第三話 不気味な街の食料庫
3.a
落ちてきた階層の探索を始めて三度目の限界を迎えた。もう無理だ、体の痛みは引いたが空腹と喉の渇きには勝てない。
そもそも人間には生理的欲求に勝てる強さなど備わっていないはずだ、それなのに私は二度も勝ったのだ、褒めてほしい。
知ってか知らずか、私について来たビーストがまるで慰めるように身を寄せて来た。
「ありがとう、大丈夫だよ」
全然ダメだけど、気づかってくれるだけで気力が溢れてくるなんて。私のお腹あたりに寄せてきたビーストの頭を撫で返す。冷たくて硬いが今となっては心強い。
ビーストの下で二度寝をした後、私は街の探索をすることにした。弾丸の装填すらできなくなってしまった相棒をお守り代わりにして、探索を始めてからこの街に対する印象が変わった。最初は冷たくも綺麗な街だと思っていたが今となってはとても不気味だ、人がいなくなってから随分と時間が経っているにも関わらずこの街にはゴミらしいものも、塵一つとしてありはしない。まるで誰かが街全体を掃除しているかのようだ。
昔使われていた建物もどこか凝った造りをしているように思える。玄関先には小さな石でできたアーチ状のものが必ずといっていい程付いており、少し大きめの建物には人を形取った像が、私達を見下ろすように配置されている。実用性のないところに資源を使えるだなんて、昔の人達はよほど裕福な暮らしをしていたのだろうか。
拠点として決めていた広場に戻った途端、その場に座り込んでしまった。石を円形状に組んだ囲いの中には何もなく、その中央には何故建っているのか分からないビーストに似た牙を持つ、顔の周りが毛で覆われた像がある。あんなものを作るぐらいなら非常食の一つでも作ってくれていたほうがマシだと恨みながら睨みつける。
もう限界だ、一歩も動けそうにない。お腹と背中と、私のお尻と広場の石畳がくっついてしまった。
起きてから、一度も声を出さなくなったビーストが、しきりと大きな角でつつく。
「ごめんね、もう動けそうにないや…せっかくついてきてもらったのに…」
このビーストは本当に優しい。動かなくなってしまった小さなビーストを尻目に私についてきたのだ。最初は戸惑いはしたが、一緒なら他のビーストに襲われることもないだろうと好きにさせていた。途中何度か、角でつつかれたが構ってほしかったのか、時折可愛らしい仕草もしていた。
「もう…いいよ、あの子のところに戻って、私は動けないからここで横になっているよ」
座っているだけでもしんどくなってきたので、気づかわしげに揺らぐ草色の瞳に見つめられながら硬い石畳に体を横たえた。
✳︎
もどかしい!こんなにもコミュニケーションが取れないことがもどかしいなんて!言葉が通じないからとスキンシップで何とか伝えようとしたのが悪かったのか、彼女はさっきから何度も食料庫の前を行ったり来たりしている。
逃げ出す時に更新しておいたメインシャフト内のマップによれば、すぐそこに自動生成してくれる食料庫があるというのに!角でつついたり彼女の細くてもしっかりとした腕を口で咥えて教えようとしても、微笑みながら頭を撫でてくれるだけで私の意図を分かってくれない(頭を撫でられた感触はアマンナには教えないでおこう)。
挙句の果てには、体力の限界にきているにも関わらず私を思って気づかってくれた。何もできない私自身がもどかしい。
ふと、アマンナからのコール音が鳴った。思わず取ってしまった。
[やっと繋がった、さっきから何やってんの?同じ所をぐるぐると、道に迷ってるの?]
[そんな訳ないでしょう、彼女に食料庫の場所を教えたいのだけど言葉が通じないからどうしようかと悩んでいるのよ]
[グガランナが取ってくれば?]
[…]
[グガランナが取ってくれば?]
[無視したわけじゃないから、同じことを二度も言わないでちょうだい]
彼女に場所を教えることばかりに気を取られてしまっていたのでその考えが思い浮かばず、アマンナに指摘されたのが悔しかったので黙ってしまった。
[わたしを置いて抜け駆けしたくせに何やってんの?その人は大丈夫なの?]
[今私の前で横になっているわ、もう動けないって…]
[ばかぁ!何やってるのさ!わたしまだその人に頭も撫でてもらってないのに!]
[な、何のことかしら、私だって頭を撫でてもらったことなんて一度も…]
[そんなことどうでもいいよ!今その人を助けられるのはグガランナだけなんだよ?しっかりして!]
