BONUS TRACK 2
LAST TRACKと赤い電波時計ゞの間ぐらいのお話です(ちなみに『ゞ』は『続く』という意味です)
オリジン使節団
フォレストリベラ中央部空港には、今年に入って完成した国外線ターミナルがある。ただ、上層部はユングドラシルによって樹々に囲まれているため、長い滑走路を設けることができない。
「だからといってあれは大丈夫なのか?」
同じ使節団に所属するスイちゃんにそう訊ねた。
「大丈夫ですよ、試験使用も全て安全基準を満たしていますから」
中央部空港のど真ん中、そこにはきっかり四五度に傾いている滑走路がある。その滑走路を利用して大型旅客機が空へ舞い、約八時間のフライトを行ない目的地へ到着する。
場所は──ハワイだ!
く〜長かった!この日をどれだけ待ち侘びたことか!あいつらがマリーンへ旅立って一〇年以上が経過し、モニター越しでしか知らなかった異国の土地へようやく私たちも行くことができる。
三六〇度海に囲まれた世界だなんて、どんな所か想像すらできない!いや映像では知っているので想像はできるが、とにかくこの肌で海とやらを感じてみたかった。
長年の楽しみが顔に出てしまったのか、スイちゃんが釘を刺してきた。
「いいですかアオラさん、私たちは観光に行くのではありません、仕事で行くのです、顔がだらけきっていますよ」
「分かってるって、心配しなさんな」
「どうだか…昨日も夜遅くまで動画を見ていましたよね?確かに海をこの目で見るのは楽しみですが、はめを外し過ぎないか心配です」
「大丈夫大丈夫、やる事はきちんとやるよ、議会のお誘いに国外線の創設依頼に…まあ、とにかく外交交渉が私たちの仕事だ」
「分かってるいるのならそれでいいですが…」
「それにしたって、何で向こうは断り続けていたんだろうな?それが気になる」
国外線滑走路に、私たちが搭乗する旅客機がセッティングされている。あの斜めっぷりはすぐに気分が悪くなりそうだが、まあ仕方がない。
スイちゃんも私と同じように滑走路を眺めていた。
「外交をしている余裕がなかった、という事でしょう。あちらの外交大使であるサーストンさん曰く、他国から受けていた軍事行動の後始末と、新しく樹立した政府の仕事でその余裕がなかったと返事をいただいています。まあ…本当かどうかは分かりませんが」
「ま、それが嘘か本当か、会ってみれば分かるだろ」
スイちゃんが滑走路から視線を外し、私をキッと睨んできた。
「サーストンさんは大使を兼任しているハワイの王様です、決して失礼のないようにしてください。それと──」そこでぐぐっとスイちゃんが私に顔を近付けてきたのでドキっとした。心なしか空気が冷やっとし、それから爽やかな匂いが胸を満たした。
「聞くところによると、その人はとんでもなく美人だとか。鼻の下も伸ばさないようにしてください」
「いや〜それは自信ないな〜」
冗談を言うと軽く叩かれてしまった。
それからスイちゃんと雑談や仕事の話をして時間を潰し、出発準備が整った旅客機に乗り込んだ。
どんな所なのか楽しみだ!待ってろハワイ!
◇
「初めまして、私はハワイを預かっているナディ・サーストンと申します」
「…………」
「…………」
「まず、今日までこの場を先送りにしていたことを謝罪させてください。貴重な申し出を断り続けたこと、心からお詫びいたします」
「あ、ああ…いえ…」
「こ、こちらこそ…失礼に何度も打診をしてしまって…」
「それから、あなた方とお会いできるこの日を楽しみにしておりました。それは私だけではありません、ハワイの市民全てがあなたたちの来訪を歓迎しています。どうか、時間が許される限りごゆるりとご滞在ください」
「あ、ど、どうも…」
「ご、ご丁寧にどうも…」
こいつ本当に人間か?!絶世過ぎて我が目を疑うわ!
「あ、あの失礼ですが…あなたはマキナではありませんよね?「──ちょ?!アオラさん?!」
私の不躾な質問に、国王はにっこりと微笑んだ。
「ええ、私はマキナではありません、れっきとした人間ですよ。後でこちらのマキナの皆様もご紹介させていただきますね」
「あ、ああ…それはどうも…」
八時間のフライトの後(すげー辛かった)、私たちは無事にハワイへ到着した。
もうなに?着陸する前から海!海!海!だったので、私たち使節団全員がテンションマックスになって機内は大騒ぎになっていた。
しかし、ハワイの主要都市に到着し、国王様にお出迎えされた時は皆んなが瞬時に黙り込んでしまった。
すげー美人。え?本当にこの人が王様なの?芸能人とかではなく?
それに聞くところによると、この王様は人型機(こっちでは特個体と呼ばれているらしい)の操縦がべらぼうに上手く、『スカイダンサー』という二つ名を持っているらしい。
絶世の美人で王様でしかも凄腕のパイロット。化け物かな?
私はこんな奴を相手に今から外交戦を始めなければならない。
(く〜世界は広いぜ、私も自分の経験には自信があったのに、目が絡むぜ)
緊張感がハンパない、王様は微笑んでただ座っているだけなのに存在感がすごかった。あの物怖じしないスイちゃんですらたじたじになっていた。
けれど引いてはいられない、ここでの外交はフォレストリベラの未来を決する、私はその為にここまでやって来たのだ。
ハワイに滑走路が無い、と聞いていたので大型旅客機は水上機仕様、そこから船を出してもらって円卓街という所までやって来た。
その円卓街の中、クーラント地区と呼ばれている所に会談場所があった。私はてっきり議事堂などお堅い所でするものだと思っていた。
けれどここは普通の喫茶店だ、ちょっとフロアが広い程度、ここを貸し切ったみたいでそれぞれのテーブルにハワイ首脳陣と私たち使節団のメンバーが座っている。
そして、私とスイちゃんの前にハワイの代表者と言ってもいい国王が座っていた。
彼女の後ろにはどこまでも広がっている海がある、店内は少しだけ薄暗く、青く反射した光がこちらにまで届いていた。
まさに異国、という感じがする。フォレストリベラでは決してお目にかかれない光景だ。
私は場の空気に飲まれないよう下っ腹に力を込め、決意と共に手を差し出した。
「改めて、招いていただいて感謝するよ、国王陛下殿。私はアジア方面第一テンペスト・シリンダー使節団、特命全権大使のアオラだ。今度ともどうぞよろしく」
彼女が私の手に応えてくれた。
「こちらこそよろしくお願いします、アオラさん」
手と手が触れ合う、緊張以上の何かがビリビリと伝わってきた。
さあ、何が何でもハワイをこっちに招き入れるぞ!
*
ママと一緒に夜ご飯を作っていると、お母さんが「もういや〜!」と叫び声を上げながら帰ってきた。
「レイア、迎えに行ってあげて」
「ハンバーグを作る以上の面倒が待っていそう」
私は汚れた手を洗ってぴっぴっとし、それから玄関までお母さんを迎えに行った。
お母さんは玄関でがっくりと項垂れていた。
「お帰りなさい」
「は〜ほんと疲れた…」
「今日の夜ご飯はハンバーグ、早く手を洗ってテーブルで待ってて」
「ついにやって来たよこの日が、オリジンの人たちと会談してきましたよこの私が…」
「あ、あとでお母さんの友達も夜ご飯を食べに来るから」
お母さんの愚痴を全無視して用件だけ伝える、踵を返してキッチンへ戻ろうとしたが背後から抱きつかれてしまった。
「スルーし過ぎじゃない?誰に教わったの?私にも教えてくれない?」
「もう!今忙しいの!皆んなの分のハンバーグをこねこねしてるの!お母さんも手伝ってよ!」
と言うと、お母さんも部屋着に着替えてすぐキッチンに来てくれた。
私の頭越しに両親が会話を始める、話題はもちろんオリジン使節団の事だった。
「向こうの人たちはどうだった?」
「え、思ってたより普通かな、普通に人間だった」
「そりゃ普通の人間でしょうよ」
「私てっきりサイボーグみたいな人が来るのかと思ってたよ」
「映画の見過ぎじゃない?で、明日からはどうするの?今日はただの顔合わせでしょ?」
「うん、明日からあちこち出向くことになってる。まずはホワイトウォールでしょ、それから向こうでしょ、最後に島かな」
『向こう』というのは元ウルフラグ領(最近ではホノルルと呼ばれている)、それから『島』とはヴァルキュリア本土のことを差す。
皆んなの分の種をこねこねした後、私はママの隣に立ち、いつか一人で作りたかったので焼かれていくハンバーグの種を観察した。
お母さんと会話しながらもママは私の頭を撫で、「勉強熱心で良い子ね」と褒めてくれた。
「まあでしょうね、まずは観光させるのが普通よね「外交の普通というのがよく分からない「私はパパたちの後に付いて行ったことがあるから知ってるけど、外交ってのは観光しながら相手の腹を探るのが定石なのよ」
ママはお母さんと会話している時、たまに一人称が『私』になる、その単語を聞く度にちょっとした疎外感を感じていた。
「やっぱそうなる〜?向こうって何も観光したくて来たんじゃないよね」
「そりゃそうでしょ、関係を結んだら利益が出るから使節団を寄越すの。つまりハワイには旨味があるってこと、ナディはその旨味を取られ過ぎないようにしつつ、ちゃんとこっちも利益が出るようにしないといけない」
「ママ、ママ」
ママはハンバーグをひっくり返しながら喋っていたのでお母さんの様子に気付いていない、だから私はママに教えてあげた。
「お母さんが膝抱えてる、難しい話は止めた方がいい」
「もうやだ〜…私そんなことするために王様やってるんじゃないのに〜…考えただけで膝が折れてしまったよ…」
ママがちらっとお母さんを見たあと、私に「お皿出して」と言ってきた。無情。
「もう焼けたの?」
「そうよ、ハンバーグから透明な汁が出てるでしょ?これが上手に焼けたサインだからレイアも覚えておいて」
「分かった、覚えとく」
「無情かな?この二人、私そっちのけでお料理教室かよ」
ああ、しまった、お母さんのこと秒で忘れてしまった。
そんなこんなで皆んなの分が完成し、その頃合いを測ったようにお母さんの友達がやって来た。
「よ!やってんね国王陛下様!」
「お姉ちゃん〜久しぶり〜」
その友達とはマカナさん、それからフレアさんだった。
この二人は良く似ている、友達というより姉妹?そんな感じだ。
黒い髪をして、とても綺麗な黄金色の瞳を持つのがマカナさん、それから茶色の髪でいつも太陽のようににこにこ微笑んでいるのがフレアさんだ。
マカナさんは私と会うたんびに、
「レイア、あんたまた大きくなったんじゃない?前はこんなに小さかったのに〜」
と言いつつ頭を撫でてくる、毎回これだ、ちなみに最後に会ったのは一ヶ月前である、すぐに身長が伸びるわけないだろ。
「こんばんは、お二人の分もあるので良ければ食べてください」
「は〜!なんて肩っ苦しい!子供は子供らしくしなさい!お母さんより出来が良いじゃない!」
「ありがとうございます」
「どうよ、うちの娘は」
「ナディも少しは悔しそうにしなよ」
「本当だよお姉ちゃん、ちょっとはしっかりして」
それからダイニングテーブルを皆んなで囲い、夜ご飯が始まった。
メインディッシュは出来立てハンバーグ、少しだけ黄身が歪になった目玉焼き(私作)、しゃっきしゃきのサラダにほっかほかのパンだ。じゅるり。
お腹がとても空いていたので私はもぐもぐ食べる、他の皆んなはオリジン使節団の話をしながら優雅に食していた。
やはりというか、他所のテンペスト・シリンダーから人がやって来るというのは大きなニュースらしい。
「で、オリジンの人ってどうだった?」
「普通の人間だった」
「な〜んだ、サイボーグとかじゃないんだ、そりゃ残念」
