第三十話 グガランナとティアマト
30.a
儂に割り当てられた部屋の通信端末が、時間帯も考えずにコール音を鳴らす...一体誰だこんな時間に。マキナに身を変えてからは暇つぶしにしか眠ることはないが、深夜にかかってくる電話などろくなものではない。
諦めてコールを取る、はた迷惑な相手は司令官からだった。
「何だ」
[…ちょっと、ブリッジまで来てくれない?急ぎの用事なの]
「明日にしてくれないか」
[何でそんなに冷たい声なのよ、いいからブリッジに来てヤバイことになった]
その声は焦っている。いよいよをもって行きたくない。
「他に頼め、それにマテリアルのことならグガランナに頼めば良かろう」
[サーバーと接続が切れてしまったの、どうしたらいい?]
儂は返事もせずに部屋を飛び出してブリッジへと走って行った。
✳︎
頭が割れるかと思った...ブリッジに入ってくるなり無言で私の頭を鷲掴みにして大声で状況を説明しろ!と怒鳴ってきた、こんな状態で出来るか!と言い返して腕をぶんぶん振ってようやくマギールの手から解放された。まだ痛む。
「何をやったらサーバーからログアウト出来るのだ?ん?儂にもやり方を教えてくれんかのう」
その顔は眉尻を上げて今にも殴りかかってきそうだ。まだ痛む頭を両手で押さえながらマギールから少し距離を空ける。
「それは守秘義務よ、あの時約束したでしょ、不可侵条約は何人たりとも踏み越えることは出来ないの」
「人の話しを聞いておるのか?ログアウトをした方法を教えろと言っておるのだ、誰も貴様のポエムなどに興味は無い!!!」
「いやぁ!私の黒歴史を叫ばないで!」
上層の街に降り立った時、本当は私も街の人間と話しがしたかった。だが、グガランナとの久しぶりの会話で私がポエムなるものを書いていることがよりにもよってあのお喋りアマンナに知られてしまい、ずっと距離を空けて遠くから見守っていたのだ。そしてこの男も、街で降ろされると戦々恐々としていたので、二人並んでアマンナ達のお別れの挨拶を待っていたのだ。
言うなれば、私とマギールは共犯と呼べばいいだろう。いや言わないか。
「まさかお前さん、そのポエムを消す過程でサーバーからログアウトした訳ではあるまいな?ん?正直に言え」
「…マギール、私とあなたは共犯よ、グガランナにこの艦体を持ち出した経緯を喋られたくないでしょうに」
「いいや構わんさ、好きなように話すがいい」
「あそう、ならこの艦体からもマギールの家の地下にある男の花園が見えることも伝えていいのね」
そうなのだ、この艦体からマギールの男の花園が見えてしまうのだ。と言っても見えるのはこちらを向いている数え切れない人形だけだが。
「………復旧させよう、手を貸せ」
「初めからそう言えばいいのに」
また頭を掴まれそうになったのでブリッジ内を逃げ回っていると、直通エレベーターの扉が開いてアマンナとグガランナがブリッジに入ってきた。追いかけっこをしていた私とマギールは足を止めて二人を見やる。アマンナは何だか眠そうに、けどグガランナははっきりとマギールに視線を向けている。
「ようやく会えたわね、マギール」
「プエラまさか…儂を売ったのか?!」
「まぁほら?いい加減清算した方がいいと思ってさ」
「…良かろう、アマンナお前に渡したいものがある」
「…んん?何…」
そう言ってこの老いぼれはポケットから一つのメモリースティックを取り出しアマンナに投げつけた。難なくキャッチしたアマンナは未だはてな顔だ。
「何こへ…ふわぁ」
小さな口で大きなあくびをしているアマンナに向かってマギールが言った言葉に、私はすかさずアマンナに向かって走り出す。
「プエラのポエムだ、じっくりと読むがいい」
「!」
「待ちなさいアマンナ!」
あんなに眠そうにしていたくせに!ポエムと聞いてから頭が覚醒したのか、素早くグガランナの後ろに回り込んで私から逃げるではないか!
「こんの!いいから返しなさい!」
「いーや!こんな面白そうなもの返すわけないよ!やープエラのポエム!略してプエム!」
「何がプエムよ!いいから!お願いだから返して!」
グガランナを挟んでやり合う私とアマンナ。服やら腕やらを掴んでしっちゃかめっちゃかしていたので頭上から怒られてしまった。
「いい加減になさいな!マギールと話しが出来ないでしょう!」
「あープエラのプエム、ナツメと一緒に読んでみよう」
「やめてぇぇ!!!!!」
それだけは...!それだけを回避するためにここまで必死になってマテリアルから黒歴史を削除していたというのに...!
「アマンナ、からかうのはやめなさい、遊ぶのは後にしなさい」
「はいはい」
「マギール、どうして私から逃げ回っていたのかしら説明しなさい」
「こんの…!マテリアル・ポッドの代わりにマギールはあんたの艦体を下層から持ち出したのよ!隠し場所は!エレベーターシャフトの地下!男の花園から遠隔管理!していたの!」
諦めきれない私は未だアマンナを捕まえようと手を伸ばしながら、代わりに私が裏切り者の男の罪を告白してやる。
「アマンナ、そう慌てなくてもよい、データなら儂が持っているからいつでも取りに来い」
「この!変態くそエロマギール!何よ!グガランナと引き合わせたぐらいで私を売りやがって!」
それならアマンナを追いかけても仕方がないと標的を老いぼれに切り替える。
「やかましいわ!サーバーと接続が切れたなどと嘘をついたのは誰だ!」
「え?切れてるのは本当なんだけど」
「…」
「…」
「…」
三者一様に黙り込み私を見る。そして三者三様に文句を言ってきた。
「馬鹿かお前さんは!!そこまでして消したかったのか!!」
「プエラ?!何故それを早く伝えないのよ!!」
「うわぁ…そこまでやる?」
「ちょっと待って!私が切ったんじゃないの!急に切れたのよ!」
「そんな馬鹿な話しが…?!何だ、今の音は…?」
マギールが私に詰め寄ろうとした時、艦体が大きく揺れて何か、引っ掻くような気味の悪い音が聞こえてきた。
✳︎
目が覚める。時間帯は深夜、今日はいつにも増して寝付けが悪い。元々悪い方だが今日はさらにひどい、ようやく寝付いたと思ったらすぐに目が覚めてしまった。
(はぁ…いい加減起きるか…)
質のいい掛け布団を跳ね除けベッドから起き上がる、肌着一枚に下着一枚の格好で休憩スペースに行く訳にもいかないので、いつもの軍服とカーゴパンツに着替えようとした時扉が勢いよく開け放たれて、そこにはプエラが息を切らして立っていた。私を見るなり悲鳴を上げる。
「きゃぁぁあ?!!」
「いや何でお前が悲鳴を上げるんだ…」
そう言いつつも服に手を取るが、その手ごとプエラが掴み部屋の外へと私を引っ張り出す、さすがに慌ててしまった。
「こ、こら!まだ服を着ていないんだ!外に出るわけにいかんだろう!」
けれどプエラは私を見ようとせず、そのまま柵もないエレベーターへと乗り込み一階へと降りていく。その顔には眉間を寄せて焦っているように見えた。
「何かあったのか?」
「来た」
私の質問に一言だけ、それだけでは意味が分からない。
「何が?」
一階に降りたと同時に艦体が揺れて天井から何か引っ掻く音が聞こえてきた。初めて聞く音だ、だがこの音が正常だとは思えない。
「クモガエル」
「…うそだろ」
「たくさん」
「これは夢か?」
「カコマレタ」
「…」
エレベーターに乗ったまま少しの間考える。クモガエルは外殻部で遭遇した得体の知れない敵の名前だ、マギールさんが蜘蛛と蛙が合体した生き物だと言っていたらしいので名前も合体させて呼んでいる。それと囲まれたという事は脱出出来ないということか?何故?