アマンナの言葉に我に返る、そうだ、彼女を助けられるのは私しかいない。噴水広場からすぐ近くにある銅像が立った食料庫へ目掛けて勢いよく走っていく。
もしかしたらまた、頭を撫でてくれるかもしれないと期待を込めながら。
✳︎
まだ、生きていた…。けれど今度は背中が痛い。痛いというか、地面と擦れているのだ。
(…動いてるの?地面が…?)
いや違う、何かに引きずられているのだ。気を失っていた間に何があったのか、首回りも何だか苦しい。
「あだだだだ!痛い、痛い!」
今度は強烈な痛みが背中に走った、見てみれば階段がそこにある、これは痛いはずだ。
上を見てみればすっかり見慣れてしまったビーストの顔がある。私の服を咥えている、引きずっていたのはこの優しいビーストだった。
「何?どうしたの?」
立ち上がりなら聞いてみれば、ビーストは私の後ろに回り込み、痛む背中ごと前へと押し出してくる。
「ん?こっちに何かあるの?」
像が配置された建物が目の前にあり、さっき見た時は閉まっていた扉が開いている。中は真っ暗で何も見えないが、これなら探索できそうだ。
「もしかして扉を開けてくれたの?でも、どうやって、さっきはびくともしなかったのに…」
そこまで言いかけて中から漂ってくる匂いに気づいた、気づいた時にはもう動かないと思っていた足が勢いよく前に出ていた。
✳︎
もう、これでもかというぐらいに頭を撫でまわされた。頭だけでなく、身体も足も至るところを彼女は撫でてくれた。頭から尻尾にかけて甘い、とろけるような感覚が走ってエモート・コアがエラーを出した時にようやく彼女は落ち着いた。
食料庫の扉をハッキングして開け放ち、彼女を誘導してからはあっという間だった。階段で痛めた背中で顔をしかめた時は、嫌われたと身をすくめたが食べ物の匂いに気づいたのか、一目散に建物の中に走っていった。中の様子を見てみれば彼女は一心不乱に水を飲み、梱包されて味付けされた非常食を両手に頬張っていた。
噴水のように荒く破かれた袋が彼女の周りにできた時、食べる手を休めそのまま私に抱きついてきた。ありがとう、という彼女はとても朗らかで、空色の瞳にうっすらと涙を留めていた。
[いやーずるいなー、グガランナだけずるいなーいいなー]
拗ねるアマンナを無視しながら私は彼女を見やる。空腹が満たされたのか、今はゆっくりと建物内を観察している。
私も食料庫に入るのは初めてだが今はどうでもいい、彼女のことしか目に映らない。
「ねぇ、ここってこの街の人達の食料…庫?お店なのかな、たっくさんあるけど」
「ajwwtg,tjkkamw」
「何言ってるかやっぱり分かんないや。ここって食料庫なんだよね?」
通じた、嬉しさのあまりに少し強めに角でつついてみた。
「違うの?ってことはお店なんだ、昔の人は随分と殺風景なところで食事してたんだね」
違う!食料庫で合ってるのに余計なことをして彼女を勘違いさせてしまった。
[ねぇやっぱりグガランナってばかだよね、角でつついてどうするのさ]
アマンナにまた馬鹿呼ばわりされてしまった。
[静かにして、通信を切るわよ?]
