時計を見やった。買い出しへ出掛けてもう二時間近く経っている。

 アヤメへインプラント通信を入れた。


「おい、今どこにいる?」


「人生の岐路」


「意味分かんないこと言ってないでさっさと戻って来い」


「ほんとナツメって昔っから人使い荒いよね」


「今も昔も素直に言うことを聞く奴が私の身近にいないんだよ、諦めろ」


「んだそれ。──迎えに来て〜今五〇番滑走路〜五〇代のナツメが迎えに来て〜」


「歳を言うな歳を。──そう言うお前もアラフィフだろうが!」と言うと、アヤメがぎゃあ!と叫んでそのまま通信を切っていた。


(あいつも悩んでんな〜まあ私もそうなんだが)


 一度座るとなかなか立ち上がれないソファから立ち上がり、サロンを後にする。

 そしてやって来た腹骨五〇番滑走路、今にも壊れそうなパイプ椅子に座ってアヤメが黄昏ていた。


「お前…よくこんな所で休憩できるな」


 第三テンペスト・シリンダーへ派遣された時から、見た目が何ら変わらないアヤメが「やっと来た〜」と小さく言った。

 

「で、何をそんなに悩んでんだ?」


「加齢」


「私ら歳はとらんだろ、半分はマキナなんだから」


「精神的なやつ?ナツメってさ、昔みたいな元気がなくなったりしてない?」


「私の周りは馬鹿ばっかりだからな、お陰様でそんな事にいちいち悩んでいる暇がない」


「んだそれ」


 どっこらしょ!と言い、アヤメが年寄りくさくパイプ椅子から立ち上がった。


「そういうことを口にしてるから元気がなくなっていくんだぞ」


「へいへい」

 

「そんなに面白くないんなら向こうに戻ったらどうなんだ?そもそもお前がノラリスと旅をしたいって言ったんだぞ」


「〜〜〜!!」


 アヤメが口をへの字にして猫パンチの連打を放ってきた。全然痛くない。でもウザい。


「──そんなに地球に飽きたんなら宇宙にでも行ってきたらどうなんだ!赤道上エレベーターがすぐそこにあるだろ!」


「行けるんだったらすぐにでも行ってるよ!低軌道以上は監視されてるんだから行けないでしょうが!」


「お前は元気がないんじゃなくて、新しいことが見つけられないだけだろ!」


 ほんとに猫みたいに目を吊り上げていたアヤメが途端に大人しくなり、「それもそうか」と一人で勝手に納得していた。


「ほら、こんな所で馬鹿やってないでさっさと戻るぞ、この後班分けして今日から調査に入るんだから」


「はいはい。──そういやさ、さっき言いそびれたんだけどね、アフラマズダの情報を鼠鯨の旦那に訊くのはどう?」


 アヤメが先に歩き出し、私もその後に続く。

 メイン滑走路ではちょうど一つの民間飛行船が離陸準備に入っており、滑走路に埋め込まれている誘導ビーコンが緑色から赤色に変わった。


「そいつ、昔っからはみ出し者だったんだろ?私は馴染みがないから知らんが、あてにできんのか?」


「むしろあてにできるんじゃない?さっきの話で言えば、アフラマズダの情報が消される前に何かしら仕入れてるかもしれないし。あの人、売り買いできる物なら何でも扱ってたから」