「プエラ?何故ここにいるんだ、お前は艦体を操縦する役目があるだろう?」
「お役御免で放り出された」
話しについていけない。寝ている間に何があったんだ。
「これは訓練ではないんだよな?」
「ちが」
言いかけた途中でやめてしまったプエラを不審に思い、顔を覗き込むと視線は真っ直ぐに固定されてこっちを見ようとしない。嫌な予感と共に私もプエラと同じ方向を見やると、
「ぎゃああああ!!!」
「いゃぁあああ!!!」
そこにはクモガエルよりさらに小さい小型のクモガエルが数匹、通路の向こうからこっちを覗き込んでいた。大きさは人と同じくらいに見えて、今まで遠巻きに見えていただけなので実感はあまり無かったが、こちらを見ている八つの目と光沢と粘り気のある皮膚、そして私の腕くらいの太さがある沢山の生えている足は不気味以外の何物でもなかった。
今度は私がプエラの手を引っ張り奴らがいる反対側へとひた走る。
「きも、気持ち悪い!!!」
「あわあわあわ」
反対側はブリッジへと通じる細い通路になっている、だがもしここで敵と鉢合わせしてしまったらひとたまりもない。私の懸念をプエラが口にする。
「こ、こっちで大丈夫なの?!敵と会ったら不味いんじゃない!!」
後ろから敵が這い寄ってくる、湿った何かを叩きつけるような音を鳴らし、あの時聞いた呻き声と共にこちらに向かって走ってくるではないか!
全身に鳥肌が立つのを感じながらプエラに怒鳴るように返す。
「なら他に道はあるのか?!あそこしか逃げ場がないだろう!」
「あわあわあわ」
壊れたように同じ戯言を繰り返している。エレベーターからさらに奥にある小さな自動扉を抜けて、足元が淡い光で照らされた通路を真っ直ぐに走る。壁には飾られた絵画のように、額縁の中は環境映像が流されていた。その映像に一瞬だけ気を取られてしまい目の前に現れたライトの光にまたぞろ悲鳴を上げてしまった。
「ぎゃあああ?!!」
「いゃあああ!!!」
「うわぁぁあ?!!」
この声はテッドか?!何故お前まで悲鳴を上げるんだ!
「なんて格好してるんですか!服ぐらい着てくださいよ!!」
「馬鹿か!こんな状況で服なんか着ていられるか!」
くだらない押し問答をしている間にも後ろから粘り気を伴って何かが弾けるような音共に奴らが侵入してくる姿が見えた、我先にと競うように数匹がひしめき合っている。
「テッド!いいからアレを撃ってくれ!」
「早く僕の後ろに!」
「あわあわあわ」
中層の街で私が助けた時とは逆の立場になった、後ろから抱きしめてやろうかと思ったがさすがにふざけている場合ではないと控える。位置を入れ替わったと同時にテッドが手にしていたアサルト・ライフルを撃ちアレを蜂の巣にしていく。
「ヴェヴィぃぃっ!!」
「ヴァァァアェぇっ!!」
生理的な悪寒を呼び覚ます声と汚い血をまき散らしながら絶命していく様は、倒れて動かくなってもまだ不安にさせる。狭い通路にアサルト・ライフルの硝煙と敵のむせ返るような血の匂いで充満されていく。暫く惚けたように敵の姿を見た後、ようやく一息つくことが出来た。そして、
「うわぁぁぁあ!」
「な、何?!また敵?!…なっ!!」
発砲音がうるさかったのか、耳を閉じてしゃがんでいたプエラが的外れなことを言う。
私はお礼に後ろからテッドに抱きついていたのだ。
「ダイレクトっ!!」
「やかましい!」
そういえば下着も付けていなかったことを思い出す。
「次!次、私!」
「お前はさっきからあわあわしか言っていないだろう!」
「はい!これナツメの服!大事に守ってたから!」
「ば、馬鹿なこと言ってないで早く履いてください!それと銃を持って!」
片方のカーゴパンツに足を通しただけの私に自動拳銃を渡してくるテッド、受け取れるか!と怒鳴り返してプエラに持たせるように言うと、またあわあわと言いながらも自動拳銃をまるで壊れ物のように持った。
「持ったことないんですけど私!持ったことないんですけど私!!」
二つの手のひらに乗せたまま喚く、グリップすら握ろうとしない。
下はカーゴパンツがあるから隠せるが、上は仕方がないか、上着のために今さら自分の部屋に引き返すつもりはさらさらない。
身支度を整えプエラに預けていた自動拳銃を返してもらう、少しほっとしような顔を見ながら先ずはテッドから状況確認を行った。
「テッド何があったんだ?お前は何処にいたんだ?」
「分かりません、起きた時には既に敵が艦内にいましたので、それとエンジンルームの様子を見に行っていました、あそこが壊されるのが一番危ないと思ったので」
だからこの通路に入った時はいなかったのか、テッドよりさらに後ろ、下に降りる階段がありそこを通ると一階へと行くことが出来る。そこには私が鬱の一歩手前までお湯を汲んで行き来していたエンジンルームと、グガランナと入ったお風呂がある。さらに奥には一度も入ったことがない部屋があった。
今度はプエラに向き直り、少し非難がましくなってしまうのは仕方がないと、割り切って怯えたように見上げるプエラに詰問する。
「何故警報を鳴らさなかったんだ!この艦体を掌握しているのはお前だろうに!」
「ち、違う!鳴らしたくても鳴らせないの!今はサーバーと接続が切れてしまっているから…」
落ち込みながらも真っ直ぐに私の目を見て話している。
「切れたらどうなるんだ」
「この艦体を動かせなくなる…今、ブリッジにグガランナとマギールがいて復旧作業をしてるはず…」
柵なしのエレベーターに乗っている時にこいつがお役御免で放り出されたと言っていたことを思い出す。何となくだが話しが繋がってきた。
「お前、ブリッジを追い出されたんだよな?何をやっていたんだ、今回のこの敵と何か関係があるのか?」
私の言葉に心外だと、怒気を含んだ声で言い返してくる。
「そんな訳ないでしょ!!サーバーと接続が切れたのは突発的な事故だもの!!」
「それならどうして追い出されんだ、お前は何も悪くないんだろう」
「それは…」
言い淀むプエラに、またテッドから嫌な言葉を言ってもらう。本当によく出来た部下だ。
「プエラ、こんな時に嘘はよくないよ、ここはもう戦場で一つの嘘で簡単に信頼を失ってしまうんだ、隠していることがあるなら白状して」
「プエラ、嘘をつく相手と行動を共にすることは出来ないんだ、お前はそんな奴じゃないだろう?」
私の言葉に意を決したのか、下を向き拳を握り締めて白状した内容が耳から入ってそのまま通り抜けてしまった。
「…………ポエムを消したからぁ!!!グガランナのマテリアルに保存していたポエムをずっと消してたからぁ!皆んなに怒られて追い出されたのぉ!!!」