[ばーかグガランナぁー、やーいやーい、私を置いて一人で良い思いをするか──]
切った。どうせ後でけたたましくコール音が鳴るので放っておこう。
だが、食料庫の探索を終え、建物を出る時になっても彼女からコール音が鳴ることはなかった。
3.b
グガランナに通信を切られてからしばらく経った、造ってもらったこのマテリアルもエネルギーが完全になくなってしまったので一歩も動けない。
倒れていた人が起き上がり街へ探索に行くと言い出したので、グガランナもわたしが動けるようにエネルギーを探してくると一緒について行った。人間は元気だ、一度倒れたのにまた動き始めるだなんて思わなかった。
わたしの身体に押しつぶされた草や小さな花が、風に揺られてさわさわと動いているのが見える。
わたしやグガランナは、二つのコアで造られている。一つはエモート・コア、意識や記憶といった内部で働くコアを指し、エネルギーの量に関係なく作動してくれる。もう一つはマテリアル・コア、外部に装着されるコアでいろんな形状に変化できる、らしい。今のわたしはグガランナと一緒で子牛だ。
あれ?でもエネルギーがないのにどうしてエモート・コアは動いているんだろう、グガランナに説明を受けたけどつまらない話だったから忘れてしまった。
意識はあるのに身体が動かせない、さっきから揺れている草や花も感触が伝わってこないから面白くない。
(ひまだなぁ…)
グガランナにコールしても、さっきイジりすぎたせいでまだ怒ってるだろうから取ってくれないだろうし本当にやることがない。
そうだ、どうせならわたしも睡眠を取ってみよう。身体が動かせないならエモート・コアを起動していても意味がない。
あれ、でもどうやったら睡眠を取れるんだろう。試しにエモート・コアを切ってみよう、そうすれば眠れるかもしれない。
✳︎
さっきからべったりくっついて離れなくなったビーストが、今度は急かすように私の服を口で引っ張った。爆発や落下の衝撃にも耐えたジャケットが、ビーストに引っ張られて今にも千切れてしまいそうだ。
「ど、どうしたの急に?落ち着いて、服が破れちゃう」
すぐに服を離してくれた、食料庫を出てから色々と街を探索している間にどうやら言葉だけは通じているのが分かった。一方的だけど、私が話しかけたらちゃんと反応してくれる。今度は私の手を咥えて引っ張っていこうとしている。
「もしかして何か見つけたの?それとも何かあった?」
「dmwtw,wtjaa!」
「よく分からないけど、ついて行けばいいんだよね?」
ビーストは手を離し、私の前へと歩き出す。
街を眺めならしばらく後ろをついて行く。さっきは生きるか死ぬかの瀬戸際で、食料以外に全く興味が湧かなかった。満たされたお腹と一緒に落ち着いて観察してみれば、やっぱりこの街には無駄が多い。
少し登り坂になった通りに出る、道を挟んで所狭しと家が並びお互い二階にあるベランダに紐をとおしてある、何だか洗濯物がよく乾きそうな光景だ。もしかして昔の人は頭が良かったのではと考えていた時に坂を登り終えた。
ビーストが立ち止まった前には、私が見てきた建物の中で一番立派なものだった。
✳︎
どうしてここにマテリアル調整ポッドがあるのか分からない、私以外の誰かが造ったのだろうか。けれど今は疑問を解消している暇はない。
図書館に偽造されたこの建物内には、アマンナを回復させることができるポッドがある。彼女を連れて歩きながらマッピングしてこの建物を発見した時と、アマンナのエモート・コアの反応が失くなったのがほぼ同時だったので一瞬パニックになりかけた。エモート・コアの反応が消失してしまうのは一大事だ、エネルギー切れを起こして動けなくなってしまうのとでは比べものにもならない。
もしかしてと、思った矢先にコール音が鳴った。もちろんアマンナからではない。
[プログラム・ガイアよりメッセージを受諾、宛先はグガランナ、メッセージを開きますか?]
[後にしてちょうだい。それよりもここにある調整ポッドは使えるのかしら?]
[問題ありません。ティアマトがフリーに設定していますのでご自由にどうぞ]
ティアマトが?彼女がこの建物とポッドを造ったということ?疑問だらけだが、使えるのならそれでいい。
自動対応型AIによるアナウンスでここのポッドが使えることと、私が下層から逃げ出した間に溜まっていたメッセージの数が分かった。
[アマンナのマテリアルをここに運びたいわ、手を貸してちょうだい]
[それはできません、運搬に使用できるマテリアルとエネルギー量が足りません]
[なっ?!]
…ここまで運んでこいというのかあの子を?