 等間隔に設置されているパトランプがくるくると回り始めた。背後から不安になるようなエンジン音が私たちを追いかけ、爆風をともないながらそのまま追い越していった。

 夥しい砂塵が宙を舞う、あやまって吸い込んでしまい、マスクを押さえながら咳き込んでしまった。

 アヤメが私の背中を摩りながら、「無理しちゃ駄目だよ、おばさん」と揶揄ってきた。

 アヤメの頬をこれでもかと抓った。





「未確認船舶距離二〇〇!相対速度同じ!やっぱり追いかけてくるよ!」


「クルル!私のほっぺた抓るの止めて!あとこれ夢じゃないから!」


「分かってるよ!「分かってるんなら抓るな!「イーオンはイルシードで待機してて!「了解!」


 ヴァルヴエンドを出航して数時間としか経っていない、それなのに僕たちは早速緊急事態に突入していた。

 飛行地域はヒマラヤ山脈の直前、世界最大の嶺が連なる大地の上を飛んでいた。

 未確認の飛行船が姿を見せたのは今から数十分前、こっちから何度も連絡を取って所属国籍の照会を行なったけど全無視、ひたすら僕たちの後を追いかけてきていた。

 ブリッジには、ハンガーへ向かったイーオンを除いて全員が集まっていた。

 皆んながどんな表情をしているか分からない、見る余裕がない、ずっとコンソールを確認していた。


「クルル、この船はオートパイロットでしか飛行できないの?」


 僕のすぐ後ろに立っているサランがそう訊ねてきた。


「それどういう意味?!」


「オートパイロットを解除して手動操縦できないかって訊いてるの、このままじゃいずれ接近を許してしまうわ」


「それならファーストまでどうするのさ!まだあと一五時間もフライトが残ってるんだよ?!」


「接近を許して攻撃されたらどうするの?任務どころではなくなるわ」


「そんな事僕に言わないでよ!」


 背後から苛立つ雰囲気が漂ってくる、それでもサランは誰に八つ当たりするでもなく、ギーリとテクニカに指示を出していた。


「テクニカは危険に備えて自室待機、ギーリはイーオンのサポートをお願い」


「要る?あの子、自分のテリトリーに他人がいたら途端に機嫌が悪くなるでしょ」


「はあ…それもそうね。それならテクニカと一緒に船内の緊急対策をしてきて、急な回避行動を取っても備品が散らからないように」


「──行こうティーキィー、ここにいても私たちにできることはないよ」


 サランの指示に返事をせず、ギーリはテクニカを連れてさっさとブリッジから出て行った。

 イーオンとはあまり喋っていないはずのに、良く人のことを見ている、それに行動に移るのも早い。

 レーダーに反映された正体不明の船はぴたりと僕たちの後ろに付いている、距離も速度も一定、何がしたいのかよく分からない。それが一番怖くてより不安にさせた。

 こんな事態でもなければ、外の景色をゆっくりと堪能したかった。何せ生まれて初めて見る光景が全方位に広がっているのだ、ヴァーチャルの授業で見た地球の景色なんかより、情報量が桁違いで何より濃い。

 ワイドスクリーンの映像にはヴァルヴエンドの薄い青空と茶色の大地に打って変わり、優しさを感じない白色の山の嶺が連なり、その上空を頼りなく見える薄雲が飛んでいた。

 いつの間にかアルプスの空に突入していた、この山嶺を超えたらアジア大陸、そして世界最大の大海原、太平洋だ。

 その映像に目を奪われてしまい、レーダーの変化に気付くのが遅かった。サランが僕に「相対速度が上がってる!」と教えてくれた。


「え、え?──あ!」


「後方のカメラをモニターに映してちょうだい」


「え?なんで──「不明船舶を確認するの、目に見える範囲に火器の類いがあったら、少佐を通じて追撃用ドローンを出してもらう」


(サランは本当にただのディーヴァ候補生だったの?それにしたってこの落ち着き用は一体…)


「それと──」サランが僕に近付き、凄みのある声で注意してきた。


「パイロットに勝手な指示は出さないように、その役目は隊長のものよ、あなたは船に集中して」


「ご、ごめん…か、カメラの映像を出すよ」


 サランに怯えながら、ラグナカンの後方に設置された外部カメラの映像を、ワイプスタイルで表示させる。

 ──いや、やっぱりただの候補生っぽい、不明船舶の映像を確認してええ〜と間抜けな声を上げていた。


「何これ〜〜〜!──く、クルル?!あれ、何に見える?!」


「く、鯨に見えるね…」


 さっきまで緊急していたけど、ヒマラヤの景色とサランの凄みにすっかり肩の力が抜けたようだった。

 ワイプ映像には、世界最大の哺乳類である鯨っぽい生き物が映し出されている。確かに変だ、ここは空、海ではない。

 

「サラン──ううん、隊長、イーオンに出てもらって確認してもらう?映像だけじゃ火器を搭載しているか分からないよ」


 サランは言下に指示を出した。


「イーオン!出動してあの変な鯨を確認してきて!」


「了解!」


 コンソールスピーカーから届くイーオンの声に緊張感はまるでない、何でもいいから早く飛びたいのだろう。

 その徹底した飛行機愛を羨ましく思いながら、イルシードの発進準備に入った。





 サランの出動要請により、ハンガールーム内のアラートランプが点滅し、ついで機体を固定していたロックボルトが解除された。

 ハンガーがエレベーターに乗せられ、ラグナカンの船底に移動する。この船には一般的なカタパルトレールが存在しないため、離艦前からエンジンを起動させ、リリース直後からフルスロットルで直進飛行をする必要があった。

 エレベーターで移動後、機首と主翼が離着艦アームによって固定、エンジン出力を六〇パーセントまで上昇させた後、離着艦パネルが開いた。

 外気に触れた途端、エンジン吸気口からアラートが発せられる、一気に空気を吸い込んでしまったので燃焼室のバランスが崩れてしまったのだ。

 吸気量と燃料の噴出量を調整し、再度エンジン出力を上昇させる、アラート表示が消えたと同時にブリッジへ一報を入れる。


「オールグリーン!さっさと離して!」


「気を付けて!もうここはヴァルヴエンドの空じゃないよ!──グッドラック!」


 アームが船底より外側へ伸び、不明船舶がいる後方へ回転する。この時、私は生まれて初めてヴァルヴエンド以外の空を肉眼で見た。


「──っ」


 一瞬だけ暴力的な曇り空に気圧される、けれど一瞬だけだ。機体を固定していたアームも解除され、私は慌てて加速ボタンを押し込んだ。


(さっきまで晴れていたのに!)


 確かに鯨が空を飛んでいる、まるで泳いでいるように体をくねらせながら、私はそれよりもアルプス山脈の上空に広がる暗雲に目を奪われてしまった。

 まるで不安そのものだ、見ているだけで胸が苦しめられる。黒い雲の高さは目算数十キロに達し、雲の頂上では稲光が何度も走っていた。

 ラグナカンからリリース後、鯨の外観をした船から距離を空けながら旋回飛行を行なう。隠れて見えなかった尾鰭が視界に入り、私は見たままをブリッジへ報告した。


「こちらイーオン!アイスピックの尾鰭に鼠が齧りついてる!目に見えた艦載火器は無し!」


 ブリッジから返答があった。


「はあ?!」×2


「だから!アイスピック!尾鰭がアイスピックみたいに鋭くて細いの!そこに鼠みたいな小型船が付いてるの!」


 二度聞いても信じられないらしい、イルシードのカメラ映像をブリッジへ回せと言ってきた。


「そっちでやって!レバーを宥めるのに必死!」


「こっちではできないから言ってるの!──イーオン!もういいよ!船に戻って!嵐がやって来る!」


 いやもう──遅い!

