操縦士クルル・クルカン・クラカンタ
クルルはお喋りで明るい、そういう印象を持った。
サランは──。
(何その顔…なんでそんなに拗ねてるの?)
──とにかく嫌な人。そういう印象を持った。
船内フロアで顔を合わせたサランは何がそんなに面白くないのか、眉を寄せてそっぽを向いている。構っていられるかと思い、私はさっさとブリーフィングルームへ向かった。
パブリックスペースは手前から医療ルーム、その奥にレクリエーションルーム、そしてブリーフィングルームがある。また、位置的な関係からハンガールームに収まる機体を窓越しに見下ろすことができた。
足を止め、私はその機体を見下ろした。ステータスチェックを済ませただけで処女飛行も終えていない。
──だから、これは言わばイーオン専用機。嬉しくないはずがないでしょ?
(図星さしてんてじゃないよ…)
細かなマニューバを叶えるため、ラグナカンに配備された機体は前進翼を採用している。翼の向きが進行方向に対して逆。格好良い、早くあの機体で空を飛び回りたい。
コクピットはパイロットのプライバシー保護のため光学迷彩を採用しており、外から見たら中が分からないようになっている。それも格好良い。
そして、サランの言った通り、あの機体に乗るのは私だけ、他の候補生と奪い合う必要もない、私の専用機。
それを言われた時は心がぐちゃぐちゃになった、怒りたいのか喜びたいのか、自分でも訳が分からなかった。
あれだけ取り乱していたというのに、サランはなんら動じることなく、あまつさえそれがディーヴァの役目だと言っていた。
歌姫。私が、私が配属を熱望していた部隊が護衛し戦場へ届ける歌うお姫様。
あの人がそうだって?冗談じゃない、あんな強かな人、誰の護衛も必要とせず戦場へひとっ飛びだろう。
ブリーフィングルームに入る。広さは医療ルームの半分ほど、モニターの前に五つの席が用意されており、その一つにクルルが座っていた。
少佐と対面して出発前のブリーフィングだ、私もそうだけどクルルもミトコンドリアの正装を着用していた(あとサランも)。
「おっはよ〜」
クルルが手を振りながら挨拶をしてくれた、私も小さく手を振りながら「おはよう」と返した。
昨日はオーバーオール姿だったクルルはスカートを着用していた。耳に上げていた揉み上げも下ろし、メタリックのテクスチャも外している。清楚なイメージを覚えた。
「サランは?」
「もう来ると思うよ」
「というかあと二人は?ブリーフィングで顔合わせするんだよね」
「それを言うなら、クルルもサランさんもこのブリーフィングで顔合わせするはずだったんだけどね」
「僕だけ?」
「ん?」
会話のテンポが...早い、もうちょっとゆっくり...それに何が僕だけなの?
「サランはさん付けなのに僕だけ呼び捨てなの?」
「ああ、それは──「イーオンが私に意地悪しているだけ。そうよね?」
ちょっとびっくりした、背後を振り向くとサランさんが立っていた。何なの?この船の扉は無音がデフォなの?
