飛行士イーオン・ユリア・メリア
ん?ん?今頃になって先程手に入った情報が頭からオーバーフローしてしまい、レストスペースの扉の前でフリーズしてしまった。
(え?ギーリとテクニカは恋人同士?そんな人事があり得るの?たまたま?コンキリオ少佐はそれを知ってて採用──いや、バベルの診断がないと人事は…んんん?)
もう分からない。
分からないと言えばイーオンのあの態度だ。あれはなに?クルルよりよっぽど子供じゃない。
(何で怒るの?怒りたいの?そんなに私に怒りたいの?テクニカの腕を掴んでいただけで?は〜?意味分かんない、ほんと引っ掻き回すの止めてほしい──あ、もうや〜めた、私からあの子に関わるのは止めよう、身がもたない)
うん、そうしよう。そうしようと決めると頭がスッキリした、胸はぐちゃぐちゃのままだけど。
レストスペースは他のスペースと違って一本道ではなく、船内フロアのように広々としたところだった。
なんかラグビーボールみたいな楕円形のフロアには全部で八つの扉があり、一つがシャワールーム、一つがレストルーム、一つがキッチンルーム、残りの五つは私たち乗組員のプライベートルームである。
それから、フロアの中央には五人が余裕を持って座れるラウンドテーブルがあり、フロアの入り口側には質の良い絨毯が敷かれ、ちょっとしたソファが置かれていた。
ここが私たちの休憩スペースである、プライベートなんざ壁一枚を隔てただけなので、果たして心が休まるかどうかは実際に過ごしてみないと分からない。
さて、残りの三人がどこへ行ったのか目だけで探していると、網膜モニターが自動で立ち上がり、コンキリオ少佐から連絡が入った。どうやら少佐からの連絡は強制らしい、こちらに選択権がなかった。
「医師の診断結果がたった今こちらに届いた、今日にでもそちらに合流することができるだろう、よって出発は明日、明日にもう一度最終のブリーフィングを行なう。開始時間はそちらに任せる、各隊員と打ち合わせをしてまた報告を上げてくれ」
「分かりました、無事で何よりです」
「テクニカ司厨士の様子は?」
「あ〜…その前に質問よろしいですか?」
「ん?何かね」
私は(悪いとは思いつつも)テクニカから聞いた話をコンキリオ少佐に伝えた。恋人同士であることと、ギーリと同様にスパインターミナルにいたことを。
コンキリオ少佐は驚いていた。
「それは本当か?」
「はい、本人の口からそうだと教えてもらいました。この部隊は恋人同士だと知りながら、それでも採用するのですか?部隊を預かる身として、できればそういった人事は控えていただきたいのですが、気を遣います」
「すまない、こちらの確認不足だ、バベルの診断結果を元にこちらで人事を選定した、が、まあ言い訳に過ぎんな。──出発は明日以降に延期にする」
「ええ?──あ、失礼しました。それは何故ですか?」
二人の関係を伝えてしまったがために、てっきりどちらかが解任なるのかと思った。
けれど違った理由だった。
「テクニカ司厨士を一旦呼び戻す、再乗艦は今回の誘拐事件の聞き取りが終わったあとになるだろう」
「それは…」
「これから話す内容は別隊員には伏せておくように。──昨日逮捕されたシャトルシップの不正乗船犯が、勾留されていた留置所から逃走を図った、現在もリガメルの街を逃走中、どうやらスパインターミナルで発生した誘拐事件と同じグループがこれらに関わっているようだ」
「……………」
「今回の誘拐事件に巻き込まれたギーリ副隊長は現在医療機関内で聞き取りを行なっている、テクニカ司厨士については…ああ、今初めて君から聞かされたよ、すぐに所轄の関係者を集めて聞き取りを行なわせる、そのため時間がかかる、だから出発は明日以降になる」
「わ、分かりました…」
「すまない、こんなくだらない事件に巻き込ませるつもりはなかった。私の方から聞き取り後はすぐに本作戦に復帰させるよう、関係者たちにキツく言っておく。君たちの戦場は陸ではない、地球の大空だ、どうか気に病まずに出発前の休暇が取れたと思ってゆっくりしてくれたまえ。以上だ」
こちらの返事を待たずに通信が切れた。
いつの間にか、私の前に三人が揃っていた、三人とも不安そうにこちらを見つめている。きっとコンキリオ少佐とのやり取りが顔に出ていたのだろう。
「──テクニカ、悪いけどあなたは一旦この船から下りてちょうだい、所轄の人間があなたを迎えに来ることになっている」
疑問を口にしたのはクルルだ。