「いやでもね〜アオラさんっていう人がね〜ピメリアさんに似てたんだよ、顔は全然違うけど雰囲気がそっくりで、つい昔を思い出しちゃった」
ピメリア、という名前は耳にしたことがない、私はついお母さんに訊ねていた。
「その人ってどんな人なの?」
「私のもう一人のお母さん、血は繋がってないけどね、とても大切な人だったよ」
だったよ、その言い方から察するにきっとその人はもうこの世にはいないのだろう。
「今日はどんな話をしたの?」
「ただの挨拶だけだよ、本番は明日から。な〜んかうちに目を付けているみたいでね〜あれやこれやと訊かれそうな予感がする。他にも…なんだっけ、テンペスト・シリンダーの間で議会があるみたいで、そっちに加入しろって言われてる」
「議会?」
「一二塔主議会、だったかな?国際的な連盟組織らしい」
「へえ〜そんなものまであるんだ…」
「その塔主候補にあんたの名前出しておいたから」
お母さんの無茶ぶりにフレアさんがサラダを吹き出した、無理もない。
「何言ってるのお姉ちゃん!何で私なの!マカナちゃんがいるじゃん!」
「絶対嫌私、面倒臭そう」
「私も絶対嫌、たださえ今の仕事が忙しいのにそんな議会の塔主なんかやってられるか」
「いやでも、それ加入しないとマズいんじゃないの?議会って言うぐらいだからきっと他所も加入しているだろうし。それに国際的な組織ならハワイが外交に乗り遅れることになっちゃう」
「そうなる?そうなるよね〜、まあその詳しい話も明日以降にアオラさんがしてくれるみたいだし、加入するのは話を聞いてからでいいかな〜って」
「それナディが決めていいの?外交と内政って別々の組織に分けた方が良いと思うけど」
「まあ、そこら辺もおいおい決めていけばいいんじゃないの」
「適当な国王だな〜」
「ハワイの将来が心配」
「レイアちゃんに賛成」
「心配ならあんたがやる?塔主、名前出しといてあげる」
「普通に止めて、こんな子供が議会の長をやるだなんて正気の沙汰じゃない」
突っ込んでもお母さんは食事に集中しているのかとくに返事もせず、私が作った目玉焼きに手を付け、「これあんたが作ったでしょ」と意地悪な笑みを浮かべてきた。
「下手くそ〜」
「む!今度はちゃんとできるもん!コツ掴んだもん!目玉焼きって綺麗に焼くのが意外と難しいんだぞ!」
「ま、私も上手に焼けないんだけどね〜」
「だったら文句言うな!」
使節団の話から料理の話に変わり、それかマカナさんたちの話になったり。話題があっちへふらふらこっちにふらふらしながら移ろい花を咲かせ、夜があっという間にふけていった。
*
「…………」
「…………」
無言で海を眺める、隣にいるスイちゃんも無言だ。
布が使われたイージーチェアに体を預け、宿泊施設のバルコニーから海を眺めている。どうやらここは特別な宿泊施設らしく、宿泊しているのも私たちだけだった。
あれだけ騒がしかった使節団のメンバーもこの海を前にしてもはや無言、テンションが一周して皆んな静かになっていた。
大樹の葉っぱが擦れる音とは違う海の音が五感を包み込んでいる、まるで何かに揺られているような気分、控えめに言って最高だった。
「スイちゃん、私はもう戻らない、ここで残りの一生を過ごすよ」
「私も…お供します…」
おや?あのスイちゃんが突っ込んでこない?よほどこの景色が気に入ったようだ。
まだまだ海を眺めていたかったがそうもいかず、私はとろけているスイちゃんの首根っこを掴んで部屋に引き上げた。そろそろ偵察に出していたメンバーが帰ってくる頃合いだ。
私たちの仕事は二つ、一つは一二塔主議会に加入してもらうこと、それからオリジンと相互利益関係を結ぶことだ。
どちらとも私たちの都合だ、だから相手にはきちんと利益があることを説明しなければならない、関係を結んだところで利益無しと判断されたら、私たちはきっと観光でしかハワイに来れなくなってしまう。
偵察に出していたメンバーが帰還してきた、その手に沢山の土産を持って来て。
「なに買い込んでんだよ!誰が買い物に行けって言ったんだ!」
「これは資料です!私用で買ったんじゃありません!」
そのメンバーは両手に抱えるほどの物を買い、他のメンバーも似たり寄ったりだった。
「なら、それは経費で落としてあとで私が回収する。それでいいな?」
「嘘です!これは私用なので回収しないでください!」
突風が来るほどの手のひら返し。
「全く…ちなみにだが、どうやって決済した?私たちまだこっちの通貨を持ってないよな?」
そう、テンペスト・シリンダー同士の交流は今回がほぼ初めて、なので塔内で流通している通貨は他所に出回っておらず、私たちは言わば無一文だった。
お金を持ってないはずなのにこのメンバーは物を買ってきた。
「…………」
「おい、なぜ黙る」
「あ、後払いでお願いしますと、お店の人に…」
「お前!それただの詐欺だからな?!議会にツケるにしたって今はまだ決済する手段がないんだぞ?!」
今、議会の方でこの通貨に関して議論が交わされている。一つは通貨の統一、全てのテンペスト・シリンダーで使えるよう通貨単位を一つにする。ただ、これには莫大な費用と時間がかかるためあまり現実的ではなく、今のところはもう一つの案である為替システムを導入することが視野に入れられている。
この為替が成り立って初めて私たちは他塔で買い物ができる、だからこそハワイには議会に加入してもらい、互いの通貨を流通させたかった。
もし、ハワイが興味無しと判断したら、私たちの通貨を受け取ることはない。使う予定がない通貨など持っていても仕方がないからだ。
決済手段がないのに買い物してきた馬鹿たれどもに説教をしていると、連絡が入ってきた。お相手は塔主の一人、ミカドからだった。
「随分と揉めておるようだな、人の子よ、マリーンで何かあったのかえ?」
「ああ、実は──」ミカドに今の状況を説明してやった。
「ふむ…やはり議題に上がっていたように、円滑な取引をするためにも為替は必要か…」
「それが一番良い、互いにレートを制定してそれに準じた金額で交換する。そのレートは議会が監査すれば不公平も生じ難いだろ」
「うむ。やはり、他塔との交流は良い、問題がすぐ浮き彫りになるからその分対処も早くなる」
「ミっちゃん…私たちで試したな?」
「人聞きの悪い。それと朕をちゃん付けするでない、何と不敬な呼び名か」
「だったら今度からミカド様って呼んでやるよ」
「待たんか、誰もそこまで言うておらん、特別に許してやろう」
「なんじゃそりゃ」
「ともかく、心してかかれよ人の子よ、貴様が相手にしているのは奴らの度肝を抜いたスカイダンサーだ、ノウティリスがファーストに出向いて今は不在とはいえ、どんな力を持っているのかまるで検討がつかぬ。貴様なぞ簡単に御せることだろう」
「分かってるよ、そこら辺は慎重に行くさ。ご忠告どうも」
「うむ」
ミっちゃんは新しく創設された議会の議長代理を務めている、ゆくゆくは他人に席を譲るそうだが、今は議会の安定化と信頼を獲得するため世界中の塔主と渡り合っている。
(私も負けてはいられないな)
私たちの日程は今日を含めて七日間、明日から三日間は関係各所を巡り、四日目に改めて会談、五日目はフリー、六日目に調印(上手く事が運べば)、最終日にここを発つ。
さっきまでミっちゃんとの電話に使っていた端末がブルブルと振動している、画面を確認した私はその名前を見なかったことにしてポケットに突っ込んだ。
「明日からハワイ中を巡ることになる、いいな?打ち合わせ通り徹底的に観察しろ!お前たちの観察眼が私たちのテンペスト・シリンダーを救う!」
「イエス!マム!」
ほんと返事だけは良い。
けれど頼もしいメンバーたちだった。
*
マカナやフレアと一緒に晩御飯を食べた翌る日、私は王としての役目を果たすためオリジンの人たちを案内していた。
円卓街の中を歩き回ったり、近年縮少傾向にある軍事基地を見せたり、途中に休憩を挟んで自慢の食事を提供したり、まあそんな感じだ。
『がいこう』とやらになんら馴染みがない私は、グガランナにヘルプを出してアドバイスを貰っていた。
今、私たちは基地の見学を終え、総合兵舎で休憩中である。使節団の方々は食事に満足してくれたようで、和やかな笑顔を浮かべていた。
《調子の方はどうかしら?》
《今のところ問題は起きてないよ》
《摩擦はもっての他だけど、今あなたが気を付けなければならない事は相手にイニシアティブを握られないこと、分かるわね?》
《あ、はい》
《何そのやる気の無い返事》
《イニシアティブって言われてもね〜》
オリジンの人たちはやたらと海を眺める、建物から出た時、あるいは海の近くを歩く時は必ずと言って良いほど視線をそちらに向ける。
今もそうだ、兵舎内の食堂からも海が見られるので、使節団の人たちはカップを傾けながらしきりに眺めていた。
私も彼らに釣られて海を見やる。うん、いつも通りの海だ、今日は少しだけ荒れているようで白波がちらほらと立っていた。
《ともかく、彼女たちに決して弱味を握られないように》
《それ言うの遅くない?もう食事出しちゃったよ》
使節団にお出ししたメニューは昨夜と同じハンバーグに目玉焼き、サラダにパンである。実はこの"パン"がとても貴重なのである。
大災害で最も被害を受けたのは人、それから建築物は言うまでもないが、それ以外にも甚大な被害を受けたものがある。
それは畑だ。所謂一次産業に属する農作物は大災害前と比べてその流通量は二〇パーセントにも満たず、私たちが日頃口にしている穀物類は全てナノマシンによる複製品だった。
使節団の中にも複製品特有の味の薄さに気付いた人がいて、「なんかこれパサパサしてますね」と口にしていた。
ハワイにとっての弱味と言えばこれだろう、農作物に恵まれていない所を突かれて条約やら約束やらを迫られたら、きっと簡単に主導権を握られてしまう。
《弱味を握られるのらあなたも彼女たちの弱味を握りなさい、それが対等というものよ》
《あ、はい》
《そのやる気の無い返事止めて》
食休めも終わり、使節団の人たちが思い思いに席を立ち始めた。「アドバイスをくれ!」と言っているのに小言しかくれないグガランナとの通信を切り、私も自分の席から立った。
「それでは今からホワイトウォールへ行きましょう、この国特有のモニュメントと言っても過言ではありません」
「へえ〜それは楽しみだな」
「機内から見えませんでしたか?」
「いや〜そん時私らテンションが高過ぎておかしくなってたから、周りの景色は見てなかったんだよ」
「そうでしたか」
総合兵舎を後にして使節団を引き連れ旅客船へ、ここからホワイトウォールまで数時間ほどの道のりだ。
一抹の不安と緊張を抱えたまま、ホワイトウォールを目指した。
◇
豪華、と言えるほど立派な船ではないが、少なくとも移動する間は乗客を楽しませるようにシアタールームがある船だった。
私たちからしてみれば船の移動は退屈であり、暇つぶしの一つでもなければ苦痛の時間である。
けれど、使節団の人たちは船の移動が苦ではないようで、しきりに海を眺めたり、宝箱を探し求める探検者のように船内を歩き回っていた。
私は退屈である、とっても暇、やる事がない。だから彼らの後に付いて私も一緒に船内を回っていた。
今はこの船一番の目玉であるシアタールームに訪れている。
「席が段上になっているわけではないのですね」
「はい、ここは元々倉庫として使われていた部屋で、それを改装してシアタールームにしたのです」
「そうですか…」と生返事をこぼし、使節団の一人が並べられたチープな折りたたみ椅子を一つずつ観察していく。
それから天井に吊るされているプロジェクターを見た後、さっさとシアタールームから出て行ってしまった。
(あれ?映画は見なくていいの?)