 

「ブリッジ!コントロールが──」通信途絶、レーダー消失、機体制御プログラムもシステムエラー。

 アルプス山脈の上空を支配していた暗雲は電磁波を帯びていた。

 エンジンストールの警告すら発せられない、嵐の轟音だけが私の耳に届く。

 完全に機体制御を失う直前、私の傍を飛行していた鯨の尾鰭から一本のワイヤーが射出され、イルシードの機首に突き刺さった。


(助けてくれるの?!)


 ぐんとした力が外から加わり、その衝撃でイルシードは完全に沈黙、嵐の中を飛ぶ葉っぱのようになってしまった。

 こうして、地球の大空の初飛行はものの数分で終わり、挙げ句不明船舶に鹵獲されてしまった。



「いよう、新顔だな。なあに、命まで取ったりはしないさ、ま、金は取るがね」


「……………」


「にしたって、あの嵐の中で機体を出すなんて、お前さんの指揮官はよほど間抜けと見える。まあ、そのお陰でこっちは商売できるわけだから文句はないが…ハズレを引いたな、可哀想に」


「……………」


 コントロールレバーを握る手に力が入る、いや、入り過ぎている。このままでは手の感覚が失くなってしまう、それだけは避けたい。けれど、コクピットの外から私を見下ろす人が怖過ぎて、指が離れそうになかった。

 さっきから一方的に話しているのは、白髪頭の人だった。肩から生地が厚そうなコートをかけ、お腹の前にはこれ見よがしにアサルトライフルが吊るされている。命は取らないと言ったけど、だったらそのライフルを片付けてほしい。

 白髪頭の人が、コクピットにブーツの底を何度も打ちつけている。


「おいおい、命の恩人に顔も見せないって?さっさとこの迷彩を解いてくれ、これじゃ商談もできない。──聞いてんのかあ!!」と、老齢とは思えない恫喝声がコクピットの中にもこだました。

 レバーから指を離し、震えた手つきでハッチの開閉レバーを作動させる。護身用の自動拳銃の扱い方を必死に思い出しながら、シートの上に立った。

 開いたハッチから思いの外、暖かい空気が入ってきた。


「ようやく顔を見せる気になったか。んで?お前さんの名前は?」


「……お、お答え、できません…」


「なんだお前さん、あの嵐の中を突っ切るぐらいだからてっきり豪胆な奴かと思ったけど…強気は空の中だけってか?──で、名前は?」


「……っ」


 白髪頭の人がぐっと顔を近付けてきた。コンキリオ少佐よりも顔には深いしわがあり、船内の暖かい空気と違って視線がとても冷たかった。

 自分の名前を告げるか、それとも自動拳銃をこの人に突き出すか、迷っているとその人が突然後ろへ倒れてしまった。そして、そのまま床に落下し、「いだあ!!」と悲鳴を上げていた。

 あまりの事態に気付けなかったけど白髪頭の人とは別に、私と似た年齢の人がそこに立っていた。


「私のばーばが失礼しました。私の名前はイシュウ」


「あ…その、名前は…」


「構いません、あなたの名前はさほど重要ではありません。──とにかく、機体から降りて一度呼吸を落ち着けてください」


 深い青色をした髪をかきあげ、イシュウと名乗った人が私に手を差し出してきた。

 その人に言われるまで気付けなかった、過呼吸になっていた、途端に苦しさを覚え、あの暗雲を思い出しながら意識を失ってしまった。

 私もばーばという人と同じように機体から転げ落ちると思ったけど、柔らかい感触が受け止めてくれた。





「いたたた…老骨を引き倒すだなんて…一体誰に似たのやら」


「ばーばが必要以上に脅すからでしょう、今の時代は力ではありません、対話だと言ったはずですよ」


「一方的に助けておいて対等になれるもんか。で、あの小僧は?」


「小僧?女の子でしょう?」


「性別の話じゃない、年齢を言うとる」


「あの子ならまだ眠っています、まだしばらくは起きないでしょう、ひどく混乱していましたし、何より疲れていましたから」


「だろうさ、あのデンボーの中を飛んだんだ、私ですら遠慮する」


「誰だって遠慮しますよ」


 ゲイクムヌのコアルーム(中核)四合辺(しごうへん)の庭園を望むばーばの部屋で、私はこの(ゲイクムヌ)の船長と向かい合って腰を下ろしていた。

 先程は救出したパイロットを安心させるため、咄嗟にばーばを機体から引き倒してしまった。本人は顔にさらに深いしわを刻みながら、他所の国で買い付けた健康器具を腰に当てている。