「え?どうして?」
「……………」
テクニカが顔を俯け、その拍子にアップツインにしている金の髪が寂しげに揺らいだ。
自分の口から言っても良かったけど、それではこれからの旅に支障が出ると判断し、私はテクニカの前に立って細い肩に手を置いた。
またしても口がかぱっと開いた。
「私もあの場にいたから、私も誘拐犯を見たから、多分その聞き取り調査だと思う」
「…………」
「…………」
クルルもイーオンも目を開けて驚いている、「喋った!」と、口にせずともその気持ちは分かる。
クルルもイーオンもテクニカの肩に手を置き、それぞれが励ましの言葉を送った。
「テクニカは何も悪くないんだから気にしなくていいんじゃない?誘拐した奴が悪いんだしさ」
「ごめんね、一方的に話しかけてばっかりで」
「ううん、私の方こそごめん、気を遣わせて。ギーリも私と同じみたいなところがあるから、触れ合ってあげて、その方が安心する」
そう気遣いの言葉を残し、やって来たばかりのテクニカがラグナカンを後にした。
*
リガメルアカデミーの所有面積は約六〇万平方メートルに達し、ヴァルヴエンドの中でも最大の学び舎である。
敷地内にある教育実技用管制塔から、リガメルアカデミーを一望することができる。
パイロット兵科が所有する格納庫の群れ、それから一般生徒が使用する屋外グラウドに屋内スポーツセンター、一般、専攻科目の講義に使用される講義棟に学生寮、それから教員寮。
そして、新設部隊の新造艦であるラグナカンが停泊するリガメル宇宙港もこの管制塔から見ることができた。
低い高度を揺蕩う薄曇の向こう側に、本来であれば出航しているはずのラグナカンが見えている。
(おそらくあの事件に巻き込まれて…)
滑走路では編隊飛行訓練前の機体が待機している、この後、宇宙港の管制塔とやり取りを行ない、空の無事を確認してから離陸許可を出す予定だった。
今日は、来年に卒業を控えている生徒の実技試験である、管制塔には各教官が集まり、いつもより厳しい目つきをして空を眺めていた。
パイロット兵科の学長であるキャメルも姿を見せている。若くして学長の座についた苦労人だ、他の学長とは違い顔のしわもまだまだだが、労苦による疲れが頭皮と目元に表れていた。
その学長が私にアイコンタクトを送ってきた。
促されるまま管制塔を出る。今日は肌寒い風が吹き、背筋を震わせた。
「何でしょう?」
「内密に──アカデミーに輩が侵入した、昨日君が取り逃がした不正客だ」
「そんなまさか…」
「それから、その輩はどうやら電子ハッキングに長けているようでな、だからこうして肉声で君に伝えたんだ」
「なら…特別独立個体機を所有しているという噂は…」
「事実だろう、だからこうして下層ならともかく上層で好き勝手に暴れているんだ。──すまない、私も再三に渡って拒否したんだが…」
ああ、だから私だけにその話を伝えたのか。
「私に捜査協力の要請がかかったのですね」
「すまない、こんな大事な時に…犯人を目撃しているのは君だけなんだ、向こうが変装していることも考えられる」
「仕方がありません、私の失態でもあります。──まあ、警備の責任まで負ったつもりはありませんが」
私が皮肉を口にすると、キャメルがふっと微笑んだ。
「もう既に軍の関係者がこちらに来ている、ハッキングを警戒して肉声での打ち合わせを求めている、君はこのまま第二講義棟の一階ロビーへ行ってくれ、そこで待機しているそうだ」
「分かりました」
管制塔の外階段に足を下ろしたと同時に、滑走路に待機していた練習機が動き出した。
*
どうやらこの近くに離着陸用の滑走路があるらしい、随分と懐かしく思えるジェットエンジンの音を耳にしながら、僕はひたすら顔を俯けていた。
「ぷぷぷっ…ほ、ホシ…あ、あとす、す少し、だ、だから…ひっひひっ」
「…………」
「──は〜あ、ホシ、今格納庫にある練習機のロックを解除しているところぉ〜ほっほほっふふっふふ」
「なに、二人ともお酒呑んでるの?真面目にやってくれない?」
爆笑。頭の中がほんとうるさい。
いやでもさ、この服はほんと便利、好きな時に好きな服をダウンロードできるんだから、道理でこの街にブティックが一つもないわけだよ。
宇宙港最寄りの派出所から脱走した僕は今、リガメルアカデミーに潜伏していた。見た目を生徒に変え、マリサたちのハッキングを待っている状況だった。
ただ...その見た目というのが、男子生徒ではなく...
