TRACK 43
シェイク・イット・オフ
ほのかにピンクがかった空をノラリスが赤い波飛沫を上げながら飛んで行く。そのマニューバはひどくゆっくりで、どこか波乗りを楽しんでいるようだった。
一人の姉が操縦するノラリスを妹であるフレアはコクピットから眺める、その目には憧れの色があった。
「は〜相変わらずお姉ちゃんは上手いな〜」
お下がりスルーズに搭乗しているフレアは、空の波乗りを楽しんでいる姉を羨ましがった。右斜め前方を行くノラリスは見えない波を掴んでいるようにボードを捌き、ラフトポート方面へ舵を切っていた。
フレアに通信が入る、その相手はもう一人の姉、マカナからだった。
「まさか自分も板付きが良いなんて言わないわよね」
小姑のように小言を放ってきたマカナにフレアがカチンと来て、皮肉を返していた。
「──マカナちゃんよりお姉ちゃんの方が上手だね」
「あん?」
「どうして上手なんだろね──」そこでわざとらしく、「あ〜!きっとマカナちゃんみたいに小言を言わないからだよ!」と言った。
「あ?」
「なに?」
この二人はずっとこうだった、喧嘩ばっかり。
彼女たちより後方の空を飛んでいた機体から通信が入った。その機体のパイロットはウィゴーである、彼女たちの班長だ。
「めっ!!いい加減にしなよ!!敵が来なかったからといって気を緩み過ぎ!!」
ウィゴーの機体はポンコツオレンジから代わり、ヴァルキュリア本土で開発された練習機っぽい機体になっていた。ミルキージャーキーたちが使っていた上官機である、通称『ご都合グリーン』、パイロットの好みによっていくらでもカスタマイズできるので『ご都合』と愛称を付けられていた。
ウィゴーからガチギレされても二人は何のその、全く反省した様子を見せていない。
「あんたも知らない間に随分と口が悪くなったじゃない、脳みその栄養もその無駄なボディラインに取られたんじゃない?!」
「何をう?!」
火の玉暴言を吐いたマカナがサーフボードを展開し、その場で波に乗った。それからフレアの前に躍り出て、ボードを右へ左へと切り、赤い飛沫を跳ね上げさせた。その赤い飛沫がスルーズの頭部にかかっている。
「この──意地の悪い姉め!!今日こそ成敗してくれる!」
「やれるものならやってみろ!!」
「もう止めなって二人とも」
「もうほんと、マカナちゃんっていつも誰かと喧嘩してるよね今日まで欠かさず」
「糖分が足りていない証拠です、だから喧嘩するんです、港に帰ったら皆んなでお菓子パーティーをしましょう。──勿論班長の奢りで!!「嫌」
好き勝手に喋り倒すウィゴー班がラフトポートへ向けて空を飛ぶ、外敵を報せるアラートが発報されたはずなのにそれが誤報と分かり、来た道を引き返していた。
しかし、それが誤報ではなく敵の撹乱であったとウィゴー班が知ったのは、帰港してからのことだった。
*
長い年月が経ち、建物だけではなく雰囲気も寂れてしまっている石油プラットフォームに到着したミーティアたちは、そこで現地のマキナたちと合流した。
(酷い所だわ、気分まで滅入ってしまう)
何処を踏んでもガラスの欠片が落ちており、錆びついた窓を開け放っても金属臭が鼻につく。
合流したマキナのうち、浅い金の髪をした、薄情そうな青年がミーティアに声をかけた。
「この場所がお気に召さなかったかな?まあ、すぐに終わる話し合いだから辛抱してほしい、伝説の歌姫」
ミーティアの他にも武装した兵士、それから本作戦の指揮を取る艦長たちもいる、その艦長がゼウスに問うた。
「──そんな事よりも、我々が聞いていた話では二人だったはずだが?そのマキナはなんだ?」と、艦長が二人の背後に控えていたそのマキナを誰何した。
ゼウスにバベル、二人の背後にいたのはグガランナ・ガイアだった。
ゼウスが前髪をさらっと優雅に払い、伝説の歌姫に相手にしてもらえなかった事をさして気にした様子を出さずに答えた。
「いや何、彼女も必要かと思ってね、僕が声をかけたんだよ」
「無駄な増加は露呈に繋がる、それに何の連絡も寄越さないのも気に食わない」
「まあまあ、彼女にだって贖罪の機会が必要だ、だから僕の方から打診して許可を貰ったんだ」
彼の話に『誰に』という主語が欠落している、それは秘匿事項を差し、その事は艦長たちも十分よく理解していた。
窓の外から潮騒が届く、波に揺られた石油プラットフォームが金属製の軋んだ音を立て、それがまるでこの建物の悲鳴のように聴こえた。
『許可を取った』という、プログラム・ガイアより権限を多く有するマキナにそう言われたら返す言葉もなく、艦長は従う他になかった。
「──会談の場は?」
艦長は聴き慣れない潮騒と金属の悲鳴に気を取られながら話しを続けた。
答えたのはバベルだ。
「整えてある。それと同様に、あちら側の戦力も削いだ」
「戦力を削いだ?」
「ああ、子を思う母の気持ちは何よりも強い、ってな。──なあ、そうだろう?グガランナ」