 私がこの船で世話になり始めた時はもっと沢山の乗組員がいた、けれど、時代の変遷と共に姿を消し、今となっては私とばーばの二人だけだ。

 ばーばの部屋にももっと沢山の物が溢れていた。高価な美術品から、使い方が分からない電子機器、衣服の類い、宝石類、果ては人工医療臓器から紙に記された雑多な情報まで。

 けれど、その殆どが人と同じように姿を消してしまった。

 先程のパイロットは南辺(なんぺん)の部屋で眠っている。四合辺に生けられた草花の向こうで、パイロットスーツを着たままのあの子が眠る姿が見えていた。

 ばーばが目論見通りだと話す。


「あの船は一度も見たことがない、予想通りだ、あのデンボーに突っ込んでくれんだから。これでいくらか取り引きができる」


「何かを持っているようには見えません、それに通信障害が収まるまであの子の母船とも連絡が取れないでしょう」


「その間にきっちりと上下関係を築くのさ」


「ばーば…」


「だったら何か、あの母船に親切を働けば良かったと言うのか?誰のお陰で飯が食えると思っているんだい、文句ばっかり言ってないで私の言う事をお聞き」


「──あの子の様子を見てきます」


 ばーばの部屋を後にする。

 四合辺は東西南北に部屋が置かれ、その間に四つの通路が伸びている。四合辺の中央は開けた場所になっており、そこはばーばお気に入りの庭となっていた。

 通路から、というよりどの部屋からでも庭園を眺めることができる。世界中から集めた花々がこの鋼鉄の鯨の中で育ち、花弁を開き、種となり、今日までその命を育んできた。

 西辺(せいへん)の空き部屋を通り過ぎ、再び通路に差しかかったところで強い揺れが襲ってきた。

 デンボー(巨大電磁雲)だ。二〇〇メートルに達するこのゲイクムヌですら、巨人が吹く吐息に翻弄されてしまう。

 揺れが収まったのち、再び歩き始める。南辺の部屋(私の部屋)に入ると、気を失っていたパイロットが体を起こしていた。先程の揺れで目を覚ましたのだろう。


「気分はどうですか?」


「………」


 まだ狩りも知らぬ幼子のような、純粋な瞳をこちらに向けてきただけで何も答えない。

 正方形の部屋の隅に置いていたやかんを手に取り、囲炉裏の上に吊るす。


「この船の名前はゲイクムヌと言います、乗組員は私とセッツの二人だけ、各国のテンペスト・シリンダーや放浪者たちを相手に取り引きをして生計を立てています」


「………放浪者?」


 パイロットがようやく言葉を発した。その声音に焦りはなく、不安の色もだいぶ薄まっているようだ。

 囲炉裏に庭園で取れた枯草と枯れ枝を敷き、オイルライターで火を灯す。石油と木々の匂いがふわりと舞い、嗅ぎ慣れていないのか、パイロットが少しだけ顔を歪めた。


「テンペスト・シリンダーから抜け出してきた者たちです。故郷を失い、あるいは捨ててきた者たちを私たちはそう呼んでいます」


「私は、放浪者ではありません…」


 囲炉裏の火に熱せられたやかんの注ぎ口から、細い湯気が上り始める。


「では、デンボーの性質を知らずに飛行していたのですね、それは災難でした」


「そうだと知ってて、私たちの通信を遮断していたのは何故ですか?」


 疲労回復と精神安定の効能がある錠剤を湯呑みに入れ、お湯を注ぐ前にパイロットを見やった。

 この子は頭が良い。


「何故、デンボーも知らずにチョモランマを飛んでいたのですか?」


「ちょもらんまって…アルプス山の、ことですか?」


「そうです、私たちはチョモランマと呼んでいます。それから、通信を遮断したのではなく、デンボーが放つ電磁波によって通信障害が起こっていたのです」


「だから…」


 パイロットが視線を落とし、囲炉裏の炎を見やった。


「無謀な試みだったと言わざるを得ません、あなたの機体にワイヤーが刺さらなければ、今頃極寒の峰で息絶えていたことでしょう」


 湯呑みにお湯を注ぐ。水溶性のカプセルが溶け出し、お湯を茶色に染める。その湯呑みをパイロットへ渡し、彼女がそれを受け取った。


「良い薬は苦いもの、我慢して飲んでください」


 パイロットが湯呑みにそのふっくらとした唇を付け、一口だけ含んだ。


「………苦いですけど、不味くはありません」


「そうですか、それは良かった、私はその味が大っ嫌いなのです」


 パイロットが力なくふっと微笑んだ。



「助けてやったんだから何かを支払えって…そんな事急に言われても…」


「金じゃなくてもいい、物でも情報でも、自分の命に釣り合う物をこっちに差し出してくれたらそれで良い。なんならあの機体でも構わないよ」


「それはできません」


(ばーば、それでは駄目だと何度も…)


 ばーばが私の部屋にやって来た、やって来て早々商談を始めてしまった。

 意識が回復したばかりだというのに、まるで容赦がない、せっかちとも言える。パイロットは困り果て、私がもてなした生姜湯を半分近く残して床に置いた。

 きっとその飲み物も代金を支払えと言われると思ったのだろう、迷惑そうな顔を私にそっと向けてきた。慌ててそれを否定するも、ばーばに止められてしまった。


「それは私がもてなした──「イシュウ、勝手な事をするんじゃないよ、紅茶一つ取ってもここじゃ貴重品だ」


「貴重品、この飲み物ですら…?」


「そうさ、議会とかクソふざけた連中のせいで私らの商売が上がったりだ、全く余計な事をしてくれたよ。──イシュウ、あんたには想像もつかないだろうが、この船には金勘定しかできないろくでなしが沢山いて、世界中の宝が積まれていたんだ」


