TRACK 48
ヒアー・ザ・ユニバース
沈みゆく太陽の光がビルの街を照らしている。ビルの片方を赤く染め、もう片方に影を落としている。
アマンナは強く息を吸い込んだ、生まれて初めて訪れた人の街は随分と煙臭かった、けれどここは何の匂いもしない。
彼女はつまらないと思い、背後に控えていたヴァルヴエンド軍の関係者へ振り返った。
「ノラリスをプラネット・ロックした、これでもう動けないよ」
赤い光を存分に浴びている関係者が目を細めながら「ご苦労だった」と、アマンナを労った。眩しいんならグラサンでもかけたら?とは言わず、アマンナは代わりに「そんなにノラリスが怖いの?」と訊ねていた。
「特別個体機対策としてハッキング防止を施しているんでしょ?」
「インターシップは未知数の領域が多い、作戦を成功させる上で不確定要素を潰す事は当然の行ないである」
「あっそ」自分で訊いておきながら、アマンナは興味が無さそうににべもない返事を返した。
仮想会議室にいるのは二人だけだ、アマンナと軍の関係者、それ以外は誰もいない。
今回の会議室はヴァルヴエンドの主都だ、アマンナたちは街並みを見下ろせる位置にいた。
あ、やっぱり眩しかったらしい、目を細めていた男性が懐からサングラスを取り出した。「未知数と言えば──」と、口にしながらそれをかけた。
「君も十分未知数だ」
「どこが?」アマンナが両手を大きく広げておどけてみせた。
「三六機存在する特別個体機の中で初めて心焉まで辿り着いた、その跡を追うようにして世界各地でも同様に心焉システムを解放する者たちが現れた。君はそれらの機体を引き連れマリーン内へ赴き、ドゥクスの指揮下に入った。──かと思えば、今はマリーンに対して敵対行動を取っている」
サングラスをかけたのも束の間、ヴァルヴエンドの主都を照らしていた太陽が地平線に没し、赤い光が弱まった。
「君の目的は何だ?」
「何だと思う?」
「答える気は無いということか」
「私が未知ってんなら、スカイダンサーの父親はどうなるの?あれこそ未知の塊ってもんでしょ。ドゥクスがヴァルヴエンドから持ち出したガーデン・セルの技術を使って魂を電子化、ガイア・サーバーへ放流して、その後どうなった?プロメテウス・ガイアと接触してたよね」
「…………」
「あらら黙り。ま、私には関係ないけどね──さっきの答えだけど…」そこで一旦言葉を区切り、アマンナがもったいをつけた。
「何だ?」
「プラネット・アローンに例外は無い」
「それはどういう──」何か思い当たる節があるのか、男性もそこで言葉を区切った。
「まさか君は…」
「この為に私は監視衛星を作ったの、気付いたところで止められないしもう遅い。私にライアネットを任せたあなたたちが悪い」
太陽が没し、辺りが薄暗くなってきた。仮想投影されたビルの群れに明かりが灯り、空の端が濃い紫色になっている。
男性から見てアマンナの顔は良く見えない、良く見えないが不敵な笑みをしていることだけは見て取れた。
そこに、天真爛漫だった彼女の面影はどこにもなかった。
*
ライラ:大丈夫?!
ライラ:怪我は?!
ライラ:ノラリスは?!
ライラ:(´Д` )
ライラ:怒ってるのは分かってるけど返事して!
コクピットの中で唯一明かりを放っているのは持ち込んだ携帯だけ、それ以外はシャットダウンされたままだ。
原因は不明だ、何故ノラリスが沈黙してしまったのか。
「プラネット・ロックって…多分これのせいだよね」
ナディはコンソールに表示されたステータスを見やった。
(空調は効いてる、それに海面に浮かんでるみたいだし…)
エアコンディショナーの微かな駆動音が耳に伝わり、波に揺られて機体も微かに動いている。どうやら兵器としての機能を失っただけで、パイロットの生命維持装置まで死んだわけではなさそうだ。日々の確認業務の賜物である、マジ感謝。
とか言っている場合ではなく、せっかくホワイトウォールを越えられたというのにここに来て戦う力を失ってしまった。無気力感に苛まれ、必然と頭も下がってしまう。
速度調整ペダルに乗せているこの足は何の為にある?機体操作用操縦桿を握るこの手は何の為にある?
無気力感から来る絶望に似た不安と焦燥が心に忍び寄り、彼女に暗い影を落とした。
ナディはホルダーにセットしていた携帯を手に取り、ライラへメッセージを返した。
ナディ:無事
洪水のようにライラからメッセージがやって来た。
ライラ:すぐに返事して!
ライラ:離婚を突き付けられた時より行きた心地がしなかった!
ライラ:現在位置は分かる?!
ライラ:私たちの船が見える?!
ライラ:すぐに救助隊を出すから待ってて!
ナディ:敵は?救助してる暇なんてあるの?
秒で既読が付き、それから返事がすぐに返って来なかった。
レイヴンのブリッジにて、指が真っ白になるまで携帯を握り締めているライラは、通信用モニターへ殺気に満ちた視線を送っていた。
その相手はオリジンのグガランナである。
「救助すべきではないって…それ正気で言っていますか?」
殺気をぶつけられてもグガランナは平然としていた。
「ええ、その時間的余裕は無いわ、このまま進軍すべきよ。──それに、今の今まで黙っていたけど、マリーン内の酸素濃度が低下し始めている」
その報告は寝耳に水で、ライラもさすがに驚きを隠せなかった。
「そんなっ──ガイア・サーバーの機能が停止したから…?」
「おそらくは。あるいは、こちら側を降伏させるための工作活動の結果によるものかもしれない。どちらにせよ、私たちに許された時間は残り少ないわ。──あなたが決めてちょうだい、ハワイの代表者として、進軍を続けるか敵の要求を受け入れるか」
「…………」
ライラは握り締めていた携帯の画面へ視線を落とす。自動スリープに切り替わっており、画面は真っ暗だった。
通信用モニターが分割され、ナツメが二人の会話に割って入って来た。
「艦長、南北からそれぞれ部隊が進行中だ、直に衝突する、私たちの援護でも捌き切れないぞ。早く決断を──「分かってるわよそんな事ぐらいっ!!」
判断を急かされたライラは怒りに任せ、ナツメに向かって怒鳴り声を上げた。
最愛の人をここで見捨てる?ハワイの為にナディを見捨てろと?
そんな判断できるわけがない、けれど、いやでも...
さすがの鉄の理性でもこの選択肢だけは即断で選べない。
彼女の顔に苦渋の色が滲む。
ライラからのメッセージを待っていたナディは返事を諦め、ホルダーに携帯を戻した。
外の空気を吸いたかったナディはコクピットハッチの開閉ボタンを探した。本来ならコンソールからワンタップで作動するが、今はそれができない。
(あ、あったあった)
コンソール下にあった物理ボタンを押す。思った通りハッチが圧縮空気と共に解放され、外の空気がコクピット内に入ってきた。
パイロットシートから立ち上がり外へ向かう。そこは上も下も黒に覆われた世界で、波の反射すら見ることができなかった。
ナディはヘルメットを脱いだ、そして大きく息を吸う。
(ん?何だか息苦しいな…──あれは)
空の端に小さな明かりの群れを見つけた、きっとキラの山を占拠している本隊の部隊だろう、このままでは挟み撃ちにあってしまう。
おそらくレイヴンの艦長は自分を助けるかこのまま進軍するか、その判断を迫られているはずだ。
外に出て少しはマシになるかと思ったが重たい胸の内は変わらず、ナディは溜め息を吐き、その場に腰を下ろした。
ああ、いつだったかな、前にもこうして腰を下ろして、自分の無力感に打ちひしがれていた時があった。
結局自分は何もできない、スカイダンサーと褒められ讃えられようが、いざという時はこうして何もできずにじっとしているだけ。
(マリーンの為…皆んなの為…そう思ってやってきたけど、無駄だったのかな…始めから向こうの要求を飲んでいればオーディンちゃんたちも…)
感情は思考に大きく作用する。ナディは絶望に似た不安に支配され、思考もどんどん悪い方へ悪い方へと向かっていった。
ここまでやって来た事が全部無駄だった、という考えに思考までもが絶望に染まりかけていた。
「……──ん?」
視界の隅で何かが動いたような気がした。
「あれ…何?」
いや実際動いている、波に揺られて平べったい何かがゆらゆらしている。何ならその何かがこっちに向かって来ているではないか。
(何かの漂流物かな…いやでも波に逆らってる?)
そう、波に揺られてこっちに向かっているのではなく、明らかな意志があってこっちに向かって来ている。
それがすぐに目の前にやって来た。平べったいと思っていた何かは、どうやらレイヴンの船体上部に設置された船外発着場のようであった。
広さもレイヴンと同様、違うのは発着場に円形のスリットが刻まれている所だ、きっと船内へ通じている機体専用の昇降機か何かだろう。
つまり、これは潜水艦という事になる。
ナディはコクピットへ引き返し、ホルダーから携帯を取った。
ナディ:潜水艦っぽい
ライラ:は?
ライラ:文脈って言葉知ってる?
ライラ:いきなりそんな事言われてもわけ分かんない
ナディ:なんか、目の前に潜水艦っぽいのが現れた、もしかしたらノラリスの母船かも
ライラ:(o_o)!
ライラ:ガチか!
ナディ:乗ってみないと分かんないけど、ノラリスを復帰させられるかもしれない
ライラ:待って!一人で乗らないで!
それからややあって、
ライラ:ラハムをそっちに向かわせたから!
ナディ:えーまさかの同行者がラハムとか身の危険を感じるんですが
ライラ:我慢して!
ナディ:ラハムと浮気するかもしれない
ライラ:離婚されるぐらいならそっちの方がマシ!