ゼウスよりもさらに飄々とした(良く言えば)バベルがグガランナにそう話を振り、その手で人の命を奪ったマキナが答えた。
「ええ、はい、その通りかと」
口を挟まず一連の流れをただ観察していたミーティアは、
(早くここから出て行きたい)
と、そう思った。
そう思えるほどにグガランナ・ガイアの声音は谷底よりも沈んでおり、冷え固まった氷よりも冷たいものだった。
*
ただの誤報だったと知らされたアヤメとナツメは早々に母艦(牛の方)へ引き上げハンガーに機体を突っ込んだ後、船内通路で思わぬ人物と出会した。
「ど、どうも…」
「──っ?!」
「びっくりした!──お前、ヒイラギか?」
船内通路の角、有機型蛍光灯にギリギリ当たらない所に彼が突っ立っていたのだ。彼の顔に薄暗い影が落ち、けれど死んだような目だけははっきりと見えている、だから二人はひっ!と驚いた。
「はい、そうです…ヒイラギです…」
「え、え〜と…何かご用?」
基本人に優しいアヤメがそう訊ねる。明らかめんどくさ案件だがアヤメは訊かずにはいられなかった。
ホシが答えた。
「僕をここに匿ってください…」
◇
「めんどくさい男連れて来てまあ〜あのエロ爺いに比べたら百倍マシだけどさ〜こいつここで何て呼ばれてるか知ってるよね?」
アヤメたちと休憩スペースで合流し、行儀も悪くテーブルの上で足を組んで座っているプエラがホシの頭をつんつんと突きながらそう言った。
ホシの隣に陣取り、相変わらずもぐもぐしているアマンナが「稀代の恥」と口にした。
「もう〜そういう言い方はよくないよ二人とも止めなって、ヒイラギさんにだって事情があるんだから。ね?そうですよね?」
「いえ、全部僕が悪いんです」
ホシの発言に、その場にいた皆んなが絶句し返す言葉を失っていた。
カゲリに「カツラ被ってんじゃねえよ!」と指摘されてもウイッグを被り続けているナツメが言った。
「ガチでそれ言ってんのか?」
「聞きたいです?」
皆んなが口を揃えて「結構です」と言い、
「で、いつまで匿えばいいのかな?何かから逃げてる感じ?」
「ええまあ…昔の恋人から逃げてる感じです…」
普段は仲が悪いプエラが、ハニーマスタードがたっぷりとかかったポテトをもぐもぐしていたアマンナの耳を引っ張り、本人の真後ろでヒソヒソ話を始めた。
「…これあれよね、あのスミスって人の話よね」
「…三股かけられた挙げ句、手を出されてもいないのに振られた話やねこれ」
「…こいつ本物の屑じゃん」
「…まだモンローって人の方が秩序持ってる、おっぱい触らせてあげたらご飯奢ってくれた」
「あんたも大概の屑じゃない!!アヤメがいるのに何て事してんのよ!!」
「冗談に決まってんじゃん!!そう言うならプエラ!!そっちだって夜な夜なナディの所行ってるんでしょ!!ナツメが毎日フリーだって喜んでるよ!!」
「──何ですってナツメ!!私が居なくて喜ぶってどういう事なの?!」
急に巻き込まれたナツメが一言。
「お前ら、ヒソヒソ話をしたいのか喧嘩したいのかハッキリしろ」
と、話題を修正しつつホシの話に戻り、
「と、とにかく、風当たりが収まるまでここにいさせてもらえたら…」
「ヒイラギさんはそれでいいの?曲がりなりにも一度は恋人になった人を放ったらかしにしたままで」
アヤメが優しい声でそう諭すも、
「僕だって謝罪しようとしたんです、けれど、トリガーを引いてくる相手に何を言っても無駄なんですよ…あんな形相を向けられたら百年の恋だって冷めます」
と、答えた。
(・_・)×4
四人はこの時、「男ってほんとに屑だな」と強く思ったらしい。
◇
稀代の恥の一旦の住処が船の最後部にあるコアルームに決まり、めんどくさ案件を処理したアヤメたちは休憩ルームで解散していた。
そう、恋人同士なのに解散。それぞれがそれぞれの目的を持って別行動、一〇年の付き合いにもなれば誰だって付き合いが淡白になっていくものだ。
プエラは私室へ一旦戻り、身支度を整えてからグガランナ・マテリアルを後にした。外出した理由はナディと会うため、向かう場所はガウェイン地区、サーストン夫妻の新居だ。
グガランナ・マテリアルに架けられた橋を渡り桟橋へ、涼しく乾いた潮風が彼女の白い髪を払い、そこにいた人やラハムたちの目を奪った。
「カシャカシャカシャカシャ!」
「撮るんなら上手に撮ってね」
バズる記事をアップすることに命をかけているラハムに向かってプエラがウインクをし、ウインクされたラハムが「んっふ〜」と変な声を出しながら桟橋の上に墜落した。
ラハムのハートすら射止めたプエラが桟橋を颯爽と歩く。サーストン夫妻に次ぐ(あるいは勝る)絶世の美女をこの目で見ようとする人たちが集まり、その人垣の上には青い空と桃色の雲があった。
(すっかり青空が戻って来たわね、前はもっとピンク色だったけど)
