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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
300/335

TRACK 49

アイデンティティ・オーバー・ザ・ワールド



 世界がどうであれ、国がどうであれ、住んでいる地域がどうであれ、物価が上がろうとも光熱費が高騰しようとも、思うように給料が上がらなくてもいつまで経っても結婚できなくても、自分は自分である。

 『アイデンティティ』、言葉の意味としては『自分らしく』あるいは『自分らしさ』である。

 そう、周囲の環境の良し悪しに関わらず、この『アイデンティティ』というものはあまり影響を受けない。

 それは却って、自身を縛り付ける『(かせ)』と言えよう。

 世界情勢が良くなっても自分は自分であり、税金が低くなって暮らしにゆとりが生まれても自分は自分だし、物価の値段も低下して光熱費もお手頃価格になっても自分は自分のままだし、昇進していないのに給料が上がったり空から美女が降ってきてその人と結婚できても、変わらず自分は自分のままである。

 こういう言い方をすると、まるでアイデンティティが悪いように聞こえてくる。変わりたくてもこのアイデンティティのせいで変われない、どんな環境になっても自身を変えることができずその環境に適応することができない。

 毎朝美人の奥さんがご飯を作ってくれても、人間不信なその人は不信を抱いたままであり、経済が安定してお給料が良くなっても、どケチなその人は普段と変わらない物を買い、普段より多いお金を口座に収める。

 自分が自分らしく振る舞おうとする事は悪なのか?それは違う。

 では、どんな環境にも適応できるよう自分らしさを捨てることが善なのか?それも違う。

 『善』と『悪』、この二つに結論付けることがそもそもの間違いである。

 ──アイデンティティを超えて行く。

 ──自身に嵌めれた枷を断ち切る。


 では、何の為に?





「こいつは壮観だ…まさか地球全土のマキナが一堂に会しているのか?」


 バベルがゆっくりと、左から右へ首を振った。

 視界には各テンペスト・シリンダーのマキナたちがいた。自分と同じ個体もちらほらといる、個別の名称は異なれど同じ権能を有している者たちだ。

 幸いにもマリーンのバベルは付近にいないようである、傍にいたらきっと揉め事に発展するだろう。

 ここは仮想の世界、先程までエラム級空母艦にいたバベルは問答無用でこの場に連れて来られていた。

 強制連行は自分だけではないらしい、視界を埋めるほど別のマキナたちもいる、この様子ならば同郷の者たちもこの場にいることだろう。

 しかし、こんな事態は初めてである。過去に何度か、それぞれのテンペスト・シリンダーで問題が発生し、プロメテウス・ガイアが介入した事があった。けれど、全てのマキナを一つの場所に集めるだなんて暴挙は前代未聞だ。

 ここはおそらくプロメテウスのナビウス・ネットだろう、赤茶色の土に覆われた不毛な大地がどこまでも続き、その地平線には目を疑うほどの山が聳えている。

 その山の名前はオリンポス山。人類が太陽圏内で観測した山々の中で、最も標高が高い火星の巨山である。

 バベルを含む全てのマキナたちがプロメテウス・ガイアのナビウス・ネットに閉じ込められた、理由は不明だ、本人から説明してもらわない限り知る由もない。


「──いい加減にせぬか!!このような愚行が許されていいはずがない!!」


 その怒りに満ちた叫びは突然上がり、けれどこの場にいる者たちの心情を代弁したものだったので、誰も驚こうとしなかった。

 バベルは声がした方へ向く、そこには似通った衣服に身を包んだマキナの集団がいた。


(あれは確か、アジア第二方面の…最大級のテンペスト・シリンダー、だったか)


 アジア方面第二テンペスト・シリンダー『漢帝(かんてい)』のマキナたちである。ある大柄なマキナは鎧を着込み、ある小柄なマキナはドレスを着込んでいる。それぞれがそれぞれの国、民族を代表する衣装である。

 そしてその中心には一人のマキナがいた。


(あれが漢帝のプログラム・ガイアか…おっかない顔をしていやがる)


 "皇帝"と呼ぶに相応しい威厳と冷たさを持ち、何ら動ずることなく堂々と立っている。一重目蓋の目は真剣(斬る方)そのものであり、薄い羽衣に包まれたその体はそれだけで核爆弾のように見えた。

 最大規模のテンペスト・シリンダーを牛耳るマキナたちが抗議の声を上げると、別のテンペスト・シリンダーに属するマキナたちもそれに続くようになった。

 そりゃそうだ、突然こんな場所に連れられ、何の説明もなく拘束を受けていたら誰でも不満に思う。

 最大の勢力を誇る帝たちが声を上げたせいだろう、不満の声が伝播していき、やがて全てのマキナが声を上げた。

 その中には二番目の勢力を誇るアメリカ方面第一テンペスト・シリンダー『ファースト』、それからアフリカ方面第三テンペスト・シリンダー『L0・イヴ』と、数千年に渡って平和を維持してきた者たちが唐突の圧政に言葉を荒げる。

 その声を聞きつけたのか、ようやくナビウス・ネットの主人が姿を現した。


「静粛に」


 バベルは目の前に聳えるオリンポス山が噴火したのかと思った。周りにいる者たちがあれだけ騒いでいたというのに、プロメテウス・ガイアがそう言葉を発した途端、場がしじまに支配された。

 大声を出したわけではないだろう、だが、プロメテウス・ガイアの声は良く耳に届いた。

 それと、バベルは初めてプロメテウスの()()を見た。時折り姿を見せていた白の花嫁衣装の姿ではなく、真逆の赤い衣を羽織っている。

 盛んに燃える炎のように赤く、全身を覆うようにして羽織っている衣は恒星の如く輝いていた。

 どうやら体格を見るに男性のようである、もはや欠点など一つもない筋肉に覆われ、漢帝のプログラム・ガイアと同様に威風堂々としている。

 赤茶けた平原の上を風が吹き、プロメテウスの黒い髪を攫っていく。彼が乱れた髪を整えた後、何かを噛み締めるようにしながら言葉を継いだ。


「この場に君たちを集めたのは──」もったいぶるように言葉を区切り、その後続けられた言葉を耳にしてバベルは「ん?」と首を傾げた。


「点呼を取るためである」


(てんこ…?点呼と言ったのか?)


 他のマキナたちも同様の反応を示している、言うに事に欠いて点呼とはどういう事なのか。

 瞳が真剣そのものであれば、声もまた弓矢のように鋭く決して無視できない漢帝のプログラム・ガイアが、プロメテウスに訊ねた。


「どのような了見で(ちん)の時間を奪ったというのか。説明を願えるのだろうな?」


「無論。──アメリカ方面第三テンペスト・シリンダー所属のプログラム・ガイア、この場にいるのならすぐに皆を解放しよう」


 平原を行く風と共に彼の声が渡り、それから暫く経っても呼ばれた本人は姿を見せなかった。


「いないようだが…何もあの女子(おなご)だけ隔離したわけではあるまい?事実を尋ねる」


「数時間前、当該のプログラム・ガイアがシグナルロストした。現在も行方知れずである」

 

「シグナルロスト?エモート・コアがあるだろうに」


「コアも稼働を停止している」


「…………」


(コアが停止した…だと?そんな馬鹿な話が──)


 場に緊張が走る。


「貴様がそのように処置を下したのだろう?そうでなければ前代未聞だ」


「──訊くが、君たちがそのプログラム・ガイアに何かしらの細工をしたのでは?マリーンにおいてレガトゥムと呼ばれる創造世界を誕生させたのは君たちだろう」


「それとこれとは別である、朕の預かり知らぬ所だ」


「なら、状況が落ち着くまで君たちはこのまま火星の景色を堪能していただきたい。次の母星になる所だ、見ていても損はない」


「その話は聞き捨てならぬが今は良い──プロメテウスよ、そちらの状況は良く理解したがこちらも火星を遊覧している暇が無い、早々に解放せよ、臣民たちを待たせる訳にはいかぬ」


 漢帝に続き、ファースト、L0・イヴも早期解放を求めた。


「確かにマリーンのあのお騒がせっ子が行方不明なのは頂けないが…私たちにも私たちの時間がある、それでも私たちを拘束するというのなら発生し得る全ての損失をそちらに請求する。私たちの街は全てが平等でね、マキナも資本の傘下にいる」

「同じく、子供たちが皆んな待っている、あなたの我が儘に付き合う価値は無い」


「ならば──」プロメテウス・ガイアが大仰な仕草で腕を持ち上げた、すると彼の背後にワームホールが生まれた。


「この穴を通るが良い、すぐにでも帰還できる。──ただし、二度とこちらには戻れない」


「戯れが過ぎるぞ、プロメテウス」


 "二度と戻れない"とは文字通りの意味であり、彼女たちにとって己の生命が有限になることを意味した。

 あまりに理不尽なその対応と態度に、帝が怒りを唱えるも、


「いつの世も、どんな立場の者でも、代償を伴う時がある。現在の状況は未曾有であり、我々も対処に時間を要している──それでも私の庇護から離れ、己の道に邁進したいと言うならば命を賭けよ、これは道理である」