...詩集のことか?通り過ぎた言葉を咀嚼して出てきた言葉がそれだった。
「はぁ?ポエムぅ?そんなの書いてるの?というかグガランナさんのマテリアルに保存してるってどういう意味なの?」
「容量が一杯だったからぁ!!だからグガランナに保存してたのぉ!!もういいでじょお!!これ以上虐めないでぇ!!」
顔を赤くして泣き始めたプエラ、余程恥ずかしかったのだろう。
まぁいい、これで何となく状況は掴めてきた。
「プエラの言う通り、サーバーから接続が切られた事と敵が襲ってきたのは偶然ということか…ん?」
「そうでしょうか…プエラの悪事が発覚した事と敵の襲来が被ったのでは?」
「誰が悪事よぉ!!」
テッドに向かって吠えたプエラの頭を撫でてやる。目を見開き驚いたようにしたがすぐに私に抱きついてきた。がっしりと背中に腕を回してすぐには離れそうにない。
「偶然にしては出来すぎているな、どう思うテッド」
「僕なら第三者を疑います、この艦体を狙った奴がいるかと」
「誰なんだ、私らを襲って得する奴がいるとは思えない」
「マキナの方には…もしかしたらいるかもしれません」
その可能性は考えていなかった、だがテッドの言う通り筋があるように思える。
プエラのつむじを見ながら考えていると後ろから、私とプエラが入ってきた入り口とは逆の方から何かが潰れながら通路に入ってくる音が聞こえた。プエラに抱きつかれたまま後ろを見やるとクモガエルがまた数匹こちらに入ってこようとしていた。
「テッド!」
「はい!」
また場所を入れ替わり私の前にテッドが出て応戦するが、
「な、ナツメ!ナツメ!挟まれた!」
「なっ?!」
私に抱きついたままプエラが見上げてくる、その向こうにはさっき倒した敵を踏みつけ別のクモガエルが侵入してこようとしていた。
「おいおいおい、テッド!下に!」
「は、はい!」
慌てて下へと降りて行くが判断を間違えてしまっただろうか。一階にも侵入を許してしまえば逃げ場がない、だが、だからと言ってアレの死骸を超えて行けと?それも無理だ、あの生理的嫌悪感を誘発してくる死骸は見ていられない。
階段を降りてすぐ、二階とは違いはっきりとしたライトに照らされた通路にはまだ異常がないように見える。階段を降りて左に行けばエンジンルーム、右に行くとお風呂とさらに奥には開かずの部屋があるだけだ。
「ま、不味くないですか…ここからどうやって体制を立て直せば…」
通路は広いがただの袋小路だ。
「すまん、判断を誤った」
「いいや!ナツメは悪くない!私あんなのをかき分けて通路から出るなんて無理だから!」
「そうは言っても…っ?!!この声まさか!」
慌てて降りてきた階段を見上げるテッド、よく聞くと敵の呻き声がしている。それにあの粘り気のある足音まで...さらには、お風呂の奥にある開かずの部屋、二本の鉄柱のような太い棒でロックされた扉が開き始めた。
✳︎
「ぎゃああぁ?!!!」
「いゃあああ?!!!」
「うわぁぁあ!!!!」
「きゃあああ?!!!」
コアルームから出た途端に悲鳴を上げられてしまった、思わず私も可憐な悲鳴を上げてしまう。そこにいたのはまるで化け物を見る目をした三人、ナツメさんとプエラに、それとテッドさんだった。
すぐにプエラが私だと気づいたようだ、ナツメさんにしがみつきながら声をかけてくる。
「あんた、グガランナじゃない!何よその格好!驚かせないで!」
「はぁ?!あれがグガランナ…なのか?」
「ほぇー…まるで人形みたいですね…」
「あんまりジロジロ見ないでください、この姿はあまり好きではないんです」
テッドさんの言う通り今の私は艦体の操縦に適したマテリアルに変わっている。
「あんたまさか…サーバーから…」
「あら、さすがは司令官と言ったところかしら、よく知っているわね」
プエラの驚く顔を見ながらゆっくりと足を踏み出す、いやこれを足と呼んでいいのかも分からない。鋼鉄の接続端子が床を踏み叩く音が反響した、床にヒビが入らなければいいが...
「お前…手足がないじゃないか…」
そう、ナツメさんの言う通り今の私に手足はない。手も足も先端は丸みを帯びているだけで人間にとって本来あるはずの手首と足首から先がないのだ。
「今の私には必要がありませんから、この手も足も艦体に接続するために取り付けられていません、それに本当のことを言うとこの頭も必要がないものなんです」
私が誰かを認識してもらうためだけに、前のマテリアルから外観を似せて乗せただけの頭部だ。きっと皆んなには、手足が取れた出来の悪い球体関節人形に見えていることだろう。
バランスを取りながら一歩ずつ歩く、足がついていないためバランスを取りにくい。すると、立って見ていたはずのナツメさんとテッドさんが私の両隣に立って支えてくれた。硬くて冷たくて、気味が悪いはずなのに何て優しいのだろうか。
「テッド、胸ばかり見るなよ、これは偽物だ」
「いえ、さっき抱きしめてもらったのでもう胸はいいです、見ているだけでは満足出来なくなりました」
...何の話しをしているの?私の感動を返してくれないかしら。
「私が言うのも何だがな、服ぐらい着たらどうだ?グガランナ、素っ裸じゃないか」
「着る必要がありませんから!人が気にしていることをいちいち言わないでください!」
それにナツメさんこそさっきから胸が丸見えではないか!
「この尻尾みたいなものは何だ?尻尾か、これ」
「それはメインコネクタです!あまり触らないでください!」
「グガランナさん、寒くないですか?」
「寒くありません!」
何なんだこの二人は。コアルームでマテリアルを換装している時は引かれないかと心配していた自分が馬鹿みたいではないか。興味津々といった体で私の心情も憚らずにあれやこれやと質問してくる。
マテリアルが異常を検知したのでその場で立ち止まり、支えてくれていたナツメさんに退いてもらい、壁に手型の接続端子を当てる。すると間もなく体内に侵入してきた異物が階段を降りてきた、すかさず階段上に設置されている防火扉を勢い良く下ろして異物を圧殺させる。断末魔の叫びを上げながら血や内臓を辺り一面に飛び散らせていた。
「うわぁ…惨い…」
「あれ、誰が掃除するんですか…」
痛い事を聞いてくる。けれども今は構っていられない、早くブリッジに行って艦体と接続しなければいけない。
「今は放っておきましょう、申し訳ありませんがブリッジまで支えてくれませんか?」
「あ、あぁお安い御用だ」
「僕達はグガランナさんに甘えてもいいんでしょうか、さっきみたいに倒してもらえるなら御の字ですよ」
甘えてもいいかって...この二人は...
