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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
304/335

BONUS TRACK 3

生徒指導ゞまでのお話です。

帰って来なくてよかった赤い死神



 ハワイも変わってしまった。とても残念な事ではあるが、これも時代の流れというものなのだろう。

 日々を追うごとに私の居場所がどんどん失われていく。軍事基地は縮小し、特個体がスクラップへと変わっていく。

 これも時代の流れなのだろう、もうこの国に戦士は必要とされていないのだ。

 平和、ということだ。

 剣を握ることしか知らない戦士にとっては、なんとも生き辛い世の中である。


「あんたも旦那を見つけて結婚すればいいじゃない」


「だったら私はヒルド・ノヴァと結婚したい」


「駄目だこいつ」


「そう言うジュディスさんは結婚して良かったんですか?」


 小さくて、けれど誰よりも態度がデカい彼女が私の車椅子を押してくれている。整備されてすっかり通りやすくなった道の上を、私と彼女だけが行く。

 海を挟んだ向こう側には寂れてしまった私たちの基地がある、ヴァルヴエンドの侵攻作戦があった時は毎日詰めていた思い出の場所だ。

 円卓街の真下に位置する旧市街から蜘蛛の巣のように伸びる道に、残暑に熱せられた潮風が吹いた。その際、彼女の爽やかなフレグランスが鼻についた。


「まだ良かったとは言えないわ、子供の相手をするのは大変だし、いつまで経っても気が弱い旦那の尻を叩くのも疲れるし」


「独り身の方が良かったと?」


「それはない」と彼女が断言した。


「いつまで経っても独り身だから新しい生き方を見つけられないんじゃないの?いい加減、空に固執するのは止めにしなさい」


「…………」


 それができれば苦労はない、それができないから今こうして苦労している。


「コネクト・ギアに塗れたその体も治して、私みたいに良い旦那を見つけなさい」


「またその話ですか…もううんざりですよ。私は私の機体と結婚するからこのままで良いんです」


「全く…」と、彼女が諦めの溜め息を吐き、まるで自分の子供のように私の頭を撫でた。

 残暑厳しいこの季節でも、空にはうんと高く聳える入道雲が浮かんでいる。

 そう、あの日、ナディが大空へ飛び立った時と同じような入道雲だ。

 飛びたかった、もう一度空を飛びたかった。

 でも、今のハワイでは特個体を滑走路から飛び立たせるだけでも膨大な手続きが必要であり、そしてそれらの手続きが無事に受理されることは滅多にない。

 残酷だと思う。私の手から剣を取り上げることが、『これが平和なんだ』と戦士から戦う術を取り上げることが。

 けれど、これが時代の流れというものなのだろう。

 熱い空気が私たちを包み込む。その空気の中に、少しだけだが次の季節を匂わせる冷んやりとした風が混じっていた。

 そう、季節が移ろい行くように時代もまた変わっていく。戦士が望もうと望むまいと、風向きは変わっていくのだ。

 ──ほんとくそ食らえだわ!!!!




「そう落ち込むな、ここがお前にとって一番良い場所なんだよ」


「そう励ましてくれる人はたくさんいましたけど…俺はディヴァレッサー希望だったんです。成績だって合格ラインに達していました、それなのに…」


「バベルが決めたんだ、お前にとっての最適解は向こうじゃなくてここってことなんだよ」


「ですが!」


「なら、お前は今日まで支えてくれたバベルを疑うっていうのか?それは違うだろう、バベルに支えられてきたからこそ、お前はアカデミーでトップの成績を収めることができたんだ、違うか?」


「…………」


「最後の最後に自分の思い通りならなかったからといって不貞腐れるのはよくない。もうお前は子供じゃない、戦士なんだ、戦士はその日に吹く風を呼んで勝利を導く者の名だ」


「──はい、そうですね、その通りです、俺は戦士を目指してアカデミーに入った、場所こそ違えどその志に変わりはありません」


「そうだ、だからお前はここの配属を受け入れて、そして今日という日を迎えた、誰にでも来られる場所じゃない。誇りに思え、たとえそこが泥沼であったとしても、本物の戦士は戦う場所を選ばない」


「はい!」


「──時間だ、席に付け。──こちらガラド、目標空域に到達、空域内に敵性反応無し」


「こちらディファー、位置を確認中──予定ポイントよりズレています」


「風が強過ぎてな、コントロールが難しい。そちらで修正してくれ」


「──位置修正、リリース問題無し、敵性反応無し。射出タイミングをそちらに譲渡」


「受理した」


「本作戦は遠隔地における偵察を主としたものです。作戦時における不確定事象に対し、行動優先権はあなた方にあります、我々の指示を待たず適宜対応を」


「了解」


「それでは、行ってらっしゃい」





「はあ〜…こんなもんかな〜」


 長年過ごしたこの家ともおさらば、思い出がたくさん詰まった場所であり、ここを離れるのかと思うとやはり寂しいものがある。


「片付け終わった?」


 私たちサーストン家は円卓街を離れ、私の生まれ故郷であるセレンへ行く。


「ぼちぼち〜。ちょっと休憩」


「ならお昼にしましょう、レイアもあと少しで終わるわ」


「おっけ〜」


 家族三人で過ごした寝室を見渡す。少しがらんとしており、私物やら衣服やらを詰め込んだダンボールが床に転がされている。

 ここを離れるかと思うと寂しいが、セレンへ戻れるのは嬉しく思うしなにより清々しい。

 そう!ようやく国王というクソみたいな役職から解放されるのだ!

 私の後任はマカナ、本人は死ぬほど嫌がっていたが知ったことではない、元王族ならその務めを果たせってもんだ。


「お母さ〜ん」

 

「ん?」


 レイアが寝室の入り口から顔だけ覗かせてきた。


「スパさんから電話〜」


「ああ、はいはい」


 レイアが踵を返し、先にリビングへ戻って行く。 

 少し前に新しい家具をセレンのショッピングモールへ買いに出かけた、その時はまだあの子の髪の毛は長かったのだが、「もういい加減乾かすのがウザい」と言ってつい先日バッサリと切っていた。

 リビングではライラが昼食の準備をしており、レイアは携帯で動画を見ながら片付けを続けている。

 私は保留になっている受話器を手に取った。


「もしもし」


「ああ国王陛下殿、忙しい時にすまない。いや、もう国王陛下ではなかったのだったな、失礼した」


「いえいえ。それで、何かご用ですか?」


 スパークルさんはセレンを復興に導いた第一人者である。ショッピングモールを始めたとした各種施設を建設し、今は居住エリアの確保とその増設に日々奮闘している。


「確か引っ越し間近だったよね?」


「そうですけど…何かあったんですか?」


「ううん…まあ、君が気にするところではないんだけど、一応耳に入れておこうと思ってね」


 歯切れが悪い。

 雲行きが怪しい会話を耳にしてか、ライラとレイアが手を止めてこっちを見ていた。

 その折、来客を告げるチャイムがリビングに鳴り、レイアが素早く立ち上がって玄関へ向かって行った。

 変な話になるならレイアには聞かせない方が良い、タイミングを測ってこちらから訊ねた。


「──それで、何かありました?」


 耳を疑った。


「セレン島近海にアーキアが出没した」


「──は?」


「まだ未確定事項だけれどね、現在は調査中だよ」


「いやいや、アーキアって…」


 ( ゜д゜)!とライラも目を見開き、握っている包丁をそのままに私の所へ駆けてくる。


「セレンとホノルルを行き来する連絡船の船長が発見したそうだ、場所はセレン島より南に五〇キロ地点、報告が上げられたのがつい先程、今は政府へ対応の打診をしているところだ」


「それは本当にアーキアだったんですか?見間違いとかではなく?」


「目算数十メートルを超す生物がこのハワイに生息しているのなら、見間違いになるだろうね。けれど、残念なことにそんな生物はハワイに生息していない、必然的にアーキアだと疑わざるを得ない」


「そんな…なんでまたこんな時に…」


「うむ、だから前もって君には伝えておこうと思ってね、だから連絡させてもらったんだ」


「ガチか〜…アーキア濃厚?」


「濃厚。進展があり次第また連絡する」


 ちょっとだけ頭が真っ白になる、もう居なくなったはずのアーキアが出没したと耳にして、脳みそが軽く処理落ちしてしまった。

 ゆっくりと受話器を戻す。ライラも心配そうに私を見つめていたが、そこへお客さんを連れてレイアが戻ってきた。


「お母さ〜ん、友達がやって来たよ〜」


「わあ、すっかり寂しくなっちゃって」

「ナディ!セレンの島に基地って必要だと思わない?!今なら私が専属のパイロットになってあげる!」


(よりにもよって…)


 お客さんは二人、フランちゃんとジュディさんだった。





「駄目なものは駄目」


「どうして!お願いだから飛ばせてよ!もう何ヶ月も空を飛んでないのよ?!」


「今は昔と違ってね、色んな飛行機が空を飛んでるの。それでね、みーんなルールを守って決められた時間と高度で空を飛んでる、そんな中を特個体が勝手気ままに飛べると思う?」


「特個体も決められた時間と高度を飛べばいいんでしょ?そんなの簡単よ!」


「あのね、ハワイの空は分刻みのスケジュールなの、それから新規ルートの申請って認可が下りるまで数ヶ月かかるの。申請して、はいどうぞとはいかないの」


「もうなんでそんなにややこしくなってるのよ!オリジンって奴らのせい?!だったら私が今すぐ追い出してあげる!」


「需要がないの、分かる?今は生活のために飛行機を飛ばしている、誰も戦いのために飛んでほしいなんて思ってないの」


「くっ…」


 いくら言っても駄目、ナディも見ない間にすっかり厳しくなっていた。

 昼食後(私もご馳走になった)、サーストン家のリビングはゆったりとした空気が満ちており、そこで私とナディは向かい合って話をしていた。

 勿論、話の主題は特個体についてである。

 飛ばせて?それだけでいいんだから。

 それなのにこの頑固者ときたら!ルールがどうとか誰も望んでいないとか!昔の適当なナディだったら、「別にいいんじゃない?」の一言で済んだはずなのに!

 柔らかい陽射しがリビングの窓から入り込み、ちょっと難しい顔をしているナディの後頭部を照らしている。最近、顔を合わせばいつもこんな顔である。まあ、私がそうさせているんだけど。


「でもさあ!」諦められない!それでも私は食い下がる。


「オリジンの奴らには基地を与えてるよね?!あれは一体どういう事なの?!どうして自国の防衛を他所の連中に任せるの?!」


「一つは摩擦防止のため、もう一つは他塔に対して牽制の意味があるの。どう?私たちは仲良しだよ、だから攻めてこないでねっていう遠回しのアピール」


「摩擦防止ってのは?」


「自分たちの陣地に他塔籍部隊を配置すれば戦争の抑止力になる、というのが狙い。だから向こうにも私たちの基地がある」


 初耳なんですけど?!


「初耳なんですけど?!なんでその部隊に私を招いて──「フランちゃんが行ったらトラブルにしかならないでしょ!現に今こうして喧嘩してるよね?!」


「くっ!ぐうの音も出ない「いやちょっとは出しなよ」


 そんな部隊が存在していただなんて...何も知らなかった、きっとナディが私の耳に入らないよう裏で手を回していたのだろう。


「その部隊の隊員募集は…「もうとっくの昔に終わった。オリジンと国際関係を結んで一年半、その半年後に部隊交換法が設立、そこからさらに半年後に住民の交換移住が開始…フランちゃんの出る幕は無いの」


「そんな…そんな事って…」


「特個体に囚われず、色んな事に目を向けていればすぐにでも分かった事だよ、実際情報は発信してたしね」


 世の中変わり過ぎてて草。


(そんな事になっていたなんて…風向きどころか台風一過じゃない…)


 時代は変わるものだが、考えていた以上にショックを受けてしまったため視線が下がってしまった。

 もう使わなくなってから随分と経つ自分の足が見える、筋肉は衰え不健康に細い。この足で立つことはないとたかを括ったその代償だ。

 なんと醜いのだろう、空を飛んでいれば見る必要がない醜い足だ。

 ──無理!ムリムリ!今さらリハビリ受けるだなんて無理!


(なんとか、なんとかして空を飛ぶ方法を考えなければ…)

 

 頭上から「フランちゃん」と、少しだけ重い声が下りてきた。

 ゆっくりと視線を戻す、厳しい顔つきをしているナディと目を合わせた。


「まさか、オリジンに行こうだなんて考えてないよね」


「え、まだ何も言ってないのに」


「顔は口ほどにものを言うってね。アネラのようになりたいの?」


「………っ」


「私が何の為に軍事基地を縮小させたと思ってるの?」


「…………」


 ナディははっきりと言った。


「フランちゃんだけじゃなくて、私の知ってる人が死んでいなくならないためにここまでやったんだよ」


 そして私はこう言った。


「じゃあ知らない人だったら死んでもいいの?」





 片付けが終わった寝室でライラと子育てについて話し合っていると、リビングから怒鳴り声と何やら物騒な音が聞こえてきた。


「また怒らせたのか、あいつ」


「ほんと懲りないですね〜」


 二人とも様子を見に行くようなことはせず、のんびりと寛いだまま。最近の彼女はナディを怒らせてばかりだ。


「というか、どうしてジュディさんはフランと一緒に?」


「散歩がてらに誘ったのよ、どうせ暇してるだろうと思って」


「ああ」


「それより、レイアを一人で行かせても良かったの?ここから私の家まで結構距離あるけど」


「本人が一人で行きたいって言ったんだから別にいいでしょ」


「過保護なのか放任なのか…」


 レイアは引っ越しの片付けが終わったあと、私の家へ一人で向かっていた。私の子供を可愛い弟みたいだと言って、よく可愛がってくれるのだ。


「まあ、こっちも遊び相手になってくれるから助かるけど」


「私ものんびりしたい時がありますからね」


 リビングの喧騒はまだ止まず、そしてその喧騒がこっちに向かって来る。一体何事か。

 乱暴に扉が開けられ、まるで猛獣を扱うようにナディがフランを寝室へ投げ入れたではないか。


「ここで大人しくしてろ!」


「ひどい!私足が使えないのに!」


「老人みたいで気持ち悪いって自分で言ったくせに!──いいからここでじっとしてろ!」


 最後にナディが「めっ!!」と言い、それから足早く踵を返してどこかへ行ってしまった。

 車椅子も奪われてしまったようだ、フランが力なく床に座り込んでいた。


「あんたねえ〜ほんといい加減にしなさいよ」


「無理。今さらリハビリ受けて普通の生き方とか無理」


「そんなんだからナディに怒られるのよ」


「ライラさんからも言ってもらえません?あいつは言う事聞かないから諦めて空を飛ばせてやれって」


「それを自分で言うのか」


 こいつほんと。

 どうやら来客があったようだ、お上品なドアチャイムが寝室にも届いてきた。

 ん?あいつはこの来客が分かっていた?だからフランをこっちに寄越した?