種から芽になり、そして芽から花弁が開く。開いた花弁はやがて枯れ、大地へと帰る。
この自然の理に沿うように、開花したナノマシンもその数を日に日に減らしていた。
ノラリスとレガトゥムが接触し、ナディがライラを連れて帰って来た当初は膨大な数のナノマシンが浮遊していたが、今となってはその勢力を衰えさせていた。青空の割合が増え、ピンクの雲が段々と姿を消すようになっていた。
(いずれ空で波乗りが出来なくなる──そもそも空で波乗りするって意味分かんないけど)
プエラが見上げている空の端には複数の特個体がいた。その機体の足元には展開型のサーフボードが装着されており、先頭にいた特個体がボードを展開させてナノマシンの波に乗っていた。
波乗りするのは何もナディたちだけではない、他のパイロットたちもこぞって波乗りをし、優雅なボード捌きを披露しようとしていた。
ただ、二つ名を持っているのはナディ・サーストンだけ、踊るように空を飛ぶ『スカイダンサー』の称号を持つのは彼女だけだった。
「うわ〜下手っぴ」
波乗りをしていた機体がナノマシンに飲まれ、仰向けに転倒していた。とても優雅とは言えない飛沫が上がり、他の機体に支えられながら態勢を立て直していた。
そんな変わった街を、まるで仮想世界のようなラフトポートの街を眺めながらプエラはサーストン夫妻の新居へ向かった。
「お邪魔〜」
「こんにちは、コンキリオさん」
「します!」
親睦会を終え、我が家に帰って来たライラはエントランスで来客を出迎えた。その相手はプエラ・コンキリオ、自分と同じように白い髪、人々の目を惹きつけ虜にするエンジェルスマイル、秋口らしいマスタード色のロングコートに愛する人と同じジーンズ姿をしていた。
ライラも柔和な笑みを浮かべて彼女を迎え入れた。
「ナディは?」
「さっきまでいたんですけど、すぐに出て行きました」
「行き先は?」
「さあ…まあ、また畑仕事の手伝いに行ったと思いますけど。あ、コートはそこにかけてください」
プエラがコートを脱ぎ、脱いだ拍子にふわりと上品な香りがエントランスに漂った。
フックにコートをかけたプエラがライラへ振り向き、挑戦的な笑みを浮かべて言った。
「そんなんでいいの?ナディが誰かに取られるわよ」
ライラも挑戦的な返事を返した。
「取れるものなら。私より魅力的な人だったら取られてもいいですよ」
「自信あるね〜」
プエラは今日が初めてではない、これまで何度もサーストン夫妻の新居に訪れていた。だから、勝手知ったると言わんばかりにリビングの扉を勝手に開き勝手に中へ入って行った。
先客がいたことを思い出し、ライラが「あっ」と声を出すも、リビングから「あ〜!」とプエラの大声が聞こえてきた。
「何であんたがここにいんのよヒュー・モンロー!!」
遅まきながらライラもリビングへ入る。
リビングとしては小ぢんまりとした広さだ、窓ガラス型液晶テレビにガラス製のラウンドテーブル、それからテーブルを囲うようにして置かれたソファ、そのソファにモンローが座っており、プエラは遠慮なく指を差していた。
「ちょっとライラ!何でこいつを家の中に入れてんのよ!あんただってこいつの評判は聞いてるでしょ?!」
「親睦会で一緒になったんですよ、それでそのまま家まで付いて来て」
モンローもぴっちぴちの白いジャケットを着用している、今にもボタンが弾け飛びそうだ。
「あんたよく射殺しなかったわね「言葉には気を付けろ「なに送り狼気取ってのよ、この子にまで手を出そうって?」
まるでこの家の主人であるかのように、優雅に足を組んで座っていたモンローが「まさか」と肩をすくめ、「七色の奇跡をこの目に入れたかっただけだ」と言った。
プエラが急に(・_・)と口を閉ざし、その間にライラはモンローの斜向かいの位置に座った。
「──で、先程のお話なんですけど…誤報はあり得ない、という事でしたよね」
急に黙った白雪姫のことを気にしつつも、モンローがもう一度同じ事を口にした。
「ああ、島で開発された感知システムだ、エラーが起こるとは考え難い。そのシステムにはマリーン内で登録されている識別信号も登録してある、仮にお前たちの船が外へ出た所で引っかからないようになっているんだ」
「では──」
ライラが何かを言いかけるが、モンローが言葉を重ねてきた。
「セボニャンの様子はどうだった?」
「せ、セボニャンっていうのは──「最初に議長を務めていたあの老人よ」そこへライラも加わって来た。
「何故その事を知っている?あの場はマリーンの人間しかいなかったはずだ」
「ライブ中継されてたから皆んなで見てたのよ。で、あの老人がなに?」
ライラに質問の真意を尋ねられてもモンローは言葉を変えず、「様子はどうだった」としか言わなかった。
ライラは返答に困った、何せ初めて会う人物だったので具体的な意見が出てこない。だが、誤報騒ぎにセボニャンという老人の質問から、ある程度の事情は察することができた。