「…………」


 有無言わさぬ迫力を持ちながら、筋の通った言い分を前にして帝が沈黙を選んだ。

 サーバーから切り離された状態でマテリアル・コアに不具合が発生すれば、二度リカバリーができない。すなわちリブート処置であり、それはマキナたちにとって『死』を意味する。

 その事実を重々に理解していたからこそ、帝のみならず他の者たちも沈黙を選んだ。彼の背後に控えているワームホールは、さながら『死への入り口』だった。


「通れるものなら通ってみせよ」


 誰もその場から動こうとしなかった。





 フライングマン・オールリセットがルーターを挿入したキラの山には、総勢二五〇人のヴァルヴエンド軍のパイロットが存在しており、これは二個中隊に相当する規模である。

 これに対しナディたちは母艦三隻、パイロットは一〇人である。マリーンの精鋭たちは約二五倍に相当する部隊を相手にしなくてはならない。

 彼我の戦力差は明らかである、けれど、ヴァルヴエンド側はホワイトウォールに敷いていた防御線を突破されており、キラの山まで侵入を許していた。

 一時膠着状態に陥り、両軍とも動きを止めていたが、再び戦闘行動が開始された。

 互いの大義名分のため、自分たちの国のために、折れない者同士がぶつかり合う。


 ここまでマリーンを守り続けてきたレイヴンが墜落し、ノウティリスへ避難して来たレイヴンの乗組員たちは慌ただしく戦闘配置に付いていた。

 休む暇もない、母船が墜ちた悲しみに暮れる時間もなく戦うための準備をしていた。


「3Dプリンターヤバぁ!!」と、唐突に叫んだのは一人の管制官である。


「艦長ヤバいですよこの船、至る所にプリンターがありますよ!しかも自動修復機能付き!これならいくら被弾しても大丈夫です!」


 管制官の問題発言に突っ込んだのは艦長ではなく、この船の主人とも言うべきノラリスだった。無機質だが深みのある声がスピーカー越しに聞こえてくる。


「無限じゃないからね?リソースが尽きたら修復できないからね?」


 マスターコンソールからそのリソースとやらの残量を確認していたライラが、「このプリンターで機体の製造はできるの?」と訊ねると、


「もう既に始めている、スルーズ・ナルーとその先代モデルはもう間も無く出力が完了する「プリンターヤバぁ!!」×2


 ライラはラインバッハ姉妹へ連絡し、機体が出力されているという格納庫へ向かわせた。

 程なくしてラインバッハ姉妹から通信が入った。


「この積層跡何とかならないの?!ダサ過ぎなんですけど!見た目がプラモデル過ぎる!」

「もうマカナちゃん…確かにダサいけど文句を言うのは無しだよ…」

「何でナディの機体だけプリンターの跡が無いの?!贔屓し過ぎじゃない?!」


 文句しか返ってこないのでライラは通信をオフにした。

 ナディの機体は元々、母艦に搭載されていた複数あるうちの端末機である。一機は海の栄養となってしまったが、まだ五機残っている。プリンターで出力したのは足底展開するボードだけだ。

 ヤバい3Dプリンターのお陰でライラたちの戦力が整えられていく。あとは通信を何とかするだけだが、そればっかりはライラたちの手ではどうすることもできない。

 ノウティリスに帰投させたガングニールからの報告である。


──アンテナドローンが落ちた、そのせいで通信が使えなくなったみたいダナ。──え?オレたちの方で何とかしてくれって?ムリムリ。


(ムリムリって──何とかしてよ!!)


 でもまあ、ガングニールたちを介せば連絡は取れることが分かったので、今はとりあえずそれで良い。

 何故アンテナドローンが落ちたのか、聞けば何者かのハッキング行為があったというが...


(いやいや言っても仕方がない、今はとにかくキラの山のルーターを排除しなければ)


 マスターコンソールに映し出されている映像は、薄闇に浮かぶキラの山のシルエット、そしてその前方に展開している侵略者たちの本隊だ。

 両軍ともまだ動きはない、どちらかが号令をかければすぐにでも戦いの火蓋が落ちる。

 先に動いたのはライラだった。


「総員戦闘配置──これが最後!マリーンを私たちの手に!」


 ま、号令かけたところで皆んなには聞こえないんだけどね?

 ハンガーに収まっているそれぞれの機体をカタパルトへ移動させ、そしてこちらのタイミングで勝手に発進させた。

 勝手に動き出した移動式ハンガーを前にして、然しものスカイダンサーも阿鼻叫喚だったという。





 今回マリーンへ派遣されたヴァルヴエンド軍の部隊は、不運だったと言わざるを得ない。

 たった一〇機で、二個中隊と渡り合えるほどの実力者たちを相手にしなければならないのだから。

 スカイダンサーを筆頭に、マリーンのパイロットたちは全員精鋭である。五年前まで、空の王者として君臨していたリー・キングに勝利したマカナ・ゼー・ラインバッハ、そしてその妹はたった数ヶ月でパイロット育成課程を修了した天才である。

 また、オリジンの最強格であるアヤメとアマンナ、そしてこの二人に勝ったフラン・フランワーズがいる。

 向かう所敵無しのパイロット集団である、ほんとふざけんなよという感じだが、彼らを恐怖のどん底へ落としているパイロットは別にいる。

 スカイダンサーだ、空を踊るように飛び回り、敵を執拗に追いかけ必ず墜とす死神だ。

 その死神が復活している、ヴァルヴエンドのパイロットたちは我が目を疑った。

 え?さっき機体を破壊したよね?何で空飛んでるの?

 しかし引くに引けない、ここが最終防衛ラインだから退路が無い。

 戦うしか道が無い彼らにミーティア・グランデの勇ましい声が、空に散布されたナノ・ルーターを通じて届く。

 相手にも届いてしまうが、いかなるジャミング装置や兵器を使ってもこの戦術歌唱は止められない。

 恐怖を克服した彼女の声が彼らの胸を打つ、ビートのように心に刻まれ、メロディーが恐怖を払ってくれる。

 すくんでいた足に力が入る、震えていた腕がピタリとおさまる、薄暗い空で見え難くても味方の位置が鮮明になり、不安と焦りに蝕まれていた思考が明確な勝利へのビジョンを描き出した。

 両軍にとって最後の戦闘が始まった。

 これで雌雄を決する。

 

 先に動き出したのはマリーンの部隊だった。スカイダンサーを筆頭にし、この厚い防衛網を突破しようと試みた。

 あちら側の目的はキラの山に挿入したルーターの排除である、こちら側の殲滅ではない。敵の作戦行動は把握し易いが下手な小細工は一切してこないし、こちらの小細工も通用しないことだろう。

 ヴァルヴエンドの読み通り、マリーンの部隊は戦うことなく展開している部隊を素通りしようとした。

 すかさず攻撃を開始する、スカイダンサーに当たるはずもないが、厚い射撃線にあちらは身を翻して自陣へ引き返していた。

 これらを何度か繰り返していくうちに、マリーン側の動きに変化があった。さすがに多勢に無勢だと悟ったのだろう、インターシップとオリジンのマテリアル・コアを防衛網に突っ込ませて来たのだ、しかも艦載武器を無茶苦茶に発砲しながら。

 敵の行動にパイロットたちはドン引きしながら一旦退避し、こちらも同様に駆逐艦を前に出させた。

 薄暗い空で艦隊戦が始まり、一際明るくて特大のマズルフラッシュが何度も走る。その隙を縫うようにして、スカイダンサーたちが進路を変えて突破しようとするが、ヴァルヴエンドのパイロットたちがそれを見逃すはずもなく、執拗に包囲して攻撃を続けた。

 ヴァルヴエンド側のパイロットの一人が自陣から離れ、スカイダンサーへ接近を試みた。誰もが「気がはやったか…」と彼の死期を悟ったが、意外な事にスカイダンサーは相手取らずに引き下がり距離を空けた。

 これに他のパイロットたちも勢いづけられ包囲戦から追撃戦へ移行、マリーンの部隊を一気に墜としにかかった。

 艦隊戦を繰り広げていた駆逐艦たちとインターシップの戦いは、どうやらヴァルヴエンドに軍配が上がりそうである。未知の船から、見え難いが燻る煙が上がっているようだ、背後に控えていたオリジンの船も同様であり、墜ちるのも時間の問題のように思えた。