 その事情については、フランが帰ったあとに聞かされた。

 ナディが来客の対応を終え、オハナという元同僚にフランを迎えに来てもらったあと、リビングでその話があった。


「は?アーキアがまた現れた?」


「そうです、しかもセレン島の近海で出没したそうです」


「どうして?もう絶滅したはずじゃ…」


 ライラが険しい顔つきで間髪入れずに問うた。


「何かの見間違いではなく?」


「そう、オリジンの部隊に偵察要請を出して、そしてその結果がさっき報告されたって。アーキアで間違いないみたい、スパさんがわざわざ教えに来てくれたよ」


 スパさんとはセレン復興の第一人者で、ナディたちに新しい住処を提供した人だ。私はまだ会ったことはないが、見た目が子供っぽくて愛らしい人らしい。ライラが嫉妬しながらそう教えてくれた。


「──あ、だからフランを私たちに預けたの?」


「そう、絶対耳に入れさせたら駄目だと思って。今のあの子なら絶対飛び出して行っちゃうでしょ?」


「そりゃ確かに」


「それと、引っ越しは延期になったよ、さすがに今の状況じゃ船も出せそうにないしね」


「それは分かるけど、向こうの人たちは?」


「セレンにいる人たちは順次こっちに来てもらうことになったらしい、その対応でマカナが泊まり確定だってさ」


「は〜なんてこった…こりゃ仕事も休みかな」


「どのみちじゃない?どのみちフランの耳にもアーキアの件が入るでしょ」


「だからその前に何としてでも片付ける必要があるんです、マカナにもフランのことお願いされました、なんなら縛って海に流してもいいって」


「扱いが酷過ぎる」


「とりあえずフランちゃんはうちで預かることになったから、それでいい?」


「え、二人っきりにならないんなら別に──「もうこんな時まで嫉妬すんなめんどくさい!」


「私んとこで預かろうか?」


 そう提案すると、二人が「え?」と驚きの顔を作った。


「いいんですか?」


「別にいいわよ、私もあいつのことを心配してるし、それに子供と触れ合えば何か考えが変わるかもしれない、うちの子はレイアと違って手がめっちゃかかるしね」


「ああ、まあ…それなら…」


「良かった、私以外の女がいるとか虫唾が走る」


 ライラの嫉妬発言から夫婦喧嘩に発展し、そのまま二人で盛り上がってしまった。


(ほんとこいつら、皆んな大概だわ)


 念のため、レイアにメッセージを送信しておいた。


ジュディス:あんたの両親喧嘩してるから、もう少し私の家にいた方がいい


 返事はすぐに返ってきた。


レイア:いつものことだから放置しておいて


 私はレイアが言った通り、二人を放置して我が家へ帰っていった。





「こりゃ駄目だな、完全な復旧まで数日はかかる」


「そうですか…」


「すまん、ディファーの忠告を軽く受け止めていた、もっと慎重にリリースすべきだった」


「班長のせいでは…」


「このままではこの船もいつまでもつか分からない、運が悪ければ今すぐにでも海底に沈んでしまうかもしれない、つまりそれだけ破損の度合いが酷いという事だ」


「船体下部に設置された衝撃緩和束帯が、落下中に何らかの原因で破損してしまったのでしょう、そのせいで着水時のショックを受け止め切れなかった…と、オーディンは説明しています」


「そうだな、だからこれは俺の判断ミスだ。──これから復旧作業に入る。就業規則を逸脱するわけだが、それでも構わないか?」


「………え?」


「この船に乗り込む前に説明を受けただろう、たとえ遠隔地とはいえ規則に則った運用をするようにと、それは人も変わらない。お前には就業時間外に指示を出すことになるが、それも一重に俺たちの命のためだ、生き死にがかかっている時に規則がなんだのと言ってる場合ではないからな」


「はい、それは勿論です」


(良かった、的確に判断ができる人で…こんな時にまで規則だからと就業を禁止されていたら…頭がおかしくなっていたかもしれない)


「どうかしたか?」


「──いいえ、何でもありません。すぐに取り掛かりましょう、班長が船外活動をしている間、いくつかの船と人型機を確認しました、おそらく我々の位置が相手に露呈しています」


「本来であれば潜水して身を隠す予定だったが…頭が見えてしまっているからな…バベルには感謝だな」


「それはどういう意味ですか?」


「聞けば、お前は機体工学以外にも潜水体の単位も取得したそうじゃないか。ディヴァレッサー志望でそこまで勉強する奴はいないよ」


「それは…ただ志望した部隊にどうしても配属されたかったから頑張っていただけで…」


「何にせよ、お前がこの場にいて助かった、感謝する」


「バベルはこの事を予期していたのでしょうか」


「まさか、奴は人の適性を見抜くだけで未来予知までできるわけではないだろう。──お喋りはここまでだ、事態が安定するまで休憩は無いと思え、いいな?」


「はい!」





 いやほんと謎。


「いらっしゃいフランちゃん」


「ふら〜ん!ふら〜ん!」


「ほら、フランお姉ちゃんだよ、挨拶して」


「ルカ!こんにちは!」


「こ、こんにちは…まだ朝だけど…」


 ナディと喧嘩した翌る日、私はジュディスさんの自宅でウィゴーとその息子であるルカと対面していた。いやほんと謎過ぎて草さささ。

 私をここまで連れて来た(あるいは連行と言う)オハナは、「では、仕事がありますので説明はヴィシャスさんからお聞きください」と言い残し、ガチでそのまま去っていた。


「なんなの?なんで私がここに来たの?」


「フランちゃんにはルカのベビーシッターをお願いしたくてね、今日は僕も用事で家を開けることになってるから」


「で〜と!ママとで〜と!「こ、こら!」


「その子がデートって言ってるけど?」


「ち、違うから!動画を見て変な言葉を覚えたんじゃない?」


「私にベビーシッターが務まると思う?こちとらパイロットしか経験が──「ふらん!」


 ルカと呼ばれた子供がウィゴーの手から離れ、私の醜い足に乗っかってきた。足の感覚はとうの昔になくなり、何も感じないはずなのにルカの重さがなんとなく分かった。

 これは命の重たさだ、道理で無視ができないはずだ。


「ふらん!ふら〜ん!」


「──はいはいもう、あんまりはしゃいだら足の上から落ちるわよ」


「大丈夫、その子ほんと頑丈だから、いくら転んでも泣かないし。まあ、聞かん坊でもあるから手を焼かされるんだけどね」


「あつい!あつい!」


「あんたのこと言ってんのよ」


 ルカがきゃっきゃっと笑い、私の足ではしゃいでいる。

 

「ルカもフランちゃんのこと気に入ってるみたいだし…どうかな?」


「分かったわよ、この子面倒見てあげる」


 いやほんとなんなの?未だにこの状況に心が追いついていないが、私が一日この子の面倒を見ないといけないことだけは理解できた。

 ヴィシャス家はサーストン家と違って一軒家であり、場所も円卓街ではなく旧市街方面(以前はラフトポートと呼ばれていた辺り)の外れにあり、ベットタウンの中でもさらに外側にあった。

 ほぼ外側に位置しているお陰か、ヴィシャス家の目の前には海が広がっており、リビングからもこの景色を眺めることができた。

 素朴だけど立派な家と、情けなく微笑む大柄な男に、女の子と見間違う可愛らしい男の子。

 平和、と言っても差し支えない光景だ。私たち戦士が守ったものであり、元国王であり親友を亡くしたナディが守り続けてきたもの、そしてそのバトンはマカナに渡された。

 この光景を目にして、私は一体今日まで何をしていたんだろうと、自戒的な気持ちになってしまった。

 その自戒の念を手に込めて、ルカの頭をふわりと撫でる。


「今日はよろしくね」

 

「おにごっこ〜〜〜!」と、ルカが屈託なく笑い、まだ一つも汚れていないその可憐な歯を見せた。

 戒めはすぐにこの子の笑顔によって流された。

 子供はなんて無邪気なのだろうと思った。





ウィゴー:フランちゃん収容完了


ジュディス:ご苦労、作戦通り基地へ集合せよ


ウィゴー:了解


「え、素っ気な、これが夫婦のやり取り?」


「冗談に決まってんでしょ」


「で?いつレイアを投入するんですか?」


「それは状況次第じゃないかしら。──フランのことはいいからあんたはアーキアに集中しなさい、あのレイヴン総団長様も直々に元メンバーに声をかけて回っているんだから、あんたも早く準備に取り掛からないと怒られるわよ」


「大丈夫っしょ」


「いやいや、氷の女王が復活するのよ?あんたは総団長の冷たさを知らないだけ、クランなんかビビって家に引き篭もってるんだから」


「どんだけなの」


「それだけ冷たくて怖いってことよ」


「いやでもまさか、また特個体に搭乗する日が来るなんて夢にも思わなかった、もう二度乗らないって決めてたのに」


「そうも言ってられないでしょ──あ、ほら、ヴィスタが来たわよ」


「ち〜す!おひさ!みんな元気にしてた〜?」


「キャラ変わり過ぎ」

「普通に気持ち悪い」


「──いやすまない、会うのが久しぶり過ぎてどう接すれば良いのか迷子になっていた」


「アリーシュから何も言われなかったの?あんた気持ち悪いよって」


「彼女にも招集指示が下って大慌てで準備中だ。心なしか楽しそうにしていたのは気のせいだと思うが…あと俺は気持ち悪くない」


「陸続とレイヴンのメンバーが集まりつつある…いやガチでフランちゃんを隔離しといて正解だったわ」


「ん?赤い死神は不参加なのか?あれほど頼りになる者は他にいないというのに」


「あんたのそれ、今回の騒動が終わったあとも責任取れんの?あの子、未だに空を飛びたいって言って自分の足すら治そうとしないのよ」


「ああ、そういうやつか…それは困ったものだな。ウィゴーは?」


「今こっちに向かってる、フランにはルカの子守りを命じてるから家の外に出られない」


「不安しかないな、あの戦闘狂に子守りができるのか?」


「手のひら返すなさっきは褒めたくせに」

「大丈夫ですよ、ああ見えてもフランちゃんは小さな子供の相手をするのが得意ですから」


「まあ、カゲリの相手をしていたぐらいだからな、あいつに比べたらルカなど天使のようなものだろう」


「そうそう」

「そうそう」


「私のいないところで私の陰口を叩くのは止めてもらいたい」


「っ?!」

「っ?!」

「っ?!」


「陰口の罰として皆んな私にお菓子を奢ること!──いたっ!「ほんといつもすみません、この大喰らいが言ったことは忘れてください…」


「ほんとカゲリちゃんいつも変わんねえ〜」

「あんたいつか糖尿病になるわよ」

「もう手遅れだろ」


「私は糖尿病になんかならない!インスリンが無限に湧き出てくるのだから!「それはそれで病気だかんね?」


「カゲリ、もう直に作戦が始まります、しゃきっとしなさい」


「しゃきっ!」


「………」

「………」

「………」


「すみません、カゲリも皆様方と久しぶりにお会いできてテンションが高くなっ──「そういう事は言わなくていいんですよ」


「あんたも可愛いところがあるじゃない」

「食いしん坊ツンデレキャラか」

「ナシだな」


「失礼する、オリジン部隊のラジルダ──と、取り込み中だったか?」


「このエセ二枚目が!スミスさんにお前の性癖をチクるぞ!「残念だったなアリーシュには既に呆れられている!「止めなさいって二人とも!オリジンの人が来たでしょ!「カゲリ!ヴィスタ様から離れなさい!」


「す、すみません、騒がしくしてしまって…」


「あ、ああ、いや…そ、それとその子供は?」


「子供?」


「それ私のこと言ってんの?」


「こ、ここは大人しか来ちゃいけないんだ、子供の君がここにいたら危ない」


「だからそれ私に言ってんの?」


「あの人、ジュディさんに喧嘩売ってますよ…」

「死んだな、奴」

「久しぶりに見たなこの光景…まあ、初めて会う人は子供だって思うんだろうね…」

「私からしてみればヴィシャス様も可愛い子供です…」


「え、き、君はまだ子供では…」


「一児の母だわふざけんな!!」


「じょ、冗談はよくない!君はまだ子供だ!子供は子供を産めないんだ!」


「こんのくそ野郎──オリジンがなんぼのもんじゃあ!!「ジュディさん!「やっちゃえハワイのヒーロー!「止めろ馬鹿者!国際問題に発展させるつもりか!」


「あ!ウィゴーさんなに逃げてるんすか!自分の奥さん止めてくださいよ!」


「ああなったらルカより手が付けられない、落ち着くまで身を隠すのが一番なんだよ」


「そういう状況じゃないんすよもうオリジンの人が来てるんです!」


「あとで謝罪すればいい」


「あーもう!誰も頼りになんねぇ!」


「──どういう状況なの、これ」


「あ、ライラ!実はかくかくしかじかで」


「どうでもいいことに時間を浪費しないでちょうだい、早く場を取りまとめて」


「それができれば苦労しないよ、もう皆んなしっちゃかめっちゃか──「あなた曲がりなりにも国を治めていたんでしょ?そんな事で今回の有事に対応できるの?」


(こっわ!二人称呼ばわり!)