さっき見せた拗ねた顔つきはなく、言ってる本人が意地悪な表情をしていた。
「え、なになに?二人の間に何かあったの?出会ってまだ二日も経ってないのに?」
「そういう訳じゃ…昨日ちょっと私が取り乱しちゃって、それでもう迷惑をかけるのは止めようと思ってね」
「それで敬語を…私は気にしていませんよ」
サランさんが一つ席を空けて座った。
サランさんも昨日と打って変わってパンツ姿だ、びしっとした締まりのある格好は大人のそれっぽい。ちょっとムカつく。
「昨日はすみませんでした、生意気なことばかり言ってしまって」
「…………」
サランさんは会釈をしただけだ、とくに何も言わない。
ちょっと変な空気になり、お喋りクルルも口を閉ざした。
居た堪れない空気が満ちかけた時、ブリーフィングの開始時間になった。壁に埋め込まれていたモニターが立ち上がり、ミトコンドリアを指揮する少佐が顔を見せた。
「ご苦労。君たちミトコンドリアを指揮するコンキリオである、以後お見知り置きを。君たちの所属はヴァルヴエンド国防軍、国外派遣部隊の膝下に収まる、覚えておいてくれたまえ」
コンキリオ少佐は見るからに壮年の方だった。二つの瞳は歩んできた歳を思わせ、顔に刻まれたしわは人生の証そのもの。かと言って、どこかユーモアを匂わせるその綻んだ口元は愛嬌があった。
軍の規律を知らないクルルがまるで生徒のように「はい!」と挙手し、発言の許可が出ていないのに質問を始めた。
「僕たちが派遣部隊として戦闘に参加することはありますか?──ん?なになに?」
後半は私に向かって小声で言ったものだ、サランさんにも敬語を使わなかったのでてっきり少佐にもタメ口で話すものと思い、注意しようとしたのだ。
少佐は気にした様子を見せず、クルルの質問に答えた。
「それは無い。君たちが乗船するラグナカンは戦闘用ではない、正式名称は──「居住式移動飛行艦ラグナカン!」──その通り、その船は単独で地球全土を移動できるように作られた非戦闘飛行艦である、国外派遣部隊として戦闘参加の要請をかけることはないと断言しておこう」
「あ〜良かった」
(は〜良かった…)
クルルは少佐の言葉に、私は少佐が怒らなかったことに安堵した。
「君たちの主だった任務は各地のテンペスト・シリンダーへ赴き、その内部を調査することにある。クルル操縦士がラグナカンを移動させ、各地のテンペスト・シリンダーに合わせたランデブーポイントへイーオン飛行士が機体を飛ばし、入塔手続きを済ませた後、サラン隊長とギーリ副隊長が各塔主、並びにプログラム・ガイアと折衝を行なう。それら四人の船内での生活をテクニカ司厨士が支える」
事前の説明で学んだ通りである。いくつか疑問点が残っているけど、ブリーフィングの最後に質問すれば良いだろう。
とくに理由があったわけではない、私はついとサランさんに視線を寄越してしまった。
(この人が本当に隊長なの?──!)
視線が合った。何故だか私はとても恥ずかしくなり、慌てて視線を逸らした。
目の前にあるデスクに視線を落としていると、サランさんの「質問してもよろしいですか?」という声が耳に入って来た。
「質問タイムは最後に設けていたのだが…まあ良いか。何かね?」
「あ、すみません…その、あとの二人は?ギーリ副隊長とテクニカ司厨士の姿が見えませんが…もしかして何かあったのですか?」
「ううむ…」と少佐が唸り、目深に被っていた軍帽を脱いだ。所々に白髪が混じったブラウンの髪の毛をがりがりと掻いている。砕けた人だ、軍人っぽくない。
「──すまない、正直に報告するならトラブルだ。現在スパインターミナルの全線が運転を見合わせていてね、本来であれば一時間前にリガメルの宇宙港に到着するはずだった」
「運転見合わせって…」
サランさんも驚いているよう、かく言う私もクルルも驚いていた。
聞いたことがない、車両トラブルで一部の線路を止めることはあっても全線で運転を見合わせるだなんて。
ぱっと閃くことがあった。
「もしかして…昨日の…?」
「イーオン飛行士、発言する時は挙手をするように。他の二人を見習いなさい、君はアカデミーで一体何を学んでいたのかね?」
「〜〜〜〜〜!」
砕けた人だからと、挙手しただけで発言を許していたからてっきり...
私だけ注意を受けてしまった、サランさんは面白そうにくすくすと、クルルは私の背中を優しく叩いてくれた。
恥ずかしい...
