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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
295/335

TRACK 44

アイ・ラブ・イット



 ゼウスに案内された王城の客室にて、ナディはライラの母親であるリアナと再会し、彼女の顔色を見て内心ホッとしていた。

 ヴァルキュリアの島で見かけていた時は表情も無く、まるで心が死んだようになっていたが今は違う。一人娘を目の前にして頬を上気させ、けれど眉は寄ってどこか怒っているようにも見える。

 どちらにしても、今のリアナの表情は『生きた』ものであり、『死んだ』ものではなかった。


「…………」


 ナディはただ、ただただそんな母親のことを見つめていた。

 レガトゥムでの別れ際、一度も見せたことがない優しい笑顔が頭の中いっぱいに再現される。胸が苦しくなり目元も熱くなり、けれどナディはお腹に力をぐっと込めて堪えた。


(──良いな…)


 涙を流したらきっと良くない気持ちに支配される、だからナディは潤み始めている瞳の先を無理やり変え、豪華なアンティークソファに座っている女性を見やった。

 滲む視界の中、ナディは我が目を疑ってじっと観察した、だってその人が何度も自分のこめかみを指で叩いてから。


(あれ、何やってるの?)


 右手の中指で右のこめかみをとんとん、とんとんと何度も、まるでタップが上手くいかない画面を叩いているようだ。

 伝説の歌姫がこちらの視線に気付いた、目が合い、向こうが先に斜め下へさっと逃していた。

 伝説の歌姫、ミーティア・グランデという名の女性は髪に何か思い入れでもあるのか、特殊な加工が施されているようだ。マッドである、泥ではない、光りに反射しないようコーティングされており、太陽光が当たっているのに真っ黒だった。

 次に星だ。彼女の黒い髪の毛には星がペイントされており、大きさがそれぞれ違う大中小と三つあった。星の色はスリーズ、少し暗めで落ち着いたピンク色、と言ったところか。

 そして、右側の片方だけアップにして括ったシングルテールには、何と驚いた事に流れ星があった。そう、流れ星である、髪の毛を結った場所から毛先にかけて、宝石を砕いたような小さな光りがキラキラと溢れ落ちるようにして流れていた。

 生まれて初めて見る髪型とは打って変わって、服装は至ってシンプルなものだ。革製の茶色いジャケットに星と同じ色のワンピース、下はつま先から太ももにかけてグラデーションになっている黒色のストッキング、それから靴は普通のキャンバスシューズ(白)だ。


(いや、十分お洒落だと思うんだけど…いかんせん髪が凄いことになってるから…)


 ナディは向こうが何も言ってこないことをこれ幸いと、まじまじと観察し続けた。


 一方、ミーティアはと言えば...


(は?は?は?は?何でリンクが切れないの?え、待って待って待って待って、こっちの人なの?──は?冗談じゃないんだけど)


 右側のこめかみに埋め込まれている熱伝導式スイッチを何度タップしても視界から消えてくれない、客室に入った来たその人たちがずっとそこに居続けている。

 つまり、映像ではない、という事だ、その事実がミーティアをひどく困惑させた。


(あんな──あんな美貌がこの世に存在して良いはずがない、一体どんなトッピングを受けたらあんなに事になるのよ、そもそも過剰投入は法律違反でしょ?──いや待ってこっちの人だ、私たちとは違う…──は〜〜〜????)

 

 ミーティアも綺麗な人である、その事は自分でも良く理解しているし、この美貌も余す事なく使ってステージに立ち続けてきた。

 だが、目の前にいるあの二人は一体何だ?本当に生きた人間なのか?信じられない!自分たちは産まれてくる前からある程度のトッピングを受ける事ができる。身体能力であったり容姿であったり、遺伝子をちょちょいと操作できる。

 しかし、ここの人は違う、そんな高度な医療技術は無いしヴァルヴエンドに住む者だけが受けられる権利だ。つまりあの二人は何のトッピングも受けずにこの世に生まれてきたことになる。

 神は二物を作らない、だって?目の前にいるじゃない!


(こんな事があって──駄目だわ、ここに居続けたら私のアイデンティティが消えてしまう!)


 それに何なの?何でこっちばかり見てくるの?その凛々しい目を向けてくるのは止めて!

 かと言って、視線を逸らした先にはセブンス・マザーを独り占めにしているかのような女が立っている。

 白いメッシュが入ったイケメン美女に並ぶほどの美貌を持つ女性だ、頭のてっぺんから足のつま先まで白く、けれど瞳が闌干(らんかん)の星空のように輝いている。

 意識しない間に下がっていた視線に気付き、ミーティアはそんな自分自身に愕然とし、お腹の底にぐぐぐっと力を入れて面を上げた。なんかすごい疲れた。


(さっさと話し合いを終わらせましょう。そうしないと私のアイデンティティがもたない!)


 初めてステージに立ったのは()()()か、あの時もとても勇気が必要だった、それに勝るとも劣らない恐怖の中、ミーティアが自分から話しかけた。


「え、その…す、スカイルビッシュ、ですよね?」


「?」

「?」

「?」

「?」


 いや待ってあと二人いるんですけど!その二人もめっちゃ綺麗なんですけど何なのここ?!

 『スカイルビッシュ』という二つ名はミーティア側が付けた名前であって共通の呼び名ではない、けれど彼女はその事に気付いておらずつい言ってしまった。

 そしてやって来た四人が揃って首を傾げている、誰のことを差しているのか分からないのだ。

 しかも!噛んでしまった!歌手なのに!絶対にあってはならないミスを犯してしまったミーティアは大パニックである。


(嘘でしょこの私が台詞を噛むだなんて!それにスカイルビッシュって言っちゃった!ただの悪口じゃない!)


 白いメッシュ美人、白い美人、雰囲気が良く似た黒人の二人(姉妹?)の順に並んでおり、白い美人の柳眉が不快そうに寄せられたのをミーティアは見逃さなかった。相手が暴言を吐いたことに気付いたのだ。


「ルビッシュというのは?あなた方の国においてどういう意味を持つのですか?」

 

 (×Д× )はーーーーーー、と頭を真っ白にさせながらミーティアが何とか言葉を口から弾き出す。


「え、その、細かい──そう!細かく砕かれた宝石という意味があります!」


 上手いこと言えたとミーティアが胸を撫で下ろすが、


「そうですか。どのみち屑である事には変わりありませんね」


(バレてる!!)


 怖いよあの目、万物が眠るユニバースを表現しているかのように輝いているのに、今は冥王星のように冷たくて鋭い。

 冥王星の衛星であるカロンもきっと、この冷たい目にビクビクと怯えながら過ごしているに違いないと、半ば現実逃避をしながらミーティアはかくんと首を折った。

 

 項垂れた伝説の歌姫に代わり、艦長が話し合いの場に立った。


「──カロン・マカロンである。今日(こんにち)まで君たちと敵対してきた部隊の指揮を務める者だ。名を尋ねても?」


 年輪を刻んだ彼の声が室内に良く通り、現地の人たちがカロンを見やる。

 白いメッシュが入った女性から名前を述べた。


「ナディ・サーストン、そして隣にいるのがライラ・サーストン」


「そうか。二人は妻々かね?」


 ナディ・サーストンと名乗った女性が「ささい?」と首を傾げた。


「女性同士の既婚者をそう呼ぶ。──それで二人は?」


 ヴァルヴエンドでは女性同士を『妻々』(ささい)と言い、男性同士を『夫々』(ふふ)と言う。

 『夫妻』という言い方は異性同士を差したものであり、同性に対して用いるのは不適切──というのがカロンたちの価値観であったが今は重要な事ではない。

 雰囲気は似ているが髪の色が違う、黒い髪をしている女性がカロンの質問に答えた。


「そこに座っている──」と、リゼラへ顎をしゃくり、「女の子供。私がマカナ、この子がフレアよ。よろしくって言えば良いのかしら?」


「………」


 マカナと名乗った女性の目は剣のように細められ、今にも斬りかかってきそうなほど剣呑なものだった。

 それに、自分の母親に思う所でもあるのか、邪険な物言いも気にかかった。

 母親を連れて来たのは失策だったかもしれないと、カロンは(ほぞ)を噛む。


「…どうもありがとう。この場を用意し、君たちに来てもらったのは他でもない、このマリーンについてきちんと話し合いをしたかったからだ」


「話し合いとは?」


 カロンが切った口火にライラがすかさず反応を示す、彼女の声にも剣があった。

 カロンは臆さず話を続けた。


「我々は世界各地のテンペスト・シリンダーを管理している立場にある。我々とは、この場に居ない者たちのことも差す」


 地球上のあちこちで稼働を続けているテンペスト・シリンダーを管理する『星管連盟』、そのテンペスト・シリンダーが故障した時に行なう修理、必要に応じて行なわれる改築などを担当する『ウルフラグ本社』がヴァルヴエンドに存在し、この両組織の膝下で武力を有しているのが彼らヴァルヴエンド軍だった。