「…先程から気になっていたのですが、私を見て何とも思わないのですか?人の形をしていますが人ではないんですよ?」
こんな...マギールの家の地下で見たあの人形達と同じ姿をしているのだ。気味が悪いはずなのにどうしてこの二人は変わらず接してくれるのか、疑問だった。
「思わない、それにだいたいお前さっき自分の事を人だと言っていただろうに」
「それは言葉の綾です、私は私を人だと思っていません」
「それなら僕達だってグガランナさんを敵だと思っていませんよ」
テッドさんの言葉に何も言い返せずにいると畳み掛けるようにナツメさんが気づかってくれた。
「お前は確かに人ではないが、私達の味方であることは十分に理解しているつもりだ、それにお前がここまでするのはアヤメのためなんだろう?なら、私達もお前に付き合うだけだ」
...このマテリアルを与えられたことに、初めて感謝する事が出来た。たった二人、されど二人。私のことを理解してくれて気づかってくれたのだ。アヤメ以外にも優しい人がいるんだと心から思える事が出来た、それもこれもこのマテリアルがあってこそだ、他の誰でもない私だからこそ、今、この場にいられるのだと、下を向き顔を見せないようにしている間に噛み締めた。
「…それなら、私もお二人に甘えさせていただきます」
「何だ泣いていたのか?マキナは涙脆いんだな」
「ナツメさんがそれ、言いますか」
「待って!!」
プエラの呼び声に三人共歩みを止めて振り返る。怒っているようにも見えて、泣きそうにも見える、何とも不思議な表情をして私達の司令官が立っていた。
「グガランナ!あなた今から何をするのか分かっているの?!下手をすればっ」
そこから先を言わずに押し黙る。きっと彼女は怖いんだろう、私だってそうだ。怖くないはずがない。
「死ぬ、でしょうね」
「?!」
「グガランナさん?!」
「だったらどうして?!」
「アヤメのためだもの、それにあの時とは状況が違う、牛型のマテリアルではなくて私そのものだもの、負ける気がしないわ」
「どういうことだ?さっきから何を言っているんだ?」
ナツメさんに向いて分かりやすいように説明してあげる。
「私達マキナは本来、サーバーの中に存在しています、こうしてマテリアルと呼ばれる体を持って現実に居ること自体が、言うなればおかしなことなんです」
頷き、私の言葉を待っている。
「前にも説明した通り、マキナはエモート・コアとマテリアル・コアの二つを持っています、人間に例えるなら心と体、ただ人間と違うのは心の本体がサーバーにあることです」
「それはつまり…マテリアルが壊れてしまっても存在自体は生き残るという事ですか?」
物分かりが早くて助かる。
「ええそうです、ですが私が今動かしているこのマテリアルはオリジナルと言って、心の本体が無ければ動かないように設定されているのです」
「サーバーからその本体とやらを移したという事か?」
「はいそうです、ですのでこのエモート・コアは一つきり、今の状態で破損してしまえばサーバーにも再接続が出来なくなってしまいます、私達で言うところのリブート、ナツメさん達で言うなら、それは死そのものです」
沈黙が辺りを支配する、私の説明を咀嚼してくれているのだろう、その思案顔を見れば分かる。
「リブートと言うのは?」
「再起動という意味です、破損してしまった心の本体は修復が出来ませんので、プログラム・ガイアが一から作り直して私という存在を再起動させるのです、それは確かに私ですが今の私ではありません」
「…そうだな、それは確かにお前ではない、別の存在だ」
「はい、ですので死の概念と同じようなものだと受け止めてください」
「それならいい、すまないがこのままお前に甘えさせてもらう」
ナツメさんの発言にプエラが驚き、そして軽蔑の眼差しを向けた。彼女の反応は最もだ、死ぬかもしれないと分かっていながら止めようとしないのだ。
「ナツメ?!!本気なの?!!信じられない…ナツメがそんな人だったなんて…」
非難を受けたナツメさんはあっけからんとしていて、ナツメさんの答えに今度はプエラが押し黙ってしまう。
「それが当たり前なんだよ、皆んな一つの命しかない、私もテッドもそうだ、それでも私達は銃を握って他人のために今まで戦ってきたんだ、こんな事を言いたくないが死なないお前達がおかしいんだよ」
「…!」
今度は私の顔を、とても真っ直ぐに見て真摯にお願いをしてくれた。そのお願いが今の私には何よりの力になることは言うまでもないことだった。
「グガランナ、お前に危害が無いように全力で守る、だからこのまま頼まれてくれないか」
「…はい!」
マキナである私を、一番最後に覚醒した私を、臆病で自分の世界に引きこもっていた私を頼りにしてくれたのだ。
(あの時…中層から抜け出して本当に良かった…)
きっと潤んでいるであろう私の瞳を見つめながら、ナツメさんは力強く微笑んでくれている。もし、初めて出会ったのがナツメさんなら私は一体どんな風になっていたのだろうと束の間妄想をしてしまった。その妄想すらも私にとってはご褒美だ。
照れ隠しの意味を込めて私もナツメさんに冗談で応えた。
「…まぁ欲を言えば、今の台詞はアヤメに言ってもらいたかったんですが…」
「こんのくそマキナ!調子に乗るなよ!!」
✳︎
怒ったナツメがグガランナの尻尾を掴んで引き抜こうとしている。それを慌てて止めに入るテッド...意味が分からない。何故この人達はそんなに平気でいられるのか、理解が出来ない。
「やめ、やめてください!それが壊れてしまったら私はただの人形になってしまうんですよ!ナツメさん!」
「もう!ナツメさん!冗談が過ぎますよ!」
三人の楽しそうにしているやり取りをどこか遠くにある映像のように眺めていた。
死を、目前にしていながらどうしてそこまで笑うことが出来るのか、私が最も恐れていることだ。それにナツメが言った言葉に思い知られてしまいさっきから体の震えが、奥底から湧き上がってくる得体の知れないものに翻弄されている。ナツメも一つの命しかない、いつかきっと彼女も...
私の心を見透かしたように、じゃれあいをやめてグガランナが私に笑いかけてきた。
「心配しないでプエラ、元より死ぬつもりなんてこれっぽちもないわ、それにこの状況は二度目だもの、慣れているわ」
それでもだ、私は納得出来ない。
「どうして?怖くないの?」
私は怖い。
「ええ、私にも会いたい人がいるもの、今なら彼女の事が少しだけ分かるような気がするわ」
「さてはお前…ストーカーだな?」
「茶化さないでください!」
彼女とは、きっとアヤメの事だろう。私の知らない間に何かあったのかな...グガランナの確かな意思を感じてもう何も言えることがなくなってしまった。
「分かった…気をつけてね、グガランナ…」
「ありがとうプエラ、さぁ行きましょうか、防火扉を開けるので潰し損ねた敵を始末してください」
「テッド」
「はい!」
グガランナの合図と共に敵を押し潰していた扉が上がり、向こうから現れた半端な敵を容赦なくテッドが撃っていく。体の半分を扉に挟まれてしまい、生きているのか死んでいるのか分からない、グロい状態で敵はもがいていたようだ。
銃の火薬くさい匂いを嗅ぎながら三人の後を追う。グロい死体を踏み越えようとした時、バランスを崩してしまってそのままぁ?!!!
「あっぶないなぁ、しっかりしろ」
...し、死体に顔からダイブする寸前にナツメが私を受け止めてくれた。
「あ、ありがとう…」
「テッド、一人でいけるか?私はこいつの面倒を見るよ」
「いえあの、出来れば二人っきりは避けたいと言いますか…さすがに男の人に体を触られているのは…」
「ここで?!ここで人見知りを発動するんですか?!ずっと支えていたではありませんか!」
グガランナが挙動不審になる。さっきまでの強気は何処へやら、いつものグガランナがそこにいたので少しだけ落ち着くことが出来た。
30.b
[本当にいいの?どうして止めなかったの]
[グガランナが決めた事だから]
[何それ?そんなんでいいの?あんたにとってもグガランナは大事なはずよね]
しつこいな。
[そんなに嫌ならプエラが止めればいいでしょ]
[はぁ…もういいわよ、あんたって意外と薄情なのね]
[はぁ?何でそうなるの?]
[はいはい、皆んなには黙っておいてあげるから、もうすぐそっちに着くわ]
そう言ってプエラからの通信が切れる。
(何なんだ、まったく…)
「もうこっちに来るのか?早くしないと不味いことになるぞ」
「言われなくても分かってるよそれぐらい!!!」
つい、普段は滅多にしない八つ当たりをマギールにしてしまった。面食らったように驚いた顔をしている。
「お前さん…本当に人間臭くなったな、舌打ちの次は八つ当たりとは…何があったんだ」
「何でも…ごめん…」
上層の街を離れる前にタイタニスとした会話の内容を思い出す。わたしに割り当てられたマテリアル・ポッドがないと言ってきたタイタニスは事もあろうに...