「あ、す、すみません」


「あなたが音頭を取らないなら私が取るわよ、それでいいの?」


「あ、はい、お願いします…」


※ライラが腰に収めていた拳銃を取り出し、天井に向かって一発。


「っ?!」×ナディ以外全員


「静かにして、どうしても騒ぎたい人は私に撃たれてから騒いでください」


「…………」×ナディを含めた全員


「状況の整理から行ないましょう。オリジンの偵察部隊の方、どなたでも構いませんのでこの場でお話してください」


「…ラジルダさん?」

「…なに隠れてんすか!」

「…隊長はあなたでしょ!」


「あ、あ、その、俺がオリジン部隊の隊長だ。じょ、状況報告についてだが──「簡潔にお願いします、あなた方が騒がなければ十分に時間を取れましたが」


「…………」


「報告を」


「──あ、その、未確認生物は目算で数十メートル規模、体の一部を海面から露出させた状態だった、き、君たちの言うアーキアと呼ばれる生物でおそらく間違いはないかと思う。ただ…」


「簡潔にと言いましたよ」


「あ、ああ!す、すまない…その、少しおかしな点があって、その生物は我々が発見した時から海中に潜ろうとしない」


「逃げようとしないと?」


「そ、そうだ、我々の存在に気が付いているはずだが…現在は別部隊に監視を任せているが、今もなお海面から露出させた状態だ」


「私たちを脅威と見做していない、ということですか?」


「ふ、不明だ。それと、今のところ攻撃行動は確認されていない」


「レイヴンのウィゴー・ヴィシャスです、先程は妻がとんだご迷惑をおかけしました」


「今頃謝ってんじゃないわよ!」

「奥さんに恥かかせちゃ駄目だよ!」


「ナディ、ジュディスさん、お静かに」※撃鉄を上げながら


「…………」

「…………」


「し、質問があるのですが、よろしいですか?」


「あ、ああ、答えられる範囲なら」


「そのアーキアの外観は?海面から露出していると言いましたけど、どのような見た目をしていましたか?」


「わ、我々はあまり馴染みはないのだが…なんと言ったか?「かいです!「そ、そう、かいという生き物に近いそうだ、ハワイの人たちがそう教えてくれた」


「貝?」


「円錐状に尖った物体を海中から空へ向かって数メートルほど露出させている、その見た目からして生き物の大きさを数十メートルだと推察した」


「今回のアーキアは殼を持っているということ…?」


「そういうタイプは初めてですね。数十メートル規模の巨大貝か…守りに特化しているから攻撃してこなかった…?」


「それはどういった生き物なんだ?」


「貝という生き物は海中のカルシウムという金属を体内に取り込んで、自身を守る堅い殼を形成する海洋生物の一種です。その殼を破って中身をほじくり出せば、大概は酒に合う美味しい食べ物になるんですが…」


「その情報は今必要なのか…?」

「ウィゴーさんも緊張してるんすよ」


「そ、そんな生き物がいるのか…今回の作戦の目標は?」


「無論、我々の海から排除することです、それ以外にあり得ません」


「巨大な貝が相手だと私たちが総動員しても歯が立たないかもしれない、タイタニスに応援要請出してみる?」


「もう出しているのでは?」


「え?」


「アーキアが出現した聞いた時点で要請は出しているのでは?と聞いたの、あなたはいつでもマキナと会話ができるんでしょ?──まさかまだ出していないの?」


「今すぐ出します!」


「作戦内容が決まりました、タイタニスが現場に到着するまで私たちの部隊で斥候を務め、必要であれば攻撃を開始、撃破が不可能だと分かればアーキアに関する情報分析に務めます。以上、すぐに行動に移しましょう」


「ちょ、ちょっと待ってくれ、我々は一体どうすればいい?」


「話を聞いていましたか?」


「き、聞いた上で、か、確認している、い、今の説明だけでは、ふ、不十分だ」


「…氷の女王に楯突いている人初めて見た」

「…あのライラは確かにおっかないっすね」

「…ハワイの人も大変なんですね、あんな怖い人が指揮官だなんて」

「…ラジルダさんなんていつもおっとりしてるからここまで緊張することってあんまないんすよ」

「…あれ私の奥さんです」

「ええ?!」

「ええ?!」


「…………」※ライラが無言でトリガーを引く


「いや?!嘘でしょ?!あれ氷の女王じゃなくてただのハッピートリガーじゃん!──とにかく出動しましょう!細かい動きは道中で決めるということで!」


「そ、そうしよう!このままでは機体に乗る前に死んでしまう!」


「作戦指揮は私、全体指揮はジュディスさんに取ってもらいます、よろしいですね?」


「イエス!マム!」×全員





 とても退屈である、狭くはないが広くもないこのゆったりとしたリビングで、小さな子供と過ごす時間はとても退屈である。


「ふらん、りんご!ふらん、ばばな!」


「違うわよ、それはバナナ」


「ばなな!ふらんはばなな!」


「なんでそうなる」


 私の膝の上で絵本を読んでいたルカが頭だけ上向け、面白そうにきゃっきゃっと笑う。

 ルカは何かしらの単語を読み上げるたび、私の名前を先に口にする、まるで言葉を発するのが楽しくて仕方がないといった様子で。

 リビングの隅にはボロボロになった子供用の柵が置かれている、きっとルカが走り回って壊したものだろう。その柵にだけ日光が当たり、リビングにはほのかに明るい陰が落ちていた。

 

(ほんと退屈…)


 けれど、平和でもあった。

 私たち戦士が守ったものであり、そして私たちが必要とされない場所、それから求められない場所。

 皮肉だ。勝ち求めた場所で戦士が求められることがないなんて。

 膝の上で絵本を読んでいたルカが、その絵本をソファの上へ放り投げで床に降り立った。それから、宇宙から何か受信でもしたのかリビングの中を無闇やたらと走り回り始めた。かと思えば、ボロボロになった柵を無意味に眺めたり、かと思えばキッチンへ行ってごそごそと物音を立てる。

 キッチンの向こう側からごつんと大きな音が聞こえてきた。


「ルカ?何やってんの?」


 さすがに心配して声をかけるが返事はない、もしかしたらどこかに頭を打ち付けて気絶しているかもしれない、それぐらい大きな音だった。

 車椅子に座るのが面倒だったので床の上を這いずってキッチンへ向かう、足はだらしなく私の腕に付いてくるだけだ。

 キッチンの裏側へ回り込むと、ルカは床の上に座っていた。


「あんた大丈夫?大きな音がしたけど、頭でも打った?」


「いたい!」


 頭をさすりながらルカがそう言う、どうやら本当に頭を打ったらしい。けれど頑丈というのは本当らしく、ルカはひとつも泣いていなかった。それどころか、私を指差して「あかちゃん!」と言ってきた。


「足が悪いだけよ」


「あかちゃん!ふらんはあかちゃん!」


「というか人を指差したら駄目でしょ!それに私は赤ちゃんじゃない!」


「あかちゃん!あかちゃん!」


 きゃ〜!みたいな感じでこっちを捲く立ててくる、頭に来た私は腕の力だけで素早く動き、ルカを捕まえようとしたのだがいとも容易く逃げられてしまった。


「おに!ふらんはおに!」


「捕まったら次はあんたが鬼よ!」


 そうやって二人だけの鬼ごっこが始まり、結局一度として私はルカを捕まえることができなかった。



 子供めっちゃ良いじゃん。


(まあこれを毎日相手にするのは疲れると思うけど)


 あれだけ走り回ったいたのに充電でも切れてしまったのか、ルカがリビングの床の上で眠り始め、今は私の膝の上に乗せて小さく胸を上下させている。

 子供は何をするにしても、何を見ても聞いても新鮮で、だからきっと何をするにしても楽しいのだろう。

 もし、この子を空に連れて行ったら、どんな反応をするのだろう?この疑問がさっきから頭から離れず、その事ばかり考えてしまう。

 案外泣いてしまうかもしれない、もしかしたら大喜びするかもしれない、もしかしたら将来は自分も空を飛びたいと言うかもしれない。

 もしルカがそう言ってくれたら、私はきっと全力でこの子に師事することだろう。

 悪くない、そう思った。

 子供めっちゃ良いじゃん。


(はあ〜誰か私に中出ししてくんないかな)


 その過程がめんどくさい。


(精子さえ貰えたらあとはこっちで何とかするんだけど…)


 子供が欲しくなった、それが率直な思いである。

 陽が昇るにつれてリビングが段々と薄暗くなり、窓の向こうに広がる海が段々と明るくなってきた。

 きらきらと輝き、そして膝の上で眠るルカの寝息がすやすやと、私の目と耳に届く。退屈な時間の中でこの二つの刺激は悪魔的であり、私も段々と睡魔に襲われてきた。


(体外受精の話を…その前に一度空を飛んで…それから、ルカに合うパイロットスーツを…)


 この子の驚く姿が目に浮かぶ...

 Zzz...



 それは懐かしい感触だった。

 頭に柔らかくて小さい何かが触れた弾みで目を覚まし、それから空きっ腹によく届く食べ物の匂いで覚醒した。


「ん…んん?」


 ルカはまだ膝の上で寝息を立てている、けれど背後から人の気配を感じてキッチンへ振り返った。


「おはようございます」


「あ…レイア?」


「今ご飯の用意をしていますので、もうちょっとだけ待ってください」


 すっかり髪が短くなり、それから少しだけ身長が伸びたレイアがキッチンに立ち、母親顔負けの手つきで何やら料理をしているところだった。

 

「別にいいわよ…気を使わなくて…」


「自分の分も作っていますので」


 気にするな、ということだろう、ほんとに良く出来た子供である。

 空を飛ぶことしか考えず、台所事情に疎い私でも、鼻につく食べ物の香りが以前より増していることに気が付いていた。

 それらの食べ物は全て、オリジンからの輸入品である。あちらには大地があり、その広大な場所で農耕が盛んに行われているらしい。お陰様で私たちの台所事情は以前よりも豊かになり、その代わりと言わんばかりにオリジンの部隊がハワイに居座っている。


(何とかして向こうに渡れたら…)


 膝の上で眠っていたルカがもそもそと動き始め、料理の匂いに釣られてむくっと起き上がった。


「ん…んん?」


「レイアが私たちのご飯を作ってくれてるわよ」


 そう言うと、何に反応したのか寝起きとは思えない素早い身のこなしで床の上に立ち、キッチンまで走っていった。


「れいあ〜!」


「もうすぐできるからね」


「れいあ、れいあ!おにごっこ!」


「また後でね」


「あんたたち仲が良かったのね」


 キッチンを見やると、ルカがレイアの腰に抱きつき遊んでとせがんでいた。


「馬鹿親二人がいちゃついている時の避難所ですから、ここ」


「馬鹿親て」


「向こうに引っ越ししたらまた避難所を探さないといけません」


 レイアがそう話すと、ルカの表情がにわかに曇った。きっと言葉の意味が分からなくても、今より遠くへ行ってしまうと理解しているのだろう。

 

「ほらルカ、そんなに引っ付いたら料理ができないよ」


 ついに泣くかと思いきや、ルカは「うん」とだけ口にして、少しだけレイアから離れた。


(ほんとに泣かないなわね、あの子)


 一体誰に似たのやら。


(そういえば、あの大男も泣いているところ見たことないわね。あの我慢強さは案外ウィゴー譲りかもしれない)


 そらから程なくしてレイアお手製の料理が出来上がり、私はちょっとだけ忸怩たる思いでご相伴にあずかった。いやね?さすがにね?この歳で小さな子供が作る料理で腹を満たすって、それはそれは考えさせられるんだわ。

 ご飯を食べ終え、またぞろ元気を取り戻したルカが「おにごっこ!」と叫び始め、レイアが「それなら外へ出ましょう」と私も誘ってきた。


「え?なんで?」


「え?ジュディスさんからルカを預かっているんですよね?」


 レイアが首を傾げ、ルカもそれを真似て首を横へ傾けた。


「あんたがいるなら私はもう要らないでしょ、留守番しているわ」


「え、いやでも…」


「この家を空けるわけにはいかないでしょ、それに私は鬼ごっこなんてできないし、あんたはルカとも仲が良いんだし」


「で、でも…」


 さっきまでのどっしりとした態度とは一転し、レイアがしきりに慌て始めた。


「なに?私を外へ連れ出さなければならない理由でもあんの?言っておくけど、人様の物を盗むほど落ちぶれちゃいないわ」


「いや、そういう事ではなくてですね…あ〜」困ったなあ、と口にせずとも表情が雄弁に物語っている。


「だからなんなの?」


「テレビは絶対点けたら駄目ですよ?」


「はあ?」


「あと、携帯触るのも駄目ですよ?だったら家で留守番しててもいいです」


「あんた何言ってんの?」


 馬鹿にしてんの?料理できないからってそこまで馬鹿にするか普通。

 急なお姉ちゃん口調になったレイアにルカが一言。


「あーきあにたべられる〜!」


「!!」


「──レイア?」


 きっとルカはそんな風に躾けられているのだろう、聞き分けない(子供相手に聞き分けないと言うのも変な話だが)私を見てそう言っただけに過ぎない。──はずなのに、私はレイアの表情を見逃さなかった。


「なんですか?」


「なにをそんなに驚く必要があるの?あんたのさっきの反応変だったわよ」


「いえ別に?」


 明後日の方向を向き、レイアが私と目を合わせようとしない。


「あんた何か隠してるわね、見れば分かるわよそれぐらい」


「子供に頭を撫でられて子供が作ったご飯を食べた大人にそんなこと言われたくありません」


 頭撫でたのあんたかよ!


