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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
302/335

BONUS TRACK

TRACK49とLAST TRACKの間ぐらいのお話しです。

ここからまた一人称視点に戻ります、勝手ですみません。

デウス・エクス・マキナ



海底に沈、その後の彼の様子



 静かな波が体をさらう、それは心地が良く、いつまでも身を預けていたいと思える。

 体の隅々に生き物が繁殖し、それらが他の生物を捕食して命を繋ぐ。この海底にも食物連鎖が成り立っている、どうやら私の体は彼らの土壌となっているようだ。

 時折り鯨の姿を見かけることがある、私の体に繁殖した者たちはじっとしているしかないが、他の回遊魚たちはそのあまりの大きさに恐れをなして逃げ出して行く。

 ここ最近は海の上が静かである。つい先日まで人間たちが戦争でもしていたのか、とても騒がしかった。

 五月蝿い、という事ではない、海面から物が落ちてきて海底に沈した後、彼らが様子を見に来るのだ。まあ、食べ物ではないと分かるとすぐ何処かへ行ってしまうが。

 

「…………っ」


 頭に痛みが走った。小さな破片が刺さったような、微かな痛みだ。だが、その痛みが次第に大きくなり、無視できなくなってきた。


「義wjあ…ル花鼻離………」


 私の脳が痛覚を認識し、即座に処置せよと各器官へ緊急の指示を出す。神経シナプスが体内を駆け巡り、長い眠りについていた抹消神経を起こしていく。

 激痛が走った、脳にも体内にも。壊れた声帯が無理やり声を発し、不恰好な音声波が辺りに散らばる。運悪く近くを回遊していた魚の群れが、その音声波を全身に浴びてしまった。その魚たちは呼吸困難を起こし、私と同じように海の底へ落ちていった。


(すまない…)


 ──思考の中で謝罪した時だ、激痛が即座に収まった。

 思考する。思い、考える。知的生命体に与えられた神経シナプスの連動である。

 私の音声波によって死亡し、早速食物連鎖に組み込まれた魚たちを眺めていると、別の思考が割り込んできた。


「やっと起きたのね、タイタニス」


 それは若い女の声だった。



起章、それは問題の発生を意味



 いやね?自分が悪いとは思わないんだわ。普通に考えてだよ?いきなり我が家にやって来た見ず知らずの子供を自分の子供だと思える?


「やっぱあんたって夫だわ」


 そう言うジュディさんの目は優しげに細められている。

 クランちゃん的には面白くない笑顔らしい、彼女曰く、リスの皮を被ったライオンはもう死んでしまったようだ。


「いや夫って。それって私が男性的な思考をしているって言いたいんですか?」


「さあ?でも男の人って自分で子供を産むわけじゃないじゃん?愛する妻に産んでもらった我が子でも、愛情が湧かないっていう旦那は存在しているみたいだし」


「いやそれとこれは…そういうもんなんすか?ウィゴーさんは自分の子供のこと、何て言ってます?」


 円卓街の各地区に設置された病院のその一室、そこで私はジュディスママと話をしていた。

 そう!この人、赤ちゃんができていたのだ!


「まだ実感が湧かないって言ってたわ。──はあ〜…ウィゴーもあんたみたいだったらどうしよう…」


「愛情が無くてもお金があれば子供は育ちますよ、逆にお金は渡さないけど愛情はたっぷり注いであげる!って言われても困りません?そんな旦那はいらないでしょ」


「確かに」


「女性は家で子供を守って男性は外でお金を稼ぐ、分かりやすい役割分担じゃないですか」


「だからそれを素で口にできるあんたは夫だって言ってんのよ」


「いやいや、これは母の教えであって私の考えじゃありませんよ」


「じゃあ、あんたの考えは何よ」


 何故だか私は個室の天井を見上げ、まだ染みも汚れもない白一面のクロスを凝視した。

 あれ?お母さんの教えがものすごくしっくり来る、他に何も無いんじゃないかって言えるくらい。

 上げていた視線を元に戻す。髪も長くなり、すっかり『母』の顔をするようになったジュディさんを見やった。


「──出産っていつぐらいになりそう「無視すんな」


 ジュディさんが本物のお母さんになるのはまだ数ヶ月先らしい、どんな子供が産まれてくるか今から楽しみである。

 そう本人に伝えると、何故だか溜め息を吐かれてしまった。


「いやなんすかその溜め息」


「別に、何でも。で、いつまでここにいんの?そろそろ戻らないとヤバいんじゃないの?」


「──あ、もうこんな時間。また来ますね」


「今度はライラとレイアも連れて来なさいよ」


「あははは〜」と愛想笑いを浮かべて逃げの一手を打った。


 トリスタン地区に設置されたコンウォール病院は、追加で建築された人工大地の上に建っている。そのため、コンウォール病院から円卓街の約半分を一望することができた。もう半分は総合通信基地によって隠れているため見ることはできない。

 病院特有の静かな廊下を歩く、窓の向こうには白塗りの壁と山吹色の屋根が並んでいる。統一された色と似たような家の造りは、何でも過去に存在していた街並みを再現した結果らしい。

 自然と融合した街並みは綺麗で観光にも向いている、円卓街の真下に位置するブルードームと相まって元ウルフラグ領の人たちにも人気だそうだ。

 実在した街『コーンウォール』は、ヨーロッパ方面にあるテンペスト・シリンダーの近くにあったらしい。そのテンペスト・シリンダーの名前は確か...


(何だっけか、隠しボスっぽい名前だったはず。一ターンに二回ぐらい全体魔法を使いそうな──あ、そうそう)


 『フェノスカンディア』。そう呼ばれるテンペスト・シリンダーもあるようだ、ノラリスが教えてくれた。

 静かな廊下を渡り、病院の入り口に差しかかった時だ、円形状のエントランスをこちらに向かって歩いて来る二人の看護士がいた。


「……それで」

「……だから」


 何やらお話に夢中のようであり、近くに私がいることに気付いていない。二人の会話が耳に入った。


「どうしてそんな人たちを信頼できるんだろう?機械仕掛けのからくり人形なんでしょう?」

「好きな人は好きなんじゃない?でも、その人たちに政治をさせるのはさすがにどうかな…私は変だと思う」


「…………」


 私はその政治のど真ん中に位置している、二人の会話はマキナたちに対する立派な"批判"になるのだが、まあ気付いていないのならしょうがない。

 聞こえなかったフリをして、私は自分の職場へ向かった。



 ランスロット地区の中央に私の今の職場がある。ハワイの中枢機関とも言うべき各組織が集合し、横一列に並んで行政に励んでいた。

 建築物の管理、船舶管理、観光施設の管理、住民基本台帳の管理...と、沢山である。

 そして私はその行政のトップに君臨している、『国王』だから、ハワイで一番偉い人になる。

 中枢機関が集中するその中央に、私がいつも入り浸っている職場があった。母神組が秒で用意してくれた建物は四面四角のボックスだ、外観はちょー地味なのに名前だけは格好良い。

 ハワイ中枢行政機関、その名も『アロンダイト』。ここに先ほど紹介した行政組織が全部入っている。

 建物の正面扉を開けて中に入ると、活気に満ちた声が私を出迎えてくれた。ここに平日土日は関係が無く、いつでも誰かが働いていた。

 建築物や土地の管理をしている不動産課の人たちに挨拶をした。


「ちわ〜」


「あ、おつかれっす〜」


「あ!サーストンさん!もう子供連れて来るのやめてくださいよ!市民から苦情来てるんですから!」


「今日は一緒じゃありませ〜ん、家に居場所もありませ〜ん」


 私の自虐ネタにわはははと、皆んなが乾いた笑い声で返してくれた。

 不動産課の前を過ぎてフロアの奥へ、そこに国王の執務室がある。

 その道すがら、私は職員の人に声をかけられた。


「ちょっといいですか?」


「あ、はい、何でしょう?」


 声をかけてきたのは、主に市民たちの生活をサポートする市民厚生課の人だった。


「相談したい事があるんですけど…時間取れますか?」


「ああ、ちょっと待ってくださいね…」


 左腕にはめた時計を確認する、こいつはなかなかの優れ物で次の予定を仮想投影してくれるのだ。

 時計の盤面の上に小さく表示されていた吹き出しには、『課長会議、一時間後!』とあった。


「取れますよ。相談というのは?」


「実は…」厚生課の人が声を沈め、こう言った。


「…マキナの人たちについてなんです」





 ぽつぽつと小さな雨が降っている、窓ガラスを点描画のように濡らしていた。

 その窓の向こうには円卓街を支える支柱と、その足元に栄えている観光街があった。

 私と同様に、窓向こうの景色が抽象画のように変わっていく様を眺めていたティアマト・カマリイが、思案に暮れて重たくなった息を吐いた。


「…テンペスト、今の状況は良いものだとは言えないわ」


「ええ、そうですね…ですが打つ手がありません」


「けれど、何とかしないと空気が悪くなる一方よ」


「我々に介入する権利があれば…いえ、介入したところで円満な解決は不可能でしょう」


 本格的に雨が降り始めてきた。小さかった雨音も次第に強くなり、あっという間に窓ガラスの点描画を塗り潰してしまった。

 私は窓の外から視線を外し、肩を並べてぼんやりとしていたティアマトを見やった。


「ティアマト、対立は避けられません。以前のハワイとヴァルヴエンドのように、私たちの下手な介入で激化する恐れもあります」


「かと言って放置することも許されないわ、日に日に不満が高まっているもの」


 ティアマトは、なにもぼんやりと雨模様を眺めていたわけではないらしい、頭の中でずっと市民たちの事を考えていたようだ。その顔にはやり切れない苦しみの色が浮かんでいた。


「私たちが原因で…ですか」


「ええ…理解してくれている人は理解しているけれど、皆んなが皆んなそうではない。頭では分かっているけれど…」


 年齢を問わず、全ての市民を"我が子"として受け止めているティアマトの小さな頭が下がり、伏せられた眉毛が細かく震えていた。

 ──いやね?こうなってしまった原因が全てのマキナに帰結するわけではない、という事をよくよく理解してほしい。一部のマキナによる市民らを無視した勝手な振る舞いのせいで、ティアマトを苦しめる結果になってしまったのだ。

 その一部のマキナというのが──

 どたどたと小さな足が乱暴に床を叩く音が聞こえてくる。嫌な予感。

 バン!とノックもせず扉を開けたのはオーディン・ジュヴィだった。


「こんな所にいたのかティアマトよ!捜したぞ!」


「オーディン…」


「え、何でそんな嫌そうな顔…せっかく良い案が思い付いたというのに!」


「あなたね…また勝手に何か作ったの?」


 そう!このオーディンときたら...市民たちの為だと言い張って自分が作りたい発明品を次から次へと作ってくるのだ。

 この間は「市民たちの労働を減らそうキャンペーン!」とか言って、全自動漁獲マシーンなる物を作って漁業組合に押し付けていた。

 それはもう商売上がったりの完璧な出来で、組合員から「これじゃ俺たちの仕事がなくなっちまう!これ以上余計な物を作らせないでくれ!」と苦情を受けてしまった。

 他にも種々様々、良い物も悪い物も沢山、本人に言ってもまるで言う事を聞かず、勝手に作って市民たちを困らせていた。

 

(ナディからも注意してほしいんだけど…)


 できないらしい、以前の個体の事が尾を引いているのか、ナディたちは好き勝手に振る舞うオーディンを注意できないようだ。

 まあ、彼女が全ての元凶ではないことも確かである。元々、私たちマキナに対して不満を持っていた市民たちが存在し、目に見えて人々を困らせているオーディンを標的にしているのだ。

 私たちの心情を知ってか知らずか、本人は意気揚々と発明品について語っている。


「今度も素晴らしい出来だぞティアマト!ディアボロスとの共同開発で全自動昇降台マシーンを作ったのだ!」

 

「──え、なに?全自動…なんだって?」


「全自動昇降台マシーンだ!その台に乗れば後は自動で台の高さが変わる優れ物!これで足腰が弱い人も楽に高い所にある物を取ることができる!」


「………………」


 何そのピンポイント全自動マシーン。

 オーディンはオーディンなりに人々の事を考えて発明に取り組んでいるのは分かる、きっと高齢の方が苦労している所を目の当たりにしたのだろう。

 だからと言って、好き勝手に発明して人々に押し付けて良い理由にはならない。

 『悪意の無い善意ほど厄介なものはない』という話、どう伝えれば理解してくれるのか...

 オーディンは無邪気に笑い、私と同様に困った顔をしているティアマトにあれやこれやと話しかけている。


「………?」


 ふと、窓の外が気になったのでそんな二人から視線を外して見やる。

 点描画の如く細々と窓ガラスを濡らしていた雨足が段々と強くなっていた、ガラスを叩く音も増していく。


(これではまるでスコールだわ…ラムウに報告して雨量を調節してもらわないと──)


 そこで私は重大な事に気付いた!


「はっ!!」


「うわびっくり」

「どうかしたの?急に大声なんか出して」


「マズいわ…非常にマズい…」


「何が?」

「オーディンの発明品がマズいのは今に始まった話じゃないでしょ?」

「何だと?!マズいとは何だマズいとは!」


「この雨…ラムウの管理下にない…つまり…」


「…………あ」

「…………あ」


 二人も気付いたようだ。

 そう!この雨はラムウの天候管理によるものではない、全くの自然現象、つまりは地球の大空から落ちてくる大自然の雨である。そして、ハワイは熱帯気候に属する地域であり、熱帯特有の雨と言えば...

