TRACK 47
リブレアンワールディリア・4
レガトゥムの世界は今、奇妙な事になっていた。
ここは電子の海に構築された二次元の世界、数字の羅列が原子となり、システムコードがポリマー体の代わりとなり、プログラムが目に見えた物質となっている。
レガトゥムの創造者はこれらの集合体をガイア・サーバーの中に構築し、他のデータと混同しないようベールに包んだ、それは宇宙空間で言えば星の核のような物であり重力のような物である。
今、レガトゥムは崩壊しかけていた。にも関わらず、レガトゥムの住人たちは「だから何なの?」と言わんばかりに、着実に崩壊へ進む時間の中で忙しく過ごしていた。
あなたもその一人である、寝ても覚めてもライラのお使いをこなすため、レガトゥム中を走り回っていた。
例えば、つい先程まで向こう側の世界を偵察し終えたばかりである。その前はピメリア・レイヴンクローという人物を呼び出したり、その前も銃を持ったマキナに見つからないようお城の中を偵察していた。
あなたには偵察に関する知識や、それを遠隔地でこなしてくれるドローンの知識も無い。だが、幸いにもここには沢山の人がいる、その人たちに頭を下げて協力を依頼し、時に話しが合って盛り上がったりしながらライラの依頼をこなしてきた。
彼女はどこにいても彼女である、エネルギッシュで生気に溢れており、けれど儚いガラス細工のような美貌を持つ。二次元だろうが三次元だろうが変わらず、あなたをこれでもかと振り回す。
けれど、あなたは常に心地よい疲労とうきうきするような満足感を覚えていた。
次はどんな依頼だろう?誰にお願いすればこなせるかな?
あなたはそう思いながら、崩壊し行く世界の中を走り回っていた。
しかし、限界というものがある。いくら心地よいとは言え、無限に動き回れるものではない。重たい疲労を覚えたあなたはいつもの家で寝転がり、そして人の気配を感じて目を覚ました。
◇
(ん…誰かいる…誰だろう…)
気持ち良い微睡みの中で、あなたは草の上を歩き回る細やかな音で目を覚まし、しばらくベッドの上で寝転がったままになっていた。
どうやらその足音はこの家の周りを回っているようだ、中に入ろうか入るまいか、その足音だけで逡巡しているのが分かる。
他者との交流に慣れ、また楽しさも覚えたあなたはベッドから降りて玄関へと向かった。
階段の壁にはこれまで撮った写真が飾られている、そのどれもが誰かと一緒に映ったものであり、そこには沢山の笑顔があった。
かちゃりと玄関の扉を開ける、そこには見知らぬ一人の女性が立っていた。
あの時のように、ライラと初めて会った時と同じように相手は(・Д・)と驚いていた。
あなたは自分から挨拶をした。
「初めまして、私はレイアと言います。あなたは?」
その女性が「あ、え〜と…」と言葉を泳がせ、「ハイゼッタ」と答えた。
「アンジュ・ハイゼッタ…私の名前です。その、初めまして」
アンジュ・ハイゼッタと名乗った女性はあなたより少し背が高く、薄らと青く光る黒い髪をした人だった。その髪はさっぱりとしたショートヘア、もみあげと襟足だけがちょっと長い。
服装は生地が重たそうな深い青色をしたブルゾン、下は沢山のポケットが付いた黒いカーゴパンツ、使い古した茶色のトレッキングブーツも履いており、服の下に隠れて良く見えないが均整が取れ、運動に長けた体格をしていた。
相手の失礼にならないよう、さっ!と上から下まで見たあなたはアンジュと目を合わし、もう一度「初めまして」と答えた。
「あの…ここって一体…あなたは何か知っていますか?」
初めての世界で初めての他人、アンジュは警戒をしているのか胸の前で両手を重ね、あなたにそう訊ねてきた。
「はい、知っていますよ。口で説明するより見て回った方が早いと思います。良ければ少し歩きませんか?」
「は、はあ…それはご丁寧に…」アンジュはあなたから視線を外し、少し斜めの空間をじっと見やった。
「そ、それは…何ですか?」アンジュが指を差したのは、もう長い間使っていないあなただけの選択肢。あなたが選択肢を無視するものだから溜まっていく一方で、既に九つの台詞が浮かんでいた。
あなたはそれでも無視した。だってもう必要が無いから!
「それも合わせて説明します。一緒に行きましょう」
「あ、はい、よろしくお願いします」
あなたはアンジュと共に家を離れた。
向かう先は沢山の人が集まる広場だ、そこへ行けばきっと色んな事が分かるだろう。
でも残念だ、あと少しでこの世界は崩壊する、そんな時に来るだなんて...
アンジュ・ハイゼッタ。
彼女がこの世界にとって──いや、あなたにとってとても重要な人物であると知るのは、この後すぐの事だった。
*
艦長席のデスクに置いた携帯電話がぷるりと震え、ライラはモニターから視線を外さず手を伸ばした。
モニターに映し出されているのは船内情報である。戦うために必要な弾や、乗組員たちの生活物資をライラは確認していた。もって数日だ、数日で状況を終了させなければ何処かで補給が必要であり、けれどそれはどうも叶いそうにない。
今やレイヴンはハワイ中から非難されていた、連絡を入れた旧ウルフラグ領からも「正気の沙汰とは思えない!」と反対されており、かと言って今さらハワイに戻ることもできなかった。
手にした携帯の画面を見やる。
レイア:ハイゼッタという人と会ったよ!
レイア:[写真を送信しました]
ライラ:あんたの方が無個性で可愛い
レイア:無個性って言わないで
レイア:普通に褒めてよ!
(我が儘娘め、それにハイゼッタって誰よ。──それよりも)
携帯をデスクの上へ戻し、ライラは耳にはめたインカムを操作して連絡を取った。
「艦長より乗組員へ、船にある物資から計算して作戦行動は最長でも二日、少しの猶予も許されません。各々留意するように」
それぞれから返事があり、ライラはもう一度コンソールに記された情報と睨めっこを開始した。
艦長から「物資の無駄遣いはすんなよ!」と言われたパイロットたちは、船内のハンガーにて発進準備を進めていた。
ナディたちメインパイロットは昨日からろくすっぽ休憩を取っていない。皆んな疲労が蓄積しており、思考も上手く定まらない。
ナディが最も嫌がった、所謂"ブラック環境"だったが、今の彼女は文句を口にする事なくただ淡々と発進シークエンスを進めていた。
きっと、この戦いが最後になる、その予感があった。だから文句を言わない、というわけではないが、不思議と気力が満ちていた。
「何の為に頑張るのか、ずっと悩んでたんだよね、私」
射出ポケットに収まったノラリスのコクピットシートに座り、コンソールに表示された各種ステータスの項目をタップしていく。
彼女の独り言ともつかない呟きにノラリスが反応する。
「え、何急に、何の話?」
「昔から良く分からなかったの、学校があった時は夢を追いかけている人の気持ちが良く分からなくて、仕事をしていた時も頑張って仕事をしている人の気持ちが良く分からなかった」
各種ステータスはそれぞれ、搭乗者保護装置(最優先!)、飛行ユニット(優先)、火器類(優先)、各関節部ショックアブソーバー(忘れてもいい)、収納式足底ボード(忘れてもいい)、燃料(無くても何とかなる)、携帯(ライラが持てとうるさい)、お気に入りの楽曲ファイル(超重要!)
ステータスを確認するに、飛行ユニットとショックアブソーバーの一部に破損が見られた。ま、無理もない、ダイビングキャッチしたんだし。
ナディはそれらの項目を確認しつつ、ノラリスと会話を続けた。
「今なら分かるって?」
「ううん、その人たちの気持ちは今でも良く分からないけど、何かの為に頑張るっていう事が何となく分かったような気がする」
「君は何の為に頑張るの?」
ナディはコンソールに微かに映っている自分の顔を見やりながら、にやりと笑みを作って答えた。
「この戦いが無事に終わったら教えてあげる」
「今教えなさい、縁起でもない、それ一生聞けないやつだよ」
「──誰かの為に、それが私が頑張る理由、かな」
ナディがちょっとの自信と大きな不安と共にそう答え、会話が途切れたところで艦長から再び連絡が入った。
インカムから愛する人の声が届いてくる。
「もう間もなくホワイトウォールに到着します、各自レールへ移動、以降別命あるまで待機。なお、ホワイトウォールの制空権は彼らの手に落ちています、壁を突破する前に取り戻す必要があります」
レイヴンは狭い、いくら空を飛べるからといって無尽蔵にスペースがあるわけではない、寧ろ逆、全てのスペースを節約するように押し込まれた形になっている。
その為、機体を格納する場所は船の後方、省スペースを実現するため全て斜めに設置されており、各パイロットはその狭い格納庫の中で待機していた。
発進許可が下りると船底部に位置する射出口へソケットが移動し、あとは「ポン!」と機体を発射する仕組みである。
射出口を"レール"、斜め式ハンガーを"ソケット"と呼んでいた。
第二ソケットに収まっていたスルーズ・ナルーのパイロット、マカナが艦長に質問した。
「どうして制空権が奪われていることが分かるの?」
「調べてもらったの、ドローンを先行させてその情報を得た」
「誰に?」
「それはまだ言えない。──第一から第三ソケット移動開始、船外発着場にいるポラリスは離陸準備を」
「了解!」
「了解です!」
「はいです!」
「了解〜」
ハンガーを斜めに固定していたロックボルトが解除され、そのまま下方向へ移動する。そして船底リニアカタパルトのレールにセットされ、後は艦長の命令を待つ。
この時、ソケットは外気に晒されており外の景色を見ることができる。今は薄暗いオレンジ色の空だが、普段は青い一面の世界が広がっている。
初めてこの世界で目を覚ました時のことを思い出した、あの時はしわ一つない鏡のような世界だった。
──五年の眠りを守ってくれたあの館は無事かなと、ナディは思った。
「………」
それからすぐ、艦長から発進命令が下りた。
「全機発進」
臨界点を保っていたカタパルトが発進ランプの合図と共にリリース、第一ソケットから順に機体が射出され、船上部に位置する発着場からポラリスが離陸した。
「目標はホワイトウォールの制空権奪取、マカナを先頭にフレアは援護、ラハムはナディと一緒に進路を変えて進行、挟撃を軸に展開している敵部隊を叩いてください」
「フレア!遅れないでよ!」
「マカナちゃんこそ追い越されないように気をつけてね!」
「ナディさんと一緒にフライト!ぐふふふっ…」
「艦長!後方からひどい寒気がします!」
「真面目にやれ!!」
一方、問題児たちが集合したヘイムスクリングラでも発進準備が整えられていた。
「船の操舵をAIに任せるって、正気なんですか?」
「じゃあ他に誰がやるって言うんだよ」
「本当にお前さんは信用されておらんな…手当たり次第に手を出すからこうなるんだ「言っておくがお前たちもだからな?」
ヘイムスクリングラのハンガーにて、それぞれ搭乗する機体が待機しており、三人ともコクピットシートに収まっていた。