「──あの方が今回の誤報に関わっていると?モンローさんはそう仰りたいんですよね」
「──ん?」
「ん、ん?」
いやその実そうなのだが、モンローもライラの頭の回転の早さに戸惑い、プエラにいたっては完全に置いてけぼりにされていた。
この大男、招待すらされていないパーティーに紛れ込み、女性に手を出しながらもセボニャンについて参加者から話を聞いて回っていたのだ。
「いやうん、ああ、まだそうだと決まったわけではないが…」
「え、え?何の話してるの?あの背骨がぐにゃんと曲がったお爺ちゃんの話をしているのよね?」
「お前は本当にマキナなのか?ライラの方が頭の回転が早いじゃないか「何だと?せっかくこの後デートしてあげようと思ったのに「──お前がこの世で一番賢いぞプエラ・コンキリオ!!」
などとふざけつつも話が進む。
「セボニャン、というのはただのニックネームに過ぎないが、かの御人の推定年齢は二〇〇歳だ」
「──にっ?!」
「ひゃく?!」
思いがけない話に二人が目を見開いた。外から入ってくる太陽の光に、ライラの瞳が七色にきらりと輝いた。
「そうだ、セボニャンは生命維持装置を使いながらその歳まで生き永らえていた、脳内にインプラントを埋め込み常時健康状態をモニタリングしている。だが、数ヶ月前に一度だけオフラインに移行したことがあったんだ」
「それは…眠っていたから、とかではなく?」
「ああ、睡眠時も覚醒時も常にモニタリングしていた。──あの爺さん、数時間ほどだが死亡していた事になる」
「で?」と、プエラが端的に問う、何が言いたいのかと。
モンローは結論を先延ばしにし、別の事を話し始める。
「──さらに、ラフトポート内に時折り姿を見せる不審者、数ヶ月前にはアヤメたちがIFF不明の機体を撃ち墜としている。これらから察するに、セボニャンは侵入者の手に落ちたのではないかと考えられる」
「あの外敵の仲間がマリーン内に潜入して工作活動をして、セボニャンが操られているって?」
「そう考えるのが妥当だ」
「その目的は?」
「俺はナディだと考えている。彼女はマリーンを飛び出して外の世界を回ってきた、それが奴らの目に止まったのだろう」
黙って話を聞いていたライラがここで突然、「そこまで追いかけられるこの優越感…」とか何とか言いながら自分の顔を手で覆い、一人で身悶え始めた。
モンローとプエラは「こいつもやべえ奴だ」と思いながら、
「それを言うならモンロー、私たちだって地球の空を渡ってここまでやって来たのよ?私たちがオッケーでナディがダメってどういう事なのよ」
「誰かが根回しをしたか、あるいは申請したかのどちらかだろうに。お前たちに行けと命じたのは誰だ?」
「──ゼウスよ、あいつだわ」
プエラの言葉が合図になったかのようにその本人が室内に現れた。まるで舞台役者のように大仰な仕草をし、リビングにいた三人に恭しくお辞儀をした。
ゼウスの登場である。
「やあやあ、僕の名前が呼ばれたみたいだね「──帰れ「そんな寂しいことを言わないでおくれよプエラ、君たちを見送ってからもう五年近くも経つんだよ?「帰れ、このろくでなし「モンローさんよりも?「自然な感じで俺をディスるのは止めてくれ」
「で?あんたはどこのゼウスなわけ?」
「何を言っているんだい君は全く、中層地方の監察室室長のゼウスだよ。──君の上司さ!」
キザっぽい仕草をしながらそう言ったゼウスにプエラが腹を立て、
「ねえ、誰かショットガン持ってない?」
と、気さくに訊ねるが二人は無視し、モンローがゼウスに問うた。
「お前か、こいつらをここに招いたのは。ちょうどお前の話をしていたところだ」
「そうだね、だからお邪魔させてもらったんだよ。──まずは忠告」
ジャケットインパーカー姿のゼウスがすっと人差し指を立て、真剣な目つきになった。
「これ以上彼らと敵対するのは止めた方がいい。不自由と不幸はイコールではなく、幸福と自由を足した和が死に繋がることもある」
「彼らとは?」
「ヴァルヴエンドさ。君たちが既に察しているようにこの街には修理班と呼ばれている工作部隊が潜入している、その本社がヴァルヴエンドにあるんだ。彼らは各テンペスト・シリンダーを管理して必要とあれば事態解決のために介入する」
「お前が俺たちにそうしているように?」
モンローは遠回しに「ヴァルヴエンドの回し者」とゼウスを皮肉った。
ゼウスはその皮肉に気付いていないのか、それとも無視ったのか、そのまま話を続けた。
「この事態があまりに重く、修理班の手に余るようなら軍を派遣して強制的に支配下に置く──君たちは今この段階にいる、もしそれでも上手くいかないのなら…どうなると思う?」
ライラが即答した。
「このテンペスト・シリンダーの破棄、あるいは破壊、そうですよね?」
「ああそうとも、そうなったら君たちは基本的生存権すら失われる、だからこうして直接出向いたんだ」