*
「わ、あれ見てみなよティーキィー、あれ何人?」
「──ナニジンってどういう意味──あれナニジン?!あんなの初めて見た!」
「あれ絶対こっちの人じゃないよね?他所から来た人かな?」
「ギーリが前に言ってたマーリンの人じゃない?」
「それだと魔法使いだよ。マリーン!」
「どっちでも良いって。あ、こっちに来た!機械人形がこっちに来たよ!」
「──すまない、改札口はどっちかな?」
「…………」(※すっと指差す)
「…………」(※すっと逆の方を指差す)
「君たち面白いね、その謎を解いたら俺の相手をしてくれないか?いやなに、皆んな俺の姿にビビってデートもしてくれないんだ、ほんと困ったものだ」
「…………」
「…………」
「ああ…怖らがせてすまなかった。あと少ししたら警備兵がやって来ると思うが、どうか俺の事は黙っていてほしい。できるかな?」
「(ブンブン)」
「(ブンブン)」
「ああ、そういう所は素直なんだな…うう〜ん仕方がない、君に決めた!俺が逃げ切るまで諦めてくれ!」
「っ!」
「──あ、ギーリ!!」
*
「──たった今入った情報だ、本日乗艦予定だったギーリ・刹那副隊長がスパインターミナルに不法侵入した輩に誘拐されてしまった」
「ええ?!」×3
「こちらで救助隊を編成して速やかに派遣する予定だ。よって、本日の予定は全てキャンセル、君たちは引き続きラグナカンで待機していてくれたまえ。続報が入り次第君たちにメッセージを飛ばす、ブリーフィングルームに集まる必要はない。以上だ、解散」
「あ、ちょっ──嘘…そんな事ってある?」
イーオンが失態を晒し、それをくすくすと笑っていたところにとんでもない情報が入って来た。言うだけ言ったコンキリオ少佐はさっさと席を外し、モニターから姿を消していた。
予定がキャンセル、ということは出発が先延ばしになったという事だ。こういうもんなの?
私は厭われるのも構わずイーオンに確認した。
「ねえちょっと、ここ──軍ってこういうもの?予定外の事があったら出発を遅らせるものなの?」
案外、イーオンは嫌な顔をせず答えてくれた。
「よほどの事態であれば、ですが…すみません、私もアカデミーで習った程度なのでよくは知らないんです」
「それだけ替わりがいないって事なんじゃない?だから出発を遅らせたんだと思うよ」
「じゃ、じゃあ、全線で運転を見合わせていたのは、その不法侵入した人のせい、ってことよね?」
イーオンとクルルが微妙な首肯をしたあと、網膜モニターが自動で立ち上がった。コンキリオ少佐が言っていたメッセージが早速飛んで来たのだ。
そのメッセージにはターミナルの監視カメラの映像が添付されており、されており...んんん?
「これってアニメじゃないよね?」
「特撮映画でもないよね?」
「何かの撮影?」
皆んな『?』状態。
その映像に映っていたのは、アニメに出て来るようなロボット人形だっだ。
イーオンが、そのロボット人形のものと思しき名前を読み上げた。
「……モンロー?」
*
「もうアイツなにやってんだよもう〜〜〜信じらんない!!」きゃわ〜〜〜!と、ガングが奇声を発した。無理もない。
ヴァルヴエンドの下層、スパインターミナルに直結したウエストターミナルのすぐ横手、ぼろっぼろのドックで私たちはヒューの到着を待っていた。
ホシはどうしようもない、今アマンナとマリサが救出作戦を立案中である(できれば参加したくない)。リガメルへ調査に出向いていたヒューがちょんぼをやらかし、逃走中に一般人を攫ったらしい。馬鹿なのか?