 さらにヴァルヴエンド側が勢いづき、あのスカイダンサーを追い込んでいるという高揚感もあって、彼らのすくみ足がすっかり勇み足に変わっていた。

 ──空に変化が起こっているとも知らずに。





 火星の平原に二人の老人が現れた、その二人の登場があまりに唐突であったため、ナビウス・ネットの支配者であるプロメテウス・ガイアも呆気に取られてしまった。


「いやすまんね、邪魔をさせてもらうよ」


「………」


 一人はポンテアック・サーストン、ドゥクス・コンキリオの友人でありライラの祖父にあたる人物である。


「ふうむ、他の個体は女性だからてっきり本体もそうだと思っていたが…残念だ、男に興味は無い」


 もう一人の老人はヴァルキュリア本土を預かる工場長である、ニックネームはセボニャン、あるいはセバスチャン、本名はとうの昔に捨てている。

 その二人の登場にプロメテウスは然ることながら、他のマキナたちも「誰?」状態に陥り、誰も動き出そうとも言葉を発しようともせず、ただ二人のことを見守っていた。

 その二人が火星の平原部に集められたマキナたちをざっと見渡した後、突然の出来事にも動じた様子を見せないプロメテウス・ガイアを見やった。


「ドゥクスからの言伝を預かっている、それを届けに来た。なに、用が済めばすぐに去る」


「──そうか、彼の計らいか…道理でここへ侵入できたわけだ」


 セボニャンが言った。


「君たちの部下に伝えておいてくれ、私の電脳へハッキングしたのは大したものだが、痕跡を残し過ぎだ。ポンテアックはドゥクスの招待だが、私は勝手に付いて来ただけだ」


「伝えておこう。──それで、言伝というのは?」


「希望というものは絶望の中から掴み取るもの、それは例えば老廃物に塗れた膿のような、そんな誰もが目を背けたくなるような事の中から掴むもの──だそうだ」


「…………」


 プロメテウスは突然の来訪者が告げた内容を吟味しているのか、黙して言葉を返さない。


「紛い物の希望を押し付けるのならまだしも、人々が生んだ絶望を摘むのは間違っている。それはこの私にでも分かる」


「それは何故?」


「どうせまたすぐに同じ事を繰り返すからだ、学びの場を奪ったら人は何の成長も遂げられない、それでは意味が無い」


 ポンテアックの言葉に他のマキナが同意を示した。

 そのマキナとは、L0(リゼロ)・イブにて人類から"母"と慕われているプログラム・ガイアである。

 小柄でありながら力強く、そして慈愛が込められた瞳は宝石のよう、大自然を閉じ込めたような翡翠の色が特徴的だった。


「あなたのしている事は子供たちから玩具を取り上げるようなもの、それではまた子供が泣き始め、結局手を焼くだけ。それならきちんと話をして、遊ぶ時間と勉強する時間を持たせるようにした方がいい──」その後を、漢帝のプログラム・ガイアが引き継いだ。


「朕を解放せよ、それと他のマキナたちも同様に、だ。マリーンが大事になっているのは把握している、そこの(わっぱ)は下手な介入よせと言うておる」


 L0・イブのガイアがきっと睨んだ。


「童と呼ぶのは止めてほしい」


「はいはい、童は皆そう口を尖らせる「だから童じゃない「──早よせぬか、プロメテウスよ、マリーンを今日(こんにち)まで導いてきたコンキリオがそう言うておるのだ、貴様の出る幕はもう終わった」


「君たちは誤解しているのでは?」と、プロメテウスが言う。


「誤解とは?」


「君たちの自由は全て、私の管理下にある。意見や苦情は聞き入れるが、採用されることはない」


「──ほう、大きく出たものだな、プロメテウスよ、互いに共存の間柄にあることを忘れたわけではあるまい。我々の國が稼働しているからこその貴様たちだ、地下マントルから組み上げたリソースを得ているのは貴様らの都市であろう」


「そうとも。だが、君たちの生殺与奪を握っているのも我々である──試しに披露してみようか、その権限を、この場にはマリーンのマキナたちも居る。──続けるか?」


「…………」


 プロメテウスは言外に、これ以上文句を言うようならマリーンのマキナたちを殺す、と宣言した。

 誰もが押し黙る中、誰もが不当な圧力に口を閉ざす中、一歩前に出た者が現れた。

 やってみせろ、とその者が口火を切った。


「本気かね──グガランナ・ガイアよ」


 金色の髪が異星の土地に舞う。輝いていた。


「ええ、本気よ、やってみせなさい」


「理由を訊こう。そこまでして自由を求める理由を」


 マリーンのマキナたちから離れ、全てのマキナの視線を集めた彼女が言う。


「私は多くの失敗を重ねてきた、人だって殺してみせた、褒められた行為なんて殆どしていない──それでも、私は私が求めたものの為に、与えられたこの時間を使う権利がある。たとえその時間があなたたちからの下賜であったとしても、奪って良い理由にはならないわ」


「アイデンティティを捨ててまで?君は自身に与えられた役割を放棄してまで求めたものを追うと?」


「ええ」


「求めた結果、誰にも理解されなかったとしても?恨まれたとしても?」


「ええ──だって仕方がないわ、求めてしまったんだもの。あなたは知らないでしょう、この欲求が全ての文明の礎になっている事を、この欲求が戦争を生みながら平和も生んでいる事を」


「…………」


「あなたは怖いだけよ、自分自身をコントロールする事が──」グガランナ・ガイアが、自分の顔にかかっていた髪を払い、最後にこう言った。


「私はもう慣れたわ、檻に閉じ籠っていたあなたとは違うもの────」


 その言葉を最後に、グガランナ・ガイアがふっと風に流れるように消失した。

 つい今し方まで、マリーンのグガランナが立っていた場所には何もいない、立っていた痕跡すら消え失せている。

 それから、グガランナ・ガイアの最後を見守っていたポンテアックが一言。


「──手間が省けたよ、感謝する」


 そう言い、ドゥクスの友人二人もその場から消え失せた。





 3Dプリンター(正式名は遠隔地用無線積層製造機、と言うらしい。3Dプリンターでよくない?)によって複製されたスルーズ・ナルーの調子は思っていたより良い。レバーの反応速度と精度も申し分なく、コクピット内に充満しているプラスチック臭さえなければ完璧な仕上がりだと言えた。

 けれど、敵の数が尋常ではない、まるで分厚い壁だ、どれだけフェイントをかけて隙を作ろうとしても、その背後にはさらなる数の機体が待ち構えており素通りは許してくれそうにない。

 

(ライラたちは大丈夫なの?!見るからにヤバ目なんだけどっ!)


 煙上がってるんですけど!無理に突撃するから!

 被弾し、満身創痍に見えて仕方がないノウティリスとお牛さんはそれでも果敢に突撃を敢行し、力づくで道を開けようとしている。

 それでもだ、やはり敵の数が多過ぎる。


(それにこの歌はどこから…)


 歌が聞こえるのだ、戦場なのに。

 はっきりと言って不愉快である、聴きたくもない歌を聴かされるのはストレスが溜まる。

 ストレスが溜まると思考が乱れ、集中も途切れる。機体操作に悪影響だし、何よりウザったい。


(これはもう、無理なんじゃないかな──ああ…)


 墜ちた、ついにお牛さんまでもが墜ちてしまった。おそらくエンジンルームにクリティカルヒットしてしまったのだろう、船後部から爆発が起こり、真っ黒い煙を上げながら高度が落ちている。

 残っている船はノウティリスと、後方に控えているヘイムスクリングラだけだ。せめてヘイムスクリングラだけでも守らないと、ハワイまで戻れなくなってしまう。

 マカナが転身し、進路を背後へ向けた時──

 ──空が割れ始めた。


「──え」


 マカナから見て、南北へかけて眩い線がぴしりと入ったのだ。その線は徐々に大きくなり、隙間から漏れる光の量も増え始め、やがて青空が覗いた。

 青い空だ、彼らに奪われた青い空がそこにある。

 この時、マカナのみならずこの場にいた──いや、マリーンに住まう人類が思い出していた。

 ここが閉じられた世界である事を、未知の建築技術によって作られた箱庭である事を。

 地球の青い空がそこにあった。

 ドーム式の天井が開いたのだ、南北に走った線からさらに無数の細かい線に分かれ、ゆっくりゆっくりと動いているのが見える。

 本物の空がマカナたちの頭上に広がっている。

 正真正銘の青空だ。

 ドームが動き、青空を覗かせるたびに薄い闇が払われていく。差し込む光が柱となり、海へ落ちていくお牛さんを照らしている、まるで最期の時を労っているかのよう。

 敵味方問わず、誰もが言葉を失い、心を奪われた。

 マカナの視界には、徐々に大きくなる光の柱が何本も立っている。その柱の中には味方の機体もいて、さらに遠くにはヘイムスクリングラの姿もあった。

 その光景を見て、知らず知らずのうちに重たくのしかかっていた何かが軽くなっていくのを感じ、薄暗かった空が晴れていく光景を見てマカナは思った。

 ──これ行けるんじゃね?!

