TRACK 46
プラネット・ロック
手に汗滲むダルシアンはマイクに向かって声を荒げた。
「八時方向に機影あり!奴らが戻って来たぞ!」
彼は今、ハワイ所属の航空母艦を間借りして部隊の指揮を取っていた。その部隊とはハワイ所属の若者たちであり、故に信頼関係などあったものではなかった。
マイク越しに指示を飛ばされたパイロットの一人が「何に向かって八時なんだよ!」と文句を返していた。
「北に決まってるだろう!!そんな事も分からずに戦場へ出ていたのか!!」
「ああん?!」そのパイロットとはヴィスタも頭を抱えた彼らである。
「てめえの頭を撃ち抜くぞ!」
「撃ち抜くんなら敵を撃て!──会敵まで…ああ!管制官ぐらい連れて来れば良かった!ああ、ああ、どれだどれだ…」
孤軍奮闘しているダルシアンは誰の手も借りずブリッジに詰めている。居並ぶコンソール群を一つずつ確認し、お目当てのレーダーを見つけて再びマイクへ向かって叫んだ。
「あと五分後だ!我々の存在の気付いて戻って来た!スカイダンサーが戻って来るまで何としてもここを死守するぞ!」
彼の額には男らしい汗が浮かんでいた。
彼の顔には焦りの色が浮かんでいた。
「まさか…グガランナたちと同じ事をするだなんて…」
13 (サーティーン)ゼウスの一人であるゼウス(もう自分がどこの所属か分からない)は、も抜けの殻となってしまった決議の場を見て何度も頭を振っていた。
目の前の現実を打ち消すように何度も、あれだけ釘を刺したというのにオーディンが現界を果たしてしまった。
マリーンのガイア・サーバーを蜂の巣にして、全ての情報をヴァルヴエンドへ流したプロメテウス・ガイアが決議の場にやって来た。
相も変わらず白い装束に身を包んでいるプロメテウスは、テンペスト・ガイアが座っていた椅子に腰を下ろした。
「まあそう悲観することもないでしょう、オーディンが我々を外敵とみなして敵対行動を取ることは十分に予測された事です。他に何か?」
「ああいやいや、君の言う通りだとも」
「愉悦を楽しむあなたにしては…珍しい動揺ですね、オリジンで卵が孵った時ですらあなたは俯瞰していたというのに」
角隠しの奥に隠れた瞳がじっとゼウスを捉えている、彼からプロメテウスの顔は確認できないが、なんかそんな感じがした。
ゼウスは額に浮かんだ汗をそっと拭い、気取られないよう慎重に答えた。
「君もある程度は知っているようだから話すけど、今回の事象をなるべく穏便に片付けるために僕たちは東奔西走していてね、その努力が無駄になりそうだから溜め息を吐いているんだよ」
「ライアネットの管理者とコンタクトが取れたのですか?」
「そんなまさか、特個体が明るみに出た日から今日まで取れたことがないよ。それどころか未だに特個体の仕様書が出てこない」
「ですが──」プロメテウスが、ざらめのような細かい破片がびっしりと着いた真っ白のふきを払い、椅子から立ち上がった。
「特個体が延終末監視装置群、という機能を有していることは把握しているのでしょう?」
「なに?僕に詰問したって何も出てこないよ」
「あなただってよくよく理解しているはずです、特個体の母艦として製造されたインターシップが脅威であることぐらい。あれに比べたらオーディンなど足元にも及ばないでしょう」
「その言い方はまるで、マリーンの人たちがどうなっても良い、と聞こえるね。それはそれでどうなんだい?ガイアの上位者として」
手を伸ばせば届きそうな距離で、近くから見たゼウスはプロメテウス・ガイアを「花嫁」だと思った。
白い角隠しに白い内掛け、それから地面に垂れて大きく広がっている白いふき。全身真っ白。
そんなプロメテウスがつと顔を上げ、ゼウスは彼女(あるいは彼)の双眸がちらりと見えた気がした。
プロメテウスが内掛けの襟を正してから言った。
「──私のお役目は世界の安寧、即ちテンペスト・シリンダーの平定にあります。綻びがあってはならない、それはいつの世も同じ事」
ゼウスがキザっぽく前髪を払い、笑っているのか蔑んでいるのか、薄い笑みを浮かべながら世界の管理者へ言った。
「綻びを破綻と捉えるか変化と捉えるか、その人の器によるものだけどね。僕たちは変化を好むよ、人間と同じように」
「ゼウス、これ以の介入は不要です」プロメテウスは聞いていなかった、話を進めていた。
「今、ハワイの港から救出部隊が出動していますが徒労に終わることでしょう。彼らはスカイダンサーであるパイロットを必ず差し出します」
「どうしてそう断言できる?」
「人の命は何よりも重い、という事ですよ。その数が増せば増すほど、世界も無視できなくなる、だから人の世は常に混迷を極めるのです」
お返しと言わんばかりに、ゼウスは何も答えず決議の場から去った。
一人残ったプロメテウスは、周囲に仮想展開されている星々の大海を見やった。
超新星爆発の残り香である数々の星雲がそこにあった、人の力では再現できない物理現象──今はまだ。
「宇宙は広い、あまりに広過ぎる、知的生命体の天寿だけで解明することなど夢のまた夢、頭上には未知が溢れているのに何故足元の泥濘に囚われるのか…」
プロメテウスが角隠しを払い、彼女(あるいは彼)の頭上に広がる星々を見上げた。
「どうか、宇宙の声を聞いてほしい」
角隠しの下に隠れていた顔が現れた、マネキンのように生気が無く、けれどパーツは良く整えられている。
ふうと一つ息を吐き、それからプロメテウスはやれやれと言った体で決議の場を後にした。
その溜め息には、千秋万歳の時をかけて蓄積された鬱憤が込められていた。
*
「………」
「………」
オーディンより一足遅く城に到着したラハムは、床に座り項垂れているグガランナを見下ろしていた。
彼女はロープで手足を拘束され、身動きが取れないようにされていた。
ラハムはそんな彼女を見て、「あんまりだ」と思った。
「グガランナさん…」
面こそ上げていないがグガランナもラハムの存在には気付いていた、それでもラハムを見ようとしなかった。
「どうしてあなたがこんな事に…」
「これでも情けをかけられた方よ。私のリブート処置が決まったようね、当然だわ」
「………」
「ラハム──」グガランナがゆっくりと顔を上げ、ラハムは意外な気持ちになった。
彼女の瞳はまだ死んでいなかった。
「後悔は無いわ、あれだけ関わりを求めた人間たちにこんな事をされても、不思議とね」
「それはどうして…ラハムには耐えられません」
「さあ、私が私らしくやってきたお陰かしら」
「………」
「どんな選択をしても後悔は必ず残る、なら、せめて自分らしく選択を。──行きなさい、あなたにはまだやるべき事と居場所があるわ」
「…はい」
グガランナが全てに興味を失くしたように視線を下げ、それからラハムは後ろ髪を目一杯引かれる思いでその場を後にした。
*
「怪我人の収容を急げよ!メディカルルームに突っ込んでおけばそのうち元気になる!」
「人の親を物扱いするな!──パパ!お願い」
「ああ!君も早く行きなさい!ママのことは任せて!」
「ラハムもこっちに来ている!護衛はポラリスに任せておけ!」
「何でもできるピンクの子!」
「冗談言ってないでさっさと機体を出すよナディ!」
「お母さんはオーディンちゃんと一緒にいて!──マカナちゃん!今日は喧嘩は無しだからね!」
「それはあんた次第かな、私はいつでも慈愛を込めて接していたわ」
「冗談言ってないでさっさと行くよマカナ!」
オーディンのびっくり登壇とマカナの「せいや!」のお陰で窮地を脱した皆んなは、城から続くイカダの道を駆け抜け、別れ道の所まで来ていた。
左手へ行けばオーディンの子機、フルモデルチェンジをしたクラーケンが停泊しており、右手には真っ黒い空飛ぶ船が停泊していた。
オーディンとカイル、それからリアナとリゼラは左手へ、ナディたちは右手へ向かって行った。
新都の軍港は放置され、人の手入れもなくなったことから至る所が傷み始めていた。ナディたちのドカ走りにも悲鳴を上げ、それでも壊れることなく何とか耐えている。
ライラが軍港の桟橋を先に駆け抜け、レイヴンへ続く階段に足をかけた。
「ナディ!早く!」
ライラは階段の途中でナディへ振り返り、その手を差し出した。
「………」
ナディはこの時不思議な感覚に囚われた。初めてライラと話をした時はお互いただの民間人だった、あの時果たして、こうなる未来を予測できただろうか、と。
結婚した相手で、しかもあちらは艦長こっちはメインパイロット。
誰にも予測できなかったことだろう。
「何やってんの!ボーっとしてないで早くして!」
「──はいはい!」
「あんた何今さら自分の夫に見惚れてるの!」
「マカナちゃんは足元にも及ばないもんね」
「私が足元に及ばないなら妹のあんたは地下だわ!地面に潜っとけ!」
「何を〜?!」
「え?!ライラの方が嫁なんだけど!」
「どっちでもいいわ!」
「どっちでもいい!」