「んな事は今はどうでもいいの。何を隠しているのかはっきりと言いなさい」


「いえ別に?」


「──テレビを点けたら済む話だけどね〜!!「ああ!点けたら駄目!ジュディさんに怒られる!「あーきあにたべられる〜!」


 リビングのテーブルにあったリモコンに手を伸ばすが、レイアが先に手に取り、そしていつの間にか廊下に立っていたルカに向かってパスした。


「ルカ!鬼から逃げろ〜!」


 きゃ〜!とか言いながらルカが全力ダッシュ、あれはさすがに無理。


「子供みたいなことしてんじゃないわよ!「まだ私は子供ですぅ〜」


「ねえ、何に反応したのかだけ教えてくれない?私から見たら、アーキアって言葉に反応したように思うけど」


「いえ別に?」


「アーキアはもう絶滅していないはずよね?それなのにどうしてあんたはアーキアって言葉に反応したの?」


「何かの見間違いでは?」


「ならテレビを点けるなと言ったのは?」


「それはルカがテレビの前に張り付いてしまうからです、携帯も同様です、私みたいに動画ばっかり見てしまいますから」


「アーキアについてテレビで報道されているのね?」


「テレビを点けたかったらせめて夕方まで待ってください」


「なんでやねん!あんたもうそれ答えを言っているようなものじゃない!」


 二階から一人鬼ごっこをしているルカの足音が届いてくる、まだまだ小さいのに足音はデカい。

 

「いやもうほんと待ってください、ジュディスさんからの命令なんです…」


「やっぱり!私をここへ連れて来たのもそういう理由があったからなのね!──アーキアが出たのね?!」


「仮にそうだったとしても、今のフランさんはお一人で基地へ行けませんよね?」


「舐めんな」


「──え?」


 ああ、ああ、私に子供は無理だ、何かの勘違いだった、こんな大きな足音に毎日悩まされるだなんて、私には無理だ。

 やはり空だ、空がいい、そここそ私の居場所。

 アーキア。ああ、なんて素晴らしい言葉、素晴らしい存在なのだろう。

 私たち戦士に戦うきっかけを無条件で与えてくれる。

 携帯を取り出してアプリを起動し、オートパイロットモードの項目をタップする。


「ヒルド・ノヴァに迎えに来てもらったらいいだけの話でしょ」


「……………」


 レイアが子供とは思えない仕草で肩をすくめ、大人びた顔つきで苦笑いした。





レイア:任務失敗


ジュディス:何事か


レイア:フランさんにアーキアの存在が露呈しました


ジュディス:でもまだ私の家にいるんでしょ?こっちはもう間も無く作戦空域に突入するわ


レイア:フランさんが自分の機体をジュディスさんの家に呼び付けました、オートパイロット?と言うそうです


「はぁ〜〜〜〜っ?!」


レイア:すごい音


レイア:これが特個体?


レイア:赤い人型のロボットがすぐ近くの海に着きました


「ちょっとそれ私の家は?!大丈夫なの?!「ジュディスさん、お静かに」


レイア:あ


レイア:ロボットがこっちに来ました


レイア:こわい


レイア:あ


レイア:これはやばいかもしれはい


「なに?!なんなの?!」


ジュディス:ルカは?!家は?!


レイア:フランさんがルカも一緒に連れて行ってしまいました


「………………」





「ジュディスさんが泡を吹いて倒れてしまったため、以後は私が全体指揮を兼任します」


 その通信が突然だったため、私はこう言わざるを得なかった。


「何事か」


「フランにアーキアの存在が露呈、さらに軍へ無届けのオートパイロットモードを搭載した機体を起動させた後、ルカ君も一緒に連れてそちらに向かった模様です」


 嘘でしょ?軍に無届けって、自前でオートパイロットモードを組み込んだってこと?あの子ヤバ過ぎる。

 ウィゴーさんの通信アイコンから雄叫びが届く、夫婦揃って阿鼻叫喚である。


「嘘でしょ〜〜〜フランちゃ〜〜〜ん!それもう説教じゃ済まないよ〜〜〜!!」


「いやガチかよそこまでするのか…舐めてたわ…」


「現在ヒルド・ノヴァは航行速度マッハを維持しながらそちらに向かっています、合流まで十分もありません」


「くそ速いなもう…どうしようもないじゃん」


 カゲリちゃんが「まさしくお菓子を得た私ですね」と言った。


「水を得た魚って言いたいの?「そうそれです」


「余裕あるんならカゲリちゃんがフランちゃんの相手してくれない?「それは無理です」


 相変わらずのカゲリちゃんは一旦無視し、前方を見やる。猫の舌のように、縁がギザギザになった雲の群れが左右に広がり、その中心点の下に小さな島があった。その小さな島こそセレンであり、そこからさらに南下したポイントにアーキアが潜伏している。

 作戦海域はもう目前だ。特個体による戦闘は数年ぶりなこともあり、手は緊張によって力んでいた。

 目の前の脅威で頭がいっぱいだというのに、ここに来て赤い死神の対処もしなければならない。ウィゴーさんも頭を抱えているようで、溜め息混じりにこう言った。


「どうしてルカを危険な目に…僕たちに恨みでもあったのかな…」


「ルカ君を人質に軍事基地縮小法の撤廃を要求してきたりとか…」


「それならもうこっちに通信を入れてくるはずだよね?──え、まさかルカを連れたままアーキアと戦うつもりなの?」


「分かりません。──ライラ、フランちゃんとコンタクトは取れる?」


「取ってはいるけど向こうが応じない、今はとにかくアーキアに集中して、彼女のことはこっちで何とかする」


「了解」


 あっという間にセレンを過ぎ去った、今回の事件がなければもう引っ越しを終えていたであろう私の生まれ故郷だ。

 セレンを過ぎ、それから海上に潜む異物が見えてきた。

 そいつは所謂"サザエ"に近いアーキアだった。





 もう体はへとへとだ、カロリーを使い果たしてしまったせいで指の一つ動かせやしない。

 リガメル社が開発した新しい潜水体、その居住エリアの自室の中、俺はベッドの上に寝転がっている。日付けが変わる前から続けていた復旧作業の目処がようやく立ち、こうして一八時間ぶりの休息を取っているところだ。

 体は動かないほど疲れている、酷い疲労状態、立派な就業規則違反だ。

 だが、不思議と精神が高揚している、ベッドに横たわってはいるがまだまだ眠れそうにない。

 何故だろう?その疑問ばかりを頭に浮かべ、これから汚れていくであろう綺麗な天井を見つめる。


(ああ、本当に何故だろうか…分からない)


 現在の精神状況についてネットに検索をかけてみるが、そのほとんどが精神疾患を疑うものばかりであり、早急な受診を勧められる。

 違う、そうじゃない、俺が知りたい情報はそうじゃない。

 こめかみのスイッチを押すのも億劫だ。指すら動かせないのだから、腕だって持ち上がるはずがない。

 ──と思ったのだが、隊長からの通信で俺の体が雷を撃たれたように起き上がった。


「仕事だ、ついにハワイの連中が部隊をけしかけてきた、直ちにブリッジへ集合せよ」


「了解しました!」


「休息中のところすまない、国へ帰ったらお前の働きぶりを必ず進言しておく。ま、その見返りが貰えるかは別の話になるがな」


 やはりおかしい、自分でもテンションの(たが)がはずれているのが分かる。体は休息を求めているのに、精神はアクシデントを求めている。

 ブリッジに到着し、隊長の顔色を窺った時に、「やはりこの人もおかしくなっている」と思った。

 隊長の顔はげっそりとしているのに目は太陽のように輝いている、この人もきっと、アクシデントを求めているのだと感じた。


「向かってくる部隊はハワイとオリジンの混成部隊だ。お前は外骨格のダメージを監視していろ」


「こちらからの攻撃は?」


「現段階ではその予定はない、思惑通りにいけば外骨格が全ての攻撃を防いでくれる」


「了解しました」


 そのやり取りの後、混成部隊がすぐに視界におさまった。

 この潜水体は『フォルス・トランペット』という世界でも最大を誇る巻貝をモデルとして作られており、攻撃よりも防御に特化した機体である。

 ガイアの枝葉の北方に広がるアラフラ海に多く棲息しているこの巻貝は、胴体が丸みを帯びており、その上下に固い殼を長く伸ばしている。俺たちが搭乗している潜水体『ガラド』も同様の構造をしており、胴体部にブリッジ、居住エリアから主推進機関ルーム、そして殼の部分には対戦闘用火器と無人機、ドローンなどが詰め込まれていた。

 ガラドの最大の特徴は巻貝が己の殼を生成するように、自己修復と自己増築を可能とした強化外骨格である。まさに、本作戦にうってつけの機体と言えた(あるいはこの作戦のために開発されたのかもしれない)。

 本来であれば、潜水を繰り返しながらハワイ内部を偵察する予定だったが...こうして敵部隊と戦闘を交えることになった。

 ガラドの上空に展開した敵混成部隊が火器を構える、ついで発砲、外骨格に被弾、さしたる衝撃もなくダメージが全て弾かれているのを確認した。


「問題は?」


「ありません、ダメージ量の増加は認められません」


「監視を続けろ」


 これならいくらでも耐えられる、時間が悪戯に過ぎるのを待てば向こうも諦めて──ん?混成部隊が散っていった?


「何故でしょうか、まるで後ろを警戒するような…」


「お前はチェックを続けろ、監視を怠るな」


「は、はい!」


 混成部隊が散った空を突っ切る別の機体が現れた、それは赤いカラーリングをしており、目に見えた武装はしていないようであった。


「あれはなんだ?何故避けたんだ?味方ではないのか?」


「分かりません、チェックを続けます」


「オレンジラインに到達したら俺の指示を待たずに管制システムを立ち上げろ、全て迎撃する」


「了解!──ん?」


 俺は自分の目を疑った、武装していなかったはずの赤い機体がその手に何かを持っているのだ。


「た、隊長、これは一体何に見えますか?」


 別のコンソールを確認していた隊長が「目を離すなと…」とまずは注意を口にし、それからモニターに視線をやって固まった。


「これは何だ?こんな物を機体が手にして良いのか…?」


「な、何かの柱でしょうか…一体こんな物をどこから…」


 え?それで攻撃するつもりなのか?

 え!それで攻撃するつもりらしい!

 赤い機体が柱を構えたまま接近し、ガラドの眼前で大きく振りかぶった──。


「──っ!」

「──っ?!」


 激しい振動がガラドを襲う、この大海の波にびくともしなかった潜水体が激しい振動に見舞われた。

 赤い機体の攻撃は一度だけではなく何度も行われ、その度に最新式の潜水体が揺さぶられた。

 俺はダメージ量のチェックを行なった、この振動の割にダメージは蓄積されていないようでオレンジラインに到達していない。

 この分ならまだ耐え得るだろうが、俺の精神が先にレッドラインを超えてしまいそうだ!


(何なんだこの機体は!どうしてこんな野蛮な攻撃を!)


「た、隊長!早く何とかしないとガラドが──「ああもう駄目だ、お終いだ…「た、隊長?!」


 隊長が己の役目を放棄し、頭を抱えてコンソールの下に潜り込んでいるではないか。


「お、俺はな…前に一度だけ地震を経験したことがあるんだ…自分という存在を根底から覆そうとするあの揺れ…あれを思い出す…」


「隊長!!ちょっとお願いですから──?!」


 いやなんか逆に冷静になれたわ、自分で何とかしよう。

 そう肚を決めたのも束の間、赤い機体の攻撃がさらに激しさを増し、ガラドもその攻撃に合わせてどんどん揺れ始める。

 その揺れのせいだろうか、せっかく復旧させた主推進機関ルームからアラートが発生してしまった。振動の影響で設備にダメージが入ってしまったらしい。

 もうこうなったら仕方がない、機体運用のガイドラインから逸脱してしまうがすぐに管制システムを立ち上げる必要がある。


「オーディン!すぐに管制システムを立ち上げろ!」


「不可能です、潜水体のダメージ量が最低ラインのオレンジに到達していません。強制起動を行なった場合、あなた方が民事訴訟を受ける危険が発生します」


「構わない!ここで死んでしまったら裁判もクソもない!」


 支援AIは融通が利かないわけではない、人に悪影響があると把握しつつも、その本人が望めばその意向に従うよう設定されている。

 ──それならば何故、バベルは俺が望んでいないこの部隊へ...にわかに湧き上がった強い疑問は、オーディンの声によって掻き消された。


「管制システムを立ち上げます、上空に存在している機体を排除目的とし、最適の火器をコンソールに表示します」


「火器を選んでいる暇はない!すぐに攻撃を開始してくれ!」


「その要求には応えられません、我々にトリガーを引く権利が与えられていません。あなた方の手で引いてください」


 もう!