「いやそこまで言うの?」と、ナディがちょっとだけ微笑んだ。
その後、そう時間をかけずにポラリスがナディの傍まで降りてきた、というかノラリスの母船っぽい発着場に直接着陸した。
「──ナディさ〜〜〜ん!!!!」
ポラリスから降りてきたかと思えばラハムは走り出し、ナディは熱い抱擁を受けたのであった。
*
第四次AI懸念事項案として認定された本作戦の指揮を務めるカロン・マカロンは、エラム級空母艦のブリッジにいた。
左手にはキラの山が聳え、右手には人の営みを灯したビルの明かりがある。マカロンはブリッジからそれらの景色を眺めている。
(まるで異星の街だ…)
え、ここって地球だよね?念のためこめかみのスイッチをタップする、視界に変化は無い、うん、あの街並みは現実の物だ。
世界の天井から投げかけられるオレンジの光りと相まり、マリーンの街並みはどこか非現実味を帯びている、映画の撮影用にセットされた模型だと言われた方がまだ信じられるというもの。
マカロンはブリッジの外から視線を外し、キラの山へ視線を向けた。
作戦は順調に推移していると言って良い、マリーン内の酸素濃度を心理的抑圧が発生するまで低下させている。市民らがこの事実に気付き、事態を悪化させているハワイの首脳陣たちへ抗議するのも時間の問題だ。
組織、あるいは国家を壊すのはいつも外敵ではない、味方だ。内側からの軋轢に耐えかねた為政者は必ず外の者に助けを求める。
(パーフェクトだ、大きな損害を出さずに作戦を完了させることができるだろう──だが、予定に狂いは付き物)
そら見ろ、余裕ぶっこいて異国の景色を堪能している所へ下士官がこちらに駆けて来たではないか。顔色が悪い、きっと悪い報せに違いない。
「──艦長!」
「待ちたまえ」
マカロンはブリッジ内に設置されているドリンクサーバーからコーヒーをドリップし、まずはカップに一口付けてから続きを促した。
挽きたての豆の香りが鼻から抜けていく。
「──何かね」
マカロンはもう一口含み、
「ノウティリスの母艦と思しき反応を捉えました!」
さすがに予想の斜め上過ぎてマカロンはコーヒーを口から吹いた。
◇
口から溢したコーヒーを拭き拭きした後、マカロンはアマンナとの連絡役になっている情報官へ連絡を取った。
「どういう事だ、プラネット・ロックは発動されたはずだ、それがどうして母艦が動けている」
マカロンの網膜には情報官の男性が映し出されている。予想外の出来事にしょげていることを表しているのか、通信用ウインドウが通常の半分くらい縮こまっている。
「私にも…ただ、アマンナはプラネット・アローンに例外は無い、と」
「例外は無い?インターシップも特別個体機と同様だと言いたいのか?」
「ええ、おそらくは」
マカロンはさらに士官たちを艦内のミーティングルームに呼び出していた。皆、眉間にしわを寄せてマカロンを見守っている。
「インターシップにも解放フェーズが存在するという事か…」
「アマンナの目的はノウティリスの心焉システムを解放する事でしょう、であれば今回の謎の行動に説明が付きます」
(あれを完全独立させるというのか?──一体どうなっている、何故こうも次から次へと特別個体機がライアネットから独立していくのか…ウルフラグの差し金か…?)
現在判明しているだけで、ウルフラグが製造した特別独立個体総解決機の三六機の内、心焉に至った機体はアマンナと共にマリーンへ赴いた四機を含めて一〇機になる。
一〇機だ。ヴァルヴエンドの制御下に入らず、各テンペスト・シリンダーへ好き勝手に介入できる機体が一〇機も存在する事になる。そこへさらに母艦までもが心焉フェーズに達したとなれば...
(めちゃヤバいな、これ。この事項案がどうとかではなく)
マカロンは通信を切り、固唾を飲んで待っていた士官たちへ告げた。
「ノウティリスの母艦を破壊する」
「破壊してもよろしいのですか?ウルフラグが黙っているとは思えませんが…」
「構わない、どのみち秘密裏に製造していた密造艦だ、壊されたところで向こうも訴えるだけの正当な言い分は無い」
「現地人の部隊はどうしますか?もう間も無くこの空域に到着するはずです」
「降伏勧告の後、従わないようであれば排除しろ。勧告を受け入れた場合は保護しろ、我々は殺戮者ではない」
「了解しました。直ちに部隊を出動させます」
「油断はするな、動けないとは言え何を仕掛けて来るか分からない未知数の船だ」
ミーティングルームに参集していた士官たちがそれぞれ散って行った。
*
まず、船外発着場から中へ進入できる人用のハッチを探し出し、ナディはラハムと共に(ガッチリとホールドされながら)侵入した。
梯子を下りた先は暗かった。おそらく船内の気圧を外へ逃さない為の気密ハブだろうが、薄暗いせいで良く分からない。
「広いのか狭いのか良く分からないね」
「明かりがあれば十分観察できるのですが──わ」ラハムがそう口にした途端、ぱっと明かりが点いた。
「音声入力なのでしょうか…びっくりしました」
「ここってなに、ホテルか何かなの?」
ちょー豪華だった、ホテルのエントランスのように立派な装いが施されている、何だか潜水艦っぽくない、金属製の梯子が浮いているように見えるぐらいだ。
広さはワンルームの部屋二つ分ぐらい、円型をしており、ちょうど二人の前に木彫り細工が施された扉があった。
「ノラリスの母艦って一度だけ見たことあるけど、デカい割にはここは小さいね」
「人用なのではありませんか?あまり使用されていたように見受けられませんが…」
「可哀想に…来客が無かったって事はノラリスはぼっちだったんだね」
「いえそういう事ではないと思いますけど。先へ進みましょう」
二人は危機的な状況である事も忘れ、未知の潜水艦を前にわくわくしながら奥へと進んで行く。
「ここって潜水艦だよね?」とナディが言う。これで三度目だ。
そしてラハムも三度目の「そのはずです」と口にした。
扉を抜けた先は階段だった。乳白色に縁取りされた真紅の絨毯が敷き詰められ、階段の手すりには複雑な細工があった。基本の材質はオーク、そこへ彫り細工が行なわれ、別の材質が嵌め込まれていた。ラハム曰く、この技法は『象嵌細工』と呼ばれるものらしい。
その細工は階段を下りた先、船内廊下の至る所にも施されており、二人は潜水艦の中であることを忘れて見入りながら歩いた。
最初に見つけた扉を開いた先は、豪華なエントランスや廊下と違って無機質かつ質素な個室だった。簡易ベッドが一つにスチールデスクが一つ、独居房みたいな感じ。
さらに奥へと進み、お次はレストランみたいな所に出た、それもちょー一流ホテルのラウンジのような、お水一杯頼んだだけで一週間分の食費が飛びそうな、とにかくそんな豪華な感じに仕上がっている部屋だった。ここって潜水艦だよね?
やっぱりノラリスはぼっちだったのか、テーブルは一つだけ、その左右には廊下にあった物と同じ象嵌細工が施された食器棚があり、その中にはぴかぴかと光る食器類が置かれていた。売ったら高そう。
さらにさらに奥へと進み、今度は博物館のような所に出た。ここって潜水艦だよね?壁には絵画が飾られ、床に並べられているガラスケースには化石、標本、それから謎にプラスチック製のプラモデルが置かれていた。
そして、その博物館のような部屋から出て、二人は廊下の途中にあったパブリックスペースにいた。
そのスペースには外の景色を眺められる大きな舷窓が二つ設置されており、二人は真っ暗な海を見るともなしに見ていた。
「随分と豪華な潜水艦ですね…まるでホテルに来たかのような…」
「ね。あと、趣味全開って感じ、なんか男の子の家に来た気分」
「あ、それ何となく分かります!勝手に触ったら後で怒られるやつですね!」
「そうそう。──何て言ってる場合じゃない、ブリッジを探そう」
船内探索ももう飽きた。
好奇心を満たした二人は何も見えない(環境によっては見応えのある景色を提供してくれそうな)舷窓から離れ、ブリッジを目指して先へと進んだ。
◇
ブリッジはすぐに見つかった。
入室した時は暗かったが、ナディが「暗い!」と一言叫ぶと、エントランスと同様にぱっと明かりが点いた。
「まだ船の真ん中くらいだよね?それなのにブリッジなの?」
「設計思想が分からないので何とも言えませんが…この船を作った技術者たちはラハムたちとは違う思想を持っているようですね」
「見たまんまのコメントありがとう」
「──どうやら三階層に分けられているようですね…ここがマスターコンソールでしょうか…」
ブリッジの入り口、と言えば良いだろうか、入室した先はバルコニーのようになっており、その左右に上下階へ続く階段がある。二人はブリッジ・バルコニーに設置された大型のコンソール前にいた。そのコンソールにはノラリスの機体同様、『Planet Lock』と表示されている。
「マスターコンソールっぽいけど…UIがどこにも無いね、ただのモニターなんじゃない?」
「他に操作できる場所があるのでしょうか」
「探してみよう」
二人はマスターコンソールの前から離れ、ブリッジ・バルコニーの階段からそれぞれ上下階へ分かれた。
ナディはラハムに下の階を任せ階段を上る。そこは湾曲した管制エリアになっており、マリーンではお目にかかれない変わった形をした管制席が計八つあった。
席の両側にキーボードタイプのUIがそれぞれ一つずつ、ヘッドレストには二つのスピーカーと一本のアームが伸びている。そして足元には謎にペダルが二つ付いていた。
(まるでコクピットだな…この席が操舵を担当する──わけじゃなさそう)ナディは隣の席を見やり、その席の足元にもペダルがあることを確認した。
管制官にとって大事な外部出力のコンソール類がどこにも無い、席の前は窪んだ壁があるだけ。試しに管制席に座ってみるが、何も変化は無かった。
管制席から立ち上がり上の階をぐるりと回ったところで、下の階から「ナディさ〜〜〜ん!」と呼ぶ声が届いて来た。
何かを見つけたようだ。
*
ホワイトウォールを越え、キラの山を目指して進軍していたレイヴン部隊の前に本隊の部隊がついにやって来た。
左手にはレイヴンが守り、そして発展へ導いたウルフラグの街がある。人工灯に彩られた故郷は眩い明かりをライラたちの元へ届けている。
その方角からヴァルヴエンド軍の部隊が進軍を開始していた。こちらを威嚇しているのか、機体の誘導灯の明瞭を最大限にまで引き上げている、小さな無数の星が迫って来ているように見えていた。
ライラは手にしていた携帯からナディの電話番号をタップする。
繋がらない!