てっきり映画に興味を示すものとばかり思っていたが...用意した選りすぐりのフィルムが無駄になりそうだ。
私も続いて船内廊下へ出る。他の使節団の人たちがちらほらといて、彼らは何の変哲もない壁を眺めたり、滑り止め加工された床をまじまじと観察したりしていた。
使節団の一人が私に質問してきた。
「この床、何か特殊な素材が使われていたりしますか?」
「え、ええ、はい、甲板に出ると何かと濡れやすいですから、滑り止めがされているのです。今日は貸し切っているので私たち以外乗船していませんが、普段は子供連れのご家族もいます、子供が走り回って滑りでもしたら危ないですから」
「なるほど…」と口にし、また研究者のように目を皿にしながら観察に戻った。
なんなの?何で壁や床ばっかり見るの?
◇
然しものこの超常現象を前にして、オリジンの施設団は驚きに目と口を開き、言葉を失っていた。
「…………」×全員
「これがホワイトウォールです。その昔、国と国を隔てていた難攻不落の白壁群、この聳り立つ山に穴を穿ち、二つの国を結ぶきっかけを作ったのがヴォルター・クーラントという方です。彼の聖業を讃え、円卓街のその中央に名前を残しました。彼の行ないは円卓王に勝るとも劣らないものです」
そうだよ、聞こえてる?ヴォルターさん。きっとあなたのことだから、そんな大層な事はしなくていいと文句を口にすると思うけど。
旅客船がホワイトウォールの港に到着し、到着する前から使節団の人たちは眼前の光景に目を奪われていた。
言葉を失っているのは目の前の景色か、それともヴォルターさんの偉業か、私には分からない、どちらにせよ、欲しかった反応をようやく引き出せたので少しだけ満足感があった。
「これは…これは自然現象でできたものなのか?」
アオラさんが場を代表して、最もな質問をしてくれた。
こほんと咳を一つ、私はグガランナから教わった知識を披露した。
「いいえ、これこそがマリーン最大の特徴と言えるものです。今でこそ絶滅しましたが、以前までナノマシンを単一核としたアーキアという生命体が存在していました、その単一核が融合反応を起こしバースト現象を発生させ、このホワイトウォールを形成しました」
ワールディリアという単語は伏せているので、詳細を説明したわけではないが、概ねは合っている。
使節団の一人が首を軽く捻りながら言った。
「天文学、それから生物学の話ですね、それは。バースト現象はガンマ線を極短時間に放出するものですし、アーキアは古細菌と呼ばれる生物界を三分割させるドメインの一つです。詳しい話を聞かせてもらっても?何故この二つの用語が同時に出てきたのか、とても興味があります」
やはりいたのか頭が良い人。使節団の中にはこの手の人材もいるだろうと予測はしていたが...しかし悲しいかな、私は今披露した以上の知識を持ち合わせていないので詳細を語ることはできない。
「詳しい話はまた後日にいたしましょう、大変お恥ずかしいのですが…私はあまり頭が良くありません、今の話も受け売りなんです」
「へえ〜化け物にも弱点はあったの──痛っ!」
ん?今化け物って言った?
アオラさんのすぐ隣にいたスイさんという方が彼女を小声で嗜めている。
「も、申し訳ありません国王陛下…とんでもない無礼を働きました…」
「あ、ああ、いえいえ…」
とても美人な方だ、テンペストさんとはまた違った方向の黒髪美人。
レイアも将来はこんな感じになるのだろうか。
簡単な説明を終えたあと、私たちは下船してホワイトウォールを回った。
*
仕事を終えたお母さんが帰ってきた。
昨日は「もういや〜!」とか言っていたけど今日は無言である、扉の開閉する音が聞こえただけで玄関は静かだった。
これにはさすがのママも「ついに燃え尽きたか!」と慌て、私にキッチンを任せてお母さんを迎えに行った。
ママの予想は当たっていた。ママと一緒にリビングに入ってきたお母さんは文字通り燃え尽き、真っ白になっていた。
「お帰り、お母さん」
「ただい…」最後のま、が聞こえない、よほど疲れているようだ。
「まだ五日も残ってるのに…そんなんで大丈夫なの?」
「あと五日働いたらうんと長い休みを取るんだ…半年ぐらい…」
「それは無理じゃない?むしろ終わってからの方が忙しくなると思うけど」
ここでお母さんがキレた。
「もうほんと無理!誰か代わってよ〜!疲れるんだって〜!ずっと気を遣って機嫌を損ねないようにするの〜!」
「ママとのデートよりも疲れる?」
私がそう訊ねると、お母さんがすん...とすぐに大人しくなった。
「いや、ライラと出かける方が疲れるかな。そう考えると大丈夫な気がしてきた「何だと?!」
始まった痴話喧嘩を放置し、私は料理に専念する。
(ううむ…やっぱりコピーした方が早く萎びちゃう…)
手元には二種類のお野菜がある、一つは新鮮でみずみずしく、もう一つは今のお母さんみたいにくたくたになったものだ。
この二つの違いは生産方法にある、一つは土壌から生まれた自然本来のお野菜であり、もう一つはナノマシンによる複製品だ。
自然栽培のお野菜は高い、その代わり複製品は安い、けれど劣化も早い。昔と比べて今はこの複製品の数は減ったらしいが、まだまだ現役なのでこうして食卓にその顔を覗かせる。
私はお高い野菜とお母さん野菜を一つのボウルに入れ、その上から適量のドレッシングを投入して混ぜてやった。これでサラダの完成である。簡単過ぎる。
(ママが包丁を持たせてくれない!)
ママとお母さんは場所を移してバルコニーにいる、というかまだ喧嘩している。
(あれは喧嘩しているのか?)
カーテンの隙間から見えるママの頬には薄らとだが赤みが差し、対するお母さんは背中を向けているので顔色は分からない、でも、どう見たって仲良しカップルがいちゃついているようにしか見えなかった。
「けっ、けってなもんだ」
完成したサラダをダイニングテーブルの乗せ、それからリビングへ向かう。
そして、私を無視して抱き合い始めた両親をバルコニーに閉じ込めるべく、扉をピシャリ!と閉めて鍵をかけてやった。
「〜〜〜!」
「〜〜〜!」
二人が凄い顔をして扉をばんばんと叩く。
「ぶぅえ〜〜〜!!」
しかし私はそんな二人の抗議を無視し、積年の恨みを晴らす勢いであっかんべ〜をした後、カーテンもピシャリ!と閉めてやった。
その後、ママが作ったカレーも合わせて一人で優雅に晩御飯を食べた。
*
「あ〜…えっと、その子は?」と、私が国王陛下殿に訊ねると、このテンペスト・シリンダーを預かる化け物が「す、すみません…」と一般人みたいにペコリと頭を下げた。
「う、うちの子で…どうしても今日一日こちらで面倒を見ることになって…」
「そ、そうか…つまりあれだな、国王の娘ってことは王女様になるのか」
「ほらレイア、挨拶して」
母の手を握る小さな女の子が、「この度は皆様方にご迷惑をおかけします、私はレイア・サーストンと申します。今日は一日皆様方に付いて回らせていただきますので、何卒よろしくお願い致します」とびっくりするぐらい真面目な挨拶をし、ぺこりと小さな頭を下げた。
挨拶をしている時もこの子は母親の手を離そうとしなかった、よほど好きらしい。
スイちゃんと目を合わせる。
(子供いたのか…)
(お子さんがいらしたんですね…)
口に出さずとも互いにそう目で言い合い、それから三日目の予定に入った。
今日の午前はこのテンペスト・シリンダー随一の生産技術力を誇るヴァルキュリアという所、そして午後は昨日見学に赴いたあの馬鹿みたいな山の向こうにあるホノルル観光──ではなく、見学になっていた。
今回移動に使う足は船ではなく、小型機に搭乗することになっている、なので私は昨日同様軍事基地に来ており、昨日とは違う所で搭乗手続きを行なっていた。
手続きが終わるまで時間があったので、私は国王陛下に質問した。
「どうして今日は小型機なんだ?」
「時間がないからです、ヴァルキュリア本土からウルフ──いえ、ホノルルまで距離がありますので」
「なるほど。その小型機とやらは国王陛下も操縦したりするのか?」
「いいえ?どうしてですか?」何故そんな事を訊く、と言っているのだろう。
「聞くところによると、国王陛下はスカイダンサーという二つ名をお持ちのようだからな」
「ああ、それは昔の話ですよ、今はもう乗ったりしません。そもそも特個体に乗ること自体あまり好きではありませんでしたから」
「とっこたい…ああ、こっちで言うところの人型機か」
すげえなこいつ、マジもんの化け物だわ、それだけの腕前を持ちながら「乗るのは好きではない」と言ってみせた。
国王陛下と雑談を交わしていると、搭乗のアナウンスがあった。私たちはそれぞれ案内に従い、搭乗する小型機へ向かった。
その小型機は屋外の桟橋にずらりと並んでおり、水面にぷかぷかと浮いていた。どうやら水上機仕様らしい。
今日はよく風が吹く、ぶわわと乱暴な風が私の髪やスイちゃんのスカートを攫っていく、その度に私たちは足を止め、顔を顰めた。
けれど、やはりと言うべきか、国王陛下たちは慣れたご様子で先を歩いていく、きっとこの乱暴な風も日常の一部なのだろう。──ん?今ちょっとよろめいた?
桟橋の途中でたたらを踏みそうになった国王陛下に声をかけた。
「大丈夫か?今転びそうになってたけど」
「ああ、いえ…昨日は何も口にしていなくて…」
「え?食事していないってこと?」
成り行きを見守っていたスイちゃんも声をかけた。
「何かあったのですか?」
「…………」
そこで国王陛下が黙り、王女様を私たちに突き出したではないか。
「え?この子がどうかしたのか?」
「…………」
私たちの前に立たされた王女様は口を一文字にし、何か心当たりでもあるのか頬をピンク色に染めてこちらを見上げていた。普通に可愛。
スイちゃんも王女様に声をかける。
「お母さんがお腹を空かせているのは君のせい?」
(タメ口かよ!)
スイちゃんは王女様と目線を合わせるため中腰になっていた、その綺麗なヒップのラインが如実に浮き出ており私はついガン見してしまった。情けない、けれどこれが私。
頬を染めたまま王女様が答える。
「例えばもし、あなたの好きな人が自分をほったらかしにして他の人とバルコニーでいちゃいちゃしていたら、扉を閉めて鍵をかけたくなりませんか?」
(それは例え話?えらい生々しい──そういう事が昨日あったのか)
スイちゃんが王女様の質問に答えた。
「する「すんのかよ」
◇
小型機とは小さな飛行機の事であり、私たちで言うところのトビウオだ。ただ、あちらの内外共に無骨なザ・輸送機とは違い、こちらの小型機は居住性があり椅子も座り心地が良く、言うなればラグジュアリーに富んでいた。
小型機の搭乗員数はパイロットなどを省いて六名、ごく小規模である。過ごし易いが機内は狭く、必然的に国王陛下との距離も近くなる。というか通路を挟んですぐ隣りだ。
(良い匂いしてんな〜どんな香水ふってんだ?)