 彼は困苦(こんく)とは無縁に過ごしてきたような若者たちを一人ずつ一瞥し、さらに話を続けた。心身共に困り果て、苦しみ抜いた経験を持つ彼の瞳には自然と凄みが表れていた。


「私たちがこうして君たちの前に姿を現すことが、一体どういう事なのか、理解できるかね。ここは実に危篤な状況にある、そして君たちは未だきちんとした治療を受けようとせず、あまつさえ反抗的である。これでは手の施しようがないというものだ、だから実力行使に出ているのだよ」


 瞳の色以外、全てが白い女性が口を開いた。その声音は堂に入ったものであり、何ら強がっている素振りは見えなかった、つまりこの手の話し合いに慣れている証だった。


「具体的な説明を求めます。何の勧告も無しに侵入を開始し、一方的な武力介入を行なってきたのはそちらでしょう?」


「待って、あなたたちはバベルというマキナから説明を受けていたのではなくて?何度も説明をして彼らの受け入れを要請したけど断られたと、彼はそう言っていたわ」


「…バベル?それは本当なんですかリゼラさん、あの人がここにいるんですか?」


(目付きが別人のように…彼女か、スカイルビッシュは)


「ええ、カイルさんを連れて席を外しているけれど、さっきまでここにいたわ」


「リゼラさん、あなたは私たちの話よりその人の話を信じているんですか?私たちは何の説明も受けていませんし、先に発砲してきたのはこの人たちです」


「では、あなた方がジュヴキャッチに騙されている、という話は──」そこで、黒い髪を束ねた女性が口を挟んできた。


「ねえ、お母さん、子供の遊び場で為政者ごっこをするのは止めてくれない?もうここはカウネナナイじゃないんだよ」


 酷い言葉である、彼女は『お母さん』と口にしながらも敵意が丸出しだった。

 カロンも生みの親(精子、卵子の提供者、という意味)とは数度しか会ったことがない、血の繋がりしかないただの他人だ、けれどここまで剣呑なやり取りはしたことがない。

 実の子供に敵意を向けられたリゼラは瞬時に激昂していた。


「私はただあなたたちが心配なだけよ!!」


 絹を裂くような声が客室内に響き渡り、カロンとミーティアは不愉快そうに目を細めた。生育の親が同じである、という事はそれだけ繋がりが強いことを示すが、それと同じくらい(くびき)も強いことを示す。

 ヴァルヴエンド出身の二人は親子のやり取りを黙って見つめていた。


「今日の今日まで放ったらかしにしてたくせに?どの口が言うのよ。お母さんが気にかけるのはいつだって自分の立場でしょう?」


「それは──それはあなたたちが安心して暮らせるようにと頑張っていただけで、ただそれだけなのよ」


「フレアを他人の家に預けて?」


「──マカナちゃんがそれ言う資格はないと思うけど。マカナちゃんだって軍に入ったよね、私からしてみればお母さんと一緒だよ」


「………」

「………」


 茶色の髪をした女性が放った言葉に口喧嘩をしていた二人が、決まりが悪そうにしながら口を噤んだ。

 泥沼だ、とカロンは思った。それから、この親たちは当てにならないと判断し、待機している部隊へ指示を出した。

 彼の視界に通信用ウィンドウが表示された。


「マカロンより全部隊へ、直ちにナノ・ジュエル管理区域へ進行を開始せよ。道中の武力行使をこの場で許可する、スカイルビッシュが居ない間に任務を遂行しろ」


「了解。話し合いの方はどうですか?」


 カロンたちの目論見は、パイロットたちの母親にも話し合いの場に参加してもらい、彼女たちの動きを封じることにあった。しかし、どう見ても空気が芳しくない、おそらくパイロットたちは親の言う事になど耳を傾けないだろう。

 だからカロンはバベルたちの判断を待たずに部隊を動かした。


「全くもってよろしくない、無駄な努力に終わりそうだ」


「了解しました、すぐに発艦します」


「頼んだ──」カロンはスカイルビッシュの正体を部下に言うか言うまいか、逡巡した。

 微妙な間の開きを感じた部下がカロンに訊ねた。


「どうかしましたか?」


 カロンは逡巡こそしたが、結局言わないことを選択していた。


「──いや、何でもない。必ず落とせ」


「はい」


 新都から程近い─と、言ってもカロンたちの肉眼では見えないが─海、そこには寂れた石油プラットフォームが漂流しており、その近海に潜んでいたヴァルヴエンド軍の船が次々に姿を見せていた。

 光学迷彩を解除したべヒストゥン級駆逐艦二隻、それからエラム級強襲揚陸艦一隻が激しい水飛沫を上げながら離水し、石油プラットフォームに滝のような雨を降らせた。

 彼らの進路は旧ウルフラグ領にあるキラの山内部、第三テンペスト・シリンダーのナノ・ジュエル管理区域である。そここそがテンペスト・シリンダーの心臓部であり、管理区域を落とせばマリーンの稼働は停止する。そうなればマリーンに住まう人たちは遅からず死に絶えることだろう。

 だが、カロンたちは何もマリーンの人々を皆殺しにするつもりはない、ただの『取引き』のつもりだ。基本的生存権の確立のために、こちらの指示に従え、といった具合に。

 カロンが通信用ウインドウを閉じ、再び室内に意識を向けた。

 そこで眼光鋭い二つの瞳と視線がぶつかった。


「──っ」


 スカイルビッシュだ、彼女の殺さんばかりの殺気に満ち満ちた瞳が自分のことを捉えていた。

 彼はスカイルビッシュに自分たちの動きを気取られまいとし、無理に話しかけていた。──これが失敗だった。


「……我々の目的はあくまでも友好的な和平であって支配下に置くことではない。ここに君たちの関係者を呼んだのも、その表れだ、そう理解してほしい」


 何をも真っ直ぐに、何ら曲解することなく全てをそのままに映し出す彼女の瞳が『疑心』の色に染まった。

 彼女がピタリと視線を合わせたまま、口を開く。


「部隊を動かすことが友好的だと?街の皆んなにご自慢の船をお披露目するおつもりですか?」


 カロンはすぐに気付いた、彼女は特個体の専属パイロットである事と、そして瞳の表れた『疑心』は自分を映していたものだと。

 時既に遅し。

 だが、先手を打ったのはこちらだ。

 彼がふっと肩の力を抜き、こう言った。


「悪く思わないでくれ、これも上からの命令だ。これ以上、我々と敵対したところで君たちに待っているのは──」そこでスカイルビッシュが弾かれたように走り出し、扉へ走って行った。