(アマンナ、お前はただの穀潰しだ、この街で、いいやこのテンペスト・シリンダーで一番遊び惚けているのはお前だ、早く何でもいいから仕事を見つけろ)
「ふざけるなぁぁあ!!!」
「?!!」
思い出し笑いならぬ思い出し怒りだ。何だ?何でそんな事まで言われなくてはならないんだ?穀潰しって...言うに事欠いて穀潰しって...
タイタニスとの会話ではっきりと、わたしはグガランナ達とは違う事が分かってしまった。マキナでありながら、わたしにはオリジナルがないという事になる。けど、ガイア・サーバーにはログイン出来ているし、それにこのマテリアルもきちんと使えているのだ。自分という存在が揺らいでしまっているのに、タイタニスにあんな事を言われたのだ。怒って当然だろう。
「悩みがあるなら…聞こうか、アマンナよ」
「仕事ちょうだい」
「…………はっ」
この...
「もう一度……言ってくれんか、仕事?あのアマンナが…遊ぶことしか頭にないあのアマンナが仕事が欲しいと言ったのか?」
「もういい」
「今の言葉をグガランナにも聞かせてやれ、泣いて喜ぶぞ」
アホなことばかり言うマギールを無視する。
そのグガランナがオリジナル・マテリアルを起動すると言った時は、心配よりも...羨ましいと思ってしまった。いいなって、自分のすべき事があるのって何だかいいなって思った。
かたやわたしには何も無い。無いんだ、やるべき役割というものが、どうしてマキナなのに何も無いのか。
心がもやもやしたまま考え込んでいると、直通エレベーターが開きオリジナル・マテリアルに換装したグガランナとその仲間達が入ってきた。
わたしに少しだけ視線を寄越した後、プエラが独占していたメイン・コンソールに座った。どうして艦長席ではなくコンソールと言うのか、ナツメに聞かれた事があったが今から起こることを見れば分かるだろう。
「グガランナ・マテリアル、起動」
涼やかに宣言されたその言葉は主の帰還。そして天の牛が目覚める言葉。そして誇らしげにわたしを見るその目は!
「バーカ!グガランナのバーカバーカ!一人で調子に乗るな!」
ーアマンナ!こんな時にまで!いいわ!そこで見ていなさい!ー
お先に失礼と言わんばかり!こんなことでアヤメに褒めてもらえると思うなよ!
「なっ!」
「コンソールが動きましたよ?!」
二人の声を合図にしたようにコンソールと同期したグガランナが下へと収納されていく。そこでグガランナのオリジナル・マテリアルは艦体と全体同期を果たして一体のグラナトゥム・マキナになる。本来の主を迎え入れた艦体の心臓が高らかにその祝砲を上げる。甲高く、そして力強く唸るエンジンが素早く天の牛を空中へと持ち上げていく。
「なんと!これがこの艦体の…何と心地の良いエンジン音か…」
マギールが感動している、ナツメとテッドは言葉も出てこないようだ。面白くなさそうにしているのはわたしとプエラだけ。
手足が翼となり頭が艦体の目の役割を果たし、オリジナル・マテリアルそのものが心臓となったグガランナにしてみれば、いくら二百メートル級だろうと動かすのは造作もないはずだ。というか、これが本来のグガランナなんだ。グガランナというグラナトゥム・マキナのあるべき姿。
「分かった?これがグガランナだよ」
「コンソールと言っていたのは…」
「グガランナさんが…合体するために…」
うーん?ちょっと違うような...
「合体じゃなくて同期、シンクロ、コンソールは艦体の目に繋げるため、下に降りたのはエンジンに繋げるため」
「はっ、ということはこれがグガランナの…かっ、」
「本当の…姿?…かっ、」
二人は視線を合わせてまるで子供のように顔を輝かせた。
「かっこいい!!」
「かっこいい!!」
ーふふ、気に入ってもらえたようで何よりですー
わたしは気に入らなかったのでテッドのお尻を叩いた。プエラもわたしと同じだったようでナツメのお尻を叩いている。
「痛い!」
「こらっ!」
「なーにがかっこいいよ!誰のおかげでこの街までやって来れたと思ってるのよ!鼻の下を伸ばすなんてだらしない!」
「ぼさっとする暇があるなら銃の用意をしなよ!艦内にまだ敵が残ってるんだよ!」
「何なんだお前らは…」
お尻をさすりながら恨みがましく見てくる二人とさらに調子に乗るグガランナ。
ーアマンナ、嫉妬はいけないわ、いくら私がかっこいいからと言って、そんなはしたないことはやめなさいなー
「うっさい!自惚れる暇があらなら早くスーちゃんに出撃してもらいなよ!今のうちに艦体に取り付いた虫を落とさせて!」
ーちっー
舌打ち?あのグガランナが舌打ちしたのか?随分と気が大きくなったものだ、後で折檻してやろう、説教だけでは気が済まない。
エンジン音がその激しさを増してぐんぐんと艦体のスピードが上がっていく、そして艦内に向けてグガランナがアホな事を言ってきた。
ースーちゃんに頼らなくても私が何とかしてみせるわ、皆んな何かに捕まって、今から曲芸飛行をして虫を落としてやるわー
「なっ?!」
「はぁ?!」
「「曲芸飛行!!」」
わたしとプエラは驚き、ナツメとテッドはテンションが高すぎるのかさらに目を輝かせてゆにぞんしている。
[わ、私の出番は…]
スーちゃんの蚊の鳴くような声が聞こえた同時に艦体が大きく傾いでいく、本気でやるつもりか!
「ストーップストーップ!!グガランナやめて!」
「気にするなグガランナ!拗ねてるアマンナなんか無視してやってしまえ!!」
「拗ねてないもん!拗ねてないもん!!」
わたしの叫びは艦体のロール回転と共に巻き込まれて誰にも届かなかったようだ。地面から揺らぐ感じがしたかと思えば、頭と足がひっくり返り何かに掴む暇もなくあらぬ方向へと体ごと飛ばされてしまった。
気がついた時にはナツメの胸が目の前にあり、テッドとプエラは合体しているようだ、愛する二人のように抱きしめ合っている。マギールはどんな手品を使ったのか、元いた場所に中腰で立っているではないか。
「き、鍛え方がなっとらんなお前さんら!」
誰もそんな事聞いていない。
ーあらかた片付いたかしら…あらアマンナ、あなた随分とナツメさんと仲良くなったのね、アヤメにもちゃんと言っておかないとー
まだ調子に乗っているグガランナの言葉を聞きながら、突如として襲ってきた敵の脅威から切り抜けた安心感と共にナツメの胸に再び顔を埋めた。
「ん?」
「こら、くすぐったいぞアマンナ」
そう言えば...外の敵は何とかなったが...
[いやぁ?!何?!何でこんな所に?!た、助けてください!どなたか!どなたでもいいので気持ち悪い敵を、いゃぁぁあ!!!ひっつかないでぇ!!!!]
スーちゃんの叫び声を皆んなして、遠い目をしながら聞いていた。
30.c
[ティアマト、もう少しで下層に到着するわ]
[そう分かったわ、連絡ありがとう]
[…?珍しいわね、あなたがそんなお礼を言うなんて]
動揺が声に出てしまったようだ。
[そうかしら]
[まぁいいわ、また後で連絡するわね]
不味い、不味いったら不味い。もうすぐグガランナ達が下層に到着してしまう、こっちは何にも問題が片付いていないというのに。
アヤメの体調は万全だ、頭の大怪我も完治したと言っていい。私のマテリアルに搭載してある治療用ポッドに繋がれたアヤメは今、仮想世界でテンペスト・シリンダーの建設現場へと来ている。治療している間に私や、他のマキナ達がどうやって誕生したのか知っておいてほしかったから。それに彼女にはマギリについても説明しなければいけなかったので、それならいっそ治療中はとくにやる事もないので仮想世界へと飛ばして、両方ともやってしまおうと思ったのが裏目に出てしまった...