ブリッジはホシが言ったように無人である、だが、AIが管制官の代わりを務めていた。
「このご時世、人の代役はAIなんだよ、覚えておけ」
「早くAIがえっちしてくれんかの、いちいち人間を口説くのが面倒だ」
「どうせロボット工学を専攻していたのもそれが目的なんだろ?」
「そうだが?」
「うわあ…セバスチャンさん、それは引きますよ」
「うわぁ…」
三人ともAIの発進指示を待っており、その間コクピットで雑談に興じている。セバスチャンの身も蓋もない発言に、モンローとホシがドン引きしていた。
「抜かせ!いいか、科学技術というものはいつの世も軍事力とえっちの為に心血が注がれるのだ!──お前さんらも思わんか?いくら抱こうが雑に扱おうが、文句も言わずにいつでもえっちしてくれるAIの方が良いだろう?」
「……………」
「……………」
セバスチャンのとんでも理論を耳にし、思わず「確かに」と言いかけた二人にマリサが突っ込んだ。
「ちょっと、反論ぐらいしなさいよ」
「そら見たことか、女は柔らかいくせにすぐ文句を言う!黙って股を広げていればいいんだ!」
「撃っていい?」
「待て、作戦が終わってからにしろ「それフォローになってませんよ」
「ホシ、AIを抱くぐらいなら私を抱いて」
「…………」
「…………」
「情けないったらない、そんな惨めな事するぐらいなら私を抱いていいからね?」
「ちっ…何でこんな軟弱な男にこんな良い女が付くんだ…」
「ちっ…何で俺にはこんな良い女がいないんだ…」
「いや、遠慮しておくよ」
「は〜〜〜?!」
「は〜〜〜?!」
「は〜〜〜?!」
なんて馬鹿な会話をしているところへAIから発進命令が下り、三機がリニアカタパルトへ移動した。
機体専用エレベーターに乗せられ、滑走路のレールにセットされても三人と一人はまだ会話を続けていた。
「だから!もう恋愛はこりごりなの!いいの!マリサとはそういう関係になりたくないの!」
「馬鹿か貴様は!抱いていいって言っているんだから抱けばいいんだ!男は黙って腰を振ればいいんだ!それで全てを忘れられる!」
「セバスチャンの言う通りだ!男は未知の快感を知ってこそ漢だ!今のお前はガキそのものだ!恥を知れ!マリサに悪いと思わないのか!」
「そんな理由で抱く方がマリサに悪いでしょ!彼女は性欲の捌け口じゃない!パートナーだ!」
「ホシ…」※胸がきゅううんとなる。
「ああ、ああ、これが一昔前の無自覚系主人公というやつか。死ね!そういう奴がハーレムを築くのが一番ムカつくのだ!」
「そのくせやたらとえっちイベントばかり起こして!その気がないなら初めから起こすな!恋の相談に乗っている親友が哀れだ!」
「ほんとそう!がむしゃらになって告白して振られているクラスメイトAの方がよっぽど漢だわ!」
「いやほんとそう!少しはモブキャラを見習え!」
「ねえホシ、この二人は何の話しをしてるの?」
「さあ、昔のアニメの話しじゃない?歳上って大体いつもこうだから。──あと、さっきみたいな事は人前で言わないで」
「あ、ごめん…二人っきりならいいの?」
「う──そういうわけでもないんだけど…で、できれば…」
「う、うん…気を付ける…でも、さっきのは冗談じゃないからね」
「いやだから、普通に照れるって」
「ふふっ」
「…………」
「…………」
平然といちゃつく二人を前にして、モンローとセバスチャンが声を揃えて「羨ましい!」と叫んだところで機体が離陸した。
**
大人しいけれど、決して人付き合いが苦手ではなさそうなアンジュを連れて、あなたは様々な人が集まる広場までやって来た。
その道中、アンジュはあなたに色んな質問をした。この世界について、この世界の成り立ちについて、そしてあなた自身について。
「この世界はもう壊れてしまうんだね、とんでもない時に来ちゃったな」
いくらか話しをするうちにアンジュは警戒心を解き、あなたを一人の友人として接してくれるようになった。
あなたはその事を喜んだ、たとえ世界が崩壊するとしても、心を通わせることは良い事である。
「うん、少し残念だけどね。でも、アンジュと友達になれて良かったよ、こんな世界だからこそそう思う」
「うん私も、最後にあなたと出会えて良かった」
「ふふ、私だけじゃないよ、広場にも沢山の人がいるからね、皆んなと友達になれるよ」
「そっか…」それまで笑顔だった彼女の顔に、さっと陰りが生まれた。
あなたはその変化を見逃さなかった。
「…どうかしたの?」
広場はもう目前だ、つたに覆われた石壁が見える。神殿を囲うようにして林立する樹々を抜ければ目的地だった。
その手前であなたは立ち止まり、アンジュと向かい合った。
暖かで優しい風が通り抜ける、その弾みで彼女の髪がふわりと舞い、青い光沢を持つ黒髪がちらりと反射した。
「ここに来る前…ううん、私が死ぬ前、喧嘩別れをした友達がいて…その人のことを思い出したの」
あなたには喧嘩別れをした友達はいない、だから彼女の悲しみが分からなかった。
「そっか…」
「仲直りしたい…でも、もう会えない…それが悲しくて」
「うん…」
会いたい人に会えない悲しみ、その辛さならあなたにも理解することができた。
あなたもライラと会いたかった、でも、その願いは叶わないことを知っている。もしかしたら、その悲しみを忘れたいためにあなたは色んな人と友達になったのかもしれない。
──そこでぬっと、突然子供が現れた。
「その悲しみ、この私が癒してみせてしんぜよう」
「──えっ」
「わっ──ああ、ガイアちゃん…驚かさないでよ」
「ふっふっふっ…」
歳不相応に笑う子供、それはプログラム・ガイアだった。
◇
「君はスーパーセルだろう、どうしてこんな所にいる?」
「え?すーぱーせるって…何?」
「…………」
「お母さん、この人誰?」
「私をお母さんと言うのは止めなさいとあれほど…」
「いやでもあなたは私のお母さんでしょう?いい加減認知して!」
「じゅ、一二分の一なら…」
「それならいい」
「え、それでいいの?」
場所は変わって広場、そこであなたは車座になって話しをしていた。
あなたの隣にはアンジュ、その隣にはプログラム・ガイア、そしてあなたを創造したスーパーノヴァ(ルビッシュ)が石畳みの地面にぺたんとお尻を付けて座っていた。
プログラム・ガイアが「それを言うなら…」と頭に付けてこう言った。
「君を産んだのはこの子だろう?それならこの子が君のお母さんになると思うけど」
あなたは返答に困り首をひねった。
「うう〜ん…なんか、そんな感じがしないんだけよね〜不思議だけど」
ルビッシュもあなたに同意した。
「私も自分の子供って思わないのよね〜良くて姉妹?エビフライを一緒に食べたくらいだし」
「まあ何でもいいけど「話し振っといて何その態度「もう少ししたら私の古い友人が来るから、それまでは四方山話に花でも咲かせよう。アンジュと言ったね?先程も質問したけれど、どうして君がここにいるのかな、ここはガーデン・セルではないよ」
「…………」
プログラム・ガイアに質問されても、アンジュは何も答えようとせず、苔に覆われた地面に視線を注いでいた。
不安になったあなたもアンジュに声をかけた。
「アンジュ…?もし言いたくない事なら無理に言わなくてもいいからね」
彼女がゆっくりと首を振った。
「ううん…どうして私がここにいるのか、自分でも分からないの。スーパーセルっていうのは…うう〜ん…まあ、身分みたいなものかな」
「身分?雲の事じゃなくて?」
「そっちじゃないよ」彼女が大人びた微笑みを溢す、それを見たあなたは安堵した。
スーパーセルとは巨大な積乱雲を言い、竜巻の原因となる雲の一種である。しかし、彼女の発言からして気象用語ではないのが窺い知れた。
「死を超越した人たちのことを言うの、魂が管理されて任意の素体に記憶を保持した状態で転生することができる、その人たちをスーパーセルって言うの」
「そんな事が…魂の管理って…」
プログラム・ガイアが茶々を入れる。
「死を恐れた老人たちの醜い箱庭さ」
また歳不相応に、「けっ」と顔を歪めてそう言った。
「そして、スーパーセルの魂が保存されているクラウド空間をガーデン・セルって言うの。私は本来そこへ行って、また新しい素体に転生するはずだったんだけど…どうしてかここに来てしまった」
「そうだったんだ…」
「それって損じゃない?」と、ルビッシュが言った。
「こんな所に来なかったらあなたはまだ生きられたのに、崩壊に巻きこまれたらそれこそ本当に死んじゃうわ」
「うう〜ん…それがね〜…私も意外なんだけど、全く気にしてないの」
「それはどうして?」
「記憶ってね、とても重いんだ」そう言った彼女の顔に、あなたには窺い知ることもできない濃くて強い疲労が浮かんでいた。
「できる事なら全部忘れてしまいたい、何を見ても聞いても知っても新鮮さも感動もないんだよ。生前の記憶があるって、とても疲れるんだ」
「君は老人たちの実験に巻き込まれた被験者のようなものだ、望まぬ不死は呪いに等しい」
あなたは恐る恐るアンジュへ訊ねた。
「どれくらい…生きているの?」
アンジュは崩壊が進み、宇宙と似て非なる暗黒の空を見上げ、それからゆっくりと視線を戻して答えた。
「大体…二〇〇〇年くらい…かな?」
あなたは答えを聞いて驚愕した。想像を絶する年月だ。
「生身の人間でその年月は地獄だろう、私たちのようなマキナであれば記憶をアーカイブ化させて整理することができるが…君は違う」
「そう。それでもね、生きるんだ、私たちは」
「…………」
「…………」
あなたとルビッシュはまだ生まれたばかりである、だからその苦しさ、大変さ、辛さを理解することができず、黙って耳を傾けていた。
*
赤とオレンジを混ぜると朱色になる、別の名前ではバーミリオン。
その軌跡を空に描くスルーズ・ナルーとノラリスが二手に分かれ、その後をスルーズとポラリスがそれぞれに続く。
レイヴン本隊より後方、ヘイムスクリングラから出動したマリーンの特個体たちも後に続いていた。近接戦闘特化のガングニールを先頭に、ミドルレンジ対応のマリサ、その後ろにオールレンジ対応のダンタリオンが付いている。
ハワイの中でも取り分けて戦闘能力を持つ二部隊、この両部隊より先行する形でNewクラーケンが海中を進んでいた。
ヴァルキュリア本土の(多大な)助力があって修理、改修を終えたNewクラーケンのブリッジにて、オーディン・ジュヴィはディアボロスと肩を並べて立っていた。
「何で付いて来た」
オーディンは傍らに立つ長年の相棒を見上げた。
相棒はオーディンに視線を向けることなく、仮想出力された周辺海域のマップやレーダーなど、難しい顔をしながら見ていた。
「お前一人に任せるのが心配だったからだ。──そんな事より、サーストンの情報は正しいようだ、ホワイトウォールに未確認IFFを感知した、それも多数」
ふん!と言いつつも、心配して来てくれたディアボロスに心の中で感謝しつつ、オーディンもマップへ視線を向けた。ちょっとチカチカし過ぎじゃない?