「何でよ!!──ハワイにいるマキナたちに連絡を!急ぎラハムに取り継ぐように依頼して!」
それからそう時間をかけずに管制官から報告が上がった。
「ラハムとも連絡が取れないそうです!」
「はあ〜〜〜?!──あのクソ船が電波を遮断してるのか…Shit!」
「それと艦長、テンペスト・ガイアがお話したい事があると…」
「こんな時に?──いい、繋いで!」
艦長席のコンソールにテンペス・ガイアが現れた。
「このような時に申し訳ありません、手短にお話します。報告したい事が二つ、まず一つ目はマリーン内の酸素濃度に著しい低下が見られました」
ライラは一瞬だけ頭の中が真っ白になった、そこまでするのかという敵に対する激しい怒りと、もう一刻の猶予もない焦りが胸の内に去来した。
それでもライラは言葉を発した。
「──市民たちに影響は?」
「今のところ身体的な異常を発している人はいません。ですが、精神的に疲弊している人が殆どです。マイヤーさんが市民たちの抗議を何とか納めていますが…」
「分かった。二つ目は?」
「元新都方面にあった教会から通信が入りました。その相手はプログラム・ガイアです」
「だから何なの?それ今言う必要があるの?」
「その…」テンペストが言葉を迷わせた。
「ええと、プログラム・ガイアがあなたに会いたいと…そう言っています」
「私に?何故?」
「その、伝えたい事があるとかで…申し訳ありません、私たちも彼女の言い分をきちんと把握しているわけではなくて…こんな事は初めてだったので」
「──その子、ガイア・サーバーを統括している管理者よね?電波が遮断されている状態でも連絡を取ることができるか確認して、必要であれば保護もしてちょうだい」
「分かりました、すぐに」
「最後に私から、オーディンとディアボロスが殉死しました、私たちの為に道を開いてくれたのです」
「その件についてはこちらも既に把握しています。艦長、殉死という表現は不適切かと、我々はマキナです」
「いいえ、適した表現です、出来れば失いたくなかった程に優れた人たちでした」
「オーディンたちにとってその言葉は最大限の労いになる事でしょう。感謝致します、艦長」
通信を切った直後、今度はナツメから。
「艦長、いつまで待つことはできないぞ。進軍か撤退か、早期に指示を出してほしい」
「分かっています、ですが船内に侵入したパイロットたちと連絡が取れません」
ナツメが画面の向こうで「かあ〜!」とオッサン臭く悪態をつき、「無計画に突入させるから…」と今さらながらの事を言った。
「あの船はノラリスの母艦と思しき物です、もしかしたらノラリスを復帰させられるかもしれません」
「何故稼働を停止した?」
「原因は分かっていません、訊ねようにもあの船は外からの電波を遮断しているみたいで連絡が取れないのです。今、テンペスト・ガイアに打開策を講じさせている所です、彼女たちが戻って来るまでこの空域を守ってください」
「仕方がない、了解した」
敵が押し寄せて来るまでまだいくらか時間がある、ライラはその間にかねてから疑問に思っていた事をナツメに訊ねた。
「何故ここまで協力するのですか?あなたたちの任務は達成されたはずですよね、ここに侵入して来たウィルスはもう影も形も無い、それなのに何故?」
ナツメの返答はこうだった。
「君は自分の国は好きか?」
「え?まあ、はい。それが何か?」
「私は自分の故郷が好きではなかった、常に誰かに支配され、常に他人の為に誰かの命が失われていくような所だった。それも一重にたった一人の人間に支配を委ねてしまったせいだ。確かに自由と幸福の和が死に繋がることもあるだろう、不自由と不幸の和が生存に繋がることもある──だが、結局の所、その生存も誰かの犠牲があって成り立つものなんだ」
「誰かの支配を受けた国…でも結局の所それは…」
私たちハワイも変わらない、とライラは言いたかった。いくら二つの国が合併したとは言え、複数の権力者に分かれているとは言え、支配層と被支配層の構図は変わらない。
ナツメはライラの言い分を加味した上でこう締め括った。
「だが君たちは国の存続の為ではない、その国に住む人たちの為に政治を行なってきた。この違いはとても大きい、私はそれを知っている、だから今日まで協力してきた」
「でもいずれ、ここから出て行ってしまうのでしょう?」
「そうだな、今の状況が落ち着いたらここを去ることになる」
「そうですか…あなたような人が去ってしまうのはとても残念な事です」
「褒め言葉として受け止めておくよ」
敵部隊はすぐそこにまで迫っている、もう間も無く敵の射程に収まることだろう。
ライラは意識を切り替え、指示を出した。
「ろくでなしの男たちは敵部隊の対処をお願いします「──ん?!「それって僕たちのこと?「戦前に言葉責めとは!やはり鉄の女王は一味違う!「それからレイヴンのパイロットはキラの山へ向かってルーターの排除を「え?この状況で分散させるの?「今ならキラ周辺の防御も手薄なはず、この好奇を逃す手はありません。最後にオリジンのパイロットたちはろくでなしの援護をお願いします「ああ、了解した、私たちが後ろから掘ってやろう」
セバスチャンの「いやもうそれ経験済みなんですが」という言葉は誰の耳にも届かず、それぞれが分かれて戦闘行動に入った。
ライラの読みでは、こちらの戦力をその物量で押し切るのだろうと考え、だからラインバッハ姉妹をキラの山へ向かわせたのだ。
しかし、ライラの読みは外れることとなった。
ヴァルヴエンドの部隊はレイヴンに気を払うことなく、ナディとラハムがいる潜水艦を攻撃し始めた──。
*
ナディが手にしたコネクトケーブルを左耳へ持っていこうとした瞬間だった、大波に攫われたように足元が大きくぐらつき、背後にいたラハムへ倒れ込む形となった。
「な、何?!」
「だ、大丈夫ですか?!」
二人は下の階のブリッジ、その最奥だ。ブリッジ内にある電子機器の全てがシャットダウンしているのに、ラハムが発見した扉だけは非常電源が通っており、Newクラーケンにも採用されていたVUIで『Planet Lock』と空間に投影されていた。「いや絶対これやんけ!」とラハムがナディを呼び、何とか扉のロックを解除できないかと試行錯誤した末に大きな揺れが襲ってきた。
扉横のタッチパネルの中からコネクトケーブルを発見し、ナディの左耳へ接続しようとした矢先の事だった。
二人はこの揺れを自然現象などではなく、敵の攻撃によるものだとすぐに理解し、自身が置かれていた状況を思い出していた。
「攻撃を受けてる…?」
「おそらくは…でも何故この船なのでしょうか?彼らはこの船が何なのかを把握している…とかですか?」
「分からないけど、この上空にはレイヴンが待機しているはずだよ、それでもこの船を攻撃してきたという事は──」そこでまたしても大きな揺れが襲い、ラハムはナディの体を支えながら壁に手をついた。
ラハムは即座に判断した、きっとオーディンたちの死闘を目の当たりにしたせいもあるのだろう。
「ラハムは外に戻ってこの船をお守りします!ナディさんはこのままこの扉の奥に入ってください!」
「いやいや──」
「きっとこの船はラハムたちにとって重要な物なんです!だから向こうも攻撃してきたんです!」
「駄目だって!ラハムが一人戻ったところで──」ラハムは大好きな人の体を─それはもう心を鬼にして─無理やり剥がし、今となっては同じ目線になったナディの瞳を真正面から見た。
「ラハムは一度ならず二度もナディさんに助けていただきました。あの時、予定ではラハムがノラリスに乗り込んで高度四〇〇〇メートルまで上がるつもりだったのです。その役目をナディが直前でラハムから奪い、そしてラハムは恩返しもできずに今日まで過ごしてきました」
「何を言って…」
「ラハムの役目はナディさんをお守りすることです!この役目はたとえナディさんでも奪えません!──この船の攻撃はラハムが防ぎます!だからナディさんは──」三度大きな揺れだ、ラハムは大好きな人に止められないよう、その揺れに乗じてナディを突き飛ばし、ブリッジの出入り口に向かって走り出した。
背後から「ラハム!!」とガチギレしているナディの声が追いかけてきた。
その声の怖さが、堪らなく嬉しかった。
それだけ大切に思われている証拠だった。
ヴァルヴエンド軍の激しい攻撃が続く、その標的はレイヴンでもなければヘイムスクリングラでもなく、オリジンのお牛さんでもない。
沈黙して動けないただの的になっている正体不明の潜水艦だった。
ライラはほんの少しで時間稼ぎになればと思い、全周波チャンネルで潜水艦への攻撃を中止するよう求めた(悪く言えば強く非難した)。
だが相手はこの求めを拒否し、執拗に潜水艦を狙った。
無防備に晒されているノラリスはもう既に大破している、複数の爆発の後、海の藻屑へと転じていた。無理もない。
姿を見せた潜水艦も姿を見せられるのなら海中へ逃げれば良いものを、ずっと姿を晒したままである。
ライラは気が気ではなかった。こういった状況を想定してポラリスを向かわせたというのに、その肝心のパイロットと連絡が取れなかった。
(これだけ攻撃に晒されていれば本人たちだって気付いているはず…けれどポラリスが戦場に復帰した所で…)
焼け石に水になんてものではない、マグマがたぎる火口に放水を行なうようなものだ。
危機的な状況だと言える。マカナとフレアがキラの山に到着するまで、こちらの戦線を維持できるとは思えなかった。
それでもろくでなしの男たちは良くやっている、敵の狙いを逸らすべく徹底的に邪魔をし、被弾しないよう上手く立ち回り、一機ずつだが確実に数を減らしていた。
攻撃中止の要請を諦めた所へ、見慣れないチャンネルで通信が入った。その相手はナツメの妹分であるデュランダルという女性からだった。
「デュランダルです。艦長、お言葉ですがこれ以上の戦闘は不可能かと、この状況はどうあっても覆せません」
「…分かっています」
レーダーコンソールに反映されている敵部隊は、それこそシルキーの波のように表示されている。さらにその分厚い波の向こうには敵の飛行艦も待ち構えていた。
デュランダルから無慈悲の選択を強いられた。
「撤退をお願い致します、これ以上の戦闘はあなたたちに何の利益ももたらしません。──オーディンとディアボロスもあなたたちの無駄死には望んではいないはずです」
その言葉はさすがに効いた。
二人の死を無駄にしたくないがためにこちらが全滅したとあったら、天国で合わせる顔もない。
けれど戦場はこちらの判断など待ってはくれない、後方に控えていた飛行艦から高熱源反応を捉えた。
「まさか──」
管制官が敵飛行艦の射撃位置を割り出す、その目標はやはりと言うべきか、残虐だと罵るべきか、潜水艦だった。
ライラが叫ぶ。
「デュランダル!あの船を撃って!」
「分かっています!ですがもう──」
火口に放水したところでどうなる?大量の水が一瞬で蒸発するだけで、その熱さを奪うことなど不可能だ。
敵飛行艦から主砲が発射された、目を焼くほどの光りがライラを含めたパイロットを襲う。
狙いは真っ直ぐ潜水艦へ。
主砲は着弾、着弾と同時に光の粒子が四方へ散らばった。
「──何のこれしきですよ!!ふんすです!!」
ライラたちからは良く見えないが間一髪の所でポラリスが復帰し、その留まる所を知らない愛故に為せる防御力で敵飛行艦の主砲を防いでいた。
ガチ?の一言だ、ポラリスは専用のライオットシールド一枚で光の奔流を防いでいる。
「ラハム!!死ぬほど文句を言いたいけど大丈夫なの?!」
「あちょっとさすがにヤバいかもしれませんけどそこは何とかします!」と返事があり、本人が言った通り敵の攻撃を防ぎ切った。
散り散りになった敵の主砲が潜水艦の周囲に漂っている、その淡い光の中、ライラは潜水艦とポラリスの無事を確認した。ガチ?
──これだけに留まらず、さらに驚きの光景が目の前に現れた。
流星だ、青い一筋の光が真黒の空から敵飛行艦へ向けて下りてきた。
インパクト。青い流星が敵飛行艦に着弾し、それと同時にまたしても目を焼きつくほどの青白い光りが発生した。
二度も焼かれた視界が復帰した後、流星をもろに食らった敵飛行艦は空中で誘爆を起こし、その場で大きな花火へ転じた。
ほんの瞬き一つの間で敵飛行艦が撃沈、何度も爆発しながら海へと落ちていく。
最近見ていなかったチャンネルから通信が入った。
「遅刻してすんません、アマンナです」
「…………」
ライラのみならず、他の管制官らも皆茫然自失としており、誰もアマンナからの通信に応えられなかった。
「いや、色々あってね、ほんとごめんね?」
「……──ああ、いえ…あ、ありがとうございます……──はっ!ぼけっとしてる場合じゃない!今のうちに攻撃を!!」
ナツメが二人の通信に割り込んできた。
「この──アマンナ!!お前という奴は──「ああ、分かった分かった、お説教は後にして、アヤメのお説教も後回しにしてるんだから「アマ姉?!ほんと今まで何やってたんですか!「後で説明するからガチで勘弁して「何でお前が面倒臭そうにしているんだ!──帰って来たら覚えておけよ!」
最後に、黙り続けていたアヤメから「言質取ったからね?」と一言。
ライラはオリジンたちの会話を耳にして「ガチでこの人らバケモンだわ」と思った。颯爽と危機を救った後にする会話かこれ?