「俺たちの指示に従え、と?」
「そう言ったつもりだけど?」
ただの不法侵入者であるゼウス(普通に玄関から入って来た)が二人の顔を見回した。一人は全身を義体化した大男、頭部にあるモノアイのカメラがじっとこちらに向けられている。
あともう一人は──
(この子だね…)
一つの国を根底から支えていたらしいその女性、指導者としてのオーラは既になく、あるのは家庭に入った者が放つ柔らかで落ち着いた雰囲気だ。
しかし。
(あの目は一体何だ、僕たちマキナにでも再現出来ないぞ…)
瞳の虹彩が僅かに蠢いているように見えるのは気のせいだろうか、常に七色に反射するそれはこの世の物とは思えなかった。
そして、その瞳に恥じない理性と知性をゼウスは感じ取った。
ライラ・サーストン、故あってファミリーネームを捨てたこの女性だけは敵に回してはならないと、ゼウスは悟った。
(話し合いが上手くいくとも思えないけど、まあ、あとは彼女たちの領分だ、僕のフィールドではない)
「──ゼウスさん、とお呼びすればいいですか?」
「──うん?何かな」
「私がこの世界に帰ってこられた理由について、何か知りませんか?」
「────」
初対面の者に対して、彼女は挨拶でもなければ自己紹介でもなく、ましてや良好な関係を築くための世間話でもなければお世辞でもなかった。
ピンポイントでそこを突いてきた。まさしくヴァルヴエンドも追いかけている謎について、彼女はゼウスに質問してきた。
彼は柔和な笑みを崩さず浮かべているが、内心はもう焦りまくってバックバクだった。
(何でそれを僕に聞いてきたんだまさか──いやいや、たかが一人の人間がそこまで──)
彼は誠実に答えた、だって敵に回したくなかったから。
「──分からない、と答えておくよ」
「では、調査は進めているのですね。ナディが言うには、父親からプレゼントされたピアスが関係していると口にしていました、名前はティダ・ゼー・ウォーカーと言います」
「それで?」
「………」
ライラが何も答えず、けれど目だけで「本当に何も知らないのか?」と訊ねた。
ゼウスはその無言の問いかけを前にして、早速失敗したと気付いた。
ライラが続きを話す。
「世界構成因子、あるいはワールディリアについて何か知っていることはありますか?なければ結構です」
「──ああいやちょっと待って…うう〜ん…」
モンローとプエラは「何だそれは」と首を傾げている、ワールディリアという名前を初めて聞いたのだろう。
「情報の出所だけでも教えてくれないかな、僕もほいほいと答えられる立場になくてね」
ライラがゼウスに負けないくらい柔らかな笑みを浮かべ、「自分たちで調べるので結構ですよ」と拒否った。
ゼウスは頭を抱えた。
世界構成因子、仮想と現実の架け橋となる存在、この女性はもう既に把握していた。
「ちょっとゼウス、いい加減秘密主義は止めたらどうなの。そういう所だからね?私たちがあんたを嫌ってる理由って」
「別に秘密にしているわけでは──おや、誰か来たようだ」
そこへ外出していたナディが帰って来た。
リビングに入って来たナディ、畑仕事の手伝いで真っ白のジャケットを茶色に汚し、顔にも泥が付いていた。
「おか──なあ?!」愛する人の惨状に目を剥くライラ。
「何で着たまま手伝いするかなあ?!」
「別にいいじゃん。──こんにちは、プエラさんにモンローさん、ええと…」
「ゼウスだよ!どうぞよろしく」
「あ、はい、よろしくお願いします、ゼウスさん」
ライラがソファから立ち上がり、ナディの傍に歩み寄った。良く出来た妻のように、ささっ!とナディのジャケットを脱がしてタオルを渡していた。
「早く洗濯しないと染みになっちゃう!」
「私の顔にも染みが残るかも」
「それは知らん、自業自得!」
気の置けない夫婦のやり取りを眺める客人たち、するとモンローが顔を両手で覆い、おいおいと泣き始めてしまった。
急な反応を見せるモンローにプエラがぎょっとドン引きしていた。
「いやなに急に気持ち悪い!」
「ああ、マリーン三大美女が俺の視界に収まっている…感動でつい涙が…」
マリーン三大美女とは、サーストン夫妻とプエラの事である。
モンローがソファから立ち上がって三大美女の前に膝立ちになり、カメラマンの如くモノアイの撮影機能を使い始めた。
カシャカシャと撮っていると、「おい、モンロー」と声をかけられた、三大美女ではない。
「お前何やってんだよ」
「…………」
ナディの背後からひょこっと顔を出してきたのはガングニールだった、幼い眉が不機嫌そうに寄せられている。
女とあれば何の差別もなく口説きにかかるヒュー・モンローであるが、ガングニールだけは別、完っ全に尻に敷かれていた。
「な、何でここに…」
「プエラに教えてもらったんだよ、お前がここにいるって」
(急に黙り込んでいたのはやはり連絡を取っていたからか!)