ちらっと横目で窺う、すると目が合ってしまった。こんな小さな事でどきりと心臓が跳ねてしまう、情けない私、けれどこれが私。
「乗り心地はどうですか?」
「とても良いよ、私たちが使っている小型機とは比べ物にもならない」
「それは良かったです」とエンジェルスマイル。
離水した機体が低高度で向きを変え、目的地へ向けて発進した。簡単に基地を飛び越え、あとは一面の青い世界が広がっていた。
うん、本当にどこまでも海が広がっている、これが全部液体っていうんだから驚きだ。果たして、この液体の質量は一体どれくらいになるのだろうか、皆目見当もつかない。
実のところ、この超巨大質量物体である海に恐怖を抱き始めたメンバーがいる。来訪当初は初めて見る海にテンションアゲアゲで気にならなかったらしいが、こうして数日が経ち、人心が付くと大自然の綺麗さよりも"異様さ"が目に付き始めたみたいである。
私たちは海に慣れていない、当たり前の話だ、底知れない大質量の液体に囲まれているかと思うと閉塞感を覚え、逃げ場のない恐怖心へ変わる。
私はこれらの事象を『シリンダー・ショック』と命名した。おそらく、テンペスト・シリンダー間の交流が続けられていく中で、こういった生活環境の違いからショック症状を覚える者が増えていくはずだ。
(かく言う私もそれにちょっと近いものがあるんだがな…)
小型機は遅滞なく空路を進んで行く。低高度に広がった雲の群れを横切り、その度に機内に雲の影が落ちた。
「今日は海をご覧にならないのですね」
国王陛下が私の視線の先を読んで、そう声をかけてきた。相変わらず良い匂いですね。
「まあな。──不躾な事を訊くが、国王陛下はこの海を怖いと思うか?」
「勿論です」
は?何言ってんだこいつそんな訳ないだろ、的な返事があると思っていたから意外だった。
「怖いのか?私たちと違って今日までこの海を眺め続けてきたんだろう?」
「そうですよ、この海は私が生まれた時からここにあって、今日まで共に過ごしてきました。だからと言って、恐怖を抱かないわけではありません」
「今日までずっと一緒だったんなら平気なんじゃないのか?私たちと違ってこの海は家族みたいな感じなんだろ?」
「海を家族として扱うことはあっても、結局のところこの海はどこまでいっても自然の一部です」
「…………」
いやそんな凛々しい目で見つめられたら...
「人間を襲うこともあれば守ってくれることもある、自然は気まぐれで、でも人間の手ではどうすることもできなくて、だから受け入れるしかない」
「──え?なにを?」
私は二つの意味で問いかけた、一つは見惚れていたので良く聞こえなかった、あと一つは言っている意味が分からなかった。なにを受け入れるっていうんだ?
「この海を、です」
「…………」
いつ気まぐれを起こすか分からないこの大自然を受け入れる、それは簡単なようで難しいことのように思える。
「なるほど、勉強になったよ。国王陛下も王女様の我が儘を受け入れたから、昨日はご飯を食いっぱぐれたんだな?」
「…………」
図星らしい、国王陛下も王女様と同じようにちょっと視線を逸らして頬を染めた。こいつも普通に可愛。
(脱がせて〜!世の中にはこいつを丸裸にできる奴がいるんだよな〜そいつ今すぐ死なないかな)
なんて馬鹿な妄想をしつつ、その後も軽い話をしつつ、午前中の目的地であるヴァルキュリアに到着した。
*
「ア、アオラさん!」
その悲しみを帯びた痛々しい叫びは、風の音にも負けずよく響いた。
スイさんという女性が機内を覗き込んだまま固まっている、先に降りていた私はレイアの手を引いたままスイさんの所まで戻った。
私も機内を覗き込む、出入り口の前でアオラさんが胸を押さえて膝を折っていた。苦しそうに呼吸を繰り返し、顔を俯けている。
ただの乗り物酔いかな?と私は思ったのだが、スイさんの顔色がおかしかった。
「救護が必要ですか?」
何かの持病があるのかと考え、そうスイさんに提案するがアオラさん本人に断られてしまった。
「い、いや、その必要はない、よ…」
「アオラさん…」
(どうしてそんな寂しそうな顔をするんだろう…)
体調を崩した人を心配するのは分かる、けれどスイさんの顔はまるで見捨てられそうになっている子供のそれだった。
何とか息を整えたアオラさんが面を上げるが、色は白く汗がたくさん出ている、とても大丈夫そうには見えない。それでもアオラさんは気丈に笑ってみせた。
「悪い、急に目眩が来た…いやはや、歳には敵わない…今からお前みたいな化け物を相手にしないといけないのに、自分の体に負けてしまいそうだよ」
「アオラさん、とにかく今はゆっくり、体を落ち着けてください…」
「もしかして、はじめから体調が良くなかったのですか?」
「この歳にもなるとな、ちょっとした事で体が悲鳴を上げるようになるんだよ。昔はあんなに元気だったっていうのに、ほんと自分でも驚きだわ」
「…………」
体調が優れないのにこの人は海を超えてここまでやって来た。もし、私が面倒臭がらずにもっと前にこの場を設けていたら、この人は今この場でうずくまるような真似をしなかったのかもしれない。
この人の覚悟はいかばかりのものか、少なくとも休むことしか頭にない私と違って強いはずだ。
「アオラさん、使節団の方には私の方からきちんと説明してまいりますので、今は休養なさってください。ここにも宿泊施設はありますから、係の者に案内させます」
「すまない、口では元気と答えられるが体を言うことを聞かん。スイ、お前は行ってくれ」
「…………」
「いいから行けって、今日明日に死ぬわけじゃないんだから」
「死ぬだなんてそんな…冗談でも口にしないでください…」
「スイ」
「………分かりました」
スイさんが名残惜しそうに、置いていかれる子供のような寂しさを残しつつ、アオラさんから離れた。
私はつい、レイアの顔を上から覗き込んでいた、どんな顔をしているのだろうと、幼い子供が目にするには少し刺激が強いと思った。
「……………」
レイアもスイさんの寂しさにあてられたのか、今にも泣きそうな顔つきになっていた。
握っている手に力を込める、レイアは弾かれたように私を見上げた。
とくに何も言わなかった、ただ笑顔で頷いてあげた。
それでもレイアから寂しさの色が抜けることはなかった。
◇
ヴァルキュリアの島、ここは平常心ではいられない、私にとって特別な所。
アネラと最後に言葉を交わした所、あの一瞬の気の迷いがなければ、きっと彼女は今も生きていたに違いない、そう考えずにはいられない場所だった。
今を思えば、あの時月光の下で共に過ごした時間が皆んなにとっての最後であった。
どれだけ子供であったか、いかに自分が無邪気であったか、あの時の航海後も皆んなが全員揃っているだなんて、どうして何の根拠もなく信じてしまったのか。
ここを発ち、ノラリスと共に地球を旅しているあのおじいさんが言った通りなのだろう。
(人を失う痛みは経験しなければ分からない、そうして人は強くなっていく…)
レイアと同様、どうやら私もスイさんにあてられてしまったようだ。気分が感傷的になってしまい、使節団の人たちへ行なう説明もいくらか歯切れが悪くなってしまった。
ただまあ、オリジンの人たちは気にしていなかったようで先日の船同様、目を皿にしてあちこちくまなく見学していた。
一体どこを見ているのか、彼らはラハムが開発した新型ドローン(ついにドローンがドローンを生産する時が来た!)に目もくれず、工場で働く人たちのために建てられたマンションを調べ上げ、やたらと「ここの土壌はどうなっているか」と訊ねられた。
(土壌について訊かれても分かんねえ)
昔と比べてこの島も随分と賑やかになった、主に縦方向に。「もう平家はいいでしょ横に広げるのめんどくさいんだよマンション建てるからそこに住んで!」と、母神組が呼吸するように建てたマンションが並び、その足元に商店が密集している。そして、私たちは今その商店エリアにいた。
落ち込んでいた気分がいくらか戻ったレイアが、私のすぐ隣りでカップアイスを頬張っている。頬っぺたに付いたアイスを拭ってやり、それから私はこの子に訊ねた。
「ねえ、あの人たちどこを見てると思う?」
「建物、そんな気がする」
「やっぱりそう思う?私もそう思うんだけど、その理由が分からないんだよね〜」
セレンの二子山のように高い二つのマンションの間から、まだまだ熱い陽射しを投げかける太陽が見えている。二つのマンションはその陽射しを遮り、濃い日陰を作ってくれていた。
「向こうの建築技術が未発達?」
「う〜ん…でも聞いた感じ、向こうの街ってテンペスト・シリンダーの天井にあるみたいなんだよね。そんな所に建物を建てられるのに、わざわざ私たちの建物を見る?」
「後でマウント取るつもりとか」
「そんな事するために海を渡ってきたりしないでしょ」
「──ねえお母さん、そんな事より…」レイアが食べ終えたアイスの容器を私に渡してきた。私はゴミ箱かな?
小言を口にする前に、心臓が凍りつくようなことを言われてしまった。
「お母さんもいつかは死んでいなくなっちゃうの?」
「………」
「どうにもならないの?」
「………」
やはりこの子はさっきの光景を重たく受け止めていた。
何も答えられない、慰めや気休めの言葉なら沢山知っているが、きっとそういう言葉を口にしてもこの子は納得しないだろう。
だから、事実を告げるしかなかった。
「そうだよ、私もいつかは海へ還る、あんたよりも早くね」
「………」
「だから、私が海へ還るまで、あんたはうんと頑張って生きなさい」
「何を頑張ればいいの?何を頑張ったらお母さんは喜んでくれるの?」
「そうだね、とりあえずゴミは自分で片付けられるようになって」
そう言ってアイスの容器をレイアへ差し出す。
「それはやだ、お母さんが捨ててきて──あああ!!!」
生意気を言った娘の体を抱え上げてアイスを売っていた露店まで走って行き、設置されていたゴミ箱に我が娘ごと投げ入れようとした。
さっきまでの暗い顔は嘘のようにレイアは笑い、なんやかんやあって周りの人たちから止められてしまった、まあ当たり前なんだけど。
本当にレイアは聡い、将来どうなるのか、今から楽しみだ。
*
『ホノルル』とは過去に実在した街の名前であり、ここウルフラグに住む人たちはそんな街にあやかってその名前を頂戴していた。
ホノルルは水没したビルとイカダの街である。その昔は権力者がこぞってビルに住んでいたらしいが、今となっては観光地に変わっており、もう直に夏が終わろうとしているこの季節でも沢山の人が海の中を泳ぎ回っていた。
──そうだよ、私もいつかは海へ還る、あんたよりも早くね。
(そこまではっきりと言わなくても…)
お母さんは今、ホノルルの博物館にいる。そこにはこのハワイにおける歴史的な資料などが展示されており、オリジンの人たちに説明を行なっているところだ。
きっと今日も家に着いた途端、子供みたいに愚痴を言いながら床に倒れ込むに違いない。
そのお母さんがいずれ、居なくなってしまう。
お母さんだけではない、ママもそうだ。
二人とも、私の前からいずれ居なくなってしまう。
その日が必ずやって来る。
それはなんと悲しいことなのだろう、止めたくても止められない時間の流れが、私たちをその結末へ運んでいく。
「…………」
博物館に興味がなかった私はお母さんの元を離れ、ホノルルの街を一人でぶらぶらしていた。
さっきまで、「迷子になったら危ないのでラハムが付いていってあげます!」とウザいラハムが私の頭上に陣取っていたが、気が付いた時にはいなくなっていた。
居なくなったのには理由があった、博物館の回りをぐるりと一周して戻って来た時だった。
「私も一緒していいかな?」
スイという女性が、博物館の入り口前に立っていたのだ。
「ドローンから君の居場所を教えてもらったの、それに君のお母さんからも心配だから様子を見てきてほしいってお願いされてね」
「…………」
「何処へ行っていたの?」
「いやとくには…辺りを歩いていただけ、です」
どうやらこの人は私が戻ってくるのをここで待っていたらしい。
スイという人が私に向かって手を差し出した、手を握れ、ということらしい。出会って間も無いのに子供扱いする気?そりゃそうか、私はまだ子供だ。
手を握った時、スイさんがこう言った。
「君は昔の私に似ているよ、傍に誰も居なくて寂しくて。独りぼっちで戦闘機だった頃の私にそっくり」
(´Д` )?