バカでっかい体育館前の通り、その外れにあるベンチに座っていた僕の前には屋外の公衆トイレっぽい小さな建物があった。
そのガラス張りの壁に映っているのが、どこからどう見ても女子生徒!なのである。
黒いロングの髪は清楚のそれだ。あのガラスに映っているのは紛れもなく僕である。
(この服ほんとすごい…胸の膨らみまで自由自在なんだもん)
煉瓦通りの道から自分の胸へ視線を移す。美胸。はい。
(早く終わって〜変な趣味に目覚めそう〜!)
もうほんとよく分からないジリジリとした気持ちで待っていると、通りの向こうからぞろぞろとした一団が現れた。
前二人は警備兵、その後ろはスーツ姿の二人、さらにその後ろには...
(げえ!ガチかよ!昨日の人!)
あ〜ヤバい、今さら移動しても絶対に見つかる、かと言ってこんな所にいても絶対怪しまれる、きっと今は講義中の時間だ。
「ふひ〜もうお腹いっぱい。ホシ、ロック解除終わった──げえ!見つかってんじゃん!早よ逃げろ!」
「いやもう遅い」
警備兵の二人に見咎められ、昨日僕が騙した女性に何やら話している様子、そしてその女性がすぐこっちにやって来た。
(は〜ヤバいヤバいヤバい!)
「こんな所で何をしている?講義は?」
「……………」
俯けた頭の上から女性の声が落ちてくる、僕はその女性のスラックスを見ながら必死に堪えた。
顔を見られたら終わりだ、服は騙せても顔までは騙せられない。
(いやというか警備関係者じゃなかったの〜?!まさかの学校の人だったなんて〜!)
もはや運命?二日連続で見知らぬ他人と顔を合わせるのは今日が初めて。
僕はば!と顔を上げてば!とその人の手を握り「好きです!」と叫んだ。
「なっ──」
「あなたに一目惚れをしたからこんな変装まで
──」あ、ちなみに地声ね?「こんな変装までして会いに来たのです!」
「なにを馬鹿なことを──」
初動は完璧、虚を突かれた女性の動きが止まり、僕はその隙に拘束させてもらった。
故郷から持って来た、もういい加減壊れてもおかしくはない自動拳銃を女性の頭に付け、「動くな!」と牽制した。
「自分が何をしているのか分かっているのか!」
「やんごとなき事情ってもんがこっちにもあるんでね!」
「何て身勝手な──私に構うな!こいつを捕えろ!」
なんて勇敢な、女性がそう叫んだと同時に警備兵が距離を詰めてきた。
その二人の足に向かって発砲、手応えはあまり感じられないが、うっと呻いてその場に跪いた。
それから僕は拘束していた女性をその二人目がけて投げ飛ばし、向こうの連携が乱れた隙を突いて駆け出した。
「いや〜ホシがどんどん悪者になっていくんですけど」
「誰のせいだと──ハンガーはどっち?!」
「そのまま真っ直ぐ、体育館裏の通りを抜けて!──デリバリーも掌握完了!機体を滑走路に出しておくからそれに乗って!」
ああ、スカートがすごい邪魔!風に煽られて裾が捲られる度に気が散ってしまう!