 そこへ折も良く─あるいは折も悪く─退出していたバベルが戻って来た。


「おやおや、そんなに急いで何処へ行く?」


 スカイルビッシュを良く知らないカロンにでもよく分かるほど、バベルと対面した彼女の背中に怒りが溢れ出していた。


「あんたは……」


「まだ話し合いの途中だろう?──せっかくお前さんの父親まで連れて来てやったというのに」


「……っ」


 バベルの背後にはカイル、それからフードを被った男性が立っていた。

 その男性が今日まで被り続けていたフードを取り、自分の顔を白日の下に晒した。

 瞳は薄い茶色、純真無垢な子供のように透き通っており、髪は黒く、まるで子犬のように柔らかそうに光りを反射していた。

 カロンは瓜二つだと思った。スカイルビッシュと現れた男性の瞳が全く同じである。

 確かにあれは親子だと、彼は故郷にいる自身の親たち思いながら、二人を見やった。

 男性が口を開く。


「あの塔以来だな、元気そうで何よりだよ」


 話しかけられたスカイルビッシュの背中が見る見る窄んでいく、溢れていた怒りもパッと消え失せていた。


「あなた…あなたは本当に…?」


「ティダだ。自分で言うのも情けないが、君の父親だよ──全くもってろくでもない、不甲斐ない父だ」


 怒られる前の子供のように、ティダが力なく微笑んだ。





「フライングマン・オールリセット、一番カタパルトセット、コンディションセットアップ完了」


「発進許可まで待機」


「さっさと行かないとマズいんじゃ?板付きが来るぞ」


「繰り返す、発進許可まで待機せよ」


「オーケーオーケー」


「艦より七時四〇分方向、距離後ろ二〇キロ地点に反応有り、一つスノーボード、一つ現地の特別個体機──型式判明、U3-G012、オリジナル」


「スノーボードは大したことないんだろ?余裕余裕」


 AIの自動応答に何かと小言を挟んでいたパイロットに、生身の管制官が苦言を呈す。


「ブリッジよりウバイドワンへ、復帰したばかりで情緒が安定しないのは理解するが、緊張感を求める。本作戦に失敗は許されず、リトライは存在しない」


「はいはい、ウバイドワン了解」


 再びAI自動応答に切り替わり、


「スクランブル、スクランブル、ウバイドワンは直ちに発進せよ。繰り返す、ウバイドワン、テイクオフ」


「結局かよ──ウバイドワン、テイクオフ」


 強襲揚陸艦のフライトカタパルトデッキから一機の戦闘機が飛び立った、進路は南東、ホワイトウォールの先にある旧ウルフラグ領キラの山。

 スクランブル発進の指示が下りたのには理由があった、マリーン所属の機体がこちらの存在に気付いたのだ。

 男性の、無機質で清潔感があり、凡そ万人受けするAI音声がパイロットへ注意を促した。


「本艦は後方二機に捕捉されている、攻撃行動に備えて注意されたし」


「何でまた、こんな所を飛んでいたのかね〜運が悪いというか、俺たちが間抜けというか」


 もう一度管制官に代わり、


「ブリッジよりウバイドワンへ、言葉を慎むように、ホットマイクの音声は全て記録される」


「お前のその神経質な指示もお上に報告が行くぞ、こいつに任せたらパイロットのストレスレベルが最大値まで上昇するってな」


「──何だと?!──これだからお騒がせリーダーは──「マイクを切る」


 テンペスト・シリンダーの中にはしてはうんと広い空が眼前に広がっていた。無地のキャンバスに青いペンキをぶちまけたような色だ、彼はこの空を『綺麗』だと思った。

 それからピンク色の曇、他の者たちはこれを『汚い』と評しているらしいが、彼の感想は違った。


「見ていて飽きないな、うん、実に良い、まるでヘリオポーズへ来たみたいだ」


 太陽系惑星圏も端の端、圏外遠征任務でしか行く機会が無い太陽系惑星のド田舎。デブリも無く綺麗な所だ、ただ引力が拮抗し合っている宙域なので飛び難いのは飛び難い。新人パイロットの度胸試しの場となっているが──。


「──ウバイドワンよりブリッジへ、こちらもロックオンされた、注意勧告は無し、どうやらあちらさんはやる気らしいな」


「ブリッジよりウバイドワンへ、了解した、決して遅れを取らないように、本作戦は君のフライトにかかっていると言っても過言ではない」


「了解、フライトシステムをコンバットへ移行する。援護頼むぞ」


「了解した、意識を落とさないよう注意しろ」


 パイロットが口にはせず、心の中で「分かってるよ」とブリッジへ言葉を返した。

 彼が搭乗する機体は内熱機関を有する戦闘機である、主翼は二枚、西暦時代に空の支配者として君臨したF-14と同じ大型の可変翼、それから双発式の燃料式ターボジェットエンジン。シャムフレアエンジンと比べてびっくりするくらいコスパは悪い、が、秒単位あたりの瞬発力がびっくりするくらい高い。

 彼が搭乗する機体は『速く飛ぶ』ことだけに特化した戦闘機であり、戦闘機のくせに『戦闘』することは不慣れであった。

 パイロットの目的はキラの山に到着すること、敵との戦闘行動ではない。


「捕まる前に飛び込めばこっちのモンよ!」


 踏めばすぐに沈み込むアクセルペダルを踏み込み速度を上昇させ、ついで操縦桿を手前に引き上げて機首を上へ向けた。と、同時に機体が音速を超えてソニックブームが発生、彼の機体の周囲に漂っていた無辜な雲たちがその衝撃波に巻き込まれ、一瞬で散っていく。

 高度を上げた彼の機体が、高高度に広がっていた雲の絨毯を突っ切った。そこはナノマシンの雲も存在しない青と白だけの世界である、ヴァルヴエンドのパイロットたちが好む空だ。

 彼に続いて、後方に控えていた現地の二機も雲の絨毯を突き破りその姿を見せた。相対距離は一〇キロを切っている、彼の視界に二機の姿が映り、白色のアフターバーナーを空に細かく刻みながらこちらに接近してくるのが見えた。

 彼が斜め後方から前方へ視線を変えたその時、(なんやかんやあって結局タッチパネル式に戻った)コンソールに一度だけノイズが走った。

 別に故障したわけではない。彼は即座にブリッジへ通報した。


「ウバイドワンよりブリッジ!ハッキングを受けている!すぐさま機体を特定してくれ!」


「ブリッジよりウバイドワンへ、本艦もハッキングを受けている、現在特定中だ」


「どうせすぐ後ろのオリジナルだろう?!さっさと何とかしてくれ!乗っ取られたら洒落にならないぞ!」


「ウォーターウォールは構築済みだ、突破まで少なくとも一時間はかかる、集中を乱さず機体のコントロールに専念しろ」


「かー!これだからデジタルに汚染された輩は!アナログの大切さも知らずに海の藻屑となって消えて行くんだろうさ!」


 ついに管制官がキレ、言葉を荒げていた。


「だったらそのアナログの対処法とやらを提示してみせろ!」


「撃ちゃあいいだろうが!!その機関砲は飾りか?!ああん?!こっちは空飛んでんだぞ!!」


「──降伏勧告は無しだ!──ってええ!!」と管制官が売り言葉に買い言葉と言わん限りに、AI管制官に指示を出した。

 エラム級(上から二番目に等級が高い)強襲揚陸艦の艦載武器の一つが即座に火を吹き、接近しつつあった現地の二機へ向かって弾丸をばら撒いた。

 だが、その二機は突然の攻撃にも関わらず、横殴りの弾の雨を難なく避けてみせた。

 これには彼も管制官も舌を巻いた。


(こいつはとんでもねえ腕利きだ!!)


 べヒストゥン級(等級が一番低い)駆逐艦から援護を目的とした一個小隊が出動し、現地の二機へかっ飛んで行った。あちらは人型機だ、戦闘に長けた殺戮兵器である。


「ウバイドワンよりパイロットへ!その二機は相当やるぞ!気をつけろ!」


「ラガシュワンよりウバイドワンへ、助言に感謝する。貴官の健闘を祈る」


 駆逐艦からの援護も入り万全の状態へ移行したかに思われたが、現地の機体は何のそのと言わんばかりに構わず発砲してきた。すぐそばに別の機体が居るにも関わらず、スノーボードを足底に付けた機体がバンバン、バンバンとこちらに撃ってきた。しかも結構射線が鋭い、弾道予測もバッチリであと少しで被弾しかけた。


「はあ〜?!まだ射程圏外だろふざけんな!」


「ウバイドワン!オリジナルが急速接近!コンタクトまで一〇秒!」


(──くそったれ!)