 そんな事ぐらい知っている。ばーばは私が幼少の頃は一つも構ってくれなかったので、その時の乗組員たちに世話になっていた事を知らないのだ。

 私は良い機会だと捉え、ばーばに真実を告げた。


「それもこれも全て、ばーばの時代遅れとも言える力任せな取り引きで失ったんです。この子だって、助ける前に何故教えてくれなかったのかと、私たちの不義理を指摘しまし──」


 老齢とは思えない、ああ確かに、ゲイクムヌの舵を切っているだけの事はあると、思わせる力強い平手打ちが飛んできた。

 あまりに鋭く、雷よりも速かったため、踏ん張ることができずに床に倒れてしまう。頭をやかんに打ちつけ、あと少しというところで熱湯をかぶるところだった。

 雷鳴が一つ。


「でしゃばるんじゃない!!ここまで育ててやった恩も忘れて粋がるとは良い度胸じゃねえか!!──すまないね、うちのもんが、気にしないでおくれ」


(だからそれが…時代遅れだと…)


 身内の恥すら取り引きに利用する、だから皆んなもここから去って行ったというのに。

 私を怒鳴りつけると共に、パイロットへ自分が持つ主従関係と力を誇示したのだ。何とも嫌らしいやり方だ。

 ばーばの暴力と怒鳴り声にパイロットがすっかり萎縮してしまっている、手は震え、顔を上げようとしない。


「な、何も、持っていません…だ、だから、支払えません…」


「あるだろうが。あんたはどこからやって来た?何故オリジンを目指していた?あの機体は?あんたの母船は?──情報だって時には金より貴重品になる、それを教えてくれたら良い」


「……………」


「だったらお前さんのその体で払うか?お前さんのあの機体にワイヤーを刺したのはこの子のだよ」


 パイロットが答えた。


「わ、分かりました…か、体で、お、お支払いします…」


「商談成立だね。イシュウ、こいつに船を案内してやれ、それと、好きにしていい」


「す、好きにはしませんが…わ、分かりました…」


 思い通りに商談が成立したからか、ばーばが鼻歌交じりに立ち上がり、私の部屋から出て行った。





 せっかくラグナカンの操縦席を出してあげたのに、我らが船長は自分の部屋に閉じこもったままだ。

 それから我らが隊長もそう、自分たちの指示で飛行士を帰らぬ人にさせてしまったと、いたく気に病んでいた。

 

「それは本当なんですね、少佐」


「問題無い、バイタルロストは確認されていない。君たちが確認した不明船舶とやらに囚われている可能性が極めて高い」


 ブリッジルームにいるのは私だけ、ティーキィーは今頃キッチンルームで皆んなの為に遅い昼食を作っている。

 ワイドスクリーンに表示された、我らが指揮官を見上げた。


「何故黙っていたのですか?アイスピックの尾鰭を持つ鯨型の飛行船なんて、上層でショッピングを楽しむ下層の人がすぐ見つかるようなものですよ」


「その必要は無いと判断した、だから君たちには伏せていた。──だが、その判断が失敗だったことは認めよう」


「あなたが自分たちの失敗を認めたところでイーオンは戻ってきません」


 コンキリオ少佐が被っていた軍帽を脱ぎ、自分の頭をガリガリとかいた。


「…バベルの人選に間違いはないようだな。──その不明船舶の名前はゲイクムヌという、元は漢帝の人間が指揮する…ああ、海賊船のようなものだ。ありとあらゆる物を取り引きし、財をなしている空の無法者だ」


「私の人選の何が間違いないのですか?」


「君は極度の人見知りでありながら、他人の為なら遠慮をしない、とバベルから性格診断の報告を受けている。その性格が今まさに役立っているだろう?」


 私は背後を振り返り、ひっそりと佇む操縦席を見やる。

 少佐はラグナカンが手動操縦できることも私たちに黙っていたのだ。

 再び前を向く。


「できることなら黙っていることを全部、今ここでお話してくれれば助かるのですが」


「それは無理だと言っておこう。ギーリ副隊長、サラン隊長に代わり君に指示を出す。二四時間が経過してもイーオン飛行士と合流、あるいは救出作戦の立案が不可能だと判断された場合、ファーストへの訪問任務を中断してヴァルヴエンドへ帰投せよ」


「その場合イーオンは?」


 少佐は何も言わなかった。





 名をユリアという。ゲイクムヌの尻尾にある倉庫へ連れて行くその途中で、そう教えてくれた。


「よろしいのですか?自分の名前を口にしても」


「だ、駄目です、でも、イシュウさんは私に飲み物をくれましたから…」


「なら、食べ物を与えたら次は何を教えてくれるのですか?──失礼、忘れてください」


「は、はあ…」


 自分に嫌気が差してしまった、これではばーばと同じではないか。

 四合辺を出て背骨(船内大通り)を通り、尻尾の倉庫に来るまでの間、ユリアはただ私の後ろにぴったりと、何を訊ねるでもなく黙って付いて来ていた。

 とても新鮮だった、誰かが私の跡に続くなど、幼少は誰かの背中を追いかけ、人が減った後はばーばの背中を追いかけてばかりいた。

 何だろう、こう…胸にきゅんと来るような、ただ私の後ろを歩いているだけなのにユリアが可愛く思えてくる。

 背骨を抜けて尻尾倉庫にやって来る、もう少し先に進めばユリアの機体が保管されている搬出口へ行くことができる。ただ、機体を無理やり回収してしまったせいで、搬出口のハッチが破損し、外気が侵入して荒れ放題になっている。