アマンナの案内通り駆け抜け、うんと広い所に出てきた。この学校が所有する滑走路であり、そこに一つの機体がアイドリング状態で停止していた。
「操縦方法は?!」
「え?ホシもパイロットなんだから余裕でしょ?」
「なわけあるか!勝手が違ったらどうするんだ!」
「あ〜はいはい、今ダウンロードしてそっちに送るから」
「いやそっちで操縦してくれない?!ハッキングできたんだからコントロールだってできるだろ?!」
「そんな長時間してられるか!軍に特定されて一発でお縄だわ!──あとは自分でやって!それが一番確実!」
ふざけなんよ!と罵倒する前に機体に着いてしまった、あとはもう乗るしかない。
「──ああ!もうスカート!」
コクピットに乗る間際、えっちな風(死語)の悪戯で裾が大きく捲れてしまい、お尻がとんでもなくスースーした。
女性はよくこんな物を履いていられるなと思いながら、コクピット内のくまなく見回した。
「フットペダルがないんですけど!どうやって加速すんのこれ!「マニュアル見ろ!「見てる暇がないのは見て分かるだろ!「──レフトレバーの第二ボタン!それが加速っぽい「嘘だろボタン式?!指攣るだろそれ!「いいから飛べ!」
言われた通りにボタンを押すと一気に背中がシートに叩きつけられた、まさかのハンチング式?!指だけで細かな調整しろって?!
でも、何とか滑走路から飛び立つことができ、僕はほんの一瞬だけお世話になった異国の学び舎を後にする。
離陸してすぐ、どうしようもない僕らの司令官からインプラント通信が入った。
「逃げ出せたようだな、ヒイラギ、実に残念だよ。ノラリスの女共を独り占めするチャ「くだらないこと言ってないでさっさと準備しろ!「すぐに駆けつける!それまで持ち堪えろ!」
相変わらず、モンローさんとガングの漫才は今日も冴えている。
離陸したばかりの滑走路を見やる、そう来るかなと思っていたけど、僕の後を追うようにして一つの機体が離陸準備に入っていた。
*
なんたる失態!一度ならず二度も!
逃走犯はあろうことか生徒の姿に扮し、あまつさえ貴重な練習機を奪って空へ逃げていた。
「アルター!あとのことは彼らに任せるべきだ!君がそこまで協力する必要はない!」
「いいえ!二度も恥をかかされたのです!教官としての矜持より前に一人の人間として裁きを与えねば気が済みません!」
「奴らのハッキングでデリバリーも混乱している!現在リガメル上空に飛行禁止令が出ている!」
「ならば好都合!キャメル学長!私の首をあなたに預けます!」
いらん!と返事があったが、こめかみを叩いて通話を切った。
ハッキングによる一時的な管制麻痺に陥り、アカデミーのみならず宇宙港にも飛行禁止命令が出ていた。その間、いかなる機体も船も離陸することが許されず、普段は船の行き来で騒がしい空もひっそりとしていた。
私の首はもう学長に預けた、今から軍顔負けのスクランブル発進をしたところで止められやしないだろう。恐らく。
勿論、管制塔で機体の管理をしている管制教員からストップがかられた。
「アルター教官!今すぐにハンガーへ戻ってください!今離陸すると罰金刑が言い渡されますよ!」
「キャメル学長にすまないと言っておいてくれ!「──私に払わせるつもりか?!「──アルター、発進します!」
加速ボタンを遠慮なく押し込む、見えない壁に押さえつけられ、息苦しさを感じた時には重力に逆らい空へ飛び出していた。
即座にオーディンから勧告がなされる、すぐに着陸するようにと。
「現在リガメル一帯に電子的ハッキング行為が認められているため、航空法に従い一時的な飛行禁止命令が出されています」
「なら、不法入国者はどうする?!目の前にいるのにみすみす見過ごせと?!それが国防を預かるオーディンの判断だと言うのか?!」
機体を奪った逃走犯はリガメルより南西方面へ向けて飛行中である。大方、エアカーテンを飛び越えて下層に逃げ込むつもりなのだろう。
「失礼ながら、違反者の取り締まりは国防軍の担当です。アカデミーに在籍している一教官が遂行する職務ではありません」
「その範囲を逸脱して先に協力を要請してきたのが国防軍なのだが?!私はまだ要請解除の報せを受けていない!」
向こうは制限速度を強制的に解除したのだろう、音速を超え、なおも速度を上げている。
融通が効かないオーディンに私は言葉を重ねた。