 回避行動に入ってしまっていたがために、気付かないうちに接近を許してしまっていた。彼が搭乗するコクピット内にもオリジナルのエンジン音が聞こえてくる、もう目と鼻の先だ、オレンジ色の機体が雄々しく槍を構えている。


「コンタクト!──もう駄目だ〜〜〜!」と管制官の無責任な叫びをカナル型イヤホン越しに聞きながら、彼はアクセルペダルを踏み抜いた。

 首の根元から頭が落ちたような衝撃が走り、彼はブラックアウトの一歩手前までいきかけた。


「………───あっぶねぇ!!」


 急な加速を行なったせいである、けれどそのお陰で何とか難を逃れることができた。

 構えた槍が空振りに終わったオリジナルは遥か後方だ、もう今から加速したところでこの機体には間に合わないことだろう。

 けれど、襲ってくる難は一つだけとは限らない。

 AI管制官から通信が入る。生身の管制官は急なストレス指数増加により休息に入った。


「ブリッジよりウバイドワン、三時ジャスト、三〇キロ地点に未確認の熱源を感知、注意されたし」


「まだいんのかよ!!──未確認ってのは何だ?!」


「過去の戦闘状況において本艦、ならびに当部隊が捕捉していない、という事です。注意されたし「何を注意すりゃいいんだよ!!」


 彼が搭乗する機体は音速を既に超えており、さらに速度が増加傾向にある。現在の風向きは向かい、風速は秒速三〇メートル、時速にして約一一〇キロだ。対気速度(風の影響を鑑み、飛行機が出している速度を計算した値)はもう間も無くマッハ二を超えようとしているが、未確認の熱源反応も同等のスピードが出ていた。

 レーダー上に反映された二つの光点が、同じ速度で移動を続けている、彼はコンソールを確認してまたしても舌を巻かされた。


(どうなってんだここの技術体系は!何で俺たちと肩並べてんだよ!)


 まだ目にしたわけではないが、どうやらここのテンペスト・シリンダーには飛行艦も存在しているらしい。一体どうやって製造したのか、彼には皆目見当がつかなかった。

 三時方向に現れた未確認機も雲の絨毯をほんの少しだけ突き破り、その機体の半分を太陽の下に晒した。

 カラーはパープル、そして大鷲を思わせるような大型の戦闘機、彼は一瞬だけナノマシンがそのように化けて出てきたのかと勘違いをしてしまった。

 さらに、


「ブリッジよりウバイドワン、未確認機より多数の熱源を感知、ミサイルアラート、ミサイルアラート、直ちに回避行動に入ってください」


 AI管制官から危険信号が発せられたように、未確認から計一六発のミサイルが発射された。ミサイルは上空へ白煙を引きながら伸び、何故だかこちらに向かってくることなくそのまま上昇を続けていた。

 彼から見て、ひどくゆっくりとした一六個の光りが段々となって天へ向かっている。右端から左端にかけてミサイルの位置が低くくなっているのだ。


「何故すぐにやって来ない──」そこで彼は気付いた、「──まさか!時間差式誘導弾?!」


 彼の叫びを合図にしたかのように、最も右端に位置していたミサイルが一発だけ方向転回を行ない、猛然とこちら側に進んできた。残りのミサイルは現在も上昇中である。

 彼は堪らず操縦桿を目一杯倒し、回避行動に入った。

 現在の速度で機首を少しでも変えたら猛烈なGが押し寄せてくる、本当はやりたくなかったがやるしかなかった。

 彼の機体が回避行動に入った瞬間、二発目のミサイルも方向転回を行ない、回避予測進路にピタリと合わせてぶっ飛んでくる。

 これがあと一四回も続くのだ、あちらさんは初手からヤル気満々である。


(残りのミサイルを早く何とかしないと!頭を取られた終わりだ!)


 凶悪かつ絶対相手を倒すマンを放ったパープルの大型戦闘機は、下半分を雲の絨毯に隠したまま追従を続けている。白い絨毯の隙間からちらり、ちらりとのっぺりとした紫色の大鷲が垣間見えていた。

 放たれたミサイルたちはなおも上昇を続け、次第に鉤爪のような軌道を描きながらこちら側に進んできた。あれをいっぺんに進められたら万事休すである、そもそも先の二発もまだ処理していない。


「もう駄目だ〜〜〜!!──あは、何つって」


 一発目のミサイルが機体に最接近したその時、彼が搭乗する機体の側面から物理式フレアがばら撒かれた。

 フレアとは、ミサイルが有するセンサー類を狂わせ誤誘導を行ない身を守る防御システムの事だが物理式とは名の通り、まあただのクッションである、対衝撃センサーが作動すると何万倍にも体積が膨れ上がる非熱伝導式のエアバックがミサイルから守ってくれる。

 熱を通さない厚い壁だ、たとえ至近距離で爆発したとしても機体にダメージは発生しない。

 迫ってきたミサイルが起爆し、瞬間的な熱膨張を感知した物理式フレアがぱ!ぱ!ぱ!と作動した。

 耳を痛めるほどの轟音がコクピットに押し寄せるが、厚いエアバッグのお陰でダメージは入らない、だが、衝撃はこの限りではない。


「〜〜〜!」


 爆発によって激しく明滅する中、パイロットはお尻の底から揺さぶられるような振動に見舞われ、脳みそと胃袋の中身をシェイクされてしまった。任務前に食べたレーションが食道を駆け上がり、口の中を酸っぱくさせた。


「これで勘弁してくれ!フレアだって無限じゃねえんだぞ!──あ、やっぱそうくる?」


 ミサイルを塞がれたと知るや否や、雲の絨毯に身を隠していた大型戦闘機が右側の主翼を大きく上向け、左方向へロールアップして距離を近づけさせていた。

 その主翼はまさしく鷲そのもの、雄々しく翼を広げているように見え、羽と羽の隙間から空気の筋が伸びていた。

 それから、機首の一部のカバーがぱっかりと開き、中から砲身を露出させていた。カっ!と何かが光ったかと思えば、


「直接攻撃かよしかも電磁砲かよ洒落になんねえ!摩擦係数が低い所で撃ちやがって!全部クリティカルじゃえねか!」


 所謂レールガンである。紫の大鷲は、時間差式飛翔誘導弾のみならず電磁投射砲も持ち合わせているようだった。マジもんの化け物である。

 ミサイルにレールガンと猛攻に晒されていた彼の機体がついに被弾してしまった。被弾箇所は胴体部、彼は盛大に冷や汗を流した。


(待て待てSPSが壊れたら──)


 被弾したとは言え、機体パフォーマンスに今のところ影響は無い、だがそれも時間の問題である、このままではあの大鷲に撃墜されてしまう。

 ただ『死ぬ』だけならまだ良いが、SPSだけは絶対死守しなければならない。


「できれば見せたくなかったが仕方ねえ!」


 彼はお腹の底に力をグググと入れ、操縦桿を強く握り直した。ついで、主翼の可変機構を作動させて小さく畳み、左方向へロールアップした。

 機体の大きさと速度に見合わない素早い転回だ、いとも簡単に相手機を射程圏内に捉え、たった一つの武装である機首機関砲のトリガーを目一杯引き絞った。

 互いの速度は音速である、すれ違うのも一瞬、その僅かな時間で彼は大鷲の機首に赤い火花を散らせた。ヒット。


「ざまあみろってんだ!──なんか凄い疲れたけど」


 急転回を行なったお陰でミサイルの射程からも外れ、被弾してしまった大鷲もこちらを追従することなく元の航路を飛び続けて距離を空け始めていた。

 難を逃れた彼が主翼を元の状態へ移行させ、ゆっくりと転回、再びキラの山へ進路を取ってフライトに戻った。

 が。


「────」


 先を飛んでいた大鷲がついに全身を太陽の下に晒し、絨毯の下に隠していたお腹を見せていた。

 居たのだそこに、軍が最も恐れている機体が。

 板付きである。

 パイロットは堪らずブリッジへ唾を飛ばした。


「ざっけんなブリッジ!!居るじゃねえか板付きが!!パイロットは本隊が抑えているんじゃなかったのか?!」


「現在確認中です」


「ふっざけ──」


 どうやらあの大鷲は輸送機としての役割もあるようだ、機体下部のハンガーに手をかけて引っ付いていた板付きが大空へ飛び出していた。

 ご対面である、一番会いたくなかった相手とのご対面の瞬間である。彼は『死』を覚悟した、死して任務は遂行できない、と。

 二つの難を乗り越えて最後にやって来た最大の難、それが板付きだった。

 板付きは軽やかに波を捉え、足底に展開したボードを巧みに捌きながらこちらへ向かってくる。その軌道は二次元飛行による直線的なものではなく、左右へカーブを描いたものだった。