 コンソールに表示された火器を手当たり次第にタップすると、ガラドの殻がその中心から左右に開き、内部に隠していた火器を露出させた。

 この機体は、ハワイの固有生命体であるアーキアを擬態した物である。その擬態が成功していたのであろう、殻が無機的な動作でパカリと開いた途端、赤い機体だけではなく混成部隊もさっと高高度へ退避していった。

 この時点で偵察作戦は失敗である、ハワイに俺たちの存在が露呈してしまった。あとはいち早く帰投海域まで退避し、ディファーに回収してもらうしかない。


(退避すると言ってもまだ移動できる状況じゃ…一体どうすれば…ん?)


 ん?空へ逃げていった混成部隊の動きが...んん?赤い機体を追いかけているように見えるが...気のせいか?あれは一体なんの演習なんだ?


「警告、敵機体がこちらに接近中」


「──あ、ああ!今すぐに迎撃を…」


 いやだからあれは一体何なの?もうこっちに注意を払っている様子はなく、赤い機体を混成部隊が執拗に追いかけ回しているではないか。

 オーディンから驚きの報告があった。


「敵機体から通信を傍受、読み上げてよろしいですか?」


「通信を傍受ってなに?コンタクトを取ってきたってこと?──読み上げてくれ」


「ちょっとお話ししませんか?──以上です」


「……………」





 そのパイロットはとても若く、潤んだ瞳が特徴的だった。ついこの間まで義務教育を受けていたような、そんな初々しさが残るパイロットだった。


「名前はお伝えすることができません、我々はそもそもあなた方と接触することが許されていませんから」


「構いません」と私は一言だけ。


(まあ事情はだいたい分かるけど…どうせ私たちの様子を見に来たんだろう)


「我々と接触した理由をお聞かせください」


 そのパイロットはこちらを急かすようにそう言ってきた。まあ、こちらも悠長に事を進めている場合ではない。

 

「あなた方に攻撃を行なったあの赤い機体、私たちと一緒に捕まえてほしいんです」

 

 私はそう口にした。その言葉が海の上を駆け抜ける風に流されてしまったのか、若いパイロットは何も返事をしなかった。

 私のすぐ隣にはうんと高く聳える殻がある、いや、殻のように見えて殻ではない何か、である。

 それから足元には丸みを帯びた胴体があり、私たちはそこに立って対面していた。

 若いパイロットはまだ何も返事をしない。


「あなた方に攻撃を行なった──「いや聞こえてますよ?「じゃあ返事しろ」


 若いパイロットがそのくりくりの黒い髪を乱暴に掴み、「本当にそう言ったのかよ…聞き間違いであってほしかった」と言った。

 続けて若いパイロットが言う。


「それを我々に言いますか?どうしてこちらに協力を要請したんですか?」


「ハワイでは今、軍事基地の縮小を進めていてパイロットも機体も数を減らしてるの」


 若いパイロットの目の色が少しだけ変わり、私の言葉を聞き逃すまいと真剣さを帯びた。


「で、運の悪いことにあの赤い機体が国内最強クラスでね、私たちだけでは手も足も出ない。だから君に協力を要請した」


「逮捕が目的ではなく迎撃をすればいいのでは?先程も捕まえようと躍起になってましたよね、その労力は無駄かと思いますが」


「さらに運の悪いことに機体には子供が乗っていてね、攻撃だけは絶対にできない」


「なんでそんな事に…」


「その子供を無事に救出するためにも、あの機体を無傷で押さえなければならないの。協力してくれるかな?」


「それに応えるとでも?」


「勿論タダでとは言わない、君が知りたいだけのハワイの情報をそちらに提供する」


「……………」


「君が私とこうして会ったのも、何かしらの事情を抱えているからなんでしょ?そうでもなければ会ったりしないでしょ。──君は私たちの味方ではないけど敵でもない、そして友好な関係を積極的に築ける立場でもない」


「…………」


「ならこうしよう、お互い偶然にも共通の機体を捕まえないといけなくなった、これから行われるのは共同戦線ではなく偶然戦線、これならどう?」


「何の違いが?「細かいことはいいの」


 潤んだ瞳がわずかに細められた、きっと私を非難しているのだろう。

 彼、あるいは彼女(ぱっと見だから性別が分かんない)の瞳にははっきりとした困惑の色があった。どうすれば良いのか分からない、口にせずともその懊悩がこちらにも伝わってくる。

 まあ、そう簡単に上手くいくと思っていなかった、困惑して当たり前の提案だ。

 だからと言ってこっちも引き下がれない、なにせルカ君が囚われているのだから。


(なんでこんなややこしいすることかなフランちゃ〜ん!)


 脇に抱えたヘルメットからライラの緊迫した声がか細く届く、嫌な予感を抱きながら「ちょっと失礼」と言い、インカムの部分を耳に押し当てた。


「──繰り返します、ルカ君を攫ったフランから緊急声明が出されました、軍事基地縮小法の即時撤廃、あるいはオリジン派遣部隊への自由入隊を即時に認めよとのこと、これが叶わない場合は如何なる手段も選ばないとのことです」


「こりゃ駄目だわ」


「?」


 若いパイロットが小首を傾げる。


「犯行声明が出された「そりゃ駄目でしょ、早くその機体を迎撃しないと──子供が乗っていたんでしたね…ところで、少し疑問なんですが」と彼、あるいは彼女が言う。


「なに?」


「子供がそばにいることに対して抵抗はないんですか?」と、言った。


「それはどういう意味?」


「大人と言えど、完璧ではありませんよね?実際今みたいに子供が攫われる事態に陥っていますし」


「まあ、かなり稀な事態ではあると思うけど」


「中には完璧な大人もいるでしょう、けれど全員がそうではない。不均一な教育環境は子供に悪影響です」


「…………で?何が言いたいの?」


「あ、すみません…アカデミーで学習した時から疑問だったので、つい…」


「え、こっちはわざわざ君の出自を聞かないようにしてたのに、それを自分から言うんだ?「あ、それでお願いします。──あの、ちょっと相談して来てもいいですか?あなたの提案は俺の手に余ります」


 男の子か〜、顔がおぼこいからガチで分からん。


「いいよ、私はここで待っていればいい?」


「本来はここにいること自体が駄目なのですが…機内に案内するわけにもいきませんし…「機内?じゃあこれは機体なの?「あ!今のもナシで!」


 彼が顔を赤く染め、殻の向こう側へ駆けて行った。

 


「オッケーだって、協力してくれるって」


「軽いな不法侵入者、どうせヴァルヴエンドの回し者なのだろう?」


「まあ、敵の敵は味方って言いますし」


「フラン様が敵になってしまった件について」


「いつかはやると思ってました」


「それでいいのか元同僚」


「とにかく、早くフランちゃんをとっ捕まえないとウィゴーさんたちが大変なことになっちゃう。──ライラ、フランちゃんの現在位置は?」


「改修が進められている石油プラットフォームへ向かってるわ「それ私の新しい職場じゃん」


「マカナは何と言っている?奴の要求を飲むのか?」


「現在関係各所と協議中です。あちらの意向としてはこれ以上大事になる前に逮捕してほしいそうですが、やむを得ない場合は一時的に要求を飲むそうです」


「そうなるだろうな…なにせ子供が人質に取られているんだから。ナディ、作戦はあるのか?」


「物量で攻めます、あちらのエセアーキアにはどうやらドローンが搭載されているみたいですから、それを使わせてもらいます」


「向こうはそれを了承しているのか?」


「今から要請します」


「大丈夫なのか元国王…」


「ナディ様、タイタニスの件はどうなりましたか?」


「ああ、そう言えば今こっちに向かってるんだった、早く伝えないと」


「いや、どうせだからタイタニスにはこの場で待機してもらったらどうだ?エセアーキアは何らかのトラブルで動かせないんだろう?だから俺たちから隠れもせず浮いたままになっている、それに奴らも何をしでかすか分からない」


「ああ、それもそうか。それなら、状況が終わったあとにタイタニスに運んでもらいましょうか」


「それも今からお願いするんだろう?「そうですが?「よくそんなんで国を回していたな…」


「とにかく方針が決まりました、私は彼に作戦内容を伝えます、皆さん方は先に石油プラットフォームへ向かってください」


「了解」

「分かりました」

「ああ、ルカ…心配でゲロ吐きそう…」

「ナディ様、フラン様が攻撃してきた場合はどうすればいいですか?」


「なんとかして「それが分からないから聞いている「カゲリ!ナディ様に向かってその口の聞き方はなんですか!「いやそれでいい、こいつポンコツ過ぎる」


「こういう時ノラリスがいたら良かったんだけど…まあ、いないものはしょうがない。フランちゃんが攻撃をしてきたら、オハナのヘルフィヨトゥルを盾にしてあとは自分たちでなんとかして」


「ああ…この人は本当に駄目かもしれない…「だからさっきからそう言っている「駄目な人だけどお菓子くれるから好き」


「──ちょっとカゲリ?今なんて言ったの?ナディに向かって好きって言った?しかもタメ口?」


「ライラ、そういうのは後にして」


「──ああ、盛り上がっているところ失礼する」


「誰?」

「オリジンの人?」

「ラジルダ様の部隊の人ではありませんよね…」

「ああ、ルカ…」

「ウィゴー!いつまでもメソメソするな!泣いたところでルカは戻らないんだぞ!」


「本来であればこうしてコンタクトを取ること自体が違反行為なのだが…「それさっきも聞きましたから「そ、そうか…子供を攫った機体を取り押さえたいと部下から聞いたのだが…具体的に我々は何をすればいい?」


「あなたがさっきの子の上官ですか…作戦についてはかくかくしかじかです」


「それだけは勘弁してくれないか…?さすがに兵装の使用は言い逃れができないんだ…」


「いやほんとお願いします、ガチで困ってるんです」


「そう言われてもだな…」


「もし使わせてくれるならタイタニスであなたたちを運ばせます、きっとこのままでは帰れないんですよね?」


「タイタニス?あの建造用に生産された旧世代のマキナに?」


「旧世代?」


「あ、いや、何でもない…それはそれでとんでもない恥を晒すことになるんだが…ううむむ」


「なら、自分たちのプライドを守るためにハワイで生涯をとげますか?今から戸籍を登録させましょうか?」


「ま、待ってくれ──ドローンだけでいいんだな?」


「それはこれからの状況次第なので約束はできません」


「ううむむ…なら、君たちから要請があったから兵装を使用した、という証言を残したい、動画でも録音でも構わないから」


「別にいいですよ」


「え?いいのか?失礼だが、君はあのセブンス・マザーを引き起こしたパイロットなんだろう?」


「──ヴィスタさん?ポンコツってこういう人たちのことを言うんですよ?わざわざ聞かないであげたのに、ヴァルヴエンドからやって来ましたって自白しましたよ「ああ!しまった…」


「類は友を呼ぶと言うだろう」


「それ言われたら何も言い返せねえ」

「いやちょっとは言い返してくださいよ、これ以上私に駄目なところを見せないでください。余計好きになっちゃう」

「カゲリ、そういう事はライラ様の前で言わないように」

「オハナ?帰りにちょっと私の家に寄ってくれる?言いたいことがあるわ」

「ああ、ルカ…大丈夫かな…」


「へ、兵装を使用したからといって成功するとは限らない、そこだけは了承してほしい」


「分かっています、責任はこちらにありますからご安心を」


「なんか急に頼もしいこと言った」

「さすがは元国王」

「ナディ様も捨てたものではありません」


「じゃ、そういう事だから皆んなよろしくね。責任は皆んなで分担するものです」


「やっぱりな」

「褒めて損した、あとでお菓子を貰わないと気がすまない」

「いつもの事です」


「作戦開始!」





「ラジルダさん、この人たち大丈夫なんですかね」


「駄目じゃないか?普通に考えて。お前は撤退ラインを見極めてくれ、こっちは言い訳を考えておく」


「了解しました」


 高高度と低高度では、視界に映る雲の様子が違う。俺たちの街からは雲を見下ろし、このハワイの海から雲を見上げる。高度の違いで発生する雲の種類も異なるし、何より景観が違う。

 俺は自分の街が好きだ、だがここも悪くはない。


(このまま基地へ帰投したいんだが…こんな部隊と作戦を遂行しなければならないのか)


 向かい風の影響で機体のスピードが思うように出せず、ギザギザ雲の群れと並行しながらハワイの部隊の後を追いかける。

 あんなに足並みが揃っていない部隊は初めてだ。聞けば全員民間人らしく、軍人としての訓練を受けてきたわけではないらしい。

 風を読み間違えたら俺たちも失敗の責を取らされる羽目になる、慎重に行こう。


(確かに子供は心配だが、俺も少なくないパイロットを預かっている身なんだ、許してくれ)


 子供を攫ったパイロットが潜伏していると思しき場所は当初の作戦空域より距離は離れておらず、二つの山を飛び越えた先にあった。潜伏場所は海の上を漂う見たこともない施設であり、ハワイの人たちが再利用するために改修工事が進められている所だ。

 ここ(ハワイ)に赴任してもう一年近くなるが、まだまだ海は慣れない、穏やかだったり荒んでいたり、自然は気紛れだ。


(アオラが言っていた通り、海に慣れる者とそうでない者に分かれる)


 この場合の"慣れる"とは、シリンダー・ショックを発症するかしないか、という事だ。俺は()()にも発症しなかった、だからこうしてハワイに駐屯し続けている。

 ただまあ、部下たちは順応性が高いようで、非番の日は海へ泳ぎに出かけているようだ。大自然の中で行なうアウトドアリラクゼーションはどうやらその効果が高いらしく、部下たち曰く「もうリニアの湖じゃ満足できない」らしい。

 その部下から報告が上がった。


「後方より熱源多数接近中」


「──ああ、了解した」


 どうやら考え事に没頭していたらしい、自分が置かれている状況を忘れていた。

 

「これ、多分ですけど無人機じゃありません?彼ら、本当に協力してくれるみたいすね」


「そうみたいだな」


「もうちょっと興味持てないんすか?なんですかその他人事みたいな返事の仕方は」


「実際他人事だ、今回の一件は俺たちに介入する義務はない、折を見てアオラから話を付けてもらうよう依頼を出す」


「はあ〜」


「なんだその溜め息は?これでもお前たちを一番に心配しているんだぞ?」


「これだから昔の人間は…ビーストがどうだったか知りませんけど、若者にも冒険させたらどうなんすか」


「お前な…危険な目にわざわざ遭わせる必要があるか?」


「リターンってリスクが付きものですよ?」


「馬鹿なことを言っていないで監視に努めろ」


「全く、ビーストにビビり過ぎ」


(それはビーストと戦ったことがないからだ)


 俺の部隊にも若い世代のパイロットが入隊するようになってきた。こいつらはビーストを知らず、その怖さを経験することなく軍人になった。

 世代間格差、というものだろうか、命の危険と隣り合わせで戦ってきた俺たちと違って、こいつらは圧倒的にその危機感が足りない。だが、それも無理もないことなのだろう。


(だからと言って俺たちの辛さを経験させるつもりもないが)

 

 必要な事は伝え、不要な事は伝えなくていい、そうやって世代交代を繰り返し、より綺麗により強固にしていけば良い。

 報告があった無人機の数はぴったり五〇機、その数からして人型機ほど大きさではないのだろう。支援機だろうか?