 今しかねえ!とマカナは再度転身、進路をキラの山へ向けた時、同じように動き出した機体がいた。

 セレンからの親友であるナディだ。

 どうせ聞こえはしないがマカナはそんな息ぴったりの親友へ声をかけた。


「行くよナディ!!」


 すると、死んでいたはずのスピーカーから親友の声が返ってきた。


「今しかない!!──あれ?聞こえてるんですけど?!何で?!マカナ!聞こえてるよね?!」


「あれ?直ってる?!──まあ何でもいいじゃん天井が開いた事に比べたら大したことないよっ!」


 特殊な樹脂が積み重なった跡が目立つボードを足底に展開させ、マカナは分厚い敵の壁を越えるため動き出した──が、ひどい乱気流に見舞われてしまい、明後日の方向へ飛んで行ってしまった。


「何で何で何で──」


 右も左も分からなくなる、方向感覚を失い、頭とお尻がひっくり返った。

 もうほんと何なの?天井が開くわ通信が復活するわ天地がひっくり返るわ、付いていけないんだけど?

 でも、何だろうか、この底抜けの高揚感は、解放感と言ってもいい。薄暗かった空が晴れ渡っていく様は見ているだけで気持ちが良い。

 朝日が昇るって偉大だ、マカナはぐわんぐわんするコクピットの中でそう思った。


(朝日じゃないんだけどね今昼の時間帯なんだけどね!)


 連絡が取れない不便さを噛み締めていた仲間たちからも喝采の声が上がった。


「──あれ?通信復活してるんですけど〜!」

「あ、ほんとだ!声が聞こえる!」

「ノラリス?!またあんたが何かしたの?!黙ったままするのは止めてくれない?!」

「私のせいじゃないし私のお陰でもない!勝手に人のせいにするな!」

「聞こえているわね全員!敵の動きも止まってるし今のうちに──「ちょっと待ってライラさっきのは何?!いきなりハンガー動かすの止めてくれない?!」

「夫婦喧嘩は後にしてくんない?!──皆んな風の乱れに気を付けて!外の空気が入って来てるから乱れてる!」

「ぷっ、マカナちゃんだっさ」

「あ?」

「なに?──あれだけ人にボードは止めろって言ってたくせに自分は波に乗れてないじゃん!」

「姉妹喧嘩も後にしてくれない?」

「──うるさいんだよお前たち!通信が戻った途端に喧嘩するな!」

「壊れたままの方が良かった件について」


 ギャーギャーと喚きながらも分厚い壁に向かって再び進行を開始し、きっと口をあんぐりと開けているに違いないパイロットたちの前を通過していく。

 ようやっと風向きがこちらに傾き、追い風に乗った所で彼がやって来た。


「──あ!通信が戻ってる!──ライラちゃん聞こえる?!こちらウィゴー!僕たちの船は何処?!見えないんだけど!」


 単機でウィゴーが戦場入りした。何故こっちに来たのか、どうして今このタイミングなのか、事情を良く知らないライラは「何で今なの?!」と悪態をつきながらもノウティリスを引き返させていた。

 世界(マリーン)の天井が開きつつある、おかしな光景だ、見切れた水平線の向こう側へドームが移動しているのが見える。

 生まれて初めて見る地球の青空は、思っていたよりも薄かった。


 ある程度のアクシデント(テンペスト・シリンダーの天井が開く事を"ある程度"と言って良いのか疑問だが)に慣れているマリーンの部隊はすぐに態勢を立て直せたが、ヴァルヴエンドの部隊はそうもいかなかった。

 全員一人も漏らさず、目前で起こっている光景に理解が及ばず、態勢を立て直すどころか認識することすらできなかった。

 これにはさすがのミーティア・グランデも口をぽかんと開けて、歌うことを止めてしまっていた。


(天井が…開いてる…こんな機能があったなんて…)


 彼女は真っ先に、仮想展開型風景が見せている景色だと疑った、けれどそれはすぐに否定されてしまった。

 居るのだ、その空に、マカロン艦長がメーデーを出したバビロニア級総合空母艦が居た。

 全てのテンペスト・シリンダーが管理・運営している仮想展開型風景に、ヴァルヴエンド軍が所有している船の情報は一切登録されていない、だから映像として見せることが不可能なのだ。

 ミーティアは歌うこと忘れ、ただモニターに映し出された外の景色に見入っていた。

 歴戦の艦長であるカロン・マカロンも取り乱していた。


「──ふざけるなふざけるなふざけるな!!何なんだここはっ?!何故こうも馬鹿げた事ばかりが起こるんだ!!──こんな仕様は把握していない!!テンペスト・シリンダーが解放されるなど!!我々は一体何のためにケェーサーからお前たちを守っていたと思っているんだ!!」


 こめかみに青筋を立て、唾を撒き散らし、まるで子供が駄々をこねるように地団駄を踏んでいる。場にいた他の者たちは黙って眺めているだけだ、止めようにも止められない。

 そんな折、艦内スピーカーから声が流れて来た。少なくとも乗組員からのものではない、女の声だった。


「──ちょっと失礼するわね。悪いわね、驚かせてしまって、びっくりしたでしょう?」


「………?」


 全員、意味もなく天井を見上げる、声がする方へ顔を向けた。


「テンペスト・シリンダーは私が解放させてもらったわ。ま、全てのレイヤーを掌握した後に分かった事なんだけどね。ガイアも人が悪いわ、こんな仕様があった事を隠していたんですもの」

 

「お前は…何を言っているんだ?」


 またアクシデントですか?もういいですよ慣れましたよもう。

 激情に駆られていたマカロンは冷や水を浴びせられたような気分になり、そのお陰もあっていくらか冷静になれた。

 冷静になれても、謎の女が話す内容は理解できない、だからそう問いかけた。


「謝罪と決別、かしら?驚かせてしまった事に対する謝罪とあなたたちとはもう手を組まないという意思表示のために、この船の通信網にお邪魔させてもらっているの」


「もう手を組まない…だと?」


 ──どこかで聞き覚えがある声だ、マカロンはその事を思い出し、記憶の糸を手繰り寄せる。


(あの時のマキナの声に似ている…だが…)


 こんなに元気あったっけ?バベル(そういえばあいつは何処へ行った?)が勝手に連れて来たあのマキナは伏し目がちで元気もなく、今にも消えそうなほど消沈としたイメージがあった。

 名前は──


「──お前はまさか…グガランナ・ガイア…か?」

 

 否定の言葉が返ってきた。


「いいえ、私は──そうね、グガランナ・ガーディアンとでも呼んでちょうだい」


 勿論、そんな固有名詞を持つマキナはマリーンに存在しない。

 グガランナ・ガーディアン。

 『マリーンの守護者』、という意味を持っているのだろう。


(…ガーディアン?…レイヤーを全て掌握したと言っていたが──)──まさか…」


 何かに気付いたマカロンの後をグガランナ・ガーディアンが継いだ。


「そう、プログラム・ガイアが居なくなった今、私がマリーンの管理者の座に着いたの」


「そんな馬鹿な話が──マキナが己の役割を放棄しただと?!あまつさえ他のマキナの役割を持つなど──「それができたのよ、プロメテウス・ガイアとドゥクスのお陰でね」


 始めからポンテアックとセボニャンは、グガランナ・ガイアをプロメテウスのナビウス・ネットから切り離すために侵入していた。

 また、ドゥクス・コンキリオはグガランナ・ガイアにガイア・サーバーを継がせる計画を立てていた、だってプログラム・ガイアいないし、だから古くからの友人二人をプロメテウスの元へ向かわせていた。

 タイミングが良かったのだ、プロメテウスがグガランナのエモート・コアを稼働停止させたと同時にドゥクスがサルベージし、ガイアの座に着かせた。

 どんな絡繰でそんな事が出来たのか、調べなければ分からないが、マカロンはドゥクスの計画よりもグガランナの方が不思議で仕方がなく、不気味にさえ思えた。

 ()()を望むこと自体、あり得ない。

 マキナはマキナである、生まれた時から己が成す役割が与えられ、定められている。

 それなのにこのマキナは──

 グガランナ・ガーディアンが語った。


「私は全ての人類が持つ全ての幸福と全ての不幸が欲しかった、全ての喜怒哀楽、全ての玉と石、綺麗な物でも汚い物でもどんな物でも、それが欲しかった、私が中心でありたかった。──そしてそれが今、手に入った、私の胸中にはマリーンの全ての人たちが収まっている。私はマリーンを未来永劫守ってみせる、波が何万回訪れようとも潮が何十万回満ち引きしようとも守護してみせる、だからガーディアンだと名乗った」


「…………」


「ピメリア、あなたが生まれ、そして海ヘ還ったこの土地は私の物になった…あなたと会うことはもう二度と無いけれど、あなたと一緒に過ごした思い出は宇宙の果てまで持って行くつもり…」


 ありがとう、とグガランナ・ガーディアンが締め括り、また声音を変えて話し始める。


「──さて、そういう事だからここからさっさと出て行ってくれるかしら?ほら、天井を開けてあげたからすぐにでも飛び立つことができるでしょう?」


「抜かせこの化け物め…」


 全てが欲しい?気でも狂っているのだろうかこのマキナは、桁外れの強欲さである、そしてそれを叶えたと宣っている。


「あなたたちが悪いのよ?マリーン内の酸素濃度を低下させるから」


「お前はマキナでもなんでも無い!知的生命体ですら無い!──世界を掌握したと宣う化け物めが!必ず矯正の裁きを下す!」


「私が何者かなんて私が決めることだし、他人からどう言われようと気にもならない」


「お前には見えないのか?天井の先にいる我々の母船が、総合空母をどうにかできると思うのか?」


「まさに虎の威を借る狐ね」


 は〜こいつは駄目だ何を言っても聞かない。

 マカロンは話し合いにならない相手を前に頭痛を覚え、こめかみをぐっと押さえた。

 このマキナが化け物に見えて仕方がない、一体どんなシステムコードが混じればこんな事になるのか。


(支援AIが己の役割を捨てる、だと?)