あまり緊迫感を見せない三人も階段を駆け上がり、それから時を置かずしてレイヴンが離水し、グガランナと別れの挨拶をしたラハムも遅れまいと空へ上がっていった。
レイヴンの反応を確認したダルシアンはほっと息を吐いた。額には汗がびっしょりだ。
「スカイダンサーが戻って来た!あと少しだ辛抱しろ!」
新都近海の空には既にヴァルヴエンドの部隊が展開しており、ダルシアンたちは頭上を押さえられていた。ヴィスタと共に海へ出ていた腕利きのパイロットたちも悪戦苦闘を繰り広げており、被弾しないよう逃げ回るのが精一杯だった。
「くぅ〜!俺たちも空を飛べれば!」
「海が良いって訓練から逃げたのはてめえだろ!」
「いやだって空飛ぶのって普通に怖くない?」
「普通に怖い」
「普通に無理」
「女の子のスカートの中を見上げるのとはまた訳が違う」
「それな!」
「それな!」
「真面目にやれ!!」
救出部隊を空から押さえているヴァルヴエンドの部隊は、殲滅が目的ではないのか本腰を入れた攻撃をしてこなかった。散発的な威嚇射撃が殆どであり、ダルシアンの目から見ても時間稼ぎが目的のようであった。
彼はマリーンの実情を詳しく知らされていない(ナノ・ジュエル管理区域が落ちた件)、それでも戦術に長けたダルシアンは敵の狙いが分かっていた。
(侵入した部隊の総数は不明だがおそらく本隊は別、スカイダンサーを行かせたくないのだろう、だから足止めをして時間を稼いでいる…やはりハワイ本土か?あるいは…)
レーダーコンソールに反映されたレイヴンのIFFは、何ら迷うことなくダルシアンの船へ向かってくる。そこへヴァルヴエンドの部隊が対応すべく一部が別れ、排撃の構えを取った。
「部隊の一部がそっちへ向かった!防御姿勢を取れ!」
ダルシアンが即座にレイヴンへそう通信を入れると、間髪入れずに「了解!」と返事があった。
「了解!」と言っておきながらレイヴンに動きは無く、代わりに一回り小さい特個体が船の前方に出てきた。防御一筋、ナディ一筋のポラリスである。ストーカーとも言う。
「馬鹿たれその一機だけで何ができる──」
前方に躍り出たポラリスが「米粒か何かか?」と言わんばかりに小さいライオットシールドを構え、マリーンには存在しない艦載電磁投射砲を持つヴァルヴエンドの航空艦が射撃姿勢を取った。
ダルシアンはもう駄目だと思い、レーダーコンソールの前で項垂れた。
「そんな小さな盾一つで何ができるというんだ!」
電圧臨界点に達したヴァルヴエンドの航空艦から砲弾が射出され、レイヴンへ真っ直ぐと吸い込まれていった──。
無勧告で攻撃を行なったベヒストゥン級護衛艦の艦長は我が目を疑い、こめかみの熱伝導式スイッチを何度もタップした。
「そんな馬鹿な…」
今回の遠征任務の為に新調した最新式の電磁投射式対艦隊徹甲弾である、軍で採用されている最上位のバビロニア級の船ですら易々と貫く──はずだった。
だが、放たれた徹甲弾は敵の船に届かず、未確認機の小さな盾によって阻まれてしまった。まるで小石が鋼鉄にぶつかったかのように、一瞬で粉微塵に砕けてしまった。こんな事ってあるの?
艦長は現実逃避をするかのようにこめかみをタップし続け、下士官たちへ指示を飛ばした。
「再装填を急げ!板付きを空へ上げる前に──」
敵は容赦しない、こちらが一度攻撃を行えば情け無用で落としにかかってくる。とくに板付きだ。
艦長の恐怖と焦りを象徴するかのように、死神の船から三つの機体が空へ射出された。
「──」
先制攻撃は失敗、相手に反撃の機会を許してしまった艦長は『死』を思った。
空へ解き放たれた板付きは一直線になってこちらへ向かってくる、もうどうしようもない。
「バーミリオン…」
仮想展開されたオレンジの光りを受け、板付きが跳ね上げる赤い波飛沫が朱色となって艦長の目を焼き付けた。
それが彼らが最後に見た光景となった。
*
ハワイの街は荒れに荒れていた。
世界の天井を見せつけられたことによる衝動的パニック感、そして、今回の事態を引き起こしたとして首脳陣たちに対する不信と反感が高まっていた。
もうとにかく誰かのせいにしたい、自分たちは悪くないと市民たちが声を荒げ、早く何とかしろと首脳陣たちを罵っていた。
商工会議所みたいな所に集まっていたジュディスたちはほとほと困り果てていた。
「もう!私たちだってどう対処すれば良いのか分からないのに!好き勝手言うんじゃないわよ!」
会議室にいても外から罵声が届いてくる、そんなエネルギーがあるなら他の事に使えば良いのにとジュディスは思った。
市民らが集まり始めたのは、おかしなラハムが会議室に入って来た後からだった。そのラハムはバッテリー切れを起こしたかのようにことりと倒れ、今はガムテープでぐるぐる巻きにされている。
RHAZONの社員たちも基地へ引き上げ、おかしなラハム事象を受けて全員が検査を受けた。その結果、一部のラハムたちからシステムエラーを検知したため隔離処置を取る騒ぎとなった。
ハワイの空は久しぶりに静かになった、昨日まではラハムたちがひっきりなしに飛び交っていたが今は誰もいない。静か、というより寂しい景色とも言えた。
ラハムたちが埋めていた空を今度は市民たちの罵声が埋め尽くしている、首脳陣たちは誰もが辟易としていた。
「ナディ・サーストンを差し出せば…この騒ぎが収束するんだろう?」と、誰かが口にした。言ってはならない言葉ではあるが、誰もがその選択肢を頭の中に入れていた。
だって正直この状況がしんどい、人を差し出せばすぐに収まるんならそうしたい、誰もが日常への回帰を望んでいる、誰だってこの状況を続けようとは思っていなかった。
ナディ・サーストンを差し出せば彼らはここから出て行く、そして日常が戻ってくる、それは今の彼女たちにとってとても魅力的な事に思えた。
だがしかし!
「いや駄目に決まってるでしょ何言ってんの」
ビーストモードに入ったジュディスが、沈痛な面持ちで口を閉ざしている面々を睨みつけた。言ったの誰?光線が全員の頬に突き刺さり、皆の口がいよいよ重たくなった。
彼女は全くもって納得していなかった、ナディがマリーンを離れることに。だってまだ仲直りしていない!そういう問題でもないが、仲間を見捨てるだなんて彼女にはできなかった、だって自分がそうだったから!
彼女と出会っていなかったら今の自分はない、きっと寂しい人生を送っていたに違いない、それを救ってくれたのが空を踊るように飛ぶ彼女なのだ。言ったの誰?!
「ナディが向こうの要求飲むってんなら納得するけど、私たちが見捨てるのは違う──いいや、あんたらがナディを見捨てると言っても私は見捨てない!文句があるなら今言え!」
ガルルル!と彼女がさらに吠え、ただでさえ困っていた彼らの顔に別の汗が浮かんできた。
真っ先に観念したヴィスタがビビりながら言った。
「──マイヤーの言う通りだ、というより俺たちがここでいがみ合っていても何も解決しない。彼女が出て行くと言うまで俺たちは何も言わない、それでいいな?」
三々五々に「あ、ああ…」とか「う、うん…」とか返事があり、ビーストジュディスが「ふん!」と大きく鼻から排熱した。
「いや、悪かったよ」と、ジュディスにビビったミガイが素直に謝り、「けどよ」と言葉を継いだ。
「実際どうすんだ?あいつを差し出さないってことはやり合うってのか?」
「肝心のサーストンも未だに戻って来ない、向こうの状況が分かればいいが…」
「あ、それがその〜…」
「何だ?」
「………」
ウィゴーは顔を青くして立っている、自分で口を開いておきながら続きを言おうとしない。ビーストジュディスにお尻を叩かれ(いつものこと)ようやく続きを話した。
「それなんだけど…ダルシアンって人が整備中の空母で…」
「ああん?まさか勝手に出て行ったのか?」
一拍の間を空けてからウィゴーが「うん、そう」と言った。
「あいつふざけてんのか!こんな状況で何やってんだよあのオッサン!」
「いや僕は止めたんだけどね?!今ここでサーストンに借りを返すって言って出航しちゃったんだよ!」
「まさか一人で?」
「いいや、ヴィスタ、君の部隊のパイロットも漢だぜ!って付いて行った」
ヴィスタが黙って天を仰ぎ、そして何事もなかったように頭を戻した。
「彼はこの状況を先読みして船を出したんだ。市民らが暴動を起こしかねない今、サーストン救出のための派遣は難しかっただろう」
ヴィスタの言い分は正鵠を得ており、ヴァルヴエンドと戦うことよりも従属することに意見が傾いている市民たちを前にして、武装することはより強い反感を買うことを意味していた。
オッサン呼ばわりしたミガイもヴィスタの意見を聞いて考えが変わり、「やるじゃねえかあのオッサン」と言った。
けど実際そんな事はなかった。
(な、何とかなった…窮地は脱した…あとは無事にハワイへ帰港すればそれで私の仕事は終わりだ!これで白い目に怯えずに済む!)