アヤメとプエラ、グガランナ、それからデュランダルとフランはノラリスで待機中だ。セバスチャンはどしたかって?知らん。
頭をガリガリと掻いていたガングがぴた!と止まり、上層を支えている天井を見上げた。そして一言。
「もうアイツと別れよう、付き合ってられない」
「それ何度目だよ、カッパドキアでも言ってたじゃないか」
「あの時は!──ああもう〜ほんと、ノラリスの男性乗組員ってどうしてこう皆んな馬鹿なの?」
「今さら」
「──フランは?!あいつ生身の格闘も得意だろ?!」
「ん?荒事確定なのか?下層の連中にまで迷惑かけたら私たちここには居られないぞ、アフラマズダの調査はどうするんだ」
ガングがまた「きゃわ〜〜〜!!」と吠えた。
人というものは何かと分けたがる習性があるらしく、ヴァルヴエンドでもそれは変わらなかった。
上層と下層。上層では全てがマキナによって管理され、あるいはサポート体制が整い豊かな暮らしをすることができる。
かたや下層では上層の恩恵が受けられず、豊かな暮らしをすることができない。かと言って、不自由を強いられているわけではなく皆が自由に職に就き、好きなように人生を歩んでいた。
良し悪し。一言で言えばそれ、管理された豊かな暮らしか、自由と共にある危険か、ヴァルヴエンドではこの生き方が見事に別れていた。
そして私たちは今、下層の街にお世話になっていた。
吠えたり静かになったりと、情緒不安定に過ごしていたガングがまたピタリと止まり、これはいよいよヤバいなと思った時、「やっと連絡ついた!」とまた吠えた。
「おい、もうそろそろ休め、倒れられたら面倒臭い」
「ハッキリ言うな!──ヒューが電車に乗れたらしい!あと少しでこっちに着くってさ!」
「んん?どうやって──ああ、攫った人間のチケットを利用したのか」
「その人どうすんの?こっちで匿うのか?」
「なんで?そのまま電車に乗せて突っ返せばいいだろ、匿う必要がどこにある」
ガングが「鬼畜…」と宣ったあと、ドックに向けて駆けて行った。そしてすぐに戻って来た、フランを連れて。
「もう何で私がそんな事しなきゃいけないのよ!──ナツメさんがいるじゃない!」
「何でもかんでも私にさせようとするな!ちったあ自分の足を動かせよ!何の為に治してあげたと思ってるんだ!」
今から...もう何年前か忘れたけど、マリーンを出てから初めて帰郷した時、フランがノラリスに乗艦してきたのだ。その時はまだ車椅子を使っていたが、本人が「そろそろ歩きたい」と自分勝手な事を言い始め、当時立ち寄った漢帝の整った医療施設で足を治し、リハビリ治療まで受けた経緯があった。
そのフランもさすがに歳を取り、頬にほうれい線が目立つようになっていた。うん、見た目が私たちと同じだ。
そのフランをガングが艦内から引っ張り出し、ヒューの援護をしてほしいとお願いしていた。
「普段着がパイロットスーツ」と真面目な顔をして馬鹿な事を言うフランの今の服装はパイロットスーツ、その腰には故郷から持って来た鉄製の剣が二本吊されている。やる気満々。これで旦那を欲しているっていうんだから世も末である。
「やる気満々じゃねえか。頼む、ヒューをこっちに引っ張った後はそのまま逃げてくれ、上の奴らはこっちでドンぱちできないようになってるんだ」
「ああ、マキナの支援がないから?とんだお子ちゃまね!大人がいなかったら喧嘩もできないなんて!」
「いやそういう事ではない、何でも怪我した時に保険がおりないんだとさ、だから誰もこっちで喧嘩をしたがらない」
「似たようなもんじゃん。それ言うんだったら私たちだって無保険者みたいなもんでしょ?」
「──んな事どうでもいいからさっさと行け!ヒューがすぐに到着する!「扱い雑!帰ってきたら覚えておきなさい!──行くわよガングニール!「──え!オレも行くのかよ!」
口は悪いが根は素直、ぶつぶつ文句を言う割には手伝ってくれる。男共とはえらい違いである。
フランがガングの手を引っ張ってターミナルへ突入した。
*
故郷にいた時、数回しか乗ったことがない電車は右から左へ景色が流れていた。だが、今乗っている電車は違う、上から下へ景色が流れていた。
景色、と言ってもここはトンネルの中だ、楽しめるような景色はどこにもない、高速で誘導灯が溶けるようにして流れていくだけだ。
それから、上下へ移動している関係上、車両間の移動はターミナルに到着した時にしかできない仕組みになっている。俺の隣には危なっかしい梯子が設置されており、下を覗けば誰も座っていない座席を見下ろすことができる。
そして、俺の隣には攫ってきた女が座っている。とくに抵抗するわけでもなく、とくに悲嘆に暮れるでもなく、ただ静かに。
その女は見るからに肌を露出させ、ホットパンツとニーソックスの間の太腿をむちちとはみ出させている。ごくり。上は胸を強調するかのように薄手のシャツ、それからオーバーサイズのジャケットを肩からかけていた。ごくり。
この街では珍しい、ヴァルヴエンドに住まう人間はとかく自分の性別を隠したがるきらいがある、ぱっと見で男か女か分からない、だがこの女はそれを隠そうとせず、むしろ見せつけるような格好をしていた。
女の顔をじっと見やる、歳は二〇前後っぽい、ちょうど良い、灰色の髪をポニテにし、綺麗なうなじが露わになっている。ごくり。
確か...傍にいた連れにギーリと呼ばれていた、はず。
その名で呼んだ。
「ギーリ」
「………っ」
女が反応した、垂れた目をこちらに向けてくる。
「すまない、これも故あっての事なんだ、許してくれ」
「…………」
女は何も言わず、小さく首を振っただけだ。
手が震え出してきた、何故かって?ずっと生唾を飲み込んでいたからだ!──ああもう我慢できん!