青い流星改めアマンナ機も参戦し、敵の足並みが乱れている隙もあってライラたちは一気に戦線を押し上げにかかった。
*
どこか足取りが覚束ない、夢の中にいるようだ、思うように足が動かない、神経パルスが何処かで遮断されているのだろうか?
何とか扉を開けることができた。音も無く開いた扉の向こうは真っ暗で、ナディは別に暗くてもいいかなと思ったのでそのままにした。
壁伝いに歩き、暗闇に目が慣れた頃、それがあった。
埃を被った卵だ、おそらく椅子か何かだろうが丸みを帯びた背もたれは卵のそれに見える。
ナディは前に回り込み見下ろした、やっぱり椅子だった、人が座れるようにデザインされている。
すぐに腰を下ろすような事はせず、ナディは卵型の椅子が置かれている部屋を見回す。明かりが無いのでシルエットしか分からないが、ここも一つの管制席なのだろう。上の階にあった物とは違い、沈黙したままコンソール群が右から左へずらりと並んでいる。
ナディが椅子に腰を下ろした、初めて座ったとは思えないほど自分の体に良く馴染んでいる。
(ここでノラリスを復帰させられるなら早く済ませてしまおう、早くしないとラハムが危ない…)
ナディはその事ばかりに気を取られていた、どうしてマキナというものはそう死に急ぐのだろうか?
オーディンとディアボロスの死だって、艦内探索へ現実逃避をしてしまうほど重たくのしかかっているというのに、今度はラハムまでもが彼女たちの跡を追いかけようとしている。
堪らない、自分はそこまでして守ってもらえるような人間ではない。
ナディは椅子のアームレストに両腕を乗せた、恐ろしいほどにしっくりと来る。
まるでこの椅子が自分の体格に合わせて作られたかのように。
ナディが座ったからだろうか、沈黙を続けていたコンソールに電源が入り、暗闇の中にしてはあまり眩しくない光量でステータスが表示され始めた。
──いや、コンソールに表示されているのではない、あれはVUIだ、空間に光学文字が投影されているのだ。
(いや違う──)
ナディは両目を擦った、目蓋を閉じると眺めていたステータスが目蓋の裏にぼんやりと浮かび上がった。ナディは目蓋を閉じたままコンソールの方へ顔を向けた。
一度消えたはずのステータス群が目蓋の裏にくっきりと浮かび上がった。この時ばかりはラハムの事も忘れ、頭の中が真っ白になってしまった。
《そう焦る必要は無い、君は人間のままだ》
《──!!》
びっくりした、思わず喉から「ひっ」と声が漏れてしまった。
《ノラリス?!大丈夫なの?!》
『Planet Lock』と機体のコンソールに表示されてから、ぱったりと声を聞かなくなったあのノラリスが突然話しかけてきた。そりゃびっくりもする。
《問題は無い。それと先に報告しておくが、ラハムも無事だ、敵の攻撃を防いだ後、この船を守ってくれている》
ナディはその報告を聞き、全身からどっと重たい物が抜けていくのを感じた。また誰かを失ってしまうのかという恐怖と焦りが、ノラリスの報告と共に消えてくれたのだ。
けれど、この部屋に入ってから感じる体の倦怠感のような、神経パルスが遮断されて手足が思うように動かせないもどかしさは消えず、今も残っている。
──神経パルスが遮断されているような...?
《ノラリス、説明してくれるんだよね?私の体に何が起こっているのか》
《その前、君に訊ねたい事がある、その返答次第によって答えられる範囲が変わってくる》
《……何?》
ノラリスが言う。
《私の主人になるつもりはあるか?》
《それは…それは言葉の通りの意味?》
《そうとも。君がこの船を掌握し、この船に搭載された全ての機能と権限を支配する、という事だ、故に私の主人になるかと訊ねた》
《その確認って今必要な事なの?》
《必要な事だ──補足するならば、この問いをしたのは君が初めての人である》
《保留ってのは無し?》
ノラリスが急に砕けた様子で、
《ん、ん〜…君ってそういう性格だったね、忘れてたよ。理由を訊いても?》
《ごめん、ちょっと急過ぎて上手く考えられないし、自信を持って答えられる気がしない》
《ん、ん〜…そう言われたら何だかこっちが悪いような気がしてくるね《分かってくれて嬉しいよ《分かった分かった、限られた範囲で答えるよ。今君は私と繋がっている、接点はこの艦長室へ通ずるロックを解除した時だ》
ナディはああ、やっぱりかと思った。
《だからこうして自意識会話が成り立っているわけだし、君の網膜に直接艦内情報を投影させられているんだ》
《文字通り、私の脳を弄ったわけだ。で、プラネット・ロックってのは?》
《守秘義務が課せられている《ならいい《いいの?《今それを知ることが重要な事じゃない、私がここに来た事によってノラリスが復帰できるのか、その為に私はここに来たんだから。で、どうなの?》
ノラリスが自信を持って《イエス!》と急にふざけた。
《帰るよ?《うそうそ──本意システム承認、第一から第七フェーズまで制限解除》と、また真面目な声でノラリスが発言した途端だった、一気に艦長室が明るくなった。急に眩しくするのやめてくんない?
突然の光爆撃に目が焼かれ、目蓋の裏まで真っ白になってしまった。ノラリスが《目を閉じたままでも大丈夫》だと意味不明な事を言ってきたので、遠慮なくそうさせてもらった。
「──え、何これ」
目蓋は閉じているはずだ、網膜に直接ステータスを表示させるとか意味分からんことを言われた直後だ、これはもっと意味が分からない。
海と空が見える、正確には海の中から頭だけを出している状態、だから波飛沫が顔にかかっている所が見えるし、空をいくつもの機体が飛び回るのも見える。
網膜に表示させるとかそういう次元ではない、これは一体何だ?
「ノラリス!何やったの?!何で目を閉じてるのに景色が見えるの!」
「それは今この船から見えている景色だ」
「は?──さっき自分と繋がってるって言ったよね?これってもしかして──私の視覚がノラリスのカメラと一緒になったって事なの?」
「そうだ、君は今、文字通り私と一体化している。君が飛ぼうと思えば空を飛ぶことができ──まだ説明の途中なんですけど!!」
ナディは「飛べ!」と念じた、するとどうだろう、体が持ち上がるような感覚が発生し、なんかお腹の底から力が湧いてくるような、お尻があったかくなるような感じになった。
「えこれ凄くないですか!」と言いながら目蓋を開けると、得られたそれらの感覚が遮断され、飛行に伴う振動が伝わってきた。
ノラリスが言った通り、この船の機能が回復し空を飛び始めているのだ。ナディは未知の感覚に夢中になってもう一度目蓋を閉じる、先程の視点から変わり、突然動き出したノラリスに慄き、敵のみならず味方の機体まで明後日の方向へ飛んで行くのが見えた。
「順応性高過ぎじゃない?思てたんと違う」
「は〜何でも見える──あ!私たちの船!──あれ?ノラリスの機体壊されちゃってるね、可哀想に「全然人の話聞いてない」
何処までも飛んで行けそうだ、機体に搭乗するのと訳が違う、鳥になったような解放感と底抜けの自由感が体を包み込んでいた。
その感覚に酔いしれているところへ、頭の前方がちりちりと痛み始めた。ナディがノラリスに訊く前から「それは通信を傍受しただけだから心配しないで」と向こうから言ってきた。
通信相手はレイヴンから。
「ノラリス!!聞こえる?!聞こえるわよね?!ナディはどうなったの無事よね?!無事じゃなかったらそのケツにミサイル叩き込んでやる!!」
のっけから怒髪天だ。ナディは「こわ」と思い、すぐさま「え?!」とライラの声が返ってきた。
「今の声はナディ?!」
(あれ?!これってもしかしてマズいかもしれない!)
「何が?!何がマズいの?!」
(心の声が筒抜けになってる!)
「は?!さっきから何言ってるの?!無事なら無事って返事して!」
「無事です!!」
「なら良い!──今すぐにキラの山へ向かいます!全機戦闘行動を中止してノラリスに追従、援護してください!」
沈黙し続けていた潜水艦が突然飛行を始めた時は案外冷静だった、慣れって怖い、驚きの光景を立て続けに目撃したせいかもしれない。
心配し過ぎて逆に腹が立っていたナディからようやく応答があった(他の人より音声がクリアなのは気のせい?)、一番の懸念が払拭され、安心する暇も自分に与えずライラは意識を切り替え、キラの山へ向かって進軍を指示した。
レイヴンより先行するのは潜水艦、のはずだ、先程まで海中に没していた船が当たり前のように先を行く。
変わった船だとライラは思った、潜水艦のシルエットなのに翼が付いている、しかもレイヴンに採用されている複数翼でもなければ敵艦のようなぶっとい主翼でもない、スマートな翼だった。
初めて見るノラリスの母艦をそう時間をかけずに観察した後、ライラはラインバッハ姉妹に通信を取った。
「こちらレイヴン、ナディとラハムは無事、ノラリスも戦線に復帰しました、今そちらに向かっています」
応答したのは妹のフレアだった。
「い、今ですか?!──あ!フレアです!そっちの状況はどうですか?!」
「内容はもっと簡潔に!何を知りたいの?!」
「相手の数がヤバ目なんです〜!今合流されたら──ライラさん!あなたの読みが外れました!敵めっちゃいるんですけど〜!」
せっかくノラリスの母艦も戦線に加わったというのに、ライラはフレアの報告を聞いて天を仰いだ。
*
何かこう、得たいの知れない不安が胸に押し寄せ、ミーティア・グランデは用意されたステージ衣装に袖を通すのも一苦労だった。
ここは艦内の士官室、歌姫に割り当てられた専用の個室だ。舷窓の景色は昨日から故郷の街並みに変えてある、薄暗い空など不気味以外の何ものでもないからだ。
(ああ、こんな恐怖は初めて立った時以来だわ…情けない)
震える手つきのまま、スマートピクチャーが印刷されていない白のドロワースを穿き、次は素足と腕にそれぞれグラデーションパウダーを塗る。最後にスマピクが印刷されている無地透明のワンピースを着込んだ。無論、このまま外出は出来ないので、ひとまず白色のピクチャーをワンピースにダウンロードし、姿見の前に立った。
誰だ、このダサい女は、せっかくの晴れ舞台だというのに眉は下がり、自信の無さが瞳に現れているではないか。
衣装の確認をするつもりが、不安に押し潰されそうになっている自分自身と対面し、その事ばかりに気を取られてしまった。
(しっかりしろ私!今からステージに立つのよ!こんな情けない姿は見せられない!)
