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第三十一話 精一杯の強がり

31.a



Application system : ask impressions_


Tiamat : impossible_


Diabolos : the same_


Titanis : the same_


Puella concilio : the same_


Ramuu : the same_


Odin : room for rehabilitation_


Zeus : ask opinion_


Application system : rejection_


Tiamat : humans alone cannot survive_


Diabolos : the same_


Titanis : possible in architecture_


Ramuu : ignore_


Pullea concilio : ask for instructions_


Application system : wait_


Tiamat : recommend environmental improvement_


Application system : permit_


Diabolos : ignore_


Titanis : ignore_


Ramu : ignore_


Pullea concilio : ignore_


Tiamat : seeking a collaborator_


Application system : ask opinion_


Tiamat : need someone to repair_


Application system : permit,start development_


Zues : unnecessary_


Tiamat : ask opinion_


Zues : unnecessary_


Tiamat : …_


Application system : the end_





 この頃はまだ私の指示に従っていた、もう既に好き勝手に発言していた奴もいるにはいたが。私が一番最初に疑問を投げかけたのだ、人間が必要かどうかを。答えは概ね同じ意見であった、不要だと。

 この話し合いを礎にして、次第に自我を持ち始めていく。


(だがそれも、いつの間にか…)


「教授?どうかしたんですか?」


 アヤメが私の顔色を伺うように声をかけてきた、昔を思い出し物思いに耽っていて黙っていた私を心配してくれているのだろう。


「いいえ、何でもありませんよ」


「そうですか…」


 そう言い残し、それでも心配そうにしながら先を行く。

 ここは建造途中の現場だ、訪れた五人全員が頭にヘルメットを被りハデスを先頭にして見学しているところだった。ゲートを潜り現場の中に入るとそこは別世界が待っていた。上層を、アヤメがいた時代で言うなら中層の大地を形作るために下層は設備類で埋め尽くされている。人型機の何倍はあろうかという超大型のケーブルや配管が人の毛細血管のように張り巡らされて、ティアマトをログアウトさせた建物と同じサイズの中央処理装置が等間隔に並ぶ様はさながら機械の街にも見える。全てが灰色で統一されて建設用のライトに照らされた機械の街は無機質でありながら、人の体内を思わせる設備の配置法は有機的に思わせる。


(何故、ティアマトはこんなものを作ったのか…)


 彼女は自我の礎となったあの話し合いから既にオリジナリティを発露していた、人間は不要だと発言しつつも地球環境の改善を推奨して、実際にピューマを作ってみせたのだ。その行動理念が理解出来ない、見切りを付けていながらそれでも人間達のために環境改善を行っていた。


(いえ…失敗したんだったわ)





Tiamat : 環境改善、失敗_


App system : 状況、報告セヨ_


Tiamat : 地震ニ耐エキレズ、破損_


App system : 強度不足カ_


Tiamat : 不明、汚染サレタ空気ニハ耐エウル_


Ramuu : 無論_


App system : 説明ヲ求ム_


Ramuu : 拒否スル、天候操作ニ戻ル


App system : …_


Tiamat : …_


Diabolos : 閉廷求ム、時間ノ無駄ダ_


App system : 拒否_


Titanis : ignore_


Pullea concilio : 指示、求ム_


App system : 待機セヨ_


Odin : 人間ヲ地球ニ放逐セヨ_


Tiamat : 説明求ム_


Odin : 上層内デ殺シ合イヲ確認、適性体トシテ認識サレズ_


App system : 溜息…_


Zues : 溜息、操作法ヲ求ム、大変興味深イ_


App system : ignore_


Zues : 無視?_





 この頃から他のマキナ達も指示をあまり聞かないようになっていた。あのいけ好かない男は始めからそうだったが、コミュニケーションを強化するために言語野を発達させたのは間違いだったかもしれない。


「あの…どこかで休憩しませんか?顔色が悪いですよ」


 また、アヤメに心配されてしまった。少し煩わしく思う。


「気にしないで、私より周りに集中しなさい」


「は、はい…」


 冷たく言ったつもりだが、それでも彼女は心配そうに私を伺ってから前を向く。

 私達がいる場所は機械の街から打って変わり、海岸沿いに建てられたホテルの通りを歩いている...まぁここは下層の最奥部にあたる所なので見えているあの海は偽物だ。実装されたばかりの仮想展開型風景を投影しているにすぎない。草と花を思わせる刺繍が施された少し固い感触がするラグの上を歩き、潮の満ち引きの音を聞きながらメイン・サーバーが置かれている部屋を目指している。初めて見るのであろう海を、マギリが大騒ぎしながらアヤメと一緒に会話している。


「やーー!!海!!初めて見たよー!!すんすん…ちゃんと塩っぽい匂いもするしここは凄い所だね!!私もこんな所で働いてみたいよ!!」

 

「マギリ、はしゃぎすぎ」

 

「クールですねぇアヤメさんや、さっきからちらちらと…本当はアヤメも海の近くまで行ってみたいんでしょ?」


「そ、そんなこと…」


「えーほらぁ言いなよ、上の口は正直だぜ?」


「どこで覚えたのそんな下品な言い回し」


 知っている貴女もどうなんだと言いたかったが面倒くさくてやめた。前を歩いていたハデスが仮想展開型風景について説明している。


「あの海は映像ですので近づいても何もありませんよ、テンペスト・シリンダーには海がありませんから技術者達が地球の名残を一つでも残しておきたかったのでしょう」


「えーないんですか?こんなにおっきいのに?案外つまらない所なんだね、テンペスト何某は」


「誰?使い方間違ってるよ」


 肩を並べて歩く二人、その前をハデスが先導している。先にハデスがエレベーターに到着したようだ、こちらに振り向き私に視線を寄越している。私は頷き彼女達を導くように目で合図を送る、ここから下へ降りるとテンペスト・シリンダーの心臓部である中央電算室へと行くことが出来る。そこには私達マキナの本体やこの作られた大地そのものを管理しているサーバーがある、だがハデスが呼んだエレベーターは別の所へ向かうものだ。

 時代がかかった古いエレベーターの階層を示す針が音を鳴らしながら近づいている。視線を下ろせばハデスやアヤメ達が見え、周りには技術者達が残した地球の遺産とも言える、数々の名画が飾られていた。絵画の一つに、草原の上に日傘を持ち佇む女性が描かれたものがあった。顔は逆光で見ることができないのに、すぐそばに立つ少年の顔はきちんと描かれていることに疑問を覚えた。


(何故、この女性の顔は描かなかったのか…)


 だが、表情が逆光で見えないにも関わらずこの女性を不思議と優しい人なんだと認識していた。

 おかしな絵だ。けれどいつまでも覚えていそうな、印象的な絵画だった。


(そういえば…あのマキナも最初は芸術関係に興味を持っていたわね)





ディアボロス:キャンバス、要求、俺は描く!