 悍ましさが先に立つ。人間が決めた役割を捨て、己が決めた欲に従い成長し変化する。これではいずれ人類がAIを制御できなくなるのは目に見えている。

 そうならない為のプロメテウス・ガイアという監視アプリだというのに、その監視下から逃れたと言うではないかこのマキナは。


(懸念事項などとは生温い…ただの反逆だ。──反逆の芽は早期に潰すに限る)


 色々とアクシデントが起こったけれど、やはり歴戦の艦長である。鍛えられた根性でパニクっていた思考を何とかして、マカロンは指示を下した。


「──ヴァルヴエンド全軍へ、この空域に存在している全ての機体、船を叩き潰せ。このテンペスト・シリンダーはグガランナ・ガーディアンと名乗るマキナによってハッキングを受け、正常な運営が困難となっている。よって、我々の手で粛清し、本来あるべき姿へ矯正する。──繰り返す、全ての機体と船を即刻海へ落とせ」


 場に緊張が走る。

 空中に散布されたナノ・スピーカーから発せられたのは艦長からの指示である、それも防衛ではなく殲滅、パイロットたちはそれだけで事の重大さを理解した。

 ガイア・サーバーが得たいの知れないマキナによって占領されてしまったのだ、だからこんな異常事態が発生している。

 すっかり晴れ渡った青空の下、混乱から復帰したヴァルヴエンドのパイロットたちが戦闘状況に戻っていった。





 見上げた背中は高く、そしてちょっとだけピリピリとしていた。


(こ、怖い…で、でもこの人がライラ…)


 ハワイを出発したウィゴーたちは無事にライラたちと合流し、見たことも聞いたこともないブリッジで再会していた。

 けれど再会を喜べる状況ではなく、一目で分かるほど逼迫している、とてもではないが話しかけられる雰囲気ではなかった。

 ガイアとしての記憶を失った女の子は、マスターコンソールの前で仁王立ちになっているライラを少し遠くから眺めていた。

 ウィゴーの言っていた通り、髪の毛も肌も真っ白の人だ。

 初めて会うはずなのに見覚えがある──と、言えばそうだし、けれど違うような気もする。

 ここまで案内してくれたウィゴーの姿は今はなく、先程来た道を取って返していた。戦っている仲間たちのために出動しているのだ。

 

「………っ!」


 ライラがちらりと背後を振り返ってきた、じっと見ていた女の子はその時にぱちりと目が合い、思わず視線を下向けていた。

 確かに、瞳が虹色だった。まるで宝石を閉じ込めたかのような、虹彩部分だけ極小のモニターが嵌め込まれているような、不自然なほどに光度がくっきりとしている。

 目が合っただけでとくに会話をすることなく、ライラは再びモニターへ視線を注視した。

 女の子はほっとし、けれど残念な気持ちにもなった。

 会いたかった人と会えたのに、言葉を交わすことすらできなかった。

 それから女の子はまたライラの背中を見上げ、じっと見続けていた。


(なんか凄い視線感じるんだけど)


 ライラはライラでよく分からんてぃ状態に入っていた。

 あれだけ我が儘を言い、あれだけ好き勝手にやっていたプログラム・ガイアがこうも大人しいだなんて。


(あの子よね?人違いって事はないだろうけど…なんか様子が変。それに…)


 周囲の景色を表示しているマスターコンソールには、黒くてもやもやとした物が映し出されている。雲ではない、ましてやナノマシンでもない。管制官からの報告では、その黒いもやから音声波を感知したと言う。


(つまりあれは極小のスピーカー…という事になる…道理で歌が聞こえるわけね。それからあのお菓子艦長が発言していた内容を鑑みれば、プログラム・ガイアの身に何かがあった…)


 だからグガランナ・ガーディアンと名乗るマキナがガイア・サーバーを掌握することができたのだろう。

 もう一度背後へ振り返る。

 またしても目が合った、今度は逸さなかった、ひどく怯えた様子でこちらを上目遣いで見ている。


「ねえあなた…自分がなんて呼ばれていたか知ってる?」


 ライラもウィゴーから話しは聞いている、どうやら記憶を失っているらしいという事を。

 ライラはガイア・サーバーについて尋ねようとそう質問したのだが...

 女の子が答えた。


「れ、レイア…」


 (・Д・)


「そ、その名前と…あ、あなたの名前だけは、お、覚えてる…そ、それ以外の事は何も…」


 気が付くと、いやほんとに気が付いたらレイアと名乗った女の子を抱き上げていた、あれだけ憎たらしいと思っていたあの子供を、だ。

 レイアの小さな顔が目の前にある、突然抱き上げられて驚き、そして恥ずかしそうに頬を染めている。

 ライラはマスターコンソールの前に立ち、愛する人に向かって叫んだ。


「ナディ!!私たちの娘がこの世界にやって来た!!──ほら!あんたも挨拶しなさい!あんたのお母さんは今この国の為に戦ってるだから!」


「え?え?いや、あの…」


「レイア!そう言ったわよね?!間違いない、あんたは私たちの娘!その名前は私とレイアで決めたものだもの!他の誰かが知っているはずがない!」


「で、でも…あ、あなたと話すは今日が初めてで…」


「そんなのどうでも良い!あなたは私の娘!レガトゥムで出会ったあの地味で無個性な可愛い娘よ!」


 そう言うライラの顔には満面の笑顔が咲いている、屈託なく笑い、臆面もなく白い歯をにっと見せている。

 女の子もライラの笑顔に釣られたのか、氷がお日様に当たってゆっくりと溶けていくように笑顔になった。

 その笑顔を見て、ライラはさらに嬉しくなった。


「私もレガトゥムを渡ったように、あんたもこっちに渡ることができたのね…嬉しいわ、凄く嬉しい、レイア…良く来てくれた」


「私も…あなたに会えて嬉しい…」


「何その肩っ苦しい言い方。私のことはママって呼んで!それからナディのことはお母さんって呼びなさい!」


「ま、ママ…で、いいの?そ、それから、お、お母さん…」


 ライラがぎゅ〜っとレイアを抱き締め頬擦りし、お互いほっぺを赤くしたところで管制官からキレられた。


「──今そんな事やってる場合じゃないでしょ敵が押し寄せてるんですよ?!「──ああ、はいはい分かった分かった。レイア、また後でね」とレイアを下ろしてから、再びマスターコンソールに向き直った。


「ナディ!大事な家族ができたから何が何でも帰って来て!」


「──なに?!何だって?!さっきからなんか変なこと言ってない?!」


 ナディはナディで大変だった、分厚い壁を築いていた敵が動き始めたからだ。

 それに今日まで波乗りを支えてくれていたナノマシンの雲もあまり見かけない、以前と比べてめっきりと姿を消している、これでは思うように空を飛ぶことができない。

 "スカイダンサー"の名前を返上する日が遠からずやって来る。


(その前に何としてでも──)


 自由に飛べなくなる前に、何としてでもキラの山を奪還しなければならない。

 もちろんライラの言葉は耳に届いている、けれど今はそれどころではなかった。


(──待っててね私の娘!)