ぱしん!ぱしん!と自分の両頬を自分で叩く。痛い。
けれど、お陰で少しは気持ちを切り替えることができた。
並列化擬似中性子投射核砲台に立ったアンジュたちを思えば、今から立つステージにさほど危険は無い、何せパイロットたちがこの船を守ってくれるからだ。
(行きましょう)
彼女は伝説の歌姫である。その歌声を数々の戦場に届け、勝利へと導いてきた。
彼女が士官室から出る、折も良く出動していたディヴァレッサー部隊が帰投してきたところだった。
ブリッジホープの専属ではないにせよ、軍随一の腕を持つパイロットたちである。彼らは武器を持たず、その腕前だけで戦場を飛び、他のパイロットたちを鼓舞する。
廊下の舷窓から彼らの後ろ姿を見送り、ミーティアは用意されたステージを目指した。
*
流星の如く颯爽と遅刻し、飛行艦を一撃で落としたその功績が大きいのだろう、ヴァルヴエンドの部隊はアマンナ機を前にして攻めあぐねた様子を見せており、不用意に接近してこようとしなかった。
あるいは、いつでもこちらを制圧できるからこそ見せている余裕なのかもしれない。
どちらにせよ、ライラたちの目的は変わらない、キラの山を奪還することだ。
ライラたちを先導した本人はもう海へ還ってしまったが、あの小さな戦神が残した熱い闘争心はまだ皆の心で燃え盛っていた。
レイヴンたちの船は一路キラの山を目指している、空にはレイヴンを含めた三隻、海にはろくでなしたちが追い出されたヘイムスクリングラがいた。
空を先行するノウティリスにアマンナ機が追従している、彼女は空飛ぶ母艦に挨拶をしていた。
「初めまして?」
「何故疑問系?──君がアマンナだろう、まあ見たら分かるのだが」
今の状況をアマンナは理解しているのか、ノウティリスを追い越し、能天気にも船の鼻先でくるくると縦方向に旋回し始めた。
「プラネット・ロックはどうだった?」
「どうだった?──ああ、君のお陰か」
二人の会話を無視できずに聞かされていたナディが口を挟む。
「お陰ってどういう事なの?そのせいでノラリスがあんな事になったのに?」
「今の状況に至るために必要な事だったんだよ」
「そうそう。これでもう安心だね〜ノウティリスも私たちと同じになったんだし、もういつでも相手を倒せるでしょ」
くるくると旋回していたアマンナ機がくいっと角度を上げ、まるで宙返りをするように飛行してノウティリスの後方へ再び戻った。
「いやそれがね〜ナディからまだ返事をもらえていなくて…」
「?」
「とりあえず艦機能を回復させるために本意フェーズに移行はしたけど、ハッキング能力で言えばまだ従来のままなんだ」
「ああそういう…ん?本意なのにナディちゃんがハーフマキナになったの?」
寝耳に洪水だ、ナディはアマンナの話にぎょっとしてしまった。
「ノラリス?!どういう事?!私マキナになったの?!」
「なってないなってない。──そうか、さすがの君も全てを把握しているわけじゃないのか…」
「まだまだ奥が深そうだね〜インターシップとやらは。──え、ちょっと待ってじゃあこれからどうすんの?ノウティリスのハック能力が通じないんなら、地道に倒すしかないってこと?」
ノラリスが答える。
「いやそこら辺はレイヴンの艦長が何とかしてくれるはず──「急にこっちに振ってくんな」
ライラからにべもない返事が返ってくる。
「え、まさかの無計画突入?」
「ちょっと待って今休憩を…作戦は練り直しているところで…ああ、糖分が足りない…」
連戦に次ぐ連戦、ポラリスのふんす!から流星の遅刻、挙げ句に空飛ぶ潜水艦とほんの一瞬で『常識』という名の防波堤が決壊してしまった、端的に言ってライラはとても疲れていた。無理もない。
「ノラリス、あんまりライラをいじめないで、後が怖いんだから「何だと?」
「ところで、どうしてナディちゃんは断ったの?」
アヤメの甘い声が頭の中にこだました。
「断ったんじゃなくて保留です、いきなり主人にならないかって訊かれたので」
「あ〜」
「それはノウティリスが悪い。アプローチが下手くそ過ぎる」
「仕方ないよ何せ初めてだったんだから」
おしゃべりもここまで、姿を消していたディヴァレッサー部隊がレーダーコンソールに反映され、進路を真っ直ぐにしてこちらに接近してきた。
糖分が足りないと弱音を吐いていたライラから早速指示が下りてきた。
「アマンナさん、遅刻した分はきっちりと働いてください「オーキードーキー!「フラン、オハナ、あなたたちはアマンナさんと一緒にこの空域に留まって戦闘に突入してください、残りのパイロットはノウティリスの援護をお願いします」
海上にいたヘイムスクリングラが停止し、ノウティリス、レイヴン、グガランナ・オリジナルがキラの山へ向けて進軍、それぞれ二手に分かれた。
一方、ハワイにて。
ハワイ防衛を命ぜられたダルシアンから「頼むからここに残ってくれ!」と頼まれて残っていたウィゴーは、なんだか指示が宙ぶらりんになっているような気もしなくもないプログラム・ガイアの保護のため、元新都方面へ向かっていた。
薄暗いオレンジの空を一人で飛ぶ、ここにおよそ生命の息吹は感じられず、母なる太陽も姿を消している。時折り突然現れる雲に肝を冷やしながら、ウィゴーは一人寂しい思いをしながら機体のコントロールに集中していた。
(女の子を保護してほしいって…一体どんな子なんだろう)
前線の状況はウィゴーも把握している、ノラリスが沈黙したり、ナディとラハムが正体不明の潜水艦に潜入したりと、アクシデントばかり発生しているがキラの山に接近しつつあるようだ。
元新都を通過し、目的地の教会付近へやって来た。ウィゴーは確認と状況報告のためハワイへ連絡を取るも、
「──ん?繋がらない?」
向こうも向こうで前線と変わらないレベルで忙しい、市民たちの対応に追われたり、光源を増やすため電灯設備を追加で設置しているところだ。
邪魔しちゃ悪いと思い、ウィゴーは通信を止め、視界に収まった教会へと下りていった。
「お〜い!どこにいるの〜!」
教会の周りに設置された桟橋の近くに駐機し、人の手入れがされなくなった教会へと足を踏み入れた。
たった数ヶ月、人が居なくなっただけで教会の中は埃が積もり、ウィゴーはそんな捨てられた建物の中を女の子を探して歩く。
天井のステンドグラスから光りが差し込まない薄暗い礼拝堂、食器類が出しっぱなしになっていた食堂、シスターたちが使っていたであろうそれぞれの個室、どれもも抜けの殻だった、誰もいない。
教会の中をぐるりと回り、再び礼拝堂に戻って来た時だった。食堂へ通じる廊下の入り口で何かがちらりと動く影があった。
「──待って!」
いた、確かに小さな女の子が駆けて行くところだった。どうやらその子はウィゴーから逃げ回っていたらしい。
「テンペストさんにお願いされて迎えに来たんだよ!怖がらないで!」
ウィゴーも女の子の跡を追いかける。小柄な子供に大柄な大人の追いかけっこだ、女の子はすぐに捕まってしまった。
廊下の突き当たり、女の子が体を小さく丸め、ぷるぷると細かく震えていた。
「だ、大丈夫だから!怖がらなくてもいいから!ね?」
ウィゴーはしゃがみ込み、その女の子となるべく目線を合わせようとした。
「僕はウィゴーだよ、君の名前は?どうしてこんな所に一人でいたの?」
図体がデカいだけで中身はリスより臆病な男である、彼の優しさがその子に届いたのだろう、女の子が膝頭に埋めていた顔をゆっくりと上げた。
そしてこう言った。
「わ、分からない…」
「ん?何が?」
「じ、自分の名前も…ここで眠っていたことも…」
「えっと、でも、君の方から連絡を取ったんだよね?テンペストさんからはそういう風に聞いているんだけど」
「わ、分からない…急に頭が痛くなって…人の声が聞こえたような気がして…すごく怖くなって…」
「…………」
ウィゴーは困った、この子の話の要領が掴めない。
ただ、見た目以上の知性があるのだけは理解できた。体は小さいが話し方はしっかりしている、ただ話している内容が理解できないだけ。
ウィゴーは装着していたヘルメットのインカムからハワイへ連絡を入れる(そりゃヘルメット姿の大男に追いかけ回されたら誰だってビビる)。
しかし、またしても繋がらない。
コールを続けながらウィゴーは女の子に話しかけた。
「えっと、君はマキナだったりする?」
「まきなって…何?」
「知らないんだね。じゃあ、ここがどんな所か分かる?」
「教会…ってことは分かる」
「じゃあこの国の名前は?」
「分からない…」
何度コールしてもハワイに繋がらない。ウィゴーは嫌な予感を抱きながら、女の子に向かって手を差し出した。
「僕と一緒に皆んなの所へ行かない?ここにいるよりずっと良いよ」
女の子がようやくウィゴーの目を見た。
「そこに、ライラって人は…いる?」
「ライラちゃん?うん…ライラちゃんのことは知ってるの?」
「う、うん…多分…」
(多分って)
女の子がウィゴーの大きな手を取り、それから大男と小さな女の子が教会を後にした。
◇
後にした教会からハワイへぶっ飛ばし、ウィゴーはプログラム・ガイアを保護し連れ帰って来た。
そして、ハワイの軍港に着陸して早々、またぶっ飛んだ。
「──ガイア・サーバーがダウンした?!」
「ああ、残念だが、今し方機能停止を確認した。各方面に連絡が取れないどころか全ての端末も使えなくなってしまった」
軍港の着陸ポートでウィゴーの帰還を待っていたヴィスタが、いつものように涼やかな顔で事の経緯を報告していた。
道理で連絡が取れなかったわけだ。ガイア・サーバーがダウンしたと言っても建物に電気は供給されている、マリーンそのものが真っ暗闇になったというわけではない。
しかし、これは由々しき事態である。
「テンペストさんたちは?言われた通り女の子を連れて来たんだけど」
「その子はどこにいる?」
ウィゴーとヴィスタが機体を見上げる、開かれたコクピットハッチから小さな頭が覗いているのが見えていた。
「あの子か…テンペスト・ガイアの話では、どうやらあの子がガイア・サーバーの管理者らしいが…」
「え?!そうなの?でもあの子何も覚えてないよ?」
「何?──記憶喪失という事か?サーバーが停止した事と何か関係しているのか…いや分からん、肝心のマキナたちも事切れたように動かなくなってしまっている、だからこちらも対処に困っているんだ」
「原因は十中八九…」
「彼らだろう、こちらの戦意を挫くためにガイア・サーバーにまで手をかけたんだ」
「どうしよう、連絡が取れないんじゃ向こうの状況も──……」ウィゴーはそこで言葉を止め、自分の違和感の正体を探った。
あれ、大して動揺してなくない?確かにガイア・サーバーの機能が停止し、ほとんどの電子機器や端末が使えなくなり、通信が取れなくなったのは不便だが...
「前に戻っただけだよね。前までそれが当たり前だったんだし」
「お前は何を言って──」言われてヴィスタも思い出した、「──確かにそうだ、今までが便利過ぎたんだ」
彼らは慣れていた!遠距離通信ができない不便さと電子機器が無い生活に!カウネナナイ民舐めんな!