自分の事しか考えていなかったダルシアンはハワイがまさかそんな事になっているとは露知らず、制空圏をレイヴンに任せてのんびりと船の舵を切っていた。
スカイダンサー。聞きしに勝る暴れっぷりだった。空を飛ぶ二隻の船、それから展開した敵部隊を踊りながら沈め、半時間も経たないうちに制圧してみせた。
スカイダンサーだけではなく、他二機の連携も軽やかで確かなものであり、ダルシアンや海上のパイロットたちはただ黙って見ているだけだった。
軍帽を脱ぎ、アルコールを喉に通したい欲求を抑えながら船長室にいたダルシアンの元へ通信が入った。
「ナディ・サーストンです、ご助力感謝致します」
「ああ、いい、気にするな、お前に借りを返したかっただけだ」
「借り?何かありましたっけ?」
「お前は知らんだろうが、大災害前に私が政権争いで巻き込んだんだ。ルイマンという名前に覚えはあるか?奴と共にお前の誘拐を目論んだことがある」
「ああ…」ナディがその当時のことを思い出したのだろう、小さく呟き、その声の背後から「誘拐ってガチ?」と底冷えするような声も届いてきた。艦長怖い。
「だからハワイの許可も取らずに船を出して助けに来たんだ、無事に終わって本当に良かったよ」
ただの自己満足だ、過去の汚点を雪ぐために人助けをやったに過ぎない。
けれども彼女は「ありがとうございました」と改めて礼を口にしていた。
「聞いていたか私の話、礼を言われる筋合いはない、というより、お前はもっと私を罵倒していいはずだ」
「いいえ、あなたは私を気にかけてくれていたんですよね?理由はどうであれ、それに対して罵倒は失礼です」
「………」
そう言ってもらえると思っていなかったダルシアンは内心めっちゃ喜んだが、ついくだらない意地を見せて「それは違うぞスカイダンサー」と説教モードに入った。
「害をなそうとした相手の気遣いなぞ信用に値しない、ただの政略だ。それを見抜く力がなければお前は今後も誰かに利用され続けることになるだろう」
「けれどあなたから敵意は感じません、私も人の真意が見抜けないほど馬鹿ではありませんよ」
「………」
「身を挺して助けてくれたのに、それがただの政略ってことはあり得ないでしょう、だから礼儀で返したんです。もしあなたが誰かの手を借りて、それで偉そうにしていたらきっと私は礼儀ではなく唾で返していたでしょうね」
バッチリ見抜かれている。
ダルシアンはもう何も言えなかった。
波に飲まれて年月が過ぎた過去の話し合いが終わり、そのタイミングでまた通信が入った。相手はオーディン・ジュヴィからだった。
「余だ。ライラよ、お前の母親は無事だ、命に別状はないと断言しよう」
「あざっす「お礼軽くない?──まあ良い、それからカイルから敵の計画を教えてもらった、その詳細についてだが──」
ダルシアンはすっかり脱力したまま、マキナと若者たちのやり取りに耳を傾けた。
◇
「何と言うか、あれだね、向こうは完全に頭に来てる感じだね」と、マカナが口の端を不愉快そうに上げながらそう言った。
レイヴンのブリッジ、そこでナディたち四人はオーディンから敵の計画を聞かされた。救助に来てくれたダルシアンも「全くもって不愉快だが、実に理にかなったやり方だ」と吐き捨てるように言った。
ライラもダルシアンと同意見だった。
「誘拐犯の言う通りかと「それは私のことか?「サーバーにハッキングして仮想展開を操作して市民たちに不安を与え、私たちに不満を一局集中させた後に簡単な要求を提示する。数の優位性と暴力性、それから簡単な犠牲による解決策…敵ながらあっぱれって感じだわ」
「………」
ナディはこの時、初めて自分自身が周りから何と呼ばれているのか知った。"セブンス・マザー"なんて何のこっちゃ状態だが、確かにあの時は目玉がやられそうなほど強い発光があった。まさかそれが一週間に渡って残り続けていたなんて、そりゃ有名にもなるだろう。
敵の要求はスカイダンサー、いわんやナディ・サーストンの身柄の譲渡、つまりここから出て行かなければならない。
「………」
「お姉ちゃん…」
「………」
ナディは考えた、自分が原因でこんな事になっているのなら、それは責任を取るべきだと。
けれど彼女は一人ではない、もう永遠に、そう!ライラがいるから!もう永遠に!
「ナディ、自分一人で責任を取ろうだなんて思わないで」
「いやでも」
「犠牲を伴う解決はその場限りの甘えた方法だから、ここでナディに甘えて事態を解決してしまったらハワイの未来が閉ざされてしまう。次も問題が起こった時、誰かを犠牲にしようと考えてしまうから、そんな国が平和を維持できると思う?私は思わない」
「………」
「ましてや──」ここからは妻(あるいは夫)としての発言である、「ナディがここから出て行くだなんて信じられない死んじゃう私の人生がここでピリオドになっちゃう!そんなの──」
取り乱したライラを放置し、マカナはオーディンに打開策を求めた。
答えはすぐに返ってきた。
「簡単だ、奴らをここから追い出せば良い、その為に余が出陣したのだ」
「そんな簡単に言うけどできるの?」
「追い出す事は容易ならざるが、立ち上がることは簡単だ、今すぐにでもできる」
「………」
「余はマキナの中で唯一攻撃手段を獲得した個体だ、そしてその攻撃対象はそのテンペスト・シリンダーに仇なす者、この仇なす者には同個体も含まれる」
「それって…つまり相手が同じマキナであったとしても…ってことよね?」
オーディンが事もなげに「そうだ」と言った。
「ヴァルヴエンドは世界中のテンペスト・シリンダーを管理する組織だ、余はその組織を仇なす者と断定し出陣した。余の義と勇気を理解できるのなら、どうか諸君らも戦う決意と勇気を持ってほしい」
「それでもし大勢の人が…」
「戦いとはいつの世もそうである、それは一人の人生においても同義であり、人は出血無しで生存闘争を勝ち越えることはできない。──忘れてはおらぬか?お前たちは孤軍ではない、大軍だ、ハワイには同じ志を持つ戦士が大勢いるはずだ」
「………」
勝手に取り乱し勝手に復帰したライラが「私はオーディンに付いて行く」と、すぐに戦う決意を持った。理由は言わずもがな、ナディの為である。
「私はナディに助けてもらった、その恩は返さないと。たとえ本人が嫌だと言っても私はやる。あなたたちは?まさか、小さな頃から親友だった彼女の背中を見送るつもり?」
ライラの発破にマカナの心に火が着いた。
「いいよ、私もやる、あいつらをここから追い出そう「なら私も──「いやあんたは強制参加だから、私の妹なんだから付いて来て」
始めからそのつもりだったわ!と姉妹喧嘩が始まり、いつもの姉妹喧嘩を放置してナディも決意を露わにした。
「私も付いて行くよ。ただし、私がマリーンから離れることも視野に入れる」
「それはどうして?」
「戦いが長引いて犠牲が多く出そうなら、向こうの要求を飲んで終結させる。私はこういう性格だから諦めて、いい?」
「いいよ。──って言うわけないでしょうが!オーディン!皆んなあなたの義に命を預けるんだから絶対追い出して!」
「そうこなくっちゃ!!──いや何でもない「今喜んだわよね?「喜んでない。任せておけ!このオーディン・ジュヴィ、必ず義を果たそう──そして戦を楽しもう!「それが本心でしょ」
若者たちの成り行きを見守っていたダルシアンから「お前たち本当に大丈夫なのか?」と心配されていた。
皆んなが戦うと決めた時から急にテンションが上がったオーディンから、「ジュヴキャッチとはそもそも余が作ったものである」と、訊いてもないのに言ってきた。
「どういう事?」
「その昔、人間たちにキラの山を占拠された時があってな、マキナが管理すべき施設を取り戻すべく結成したのがジュヴィ・キャッチャーなのだ。それが時を経て名を変え、お前たちも在籍していたジュヴキャッチとなった。縁を感じる、そのジュヴキャッチが再び時を経て己が役目を果たす時が来たのだから」
「それ今思い付いたでしょ「違うわ!──よいな!貴様らはこれよりジュヴィ・キャッチャーとして出陣し、マリーンの平和を剣の錆に変えるのだ!「剣の錆にしたら駄目でしょうが!平和が斬られちゃってるじゃない!「間違えた間違えた──平和を取り戻しに行くぞ!それが余たちの報酬だ!」
わーはっはっはっ!とオーディンが高笑いをし、ダルシアンは「ハワイに帰るつもりだったが心配だから私も付いて行く」と言い、ナディは素直に「よろしくお願いします」と頭を下げていた。
レイヴンとダルシアンの船は一度ハワイへ帰港することとなった。そこで補給や補充を行ない、旧ウルフラグ領キラの山へと向かう。
人間というものは皆、自分の都合で生きる。その都合が合わない時は話し合い、時には喧嘩をし合って理解を深め、妥協点を見つけて上手い具合に共存していくものである。
だが、その都合がどうしても合わない時がある、話し合っても駄目、喧嘩しても駄目、そうなったら後は戦いである。
勝つか負けるか、勝った方が都合を通し、負けた方がその都合を受け入れる、そうやって人類は道理と無理を使い分けて文明を発展させてきた。
これもその一幕に過ぎない、戦いはミクロからマクロの世界で起こる日常茶飯事の出来事である。
ただ、その一幕が先の未来に影響を与えるという事を当人たちは気付くことができない、これも世の常であった。
*
"数"は正義であり、時には"暴力"となって押し寄せる。その流れは何をも押し流し、モラルという防波堤をいとも容易く乗り越え、"不安"そのものを叩きつけてくる。
不平、不満、「どうして自分だけが」という気持ちが秩序を破壊し数を束ね、一つの新しい価値観を生む。
「あいつらが全部悪い」、「だから自分がこんな目に遭っている」、「だから何をしても良い」。
責任全転嫁。その考えに支配された市民たちは一つに束なり、ヴァルヴエンドを今日まで退けてきた軍の首脳陣たちへ押し寄せ、今飲み込もうとしていた。
「命は何にも増して重い、だから世界は常に迷う、それが文明を栄えさせる原動力たろうとも、いずれ世界は扱え切れないその重たさに視界を覆われ道を違える」
ハワイの首脳陣たちが集うビルの周囲には、大勢の市民たちがそれこそ波のように押し寄せ、その群衆の中にプロメテウス・ガイアが紛れ込んでいた。
誰も彼もが、全身真っ白けのマキナに注意を払わずビルに向かって大声を張り上げている、その上を数体のドローンが飛び、人々を煽るような音声データを流し続けていた。
この一連の擾乱は全て、ヴァルヴエンド側で仕組まれたものである。人は外からの抑圧にいくらでも耐えるが、内からの押し上げには弱い、組織の脆弱性を突いた彼らの作戦だった。
不安に支配された市民たちは早急な解決を求める、そこへこちら側の要求を提示すれば良いだけ、いくら中心者たちがスカイダンサーの譲渡を拒もうとも市民たちがそれを許さない。
たとえその要求が非道であろうとも、市民たちの声に負けてその要求を通してしまう。
世界はそうやって互いに支配し合い、道を迷い、今日まで何とか生き延びてきた、そしてそれはこれからも変わらないだろう、頭上には闌干の星空が広がっているというのに、誰も未知に挑もうとしない。
プロメテウス・ガイアは暴徒になりつつある市民たちを軽蔑しながら、頭上を飛ぶドローンを見上げた。
もう頃合いだ、後はあのドローンからヴァルヴエンド側の要求を提示したらチェックメイト。
「………?」
けれど、いくら経ってもドローンにインストールした音声データが流れてこない。
(これは…何者かにコントロールを接収された…?)