そんな私の心もつゆ知らずに笑顔を向けてくるアヤメ。
「どんな所か楽しみですね!」
「はい」
私もそつなく笑顔を返す。
今は電車に揺られて建設現場に向かっている最中だ。私とアヤメ、それに引率の教授とマギリ、後は学生が二名程の計六名で皆んな仲良くつり革を掴んで流れていく景色を眺めている。窓から見える景色は工場地帯だろうか、大きな建物ばかりで見飽きてしまった。私が構築した世界なのにまるで他人事のように景色を眺めているのは何だかおかしい。真正面に立つ女の子は緑色の髪を二つに下げて、丸型の眼鏡をかけた地味な風貌だ...地味かな?胸を大きくし過ぎたかな...いいや地味だ。いつものお気に入りの髪ではなく、外観を丸ごと変えたのはこの課外学習に潜り込むためだったが、よくよく考えてみればマギリ以外は私の素性を知らないのだ、無駄な労力だったかと後悔するが今更遅い。
工場地帯を抜けて暫く民家や商業施設の間を走る。斜めを向いて景色を見ていると窓ガラス越しに引率の教授と目が合い、向こうから視線を外されてしまった。
(?)
今、明らかに私を見ていたような...気のせいだろうか...ここの住人は基本的に意思を持たない。当たり前のように会話をしているが、決められた台詞でしかない。アヤメの近くには限りなく意思を持たせた住人を配置しているが場面が変われば消えてしまう存在だ。それなのにあの教授は...
隣でアヤメとマギリが仲良く話しているのを、教授に注意を向けながらも聞いていた。
「ね、これが終わったらさどこか遊びに行かない?滅多にこっちまで来ないからどこか行きたいよ」
「えー帰ったらレポートでしょう、今日のはすっごい多いから来週に間に合わないんじゃないかなぁ」
つり革を両手で掴み踏ん張りながら答えている、何と真面目な事か。その勤勉さはこの世界では評価されないことにどこか申し訳なく思ってしまう。対照的にマギリは適当だ、ここがどんな所か知っているからこその発言だろうが、アヤメと遊ぶことしか頭に無いらしい。
「えぇーそんなのいいよー遊びに行こうよーどうせ誰も見てないんだから」
いやそれはその通りなんだが少しは彼女を見習え。二人の会話に教授が口を挟んできたことに心底驚いてしまった。
「マギリさん、見学前から補習しますか?一応、今回の課外学習は必修単位に入っているのですよ」
「あー何かそんなこと言ってたね」
頬をかきながら明後日の方向を見ている。そんなマギリをまだ怒り足りないのか教授が睨め付けている...誰だこの人は?少なくとも私の世界の住人ではない。
(まさか…他のマキナが?でもどうして…)
会話に割って入る、そんな事はこの世界では有り得ない、そもそもそんな不確定要素を取り入れるはずがない。ここの世界には何万人単位のデータがあるのだ。その一つ一つに他人の会話に割って入るなど、決める事すら不可能な会話の内容を私が作れるはずもなく、必然的にアヤメやマギリのように意思を持ったデータ、もしくは人間である事が確定したのだ。
(誰?こんな事をして何のためになるの?)
さらに教授に注意を向けながら電車が目的の駅に到着するのを待った。
◇
降り立った駅から既に建設途中の土台を見上げることが出来る。駅名が書かれた看板越しには何本も伸びている重機のアームが見えているし、建物の間からは馬鹿みたいに大きいスポットライトも見える。とくに特徴的なのが、マギリも騒いでいるがあの人型機であろう。
「見てあれ!かっこいいーねぇ!」
指を指しながら飛び跳ねている、近くで一緒に見ていた教授が窘めていた。
「マギリさん、ここは駅のホームですよ、周りの人に迷惑にならないように」
(この人案外面倒見がいいのかもしれない)
建設現場を横目に見ながら改札口に続く階段を降りて行く。エスカレーターに乗っている間アヤメに声をかけられた。
「人型機の操縦経験はありますか?私達は来年に実習があって今猛勉強中なんですよ」
「…そうなんですね、意外と簡単ですよ、マニュアルの車の方が難しいくらい」
微笑みながらそつなく答えた...つもりなのにアヤメの視線は私に釘付けだ。何かおかしな事を言っただろうか。
「はぇー凄い!人型機を操縦して簡単だなんて、それに車の免許も持っているんですか?」
「なになに?何の話ししてるの?」
車はただの例えなので免許なんか持っていない、車を運転するマキナってどうなんだ。マギリが会話に入ってきたので私はそのまま口をつぐんで離脱しようかと思ったが、さらに私に話題を振ってくる。
「人型機の操縦ってどんな感じなんですか?確か操縦…こん?が二つあるんですよね」
「こんじゃなくてかん、だよ、操縦桿」
間違えたアヤメの脇腹をつつきながら、私への質問を代わりに答えている。こいつ本当にアヤメのことが好きだな。
エスカレーターを降りて、作業服やらフライトスーツを着た人がやたらと多い通りを歩き改札口を目指す。もうここから建設現場の人達が占領してしまっているようだ、現場関係者が目立つ。
「…確かに二つ付いていますが機体がアシストしてくれるのでそんなには…車のオートマ操作だと思えば」
「車運転したことないから分かんない」
「私も」
改札口を抜けて駅前の繁華街をさらに歩いて建設現場へと向かう。古い雑居ビルの真上を一機の人型機が飛行していく、その肩にはケーブルのような黒い紐を担いで建設途中の土台に張り付いた。他の人型機にケーブルを渡して地上からスポットライトを引き上げている。
「えぇーまた付けるんですかライトーあれ眩しいんですけど」
「しょうがないよ」
「あなた達ね、少しは緊張間を持って見なさい、簡単に見られるものではないですよ」
まただ、また会話に割り込んできた。
今度は教授が先頭に立ち私達を先導する。駅前の建物が途切れ、開けた広い空間に出た。左を見ても右を見ても端っこが見えない、大きく湾曲した建設中の土台が目前にあった。土台の..十分の一?くらいだろうか、とにかくあれには何か意味があるのかと疑問に思える程小さいゲート前に数え切れない程の車やダンプカー、さらに見たことがない重機や待機している人型機がごまんと駐機されていた。
(こんな風になっていたのね…)
自分が作った仮想世界だが、ここまできちんと見たのは初めてだ。彼女らに混じって私も少なからず感動していた。
このままあのゲートに向かうのかと思ったが、教授は土台を右手に見ながら歩く方向を変えていた。
「あれ?あっちじゃないんですか?」
「建設現場の事務所はこっちよ、先に挨拶をしておかないと」
そう言う教授の後を五人連れ立ってぞろぞろと歩いて行く。
着いたのは駅前の雑居ビルとは違いこ綺麗な建物だ、一階はガラス貼りで中が見えている。とても事務所には見えない。重いガラス製の扉をアヤメと一緒に開けて中に入る、中が見えていたと思っていたが、あのガラスは目隠しの役割を持っていたのだろう。踏み応えのある玄関マットの先にはテンペスト・シリンダーや人型機の模型、さらには使用されている重機のレプリカがズラリと並んでいた。
「あれ?あれれ?さっき外から見た時こんなの無かったよね…?」
「ほんとだね、プライバシーガラスなのかな」
驚く二人を他所に事務所の関係者が私達に声をかけてきた。声がした方を見やると赤い髪を綺麗に梳かした長髪の女が背筋を正して、まるで執事のような出立と振る舞いで私達を出迎えた。
「お待ちしておりました、皆様方の見学を担当させていただく者です、どうかお見知りおきを」
「よ、よろしくお願いします」
「…執事とかかっこいいね…」
頭を下げながらも変わらないマギリ。かけらも緊張間を持たないのはいっそ清々しい。
この執事が現れた時点で全ての合点がいった。
(まぁいいわ…もう少し私も楽しみましょう)
女執事に案内されるまま、まずは一階エントランスに置かれた模型やらを見学しようという流れになった。入り口から順番に見て回るようで早速テンペスト・シリンダーの模型の前に立つ、確かアヤメに通わせている大学にも似たような物があったはずだ。
「こちらが今建造が進められているテンペスト・シリンダーの全景模型です、一階を下層、二階を上層と呼びここが私達人間が住む居住区となっております」
よく通る少し低い声でつらつらと説明している。格好もあってか、段々とこいつが男に見えてきた。いや、厳密に言えばマキナに男も女も無い、マテリアルの身体的特徴かあとは自己申告によるものでしか性別の区別はされないのだ。
黙って聞いていたアヤメが勢いよく手を上げた。慌ててマギリが止めている。
「あ、アヤメ!これは講義じゃないんだから真面目に手を上げなくても!」
小声で注意するがもう遅い、執事が耳まで真っ赤にさせたアヤメに質問を促している。
「ご質問があればなんなりと」
「あ、あの!テンペスト・シリンダーは二層だけですか?もう一層ありませんでしたか?」
...おや、と思った。アヤメは記憶を失っていたはずだ。それなのにテンペスト・シリンダーが三層に別れていることを知っている。これはどういう事だ?