「しかしながら──「バベルは最適化されたはずの進路を覆した!お前はどうだオーディン!今航空法に従うことがリガメルの安全に寄与すると思うのか?!」
どれだけ押しても加速しなかった機体が、突如としてぐんとその速度を上げた。オーディンが練習機にかけていた制限を解除してくれたのだ。
「アルター・スメラギ・イオ、現時刻をもって国防軍管轄のパイロットに移管、現在逃走中の不法入国者の捕縛並びにRT-203機の確保を指示します。本件の責任は国防軍所属のコンキリオ少佐に帰属します、以降は少佐の指示に従ってください」
「了解した!」
ロックがかかっていた加速ボタンをさらに押し込む、肺の空気がいっぺんに押し出され、涙によって視界が滲んだ。
リガメルの上空を過ぎ去り、隣街のフリーイングに差しかかった時、逃走機の真後ろに機首をぴたりと合わせることができた。
──次の瞬間。
「──っ!!」
逃走機の機首が真上を向き急減速、直前にまで迫った逃走機の主翼を避けるように目一杯レバーを押し倒した。
「何なんだ──」
フリーイングの広大な湖を正面に捉え、冷や汗を流しながらレバーを戻す。逃走機は既に高高度へ逃げており、先ほどのマニューバが白い筋となってその軌跡を空に刻んでいた。
小さな丘ができていた、一直線から湾曲し再び一直線の飛行機曇ができている。
見たことがない。明らかにただの不法入国者ではない。
「オーディン!逃走犯はパイロットとしての腕を持っている!あんな機動は見たことがない!」
「こちらでも確認しています、現在全ての軍へ問い合わせ中です」
「外から来たのだろう?!そんな事をする意味があるのか?!」
「その件に関しても現在確認中です、お答えできません」
逃走機はぐんぐんと高度を上げている、首が痛くなるまで上げても捉えることができない。
──してやられた、陸で二度、私の持ち場で一度。あの線の細い人間に私は空の上ですら出し抜かれてしまった。
追いかけたいのやまやまだが速度が足りない、直進飛行で蓄えた移動モーメントを利用しなければ上昇飛行へ転ずることが難しい、螺旋を描けば到達できなくもないが、そんな事をしている間に逃走機はさっさと逃げ出すことだろう。
さらに止めと言わんばかりにオーディンから通信が入った。
「未確認機の接近を確認、マッハ二…二.五、なおも速度上昇、注意お願いします」
「どこから?!」
あの逃走犯の味方だ、不法入国者はグループで行動していると聞く、おそらく逃走を援助するため援護に来たのだ。
だが、オーディンは「リガメル宇宙港」と答えた。
「外からではない?!──まさか!!」
いた。軍もIFFの登録を済ませていない機体が、リガメル宇宙港がある方角から一本の飛行機曇を残して、フリーイングの上空に現れた。
「…………」
私は、その綺麗で真っ直ぐで、一直線に伸びる飛行機曇を見てイーオンだと確信した。
あの子だ。新型イルシードに搭乗したイーオンが逃走機の追跡に入った。
「ああ…なんて…」
高高度で繰り広げられる二機のドッグファイトは、他者を寄せ付けない何かがあった。私ですら取り逃がした機体を、イーオンはぴたりと背後に付けて追従する。
乱れがない、ロールもヨーも線にぶれがない、美しいと言ってもいい、逃走機がいくら進路を変えてもイーオンが駆るイルシードは呼吸を乱さず、むしろ冴え渡っているようだった。
気が付けば、フリーイングの空にもう二度刻まれることはない、複雑でありながら圧倒される飛行機雲が誕生していた。
(イルシードがロールアウトしたのは卒業式の直前…だからバベルは判定を…そういうこと…バベルの判定は正しかった…)
現役のディヴァレッサーでもあそこまで複雑な軌跡を残すことは不可能だろう、あの子でなければイルシードを操れない。
だからあの子はミトコンドリアに選ばれたのだ。
「──熱源感知、退避、退避、南西五〇キロ地点より飛翔体の熱源を感知、退避してください」
私は咄嗟に叫んだ。
「イーオン!ミサイル!逃走機は諦めて帰投しなさい!」
あと少し、という所でイルシードの機首が上がり、上方向へロールへしたあと、リガメル宇宙港へ向かって行った。
私もミサイルを確認することなく進路を反転、アカデミーを目指す。
胸のうちが掻きむしられたように苦しい。自分の失態、教え子の晴れ姿、相反するものが混ざり合い、私の胸でぐつぐつと音を立てている。
果たして、私は学び舎で教鞭を握る続けることができるだろうか?