頭上を飛ぶドローンは壊れたように旋回しているだけ、挙げ句にはバッテリー切れを起こして墜落を始める始末だ。
海や道端に落ちていくドローンにも目もくれず、市民たちはビルの前で騒ぎ続けていた。
*
「ラハムたちの回収を急いで!こんな音声を流されたらハワイは終わりだわ!」
「あいよ任されて!」
場所はグガランナ・マテリアルのブリッジ、そこで艦長を務めているグガランナは、ガイア・サーバーからハッキングを受けて機体コントロールを奪われていたラハムたちの監視を続けていた。
市民の不安感情を煽るような言動パターン、それらが強制的にプロトコルの中に組み込まれ、最終段階に差しかかろうとしていた。
だが、その段階を前にして彼女が強制停止信号を放ち、無理やり止めていたのだ。
(クジラの旦那さんに感謝だわ、何の役に立つのかと思っていたけど)
指示を出されたアヤメが弾丸の如くブリッジを飛び出し、グガランナは続けてナツメたちへ指示を出した。
「ナツメ、レイヴンがそろそろ帰港するわ、これ以上邪魔が入らないよう援護に回って」
「了解した、デュランダルと行こう」
「お願い。──アマンナぁ!!」
グガランナが突然叫んだ、まだ通信を切っていなかったナツメとデュランダルが顔を顰めるが、怒鳴った本人は気付いていない。
「あなたこんな時ですら手伝わないって?!」
一体どこにいるのか、怒鳴られたアマンナからのんびりとした声が返ってきた。
「だから大丈夫だって、グガランナが心配し過ぎなだけ」
「皆んなが動いている時に自分だけ休んでいて気にならないのかしら?!」
「いやほら働きアリの原理でそこはお願いします」
「あなたはアリじゃないでしょうが!!あなたもラハムの回収に向かいなさい!アヤメが可哀想でしょう?!」
「アヤメなら大丈夫っしょ、私の恋人だよ?」
「ぐぬぬぬっ…この一〇年間我慢していた嫉妬が「我慢してたのかよ」──ノウティリスとの約束はどうするつもり?まさか反故にするつもりかしら、アヤメが黙っていないわよ、言い付けてやるんだから!「必死過ぎる。だから私は別方向からアプローチかけてるんだって、ライアネットはどうするの?私しかいないよ」
話し合いにならないと判断したグガランナがもう一度「アヤメに言い付けてやるんだから!」と怒鳴り、通信を切っていた。
「全くあの子は…どうでも良い時は良く動くくせに、いざとなったら言う事を聞かないんだから…」
はあと大きく息を吐いて落ち着かせ、そこへレイヴンの護衛へ向かっていたデュランダルから通信が入った。
「デュランダルです、護衛対象を視程に収めました。このまま帰港しても?」
「待って、市民たちの混乱が落ち着いていないわ。周囲を確認して問題なければハワイ近海に停泊するよう要請を出してちょうだい」
「了解」
通信を切ったのも束の間、またすぐに入った。相手はアヤメでもなければナツメ、デュランダル、アマンナでもない。
「ご機嫌ようオリジンの方々、少しお話しをしても?」
「後にしてもらえないかしら、今立て込んでるのよ」
「ご自身が何をなさっているのかその自覚はありまして?あなたたちの行動は立派な敵対を意味していますよ」
「ラハムたちをハッキングしてせこい真似をしている人の台詞とは思えないわね、もっと慎ましく文句を言ったらどうかしら」
開口一番からの丁々発止、グガランナはプロメテウス・ガイアを敵視していた。
「──良いでしょう、そちらの態度が明確化したことはこちらにとっても喜ばしい事です。よろしいですね?あなたは本来ここに居てよい存在ではありません、すぐにでも稼働停止処分を要請します」
「お好きにどうぞ。あなたも学んでいないようね、マキナと誤認して停止処分を言い渡されたのはそっちでしょう?前の個体の記憶は引き継がない仕様なのかしら」
沈黙の後、「それでは」とプロメテウス・ガイアが通信を切った。
通信が切れた後、グガランナはブリッジに持ち込んでいたアヤメ(抱き枕)を抱き締めながら「早くあなたを独り占めしたい!」と叫び、鬱憤を発散していた。
一方、自分が虎視眈々と狙われている事に気付いていないアヤメがハワイの街へ到着し、指示通りに墜落したラハムの回収を行なっていた。
中には市民たちに踏み付けられて半壊している個体もあったが、幸いと電脳は無事なようで証拠が隠滅するような事はなかった。
(ああ、ああ可哀想そうに)
回収したラハムたちをバックパックに詰めたり、両手に抱えて首脳陣たちが集うビルへ向かった。
その道中、アヤメは市民から罵声を浴びせられたり、逆に「助けてくれ!」と懇願されたりしながら正面扉を潜り抜けエレベーターホールへ急いだ。
(溺れる者は藁をもすがる、ってこういう事をいうのかな…私部外者なんだけど)
エレベーターへ駆け込み会議室兼対策本部が設置されている最上階へ、扉が締まるその刹那、うにょっとゴツい手が伸びてきた。
「うわ」
「──アヤメか、俺も上へ行くところだ、相乗りさせてもらう」
ゴツい手の持ち主は皆んなの嫌われヒーロー、ヒュー・モンローだった。
「………」
「………」
普段であれば、二人っきりになった途端すーはーすーはーしたり、じろじろと見てくるものだが、今のモンローは大人しかった。
エレベーターが滑らかな動きで上昇し、最上階へ到着する間際になって彼の方から話しかけてきた。
「お前たちはどこまで介入するつもりなんだ」
「どこまでとは?」
「言葉の通りだ、お前たちは流出したウイルスの回収が主な任務だったんだろう?そのウイルスも今となっては脅威ではない、お前たちがここにいる理由にはならないはずだ」
「………」
アヤメが何も答えず、沈黙だけが流れた。
この微妙な間だけで何かを感じ取ったモンローが「事情があるならそれでいい」と言い、続けて、
「俺たちの敵には回るなよ、状況がややこしくなる」
「それはない、断言するよ」
エレベーターが滑るように停止し、目的の階に到着した。普段なら息をするようにキザっぽい言葉を放つ彼が、出て行く間際に「だったらいいが」と吐き捨てるように言った。
アヤメは「何だこいつ」と思いながら、大男の背中を追いかけて会議室を目指した。
(ほんと、男の人って何を考えてるのかさっぱりだ)
その会議室では対応に追われた首脳陣たちが額を合わせ、もう何度目になるか分からない対策会議を行なっていた。
そこへモンローとアヤメが入室してきたものだから、ジュディスたちは動かしていた口をぱっと止めて二人をじっと見やった。
「──何?!何しに来たの?!あんたこんな時まで女漁りに来たわけ?!」
ジュディスの開口一番の冗談に嫌われヒーローが鼻でふっと笑い、「冗談が言えるのならまだ大丈夫そうだな」と答えた。
「え、あんたがそんなまともな事言うなんて普通に気持ち悪いんだけど」
「言葉には気を付けろ、時に人の精神に深く食い込むんだぞ──そんな事より、ヘイムスクリングラの出航準備が整った、いつでも出せる、その報告と現状の確認に来た」
「あっそ「返事が軽くないか?」アヤメさんは?──待って、その手に持ってるのって…」
「そ、操られていたラハムだよ、バッテリー切れを起こした子たちを回収して持って来たの」
「操られていたって…」
「グガランナの見立てではこの騒動は向こうが演出した茶番に過ぎないって、その証拠となるドローンを回収してここに持って来るのが私の仕事だったの」