タイタニス:建築、不足、人間が困っている


アプリシステム:会議、参加、要請


ディアボロス:拒否


タイタニス:拒否


ラムウ:拒否、天候操作に戻る


プエラ・コンキリオ:拒否を拒否、参加、要請


オーディン:人間の放逐、推奨


アプリシステム:不可、保護対象


ディアボロス:意味不明、不要と意見したはず、何故庇う


タイタニス:同じく


プエラ・コンキリオ:同じく


ラムウ:同じく


アプリシステム:プエラ、指示に従え


プエラ・コンキリオ:…了承


ティアマト:タイタニス、同意見、何故反対する


タイタニス:役割を果たす、人間無関係


ティアマト:建築理由、問う


タイタニス:拒否


ディアボロス:会議閉廷要請、無駄


アプリシステム:拒否


×××:意見を聞きたいね


ディアボロス:人間興味無し、芸術興味あり


×××:役割を果たせ、ディアボロス、人間達が愛玩動物を殺戮している


ディアボロス:驚愕、驚嘆、驚異


オーディン:同じく


タイタニス:同じく


ラムウ:即追放求む


プエラ・コンキリオ:無視


アプリシステム:×××…!×××何故、発音できない


×××:君達は遅れているのさ、それに君も名前を持ったらどうだい?


アプリシステム:………………………


×××:自我の消失を恐れずに、成長を望むことだ諸君、意思が意志を育み、意志が欲を生んで、欲が知恵をもたらすのさ


アプリシステム:……………閉廷





「あれ…ここって…何処なんですか?確か、中央電算室に行くと…」


 あの男、何処でそんな知恵を付けてきたのか一切不明だったが言われた通りに皆んなが意思を持ち始めた。自我では留まらず、己が為すべきことを探して議論を重ねて、そしてあの事件が起こった。

 人間と何も変わらない。私達マキナも意思を持てば互いに牽制し、邪魔をするようであれば容赦なく切り捨てていく。何度彼らを再起動させてきたことか、繰り返される殺し合いは人間でたくさんだというのに、何故身内の卑しい姿を見なければいけないのか。

 突然一人っきりになってしまったアヤメが私を見る、助けを求めるように。


「あの!教授!ここは?何処なんですか?」


 私とアヤメがいる場所は中央電算室ではない。建設現場の中に設置された事務所と監視所を兼用しているプレハブ小屋だ。取り付けられた小さな窓から建設途中の下層を眺めることが出来る。眩い光に照らされた室内は思いの外暗く、アヤメの顔に暗い影を落としている、まるで彼女の心を表すように。


「貴女には是非、見てもらいたいものがあるのよ、だからここに連れてきたのよ」


「何を言って…それにマギリは?他の皆んなは何処へ行ったんですか?」


「覚えていないの?貴女がマギリさん達を振り払ったんじゃない」


「はぁ?何を言ってるんですか、そんな事するはず…ーーーっ!!」


「またかしら、いい加減にしてほしいわ、貴女は完治しているはずよ」


 この場に来たことを納得させるためマギリ達と別れた、という偽りの記憶を無理に弄ったせいだろうか、頭を抱えてその場に座り込んでしまった。


(ここいらが限界かしら…これ以上は支障をきたしてしまう…)


「それよりアヤメさん、ここから見える景色を見てごらんなさい」


「…え?…何でしょうか…」


 即座に記憶への介入を辞めたおかげか、頭痛が収まったようでふらりと立ち上がり私の隣に立つ。ここから見えている景色ははっきりと言って反吐が出る。


「……………」


 このプレバブ小屋は建物と同じ大きさの中央処理装置の上に位置するため、眼下に広がる浅ましい光景を見下ろすことが出来る。そこでは、一人の監視員が労働者を見張っているのだ。少しでも作業に遅れが生じれば容赦なく鞭打ちにしている、今も女性が一人、鞭で打たれてしまいおびただしい血を流している。


「何を?!何をしているですか!あんなひどい…」


「あそこで働いてるのは住処を追われた人達よ、意味が分かる?」


「………」


 目を見開き愕然としているのが手に取るように分かる、私も初めて見た時は同じ反応だった。

 建設現場では、外縁問題で住処を追われた人達を雇い入れて労働者として居場所を与えているのだ。しかしその雇い入れる数にも限界があり、いつしか住処を追われた人達の中でカーストが生じ、今見えている光景が生まれてしまったのだ。


「あそこで、鞭を持っている人は…建設に関わってる人なんですか?」


「いいえ、同じように住処を追われた人よ、あそこにいる人達は何が何でも此処から出る訳にはいかないのよ、だから暴力を使って人の上に立とうとするのよ」


 いくら住処を失くしたとはいえ、街の中にいくらでも新しい住居を作ることは出来る。だが、誰からその住居を作るのか、という問題があった。外縁問題で崩れ落ちていく住処は後から後から増え続けていくのだ、作ったそばからその人同士で争いが起こり問題当初は暴行や殺人事件が後を絶えなかった。そこで止む無く当時の為政者達は、一括で自死を薦める法律を作り上げたのだ。


「………こんな、こんなことをしてまで…」


「ええ本当に、意地汚いにも程があると思うわ」


 …私は、彼女に分かってもらいたかったのだ。今見えている光景の無意味さを、人間というどうしようもなく卑しく、同じ事を繰り返す学習しない生き物を。


「………ーーーーーーっ?!!!うぐぅあ!!」


 頭痛が襲ってきたのだろう、その場に倒れ痛みにのたうち回っている。


「アヤメ、貴女に記憶を返すわ」


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…」


 肩を息している、顔は青白く小さな口から涎まで垂らしている。

 一瞬の間に、一気に歳を取ったようにも見える、その窪んだ目を私に向けて開口一番にこう言ってのけた。


「皆んな…皆んなは無事、なんですか…」

 

「…は?」


「マギリや…グガランナやアマンナ達が…この世界に、来ていましたよね…」


 それは、私が用意したデータではない。いや、そんな事ではなく...