(義体化しているので発汗機能はないが)モンローが汗をダラダラと流し始めた。
皆んなに見られてしょうがない大きなを胸を隠すように大きめのプルトップパーカーを羽織り、ナディと同じようにスキニータイプのジーンズを履いていた。ジーンズ大流行。
そんなガングニールが膝立ちになって固まっているモンローを見下ろしている。(気持ち的には)冷や汗を流しているモンローが言い訳を始めた。
「いや…これは…その、何だ、息抜きというか…深い意味はなくて…」
「ならもういいよな?オッサンの事を調べてくれるって言ったのに全然調べてくれないじゃないか」
「いやそれはもう調べがついたというか──「──ア?なに?「い、いや…」
それからモンローは、大きな胸を持ち上げるように腕組みをしたガングニールの後に続き、リビングから出て行った。
二人の姿を見送ったゼウスが、芝居がかったようにわざとらしく肩をすくめた。
「彼は随分とあの子に弱いようだね」
「モンローの奴がガングを大事にしているみたいだしね、そのくせ他の女にも手を出すとか──んな事どうでもいいのよ、結局あんたはここへ何しに来たわけ?」
「それはあの二人が戻って来てから話すよ、用事があるのは君ではなくあの二人だからね」
洗面所で泥を落としていた二人がリビングへ戻り、「あれ、モンローさんがいない」とナディが口にした。
「彼なら未成年のお尻を追いかけて出て行ったよ「言い方何とかしろ「──僕がここに来たのは君たちだよ、会ってもらいたい人がいるからなんだ」
君たちとは、サーストン夫妻のことである。
「誰なんですか?」
ゼウスがたっぷりと間を含んでから答えた。
「────伝説の歌姫さ」
「伝説の…歌姫?」
「そう、ミーティア・グランデ、数々の戦場を渡り勝利へ導いた歌う者さ」
「それは…もしかして…」
耳にしたことがない名前だ、そして、戦場で歌う姫などマリーンには存在しない。ライラはすぐにピンと来ていた。
「案内するよ、そこで君たちのことを待っている」
ゼウスが芝居がかった仕草でもう一度恭しく礼をした。
*
ミーティアに限らず、ヴァルヴエンドで生を受けた人にとって、『親』というものはいまいちピンと来ない存在だった。
『生みの恩より育ての恩』という言葉があるのはミーティアだって知っている、けれど、何故育ての親の方が大切なのか、やはりピンと来なかった。
だから、仮想世界でしか見たことがなかったお城の一室でその女性たちを目の当たりにした時、どうしてピリピリしているのか、伝説の歌姫は理解できず不愉快な思いをしていた。
(機嫌が悪いことを隠さない人はほんと苦手、子供じゃないんだから)
ミーティアたちは新都の城の中、客室にいた。天井まで届く高い窓が弧を描いて並び、丁寧に刺繍された絨毯が仮想展開された太陽光を浴びて薄らと光っていた。
不機嫌そうにして座っている女性は二人、それからその背後には気の弱そうな男性が一人立っていた。
これらの現地人はバベルたちが集めた、そして話し合いが行われる前に一通りの事情を説明していた──あなたたちの子供は騙されていますよ、といった具合に。
ミーティアは二人の女性の前、リゼラとリアナの前に腰かけており、その背後に艦長たちが従者のように控えていた。
ミーティアはとくにリアナと名乗った女性に苦手意識を持っていた。
バベルから話を聞き終えたリアナが口を開いていた。
「──あなた方は娘の愚行を止めるために力を貸してくれると?そう仰るのですね」
バベルが人を馬鹿にしたような笑みを浮かべ、「そうさ」と一言だけ口にし、続けて言った。
「あんたらのガキはラフトポートの連中に騙されてんだよ、ジュヴキャッチとかいうグループにな」そこでバベルが艦長へ向かって顎をしゃくり、「こいつらはただマリーンを平定したいだけだ」と言った。
軍帽を脱ぎ、光沢のある白髪をピンピンに立てている艦長が咳払いをした。
「こほん──平定とは些か乱暴な言い方だが、趣旨は概ねその通りである。我々が軍事的進行を続けているのは、こちらの人々が反発して受け入れを拒否しているからだ。あなた方には説得に回ってもらいたい」
これまで黙し、ただ耳を傾けていたリアナがゆっくりと言葉を放った。
「あの子たちに事情は説明されたのですか?まさか一方的に軍事進行を続けていたわけではありませんよね?」
彼女は政治の場に明るい、故に彼らの話を疑ってかかっていた。何事も鵜呑みにしないリゼラらしい質問である。
バベルは嘘を吐いた。
「勿論、だが聞く耳を持とうとしない、だからあんたらにも来てもらうことにしたんだ。──どっちにしたって、このままあいつらの暴走が進めばこのマリーンは終わりだ、ヴァルヴエンドの手によってリスクカットされちまう」
「リスクカットとは?」
バベルに代わって艦長が話す。
「こちらのテンペスト・シリンダーの稼働停止処分の事を言う、あなた方は知る由もないだろうが管理されている土地なのだよ、ここは」
「………」
リゼラは納得しているのかいないのか、話を聞き終えてもじっと艦長たちを見つめていた。