 私たち三人は異口同音にこう叫んだ。


「スコール!」

「スコール!」

「スコール!」





「どぅえ〜〜〜〜!!」

「何だこの雨!早く避難するぞ!」

「ああ!ああ!ラハムの羽が折れてしまいます〜!」

「ラハムちゃんはこっちに!」

「あ!そんな狭いカバンの中に入れられたら──ぎゃふん!」


 突如として降り始めた雨は次第にその量を増し、今では視界を白く塗り潰すほど降っていた。

 私の傍にはナツメ、アマンナ、それからお手伝い役として雇ったラハムちゃんがいる。皆んな、放水銃のように降ってくる雨を前にしてパニックを起こし、ハワイ戦役を勝利へ導いたパイロットであることも忘れて逃げ出していた。


「おいアヤメ!借りてきた重機はどうするんだ!」


「今は放っておくしかないでしょ!」


 私たちはハワイ復興支援課からの依頼でホワイトウォールへ来ていた。ここはまだ戦役の爪痕が多く残されており、拠点兵器や建物の残骸で溢れ返っていた。

 私たち三人だけでは人手が足りないという事で、ラハムスーツを操縦できるラハムちゃんも一緒だった。

 残骸の撤去を進めている中で雨が降り始めて来たのだ、しかも今までにないほど強烈な雨、地球を旅していた私でも経験にない雨量である。

 私たち四人は最寄りの復興本部まで走って行くことにした、とてもではないがこの雨量の中で作業はできないし、何より視界を雨に奪われているので危険だ。

 前を行くナツメが、雨音に負けない大きな声で言った。


「足元に気を付けろよ!落ちたら死ぬぞ!」


 そう!ここは山頂である。ヤバいってもんじゃない、落ちたら即死である。

 三人仲良くおて手を繋いで、そしてラハムちゃんは私の頭にしがみつき、何とか最寄りの復興本部に辿り着くことができた。いつ鞄の中から抜け出した?

 復興本部、と言っても仮設テントが集合しただけの場所だ。戦闘の被害を免れ、かつ平面に近い山肌に本部があった。

 

「こりゃ駄目だ…」


 すぐ隣にいるはずのナツメの声も聞き取りにくい、それほどまでに強い雨が降っている。

 ナツメが言った通り、私たちが出発した復興本部は化け物みたいな風雨の直撃を受けて半壊状態に陥っていた。

 テントは風で大きく捲れ、そのテントを支える支柱も地面に倒れている、さらに通信機器なども地面に散乱していた。

 白く濁る視界の中、どうやら人の姿はないようである。

 アマンナが雨音に負けないよう、至近距離で叫んだ。


「これガチ目にどうすんのーーー!!」


「今考えてるところだーーー!!」


 ナツメも負けじとアマンナに向かって大声で叫んでいる、そのまま喧嘩に発展しそうな勢い。


「時給が良いからってほいほい依頼を受けたのはナツメでしょーーー!!責任取れ〜〜〜!!」


「んだとっ──だらけてばっかりの奴が偉そうなことを言うなーーー!!」


 ほらやっぱり。

 喧嘩の仲裁に入るべきか、二人を放ってさらに山を下るか思案しているところへ、ノラリスから通信が入った、頭がぴりぴりするやり方で。


《アヤメ、周囲に他に人はいないか?救助にやって来たぞ》


《ノラリス!ガチで助かるよ!何この凄い雨?!》


《これはスコールだ、熱帯地域によく見られる気象現象の一つだ。短時間のうちにまとまった雨と強い風が吹く》


《短時間ってことはすぐに止むってこと?》


《そのはずだ。ただ、地球の環境も西暦時代から大きく変化している、長時間屋外にいるのは危険だ》


《すぐに助けて!助けてください!》


 強い雨の音が無数に重なり、私の耳へ不協和音となって襲ってくる。アマンナとナツメはまだ言い合いを続けているようだが、声が全く聞こえない。

 下ってきた道から川のように水が流れて来ている、その先には半壊した復興本部があり、池のように大きな水溜まりが生まれていた。

 なんかもう、この雨で着ている服も半壊しそう、頭にしがみついているラハムちゃんもさっきから大人しくなっている。


(さすがにそろそろ……ん?)


 あれだけ降っていた雨がピタリと止んでしまった、いや、数十メートル先は白く煙っている、まるで白いカーテンのようだ。

 頭上を見上げると、そこにノラリスの母船があった、どうやら雨を遮ってくれているらしい。

 途端に雨が止み、喧嘩真っ最中だった二人もこの異変に気付いた。


「──ん?雨が止んだ?」


「お!ノラリスじゃん!助かる〜!」


《周囲に人はいないな?君たちだけか?》


《多分そう!》


《今すぐ救難ヴィークルで迎えを出す、その小型艇に乗って──》ズガガガンっ!!と、空から割れんばかりの音が発生した。

 そのあまりに大きな音に私たちは身をすくめ、ラハムちゃんは一度抜け出したはずの鞄の中に避難していた。


「耳が…雷か…?」


「う、うん…し、死ぬかと思った…」


「何かに落ちた…?もしかして、ノラリス?」


「──はっ!」


 頭上を見上げる。ここからでは良く見えないが、救難ヴィークルを出すと言っていたノラリスの船に何ら動きがない。


《ノラリス!応答して!ノラリス!》


 ノラリスから返事があった、ただ、いつもの渋い声ではなく電子音声だった。


《本艦は現在、落雷による復旧作業中です、復旧するまで暫くお待ちください。ご用件がある方は電子音の後、続けてご用件をお願いします》


「留守番電話かよ!!」


 その後、ノラリスが復旧するまで一時間近くかかり、その間私たちはノラリスの下で雨宿りをさせてもらった。

 ノラリスは言わば精密機器の集合体だ、数百から数億ボルトにも及ぶ雷の直撃はまさに死活問題だ。

 とんでもない、ヤバいぜ地球の雨、電子界の王すら沈黙させる雷を落としてくる。

 けれど、それよりもさらに大きな問題が発生してしまった。

 マリーンならでは、と言える大問題である。



承章、我慢は長続きしませんよ?



 扉の向こうから親子の笑い声が聞こえてくる、細やかに、けれどしっかりと。

 その笑い声は暖かいものだ、家族、って感じがする。

 私はライラとレイアちゃんの笑い声を聞いて、不思議と亡くなったお母さんのことを思い出していた。

 あんな風に私は笑っていただろうか、いつも文句ばっかり口にしていたような気がする。それでもお母さんは、嫌な顔一つせず私の相手をしていたように思う。


(人を愛するにはとてつもないエネルギーがいる…か)


 意を決してリビングの扉を開く、すると途端に笑い声が途絶えた。


「おはよう」


「おはよう」


「…………」


 ライラはいつも通り、レイアちゃんもいつも通り私のことをじっと見ている。

 リビングのテーブルで何やら話をしていたらしいライラが席を外した、きっと朝食の準備をしてくれるのだろう、必然的に私はレイアちゃんと二人っきりになった。

 レイアちゃんは先にご飯を食べていたようだ、丸いプレートの上に食べかけの目玉焼きとサラダがあった。


「何の話をしていたの?」


 レイアちゃんの目にちょっとした緊張が走る、表情も少しだけ強張っていた。


「昨日の大雨の話、あれはスコールって言うの」


「すこーる…?──ああ、アヤメさんもそんな事言ってたっけ」


 そんなレイアちゃんから視線を逃すため、私は外を見やった。

 リビングの窓向こうは昨日と違って晴れ間があった、薄くて白い雲の絨毯が広がり、その隙間に青空がある。

 けれど、一つだけ灰色の雲があった。その雲だけ高度が違うのか、白い絨毯の下をゆっくりと寂しそうに揺蕩っている。

 視線をリビングへ戻す、レイアちゃんは食事を再開していた。

 会話の糸口を失った私は携帯を取り出し、いつも適当に流し見しているSNSを開いた。

 昨日のあの大雨がトレンド入りしていた。


(そりゃそうだよね…)


 投稿されていた個人記事は大体こんな感じである。


ネームレス@125896h

雨のせいで浸水した、ガチで何なの?


ネームレス@258077h

マキナが天候管理してるんじゃ?もしかしてサボってる?


ネームレス@988777u

早く何とかしてほしい、シャレになってない


 まあ、文句が大半だ。ネットですることと言えば、日常の不平不満を投稿することぐらいだろう、私もちょーお世話になってる。


「…………」


「…………」


 無言の食卓を気にかけつつも、指は画面から離れてくれずスクロールを繰り返す。

 こんな記事を見つけてしまった。


バベル@784944h

マキナがサボるわけないやろ!何でもかんでもうちらのせいにすんな!


ネームレス@125896h

これ本物?


ネームレス@125896h

何処もかしこも浸水してるんだけど?これってマキナが余計な事したからでしょ?


(余計な事って…)


 "余計な事"とは、グガランナさんがマリーンの天井を開いたことだ。

 当事者だった私はつい記事に反応してしまい、危うく言い返すところだった。それを止めてくれたのはライラだった。


「こら、食事中に携帯触るな」


「あ、ごめんごめん」


 意外とネットリテラシーが低いバベルちゃんに説教することを決めつつ、私も朝食を食べることにした。

 隣の席にライラが腰を下ろす、そのことに安心し、私は目玉焼きに手をつけるより話しかけていた。


「ライラはどう思う?マリーンの天井が開いたことに関して」


「急に何?」


「いやさ──」私は触るな!と怒られた携帯を再び取り出し、先程のSNSをライラに見せた。画面では熱い投稿バトルが繰り広げられている。バベルちゃん...油を注いだら駄目だよ...

 SNSの投稿を確認したライラが「ああ」と言葉を漏らし、こう言った。


「仕方がないんじゃない?あの時はああしなかったらこっちが負けてたんだし」


「仕方がないって…ライラってレイヴンを引っ張ってたんでしょ?組織内で対立があった時ってどうしてたの?」


「どうもこうも、そういう人は発見次第追い出してたけど」


「…………」

「…………」


 ライラの女王様っぷりに言葉を失い、黙って耳を傾けていたレイアちゃんも目を見張っている、きっと驚いているのだろう。

 私とレイアちゃんの反応に、ライラが慌てたように言い訳を始めた。


「そもそもレイヴンは早期に解体するつもりでいたし、というか活動の目的が山越えだったから。皆んなが勝手に期待して崇めてただけ」


「もうライラが王様やればいいのに…」と愚痴を溢す、すかさず突っ込みが返ってきた。

 ライラに頭を叩かれた。


「あ痛」


「今はナディの時代でしょ、自分でやるって決めたんだから頑張って。私は家庭に忙しいの」


「そうは言ってもね〜ハワイの中でも意見が対立してるんだよ。言わばマキナ派と反マキナ派に別れてるの」


「もう、レイアに聞かせる話じゃないでしょ、仕事の話は外でやって」


「え〜…」


 これである。ライラの中ではレイアちゃんが最優先事項である、私は二の次だ。

 寂しいような悔しいような、ジメっとした気持ちが胸のど真ん中に居座り、その事を気にしつつ私も目玉焼きを口の中へ放り込む。

 先に朝食を終えたレイアちゃんが食器を持ってシンクへ向かう、ちらりとその姿を目で追いかけると、


(……っ)

 

 レイアちゃんと目が合ってしまった。

 二人同時に、いや私の方から先に視線を外してお皿の上に落とす。

 毎日こんな感じだ、互いに距離を測りつつ、あるいは牽制しつつ様子を窺っているだけ。

 息が詰まるというものである。

 それから、朝食を済ませた私は逃げるようにして職場へ向かった。





「そ、そんな〜…」


「あ〜あ、こりゃ酷いもんですね…せっかく工事を終えたばかりだというのに…」


 場所は元カウネナナイ領のセレンという島だ、そこに私とギジェットという奇特で大柄な男がいた。

 私たちの前には、浸水してしまった土地が広がっている。つい先日、弱い地盤でも建物を建てられるように杭を設置したばかりの土地だ、ものの見事に水に浸かってしまっていた。

 

「なんという…地球の雨はここまで容赦がないのか…せっかく新天地を目指して遠路はるばるウルフラグから渡って来たというのに…これでは大損じゃないか…」


 私みたいなしがない店長に付いて来たギジェットが、そのつるりと禿げた頭をひと撫でした。


「損で済めばいいですけどね、下手すりゃショッピングモールの話が全部おじゃんになりますよ」


「うう〜それでは無職になってしまう…」


 私は元々ウルフラグの群店街で店を構えていた、けれどRHAZONなる新興企業の進出やシルキーを使ったコピー品の売れ行きが激減し、お店の売り上げは大幅に落ちた。

 事実上レイヴンが解体された今のウルフラグでは、それに代わった『ギルド』というものが結成され、そこに私も所属していた。そして、そのギルド長から「売り上げが悪い店に土地を渡せるほど余裕がないの。悪いけど他所で商売やってくんない?」といった具合で追い出され、ここセレンの島までやって来たのである。

 セレンはハワイからもそう遠くなく、通行の要所であるホワイトウォールからもそう遠くない、まさに『ベッドタウン』として栄える条件を持った土地なのだ、そこにショッピングモールを建てて事業の再建を目指していたのだが...先日の大雨で基礎工事を終えた土地が浸水してしまったというわけだ。

 前途多難とはまさにこの事、これではギルドから借りた建設費用すら返せないどころか、日々の糧を得ることすらできない、つまり死ぬ。


「ゴートゥーヘル!「店長、落ち着いてください」


 この土地の所有権はハワイが持っている、なのでそこから買い付けた。


「仕方がない、一度ハワイへ行ってこの状況を伝えてこよう。もしかしたら政府が何かしらの手を貸してくれるかもしれない」


 水没してしまった土地を恨めしそうに見ていたギジェットが、「そんな都合良く力を貸してくれますかね〜」と疑いのこもった言葉を口にした。


「ですがまあ、然るべき手続きは取らないといけませんね。ハワイへ向かいましょう」


 それから私たちはぬかるんだ道に足を取られながら船へ向かい、そのままハワイを目指したのだが...


「こりゃ駄目だ」


 長蛇の列!人!人!人!