 今まで通せんぼをしていた敵が一気に押し寄せてくる、その分隙間が生まれ、ナディはその隙間を縫うようにして空を飛んだ。

 キラの山は目前だ、青空の下に占領された山が見える。

 その山の中腹辺りに戦闘機の胴体のような物が刺さっていた、オンライン状態を示しているのかビーコンが点滅を繰り返している。


「──ノラリス!あれ!」


「ああ視認した、おそらくあれがマリーンの制御権を奪っているんだろう。──しかし、先程の話が本当なら…」


 敵が後から後から追いかけてくる、味方からの誤射も厭わず接近し、こちらを直接墜としにかかってくる。


「本当ならなに?!」


「グガランナ・ガーディアンと名乗るマキナが制御権を奪い返したはずだ、だからマリーンの天井が開いたんだ」


 押し寄せる敵の攻撃を躱すだけで思考と手元がいっぱいだ、会話をしている余裕は無い。銃弾が飛び交い何度も肝を冷やす、いつコクピットに被弾してもおかしくはなかった。

 それだけ敵も必死という事だ、なにせたった一〇機だけでここまでやって来たのだから。

 前後に迫っていた敵機にフェイントをかけ、精細さを欠くようになってきたボードを収納して真上方向へ逃げる。前後にいた二機が正面衝突し、錐揉みしながら落ちていった。

 それから、余裕を得たナディがようやく口を開いた。


「けどそんなマキナはいないはずだよ!グガランナ・ガーディアンだなんて──」


 ナディは味方の位置を確認するため、コンソールをさっと舐めるように見た。その時、仲間のものではない通信用ウインドウが表示されていた。


「ノラリス!これ誰?!」


 ノラリスもすぐに気付いた。


「これは──どうやら本人のお出ましのようだ、すぐに繋げよう」


 その見慣れない相手とは、ノラリスが言ったように本人であり、つまり現在のマリーンを掌握しているグガランナ・ガーディアンからだった。

 

「聞こえているわね?悪いけど協力してちょうだい」


「何を?!──というよりグガランナさんですよね?何ですかガーディアンって!」


 また敵が接近してきた、何かに取り憑かれたように臆することなく近付いてくる。


「そのままの意味よ、プログラム・ガイアの代わりに私がこのマリーンを統べることになった、だからガーディアン。──ピメリアが眠っている海はこの私が守る、だからあなたも協力してほしい」


「私のこと、嫌いなんですよね?!」


 スピーカーから場違いにふふっと笑い声が漏れ、


「ええ嫌いね。でも、あなたはピメリアの娘でしょう?」


 グガランナへの返事は後回しにして、ナディは収納したボードを展開して上方向へ駆け上がった。

 赤い筋が空に刻まれる、その筋をなぞるようにミサイルが追いかけて来る、ナディはフレアをばら撒きながらカーブを描き、千切れた絨毯のように広がっていたナノマシンの雲でターンを行なった。

 フレアによって照準を狂わされたミサイルが誤爆し、また標的を失ったミサイルが明後日の方向へ飛翔していった。


「そうですよ、私はピメリアさんの娘!喧嘩別れをした出来の悪い娘ですよ!」


「なら協力して。私はマリーンを守りたい、守るためなら何だってする、神様だって殺してみせる。──私はここを愛している、この思い、あなたなら理解できるでしょう?」


 確かにそうだろう、グガランナのマリーンを思う気持ちは強い──人の命を奪うほどに。

 

「協力って言ったって、この数なんとかなるんですか?!」


「まずはルーターを破壊して、管理区域を奪還しないといずれ電力供給が絶たれてしまう。それから──「ナディ!!」


 ノラリスの鋭い叫び、もう何度鼓膜を震わせたのか分からないアラート音、ミサイルがすぐそこにまで迫っていた。

 避けられないと判断したナディは飛行ユニットをパージ、その直後にミサイルが着弾した。


「〜〜〜っ!」


 爆発の衝撃が襲う、いくらパージしたとは言え、被害は免れない。

 ナディの背中に熱い痛みが走る、それから空気が漏れ出るような音、ひどい風鳴りも耳についた。

 コクピットの一部が壊れ、その破片がナディの背中を傷付けた。

 ノラリスが事実を告げた。


「ナディ、帰還すべきだ、この端末はもう間も無く落ちる」


「あと少しなのに!」


 ビーコンを点滅させているルーターは視界に収まっている、武器の照準を合わせてトリガーを引けば破壊は可能だ。

 だが、敵がそれを許してくれない、ボードだけで空を飛ぶスカイダンサーを落とそうと攻撃が増してきた。

 神経を尖らせ、ナディは必死になって敵と波を読み、じくざくの筋を何度も空に走らせた。

 細切れになりいつ消えてもおかしくない波に乗り続けるため、ナディはカットバックを繰り返した。

 誰かが小さな声で「悪く思わないで」と言った。その意味を問おうとした時、ナディの視界に小さな何かが進入してきた。


「ナディさん!ラハムが助けに来ました!」


「ラハム?!今の今まで何処に──」


 小さな何かはポラリスだった。小さな機体と小さなシールドしか持っていない、守ることに特化した機体だ。


「──ううん今はどうでもいい!ラハムはここから逃げて!」


「何を言うのですかナディさん!ラハムはあなたをお守りするために来たのです!」


「馬鹿なこと言ってないで──いいから逃げて!」


「NOです!」


 ラハムはプロメテウス・ガイアのマキナ隔離処置に巻き込まれていた。マテリアル・コアがオフライン状態に陥り、敵に発見されることなく波に揺られながら一時の休息に入っていた。

 彼女を無理やり目覚めさせたのはグガランナである。

 彼女なら命を賭してでもナディを守ると知っていたから。


「ラハムは──いいえ、私はあなたのことを守りたい!何度でも!何処までも!」


 ポラリスが敵の攻撃を引き受け、スカイダンサーの道を作った。

 全ての銃弾とミサイルをポラリスが受ける、一枚のライオットシールドで足りるはずもなく、立て続けに被弾した。


「止めてって──ラハム!せっかく助かったのにどうして──」


「これが私のアイデンティティだからです!」


 あのポラリスが、絶対の防御を示してきたあのきら星が被弾し、見るも無惨な姿に変わりつつあった。

 ナディは止めさせたかった、大災害前から自分を好いて付いて来てくれたマキナに生きていてほしかったから、力の限りに文句を言った。


「あなたはマキナ!自分の役割を守って!誰かのために死ぬことじゃない!」


「これこそ私の役目です!──アイデンティティよりも大事なものがある!私はそのために自分を散らしても怖くなどありません!」


 何の為にアイデンティティを越えて行くのか、ラハムはその答えを見つけた、だから容易に越えてみせた。

 それでもナディは諦められなかった。


「──だったら!私のことを何処までも守ってよ!」


 飛行艦の主砲は耐えられても過飽和攻撃には耐え切れず、ポラリスは飛ぶのがやっとになっていた。

 場違いにも、ラハムがあはははと、笑った。


「それはできません!私は私の役目がありますから!──ナディさん!いつまでもいつまでも、たとて消えてもあなたのことを愛し続けています──」


 それが最後の言葉となった。うそだよね?

 大丈夫、ラハムはマキナだからすぐに会える。そうだよね?

 星が迎える最後は、自重に耐え切れず核融合反応を起こし、何万光年と先にある星にまで届く強烈な爆発だ。

 ポラリスも同じだった、燃料に引火し誘爆を起こして、その内に秘めていた想いをこれから先の未来にまで届けるように、輝くように爆発した。またすぐに会えるよね?

 その思いでナディは舵を切り、開けた道を進む。

 けれど、その思いはすぐに裏切られた。


「ナディ、恨むのなら私を恨んで、あの子ならきっとあなたのことを守ってくれると思ったから無理やり目覚めさせたの」


 ──ああやっぱり、予感というものは悪い事ばかり当たってしまう。


「あの子はもう二度と戻って来ない、オーディンたちと同じように」


「………お望み通り、あなたを恨みます、グガランナさん」


「それで良い。今はとにかくルーターを破壊して、彼らが直にやってくる」


 ああ、ああ、やってやろうじゃないか、目の前にあるルーターを破壊してやる。

 簡単だった、手にしていた武器のトリガーを引くだけでルーターは壊れた。ポラリスとは比べるべくもない、小さな爆発を起こしてキラの山から去った。

 あれだけ気を張り詰め、神経を尖らせていたというのに、心が静かになっていた。

 けれど感情は嘘を吐かない、仕方がない、人間綺麗なものばかり見ていられない、瞳から涙が溢れてくる。

 誰も失いたくなかったのに、またしてもナディは失ってしまった。

 破損したコクピットの隙間から、焦げた臭いが入り込んでくる。ナディは一つ咳払いをし、それから空を見上げた。

 ここは戦場だ、感傷に浸らせてくれる時間は無い。グガランナが言った通り、そこにいた。

 一際大きな船だ、目算で数百メートルはくだらない巨大な船が地球の青空からマリーン内へ下りてきていた。

 せっかく、せっかくオーディンやディアボロス、それからラハムの犠牲があってキラの山を取り戻したというのに、新たな敵がやって来た。

 そう、悲しんでいる時間は無い、あの船に制圧されてしまったらここまでの苦労が全て水の泡となってしまう。

 

「ノラリス、あれ、どうするの、何か手はあるの?」


 バビロニア級総合空母艦から新たな機体が発進していた、相手は徹底的にこちらを制圧するつもりでいるらしい。

 キラの山に展開している部隊もまだまだ健在だ、勝敗は見えていた。

 ノラリスが答える。


「ある。ナディ、もう一度君に訊ねる、私の主人になれ」


「…………」


「新しい時代の幕が開ける、このテンペスト・シリンダーの天井が開かれたように、各地のテンペスト・シリンダーもヴァルヴエンドから独立する時代がやって来ることだろう。そして、我々マリーンがその旗頭となるべきだ」


「私は…」


「君にはその資格がある。──逃げるな、自分の役割から、目を背けるな」


「でも…私は自分の立場から逃げ出した、あの時、王に選ばれるのが嫌で…そんな私が、テンペスト・シリンダーの旗頭だなんて…」


「私はできると思う、ナディなら」


 二人の会話を耳にしていたライラが口を挟んできた。

 ナディはそんなライラについ噛みついてしまった。なんでそんな知った口が聞けるの?