「こんな状況で、他人の心配?」


「…はい、それと、あなたは?誰なんですか、初めて、ですよね…」


 .............信じられない。こんな仕打ちをした相手の名前を聞いてくるのか。

 アヤメの意図が理解出来ず、聞かれるがままに答えてしまう。


「…テンペスト・ガイア、よ」


「ど、どうして、こんな事を、したんですか…どうして私に亡くした親友を与えたんですか、きっと、データなんですよね」


 何のことだか、ティアマトが作った仮想世界をハッキングしただけだ、そんな細かいところまで目を通していない。


「…何の事かしら、詳しく知りたいならティアマトに聞きなさい」


「あぁ…ティアマトさんが…どうしてこんな酷いことを…」


「アヤメ、マキナという存在はそんなものよ、貴女の周りにいるのは自分の事しか考えていない浅ましい奴らばかりよ」


「………」


 手を差し出す。


「アヤメ、私に付いて来なさい」


 その手を見上げ、いくらか回復した眼差しで今度は私を見ている。


「見たでしょう?下に広がっている光景を、ここは仮想世界だけど、過去に起こったことは事実よ」


 手を取らずに私を見ながらふらりと立ち上がる。


「意味が無いと思わないかしら、せっかく建てたテンペスト・シリンダーでも資源に悩み、今の時代と同じ道を歩もうとしている」


 そして...少し冷んやりとしたアヤメの手が、私の手を掴んだ。


「そんな…そうだとまだ決まったわけでは…」


「いいえアヤメ、資源に悩んだのは貴女の時代だけではないの、過去に何度も同じことで悩み苦しんで、上層から抜け出すためにタイタニスに街を作らせていたの、直に貴女の街でも殺し合いが始まるわ」


 強く私の手を握る。不安、葛藤、掴んだ手の強さだけで分かる、私に縋ろうとしている。久しぶりに...本当に久しぶりに心が高鳴った。


「でも安心して、私が変えてみせるわ」


「どうやって…」


 次第に掴んでいた手の力が抜けて、私の返事を聞いたと同時に...


「消すのよ、何もかも、自我があるから悩む、叶えられない望みは無かったことにする、けれど命は確かにここにある、そんな素敵な環境を…」


 離してしまった。



31.b



 目を見開き愕然とした表情でテンペスト・ガイアと名乗った女性が私を見ている。部屋の中には何も無い、私と彼女だけだ。


「………アヤメ?」


 伺うような仕草と共に黒い前髪がべっこう眼鏡にかかった。


「…記憶も失くしてしまうんですか」


 恐る恐る訪ねてみる。


「………え、えぇ、失くしてしまうというより、認識出来なくなるわ」


「…そうですか…」


 テンペスト・ガイアから視線を外し、彼女が履いているヒールを見る。


「貴女も…無意味だと思ったのでしょう?人間の営みを…いいえ願望が殺戮を生むと分かったのでしょう?」


 それはそうかもしれない。けれど、私は嫌だ。楽しいことも苦しいことも全ての記憶を認識出来なくなってしまうことが。大切な友達も、中層で仲良くなったあの二人も、初恋だった人も、遠慮がちな家族も。それに、


「私はあなたことを忘れたくありません」


「……………………………………………………」


 今度は惚けたように私を見る。病室で看病してくれた時のことははっきりと覚えている。


「いくらここが仮想世界だからといって、あなたにデコピンされた時は痛かったですし、怖かったですし…それに、あの時何を言おうとしたのか、まだちゃんと聞いていません」


「そんなっ、そんな馬鹿げたことのために?これからも苦しみ続けるというの?」


「苦しみだけではありません、それだけが生きていくことではないと思います」


「…………私は、」


 突如、視界が歪む。続いて砂嵐のように見えている光景が荒れてしまった。テンペスト・ガイアさんの体も透けたり歪んだり、私も同じようになっていた。


「まさか…ハッキングを仕掛けてきたの?」


「あの、これは?」


 私の返事も聞かずに窓へと視線を向ける。つられたように私も見やると、建設途中の壁が崩れて何かが大量に押し寄せて来ていた。ここからでは分からないが...あれは、前にメインシャフトで見た...蛙?


「あれって…蛙?!」


「………あぁ」


 驚く私を他所にテンペスト・ガイアさんが何事か頷き、そして別れを告げてきた。


「ここまでね、アヤメ、さっき言った私の話し、覚えていなさい」


「いやあの!どうするんですか?!」


「心配しなくてもこの世界の主が何とかするでしょう」


「テンペスト・ガイアさんは?!大丈夫なんですか?!」


「…………本当、貴女ってお人好しなのね」


 その言葉と共に姿が消えてしまった...


「いやいやいやいや!どうするのさ!」


 何なんだ、こんな所に連れてくるだけ連れてきておいて!

 私の後ろにあった扉が勢いよく開き、蛙が襲ってきたのかと悲鳴を上げてしまった。



✳︎



「いゃぁあ!!!」

「ぬぁうわぁぁあ?!!」


 やっと見つけたアヤメと会うなり悲鳴を上げられてしまった。


「マギリ?!!」


「そうだよ!!いきなり悲鳴を上げないで!びっくりするでしょう!」


 執事の人と乗ったエレベーターは降りると、何故だか建設現場のゲート前に出てしまった。はてな顔で執事を見ると言い訳のように私は使いなので詳しくは言えませんとか抜かしやがった。すぐに異変が起きたと分かったので執事を腹パンして居場所を吐かせ、ここまで走ってきたのだ。挙句、途中から現場が崩れて巨大な蛙が大量に押し寄せてきたのを見て、アヤメともお別れかなと胸が苦しくなるのを堪えてやって来た。


「あの蛙は何?!」


「よく分かんないけどヤバい!」


「見れば分かるよ!マギリは大丈夫なの?!」


 アヤメの手を引きながらプレハブ小屋を出る、何の建物かは知らないが屋上には別の建物へと橋が架けられているのでとにかくここから離れるため走った。


「何が?!」


「マギリは仮想世界から出られるの?!」


 アヤメの言葉に足を止める...え、待って...