「設置されているホワイトウォールの防御火器も彼奴等に掌握されているやもしれん──燃えてきた〜〜〜!──じゃなくて、それを念頭に作戦行動を立てるべきだろう──このまま突っ込んでドカン!と一発!──じゃなくて、レイヴンに連絡を入れよう」
「ディアボロスさん…来て下って本当にありがとうございます…ドカン!と一発なんてやったらホワイトウォールの人たちに嫌われてしまいます〜」
「気にするな、こいつの奇行は全て予測の範囲内だ、僕が全力で阻止する」
だが、その奇行とも言うべき作戦が採用される事となった。
「本当にドカンと一発?正気か?」
ディアボロスが自分と同じ目線の位置にあるVUI (バーチャル・ユーザインタフェース)へ、怪訝そうにしながらそう答えた。
VUIにはライラの顔写真が出力されており、通信中であるオンラインを示していた。
「今となってはもうシルキーたちは根絶されたけど、奴らに耐え得るだけの防御火器をホワイトウォールに設置したわ、クラーケンに先行してもらってドカン!ってしてもらわないと私たちが蜂の巣にされちゃう」
「いやしかし…」
ディアボロスはあの魑魅魍魎の大波を知らないのだ、異形が集結した黒い波は何をも飲み込む。
その経験があったライラはもう二度あんな惨事を引き起こさないよう、ホワイトウォールに「これでもか!」と拠点兵器を設置した経緯があった。
それが今、裏目となっていた。
ライラの隣に新たなVUIが投影された、相手はオリジンのグガランナだった。
「話は聞かせてもらったけど…ホワイトウォールの兵器が敵の手に落ちたと決まったわけではないのでしょう?その確認はすべきだと思うわ」
「どうやって?今から偵察兵を潜り込ませるのか?」
ライラが答える。
「私に任せて」
**
ポケットに入れていた携帯がぷるりと震えた。あなたは皆んなに断りを入れながら携帯を取り出し、画面を確認した。
案の定、相手はライラからだった。
ライラ:ホワイトウォールの火器管制システムを調べて
内容はそれだけ、つまりいつもの依頼である。
(調べてって言われても…今大事な話を…)
レイア:今すぐ?ちょっと今立て込んでて…
ライラ:?
ライラ:あんた一人ぼっちのくせに何言ってんの?
あなたはライラのメッセージに怒りを覚え、その怒りが口から迸った。
「何だって〜〜〜?!」
他の皆んなが「(´・Д・` )?!」と仰天した、あなたが急に大声を出したからびっくりしたのだ。
「何事なの?」
「いやそれが──」あなたは怒った理由を皆んなに説明した。
今日までライラの依頼をこなしていた事、その時に知り合った人と一緒に写真を撮った事、そしてそれをライラにも送っていた事、それなのに一人ぼっち呼ばわりされた事。
話を聞き終えたプログラム・ガイアが、酸っぱい梅干しを食べたような顔つきになった。
「かっ〜〜〜!あの我が儘女王はまだ我が儘をしているのか!君も大変だ」
「え、ライラの事知ってるの?」
「知ってるも何も、目が見えなかった彼女の為に一肌脱いだのはこの私!(※嘘)、あの時から彼女はとても我が儘だったよ。で、今度は何をお願いされたの?」
あなたはかくかくしかじかとプログラム・ガイアに依頼内容を伝えた。
話を聞き終えたプログラム・ガイアが、ぺたんと地面に付けていた小さなお尻を上げ、その場に立ち上がった。
「ふむ、どうやら向こうは騒がしいようだ…仕方ない、また一肌脱ごうか、これではせっかく転生してもおちおちお乳も飲めやしない」
「転生って…」
あなたはプログラム・ガイアのその言葉に引っかかりを覚えて訊ねるが、「その話は私の友人が来てからにしよう」と断られてしまった。
プログラム・ガイアがあなたから視線を変え、ルビッシュを見やる。
「娘よ、全てのレイヤーを掌握している母の力を見るがいい」
「…………」
ルビッシュはプログラム・ガイアをじっと見やり、それからアンジュやあなたも今から何が起こるのか、すこしワクワクしながら見守った。
皆んなの視線を集めたプログラム・ガイアが「ほい」と言うと、足元の地面に小さな芽が出てきた。
また「ほほい」と言うと、今度はその小さな芽の上、距離にしても数十センチ程度だが、小さな火の玉が出てきた。
アンジュが「それ何?」と訊ねると、プログラム・ガイアが「太陽」と答えた。
またまた「ほほほい!」と言うと、手のひらサイズの綿菓子が生まれ、その綿菓子から水滴が落ち、小さな芽にぽつぽつと当たった。
水滴が当たった小さな芽に変化が起きる、にょきりにょきりと伸び始めたのだ。
「え、家庭菜園する気なの?」
ルビッシュが茶々を入れる、プログラム・ガイアは「黙って見ていなさい」とだけ答えた。
綿菓子のような雲から雨が降り続け、小さな太陽から日光が降り注いでいる。プログラム・ガイアが生み出した小さな恵みを一身に受けた芽が成長し、やがては皆んなの背丈を超えてぐんぐんと伸びていった。
いやほんと伸びる、もう神殿を超えそうだ、高さで言えば十数メートル以上はある、皆んなが見上げている今もなお伸び続けている。
いやほんとに神殿を超えちゃった、他の広場にいた人たちも何だ何だとここまでやって来るほど、その中に見知った顔がいくつもあったのであなたは挨拶を交わした。
その人はドローンについて色々と教えてくれた技術者だった。
「これは一体何の騒ぎ?君のお母さん絡みかな」
「うん、そうなんだけど…」
あなたは詳しい説明ができないので、プログラム・ガイアに助けを求めるが、「だから見てたら分かるの!」と怒られてしまった。
代わりにルビッシュが教えてくれた。
「お母さんはここにガイア・サーバーを作ったんだよ。そうだよね?」
「ガイア・サーバーを作った?どういう事なの?」
「こんなもんかな〜…」プログラム・ガイアはすっかり高くなった大樹を見上げている。
「──ん?そうそう、ガイア・サーバーをここに仮想展開した、これでマリーンの全システムをここから操作することができる」
「仮想展開って…」
「違うOSのファイルをサーバーに保存する時にも仮想メモリってのがあるでしょ、それと似たようなもん。どのみち転生する時にもこれが必要だったから、我が儘女王はついでだよ、ついで」
プログラム・ガイアが伸びた大樹からにょきにょきと生え始めた幹から視線を外し、あなた、アンジュ、最後にルビッシュを見やり、またもう一度あなたに視線を戻しこう言った。
「ここから離れて誰かの子供になる気はある?」
*
ホワイトウォールに展開しているヴァルヴエンドの部隊は、既に接近してくるレイヴンたちを掌握していた。
エラム級駆逐艦のブリッジでは、早速迎撃作戦が開始されていた。士官が得られた情報をまとめ、艦長に報告を行なっていた。
「現在接近中の敵部隊は母艦二隻、機体総数は七、それからリガメル社製の軟体武装潜水体が一」
報告を聞き終えた艦長が呟きを漏らす。
「ドゥクスの置き土産か…──本隊の作戦完了までここを死守する、潜水体を最優先とし部隊を配置しろ」
「押収した拠点兵器は投入しますか?」
「状況次第だ、潜水体が防御線を突破したら使え」
「了解しました。これよりレッドアラートで対応します」
ヴォルター・クーラントが聖槍で穴を穿ち、両国間の通り道になったばかりの頃はまだ山としての機能があった。
けれど今となっては立派な街に変化しており、人々は山肌に家を建て道を作り、交通の要所として栄えさせていた。
エラム級駆逐艦のブリッジからその街並みが見下ろせた。嶺には対空砲から投擲魚雷発射管、CIWSまで設置されており、山肌には鉄骨をぶっ刺してその上に道なり家なりがある。
その密集地帯を抜けた先には、山が削られ大きく開けた箇所があった。天然のトンネルだ、現地人たちは述べ四キロにも達する山の一部を削り、船が行き来できるようにトンネルまで作っていた。
現在は特殊戒厳令を敷いているため、人々の姿はどこにも見当たらない、家屋の中に閉じ込めていた。
まるで蟻だと、艦長は思った。
あんな住み難い場所にも関わらず、現地人たちは無理やり巣を作って生活をしている、逞しいと思う反面、強い忌避感もあった。
そんな街並みから艦長が視線を剥がした時、ブリッジにアラートが響いた。進行していた潜水体が防御線に再接近してきたのだ。
艦長が防衛部隊に指示を出した。
「状況を開始せよ。あちらにはスカイダンサーがいる、無理はするな、ここを守ることが我々の仕事だ」
エラム級駆逐艦の他に、アッカド級護衛艦が二隻、それからべヒストゥン級軽空母艦が一隻、それぞれの船から人型機が飛び立った。
たった七機に対してこの陣容、彼らがいかにスカイダンサーを警戒しているのか、その布陣から見て取れた。
"ドゥクスの置き土産"である軟体武装潜水体は、オーディンが操るクラーケンの事である。偵察用に放ったドローン映像から、海面のすぐ下を高速で移動する潜水体が映し出されていた。
最接近までもう間も無くだ、スカイダンサーを押さえる前にまずはあれを何とかしないといけない。
艦長は網膜に表示させた潜水体の情報を、出動したパイロットたちへ伝えるため読み上げた。
「リガメルから持ち出された潜水体のモデルは地中海仕様の物だ。移動性に優れ、多数の攻撃手段を持つ、接触する時は必ずバディを組め、ソロは禁止する」
地中海はジブラルタル海峡を入り口とし、大地の中に存在する内海である。そのため、地中海の波は穏やかで最大深度も五〇〇〇メートルほどだ。
オーディンが扱う潜水体は稼働時間は考慮されず、短時間の内に成果を出すよう製造された攻撃特化型のモデルである。
他のモデルとして、長時間の稼働に優れた太平洋モデル、最大積載量と最大スペースを有する居住モデルなど、潜水体の種類は多岐に渡る。
その種類の中でもオーディンが操る潜水体は攻撃タイプだ、だから対策も講じてきた。
北東方面から進入してきた潜水体が防御線に接近し、停止する素振りを見せないと分かるや否や、艦長が即座に命令を下した。
「制圧部隊へ、押収した投擲魚雷及び対艦隊砲を起動、指示された座標に攻撃を開始せよ」
白い嶺に並ぶ拠点兵器が起動し、オレンジ色の光りを薄ぼんやりと反射させた。制圧部隊を指揮する隊長は命令通りに座標をセットし、猛然と進んでくる潜水体へ狙いを付けた。
発砲。二発の投擲魚雷が空中に弧を描いた後海へ没し、それから対艦隊砲が火山噴火のような火を吹いた。どれも一撃で軍艦を沈める威力だ、着弾すれば最新鋭の潜水体とは言えひとたまりもないだろう。
防御線を突破しようとしていた潜水体に着弾、数十メートルに及ぶ水柱を上げる。
着弾の成果を確認していた制圧部隊の隊長が「なっ!」と小さく叫んだ。
「馬鹿な、分裂しただと?!」
そう、狙い通りに着弾したはずの潜水体が二つに分かれているっぽい、一つだった水飛沫が今や二つに分かれ、易々と防御線を突破していた。
だが、まだ投擲魚雷がある、それも二発。
隊長はきちんと処理できるよう祈りつつ、護衛艦の艦長へ連絡を入れた。
「これはどういう事だ?!こんな仕様は聞いていないぞ!」
どうやら艦長も寝耳に水だったらしい、ひどく慌てた様子で返事があった。
「い、今調べているところだ!わ、私もこんな仕様は聞いていない!──残りの兵器も全て起動させろ!」
「今から?!とてもじゃないが間に合わな──」隊長は途中で口を閉じ、双眼鏡の向こうにある光景に思わず目を見張った。
発射した投擲魚雷は二発、分裂したと思われる潜水体に着弾し、今度はドーム状の水柱を上げた。「今度こそは!」と思ったが、なんとその水柱の中から二機の特個体が踊り出てきたのだ。どういう事?
