TRACK 45
ジュヴィ・キャッチャー
時刻は朝、目が覚めたジュディスは不思議な感覚に囚われすぐに体を起こしていた。
「何だか凄く嫌な感じが…」
こんな事は初めてである、飛び起きた彼女は締めていたカーテンに手を伸ばす。だが、この時から既に変だった、とても変である。
いつもならカーテンの隙間から朝日が溢れているはずである、しかしそれがない、まだ夜明け前のようにカーテンの向こう側が暗かった。
カーテンを開く前に時計を見やる、時刻はきちんと朝である、朝日が「おはよう」する時間になっていた。
ジュディスがしゃっとカーテンを開いた。
「…………」
朝日がない、寝坊したのだろうか?まあたまにはあるよね、なんて言っている場合ではない。
彼女たちも『仮想展開型風景』という言葉ぐらいは知っている、普段はあまり意識しないこの世界のシステムの名前。
以前にも似たような事があった、それも二度、そのどちらも瞬時に夜へ変わり、そしてまた瞬時に昼へ戻ったおかしな現象。
「非常灯…なの?あれは…」
けれど、今回はそのどちらでもなかった。
天井だ、世界の天井が見える、そしてその天井には小さなオレンジ色の光が無数に瞬き、ジュディスたちが住むハワイの街をオレンジ色に染めていた。
円卓街もイカダの道も船も家も何もかも、マリーンの天井に設置された非常灯の光によってオレンジ色に染め上げられていた。
非常事態である。
オレンジ色に染まった街並みははっきりと言って、とても不気味だった。
ジュディスは素早く身支度を整え、寝起きであまり言う事を聞かない体で部屋を飛び出していた。
*
「非常事態です。言わずもがな、ナノ・ジュエル管理区域が私たちの管轄から外されてしまいました」と、テンペスト・ガイアが報告した。
場所は仮想世界、マキナたちが決議の場として使用している所だ。空席を含め計一二席が用意され、内三つの席が空であった。
テンペスト・ガイアたちは宇宙空間にいた。彼女たちの足元にはキャッツアイ星雲が存在し、紫色を中心として周囲を赤色のチリが渦巻き、その縁を緑色のチリが囲っていた。まるで猫の目のような星雲である、とても目がチカチカする。
テンペスト・ガイアたちは、そんな仮想展開された宇宙の景色に目もくれず真剣になっていた。
「管理区域の管轄権が彼らに強制移行されてしまい、マリーン内の仮想展開型風景が切断、ゆくゆくは酸素の供給も止まってしまう事でしょう」
まるで宇宙の中に湖があるような、そんな変わった星雲を背景としているディアボロスが端的に発言した。青色のガスを黄色やオレンジといったガスが湖畔を表すように囲っている。その湖のような惑星状星雲と本人が被っていたためなんかちょっと見難い。
発言した内容は端的だった。
「猶予は?」
「長くはありません、必要酸素濃度以下に低下するまで一月もないでしょう。彼らは文字通り、私たちを支配下に置くつもりです」
「死にたくなければ言う事を聞け、か、確かに最も有効な手段ではある。で、お前の判断は?ヴァルヴエンドという管理者の指示に従うのか?」
「あちらの要求次第です。武力介入を続けてばかりで具体的な要求がなされておりません、本来であれば私たちマキナにも内密にして解決を図りたかったのでしょうが…」
「散々邪魔したからな〜ナディたち、と言うよりハワイのみ〜んなが。そりゃお上もカンカンに怒るわ」と、発言したのはバベル・アキンド。彼(あるいは彼女)の真上方向には、超新星爆発の名残りとして空間に漂い続けている双極流星雲があった。爆発の中心点から二方向へ黄緑色を基調としたガスが噴霧している様子だ、なんかちょっとカッコいい。
バベルは椅子の上で胡座をかき、ぎこぎこと揺らしながら話した。
「そら〜な〜どんな事情であれ、マリーンに住んでる人間が外へ飛び出して、挙げ句にはアジア大陸まで渡って…なんやっけ、七色一週間やった?そんな超常現象まで引き起こしたんやもん、そら無視できんて。本人はこの事知らんのやろ?」
「だけど、それがあったからマリーンの人たちは皆んな無事だったんだろ?ナディの責めるのは筋違いだ」と、バベルに反論したのはハデス・ニエレ。彼の周りには何も無い、ガスやチリさえも存在しないヴォイド空間が広がっていた。
「責める責めへんの話やないよ、お外の連中はスカイダンサーが目当てなんや。──ほんであいつは何しとん?」と、バベルが語気を強めて言った。
「あのアホまた人を撃ちよってからに、お姫様を気取るくせして都合の悪い事が起こったらすぐトリガー引くやなんて…ただの人格破綻者やないか!」
「だ、だけど…あの時グガランナがああしなかったら、きっとナディたちは戦うために空へ上がったと思う…それはきっと、他の人たちにとってあまり良い事ではないと、私は思う」と、グガランナの行動にある程度賛成の意を示したのがポセイドン・タンホイザーだった。
彼女の影の薄さを誤魔化すように、背後には螺旋状星雲があった。惑星状星雲と同様に中心はまるで湖のようであり、けれど湖畔は火山地帯のように真っ赤だった。
「なら、グガランナが正しかったって?うちらまで悪者扱いされるんやで?──またマキナがやりよったってな!」
彼女 (だった)がポセイドンへ唾を飛ばした。
バベルの言い分も最もで、約六年前の虐殺事件が尾を引いていた。マキナたちを良く知らない人たちからすれば、バベルたちは『人を殺すマキナ』として見られており、あまり歓迎はされていなかった。