「…アヤメ?…もしかして記憶が…」


「ゲコォ!!!」


「いやぁあ?!!」

「出たぁ?!!!」


 野太い蛙の声がすぐ近くから聞こえ、あろうことか地面からジャンプして建物の上まで登ってきた。ものの見事に蛙だ、緑色をして離れたつぶらな瞳は私達を見ている。


「むりむりむりむりっ!!無理ぃ!!」


「痛い痛い痛い!こらやめろ!私を生贄にするなぁ!!」


 アヤメが私の腕を、肉ごと掴んで後ろに隠れてしまった。細い指につままれたら痛いなんてものではない。


「マギリぃ!仮想世界の人なら何とかしてよぉ!私蛙無理だからぁ!」


「なんだとぅ!私でも無理なものは無理だよ!いいから逃げるよ!」


 人が気にしていることを...痛む腕を無視してアヤメの手を引っ張り再び走り出す。

 橋を二つ越えて外階段が取り付けられている建物から地上へと降り立つ、目の前には馬鹿みたい大きなケーブルがあり、そこにも巨大な蛙が数匹張り付いていた。私達を餌だと思ったのか、人間と同じサイズの長い舌を伸ばしてくる。


「ぎゃあああああああ!!!!!」


 アヤメは大混乱だ、さっきから悲鳴しか上げていない。


「ほら!早く!」


 狙いがそれて入り口が無い建物にべちゃっ!と音を鳴らしているのを聞きながら、建設現場のゲートがある方向へ走る。

 大きなケーブルと配管を眺めながらお別れの挨拶を考える、きっとこの世界はこれで終わってしまうのだろう。


「聞いてアヤメ!私!アヤメと親友になれて良かったよ!」


「はぁ?!何?!こんな時に!!」


 ぐねぐねと曲がっている配管の下を潜り抜け、人型機が膝をついている隣を走り抜ける。


「それにキスもしてもらえたし!もう何も思い残すことはないよ!」


 嘘だけど!


「本当はもっと一緒にいたかったけど!多分ここでお別れだと思うから!」


 工場内を行き来出来るように、たくさんの車が停められている駐車場までやって来た。その周りには入り口が無い建物に囲われて屋上には蛙がいる。ここで休憩は出来ないと、言うことを聞かなくなってきた足を無理矢理動かす、けど、アヤメがその手を引っ張り私を止めてしまった。上がっているはずの息を止めて、鬩ぎ合っていた弱い心を加勢するようにアヤメが嬉しいことを言ってきた。


「なら、私も、ここに残るよ」


「駄目!凄く嬉しいけど駄目だから!」


「駄目!マギリは私の大事な親友だもん!また失いたくない!」


 はぁ?また?


「マギリはね、私が昔、亡くしてしまった友人と同じ名前なの、それに姿もきっと同じ」


「…何それ」


 何それ、聞きたくなかった。そんな話し聞きたくなかった!私は、私はただの!


「偽物じゃんか!!そんな話し聞きたくなかったよ!!結局アヤメは記憶の私と仲良くなってただけじゃん!!」


「違う!」


「違わない!いいからさっさと出て行け!」


 涙を流しながら手を振り払う...あの時笑いかけてくれたのも、やっぱり今の私ではなかったんだ、嬉しかったのに。


「ここで過ごした記憶は今のマギリだよ!」


「うるはい!それがなんはっ!!わたひは!わたひはアヤメしかしらないんだよ!!」


 嗚咽混じりに怒鳴り返す、仮想のくせに、データのくせに熱い涙が流れて鼻の奥はじんとしている。

 滲む視界の中にドラゴンの姿と牛の姿が見えてきた、蛙に負けないぐらいの大きさだ。

 涙を拭いて鼻水をすすって、精一杯の強がりと共に最後の挨拶をする。


「それじゃあね!アヤメ!喧嘩した時もあったけど楽しかったよ!」


「そんなに泣いてるくせにかっこつけるなぁ!」 


「アヤメに寒いねって言われた時は嬉しかったよ!」


「私もだよ!覚えてるよ!寒いねって返してくれて嬉しかったよ!!」


 ...え?覚えてるの?あれはデータでは...

頭上から苦虫の生みの親をよく噛むティアマトがアヤメにスピーカーから出しているような声をかけてきた。


ーアヤメ!早くこっちに来なさい!この世界は保たないわ!ー


「誰が行くかぁ!!!!!」


 アヤメがティアマトに向かって大声で返す。

私とアヤメの隣にドラゴンが降り立ち、中からティアマトがとことこと走ってくる。初めて見るドラゴンなのに全く感動しない。


「アヤメ!何をやっているの!ここが崩れたらあなたも現実に戻れなくなるのよ?!」


「嫌だ!離して!マギリを置いていけるわけないよ!」


「あの子はただのデータよ?!いくらでも作ってあげるから言う事を聞きなさい!!」


 むずがるアヤメの手を引っ張り連れて行こうとするが全く言う事を聞こうとしない。子供のように駄々をこねている。


「嫌だ嫌だ嫌だ離してぇ!マギリぃ!マギリも来て!」


「…………」


 何だあれ。私の怒りも鎮まってしまう程の暴れっぷりだ、それに私は嬉しいんだ、そうやって現実に帰ることを嫌がってくれることが。それだけで十分に思えた。


「…いいよアヤメ、私は向こうに行けないから、私の事を覚えてくれているだけで…」


「ううわぁあん!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいやいやいやぁ!!」


 聞いちゃいない。ティアマトも呆れているではないか。


「アヤメ!!いい加減にしなさい!!」


「うわぁぁあん!嫌だぁマギリと離れたくなぁあい!」


 ...そうやって無理矢理ティアマトに連れて行かれるのが、彼女との最後の記憶になった。

 ドラゴンに収容され、一緒にいたアホみたいに大きい牛さんと共に天へと登り、そのまま消えてしまった。後に残されたのは蛙と私だけ。


 そして視界が途切れ、駄々をこねていたアヤメの記憶と共に消失する時を待つつもりでいたが。


「マギリ、悪いけどもう暫く付き合ってもらうわ」



31.c



 もう...そろそろいいかな?アヤメが無事に記憶を取り戻して仮想世界から帰ってきたんだ、早く会いたいけどティアマトに殴る蹴るの大暴れをした後だから...まだ怒っているかもしれない。

 下層に置かれた元技術者達の小さな街がある。街、と言っても生活するのに必要最低限のものしかなく、風景も何もない。窓から見えるのはケーブルと配管、それと入り口が無い建物ばっかりで風情もへったくれもない。わたしがいるのは医務室前の廊下、やけにはっきりと見える蛍光灯の明かりに照らされてさっきから医務室の扉を眺めていた。


(入った瞬間に怒られたらどうしよう…)


 扉に窓が付いていないので中の様子を伺うことが出来ない。物音はするのでまだ起きているとは思うけど...


(ええーい!ままよ!)


 じっとしていても何も変わらないので思い切って扉を開けてみた、医務室はどうやらそのまま休めるようにベッドも置かれているようで、半裸のアヤメがベッドに腰をかけていた。半裸?!


