TRACK 42
スカイダンサー
目の前に座っているのはこの数ヶ月で少しはマシな顔付きをするようになった女だ。
頬の肉付きは良くなり、唇の血色も随分と良くなった。まあ、愛する人が「良いから食え!」と口に食べ物を突っ込んでくるせいでもあるのだが。
(この目の色は一体何なのかしら…)
上を向いたり下を向いたり、その度に目の虹彩がきらりきらりと七色に反射する。自分は鏡を見ないと分からないのでどうでも良いのだが、愛する人がいたくこの目を気に入ってくれているので、まあこっちとしてはしてやったりの気分だ。
ライラが鏡の前から離れ、用意していた正装に腕を通す。白を基調とした長袖のジャケットだ、背中にはカウネナナイを示す威神教会のシンボルマークが刺繍されており、胸ポケットが赤、袖口が黒く染められている、この二色はウルフラグ側を示すレイヴンのシンボルマークを表すものだった。
果たしてこの白いジャケットの下は何が合うのか、パンツ?それともスカート?と、持っていた服を選んでいるとライラの私室に来客があった。
「おはよう、準備はできた?」
ライラの愛する人、そして先日入籍したばかりの結婚相手、ナディ・サーストンだった。
「おはよう。それがまだなの、このジャケットに何が合うのか分からなくて…」
「ライラなら何でも似合うから大丈夫じゃない?」
「まーたそんな事言って。そういう自分は──え〜ジーパン?ないわ〜」
「別にいいじゃん、また次いつ来るか分からないんだから」
ナディもライラと同じ白いジャケットを着用し、下は普通のジーパンに白いキャバスシューズだった。ただ、これから大事な会談の場に出席すると分かっているからなのか、ナディはぴっちりと髪を撫で付け余った襟足を後ろで一つに括っている。頬には薄くチークを入れて、口紅にも塗っていた。
前髪の一部が白く変色しているのはレガトゥムに渡った影響だろうと、本人が興味失そうにしながらそう言っていた。
(は〜いつ見てもイケメン美女…あの口紅汚したいわ〜)うん汚そう。
我慢できなくなったライラがずいっと顔を近付けるが、朝は何かと淡白になるナディは「そういうのは後にして」とライラの顔を押さえつけた。
「せっかくお化粧したのに…」
「する意味あるの?」
「──とりまそのジーパン何とかして、私のパンツ貸すから「え〜いいってめんどくさい…「駄目!」
結局ナディは下を脱がされ、露わになった足にライラがなんか良く分からんが抓って赤い跡を残し、それから白いスラックスを履かされた。
「うんうん、やっぱ上に白を持ってくるなら下も揃えないと」
「私で試したな?」
「私も同じ物履くからいいでしょ別に」
そうして二人ともお揃いの格好になり、円卓街の一角に建てられたマンションから会談場所へ向かった。
◇
数ヶ月前から着工した円卓街の土台工事が終わったのは約一カ月前であり、そこからぽんぽんと建物が建てられ始めた。なのでまだまだ空き地が目立つが、この街が建物で埋め尽くされるのも時間の問題だろう、何故なら母神組の勢いが凄まじいからである。
円卓街はラフトポートを中心に計三六本のコンクリート性主柱に支えられ、広さは二五キロ平方メートルになる。ヴァルキュリア本土の半分くらい。
この街に車なる物は存在せず、なので車道も存在しない。円卓街の中心部『クーラント地区』を中心として四分割されており(分割されている意味はとくに無い)、その中に人の居住区、農耕地区、商業区、などなど、さらに細かく分かれていた。
ナディたちが住んでいる所は円卓街の『ガウェイン地区』であり、その中でもコンクリエレベーターから程近い位置にある。マンションから徒歩五分でエレベーターに到着する。入居者の競争率が激しかったという。
マンションを後にしガウェイン大通りに差しかかったナディは空を見上げた。
ピンク!空気中のナノマシンがなんかよく分からんが花を咲かせた影響で空がピンク色になっていた。
まあ、真っピンクという訳ではない、きちんと青空も見える。ピンクの塊がまだらになって宙を漂っている感じである。時折りピンクの塊が街まで降りてくることがあるのでマスクを着用しなければならなかった。
「今日は?」
ナディが隣を歩く全身白い恋人にそう端的に訊ねた。ナノマシン注意報は出ているか、と訊いたのだ。
「う〜ん今朝は大丈夫だけど昼からヤバそうだって」
「え〜マスク持ってたかな…」
「私が持ってるから大丈夫」
「ありがとう」
「いや貸すとは一言も言ってない」
大通りには沢山の人がいる、皆それぞれの職場であったり自分のお店であったり、社会生活を営むために働きへ出ていた。
空には変わらずRAHAZONの社員たちが飛んでおり、交通ルールを守って交通路を行き来していた。
(ラフトポートの街がこんな一瞬で変わるだなんて…アネラもびっくりするだろうな〜)
大通りを抜けるとそこは円卓の名の通り、街全体をぐるりと囲う広場に出る。そこには計三六箇所にも及ぶエレベーター駅なるものが存在し、二四時間ぶっ通しで稼働していた。
コンクリ一本に付き四基のエレベーターが稼働し、内一つはランドスーツ専用の大型である。中は大変混雑しておりひっきりなしに人がやって来るので、ここでもRAHAZONの社員が誘導と対応に当たっていた。
駅に入ると早速ラハムが飛んで来た。
「一番エレベーターは降りたばかりなので二番エレベーターをご利用くださいお急ぎであれば四番エレベーターの方へお回りくださいあとでランドスーツが邪魔だったとか文句言わないでくださいね!」ばびゅん!