 別の部下から報告が上がった、無人機が我々の視界に入ったようだ。


「た、隊長!蜘蛛が飛んでますよ!」


「そりゃ雲だから空を飛ぶだろう」


「それはクラウド!私が言っているのはスパイダー!」


「なに?」


 嫌な予感。

 俺もそのスパイダーとやらをモニターで確認した、嫌な予感は外れた。


「なんだこれ?俺はてっきりクモガエルかと…」


「なんすかねこれ。こんなんで本当に戦えるの?」

「これなんかで見たことある」

「なに?」

「なんだっけ──あ!そうそう!ファージっていう奴だ!」

「なんそれ」

「私も分からん。隊長、ファージってなんです?」


「お喋りは控えろ。それからファージはウイルスだよ」


「ウイルスってなんです?「冗談だろ?「嘘ですよ、ウイルスぐらい知ってます」


 戦場で冗談は口にするものではないんだが...

 俺たちの部隊より後方、そこから奴らが現れた。部下が言った通り奴らはファージというウイルスに似ており、一塊りとなって目的地へ向かっていた。

 ファージの外観は蜘蛛と似ており、蜘蛛と違って頭がなく筒のような腹を持っている。

 危機感が無い、というより緊張感を持っていない部下がなおもお喋りを続けた。


「あのお腹の中にヤバい細胞が入ってるんでしょ?他の細胞にそれを打ち込んで自分の分身を作るんだってさ、コピーされた細胞は跡形もなく消え去るらしいよ」


「なにそれヤバ」


「あれこそ究極の形かもしれないね、あの足ならどんな相手でも取り付くことができるだろうし、後はお腹のシリンダーをズドン!と打ち込めばこっちの勝ちよ」


「なにそれヤバ」


「さっきからそればっかりじゃん」


「なにそれヤ──そんな事ないよ?」


「興味が無いのバレバレ、生返事ばっかり」


「だってすごくどうでもいいし」


「お喋りは止めろと言ったはずだ、集中しろ」


 無人機の群れが俺たちの部隊を追い越し、この強風の中でも速度を上げていた。

 セレンの島が見えなくなった頃、俺たちの視程に目的地が収まった。

 先に展開していたハワイの部隊から連絡が入る。


「お疲れっす、ちょっと一旦待機でお願いします」


「あ、ああ…騒ぎを起こしているパイロットは?あの海の上に浮かんでいる施設の中か?」


「たぶん?」


(なんで疑問系なんだ…)


 俺が変なのか?部下もそうだがハワイの連中も気が抜け過ぎている。


「まずは降伏するように呼びかけます、無視られたら突撃で」


「攻撃しても構わないのか?」


「あ〜…まあしゃあないっすね、空の上でやられたら本人も本望でしょ」


 そこでその件のパイロットから通信が入った。


「本望なわけないでしょ!!私は空を自由に飛び回りたいだけ!!」


「フランちゃん!!なんで今の今まで通信無視ってたの!!お陰で大変な事になってるんだよ!!」

「ルカは?!ルカは無事なの?!」

「フラワーズ!さっさと観念してお縄につけ!」

「フラン様ヤバいですって、早くごめんなさいしたほうがいいですよ」

「言っておくけどごめんなさいじゃ済まないからね?!機体の無許可改造に子供の誘拐!有罪確定だから!」


 スピーカーから耳を覆いたくなるような大声がいくつも届く、あまりに馬鹿馬鹿し過ぎて俺は大きな溜め息を吐いた。


(身内の揉め事に巻き込まれているだけじゃないか…)


 施設の周辺をハワイの機体がぐるりと旋回し、子供を誘拐したパイロットを捜索している。俺たちはその様子をただ眺め、事の成り行きもただ見守っているだけだ。


「観念して出てこい!今ならまだ間に合うから!」


「有罪確定って言っておきながらそんなわけがないことぐらい分かるわよ!──私の希望は部隊に配属してもらうこと、ただそれだけよ。──こんな簡単な事がどうして叶わないの!」


「だからってルカ君まで連れ去ることないでしょ!「ルカを返して!「言っておくけどあのリスの皮を被ったライオンが倒れたんだからね?!」


「はん!ルカなら私の足元に転がってるわよ!」と、パイロットは傲岸不遜に言ってのけるが、その前に小さな声で「ガチ?」とちょっとだけビビった様子を見せた。


「ルカを返してほしかったら…分かるわよね?あの頭でっかちのマカナに言って!」


「え?ほんとに?そこまでしてパイロットを続けたいの?」


「続けたいからここまでやったのよ!今さらあとに引けないわ!」


「はあ〜〜〜」と、ナディ・サーストンが俺と同じように大きな溜め息を一つ。


「分かったよ、私の方からも言ってみるから、今はとにかくこっちの指示に従って」


(一旦折れるのが定石だろう、味方同士で撃ち合ってもろくな事にならない)


「ふん、分かればいいのよ分かれば」


 その言葉と同時に、潜伏していたパイロットが姿を見せた。どうやらハワイの機体は潜水機能も有しているらしく、海中から水飛沫を上げながら赤い機体が空に現れた。

 赤い。鮮烈な、あるいは目に焼き付くような不吉さがあるカラーリングをした機体だった。

 和解に終わったように見受けられるのに、まだ一抹の不安感が拭えない。

 俺の予感が的中したかのように赤い機体、ヒルド・ノヴァが何も無い空間から武器を取り出してみせ、徐に構えた。


「フランちゃん?」


「──ま、どうせそんなこったろうと思ってたけど。その後ろにいる奴らは何?」


「何って──ああ!待ってこれは違うの!」


(もうぐだぐだ…)


 部下からプライベートチャンネルで通信が入る。


「隊長!」


「ああ、ここいらが引き際だろう、これ以上身内のごたごたに──「ファージにロックオンされています!」


 慌ててカメラを切り替えて後方を確認する、ファージの一体が部下の機体に取り付いているところだった。





「た、隊長…これは一体…」


「わ、分からない…設定ミスではないはずだが…」


「お、俺たち、協力関係を結んだパイロットを背後から襲ったことになりますよね…?」


「ああ、戦士としてあるまじき行為だ…」


 風を読むとか、そういう次元の話じゃない、背後から突風が急に吹き付けて転倒するようなものだ。

 隊長の顔が青白い、想定外の事態に戸惑っているのだ。

 かく言う俺もそうだ、いくら現地人とはいえ、協力を約束したのにそれを背後から闇討ちするような形で反故にするだなんて...

 原因は分からない、何故ドローンがこちらの指示を無視して違反行動を取ったのか。

 だが、答えはすぐに分かった。

 ディファーから連絡が入った。


「失礼致します、ガラド。あなた方の遠隔ドローンはこちらで掌握させていただきました」

 

「どういう事だ?俺たちの遠征任務には関与しないはずだ」


「自由には責任が伴うという事です、新造されたガラドを使いながら無手で帰らせるわけにはいかないのです」


「何が言いたい?」


「あなた方が乗っている潜水体はリガメル社にオーダーメイドで作らせた物、つまり膨大なお金がかかっているのです。そのお金が旧体制でいう税金で賄われているのであれば問題はなかったのですが…」


「それで規約を犯したのいうか?」


「それはあなた方も同じですよね?潜水体復旧のために就業規則を違反しました。──ハワイの情報は高値で売れるのです、その買取金が無いと潜水体に支払った金額をペイできないんです」


「それでこんな真似を…」


「どうかお許しを。現地機体の一つでもデータ回収ができれば即座に撤退する予定です」


「……………」


「ご理解ください」


 そう言い残し、通信が切れる。

 やはり、この潜水体は遠征任務のために作られた物だった。俺たちはその潜水体に乗り込み、危うく任務を失敗させるところだった。


「隊長」


「ああ、仕方がない、本部の意向には逆らえない。火器管制システムを立ち上げろ、ドローンを援護するぞ」


「…了解」


 子供は?向こうとの約束は?様々な疑問が脳裏に浮かぶが、それらを押し殺して俺は席につき、指示された通り管制システムを立ち上げた。

 遠隔ドローンは全部で三〇機、そのうち一機が現地機体に接触し、そのうち二機が別の現地機体によって破壊されている。

 

(容赦がない…それに…)


 遠隔ドローンの身長は約三メートル、人と比べたら随分と大きいが、人型機と比べたら随分と小さい。その小さな遠隔ドローンを向こうはほんの瞬きほどで二機撃墜している。戦士としての腕は確かなようだ。

 

「……………」


「クルカン?何かあったのか?」


「──ああ、いえ、なんでもありません」


 自分の名前を呼ばれ、深い思考から現実に引っ張り出された。


(いけるか…?いやでも、この作戦自体がそもそも…それにあの人を信じるのなら…)


 戦士としての腕は確かな部隊が次々に遠隔ドローンを破壊していく。動き回る小さな的を寸分の狂いもなく撃ち抜く、それも一機だけでなくほとんどの機体が、だ。

 これではこちらの目的を果たせない、現地機体に取り付いていた遠隔ドローンもいつの間にか破壊されており、全ての機体がドローンを警戒して距離を保っている。


(ディファーから権限を取り戻すには…オーディンを回避しないとすぐにバレる…いや、これならいけるか?)


 俺はこの時、初めて指示に逆らった。指示を守っていたら任務が失敗すると判断したからだ。

 風を読んだ、と言ってもいいかもしれない。





 ロボットみたいな空飛ぶ蜘蛛と悪戦苦闘を繰り広げていると、一体ずつだがその動きが鈍り始めた。


「ん?」


 向こうの様子の変化に皆もいち早く気付き、「燃料切れかな」とカゲリちゃんがいつも通りの声で言った。


「今のうちにさっさと落としましょう、何かと張り付いてあのお腹の針をこっちに打とうとしてきますから」


「打たれたらどうなるんだろうね」


「どう考えても機能不全に陥るだろう「いきなり下ネタは止めてください「いやそういう意味ではない、機体がまともに動かせなくなると言っているんだ」


(それもそうか。そんな機能があるならあの蜘蛛をフランちゃんにぶつけたいんだが、実際にその機能があるのかは分からない)


「カゲリちゃん、ちょっとあの蜘蛛に打たれてきて「いやふざけんなガチで」


 動きを止めたのはほんの数秒ほどで、止まっていた蜘蛛から順次動き始めた。一体なんなの?その蜘蛛たちは私たちに目もくれず、石油プラットフォームの方へ向かい始めた。


「いやほんとなんなの?狙いを変えた?」


「誰に?──もしかしてフラン様?」


「だとしたらなんで私たちを狙ってたの?」


「さあ?」


「ラジルダさん、そちらは大丈夫ですか?」


「──ああ、パイロットは無事だ。ただ、機体のコントロールができなくなっている、オートパイロットで基地へ帰投させるつもりだ」


「どうして…やっぱりあのお腹に何か仕込まれてたのかな」


「直接ウイルスをぶち込んだんですかね。有線接続でウイルス流されるのが一番厄介」


 強い風によって流されたのか、この辺り一帯に揺蕩っていたギザギザ雲が消え、薄い青空が眼前に広がっている。その中を空飛ぶロボット蜘蛛が駆け、その後を私たちが追いかける。

 プラットフォームに陣取り、姿を隠していたフランちゃんが再び現れた。


「やっぱり私が狙いだったなのね、まあいいわ、ちょっと物足りないけど相手にしてあげる。ル──こほん!いくわよ!」


 え?今のわざとらしい咳払いはなに?