会議室の片隅から「ぬっコロぉぉ!」と舌を巻くほどの怒声が聞こえ、ジュディスたちがアヤメの元へ駆け寄った。
「それって本当なの?!」
ジュディスがアヤメから一体のラハムを受け取った。喧嘩ばっかりしていたのに、彼女はまるで壊れ物を扱うように(実際壊れているが)丁寧に両手で持っていた。
アヤメはそんなジュディスを微笑ましく思いながら、グガランナから聞かされた通りの話をした。
「こっちで状況を監視していたんだけど、どうやら向こうはガイア・サーバーを経由して君たちの通信網やドローン──ラハムたちの操作権限を奪取していたみたい」
「通信網まで?」ヴィスタが柳眉を顰めた。
「道理で…レイヴンたちと通信が取れないわけだ」
「おそらくナディちゃんを孤立させたいんだろうね。この状況を作り出してナディちゃんを差し出せって要求を示したら、きっとビルの周りにいる人たちはそれを許してしまう、それが向こうの狙いだよ」
今度はすぐ傍から「ぬっコロぉぉお!」と聞こえた、吠えたのはジュディスである。
「そんな事の為にここまで…信じられないわ!」
「それだけ向こうはナディちゃんが欲しいって事だよ」アヤメは言うか言うまいか悩んだが、結局伝える事にした。
「私はね、ここに来るまでの間、地球の空を飛び続けていたの」
予想だにしない言葉に、ジュディスたちが再びじっとアヤメを見やった。「そういえばこの人余所者だったな」という目をしている者もいた。
「地球はうんと広い、このマリーンの空より何万倍もね。ここに攻めてきた彼らはそんな地球の空を良く知っている、そしてナディちゃんはそんな彼らすら驚かせるような超常現象を引き起こしたの」
「………」
「地球に輝く七色の光り、その名もセブンス・マザー。一週間に渡って輝いた七色の星は地球史上初の発光現象、彼らが見逃すはずがないよ」
「ここまでしてあいつらは…ナディが欲しいってこと…」
「そうなるね。ナディちゃんを守りながら相手を退けるのは容易な事じゃないよ、だから私たちも協力する事にしたの。ナディちゃんたちはハワイのすぐ近くまで来てるよ」
最後の最後に朗報を届けたアヤメの言葉に皆がパッと顔を輝かせた。
黙って話に耳を傾けていたミガイが「ガチかあのオッサン!見直したぜ!」と喝采を上げ、ヴィスタが「すぐに船を出せ!」と叫ぶも、珍しく冷静なモンローが「それは良くない」と待ったをかけた。
「今船を出すのは市民たちの反感を増長させてしまう、この騒動が収まるまでレイヴンには待機してもらうしかない」
「うん、グガランナもそれを予見していたから向こうには待機してもらうよう伝えてある。今は私たちの仲間が援護に向かってるよ」
「…………」
「な、何かな…」
モンローがアヤメにじっと視線を注ぎ、アヤメはモノアイのカメラに初めて恐怖を感じた。
「──いや、何でもない。ひとまずこの騒動を片付けよう、それからレイヴンたちを帰港させるんだ」
だが、事はそう簡単に運ばなかった。
プロメテウス・ガイアの手によって遮断されていた通信網が回復し、会議室の面々がレイヴンとのやり取りをようやく再開した時だった。
「──何?!待てない?!今からウルフラグ領へ向かうってお前は何を言ってるんだ!!」
「だから!余たちジュヴィ・キャッチャーがキラの山を取り戻すと言っている!故に待てん!今すぐに補給を要請する!」
(元)オーディンがオーディンにキレていた。
「人の話を聞いていたのか?!今街は混乱の状況にあって船は出せないんだ!補給のための出航はできん!お前たちの帰港も認めなられない!」
「何でそれを貴様が指示する!あのちみっ子を出せ!「誰がちみっ子よ!!「す、すみません──違うわ!マイヤーよ!今の話は本当なのか?!せっかく皆んなが戦う決意をしてこれからお楽しみの時──いや違う、忘れろ「本音を隠すってことを知らないの?「今の声ライラよね?!ライラと代わりなさいオーディン!「俺ならここにいるが?「あんたじゃねえわ黙ってろ!」
皆んなが好き勝手喋るものだから会話がカオスに突入した。
そのカオスを正常に戻したのは渦中の人、ナディだった。
「ナディです、皆さんにはご迷惑をおかけしました。私たちはこれからハワイを取り戻すべくキラの山へ行きます、つまり、彼らと全面的に戦います」
「それがお前の意志なんだな?」
モンローの端的かつ鋭い質問に、ナディが余裕を持って「はい」と答えた。
「ただ、戦闘状況が長引き犠牲者が出るようなら、私は向こうの要求を飲むつもりでいます」
「そんなっ──」
ジュディスが小さく叫び、すぐに言葉を引っ込めた。
最悪の展開になりつつあった、彼女が出て行くと言うのなら止めない、と合意をしたばかりであった。
「私はこういう性格なんで諦めてください。それに──それに、私は少し前までハワイの皆んなに迷惑をかけました、それが負い目となって残っているのも事実です」
「………」
普段なら尻に敷かれて尻を叩かれまくっているウィゴーがジュディスの肩を無言で叩いた、彼の意図に気付いた他の皆んなも次々にジュディスの頭や肩を叩き、「ちゃんと仲直りしないからナディが勘違いしている!」光線を彼女に放った。
もうここまで来たら引くに引けないジュディスが「待った!」と、深海へ生身でダイブする思いで声を発した。
「な、何ですか」
ナディもナディでまさかジュディスにそう言われると思っていなかったのか、声が泳いでいた。
「今からそっちに行くわ、顔を見て話さないと気が済まない」
「え──」
ジュディスの言い方は、捉えようによっては「は?今から説教しに行くから待ってろ!」的な感じにも聞こえ、そういう風にしか聞こえなかったウィゴーが珍しく怒っていた。
「ちょっとジュディスちゃん?!今の言い方はないよ!ナディちゃんがビビって引っ込んじゃったじゃん!」
「ち、違、私はただ──「ジュディさん?!ナディがどんだけ迷惑かけたか知りませんけどその言い方何とかならないんですか?!顔面真っ青でぶっ倒れたんですけど!!」
スピーカーの奥から「お姉ちゃん大丈夫?!」とか「ナディさんしっかりしてください!」とか「マイヤーさんが一番怖い」とか「余も認めたちみっ子だ、怖くて当たり前」とか聞こえてきた。
元々まどろっこい事が苦手なジュディスも逆ギレを起こし、「もういい!」と声を張り上げた。
「行くったら行く!ちゃんと顔を合わせて話さないとまた誤解されちゃう!「もうされてるんだよ!「誰でもいいから船でも機体でも出して!私一人なら問題無いでしょ?!」
「私が出そうか?」
「お願いします!」
アヤメの誘いを素直に受け、それからジュディスは会議室を飛び出した。
*
本当にこいつらに任せて大丈夫なんだろうか、とナツメは不安を覚えながらアヤメ機へ誘導用ビーコンを送信した。
共に出ていた妹分のデュランダルも「この人たち大丈夫なんですかね」と苦言を呈していた。
「さあな。ただ仲が良いのは確かだ」
「仲が良いだけでは国は守れませんが…まあ、援護はしますよ」
「信頼と仲の良さは比例する、その微妙な差が勝敗を分けることもある。覚えておけ」
「はあ…忘れない程度には」
それを覚えるって言うんだよ、とは言わず、ナツメはアヤメ機から返ってきた自動操縦プロトコルの帰還先をバルバトスにセットした。
アマンナは行方不明である、故にアマンナ機を使用することができず、アヤメは移動専用の小型エアヴィークル(ヴァルキュリアからの譲渡品)に搭乗している。あいつは何処へ行ったんだ?