クソ忙しくしているようで、早口でそう言い切った後別の人の所へ向かっていた。
「いや〜挨拶する暇もなかったわ」
「過労で倒れたりしないのかな」
「バッテリーが二四時間保つようになったんでしょ。果たしてそれが良い事なのか悪い事なのか…」
「本人たちがそう望んだから良いんじゃないの」
エレベーター駅は正方形の形状をしており、中心のコンクリを囲うようにして建てられている。駅の入り口から一番、その奥に二番とエレベーターがぐるりと並んでいた。
ガラス張りの向こうには青い空と桃色の雲が浮かんでいる、太陽がクーラント地区に建てられている通信総合基地のビルに隠れているせいか、駅の中はどこか薄暗かった。
入り口を左へ折れて四番基のエレベーターへ、そこで同じ地区に住んでいるクランと合流した。
「おはようございます、朝から幸せオーラで周りを煽っていますね」
「いや何が?──おはよう、クラン」
「おはようございますライラさん。──その、ナディさんも」
「う、うん、おはよう」
気まずい。ナディは散々家に引き篭もり、散々周りの人たちに迷惑をかけていたのでその事を気に病んでいた。
けれどクランたちは気にしていなかった、無理もないと、ナディが塞ぎ込んでしまう事は無理からぬ事だと理解していたのに、いかんせんお互いに遠慮してしまっていたので気まずい雰囲気が流れていた。
降下時刻になったエレベーターに三人が乗り込む、ナディはささっ!と壁に備え付けられたホルダーと一体化しているラハムの所へ行き、世間話を始めていた。
「クラン….」
「いえその…すみません、私も何と声をかけたら良いのか分からなくて…」
「私は知らないからあれだけど…早く仲直りできるといいね」
「はい…」
大型エレベーターは広く、ランドスーツこそ乗っていなかったが人の集団がチラホラとあった。壁際にはシートも設置されており、商魂逞しい商売人が座っている人たちにアクセサリーを見せつけていた。
エレベーターが円卓街の基底部を過ぎる、太陽光を受けた海面が青い光りを放ち、一面青い世界を作っていた。コンクリートの柱、基底部の天井へ青い波紋を投げかけ、幻想的な雰囲気があった。
エレベーターが海上へ到着し、クランは気を利かせて先に降りた。それを見計らったようにナディがラハムの傍を離れ、ライラと肩を並べて歩き出した。
(私は一度も足を運ばなかったから…冷たい奴って思われているのかな)
後ろ髪を引かれる思いでクランは二人から離れて行った。
一方、
(ま〜たクランちゃんと話できなかった…いやでもな〜あんだけ迷惑かけた手前何て言えば良いのか…)
ナディも悶々と悩んでいた。
*
「ほら、ナディちゃんが来たよ」
「見れば分かる」
「…………」
「…………」※ナディとライラが通り過ぎるのをただ見ている。
「…………」
「──ぷはあ〜〜〜」
「もう〜これで何度目なの?いい加減にしないとナディちゃんがどっかに行っちゃうよ?今をときめくスカイダンサーなんだから」
「うるさいわね分かってるわよ」
ぷいっとジュディスがウィゴーから顔を逸らし、先を行く二人の跡に続いた。
ここはラフトポートの中に聳り立つビルの中、商工会議所みたいな質素な所である。二人はナディたちをビルのエントランスで待ち伏せしていたのだが、ジュディスがビビりを発動して何も声をかけなかった。
エントランスにはジュヴキャッチ、ウルフラグの歴史を示す様々な物が展示されている。それらを通り過ぎながらエレベーターホールへ、ちょうどエレベーターが一基到着しており、中には既にライラとナディが乗っていた。
ジュディスたちを待っていたのだろう、ナディが『開』ボタンを押しながら二人が乗るのを待っていたが、ジュディスが「お先にどうぞ」とジェスチャーで示した。
チンと扉が閉まり、エレベーターが上昇していく。
「──いやそこまでなの?今のはさすがにナディちゃんが可哀想だよ」
ウィゴーも白いジャケットを着用しており、下は黒のサルエルパンツである。そのウィゴーは頭三つ分も小さいジュディスへ非難の視線を注いでいた。
白いジャケットに赤いロングスカートを履いているジュディスがふっと表情を曇らせた。
「いやだって私…二度と戻って来るなって言っちゃったし…いくらカッとなったとはいえ…」
「それはあの変態お爺さんがナディちゃんを唆してホワイトウォールへ連れて行こうとしていたからなんでしょ。ジュディスちゃんが気に病むことじゃないと思うけど」
ナディとライラを送ったエレベーターが一人でに降りてきた、きっと二人が気を利かして送ってくれたのだろう、その気遣いにすらジュデスは自分のちっぽけさを痛感させられ、さらに眉を曇らせた。
「そうかもしれないけど…私あの時あいつに怒ってばっかりだっから…なんか、今さらになってそれは自分でも無いだろうって思えてきて」