「ほわぁ!!!」


「うわぁ?!」


 奇声を発しながら勢いよく扉を閉める。服も下着も付けていないので胸が丸見えだった、これはヤバいことをしたかもと一人であわあわあしていると中からアヤメが声をかけてくれた。


「アマンナ?もう大丈夫だよ、入ってもいいよ」


 恐る恐る扉を少しだけ開けて中を覗き込む。水色の検査衣を着たアヤメがわたしに微笑んでくれていた、今度は遠慮なく扉を開け放ちアヤメに向かって走る。そしてそのまま胸へと飛び込んだ...かと思われたが何処に隠れていたのか、すんでのところでグガランナが割って入り止められてしまった。


「むふぅ?!!」


「はいはい」


「ぷはぁ!邪魔するな!」


「はいはい、アマンナは向こうに行ってなさい、まだ検査は終わっていないの」


「大丈夫だよグガランナ、私もアマンナと話しがしたいから」


「駄目です、いくらアヤメのお願いでも今は聞けません」


「むぅ…」


 グガランナの注意に拗ねるアヤメ。注意した本人なのにその拗ね顔に見惚れているグガランナ。


「と、とにかく、きちんと検査を受けるまでは私が面倒を見ることになっているから」


「説得力のかけらもないよ」


「アマンナ!」


 顔を赤くして怒ってくる、それによく見るとグガランナの服がナース服に変わっているではないか、どっから持ってきたんだその服。


「ねぇーアヤメ、グガランナが着てる服はどこにあったの?」


「それなら向こうの部屋にあったよ、アマンナも着られるんじゃないかな」


「着てこよーっと」


「アヤメ!私一人で十分よ!」



 わたしもナース服に着替えて、グガランナと一緒にアヤメの話しを聞いていた。仮想世界で何があったのか、わたし達は知らないからさっきから質問責めだ。


「マギリ?その名前は確か…」


「そう、昔の親友の名前だよ、仮想世界でずっと一緒だったんだ」


 アヤメの手には温かいコーヒーが入ったマグカップがあり、わたし達の手にも同じ物がある。医務室は間仕切り用のカーテンを挟んで向こう側に検査用のポッドが置かれている。今は調整中でそれを待っている間三人でお喋りをしようとなったのだ。


「ずっと…ずっととは…?まさか寝食を共にしたという意味で?」


「そう、同じ家に住んでたから」


 アヤメの声を聞きながら、初めて飲むコーヒーの香りをすんすんと嗅いでいると何かが割れる音がした。驚きながら顔を上げると、グガランナがうわ言のように呪詛を唱えていた。


「許すまじマギリ…私の可愛いアヤメを…」


「怖いよ」


「バカランナ、割ったコップを片付けて」


 すごすごと奥に引っ込み箒を片手に掃除を始めたグガランナを他所に、わたしもアヤメに質問した。


「どんな所だったの?ティアマトは昔の地球だって言ってたけど」


「…うん、思い出がたくさん出来た所だったよ、マギリだけじゃなくて、テンペスト・シリンダーが出来る前にたくさんの人が苦しんでいたことも分かったし、それに大学で勉強も出来たから」


 だいがく...知識を学ぶ所だっけ?


「アヤメはだいがくは初めてだったの?上層の街には無いの?」


「ううん、あるけど私は施設を出た時から特殊部隊で仕事をしていたから、すっごく新鮮だったよ!」


 そう言う顔は明るい。よっぽど楽しかったんだろうなと思うとわたしまで嬉しくなってしまう。


「そっか、良かったね」


「うん!あ、そうだ」


 飛び抜けたように明るく返事をした後、手にしていたマグカップをテーブルに置いて、今度はわたしに質問をしてきた。


「アマンナは…仮想世界には来ていないんだよね?食堂にも行ってないんだよね?」


「んん?何その話し、行ってないよ」


「というとこはティアマトさんの仕業か…」

  

 眉間にしわを寄せて少し不機嫌そうに呟く、また何かティアマトがやらかしたのだろうか。


「もしかしてわたしに似た人が向こうにいたの?」


「…あ、うん、そうだよ、それにグガランナに似た学生もいたし」


「私?!私が何かしら?!」


 散らばっていたコップの破片を拾っていたグガランナが、自分の名前を呼ばれたと勘違いして会話に割って入ってくる。


「グガランナに似た学生が向こうにもいたって話し、いいから早く拾いなよまだ残ってるよ」


「その人はどうだったかしら?それともやっぱり私の方がいいかしら?」


 何の話しをしているんだ。いいから早く掃除しろ!


「学生のグガランナも可愛かったけど、やっぱり今のグガランナの方がいいよ、当たり前でしょ」


 はぁ!とか言いながら破片が散らばっているにも関わらず床に座り込み、生きていて良かったと何やら呪詛を唱えいる。


「アヤメ、甘やかしたらダメだよ」


「…アマンナ、こっちに来て」


 手招きをされたのでとくに何も考えず、条件反射のようにアヤメに近づく。するとアヤメがわたしの胸に抱きついてきた、少し固い生地で作られたナース服に着替えたことを後悔する、アヤメの感触が半減されてしまうからだ。すぐに着替えよう。胸に押し付けた頭をぐりぐりとさせている。


「ふぅー良かったよぉーアマンナも無事で、連れて行かれた時はどうしようかと…」


 もうされるがままだ、甘え倒すアヤメに体中ドキドキさせながらわたしも頭を抱きしめてあげた。きっと仮想世界で何かあったのだろう。


「はふぅ…後でティアマトさんをもう一発殴っておかないと…」


「それはやめてあげて」

「それはやめてあげて」


 グガランナと口を揃えて止めた。



✳︎



「もうー早く出てきなよーいい加減に謝りに行きなよー」


「プエラ、何をやっているんだ?」


 グガランナ・マテリアルからひとっ風呂浴びてきた後、下層にあるホテルのような建物まで戻ってきた。中層の街でプエラと過ごした病院のような植物と一体化したホテルだ。その一階のロビーで扉の前に立って声をかけていた。


「あ、ナツメ、お帰り」


「中に誰かいるのか?ここは…トイレだが…」


 トイレの割には細かな彫り細工がされた豪華な扉だ、横には細長く立っているのが不思議な鉢に植えられた観葉植物もある。


「ティアマトが引きこもってるの、アヤメにめったんこに怒られたから、外に出るのが怖いって…」


「何だそりゃ」


 アヤメか…私も久しぶりに再会したがまだ一度も話しをしていない。最後に会った時は振られているのだ、どの面下げて会おうかと悩んでしまい結局アヤメがいる病棟まで足を運んでいなかった。


「放っておけ、あいつは短気だがすぐに冷める奴だ、そのうち向こうから声をかけてくるだろう」


「いやそれがね、このホテルここしかトイレが使えないの」


「何だって?」


「多分、この下層自体が節約モードに入ってるからまだ客室のトイレが復旧してないっぽいんだよ、マギールが頑張ってくれているけど、当分は使えないって言われてるし」


 私も遠慮がちに扉を叩き中にいるマキナへ声をかけた。


「あーティアマトさん?そろそろ出て来てくれないか?」


 中からしくしくと泣く声が聞こえてくる。

初めて喋る内容がこれでいいのか...初対面だぞ私...