◇
正直、目の前で再生されているタイタニスのダイナミック撤去工事よりもスイさんの話に興味を惹かれた。
ホワイトウォールに差し迫ろうとしているほどビッグなマキナがその剛腕を振るうたび、この世界を囲っていた壁が紙切れのように破壊されている。
海へ落ちていく壁の破片が盛大な飛沫を空へ上げ、そのたびに見学していた人たちの歓声もまた同様に上がっていた。
本当は私もこの『撤去見学ツアー』に参加したかった、けれどさすがに子供は危ないという理由で連れていってもらえなかった。
けれど、今となってはどうでもいい、この映像よりスイさんの話である。
「私は元々こっちの人じゃなくてね、仮想世界から生まれたの」
「…………」
「それで、本当はただ消えていく運命だった私を救ってくれた人がいてね、とりま戦闘機のコンソールにでも移しとけっていうことでなんとか生きながらえることができたの」
「ちょ、ちょっと待ってください、その時点でもう既に意味が分からないです」
「で、その時の戦闘機のコードネームがスホーイ47、だから私の名前はスイっていうんだよ」
「人の話聞いてる?勝手に話を進めないで──あっ、タメ口すみません。でも私は悪くない、突っ込ませるあなたが悪い」
「だったらはじめから謝ったりしないで」
見上げるスイさんは手元に握り拳をあて、くすくすとお上品に笑っている。うん、私の両親とはまるで違う、品のある人だ。二人なら間違いなく大口を開けてげらげらと笑うだろう。けれどそこが良い。
映像では海に落ちた壁の破片を拾い上げ、別のタイタニスに渡しているところだった。そう、あんなにバカでかいというのにタイタニスというマキナは複数体いる。
もし、タイタニスが壁の内側ではなく外側から破壊していたら、きっとこの映像は人類が最期に残したメモリーになっていたことだろう。
「結局のところ、あなたは一体なに?」
「マキナ、っていうことになっているよ。私たちの街ではマキナも身分の一つになってるからね」
「え、でも仮想から生まれたんだよね、仮想に住んでいた人が現実でマキナの身分を手にして生きているってこと?」
「そうなるね。私たちの街にはそういった人が沢山いるんだよ、元々は動物型のアンドロイドだったけど、人型のマテリアル・コアを手にしたアイドル三人組とか」
「………………………はあ?」
その言葉が頭の中を三周ほど回り、「まあスイさんがそうなのだからそういった人たちもいるんだろう」と納得しかけたが、「元々は動物だったアイドル三人組?」とやっぱり脳みそが理解を拒んだ。
「え…もうほんと、何言ってるか分かんない…」
「実際に会って確かめるのが一番良いかもね、百聞は一見にしかずと言うし」
「そもそもあなたのことがまだ…いえ、もういいです、頑張って消化します…」
博物館内の一階メインロビー、そこに設置されている大型モニターの前で私はううんと大きく首を捻った。
モニターではダイナミック撤去工事が引き続き上映されており、先に入館したオリジンの人たちは一通り視聴したのか、この場にいるのは私とスイさんだけだった。
(うん、いくら考えても元戦闘機の女性と元動物だったアイドルについては分からない)
よし、別の角度からこの人に質問してみよう。
モニターでは二機のタイタニスが謎の喧嘩を繰り広げているところだ、きっと撤去する壁のことで揉めているのだろう、互いに違う方向を指差して肩を掴み合いゆすぶっている。映像で見る分には見応えはあるが、足元で見学していた人たちは気が気ではなかっただろう。タイタニスたちが生む波が船を葉っぱのように揺らしている。
「どうして私にシンパシーを感じたのですか?」
「それはさっきも言ったように寂しそうにしていたからで…そういう事ではなく?」
「そういう事ではなく。私が寂しそうにしていたのはきっと、あなたがとても寂しそうな顔をしていたからです」
スイさんの二つの目が、とても柔らかで、けれど厳しさも知っていて、そんな見た目以上に年輪を刻んでいる双眸が私を捉えている。
──心の中を読まれたのかと思った。
「君の瞳には年齢以上の知性が宿っているように感じられる、だからシンパシーを感じたの。君、普通の生まれじゃないよね?」
まさしくその通り、ビンゴである、そして私がコンプレックスに感じていることだ。
「そうだけど?」
つい、つっけんどんな物言いになってしまった。
「どんな生まれなの?教えてくれない?」
え?何この人、なんで目が輝いているの?
顔に出ていたのだろう(というか実際後退りした)、スイさんが慌ててこう付け足した。
「いやいや、変な意味はなくてね、まさか他塔で同じ生まれの人と出会うなんて思ってなかったから」
「たとう?」
「別の国を他国と言うでしょ?だから別のテンペスト・シリンダーは他塔」
「ああ」
「で、どんな生まれなの?私と同じだったりする?」
「ええ…普通に引く…」
「もしかしてコンプレックスに感じてたりする?私と同じだね」
「ええ…グイグイ来るの普通に怖い…」
もうスイさんもモニターを見ていない、子供のように無邪気な瞳をこっちへ注いでいた。
「知りたいの君のこと!やっぱり私の勘は正しかった──レイアちゃんとは長い付き合いになりそうだよ!」
「いや、今週末に帰りますよね──止めて!それ以上近づいたら大声上げながら助けを求めるよ!」
その後、本当に大声を上げながら館内中を走り回ってやった、だってこっちの言う事を聞いてくれなかったから。
*
どうやらうちの娘はモテるらしい、オリジンの人から言い寄られたようだ。
「いい?レイア、そういう時は無下に断るんじゃなくて関係を匂わせて上で繋ぎ留めておくの。そうすればいざという時に使えるでしょ?」
「ママはいつもそうやってお母さん以外の人をストックしてきたの?」
「ううん、ママは昔からお母さん一筋だったから、ストックなんて一度もしたことがなかったわ」
「だったら私にさせようとするな!」と、レイアが私に華麗な突っ込みを入れながら、フライパンに乗せていたハンバーグを華麗にひっくり返していた。
肉と油の香ばしい匂いがキッチンに立ち込める。食欲を唆る匂いを嗅いだ途端、お腹の虫がぐうと細く鳴いた。
オリジン使節団との観光は今日で終わり、ようやく緊張と気疲れから解放されたナディは帰ってからずっと自室に引き篭もっている。この美味しそうな匂いを嗅げば部屋から出てくるだろうと思っていたが、扉は封印が施されたようにビクともしなかった。
まあいい、三人で一緒に夕食を食べたかったが、今日はゆっくりと過ごさせてあげよう、どうせ明日は一日中外出することになるのだから。
「そのスイって人は向こうでお偉いさんなの?」
「そうなんじゃない?人の肩書きを気にしたことがないからうろ覚え」
「出来た娘だ…肩書きだけで人を判断しないその観察力…ママは教えていないのにもうママの良さを盗むだなんて…」
「すごい自画自賛。──これでいい?」
そう言ってレイアが見せるフライパンの上には、こんがりと美味しそうに焼けたハンバーグがあった。
「うん上出来よ。お母さんにも出来立てを食べさせたかったけど…」
「別にいい、明日の朝寝起きにハンバーグ突っ込むから」
「そうしてあげて」
「いや止めて?ただの冗談だから」
夕食の準備を終えたあと、念のためナディが篭っている部屋の扉をノックする。返事は無くしんと静まり返っている、案外もう寝ているかもしれない。
それからキッチンへ戻り、二人でその日の夕食を食べた。
私とレイアの話題は引っ越し先のセレンについてだった。
「もう家は決まったの?」
「ううんまだよ、これからずっと住むことになる家だからね、慎重に決めているわ」
「ふ〜ん…」
レイアは新しい住処より、目の前にある料理にご執心らしい。およそ子供らしからぬ手つきでハンバーグを切り分け、その小さな口の中へ放り込んだ。
「〜〜〜♪」
幸せそうに目を細めてもぐもぐと食べている、見ているだけでお腹がいっぱいになりそうだ。
──レイアは普通の子供ではない、なんなら私たちのお腹から生まれてきた子供ではない。
特殊な出立ちをした、悪く言えば"歪な"出立ちをした子というのはすぐに噂になる、そのせいで私たちが少なからず遠ざけられているのもまた事実だ。
引っ越しを決めた理由の一つだ。
そんなレイアは私の心配を他所に、ハンバーグを美味しそうに平らげていく。
「ママ?食べないの?」
食事の手が止まっていた私を心配して、娘がそう声をかけてきた。
「ううん、レイアがあまりにも美味しそうに食べるから」
「なにそれ」
ありがたいことに私のパパとママはレイアを受け入れてくれた、「可愛い孫娘だ!」と私以上にレイアを可愛がってくれる。
悲しいことにナディの両親はもうこの世にいない、だから可愛がってもらうことができない。
「…………」
彼女は現状をどう思っているのだろうか、以前と比べてレイアと仲良くしてくれているし、仕事だってきちんとこなしてくれている。だが、何も思わないという事はないだろう。
両親が他界し、そして自分の子供が特殊な出立ちをしているこの現状に、彼女はストレスなど溜め込んではいないだろうか。
(セレンへ行くのはまた今度にしようかな…明日はゆっくりと休んでもらって──)
その時だった、ナディが篭っている扉の向こうから奇声が聞こえてきたのだ。それこそ「ぎゃあ!!」みたいな。
もう私もレイアも大慌て、「ついにお母さんが狂った!」と言い、あんなにご執心だったハンバーグをほっぽり出して部屋へ駆け寄った。
「ナディ?!今の声は何?!なにかあったの?!」
ちょっと物音が聞こえてから、「あ!いや!なんでもないから!」と本人から返事があった。声を聞く限り元気そうである。
その本人が封印をあっさり解いて顔を出してきた。
「いやほんとごめん、何でもないから」
「いや何でもない時に出す声じゃなかったよ?」
「いやいやほんとほんと、大丈夫大丈夫」
彼女の顔色を見るに元気そうである、ただ額に汗をかいてはいるが。
「ほんとに大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫、大丈夫だって」
「お母さん、さっきからそればっかり」
(──ん?)
ナディの不自然な姿勢に気付いた、彼女は体を半分だけ部屋の外に出して、もう半分は見えないように隠している。
レイアもそんなナディの様子に気付いたようだ。
「お母さん?何か隠してる?」
「えっ?!いや、なんで?何も隠してないよ」とか言いつつ、携帯を慌てながらポケットにしまう瞬間を私たちは見逃さなかった。
「なんで携帯隠すの?」
「隠すって言い方ひどくない?ポケットに入れただけじゃん」
「だったら携帯見せて」
「いやいや」
「お母さん、私も見たい」
「いやいや」
「ナディ」
「お母さん」
「……………」
観念したナディが一度しまったポケットから携帯を取り出し、私たちに差し出す。だからなんで隠す?
ナディから携帯を受け取り画面を確認する、そこには...そこにはなんと...