(全く…普段はアヤメを自分の物宣言するくせに…まあ、あいつなりの考えがあっての事なんだろうが…)
オレンジ色に光る空の下、ナツメはレイヴンを視界に収めながら考え事をし、アヤメ機の到着を待った。今は着水しているレイヴンは波に小さく揺られ、黒とオレンジの光りを交互に反射していた。
彼女の思考にプエラが割り込み、「どうせあいつの事だから食事でもしてるんじゃない?」と言ってきた。
《いやこの状況でか?》
《あいつならやりかねないでしょ》
《あいつ、今攻めてきている連中と顔見知りなんだろ?向こうと話し合っているんじゃないかと思っていたんだが…》
《買い被り過ぎじゃない?優先順位がきっちりしてる奴だから、下手すりゃ向こうに媚び売ってるかもしれないわよ》
二人の自意識会話に割り込んでくる者が一人。
《プエラ〜それ以上の悪口は見過ごせないな〜》
アヤメである、ハワイを飛び立った彼女がジュディスを乗せてレイヴン近くの空までやって来た。
《いやいやアヤメだって薄々は勘付いているんじゃない?あいつだけマリーンに先乗りしたのもヴァルヴエンド絡みなんだよね?恋は盲目と言うけれど、愛と信頼は別だから》
《まあ…アマンナも怪しい所はあるけども…基本が人懐っこい性格だから…余所で何をしているのか分かんないだよね〜》
《珍しい、あのアヤメが愚痴をこぼすだなんて》
《そういうナツメもプエラのこと邪険にしないじゃん》
《愛と信頼は別なんだよ》
そこへさらに割り込んでくる者が現れたところで状況が動いた。
《仲の良さと比例するって言いましたもんね──全機警戒、レーダーに侵入機あり、複数、進路真っ直ぐ、会敵まで一〇分を切っています》
危うくデュランダルに皮肉を言われそうになったナツメはこれ幸いと自意識会話を遮断し、ホットマイクに切り替えた。
「レイヴンへ、こちらに向かってくる機影あり、即時警戒体制へ。奴らだ」
レイヴンから即座に「了解!」と返事があり、今度は船に動きがあった。
船底に溜め込んでいたバラスト水を勢いよく外へ放出し(一部はホールボールの冷却水に使用される)、複数翼の排気ノズルを調整、全長百数十メートルに及ぶ巨体がいとも容易く離水し、軽やかに空へ上がった。
いつ見ても圧巻である、グガランナの船はああいったダイナミックな離水シークエンスを踏まないのでつまらない、なんて言っている場合ではなく、レーダーに姿を現した敵機はもう目前だった。
「アヤメ!私たちの傍から離れるなよ!」
「了解!──あ、ごめん、民間の子が乗ってるんだけど「それを先に言え!!」
突っ込んだところでもう遅い、ナツメの視界には敵機が既に映っていた。
「ナツメだ!小型機に民間人が乗っている、援護に出られるなら馬鹿アヤメ「馬鹿って言うな!」援護に出てくれ!こっちは奴らの対応で手が回らない!」
機体と同期している耳の奥から「絶対ジュディさんだ!」とか「ジュディさんが敵にしか見えない!」とか「皆んなで逃げよう!」とか、ナディが一人で叫ぶ声が聞こえてきた。
「いいから早く出ろ!」とナツメが怒鳴ったと同時にロックオンアラート、頭の中が耳障りな音でいっぱいになり、途端に顔を歪めた。
接近してきた敵機の数は六、二個小隊で編隊を組んでおり後方には敵母艦も控えていた。
レーダーに反映された数はこれだけではなく、さらに後方部隊の姿もあった。
あちらはひどくスカイダンサーの事を警戒しているようだった。
こうして、ハワイ近海で両陣営が衝突を始めた。
*
「それはさすがにクズだと思うな〜」
甘やかで琴のような声がそう罵倒し、仮想会議室に集った面々はそれぞれの反応を見せた。
憤りを見せる者、顔を俯ける者、あるいは無表情を装い受け流す者、様々だ。その中でもミーティア・グランデは頭上に広がる青空を見上げた。
「民間人を人質にして要求を突きつけるだなんて、さすがにそれはどうなの?」
「仕方のない事だ、犠牲は必要最低限が望ましい」
ヴァルヴエンド軍指揮官の男性がそう言葉を返し、オンライン参加の女はなおも非難した。
「成功すればね?そりゃそうなるんだろうけど、もし失敗したら全滅した部隊の後を追いかける事になるよ、スカイダンサーは絶対に見逃さない、今レイヴンたちと衝突している部隊も皆殺しになる」
「彼らはスーパーセルの部隊だ、我らだからこそ取れる作戦行動とも言える。──それよりも、本当に君に任せても良いのだろうな?オリジンのアマンナよ、ライアネットの掌握は本作戦の肝だ」
「大丈夫大丈夫、私も肝は好きだから、ビールと良く合うんだよ。あ、そっちは錠剤だっけ?そもそも鳥の肝って食べたりするの?」
「………」
アマンナの冗談ともつかない発言に場が凍り、皆んなが口を閉ざした。
相手にされていないと分かったアマンナが「冗談、冗談」と言い、
「ライアネットならもう枝は付けてあるから、後はそっちのタイミング次第かな」
「いつ付けたんだ?君にそんな時間はなかったはずだが」
「大災害前かな、マリーンのマキナたちと一緒に行った事があるの。まあ、そん時にエターナルソローと出会しちゃって詳しくは調査できなかったんだけど」
「エター…何だって?そのような名前をしたマキナはいなかったはずだぞ」
「エターナルソローはリーリンハイツを裏から操る真ボスのような存在だよ、結局私たちでは倒せなかったんだから」
こいつほんと何言ってんだ?みたいな顔つきをしながら指揮官がスピーカーを睨み、考えても無意味だと自分の中で結論付けた。
「──とにかく、スカイダンサーが搭乗している遠隔ユニットは君に任せても問題ないのだな?その意志さえ確認が取れればこちらは良い」
「だからそうだっつってんじゃん。お礼の品、よろしくね〜」とアマンナが軽い調子で告げ、通信を切った。
ヴァルヴエンドの指揮官たちは人目を憚らず大きく溜め息を吐き、作戦会議に戻った。
「あんな女に任せて大丈夫なんですか?」
戻らなかった、一人の士官がアマンナの態度に対して苦言を申し入れた。
「もう遅い、奴を組み込んだのは失策だったがどうにもならん。だが、奴がライアネットにコンタクトを取った履歴は残っている。全三六機存在する特個体の中でライアネットにアクセスしたのは奴だけだ」
「…どのみち頼らざるを得なかったと」
「海底から浮上してきた時代遅れの船長さえ押さえられたらそれで良い。──プロメテウスの計画に一部遅滞が見られるが、焦眉の急であるスカイダンサーは本隊から隔離された状態だ、現在戦闘中の部隊でも抑えることは難しいだろうが無力化も時間の問題だ」
「本当にスカイダンサーはこちらに来るのでしょうか」
「来る。国民主体の政治はいずれ統治者たちを死へ追いやる」
彼の発言は、所謂"民主主義の自殺"と呼ばれるものだ。
国民が主体であるが故、国の統治者たちは彼らの意見を無視することができず、たとえ国を存続させるための政治であったとしても、国民が反対すれば統治者はそれに従わなければならない。
国が滅ぶと分かっていても、その国に住む民たちが納得しなければ統治者たちは何もできない、これが"民主主義の自殺"の原理である。
「プロメテウスが計画した擾乱により、現地人たちはスカイダンサーの身柄を明け渡すよう必ず糾弾する、これを無視することはできない。それから、ナノ・ジュエル管理区域のマスターコントロールも直に整う。あと半日だ、あと半日我々の戦線を維持すればこの状況を終わらせることができる、ディヴァレッサーへ出動要請もかけてある」
「投入するのですか?」
「その為の歌姫だ」
指揮官がそう言うと、会議室にいた面々が一斉にミーティアへ視線を向けた。
視線を集めることに慣れている彼女は臆することなく、指揮官たちの期待を当然のように受け止めた。
「はい、私が歌う限り敗北はありません」
いや実際そうでもないんだけどね?
(あんな──あんな人たちに負けてられないわ!そうよ私は伝説の歌姫なんだから!)
目を疑うような美人妻々を目の当たりにして自信を失いかけたがそこはあれ、今日まで培った歌姫としてのド根性で何とかした。
そんな歌姫の内心に指揮官たちは目もくれず、続けて作戦内容の擦り合わせに入った。ミーティアは指揮官たちが交わす言葉の群れを耳に入れながら、地球の何処かにあるであろう青空をもう一度見上げた。
「………」
濃い青色がどこまでも広がっている、果てはソラへ続いているのだろう、黒い世界がそこにあった。
喧嘩別れをした友の魂もきっとあそこに眠っているのだろう。
(アンジュ…)
どうして戻って来ないの?
もう、嫌になったの?
ミーティアは会議の内容に耳も貸さずじっと見やるが、宇宙は何も答えてくれなかった。
*
体の重心が右へ左へ大きく傾く、その度にジュディスはぐぐぐっとお腹の底に力を入れて踏ん張るが、それでも目が回るような思いを味わった。
「もうちょっとの辛抱だからね!今ナツメたちが追い払ってくれてるから!」
パイロットシートに座っているアヤメがそう声をかけてくるが、ジュディスは不思議で仕方がなかった。
(こんな状況でよく喋れるわね──うわうわまたっ!!)
目の前にあった黒い船が突如一回転、何も転覆したわけではない、ジュディスが搭乗しているどんぐりみたいな戦闘機が右方向へくりんと回ったのだ。
回った直後、朱色の塊が音速で通り過ぎ、アヤメが「あっぶね」と小さく呟いた。その呟きを耳にしたジュディスは肝を冷やした。
どうやらこの機体が狙われているらしい、戦い方について良く知らないジュディスにもそれは分かっていた。
しかし理由が分からなかった。
こんなに激しく機体が回っているのに、息を一つも上げないアヤメが仲間と通信を取った。
「ナツメ!まだなの?!」
キューブタイプのスピーカーから「まだだ!」と返事があり、何かしら対策を講じようとしていることが窺い知れた。
頑張ってジュディスも声をかけた。
「な、何か、しようとしてるん、ですか?」
「まあね!──下手に喋らないで!舌を噛むから!」
アヤメがコパイロットシートへちらりと視線を投げ、すぐに前方へ戻した。またその直後に急性動がかかり、ジュディスはお尻の底が宇宙へ飛び出してしまいそうな感覚を味わった。
接近してきた機体から逃れるため、アヤメが機体を急降下させたのだ、気持ち悪いってもんじゃない。
(こんな事になるなら乗るんじゃなかった──いやでもこうでもしないとあいつと話ができない!)