 とてもではないが、今は案内することができない。

 一つの倉庫の前に立った時、ユリアから訊ねてきた。


「何をすればいいですか?」


「この倉庫の中を片付けてください、デンボーのせいで散らかっています。棚に戻した後は、備え付けられているロープで固定してください」


「分かりました」


「…………」


 ユリアが私の元を離れ、倉庫の中へ入って行く。その背中がたまらなく不安に思えてしまい、結局私も倉庫の中に入っていた。


「わ、私もやります、初めての事なのできっと分からないこともあるでしょう」


「は、はあ…ありがとうございます」


 そうユリアがお辞儀をした際、耳にかけていた揉み上げがつるんと前に落ちた。

 まだゲイクムヌが繁盛していた頃、それは私がうんと小さな時の話だが、尻尾倉庫はいつも物で溢れ返っていた。毎日毎日倉庫から物が運び出され、そして出て行った以上の物がこの倉庫に運び込まれていた。

 私が成長するにつれ、胸が膨らみ始めた頃、倉庫に出入りする物の量が逆転し、胸の成長が止まったと同時に物の仕入れも止まってしまった。

 ここは言わば、私の遊び場だった。倉庫と倉庫を行き来できる裏通路で鬼ごっこをし、年に一度しか掃除をしない排気ダクトで隠れんぼもした。

 思い出に耽りながら片付けをしていると、ユリアが私の名を呼んできた。たったそれだけの事で、胸に居座る寂しさを和らげてくれた。


「イシュウさん、これは何ですか?」


 何ですか?

 私はてっきり片付けのやり方を訊かれると思っていた。


「え、これを知らない…?──あ、失礼しました…」


 ユリアが手にしていたのは食料瓶である。瓶の中には、ノルディックで買い付けたアワビの身が冷凍保存されていた。


「これはアワビと言って海産物の一つです。アワビの殻は食べられませんが、その殻に閉じこもっている身は生でも食すことができます」


「あ、食べ物なんだ…」とユリアが言う。一体何だと思っていたのか。


「私てっきり人工臓器か何かだと…形が似ていますし、冷凍されていますので…」


「じんこう…ぞうき…?」


 あれ、この子が何を言ってるのか急に分からなくなってきた。形が似ている...?アワビの身が一体何に似ているというのか...

 さらにユリアは人の心を読む術に長けているのか、私は何も訊ねていないのにこう言ってきた。


「え、これ、女性器じゃないんですか?」


「………………………ふぇ?」


 へ、変な声が、いやいや、この子は今何て?何て言ったんだ?

 え、そういうものなの?私が知らないだけで、私と似た年齢の子は皆んな、そんな、ソンナ事を平気で口にするのだろうか?

 私が世間を知らないのは自覚している、何せゲイクムヌが囲いとなって外の情報が入って来な──そんな事は今重要ではない。

 ソンナ事を言ったユリアの顔に変化は見受けられない、つまり恥ずかしがる素振りも嫌悪している様が一つもなかった。


「ち、違う…これは、アワビと言って食べ物…ばーばの好物…あ、アワビを、知らない?」


「見たことない──あ、すみません…見たことないです」


「いや、いやいや、もう気を遣わなくていい、私もその方が気が楽だ」


「そ、そう…?それじゃあ──」


 下から突き上げるような衝撃、船の揺れに慣れていても、予測できなければ無防備も同然だ。

 船全体が大きく傾いた、また、この子が私の胸に飛び込んできた。





(ああ、やっぱりこの人だ…落ち着く…)


 ごめんね?いきなりこんな事されてびっくりすると思うけど、私だってびっくりの連続で心が休まらなかったんだから。

 棚に納められた瓶が船の揺れでかたかたと鳴っている、今にも割れそうで、倉庫全体もぎしぎしと泣いている。

 抱きしめたイシュウの体も強く緊張している、それはこの揺れのせいなのか、それとも私が背中に手を回しているからなのか、きっと後者だろう。

 イシュウは見たこともない服を着ている。それはアカデミーで習った、その国の特色を示すために作られた衣服、所謂"民族衣装"のような物だ。

 サランの私服姿と同じように、けれどフードが付いていない厚手の服を羽織り、ズレないように紐で止めている。上着は検査衣のように生地は薄く、胸元と腋下にスリットが入り、同じような紐で九十九折りに通されていた。

 ボトムはオーバーサイズのガウチョパンツ、それからサンダルだ。

 トップからボトムまで、似たような模様が刺繍されているので私はこれを民族衣装だと思った。

 イシュウの背中から一旦手を離し、腋下のスリットに手を滑り込ませる。暖かい、イシュウの温まりが手、腕に伝わり、緊張と不安と苛立ちと焦りにささくれ立っていた心が鎮まっていく。

 イシュウはとても慌てていた。


「ゆ、ユリア…そ、その…こ、これは、き、君たちにとっては、あ、当たり前、なのか?」


「ううん」


 イシュウの方が私より身長が高い。自分の鼻頭がイシュウの鎖骨に当たるぐらいだ。

 濃い匂いがする、人間の、それでいて本能的な、無視できない、一度嗅いだらずっと残りそうな。

 ああ、確かにこの人はヴァルヴエンドの人ではないと、そう思わせる匂いだ。


「ううんって…ううんって!そ、その、そろそろ…ほ、ほら、揺れも収まったし!」


 そんなに私に抱き付かれるのが嫌なの?ちょっとムカついたので、手を離す時に少しだけ爪を立ててやった。イシュウが「ううんっ」と痛がるような、感じているような、そんな声を出した。