「まずはこの件について、この場で決議にかけたいと思います。グガランナ・ガイアをリブートするか否か、皆さん方で判断を」
宇宙空間に空気は存在しない、あったとしても極々微量で音波を伝えるには不十分な量である。だからこそ、テンペスト・ガイアの発言に皆が口を重く閉ざし、その沈黙が痛いほど耳についた。
皆んなのお母さん天使であるティアマト・カマリイがこの沈黙を破った、「今決議にかけないと駄目なのか」と、決議自体に反対の意を示した。彼女の背後にはまるで主神に愛されたかの如く、天使の輪っか星雲があった。星の爆発地点を中心とし、紫色を基調とした輪っか状星雲が揺蕩い、白色と緑色の小さな光点がいくつも存在していた。
そんなお母さん天使にテンペスト・ガイアが、困ったように眉を寄せながら正直に答えた。
「分かりません…ですが、あってはならない事が二度も起こり、彼女が今後人を撃たないとは言い切れなくなりました。今私たちは未曾有の事態に突入しています、そんな時に果たして信用ならないマキナと共に解決に当たってよいのかと、強い疑問があります。だから決議を提案しました」
「そう…あなたも悩んでいるのね…あの子はただ──いいえ、何でもないわ」
ティアマトが何かを言いかけ、そして何も言わずに口を閉ざした。
テンペスト・ガイアがグガランナ・ガイアを決議にかけた。
(あなたはこんな事をする人では…孤独はここまで変えてしまうのでしょうか…)
曲がりなりにも、テンペスト・ガイアはグガランナと共に一つのマテリアルを共有し決して短くはない時間を過ごしてきた。その思い出を走馬灯のように蘇らせ、それから非情に徹した。
彼女もまたマキナである。テンペスト・シリンダーを運営するにあたって最適解を導き出し、それを決行する。
「では、グガランナ・ガイアをリブートするか否か、各々方投票を」
結果は──賛成多数。ここにグガランナ・ガイアのリブートが決議された。
(仕方がありません…さようなら、グガランナ)
ところが、この決議に待ったをかける者が現れた。後はアイコンをタップするだけ、というまさにその一瞬の内にゼウスが決議の場に登場したのである。
正直なところ、テンペスト・ガイアは胸を撫で下ろしていた。
「──まあまあ、彼女の事もそうだけど、他にも大事な事があるんじゃない?」
「何しに来た」
「いや僕も君たちの仲間なんだけど。というかさ、僕が居ない事になんでそう疑問に思わないの?」
「用件を言え、そしてさっさと出て行け」
ハデスとディアボロスから冷たくあしらわれ、それでもゼウスはどこ吹く風と言わんばかり。
「グガランナがやった事は確かにあるまじき行為だけどね、けれど結果としてマリーンを存続させた事になるんだよ。今この瞬間、スカイダンサーたちが飛び出して行ったらきっと全面衝突になってしまう、そうなったらここは終わりだよ」
「ええ。ですが、決議の結果は覆せません」
「それも分かってるよ、リブート処置はこの件が片付いてからで良いんじゃない、って話。──それよりも…」
話の途中でゼウスが、ここまで黙して語らなかったオーディン・ジュヴィへ意味ありげな視線を投げかけた。
マリーンの戦神はゼウスの視線を当然のように受け止めた。
「貴様の目的は余であろう」
オーディンの背後の空間には、まるで軍勢のような星雲があった。三本の柱のように、黒くて濃い塊が数光年先までうんと伸びていた。
天地創造の柱である。星の素となるチリやガスが集まり、星とならずにオーディンの背後に控えていた。
「そうだよお願いだから大人しくしていてね。君が彼らを外敵とみなした場合、泥沼になっちゃうからね」
「それをわざわざ余に言いに来たのか?暇な男だ」
普段の様子は見る影もなく、オーディンはただ静かにそう言った。
「それは余が判断する事だ。たとえ最上位の権力を持つ貴様にもその責は無い」
「そうだね、だから僕が来たんだよ。分かっているね?これはマリーンを存続させるために必要なプロセスなんだ。彼らのガバナンスを受ける義務が僕たち「急な横文字止めて「──彼らの統治は受けるべき、そう言っているんだ」
「統治と取るか支配と取るか、それを決めるのは僕たちじゃない」とディアボロスがゼウスに反論する。
「それを決めるのは人類だ」
「そうだよ、だから他にもやる事があるんじゃないって言ったんだ」
「相変わらずムカつく奴やな〜」
「ええ、ですが、彼の言う通りでもあります。できればこの場でどう対処すべきか、そこまで話し合うつもりでいましたが…」
「それはマリーンの人たちと話し合ってからでも遅くはないんじゃない?皆んな、非常灯に照らされて心細くしているよ。君たちが罵詈雑言を受ける的になるか、それとも救済を与える星人様の使いになるかは別としてね」
「全く…手のひらの上で踊らされているのは重々承知しますが…行きましょう、決議は一旦お開きとさせていただきます」
テンペスト・ガイアの言葉を皮切りに、それぞれのマキナが退出した。
けれど、オーディンだけはこの場に残った。
そして、ゼウスも同じように残った。
*
テンペスト・シリンダーの非常灯に照らされた街は混乱に陥っていた、当たり前である、皆それとなくこの世界が『どうやら箱の中にあるらしい』という認識を持ってはいたが、普段から意識していなかった。