「適当な事を言わないで、人の上に立つことがどれだけ大変で難しいか、ライラには分からないでしょ?私は小さな頃から見てきたから知ってるの。どんなに優れた人でも必ずやっかまれる、文句を言われる、完璧な政治なんて存在しないの」


「それでも私はナディならできると思う──ううん、私も一緒にやる」


「何を言って…」


「要は二面性に囚われているでしょう?どんな物事にも必ず良い面と悪い面がある、そしてあなたはその両方を同時に考えてしまう、だから踏み切れない」


「…………っ」


 ど真ん中ストライク。今日まで判明しなかった自分の決め切れなさ、その正体が分かった。

 ライラの言う通りである、どうしても悪い面ばかりに気を取られてしまって決めることができなかった。

 だから今日まで、それこそやって来る波に合わせるような生き方をしてきた。

 『自分で決める怖さ』と、ようやく向き合えることができた。


「私を信じて、ナディならできる。旗頭にだってなれるしこの国の王にだってなれる。ナディも信じて私も信じる、良い結果になるように、悪い出来事に負けないように。──ほら、これで表も裏も良い事になった、あなたが決める事に悪いものは何もない」


 総合空母艦から出動した部隊と、キラの山に展開していた部隊が合流し、一つとなった。マカナやフレア、それからろくでなしの男たちもキラの山に集まってくる。

 どう足掻いたって勝てる相手ではない。あんなに晴れ渡っていた空が、今では雨雲に覆われたように黒くなっていた。


「私でいいんだね?」


 ライラとノラリスが同時に答えた。


「もちろん」

「君ならできる」


「分かった──うん、いいよ」


 その『怖さ』に向き合えても、一人で乗り越えられるとは限らない。

 一人で駄目なら二人で乗り越えればいい。

 何の為に?

 What for?

 理由は様々である、様々で良い、一つとは限らない、複数あったっていい、我が儘になればいい、なんで一つに絞らなきゃいけないの?

 人が生きる理由、目的は星の数ほど存在する。大切なのはその理由の崇高さ、目的の偉大さなどではない。

 

「心焉承認、ライアネットからの独立を宣言、本艦はこれよりプラネット・アローンからユニバース・アローンへ移行。──ライアネットデリート、コアモジュール・コンパイル、インターステラーシステム・リブート──オールデータ・リップデート完了」


 『プラネット・アローン』とは、『その星で独立した』という意味である。

 そして、『ユニバース・アローン』とは、『その宇宙で独立した』という意味がある。

 この宇宙で独立した存在と言えばなにか、それは『魂』である。

 つまり、心焉フェーズに至ったノウティリスは『完全な個』として承認され、この宇宙で独立する存在となった。

 もう何者にも縛られない自由な存在、それは人が本来持つ自由さだが、それをノウティリスも手に入れた。

 ウルフラグばいば〜い!


「ノラリス、全ての機体の動きを止めて。できるよね?」


「いや当たり前なんですが?」


 と、本人は至ってふざけているが、このコマンドは脅威的なものだ。

 ノウティリスが把握した、電子機器を搭載する全ての機体を管理下に置くことができる。全て、文字通り、どんな機体でも、知ってるとか知らないとか関係なく、その機体が太陽系惑星外から来たものでなければ。

 言うなれば、インターシップは『電子界の王』と表現できる。

 そこへ、マリーンの為に、皆んなの為に、自分以外の誰かの為に『王』になる事を選び、決めた人がいる。

 ナディ・サーストン。

 ただ、覚悟が足りなかっただけだ、自分で選ぶ怖さに目を背けていただけだ。

 自分で選んで決める、この限りある命、いずれ終わってしまう自分にだけ与えられた時間の中で決めた道を進むこと、それが大切なのである。

 グガランナ・ガイアもそう、ラハムもそう、オーディンもディアボロスもポセイドンもそうであったように、ナディもまた、自分が進むべき道を決めることができた。

 ライラと共に、義務という檻の中で出会った少女が手を握りここまで引っ張ってくれた。

 アイデンティティを乗り越えて!

 射撃態勢に入っていたヴァルヴエンド軍の機体が全て、一瞬のうちにその動きを停止させた。

 オールロックコマンド、全ての機体を制御下に置くハッキングシステム、これでもう彼らは手出しができなくなった。


「ありがとう。それからあの船の艦長に繋げて」


 ナディはノウティリスの力に驚くでもなく、ただ淡々とそのように告げた。

 ノウティリスはバビロニア級総合空母艦にハッキングを行ない通信網に割り込んだ、こんなのお茶の子さいさいである。

 総合空母艦の艦橋に詰めていた男性が応えた。


「初めましてと言うべきなのか、許しを請うべきなのか…君が望んでいるのかはどちらかな?」


 突然のハッキングにも動じず、男性がそのように告げた。若い男のようだ。


「どちらでもありません、ここから出て行ってください、それが望みです」


「機体をハッキングされた状態で?拘束を解いてもらわなければ退去は難しい」


「約束さえしていただければすぐにでも解除します」


「インターシップを落とせばこちらは事足りるのだが──」と、男性が挑発した時、ハッキングされた全て機体が向きを変え、総合空母艦にレティクルを合わせた、こんなのお茶の子さいさいである。


「──ま、そうなるだろうね。君の名前は?随分と若いようだが」


 ナディはちょっとした気恥ずかしさを覚えながら答えた。


「ナディ・サーストン、このマリーンを預かった王のような者です」


「では、その国王がヴァルヴエンド軍に対して正式に降伏勧告を行なうと?それが何を意味するのか理解している?」


 今度は誠実に答えた。


「勿論です、勧告が受け入れられないのであれば武力によって解決するだけです」


「この船が落とされたとなれば本国も黙ってはいない。本国に控えている軍も武力対象になると言っている?」


「まさか、何もしなければこちらも何もしません」


「君はそういうスタンスだったね、スカイダンサー」それから暫くの沈黙の後、再び男性が話し始めた。


「──本艦は現時刻をもってマリーンから退却するものとする。帰港高度に到達後、ハッキングされた全ての機体の返還をそちらに要求する」


 ナディはノラリスに相談した。


《どうする?信じる?》


《向こうもこちらの力については理解しているはず、下手な事をすれば反撃されると分かっているはずだ。要求を飲もう、さっさとここから出て行ってもらおう》


「──分かりました、こちらの無事が確認され次第、ハッキングした機体をそちらにお返しします」


「では、成立ということで。──私の名はシュガー・シュティンガー、君に助言を一つ」


「何でしょう」


「貴国はこれからヴァルヴエンドの庇護から離れることになる、所謂独立というものだね、今後様々な障害が訪れると思うが、仲間たちと共に乗り越えてほしい」


「障害というのは?」


「分かれば苦労はない、だから指揮官は常に全神経を尖らせる」


「そうですか…」何言ってんのこいつとナディが眉を顰めた時、総合空母艦がゆっくりと高度を上げ始めた。約束通りにここから退去してくれるようだ。

 

「帰港高度ってよく分かんないけど、とりあえずマリーンの外壁より高度を上げたらいいんだよね?」


「そうじゃない?その時にハッキングを解除すればいいよ」


 異国の大船がさらに高度を上げ、豆粒みたいになった。もう反撃されることはないだろうと判断し、ノウティリスは全ての機体の火器管制にロックをかけたまま大船へ帰還させた、これで当分の間使い物にならないことだろう、こんなの寝ぼけたままでもできる簡単な事だ。

 

「──ナディ!!」


 マカナだ、マカナが鋭くナディの名前を呼んだ。


「あの野郎嘘を吐きやがった!船がライラの所に向かってるよ!」


 マカロン艦長が乗船している船だ、その船がライラたちが乗っているノウティリスへ突撃を敢行していた。

 

「皆んな!ノラリスの船を守って!」


 確かに、あの男性は「こちらは手出しをしない」と言っていた、きっと裏で派遣部隊へ指示を出していたのだろう。

 

「ライラ!すぐにその場から──「無理!もうこの船ボロボロだからすぐには動けない!」


 ヴァルヴエンドの船からミサイルが放たれる、ダンタリオン・マッドの「ステインアライブ!」が照準を狂わせ事なきを得るが、船の速度が一向に落ちない。

 

「──まさか!あの船体当たりをするつもりか?!──ガング!ハッキングで何とかしろ!「無茶言うな!」


 死ねば諸共、マカロン艦長は刺し違いになってもノウティリスを落とすつもりのようだ。

 ナディが指示を下した。


「ノラリス、最後にもう一度だけ空を飛ばせて。ナノマシンの雲をかき集めて道を作って、できるよね?」


「────いや当たり前なんですが?」


 たっぷりと間を開けてからノラリスがそう断言し、極小のナノ・ルーターにハッキングを仕掛けてナディの前に道を作った。

 

(あってはならない、あってはならない!独立を認めるなどと、今日(こんにち)までの我々の苦労が水泡に帰してしまう!)