 つまり、次の動きが全く読めないの、いつ何時こちらに直線飛行してくるか分からない。

 被弾し、板付きをこの空に解き放ったあの大鷲は既に姿を消していた、何故だかその事が一番腹が立った。


「とんでもない野郎を置いていきやがって!てめえも最後まで付き合えってんだ!──っ!!」


 それ見たことか!と言わんばかりに、板付きがボードを収納し、二次元飛行に切り替えこちらにかっ飛んできた。──避けられない、時間差式飛翔誘導弾よりタチが悪い。

 接近してきた板付きはあろう事か、何ら攻撃することなく機体に張り付いてきた、上方向から主翼に手をかけている状態だ。

 そこで通信が入る。


「パイロットへ、直ちに飛行を取り止め母艦に帰投することを推奨する。ここは君たちの空ではない、繰り返す、ここは我々の空だ」


 降伏勧告。散っ々攻撃してきたくせに今更の降伏勧告だった。

 その声音は無機質な男性のもので、けれど奥深さと理性を感じさせるものだった。


「あんたが板付きのパイロットか?」


「否定。本機は現在オートモードにて航行中である」


「オートであのマニューバ?なかなかイカしているじゃないか。──悪いがこっちも任務なんでな、あんたの勧告は拒否する」


 何だそうか良かった良かったと、彼は安心した。板付きのパイロットは不在のようだ、これなら勝機はあると彼は判断した。

 高高度の空を覆っていた雲の絨毯が途切れ、二機は水平線の彼方まで広がる青い世界へ飛び出した。その水平線には薄らとだが白い線が真横に走っており、所々に黒い点の群れがあった。

 このテンペスト・シリンダー特有の異常現象、ホワイトウォールとその絶壁群に沿うようにして栄えている人の集まりが彼の視界に入った。

 あそこを飛び越えたら、目的地まではもう目と鼻の先だ。

 板付きのAIがこちらを見透かすようにして訊ねてきた。


「何故旧ウルフラグ領へ向かおうとする?彼女たちの本拠地は旧カウネナナイ領であるこちら側にある。軍事支配が目的なら、敵対組織の拠点を陥落させることが最も有効なはずだ」

 

「さあね、お上に聞いてくれ、こっちは命令で動いているんだ」


「ではそうさせてもらおう」


 AIがそう発言した途端、またしてもコンソールにノイズが走り、今度はすぐに復帰しなかった。強い砂嵐がモニターを埋め尽くしている、次第に機体の速度が低下し、操縦桿も重たくなってきた。


(──ハッキング!こいつも特個体だったのか!いやでもこんなタイプが存在しているだなんて聞かされて──そうか!)


 彼がコクピットの天井を見上げながら叫んだ。


「お前か!インターシップとやらは!」


「久しぶりに聞いたよ、その呼び名、実に不愉快である」


「てめえらが雲隠れしてないで出張ってくれりゃあ、俺たちの仲間が死ぬことはなかったのに!」


「死ぬ?君たちがか?」そこで板付きがゴン、ゴンと胴体を叩き、「これがあるから大丈夫なのだろう?」と言った。

 パイロットはAIの発言を無視してコンソールに目を走らせた、ハッキングを受けてはいるものの対気速度は音速状態を維持しており、必要速度にはいくらか足りていないが、十分勝機はあった。

 彼が操縦桿から手を離した。


「お喋りはここまでだインターシップ、そっちもそっちで自分の役割を果たすんだな」


「何を言って──」板付きが手にしていた主翼に変化が起こった。閉じたのだ、文字通り、主翼がコンパクトに畳まれ胴体の中にすっぽりと収納された。

 見た目がまるで弾丸のようになってしまった機体の速度がさらに上昇し、直接ハッキングを行なっていた板付きの手から離れた。

 今度は板付きが慌てる番だった。


「その機体はそういう絡繰りだったのか!──この高度からの自由落下で到達できる予測地点は──キラの山!──ナノ・ジュエル管理区域が狙いか!」


「気付いた所でもう遅い!」


 エンジンの回転数をレッドゾーンまで跳ね上げた彼の機体が、二回目のソニックブームを放ちながら落下を始めた。その爆発的な加速により板付きの手からいとも簡単に逃れ、後はこの機体が山に突き刺さるのを待つだけとなった。

 

「ブリッジよりウバイドワン、予定航路に敵機反応無し」


「了解、このままラストフライトと洒落込むよ」


 彼はもう既にパイロットとしての役割を放棄し、シートに体を預けてだらんと力を抜いていた。

 周囲の景色は溶けるようにして後方へ流れ、この目で見てみたかった白い絶壁の群れももう遥か後ろだ。

 弾丸のようになってしまった機体は落下を続けながら、なおも速度は上昇し続け既存の機体では到底追いつけないスピードになっていた(ガチモードのノラリスは除く)。

 

「今回はやけにあっさりと終わっちまったな、まあ、今の体はあまり好きじゃなかったから引き直しできて良いんだけど。──ところで、あんたのオペレーションタイプは何なんだ?」


 パイロットがAI管制官にそう訊ね、答えが返ってきた。


「私は第四期型軍事支援AI、オーディンです」


「ああ、オーディンか──」


 雑談をしていたパイロットの意識が不自然に途切れ、パイロットシートにその体を預けた。

 弾丸と化した機体は旧ウルフラグ領の空を突っ切り、ナノ・ジュエル管理区域を擁するキラの山へあっさりと到着してみせた。

 機体は一切減速することなくキラの山に突き刺さり、一つの大きな穴を空けていた。

 機体は勿論のこと、搭乗していたパイロットも死亡、マッハ五に到達した数十トンにも及ぶ鉄の塊に抱かれ衝突してしまっては、生存する方が無理な話である。

 だが、これがヴァルヴエンドの作戦だった。

 フライングマン・オール()()()()が搭乗していた機体には遠隔送受信用のアンテナが積み込まれており、これによりヴァルヴエンド軍の本拠地からいつでも遠隔操作が可能となった。

 テンペスト・シリンダーはナノ・ジュエルという動力源があって初めて稼働する、言わば生命維持装置である。荒廃した地球環境から身を守り、数千年という長い時をかけて人の文明を維持させてきた。

 その動力源を管理するキラの山が彼らの手に落ちてしまった。

 それはナイフを喉元に突きつけられている事と同義であった。





 外からやって来た者たちが何かを確信したような顔付きをしながら退出し、部屋に残されたそれぞれの親子たちはそれぞれが面と向かい合っていた。

 ライラはマカロンと名乗った軍人の後を追いかけたかったが、そうもいかなかった。父親も彼らと同様に何かを達観したような顔付きをしており、母親に至っては今にも感情が爆発してしまいそうなほど、顔がひどいことになっていた。

 大災害が起きてから初めての再会である。娘として、両親から逃げることは許されなかった。

 カイルが「元気そうだね」と、五年前と何ら変わらない笑顔でそう言ってきた。そう言われただけで、涙袋の辺りが熱を持った。

 ライラが父親に応えた。


「…まあ、それなりには」


 あれ、思ってたより声が出ないぞ、もっとツンケンした感じにしようと思ったのに!