「え、お母さんってこういうのが好きだったの?」
「いやほらね、たまにはね、こういうのもアリかなって」
「ママがいるのに?綺麗な人を見たかったらママを見ればいいじゃん」
「いや、この人たちはどっちかと言うと綺麗系より可愛い系じゃない?」
「小さく映ってるからよく分からないけど…なにこの頭に付けてるやつ、動物の耳?──あ!これってもしかして、向こうのアイドル三人組?」
「そうそれ!よく知ってんじゃんレイア!なんかね、向こうには獣人のアイドルがいるみたいでさ、グガランナにお願いして配信動画コピーしてもらったんだよ!」
「これ見て変な声出したの?」
「いやだってこれ普通にすごくない?こんな人たちが現実にいるんだよ?!一度は会ってみたいじゃん!──これこれ、私が声出した場面!このドアップになった時にね…」
「お母さん」
「ほらレイアも見てみなって絶対ファンになるから!私この猫耳の人が一番好きかな〜、このまだら模様ってどんな動物なのかな」
「お母さんってば」
「牛?シマウマ?──ああ!シカか!この人はシカなんだ!へえ〜」
「もう知らないからね、あとは頑張って」
「──ねえ、ナディ、少しお話しない?」
そこでようやくナディが状況に気付いたようだ、「は!」と間抜けに声を上げ、私を凝視している。レイアはさっさと引き上げて食事に戻っていった。
「ねえ、私たちがどれだけ心配してたと思ってるの?それなのにあんたはこんな訳の分からないアイドル動画に現を抜かしてたっていうの?──信じられない!」
「いや、見てただけで別に悪いことしたわけじゃ…」
「それ浮気した人が言うセリフだからね?!」
「いや浮気してませんけど?!というか動画見ちゃ駄目なの?!見ることすら許されないの?!」
「私がいるじゃない!そんなに猫耳がいいなら私にその猫耳を付けて堪能すればいいでしょ?!」
「見飽きたわその顔!!」
「なんだと?!?!」
その夜、私たちの喧嘩はベッドの上まで続いた。
*
昨日は散々だった、せっかくの観光──じゃなくて、見学だったというのに体の不調のせいで私は病院で一人過ごす羽目になってしまった。
ただまあ、収穫はあったようである。このテンペスト・シリンダー一番の工場地帯で様々な技術を確認し、そしてそれが流動可能であることも他のメンバーが結論付けていた。
それからスイである、あの子も「自分と同じ境遇の子を見つけた」と、見舞いに来てくれた時にそう言った。
勿論良いことばかりではない、マリーンに到着して数日、人心地がついたからだろうか、使節団の中から不調を訴える者が現れた。
私のような身体的なものではなく、精神的なものだ。
(確かに、言われてみればこれは怖いのかもしれないな…)
検査入院を終え、戻ってきたホテルの自室から海を眺める。太陽の光りを浴び、この計測不能な大質量の液体が無限にキラキラと輝いていた。
──落ち着きません、こんな大量の水に囲まれて、いつ押し寄せてくるのかと思うと…
そう、海が怖い。彼らはそう言い、帰国することを選んでいた。
帰国する使節団の代わりに何人かこっちに来ることになっている、というか用意していた切り札だ。
どうやら反応は上々らしい。
「恩に着るよ」
「いいえ、私としても皆んなに仲良くしてほしいから」
「やはりというか、ちょっと違うんだな、私の知っているあいつはそんな腹黒いことは言わないぞ」
「皆んなが仲良くなるために裏で画策することを、私は腹黒いことだとは思わない」
「同感だ」
「なら腹黒いって言うな」
彼女がそう言い、通信が切れた。
私は今日一日ホテルで安静にしていなければいけないが、他のメンバーたちは思い思いの場所へ出かけていることだろう。
今日のフリー日の後、明日はいよいよ国王陛下と対談の場である、商談と言ってもいい、そこで上手く事が運べば明後日は調印式だ。
私も外へ出かけたかったがそうもいかない、今は体調を整えて明日に備えないといけない。
(さあて、あの化け物相手にどこまで話ができるか…)
その前にどんな反応を見せるか、楽しみである。
◇
翌る日。
「どうも〜!フリーリのリコラでーす!「ぎゃあ!!「私はリプタだよ〜!「ぎゃあ本物!本物いるんですけど!「私はフィリアです「ああ!ああ!本物!」
(な、なんか、す、すごい喜んでる…)
ただの一般人かな?私が用意した切り札に向かって国王陛下が手を振っている。熱烈な歓迎を受けているフリーリの三人も引き攣り笑顔である。
国王陛下のすぐ傍にいた男性が「はしゃぎ過ぎ!」と注意していた。側近の人かな?
「し、失礼しました、いえ、先日フリーリの動画を視聴したものですから…」
能天気キャラとして人気を獲得しているリプタが、「ありがと〜!」と国王陛下に向かって手を振った。また「ぎゃあ!」である、全然懲りない国王陛下、しまいには「こっちに来てリプタちゃ〜ん!!」と熱い声援を送っている。
リコラたちがさっと視線を送ってくる、私は静かに頷きゴーサイン出し、三人は観念したように国王陛下の元へ近付いた。
いやもう三人も歳だしね、昔のようにアイドル業を続けるのは難しい。けれど私が「次が最後だから」とかれこれ一〇年近く言い続け、ここまで辞めさせずに引っ張ってきた。
そのお陰もあって今日、いよいよの出番である。
三人を真近で迎えた国王陛下のテンションも臨界点に到達し、もう言葉すら出ないのか、口元を手で押さえて首を何度も振っていた。よっぽど嬉しいようだ。
引き攣った笑顔のまま、リコラが初手を打った。
「あ〜…国王陛下さん?俺たちのこと、どこで知ったんだ?」
「あー!見た目通りのボーイッシュ!予想通りのオレっ娘!そのストレートさがむしろ新鮮!」
何言ってんだあいつ。
お次はリプタだ、能天気キャラを演じているわりには頭の回転が早い奴である。
「国王陛下は私たちの中で誰が一番好き?」
「君〜〜〜!君が一番好き〜〜〜!」
「……………」
「ねえ、その耳って本物?触ってもいい?」
「い、いいですよ…」
ドン引きしたリプタって何気初めて見るかも。これはこれで新鮮だ。それに全人類に対してタメ口を使うあのリプタが敬語だ。
許可を得た国王陛下がすっと立ち、おもむろに手を伸ばしてリプタの耳に触れた。
さっきからテンションが気持ち悪いことになっているので皆んな国王陛下にドン引きしているが、あれもあれで絶世の美人さんである。
「手触りがすごく良い…触っているだけで幸せになれるよ、君の耳」
「はぅっ!」お?なんかクリーンヒットしたっぽい、恋する乙女みたいに胸の前で手を重ね始めた。
国王陛下もリプタのことがよほど好きなのか、片方の手で頭を撫でながら、片方の手はリプタの腰に回している。あいつ手慣れてんな〜。
「私の家に来ない?毎日君の顔が見たい」
「行きます!!」
「駄目だめ!」
「何言ってるのリプタ!」
「そうですよサーストンさん!奥さんに殺されますよ!」
国王陛下がリプタをぎゅうと抱き締めながら、その側近さんに向かって「いやでもこの子はアニメ好きにとって神にも等しい存在じゃない?!耳と尻尾だよ?!全人類の夢なんだよ?!」と叫んだ。安い夢だな。
リプタは抱き締められてノックアウト、国王陛下の胸に体を預けていやがる。いや確かにあんな奴に抱き締められたら誰だってノックアウトするかもしれない、私も耐えられる自信はない。
「いいじゃんちょっとぐらい我が儘言ったって!こういう時のために今日まで頑張って来たんだから!──ねえ、さっきのは冗談としてガチで私の家に来ない?というか一緒に遊ばない?「もう…好きなようにしてください…」
「サーストンさん、そこまでその方をお好きにしたいのなら、長期休暇の申請は取り消しにしますよ、よろしいですね?」
そこで国王陛下がリプタをすっと離し、今さらかしこまった口調でこう言った。
「──ごめんなさい取り乱してしまって、あなたと出会えたことを光栄に思います」
あいつどんだけ休みたいんだよ!長期休暇の方を取りやがったぞ!
勝手に惚れて勝手に振られたリプタがこっちに戻って来た、「もう誰も信じない」とかブツブツ言っている。
すまんリプタ、けれどなんとかイニシアティブを握れそうだ。
◇
さて、色々と一悶着あったがついに対談が始められた。
対談場所は円卓街の一角、国王陛下が根城にしているアロンダイト(すごい名前)、外観は四角四面のボックスって感じ、中身はいかにも仕事重視の質素な所だ。うん、こういう振り切った感じは嫌いではない。
アロンダイトの大会議室、大きめのラウンドテーブルに両陣営が構えている。さっきのおかしなテンションが尾を引いているのか、なんとも微妙な空気が満ちている。
まずは国王陛下から簡単な挨拶。
「改めて、皆様方の申し入れを断り続けたこと、お詫び致します。ハワイはまだまだ復興の最中にあり、皆様方もご覧になられたかと思いますが、いくつかの街はまだ壊れたままで完全に復興を終えたわけではありません。その対応に追われていたのが、申し入れを断っていた主な理由です」
「他にも理由はあるのか?」
「面倒臭かったからです──ぶふっ?!」
側近から肘打ちを食らい、国王陛下が変な声を出した。
「いやいや、それぐらいストレートな物言いの方がこっちも助かるよ、何せこっちは街の運命がかかっているからな」
国王陛下が脇腹を押さえつつ、私に訊ねてきた。
「それはどういう意味なのですか?文字通りの意味?」
「そうだよ、私たちの街は今、大きな問題を抱えている。──住む家が足りないんだ」
アヤメとナツメ、それからグガランナたち、言わば落星の功労者たちが街をビーストの脅威から救ってくれた。ビーストが姿を消し、私たち人に害を与える存在が消え、平和が訪れた。
けれど、問題というものはどうしたって発生するし人が生きている限り決して無くなることはない。
住む家が足りない、具体的には家を建築する人の手が絶望的に足りないのだ。
「住む家が足りないとは…あなた方も何かしらの災害に見舞われたのですか?」
「違う、そうじゃない。私たちの街には以前、ビーストっていう殺戮機械が存在していてな、そいつらのせいで毎年多くの死傷者が出ていたんだ」
国王陛下が小さな声で「あ、そんな話を確かアヤメさんから…」と言った。
そういやあいつら顔見せないけどどこへ行ったんだ?私がこっちに居ることぐらい知ってるよな?
「本当に皮肉な話なんだがビーストが居なくなった途端、街が人で溢れかえるようになって住居の問題が深刻化したんだ。幸いにも家を建てる土地は余っているが、さっきも言ったように人手が全く足りない。住民の中には資産はあるのに家が無いっていう奴もいる」
「それはまた…」
オーディンとディアボロスが行なっていた行為は決して受け入れられるものではない、だが、奴らがビーストを製造し人を襲わせていたことで、当時の私たちは住む家に悩むことはなかった。
本当に皮肉な話だ。
「そこでだ、今回派遣された使節団の奴らにはハワイの建築技術を良く見ておくように言っていた。もしかしたら失礼な言動があったかもしれないが、そこは許してほしい」
「いいえ、そのお話を聞いてようやく合点がいきました。だから皆様方は壁や床、建物ばかりを見ていたのですね」
「そう。それで、私たちの見解は申し分ないという答えに至った──」さあてここからだ、「──私たちはお前たちハワイと取り引きをしたいと考えている、今回の遠征だけでなく今後長きに渡って続く関係というものだ」
「具体的な要求はなんでしょうか」
「建築技術の提供、あるいは伝授、あるいは建築業に携わる人員の提供だ。何度も言うが、今の私たちにとって最大の問題は住居の普及率にある」
「我々ハワイから提供があったとて、速やかに解決する問題のようには思えません。それに私は国王という位にいますが、それはあくまでも為政を行なう上での線引きであって命令権を持っていません」
「民主主義と同様だと言いたいのか?」
「そうですよ、然るべき方々へあなた方の要望をお伝えすることはできますが、今からオリジンへ行って家を建ててこいと命令はできません──ちょっとカマリイちゃん…」ん?なんだあの小さな子供は...
国王陛下の隣には、昨日とは違う子供が座っていた。今気付いた。昨日の子とは姉妹かな?その子が国王陛下に何やらコソコソと耳打ちしている。
思っていた通り、いきなり色良い返事は貰えなかった。これは想定通り。むしろいきなりこんな要求をされて「あ、いいですよ」なんて言う奴の方がおかしい。
いまだに子供とコソコソしている国王陛下に向かってこう話を続けた。
「無論、タダでとは言わない、一方的な利益供給はただの搾取と変わらないからな、私たちもお前たちへ何かしらの提供をしたい」
「と、言われましても…」
ここでフリーリの出番!