*
「は〜…死ぬかと思った…」
「おっつ〜」
「おっつおっつ〜」
「あのね二人とも…まあいいやもう、今度こそ何とかなったし…は〜疲れた」
さっきは本当に危なかった、ガングニールがあちら側のレーダーに細工をしなければ、あの前進翼の機体に捕まっていたかもしれない。
(それにしたって凄い腕前だった…この国はとんでもないパイロットを抱えているんだな…クワバラクワバラ)
もうぐったり。パクってきた機体のコクピットの中で脱力し、力なくシートに体を預けていた。
下層で唯一空を見上げることができる滑走路、通称"サマクアズーム"、国籍不明、所属不明の機体から空飛ぶ船、もうなんでもござれが停泊している総合滑走路である。
この位置から先程逃げてきたヴァルヴエンドの上層区域を見上げることができる。と言っても、大気の侵入を防ぐエアカーテンのノズルしか見えないので、リガメルアカデミーはおろか、逃げる途中に見つけた大きな湖は見る影もない。
見上げた空は快晴、薄い青空が三六〇度方向に広がり、その空をいくつもの白い筋が走っていた。
方針したまま一つの筋を目で追っていると、コクピットの外から僕を見下ろす影があった。
モンローさんだ、外側からハッチを開けてこっちに手を伸ばしてくる。
「掴まれ」
(やけに優しいな…)
僕の数倍はあろうかというマシンハンドに手を差し伸べる、この時にあ!と気付いたけど、モンローさんに力強く、けれど優しく引き上げられてしまった。なんかキモい。
コクピットには外付けの移動式欄干が備え付けられており、その下ではガングニールが目をぱっちりと開いてこっちを見上げていた。
モンローさんが僕の腰に手を回し、くいっと引き寄せてきた。見上げる必要は一切ないんだけど、僕はモンローさんの顔を見上げた。
モノアイのカメラがこっちに真っ直ぐ向けられている、そして一言。
「平気か?」
「…………」
「もう安心だ、ここまで追っ手が来ることはない」
「…………」
ほんとこの人。下でガングニールがお冠になっているというのに、ナンパモードに入っている。
もう片方の手を僕の下半身へ伸ばしてきたので (こいつマジかよ)、ダウンロードしていたスマートピクチャーをアンインストールした。
「…………」
「ヒイラギです、男の股間に手を伸ばすのはさすがにヤバいのでは?」
清楚な女子生徒からただの僕に戻った瞬間、モンローさんが「うお〜〜〜ん!」と遠吠えをしながら地面へ落下し、「誰かの俺の右腕を切り落としてくれ〜〜〜!」と青空へ向かってまた吠えていた。
(全く…ナンパに失敗してるからって拗らせ過ぎだろ)
僕はさっさと欄干から下り、地面でのたうち回っているモンローさんを無視して機体の前から離れる。彼のパートナーであるはずのガングニールにも僕に続いた。
「いいの?」
「ほっとけ」
ガングニールのくりくりとした髪が吹き付けてきた強い風によって暴れている、彼女はその髪を正そうともせずサマクアズームのターミナルを目指していた。
屋根の下、というより上層を支える天井の下に入り、舞う砂埃を疎ましく思いながら歩みを進める。
その途中、人の目を惹きつける三人の少女たちとすれ違った。
「…………」
僕以外にも沢山の人が振り返り、あるいは立ち止まり、その少女たちに視線を送っている。
歩みを止めた僕にガングニールが「その腕切り落としてやろうか?」と声をかけてきた。
「いやいやなんで僕なのさ」
「ホント、男ってああいうのが好きだよな〜男かもしれないってのに」
「いやまあ…」
半眼になっているガングニールがけっ!と悪態をつき、サマクアズームの総合受け付けセンターの建物へ向かって行く。
もう一度振り向くと、三人組みの少女たちに握手を求めている人がいた。一番近くにいた少女がその求めに応じ、はにかんだ笑顔で握手を交わしていた。