だが、世界の天井を見せつけられ、人々はパニックを誘発させるほどの強い『圧迫感』を覚えた。
当たり前に存在していた世界が実は閉じ込められた環境だと分かり、人々は『外に出たい』という強い衝動に駆られていた。
けれど、自分たちの手ではどうすることもできない、それがさらに圧迫感を助長させ、中には息苦しさを覚えて身動きが取れなくなった人たちもいた。
ハワイは酷い有り様だった。
軍港の桟橋に立ち、オレンジ色の光を反射している海を眺めながら、ヴィスタはどうすべきなのかと思案していた。
この惨状を引き起こしたのは間違いなく彼らである、外からやって来る侵入者たち、何の間違いか侵入を許してしまった。
オレンジ色の波飛沫を上げる海面は不気味だった、本来の色を失いまるで他人に支配されているかのような景色、とても不愉快だった。
彼の背後に誰かが立った、ヴィスタは振り返ることなくその人に話しかけていた。
「どうすべきだと思う、ミガイ」
ミガイがヴィスタの傍らに立った、ついと横を見やる、彼の横顔にもオレンジ色の光りがあった。
「取り戻すべきだ、それ以外にない」
「ああ、だがその方法が分からない、何故こうなってしまったのか、マキナに訊ねようにも姿を見せない」
「あるいは、こうなると分かっていて姿を隠したか。あいつらなんだろう?この世界を管理しているというのは」
「俺たちを裏切ったと?」
「裏切られたんなら詰みだ、俺たちに打つ手は無い。あるとしたら──」
全面戦争。ヴィスタはミガイが口にしなくとも言いたい事は分かっていた。
(せっかく二つの国が一つになれたというのに…まるで勝算が分からない戦いに命を費やさないといけないのか…)
二人して眉を寄せ、重い沈黙が続く中、また背後に誰かが立った。あまり馴染みがない気配である、不審に思った二人が振り向くと、そこには渦中の人である一人のマキナが立っていた。
名はテンペスト・ガイア、物腰は柔らかく言葉使いも丁寧だが底を見せない相手である、二人がとくに警戒をしていたマキナだった。
ミガイが挑発的な言葉を投げかけた。
「俺たちを殺しに来たのか?」
「いいえ、話し合うために来ました。今まで席を外して申し訳ありません、今回のこの事象について全てお話します」
「話をするだけなのか?つまり自分たちに責任は無いと?あんたらなんだろうここの管理者というのは」
「それも含めて、私はあなたたちと対話を望みます」
「良いだろう、関係者を全員集める」
「そんな悠長にしている場合かね、パニックを起こしている奴だっているんだぞ」
「俺たちが浮き足立てば余計に混乱が広がってしまう。お前こそ自重しろ、勝手な行動は取るなよ」
「──ちっ」
ミガイとて例外ではない、彼も異様な光景を前にして冷静さを欠いており、半ば八つ当たり気味に舌打ちをして二人の前から去って行った。
◇
ハワイの主要なメンバーが集められた場所は商工会議所のようなビル、先日会議が行なわれたちょー質素な会議室だ。そこには既に先客がおり、鬼気迫る様子で矢継ぎ早に指示を出していた。
先客とはジュディスである。
「配達業務を全て中止して招集指示を──不要な外出は禁止するように──ちょっとウィゴーもっとシャキッとして!──被害と状況の報告を急がせて──軍には事態収集のために派遣要請を──さっきからウロチョロし過ぎ!あんた体がデカいんだから邪魔なのよ!」
(ウィゴーに八つ当たりをしながら)指示を出しているジュディスは、ヴィスタたちの入室に気付いていない。彼女はその場にいる人たち、電話、オンライン通信の全てに対して事細かく有無を言わせず従わせていた。
ヴィスタはそんな彼女に舌を巻きながら訊ねた。未曾有の事態を前にして、ここまで堂の入った指揮はそう取れるものではない。
「状況は?」
「今情報を集めているところなのよ見れば分かるでしょ?!あんたはさっさとテンペストたちを──ってそこに居るじゃない!!」
「席を外しておりました、申し訳ありません」
「ここは一体どうなってるの?!ヴァルキュリアの島もホワイトウォールもウルフラグもどこも全て一緒よ!レイヴンも丸一日戻って来ないしモンローたちからの報告も無いし!」
「落ち着けマイヤー、それを今から話し合って確認するんだ。レイヴンの後を追った彼らにも招集をかけてある」
「さっさと連れて来いあの女ったらし!!ウィゴーの臆病さをちょっとは見習いなさいよ!!」
褒められているのか馬鹿にされているのか良く分からないジュディスの叫びに、ウィゴーがびくりと肩を震わせた。
ヴィスタと共に入室してきたテンペスト・ガイアの背後には、オーディンを除いて決議の場に集っていたマキナたちの姿もあった。だが、皆一様に浮かない顔付きをしている。グガランナ・ガイアがしでかした事を告げなければならないと思うと、どうしたって眉が寄ってしまう。
話し合いはすぐに始められた。
テンペスト・ガイアがマリーンの現状について語る。
「マイヤーさんたちも一度足を運んだことがあるキラの山、その地下にあるナノ・ジュエル管理区域が彼ら、ヴァルヴエンドの者たちに掌握されました」
「それで?」
「その施設はここ、第三テンペスト・シリンダーの動力源となっている所です。つまり、彼らがシステムをダウンさせてしまったのです」
「だから非常灯に切り替わった?」