「……っ!」
「すまない…俺はただの獣なんだ、俺を恨んでくれ」
女のむちむちした太腿に手を這わせる、それだけで女は扇情的に反応し、すっと足を持ち上げた。ぷるるん。いやもうたまらん。
女はじっと俺の顔を見つめている、抵抗するわけでもなく、その視線がまるでこちらを誘っているかのよう。
太腿から腰、脇、そして胸へ...女がまた反応し、体を強張らせた。
安心させるためにもう一度太腿へ手を伸ばし(?)、そして...ブラックボックスへ...一番の未知へ...指を伸ばすと...
むにゅっという感触が返ってきた。
「ん?」
「…………」
むにゅ?胸じゃないのにむにゅ?え...
「まさか、お前…お前は…」
女が、女だと思っていたギーリがか細い声で、頬を赤らめながら答えた。
「…男です「男かよ〜〜〜〜!!!!」
その時電車が止まり、止まったと同時に上の車両から警備兵が突入してきた。
こんな所で捕まってなるものか!と、こんなお預けを食らって牢屋に入ってなるものか!と、俺は反対側の座席へ飛び移り扉を蹴破り外へまろび出た。
背後から遠慮なく撃ってくる、しかしてこの体は鋼鉄製の義体であり、いとも簡単に弾丸を弾いてくれる。痛いが。
駅のホームも車内と同じように上下構造を取っており、ウエストターミナルの出入り口には梯子かエレベーターを使う必要がある。だが、そんな悠長な事はしていられない、エレベーターもおそらく稼働停止になっているはずだ。
背後から警備兵が迫ってくるその瞬間、俺は飛び降りた、高さにして一〇メートル近くはある、警備兵たちが「あ!」間抜けな声を上げていた。
着地するその間際、膝裏のショックアブソーバーを最大にし、一〇メートルの衝撃を緩和してみせた。
「──ふんぬっ!!」
折も良く、上下電車のプラットホームの出入り口に応援が現れた。ガングニールとフランだ。
「このくそ馬鹿司令官!さっさとこっちに来い!」
「ああ!今行くとも!──あと司令官って言うのいい加減に止めろ!」
「…………………」
「ガング、ああ、ガング…言いたいことは分かる、分かるがその前に俺の話を聞いてくれ」
ガングが無言で来た道を引き返し、フランもその後に続いた。
無言キツい...一番胸に来るやつ...