その特個体の大きさは多く見積もって優に三〇メートルはある、足元にはボードが装着されており、サーファーよろしく海の上を滑走している。
潜水体ではなかった?しかし、IFFはきちんとリガメル社製の潜水体である。いやほんとどういう事なの?
突如として出現した二機の特個体はどちらも同じ外観をしており、イカ人間みたいな奇怪な見た目をしていた。腕部と脚部が異様に長く、胴体部はぐにゃりと前傾姿勢を取っている、頭部はイカっぽく細長い、背中には複数の触手が伸びていた。
防御線を突破し、先頭にいた大型の特個体が背中から伸びる触手を前方へ持ち上げ、ホワイトウォールの嶺へその狙いを付けた。
ぐにゃぐにゃしていた触腕がぴんと真っ直ぐになり、先端がぱかりと開く。薄気味悪いその様子を観察していた制圧部隊の隊長がはっと何かに気付き、鋭く声を上げた。
「今すぐに避難しろ!!」
ホワイトウォールの一部をくり抜き、その中に設置されていたコントロールセンターにいた彼らは素早く駆け出し、だが、敵の攻撃の方が一足早かった。
撃ってきたのだ、そんなまさかと疑ったが、敵は自陣の拠点を平気で撃ってきた。
制圧部隊はその攻撃に巻き込まれ、ほんの瞬きの間に全滅した。
「そんな馬鹿な…市民の犠牲も厭わぬとは…野蛮などとは生温い、ただの殺戮だ…」
二機に分裂した潜水体は、こちらに構うことなく拠点兵器を次から次へと鉄屑に変えていく。ホワイトウォールはなす術もなく味方の攻撃によって崩れ始め、薄闇の空へ黒煙を上げていた。
ホワイトウォールには非戦闘員たちもいたはずである、彼らの居住エリアも攻撃に巻き込まれている。家は崩れ、道は塞がり、港も崩落した岩によって破壊されていた。
護衛艦の艦長は強い憤りを感じていた。自分たちが侵入者であることを忘れ、市民をも皆殺しにする彼らのやり方に。
「──恥を知れ!──総員戦闘準備、野蛮人共を始末しろ!」
**
「間に合った間に合った、これで大丈夫でしょ」
「ホワイトウォールの人たち、無事に逃げ出してくれたら良いんだけど…」
「君も自分の心配をした方が良い、もし万が一我が儘女王の子供になったら、さっきみたいな無茶振りを受け続けることになる」
「にしても、リガメルの船があんなに魔改造されるなんて…ここの人たちは随分と高い技術力を持っているんだね」
「ドゥクスの仕業だ、君も会ったことぐらいあるだろう」
「ああ…結成式の時に何度か…」
「マリーンが取り分けて高い技術力を持っているのも彼の仕業だ、功績と言ってもいい。──さて、我が儘女王の我が儘を片付けたところで本題に入ろう」
プログラム・ガイアが構築したガイア・サーバーの幹は、今や神殿地域を覆うほど成長しており、彼女たちの頭上に大きく広がっていた。
その幹には、夜の歓楽街を彩るようなピカピカの看板が付いており、それぞれ「報告完了!」「避難指示完了!」「ライラは我が儘女王!」と書かれていた。
プログラム・ガイアはガイア・サーバーを通じ、向こうの世界にアクセスしたのだ。ライラへ火器管制システムについて報告し、ホワイトウォールに住む人たちへ避難するよう呼びかけていた。これでオーディンがばかすか攻撃しても問題無いだろう。
「さっきも言ったけど、誰かの子供になるつもりはある?」とプログラム・ガイアが三人へそう訊ね、その三人は言葉の意味が上手く飲み込めずはてと首を捻った。
「そのまま意味さ、向こうの世界に転生して一からやり直す」
「転生って…」あなたは"転生"という言葉に強い興味を引いた。
「でも、ここはレガトゥムで…」
「そうだね、ここはガイアたちが作った箱庭だ、本来なら三次元の世界へ渡ることは不可能。でも──彼女が橋を架けてくれた」
あなたの胸がどくん、どくんと脈を打つ。
え、ガチ?みたいな、目の前にいる小さな女の子が自信たっぷりにそう言うものだから、淡い希望を抱いてしまう。
けれど、ここはもう間も無く崩壊する二次元の世界だ。
ルビッシュがプログラム・ガイアの話に合いの手を打つ。
「彼女って、もしかしなくてもスカイダンサーの事?」
「そう、電子の海に沈んでいたワールディリアが架け橋となってこちらとあちらを繋いだ、だからあの我が儘女王は帰還することができた。その架け橋はまだ残っている、私たちもあちら側へ行く事が可能だ」
「…………」
あなたの胸がさらに強く脈を打った。
プログラム・ガイアの話が本当であれば、あなたは崩壊に巻き込まれないどころか、自分の事を娘のようなものだと言ってくれた彼女の元へ行くことができる。
「ただ──」プログラム・ガイアは少しもったいぶるような言い方をした。
「普通に渡るのは面白くない、そこで趣向を凝らすことにした」
「いや普通でよくない?」
ルビッシュの突っ込みを受けつつプログラム・ガイアは話を続ける、木漏れ日が彼女の小さな顔にかかっていた。
「私たち四人はシェイクしようと思う」
「シェイク?混ぜるってこと?」
「うん、それを言うならミックスだね」プログラム・ガイアの冷静な突っ込みに、言葉を間違えたアンジュがさっと頬を赤く染めた。
「シェイク・イット・オフ──自分自身を苦しめる記憶と縛りつける立場を振り落とし、まっさらな状態になる。自我の消滅は生命体にとって最大の恐怖だが、魂にとっては最大の癒しだ。──一から全てをやり直す、あなたたちも私も」
「………」
「………」
「………」
アンジュ、それからルビッシュ、それにあなたも、プログラム・ガイアの話に聞き入っていた。
風が吹いているのか、頭上を覆っている枝から葉擦れの音が降りてきた。ざわざわと、その音ですら大きく感じる、それだけこの場が静けさに満ちているいう事であり、皆んながプログラム・ガイアの話について考えを巡らせていた。
淡々とした様子で話をしていたプログラム・ガイアが柔和な笑みを浮かべた。
「誰の子供になるかは分からないけれど、まあ、それは仕方がない、親子の間柄は予約制ではないからね。それに、母という存在も小さな赤ん坊から始まるものさ」
アンジュが答える。
「──それは無理だよ、君の提案は魅力的だけど、私は管理されているから」
「静電基盤の話だね?だから振り落とそうと言ったんだ」
「…………」
アンジュもプログラム・ガイアの話をようやく理解できたらしい、瞳が大きく開かれ、小さな彼女を食いるように見つめていた。
「くぅー」
突然、あなたの耳元に動物のような鳴き声が届いてきた。あなたは背後へ振り返った、そこには一匹の動物を胸に抱えた一人の女性が立っていた。
「来たね」
「………」
「くぅ〜?」
その女性はあなたから見て、逆光を浴びているので顔が良く見えず、けれど怒っている雰囲気を醸し出している。プログラム・ガイアが声をかけても返事はせず、ただじっと睨んでいた。
座り続けて疲れたのか、ルビッシュが立ち上がりお尻をぱんぱんと手で叩いた。それから、女性が抱えている動物を指差し「それ、監視装置だよね?」と言った。
あなたは「何それ」と訊ねた。
「監視装置ってのは、それぞれのテンペスト・シリンダーを監視する機体の事だよ。動物だったり人だったり、まあ、そこに紛れて人の営みを観察する存在の事かな」
「そんなものまでいるんだ…」
「ああ、私の友人だよ、憎たらしいほどに計算高い卑怯者だ」
「それはあなたでしょうに、ガイア。ロマンチックな別れをしたかと思えば…まさかこんな事になっているだなんて…」
やっぱり怒ってた。女性は胸に抱えていた動物を地面に下ろし、つかつかと歩み寄ったかと思えばプログラム・ガイアの小さな頭を一つ、ぱしんと叩いた。
「くぅ〜!くっくぅ〜!」
「え…何で喜んでるのその子…」
「ふん、その意地の汚さも変わらないね…」プログラム・ガイアがさすりさすりと頭を撫でる。
「で?私たちまで巻き込んで、あなたは一体何をしようというのかしら」
「君たちはライアネットの使者だ、それから地球全土を遍く監視する絶対者でもある。マテリアルとメンタルの両コアも一緒に向こう側へ渡ることができれば、私たちは追跡を逃れることができる」
別称『くぅちゃん』はマテリアル、そして怒っている女性が延終末監視装置群のメンタル・コアである。
「それ、私が協力するとでも?あんな別れ方をして、私がどれだけ悲しんだのかあなたは知らないでしょう」
「おや?私との別れを悲しんでくれた?いやはや、これは意外だ、てっきり好かれていないのかなと思っていたよ」
「別に…そんなんじゃ…」
図星を突かれたのか、女性がすっと視線を下げた。
二人の成り行きを見守っていたアンジュが、おずおずと手を挙げた。
「あの〜そろそろまとめてもらえると…こっちからしたら何が何やらなんだけど」
「それもそうだ。──こほん」と咳払いを一つ、それからプログラム・ガイアが語り出す。
「私は長年に渡って自分の役目を果たしてきた、時には人に疎まれたり、時には崇められたり、そのどれもが自分の為ではなくマリーンの為だった。もういいでしょう、私は十分頑張った、誰かの庇護下に入って一からやり直したい、そう結論したことが事の発端だ」
なんだかんだと、久しぶりに会えて嬉しいのか、皆んなからくぅちゃんと親しまれていたマテリアル・コアがプログラム・ガイアの足元へ寄り、その場で丸くなって寝息を立て始めた。
「彼女がこの子をルーターにしてサーバーへアクセスした時、私はチャンスだと捉えた。自身をリブートし一時的にレガトゥムへ隠れ、機会を窺っていた。案の定、この子はサーバーへ再度アクセスするためレイヤーの一部を掌握し、ライアネットにまでその手をかけようとした。分かるかな?今、このレガトゥムは全てのサーバーと繋がっている事になる、そのせいで他覚障壁が不安定になり、もう間も無く消滅してしまうが、最後の最後にナディが橋を架けてくれた。でも、ただ渡ってしまうとすぐに見つかってしまう、だからシェイク・イット・オフを講じて一からやり直そうと提案したんだ」
レガトゥムの崩壊は近い。プログラム・ガイアが言った通り、この世界はライアネット、それからガイア・サーバーともリンクを確立しているため不安定になっているのだ。ライアネットもガイア・サーバーも、アプリケーションからアクセスルートに至る全てのプログラムが膨大である、生まれたてのレガトゥムなぞ簡単に飲み込まれてしまう。
言わば、レガトゥムは"方舟"とも言えた。
その理解を持っていたプログラム・ガイアは、しっかりとした口調でこう続けた。
「遥かな過去において、絶対であった神々ですらなし得なかった事である。自身の立場を失くし一からやり直す、彼らはそれを人に託すことはできても自分たちはできなかった」
あなたは一つの疑問を口にした。
生まれ変わると言っても、あなたたちはこの世界の住人である、つまり二次元の体しか無い。
「私たちが転生したらどうなるの?誰かのお腹の中から生まれるの?」
あなたの疑問に気付いていなかったのか、ルビッシュとアンジュが「ああ」と言った。
プログラム・ガイアが答える。
「さっきも言っただろう?この世界は全てのサーバーと繋がっていると。簡単な答えさ、ヴァルヴエンドが所有しているスーパーセルの素体を利用させてもらう」
「いやそれって──いや、いいのか…でも、私たちの街に転生しても親はいないよ?あっちって親子関係ってほぼ形而上だから」
「形だけってこと?」
「そうそう、一緒に住むこともないし、会うことはあってもほぼ他人だからね。家族を持つのは大人になってからだよ」
「え〜それは何か…やだな〜」
「ふむふむ、ならヴァルヴエンドはノーマルレアと言ったところか「その例えは止めて、いや合ってるけど」
ルビッシュがプログラム・ガイアに訊ねる。
「他には?他の場所には転生しないの?」
「する、ヴァルヴエンドから最も近いテンペスト・シリンダーでも素体の導入が始まっているからね。他には…そうだね、マリーンにも転生するかもしれない」
あなたは食いついた!