「そうです」
「理由は?」
「マリーンを、と言うより、ハワイを支配下に置くためでしょう。これは立派な脅迫行為にあたります、指示に従わなければシステムを復旧させないつもりなのでしょう」
「システムが復旧されなかったら?」
「酸素濃度が低下して、マリーン内に住む全ての生命体が死に絶えます」
「………」
「それと…」と、ここまで淀みなく話をしていたテンペスト・ガイアが逡巡を見せた。
「何?」
本物の鬼ように鋭く、真剣な目つきをしているジュディスに先を促され、テンペスト・ガイアは観念して再び口を開く。
「先日、旧新都へ出発したレイヴンですが、囚われの身となっています」
「でしょうね、そんな気はしていた、連絡も取れないし。で?それにマキナが関わっているんでしょ?昨日は居たゼウスとかいう奴も居ないし、だからあんたたちも今まで席を外していたんでしょ」
「ええ…あなたの仰る通りですマイヤーさん、彼女たちが城に囚われているのは我々マキナも絡んでいる事なのです。そして、グガランナ・ガイアが民間人に向かって発砲しました、被害者はリアナ・コールダーさん、それからナディ・サーストンさんです」
そう報告を受けたジュディスは不思議と取り乱すような事はしなかった。代わりに、とんでもなく静かにかつ端的に訊ねていた。
「命は?」
「負傷しただけです、命に別状はありません」
「──遅れてすまない──もう喧嘩の始まりか?」
ちょーピリピリした空気の中、女ったらしのモンローが会議室に入って来た。その背後にはカゲリの姿もある。昨日、ヴァルヴエンドの機体を取り逃がしてしまった二人だ。
モンローは普段と変わらず、ノンパイロットスーツ姿で耳のアンテナをくるくると回している、きっとたくさんの女性が会議室にいたのでテンションが上がっているのだろう。
だが、彼に続いて入って来たパイロットスーツ姿のカゲリは見るからにフラフラだった。
まだまだお冠だったジュディスがモンローに向かって「あんたねえ!!」と吠え、
「どうして報告をしなかったのよ!あんたら昨日はレイヴンの後を追いかけたんでしょ?!」
吠えられたモンローは「は?」と首を傾げた。
「メールを送ったはずだぞ、昨日の状況報告とそのまま警戒体制を敷いて巡回へ──まさか見ていないのか?緊急通信だぞ?」
そこで会議室にいた皆んながばっ!と携帯を取り出してフォルダを確認した、モンローが言った受信拒否設定ができないメールは入っていなかった。
フラフラだったカゲリが「骨折り損のくたびれ儲け…」と呟き、その場でことりと倒れた。
「そんなメールは届いてないんだけど…これってまさか…あいつらの仕業?」
「俺とカゲリ、それからオリジンの船にも要請をかけて夜通し空を飛び回っていた、この異常現象も明け方になって確認された、というより突然照明が落ちたように非常灯に切り替わったんだ。送信したメールが届いていないという事は…もう奴らの手が回っているんだな」
「他に異常は見つかったか?」
「いいや、カゲリの言う通りただの骨折り損に終わった。港に帰港した直後に連絡が来たから、てっきり対策が決まったのかと思っていたが…」
モンローがモノアイのカメラをテンペスト・ガイアへ向け、彼女がもう一度説明を行なった。
「ヴァルヴエンドの手にナノ・ジュエル管理区域が落ちました」
「なるほど、道理で。──で?どうするつもりだ、奴らの言いなりか?それとも取り戻しに行くのか?」
モンローが何でもないように「取り戻しに行く」と口にした、だが、それは侵入者たちとの全面衝突を意味する、それなのにこの大男は何でもないように言ってのけた。
全面衝突を前にして、一番日和ったのがジュディスだった。
「取り戻すって…あいつらと戦争するってことなんでしょ…?」
「当たり前だ、戦って争って、勝つことでしか得られないんならやるしかない、それを戦争って言うんだ。もう話し合う余地は無いと判断する、だからあちらも強行手段を取ったんだ」
「………」
あれだけピリピリしていたジュディスが全面衝突を前にして口籠もり、途端に静かになった。
モンローは彼女の代わりの相談相手として、テンペスト・ガイアへ声をかけた。
「お前たちはこの状況をどう判断する」
テンペスト・ガイアは淀みなく答えた。
「マリーンに住まう人類と我々マキナが起こした事態だと捉えています、そして、テンペスト・シリンダーを管理する組織に目を付けられてしまった、事態の収集を図るには彼らの指示に従うか、あるいは反抗するか、どちらかだと考えます」
「そうだな」
「ですが、私たちの行ないに悪はなかったと断定します、分かりやすい言葉に換算するなら…仕方がなかった。そもそも、このマリーンに未知の電子ウイルスが感染してしまったことが事の発端なのです」
「違うそうじゃない、事態の分析は今は重要な事ではない。端的に尋ねるなら俺たちの味方をするのか、それともあいつらの味方をするのか、という事だ」
「………」
テンペスト・ガイアも口を閉ざした。
ただ、口を閉ざしただけで頭の中は大騒ぎだった。
「一世一代の分岐点ですよ皆さん!どうするんですか!」とテンペスト・ガイアが呼びかけると、マキナたちから返事があった。
「いやそれを決めるのは自分やんか。自分の立場をもう忘れたんか?」
「ま、簡単に言えば現場の人たちの味方をするのか、お上のイエスマンになるか、って事だよな」