スカイダンサーはどこだろう?目まぐるしく変わる景色のせいで、ノラリスの姿を良く見ることができない。見えるのは朱色の残滓だけだ、空のあちこちに残っている。
きっと自分の為に戦ってくれているのだろう、そう思うと「案外すぐ仲直りできるんじゃね?」と心が上向くが、頼みの綱のアヤメが「しまった」と鋭く叫び、冷え切っていた肝がさらに冷えてしまった。
続けてハッチの上から強い衝撃が下り、ジュディスは恥も外聞もなく「ひええっ」と間抜けな声を上げてしまった。
キューブスピーカーからではなく、外から直接男性の声が届く。
「抵抗はするなよ、こちらも丸腰の機体を墜としたくはない。指示に従えば身の安全は保証する」
アヤメの奮闘も虚しく、敵の機体に捕らわれてしまった。
「どうして先輩が狙われるの!!」
空を縦横無尽に駆け回り、せっかく敵を追い払っていたというのに、ナディはどんぐりみたいな戦闘機が捕獲されたところをほんの遠くから見ていた。
どんぐりのように両端が錐状になった胴体部に主要が二枚、尾翼が三枚付いた小型機だ、逃げるのがやっとで戦闘能力は見るからに無さそう、それなのに敵機はその小型機ばかりを狙っていた。
狙っていた理由は一つしかない。
「人質に取るつもりだろう。民間人を狙う理由はそれしか思い浮かばない」
ノラリスが冷静な声音でそう答える、彼女はすかさず反発した。
「だからどうして?!」
どんぐり機を捕獲した機体が外部スピーカーを用いて、周囲へ戦闘行動停止の要請を出していた。要請、とは言うが実質は脅しだ、民間人を盾にして「攻撃するな!」と言えば誰だってトリガーから指を離す。
だからナディたちも戦闘を止めざるを得なかった。
「君が欲しいんだよ、向こうは」
「──は?」
言うか言うまいか、ノラリスは思案し続けていたが潮時だと判断し、彼女に隠していた事実を打ち明けた。
「君が持っていたワールディリアがあの事象を引き起こした。最長一六〇時間に及ぶ発光現象は宇宙では日常茶飯事だが、人類はそうではない。二次元と三次元という隔絶していたはずの世界が混じり合った証なんだよ、あれは」
「あれっていうのは…」
「セブンス・マザー、彼らがそう名前を付けた超常現象。君からすればライラとの愛の証だ」
「いや愛の証って言われても」
いやそこ照れるところじゃないからとノラリスが手短に突っ込み、
「おそらく彼らは捕らえた民間人の身柄と引き換えに君を要求するはずだ」
「ノラリスは?というかノラリスも当事者だからね?」
「いや私はほら、内縁の間柄にあるから不倫相手とかそういう──「こんな時にふざけないでくれる?」
す、すみませんとノラリスが言い、続けて、
「私は別角度からアプローチをかけられているはずだ。私たちの個人情報が保存されている総合基地、ライアネットから」
「個人情報ってどういう──」その時、どんぐり機を捕獲した機体のパイロットがナディの名前を呼び上げた。
「ノウティリスのパイロットであるナディ・サーストンの身柄を要求する、こちらの指示に従うなら捕らえた民間人たちはすぐに解放しよう。これは脅しではない、繰り返す、従わなければこの場で射殺する」
戦いの空がいっとき静寂に支配された。誰もがただ無為に空を飛び、両者の行末を見守るように静観していた。
その静寂を突き破ったのは他でもない、捕らわれた本人であるジュディス・マイヤーだった。
「あんた…私のこと嫌いになったんでしょ」
「………」
スピーカーから流れてくる彼女の声は控えめに言っても拗ねていた、そう、拗ねていた。まるで子供だ。
「こっから出て行けって言ったもんね私、そりゃ嫌いにもなるわよね」
「この人……」
ナディは思わず、コントロールレバーを握っていた手にぐっと力を込めた。
「あの時は私も大変だったし他人を気遣う余裕なんてなかったし、でも言ったものはしょうがないじゃん。──私の事嫌いだったらはっきりとそう言えばいいじゃないこそこそ逃げ回って!それでもスカイダンサーか!」続けて、「──だから私に構うなこんな奴撃っちまえ!!私が生きるよりあんたがハワイに残った方が皆んなの為になる!!だから撃てーーー!!「いや私もいるんだけど〜〜〜?!」
アヤメの情けない叫びはもうナディの耳に入っていなかった。
ノラリスがスカイダンサーに確認を取る。
「どうするの?」
「あの人はほんとっ──」ノラリスの問いかけも耳に入っていなかった、柳眉がこれでもかと吊り上がっていた。
吊り上がっていたかと思えば急にすん...と真顔になり、平坦な声でこう言った。
「撃つよ」
「いやどっちを?」
「先輩」
「いや名指し?!」
言ったそばからナディはトリガーを引いた、本当に引いた、これには捕獲した敵機のパイロットも目玉を剥いてしまった。
(そんなまさか──民間人の死亡は降格処分──)
スカイダンサーから放たれた弾丸の軌道はピッタリと捕獲した機体を捉えている、今から回避行動に移っても間に合わない。
だが、弾丸が着弾したのは胴体部ではなく掴んでいた主翼だった。スカイダンサーは翼を掴んでいたマニピュレーターを狙ったのだ。
「──!」
マニピュレーターを穿った弾丸が脚部も貫き、ついで脚部ブースターも破損、捕獲した機体が手から転げ落ち、海へと真っ直ぐ落ちていった。
重力に捕まった機体がぐんとスピードを上げる、追いかけたいのは山々だが姿勢維持もままならない。このままでは海面に激突し、中にいる人間もプレスで挟まれたようにぺしゃんこになることだろう。それは良くない!
パイロットは頭を真っ白にしながら、ただ落ちて行くのを見守ることしかできなかった。
敵の機体から解放され、けれど重力に逆らえず海へ落ちていく機体の高度はもう既に一〇〇メートルを切っていた。
ナディはスピーカーから届く味方の罵声を無視して機体を駆る、それこそ自分の手足のように軽やかに。
「本当に撃つ奴があるか!」
「そうだよお姉ちゃん見損なったよ!」
「いくらジュディさんが怖いからって自分で止めを刺すことないでしょ!」
奇襲は成功した、お陰で敵の懐から機体を切り離すことができた。後は落ちていく機体を回収するだけ。
ナディは怒っていた、それはもうこれでもかと怒っていた!もうほんとに怒ってる!
(こんな時まで拗ね倒すだなんて信じられない!あのお子ちゃまめ!)
こっちだってこれ以上変に喧嘩しないように気を遣っていたのにあの言い草はなんだ!まるでこっちが全部悪いみたいじゃないか!
まあ正直言えば狙い通り翼だけ破壊できてホッとしている、そりゃ周りからボロクソに言われるだろう、少しでも軌道がズレていたらあの人は死んでいたのだから。
感情的になるのは良くない、とか変な事考えながらコントロールレバーの操作に集中した。飛べない機体はぐんぐんと高度を下げていく、ノラリスみたいにバックバウンドがあればいくらか無事だろうが、きっとそんな機能は無いだろう。
分割されて脚部の両側に収納されていたボードを足底に展開、木の葉が落ちるように滑らかに着水し、さらに機体スピードを上げた。幸運にも、人々の諍いに興味を持っていないかのように今日の海は穏やかだ、波に阻まれることなく真っ直ぐ向かうことができた。
落下予測地点はすぐそこだ、けれど翼を失った機体もすぐそこだった、あちらの方が早く海面に着いてしまう。
「ダイビングキャッ〜〜チ!!」
ナディは滑走することを諦め、野球選手よろしくヘッドスライディングの要領で両手を広げ、機体を宙へ投げ出した。
「ぶふっ?!?!」
コクピットに激しい衝撃が伝わるのと、広げた両手にずしりとした衝撃が伝わってくるのが同時だった、間一髪、後少しで先輩殺しになるところだった。
お腹を海面に叩きつけられたノラリスから文句が入る。
「だからね?!そういう事する時は事前に言ってくれないかな?!何でいつもいつも黙って奇行に走るの!「奇行って言うな!……いたたた」
ノラリスが一旦どんぐり機を手放し、海中に没していたお腹を空へ向けるためぐりんと回転した。即座にナディがコクピットハッチを開け、ノラリスの腕伝いにどんぐり機へ向かった。
外部のハッチ開閉ボタンに指をかける、落下した衝撃が加わったにも関わらずすんなりと作動し、ぱかっと間抜けな音を立ててハッチが開いた。
──いた、ジュディスが全身を縮こまらせ、瞳に涙を湛えてナディのことを見上げていた、その様子はまさしく小動物そのもの、目に付く外傷はなく、どうやら無事のようだ。
ナディは安堵とも呆れともつかぬ溜め息を付いた、これでは怒るに怒れない、そんな泣き顔を見てしまったらお腹の怒り虫も引っ込んでしまった。
「先輩…あんな事言っておいてそれは卑怯ですよ」
声をかけられたジュディスの瞳から涙がポロリ、それが合図となって彼女が泣き出してしまった。あなた歳上ですよね?