(アイドルなのかな)
それを見届けたあと、僕もガングニールの後に続く。
建物前では、終始ふざけ合っていたアマンナとマリサが飲み物を片手に談笑しており、ガングニールに気付いて大きく手を振っていた。手を振り返していたガングニールが駆け出し、マリサへ勢いを殺さず抱きついている。
二人も僕に気付いた、アマンナが気安く手を上げてきた。
「よっ!お疲れさん!」
「全く…お疲れさんじゃないよ、散々な目に遭ったよ」
「ま〜ま〜終わり良ければ全てコロッケってね!「なに?お腹空いてるの?「この後市場の方に行くけどホシはどうする?奢るぜ〜」
うりうりとアマンナが肘で僕を突いてくる。
「それじゃあ、財布が空になるまで奢ってもらおうかな」
「そうこなくっちゃ!──マリサ、ガング、行くよ〜」
その飲み物にアルコールでも入っているのか、頬を赤らめたマリサが「ホシちゃんじゃん!」と揶揄ってきた。
「可愛かったのに〜勿体無い〜!」
「はいはい。それよりあの機体はどうすんの?置きっぱ?」
マリサに引っ付いたままのガングニールが「オートパイロットで返すから安心しろ」と言ってきた。
「それ、足がついたりしない?」
「かと言ってあそこに置いてても料金取られるだけだぞ。ホシが払うのか?」
「今すぐアカデミーに戻して」
「んだそれ」
アマンナが歩き出し、その後に僕たちが続く。それと入れ替わるようにして軍に所属している警備兵が姿を見せた。
僕たちは人混みに紛れるようにして、その場を後にした。
*
ブリッジルームが緊迫した空気に包まれている、初飛行を終えたイルシードの着艦作業をしているのだ。
クルルの額に汗が浮かび、いつもの表情は見る影もない、それだけ集中しているということだ。
「相対距離三〇…二五…一〇…衝撃に備えて…ああ!角度がズレてる!すぐに修正して!「え?!なに?!「角度がズレてる!「どこ?!「左尾翼を三度!「どっちに?!──ああしまったっ「気にしないで!パネルに当たっただけ!リテイク!一旦距離を空けて!──はふぅ〜…」
どうやら一度目のトライは失敗してしまったらしい、確かにブリッジルームの床下から突き上げるような振動があった。
ワイドスクリーンにはラグナカンのステータス画面が表示されている。ブリッジの真下に位置する離着艦パネルが作動していることを示すグリーンで表示され、右側のパネルの一部がレッドで表示されていた。
コンソールスピーカーからイーオンの文句が飛んでくる。
「クルル!もう少し具体的に指示して!左尾翼三度って言われても分かんない!」
「上だよ上!そっちのコンソールにも修正アラートが出てるでしょ?!」
「そんなのいちいち見てらんないよ!こっちはレーザーに機体を合わせるのに必死なのに!」
まるで喧嘩だ、でも、それだけ二人とも必死ということだ。
私はクルルに提案した。
「ねえ、上ならプラス、下ならマイナスって指示してあげたら?」
クルルがコンソールから目を離さず、腕だけこっちに向けて親指を立てた。
「それでいくよ!」
この作業は二人にしかできない、私はただ見守っているだけだ。
二回目のトライが決行された、クルルが着艦用の案内レーザーを照射し、イーオンがそれに合わせてイルシードを細かく操縦する。
「相対距離五〇…「カウント早すぎ!気が散るから黙ってて!「──距離一五…一〇…右尾翼あーマイナス五度、左主翼そのまま!機首が上がってるよ四度下げて!そう!──固定アーム作動…着艦……今!」
また床下から振動があった、けれどさっきのような突き上げるようなものではなく、細かく震える程度だった。
「どう?」
クルルは返事をせず、席の背もたれに体を預けてふ〜〜〜と大きく息を吐き、今度は体ごと私に向いて親指を立てた。