それから俺もその場を後にし、なんとか窮地を脱することができた。
ヒイラギはどうしたかって?知らん。
*
「誘拐されていたギーリ副隊長だが、先程スパインターミナルの警備隊に保護された。怪我は無し、PTSDの兆しも無し、現在は最寄りの医療機関にして医師の診察を受けている」
「ええ〜」×3
私もクルルもサランも、なんだそりゃみたいな感じで椅子の上で大きくのけ反った。
いや無事だったことはとても良い、私たちも心配していたのでそれは良かったのだが、にしてはやけにあっさりとした誘拐事件だった。
ブリーフィングルームに集まる必要は無いと言っていたけど、私たちは離れるようなことはせず、ずっと情報収集に務めていた。そこへ少佐が再び現れ、保護されたと報告をしてくれたのだ。
私は出来の良い生徒のように「はい」と挙手をし、それから少佐に訊ねた。
「事件の詳しい内容は分かりますか?」
「どうやら下層へ行きたかったようだ、だが、乗車前に発見されてしまい、その場に居合わせたギーリ副隊長を誘拐、所有していたチケットを不正利用して乗車を試みたと思われる。誘拐犯は下層へ逃走、以降の捜査は下層に任せると連絡を受けている」
「ありがとうございます」
「ギーリ副隊長の合流は医師の診察を受けた後に決定する、早くて明日、遅くとも数日以内だ。それと、ギーリ副隊長と同様にスパインターミナルにいたテクニカ司厨士がそちらに向かっていると連絡を受けている。ラグナカンに到着後は君たちが乗艦手続きの補助をしてくれたまえ、よろしく頼む。以上だ、解散」
モニターがふっと消えて、私たちもふっと肩の力を抜いた。
「何だったんだろうね〜いや無事なのは良かったんだけど…」
私がそう言うと、二人も「ほんとほんと」と同意してくれた。
「下層って、そんな所に用事があるの?」
サランの疑問にクルルがさもありなんと答えた。
「犯罪者だから用事があるんじゃないの?」
「身も蓋もない言い方…まあそりゃそうなんだろうけど…」と、サランが会話を切り上げ席を立ち、何故だか私の前に立った。
「?」
何をするのかと思えば事もあろうに、私の頭を撫でてきた。
「質問前に手を挙げられて偉い偉い」
「〜〜〜〜っ!!」
*
(う〜ん…僕ってそんなに変なのかな…)
姉が妹をあやすように、先生が生徒を褒めるように、サランがイーオンの頭を撫で、撫でられたイーオンは顔を真っ赤にしてその手を払いのけている。
僕は見ているだけ、いつものこと、数々のコンテストで賞を貰い、試験でどれだけの点数を叩き出しても一度として褒められたことがない。
いつものことだ。
テクスチャをダウンロードしたみたいに頬を染めたイーオンが席を立ち、「健康診断の準備をしてきます!」と怒りながらブリーフィングルームを出て行った。そして、サランも面白そうにしながらその後に続く。
急に静かになるブリーフィングルーム、これもいつものこと、誰からも誘われたことがない、よほど僕は変らしい。
(ま、いっか、それが嫌だからアカデミーを出てようなもんだし。今さら今さら)
僕も席を立つ、足が戦慄いて力が入りにくいのも気のせい気のせい。
ブリーフィングルームを出て、ブリッジルームを目指す。
廊下の窓からラグナカン専属配備のイルシードが見え、束の間足を止めた。
前進翼の主翼に斜めに伸びる二本の尾翼、およそ戦闘用には見えず、ディヴァレッサーにも採用されていないタイプの機体だ。
飛行士に与えられたたった一つの機体、そして操縦士である僕にはこのラグナカンという船が与えられた。
足に力が戻って来た。
(早くブリッジへ行こう、もう一度くまなく見てみよう)
イルシード(確か、案内人とか、そういう意味があったはず)から目を離し、パブリックスペースも出てあとはブリッジへ向かった。
僕には必要ない、人との交わりなんてお互いが不愉快にならない程度の簡単なものでいい。