女執事も咄嗟のことに答えられずにいる。
「………へ、変なことを言いましたか?」
「どうして…そう思われたのですか、貴方の質問の意図に興味があります」
「意図…私もよく分からないのですが、この模型を見ていると違和感を感じるんです、私達が住んでいる場所が足りないって、実際に足りていないですよね?」
...まるで見てきたかのような言い方ね。いやまぁ実際彼女はあそこで暮らしていたわけなんだけども。
執事も返答に困ってしまったようだ、チラリと自分の上司に視線を寄越しているのが見えた。執事の代わりに教授がアヤメを窘める。
「アヤメさん、あまり困らせないように」
「す、すみません…」
「すみません!私からもアヤメに言っておきますので!」
「信用ならない」
「えぇー…」
勝手に保護者面をして勝手に落ち込んだマギリを他所に、次の模型へと足を進める。
「続いてご紹介させていただくのはこちらの人型機、正式な名前は…そちらのお嬢さんはご存知ですか?」
いきなり私を指名してきたので焦ってしまった。マギリやアヤメ達が私を見ている、それも熱い視線で。
「…はい、人型機の正式名称は、特殊災害対応型戦闘機、です」
「おぉ」
「凄い…」
目を輝かせる二人を見て少し照れ臭くなってしまう、注目を浴びるのも悪くないわね。
「ん?戦闘機?こいつは戦うんですか?」
「いいえ、戦闘機と名前に付いているのは名残です」
少し間が空いてから、
「あぁ、もしかして戦闘機ってあの飛行機のことですか?」
「仰る通りです、今となっては飛行型機と区別されていますが各国の空軍や、この国では航空自衛隊が所有している飛行戦闘機のことです、それを基として人型機が開発されましたので、名前を一つ頂戴しているのです」
「はぇー」
「詳しいんですね、執事さん」
アヤメの立場を弁えていない褒め言葉に、執事は動揺...いやあいつ照れてるな。
「…………は、いえ、恐縮です、それに私は執事では…」
「…え?」
「あ、アヤメっ、この人が詳しいのは当たり前でしょっ、現場関係者なんだよっ」
「あっ」
顔を赤くしてまた俯いてしまった...この子は本当に優しいのね、あのグカランナがご執心になるのも肯けるわ。初めて会ったのに遠慮なく褒めてくるなんて、そうそう出来ることではない。褒められたあいつもまんざらではなさそうだ。
「お褒めに預かり光栄です、アヤメさん」
「いえ…すみません、生意気な事を言ってしまって…」
アヤメにトドメを刺しにいく、本人は悪気はないんだろうが。
人型機を後にして建設に使われている特殊機材や重機の説明に入った、私は暫く人型機をその場で眺める。
模型サイズは実寸ではないが、本物なら二階建ての建物ぐらいだろうか、その頭部にはカメラが二つとアンテナ類、それに吸気口に小さな鳥や動物達の侵入を防ぐために超音波を発する設備が取り付けられている。さながら中世時代の甲冑にも見えるがもう少しスマートだ。胸部にはパイロットの操縦席のハッチ、ここからでは背中は見えないが多種多様な装備を換装できるように大きな円形状のドッキングスペースがある。救助活動に使うポッドから物資を詰め込んだコンテナ、さらには攻撃用のミサイルポッドまで背中に取り付ける装備の種類は様々だ。二本の腕には、人間の手を模した精密作業を行える五本の指がきちんとある。腰にはよく分からない二枚の板切れが付いているが...あぁあれは翼の代わりか。主翼か尾翼かは分からないが飛行中の機体制御を行うためのものだろう。脚部はとくに変わったところはないが、あるとすれば足の形が人とは違うところだ、人でいうところの土踏まずがない。爪先と踵しかなくその間は空洞になっている、どんな場所にでも立てるように工夫されているのだろう。
「あら」
つい眺めすぎてしまったようだ。私以外に誰もいなくなってしまった。慌てて奥へと向かうとそこにはエレベーター前に執事が立っていた。片手で扉を押さえて乗りやすいようにしてくれている。
「もう他の皆様は応接室に向かわれました」
「ありがとう」
お礼を言ってエレベーターに乗り込む、踏んでいるのに音が鳴らない絨毯だ。私の知らないデータを使ってこのエレベーター内を豪華に仕立てたようだ。執事も乗り込む、扉が締まりボタンも何も操作していないのにそのまま動き出してしまった。
「久しぶりね、ハデス、その姿よく似合っているわ」
30.d
「やはりお前だったのかティアマト、その姿は何だ?」
口調もがらりと変わっていつも通りだ。
「潜入調査中だもの、これぐらいはしないとね」
「自分の仮想世界に潜入するって…それはどうなんだ?」
「あら、余計な事をしてくれた本人がそれを言うの?このエレベーターは確かに素敵だと思うけど」
「私ではない、ただの使いだ」
「変わらないわね」
私の言葉に顔をしかめている。世間話はこれぐらいにして本題を切り出そう、グカランナ達がもうすぐ着いてしまうのだ。
「ハデス、今すぐにアヤメの記憶を元通りに
しなさい」
「聞いていなかったのか?私ではないと言ってはずだ」
「なら、あの教授にお願いすればいいのかしら、今から会わせてくれるのよね?」
何も答えない。代わりに行き先不明の表示板を見上げている。
無言で過ごし、しびれを切らした頃に音もなくエレベーターが止まった。扉が開いた先は何も見えない、真っ暗闇だ。意味が分からず言葉を発することも忘れてしまう。
「すまないがここでお前にはこの世界から退場してもらう」
「は?」
「ここから先はあいつが仕切るんだそうだ、私も詳しくは知らないがな」
そう言いながら私の腕を掴みエレベーターから出そうとする。
「ふざけないで!こんな暗い空間に!誰が出るもんですか!」
「怖いのか?」
口角を歪めたように釣り上げ笑っている。
こいつは怖くないとでもいうのか。
「光も届かないこんな場所…まるで…」
「あぁ、死後の世界みたいだ、まぁ私は怖くないがな、安らかにさえ見えるよ」
驚愕。理解不能。ハデスの言った言葉が納得はもちろん理解すら出来ない。
「お前は自分の役割と存在意義があるんだ、それを失ってしまうのが怖いんだろうが、生憎私には何も無い、初めから無の存在だ」
「それとこれとは!嫌!!離してぇ!!!」
掴んでいた腕に力が込められて無理矢理にでも追い出そうとする。信じられない、同じマキナにこんな事をされるのが何よりも信じられない!