(そんな事を私たちに話すということ自体、本来いけない事なのでは?──つまりそれだけ状況が逼迫しているという事…)
リゼラたちはバベルから「娘に会える」と言われこの場まで付いて来た、けれど肝心のマカナたちはおらず、会わせられたのは一人の老人と若い娘だ。
ただ騙されたのでは、と疑いが強くなった時、窓の外からエンジン音が届いてきた。一般的な船の物ではない、けれど特個体の甲高いタービン音でもなかった。
艦長たちもその音に気付いて窓の外を見やった、そこには黒い大きな塊が一つ、海面へ向かって降下しているところだった。
艦長たちヴァルヴエンドの軍を今日まで悩ませ続けたレイヴンである、たった一隻のあの船に何人もの仲間を失っていた。
艦長は自然と体が強張るのを感じていた。
「…………」
もう誰も居なくなってしまった街の近くにレイヴンが着水し、後は朽ちて波に攫われるだけのイカダの群れが大きく揺れ動いた。
◇
ゼウスに言われるがまま付いて来たのはサーストン夫妻、それからマカナとフレアの四人であった。
「………」
「………」
マカナたちも何度か新都の街に足を運んだことがある、人々の移住を手助けするために、けれど今となっては誰も住んでおらず寂しい家の群れが続いているだけだった。
『寂しい場所』と思うのは本来居るべき人の姿のなく、捨てられた家々を見てそう思うのであって特別な感情はマカナになかった。
そんな事よりもだ。
「………」
「………」
マカナはすぐ隣を歩くライラの事が気になって仕方がなかった。この人は五年前、間違いなく自分に対して「ナディは私の物!」宣言した人物である。そして、宣言した通り本当に自分の物にしていた。
それは別に良い、いやちょっと気持ちは複雑だけど本人たちが納得しているのならそれで良い。
綺麗で、透明感があって自信に満ち溢れているその横顔をあまりに見ていたせいか、ライラが気付いた。
「──何?」
「──いや別に。──ううん、この際だから聞くけどさ、五年前の事覚えてる?」
大きな波が一つ、マカナたちが立っているイカダを大きく揺らした。その弾みでライラがかくんと頭を揺らして立ち止まり、マカナを見やった。
「………──ああ、あの事?それが何?」
(いやそれが何って何よ。ちっとも気にしてない)
二人は遅れまいと先を歩くナディたちに続き、ピンクのデッカい雲がぽつんと浮かぶ空の下、再び歩みを進めた。
「なに?もしかして気にしてた?」
「いやそりゃするでしょ、あんな事言われたら誰だって」
「あの時はほんと色々あったから、なんか、鬱憤を晴らしたかっただけなのよ。マカナって結構気にしい(※気にし過ぎる人の事)なんだね」
「ライラは結構図太いのね、パイロット向いてるんじゃない?」
「パイロットになってナディに好いてもらえるならなるけど、きっとナディは許さないと思うよ」
(基準が全部ナディかよ。この人やべえ)
細いイカダの道から太い道へ変わり、話し合いの場が行われる王城が見えてきた。
「伝説の歌姫、だっけ?どんな人なんだろうね」
「さあ。ナディより綺麗な人なんていないでしょ」
「それ、鏡で自分の顔を見ながら言ってごらんよ」
「何それ」とライラがくすりと笑う、その笑顔を見たマカナは気持ちがすっと軽くなったのを感じた。
「褒め言葉よね、それ」
「さあ?皮肉かもしれないよ」
二人でくすくすと笑い合いながら城へ向かい、ゼウスに案内された場所へ入るとライラの言う通りとなった。
(あの人が伝説の歌姫だよね、口開けちゃってるじゃん。まあ確かに綺麗な部類には入るんだろうけど)
ミーティア・グランデが目を見張り、口をぽかんと開けてマカナたちを出迎えた。
*
「侵入者あ〜〜〜?」
デザートをこれでもかと頬張り、口の周りを汚しているカゲリが素っ頓狂な声を上げた。その声はクーラント中央区にあるカフェテラスに良く響いた。
通信総合基地が入っているビルのその根元、出店と同時に人気を博している『ここも喫茶店』の屋外テラスにカゲリ、それからモンローとウィゴーがいた。
カゲリは午後から非番だったので午後ティーと洒落込んでいたが、そこへ元上司と今上司がやって来たのだ。
「そうだ、今から調査に出向く、だからお前も来るんだ」
ガングニールから説教を受けて解放されたモンローがそのように言う、頭部の片方のアンテナが少しだけひん曲がっていた。
「え、だからって何で私が?」
「カゲリちゃん以外に動ける人がいないからだよ」
「え、今何してるのか見えませんか?今非番なんですけど、時間外勤務の強要なんてとっくの昔に終わった制度なんですけど」
カゲリは二人に構わず、名物の揚げパンをパクパクと食べている、口の周りは砂糖で白く汚れていた。
「さっきのアラートは誤報ではない、何者かの工作活動によってキャンセルされたんだ。それに放棄された新都で複数の熱源も感知している、このまま放置しておくのはマズい」
「だから私非番なんですけど、今上司連れて来たって従いませんからね「今カレみたいな言い方止めて」
どデカいビルが太陽光を遮っているため、中央区の大広場は二つに分かれていた。太陽光を浴びてキラキラ光っている所と日陰に入っている所、そのちょうど中間点にカフェがあった。