「そうなの?!」
「私のマテリアル・コアだね、今は自動対応に設定しているから勝手にやっているだろうけど、そういったマテリアル・コアにも転生するかもしれない。ほんと、どこに転生して次の人生を歩むかは運次第だ」
「私絶対マリーンがいい!」
「いやあんたね、よしんばそうなったとしてもあの氷の女王の事は覚えてないんだよ?」
「それでもライラと一緒がいい!」
「私からしてみればあんな我が儘女王の子供なんてリセマラ案件だけど「そういう言い方しないで!」
噂をすれば何とやら、枝から伸びていた「ライラは我が儘女王!」の看板の文字が変化し、「緊急案件!」と表示された。またライラからの依頼だ。
「はあ〜またか…まあ、それだけ向こうは騒がしいという事だ。仕方がない、協力しよう」
転生の話は一旦お開きとなり、プログラム・ガイアがまたサーバーの操作に入った。
*
Newクラーケンがドカン!と一発かましてくれたところまでは順調だった、予想外の攻撃に敵の足並みが乱れ、その隙を突くように一隻の船を空から海へ落としてみせた。
だが、敵も間抜けではなかった、奇襲による混乱はほんのいっときで終息し、すぐに足並みを戻して反撃してきた。
レイヴンのブリッジが激しく揺れる、敵艦隊の攻撃を回避しているのだ。
いくら踏ん張っても体ごと揺らされ、デスクの上に乗せていた携帯はどこかへ飛んでいってしまった。
(いつもいつもナディたちに守られていたから…これが艦隊戦、早く終わらせないと体がもたないわ!)
挟撃を指示したのは間違いだったかもしれない、展開している敵部隊は執拗にレイヴンを狙い、こちらの進行を妨げようとしている。
ヘイムスクリングラの部隊もレイヴンの護衛へ回ってくれているが、防戦一方だ。かと言って、敵陣へ飛び込んでいるスカイダンサーを呼び戻すわけにもいかない。防衛と攻撃を同時に進めなければこちらの体力がもたない。
ライラは踏ん張りながら姿勢を保ち、マイクへ向かって叫んだ。
「オーディン!ディアボロス!早くこっちに戻って来て!」
「う、うむ!分かっておるが──この魚雷シートは何だ?!どうして剥がれない!」
「だから迂闊に突っ込むなと言っただろう!彼らはきちんと対策を講じているはずだと!これは対魚雷ではなくて対特個体用のシートだ!」
ヴァルキュリアの元で改修(魔改造とも言う)されたNewクラーケンは母体を核とし、二機の分裂型特個体によって構成されていた。
それぞれの機体にはオーディンとディアボロスが搭乗し、我が儘娘の働きによって無人化したホワイトウォールを攻撃してもらったが、敵の何らかの兵器により足止めを食らっていた。
どうやら身動きが取れないらしい、それもオーディンが突っ込んだせいらしく、二人のやり取りからおおよその状況は掴めていた。
状況は芳しくない。
ライラはブリッジの外を見やった。激しく揺れ続けている視界の中、朱色の筋をいくつも空に残すスカイダンサーを見守った。
愛する人が空で戦っている、踊るように、舞うように、まるで一人だけ演技をしている舞台役者のよう、敵の部隊はそんな彼女に翻弄されなす術もなく落とされていく。
大きく円を描いたかと思えば急に一直線を描き敵へ強襲、その後は真上方向へ急上昇し追随を許さず、かと思えば『く』の字を描いて急降下、彼女が動く度に空に大きな花火が上がった。
(強い、強過ぎる…たった一機であの撃墜能力、敵には同情するわ)
よく見やれば、彼女が残した朱色の筋がハートマークに見えなくもない。え?こんな時にすら愛の告白?もうやだ、普通に恥ずかしい。
なんて現実逃避しているライラの元へ悪い報せが届けられた、お相手はオリジンのグガランナから。
「レイヴン艦長へ!旧ウルフラグ領から熱源多数!おそらく敵の増援部隊だわ!」
「いやガチかよ、もう既に手がいっぱいなんですけど──とか言ってる場合じゃない!」
「私の船からも増援を出すわ!何とかこの局面を凌いでちょうだい!」
ライラはこの時、「ん?何で助けるの?」と疑問に思うが、背に腹は代えられないので有り難く甘えることにした。
「助かります!」
その直後、レイヴンのレーダーにグガランナのIFFが反映され、五機の特個体の出動を確認した。
そこでまた、「ん?」と思った。
(五機?確かあの船が所有していた特個体は三機だったはず…)
まあ、何はともあれこの状況での増援は有り難い。
船の動きが収まったタイミングを見計らい、ライラは艦長席から立ち上がって携帯を回収しに行った。
牛さんが飛沫を上げながら海の上を進んでいる、まるで腹を空かせた猛獣のように。
その牛さんから発進した機体は五つ、内二つはバルバトスとデュランダル(アマンナは外出ナウ)、そして残りの三機はと言えば...
「絶対殺す」
「銀河の果てまで追いかけて代金を支払わせる」
「拘束して口を割るまで水責めにしましょう「いやそれだと喋れなくない?」
ヒルド・ノヴァ、ヘルフィヨトゥル、それからタイプ333(スリーセブン)の三機だった。
三人は元司令官を絶対殺すマンに変貌し、牛さんとは違う意味で空をぶっ飛んでいた。
フランが吠える。
「何で私たちを置いて一人で行くのよ!信じられないあの女ったらしめが!こういう時だけ格好つけんじゃないわよ!」
そう!三人はとても怒っていた、普段はヘラヘラと笑って口説いてくるくせに、いざとなったらこちらを頼ろうとせず一人で解決したがる。男ってほんと、みたいな感じでフランとオハナはお冠になっていた。
カゲリは違う、彼女にそんな義侠心は無い。
「貸し切りにするって約束は絶対果たしてもらう!労働者が泣き寝入りする時代はもう終わったんだ!」
そんな三人を眺めていたナツメは心配だった。
今から大事な局面を迎えているというのに、この三人は大丈夫だろうか?
「おい、頼むから内輪揉めは事が終わってからにしてくれよ」
「いやもう既に揉めてるのに何言ってんの?」
「労働に対する報酬を踏み倒すならず者を庇うって言うんですか?あなたも同類ですよ?」
「ナツメ様、これは私たちの問題です。ここまで運んでくださった御礼はございますがそれはそれ、これはこれ、です「分かった分かった」
ナツメは諦め、追従しているデュランダルへ指示を出す。
「デュランダル、あの三人は放っておけ「元からそのつもりです「お前はカバー、私が前に出る「ホームランを打たれた人がよく前に出れますね」
敵なのか味方なのかよく分からないデュランダルに背後を任せ、ナツメが前に出る。
いくら非常灯に照らされ、世界が暗雲に包まれたとしても空気の質は変わらない。海の上を行く風は潮を運び、また多分に湿気も含んでいるのでどこか包み込まれているような感覚を受ける。けれど、空気の質も数時間前から徐々にではあるが変わってきている。
この事をナツメは誰にも報告しなかった。
(テンペスト・シリンダー内の酸素濃度が低下し始めている…早く復旧させなければこのままでは…)
この事を知ったあの子は、間違いなく自分の牙を折って相手側に付くことだろう。まだその時ではないと判断したナツメは、黙秘することを選んでいた。
ここはスカイダンサーたちの国だ、誰人の侵略があってはならず、また誰人の支配も受けるべきではない。
もし支配を受け入れてしまえば、過去のカーボン・リベラと同じ道を辿ることになってしまう。
きっと多くの人たちが不幸を抱え込み、世界を呪いながら生きていくことになるだろう。
《ナツメ、考え事をするのはいいけど後にして。言っておくけどあなたも危ない橋を渡ろうとしてるんだからね?》
《──忠告どうも。アシストを頼む》
旧ウルフラグ領から出現した敵部隊の構成は航空艦四隻、人型機三六機の一個中隊である。「絶対に通さない!」という敵の固い意志が窺える布陣だった。
ホワイトウォールに展開していた部隊にすら手を焼いているこの状況で増援は確かに痛い、プエラの言う通りこちらも無傷では済まないかもしれない。しかし!ここにはあの子がいる、そう、フラン・フラワーズ、アヤメに勝った正真正銘のモンスター。
モンスターの運用次第ではこの戦況をいくらでもひっくり返すことが可能だ。
この事をオハナも良く理解していたのか、ある意味でモンスターのカゲリに先行するよう命じていた。
「カゲリ、まずはあなたがご挨拶へ行きなさい、私たちは後から伺います」
誰にでも歯向かい、誰にでも対価を要求するある意味モンスターが「はい!」と素直に返礼し、ナツメはまだ一度もやったことがないスキーの要領でかっ飛んでいった。
二本のバーミリオンが空に刻まれる、その線はジグザグに、時折り真っ直ぐになりながら敵陣へと侵入していく。
互いに増援を迎えた両部隊の火蓋が、再び切られた。
よく分からんリガメル社製の軟体武装潜水体を、捕獲用粘着シートで足止めしていたヴァルヴエンドも敵の増援にはいち早く気付いていた。
ホワイトウォールは壊滅的だ、見る影もないとはまさにこの事。押収した拠点兵器はもはやただの鉄屑であり、何の効力も無い、防御線を突破されたらあとは通行用ゲートまでズドンだ。
だから必死だった、この山を越えられるわけにはいかない。いくら潜水体を抑え、敵航空母艦を釘付けにしても、最大の脅威であるスカイダンサーは今なお仲間たちの命を奪っている。
誰一人として慢心している者はいなかった。
一人のパイロットが、自陣に侵入してくる機体を視認した。それは鈍い銀の色をしたスキーヤーのような、まるでここがゲレンデのように空を滑空している機体だった。
そのパイロットは怒りを覚えた。
「ふざけやがって──ラガシュスリーよりラガシュワン!攻め込んで来た馬鹿な機体は俺が対処する!」
「気を付けろ!」
部隊長からそう返答を受けたパイロットが、機体の向きを変えてライフルの照準を敵機へ合わせた。単身で乗り込んで来た機体はパッと進路を変え、パイロットから見て右方向へカーブを描き始めた。
(目が良いパイロットだ!)
スカイダンサーと比べて動きが緩慢だ。鋭いマニューバではない分、レティクルを合わせ易い。
パイロットは予断を許さずトリガーに指を添える。コクピットに表示されている弾道予測ラインが敵機と重なった時、トリガーを引いた。
赤熱線が曲線を描きながら敵機へと向かう、ドンピシャのタイミングだったのに外してしまった。
敵機が急制動をかけ、空中でブレーキしたからだ。
だが止まってしまえばこちらのもの、パイロットはすかさずトリガーを引き、真っ直ぐの赤熱線を敵へ見舞った。
赤い熱線が敵機のボディにぶち当たり、ぱっと弾ける、薄暗いオレンジの空でもその火花が良く見えた。
ラガシュスリーのパイロットは部隊長へ報告を──
「ラガシュスリーからワン!侵入した機体を撃墜──「馬鹿者良く見ろ!!」
いや良く見えてますよ?放った実弾が着弾して赤い火花を上げている、その火花はやがて周囲へ散り始め──何故火花が上がり続けている?