「案ずるな、怖いのは死ぬ前だけだ」
「ふざけないでぇ!!嫌ぁ!!誰かぁ!!」
しゃにむにになって暴れる、とにかく入り口前から離れたかった。体が震え、心臓が冷たい何かに鷲掴みにされてしまったようだ、一歩ずつ前へと歩かされる、恐怖で胸がすくみ、耳元でハデスの笑う声が聞こえてくる。
「お前もそんな声を出すんだな、テンペスト・ガイアの言った通りだ、自己の消失が何よりの恐怖だと奴は言っていたが...さらばだ、また会おう」
その言葉と共に暗闇の中に突き飛ばされてしまった。
◇
勢いよく意識を覚醒させる。恐怖から逃げるために、いいや自己の意識を取り戻すために。
「はぁはぁ…こ、ここは…」
私の視界に映っているのは開かなくなってしまった、ティアマトと刻印されたマテリアル・ポッドの扉だ。あの時、グカランナを追いかけて起動させた時はマテリアルが不在である事を示す赤色のランプが刻印横に灯っていたが、今は消灯してしまっている。あの女の言う通り、私のポッドは凍結されてしまっているのだ。
「あのくそ女が…」
汚い言葉がつい出てしまった。だが無理もない、殺されかけたのだ。厳密にマキナには死の概念は無い、さっきの暗闇は私を仮想世界からログアウトさせるための演出にすぎなかった。そうとは知らずに醜態を晒してしまったが、あの時に感じた恐怖は本物だった。
死の概念が無いからといっても、死を想う恐怖は厳然とある。ハデスも言っていたが自己の消失、二度と目覚めることのない眠り、それを想うだけで体に濁流のように恐怖が駆け巡り、動かずにいられなくなってしまう。意味の無い行動だが私は死から逃げていると解釈している。思うがままにナノ・ジュエルで作られた翼を払うと何かに当たった。
ーいったぁ…急に動かないでちょうだい!痛いでしょう!ー
後ろを見やるとグカランナ・マテリアルが私にその大きなお尻を向けているではないか。いつの間に...というか、
「グカランナ、その大きすぎるお尻を向けるのはやめて」
ーその言い方やめて、仕方ないでしょう!こうでもしないとあなたをコアルームに収納出来ないのよ!ー
[あ、あのぉ…よろしくお願いします…?]
お尻の横からひょっこりと人型機が顔を出している、しかも喋りながら。
私が仮想世界にログインしている間に何が起きたのか...いや、グカランナ達が下層に到着して物言わぬ置物と化した私を先にコアルームに入れようとしていたのか。さっきまでの暗い気分は何処へやら、彼女達の行動のおかげで気分転換出来たことに感謝しつつも減らず口ばかり叩いてしまう。
「大丈夫なのかしら、久しぶりに起動したんだもの、変な臭いがしなければいいけど」
ースイちゃん!そこの女を撃ってちょうだい!人の心配を何だと思っているのかしら!ー
[え、えぇ…]
「大丈夫よ、一人で入れるから、さっさと肛門を開けなさいな」
ー言い方!!!!ー
◇
グカランナのコアルームに収納され、修復用ポッドに繋がれる。これで当分はエネルギーやナノ・ジュエルに困らずにすみそうだ。
今にしてみれば随分と長い間テンペスト・シリンダーを彷徨っていたような気がする、中層を目指して抜け出したグカランナを追いかけたのがきっかけだ。その追いかけた相手のお尻から入って助けられるのは良いのか悪いのか判断出来ないが。
私の竜型のマテリアルの前に、グカランナ達が既に待機していた、見たことがない二人もいるのであれが人間だろう。いくらか緊張した声を出して歓迎する。
「ようこそ、私のマテリアルに、名前はティアマトよ」
「そういうのいいから早く開けなさい!」
「なっ?!せっかくの登場シーンよ?!台無しにするのはやめてちょうだい!」
「いいから!早く!開けて!アヤメが中にいるでしょう!!」
私のお腹をドンドンと叩く、そこまでして彼女に会いたいのか、いやそりゃ会いたいか。
はぁと心の中で溜息をつきながらハッチを開ける、すぐさまグカランナとアマンナが中に駆け込みずんずんと登ってくる。ティアマトの高さは人型機より二回り程大きい、三階建てくらいの高さだろうか。三階に私が同期しているコンソールがあり、二階はアヤメを治療しているポッドがある。一階はまぁ、エントラスみたいなものだから何もない。今ちょうど一階から二階へ猛ダッシュで二人が駆け上がっているところだ。
「行くかぁ…」
気が重い。
寝そべるように同期させていたオリジナルのマテリアルを起こし、えっちらおっちらと歩みを進める。足がないので歩きにくい、すると階段下から凄い勢いで誰かが登ってくる音が聞こえてきた。誰?!
「ティアマト!!あぁ良かった、無事だったのね…」
「グカランナ…」
階段を登って来たのはグカランナだった、その瞳を涙で薄らと濡らして、私に微笑みかけてくる。
「あなた…アヤメの所に行ったんじゃないの?」
「少しだけ様子を見てきたわ、それにあなたもことも心配だったから」
「…そう」
きっと私にきちんと顔が付いていたなら涙を流していただろうがでも残念。マネキンのよなのっぺらぼうになっているから流せる涙もない。けれど、手型の接続端子が震えているのが分かりどうしたことかと自分でも分からなかったが、
「もう大丈夫よ、あなたのマテリアルは私が守るから、怖がらないで」
そう言って私の頭を抱えてくれたではないか。柔らかい胸に頭を押し付けられてまた減らず口を叩こうかと思ったが、代わりに嗚咽が漏れてしまった。恥ずかしい、こんな醜態を晒す事が。でも、震える手はグカランナの抱擁を求めひたすら安心を、温かい光を貪欲に欲した。
...怖かった、怖かったのだ。あのエレベーターから見えた景色が、心にへばりついたように残っていた景色がグカランナの抱擁と共に薄らいでいく。
「…落ち着いたら、きちんと説明をしてね、今度は絶対に逃がさないから」
......................忘れていた。アヤメの事や、色んな事を説明しないといけないことを。少し身動いでみるが全く腕が外れようとしない。これはロックされたしまった...あぁそうかグカランナが真っ先に私の所に来たのは逃がさないためか。
「アヤメはね、今、現実世界の記憶を失ってしまっているの、理由は分からない、けど犯人はテンペスト・ガイアなのは分かっているわ、このままだとアヤメはこっちに戻ってこれない、だからグガランナ、あなたの力を貸してちょおおおおお?!!!!!痛い痛い痛い痛いってば!!!やめなさい!!!」
首が取れるかと思った...見上げたグカランナの笑顔のなんと頼もしいことか。
「任せなさいティアマト、私達が取り戻してみせるわ」
その前にあなたのお仕置きねと、耳朶に残る甘い声を聞いて背筋が凍ったことは言うまでもなかった...