 リアナがゆっくりと、ライラに近寄りこう言った。


「あなたと再会できて…本当に良かったわ。ママたちのこと、まだ怒っているんでしょう?」


「別に…」


 あれ!どうした私!鉄の理性は何処へ行った!もっとはっきりと言わないと!私はあの時無視られてまだ怒っているんですって!そう言わないと!

 自分はただ拗ねているだけ、と自覚した時、肩の力がふっと抜けるのを感じた。私もまだまだ子供である、だからこれは単なる意趣返し。

 ライラは精一杯の強がりを持って微笑み、この五年間、自分の身を案じ続けてくれた母親に向かってこう言った。


「パパやママがいなくても何とかなったよ、だから私の心配をしないで自分たちの心配をして」


 そーれこれでちょっとは腹を立てただろう!と思ったが大間違い、二人が泣き始めてしまった。


「なあ、言っただろう?この子なら大丈夫だって。僕と君の娘なんだから」


「ええ…ええ…本当に…心配し過ぎていた私が馬鹿みたい…あなたより賢くて私よりうんと強いわ…」


(あれ…何で胸が痛むんだろう…)


 文句を言ったはずなのに二人は嬉しそうに微笑んでいる、それに何より、文句を言ったことに対して強い後悔の念があった。

 だがしかし!ここに来て鉄の理性が発動してしまい、ライラは「二人が無事で私も安心した」と口にすることができなかった。

 しょうがない、一度拗ねてしまったものは自分でも機嫌を直せない、挙げ句の果てには微笑まれてしまったから、「嘘ですごめんなさい」と言うことだってできやしない。

 だがしかし!ライラはもう一人ではない、背後から愛する人にぱしん!と頭を叩かれてしまった。

 ば!っとライラが振り向く。そこには柳眉を吊り上げたナディがいた。


「何するの」


「良くないよそういうの。私みたいになりたいの?」


 ライラがあ、と気付いた時にはもうナディは歩き出し、父親だと名乗る男性と共に部屋から退出していた。向こうも向こうで話し合うらしい。

 死に別れてしまったら喧嘩だってできやしない、ナディはそう教えてくれたのだ。

 ライラはぐ〜っ!とお腹に力を入れ、「ママ」と呼んだ。


(向こうは感動の再会、か〜…こっちは剣呑だよ全く。ナディもどっか行っちゃうし)


 マカナが見やった先では、ライラとその母親がぎこちない抱擁を交わしていた。娘ではなく母親の方が号泣していた。

 視線を元に戻す、そこには難しい顔をした母と、同じように難しい顔をした妹が座っていた、そしてその対面に座っているのが自分、という構図である。

 マカナは母親に文句を言ってやりたかった、けれど自分も妹に対して酷いことをしてしまったので言うに言えず、結局のところそれは皆んなも同じ事、だから黙っているのだ。

 難しい顔をしていた母が先に口を開いた。


「結局のところ、私たちは皆んな、頑固だと思うの」


 妹と口を揃えて「は?」と言った。いきなり結論?

 マカナは「どういう事なの?」と口にするしかなかった。


「私はあなたたちを放ったらかしにして政治に邁進し、マカナはフレアを放ったらかしにして戦乙女に邁進し、そしてフレアは姉の言う事に耳を傾けずパイロットになった。そうでしょう?皆んな、結局のところ頑固なのよ、人の言う事に耳を傾けない、こうだと思ったことを貫き通す。ルイフェスと何度も喧嘩をしてきたわ」


 剣呑な空気にも関わらず何を思ったのか、フレアが「お父さんってどんな人だったの?」と母に訊ねていた。


「ルイフェスは…そうね、いつでもあなたたちの事を考えて生きていたわ、私に代わって、喧嘩していた理由も全てあなたたちだもの」


「お父さんはお母さんと違って立派な人だったんだね」とマカナが皮肉を放つと、ものの見事に切り返された。


「そういうあなたは軍人になることを選んだじゃない。ルイフェスが聞いたらきっと嘆き悲しむことでしょうね、大事に育てた娘が拳銃を握るようになってしまったんですもの」


「………」


「とにかく、私たちは皆んな頑固、そして謝罪だって自分からしようとしない、悪いと思っていてもごめんなさいとは言わない」


「お母さんは悪いと思っていないの?私がお姉ちゃんたちと一緒に暮らしていたこと。お母さんから聞いていたんでしょ?」


 フレアの話の主語がぐちゃぐちゃなため、リゼラは一瞬だけ(´ー`)?みたいな顔をしたがすぐに合点がいき、こう答えた。

 この場合、お姉ちゃんとはナディのことであり、前半のお母さんはリゼラ、後半のお母さんはヨルンのことである。


「悪いとは…思っていたわ、でも、私が引き取ったところできっと安穏な暮らしはできなかった、だからヨルンに任せるしかなかったの」


 母親の答えにマカナがまたすぐに「物は言いようだよね」と皮肉を言い、フレアがかっ!と怒っていた。


「もういい加減にしなよマカナちゃん!!さっきから文句ばっかり!!マカナちゃんの方が私より子供じゃん!!」


「んだと?!「──止めなさい!!今あなたたちは危うい立場にあるのよ?!さっきの人たちはあなたたちが言う事を聞かないばかりに直接やって来たのよ?!」


 フレアがパイロットになってから顔を合わせる度に喧嘩する二人、そこへ母親が鋭く雷を落とすも、


「頑固者だからしょうがないでしょ!!」×2


 と、姉妹口を揃えて反撃していた。

 彼女たちの班長であるウィゴーであれば、この時点で即撤退である、「これは言っても駄目だ」とすぐに諦めるがリゼラは違った。


「頑固と初志貫徹は別物よ!──あなたたちは私みたいにあちこちに敵を作りたいの?違うのでしょう?大切な人が沢山いて、そしてあなたたちはその人たちを守るために銃を持ち続けているのでしょう?」


「………」×2


 リゼラが「だったら」と語気を強め、聞かん坊の娘二人に言い聞かせるように語った。


「周りを良く見なさい、人の声にも耳を傾けなさい。お母さんと違ってあなたたちは一人じゃない、話し合える人がいるという事はとても恵まれている事なのよ」


「お母さんはそれに失敗したからこんな所に一人でいるの?」


 マカナがそう言った途端、フレアは「はあ〜もうまた」と心底嫌そうな顔をした。

 母が真っ直ぐに答えた。


「そうよ、お母さんは敵ばっかり作って失敗したからこんな所に一人でいるの。ルイフェスも居ない、唯一の家族であるあなたたちともこうして睨み合っているわ。もう一度言うわ、お母さんのようになりたくなかったら頑固にならずに人と良く話し合いなさい」


 この言葉にはさすがのマカナも何ら反論できず、従うしかなかった。

 では、何を話し合えば良いのか、とフレアが元為政者であり、母親であるリゼラに訊ねた。


「あなたたちが作った街、ハワイのこれからについてよ。どうすればこの状況を好転させられるか、どうすればあのお菓子軍人「お母さんふざけてる?」──マカロンと名乗った人たちをここから追い出せるか、一人で決めずに皆んなで決めなさい」


「その話し合いの結果、結局ドンぱちする事になってもお母さんはそれで納得するの?」


 母が長女に向かって微笑んだ。


「するわ、あなたたちが決めた事だもの」


 姉妹は揃ってお互いの顔を見合わせた。





 「シーニュの関係にある」と、父であるティダが言った。

 娘であるナディは(・Д・ )「は?」である、さらにティダが「シーニュとはシニフィエとシニフィアの事だ」と言い、ナディがまた(´Д` )「は?」となった。

 それもそうだ、面と向かって初めて行なった会話の一言目が「シーニュ」と言われたら誰だって「は?」となる。それも相手はこの歳になるまで行方をくらましていた父親である、突然現れたかと思えば「シーニュ」と来た。意味が分からないとはまさにこの事。


(いや他に言うことが…)


 客室を後にし、二人っきりでやって来たバルコニーは肌寒い風が吹いていた。

 夏を過ぎ、秋を通ってもう冬へと入る季節だ、あの茹だるような暑さが過ぎ去ったバルコニーからは人の気配がなくなった街が広がり、愛する人が一から作った黒い空飛ぶ船が海に浮かんでいるところが見えていた。

 ティダは、そんな肌寒い風に吹かれながらも一心に自分へ視線を注ぎ、そして「シーニュである」と口にしてきた。

 (⚪︎Д⚪︎ )?