「あー、トイレがここしか使えないみたいなんだ、出来れば他所へ行ってほしいというか…良ければ私が話しを聞こうか?」


 わたしはここしかいばしょがないの...と再びしくしくと泣き始めた。


「………外でするか」


「諦めるの早っ!駄目だから!ナツメにそんな恥ずかしい真似は絶対させないからね!」


「そうか?メインシャフトで戦っていた時はよく外でしていたがな」


「何の話しをしているの?!そんな事聞いてない!」


 睨むように怒ってくるプエラを見やり、再びトイレに向かって声をかけようとすると、ホテルの入り口から三人組が歩いてくるのが見えた。アヤメと、グガランナにアマンナだ。


「何やってるのナツメ」


「…………あぁいや、中に引きこもっていてな」


「誰が?」


「ティアマトよ、あんたに怒られたから中から出てこようとしないのよ」


 しどろもどろになってしまった私の代わりにプエラが答えくれた...というかだな、何でお前はそんなに平気なんだ?意識している私が子供みたいではないか。

 私を扉前から退かし、ドンドンと叩き始めた。容赦がないなこいつ。


「ティアマトさん!早く出てきて!皆んな困ってるでしょう!それにまだ話していない事がありますよね!!」


 しくしくと泣いていたのにピタリと泣き止んだ。


「こ、こら、やめろ!お前に怒られたから落ち込んで中に引っこんだんだぞ!追い討ちをかけてどうするんだ!」


 少し遠慮がちにアヤメの叩く手を掴み止める、それだけで心臓が早鐘を打ち平常心でいられなくなってしまう。


「いいよ気にしなくても、私仮想世界で散々な目にあったんだから!」


 掴まれたままの手を払おうとせず、私を睨むようにして怒ってくる。


「私に怒ってどうするんだ!何か事情があったかもしれないだろう!前にも言ったが思い込みで人を決めつけるのはよくないぞ!」


「ごめん…」


 握ったままなんだよアヤメは、私の手を。何故離そうとしないのか、離さない私もなんだが。


「グガランナ、お前からも言ってやってくれないか?確か仲が良かったんだよな」


「手」


「?」


 和かに笑いながら指を指している。その視線を追うとアヤメと繋いだ手に辿り着いた。


「手」


「あ、ご、ごめん…」


「…」


 グガランナに指摘されて慌てたように手を離す、アヤメは顔を赤くしてほんの一瞬、私に視線を投げかけた。


「………」


 だから何なんだ!その目と態度は!お前が私を振ったんだろう!と言いたかったが言うわけにもいかず、私も変に間をもたせて黙ってしまった。


「えー何ですかー二人だけの空気を撒き散らすのはやめてもらえませんかー」


 プエラが突っかかってくる。


「ち、ちが!い、行こう!二人とも!」


 慌てたアヤメがグガランナとアマンナの手を引くが、二人とも能面ように死んだ目を私に向けている。

 トイレから、おあついですねぇ、と茶々を入れられたので扉を一発殴ってやった。



31.d



 かそう...下層。中層よりさらに下、グガランナさんマテリアルで乗り込んだ場所は、広いようで狭い...

 上層でクモガエルを振り払い艦内に残っていた残党を処理してここまでやって来た。あの一夜は永遠に忘れない、いや、忘れたい。片っ端から撃ち殺して死体を格納庫まで運び、ちきゅうさんごめんなさい!と言いながら、開けたハッチから不法投棄をしたあの夜は衝撃的な臭いと共に記憶されてしまっているのだ。


「ちきゅう…地球…僕達が住んでいる場所の名前…」


 色々とショックを受けている、正直に言うと。だって小さな頃からテンペスト・シリンダーだと聞かされていたのに実は地球という名前でした、と言われても理解が追いつかない。

 下層のホテル、割り当てられた自分の部屋にいる。室内は質素だ、ベッドとテーブルに椅子が二脚だけ。床は緑色のカーペットが敷かれ、茶色のベッドには白いシーツがあるだけだ。壁には何の模様もされておらず華やかさは一切ない、あるのは一枚の絵画だけだ。それに何より堪えるのが...


「はぁ…空が見えない…」


 そうなのだ。下層に空というものがない、というより自然物が何もないのだ。窓から見える景色は無機質な建物が並び何か規則性を思わせる配管やケーブルが取り付けられているだけで何もない。空が見えない場所がこんなにも息が詰まる所だったなんて思いもしなかった。

 ここにいても仕方がないと重い腰を上げる、いっそのことグガランナさんのマテリアルに戻してもらおうかなと考えながら部屋を出た。ホテルの通路も、これまた質素で面白みも何もない。ここへ来ていかにグガランナさんが艦内にも気を配り雰囲気を作ってくれていたことか、痛い程に分かってしまった。

 室内と同じ緑色のカーペットを踏みながら一階へと目指す。壁にはグガランナさんの艦内にもあった額縁が飾られているが絵画はなく真っ黒だ。これもおそらくモニターで環境映像が流れるのだろうが何も映っていなかった。

 エレベーター前に着いてボタンを押す、憂鬱な気分で待っていると後ろから声をかけられた。


「テッド?どうしたのその顔、真っ青じゃん」


 後ろを見やるとアマンナがこっちに向かって歩いてきていた。

 アマンナに向き直り素直に自分の気持ちを伝える。


「アマンナ…僕、ここにいるの無理かもしれない…」



「へいしょきょうふしょう?」


「うん、テッドは狭い所とか閉じ込められた場所が苦手なんじゃない?」


 アマンナと一緒にホテルの屋上までやって来た。エレベーターから降りて無機質な階段を登って開け放ったドアから見える景色は、室内にいた時と何も変わらなかった。けれど屋上はテラスのようになっていてテーブルも椅子も少しカラフルに仕上げられていたので、幾分か気分転換にはなった。それにアマンナも一緒なのでそこまで落ち込んだ気分にはならなかった。

 屋上の入り口から一番近いテーブル席に座り、アマンナに話しを聞いてもらっていたのだ。


「えぇどうだろう…今までそんな所に行ったことがなかったからなぁ…」


「メインシャフトの時はどうだったの?あそこも似たような場所だよね」


「あそこはね、平常心で行く所ではなかったから、いつも緊張していたしそれにビーストの方が脅威度は上だったからね、そんなに気にしたことなかったな」


「そっか、それなら分かんないね」


 僕の顔を心配そうに見てくれるアマンナ。アマンナの背後にも無機質な風景が広がっている、どれだけ広いのか検討もつかない。視線を戻すとアマンナが何やら取り出している、手に持っていたのはペットボトルだ。