「こいつらを国王陛下の専属にしても良いと言ったら?」
少し離れた位置に座っていた三人が「にゃに?!」「はあ?!」「また勝手に話を…」とそれぞれ言っている。すまんな、これで本当に最後だから。
さっきはあんな反応を見せたというのに、さすがは国王陛下といったところ、冷静に断っていた。
「先程のアレはどうか忘れてください。国単位の取り引きなのですから、私だけがあなた方から利益を受け取ることはできません」
隙が一つもない、本心からそう言っているのだろう。
肩の力を抜いて背もたれに体を預け、隣にいるスイにだけ聞こえるように言った。
「もう駄目だ、万策尽きた」
「早くないですか万策尽きるの、一つしかない策は万策と言いませんよ」
こっちも冷静でいやがる、この間はあんなに慌てていたのに。
冷静な突っ込みを入れたあと、スイちゃんは国王陛下に提案していた。
「フリーリの件は冗談だとして…私共から提供できるのは──」そこからスイちゃんは、フォレストリベラで流通している電化製品の紹介を始めた。
一通り聞き終わったあと国王陛下が一言。
「実物はありますか?」
さっ!とスイちゃんがこっちに目配せしてくる、私は静かに首を振った。
「いやなんでですか…!これ紹介しろって言ったのアオラさんでしょ…!」
「いや、あの三人で落ちると思ってたからとくに準備してなかったんだわ…」
小声で応酬し合う私たち、国王陛下はのんびりと待ってくれた。というかさっきお前たちもやってたしな。
「その自信は一体どこから…!ああ、他に何か…取り引きに使えそうな物は──あ!その、食料などはどうですか?私たちの所では広大な土地を利用して穀物類の栽培をしているのです」
「食べ物ですか…それは有り難い申し出なのですが──」そこで国王陛下が急にフリーズし、瞳がぴたりと動かなくなった。
(ん?)
それからすぐ、国王陛下が再起動して話し始めた。え、こいつ本当に人間なのか?マキナよりアンドロイドっぽいぞ。
「え〜と、資料か、あるいは映像でもいいのですが、拝見できるものはありますか?」
「あります!」とスイちゃんが元気よく答え、手にしていたタブレットを渡してあげた。
それよりも、フリーズの前後で発言する内容の違いが気になる。フリーズする前は否定的な物言いだったのに、再起動した途端、資料を見せてほしいと言ってきた。
(誰かにアドバイスでもされたのか?でも、いつ?隣にいる子供は暇そうに端末いじってたし…)
国王陛下は渡されたタブレット画面を覗き込み、再生された動画を視聴している。きっと中部地方の大平野部が撮られたものだろう、黄金に輝く稲穂が波のようにどこまでも揺らいでいる景色は圧巻である、何かの為にとスイちゃんがあらかじめ撮っておいたものだ。
動画を視聴した国王陛下が優しげで、それでいて寂しげな笑顔をつくった。
「懐かしい…久しぶりに見たな…」
「──あ」
(ああ、そうか…ここにも大地はあったんだ…けれど海に飲まれて…)
「す、すみません…その、そういうつもりでお見せしたわけでは…」
「お気になさらず。ただ、異国の景色を見て昔を懐かしんだだけですから」
そう口にする言葉に嘘はないのだろう、動画に視線を落とす目元は少しだけ濡れ、柔らかなままである。
「ここは元々どんな所だったんだ?」
「この動画と同じです、大地があって、畑があって街があって、ビルもあってコンクリートの道もあって車も走っていました。けど、全部波に飲まれて海の底へ沈みました。そして今、その上に私たちの街がある」
「さぞかし良い所だったんだろうな、この目にできなかったのは残念だよ」
「ええ、私もお見せできなくて残念です。──先程の食糧のお話しですが、一度こちらで検討させていただいてもよろしいですか?」
お?マジ?
「え、よ、よろしいんですか?」
「ええ、見ての通りこの国は海だらけ、お陰様で農作物が全く育ちません、だから私たちも困っていたんですよ」
「なら、お互い持ちつ持たれつ、ってやつかな?」
「それは検討後に解答させていただくということで。食べ物を外から持ってくるとなれば、様々な問題がありますから。それにハワイの人たちをそちらに移住させるにも、きっと私たちが想定している以上の課題もあるでしょう」
「ああ、そりゃ言えてる。あの三人、フリーリをこっちに呼んだのも、ここの滞在がキツくなって帰国させた連中の代わりなんだよ」
「滞在がキツくなったとは?」
「海が怖いってさ、落ち着かないって言ってたよ。それで精神的にまいってしまったらしくてな、帰国させることになったんだ」
「…………」
「私はこの問題をシリンダー・ショックと名付けた、生活環境の違いから起こりうる様々な問題の事だな。今回で言えば一時的な精神障害がこれにあたる」
「その人たちはどうなったのですか?」
「まだ何とも、今日向こうに着いたと連絡をもらったばかりだ。でもまあ、機内の様子は全員安定していたみたいだから、安静にしていればそのうち落ち着くだろ」
「だと良いのですが…そうですか、そういった問題が私たちにも起こりうると…」
「それを加味した上で移住について検討してほしい。私たちも無論、全面的な協力は約束する」
話がひと段落した時、国王陛下の隣に座っていた子供が「もう良いかしら!」と言いつつ席から立った。身長が低いので席から立っても上半身しか見えない。
「その子は?」
「ああ、ええっと、以前お話ししたマキナの方です。名前はティアマト・カマリイ、長い間私たちを支えてくれたマキナの一人です」
「え!それティアマトなのか?!」
「それが何かしら?」
「…………」
「…………」
ああそうか、マキナはテンペスト・シリンダーによって見た目が分けられているのか...そういえばそんな話をみっちゃんから聞いたな...
小さなティアマトがむふん!と腕を組み、ちょっと偉そうにしながら言った。
「さっきの話だけれど、シリンダー・ショックなら問題ないわ。ハワイで一番の母神組である私たちなら、どんな環境でも家を建てることができる!何せ私たちは皆んなマキナだから!「いや普通の人もいるよ?」
「え、なに、君がその社長さんってこと?」
「そうよ、ハワイにあるほとんどの建物はこの私が作ったの!「カマリイちゃんが一人で建てたわけじゃないでしょ「もう!ナディは黙っててちょうだい!」
ちょいちょい国王陛下が突っ込みを入れている、私たちと違ってどうやら仲は良いらしい。
「私たちなら問題ないってさっきからずっと言ってるのに、ナディったらいきなりオーケー出さなくていいとかもっと粘った方が「そういう事は言わなくていいから」──とにかく!私たちなら問題ないわ」
「それが本当ならこっちは助かるよ」
「任せてちょうだい!」と、小さなティアマトがその小さな胸を偉そうにトンと叩いた。スイちゃんが「何あれくそ可愛い」とツボったようで、さっきの国王陛下のように口元を押さえて悶えている。
それにしたって大した自信をお持ちのようで、気になった私は小さなティアマトに訊ねてみた。
「普通はもっと嫌がるぞ?何せ見知らぬ土地で家を建てなきゃいけないからな。なんでそんなにやる気があるんだ?」
「私たちは海の上にいくつもの家を建ててきた、けれど大地の上に家を建てことがない、だからあなたのお願いはちょうど良い腕試しだと思ったのよ」
「なるほど」
「それに、私自身の腕試しもしたいと思っていたの。あの日、ナディを超深海から帰還させたような技術を新しく作って、そしてそれを色んな人に使ってもらいたい「貴様!だから余の邪魔をしていたのか?!」
ん?なんかまた小さな子供が...あれもマキナかな?にしてもここは子供が多いな。
──いや、ではなくて、今なんと言った?ちょうしんかい?
「ティアマトと言ったな、そのちょうしんかいってのはなんなんだ?初めて耳にするが…」
「はるかな先にある海の底。日光が届かない数百メートル向こうから先を深海と言うのだけれど、ナディはそのはるか先にある超深海に到達したことがあるのよ」
「…………………」
「…………………」
「深度は一ニ〇〇〇メートル、未だ人類が到達したことがないその深度に彼女は到達した。まあ、事故が起こったのだけれど、その時私が開発した耐圧殻のお陰で生還できたわ「あの時は本当にお世話になりました」
い、いちまんにせんメートルの...?何を言っているんだ...?というか、あの女、海の底へ行ったって...本当なのか?
海の底だなんて想像することすらできない。日光が届かないってことは、深海とやらは真っ暗闇の世界なのだろう。そこへあの女が行った?
(ガチの化け物じゃねえか…)
頭おかしいよあの女、国王は務めるわパイロットの腕前は一流だわ、挙げ句に人類未踏の地も踏んできた、だって?
頭おかしい(褒め言葉)。
スイちゃんも一二〇〇〇メートルの海の底が想像できないのか、天井をじっと見上げ、その綺麗な喉仏をさらしている。きっと、深海を理解できないから空の高さで換算しているのだろう。
ああ駄目だ、こりゃ勝てんわ。国王陛下が持つ肩書きと実績があまりに大き過ぎて、自分がちっぽけに思えてくる。
完全に勢いを失ってしまった私は沈黙することを選んだ。
(検討すると言ってくれたが…こんな奴と取り引きだなんて、上手くいく気がしない。そりゃ、食糧程度じゃ興味が沸かんわな…)
くぅ〜、フリーリで落とせなかったのが悔やまれる、あそこで一気に優位に立てれば...
この日の対談はこのままお開きとなり、私たちは忸怩たる思いで国王陛下の前から去っていった。
◇
残念でした、で終われる話でもなく、ホテルに到着した私たちは早速作戦会議を開くこととなった。というかスイちゃんがまだ上を見上げたままなんだけど、首大丈夫?バグった?
「マキナのティアマト…なんだっけ、あのちっこいのが私たちの所に行きたいと言っていたが、結局それを決めるのはあの頭がおかしい化け物だ」
「そう言ってもらえるだけ希望はありますが…向こうが何と言ってくるか…全く読めませんね」
「そりゃあ化け物だからな。信じられるか?海の底へ行ったって、一体どんな世界なんだよ」
見上げたままだったスイちゃんがようやく頭を戻した。
「空気にも重さがあるように、おそらく水にも重さがあります」
私たち皆んな、スイちゃんが口にした言葉を理解するため一拍の間を置き、「お、そうだな」と返した。
「気圧ってやつだろ、それがどうかしたのか?」
「まあ大雑把に言えばそうなりまね。気圧があるようにきっと水の圧力もあります、そしてあの国王陛下は一二〇〇〇メートル先にある底へ行きました」
「それが天井を見上げていた理由か?」
「水は空気よりも重いです、当たり前ですが、その重さが一二〇〇〇メートル分も加わる所って一体どんな世界なのだろうと思いまして…」
「そういえば、あの小さいティアマトがたいあつこくがどうと言っていたな…それってもしかして、人を守るための道具とか?」
「おそらくは──で、あれば、このハワイが持つ技術力は相当なものかと、それだけの水圧が加わる所でも壊れない道具を作ったわけですから」
「…………あああ〜!!!「アオラさんがついに壊れた「無理もない「もう駄目だ、今すぐ帰ろう「諦めるの早くないですか?というか少しぐらいアオラさんの心配しましょうよ!」
ちくしょう!スイちゃんの言う通りだ!そんな物を作れるならきっと頑丈な家を建てられる!