 そんな父は、娘の痛々しいものを見るような視線に気付かずなおも話し続けた。


「バベルの目的はこれにある、シーニュの関係を壊し概念を意図的に変え、この世界を──「ちょちょちょ、待って、さっきから何を言ってるの?」


 自分の話に待ったをかけられたティダが、「ああそうか、すまない」とひとまず謝罪し、


「シーニュの関係について説明をしていなかった。シニフィエは言葉、シニフィアはイメージだと思ってくれれば良い。あれは何と言う?」と、娘の心意を全く理解していない父親が眼前に広がる海を指差してナディに訊ねた。

 訊ねられたナディはとりあえず「海…」とだけ答え、ティダは我がを意得たりとまた話し始めた。


「そうだ、海、という言葉がシニフィエ、そしてその言葉を聞いて連想されるイメージをシニフィアという。この両者の関係が成り立つ事で人は言語を用いてコミュニケーションを図り、社会性を維持してきた。これらの現象を総称してシーニュという」


 娘は諦めた。この父親は再会した娘の近況よりも自分の頭の中身が最優先であるらしいと分かり、端的に「で?」と続きを促した。

 父が言う。


「私はバベルに加担することにした」


 (⚪︎Д⚪︎ )?


「それが結果的にこの世界にとって良い事だと、そう判断した」


「あんな奴の味方をすることが?」


 ナディは未だ、ティダが何を伝えたいのか良く分かっていないが、「バベルに加担する」という言葉が持つシニフィアだけは獲得できた、だからすぐに反論していた。


「あいつが私たちに何をしてきたのか知らないの?アネラのお母さんはあいつのせいで死んだんだよ」


「だが、この世界を変えるにはあいつの計画が必要だ。その話を私とコールダーの父親とで聞かされていたんだ」


「だったら何?──本気であんな奴の味方になるって、それ本気で言ってるの──」


 ──お父さん、と、そう呼ばれたティダが一瞬だが、ふっと目を下向けさせた。


(まさか…親子として対面して、初めての会話がこんな事になってしまうなんて…やはり私は口下手なようだ…)


 だってしょうがない、何を話せばを良いのか全く分からないのだから。だから、今の自分自身にとって最も大切な事を真っ先に伝えた。それがいけなかったようだ。

 一際冷たい風が吹き、二人の距離を感じさせるように通り抜けていった。(二度と会うことはないだろうと思っていた)自分の娘がその冷たさに顔を顰め、それでも自分のことを良く見ていた。

 父は親として、言うしかなかった。


「そうだ、私の目的は始めからこの世界の解放にあった」


 ナディが(´Д` )みたいな顔をしながら「解放?」とおうむ返しに口にしている。


「ドゥクス・コンキリオという男もそうだ、管理された幸福ではなく、苦難と共にある幸福を人々は享受すべきだという信念を持っている。私はその信念に惹かれ、人の身を捨てて電子の海へと潜った」


「じゃあ何でここにいるの?」


「君も良く知っているスーパーノヴァの娘のお陰だよ、彼女のお陰で仮初の肉体を手にすることができた」


 すると、ナディが無言で近付き拳を振り上げ、遠慮なく父親の胸をぽかり!と殴りつけていた。

 突然の行動にティダは目を白黒とさせた。いきなり殴る普通。


「──何をするんだ!君はそんな暴力的だったのかい?!」


「いや本物かどうか確かめようと思って。あと、ずっと訳の分からない話をしてたからいい加減腹が立ってきて」


「ほんと、そういう所は母親に良く似ている…生前何度殴られたことか…」


「それ絶対お父さんが悪いよ」


 ──ああそうだ、この話もしなければならない。


「ナディ、レガトゥムでヨルンと会えたかい?」


「何でそんな事──」


「私が連れて行ったからだよ」


 がらりと、娘の目の色が変わった。ティダは不覚にも鳥肌が立ってしまった。


「それはどういう意味なの…?」


「そのままだよ。君たちがアーキアと呼んでいたレガトゥムの膿に目を付けられ、無理やりアクセスルートを構築させられたヨルンを私がレガトゥムへ連れて行った」


「何でそんな事をしたの?」


「ヨルンは長くはなかった、君が全遮断するまで彼女はこの世界で生きられなかった」


 『全遮断』とは、ナディが有していたワールディリアでレガトゥムと物理接触を行い、全てのアクセスルートを遮断したあのセブンス・マザーの事である。

 

「だから殺したっていうの?助けようともせずに?」


「殺したつもりはない、私も後で──」娘の言葉が弾丸となって胸に突き刺さった。


「今まで生きていた世界で生きられなくなる事を死ぬって言うんだよ!!」


「………」


 娘との距離がさらに開いたことを父ははっきりと自覚した。


「私は、私の周りにいる人たちをこれ以上失わないためにパイロットを続けている。もし、お父さんが…お父さんも周りの人たちを傷付けるって言うんなら容赦しない」


 それで良い、とは、口にしなかった。

 代わりに、「何故そこまでする?」と訊ねた。

 娘が答えた、はっきりと答えた。


「愛のために」


「………」


「愛が何なのか、自分でも良く分かってないけど、でも、私はお母さんから愛を貰った、だから挫けてもここに立ってるの。私はお母さんを裏切れない、いつか海に還ってお母さんと会った時に顔を背けたくないから、だから私は愛のためにここまでするの。敵対者は絶対に許さない」


「………」


「お父さんが何をしたいのか良く分からない、バベルの味方をするって言うんなら好きにして。私は私が思ったようにこの世界を守る」


「やはり、君と私は相容れなかったか、始めから分かっていた」


「だからあんな話をしたの?」


「いや、それもあるが…自分の娘と何を話せば良いのか、実はよく分かっていないんだ」


「………」


「本当はもっと訊きたい事があったが…もう十分だよ、君がどんな人生を歩んできたのか概ねは理解した。君は確かにヨルンの子だ、彼女の血も思いもきちんと君の中にある」


 娘が最後に言った。


「あと、お父さんの頑固さもね」


 その言葉は冷たい風に晒されても、不思議と温かいまま父の胸に届いた。

 娘が背中を向けて去って行く、父はこれで良いと思った。どのみち、ここでいくら仲良く会話をしたところで、自分が愛する妻をレガトゥムへ連れて行ったことに変わりはなく、それは確かに娘の言う通り『人殺し』と呼ばれても仕方がない事だった。

 だからティダは、始めから今の自分にとって最も大切な事を伝えたのだった。


「──元気で、ナディ」


 その言葉は冷たい風に流され、娘の元には届かなかった。


 言うなれば、それは最悪のタイミングで現れた。


「随分と素っ気ないもんだな、実の親子でも」


「………君か」


 たった一人の娘が去った直後だった、バベルがナディと入れ替わるようにしてティダの前に姿を現した。

 いつでもどんな時でも、他人を小馬鹿にしたような笑みを崩さない飄々としたマキナが、演繹(えんえき)的な手法で世界を救おうとしていた一児の父親の前に立った。

 ティダは正直と言って、このマキナには席を外してほしかった。娘と交わした言葉を噛み締め、少しの間だけでも感慨にふけたりたかったのにこれでは邪魔でしょうがない。

 故に最悪のタイミングだった。


「話は済んだのか?」


「見ての通りだ、彼女は向こうへ行ったよ」


 バベルが振り向き、自分が歩いてきた道を見やりながら言った。


「だろうな、あいつがこっちにつくはずがない、散々おいたを働いてしまったからな〜」


「あの子の事はどうでも良い。──バベル、私が君の元についたのは君のやり方に賛同したからだ、それは分かっているね?」


 バベルが再びティダへ向き直った。


「ああ、俺が頼りにしているのはあんたじゃなくてレガトゥムだ。概念破壊を起こした後は電子の世界が母なる地球になる──あの女にどこまで喋った?」


 あの女、と言われた時、ティダは拳を強く握り締めた。が、本人に気付かれないようにそっと解いていた。

 大事な娘を「あの女」呼ばわりした奴を殴ったところで何の価値も生まれない。


「シーニュについて話しただけだ、詳しい事は口にしていない。そもそも、君の名前を出しただけで向こうは激昂していたよ」


「だろうさ、あいつとは何かと縁があってな、その全ての機会で喧嘩してきた。──今はそんな事どうでも良い、ようやく街の中へ紛れ込む機会が訪れた、この世界の終局地点、ヴァルヴエンドへ行けば老人共と会うことができる」


「………」


 彼は珍しく機嫌が良かった、いつでもどんな時でも思考に耽り難しい顔ばかりしているのに、あちらから勝手に話し始めていた。

 この世界は管理されている。『世界』とは、ナディたちが住まうマリーンに始まり地球上で稼働している全てのテンペスト・シリンダーの事を差す。

 では、一体誰が管理しているのか?