 ハワイの中枢機関が軒を連ねるランスロット地区のその中央、ただの箱にしか見えない建物の前には長い行列ができていた。こちらから見える限りで皆、険しい顔つきをしている。

 きっと私たちと同じように大雨の被害を受けた人たちだろう。人々の暗い顔色とは違い、空は平和に晴れ渡っていた、何とも皮肉な光景である。

 いやいや、私も被害を受けた一人なんだ、現実逃避をしている場合ではない。


(しかしまあ…人々が一様に暗い顔をするのは災害特有の光景だな…平和であれば皆違った顔色をするものなのに…)


 この光景を何度見てきたことだろうか、もう見ることはないと思っていたのだが...

 諦めと共に溜め息を吐き、ギジェットと共に行列の最後尾に並んだ。長い間待たされるだろうと思い、一度手から離れ、そして再び戻って来た携帯で時間を潰していると、前方が何やら騒がしくなってきた。


「……ん?何だ?」


 ギジェットの大きな背中を避けて前を見やる。


「何やら揉めているみたいですね…」


「割り込み?」


「そうでもないようですが…」


 そこにはあるグループと列に並んでいた人たちが口論を行なっていた。そのグループとやらの年齢層はちぐはぐで、老人もいれば若い人もいる。

 彼らの手にはそれぞれ一枚の紙が握られ、列に並んでいた人たちはそれを指差しながら口論していた。

 

「アンケート?なのか…あれは」


「こんな時にアンケートなんか取られたらそりゃキレますね。──あ、こっちに来ましたね」


 ギジェットの言う通り、そのグループは列に並んでいる人たちへ次々と声をかけている。

 そして、そのグループが私たちの所にもやって来た。





「あ〜〜〜!もう!こんな時に!」


 アロンダイトの前には長い行列ができている、その列を私は最後尾へ向かって走って行く。

 アロンダイトへ被害の報告をしに来た市民が教えてくれたのだ、「マキナの反対運動を推進しているはた迷惑なグループがいる」と。

 皆んな被害を受けて疲れているのに!何もこんな時にそんな運動を推進しなくても!

 そのグループは、ウィゴーさんにも負けないぐらい大きな男性とその娘さん(?)の前で何やら熱く語っているご様子だった。

 

「ちょっと!こんな時に止めてもらえませんか?!」


 到着して早々、私は声を荒げながら注意した、こういう時は強気でいった方がいい。

 グループの中で最年長の男性が「出たな国王め!」と、こちらに向き直った。


「この騒動の責任をどう取るつもりだ!お前たちがマキナを行政へ誘致したのが原因だろう!」


「そういう事なら別の機会を設けますから!今は大人しくしていてください!皆んな迷惑しているんですよ!」


「何が迷惑なものか!マキナがいなければこんな事にはならなかったんだぞ!」


「マキナがいなければ先の騒動は解決していなかったんですよ?!そういう言い方は良くありません!」


「マキナがいなければそもそもあんな事だって起きなかったはずだ!」


 あ〜!人の話を聞かない系の人だ!

 グループの人たちにすっかり囲まれてしまった、皆んな私が親の仇だと言わんばかりに睨んでくる。

 マキナに対して不信と不満を持っている人たちが存在している事は知っていたが、こうも表立った動きをしてくるとは思わなかった。

 ただまあ、注意をこちらに引きつけることはできた、あとはこのまま別の所へ引っ張っていけばいい。

 どうやって引っ張っていこうか悩んでいると、グループに声をかけられていた大きな男性が話に割って入って来た。


「今の話は本当なのか?昨日の大雨がマキナのせい?」


「そうだとも!」

「違いますから!」


 私と男性が同じタイミングで返事をした。


「その話を詳しく聞かせてほしい、こっちはセレンの島に建てるはずだったモールがおじゃんになりかけているんだ」


(──ん?セレンって言った?)


 思いがけない名前を耳にして、一瞬だけだがフリーズしてしまった。

 その隙を突くようにしてグループの男性が、「なら私たちと共にマキナを追い出そうではないか!」と大柄な男性を勧誘していた。


「いいだろう、俺たちの事業計画を軌道に乗せられるならマキナでも何でもここから追い出してやる「──こら!ギジェット!何を言っているんだ!」


 娘さんではなかった、ギジェットと呼ばれた大柄な男性の背中に隠れていた女の子(?)が、小声で窘めながら彼の服の裾を引っ張っている。

 ギジェットさんの賛同にグループが勢いづいた。


「国王!こうして市民もマキナに不信を抱いているんだ!早急に説明責任を果たすべきではないかね?!」


「あ〜もう…」


 完全に勢いに飲まれてしまった私は、彼らをアロンダイトの中へ案内する羽目になってしまった。

 勿論怒られた。


「何やってんすか国王!あんな連中を中に引き入れたら駄目じゃないすか!何であいつらが先に入るんだって列に並んでいる人たちから──「分かった分かったから!」


 そりゃ列をすっ飛ばして先に案内されたら誰だってキレる、職員にも怒られ市民の人たちからも非難の視線を浴びてしまった。

 とりまグループの人たちをアロンダイト内の小会議室へ詰め込み、私は私で厚生課や不動産課で被害届けを提出している人たちへ説明した。

 

「あの人たちは別件ですから!こちらの対応が終わればすぐに退出してもらいますから!」


 説明なのか言い訳なのか良くわからないことを大声で言い、私も小会議室へ向かった。

 大きなフロアの端から伸びる廊下の途中に小会議室がある、その会議室の前にギジェットさんと共にいたあの女の子が立っていた。


「国王陛下、私の部下が失礼なことをしてしまい申し訳ない…」


(ぶ、部下?この子の方が立場が上ってこと?)


 私より頭三つ分低いその子が、慣れた様子で綺麗なお辞儀をした。

 ざっくばらんに切られた灰色の髪に、どこか眠たそうにしている大きな瞳、服装はオーバーサイズのセーターにスカート、その上からコートを羽織っている、うん、どこからどう見ても子供だ。


「え、え〜と…失礼な事とは…?」


「マキナの反対運動に加わった事だ。私たちはただ、被害報告と何かしらの対応を求めに来ただけに過ぎない、それなのに彼ときたら…」


 は〜やれやれといった具合に、その子が腕を組んで頭を振っている。


「え〜と、あなたのお名前は…」


「ああすまない、私はスパークルという、ウルフラグで商いをしていた者だ」


「ね、年齢は…」


 スパークルさん(すごい名前)がむ、と眉間に皺を寄せた、マズい質問だったらしい。


「外見で判断されてしまうのは常だが、こうもあからさまに訊かれたのは初めてだ。確かに、彼らが言うように君はまだ未熟な国王陛下のようだ」


「す、すみません…と、とりあえず中へ…」


「うむ、入ろう」


 スパークルさんにぺこぺこと頭を下げながら会議室へ入った。





「は〜天井からあんなに水が…」


 昨日の大雨は至る所で大きな被害を出したようだ、その翌日に私たちはハワイの軍港へ訪れていた。

 軍港は円卓街から見て北に位置し、基地の中心に建てられた総合兵舎を基点としてそれぞれ東西に軍用桟橋が伸びていた。

 その総合兵舎が天井からの雨漏れによって床一面が水浸し状態、実に様々な物が浸水被害によって壊れ、基地の運営を困難なものにさせていた。

 総合兵舎に勤めている男性職員が眉を八の字にして言う。


「いやはや…あんなに雨が降るだなんて思ってもいませんでしたよ。水に濡れないよう機材を運び出すのも限界がありますし…ほんと、このタイミングじゃなくて良かったです」


 タイミングとは、先日まで続いていたヴァルヴエンド軍の侵攻の事を言っているのだ。


「人的な被害は?誰かが怪我をしたとか」


「それは幸いゼロに近いです。まあ、逃げ出す時に慌てて転んだ人はいましたけど」


「それは良かったですね。けれど…」


「対策が問題です、何せ我々はあんな大雨に経験がありませんから。現在はテンペストさんたちに対策案を求めているところです、できればアヤメさんたちにも是非お知恵を拝借しようと思っていたのですが…」


「残念、私たちも全くの未経験」


「ですよね…」


 私と男性職員が肩を並べてふうむと息を吐く、見上げた天井は染みだらけで今もぽたぽたと水滴が落ちていた。

 昨日、ここに留まった人たちがデスクの上にビニールシートを被せ、一応の応急処置を済ませたようである。そのビニールシートの上にも水滴が溜まり、所々が捲れて結局デスクの上が濡れていた。