「嫌な例え方」
「ここで俺たちが反旗を翻しても、あっちは俺たちマキナを管理する上位組織様だからな〜言う事を聞かなかったから一斉リブートなんて事もあり得る」
「けど、ここでイエスマンになってもマリーンの人たちからは嫌われることになるで、この裏切り者!ってな。どっちみちやで」
「テンペスト、あなたの判断で良いと私は思う、バベルの言った通りどちらを選んでも敵と味方が生まれてしまうから」
「そ、それが判断できないからあなたたちに意見を…」
「ヴァルヴエンドっつう所から俺たちを切り離せたらいいんだけど…」
「そんな方法を探る時間はあらへん」
「テンペスト」
「テンペスト」
「テンペスト、決めて」
「テンペスト、僕もお前の判断に従う」
「テンペストよ、よもや余のことを忘れたわけではあるまい?」
彼女は熟考した。
(そもそもこういった問題はガイアやゼウスの領域であって私はただの現場指示を…いいえ、その二人が頼りにならないのだから私がやるしか…パイオニアなのだから、皆んなが進む道の草分けは私がすべき事)
熟考を終えた彼女が口を開く。
「卑怯な言い方をお許しください、もしあなた方が彼らの指示に従うというのであれば、私たちもヴァルヴエンドの管轄下に入ることでしょう。ですが、敵対することを選ぶというのであれば私たちはあなた方のフォローに入ります」
直接的な言い方は避け、どちらとも取れる発言をした。
モンローの返しは端的だった。
「俺たちの敵にはならないって事だな?」
「え、ええ…そうなります」
「なら、あの戦狂いに連絡を取ってくれ、今から管理区域を取り戻しに行く、と」
「あんたそれ…勝算があって言ってるの?」
「マキナが一人、戦場に入ってくれれば奴らの勝算が狂うことになる。それは却って俺たちの味方になるだろう」
女ったらしの大男はやる気満々である、それは昨日侵入機を取り逃がしてしまった事に起因する仕返しという意味合いも十分にあったが...他のメンバーはどこか消極的であった。
ジュディスやヴィスタ、それからウィゴーや軍港関係者が他に解決策はないのかと口々に話し合う中、招集指示を出していたラハムが一体だけ戻って来た。
開け放った窓からすい〜っとご帰還である、けれどいつも様子が違った。
「ご機嫌よう皆々様、何やら不穏な会議をしていると聞き付けやって参りましたが…」
窓から入って来たラハム(?)が室内をぐるりと飛び、それからジュディスたちの前に置かれたテーブルの上に着陸した。
「あんた…誰なの?ラハムじゃないわよね」
「ええ、はい、私はこの小さな体を借りているプロメテウス・ガイアと申します」
以前、今は亡き総理大臣の前にも姿を現したあのマキナだった。同じ名を冠しているが、同じ個体かは分からない。
そんなマキナが絶妙なタイミングで彼女たちの前にもやって来た。
「皆様方は今、強い不安に駆られているかと思います。見たこともない景色、ここが閉じられた環境であることを示唆する非常灯、一刻も早い復帰を望んでおられるかと」
「何が言いたいんだ」
ヴィスタの言葉にプロメテウスが答える。
「こちらで条件を設けさせていただきました、それに従っていただけるのであればこれ以上の介入は行ないません」
「言ってみろ、聞くだけ聞いてやる」
「ナディ・サーストンの身柄をこちらに渡していただきたく。そもそも、此度の軍事介入はかのパイロットが原因なのですから、彼女が地球の空を飛び回らなければ目を付けられることもありませんでした」
それに、とプロメテウスが言葉を繋ぎ、
「彼女はとても素晴らしい、特別個体機の本質を理解しながらその力に狂わされることなく空を優雅に飛んでみせる、まさしくウルフラグが心から願った人材です」
プロメテウスの話に黙って耳を傾けていたジュディスが声を荒げた。
「ナディを寄越せだなんてそんな…そんな事できるわけないじゃない!!」
「もし、条件を飲んでいただけるのであれば、これ以上の介入はいたしません」
「その保証がどこにある?」
「私は軍に採用されているオーディンシステムの統括者でもあります、こらちの許可がなければ軍の船はおろか、拳銃の一つすら使えません。──勘違いをなさらぬように、我々はここを滅ぼすためにやって来たのではありません」
会議室がしじまに支配された。
ナディを差し出せば事態の解決を図れる、それはつまり日常が戻ってくるという事だ。
皆、反対するわけでも賛成するわけでもなく、言葉を失ったまま固まっていた。
*
ラハム:汚染を確認!
ラハム:通信用プログラムに見慣れないシステムコードを確認!
ラハム:削除?
ラハム:仕掛けた相手にバレない?
ラハム:大佐!
ラハム:大佐!
ラハム:大佐!
ラハム:未確認のシステムコードは放置せよ
ラハム:これ、ラハムたちのせいにされない?
ラハム:宿敵に絶対文句言われる!あんたたちのせいだって!
網膜に表示されたラハムたちのやり取りが、下から上へスクロールされていく。ラハム (でっかい方)は辺りを警戒しながらそれらのメッセージを確認し、揺れるイカダの道を少しずつ進んでいた。
ラハム:サーバーに再接続した他のラハムたちも何体か海に落ちちゃった!きっと既に汚染されてたんだと思う
ラハム:サーバーの自浄プログラムに弾かれたんだよ、きっと
ラハム:ぬっコロ!