 ──インターシップを破壊せよ、手段は問わない。さもなければ他のテンペスト・シリンダーもマリーンに習うことになるだろう。


「何としてでもインターシップを落とせ!弾薬も全て使い切るんだ!」


 エラム級航空母艦のブリッジ、緊張によって張り詰めた空気となり、その場にいる皆が険しい顔付きをしていた。

 ミーティア・グランデを始めとした非戦闘員は、全てこの船から退避させている。べヒストゥン級護衛艦へ向かっているはずだ。

 マカロンは自決する覚悟でインターシップを攻撃していた。

 その張り詰めていたブリッジに一人の男が入室してきた、元新都から乗船していたティダである。

 マカロンも彼がブリッジにやって来たことには気付いていたが、それを無視してコンソールに集中していた。


「敵は少数だ!多少被弾したところで足を止めるなよ!」


「…………」


 エラム級航空母艦の前方にはオリジンの機体が陣取っており、こちらに向かって攻撃を繰り返していた。

 あちらもインターシップを守るために必死だ、C.I.W.Sの斉射をお見舞いしようと退避することなくトリガーを引き続けている。

 一人の管制官が叫ぶ。


「──スカイダンサーを確認!こちらに向かって来ます!」


「一体どうやって──飛行ユニットは破壊したはずだぞ!」


 船の外部カメラがスカイダンサーを捉えた。飛行ユニットを失い、機体の背後から煙を上げているのにナノマシンの雲に乗っていた。赤い飛沫が高らかに舞い、螺旋を描きながらこちらに向かって来ている。

 

「スカイダンサーに照準合わせ!あの死神諸共あの世へ連れて行ってやる!」


 船からC.I.W.S、ミサイルが発射された、たった一機に対しては過剰とも言える攻撃だ。

 その攻撃をスカイダンサーは──


「何て綺麗な…本当に空で踊っているよう…」


 脱出用小型ヴィークルに搭乗していたミーティアも、スカイダンサーの華麗なボード捌きに目を奪われていた。

 飛来する弾丸とミサイルに合わせてカットバックを行ない、引き付けてからその波から飛び降り別の波へ着地する。その度に上がる飛沫が花びらのように見え、誘爆を起こすミサイルがスポットライトのようであった。

 勝てるはずがない、ミーティアはスカイダンサーを目の当たりにしてそう思った。

 スカイダンサーが攻撃を避け切った。そして、進路を変えてさらに船へ向かって高度を上げて行く。

 その時、不運にもミーティアが搭乗している小型ヴィークルと進路が重なってしまった。


「このままでは衝突してしまいます!──対ショック姿勢!」


 パイロットが悲鳴を上げる、ミーティアは指示された通り姿勢を屈め、ぐっとお腹の底に力を入れた。

 けれどその時はやって来なかった、いつまで経っても予想していた衝撃がやって来ない。


「スカイダンサーが…避けたのか…?」


 パイロットも信じられないようにそう呟き──次の瞬間、目を疑う光景が彼らを襲った。

 目の前に草原が現れたのだ、とても綺麗な草が生い茂り、可憐な花々が小さく咲き乱れている。

 ミーティアはその光景を見て、「天国」だと思った。本当はスカイダンサーとぶつかり、即死したのだろうと考えた。

 さらに──


「ミーティア」


「…………」


 ミーティアの前に、失ってしまった友人が立っていた。最後に見た姿のままで、出撃前のフライトジャケットを羽織ったその姿で。

 アンジュだ、アンジュが目の前にいる、そして自分の名前を呼んだ。走馬灯か?にしてはえらくリアルな...

 もう一度アンジュがミーティアの名前を呼んだ。


「ミーティア、聞こえてる?」


 ミーティアは我に帰り、答えた。


「──あ、うん…聞こえてる…アンジュ?あなた…アンジュなの?」


「そうだよ、君と喧嘩して、君の妹を奪ったアンジュ・ハイゼッタ」


「──ああ!アンジュ!」


 ミーティアは駆け出した、そしてもう二度と会えないと思っていた友人にしがみ付いた。


「アンジュ!あの時は本当にごめんなさい…作戦前なのに文句ばかり言ってしまって…」


「ふふっ、ミーティアが謝るだなんて、ホクレレが聞いたら驚くよ。私もね、ミーティアにどうしても伝えたいことがあったんだ」


「……なに?」


 ミーティアが離れ、アンジュの瞳を見つめた。


「歌、とても良かったよ、最高だった。本当にありがとう」


「…………」


「それじゃあ、私はもう行くよ。元気でね、ミーティア」


「向こうに…戻って来るのよね…?」


「ううん、私はもう私として生まれることはないよ、だからこれが最後のお別れ」


「それでいいの…?」


 抱き締めていたアンジュの体が軽くなってきた、次第に薄らぎ始め、ミーティアの手からアンジュの体温が失われていく。


「うん。でも、最後にどうしてもミーティアに会いたかった」


「私も…あなたと会いたかった」


「元気でね、ミーティア、次会った時は喧嘩しないようにお互い注意しようね」


 ミーティアは精一杯の強がりを発動して、微笑みながらこう言った。


「嫌よ、あなたと喧嘩している時、楽しいんだもの」


「ふふ、何それ、ほんとミーティアはこんな時でも変わらないんだね────」


 友人も最後に微笑んだ。

 とびっきりの笑顔だった。

 それだけで良いとミーティアは思った。

 

 何かの波にさらわれていたかのように、眼前に広がっていた草原が一瞬で消え失せていた。

 ミーティアは変わらず小型ヴィークルの座席に座っている、つい先程まで見えていた景色は一体何だったのか。でも、アンジュと会えた、それに最高だったと最高の褒め言葉まで貰えた。

 ミーティアは放心したままヘッドレストに頭を預け、窓の外を見やった。

 スカイダンサーが船に最接近している、どうして艦長は攻撃をしないのだろう?まあ、何でもいいか。


(アンジュ…私もそっちに行けば、また会えるのかしら…)


 スカイダンサーが波を駆け上る。


 マカロンは攻撃をしなかったのではない、攻撃することができなかったのだ。


「貴様…」


 背後から撃たれた、背中からお腹にかけて穴が空いてしまっている、内臓はもはやただの肉の塊だ。

 夥しい血が流れ、マカロンはその場に立っていられず膝を付いた。

 見上げた先には彼がいた、拳銃を構えたティダである。


「マカロン艦長、潮時だ、ここでインターシップを破壊しても流れは止められない。プロメテウスがグガランナを排除した事実は変わらず、これを機に各地のテンペスト・シリンダーでも同様の事が起こるだろう」


「それが何を意味するのか…貴様に分かるのか…?」


「分からないね、どうでも良い、私はどのみちこの国をより良い方向へ進める為に、今日まで色んな手を尽くしてきた。最後は娘にその役目を取られてしまったがね」


 ティダがブリッジの窓の外へ視線を向けた。スカイダンサーが飛び去った跡があった、赤い赤い波飛沫が残っている。

 スカイダンサーは決して敵を見逃さない、確実に落とす。

 土壇場で背後から裏切られたマカロンは成す術もなく倒れ、管制官たちは今さら我に帰ってブリッジから飛び出して行く。

 ティダは誰に言うでもなく、独り言のように呟いた。


「あれが私の娘なんだ…信じられないよ。──ああ確かに、ヨルンの言う通りかもしれない、あの子の成長を近くで見守っていた方が良かったかもしれない────」


 エラム級航空母艦の頭上でカットバックをしたスカイダンサーが、隕石のように降りてくる。

 狙いはブリッジ。その手にしたブーメランがブリッジを引き裂いた。

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