 液体は怖い、どんなに堰き止めてもその柔らかさでいくらでも隙間を掻い潜り、圧倒的な物量で押し寄せてくる、そう思わせるような光景が目の前に広がっていた。

 ただ、これも幸いな事に彼らは言わば"二度目"であったということ。浸水の被害は今から約六年前に発生した大災害で経験済みだった。

 基地に呼ばれたのは私だけではなく、ナツメやアマンナ、それからプエラも一緒だ、他の三人は停泊させてもらっているグガランナの船へ出向いている。

 その三人がちょうど兵舎に戻って来た。


「ありゃ駄目だな、止めを刺されていた」


 帰ってくるなりナツメがそう報告した。


「やっぱり?」


「ああ、たださえ先の戦いで大破していたのに、昨日の大雨で船内にあった物が全部びしょ濡れになっていたよ。グガランナが一人、ブリッジでさめざめと泣いてたぞ」


「いや〜あんなグガランナ見るの初めて、さすがの私もかける言葉が見当たらなかった」


 そう言うアマンナの顔も曇り空だ。

 そのアマンナにプエラが「はん」と喧嘩を売り始める。


「良かったじゃない、気遣わなくて」


「あ?なに?」


「あんたなんかに気遣われた日には、さすがのグガランナもショックを受けて寝込んでいたでしょうね」


 プエラが心底馬鹿にしたような笑みを浮かべ、自分の肩にかかっていた髪を払った。


「ほんとあんたって…どんな時でも私を馬鹿にするよね」


「あんたがお墓に入っても馬鹿にしてあげるわ」


「──表出ろこのアバズレ女!「──望む所よこの大食い女!」


「止めろ」

「喧嘩なら後にしてお願いだから、今はそれどころじゃないの」


「賑やかな人たちですね、ほんと」


「すみません馬鹿二人が…」とナツメが軽く頭を下げて、「何でも手伝いますので遠慮なく言ってください」と言った。


「助かります。それでは早速──」お?案外遠慮しないなこの人。

 私たちは昨日のホワイトウォールに続き、総合兵舎の後片付けに入った。



 一通り片付けが終わり、皆んなでお昼ご飯を食べている時だった。


「ん?」


 私たちはノラリスの船外発着場で乾いた風に吹かれながらハムハムしていた、居並ぶ軍艦を見渡せるほど高い所にいたので総合兵舎も良く見えていた。


「あれ、なんか揉めてないか?」


 先に気付いたのはナツメだ、目を細めながら総合兵舎の入り口を見ている。

 私もナツメに釣られて見やる、入り口の方で何やら人だかりができており、誰かが言い争っているようだ。


「ほんとだね、喧嘩してるのかな」


「あれは…テンペストとオーディンか?」


「何で二人が喧嘩を?」


「さあ…」


 遠目から見た限りではテンペストさんとオーディンちゃんが向かい合い、その周りを職員さんたちが囲んでいる構図だ。

 食事を進めながら観戦していると、オーディンちゃんが何やら取り出した様子、ここからでは何を取り出したのかは分からない。

 自前のサンドイッチを食べ終えた直後だった、オーディンちゃんの手のひらからまるで魔法のように何かがポン!と飛び出してきた。


「何だありゃ」


 それも次から次へと、ポン!ポン!ポン!と飛び出たボールみたいな物を囲んでいた職員さんたちの頭に乗せていく。

 食事している時は食べ物以外に興味を示さないアマンナが、眼下で繰り広げられている光景に食いついた。


「何あれ、ちょー面白そー」


「あれ、食べ物じゃないわよ」

「そんなに食べてまだ食べ足りないのか?」

「私のサンドイッチ食べる?」


 (T_T)とアマンナが私たちをジト目で睨む。

 無言で立ち上がったアマンナに続き、私たちも彼女の後を追いかけた。

 そして、到着した総合兵舎入り口の前ではやっぱり二人が口論していた。


「いいからこの変な物を取りなさい!勝手に被せたら駄目でしょう!」


「何が変な物か!さっきも言ったがこれは画期的な発明だ!」


「あなたの発明品は色んな人たちに迷惑をかけているのよ!」


「………え?そうなの?」


「一体誰がその後始末に回っていると思っているの!いい加減にしなさい!」


 テンペストさんはどちらかと言うと普段は物静かな人である。そんな人が眉間にしわを作って全力で怒っている、なかなか迫力があった。

 対するオーディンちゃんはしゅんと肩を落とし、見た目通り小さく縮こまっていた。

 ナツメがそんな二人の間に入った。


「ま、まあまあ、その辺で。何があったんだ?」


「あ、ああ…ナツメさん、お見苦しいところを見せてしまいました」


 はっと我に帰ったのか、テンペストさんが頬を染めながら乱れた髪を整えている。

 テンペストさんの話はこうだった。


「オーディンが対スコール用の発明品を作ってきた?それがこれか?」


 ナツメの手の上にはボール状の球体が乗せられている。ちなみに私の手のひらの上にもある。


「これどうやって使うの?」


 テンペストさんにガチギレされ、ちょっと落ち込んでいるオーディンちゃんが「そのボタンを押せば分かる」と教えてくれた。

 球体の大きさは直径は一五センチ程度、見た目以上に重たい。その球体の一部にボタンが付けられていた。


「押すよ?」


 言われた通りボタンを押す、オーディンちゃんが「ああ、ちょっと手を離した方が──」と言った途端、球体がぼん!と音を立てながら膨らんだ。顔に当たった。痛い。


「い、痛い…そういう事は早く言って…」


「す、すまん」


「というか、どういう形状になるか上から見てただろ」と、ナツメがふふんと小馬鹿にした笑みを作った。

 彼女の手にも膨らんだ球体がある。ボールを半分に切り取ったような形をしており、半円に形成されたアルミ製のパイプの間にはビニールシートが張られている。

 これは所謂、『傘』と呼ばれる物だ。


「これ、もしかして傘?」


 自信なさげにオーディンちゃんが「そう」と言い、「雨はいつ降るか分からない。だからコンパクトに収めて、緊急時にすぐに使えるようこういう形にした」と説明してくれた。


「これをそのまま被るの?」


「そう、下段の骨組みを肩に乗せて、上段の輪っかは頭に乗せる、そうすれば強風に吹かれても飛ばされない」


 膨らんだ傘の大きさは九〇センチ程度だろうか、それを頭から被ってみた。


「おお」


 意外と悪くないかも?視界を確保するためか、顔の近くにアルミ製のパイプがなく全面ビニールシート張りになっていた。

 ナツメ、それからアマンナやプエラもボールみたいな傘を被り、皆んな私と同じように「おお」と感嘆の声を漏らしていた。


「これはアリじゃない?」

「アリかナシかで言えばアリね」

「肩と頭で分散しているから重さもあまり感じないな…両手がフリーになるのは良い」


「そ、そうか?意外とアリか?」


 こっぴどく叱られたオーディンちゃんが、皆んなの反応を前にしてちょっと嬉しそうに微笑んだ。

 ボールみたいな傘を装着した三人がそれぞれ意見を言う。


「これは使い捨てか?」


「そうだが?」


「繰り返し使用できるならさらにアリだな、物がデカいから捨てるのも大変だ」


「言われてみればそうだ、そこまで考えが及んでいなかった」


「これもうちょっと大きくできない?両手が空くのは良いんだけど、ちょっと小さくて携帯が触れない」


「ながら歩きは駄目!」


「これ、ぼん!と開いたら危ないから、他の方法を考えたほうが良い。隣でこれやられたら喧嘩する自信ある」


「それはお主の性格の問題では──うむ、まあ意見として取り入れよう」


 やいのやいとやっていると、テンペストさんが待ったをかけてきた。


「皆さん、いちいち取り合わなくてもいいですから」


「そうは言うがな、他の連中もはしゃいでいるぞ」


 私たちから少し離れた所で、先にボール傘を被っていた職員さんたちがシャワーの水をかけ合っていた。

 現在は晴れ、雨も降りそうにはない、だからシャワーを真上に向けて雨を作りだし、ボール傘の使い心地を試していた。

 向こうも向こうで盛況のようである、「これは良い」とか「携帯触れたらもっと良い」とか、大いに盛り上がっていた。


「まあ、皆さんがそう言う仰られるのであれば…」


 ここでオーディンちゃんが息を吹き返した。


「ふふん!見たかテンペストよ!やはり余の作った発明品は人の為になっておるのだ!」


「…………」


 テンペストさんもアマンナみたいにジト目でオーディンちゃんを睨んでいる。なにジト目流行りなの?

 すっかり勢いづいたオーディンちゃんが「早速国王陛下に頼んで量産体制を築こうぞ!」と言い出した。


「ほらあ!またすぐそうやって調子に乗る!──もう知りません!やりたいならナツメさんたちに頼みなさい!」


「分かっておるわ!もう貴様には見せん!文句しか言われないからな!──アヤメよ!国王陛下に取り継いでくれ!」


「ああ、はいはい」


 自分で頼めば...ああそうか、ナディちゃんたちと仲が良かったのは()()()()か...


(そこら辺り、ナディちゃんもナイーブになってるんだろうな…)


 ナディちゃんにメッセージを飛ばす。

 国王という立場に付いて忙しいはずなのに、返事が秒で返ってきた。


ナディ:ヘルプ!


ナディ:(´・_・`)



転章、宇宙ですら秒単位で変化しているのにずっとこのままでいられると思う?



 ヘルプ!というメッセージに釣られてほいほいとやって来たのが運の尽き。


(Oh…)


 ナディちゃんたちが話し合いをしていた小会議室はとんでもなく重たい空気に包まれていた。

 いや、一触即発、と言えばいいだろうか、ちょっとした弾みでぼん!と爆発してしまいそうな、不安定な空気だ。

 いやしかしだ、あのナディちゃんが私を頼ってきたのは事実である。何かとリードを取られ、恥をかかせられているこの私が良い所を見せるチャンス!

 

(しっかり者のお姉さんとして頑張る──つもりだったんけど…)


 と、勇んでやって来たものは良いものの、何をどうすればこの場を和解に導けるのか...

 まず、この場にはナディちゃん、それから市民の人たちがいる。この市民たちはある苦情があってここまでやって来たそうだ。

 その苦情というのがマキナに関して、得たいの知れない存在を政治に組み込んで良いのか、これが彼らの言い分である。

 ナディちゃんの解答は端的に言って「良い!」である、先の戦役でもマキナの人たちは市民の為に東奔西走し、事態解決の為に尽力してくれたと説明した。

 さらに、マキナのアイデンティティである『人類を保護し、テンペスト・シリンダーを円満に運営する』という話も力説し、納得してもらうよう試みたそうだが...全然駄目だったらしい。

 そんな時に私がメッセージを送ったもんだから彼女も飛びついたそうだ。


(いや私が入ったところでどうにかなるものなの?──いやいや駄目だ!ここはナディちゃんに良い所を見せるんだ!)


 こほんと咳払いを一つ、皆んなの注目を集める。ちょっと緊張する。


「私たちは別のテンペスト・シリンダーからやって来ました、言わば異邦人という事になります。そこでもマキナの人たちは──」


 ううん、めっちゃ緊張した、上手く喋れた自信はないが私もマキナの人たちについて頑張って説明した。

 その結果は──

 

「しかしですね、現にこうして我々が大雨の被害を受けているわけですから、これは一重にグガランナ・ガーディアンというマキナに原因があるわけです。それを分かった上でなおも政治に参加させるというのは、つまり市民の意向を蔑ろにしている証拠だと言えるわけです」


(ええ〜私の説明が悪かったのかな〜)


 全然駄目、否定的な態度を頑なとして崩さない。

 そこで通信が入る、頭がピリピリする方。


《すみません…こんな所に引っ張り込んでしまって…》


 ナディちゃんのイケメンボイスが脳内いっぱいに広がる、気のせいだと思うけど首筋に鳥肌が立った、気のせいだと思うけど。


《う、ううん、私の方こそ力になれなくてごめんね》


《そんな事ありませんよ、味方がいるだけで全然違いますから》と頭の中で会話しながら、ナディちゃんは市民たちとも口で会話をするという、とんでもない技を披露していた。

 ナディちゃんの横顔をちらちら盗み見て、私も市民たちの様子を窺った。


(あの二人は一体何?親子?それにしたってどうしてあんな興味無さそうにしているのか…)


 席の端、そこには大きな体格をした男性とその娘さん?が二人座っている。私たちの話に興味が無いのか、さっきから携帯ばかりいじっていた。

 

《あの二人はギジェットさんとスパークルさんです》


「っ!!」


 そうだ、まだオンラインであることを忘れていた、ナディちゃんボイスが思考に割って入ってきたので驚いてしまった。


《そ、そうなんだ》


《あの二人は親子じゃありませんよ、スパークルさんの部下があのギジェットさんです。なんでもセレンにショッピングモールを建設しているとか──ああそう言えば、アヤメさんの用事ってなんですか?》


 顔を向ける必要はないんだけどつい彼女の横顔を見てしまう。ライラちゃんはこれを独り占めしているのかと思うと──おっといけない、これ以上は良くない。


《オーディンちゃんが新しく発明したボール傘の受けが結構良くてね、量産体制を敷いてほしいって要望があったの、だから連絡した》


《な、なんすか、ボール傘?それって何ですか?》と会話しつつ、市民の人たちへ別途説明の機会を設けたいと話す。この子何者なの?何で頭と口で別々の会話ができるの?

 私がボール傘を説明しようとすると、ナディちゃんに注意されてしまった。


《アヤメさん、いちいちこっち向かなくていいですから、他の人にバレてしまいます》


《あ、ご、ごめん》歳下に注意されてしまって少し恥ずかしい。仕返ししてやることにした。


《ナディちゃんの横顔が見たくてつい》


 ちょーストレート、ノーガードでパンチを放つようなものだ。

 それが思いのほか、クリーンヒットした。


「っ!!」


 ナディちゃんが頬を夕日のように染め、さっ!と私を見た。


《ナディちゃん、こっち見たら駄目だよ、他の人にバレちゃう》


《何を言って──アヤメさんが変なこと言うからでしょ!》


 よほど混乱したらしい、別々の事を話していた芸達者の口ももにょもにょし始め、市民から「さっきから何を言っているんだ!」と怒られていた。

 それからナディちゃんはオフラインにし、苦情に来た市民たちを一旦帰すため説得に集中し、事なきを得た。

 市民の人たちが退出した後、ナディちゃんが「ちょっとここに残っててください!聞きたい事と言いたい事がありますので!」と頬を染めたまま言い、彼女も会議室から出て行った。





 あの二人は仲良しなのだろうか?時折り熱い視線を交わしていたように思う。

 そして私は前を歩く卑怯な男に声をかけた。


「こらギジェット、どこへ行く」


「どこって、このまま不動産課へ行くんですよ」


「やっぱり…彼らの運動に便乗して順番抜かしをしたな?」


「人聞きの悪い、知恵を働かせただけですよ」


「それは悪知恵だ。私たちも今日は一旦引き上げよう」


 ギジェットが立ち止まってこちらを振り返り、大仰に腕を広げてみせた。


「何を言ってるんですかせっかく中へ入れたのに、このまま申請へ行くべきですよ。時は金なり、外で待っている時間があまりにもったいない」


「こんな所で顔を覚えられてみろ、せっかく建てた私たちの店に誰も来なくなるぞ。それでもいいのかい?」


「…………」


「客商売は信用が第一だ。ほら、帰るぞ」


「分かりましたよ」


 と、説得に成功したのも束の間、国王陛下に呼び止められた。


「あのちょっと、もう少しお時間いいですか?」


「何だい?」


「セレンの島にショッピングモールを建てるって話なんですけど…」


 セレンの島はどうやら、国王陛下の生まれ故郷だったらしい。私たちがショッピングモールを建設すると知って、話を訊かずにはいられなかったようだ。


「私が最後に訪れた時は二子山が見えていただけなんですが、もしかしてホワイトウォールのように山肌に建てるんですか?」


「まさか、海に沈んでいた土地が出て来たんだよ。まだ誰も手を付けていなかったから俺たちが土地を買い付けたんだ。だが、基礎工場を終えた途端に昨日の大雨、だからここへやって来たんだ」


「そうだったんですか…」


 国王陛下は険しい顔つきをしている。


「もしかして建設に反対なのかい?自分の生まれ故郷を好き勝手されたくないとか?」


 私がそう訊ねると、国王陛下の顔色がぱっと変わった。


「ああいえいえ、そういう事ではなく、私の所に報告が上がって来なかったのは何でかなと疑問に思いまして」


「報告を上げる前に俺たちが土地を買ったからじゃないのか?俺たちはホワイトウォールの支部からセレンを斡旋されたからな」


「ああそういう──建設に反対しません、寧ろ応援します、またセレンに戻りたいですから」


 そう言う彼女の顔に、歳相応の笑顔が現れた。

 だが、この大男は屈託なく笑う国王陛下に向かってこう言ってのけた。


「だったら少しぐらい融通を利かせてもいいんじゃないか?俺たちはまた外に出て並び直しだ」


「ギジェット…」


 面と向かってえこひいきしろ、と言われた国王陛下の顔色がまた変わってしまった。


「わ、分かりました…私の方から不動産課の方へ話を通しておきます…」


「お、そうか、それはありがたい。モールが無事建設したあかつきには、お前さんを栄えある一人目の客として迎えるよ」


「そ、それはどうも…」


 国王陛下はそう言い残し、私たちの前から去っていく。彼女は歩きながら携帯を取り出し、スパパパ!と何やら操作していた。ながら歩き駄目!


「ギジェット、言ったからには実行だ、何が何でもモールを建てて彼女を迎え入れよう」


「勿論ですよ。いや〜あいつは物分かりも良いし頭の回転も早い、気に入りましたよ。隣にいた美人と何やらコソコソとやっていたようですけど」


「やっぱりそう思う?私もおかしいと思っていた」


「頭の中で会話でもしていたんじゃないですか」


「そんなまさか」


「頭と口が一致していない奴が稀にいますけど、まさにそんな目をしていましたからね」


 考えている事と話している内容が違う、と言いたいらしい。確かに、そういう類いの天才は稀にいる。


「まあどちらにせよ、私たちの目的は達成した、すぐにセレンへ戻って仕事をしよう」


「え?」


「申請は終わった、けれど片付けが残っている、私たちも現場におりて排水作業に取りかかるべきだ」


「え…ガチですか?」


「有言実行」


 心底嫌そうにしているギジェットの服の裾を掴み、アロンダイトを後にした。



 太陽が高度を落とし、空を赤く染める。またぞろ雨を降らすつもりなのか、灰色の雲が空の端から忍び寄り、青、赤、紫とグラデーションに染まっている大自然のキャンパスを汚していた。

 けれどそれが却って壮大な空模様を作っていた、セレンの水没した大地から望む夕焼け空は胸を打つものがあり、いつまでも眺めていたかった。

 しかし、大自然の景色を堪能している暇はない。


(あれは一体…どうやってここへ?)


 見ず知らずの女が一人、水没した大地の上に立っていた。長い金の髪を一本に束ね、濃厚な夕焼け空の下、景色に目もくれず携帯をいじっている。最近の若者かな?