 姿を見せたヒルド・ノヴァが高度を上げ、ロボット蜘蛛を迎え撃つ形で武器を構えた。

 隠れていれば良いものを、空を飛ぶことが好きな彼女は戦闘を選んでいた。

 そして私も皆んなに向かって指示を出した。


「よし!全員攻撃開始!」


「え?どっちを?」


「フランちゃんに攻撃開始!!」


 非難轟々。


「ここに来て仲間割れってどういう事だ!だったら俺たちまで巻き込むな!」

「ラジルダ様の仰る通りですナディ様、けれどそんな予感がしていたので大して驚けない自分が憎いです」

「驚けないって言葉初めて聞いた」

「ナディちゃん?!ルカが乗ってるんだよ?!──え?そんなにうちのかみさん憎んでたの?」

「フラン様を墜としたらお菓子どれくらい貰えるんですか?!」

「蔵が建つほどくれてやるからフランちゃんの動きを止めて!」

「よし来た!フラン様を墜としたら蔵が二つ建つ!「──いやそういう事じゃないから!「カゲリちゃんやめて!動きを止めるだけでいいから!」


 動きを止めるだけでいいって言ってるのに、カゲリちゃんが絶殺(ぜっころ)態勢で突っ込んでいく。

 そのカゲリちゃんをハワイ最強のイかれたパイロットが迎え撃つ。


「あんたがこの私に勝てるとでも思ってんの?」


「お菓子の為ならかつての主君だって絶殺よ!」


「舐められたもんね!」


 カゲリちゃんの機体の背後にファージが列を作って追従する、どうやら狙いはヒルド・ノヴァで間違いはなさそうだ。

 ハワイ随一のお菓子好きを援護すべく、私たちも武器を構えてトリガーを引く。ヒルド・ノヴァに被弾しないよう、けれどなるべく動きを阻害できるように狙いを付ける。

 複数の射線に囲われ逃げ場を失ったヒルド・ノヴァが、カゲリちゃんの機体を正面から捉える。

 勝負は一瞬だった。

 カゲリちゃんの負け、脳天にコンクリートの柱を叩きつけられて瞬殺(しゅんころ)だった。


「そんな──もう何年も戦っていないはずなのに!」


「はっ!戦う者はいつだって剣を手入れしているものなのよ!──しまった!」


 カゲリちゃんは駄目だったがファージはなかなか優秀なようで、勝利に浸っていたヒルド・ノヴァの背後から取り付き、お腹のシリンダーを素早く機体に打ち込んでみせた。

 

「よし!あとはフランちゃんをとっ捕まえるだけ──ん?」


 ヒルド・ノヴァの動きは確かに止まった、柱を抱えた腕部はだらりと地上へ向けられ、ただホバリング飛行をしているだけだ。

 だが、コクピットハッチが開いたのだ。

 そして中から元気いっぱいの小さな男の子が出てきた。


「ルカ〜〜〜!!」


 スピーカーから音割れするほどの叫び声が届く。


「ナディ様!早く救出を!」


「分かってる!オハナはウィゴーさんの機体を支えて!多分気絶してるっぽい!」


「了解しました!」


 無理もない、自分の子供がこんな高高度で外に晒されたら気絶ものだろう。私もレイアが同じ目に遭ったらおそらく正気を保てない。

 けれどさっきも言ったけど、機体から出てきたのは元気いっぱいなルカ君なのだ、そう、まるで落ち込んでいる様子はないし、なんならコクピットから離れて頭部へよじ登ろうとしている始末。

 オハナは高度を落とし始めたウィゴーさんの機体へ駆け寄り、私たちはヒルド・ノヴァへ急行した。ロボット蜘蛛になんかされたヒルド・ノヴァはじっとしており、けれど通信は生きているようだった。


「フランちゃん、悪いけどしっかりと罰は受けてもらうから」


「もういいわよ、好きにして、私の負けだわ。あんな小物に勝った程度で浮かれてしまったんだもの」


「どうしてルカ君を攫ったの?」


「攫ったんじゃなくてこの空を見せてやりたかったのよ。私もさすがにルカも泣くかなと思ったけど、コクピットの中でずっとはしゃいでいたわ、現に今も外へ出てったし」


「はぁ〜〜〜まったく………」


「悪いけどルカのことよろしく、この足じゃ追いかけられないわ」


 スピーカーからフランちゃんのいかにも反省してます、みたいな元気のない声が届いてくる。

 届いてくるんだが...


「ねえ、なんかさっきからずっとカタカタって音が聞こえるんだけどなにかな?」


「──え?さあ?ハッチが開いてるから風の音じゃない?」


「まさかまだ何か企んでるわけじゃないよね?」


「…………」


「フランちゃん」


「ああ、これはノラリスと同じハッキング用のプログラム…背部ユニットに感染しているだけなら…ここをパージして…」


「フランちゃん!」


「よし!これならまだ飛べる!」


「フランちゃん!勝手に後付けのインターフェースを持ち込んだな?!」


「は!ここまでやったこの私がこんな所で諦めるわけないでしょ!」


 この子ガチでやべえよ、もう付いていけない。

 ルカ君の救助がまだ終わっていないのに、フランちゃんはどうやら飛行ユニットの切り離しを行なうようだ。そのユニットはロボット蜘蛛が取り付いている、感染したというプログラムごとパージするのだろう。ほんとヤバい。

 ルカ君がヒルド・ノヴァの頭部を登り切った、あの子もヤバい、この強風の中でよく飛ばされないものだ。

 飛行ユニットに取り付いていたロボット蜘蛛に変化があった、その鋭い脚部の一本を持ち上げヒルド・ノヴァの頭部へ持っていく、てっきり離されまいと移動を開始したのかと思いきや、その鋭い脚でひょいとルカ君を持ち上げた。


「あああーーー!!!あ?お腹の中に入れた?」


「もしかして…あの蜘蛛は救助用のドローンとしても機能するのでしょうか?」


 ロボット蜘蛛が幼い子供の命を...と思ったのだが、なんとシリンダーの中へひょいと入れたではないか。

 ここで一瞬だけ裏切ったヴァルヴエンドのパイロットから通信が入る。


「もうここまでが限界だ!これ以上の介入はできん!子供も救助したんだからあとは自分たちで何とかしてくれ!」


「色々言いたいことありますけどとりあえず感謝します!最寄りの基地まであの子を運んでください!」


「子供を収容したドローンはそのままお前たちにくれてやる!その代わり約束した通りハワイについて教えてもらうぞ!」


「お安いご用!ご助力感謝します!」


「感謝されたくてこんな事やったわけじゃ──おい!赤い機体が動き始めたぞ!」


 飛行ユニットをパージし、コントロールを取り戻したヒルド・ノヴァが緩かに上昇を開始した。

 まるで舞台役者のようだ、優雅に広げた両腕の周囲には、どんな武器にも変化できるナノマシンが漂っている。

 ヒルド・ノヴァの狙いは──ヴァルヴエンドのパイロットたちだった。


「ああ?!なんかこっちに向かって飛んで来たんだが?!狙いは俺たちなのか?!」


「今すぐそこから逃げて!あの子に勝てる人類がここにいない!」


「そんなふざけた話が…こっちは動けないんだよ!」


 そうだった。


「ナディ様!もう間も無くタイタニスが到着します!」


 そうだった!


「タイタニスがもうすぐそっちに到着します!恥をしないで今は助けてもらってください!」


「ああ、そうさせてもらう!」


 飛行ユニットをパージしても、ヒルド・ノヴァは不自由することなく空を駆ける。その後ろ姿は飛行ユニットが無いことも相まって、喜んでいるようにさえ見えた。

 本当に飛ぶことが好きなのだろう。


(う〜ん…これは何かのタイミングでノラリスに乗せてあげた方が良いかもしれない…)


 勝てる自信は全くないが私たちもヒルド・ノヴァの後を追いかける。強い風に吹かれ、素知らぬふりをしていた雲たちが居なくなり、晴れ渡った空にそれが立っているのが良く見えた。

 タイタニスだ。

 私は念のためタイタニスに声をかけた。


「タイタニス!そっちにヤバいのが来るから気を付けて!」


「叩き起こされたかと思えばヤバい奴とは…本当に人間は飽きさせない」


「いやほんとにヤバい奴だから!」


「分かった分かった、こっちで何とかする」


 ぞんざいな言い方だ、本当に分かっているのだろうか?

 だがまあ、タイタニスとヒルド・ノヴァを比較してみて、自分が心配し過ぎているだけかもしれないと思えてくる。

 圧倒的な差である、相対距離の感覚が狂ってしまうほど巨大なタイタニスに対してヒルド・ノヴァは豆粒だ、タイタニスの近くをのんびりと揺蕩っている雲より小さい。

 小さいのだが...

 拭えない不安と葛藤していると、カゲリちゃんから通信が入った。


「さすがにもう大丈夫でしょう、私たちは基地に帰投してルカの安否を確認致しましょう。あとお菓子」


「う〜ん…私もそう思うけど…あのフランちゃんだよ?巨人狩りだ〜!とか言って戦いを挑みそうじゃない?」


「たとえそうだとしてもあの巨体を制圧するのは不可能でしょう。早くお菓子ちょうだい」


「それもそうか。──よし!あとはタイタニスに任せよう!「いやもう焦らさないで〜」


 カゲリちゃんの甘い拗ね声を聞き流した私は、早速救助活動に入ったタイタニスを注視した。というか今ここでお菓子を渡せるわけないだろ。

 タイタニスはとても大きいマキナである、身長は数千メートル(ホワイトウォールのてっぺんに届くか届かないかぐらい)ほどあり、そんな超巨体が足の一本でも動かせば簡単に津波が発生してしまう。

 彼─と、言ってよいのか微妙だが─の足元で難破している彼らは大変である、まるで天変地異のような波にどんぶらこと揺らされているのだから。

 通信スピーカーから彼らの悲鳴が届く、普通に可哀想、でも自業自得。


(ハワイを偵察しに来たってことはやっぱり塔主議会絡みかな…なんかヴァルヴエンドだけ除け者にされてるっぽいし)


 それでコソコソするのもどうかと思うが、かと言って議会側から積極的に交流を持ちかけているわけでもない(らしい)。

 揺れる船に悲鳴を上げ続ける彼らが、タイタニスの手のひらの上に収まった。掬い上げるような形で動かぬ船を救助したのだ。


「どこまで運べばいい?」


 タイタニスからの通信ではっと我に帰る、どうやら気が抜けていたようだ。


「本人たちに訊いてくれる?多分どっかにランデブーポイントがあるはずだよ」


「人使いの荒い国王様だ」


「あははは、よく言われたよ「そこ笑うところじゃない」


 カゲリちゃんの突っ込みは聞き流しつつ、今度はフランちゃんの動きに注意を払う。

 ヒルド・ノヴァはお得意のコンクリートを構えており、一直線になってタイタニスへ向かっていた。

 案の定だった。


「一度やってみたかったのよね巨人狩り!その膝を折ってあげるわ!」


 ヒルド・ノヴァはコンクリートの先を海へ向けたままの構えでタイタニスへ接近し始めた。


「フラン様、根っからの戦闘狂ですが冷静さを欠いたことがあまりないんですよね」


 タイタニスもヒルド・ノヴァの接近に気付いてはいるだろうが、とくに注意を払っている様子は見受けられない。

 まあ、小さな羽虫が近付いてきたな、程度なのだろう、私たち人間も視界に虫が映れば追い払うが、自分から羽虫を追いかけるような真似はしない。


「何でそんなことが分かるの?」


「あの構えは防御姿勢の一つなんですよ、上段に対する攻撃と周囲の警戒を行なう時に使う構えです」


「ほ〜ん、つまり無闇に突っ込むんじゃなくて本気で勝つつもりでいると?」


「そうみたいですね」


 あの人ほんと頭おかしい、と小さく呟いた声がスピーカー越しに届いてくる。私もそう思う。

 絶対 ()るウーマンと化したフランちゃんに対し、タイタニスはやっぱりノーガード、のんびりとした速度で西方面へ進んでいた(後で聞いた話だが結構急いでいたらしい)。

 接近しても反応が無いと知るや否や、ヒルド・ノヴァが下段の構えのままさらに接近、逆袈裟斬りの要領でタイタニスへ攻撃を開始した。

 

「タイタニス?今攻撃されてるけどどう?」


「どうと言われても、お前は自分の体に蚊が当たったとして何か思うことがあるのか?」


「いや刺されたら嫌だけども」


「何も感じない、このまま指定されたポイントへ向かう」


「了解」


 まあ、そりゃそうか、蚊に刺されたらさすがに体は反応するけども、ぶつかった程度では何も感じない、タイタニスも同じという事だ。

 刺されたら、か。


(嫌な予感)


 タイタニスの無事を確認した他のメンバーたちは転身して基地へ進路を取っていたが、私は慌てて呼び止めた。


「ちょ、ちょ、もうちょっとだけ様子見ようよ」


「うん?見る必要があるか?さすがの戦闘狂もアレには勝てんだろう。現にタイタニスから、攻撃を受けても何も感じないと返答があったではないか」


「いやそりゃそうなんですけどね、ヴァルキュリアお手製のあの何でも武器で何かしでかさないかと心配で…」


「しでかしたところでな…」と、ヴィスタさんから気の抜けた返事が返ってくる、まあ言いたいことは分かる。


「俺たちの手ではあいつを止められない、何かしでかしたところでどのみち傍観するしかないだろう」


「ヴァルヴエンドからやって来た人たちの救助はできますよね?」


「義理堅いんだな、侵入者に悩まされていたのに今度は侵入者を助けようと?」


「助けておかないと後々問題になるんですよ」


 基地へ進路を取っていたヴィスタさんの機体が徐々に速度を落とし、ホバリング飛行へ移った、どうやら私の言う事を聞いてくれるらしい。

 ヴィスタさんが口を開く前から、私の方から先にお礼を言った。


「感謝します」


「これで貸しだからな、高くつくぞ「ああじゃあいいです、今すぐ帰ってください」


 なんて冗談を言っている間に、ヒルド・ノヴァの動きに変化が起こった。

 コンクリートを細かく分解し、流動性可変型兵装を未電荷状態へ移行させた(説明を聞いたことはあるけど原理についてはよく分からん)。

 細かく分かれた兵装がコンクリートから形を変え、全長数十メートルはあろうかという杭を作った。

 そう、杭である、それも何十本とフランちゃんは作っている。


「嫌な予感しかしねえ!」


「ナディ様がついに奇声を…「いつかはこうなると思ってた「前からじゃないか?」


 オハナ、カゲリちゃん、ヴィスタさんの失言を無視し、私は三人へ杭を破壊するよう指示を出す。


「あの杭を壊してきて!きっとあれをタイタニスに打ち込むつもりだから!」


「いやそれは分かってるが、打ってどうなる?毒が仕込まれているのならまだしも、毒まで生成できる機能はアレにないだろ」


「──それもそうか」


「ナディ様、少し落ち着いてください、特殊な状況下で精神が高揚するのは常ですが、冷静さを欠いてしまったらまともな判断ができません「この人がいつまともだった?「──カゲリ!いい加減にしなさい!──ヴィスタ様が仰った通り、フラン様が動き出してしまった以上、私たちに止める手段はありません、いざという時に体力を温存しておくのが賢明かと思います」


「分かった、そうしよう。──カゲリちゃん、ちょっと話あるから覚悟しておいて」


 いやそんなもう冗談に決まってるじゃないですか〜!と、今さら甘い声を出してきたカゲリちゃんの通信をシャットアウトする。

 杭、あれは所謂"パイルバンカー"と呼ばれるものだろう。金属製の杭を高速で対象物へ打ち込み、物理的な衝撃で破壊する兵器だ。

 相手はあのタイタニスだ、特個体ならひとたまりもないあの杭を受けたところで、刺さりはするだろうが重大な損傷には繋がらないだろう。

 うん、だから大丈夫、と自分にいくら言い聞かせたところでこの不安が胸から去ってくれない。

 ヒルド・ノヴァは生成した杭を次から次へとタイタニスへ打ち込んでいく。打ち込んでいる箇所は弱点となりそうな頭部ではなく、胴体と下半身の中間、腰の辺りだった。


「なんであんな所に打つの?」


「さあ…頭部へ打ち込めばまだダメージを期待できそうな気もしますが…」


 何を考えてフランちゃんはあんな事を...