ラハム:殺したら駄目ですよ!今ラハムがナディさんの救出に向かっていますから騒ぎを起こさず大人しくしていてください!
ラハム:この二足歩行め!自分だけ抜け駆けして!そんなに褒められたいんか!
ラハム:そっちは空が飛べるではありませんか!
などと、ハワイにいるラハムたちへ返信をしつつ、新都にいるラハムは先を急いだ。
足元にかかる波飛沫は本来透明なはずなのに、今はオレンジ色に光っている。ラハムもこの異常事態を前にして普段の冷静さ(普段の冷静さ?)は欠いており、ポラリスに乗り込み単身で新都までやって来ていた。
その目的は一つ。
(ナディさんはラハムが連れ戻す!何があってもです!)
ふんすふんす!と鼻息も荒く、ラハムが何もかもがオレンジ色に照らされた街の中を行く。
(やはりあなたは来てしまうのね…)
一方、城の中ではラハムの接近にいち早く気付いている存在がいた。グガランナである、彼女はヴァルヴエンドがガイア・サーバーに仕掛けたバックドアを通じて、ラハム (ちっこい方)たちのメッセージを盗み見ていた。
人を撃ったのはこれで二度目だ、不思議と罪悪感は無い、あるのは後戻りできないという焦燥感と確かな『実感』だけ。
グガランナは手にした拳銃に目を落とす、薄暗い部屋の中でもそれはずっしりとした重たさと光沢を放ち、存在感を示していた。
──自分は確かに間違っているのだろう、だが、毒にも薬にもならない無価値な存在ではない、それを証明する手段が手元にある。
あの孤独の時間を思えば、今がどれだけ充実していることか、どうか他の人にも理解してほしい。
(分かってもらう必要は無い…私が私の事を理解していればそれで良い…)
ヴァルヴエンドの作戦は順調に推移していると言っていい、あちらの計画通り管理区域が掌握され、ハワイの首脳陣が陥落するのも時間の問題だ。
薄暗い部屋の中からカーテンをひらりと開き、外の景色を見やった。
これはまず耐えられない、マキナであるグガランナでさえひどい圧迫感を覚え、重くのしかかってくるような不安が押し寄せてきた。
これはそういう風にできている、いくら箱の中とは言え、世界の天井がこうも近くに見えるはずがなく、わざと演出しているに過ぎない。
カーテンを閉じ、グガランナは手にした冷たい重たさを感じながら歩みを進めた。
今の自分にはちょうど良いと思った──この人の命を奪う拳銃が。
◇
とても、そうとても不謹慎な事だが、リアナは撃たれて良かったと思っていた。この胸の内は決して家族に伝えたりしないが、リアナは娘の温もりを直近に感じ取ることができた。
まあ...その娘はひたっっっっっっすら携帯をいじっているのだが...
(こんな時ですら携帯を手放せないのかしら…)
場所は変わらず客室だ、ただどうやら外の様子がおかしい、すっかり朝になったのに朝日が差し込まない。
娘の太ももを枕代わりにして眠っているリアナは、少しだけ首の角度を変え外を見ようとした。
すると即座に娘が声をかけてきた。
「──ママ?起きたの?」
くすぐったかったのだろう、ライラが携帯から顔を上げて母親を見下ろした。
「体の具合は?一応手当てはしたんだけど…」
「大丈夫。呼吸するのが少し辛いけど…」
「それ大丈夫って言わないから」
「それより…」リアナは娘の綺麗な瞳から視線を逸らし、窓を見やった。
「外はどうなっているの?様子が変だけど…もう、朝の時間よね?」
「それが──」ライラが外の状況を説明し、リアナは黙って耳を傾けた。
どうやら異変が起こっているようだ、それも前代未聞系、空に天井が現れ非常灯がこの世界を照らしているらしい。
けれどリアナは取り乱すようなことはしなかった。娘を失い、世界の秩序が海に飲み込まれた今日までの日々を思えば、そちらの方がよほど辛かったというものだ。
窓から視線を外し、薄暗い客室の中を見回した。人の気配が無くなっていることに気が付いた。
「他の人たちは…」
ライラが何かを答えようとしたその時、扉の向こう側からダダダ!と複数の走ってくる足音が床越しに響き、リアナはびくりと体を強張らせた。
扉を乱暴に開け放って入って来たのはナディたちだった。
「リアナさん!」
「大丈夫?!」
「起きて大丈夫なの?!」
良く似た三人だ、薄暗い部屋の中だからなおさら、リアナから見て三姉妹に見えた。
先頭に立っていたナディはハンディライトを携えており、マカナとフレアはそれぞれデッキブラシを手にしていた。何故?
ナディがこちらに駆け寄り、すぐに膝を折ってリアナに顔を近付けてきた。
「意識が戻って良かったです、昨日からずっとうなされていたから…」
(本当に綺麗な子…ヨルンさんと瓜二つだわ…──ん?)