 ギジェットも声をかけあぐねていた。


「あれは誰なんですか…店長のお知り合い…ではありませんよね?」


「ああ、私の知人に彼女はいないよ。私が声をかけてこよう」


「気を付けてください」


 海水に足を取られながら進む。

 その水飛沫の音が彼女の耳に届いたのだろう、携帯の画面から目を離してこちらを見た。

 とくに驚いた様子はない、私たちがここにいると始めから知っていたのだろう。

 彼女から約五メートルほど距離を空けて立ち止まり、声をかけた。


「初めまして。君は一体誰かな?」


「アマンナです、今後ともよろしくお願い致します」


「え、何をよろしくするの?君、ここが一体どんな所か、知ってるよね?」


「はい、ショッピングモールを建設していると耳にしてお邪魔させていただきました」


 言葉遣いは丁寧だ、悪い印象はない。

 しかしだな...いきなりやって来てよろしくお願い致しますとは一体どんな領分なのか、あまり関わりたくない部類の相手だ。

 アマンナと名乗る女が携帯をポケットに仕舞い、上からジロジロと私に視線を注いできた。やっぱり失礼だなこいつ。

 無遠慮に矯めつ眇めつした後、態度をいっぺんさせた。


「かっわ!いや〜ナディに聞いた通りの可愛さだわ!これで店長で部下を従えているだなんて…」


「今なんと?」


「アマンナです、今後ともよろしく「戻り過ぎじゃない?「可愛い〜!ちょっと偉そうな所もまた良い!」と言い、私の肩をぐっと掴んで引き寄せてきた。

 むんずと、彼女の豊満な胸が顔に当たる。


「むぐぐぐ…」


 背後から小さな声で「羨ましい…」と聞こえた。


「き、君は国王陛下の知り合いか?」


 胸の圧弾力から逃れ、上を見上げる。宝石のような青い瞳と視線がぶつかった。


「そうだよ〜ん、ナディから応援を頼まれてね〜、どデカいお土産を持ってやって来たんだよ〜。君の名前は?」


「す、スパークルと言う…」


「すごい名前」と彼女が二ヒヒと笑う。


「そのお土産ってのは?手ぶらに見えるが?」


 ようやくギジェットが割って入り、私を彼女から引き剥がしてくれた。まだ顔に彼女の胸の暖かさが残っている。

 彼女が携帯を仕舞ったポケットから別の何かを取り出した、それは直径一五センチほどのボールだった。

 ボールか?何やら中の骨組みがむき出しになっているようだが...


「それは?」


「まあまあ、このボタン押してみ?」


「馴れ馴れしい奴だな…」


 そう文句を言いつつ、ギジェットは受け取ったボールのような物体に付いていたボタンを押した。

 するとどうだろうか、ぽんと間抜けな音を立てながら膨らんだではないか。


「おお!」

「おお!」


 柄にもなく私も声を上げてしまう、浪漫に溢れる変形機能、そして見るからにこれは傘だった。


「これは傘か?」


「そ。オーディンたちが開発したボール傘、これがあればいつスコールに見舞われてもモーマンタイ!いつでもどこでも傘をさせる!」


「オーディンって言えば…マキナの一人、だったか?」


「そ。他にもあるよ〜」と言い、彼女がやおら夕焼け空を見上げた。

 もう夕焼けではない、夜の帷がそこまで迫っていた。

 ちょうど私たちの頭上に一機の特個体がいた。

 彼女はその機体に向かって大きく手を振り、何やら合図を送った。

 するとどうだろうか、頭上から盛大な爆発音が聞こえ、突風が降り注いできた。


「きゃ〜〜〜!もうなに〜〜〜?!」

「うおうおうおっ?!」


 びっくりし過ぎて思わずしゃがみ込んでしまった、下半身が水浸しだ、下着までぐしょくしょ。

 非難の意味を込めて彼女を見上げるが、そこには驚きの光景が広がっていた。


「え………?」


「ふふ〜ん♪どうよ!」


 ドーム...?いや、私たちは確かに屋外にいたはずだ、それがどうしてビニール製のドームの中に...


「はっ!まさか!」

「はっ!まさか!」


 私とギジェットが同じ言葉を口にする。


「そう!これは建築物用雨避けドーム傘!オーディンたちに頼んでたった数時間で完成させた稀代の発明品!」


 おお...何ともまあ...これで広大なドームをたった一瞬で...

 半径数百メートルはくだるまい、水没してしまった現場をすっぽりと覆うほど、高さはちょっと低いのでこのまま建設を進めることはできないが、これだけでも十分である。

 ギジェットも度肝を抜かれ、見たことも聞いたこともない発明品を前に目をキラキラとさせていたが、やはり商売の男、すぐに意識を切り替えていた。

 こんなに素晴らしい物が無料であるはずがない。


「俺たちから金を取ろうって魂胆か?こいつをこのままここに置いていってほしいぐらいだが、生憎と持ち合わせがない、何せ土地を買ったばかりだから」


「まっさか〜お金はいらないよ〜」


「では何かな?私たちに対する要求を教えてほしい、これを無償で届けに来たわけではあるまい」


「さっきはきゃ〜〜〜!とか言ってたくせに…「わ、忘れろ!」


 ほらやっぱり、彼女は関わってはいけない部類の相手だ。

 人を食ったような笑みをにんまりと作り、こう言った。


「これを作ったのはマキナの一人、そして私もマキナの一人。今ハワイでは反マキナ派の運動が活発になりつつあるけど…どっちの味方をした方が得か、商売人のあなたたちなら分かるよね?」


「………」

「………」


「あなたたちがマキナ派に加わってくれるなら、マキナの援助を無償で受けることができる。これは一重に、国王陛下の望みでもある。だから私はここへ来て、真っ先に今後ともよろしくお願いしますと言ったんだよ」


「………」

「………」


「で?返事は?」


 決まっている。


「こちらこそよろしくお願いしま〜す!」

「こちらこそよろしくお願いしま〜す!」


 私とギジェットは元気良く返事をした。





 扉の向こうから、「誰がそこまでやれって言ったんですか!やり過ぎですよアマンナさん!」と聞こえてきた。

 ナディちゃんに「ちょっと待ってろ!」と言われて残っていた会議室、さっきまでナディちゃんと話をして、電話がかかってきたのでその対応で席を外していた。

 どうやら電話のお相手はアマンナのようだ、また何かしたらしい、いつも何かを起こしているが。

 ナディちゃんが大きな溜め息を吐きながら会議室に戻って来た。


「は〜…」


「何かあった?」


 疲れてんな〜この子、今日一日だけで老けたように思う。


「それがですね…」


 聞けば、何でもアマンナがオーディンちゃんの発明品を売りにしてギジェットさんたちを引き込んだらしい。


「別に良いんじゃない?」


「いや、誰も派閥を作ってほしいなんて頼んでないんすよ。ただマキナの人たちに理解を持ってほしかっただけなのに、だから建築物用のボール傘をオーディンちゃんに頼んだんです」


 と、ナディちゃんが言いつつ当然のように私の隣に戻って来た。広くはないが狭くもない、ちょうど良い広さの会議室で二人っきり、ナディちゃんの存在を真近で感じられる。


「う〜んそうは言うけど、やっぱり人が集まると自然とグループ分けされるもんだよ」


「そうすかね」


「国と言っても会社と言っても、結局は人が集まって出来上がるものだからさ、グループ分けもせずに一つにまとめるだなんて土台無理な話なんだよ」


「そうなんすかね〜…」


 ナディちゃんが頰杖をつき、だらけた姿勢になった。

 彼女の女性らしくない大きな背中がみにょ〜んと伸びている。試しに手を乗せてさすってみる、彼女はなんら抵抗しなかった。よしよし。

 頬杖をついたまま、ナディちゃんがこちらに向いてきた。


「アヤメさんとこもグループ分けってされているんですか?例えば、誰が好きで誰が嫌いとか」


「いや〜うちはどうだろう〜そういう話は聞かないけど、誰も言わないだけでそういうのもあるのかもね」


「そういうアヤメさんは?人間関係は良好なんすか?」


 お。


「そういうナディちゃんは?最近どうなの?」


「私ですか?あ〜まあ…良いとは言えませんね〜」


「レイアちゃんにライラちゃんを取られて悔しいとか?」


「ピンポイントで突いてきますね。──まあそうですね、自分の居場所がなくなった感じです」


「だからこんなに仕事頑張ってるんだね」と言いつつさらに背中を撫でてあげる!

 さすがに本人も甘え過ぎたと反省でもしたのか、姿勢を正してやんわりと私の手を遠ざけた。遠慮なんかしなくて良いのに!

 いやね、自分でもこの状況と家庭持ちの人にアプローチをかけることが駄目な事ぐらい理解している、つもりである。

 でも!皆んなやってるし!ナツメもプエラもなんか裏でコソコソやってるみたいだしアマンナなんかしょっちゅう他人と仲良くするし!

 フラストレーションは溜まるものですよ?そしていつか発散しないといけないんですよ?

 ナディちゃんが抱えている問題や大雨の事なんか忘れ、どうアプローチをかけようか悩んでしまう。これがまた楽しくてワクワクしてしまう。

 今日まで散々恥をかかせてきたこの歳下をどう攻略してやろうか──そう真剣に考えていた時期が私にもありました。

 その終わりはすぐにやって来た。

 ライラちゃんが会議室にやって来たのである。


「…………」


「──えっ、ら、ライラ?」


「…………」


 無言。ノックもせず入って来て無言である。


「ど、どうかしたの?」


 ナディちゃんの問いかけに答えず、鋭く細めた目を私にちらりと向けてきた。

 視線が合った瞬間、すぐに理解した。


(ライラちゃんに…バレてる!!)


 え、どうして、どうしてバレた?いやというかまだ何もしてないんですけど!ちょっと背中を摩っただけなんですけど!

 答えは簡単だった。

 黙り続けていたライラちゃんが一言、「ノラリス」とだけ口にした。

 それを聞いた私も瞬時に理解した。


(あ〜そういう事か…)


「え?の、ノラリスがなに?何でその名前が今出て来たの?」


「いやね、私も確かに最近はレイアにかかりっきりだったからナディのこと疎かになっていたけど、さすがにこれはどうなの?」


「何が?」


「何が?何がって言った?自分が今何をしているのか理解してないの?」


 物凄く険悪なムードが漂い始める、明言を避ける物言いにナディちゃんも怒り始め、そんな態度を取っているナディちゃんにライラちゃんも怒りのボルテージを上げていく。

 あれ、もしかして私のやってた事、この子理解してなかったのかな?

 ナディちゃんもその凛々しい双眸を細め、ライラちゃんのことをキツく睨み始めた。私はもう既に眼中にはないようだ。


「いい加減にしてくれない?わざわざ職場にまでやって来てその言い草はなに?こっちは仕事の話をしてるんだよ?」


 ボルテージが臨界点に達し、ライラちゃんの口から怒りの言葉がテイクオフした。


「は〜?!仕事の話〜?!二人っきりで?!こんな密室で?!こんな美人と二人っきりでビジネスの話〜?!?!」


「なに?まさか私が浮気してるとでも言いたいの?──馬鹿じゃないのそんな事するわけないでしょ!そんな暇があるなら自分の家でゆっくり過ごすわ!──まあ?!今となってはもう私の居場所はありませんけどね〜〜〜!」


「何それ私が奪ったとでも言いたいの?!自分が勝手にそう思い込んでるだけでしょ?!その寂しさを他所に求めるだなんて見損なったよ!」


「誰がそんな事するか仕事でその寂しさを埋めてただけだよ!それがどうして怒られなきゃいけないのさ!」


「嘘こけ!!」ズビシ!とライラちゃんがナディちゃんを遠慮なく指差した。


「アヤメさんに頭撫でられたり背中撫でられたりしてたじゃない!!ノラリスが浮気の気配があるから注意しろって教えてくれたのよ!」


「は〜〜〜?!ただ愚痴聞いてもらって慰めてもらってただけじゃんか!アヤメさんが浮気なんかするわけないでしょ!」


 ( ̄ー ̄: )


「私だって大変なのに!ナディはさっさと家を出ちゃうし全然構ってくれないし!」


「どっちが!ライラだって私に構わなくなったでしょ?!どれだけ寂しいと思ってんの!」


「知るか!寂しいなら寂しいって何で言わないのよ!それで浮気に走るだなんてダメダメもいいところじゃない!」


(し、死にたい…)


 もう情けないやら悔しいやら羨ましいやら。

 浮気を持ちかけた相手に庇われるわ、喧嘩しながら互いに惚気合うという器用な所を見せつけられるわ。

 この二人は愛と信頼が成り立っている、理想的な二人だと言えよう。

 却って私と言えば...


(ああ…今すぐアマンナに会いたい…)


 二人はもう私のことなんか見ておらず、そっちのけで大喧嘩をしている。

 私はそっと、けれど忸怩たる思いで会議室を後にした。

 そして翌日、ハワイはこの二人を中心に大きな変貌を遂げたのである。





 昨日、なんか知らんけどアヤメがめっちゃ甘えてきた。ウケる。そして可愛かったのでうんと構ってあげた。

 ハワイに借りたマンションの自室から望む空は生憎の曇り空である、今日もどこかで雨が降りそうだ、そう予感させるほどに雨雲が大きく広がっていた。

 スコールの猛威に曝されたハワイの人たちはそんな曇り空を前にして慌てるどころか、寧ろ雨が降るのを期待しているように感じられる。

 それもそのはず、オーディンが開発したボール傘をこの私が配り歩いたからだ!皆んなボール傘の効果を試したくて仕方がないのだ!