何かがおかしいと判断した矢先、被弾したはずの敵機に動きがあった。
普通に前進してくるではないか。
「一体どういう仕掛けが──」パイロットが堪らず後退する、敵機もそれに合わせてさらに前進、もはや意味不明、動けるはずがないのに前進してくる!
火花の中から敵機が踊り出て来た、初めに視認した時は銀色だったはずなのに、今は所々が赤く発光していた。あ、それが火花の正体ですか?と分かった時、四方八方から攻撃を受けてしまった。
(アラートが作動しない──一体どこから──)
文字通りである。ラガシュスリーのパイロットは撃った相手を視認することなく、その場で撃墜されてしまった。
ラガシュスリーの撃墜を目の当たりにした部隊長は即座に編隊を再編成し、それの対応にあたった。
「ラガシュよりウバイド!味方が一人やられた!我々は侵入機の対応に移る──」
ウバイドワンのパイロットは、スカイダンサーの動きに翻弄されながらも目撃してしまった。ラガシュ部隊がほんのいっときで全滅させられる所を。
(一体何が──)
ラガシュ部隊が制圧していた空にいるのは、銀と赤の色をした機体が一つだけ。それの周囲には追従ドローンのように何かが飛び回っていた。
ウバイドワンのパイロットはすかさず指揮官へ苦情を入れた。
「ウバイドワンよりブリッジ!一体どうなっているんだこの空は!どうして次から次へと訳の分からない機体が──」
目を一瞬離しただけでこれだ、少なくとも百メートル近くは離れていたはずのスカイダンサーが目の前にいた。
スカイダンサーはお得意のブーメランをその手に構えている、投げる必要も無い、という事だろう。
ウバイドワンのパイロットは憤る暇もなく、海へと落ちていった。
*
「…………」
「…………」
薄暗い客室の中、二体のマキナが相対していた。
一体は背筋を伸ばし堂々と立っている、もう一体は手足を縛られ見窄らしく床に座っていた。
立っていたマキナが声をかける。
「グガランナ」
声をかけられたグガランナは何も答えない。
彼女にとって全ての状況がどうでも良かったのだろう、何故ここにドゥクスがいるのか、どうやって教会からこちらにやって来たのか、彼女の頭にも様々な疑問が浮かんでいたが、やっぱり今はどうでも良かった。
カーテンの隙間から漏れる淡い橙色の光りが、ドゥクスの足元を照らしている。その光景をぼんやりと眺めながら、グガランナはドゥクスの声に耳を傾けた。
「やる気はあるのか?」
「………?」
思いがけない言葉だった。グガランナは思わず顔を上げ、彼の顔を見やる。
「自身の役割を果たす気はあるのか、と訊いている」
「果たすも何も…」十分に果たしたではないか、マリーンを憂い、人に銃を向け彼らの支配を受け入れ、なるべく大勢の人が助かるよう尽力した。
そのはずである。
「これ以上何をしろと…」
「何かはできる。たとえこんな薄暗い所で打ちひしがれていようと、お前にはまだ時間がある。時間がある、ということはとても良いことだ」
「…………」
「何せ死者には時間が無い、だから何もできない。だが、お前はまだこの世界にいる、生きる者と同義だ」
「まだ私にやれる事が…あると言うのですか」
「お前はあの頃から何も変わっておらんよ、人知れず海の底のいたあの頃から。人との関わりを切望し、社会との繋がりを欲していたあの頃のお前と、何も変わっちゃいない」
「……………」
ドゥクスの老いた顔が目の前にある、その深い皺は生憎と薄暗いせいで良く見えないが、その瞳が柔和に細められていることだけは分かった。
「さあ、立て」
「だから、これ以上私に何をしろと…」
そう口で反論を唱えるがグガランナは少しだけ身動いだ、ドゥクスの言葉に感化されたのだ。
ドゥクスが言った。
「最後の仕上げだ、人が自ら希望を掴む世界の為に。私に付き合え」
客室内に飾られていた古めかしい鎧のレプリカが、二人の静かなやり取りをじっと見守っていた。
*
カゲリの乱入によって一部の敵部隊に乱れが生じ、その隙を縫うようにしてようやくオーディンたちが粘着シートから脱出できた。
マリーン側の布陣が整いつつある中、謎にフランとオハナが転身してヘイムスクリングラへと向かっていった。何故?
その事を疑問に思いつつ、レイヴンのお守りから解放されたモンローはその手に槍を携え、敵陣の中へ突っ込み聖槍を思う存分に振るっていた。
ガングニール・オリジナルと直接リンクしている彼の頭の中には、求めてやまなかった彼女の声が響いている。
《次右!──次は後ろ!──ゴメン嘘やっぱ左!》
ただ、今はその声に耳を傾けている余裕が無かった。敵陣に飛び込んだのだから当たり前なのだが、前後左右を囲まれていた。
ガングニールの的確な指示のお陰で何とか持ち堪えている、右と言われたら槍を突き刺し、左と言われたら槍を払い、後ろと言われたら追加腕部の拳を叩き込む。電脳はオーバーヒート寸前、本来脳に痛覚は無いが何かチリチリと痛み始めていた。え、これヤバくない?
前方から迫っていた敵機へグングニルを突き刺す、攻撃はライオットシールドによって弾かれてしまった。こちらの動きが見切られ始めている証だ。
モンローは慌てず敵のライオットシールドを直接むんずと掴み、力任せに引っ張った。まさかの行動でも敵は取り乱さず、その手に握られていたライフルをこちらに突きつけてきた。間髪入れずに発砲、ボディに被弾、しかしてガングニールはどこぞの弁慶仕様。
《肉を斬らせて骨を断つ!》
モンローは追加腕部にもう一本の槍を持たせ、シールドの上からぶっ刺した。頭部からコクピットまで貫き、敵機がかくんと動きを止めた。
敵がモンローの戦い方に恐れを抱いたのか、それとも「こいつ普通にやべえ奴だわ」と思ったのか、詰めていた距離を空ける。
《後は任せたぞ時代遅れのハーレム主人公!》
《誰が!!》
距離を取った敵部隊は背後に控えていたマリサの射撃の餌食となり、あっけなく海へと落ちていく。モンローはそれらの機体の結末を見届けることなく、オーディンやディアボロスの上空に展開している部隊へ進路を向けた。
こちら側が優勢に立てている──そう思いたいが、それにしたって敵の数が多い、多過ぎる。
《次から次へと!どこから湧いてくるんだ!》
《よほど僕たちを通したくないようですね!》
ホシは白い絶壁群の峰の向こうからわらわらとやって来る黒い影を見て、いつかの異形の大波を思い出していた。
ホシから見て、左手にガングニール、右手にオーディンとディアボロス、そして前方には空を思うがままに飛ぶスカイダンサーがいた。視界に入っていないが、オリジンのパイロットたちも敵部隊と戦闘中のはずだ。
今でも十分空は混戦状態だがさらに酷くなる事だろう、敵のさらなる増援部隊が合流してしまうと手に付けられなくなってしまう。
だと言うのに、カゲリが乗るタイプ333(3が三つなのに何でスリーセブン?)は戦場を掻き乱すように勝手に飛び回っていた。
あっちへふらふらこっちへふらふら、敵部隊の前を通過する度に攻撃を受けている、でも躱す、それに怒った敵パイロットが跡を追いかける、もうめちゃくちゃだ。
「ちょっとカゲリちゃん?!さっきから何やって──「この私をちゃん付けするとは良い度胸だ!スミス様とダンタリオンだけでは飽き足らずこの私まで──「平気そうだね「あ、嘘です!助けてください!ヘルプ!!」ヘルプ〜!と叫びながらカゲリの機体はさらにふらふら。どうやら機体コントロールに手間取っているようだった。
後方から緑色の機体と共に援護射撃を行なっていたセバスチャンがカゲリへクレームを入れた。
「扱えぬ兵器は外へ持ち出すな!周りが迷惑するだろう!」
「コントロールが難しいんですよこの機体!オハナ様の助力があればすんなりと飛べるんです!」
「そのオハナは何処へ行った!ヒルドの姿も見えんぞ!」セバスチャンはカゲリとやり取りをしながら、敵機へ向かって発砲を繰り返している。
泥状の大筒から火花が散り、ポンポンと砲弾を撃っている。カゲリからしてみれば、セバスチャンの兵器の方が危なっかしく見えていた。
「お二人は母艦へ向かいましたよ!あんたらから船を取り戻すと言って!」
「ただの火事場泥棒ではないか!「いや泥棒はあんたらでしょ」
ホワイトウォールの向こう側から陸続と敵がやって来る、カゲリを含めたホシたち特別個体機の部隊が落としにかかるが数が数である。
圧倒的な物量を前にして「あれ、このままではヤバいのでは?」と誰もが考える中、粘着シートから解放された戦大好きオーディンの登場である。
「この時を待ってい──きゃあああ!!」と、溜まりに溜まった鬱憤がここで爆発し、喜びが暴走して奇声まで上げ、敵のみならず味方もドン引きするほどオーディンが暴れ回った。
喜び大爆発の戦神の戦いっぷりには、然しものスカイダンサーもドン引きだった。
(敵じゃなくて本当に良かった──《──ナディ!!》
ナディはノラリスの鋭い声に、反射的にコントロールレバーを引き上げた。
(今のは──)
見えない重りに押さえつけられながら、ナディは今し方回避した空域を見下ろす。そこには一糸乱れぬ編隊を組み、計五機の戦闘機が通過した後だった。
その戦闘機は前進翼を携えており、目に見えた武装はしていないようである。こんな所を非戦闘機が?
カラーリングはお城で対面したミーティア・グランデを彷彿とさせるような、黒とピンクだった。
「ノラリス!あれは一体何?!普通に空を飛んでるだけ?違うよね?あんなの初めて見たよ!」
「あれは…ディヴァレッサー部隊だ」
「ディ──何だって?」
「導歌曲芸飛行部隊。ヴァルヴエンドの精鋭たちだ、向こうも本気を出してきたという事だよ」
そのディヴァレッサー部隊はV字編隊を維持しながら、大きな半円を描いて転回している。見えない紐で括られているのか、それともパイロットの技量が飛び抜けて高いのか、機体同士の主翼の間隔が数メートルもない、少しでも接触したら墜落してしまう。
ナディはその曲芸飛行に思わず見惚れてしまった、これがディヴァレッサー部隊の脅威とも言えた。
(──しまった)と、冷や汗を流した時には耳に障る警告音。
レバーを倒して左方向へ舵を切る、敵部隊もナディの跡を追従する。素晴らしい練度だ、背後に控えている部隊もディヴァレッサーと同様に乱れがない。
これはマズいぞと思った矢先、背後から発砲。ナディは堪らず展開していたボードを収納し、少々無茶だが下方向へ逃げる。
キツい角度だ、だからナディは周囲を見ている余裕がなかった。
「ナディ!!」
(──いつの間に!!)