ブリッジへ入る間際、どうやらテクニカという人がこの船に到着したらしい。船内フロアにその人を引き連れ、サランとイーオンが入って来た。
僕は階段を引き返すことなく、そんな三人を一瞥してからブリッジへ入った。
◇
この船はいわば、テンペスト・シリンダーの構造を模倣した物である。
シャワーの水、料理に使った水、手を洗った時の水はもちろんのこと、料理に使用した食材の切り端から、果ては僕たち人間の排泄物まで再利用される。
それらの再利用材料は食料、水、日用品、それからこの船を動かすバイオマス燃料として使われる。
これらの循環装置はラグナカンの下部区域にあり、僕たち人間が使う装置などは上部区域に設置されている。
まあ、再生すると言っても無限ではない、テンペスト・シリンダーが細々とナノ・ジュエルを消費しているように、この船も細々と資源を消費していく。再生材料と資源の二種類をその時の状況に使い分ける、簡単に言えば、僕たちのうんこから出来た食べ物と封を開けたばかりの食べ物の二種類が食卓に乗るわけだ。
資源だって無限じゃない、ヴァルヴエンドを出航後は各地のテンペスト・シリンダーで分けてもらうか、あるいは買い付けるか、それでも足りないようであれば補給でヴァルヴエンドに戻る手筈になっている。
ま、何にせよ、コンキリオおじさんが「もういいよ」と言うまで僕たちは地球上を旅することになる。
「……………」
コンソールから視線を外してブリッジを見渡す。五つの席と五つのコンソールが湾曲した形で設置され、その前方にはワイドスクリーンのモニターが設置されている。外の景色を投影するものだ、今はまだ映す必要がないので沈黙している。
ここには艦長席というものがない、それがちょっと残念。でも、コンキリオおじさんが戦闘用ではないと言っていたから仕方がないのだろう。
僕の背後には超範囲周波取得アンテナをメンテナンスするための部屋があり、その扉がぽつんと設置されているだけだ。
席から立ってその扉の前に立つ、そのまま振り向けばワイドスクリーンのモニターを独り占めすることができた。
(ここを艦長専用の立ち位置にすれば…うんうん、悪くないぞ)
ちょうどブリッジの出入り口が視界に入っていたから、だからイーオンが一人で入って来るのが見えた。
一人だ、サランもテクニカという人もいない。
「どうしたの?手続きはもう終わったの?」
イーオンが昨日座っていた席に腰を下ろした、とくに決めたわけではないけど、もうそこが自分の定位置になっているらしい。
イーオンが答えた。
「いやそれが…テクニカって人が全然喋らなくて…喋ってもはいかいいえしか言わなくて、疲れたからちょっと抜けてきた」
「人見知りなのかな」
「そういう感じでもなかったんだけど…今はサランが認識登録を手伝ってるよ」
「あれ、呼び捨てにするんだ?さっきはさん付けだったのに」
「あれ、クルルさんって呼ばれたかった?」
うん?何それ、どういう意味?
答えに詰まっていると向こうが先に「ごめん、ごめん」と言い、「二人だけの秘密にしてね」と人差し指を口元に立てた。
どうやら冗談だったらしい、僕はその冗談に気付けなかった。
(あ、しまった…冗談なんて言われたことがあまりないから…)
僕はイーオンの傍に寄った。
「なになに?秘密ってどういうこと?」
「あの人ほんとムカつくからさ、いない所では呼び捨てにしてやろうと思って」
「何それ、二日目でもう喧嘩?」
イーオンが僕の腕を掴み、ぐいっと引き寄せてきた。
「昨日の話、私がミトコンドリアに配属された理由、話の途中だったよね」
「──ああ、うん…ごめん、僕は忘れてたんだけど…」
僕を引き寄せたかと思えば、両方の肩に手を乗せて上からぐっと押さえつけてきた。どうやら自分の前に座れ、ということらしい。
膝が汚れるのも構わず、僕はイーオンの前に膝立ちになった。首を上げればイーオンの胸と顔が目の前にある。
手が戦慄いている、上手く力が入らない、どうして?寂しくなくても力が入らない時ってあるの?