 ありがとう、お陰ですごく落ち着いた。


「はあもう…こんな所ばーばに見られたら…」


「また何か取り立てられる?」


「あの人はそういう人なんだよ、人の気遣いにすら値段を付けようとするんだ」


 イシュウが赤く染まった頬を見せまいとし、顎下まで伸びた青く輝く揉み上げを払いながら、私に背を向けた。

 引っ掻いた痕が残っているんだろうなと考えながら、イシュウの背中に向かって言った。


「でも、それって普通のことじゃない?」


「え?」と、そっぽ向いたばかりのイシュウが振り返ってくる。


「いや、値段を付けたがるのはどうかと思うけど、気遣いには気遣いで返すべき、って言いたいの」


 何かの生き物の口のような髪留めで、纏めていた襟足を触りながらイシュウが「だって君は…」と言葉を漏らした。


「さっきはばーば?って人にビビってただけで、私もその通りだなって思ったよ。でも、自分の命に釣り合う物が無いから払えないし…」


「君は人の心を読むのが上手だね」


「だって顔に書いてるし」


「〜〜〜っ」


 またそっぽを向いた。


「ねえ、いしゅう、自分の機体を確認したい、できればさっきの所に連れて行ってほしいんだけど…」


「それは駄目、まだデンボーを抜けていない。それに、ハッチが故障してちゃんと閉まらないんだ、荒れた空気が入り込んできっと息もできないと思う。──それと」


 またこっちに振り向いた。イシュウの太い眉が少しだけ吊り上がっている。


「異臭じゃなくて、イシュウ。イ、シュウ、ちゃんと区切って」


「???」


「名前のイントネーション、発音の仕方」


「──あ、ああ、ごめん、い、イシュウ」


「よくできました」ん?頭を撫でてきた。スキンシップは嫌いなんじゃないの?


「もっと撫でて」


「お金取るよ」


「なんじゃそりゃ」


 そう突っ込むと、イシュウが子供っぽくにへへっと笑った。





「ねえ、分ける意味あるの?分ける意味がどこにあるの?」

「あ〜心配だ〜絶対問題起こす…あいつフラれてばっかりだから絶対身内に手出すぞ…」

「その時は斬ればいいんじゃない?」

「もうフランちゃん…すぐそういう事言うんだから」

「アヤメさん、いい加減ちゃん付け止めて、もう歳なのに恥ずかしいって」

「私からしてみれば皆んな子供」

「マキナみたいなことを言いますね、アヤメさん」

「ぐっふぅ…」

「何故血を吐く」

「──この戦闘狂!アヤメを虐めるな!」

「ナツメさんラブの人が何言ってんの?」

「そう見える?やっぱそう見える?いや〜数十年と連れ添えばさすがに隠さなくてもそう見えるか〜」

「プエラ、いじめたのフランじゃなくてホシだからナ」

「ホシ、会議が終わったら覚悟しておいて」

(嫌だ、もう不安しかない、ナツメさんがいないとか前途多難過ぎる)


 アフラマズダの行方を辿るため、僕はアレクサンドリアへの侵入方法を探るチームに入った。

 メンバーはプエラ、ガングニール、アヤメさん、フラン、そして僕。

 ものの見事にパートナーが分かれている、これでは特別個体機の力を最大限に活かすことができない。

 ナツメさんに班分けの人選基準を訊ねてみれば、「くじ引き」と答えが返ってきた。やる気あるの?

 下層調査チーム(ナツメさん、モンローさん、マリサ、アマンナ、デュランダル)はもう既に出払っている、僕たちはノラリスのブリッジに残って作戦会議中だ。

 湾曲した上階の管制席に皆が思い思いに座っている、アヤメさんの隣にプエラ、その隣のデスクにフランが腰を下ろし、ガングニールは僕の隣に立っていた。

 突然、ガングニールが出会った頃となんら変わらないその手で僕の頭を掴み、ぐりぐりと揺らしながら「良かったな〜」と言ってきた。


「何が?」


「両手にハナどころか両手両足にハナじゃないか、男ミョウリに尽きるってやつだろ」


 Tシャツの開いた袖口からガングニールの綺麗な腋が見える。そんなものが見えたぐらいでドキドキするような年齢ではないが、見た。


「剣山の間違いじゃなくて?」


「ああ?誰が生け花の道具だって?」


 プエラが(まなじり)を吊り上げキレてくる。

 ちな、剣山とは花を固定するための道具であり、文字通り鋭い針が底に沢山ついたものである。

 プエラの隣にいたフランも剣の柄に手を添えて凄みを利かせてきた。


「女の子の腋をガン見してるような奴が生意気言うな」


(あれ、前に僕の方が歳上だって言ったんだけどな。もういいや)


「ん?オレの腋なんか見て何が楽しいんだ?」


「──いやそんな話はどうでも良くない?早く会議を進めようよ」


「ホシ君…あとでちょっと話をしようね」


 話が進みません!