すぐに混乱から復帰したハワイは即座に対策会議を講じる事となった。
ガイア・サーバーの機能が停止した事によりハワイに出ている被害は通信、ネット回線、及びネットを基盤としたインフラ設備であった。
ナディと号泣しながら仲直りし、レイヴンの船から下りていたジュディスはインフラ設備の回復を最優先とし、「ネットはもう諦めろ!」と個人端末の通信機能は切って捨てていた。
幸い、彼女たちは薄暗い街を少しでも明るくしようと電灯設備の設置作業を進めていたところだった。これらの設備は外部電源を設けてあるので、今回の騒動に巻き込まれることはなかった。
場所は変わって皆んなの会議室──ではなく、今となってはモニュメントになりつつあるロケットポートにウィゴーたち首脳陣が集まっていた。設置作業を進めるにあたって設けられた仮設作業場である。
ここは広い、ロケットを設置した場所だけあって十分なスペースがある。屋外用の大型ライトに照らされ、設置作業者や技術者、それからジュディスや女の子と共にウィゴーたちも来ていた。
設置箇所や電灯設備の稼働時間などについて協議していたジュディスたちが、ウィゴーたちの到着に気付いた。
「その子が?」
「そう、プログラム・ガイアらしいんだけど、記憶が無いみたいで」
「──ん?」ジュディスは思い出した。
「ねえ、私たち会ったことあるわよね?」
「……?」
「ほら、ウルフラグで、のっぽな奴も一緒だったんだけど覚えてない?」
「お、覚えてない…です」
「あ、そう…」
急に敬語になった女の子にウィゴーがフォローになっていないフォローを入れる。
「大丈夫だよ怖がらなくて、実際怖いけど「は?「何でもない──それよりも、ライラちゃんたちの事はどうしよう?きっと彼女たちも通信が使えなくて困ってるはずだよ」
「それならもう話は決まってる」ジュディスが事もなげに言う。
「ウィゴー、行って来て」
「──ちょっと待って「いいから行くの!こっちの状況を伝えて向こうの状況を聞いてまたすぐに戻って来て!」
さすがのウィゴーもジュディスに反論した。
「いくらなんでも扱いが酷過ぎるよ!今帰って来たばかりだよ?!それに戦場へ単身で向かえって──いくらなんでもそりゃないよ!」
「じゃあ他にどうすりゃいいのよ!あんたが電波になって情報を伝えるしかないでしょ!「もはや人ですらない!!」
そこへヴィスタが割って入る。
「おい、夫婦喧嘩は他所でやってくれ「誰が!!」×2「それよりも──あれは何だ?」とヴィスタが空を指差した。
よく見やればロケットポートに集った人たちも空を見上げている。
夫婦二人も皆んなに釣られて空を見上げた、そこには大きな花みたいな物が一つ、ふよふよと浮いていた。
「あれ…何?」
記憶を失ったプログラム・ガイアも見上げ、「下りてくるみたい…」と溢すように小さく言った。
そうだ、得たいの知れない何かがこちらに下りてくる。ヴィスタを含めたパイロットたちは手にしていた銃器を構え、手元に武器が無い者はハンガーへ駆けて行った。
またしてもヴァルヴエンドの回し者だろうか?こんな状況でまた新たな兵器を投入されたら堪ったものではない。
誰かがセーフティーを解除した、その時にジュディスが鋭く「待って!」と制止を求めた。
「あれ、もしかして…パラボナアンテナ…?」
そう!ヴァルヴエンドの兵器でも何でもない、ウルフラグに拠点を構え、陸師府とやり合っていた時に大空へ放ったあの大型パラボナアンテナドローンである。
そのパラボナアンテナドローンはロケットポートから目と鼻の先の海へ着水、沈みそうな所を皆んながロープやら何やらを引っ掛けて何とか固定することができた。
確か、あのドローンには一体のラハムが乗り込んでいた──と言うより、ハッキング紛いの事をしていたはずだ。
着水したパラボナアンテナドローンへジュディスが飛び乗り、今にして思えばよくこんな物を飛ばせたな、と思えるほどに大きいアンテナの上を駆ける。
いた、アンテナの中心部分にすっぽりと旧型のラハムがちょこんと収まっていた。
そのラハムがジュディスを見つけ、意外にも元気そうにこう言った。
「ウルフラグよ、私は戻って来た!!「──は?他に言うことあんでしょ!「ただいま戻りました〜「ちょっとあんた──「戻って来た〜!」
そこへ、ヴァルヴエンドの魔の手から逃れた一部のラハムたちが集まってきた。
「原点にして頂点〜!ラハムの中のラハム!」
「宿敵に一矢報いた生きた伝説!」
「皆んな〜!ラハムは戻って来ましたよ〜!」
旧型のラハムは新しく生まれ変わった仲間を見てもとくに驚くようなことはしなかった、きっと皆んなの様子をお空の上から把握していたのだろう。
このラハムは一人ずっと空の上にいた(自分からアンテナドローンを乗っ取ったので当たり前だが)、仲間たちの感動の再会──にも関わらず、ジュディスは邪魔だ!と言わんばかりに、まるでハエを追い払うようにラハムたちに向かって手を振った。
「邪魔だあっち行け!!「ほんと宿敵はいつも変わらない「──うるさい!それよりあんた!「ひぃっ?!?!仕返しされる〜!「ラハムを守れ〜!「おーーー!」と、一悶着があった後、
「アンテナの機能をガイア・サーバーへ移した?」
お互い痛み分けで終わった聖戦後、ジュディスはドローンに乗り込んでいたラハムから、突然下りてきた事情を訊ねた。その答えが機能を移した、ということである。
「はい〜皆さんの通信回線及びネットワークは全てガイア・サーバーへ移設してきました〜だからこの大型ドローンも機能を停止したんです〜」
「どうしてまたそんな事を……──あんたのせいでこっちはっ──「マイヤーいい加減にしろ、話し合いにならない」
びくびくしながらラハムが続きを話す。
「そ、それは、こ、このドローンがハッキングを受けていたからなんです〜突破されるのも時間の問題だったので、サーバーへ一旦移してハッキングを防いだんです〜」
「じゃあ…ガイア・サーバーは無事ってこと…?それならどうしてマキナたちが急に動かなくなったのよ」そこでジュディスはプログラム・ガイアと思しき女の子を見下ろした。
「何か知っているんじゃないの?あんた、確かマキナの親玉だったわよね?「言い方」
ジュディスへ突っ込みを入れたウィゴーに隠れつつ、女の子が答えた。
「な、何も、知りません…ほ、本当に何も覚えていないんです…」
どういう事だ?確かにパラボナアンテナドローンは個人が使用するネット回線の中継基地として機能していたし、その回線を利用してインフラ設備も整えていた。
また、さらに上空には大陸間アンテナドローンも飛行しており、そのドローンにはガイア・サーバーも搭載されている。つまりはそのドローンは無事という事である。
ガイア・サーバーが無事なら何故マキナたちがダウンしてしまったのか、この場にいる誰もがその疑問に答えられなかった。
「──まあ、とにかくガイアが落ちたという訳ではないようだ。今重要なのは、彼らが我々の生命線と言うべきサーバーにまで手をかけてきたという事だ」
「そうなるね、もう話し合うどころじゃないよ。酸素が薄くなってきていることも考えると、彼らは僕たちを殺しに来る」
「で?」とジュディスが言う。
「行くの行かないの?」
「ジュディスちゃん…それガチよりのガチなの?」
「ガチだっつってんでしょうが!──ウィゴーに前線へ伝えてほしい事があるの」
「それは何?」
ジュディスの瞳に強い光りが宿っている、有無言わさぬ迫力もあり、ウィゴーは思わず息を飲む。
「もし、誰か一人でも死ぬような事があったら撤退してと伝えてほしい」
「それは…」
「私はもう誰にも死んでほしくない、あいつらの言葉を認めるようで癪だけど、皆んなが生き残れるなら私は不自由と不幸を受け入れる」
「………」
「ウィゴー、あんたもよ。もし前線に到着できずに戻って来るようであれば、それでも私は向こうの要求を受け入れる。お願い、行って来て」
彼女はハワイを思う一人として、また一人の責任者としての覚悟と矜持を持っており、それは一人も残らず生存する道だった。
ウィゴーは何も言い返せず、口から出てきた言葉は「分かった」という一言だけだった。
*
決まったリズムで刻まれるビートが、ミーティアは堪らなく好きだった。
どんなに気分が優れなくても、どれほど歌う気分になれなくても、このビートを全身で浴びるだけ心が乗ってくる。
体が揺れ、心が上向き始め、自分はどこまでも飛んで行けそうな、ブラックホールだって障害にならない、そんな無限の高揚を感じることができた。
舞台は整った。
飛行艦内の一室、機体を収めるハンガーよりちょっとだけ狭く、けれど数百人は収容できる広さを持つ戦術歌唱室、そのステージの中央に収まるべき人間が立っていた。
ミーティア・グランデの戦術歌唱が始められる。
ここは戦場である、民間人が居て良い場所ではない、それでも彼女はここに居た。
歌う者の心はその歌に表れる。恐怖、怠惰、何で私がやらなあかんねんという不満、それらの気持ちに打ち克った者の声は聴く人の心を震わせる。
ステージの前で歌姫を見守っていたマカロンが声をかけた。
「よろしいか?」
ミーティアは自分の胸に手を当て、心が熱く滾っている事を確認した。
太陽にも負けない無限の原動力だ、心が熱く震えていなければ戦術歌唱は務まらない。──否、ミーティアはどんな時でも歌うことが大好きだった。
「いつでもこの歌声を宇宙へ届けましょう」
「──始め」
キラの山にやたらとしつこく張り付いていたマリーンの二機は退却している、おそらく後方の本隊と合流するつもりなのだろう。
そう、マリーンの部隊がここまでやって来る、信じられない事だ。マカロンたちは決して手を抜いていたわけではない、いや本当だよ?