鳩尾を持ち上げられるような不快感を堪えた先には彼らがいた、ディヴァレッサー部隊。彼らとの進路が重なり後少しで衝突しかけた。
何とか衝突を免れたが、逃げ道を絶たれた彼女に待っていたのは銃弾の雨だった。
被弾、被弾、被弾。「ただのチキンレースやんけ!」と苛立ちの視線を彼らにぶつけたかったがそうもいかない、上空を押さえられてしまった。
「あの人たちってこういう戦いをするの?!」
「ああ、とにかく戦場をアクロバティックに飛び回って掻き乱す。邪魔でしょうがないが、実力があっての戦い方だよ」
あのスカイダンサーが被弾してしまう場面を他のパイロットたちも目撃していた。とくに焦りを見せたのがライラだった。
(嘘…あのナディが…信じられない…)
何だろうこの不安感は、足元から崩れるような、大地が揺らいでいるような、とにかく不安で不快だ。
彼女はマイクに叫んだ。
「──ちょっと!!フランにオハナ!!戦場を離れて何やってるの!!ナディが被弾しちゃったじゃない!!」
ただの八つ当たりだ、それは自覚しているが大事な場面で持ち場を離れている彼女たちも悪い。
フランから返事があった。
「もう用事は済んだ!今から向かう!」と言った後、小声で「私たちのせいにすんじゃないわよ」と言ったがライラは無視した。
「いいから早く戻って!!」
「はいはい!──オハナ、準備はいいわね?!」
「いつでも行けます」
一方、スカイダンサーが被弾する場面を目撃したカゲリは追いかけていた部隊を諦め舵を切り、ナディの援護へ向かった。
今もなお敵の攻撃に晒されている、逃げようにもアクロバティックな部隊に退路を妨害され、思うように身動きが取れていないようだった。
「ナディ様!援護します!」
「お願い!あの部隊を何とかして!」
とは言うが、カゲリもあのアクロバティック部隊に攻撃をヒットさせる自信があまりない。
だから狙いも付けずに四方八方へ銃弾をばら撒いてやった。結果は着弾、モンローに着弾した。
「馬鹿かお前は!!」
「いや、喫茶店で豪食した代金を払ってもらえなかったのでつい」
「自分が悪いんだろ!!」
「糖分がなかったら生きていけないんですぅ〜!!「──カゲリ、遅れました、今からフォローに入ります「──来た!!」
なんて馬鹿な会話をしているところへ、一旦戦場から離れていたオハナが戻って来た。
薄闇の空を雄々しく大鷲が飛ぶ、その周囲には複数のドローンが飛んでいるようであり、その発光体がモンローたちからも見えていた。
モンローはそんなヘルフィヨトゥルの姿を見て、何処へ行っていたのか合点がついた。
「まさかお前たち…」
「はい司令官、ヘイムスクリングラは僭越ながら私たちが掌握しました。これであなたたちはもう二度帰艦できません。つきましては、この作戦が終わり次第ヴァルキュリア本土へご帰還願います」
「…………」
「散々好き勝手やった罰ってやつよ、しかも挙げ句の果てには自分たちだけで出動するなんて──司令官の風上にもおけんわ!!」
「モンローよ…貴様そこまで部下たちに嫌われて
おったのか…「いやあんたもだわ!このすけべ爺いが人様の船で好き勝手すんじゃないわよ!」
「何でもいいから早く追い払って!!」
結構切羽詰まっていたナディからお叱りを受け、こんな状況でもやいのやいのとやっていたパイロットたちが意識を切り替えた。
ヘルフィヨトゥルに追従していたドローンがぱっと散り、その一部がカゲリの機体へ駆け付けた。
タイプ333の装甲板の一部として装着されていた充電式剥離シールドもぱっと離れ、やって来たドローンと結合、海洋生物クリオネが両手にシールドを携えたような形状となり、ヘルフィヨトゥルの管制の元、ディヴァレッサー部隊へ攻撃を開始した。
青と赤のネオンを発するドローンがくるくると旋回しながら敵部隊を追いかける、突然のドローン攻撃にディヴァレッサーが転回、スカイダンサーから距離を開き始める。
その隙を逃さず、モンローと戦場へ復帰したフランがディヴァレッサーの後ろに付いた。
「さっさと落とすぞ!」
「言われなくても!」
モンローとフランの先を行く敵部隊は、敵に背後を取られてもなお一糸も乱れぬ編隊飛行を披露していた。圧巻の一言だ、一体どれほどの訓練を積めばあそこまで練度を高められるというのか、モンローはほんのいっときだけ見惚れてしまった。
それがディヴァレッサーの真骨頂、ほんのいっときの隙を突いて五機がそれぞれ別の角度へ機首を変え、ぱっと散開してみせた。
その跡にスーパークリオネも続く、モンローたちがどの機体を追いかけるか逡巡を見せる中、カゲリとオハナの合体ドローンが敵機から攻撃を受けていた。
走る閃光に飛び散る火花、けれどもスーパークリオネは無事だ、カゲリの剥離シールドが守ってくれたのだ。
「フラン様、彼らはスリーセブンに任せて「──
あ、そういう意味だったの?!「ホシ様お静かに──私たちは通行用ゲートを目指すべきです、このままではこちらの戦力が持ちません」
スーパークリオネ改め、全自動追従ドローン(スリーセブン)の投入によってディヴァレッサー部隊を戦場から引き離すことに成功はした、けれどオハナの言った通りこちらの戦力が瓦解のするのも時間の問題だった。
こちらを上回る物量を前にして、いくら攻撃に優れた機体を投入してもいずれ飲み込まれてしまう。それぐらい敵の数がヤバい、多過ぎじゃない?
ゲートを通りたいのは山々だが、そのゲートが閉まっている!
「そこで私の娘の登場よ!」ライラが全パイロットへ向かって檄を入れる。
「今レイアにゲートを解放するよう指示を出しているからもう少し辛抱して!」
「それ信用して大丈夫なの?!」
「大丈夫!信じて!」
「ならば余らが道を切り開こうぞ!行け!人の子たちよ!」
「僕も付き合おう!」
待ちに待った戦場で暴れ回っていたオーディンの機体が、現在は封鎖しているゲート周辺に展開している部隊を攻撃し始めた。それにディアボロスも習い、二機の大型の機体から眩い光りがいくつも発せられた。
全機が通行用ゲートを目指した。
防御線を死守している敵部隊が殺到する。
**
冷や汗が止まらない、あなたはひどい焦燥感に駆られ、上手く呼吸することもままならなかった。
皆んなで囲っていた車座の中央、そこには居なかったはずの人物が立っており、あなたも含めた皆んなを見下ろしていた。
白い花嫁衣装を着た人だった。
「これ以上、勝手な介入を見過ごすことはできません。どうか、事が終わるまで静かに過ごしてください」
プログラム・ガイアが「ほほほい!」とせっかく育てた仮想ガイア・サーバーが今や枯れ始め、枯れ葉をあなたの頭の上に落としていた。
時間が経てば経つほど枯れ葉の数が多くなってくる、まだライラからの依頼をこなしていないのにこのままでは大変マズい、だから冷や汗が止まらなかった。
この人何者なの?プログラム・ガイアは冷めたような、軽蔑したような、畢竟嫌悪感に満ちた瞳をその人に向けていた。
プログラム・ガイアが口を開く。
「介入しているのはどっち?あなたのしている事は立派な越権行為、あなたは管理者であって執行者ではないはずだよ」
「ワールディリアを私的に利用し、不認可のクラウドサーバーをガイア・サーバーへ接続することのどこが職権だと?越権はあなたです、プログラム・ガイア」
「私的利用ではない、これはただの偶然だよ。君は宇宙空間に偶然生まれた星を、これは意図しないものだと断罪して破壊するのかね」
「この世界は星ではない、あなたたちが勝手に作ったクラウドサーバーです」
「では、二次元下のおける星と三次元下における星をそれぞれ定義し、それぞれ異なる点を述べてほしい、それを踏まえた上で協議しようではないか。ん?君にできるのかね、未だかつて誰人も結論付けた事のない異次元について君は語ることができるのかい?」
「…………」
「だと言うのに君はこの世界を異物と断定し破壊しようと試みる。君は創造神をも越えようとしているんだ、いかに浅ましく傲慢か、身の程を知りたまえ」
「私は創造神などではありませんが、このクラウドサーバーがガイアに対して著しい悪影響を与える事だけは理解しています。あなたたちは向こう側へ渡って良い存在ではありません」
「彼女はどうする?」プログラム・ガイアがアンジュに向かってくいっと顎を持ち上げる。
「…………」どうやら白い人は答えられないようだ。
(いやもう──そんな話はいいからガイアちゃん!早くこの状況を何とかして!ゲートを解放しないといけないのに──このままじゃライラに怒られる!)
あなたはもう気が気ではない、二人が丁々発止の口喧嘩を広げているが正直内容はどうでも良い。ライラに怒られる!
「アンジュはヴァルヴエンドの住人だ、大方SPSの位置情報を頼りにここまで来たのだろう」
(SPSって何…GPSじゃないの?)
あなたは聞き慣れない単語を耳にして首を傾げる、その様子を見ていたルビッシュがそっと顔を近付けてきた。
「…SPSは魂の位置情報を記録するシステムの事、何の略語は知らないけどね」
「…そんな物まであるんだ。それって私たちも記録されるの?」
「…されるんじゃない?だからお母さんがシェイク・イット・オフを提案したんでしょ」
二人の睨み合いが続いている、緊張した空気が場を支配、誰も身動きが取れないでいた。
けれど、向こうの状況は待ってくれない、生き残っていた幹にぶら下がっていたネオン掲示板が、「緊急事態!」という文字から「いつまで待たせる気?」と変化した。ライラガチ怒である。
プロメテウスという全身真っ白けの人も十分怖いが、ライラに怒られる方がもっと怖かったのであなたは恐る恐る話しかけた。
「あ、あの〜…そろそろ…向こうが大変な状況みたいで…」
「まだ介入を続けるというのですか?」
「え、ええと、まあ…はい…」
「あなた方の目的はあのゲートでしょう?これを見てもまだマリーンに勝機がおありと?」
プロメテウスが一枚の窓を出現させた、そこには向こう側の景色が映し出されている。「蟻か?」と言わんばかりに空にはヴァルヴエンドの機体が飛び、オーディンたちが搭乗する機体に攻撃を続けていた。
あれではただの的だと、あなたは思った。オーディンたちは攻撃を受けながらも、閉ざされているゲートに向かって発砲を繰り返している。
何とかこじ開けようとしているのだ。
「ヘイムスクリングラなど捨ておけば良いものを、山越えをすればいくらか希望はあるでしょうに。まあ、この物量を前にして山越えも些か無謀だと言わざるを得ませんが」
あなたはライラからゲートを開けるよう依頼されている!このままではガチ怒だ!