「バベルに判定を覆されたんだ、卒業式の前日にね、教官たちが何度も問い合わせしてくれたみたいだけど、私の進路がディヴァレッサーの教育部隊に戻ることはなかった」
──驚いた、にわかには信じられない。
「覆されたって…じゃあ、元々はディヴァレッサーだったって…こと?」
「うんそうだよ、その判定を貰った時は今でも覚えてる、すごく嬉しかった。まあ、進路が変わった時のことも覚えてるんだけど、一生忘れないよ」
「その話って…いいの?」
「ううん、教官たちから他人に話すなって言われてる、だから秘密の話」
どうして?その話を僕にしたんだろう。
「クルルはさ、お喋りだけど人と関わろうとしないよね、深いところまで、だから話したの」
「いやでも…」
「クルルは私より大人、下手したらサランより大人だから。その余裕がちょっとムカつくけど、だからこの秘密を守ってね、勝手に話したら承知しないよ」
何それ、勝手に話しておいて理不尽過ぎる。
秘密の話だから僕をこんな至近距離まで引き寄せたのだ、心臓が早鐘を打ち、ちょっと気分が悪い。
でも何でだろう、悪い気はしなかった。
いつも曇り空のイーオンが、朝焼けの空のように優しげな表情になっている。そのイーオンの手が持ち上がり、僕の頬にすっと指をそわせてきた。
どうやら僕は泣いていたらしい、突然のことにエラーが起きて涙が溢れてしまったようだ。
「ごめん、驚かせて」
「ううん、いいよ、こういうのに慣れていないだけだから、ずっと機械の相手をしてきたから…」
僕の涙をすくった手が、今度は頭の上に乗せられた。
心地よかった。
*
は?
(なにあれ…)
ほんと、は?私には突っかかるくせにクルルには優しくするの?は〜〜〜?
見てられない、腹が立って仕方がない、報告に来たのが止めだ、止め。
濃密な空気を出している二人は気付いていない、私は声をかけずに背を向けて入ったばかりのブリッジを後にする。
船内フロアにテクニカが一人でぽつんと立っていた、どうやら登録を済ませたらしい。
階段を下りてテクニカの元へ向かう。
フロアに下りるとテクニカが下げていた視線をこっちに向けてきた。
「手続きが終わったら部屋で待機していてね、時間を持て余すようだったら船内を見学しても大丈夫だから」
「……………」
「あと一人は明日以降に乗艦する予定だから、その報告もあなたの所にメッセージが入ると思うよ」
「……………」
せめて返事くらいしてよ...
もうめんどくさい、私が部屋に連れてってぶちこんでおこう、そう思いを腕を掴むとテクニカの口がかぱっと開いた。
「ギーリは?」
「──んん?え、なに?」
「だから、ギーリは?」
「……………」
???
「私ホームでギーリと一緒だったの、その時に機械人形が連れて行ってひとりぼっちになって、それからギーリからもう大丈夫ってメッセージは貰ったんだけど今連絡がつかなくて」
「……………」
「ギーリは?もうこっちに来ないの?来ないなら私帰っていい?」
「──ちょっ、急にそんないっぺん、ええ?その、ギーリ副隊長とは知り合いなの?」
「恋人」
「………………あ、うん、とりあえず副隊長は今病院にいる、連絡が取れないのはスクリーニングを受けているからじゃない?ほら、頭蓋内検査は電源落とさないと受けられないし」
「大丈夫なの?詳しいことまで教えてもらってないから分からない」
「だ、大丈夫、だって聞いてるよ、怪我も心的外傷も兆候なしって聞いてる」
ここまでずっと真顔で淡々と口を動かしていたテクニカが、「良かった〜」とへにゃった。
腕を掴んだ途端に話し始めたということは、きっとそれが心を開くトリガーになっているのだろう。
離したいがまだ黙りを決め込まれたら面倒である、離すか離すまいか悩んでいると、螺旋階段からかん!かん!と誰かの足音が届いて来た。
その足音からして怒っている、その人を見なくても分かる。
イーオンだった、曇り空ではなく嵐のような顔付きでこっちで睨み付けている。
「……………」
「……………」
あとからやって来たクルルに背を押され、「はいはい邪魔しちゃ悪いよ〜」とレストスペースへ向かって行った。ん?
ん?と思った矢先、テクニカが私の手を払い距離を空けた。
「ごめん、あなたの恋人に勘違いをさせてしまったみたい、謝る」
「……………」
ギーリも二人に続いてレストスペースへ向かって行った。
そして、一人取り残された私は船内フロアで勘違い警報を発令した。
「恋人じゃな〜〜〜い!!」
誰も聞いてくれなかった。