部隊の損害率はもう三〇パーセントを超えている、一〇〇人の味方が七〇人に減り、一〇人の友の内三人が死亡したことになる。
異国の黒船がもう間も無くキラの空域に進入する。ここまで損害を出しておいて「負けましたすみません」とは絶対報告したくなかった。
音量、音程など調整を行なっていたスピーカーの音が止み、室内が静かになる。他の戦術歌唱者であれば、この質素な部屋に彩りを与えるため本物のライブステージのようにVP (ヴァーチャル・ピクチャー)を用いて演出を行なう。
けれどミーティア・グランデはVPを好まないのか、それらの演出を一切行なわない、ライトすら使わない。
ただ静かに、ただマイクを握り締め、歌唱する。今の彼女は人々を魅了するアイドルではない、命を賭すパイロットたちと肩を並べ得るだけの戦士であった。
だからこそ彼女は"伝説"なのだ。
イントロダクションが始まった、彼女の歌を届けるディヴァレッサー部隊からもマリーンの部隊を視認したと報告が上がった。
ヒアー・ザ・ユニバース。
「──聞け!宇宙よ!私の声は全ての星々を包み込む!」
彼女の決まり文句だ、決死の宣言とも言える。
実際その通りだ。彼女の決死の声は、たとえどの居住惑星に住む生命体であっても無視はできないだろう。
その証拠に、普段はあまり楽曲に馴染みがないマカロンも、ミーティアの歌声を耳にして「たまには曲でも聴いてみようかな」と思った。
これがとても重要である、人は心の外にある知識、感情を知ることはできない。己の価値観が更新されることは人生において稀であり、幸運とも言える。
それを彼女は声だけで与えてくれるのだ。何の努力もせず、苦労もせず、それらの工程を踏んでも得られるかどうか分からない心外の価値をミーティアは提供してくれる。
だからこそ"伝説"なのである。
マカロンはミーティアの歌声を耳に入れながら、網膜に表示されている戦況を確認する。
インターシップを後方に、レイヴンの母船が先頭、水上船はホワイトウォールへ進軍させた部隊の足止めを行なっているようである。
この局面で部隊を分割させている、勝ちに来ている証拠だ、向こうの狙いは間違いなくキラの山にぶっ刺したルーターだ。
何よりもスカイダンサーが不在である、とても大きい、それと同じくらいマイナスのインターシップの存在も大きかった。
(プラネット・ロックは発動したはずだ、それなのに何故…それにアマンナがあちら側に付いているのも頷けない。やはり、外部の者は信用に値しない)
だがまあ、何とかなるでしょ、スカイダンサーはいないし、多額の費用を投入して戦術歌唱も実現させた。
マカロンは自覚が無いが、ミーティアの歌に合わせ足先でリズムを取っていた。歌姫の声を支えるコーラスは壮大で、耳朶を震わせる四つ打ちは落ち込んだ気持ちを払ってくれる。
気持ちが上向いているのはマカロンだけではない、現在戦闘中のパイロットたちも同様だった。
各パイロット間の連携はさることながら、部隊間の練度もこの長期間に及ぶ派遣任務にしては随分と高い。通常であれば、長期間に渡る疲労とストレスで練度は下がるものだ、それがここに来て上がっている。
歌姫様々、と言えよう、高い金を払っただけはある。
マカロンのリアルタイム戦況図では、ウバイドの部隊がオリジンの特別個体機を退けている所だった。
固有名詞はバルバトス、並びにデュランダルだ、初期に製造されたロットだけあって機体の汎用性が高く、戦闘機動上の隙が少ない。
ラガシュ部隊は取って返してきたあの二機を押さえにかかっている、スカイダンサーと同じくボードを装着した機体が先行し、それと良く似た機体(姉妹機か?)が援護に入るフォーメーションは先程と変わらず、けれど戦術歌唱によって意識覚醒を行なったラガシュ部隊の練度の方が高く、姉妹機の方を撃墜させていた。
さらに、その跡を追いかけるように先行していた機体も墜ち、少しだけ空が綺麗になった。
(ディーヴァを投入してようやくか…)
あの二機を墜とすまでこちらのパイロットは十数名以上死亡している、指揮官としては采配失格の烙印を押されても仕方がない戦果と言えよう。
スカイダンサーに次ぐエース機が二つも墜ちたことを契機に、味方部隊の士気がさらに向上した。
マカロンは止めの一矢を放つことにした。
「マカロンだ、あちらの艦長に繋いでくれ」
戦闘支援AIオーディンにそのように告げた。味方が敗北したところを目の当たりにして、戦意は挫かれたはずだ、ここで一部緩和した要求を向こうに告げれば、おそらく飲むはずである。
だが、
「繋がりません、通信回線を遮断しているようです」
「この期に及んでまだ戦うと…よろしい」
「呼びかけをつつつつづけますか?」
「ん?」あれ、自分の耳バグった?
「呼びかけけけけけをつつつつ──……」
バグったのはAIだ!マカロンは頭の中が真っ白になった。
歌唱を続けている歌姫に背を向け、急にバグったオーディンに呼びかけを続ける、しかし返事は無く、さらに不測の事態が起こった。
網膜に投影されていたインターフェースにも通信障害が発生し、視界が一気にクリアになった。
突然情報が遮断されてしまったマカロンは軽くはないパニックに陥る。こんな事は初めて、経験の無い事である。
(インターシップの仕業か?!いやしかし対策はしてある!そう簡単に突破されるものでは──ハデスは何をしていた?!何故ハッキングの報告を──いやまずは戦況の確認を、でもどうすれば?!)
全て(文字通り)の情報の取得、管理、通信を支援AIに任せていたマカロンは自分の力ではどうする事もできず、ただ歌姫の声を背に受けながらパニクっていた、誰かとこの事態を共有することもなく、声すら出さずにただ悶々と。
マカロンがこの不測の事態に戸惑っていようとも、その影響は個人の通信環境だけに留まらず他の場所にも表れ始める。
「──艦長!!服がっ、グランデさんの服がっ!」
「っ!!」
慌てて振り返る、曲のメインパート、所謂サビを歌い上げているミーティアは衣装の変化に気付いていない。
透けとる!スマピク印刷の衣服なので生地は無色透明の合成科学繊維だ!
ライトも使用していないお陰で周囲には分かり難い、だが、霰れもない姿を曝け出していることには変わりはない。
「艦長、一体何が…」
「生電を使ってみろ」
士官は言われた通り、個人通信生体端末をオンにする。オンにしたが、網膜にいつものログイン画面が出てこなかった。
「これはっ…まさか、インターシップからハッキングを受けているのですか…?」
「そんなはずは無い、だが、戦闘支援から生活支援のティアマトまでダウンしてしまっている…」
「すぐに中止させますか?」
「いや…」
え〜ほんとどうすればいいの...機体に搭載されている通信機器は独立した管理システムに置かれているので戦闘に支障は無いはずである、彼女の歌声もきちんと届いているはずだ。
こういった通信障害も念頭に入れてのディヴァレッサー部隊である、敵が仕掛ける電子戦に左右されないよう彼らは小型のスピーカールーターを戦闘空域に散布する。ただ、この空には既にナノウィルスが充満している──だから汚いと彼らは罵っていた。
どう対処すべきか、どう情報を取得すれば良いか、迷いながら歌姫を見つめていたせいだろう、彼女がマカロンの視線に気付いた。
(──!)
「あなたたちの命は暗闇を引き裂く力に溢れている〜」
(なんと…)
「行って!飛んで!あなたたちは自由!誰もが羨むシューティングスター!」
ミーティアは己の惨状に気が付いている、それでもその歌声に揺るぎは無く、曲を歌い続けている。
マカロンは恥じた、彼女の勇ましい姿を前にして、取り乱していた自分を大いに恥じた。
そしてこの歌だ、彼女の彗星のように迷いなく歌い上げる声を聴くだけで、瞬時に曇ってしまった自身の心に光りが差し込んだ。簡単に言うとすぐに元気出た。
「──総合空母へメーデーを出せ」
「よ、よろしいのですか?そうなると艦長のお立場が…」
「構わない。どのみち現状のままではこの作戦を成功に収めることが困難だ、散っていった者たちに顔向けが出来ん」
「了解しました」
指示を受け取った士官が戦術歌唱室を後にする。
ヴァルヴエンド軍が所有する飛行艦の中で最も大きく、かつ最大積載量を誇るバビロニア級総合空母艦、動く要塞であり動く軍本部である。彼は自身のプライドよりも作戦成功を選んでいた。
(出来ることなら助力を求めたくなかったが致し方あるまい…迅速にこの事態を収拾しなければ私の首が飛んでしまう)
クリアになった網膜に一つのアイコンが表示された、そのアイコンはヴァルヴエンド軍を示すシンボルである。士官が言われた通り緊急要請を出したお陰だろう、本部で受理された証拠だった。
若い女の声がマカロンの脳内で再生された。
「珍しいですね、あなたともあろうお方がこんなにも早く助けを求めるだなんて。北欧でも同様に助けを求めてくださったら良かったのに」
マカロンはその雑談を無視した。
「本艦は現在電子ハッキングを受け、マキナの支援から断絶されている状態である。至急、我々に変わって戦況把握と適切な指示を出していただきたい」
「──受理致しました。と、言いたいところなのですが…」
「何かね?」
マカロンは女性士官の返答を受けておったまげた。
「本艦もマキナの支援から断絶している状態です、我々も本国に問い合わせを行ない原因の特定を急いでいます」
「…………」
マカロンは太陽フレアを疑った。
太陽の表面で大規模な爆発が起こると、X線やら色んな電波が各惑星の電離層を乱して電波障害を発生させる(デリンジャー現象)、確かに惑星現象であればこの事態にも説明が付く。
だが、フレアは発生していなかったはずである、きちんと天気予報は確認した、であればこれは一体...
本国から返事があったのだろう、オンライン状態を維持していたその女性が「あ〜…」と残念そうな声を出した。マカロンがまた「何かね?」と問うと、
「本国でも…え〜?こんな事ってあるの?信じられない──ああいえ、本国でも我々と同じ状況に陥っているようです」
「………嘘だろ?」
「嘘ではないようです、ライアネットを通じた回線しか生きていないみたいで──ああ、詳しい内容が下りてきました──は?プログラム・ガイアが行方不明って何これ…マキナが行方不明になるって意味分かんないんだけど──大規模な捜索を行なっているため一時期的に全てのマキナを隔離処置とし、当該マキナの位置の特定を急務としている──だそうです」
「いやだそうですって言われても。つまりこれは本国が取った処置の影響という事か?」
「そうなりますね。あ、安心してください、メーデー申請におけるマカロン艦長のペナルティは発生しないそうです。それから、本事案を鑑み我々総合空母の介入が決定しました。到着まであと数時間です、それまで何とか持ち堪えてください」
「数時間?」
「ええ、別件で船を出していたんですよ、その帰りにあなたからメーデーを受け取ったんです。──それでは」
マリーンのマキナだけではなく、ヴァルヴエンドのマキナたちにも大きな影響が出ていた。
そして、その影響はキラ周辺の空域にも起こっている。
「なんか良く分かんないけど敵の動きが鈍ってる!私たちの恨みを晴らせ〜〜〜!」とマカナがレイヴンのブリッジで吠え立てる。ライラが「うるさい!」と言っても言う事を聞かなかった。
「あ〜!!こんな大事な時にナルーを失うだなんて!!翼をもがれた鳥はただの唐揚げよ!!「当たり前なこと言わないで「──フレア!あんたが私の指示に従わなかったから──「あそこで前に出てなかったらマカナちゃんが唐揚げになってたんだよ?!「姉妹喧嘩は他所でやれ!!」
フレアの言う通り、あんなに動きが良かった敵部隊の連携に乱れが生じている。わけわかめ。敵の足並みが乱れることは喜ばしいことだが、こちらの問題も片付いていない。
連絡が一向に取れない!電波が無い!もどかしいにも程がある!
通信障害が発生した直後、パイロットたちに一度帰投させて作戦を立てさせている、そのお陰もあって(結局ラインバッハ姉妹は敗れてしまったが)残りのパイロットたちは上手くやれている。
スカイダンサーが不在であることも大きい。が、それだけで動きが良くなったりするものだろうか──なんて思案していたところにこれである。ほんとわけわかめ。
撃墜されたものの、運良くコクピットは免れた二人がずぶ濡れの状態で騒いでいる。この二人はいつも喧嘩しているがパイロットとしての腕は確か、その二人までもが出動できないとなれば雲行きはだいぶ怪しくなる。
(ナディが乗っている船はノラリスの母船よね…もしかしたら代替機があるかもしれないけど連絡が取れない!!)
船の通信機器も携帯も駄目、じゃあどうすれば?