入り口近くには興味深くあたりを見回す彼女がいる。私は綺麗に磨かれた大理石の床にひっついた足を、重たく感じた。
3.c
慌てて引き返していくビーストについて行く。この建物に入ってからずっと草色の瞳が点滅していたのでどうしたのかと心配していたが、急に動き出したので少し驚いた。
「大丈夫?何かあったの?」
今までなら尻尾を揺らしたり頭を寄せてきたりと反応してくれていたが、そのまま私の前を素通りしていく。これは何かあったのかと思うが言葉が通じないので分からない。
ビーストは登ってきた坂を降り、頭の良い人達が考えた通りを抜けて拠点にしていた広場も足早に過ぎていく。ただ私はビーストを追う。
もう一体の動かなくなってしまったビーストがいる泉まで戻ってきた、そして縮こまったビーストの頭をがぶりと食べた。
「ちょちょ!何やってるの?!」
急いでビーストを止める、おっかなびっくり覗きこんでみればとくに壊れた様子はない、そしてそのままずるずると、食料庫前の私のように引きずろうとしている。
「この子を連れて行くの?さっきのところ?」
ビーストは反応してくれない、無視だ。さっきはあんなに仲良く接してくれたのに、態度がガラッと変わったことに腹を立てて怒ってしまった。
「いい加減無視はやめてよ!傷つくでしょ!」
びくっと身体を震わせ咥えていた頭を落とした、今初めて気づいたかのような態度にまた腹を立てる。
「この子をさっきのところへ連れて行けばいいんだよね?!私も手伝うから!」
そう言って私は倒れたままの小さい前足を引っ張る。意外と動いた、思っていたより軽いことに驚いたが頭に血が上っていたので気にはならなかった。
それからビーストの態度がまた変わって、今度はしきりに私の周りを行ったり来たりするようになった。少し立ち止まって休憩している時は手の甲や太腿あたりを舐めるようになり、気づかってくれているのは分かったが無視した、さっきのお返しだ。
坂道の前まで来たときはさすがにヘトヘトだった。最初は軽いと思ったこの子も今は重たくて仕方がない。けど、あと少しだ。
最後の力を振り絞って、建物の中に入った瞬間、私はそのまま倒れこんだ。
3.d
錆だらけの階段を踵を踏みつけながら登る。一段登るたびに上がる悲鳴を聞けば、少しは心が落ち着くかと思ったがそんなことはなかった。
登りきった階段から見える街並みは、どの建物からも煙があがり沈む太陽の光を浴びて赤く染まる。まるで街全体が燃えているかのようだ、そこでようやく一息つけることができた。
アヤメが行方不明になって丸一日、誰もあいつを悼むこともなく当たり前のように時間が過ぎていく。いつものことだ、ビーストとの戦いは犠牲無しではやっていられない。誰が居なくなったのだと、気にする者はいない。それが今回アヤメだったということだけだ、だが、それが気に食わない。どれだけあいつに助けられてきたのか、まるで分かっていない。今、詰所から聞こえる隊員の呑気な笑い声もあいつの犠牲があってのものだというのに、誰もそれを分かろうとしない。
「隊長?何やってるんですかそんなところで」
小さな悲鳴を上げながら階段を登ってきた、副隊長の声で我に返る。今は軍帽も脱いで、ラフな格好に変わっている。だが、いくら作戦中ではないといえ、男がタイツを履くのか?
「お前、そんな格好でよく夜這いされたことを愚痴れたな、誘っているのかその足」
「これはレギンスです!タイツじゃありませんよ!」
「違いが分からん」
「というか僕の話やっぱり聞こえてたんですね?!どうして無視するんですか!」
バレたか、めんどくさいからだ。
「めんどくさいからだ」
「えぇ…そんな直球に言わなくても…」
心の声がそのまま出てしまったがどうでもいい。私の言葉に一喜一憂する様は面白いが、今はそんな気分ではない。
「すまないがお前のほうからクソ共を労ってくれ、そのほうが喜ぶだろう」
「あの隊長、疲れてます?さっきから心の声がだだ漏れですよ?」
そんな風に思っていたんですねと、テッドが若干引いてる。
私の横をすり抜け先に詰所へ入ろうとする、建て付けが悪いのか、この扉はすぐには開かない。ドアノブと格闘しているテッドに、私はにやけた顔で訂正する。
「言っておくが、クソ共の中にお前は入っていないからな?よくやってくれているよ」
すると、ドアノブを見たままみるみると顔から耳たぶまで赤くなっていく。ようやくこちらに顔を向けて私を見るや、
「な、なんですかその顔は!また僕のことをイジって!落として上げてイジるのはやめて下さいよ!」
「私は素直に言ったまでだ、そこまで言われる筋合いはない」
もうばかにして!と怒りながら詰所に入っていった、丁寧に扉を閉めて。
奴をからかえば少しは気分が晴れるかと思ったが、苛立ちまぎれに踏み叩いた階段とたいして変わらなかった。
…気分は最悪だ、それもこれも…誰が悪いんだ、私か?指示を聞かなかったアヤメなのか、それとも銃を持つことと女を抱くことしか頭にないやつらなのか?
胸の中にくすぶる重い気分も、この街と一緒に燃えてしまえばいいと思った。