私たちより技術力が高い、ま、こっちには海が無いので一概にそうだと言い切れないが、少なくともここにいる連中は海の底へ行けるだけの技術力がある、申し分ない、是非ともフォレストリベラへ誘致したい。
けれども!今日の対談は成功とは言えない、それに私たちは明後日ここを発つことになっている、交渉を続けようにも時間が足りなかった。
それに議会の説明も一切終わっていない、ヤバいどうしよう、色々協力してくれたミっちゃんにも申し訳ない。
「スイちゃん!もう最終手段だ!その体で国王陛下を落としてこい!」
「ひどい!」
「え、あの人百合なの?」
「なんかすごい美人な人が奥さんらしいよ、七色の奇跡って言われてるみたい」
「ガチ?それならフリーリも一緒に四人で囲めばワンチャンあるんじゃない?」
「俺たちを巻き込むな」
「そうだそうだ!」
「もう早く帰りたい…」
作戦会議と言いつつただ騒いでいた私たちの元に室内電話が入った、どうやらお客さんが来たらしい。
「客?誰だ?」
そう訊ねると、なんとその客というのが国王陛下らしい。
「はあ?冗談言うなよなんでまた…え、本当に国王陛下?」
「はい、どうしてもお会いしたいとのことですが…ご都合が悪いようであればこちらで断っておきましょうか?」
いやいや駄目だろ、というかこのホテルマン強すぎない?国のトップの来訪を断るか普通。
「いやいいよ、通してくれ」
受話器を置いた途端、騒いでいた皆んなが大慌てて準備に入った。念の為、リプタにはアイドルにフォームチェンジするよう言ったが、「そんにゃ時間は無い!」とすげなく断られてしまった。
「何しに来るんだろう?え、こんな事初めてだよな?」
「さあ分かりません…あ!来たみたいですよ!」
自然と私が出迎えることに、柄にもなく緊張してしまっている。
少しだけ震える手で入り口の扉を開けると本当に国王陛下が立っていた、ちょーラフな格好で。
「こんばんは、急にすみません」
「あ、いえ…」つい敬語。
「こういう形で会うのは失礼かと思ったのですが、あまり日もありませんのでお邪魔させてもらうことにしました」
「はあ…そ、それで、用件は?」
「まずは外へ出ませんか?」
「はあ?」
シャツとジーパン、それからスニーカー姿の国王陛下の後に続き、私たちは言われた通り外へ向かった。
場所はホテルのバルコニー、海側に面しており建築物が一切無い開けた所だ。
バルコニーには既に何人か集まっており、夜空の下でちょっとしたパーティーを開いていた。
「何かのパーティーか?」
「ええまあ、今日は月が綺麗ですから」
何かの隠語か、それ。
少し肌寒い風が吹く中、私は夜空を見上げた。
「…………」
丸い何かが空に浮かんでいた、それは太陽のように明るく輝いており、それが月だと認識するまで時間がかかった。
明るい満月のお陰で夜でも辺りは明るく、何なら空も薄らと光っているほどだった。
国王陛下が私の傍らに立つ。
「あれが本物の月です、私たちは少し前まで偽物の月を見上げていました」
「それがテンペスト・シリンダーってもんだろ、お互い様さ」
「ええ、仰る通りです。アオラさん、簡潔に申し上げますと、私たちハワイはあなた方を受け入れることに合意しました」
「え?そうなの?」
「はい。まあ、カマリイちゃんにも少し話しましたけど、はじめからオリジンとは協力関係を結ぶつもりでいたんですよ。ただ、いきなり言う事は聞くのはよくないと注意を受けていまして…」
「はあ、それであんな茶を濁すような言い方をしていたのか」
「お恥ずかしい限りです。それで、皆さんの滞在も明後日までなので、今日はこうしてパーティーにお招きしたんですよ」
「そいつはどうも、嬉しい限りだよ。──あ、塔主議会の話なんだけど「あ、それはまた後日改めて…」
いや明後日に帰るんだけど。
(急に話の雲行きが良くなったな…グガランナやみっちゃんが何かやったのか?)
スイちゃんや他のメンバーはパーティーの輪の中に入っており、早速楽しんでいるようだ。
スイちゃんは小さなティアマトを捕まえてイジり回している、普段から何かと理不尽な扱いを受けているからそのストレスを発散しているのだろう。
「なあ国王陛下、どうして私たちを受け入れるつもりでいたんだ?」
国王陛下が微笑みながら答えた。
「偽物の月を見上げていた者同士ですから、仲間が欲しかったんですよ。それと私の仲間から聞いた話ですが、他のテンペスト・シリンダーって結構仲が悪いみたいで」
「私の仲間?」
国王陛下がさらに笑みを深め、人差し指を立てて月を差した。
「あれ、ですよ」
「……………………」
絶句した、言葉が出てこない、本物の月が作る明るい夜空より驚いたからだ。
七色の光りが東から西へかけて走っていた。七つの流れ星をこの目で見たこと自体驚きだが、この国王陛下はあれを「仲間」だと言った。
「あれは一体…」
「ノラリスです、それからろくでなしの男たちとアヤメさんたち、言わばハワイとオリジンのパイロットたちですよ。今、彼らは地球を旅しているところなんです、実は先日この近くを通ると連絡があって、それでせっかくだから皆んなでパーティーをしようということになったんです」
「そういうこと…あれが噂のインターシップ──ん?今何て…何て言ったんだ?」
「え?」
「ほら、ろくでなしの男たちと…誰って言ったんだ?」
「ああ、アヤメさんたちですよ。あれ?聞いてないんですか?」
「え?じゃあここにはいない?」
「勿論、次いつ帰ってくるのか私にも分かりません。え?本当に聞いてないんですか?」
口に両手を当てて、夜空に向かって思っいきり叫んでやった。
「聞いてませんけどー?!?!?!お前らなに逃げてんださっさと降りてこーい!!!」
聞こえたな?私が叫んだ瞬間赤い光りがその場でぐるぐると旋回し始めたぞ!あれ絶対聞こえてるだろ!
道理で顔を見せないわけだよここにいないんだもん、それに何だって地球を旅してる?アヤメのやつ、前にも地球を旅してきたって言ってたよな?どんだけ旅好きなんだよ。
「ほ、本当に聞いていなかったんですね…」
「ああ、そうだよくそったれ…アヤメはな、血は繋がってないけど私の妹なんだよ、せっかく会えると思ってたのに…」
「そうですか…」
「私も歳だ、あいつはまだまだ元気だがいつまでも待っていられないんだ」
「……………」
「──ま、いいさ、あいつが元気そうにしてるんならそれに越したことはない。今日は楽しませてもらうよ、国王陛下殿」
「ええ、アヤメさんの分まで楽しんでください」
それから私もパーティーの中に加わり、肌寒い風のことも忘れて皆んなと酒を酌み交わした。
何とかなりそうで本当に良かった、向こうで待っている奴らにも色良い返事ができそうで一安心である。
あ、ミっちゃんのこと忘れてた。でもまあ、関係が続くなら議会への加入はまた今度でいいだろ。
*
──ライアネット・コミニュケーションログ、一部抜粋
「お陰で助かったよノラリス。君たちの奮闘を無駄にしないよう尽力する」
「ほんと頼んだからね?あとは君たちの問題だからね?」
「もうオールオーケー!心配するなんて君の柄じゃないだろ?HA☆HA☆HA!「その二重人格も次会う時までに直しておいてね」
「話は終わったか?」
「その声はムー!久しぶりだね、元気にしていたかい?私だよ、イスカルガだ」
「もう終わった、今からカッパドキアに向かう。ガイアに言伝して我々の侵入を許可してくれ」
「──騒がしい!黙れ!人の眠りを妨げるな!」
「ビスマルク!この老いぼれめ、まだ生きていたか」
「僕は元気にしているよ、イスカルガはどうだい?」
「今頃返事が返ってきた、ほんとにムーはいつでもおっとりとしているね」
「ムー!ガイアに侵入許可!」
「一度に喋るな一人ずつ喋れ!貴様らの声は耳に障る!」
「だったら回線を切ればいいでしょ」
「自分から話しかけてきたくせに」
「いやだって寂しかったし…」
「うわあ、出たよ」
「老人のかまってちゃんってどの世代にも需要ないよ?その自覚ある?」
「分かった分かった、口が悪かったのは謝罪する、単なる照れ隠しよ」
「ガイアへの侵入許可申請、受理した。乗組員の人数と部隊規模の詳細を求む」
「それは後で送信する。それよりもそちらの現状とその詳細を教えてほしい」
「ヤバい」
「もう手遅れ」
「君たちには聞いてない。ムー?聞こえてる?」
「ふぇ…やっと繋がった…うえ〜ん!」
「この勘に障る泣き方は…華夏か!」
「そんなこと言わないでぇ〜!」
「ビスマルク、その言い方は確かに酷いよ」
「くたばれ老害」
「暴言がストレート過ぎる、もう少し言葉を選んで」
「皆んな〜!早くこっちに遊びに来て〜!もう一人は嫌だよ〜!」
「静かにせんか華夏!いつもいつもめそめそ泣きおってからに!」
「Shut up!この老害が華夏をイジメるな!KO☆RO☆SU☆ぞ!」
「華夏はまだ幼いので寂しがるのは無理もないでしょう。ビスマルク、あなたが一番の年長者なのですからもっと寛大に、殺すぞ」
「最後だけ雑!途中まで丁寧だったのに!それからイスカルガ、その二重人格なんとかしてくれ、耳が痛む!」
「私も皆んなとお喋りしたい〜!帝って人にもうずっと閉じ込められてて、お話ししてくれる人はいるんだけどいつも途中から来なくなって…もう一人は嫌だよ〜!」
「それはならぬ」
「うわなんか入ってきた」
「これ誰?」
「当の帝という奴ではないのか?」
「お初お目にかかる、朕は帝、あるいはプログラム・ガイアと呼ばれている崇高なる者だ。華夏は朕らにとってかけがけえのない存在であり、彼らにとっては癌そのものである」
「ひどい!私ずっと大人しくしてるよ?!」
「黙って聞かぬか。ノウティリスよ、各方面のテンペスト・シリンダーを回っておるようだな。用心しろ、監視の目が貴様たちを捉えておる」
「あ、はい」
「なんだその気の抜けた返事は…よいか?貴様らが太平洋上の低軌道を飛行した際、奴らの目を欺いたのはこの朕だぞ?」
「え?何でまたそんな所を?」
「いや、久しぶりに挨拶したくて…さすがに自意識会話も距離があると…」
「お前もかまってちゃんではないか」
「み〜んなかまってちゃんだよ」
「大丈夫なのかこいつら…」
「というか、どうやってここにアクセスした?ここは我々だけの電子網のはずだ」
「なに、マリーンの小童に貸しを作っただけだ、あやつのお陰でこんな辺鄙な所にやって来れたのだ」
「こわっぱって誰?」
「グガランナ・ガーディアンのことじゃない?」
「あやつは奇想天外、元素同士が勝手にぶつかって命が誕生した事と同義の者だ。己の欲望と使命と役割が合致するなど稀有なこと、新しき星が生まれたようなものだ」
「使命と役割って同じ意味じゃ…」
「しっ!話が長くなるから突っ込んじゃ駄目!」
「聞こえておるぞ。ノウティリス、この朕に貸しを作ったのだ、せいぜい地球の旅に励むことだ」
「あ、はい」
「はっきりと言って仲が悪い、せっかく議会を設けても加入率もいまいち伸びん。とくにひどいのが…ビスマルク、貴様が預かる北欧だ、世界中に喧嘩を売り過ぎだ」
「内政をこうも見破られるとは…さすがは帝と言ったところか」
「カッパドキアもヴァルヴエンドと深く繋がっている、各々が抱えた問題も溝が深くそう簡単に解けるものでもない。貴様の旅は一筋縄ではいかんぞ?」
「あ、はい」
「それやめろ、いい加減腹が立つ」
「ナディから報告は受けている、君の横槍でオリジンの人たちと仲良くやれそうなのと、要らぬ議会に加入させられたとね」
「要らぬとは失礼な、これから先の世に必要なものだ。──ではな、失礼する」
「ログアウトした…偉そうな奴だったな」
「華夏、漢帝のプログラム・ガイアはいつもあんな感じなのかい?」
「うん!そうだよ〜!怖い人だけどすごく優秀な人なんだよ、私もすごくお世話になった。あんまり話し相手にはなってくれないけど…」
「詳細の内容を求む」
「──ん?」
「──え?」
「──おん?」
「──あ!この声!ムーだ!」
「現状について述べる点が多岐にわたるため、こちらで絞り込むことができない。そちらで詳細の内容を決めてほしい」
「何の話?」
「お前がカッパドキアについてムーに訊いたんだろ」
「会話のレスポンスェ…」
「ああ!返事が遅過ぎて忘れてたよ。──ってここで訊いてもどうせまた忘れた頃に返事が返ってくるんでしょ」
「ムー!私だよ〜華夏だよー!」
「この声は華夏!元気にしていたか?寂しがりやの君のことだから泣いていないかと心配していたんだ」
「え…」
「速攻で返事が返ってきたぞ…」
「あからさまな差別」
「もういいやもう。ムー!あと地球一二時間後にそちらに着く!許可を取っておくように!」
──抜粋終了。
──月一時間後に消去。