昨日はほら、数年ぶりに再会したばかりの娘のことに気を取られていたからね?人の顔をじっと見ている余裕がなかった。けれど今は余裕がある、世界がとんでもない事になっているというのに、今まで一番の余裕を持てていた。
だからこそ、リアナはライラとナディがお揃いの指輪を、しかも左手の薬指にはめていることに気付いた。
リアナは三人が部屋を出ていたことや、ハンディライトを持っていることやデッキブラシを持っていることに言及せず、「その指輪は?」と直裁に訊ねていた。
娘から速攻突っ込みが入る。
「真っ先に訊くことがそれなの?」
「いやだって…」
デッキブラシを肩に担いで仁王立ちしていたマカナが「あんたリアナさんに言ってなかったの?」と訊ねた。
「昨日は言うタイミングなかったでしょうが。──リアナさん、私たち結婚しました」
「…………」リアナが無言で、むくりと体を起こす。
「ちょっとママ、無理しないで」
体を起こしたリアナはまじまじと娘の結婚相手を凝視している。この時のリアナの頭の中は「どっちが妻?」だった。
ナディが言葉を選ぶ様子を見せ、どこか申し訳なさそうにしながらこう言った。
「ええとそれから…その、ライラが言うには子供もできたそうです。私はまだ会ったことがないんですけど…」
背中を痛めているはずのリアナがぐりん!とライラへ振り向き、「まさかのバツイチ?!」と叫んだ。
「そんなわけないじゃん何言ってんの。ちゃんと私とナディの子供だから」
「?」
「今こっちに来る準備をしているみたいだから、そのうちママも会えるよ」
「??」
「私もまだどんな子か知らないんだけどね、メッセージで助けられたけど」
「???」
「レイアも早くナディに会いたいって言ってたよ、助けたお礼を早く返してもらいたいって」
「ほんとだ、十倍返しにしてお礼しないと」
(´Д` )
この二人の言っていることが本当に理解できない。
思考停止をしたリアナを挟んでナディとライラが会話をしていると、弁慶みたいに立っていたマカナが客室の扉へ振り返った。姉の異変に気付いたフレアもそれに倣い、二人の間に緊張が走った。
「──ナディ、部屋の奥へ行って、その人を守って」
「どうして──」ナディもすぐに気付いた。
「あの人だ、来るよ」
こつこつと、ゆっくりとだがしっかりとした足音が響き、客室の扉の向こうで止まった。それからドアノブが回され、カイルが部屋に入って来た。
「…カイルさん?」
思いがけない人物にマカナが不可解そうに眉を顰める、それにカイルは何故だか両手を上げていた。
カイルに続いて入って来る人影があった、それはカイルの後頭部に銃口を突きつけたグガランナだった。
「パパ!」
「あなた…」
「ああいやいや、僕のことはいいから、ママを守ってあげて」
客室にいた全ての人間から糾弾の眼差しを受けたマキナが、徐に口を開く。
「ここに救助隊が派遣されて直に到着するわ、けれどまだ作戦は完了していなくてね、この人を人質にさせてもらうわ」
「グガランナさん、あなたという人は…」
父親譲りの凛々しい眼差しが怒りに燃え、グガランナを捉えていた。
「言ったでしょう、あなたたちを自由にさせたらここが終わってしまうと。お願いだから大人しくしてちょうだい」
「だからと言って──」ライラは母を撃たれ、父まで人質に取られて我慢の限界だった。
「こんな事までしていい道理にはならないわよ!!ピメリアさんに申し訳が立たないとか思わないの?!」
「立つも何も、彼女はもういないわ」
──グガランナにとって、ひどく懐かしく思える声が耳に入った。
本当におかしな話だ、千年近くの時を過ごしてきたというのに、たった数年耳にしなかっただけの声を懐かしく思えるだなんて。
「それがいるだよ、グガランナ」
「──っ」
ライラが手にしていた携帯の画面をグガランナへ向かって突き出していた、どうやら誰かと通話中らしい、受話器のアイコンがアニメーション再生されていた。
「お前は一体何をしている?」
「………」
「何をしているのかと訊いている」
「わ、私は──いいえ、そもそもあなたがあのピメリアかどうか──」
「私は私だよ、ユーサの連合長にして臆病者のピメリア・レイヴンクローだ。自分がいた職場から裸足で逃げ出してお前たちの責任者をやって、そこにいるナディたちを深海へ向かわせた大馬鹿者だ」
「………」
「レガトゥムってのは実に便利な所だよグガランナ、こうして死んでも言葉を交わすことができるんだから。──で?あの人間大好きの構ってちゃんがどうして今は人様の後頭部に銃を突きつけているんだ?構ってもらえなくて拗ねたのか?」
「違うわよ!!先に死んでしまったあなたには分からない!!」
「分からないから訊いている、構ってちゃんにも程があるぞお前」
ヴァルヴエンドの者たちに協力するようになってから、まるで生気が抜けたような顔をしていたマキナの表情に亀裂が入った。思いがけない人物の登場に心が揺れ動いたのだ。
「私はただここを護りたいだけよ!私たちマキナはどうしたってここから離れることができない!けど!この子たちは違う!やろうと思えば地球の空を飛ぶことができる!現にナディがそうしたじゃない!だから彼らがやって来たのよ!」
それは心からの叫びだった。妬み、羨望、不公平。マキナたちはそこがどんな環境になろうと手放すことは許されず、けれど人間はいとも簡単に手放し新天地を目指すことができる。
悲痛な叫びを受けてもレガトゥムにいるピメリアは小揺るぎもしなかった。
「だから?だからお前は人を撃ったというのか?」
「………」
「お前は自分の役割のために人を撃ったというのか?テンペスト・シリンダーを守るために人を撃つことが必要だったからそうしたのか?それとも、ヴァルヴ何たらって連中の言いなりになってトリガーを引いたのか?どっちなんだ」
「………」
「答えられないってことは迷っている証拠だよ、お前は自分の役割と連中の板挟みになって自分の成すべきことを見失っているだけだ。そんな奴が世界を救えると、本気で思っているのか?」
「だったらどうすれば…」
「お前はどうしたい?」
静寂が訪れる、人の呼吸もなりを潜め、微かに届いていた潮騒も耳に届かなくなった。
無音。グガランナ(あるいはマキナ)はこの時初めて、自問自答をした。
私はどうしたい?