ライラは即座に答えを出した。
船の操舵を預かる士官へ指示を出す。
「この船をノラリスの母船に近付けて!」
喧嘩をしていた二人が仲良く突っ込みを入れる。
「ライラ?!駄目だよムカついてるからってノラリスのおかま掘ったら!」
「ライラさん?!いくらお姉ちゃんと喧嘩したからって今仕返しですか?!」
「何でやねん!!──ノラリスの母船に予備の機体がないか確認してくるだけよ誰が突撃するって言った!!連絡が取れないんだから仕方ないでしょあといい加減ナディと仲直りしたい!!「今?!」×2「今でしょ!!」
士官から当然の苦言がなされた。
「か、艦長!さ、さすがに空中での接舷は危険が多すぎます!「後でキスしてあげるから!「──喜んで!!」ちなこの人は女性である。
「いやというかライラが行く必要あるの?「仲直りしたいって今言ったばかりでしょうが!!「私たちが行った方がよくない?「うんうん、ライラさんすごく反省してたよって伝えますよ?「駄目!そろそろナディの顔を見ないと正気を保てない!「うわぁ〜…「ライラさんって急にバグるよね、普段はクールなのに」
「そんなに飛びたいんなら室外機で飛べば?」
室外機とはエアコンの室外機のことではなく、船外作業用機体の事である。海に落ちた二人を回収したのもこの室外機である、ちなみに二人の機体は海底にちんした。
「室外機じゃ闘えないでしょうが!!何言ってんの?──うわっと」
艦長の指示通り船の舵が大きく傾き、フレアたちはその場でたたらを踏んだ。ノラリスの母船はレイヴンから見て左手、目算の距離は数百メートルだ。
この突然の動きに他のパイロットたちは驚いていた。
「あの女は一体何を考えているんだ!」
モンローは付近にいたマリサ機へ合図を送る、事前に決めておいた連携ジェスチャーである。
指示を受けたマリサが先行し、その後にガングニールが続く。
「モンロー、だいたいの状況が掴めたぞ。どうやらアンテナドローンが落ちたらしい、それとマキナたちのシグナルも消失している」
レイヴンは船首を傾け、ヨー運動で船体をノラリスの船へ接近させていた。
「道理で通信回線が使えないわけだ。マキナが消失したというのは?」
「不明だな、ガイアの回線から遮断されているみたいだ──それも地球規模で」
「何だって?」
「それぞれのテンペスト・シリンダーを管理しているプロメテウスっていうサーバーがあるんだが、どうやらそいつがマキナをサーバー内に閉じ込めているみたいだ」
「それが敵の動きが鈍った事と関係しているのか?」
「かもしれない」
レイヴンの船がノラリスへ接近していく、その様子を眺めながらモンローはある懸念を抱いた。
「そんな時にあの船に近付いて大丈夫なのか?敵の動きが鈍ったという事は俺たちと同様に通信障害が──」その時だった、モンローの懸念が的中した。
互いに静観を決め、距離を開けていたヴァルヴエンドの機体がレイヴンへ進軍を開始した。周囲には自分たちもいるというのに、被弾を顧みない特攻だ。
モンローが素早くペダルを踏み込む、「あ!もうちょっと優しく!」とガングニールが色っぽく声を上げる。
「ここにいる連中は間違いなくノラリスの仕業だと考えている!そんな時に敵の本丸が近付いたとなれば誰だって警戒する!」
レイヴンとノラリスの相対距離が数十メートルまで近くなった、操舵を預かる士官の腕は確かなものらしい。
「サーストンたちはあの船に乗り込むつもりなのか?あの船には何がある?」
「え、よくわかんない、マリサに訊いてくれない?」
「訊けたら苦労せんわ!!お前は自意識会話ができるんじゃないのか?!」
「ああ、自分が特個体なの忘れてた」
「気にするな、俺も忘れていた」
「そういうところ好き」
レイヴンの船へ殺到した敵部隊がトリガーを引き、ほんの数瞬で空が明るくなった。
母船から敵機を引き剥がしたいが味方も遠慮なく攻撃しているので、下手に接近すれば味方の砲弾に被弾しかねない。かと言ってこのまま敵の攻撃を許してしまえば、間違いなくレイヴンが墜ちる。
マリサと連絡を取っていたガングニールから返事があった。
「あの船には予備の端末機体があるみたいだ!ライラがそれを知っているのかは不明だが、あの船にはまだ戦う力が残ってる!」
「だったら尚のこと援護しなければ!!」
しかし、モンローたちの奮闘も虚しく、レイヴンの心臓部であるホールボールに敵の攻撃がヒットしてしまった。
「──ああ!」
無理もない、レイヴンは機動力に優れているが戦闘能力が高いわけではない、これだけ敵に張り付かれてしまったらいとも容易く墜ちてしまう。
ここまで先陣を切り、スカイダンサーの母船として役割を果たしてきたレイヴンがついに墜ちた。
船体後方から噴火の如く火柱が上がる、その衝撃でウェーブパイプが弾け飛び、燃料タンクに引火し、複数翼の排気ノズルからも爆発が起こった。
レイヴンの船首が海へ大きく傾く、火柱が黒煙に変わり、重力に逆らえなくなった。
「サーストン…どうせ死んでしまうのなら胸の一つでも揉んでおけば良かった…」
「ああ、ライラ……──ん?船から何か出て来たゾ!」
船底に位置するレールからすぽん!と何かが発射された、それは四角い形をした物体である。
「アレは室外機!皆んなあそこに乗ってるのか?!」
「乗組員の少なさが幸いしたようだ──ガング!死ぬ気で守るぞ!」
「助けてもライラにはチクるからなさっきの言葉「そこを何とか」
船外作業機体は見たまんまエアコンの室外機みたいな形をしており、その室外機に足と腕が二本ずつ付いている。
レイヴンからまろび出てきた室外機は、見た目の割には滑らかなマニューバでノラリスの母船へと向かっている。今度はモンローたちが敵機になりふり構わず、室外機へ飛んで向かっていった。
ナディはレイヴンの結末をノウティリスのブリッジから眺めていた。
「ああ、私たちの船が…」
「機動力と攻撃能力は高いが防御力は無かった、寧ろここまでよく持ち堪えたものだ」
「ノラリス、出し惜しみは無しだよね?」
ナディはブリッジの下に広がる光景に目配せをした。そこにはナディが今日まで搭乗し続けてきた馴染みの機体が数機鎮座していた。
人型機タイプの現地調査用端末機である、ナディが乗っていた物と含めて六機がこの船に搭載されている。
ノラリスが応えた。
「勿論。ここで全力を出さなかったら後でライラに怒られそう」
「良く分かってる」
眼下に格納されていた五つの端末機が、ハンガーに収まった状態で移動を開始した。どうやらレイヴンと同様に船底部にカタパルトがあるらしい。
船底に移動した端末機がすぽぽぽぽぽん!と発射され、空へ踊り出たと同時に室外機へ向かって行く。突然の登場に敵のみならず味方も「何事か!」とノラリスから離れていった。
それが功を奏し、沈没していくレイヴンから脱出した室外機がノラリスの船外発着場(正式名は船頭離着陸待機場、と言うらしい)に軟着陸した。
無事に脱出、救出成功である。
室外機からレイヴンの乗組員が出て来る、彼らは未知の船に目を輝かせる暇もなく船内へ入って行った、ここは戦場だ、鑑賞している暇もない。
ナディは艦長席から離れ、三層に分けられているブリッジ(正式名はアウター・ユーザーフェース、と言うらしい)で皆んなを出迎えた。
思ったよりも皆んな元気そうだった。
「艦長!私にキスを!頑張ったのに!「ライラのスカポンたん!あんたのせいで船が沈んだじゃない!「私のせいにするな攻撃してきた敵に文句を言え!──あ!ナディ助けて!皆んなが私のせいだっていじめてくるの!「お姉ちゃん!騙されたら駄目だからねライラさんさっきまで凄い元気だったんだから!」
元気過ぎじゃない?船が沈んだのに誰も気にしていない。
レイヴンが墜ちたのだからきっと元気を失くしているに違いない、どう励ませばと思案していたナディは皆んなの様子に出鼻を挫かれ、言葉を選んだ末にこう言った。
「──迷惑かけてごめんね?「今さらだわ!」×全員
愛する人の元気な様子を見て、ライラはすぐに気を取り直した。
「とにかく態勢を整えましょう、私たちの船は墜ちてしまったけど幸いこの船がある。──ノラリス!聞こえているんでしょう?あなたの船を貸してちょうだい!」
「え、別にいいけど「返事軽いな。──全員管制席に着席!テキパキ動く!」
私のキス〜、なんて一人の士官が言いながら皆んながそれぞれの階に分かれていく。
程なくして全員着席し、ライラが号令をかける。
「ノラリス!私たちにもこの船を使えるようにレクチャーして!」
「え?というかちょっと待って順応性高過ぎじゃないナディもそうだったけど、もっと他にリアクションないの?未知の技術が詰まった非公開の船だよこれ」
「今さらアンノウンテクノロジーに出会したところで驚きもせんわ!ハワイ舐めんな!」
「はいはい──」とノラリスが呆れたように呟いたと同時に、アウター・ユーザーフェースに変化が起こった。
全ての管制席の前にあった窪んだ壁に仮想投影された周囲の風景が出現し、さらに席に着いている管制官たちの網膜にVUIが表示された。あちこちから阿鼻叫喚。皆んな脳みそを弄られたわけではない、ヴァルヴエンドでも使われている非接触型アクセスの技術(そもそもインターシップが先)を用いたものであり、その人の網膜に合わせてインターフェースを投影させている。
慣れない仕様に管制官たちが悲鳴を上げるが、そこは根性で何とかして船全体の掌握にかかる。
操舵関係から火器管制、艦内情報から居住エリアからおトイレの場所まで、隅々まで調べ上げた。
これにはさすがのノラリスも「ハワイの人怖い…」と引いている。
網膜に表示されるインターフェースを秒で使いこなし、船全体の掌握に成功した管制官が「いつでも行けます!」と艦長へ合図を送った。
*
「夢を見ていたの?」
「うん、不思議な夢だった」
「それはどんな──ああ、雲に入っただけだから心配しないで、すぐに揺れも収まるから」
「ゆ、揺れるの怖い…えっと、色んな人が集まってる夢、近くに石でできた建物があって、広場があって、そこでお話ししてたの」
「どんな話をしてたの?」
「そこまで覚えてない…でも、楽しかった、ような気がする。色んな人と色んな話をして仲良くなって…でも最後は壊れちゃうの、大きな木も枯れ始めて、綺麗だった葉っぱもくすんでいって…」
「悲しい夢だね」
「そんな事ない、とても楽しかった」
「そっか」
「ねえ、ライラってどんな人なの?」
「皆んなから白雪姫って呼ばれてるよ、とても綺麗な人。髪も肌も真っ白で、けれど瞳の色が虹色なんだ」
「虹色なんだ…」
「君の会いたい人もライラっていう名前なんだよね?」
「うん。でも、その人の目はラベンダーみたいな色だった…」
小さな女の子を乗せた機体が薄暗い空を飛んで行く。
その小さな胸には少しの期待と大きな不安があった。
それでも空を飛んで行く。
何かに急かされるように、磁石に引っ張られるように。
まるでこの空は自分の不安を表しているようだと、"プログラム・ガイア"としての機能を失った女の子が思う。
不安に揺れる心臓の音が、機体のエンジン音よりうるさかった。
※次回 2024/6/8 20:00 更新