 星管連盟もウルフラグ本社も、言わばただの『管理者』であって『責任者』ではない。世界中のテンペスト・シリンダーを管理し、問題が発生すれば介入し解決へ導き、そして遅滞の無い運営へ戻していく。

 では、一体誰が責任者なのか?

 何故、この地球環境を数千年にも渡って続けてきたのか?ドゥクスが以前所属していたリ・テラフォーミング部隊は文字通り、地球環境を人の手で再生させ復元させていく団体である。

 その活動が数千年に渡って続けられたら、いくら荒廃したとは言え、完全とはいかなくても生命体が住める程度の環境には戻っていく。

 地球は元の姿に戻りつつあった、大局的にはまだまだだが局所的には再生しつつある。

 それでも『責任者』たちは人々をテンペスト・シリンダーの中に閉じ込めたがる。

 何故なのか?

 この疑問の答えにこそ、バベルはマキナの『アイデンティティ』が隠されていると捉えていた。

 バベルが言う。


「知りたくないか?この世界の真実とやらを。俺は知りたいね、何故自分がこの世に誕生したのか、それを知りたくない知的生命体などこの世に存在しないだろう」


「世界の真実と己が誕生の理由が同じだと?」


「ああ、それを知るためにはまずこの世界の概念を変えないといけない」


 ティダも彼の言い分にはある程度賛成だった。

 けれど、ティダの目的は彼と違った。

 世界の真実などどうでも良い、ただ、世界は万人にとって平等であるべきだと考えていた。

 だが、この世界はヴァルヴエンドの何者かによって管理され、支配されている。ティダはそれを壊したかった。

 

「君は君の目的に邁進すれば良い、私は私でやらせてもらうよ」


 薄い青空を見上げ、冷たい風に晒されながら話しをしていたバベルがティダへ視線を向け、どこか恍惚とした顔から普段通りの表情に戻った。


「──釣れないね〜あいつに嫌われた仲じゃないか。仲良くやろうや」


 ティダはバベルに取り合わなかった。


「失礼させてもらうよ」


「まあまあ──」バベルが空へ向かって指を差しながら、「もしかしたら、お前の子供が死ぬかもしれないぞ」と言った。

 歩き始めていたティダは足を止め、いつでもどんな時でもいけ好かないマキナへ振り返った。


「一体何を言って──」銃声、場所はティダたちがいるバルコニーの上、そこは先程話し合いが行なわれた客室があって──。


 その客室の中ではリアナが胸を押さえて床の上に倒れていた、赤い血がどんどんと広がっている。

 

「ママ!!」


 銃声はティダにとって突然だったし、それは客室の中にいた人たちも同じだった。突然銃声が鳴ったかと思えばリアナが倒れたのだ。

 リアナ・コールダーを背後から撃った犯人が言う。


「早く手当てをしないと死んでしまうわ」


 金色の髪をしたマキナである、自動拳銃を予断なく構えている。

 ライラがリアナの元へ駆け寄り膝を折った。


「ママ!ママ!しっかりして!」


 撃たれたリアナは小さく呻き声を漏らしている、即死ではなかったが確かに危険な状態だった。

 カイルがマキナへ向かって吠えた。


「何故リアナを撃った!!僕はこんな真似を許した覚えはない!!」


「これも必要な事なの、マリーンの心臓部はもう彼らの手に渡ったわ。これ以上あなたたちに好きにやられると、他の人たちに迷惑がかかってしまう」


「パパ!そんな奴は放っておいて早く何とかして!このままじゃママが死んじゃう!」


 カイルが無言で客室の外へ飛び出して行った。

 客室に残った者たちは緊張した面持ちでマキナのことを睨んでいる。あれだけ喧嘩をしていたのに、マカナとフレアがリゼラの前に立ち母親のことを庇っていた。

 リゼラはそんな二人に心から感謝すると同時に、マキナに告げていた。


「こんな真似をすればあなたの立場がどうなるか、良く知っているのではなくて?何故彼女を撃ったのですか」


「言ったでしょう、これもマリーンのため。だって仕方がないわ私はマキナだもの、ここにいる全ての人たちは須く極限まで平等に救わなければならないもの。あなたたちの自由が大勢の人たちの死に繋がるのなら、それは天秤にかけなければならない。為政者とはそういうものでしょう?」


「あなたの言う通り。では、外からの侵略者に屈すると?それは為政者とは言わないわ、ただの臆病者よ」


「自由と幸福の和が死に繋がることもあれば、不自由と不幸の和が生存に繋がることもある」


「その逆もまた然りだとあなたは理解しているはず、それでも私たちに銃を向けると?」


「勝算が無い、と言ったでしょう?心臓部が彼らの手に渡ったと。このマリーンそのものを稼働させているエンジンと言ってもいい、車だってエンジンが壊れてしまったら走れないでしょうに、それと同じこと。彼らの指示に従わなければこのマリーンも壊されてしまう、それは私のアイデンティティに反する事なのよ」


「アイデンティティのために人を撃つと?」


「それはあなたたちも同じでしょう。マキナであれ人であれ、自分が自分らしくある理由から逃げることは決してできない、だから私たちもあなたたちも時には喧嘩してやがて戦争にまで発展するの」


「…………」


「ましてや、私たちマキナは尚更、アイデンティティを捨ててしまったらそれはもはやただの素数でしかなくなる。私たちマキナにとってアイデンティティは魂と同義なの」


 予断なく銃を構えていたマキナがリゼラへレティクルを合わせた、その瞬間、マカナが駆け出しフレアがリゼラに抱き付いた。リゼラは心から「止めなさい!」と長女へ向かって怒鳴るが発砲音が轟き──誰も倒れることはなかった。

 放たれた銃弾は天井に当たっていた、折も良く客室へ帰って来たナディがマキナの腕を持ち上げていたのだ。


「何をやっているんですかグガランナさん!また人を殺すつもりですか?!」


「やっぱり…あなたとはこうなる運命だったのよ。初めて見た時から嫌いだったわ」


「今はそんな事どうでも──」と、腕を掴まれていたグガランナが突如暴れ出し、ナディの拘束から抜け出していた。

 そしてまた、銃を構えた。


「ナディ!!」


 発砲、どこに当たったのか、ナディまでもが床の上に倒れた。

 撃たれた母を庇いつつ、一連のやり取りをただ眺めていたライラが口汚く「このクソ野郎!!」と罵った。

 マカナが瞬時に動き出すが、


「動かないでちょうだい!!怪我人の手当ては好きにすればいい!!けれどこの城から出たら遠慮なく殺すわ!!──はったりだと思う?私が五年前に何をしたのかもう忘れたかしら?──私の指示に従いなさい!!」


 一歩踏み出した状態でマカナが立ち止まり、肩を撃たれたナディはゆっくりと体を起こした。

 最後に、グガランナ・ガイアがこう言った。


「はあ、何だか…もの凄く疲れたわ」

※次回 2024/2/17 20:00 更新予定

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