「アレクサンドリアってそもそも何処にあんの?」という、お前は一体今日まで何処で過ごしていたんだ?というプエラの発言から、ようやく会議が始められた。

 僕がノラリスに向かって「モニターを点けて」と言うと、緩やかに湾曲した壁にヴァルヴエンドの俯瞰図が表示された。


「アレクサンドリアはヴァルヴエンドの中心地、西にリガメル、東にサマルカンドがあってそれらに挟まれるような位置にある」


「その東西の街はヴァルヴエンドでも最大の都市なのよね?」とフランが確認を求めてくる。


「そう、僕がサマルカンド、モンローさんがリガメルで調査を進めていたけど、アフラマズダに関する情報は何も得られなかった、だからナツメさんは中心都市のアレクサンドリアに目を付けたんだと思う」


「そこって確か…ガイア・サーバーが置かれてるんだっけ?」


「一般には公表されていない情報だけどね。それからアレクサンドリアにはそれぞれの本部が設置されている、国防軍に星管連盟、それからウルフラグ」


 この場合の"ウルフラグ"は僕の故郷の国家名ではなく、特別個体機を開発した技術者集団のことを差す。

 ヴァルヴエンドの俯瞰図に、それぞれの組織を示すシンボルマークが追加された。一つの都市にこの世界をコントロールする組織が三つも存在している。何と言えば良いか...

 アヤメさんが僕の気持ちを代弁してくれた。


「なんかギスギスしてそう」


「僕もそう思います。だからこそと言えばいいのか、アレクサンドリアは決まった人間にしか入れないようになっている」


「怪しいのは十分理解できたけど、問題はどうやってパスを入手するかよね。押し入ったって無駄なんでしょ?」


「無駄でしょ、よしんば入れたとしてもアクセス制限がかけられて調査どころじゃなくなると思う」


 五人揃って「う〜ん」と首をひねる。

 ひねった後、プエラが「ノラリス!」と呼びかけた。


「──ん、もうなに?今忙しいんだけど」


「あんたの頼みを聞いてやってんのに忙しいもクソもないでしょ。アレクサンドリアについてあんたの方で調べられないの?」


「それができないから君たちにお願いしてるのに、できるんならもうとっくにやってる」


「はっ、電子の王が聞いて呆れる」


 艦内スピーカーから「何だと?!」とノラリスの声が降ってくる。

 その後すぐノラリスが沈黙し、その開いた隙間を埋めるようにガングニールが「凄い雨」と言った。もうほんと皆んな自由。


「え、今雨降ってんの?」


「ザザ降り。さっきまであんなに晴れてたのに」


「あ〜そういやこの近くに山脈あったわね、その影響じゃない?」


「あそこね〜昔っからあの辺はひどいんだよ」とアヤメさんが懐かしむように言う。


「アルプス・ヒマラヤ山脈の上空って、たまに数十キロに渡って雷雲が発生するんだよね、だからいつも迂回してた」


「たかが雷雲でしょ?ノラリスもいつもそこ避けてたけど」


 黙っていたノラリスの声が再びスピーカーから降りてくる。


「あの辺はプレートもあって大気汚染が深刻なの、巻き上げられた金属微粒子の影響もあって強い磁場が形成されるんだ」


「プレート?」


「大地の裂け目のこと。過去の事件でホットプルームがそのプレートに沿って湧き出るようになって、西暦時代とは比べものにもならない雷雲が形成されるようになったんだ。だからいつも避けてた」


 ガングニールが「ホットケーキ食べたくなってきた」と小声で漏らす。さすがにうるさかったのでガングニールの足を軽く叩いて注意する。


「ホシのえっち〜」


「僕と浮気する?モンローさんに首はねられるよ」


「いやお前がな」

「私がはねてあげてるわ」

「くたばれロリコン自分の歳考えろ」

「ホシ君あとで私とお話ね」


 これで剣山と言われてキレるんだから女性ってものはいくつになってもよく分からない。

 今の会話のどこに思い出す要素があったのか、アヤメさんが「あ!」と鋭く声を上げ、ノラリスに提案していた。


「ねえノラリス、アフラマズダの情報を外から仕入れるのはどう?」


「外から?」


「そう、昔お世話になった鼠鯨の旦那さんって人がいてね、その人情報でも何でも売り買いしてたから、アフラマズダについて何か知ってるかもしれないよ」


「その人の連絡先分かる?」


「分かんない「じゃあ駄目じゃん。──記憶域にアクセスして調べてもいい?「どうぞ」


 アヤメさんが目蓋を閉じ、すぐにノラリスから解答があった。


「ゲイクムヌって船舶名で合ってる?「え、そんな名前だったの?「アヤメが記憶していた船の外観に一致するのはこれだけだから多分合ってるはず、けれど今は連絡が取れないね、さっき話してたヒマラヤ山脈の手前で旋回飛行してる」


「ああ、雷雲が発生してるから?」


「そう、中東方面からアジア方面にかけて延べ数百キロにかけて発生してる。こりゃ酷い、雷雲が消滅するのに一週間以上はかかるだろうね」


「じゃあ、その後でもいいから連絡取ってくれない?」


「分かった。それから、アレクサンドリアそのものは調べられなかったけど、入るだけならプランを提供できるよ」


「それは何?」


 スピーカーから降ってくるノラリスの声に皆んなが虚を突かれた。


「誰かアイドルになるつもりはない?」

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