(ヤバいヤバいヤバい…)
「プロメテウス、もう一度言おう、あなたの行為はただの越権である。マリーン所属のマキナに対して明らかな害意がある」
「害意とは?こちらは事態の沈静化を図るために介入しているに過ぎません」
「今のオーディンとディアボロスはオフライン状態に移行している」
「な──」
エモート・コアをマテリアル・コアへ移し、サーバーと非接続の状態で稼働している、プログラム・ガイアはこの事を打ち明けた。
さすがに予想の斜め上だったのだろう、プロメテウスは言葉を失った。
「彼女たちは一個体としての尊厳と生命が守られるべきである、しかして君はそれを害そうとしている」
絶句し、言葉を失っていたプロメテウスの二言目が「頭おかしいんじゃないですか」だった。
「おかしいとは?」
「おかしいにも程がある理解できない…何故自ら消失の道を辿ろうとするのか。我々に魂はない、そこにいる彼女と違って転生することもない、永遠の消失が待っている…」プロメテウスは末永く続く闇を想い、身震いした。
アンジュもオーディンの行動に思う所があったのだろう、プロメテウスが呼び出したモニターを見つ続けている。
そして、そのアンジュが「ああ…」と重たく声を漏らした。
「突撃してる…もうボロボロなのに…」
ヴァルキュリアが魔改造したクラーケンの機体は、敵の攻撃に晒され躯体が露わになるほど損壊していた。にも関わらず、オーディンとディアボロスは撤退を選ばす、封鎖中のゲートに取り付いていた。
「オーディン…」常に表情を崩さず、適当な事ばっかり言うプログラム・ガイアも沈痛な面持ちになった。
「君はただの戦闘狂だと思っていたけれど、死しても活路を開くというのか。立派だよ」
「止められないの?」
「オフラインに移行しているから無理だ、私たちの声はあの子に届かない──それで、プロメテウス・ガイアよ、これでもまだマリーンに介入するというのかね」
「…………」
返事は無く、無言だった。
「──良いだろう、あの子の決意に習うとしよう」
「後は頼んだよ」
「何を──」
「黄泉へ行こうか不遜な我が子よ、一足先に暗闇へ落ちるんだよ」と口にすると、両者の足元にぽっかりと穴が開いた。穴の先は暗闇だ、素数に塗れ、亜無限に広がる電子の海がある。一度落ちてしまえば、次いつ浮上できるか誰にも分からない。
穴が両者を飲み込み、それから何事もなかったように閉じてしまった。
*
「オーディンちゃん!!お願いだから一度引いて!!」
ナディが力の限りに叫ぶ、無理に叫んだから喉が痛む、それでも満身創痍の大型機体はゲートから離れようとしない。
「ならん!!ここまで来たんだ今さら引けるか!!」
ゲートに取り付いたオーディンたちは力任せにこじ開けようとしている、けれど無謀な試みだ、身の丈の倍はあろうかという扉を開けようだなんて、ナディはとてもじゃないが成功するとは思えなかった。
ナディはそれよりも──。
「引いてって言ってるでしょ!!誰もそこまで頼んでないよ!!」
自分たちのせいで誰かが犠牲になるだなんて、到底許せるものではなかった。
オーディンたちの援護に入りたいが、空を埋め尽くす敵部隊がナディたちの侵入を拒んでいた。オーディンたちの機体は蜂の巣にされ、見るも無惨な姿に変わりつつあった。
「優しいお前の事だ、そう言うだろうと思っていた──貴様たちをここまで連れて来たのは余だ!ならばその責は取らねばならん!それが将というもの!」
力任せにゲートを引っ張り続けたお陰なのか、それとも見えない味方のお陰か、ぴったりと閉じていた扉に隙間が生まれ、オーディンたちはその隙間にマニピュレーターをねじ込み最後の力を振り絞った。
オーディンたちも最後の言葉を送った。
「余はマキナである!このマリーンの安寧を守り外敵を排除する役目がある!──聞け!我が家臣!責任は絶対取らねばならぬ!──否!責任こそ我が使命なり!」
「ゲートが開く!ライラ!僕たちごと張り付いている機体を撃て!──マリーンはお前たちに任せた!」
「ライラ!!」
鉄の理性を持つ艦長が即座にゲート周辺の敵部隊へ照準を合わせ、砲撃を指示した。
ナディは止めたつもりだったのに、ライラはディアボロスの言葉通りに味方ごと撃ってみせた。
だが、レイヴンの主砲が火を噴いた時既に、オーディンたちの機体は事切れていた。
マリーンを自分たちの手に戻すべく死闘したマキナたちのマテリアル・コアは、命の揺籠たる海の底へと沈んでいった。
**
プログラム・ガイアが発生させた穴から世界の亀裂へ繋がり、崩壊に拍車をかけていた。いや、というかもうレガトゥムの半分以上が壊れ、空も大地も神殿もあなたの体でさえもテクスチャに変換されつつあった。
だと言うのに、あなたはモニターの向こう側が気になって仕方がなかった。
ナディとライラが喧嘩している、超喧嘩。
「ああ、ああ、あんな事してる場合じゃないのに!せっかくゲートを通れたのに!」
「いや私たちも夫婦喧嘩を観戦してる場合じゃないんだけどね」
モニターの向こう側では「この人でなし!」とか「ああしないと皆んなが危なかった!」とか「向こうに帰ったら離婚だ!」とか「今さら他の人を好きになれる自信がない!」とか、お互い顔を真っ赤にして文句をぶつけ合っている。
レイヴンの奇襲じみた砲撃により敵部隊は半壊、その隙を突くようにナディたちはゲートを潜り抜け、今はキラの山を目指して進行を続けていた。
ナディたちレイヴンのパイロットが船に帰艦した直後からこの超喧嘩が始められている、傍にいるウィゴーやマカナたちも眉をはの字にして、あなたと同様にただ見守っているだけだった。
もういつ消失してもおかしくないこの場にいるのは、プログラム・ガイアを除いた四人だけ。あれ、くぅちゃんは?
「で、どうすんのこれから」とルビッシュが三人に向かって言った。
「転生しようと言った本人がどっか行っちゃうし、結局この話しは無しってこと?」
「ほんとあの人はいつもこう…土壇場になったら周囲を放置するんだから…」
「私は…」
あなたは皆んなに向けていた視線を落とし、テクスチャーに変わった地面を見やった。
あなたはライラに謝りたかった、せっかく自分を頼ってくれたのに、最後の最後に依頼をこなすことができなかったのだ。
あのゲートを開いたのはオーディンたちである、文字通り命を賭して皆んなの道を作った。
「私は…ライラに謝りたい…」
「え、今?」ルビッシュがモニターを一度見やり、「止めときなって喧嘩してる最中なのに、とばっちり食らうだけだよ」と言った。
「でも…」
モニターの向こう側ではついに取っ組み合いにまで発展し、静観していたウィゴーたちが止めに入っていた。確かに今はタイミング的に良くない、でも、次のタイミングなんて来るのだろうか?
あなたはこの世界の崩壊と共に消失する運命にある。
プロメテウスたちが消えてから、ずっと黙っていたアンジュが口を開いた。
「今は止めた方が良いと思うよ、二人の機嫌が直ってから謝った方が良い」
「でも、もうすぐ消えてしまうから、その前に…」
「消えないよ」とアンジュが言う。
「私たちは消えない、あの子が──プログラム・ガイアが残していったから」
「何を?」
「架け橋、って言ったらいいのかな、土壇場でシステムを完成させたみたい。──SPSの位置情報が途切れた」
『Soul Positioning System』、個人の魂の位置を把握し記録するシステム。これがあったばればこそ、アンジュたちスーパーセルはその肉体が滅んでも別の素体に転生し直す事ができていた。
彼女がスーパーセルに転じてから、一度として途切れた事がないSPSの位置情報が消失していた。
「それ、崩壊のせいなんじゃ…」
「ううん違うよ、無茶苦茶かもしれないけど私には分かるんだ」
アンジュの顔がノイズに飲み込まれ始めている、ルビッシュもそうだ、そしてあなたも。
アンジュがあなたに向かって手を差し出した。
「私のこと信じて。レイア、あなたは向こうの世界であの二人と会える、だから今は我慢して」
大人びた笑顔でアンジュがふっと微笑んだ。
「今謝っても逆ギレされるだけだよ」
「…………」
あなたはその差し出された手を握ろうとしたが──空振りに終わってしまった。
レガトゥムが崩壊した、星雲のように細かな微粒子に転じ霧散し、彼我の壁が無くなりあなたを構成していた肉体も精神もミンチ状になって全てが一つになった。
◇
ぱちりと、閉じられていたプログラム・ガイアの目蓋が開いた。
ここは元機星教軍所有の教会である、今は誰もいない、寂しい場所になっている。
その一室でベッドに仰向けになっていた小さなマテリアル・コアが、ゆっくりと体を起こす。
オフライン状態のため、サーバーから何の情報も得られない。そもそも、それがどんな状態なのか、あなたには理解することも想像することもできなかった。
(ここは………)
夢を見ていたようか気がする、見知った人たちと今にも崩れそうな世界で談笑していたような、そんな不思議な夢。
夢見心地のまま小さな足を床に下ろし、何かに急かされるように部屋を出る。
誰もいない、明かりも点けられていない、世界に置いてけぼりにされたような不安が押し寄せる。
(ああ…皆んな、無事かな)
なんか、夢の中でそんな話になったような気がする、転生がどうとか、信じてほしいと言われたような言ったような...
暗い廊下を歩く度に夢の記憶が薄れていく。
まあ、夢なんてこんなものだ、どんなに楽しい夢でもどんなに悲しい夢でも、一度目を覚ませば忘れていく。
外へ出られる扉を見つけ、思うように動かせない小さな体で無理やりこじ開けた。
そこは薄暗い闇に覆われた世界だった。
*
オーディンとディアボロスのお陰でようやく山越えを果たしたナディたちは、休む暇も無く(喧嘩する暇はあったが)キラの山を目指していた。
直に追手が来ることだろう、今は何も居ない黒い海の上を進んでいるがそのうちに敵に囲まれる。
だからナディはライラと超喧嘩した後、ノラリスと共に空へ出ていた。艦内にいても仕方がない、顔を見ただけでまた怒鳴ってしまいそうだ。
(オーディンちゃん…それにディアボロス君もどうして…)
ナディの思考を読んだノラリスが口を挟む。
《そういう個体なのだろう──言い方が悪かった。オーディンとディアボロスというマキナは、違うテンペスト・シリンダーでも同様の結末を辿っているようだ》
《それって…》
《人に対する思いが強い、故に自滅しようとも人を守る道を選択する、という事だ》
《止められなかったって事?》
《私はそう考える。だから、後できちんとライラに謝るように、彼女は二人の意志を尊重したんだ》
《それは分かってるけど…》
《言うなれば──》ノラリスが強い言葉で彼女を非難した。
《君は二人の結末から逃げている、受け止め切れないもどかしさをライラはぶつけただけだ。それは二人に対して不誠実だと考える》
《じゃあどうすれば良いって言うの?どうすれば良かったの?》
《マリーンを守る、それが二人の思いに応える唯一の方法だと私は考える──》そこでレーダーに反応があった。「ノラリスよりレイヴンへ、キラの方角から熱源多数、現在も接近中、おそらくヴァルヴエンドの本隊だ」
レイヴンからすぐに返答があった。相手はナディと超喧嘩をしたライラからだ、喧嘩した後とは思えない冷静な声だった。
「──了解、直ちに全機発進させます」
「勝算は?おそらく、キラの山に打ち込まれたルーターを取り除けばこの状況は改善されるが、接近するのは容易の事ではない」
「そんな事は分かっています、けれどオーディンたちが作ったこのチャンスを無駄にするわけには──……」唐突に声が途切れた、通信機の故障だろうか?
「ライラ?」
返事はない、と言うよりこちらの声が届いていないようだ。
──次の瞬間、コンソールに『Planet Lock』と表示され、フルパノラマ型のモニターが消失、コントロールレバーにもロックがかかり、がくんとした急制動がかかった。
「そんな──ノラリス!」
ノラリスからも返事は無い。
そのまま黒い海へと落ちていった。
※次回 2024/5/18 20:00 更新予定