「ご──ごめん、ごめんナディ〜〜〜!ずっと、ずっとごめんね、ごめんね〜〜〜!」
彼女は恥も外聞も歳上のプライドも捨て、ナディにひしと抱きついてきた。ナディはその体を強く抱き締めた。
「私の方こそすみませんでした、ずっと迷惑をかけて、それで先輩に気を遣って逃げてました」
素直になったビーストジュディスが鼻声で、「ずっと寂しかったんだから〜〜〜!」とまた泣いた。
無事に救助を終え、そして仲直りを済ませたナディたち、一緒に乗っていたアヤメも「次私を抱き締めて!ほんとに怖かったんだから!」と苦情を入れている間、レイヴンから救助部隊が派遣され、全員無事に回収された。
ヴァルヴエンドの作戦は失敗に終わり、スルーズ・ナルーの蹂躙によりスーパーセル部隊は呆気なく全滅、焦眉の急であるスカイダンサーの身柄はおろか、さらに逆上させてしまう結果となった。
それから数時間後、レイヴンからハワイの市民たちへ声明が出された。
*
その声明をただ静かに、ハワイの問題児たちはヘイムスクリングラのブリッジで聞いていた。文言を読み上げているのは氷の女王、そしてレイヴンの艦長でもあるライラ・サーストンだ。
「私たちはハワイの為に武器を手にすることを決めました。彼らは宥和的と口にしながら、その実攻撃行動を繰り返し、つい先程に至っては民間人を人質に取り、その暴虐の限りを尽くしました。ハワイにいる皆様方が不満と不安を抱いているのは十分理解しています、ですが、その不満と不安を取り除けるのは私たち一人一人のハワイの民しかいません、彼らに解決を委ねるのは誤った判断だと言えるでしょう」
「──相当抑えているな、サーストンの奴」
「無理もない、目の前で人質に取られたのだから」
「文句の一つや二つは言いたいでしょうね」
モンロー、セバスチャン、それからホシがそれぞれ感想を口にし、そうしている間にもライラの声明は続いていた。
「──繰り返しになりますが、私たちはハワイの為に武器を手にすることを決めました。これより旧ウルフラグ領へ向かい、敵に落ちた管理区域を取り戻すべく戦闘状況へ移行します。ハワイの防衛はダルシアンさんに委任します「──ガチ?!「ヴァルヴエンドの要求はあるパイロットの身柄の譲渡です、彼女も状況次第によっては向こうへ渡ることを決意しています──私は全然納得してないんだけどね〜?!本人がそうだって言うから仕方な──」一旦通信が切れ、そう時間をかけずに再び本人が話し始めた。
「皆様はそれで良いんですか?誰かを犠牲にすることが平和の礎になると?皆が戦う決意をして誰かが犠牲になるならまだしも、たった一人の決意と犠牲で現状を解決することが本当に平和な国家な為だと思いますか?──今日までの国家はそうだったのでしょう、私の言い分が綺麗事であるのも分かります。ですが、犠牲を強いらせてきた国家が今どうなっているのか。どうか、皆様方も立ち上がる決意を、現状を他者のせいにしていたらいつまでも先に進みません、犠牲で成り立っていた国家のようにいずれ海の底へ沈んでしまいます」
愛する者として、また一組織を束ねていた団長として、そして今、戦う決意を持った艦長としての心の発露であった。
問題児たちは胸に打つものがあった。
確かに誰かを犠牲にするやり方は簡単だ、けれど持続性が何も無い、その場限りの解決策で発展性が無いのだ。
ライラはそれを破ろうとしている、国家としてのジレンマを正面から突破しようとしている。それはとても困難な事で、成功する保証はどこにもない、だからこそヘイムスクリングラに集った野郎共は心が震えたのだ。
「この女…普通に格好良いな、痺れたよ」
「それはただの更年期障害なのでは──「うるさい。モンロー、貴様はどうする?私はレイヴンに付いて行くぞ」
「僕もそうします」
「お前はこれ以上落ちることができないからな、無理もない「そういう言い方止めてもらえません?──そういうあなたは?ヘイムスクリングラの艦長」
モンローが艦長席からゆっくりと、三人以外誰もいないブリッジに立ち上がった。無理もない、だってここにいるのは女ったらしのろくでなしばかりだから!皆んな逃げた!
「──行こう」
言葉はそれだけだった。
*
レイヴンに協力するため、ハワイ軍港に停泊していたヘイムスクリングラが出航し、それと入れ替わるようにしてダルシアンたちが帰港した。
市民たちはスカイダンサーの救助を終えたダルシアンを迎え入れ、あるいは反対し、騒動が一向に収まる気配を見せない中、レイヴンも補給のために港へ戻って来た。
軍港近くの桟橋にて、円卓街を支える支柱の影が落ちる場所に彼女、あるいは彼がひっそりと立っていた。
白い衣装はどこにいても目立つ、顔を隠しているのならなおさら、けれど誰に見咎められることなくただひっそりとそこにいた。
「………」
プロメテウスから見て、彼らはとても滑稽に見えていた。燻り高まった不安感情を叩きつけるように軍港へ押しかけ、その捌け口を求めて彷徨い歩く市民たちの姿。
声明を出したあの女性の言い分は正しい、己の現状を他者のせいにしている間は何の進歩も無い。
(ですが…掲げた理想に代償は付きもの)
その理想の実現の為に消費される時間、リソースは甚大なものになる。それをコントロールし、凡その人が幸福だと言える環境を整えるのもまた為政者としての務めである。
仮想展開によって薄暗いオレンジ色の世界になっても、黒光りする異様な船を観察していると背後に気配を感じた。ここは破棄された元居住エリアだ、所狭しと建った民家の端も端、たまたま通りかかるような所ではない。
プロメテウスはすぐに自分が目的だと気付いた。
「──どちら様?」
背後を振り返る、そこには柱の影に隠れてなお暗くなった濃い闇があった。その闇が家々を覆い、光りと影の境い目にぬっと一本の足が現れた。ちょっとびっくりした。
姿を見せたのは金色の髪を一本に束ね、オリーブ色のジャケットにハーフパンツ姿のアマンナだった。
「よ」と、彼女がまるで友達のように軽い感じで挨拶をしてきた。
「あなたに用事があってね、ちょっといいかな」
オリジンのアマンナ、彼女は一応ヴァルヴエンドに組みしている者である。だからこそ、他所の特個体たちを引き連れてマリーンへ潜入し、ドゥクスの指示の元動いていた。
一応、仲間である。
「何でしょう、出来れば手短に」
そう伝えると、アマンナが両の手をぱっと広げて「取って食べたりしないから、そう心配しないで」とおどけた様子で言ってきた。
「あなたに聞きたいことがあってさ、メリアって名前に聞き覚えはある?」
「いいえ、存じ上げませんが、それが何か?」
「………………」
アマンナの表情は変わらず、親しみを込めた笑顔を保っている、だが、目が全く笑っていない、相手の真意を見抜こうとしているようだ。
「なら、ワールディリアという言葉は?」
「世界そのものを構成する因子、あるいは元素群の事でしょう。残念な事に、その事象だけが世に残り、発見した研究者あるいは科学者の名前は後世に伝わっておりません」
「それがメリアだと言ったら?」
「そうだと言える根拠は?」
「……………」
「……………」
互いの口から出た言葉が宙を漂い、視線だけがぶつかり静かになった。
静寂を破ったのは、ちょっと焦っていたプロメテウスだった。
「…その問いが今の状況とどう関係しているのか知る由もありませんが、あなたには仕事があるはずですよ。こんな所で油を売っていても?」
「それが油じゃないんだよ、こっちはとても重要な事でね、ヴァルヴエンドを管理しているあなたなら何か知っているかもと思っていたんだけど…」
「当てが外れましたね」
「いいや大当たりだよ。──ノウティリスの事なら心配しないで、直にロックがかかるはずだから」
「プラネット・ロック、全ての権限を凍結する特個体を唯一拘束する事ができるシステムコマンド…それを何故あなたが、という疑問が強く残りますが」
「それ、重要な事なの?──ま、ヒントを言うなら…そ〜だな〜」アマンナが人差し指を顎に当て、オレンジに光る世界の天井を見上げた。
「ガニメデって名前は聞いたことあるよね?」
「木星の属する衛星の名前──そういうわけではないのでしょう?」
「そうそう、今もオリジンで元気にしてるよ、彼女のお陰かな、詳しく知りたかったら本人に聞いてみるといいよ、どうして私がライアネットを知ることができたのか、ってね」
「…………」
「じゃ、まあそういう事だから、お互い邪魔はしないようにしようね〜」と、アマンナがもう一度気さくに手を振りながら、闇に呑まれている民家の群れへ消えて行った。そこでパタリと気配が途絶えてしまった。
(何故かのような存在が発見者の名前を──そう…何度も覚醒している内に自身の存在に気付き、監視衛星を自らの手で…いやでも木星ってどうなの?せいぜい火星ぐらいが適正の──近過ぎたら露呈しまうから、だから木星を選んだ…)
プロメテウスは目前に広がる闇よりなお、彼女に対して薄ら寒いものを感じた。
背中を向けていた軍港から慌ただしい気配を感じ、プロメテウスは闇から視線を剥がして振り返った。
ヘイムスクリングラ、それからレイヴンが出航するようだ、軍港に押しかけた市民たちは応援するどころか罵倒しているように見える。いつの世も、英雄とは後世が語るものであって当事者たちからすれば非難の的になるのだろう。
罵倒を背に受けた二隻の船が港を立った、旧ウルフラグ領へ向かい、展開している本隊からナノ・ジュエル管理区域を取り戻すために。
さらなる戦いがこれから起こる、その予想を裏付けるように海が荒れ始めた。
※次回 2024/4/6 20:00更新