 タイタニスの動きに変化があった。我関せずと歩みを進めていたが、タイタニスがその巨大な腕を無造作に振り始めたのだ。


「さすがに鬱陶しい?」


「見ていないで止めてくれ」


 タイタニスの腕の振りは遅い、だがその大きさが桁違いなのでフランちゃんからしてみれば山そのものが襲ってくるようなものだ。

 だが本人は普通に避けている、山が相手でもどうということはないらしい。

 空にも変化が訪れた。ギザギザの雲が強風によって駆逐され、変わりに灰色の雲がその姿を見せ始めた。

 ──ピンと来た、それこそ雷に打たれたように。


「──フランちゃんまさか!この雨雲を呼んでたの?!」


 タイタニスの腰辺りを飛び回っていたヒルド・ノヴァが次の狙いを付けて高度を上げる、向かった先は──


「タイタニス!首を守って!」


「首だと?──神経が狙いだったか!」


 首、それから腰には多くの神経が通っており、少しでも損傷するとそのダメージが全身に行き渡りやすくなってしまう。

 その人間にとっても重要な箇所にフランちゃんは杭を打ち込み、そしてこの雨雲である。

 西の空から広がり始めていた雨雲に雷鳴が轟き始めた。


「気付いたところでもう遅い!打ち込んだその杭が良い感じの避雷針になってくれることでしょう!さすがの巨人も数億ボルトの雷には耐えられまい!」


 タイタニスはこれ以上杭を打たれまいと自らの頸椎を手で覆っている、けれど相手が相手だ、小さな隙間からいとも簡単に突破し、首にも杭を打ち込んでみせた。


「私は幸運な女の子!どんな時でも運は私を見放したことは──ない!」


 ない!のタイミングで雷が落ちた、本当に雷が落ちましたよ。

 地球の大空に揺蕩うその大きな雲の中、色んな物が擦れ合って蓄積された電気が、本来は通さないはずの空気の中を通ってタイタニスへ落ちた。

 その威力は計り知れない、あのノラリスですら一発で沈黙するほとだ。落雷を浴びたタイタニスもその動きを止め、そして動かなくなった。

 それだけならまだしも、あの山と見紛う巨体がゆっくりと...


「あれ倒れたら洒落になんねぇ!」

「もう無理なのでは?」

「私たちには見ていることしかできません…」

「フランの勝ちだな」


 倒れゆく巨人からも賞賛の通信が入った。


「大したものだ、打たれた杭のせいで体がまともに動かせない。フラン・フランワーズと言ったか、お前の勝ちだ」


「いよっし!後でルカに教えてあげないと!私に倒せない者はいないってね!」


 よし!じゃないんだよ。


(これ、セレンにも被害が出るだろうな〜、良かった国王辞めてて、マカナは今日から泊まり込みかな)


 散々人に迷惑をかけ続け、挙げ句の果てには特個体一機で数千倍の体積を持つ相手に勝ったフランちゃんは、曇天の下で呵々大笑としている。

 一方、負けを認めたタイタニスは棒立ちのまま海へ倒れていくところだった。何か忘れているような。


「おい、侵入者たちは?」


「あ〜」


 そのまま基地へ帰投しようと思ったんだけど、皆んなに「逃げるな!」と怒られて結局ヴァルヴエンドの人たちを捜索することになった。

 二人とも生きてました、魂が抜かれたみたいに生気がなかったけれども。



 全て内々で、という話で彼らと合意に至った。

 ここで言う"彼ら"とはここにはいないヴァルヴエンドの人たちも含める。

 デスクの上に置かれたタブレットから、若い女性の声が流れてくる。今回の作戦で協力─あるいは被害を受けた─彼らの上官だ。


「ご配慮感謝致します、これで本国へ帰還しても罰せられることはないでしょう」


「こちらこそ、あなた方のお陰で無事に解決することができました。確認ですが、こちらの基地に置いていったあのドローンは本当に貰っていいんですか?」


「構いません、むしろ所有している全てのドローンを差し上げたいぐらいです「いやそこまではいらない」


 縮小法が可決されてからすっかり通わなくなったハワイの基地、その中の会議室に私たちはいた。

 会議室の隅には引っ越し用の段ボールが詰まれ、同じように隅へ追いやられたテーブルで彼らと向かい合って座っている。

 一人は中年の男性、そしてもう一人が作戦中に対面したあの若いパイロットだ。

 その二人は口を挟まず黙し、私たちのやり取りをただ見守っている。


(顔をほっこりさせやがって…こっちはくそ忙しかったっていうのに)


 そう、この二人はこの数日ハワイに滞在しており、疲れきった顔から生気が戻ったどころか思う存分観光を楽しんできたようである。

 まあ、後々問題にならないならそれに越したことはないが、なんかなあ、って感じだ。

 

「そうですか…誘拐にあった子供は?緊急だったとは言え、救助用ポッドに収容したと報告を受けています。あれはどちらかと言えば大人用ですので、何かしらの怪我をしていないかと心配で…」


「──ああ」ほっこりの二人組から視線を外し、再びタブレットを見やる。


「問題ありませんよ、身体と精神に何ら外傷は無いと診察が出ましたから。あの子は私も知っているのですが、とにかく泣かない頑丈で元気な子供なんですよ」


「そうですか、それなら良かったです。あ〜…そうですね…」と、女性が声を泳がせる。


「まだ何か?」


 対談が始められた当初はスムーズに話していたのだが、議題があらかた終わったあとからこんな感じなのである。無理やり話を繋げているような、向こうが頑張って話題を作っているような感じだ。


「あ、いえ、大した事ではないのですが…」


「申し訳ないのですが他にも用事がありまして、いたずらに時間を延ばされるのはちょっと…」


「あ、もう恥を忍んでお願いがあるのですがいいですか?」


「え?」


「アスカ・久々宮(くぐみや)・アスランは良く出来た人だ、と言ってください」


「はい?」


 何言ってんのこの人。

 頭に大量の?が浮かぶ、急に変な事を言い出したので処理ができない。その要求はこの対談に必要なのか?

 困っていた私に若いパイロット(クルカンと言うらしい)が助け船を出してくれた。


「あなたはとても有名なんです、本国では流れ星のパイロットだと言われていて」


「ああ、セブンス・マザーがどうとか…それで?」


「この人もあなたのファンなんですよ」と、タブレットから「そうそう」と返ってくる。


「少しでもあなたとお話ししたくて…子供じみた真似をしてしまいました、申し訳ありません」


「はあ…で?さっきの三人を褒めてほしいのはどういう理由があるんですか?」


「あ、それ私の名前です、こっちではご先祖の名前を取り入れる習慣があるんですよ、始めの名前が本人、その後に続くのが先祖の名前です」


(ああそういう事か…)


 つまり、ファンである私に自分のことを褒めてもらいたいと...

 早く会議室を出たかった私は要求を飲むことにした。


「え〜と…あすか、くぐみや、あすらんは良く出来た人、これで──」いいですか、と訊ねる前からタブレットから「あ″〜〜〜!」奇声が返ってきた。普通に引く。


「やってて良かったこの仕事…まさか本人に名前を呼んでもらえる日が来るなんて…」


「あ、あの、俺も握手してもらっていいか?」と中年の男性が便乗してきた。

 私は彼のお願いに応えやることにした。


「握手じゃなくてハグしてあげましょうか?」


「え!」

「え?」

「え〜〜〜?!私も今すぐそっちに行きたい!」


 もうどうにでもなれ、と思っていた私はクルカン君も一緒に本当にハグしてあげた。

 男性とハグするのは生まれて始めてだった。





「あ、戻ってきた。どうだった?」


「硬かった」


「は?」


「いや何でもない。無事に了承が取れたよ、これでお互い引きずることもないと思うよ」


「それなら良かった。今からレイアと一緒にフランの様子を見に行くところなんだけど、ナディはどうする?」


「私はいいや、二人だけで見に行ってあげて」


「心配じゃないの?」


「放っておきゃいいよ、どうせ空飛びたいってしか言わないんだから。それにマカナと話し合って、ノラリス組みに入れてもらうことになったから」


「ハワイから追い出すってこと?」


「言い方。本人が望む場所に案内してあげるってこと、ここにいるよりアヤメさんたちと旅させた方が良い」


「まあ、それもそうか。じゃあ、行ってくるね」


「うん、行ってらっしゃい」


 どこか疲れた様子だったナディが私たちに背を向けて、一人で街の方へ向かって行った。

 携帯の画面に顔を落としたままのレイアが、「ジュディスさんたちもう着いたって」と言ってきた。


「なら私たちも行きましょうか」


「うん」


 と、レイアは返事をしているが画面から顔を上げようとしない。


「ほら、ながら操作は危ないっていつも言ってるでしょ」


「一人の時はやんないよ」


「ならどうしてママの前でするの?」


「安心するから」


 嬉しいけどそういう事ではないので軽く頭を叩き、それから携帯を没収した。



 ナディの言った通り、あれだけの騒ぎを起こし謹慎処分を食らっているフランは元気そうだった。

 というか前より元気そうである、長年の不満が解消されたからだろうか、ヴィシャス夫妻や私たちに囲まれているフランは、一度も見たことがない柔和な微笑みを浮かべていた。


「二度とこんな事すんじゃないわよ」


「もうしませんよ」


 場所はハワイの中にある彼女の自宅だ、元従軍者という事もありそれなりの家に住んでいるようだが、彼女の自室の中には何も無かった。

 文字通り何も無い、殺風景な部屋の中、彼女は真っ白なベッドの上で腰を下ろしている。ここに来て、この時になってようやく"フラン・フランワーズ"という人物を理解することができた。

 彼女は本当に、心から空を飛ぶことが好きなのだ、だから自分の部屋に調度品の一つすら置きやしない。

 そんな彼女の隣には誘拐されたルカ君が座っている、どうやら本人は誘拐されたと思っていないようだ。

 

「ふらん!そら!」


「もう無理よ、取り上げられちゃったもの」


「そら〜!ひろ〜い!おっきい〜!」


 ジュディスさんにこそっと訊ねる。


「全然気にしてませんね」


「そうなのよ、この子がこんな調子だから私たちも怒るに怒れなくて。コクピットでもずっとはしゃいでたみたいよ、もっと高く飛んでくれって」


「ガチか…凄いなルカ君」


「それよりそっちはどうだったの?向こうと話し合いしてたんでしょ?」


「ああ、なんか向こうがハワイの紹介という事で議会に加入することが決まったみたいですよ、今まで議会から爪弾きにされてたとか何とか」


「ふ〜ん、まあ丸く収まったんならそれで良いんじゃないの」


 携帯を手にしたレイア(あれ、没収したはずなのに...)がルカ君の後ろに回り込み、後ろから抱えながらまたぞろ携帯を見始めた、どうやらあれがレイアの定位置らしい。

 ルカ君も一緒に携帯を見始め、それからフランも二人に習って視線を落とした。


「で?あんたの引っ越しはいつになったの?」


「ああ〜…まあ、それはおいおいで…」


「まあ、まだこっちに居てくれるんならあの子も喜ぶからいいけどね」


 この部屋には何も無い、殺風景ではあるが平和な空気が満ちている。

 暇だから飯でも作ってやるかという話になり、私とジュディさんが買い出しに行っている間、留守番を任されていたウィゴーさんも含めて全員が眠っていた。

 この日常を、一度崩壊し再び手にしたこの平和を、守ってくれたのは紛れもなく彼女たち兵士のお陰である。

 私はその事に感謝しつつ、幸せそうに眠っている彼女になんか腹が立ったので優しく頭を叩いてやった。

あともう一話、幕間をアップしたいです、三章は年内に始まりません!すみません、最後の幕間をアップした時にお知らせします。

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