自問自答はアイデンティティの自壊を意味し、そして新生を意味する。
アイデンティティの破壊と創造、その第一歩が自分が自分に訊ねること、そしてその問いに自分が答えることである。
ここに他者の介在は無い。
(私は…)
故に自分自身から逃げられない、だって問いに答える責任は自分にしかないから、人のせいにできない──
──いや、人のせいにする必要がない、自問自答は全て、自分自身が自由に行なえる事なのだ。
その事実にグガランナが気付き、改めて自分に問いかけた。
私はどうしたい?
(私は──)
「グガランナ、本当にお前はこんな事がしたかったのか?私が知っているお前は──……」
「?」
そこでふと、ピメリアの声に乱れが生じ、それからすぐにぷつりと途絶えてしまった。
黙っていればバレなかったのにライラが「あ、なんか今ちょっと回線が悪いみたいで」なんて言い出したので、グガランナは自分が騙されていたことに気が付いた。
「あなた…一体どんなトリックを使って…」
「………」
母の看病をしながらライラはレガトゥムにいる(自称)娘と連絡と取り合い、その娘にピメリアを再現してもらっていた。
万物の箱庭は何でも再現できる夢の世界、しかして邪魔が入った、だから再現されたピメリアが話も途中で消え失せてしまったのだ。
グガランナは不思議と怒りを覚えなかった、何故なら彼女の心に新しい自我が芽生えていたから。
マカナはじっと拳銃を持った相手を観察している、どうやら反撃する様子はなく、手にした拳銃も垂れ下がって地面に向けられている。
好機だと捉えた。
裂帛の気合いと共にデッキブラシを振り、グガランナの手をこれでもかと叩きつけた。
「──っ!」
一瞬の隙を突かれたグガランナは手にしていた拳銃を落としてしまった。
普段喧嘩ばっかりしているくせにこういう時はぴったりと息が合うフレアが、床に落ちた拳銃を「はい!」とデッキブラシで遠くへ飛ばしてみせた。
その拳銃を足で止める者がいた。
「醜態だな、グガランナよ」
長い銀の髪を持つ幼女然としたマキナだ、けれど風格は外見に見合わず将を彷彿とさせるものだった。
つまりめっちゃ怒ってた。
「恥を知れグガランナ・ガイア!!人の為になるどころか迷惑をかけおって!!道理で裁けぬと言うのならこの余が裁いてやる!!」
「オーディン・ジュヴィ…一体どうしてここに、ゼウスに監視されていたはずでは…」
グガランナはぶっ叩かれた右手を押さえながらその場で膝を付き、小さな将軍を見上げていた。
その小さな将軍は腕を組んで見下ろしていた。
「ここに部隊が派遣された、それも冴えない中年オヤジが指揮を取っておる。それからラハムもポラリスへ乗り付けて単身乗り込んでおる、これに心が動かない将はいない」
冴えない中年オヤジとはダルシアンの事である。
グガランナが訊きたかったのは経緯ではなく、その方法だ。
「どうやってゼウスの監視から抜け出したのですか?決議の場にいたあなたは…………」
新都の城の上空を何かが横切ったのだろう、瞬くような影が二つ入り客室がさらに暗くなった。その横切った何かは爆音を立て、レイヴンが停泊している方面へ向かって行った。
グガランナが何かに気付き、その口を閉じ、オーディンをまるで幽霊か何かを見るような目つきになっていた。
オーディンが答えた。
「簡単な事だグガランナよ、ド根性を見せた家臣らに倣い余もまたド根性を見せただけのこと。余のエモート・コアをマテリアル・コアに移してここに立っている、今の余は人の身と変わらない、たった一つの命の状態だ、めっちゃ怖いぞグガランナ、何かあったら死ぬからな余。──だがな…それが生きるという事だ!このたった一つの命を蔑ろにして良い存在などこの世にありはせぬ!」
「…………」
「今からナノ・ジュエル管理区域を取り戻しに行く!彼奴らはこれよりマリーンの外敵とみなす!この決定は何人にも覆させはせぬぞ!」
オーディン・ジュヴィは、ナディたちの救出部隊として出動したダルシアンやラハムに倣い、己もまた動き出していた。ううん、普通にめっちゃ戦いたい、と言えばディアボロスに無視られるので黙っているが。
危険を省みず仲間の為に動き出す、戦士として最も誉めれある行動であり、将としてマリーンに君臨するオーディンは見過ごすことができなかった、とも言えよう、うんそうしてください。
ふん!と腕を組み直し、オーディンがビビりながらも確かにこう宣言した。
「今はジュヴキャッチと言うのだったな、元はと言えばキラの山を奪還するために余が過去において結成した部隊の名前よ──ジュヴィ・キャッチャー、本当の戦いはこれからだ!」
そう宣言したと同時に窓の外から砲撃音が聞こえ、客室全体を震わせたのだった。
※次回 2024/3/9 20:00 更新