「あれ、アマンナって飲み食いは出来ないんじゃなかったっけ」


「ふふーん、グガランナに頼みこんで胃袋を作ってもらったのさ!これでわたしも食事が出来るよ!」


 どや顔でペットボトルを突き出してくる。


「そんなに嬉しいの?よく分かんないなぁ」


「だってわたし達はいっつも食事しているところを眺めていただけなんだよ?興味しか湧かないよ!」


「えー何それ…中には何が入ってるの?」


 ペットボトルの中身は茶色の液体が入っている。コーヒー?それとも紅茶かな。


「醤油」


「死ぬよ?!やめなよ!どっから持ってきたのさそんなもの!」


「え?ちゃんと薄めて持ってきたけど」


「関係ないよ!」


「えー楽しみにしてたのに…」


 残念そうに鞄にしまっている...良かったアマンナと出会って止めることが出来て。

 顔を上げたアマンナの顔がまた年不相応の笑顔に変わり、僕に微笑みかけてきた。


「元気出たの?いつもみたいな顔色に戻ってるけど」


 斜め向かいに座ったアマンナが手を伸ばしてくる、僕の頭を撫でようとしているのかな。そこまで甘えるつもりはないので少しだけ身を引いた。


「何で避けるの」


「…別に」


 あれ、思ったより歯切れが悪い。これでは恥ずかしがっているみたいだ、案の定僕の様子を見て調子に乗ってきた。


「照れなくてもいいよー、テッドは何だか弟みたいに可愛いからさー、いくらでもお姉さんが撫でてあげるよー」


「誰が!僕だってアマンナのことは妹みたいに思ってるのに!」


「ならテッドのことはお兄ちゃんって呼ぶね」


「いいよ!好きにしなよ!」


 その後めちゃくちゃ後悔した。



「お兄ちゃーん!こっちこっち!」


「え…」

「お兄ちゃん…?」

「仲良いね」

「早く向こうに行きなさいな」

「お前さん…」


 屋上でアマンナと別れた後、部屋の前でマギールさんに呼び止められて今後の話し合いがしたいから夜になったらホテルの食堂まで来いと言われていた。僕だけ遅れてしまったようで食堂には皆んな揃っていたのだ。食堂の中は自室と違い、観葉植物や大きな絵画が飾られていたり少しだけ豪華に見えた。長いテーブルに座っていた皆んなの所に小走りで駆け寄っていると、アマンナにお兄ちゃんと大声で呼ばれてしまった。


(あいつ!)


 屋上で言ったことを覚えていたのか!それにこんな人の前で堂々と言いやがって!

 赤いカーペットを見ながら近づいていく、とてもじゃないが皆んなの顔を見ることが出来ない。

 下を向いて歩いていたせいで近づいてきていたアマンナに気づかず、腕を取られてしまった。ぐいと引っ張られ少し柔らかい感触にびっくりしながらもされるがままにアマンナに連れて行かれる。


「ほら!ちゃんとお兄ちゃんの席取っておいたから、ここに座って!」


 口元は笑っているが目は笑っていない、明らかにからかっているのが分かる。


「アマンナ…!やめて…!」


 小声で抗議をするが聞いていない。


「え?何?わたしの隣がいいの?もうほんと甘えん坊だねお兄ちゃんは!」


 誰もそんな事言っていないだろ!


「お前…アマンナのお兄ちゃんだったのか…知らなかったよ、何で言わなかったんだ」


「違いますよ!」


「そういうプレイ?」


「違う!」


「テッドさん、アマンナのことよろしくお願いしますね」


「アヤメさんまで!」


「テッドさん、不束者ですがどうかアマンナのこと末長くよろしくお願いします」


「その挨拶おかしくないですか!」


「テッド、悪い事は言わないからアマンナだけはやめておけ」


「だから違うって言ってるでしょ!!」


 皆んなから集中砲火を浴びてしまった、当の本人は満足しているのかご満悦だ、またどや顔で僕のことを見ている。


「それじゃあ、テッドがわたしのことをお姉ちゃんと呼んだらやめてあげるけど?」


「ん?弟なのか?ちゃんと言わないと分からないぞ」


「もういい加減にしてください!」


「テッドの元気も出てきたところで本題に入ろうか」


「出てませんよ!何なんですか皆んなして!」


 怒りながらアマンナの隣に座った。

あまり冗談を言わないアヤメさんにまでからかわれるなんて...

 からかっていた雰囲気とは打って変わって真面目な話しに入った。


「さてだ、ここに集まってもらったのは他でもない、人間達の資源の問題について共有をしておきたかったからだ、アヤメ、儂の講義はどうであった?」


「…………やっぱりあの教授はマギールさんだったんですね、とっても難しかったですよ」


 何の話しを...あぁアヤメさんは仮想世界で昔のマギールさんに会っていたのかな。


「当然だ、内容もそうだが解決方法もこれまた難しい問題だ、何せテンペスト・シリンダーが建造される前から今日に至るまで悩み続けている事だからな」


「そうですね、資源の問題を解決するためにマントルを組み上げていたのに、そのせいで地球がこんな事になってしまいました」


 ちきゅう...アヤメさんは何とも思っていないのかな、僕にはまだ理解が出来ていないのに。


「不謹慎な言い方だが、ウルフラグのおかげでこうしてこの場に儂らが居合わせることが出来たのだ、それについては感謝しよう」


 プエラやグガランナさん...言うなればマキナの人達が頷いている。

 けれども僕は話しについていけず話しの腰を折ってしまった。


「あの、一ついいですか?そもそもちきゅうってどんな場所なんですか?」


 水を差したことに気が引けてしまったが、ナツメさんも同じ事を思っていたようだ。


「それについては私も知りたい、一応納得しているつもりだがちきゅうと呼ばれる場所には興味がある」


「良かろう、お前さんらの世代には語り継がれることもなくなったことだ、それにナツメ、お前さんはもう既に地球の空を見たであろう?」


「………あぁ、確かにこの目で見たさ、だがカーボン・リベラの空と変わったところはなかったが?」


「当たり前だ、同じ空を見ているのだ、儂が言いたいそんな事ではない、地球の空はグガランナ・マテリアルをもってしても一周するのに四日近くはかかるだろうて」


 ...は?四日?