「完了〜…良かったよ〜これで失敗したらサマルカンドに返されるところだった〜」
「どれだけ自分の学び舎が嫌なのよ。お疲れ様」
コンソールスピーカーからもイーオンの報告が上がった。
「着艦作業終了、ハンガーに格納中…ごめん、パネルに当てちゃった…そっちは大丈夫?」
「いいからいいから、イーオンは今のうちにさっきの飛行ルートをフィードバックさせて、こんなこと手動で何回もやってらんないよ、船が落ちちゃう」
「分かった。お疲れ様」
「イーオンも、お疲れ」
ラグナカンは今、紫色に彩られたリガメルの空を飛んでいる。ステータス画面から外部カメラに切り替わったモニターには、太陽の光に追いやられていた数多の星々の姿が映し出されていた。
不法入国者がリガメルアカデミーの練習機を奪い、逃走図った。そして、コンキリオ少佐からイルシードにその追跡任務の命令が下り、クルルとイーオンがその任務を無事に終えたばかりだった。
終えたと言っても逃走犯は取り逃してしまっている、どうやら下層へ逃げてしまったらしい。
今回のこの急な命令は、どちらかと言えばラグナカンとイルシードの性能テストのようなものだった。
「…………」
イーオンが搭乗するイルシードの飛行は私たちも確認していた。あれは、なんと言えばいいのか...適当な言葉が見つからなかった私はクルルに訊ねた。
「クルル、イーオンのこと、どう思う?」
クルルは一言。
「天才だね。悪く言えば化け物」
「そうね…天才であり、化け物…」
「イルシードの性能でもあるんだろうけど、イーオンはその性能を十分に引き出したと思うよ」
「つまり…本人には絶対言っちゃいけないと思うけど…」
「うん、イーオンはミトコンドリアに来るべき人間だったってこと」
(初対面からずっと曇り空だったあの子が…イルシードの適任者…)
天才。確かにそうなのだろう。化け物。確かにそうかもしれない。
イーオンが操縦するイルシードはまるで生きているようだった。空を飛び回る魚のように、水を得た鳥のように、不可思議で、矛盾していて、それでいて、圧倒的な飛行だった。
イーオンが心臓、イルシードが体、その二つが混ざり合い空で弾け、一つの生命体として完成する。
鳥肌が立った。
そのイーオンがブリッジに入って来た、汗をびっしょりとかいて前髪がおでこに張り付いている。
パイロットスーツのままのイーオンが私に一瞥もくれずにクルルの元へ駆け寄り、感動の再会を果たすかのように抱きしめた。
「クルル〜!「わ、わ、わ「もう最高だったよ〜!んむぅ〜!「え、え、え「すごく楽しかった〜!また飛ぼうね〜!もうクルル好きぃ〜!」
「…………………」
別人かと思った。曇り空、嵐、朝日、そのどれでもない空模様が今のあの子の顔に浮かんでいる。無邪気で、爛漫で、笑顔が弾け、クルルの頭に顔を埋め、気色ばんだ声を上げていた。
ああ、これがイーオンかと思った。
イーオンと目が合った。
「……………」
「〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
みるみる目が険しくなっていく、私と目が合っただけで、テンションが急降下しているのが手に取るように分かってしまった。
何その顔、と言うと、イーオンが吐き捨てるように言った。
「別に、邪魔だなと思って」
「………っ」
「なに?サランは私に水を差さないと気が済まないの?」
そうだ、私はこの子の邪魔をした。機体を見上げていたあの時、この子にとって一番の時間だったのだ。
これがイーオンというパイロットだ。
どうやら私は、この子にとって特別らしい。
私は、私はもうほんと目いっっっっっっっっぱいの力をお腹にふんんんんんと込めて言った。
「お疲れ様」
イーオンは、それはそれはもう嫌そうに顔を顰めた。