 私の手にもそのボール傘がある。昨日、この発明品の有用性が市民らに認められたため、ナディからヴァルキュリア本土に対して量産指示が出され、その指示の隙間に「私が配ってあげるからバーコード印刷もよろしくね!」と挟んだ。

 ボタンを押してボール傘を展開する、試作品にはなかった私の動画チャンネルのバーコードが一部に印刷されている。

 

「ふっふっふっ…これで登録者数も爆上がりよ!──痛っ」


「この拝金主義者め、人々の不幸にかこつけて金儲けするんじゃない」


 私の後頭部を叩いてきたのはナツメだった。起きたばかりなのか、髪と衣服が乱れている。


「なんてだらしない格好…ここが暑いからって薄着し過ぎじゃないの」


 ショートヘアは乱れ、シャツの胸元がはだけて中身が見えている。しかし悲しいかな、ナツメの胸はいつ見ても寂しいのでお得感がない。


「別にいいだろ、誰に見せるでもない。動画収益は街の復興財源にあてろよ、いいな?」


「それを決めるのは私──「アオラに言いつけてお前のアカウント停止させるぞ「──いや〜ちょうどその相談をしようと思ってたところなんだよね〜」


 ちっ。

 まあいいけど、ここで稼いだお金はここでしか使えない、他所のテンペスト・シリンダーへ持って行っても為替システムがないので現金化もできない。

 説教をしてくれやがったナツメが一度引っ込み、顔でも洗ってきたのか少しさっぱりした状態で戻って来た。


「アヤメは?もう出かけたのか?」


「仕事。あ、ちなみに私は今日休みだから叩かないでよ」


「人聞きの悪い「今さっき叩いたばかりだろ」


「グガランナは?まだ自分の船にいるのか?」


「いいや、もう諦めたみたいだよ。今はノラリスの所へ行って何やら打ち合わせをしてるみたい」


「何の打ち合わせ?」


「なんかノラリスに誘われてるらしいよ、一緒に他所のテンペスト・シリンダーへ行かないかって」


「へえ〜?」


 寝耳にホットコーヒーだったのか、まさにホットコーヒーを作っていたナツメがこちらを向いた。


「他所ってどこなんだ?」


「ファーストって所、アメリカ大陸にある世界で二番目に大きいテンペスト・シリンダー」


「世界で一番デカいのは?」


「中国大陸にある漢帝っていう所、だったはず」


「お前は本当に何でも良く知ってるな」


 ナツメが淹れ立てのコーヒーに口を付けたタイミングを見計らい、「もう〜急に褒めないでよ〜」とまあまあの力で脇腹をどついてやった。

 狙い通り、ナツメは「ぶっ」とコーヒーを吹いた。


「そのファーストにいるイスカルガっていうノラリスの仲間から要請があったみたいで、こっちも問題を抱えてるから助けに来てほしいって」


「………そうか」おや、反撃してこないだと?「そのイスカルガっていう奴以外にもノラリスの仲間はいるのか?」


 私は間合いをはかりながら答える。


「いる。さっきの漢帝には華夏擁船(かかようせん)、他にはムー、ビスマルク、アフラマズダっていう船がある。私もまだ会ったことはないんだけどね」


 彼ら(ヴァルヴエンド)がインターシップと呼んでいる船はノラリスも合わせて全部で六隻である。


「そいつらもノラリスみたいに話すのか?」


「そうなんじゃない?」


 床に溢したコーヒーを掃除し、ナツメが何事もなくダイニングテーブルに腰を下ろした。え?なに?何もしてこないのが普通に怖いんですけど。


「そういえばお前、他所の特個体を引き連れて隊を組んでいたな、それで知ったのか」


「そうそう、他所のテンペスト・シリンダー事情は全部あの子たちから聞いたよ」


 やんちゃなウルスラがファースト、大雑把なムルムルがフェノスカンディアの出身だ。


「まだ他にもいたろ、お前とマリサを含めて六人じゃなかったか?」


「スダリオはノルディックっていう北欧のテンペスト・シリンダー、それからマリサにぞっこんだったシトリーは、中東方面にあるカッパドキア・アナトリアって所からやって来たらしいよ」


「やっぱり隠していたな?「人聞きの悪い、今ちゃんと説明してあげたでしょ」


 ホットコーヒーを飲み終えたナツメがつと天井を見上げ、私が教えてあげたテンペスト・シリンダーの名前を口にしている。


「ファースト、それからノルディック、フェノスカンディア、そしてカッパドキア・アナトリアか…」


「どんな所なんだろうね〜私も行けるのなら行ってみたい」


「アヤメが聞けば間違いなく行くって言うだろうな。そういう奴だよ、あいつは」


「だよね〜」


 ガチ?本当に何もしてこない、ナツメは飲み終えたカップをシンクへ入れ、それからガラス窓の向こうへ視線を投げている。

 私も釣られて見やる、空は先ほどよりも重たくなっており、今にも雨が降り出しそうだった。

 今日のナツメはやり難い、隙を見てお暇しよう。


「世界中で一二基のテンペスト・シリンダーが稼働している、とは聞いていたが…実際にその事を耳にすると思う所がある」


「それは何?」


 ゆっくり、ゆっくりと後ろへ下がる。


「何故ヴァルヴエンドは隠していたのか、という事だよ」


「のっぴきならない事情でもあったんじゃないの」


 ナツメが窓から視線を外し、私を見やる。


「その事情を知りたいんだが…まあいいか。──待て、どこへ行く?まだ話は終わってないぞ」


「なんか今日のナツメ変だよ?気持ちが悪いからこのまま逃げたいんだけど」


「お前ほんと…私がいつもいつも反撃すると思うなよ、私だって大人になったんだから」


「で?話って?」


「お前、機械には得意だろ?」と言い、腕にはめていた時計を持ち上げた。


「これの使い方がいまいち分からん、どうやったらブイ(VUI)に切り替えられるんだ」


「それを私に訊くの?まあ、別にいいけど」


 この腕時計は、ノラリスのアウター・ユーザーフェースとヴァルキュリアが独自開発した仮想出力の技術をがっちゃんこさせた物である。ナツメ以外にもアヤメやプエラ、それからナディも使っている。

 あのナツメが私に助けを乞うだなんて珍しい事もあるもんだ、そう思いつつナツメの腕時計を確認しようと近付き──目の前にぬっと手が現れたのでびっくりした。それはナツメのもう片方の手、そうだと理解したと同時に頬に暖かさを感じ、今度こそ頭が真っ白になった。

 まさに、不意を突かれた、と言う他にない。

 あのナツメが、唇を重ねてきたのだ。


「…………」


「…………」


 必然的にナツメの顔が目の前にある、アヤメが惚れてい()という(そう!惚れていたのは過去の話!)切れ長の瞳が私を捉えており、その瞳が徐々に細められていった。

 私はすぐに理解した。


「ナツメ…」


「お前への仕返しはこういうのが良いと思ってな、言おうが殴ろうが言う事を聞かない、だからキスしてやったんだよ」


 目元は『ザマァ』と愉悦に細められている。


「一生の不覚だよ、ちくしょうめ」


「私にキスされたくなかったら少しぐらい言う事を聞くんだな」


「死ぬほど説得力があるねその言い方」


 くっくっくっとナツメがいやらしく笑う、嫌な大人になったもんだ。

 私はその後、レストルームへ向かって唇が赤く腫れるまで洗い続けた。



《アマンナ、取り込み中のところ失礼する》


 唇の感覚がなくなるまで洗い続け、もうそろそろいいかなとレストルームを後にした時だ、ノラリスから通信が入った。


《なに?》


《私と一緒にナディを説得してはもらえないだろうか、グガランナから話は聞いているだろ?》


《ファーストへ行くって話でしょ、それは知ってるけど、ナディを説得ってどういう事?》


《ここから出るつもりはないらしい、だが、彼女が私の主人である以上は連れて行くほかにない》


《ああ、そういう事。まあ別に良いけど》


《助かる。ついさっきもその話をしたんだが、今はそれどころじゃない!と怒られてしまって》


《確かに今はそれどころじゃないと思うよ、大雨の対応に追われているし》


《ふうむ、タイミングが悪かっただけなのか…はたまた本当に興味がないのか…》


《まあ、そこら辺も私の方から訊いてみるよ》


《助かる。それと、大雨の事なら問題ない、そう心配することもないだろう》


《はい?何言ってんの?この雨が見えないの?》


 レストルームからリビングに戻る、ナツメもお出かけしたのか、誰もいなかった。

 リビングの窓向こうは、早速降り始めた雨であの時と同じように白く煙っていた。


《雨量に関してなら把握しているが…まあ、今はいいか、そのうち分かるだろう》


《雷食らってバグったままなんじゃないの?もっと分かりやすく言って》


《そのうち分かる》とノラリスが言い、そのまま通信が切れてしまった。


(なんなんだ?まあ、しゃあない、行くか)


 ノラリスからお願いを受けた私はヒリヒリする唇のままアロンダイトへ、マンションを後にして通りに出た。


「一波乱来そうだぜ…」


 いやもう絶対来るでしょ、むしろなんで今降ってないのか不思議なくらい空はどんよりとしている。

 そして、到着したアロンダイトでもうすでに一波乱が起こっていた。


「…………」

「マキナをここから追い出せーーー!」


「…………」

「彼らは我々の味方だーーー!」


(え?!なにあれどういう状況?!なんでライラとナディが睨み合ってるの?)


 アロンダイトの入り口前には大勢の人たちが集まっており、その集団が二つに分かれていた。

 それぞれの集団は互いに言葉の剣戟を交わし、その先頭にライラとナディが立っている構図だ。ライラが、言わばマキナ反対派、ナディは賛成派だ。


(いやはやこれは一体…こうなる事は予測していたけどさすがに展開がジェットコースター…)


 そもそもオーディンが開発したボール傘を人々に配っていたのも、マキナに対する誤解を解くきっかけになればという思いからであり、それは国王としての願いでもあった。

 まあ、ちょっと私が派閥化に向けて扇動した形ではあるんだけど...それにしたって派閥争いに発展するのが早い。

 状況がよく分からんのでとりあえずナディへ連絡を入れる、こういう時自意識会話はとても便利である。


《どういう状況なの?なんでライラと向かい合ってるの?》


 私からの連絡が予想外だったのか、ナディが「!!」と周囲に視線を配らせ、それがいけなかったようだ。

 ライラがナディの変化に気が付いていた。


「ほら!またそうやって頭の中で誰かと会話して!いつもいつもそうやって私の知らない所で浮気してたんでしょ!」


「な、何が?私は別に何も…」


「言っておくけどそういうのすぐ分かるんだからね?!ナディって頭の中で会話してる時目線が少しだけ下がるんだから!頭の声に集中してるんでしょ私じゃなくて!どれだけ寂しい思いをしてると思ってんの!」


「なんだと──」


(あれ?ナディにも火が付いたぞ?)


 ここは宥めないといけない場面なのに、国王陛下も怒りの火をたぎらせていた。

 なんだか面白いことになりそうなので私も二人に近づく。

 私が近づいた時にはナディも怒りを口から迸らせていた。


「それを言うなら私だってそうだよずっとレイアちゃんに構ってさあ!私なんか全然じゃん!あれだけ仕事が嫌いだって言ってた私が今は仕事に逃げてるんだよ?!「知らんがな!「自分だけ寂しい思いをしてるなんて思わないで!」


「だったら私に内緒で頭の中で会話しないでよ!」


「無茶言うな!勝手に通信が入るんだもんどうしようもないよ!」


「それならレイアだって仕方がないわよ!好きで好きでしょうがないもん!──あなたと同じぐらいにねえ!!」


「…………」


 二人ともクールダウンに入ったらしい、荒ぶる猫のようにふん!と鼻息を鳴らしたあと静かになった。

 そして再びライラが話し始める。


「あなたがそうなった原因は一重にマキナたちにある、だから私はマキナに反対の意を表明する!──私のナディを返して!あの頃のナディに戻してもらう!」


「いいや!マキナの人たちがいなければ私もライラも助からなかった!それどころか今のハワイだってなかった!だから私はマキナに賛成の意を表明する!何がなんでもマキナの人たちにはハワイに居てもらうから!」


(凄いなあの二人…私的と公的がものの見事に一致している…ああいうのを生まれもった性質と言うんだろうか…)


 この世の終わりのようにどす黒い雨雲から、ついに雨が降り始めた。ぽつり、ぽつりと雨粒が街に降りてくる。

 そんな中、二つの派閥と二人の先導者がアロンダイトの前で睨み合う。そこへひょこっと、割って入る者が現れた。

 レイア、と名付けられた小さな女の子である。


「私、居ない方がいい?」


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 女の子の儚い声は二つの派閥と二人の先導者を一瞬で黙らせた、それだけの力があったという事だろう。

 レイアは二人にとっての娘であり、非公認だがあの女の子のマテリアルは元プログラム・ガイアのものである。

 まさに、この構図を形作った原因だと言える、そんな女の子から「居ない方がいい?」と訊かれたら、誰だって何も言えなくなってしまう。

 互いに何も発言しない、静かな時間が流れる。このしじまに雨音だけが彩りを与えていた。

 ぽつり、ぽつり、次第に音が大きなり、ざー、ざーと強く降り始め、風も強くなってきた。

 スコールの再来である、地球の大自然は人類の味方などしない、いつでもどんな時でも自分勝手に振る舞う。

 この静寂を破ったのは大雨による警報だった、ハワイ全体に甲高い音が鳴り響く。

 皆、レイアの発言を無かったことにしてアロンダイトへ入っていく、そんな中、ナディだけは中へ入らず私の方へやって来た。

 なんか用事でもあるのかなと思ったけど違ったようで、彼女は私の前も素通りして走り去って行った。





 ──今すぐ基地へ来てくれ!このままではスコールを防げない!