顔の右半分が日陰に入っているウィゴーの服装は、まだパイロットスーツにフライトジャケット姿だった。
「ナディちゃんにライラちゃん、それにマカナちゃんとフレアちゃんが胡散臭いマキナに連れて行かれたんだ、疑わない方がおかしい」
「マキナが裏切った?なら、会議に参加していたあのマキナたちも?」
「カマリイちゃんたちは関係無いって否定してる──というより、マキナたちはいくつかのグループが存在しているみたいだから…おそらく何かの考えがあってそうしているんだろうって」
名物デザートであるマラサダと呼ばれる揚げパンを平らげたカゲリが口元を拭い、良い感じに冷えたコーヒー(砂糖たっぷり)で渇いた喉を潤した。
そしてこう言った。
「このお店を貸し切ってくれるならいいですよ」
「何だって?」
「何だって?」
「このお店、ちょー人気なんですよ。何でもウルフラグで修行した人が開いたお店らしくて、デザートから軽食、コーヒーに紅茶がどれも一級品で閉店時間までに品切れが続出するのが日常らしいです」
「君の馬鹿げたお願いが…」
「ここまで来たというのか…」
何かと強請られる二人は絶句。
「嫌なら他を当たってください」
無理だと分かっていてそうお願いをしたカゲリがふいと顔を逸らす、従う気が初めからなかったのだ。
けれど、カゲリの背後で誰かが「すいませーん」と店員を呼び、「店長連れて来てー」と言った。
バっ!と振り向く三人、そこにはマスコットキャラ第一位の座に着いたガングニールがいた。なお、王冠にはもう飽きたので脱いでいる。
「ガング?こんな所で何をしているんだ、またお説教するつもりか?」
「自惚れんな自意識過剰」
火の玉アッパーにモンローが沈み、そこへ店長を務めている青年が現れた。
「何でしょうか?」
「ここ貸し切りってできる?この子の要望」
(──ゲっ、これはマズい流れに…)
ぱっと見の年齢は大して変わらないガングニールが椅子に座っているカゲリを指差している。太陽光をさんさんと浴びているガングニールの髪が白くオレンジ色に輝いていた。
「貸し切り、ですか。それは嬉しい要望なんですけど…」と、眩しいからかただ困っているだけなのか、店長が目を細めて笑顔を作っている。
「できる?今すぐじゃなくてもいいからサ」
「まあ、お時間頂きますけど、大丈夫ですよ」
「あそう?ならお願い、代金はあの二人に付けといて」
「かしこまりました、そのようにさせていただきます」
「いやいや」
「いやいや」
「…………」
店長を見送ったガングニールが腕を組み、ふんと鼻を鳴らした。
「これでいいよな?オレたちに付き合ってくれ」
「……………ガッテン承知の助」
◇
「悪いナ、どうしても人手が欲しかったんだよ。代わりにあの店でうんと食べてモンローの財布を空にしてくれ」
「そうする」
ここも喫茶店を後にしたカゲリたちは軍港へ向かい、そこで各機体に乗り込み新都を目指していた。
前方に位置していたナノマシンの雲がびゅんびゅんと後ろへ流れて行く。カゲリはその雲の中を突っ切ってしまい、危うくエンジンストールを起こしかけた。
コンソールに表示された『Nano Stall』のエラーをタップして即座に無かった事にした、バレる後々面倒くさいことになる。
「で、どうしてガングが絡んできたの?今日の今日まで街の防衛は私たちに任せてたよね」
「ノラリスからの指令だよ、ナディたちを何とかしろってな」
「え?ナディ様がどうにかなっちゃうの?」
「このままだと連れて行かれるもしんない」
「──そういう事は早く言って!──こうしちゃいられない!」
ガングニール・オリジナルの後方を飛行していたカゲリの機体、タイプ333(スリーセブン)の足元に二枚の細長いボードが展開した。スキーボードである。そのボードで素早くナノマシンの波を捉え、あっという間にガングニールを追い越していった。
二つの赤い飛沫が遥か上空へと続いている、モンローはその軌跡を眺めながら自分もエンジンスロットルを上げた。
「セブンス・マザー、だったか?ナディはここだけに留まらず外の世界にいる連中の心も奪ったようだな」
「ホントだよ。外の奴らは間違いなくナディ──というよりスカイダンサーに興味があるはずだ」
「今の彼女を無力化できれば向こうの好きなようにできる、そしてそれに一部のマキナが手を貸した」
「それとセボニャンだな」
ガングニールは外の状況をノラリスから聞かされており、本人に明かしていない情報を持っていた。
コンソールのスピーカーからガングニールの声が流れてくる、モンローはその声に耳を傾けた。
「向こうにいるオレから連絡があったよ、セボニャンが数時間だけだけど行方をくらましたことがあるって」
「今はどうしている?」
「監視してるみたいダ、今のところ変な動きはナイらしい。あるいは…」
「もう変な事をした後か…とりあえず爺さんたちの島は後回しだ」
「ああ、急ごう」
赤い二本の軌跡にガングニールが続いて行った。
※次回 2024/1/27 20:00更新