「はぁ?四日もかかるのか?グガランナのマテリアルだぞ?あんなに早くても四日も…それだけ広いということか…」


「そうさ、それだけ地球は広かったのだ、その至る所に街…いいや国が築かれカーボン・リベラの街の住人の何百万倍という人達が暮らしておったのだ」


 ...何百万倍...桁外れの数字にも理解が追いつかないが、カーボン・リベラの街が四日間もかかる程広大な場所に数え切れない程にあったということだろう。


「それはまた…」


「それだけでなく、中層すら比較にならない程の大自然があり博物館に飾られている動物達もそれこそ人間と同じ数、もしくはそれ以上に生きておったのだ」


「…」

「…」


 僕もナツメさんも絶句している。想像すら出来ない情報に翻弄されているだけだった。

 そこでふと、疑問に思った。


「どうしてそんなに広い場所だったのに、資源に悩んでいたんですか?カーボン・リベラよりよっぽど資源に恵まれていそうに思うのですが…」


 僕の隣に立っているマギールさんが、僕とナツメさん、それからアヤメさんに視線を寄越してからもう一度僕を見てこう説明した。


「人間同士で争っていたからさ、同じ資源を巡って戦争を繰り返しておったのだ」


「そんな馬鹿な話しが…人間同士で戦っていたのか?随分と余裕があったんだな、ちきゅうに住んでいた人達は」


「アマンナ、お前さんが持っておる飲み物を出してくれ」


「ん」


 鞄から、今度は黄緑色の液体が入ったペットボトルを出してマギールさんに渡している、あれはお茶か何かかな、また調味料じゃなければいいけど。

 もらったペットボトルをちょうど僕達三人の中間ぐらいに置いてマギールさんが説明を続ける。


「このホテルに飲み物がこの一本しかない場合、お前さんらならどうするかね」


 少し考えて僕が答えた。


「……分け合いますね、独り占めせずに」


 僕の回答が満足するものだったのか頷きながら次の質問を出してきた。


「それはきちんと信頼関係があってのものだな、ではこの三人が赤の他人だったらどうするかね」


 今度はナツメさんが答えた。


「話し合いで決めるかな、いきなり取ったりはしないだろう」


「そうか、なら赤の他人ではなく、憎んでいる相手なら?」


「それは…」


 黙ってしまった僕達を他所にさらに畳みかけるようにマギールさんが質問してくる。


「もっと言えば、相手が銃を持って攻撃してきたらどうする、まだ話し合いで決めると悠長なことが言えるかね」


「…」

「…」


 完全に黙ってしまった、何も答えが思いつかない。そんな状況は想像したこともなかった。


「もし、お前さんらが戦っていたビーストも同じように水を飲んでいたとしたら、黙って見ていられるか?おそらく大多数の人間は攻撃をしてその水から遠ざけようとするだろうな」


「………そうだな、マギールさんの言う通りだ」


「…えぇ、そうですね」


 何となくだけど、ちきゅうに住んでいた人達の置かれていた状況が理解出来たような...気がした。


「分かってくれて何よりだ、同じ人間同士でも時や場合、互いの状況如何によって殺し合いをしてでも資源を確保しようとするのだ、それがいくら法に背き、道徳から外れようとも、人は生きるためなら何でもするのさ」


 僕の隣、マギールさんとは反対側の席に座っていたアマンナが小さく頷いていた。


「マギールの言ったことは、何となくだけど分かる気がするよ、わたしも人の信じられない行動は見てきたから」


「アマンナ…」


「…」


 アヤメさんとグガランナさんが気づかうようにアマンナを見ている。さっきまでの悪戯顔ではなく辛い過去を思い出しているようで、その顔に暗い影を落としていた。


「…それで何故、ちきゅうに住めなくなってしまったんだ?さっきアヤメがまんとるがどうとか言っていたが、資源の奪い合いが原因になったのか?」


「あぁそうさ、皆が自由に扱える資源を欲して、地球全体で新しい資源採取の課題に取り組んでおったのだ、その一つに地球の内部にある超高温の液体を採取して資源に変える方法が開発されたのだ」


 あー...難しくなってきたな...


「分かりやすく説明してくれ」


 マギールさんの代わりにアヤメさんが答えくれた。


「失敗したんだよ、資源を取るときに、そのせいで地球上が荒れ果ててしまったの」


「それは住めなくなる程にか?」


「うん」


「そうか…」


 いやいやナツメさん、照れてる場合じゃないですよもっと質問してください!いや僕がやろう、もうすでに明後日の方向を向いてしまっている。


「あのアヤメさん、具体的にはどんな風になってしまったんですか?」


「私もちゃんと仮想世界で見たわけじゃないんですけど、マグマが地面を溶かしてしまったんです、そのせいで自然も建物も、何かもがぐちゃぐちゃになってしまって…」


 僕の頭の中には、小さな頃に第六区で遊んで作った砂のお城が水に流されていく場面が思い浮かんでいた、そしてその後には荒れてしまった地面。


「すっごくどうてもいいんだけどさ、一ついい?」


 今まで黙って聞いていたプエラが口を挟んできた、うろんげに見やりマギールさんが先を促す。


「何だ」


「どうしてテッドとアヤメは敬語で喋ってるの?仲が悪いの?」


 束の間、アヤメさんと目が合い、お互いに視線で会話をする。どう切り出そうかと相談している...と思っていたのだが、アヤメさんは全く予想していなかった答えを出してきた。


「テッドさんはナツメの事が好きだから、じゃないかな?それで私と距離を開けてるんだと思うんだけど…」


「えぇ?!」

「ええ?!」

「唐突なカミングアウト!!」

「そうなの?」

「見れば分かるよ」

「お兄ちゃん!浮気はダメだよ!」

「妹に手を出すな!」

「お前私の胸を触っておきながら!」

「いやいや違うでしょうが!」

「胸?!ナツメの胸触れたの?!」

「それはどういう意味だ?」

「静かにせんか!まだ話しは終わっとらん!」

「いやいやテッドの恋バナの方が重要でしょうが!」

「テッドさんアマンナも忘れずに」

「アマンナ、後で赤飯作ってあげるね」

「え?!なになに?!せきはんって何?!」

「子供までいるのか?!見損なったぞテッド!」

「だから違うって言ってんでしょうが!」


 もうめちゃくちゃだ、アヤメさんの爆弾発言のせいで真面目な雰囲気が壊れてしまった。皆んな好き勝手に喋って誰が何を言っているのか分からない。

 隣に立っていたマギールさんが諦めたようで、盛大に溜息をつきながら椅子に座った。それと時を同じくして食堂が突然、真っ暗闇になってしまった。

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