「…………」


 やってしまった、ああやってしまった、やっちゃいけない喧嘩をやってしまった。それも見せてはいけない相手の前でやってしまった。

 降り始めた雨はその勢いを強め続け、今ではもう視界が真っ白になっていた。足元ですら良く見えない、これでは何かに躓いて転んでしまいそうだ。

 けれど、これでちょうど良いと思った、誰かに見られることもないこの大雨が情けない姿を隠してくれるから。


(ほんと情けない)


 どうやら基地がピンチらしい、オーディンちゃんから連絡を受け取った私は一人、軍港へ向けて走っていた。

 朝から忍び寄っていた雨雲から雨が落ち続けている、その勢いは先日と同じだ、まるで叩きつけられているようだ。そして風も強い、先日のスコールでは何隻かの船が転覆していた。

 

(ほんと子供だな私、レイアちゃんの前であんな事言うなんて)


 ランスロット地区の目抜き通りを駆け抜け、最寄りのエレベーターまでやって来た。勿論の事だが人の気配はなく、常駐しているラハムちゃんたちも撤退する準備をしていた。

 ラハムちゃんの一人が私に気付き、ぎょっとした声を上げた。


「ナディさん?!何をやっているんですか?!警報が発令されていますよ!」

 

「ごめん!どうしても基地へ行きたいの!」


「駄目です危険です!動かすことはできません!」

 

「お願いだから動かして!」


 今さらアロンダイトへ戻れない、その気持ちが言葉に込められていたのか、思いの外強い口調になった。

 ラハムちゃんたちは「あのナディさんがここまで怒るなんて!」と言い出し、私の願いを叶えてくれた。


「エレベーターは使えますけど、残念ながらラハムたちは規約に従い同乗することができません」


「それでいいよ、無理を言ってごめんね!」


 一度停止させ、私の我が儘で起動させた観覧用のエレベーターに乗り込む。

 エレベーターの扉が閉まり切る直前まで、ラハムちゃんたちは私のことを心配そうに見ていた。そんな出来た人間でもないのに。

 

「──あ!」

「ああ!」

「乗ったら駄目──」


 ん?ラハムちゃんたちが何やら慌てている。

 扉が閉まるほんの一瞬前、誰かがエレベーターに乗り込んできた。


「はあ…はあ…ま、間に合った…」


「…………」


 背は随分と小さい、この大雨の中を走って来たのだ、私と同じようにずぶ濡れだ。

 その誰かとは、レイアちゃんだった。


「何をやって…」


 乱れる呼吸を整えるように、レイアちゃんは必死に喘いでいる。その姿を見て私は、心配するよりも先に怒りが湧いてきた。


「何を考えてるの!こんな大雨の中一人で!」


「さ、さっきのこと…あ、謝りたくて…」


「さっきのこと?」


「は、話すなら、い、今しかないって…」


 起動したエレベーターがゆっくりと降下していく、一度きりの降下だ、下に到着したら警報が解除されるまで円卓街へ上がることはない。

 それに私が乗り込んだエレベーターは観覧用であり全面ガラス張り、工業用エレベーターと違って耐久性は低く、この大雨と強風の中では心許ないと言える。

 それなのにこの子は乗り込んできた。

 レイアちゃんが呼吸を整え、私を見上げてきた。

 その瞳はとても真っ直ぐだった。


「さ、さっきはごめんなさい、嫌なことを言ってしまって、軽率だった」

 

「…………」


「あんな言い方されたら、誰だって疎ましく思うに決まってるのに」


 どうして私がこの子のことを苦手としていたのか、分かったような気がする。

 子供らしくない、そう、この子はあまりに子供らしくない。大人にすら気を遣い、礼儀正しくあろうとする、それが却ってこちらに遠慮しているみたいでやり難さを感じていた。

 だから私はこう言ってやった。


「大人に気を遣うな!子供は子供らしくしろ!」


「!」


 まさか怒られると思っていなかったのか、レイアちゃんがびっくりしていた。


「レイアはまだ子供でしょ?!どうしてもっと我が儘を言わないの?!」


「そ、そんな事言われても…」


「私が生まれた島では相手が自分の親とか関係なく我が儘言いまくってたわ!それが普通なの!」


「じぇ、ジェネレーションハラスメント…」


「何だって?!」


 エレベーターは順調に降下している、ちょうど半分を過ぎたところだ。もし、今晴れていれば、眼下にあるブルードームは真っ青に輝いていたことだろう、けれど今は生憎の雨で薄暗い闇に覆われているだけだった。

 レイアちゃんもカチンと来たのか、言い返してきた。


「そ、それを言うなら!そっちだっていつも難しい顔をしてた!いつも怖かった!」


「!!」


「眉間にしわを寄せて、嫌そうに挨拶して!私と会うのが嫌なのかなっていつも思ってた!」


「そ、それは──」そこでぐらりと足元が大きく揺れた。

 そして次の瞬間、ガラスが盛大に割れる音が鳴った。突風という暴力を前に、心許ない壁が壊されてしまったのだ。

 

「レイア!こっちに!」


 レイアちゃんの小さな体に上から覆い被さる、激しい雨と風がエレベーターの中にも侵入し、そのあまりの勢いに呼吸すらままならない。


(ヤバいヤバい、レイアに何かあったらライラに殺される!)


 しかしここはエレベーターの中、まだ降下途中だ。

 レイアちゃんは私の胸の中で小さく縮こまっている、さっきは堂々と文句を言ってのけたのに細かく震えていた。

 ああ、まだまだ子供なんだなと思った。賢しい喋り方をしても、身の危険を感じる出来事に出会したら年相応に怖がる。

 当たり前だ。私が勝手に"子供らしくない子供"だと決めつけていただけだ。

 ちゃんとこの子と話しをしないといけない、ちゃんと向き合わないといけない、そう決心するも──

 エレベーターが嫌な音を立てながら大きく傾いだ、昇り降りを支えるガイドレールが折れてしまったのだ。

 エレベーターはそのガイドレールに沿って昇降を繰り返す、レールから外れたかごを支えてくれるのはワイヤーロープだけ。


「──っ!!」


 私たちが乗っているかごが風に強くあおられた、お尻の底が抜けていくような恐ろしい浮遊感が襲ってくる。

 レイアちゃんは私にしがみついている。

 あの時あんな事を口走らせなければ、この子は今ここにいなかったはずだ。


(この子は何が何でも私が守る!)


 私もレイアちゃんをキツく抱きしめた、割れたガラス片やあらゆる衝撃から守るために。

 かごが突風にさらにあおられ、私たちの体が水平になった。





 夢にも暖かいものがある、最近分かったことだ。

 その夢には懐かしい、と思える人たちが沢山出ていた。小さくて、けれど一番偉そうにしている女の子、それから髪の毛がうんと長くて我が儘で世間知らずな女の子、そして...誰だっけ、あともう一人いたはずなんだ、けれど思い出せない。

 とにかく、その懐かしい人たちと夢の中で再会して、最近どうしてる?みたいな世間話をする夢を見た。

 再会したのだ、夢の中で、それはとても暖かで、嬉しくて、いつまでも夢から覚めたくないと思えるほどに楽しいひと時を過ごした。

 でも、思い出せないあと一人にこう言われた。


 ──駄目だよ、せっかく会えたんだから、早く向こうに戻らないと


「──イア!」


 覚めたくない、いつまでもここにいたい、せっかく友達になれたのにもったいない。


「レイア!しっかり!」


「…………」


 暖かな夢から一転、全身を覆うほどの冷たさが押し寄せてくる。それに息苦しい、上手く呼吸ができない。

 

「あ、ああ…海…」


 どうやら私はこの人に抱きかかえられ、海の中を泳いでいるようだ。胸元がキツく、それから口や鼻に何度でも海水がかかっている。


「く、苦しい…は、離して…」


「馬鹿言わないで!あともう少しだから!」


 この人の腕越しに海上のエレベーター駅が見えた。スコールに見舞われた駅はガラスが割れ、ひどい有り様になっている。

 頑張って後ろの方を見やる。


「さ、さっきのエレベーターは…」


「もう海に沈んだ!海の上に落ちたから私たちは助かったの!」


 そういう事か、運が良かったらしい。あの駅に落下していたら、きっと私たちは助かっていなかったに違いない。

 どうしていつも怒っているのだろう、この人はいつもそうだ、挨拶をしてもどんな話をしてもいつも嫌そうな顔をする。

 嫌なら離れればいいのに。


「は、離して…も、もう嫌…」


「あと少しだから我慢して!」


「い、嫌!アンジュたちの所に帰る!」


「ちょっと──」


 がっしりと組まれた腕は解けそうにない、だから私は海の中へ潜るようにして抜け出した。

 抜け出した途端、強い波に攫われあっと言う間に流されてしまった。


(しまった──)


 こんなに波が強かっただなんて、あの人が平気そうに泳いでいたから大丈夫だろうと思っていたが...とてもではないが泳げそうにない。

 見る見る体が流されていく、見えない力に圧倒されるかのように、何度も顔が海の中に入ったり出たりを繰り返す、さっきよりも息苦しい。

 暖かい夢へ戻りたかっただけなのに、私は冷たい海に飲み込まれそうになっていた。

 そんな中、私の手を暖かな何かが握ってきた。


「──レイアっ!!」


 ああ、びっくりするほど暖かい。死にかけたからだろうか、あんなに怖いと思っていた顔も何だか今は頼もしく見えてくる。


(ああ、そっか…嫌がっていたわけじゃないんだ…)


 ぐいと引っ張られ、私はもう一度胸の中に収まった。



 くっそ怒られた、これでもか!っていうぐらい怒られた、ママにだってぶたれたことないのに二回ぐらい頭をぶたれた。


「馬鹿か!いくらパニックなってるからって自分から海へ潜るだなんて!」


「ご、ごめんなさい…」


 何とか海上のエレベーター駅に到着することができた、私はほとんど何もしてないけど。

 外から見て分かるように、駅の中もひどい有り様だ。壁という壁は割れ、天井からも浸水しているので中は水浸しだ。

 私は駅構内にある受付けカウンターに座らされ説教を受けている、この人は下半身が水に浸かった状態で普通に立っていた。

 

(絶対寒いでしょ…いくらここが暖かい場所だからって…)


 ごう、ごうと鳴る風の中でもこの人の怒鳴り声だけは良く聞こえる、ほんと嫌なものだ、私はそれでも声をかけた、かけずにはいられない、何せ助けてくれたのだから。


「あ、あの…」


「何?!」


「す、座らなくていいの…?さ、寒くないの…?」


「…………」


 毒気でも抜かれたのか、ぽかんとした顔になったあと、私の隣に座ってきた。

 遠慮なく、水がかかろうがお構いなし、濡れた腕が私に当たっている。私はそのことにひどく安心感を覚えた。

 頭上から声が降り注いでくる、まるでお日様のように感じられた。


「ねえ、私ってそんなに嫌そうな顔してた?」


「してた」


「ごめんね、そりゃ気も遣うよね」


「うん、てっきり嫌われてるのかと思ってた」


「嫌ってるわけじゃないよ、ただどう接したら良いのか分からなくて。私はライラみたいな接し方はできないからさ、それで悩んでたの」


 そこまで言わなくていいんじゃない?いくらなんでも打ち明け過ぎではなかろうか。

 でも、そういうのが"この人"という人柄なのだろう。

 私も自分の胸の内を明かした。私が以前、何て呼ばれていたのか、その名前ぐらい耳にしている。


「私は…私は普通に生まれてきた存在ではないから…プログラム・ガイアっで呼ばれていた時の記憶もないし。それでもママは私のことを大切にしてくれる、でもそれってあなたにとってどうなんだろうって」


「どうとは?」


「私が大切にされるって事は、あなたにとって寂しい思いをさせてしまうのかなって…そういうのもあって気を遣っていた」


「ほんと情けなくてごめんね、レイアの前でああ言ってからすぐに反省したよ、私もまだまだ子供だって」


「それは別に…私も子供だから…」


「それフォローになってないからね」


「大人のフォローをするやり方が分からない…」


 それもそうかと返し、笑い声を漏らしている。

 なんだろう、この人、もしかして...


(私のこと、対等に扱おうとしてる…?ママは完ぺき子供扱いだけど…)


 カウンターに座った私の視界には、比較的被害を免れているブルードームの姿があった。晴れている時は円卓街の底に海が反射し、綺麗で非自然的な青色の世界が広がる。そこを遊覧するための桟橋が幾重にも伸び所々に出店がある、そんな所だ。

 そこをずっと見ていた私は思い切って上向いた。

 すぐに目が合った、この人はずっと私のことを見ていたのだ。


「なに?」


「む、迎え、来るかな?」


「ああ、それなら大丈夫、もう連絡はしてあるから」


「?──ああ、ママが言っていた頭の中で」


「そうそれ。レイアはどう思う?頭の中で誰かと会話するのってやっぱり気味が悪いって思う?」


「ううん、便利で良いと思う」


「それ、ライラにも言ってくれない?」


「分かった。それから──」


 何て言えばいいのだろう、率直に訊くべき?


「なに?」


「その…なんて呼んだら…いい?」


「私のこと?レイアはなんて呼んだらしっくりくる?」


 しっくりか...それは考えてなかった。どう呼べば気に障らないのか、そればかり考えていた、だから距離が空いていたんだと今なら分かる。


「お、お〜…」


「お?」


「お、お母さん…って呼ぶ」


 ほんとだ、この人はまだ子供みたい。

 にんま〜〜〜と笑い、「照れ臭いね〜」と言った。

 それから私はお母さんと色んな話をしながら過ごし、雨足が弱まった所で軍の救難艇が迎えに来てくれた。

 あとで教えてもらった話だが、お母さんはオーディンというマキナの人に応援要請を受けて基地へ向かっていたらしいのだが、どうやらそれは誤りだったらしい。なんでも連絡をする相手を間違えたとか。

 オーディンという人も私と同じようにくっそ怒られたらしい。うんうん、仲間が増えて嬉しい限りだ。





「…………」


「ほらレイア、濡れたまま家に入ったら駄目でしょ」


「玄関先で着替えろと?無茶なことを言う」


「ライラがタオル用意してくれてるんだからそれ使いなさい」


「タオルが可哀想」


「いやカーペットの方が可哀想でしょ」


 え?な、なに?なにこの二人、なんでそんな急に仲良くなってんの?え?アロンダイトの前であんな事があった直後ですよまだ。

 二人は無事に帰って来た、レイアが一人でアロンダイトを飛び出した時はもうこの世の終わりだと思った、あんな大雨と強風の中、まさかナディを追いかけていくだなんて。

 ナディが基地へ向かったのはどうやらオーディンの誤報という事が分かり、私は彼女の面倒役であるディアボロスにくっそ説教してやった。戦役の事もあり、今まで遠慮していたが大事な家族が危険な目に曝されたとなれば話は変わる。

 説教してやったディアボロスから「聞きしに勝る氷の女王っぷりをしかと堪能した、今後は僕も気をつけよう」と反省しているのか分からない返事をもらい、二回戦に突入したあとに二人を無事確保したとウィゴーさんから連絡をもらった。

 私はその時リビングに大の字になって倒れた、人ってあまりの安堵感から常識が欠如してしまう時があるらしい、倒れたら痛いって分かっておきながら私は倒れた、今頃になって背中が痛む。

 ううん、今は背中の痛みとかどうでもいいの。

 エントランスで服を脱ぎ始めた二人に声をかける。いやそれはそれでどうなの?タオルやカーペットが可哀想だからってこんな所で服を脱ぐ普通。


「え、その、何かあった?二人とも、何だか様子が…」


 ナディが答えた。


「ちょっとね、レイアと話したんだ」


「ふ、ふ〜ん…」


 んん〜(>人<;)と濡れた服を脱いだあと、レイアも答えた。


「お母さん、話せば分かる人」


「そ、そうなんだ…」


「ママがいつも子供扱いをしていた、というのがよく分かるくらいお母さんは何でも話してくれる」


「…………」


 何ですって?!比べられた?!まさかナディとこの私が比べられたの?!

 こんな日が来るなんて...想像すらしていなかった。


「あのねレイア、ママとお母さんが違うのは当たり前でしょ、何せママの初恋の人なのよ?ママより出来て当然よ!」


「え、お母さん、これはどう処理すればいい?」


「聞き流すのが一番良い」


「それは止めて!──そうだ!せっかくだからレイアに昔話をしてあげるわ!ママとお母さんが出会ったばかりの頃の話を!二シーズンは余裕だわ!」


「いい」

「帰ってきたばかりだよ?」


 凄まじい阿吽の呼吸、二人から冷たい目を向けられた私は暖かい飲み物をだすためすごすごリビングへ退散する。

 二人から冷たくあしらわれてしまったが、とても暖かいものを見たような気がする。

 愛する二人、少し距離が空いていたその二人が仲良くなった、こんなに喜ばしいことはない。


(それもこれも、ここを守ってくれた人たちがいるからなのよね…)


 人だけではない、マキナもそうだ、彼女たちも死力を尽くしてハワイを守ってくれた。

 うん、マキナ反対派から下りよう、もう反対運動を止めるように皆んなへ呼びかけよう。私はどうやらまだまだ総長時代の名声が強いようだから、まあ声をかけたら余裕でしょ、すぐに派閥争いも収まる。

 ──そう思っていた。



ま、結局最後は神が何とかしてくれるんですよ



「この大裏切り者め!よくも俺たちの心を弄びやがったな!」


「人聞きの悪い!私は皆んなと自分の欲望を合致させただけ!この現状に誰も損をしていないでしょ!」

 

「アマンナさん、それは違う、人々の弱った心につけ込み己の利益を上げるやり方を外道と言う」


「なら!この資本主義こそ外道と呼ぶべきものではなくて?!人を助ける時すら利益を優先するこの社会そのものが間違ってる!」


「論点をすり替えてんじゃねえ!」


 ナディたちが無事に帰ってきた翌る日、私たちはアロンダイトへ赴いていた。ここできちんと声明を出し、二つの派閥に分かれている市民たちを宥めるため、と思っていたのだが...

 朝から既にクライマックスを迎えていた、昨日の私たちだ。


「泥沼化していやがる…」とナディが言葉をこぼす。


「人というのは得てしてああいう生き物、自分の利益と他者の願望が合致すれば人は暴走を始める」と、レイアが小難しい事を言う。

 対立していたのはアマンナさん、それからギジェットという人とスパークルさんだ。

 ナディが遠慮なく集団へ近付き、スパークルさんをこちらに引っ張ってきた。誰も彼女の行動を咎めない、皆んな口論に夢中になっている。


「何があったんですか?」


「いや実は…」


 どうやらアマンナさん、オーディンが開発したボール傘に自前のチャンネルのQRコードを印刷させていたらしい。一部の市民から「これは何だ?」と疑問に思われ、ボール傘の普及に合わせて登録者を増やす目論みが露呈し、反発を受けたそうだ。


「何やってんのあの人…」


「うん、私もそう思う。ギジェットと一緒に抗議しているのは元々賛成派の人たちでね、彼女の策略にマキナに対する不審が募ったようで手のひらを返したんだ」


「そんな事が…」


「元々信頼していた人たちが反対派に回ることは良くある事だが、この騒動はそう簡単には収まらないだろう」


「仕方がない、プラスからマイナスに転じた分だけ憤りが強くなる」


「ほほう、君、私より小さいのに良く分かっているじゃないか」


 スパークルさんがレイアの頭を優しく撫でた、ぱっと見は姉妹に見えなくもない。

 頭を撫でられたレイアがこんな事を言い始めた。


「お母さん、何でこの人を連れて来たの?」


「ん?なんでそんなこと聞くの?」


「あの大きな男の人の方が責任者っぽいよね?それなのになんでこの人なのかなって。もしかして小さい女の子が好きなの?」


「なんでそうなる」

「そうなのかい?それは光栄だね」

「スパークルさんも相手にしなくていいですから。そんな事より、あれどうしよう?」


 レイアがおかしな事を言うもんだから一瞬だけ意識が遠のきかけたが、ナディの言う通り、あの騒ぎを収めないといけない。

 

「う〜ん…私の方から説明すれば沈静化すると思っていたんだけど、今問題になってるのはアマンナさんとマキナの癒着があったかどうかって事よね?」


「そうなるね、マキナが良い悪いだけの問題ではなくなってしまった」


「う、う〜ん…」


 いやね?私たちも昨日はあそこでドンぱちしてたよ?でもまさか私たちに変わって誰かが喧嘩を始めるだなんて思わなかった。

 これではいつまでたっても派閥争いが終わらない。


 ──人というものは、途方に暮れると空を見上げるものらしい。私もその法則に従い、空を見上げていた。


「………ん?」


 ()()はクーラント地区にある総合通信基地の天辺と被っていた。黒く、堂々とした山のように見える。


「何あれ…」


 私が漏らした呟きに皆んなが反応した。


「ん?」

「どこを見ているんだい?」

「お母さん、私見えない、抱っこして」


 総合通信基地はハワイで最も高い建築物だ、その高さと同等の位置に()()はあった。山でもない限り、()()にあること自体不自然だが、何より不自然なのは()()がゆっくりと移動していることだ。

 ナディもその事実に気付いた。


「え?あれもしかして動いてる?」


「見えない見えない!お母さん抱っこして!」

「私も見えないぞ!一体何が見えているんだ!」


「分かった分かった」とナディが言い、空を見上げながらレイアに手を伸ばすが、間違ってスパークルさんを抱っこしていた。


「あ、すみません間違えました」


「そこ間違う?!お母さん絶対その人のこと好きでしょ!」

「ううむ、抱っこされるのは久しぶりだが、なかなか悪くない感触だ。何ならこの子の姉になってあげようか?」


 ナディが遠慮しておきますと断り、スパークルさんを地面に下ろしてレイアを抱えた。ほんと知らない間に随分と仲良くなったもんだ、あのレイアがナディに膨れっ面を披露していた。


「ごめんて、悪気があったわけじゃないから」


「ふん!──ねえ、あれももしかしてマキナ?」


「あ!そうだ!いたよいたんだ、あんなに大きなマキナが確か…名前は──そうだ!タイタニス!」


 他の人たちも異様な空に気付き始める、総合通信基地に被るようにしてゆっくりと動く物体を指差し、「あれは何だ!」とか「また奴らが攻めてきたのか?!」と慌てている。

 あの動く超巨大物体の名前は『タイタニス』という、神話に出てくるあの巨人だ。


「ねえナディ、あれもマキナなんだよね?」


「うんそう、前に一度だけ見たことがある、その時は暴走してたみたいだけど…何でこのタイミングで?」


「もしかして、マキナに反対している人たちを粛清するために…?」


「あわあわあわ!」とスパークルさんが慌て始め、ギジェットさんの所へすっ飛んでいった。

 スパークルさんに服の裾を掴まれたギジェットさんの顔色が次第に青ざめていく、きっと自分たちが粛清されると思ったのだろう。

 いやというか、あんな物体に本気を出されたらハワイはひとたまりもない、賛成派も反対派も関係なく海の底へ沈んでしまう。

 恐るべしマキナ。

 皆んなもスパークルさんみたいにあわあわしている所へ、金髪の美人さんが颯爽と現れた。

 その人の名前はオリジンのグガランナ、滅多に人前に姿を現さない人だ。

 グガランナさんはアマンナさんの所へつかつかと歩み寄り無言で一発、ここからでも良く聞こえる声で「いい加減にしなさい!」とアマンナさんにキレていた。

 そして、さらに良く通る声で皆んなに告げた。


「全員落ち着いてください、彼は私たちの味方です。詳しい話をしますので皆んな中へ」


 "彼"とはタイタニスの事だろう。

 勿論、私たち全員彼女の指示に従った。



 アロンダイトの一階フロアに市民たちが集まり、私たちもその席に加わった。


「マリーンの天井が開放されたことによる自然災害に対して、現在その対応と具体的な調整を行なっているところです、今日はその説明にやって来ました」


「具体的とは?」という市民の質問にグガランナさんがすらすらと答える。


「今し方、あなたたちも見たように今回の災害に対してタイタニスを投入することが決定しました。彼を使ってマリーンの自動修復壁を撤去致します」


「壁の撤去〜?」


 つい突っ込みを入れてしまった、予想の斜め上過ぎる。

 ナディも「壁の撤去なんかできるの?」と口にしている。


「マリーンは壁に囲われている関係上、雨水を逃すことができません。今日までラムウによる天候管理の下、そのような事態が発生しないよう調整をしていましたが自然の雨となれば話は別です。今回の災害に対してグガランナ・ガーディアンは修復壁の撤去とタイタニスの再起動を決定しました」


「それはいつ叶う?」


「すぐにとはいきません、タイタニスは全部で一六体いますから再起動に時間がかかります」


「じゅ、一六?!あんな馬鹿デカい物が一六も…」


「そうです、彼らがこのマリーンを建設し、そしてその役目を終えたあとは海の中で眠っていました。東西南北にそれぞれ四体ずつの計一六体、あなたたちが見たタイタニスは四番号機南部です」


 つまり一番号機から四番号機、そして所属を表す東部、西部、南部、北部だろう。

 これらのマキナが修復壁を撤去し、このマリーンを箱庭から解放する。囲う壁がなくなればスコールによる増水も防げることだろう。

 何だかいけそうな気がする。

 最後にグガランナさんが締め括った。


「ですので、壁の撤去が完了するまで市民の皆様方同士で助け合い、この難局を乗り切っていただければと存じます。──さすがに、あなたたちの諍いまでマキナの手で解決することはできません、手を取り合うか、殴り合うかはあなたたちが決めることです」


「…………」


 グガランナさんの話が終わったタイミングで、ずどどーん!と大きな地響きが届いてきた。きっとあのタイタニスというマキナの足音だろう、浅い位置にある岩盤でも蹴り上げたのか、その音は私たちを震え上がらせるのに十分だった。





 どうやら私という存在は全部で一六体も存在しているらしい。私を目覚めさせた女にそのように教わった。


「本当に良いのか?壁を壊してしまっても」


「構わないわ、もう必要の無い物だから」


「撤去した壁はどうする?投棄するにはあまりに物が大き過ぎる」


「検討中よ」


「すぐには投棄しないのだな」


 眼下にあるのは小さな街だ、円盤状の人工土台の上に建築物が並んでいる。変わった街並みだが、女から事情を聞いて概ねは察した。

 私が眠っている間にここは一度、海に沈んだそうだ。それでも人類は諦めずに生き続け、新しい環境に適応した街を作ってみせた。

 そして、テンペスト・シリンダーをテンペスト・シリンダーたらしめていた壁を撤去する、荒廃した地球環境と面と向き合い、ここはこれからの時代を生きていく。

 女曰く、新しい時代の幕開けだそうだ。


「ここ以外にもそういう動きが活発になってきてね、あちこちから問い合わせが来ているわ、天井の開け方や現状についてあれこれと」


「ここ以外とは…別のテンペスト・シリンダーという事か」


「そう、オブリ・ガーデン、それとガイアの枝葉からね。アダムからはまだ問い合わせはないけど…きっとあそこはただの観測所だからでしょう」


 円盤状の街は、大昔の英雄たちをちなんで円卓街と呼ばれているようだ。その街をズーム拡大をして観察する、何人かの人がこちらに向かって手を振っていた。

 私という存在が怖くはないのだろうか?

 お返しに手を振ってやることにした。街の人たちは私の行ないに驚きを見せ、それから何が嬉しいのか笑顔になっていた。


「何処からその情報を得たんだ?テンペスト・シリンダー間のやり取りはできなかったはずだ」


「全部ガイア・サーバーに保管されていた情報よ、プログラム・ガイアはこれらを秘匿して秘密裏に連絡を取り合っていたみたいね。秩序を保つ上で秘密主義はある程度の効果をもたらすけれど、今はもうその時ではない」


「そういう事か。私は良い時代に目覚めたのだな」


「そうなるわね。これからまだまだ働いてもらうから覚悟しておいて」


「承知した」


 修復壁へ向かって歩いていく、足に多大な負荷がかかっているが寝起きにはちょうど良い運動だ。

 ──ああ、海中にいる彼らは大丈夫だろうか、巻き込まれていないと良いのだが。

 

(もしかしたら、彼らもこの新しい環境に適応しているのかもしれない)


 変化が訪れないものはこの世に存在しない、たとえそれが数千年に渡って続いた世界だとしても。

 私が作り、そこに住み始めた人類は見ない間に随分と立派になったようだ。

 

「仕事をこなそう、人類たちのために」


 仲間たちが起きるまで時間はかかるが、立派にこなしてみせよう。

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