二人がエレベーターへ乗り込む、会談が行なわれるのは最上階の『円環会議室』である。ウィゴーがボタンを押し、再び扉がチンと閉まってからゆっくりと上昇を始めた。
「僕が間に入ろうか?同じ班だから良く顔を合わせるし」
「それは良い、自分で何とかする」
「そう言ってもう一カ月ぐらい経つんだけど…」
「んぬぅ〜…」
口をひょっとこみたいにして、悩んでいるのかふざけているのか良く分からない表情をジュディスが作っている。
そんな彼女を見てウィゴーはふふっと微笑みを作った。
(ここまでラフトポートを引っ張った彼女でも悩む事はあるんだ…)
そうして扉がチンと開き、二人も円環会議室があるフロアに到着した。
◇
七色一週間(マリーンの人たちはそう呼んでいないが)の折、ノラリスがパージした大陸間通信用アンテナドローンは無事に展開し、クーラント地区の通信総合基地を経由してウルフラグにいる人たちとも常時連絡が取れるようになっていた。
また、スーパーノヴァのセカンド・イントルージョンを前にして、ガイア・サーバーもこのアンテナドローンへ移設しており、マリーン内の全ての人たちがネットの恩恵を受けられることとなった。
五年前ですら成し得なかった事である、あの時はカウネナナイとウルフラグが仲良く手を握りながら拳銃を向け合っている構図だったので、両国における通信網の設備、設置など議題にすら上らなかった。
しかし、大災害を経て喧嘩をしていた『組織』という目に見えない人の集まりが消失し、また、両国の隔たりも一緒に海の底へと沈んだ。
ニューノーマルの時代を迎えた彼女たちは今、カウネナナイとウルフラグを一つに結ぶべく円環会議室に集っていた。
ネットはあるし連絡も取れるし、皆んなそれぞれ自分の生活を営めるようになったし、わざわざ国を一つにするメリットはないが、これからも二つに分けているメリットも無い、という事で全ての人たちに投票を行なってもらったのである。
『国を一つにしますか?それともこのまま?』といった具合に。
その結果が本会議の一つ目の議題であった。
議長は一番の年長者だから、という理由で工場長、皆からセボニャンと親しまれている老人だ。
「──結果は国を統一する、という票が過半数以上を占めている。よって、この場でウルフラグ並びにカウネナナイの合併を進言するものである。反対の者は今すぐ全裸になりなさない」
「誰がするか」とジュディスの突っ込みの後、賛成を表す拍手が会議室内で起こった。
ヴァルキュリア本土から持ってきたカメラドローンをラハムたちが抱えて撮影を行なっている、この場はカウネナナイとウルフラグの全てでライブ配信されていた。
「よろしい。──では、新しい国家名を発表する」
円環会議室はちょー質素な部屋である。茶色の壁に緑色のカーペット、そして円型のテーブルにパイプ椅子という組み合わせである。このビルを建設した母神組が「そんな細かな所まで配慮している暇が無かった」と、建設スピードに全振りしていたように、調度品は間に合わせの物ばかりだった。
その会議室に集っているのはジュディス側のレイヴン、ヴィスタ側のジュヴキャッチ、セボニャン側のヴァルキュリア、そして、新都側のダルシアンである。
その皆が固唾を飲んで議長の発言を待った。
「──新しい国家名はハワイとする。今後、我々はハワイの国民として共に力を合わせ、共に悪を見破り、共に善ある行動を努力していくものである」
円環会議室には人だけではなく、マキナたちも参列していた。ただ、あくまでもこの会議は人主体である、という事を示すためテンペスト・ガイアたちは列に参加せずただ見守っているだけだった。
そのマキナも含め、会議室にいた皆が新国家ハワイを賛同し、再び拍手の音で場を賑やかにした。
拍手が収まり、新しい風に吹かれた会議室は緊張と高揚感に包まれ、そこへセボニャンが「おほん」と一つ咳払いをした。
「──では、後は若い者たちだけで会議を進めなさい。年長者だからという理由だけで議長を任されるのは大変遺憾である」と言い出し、セボニャンが持っていた紙束をジュディスへ投げて寄越した。
「いや何で私なの!」
「この私に突っ込みを入れられるぐらいの胆力があるのなら議長だってできるだろう。──では失礼させてもらうよ、これからの時代は君たちの物だ、私たち古い人間の物ではないよ」
セボニャンにしては長い台詞を吐き、後はさっさと会議室から出て行ってしまった。
突然議長を任されたジュディスが参列者へ「はい!はい!」と議題が書かれた紙を渡し、「皆んなでやりましょう!」と言い出した。
その紙は新都を代表するダルシアンの手元にも配られた。
なんか言いたそうにしていたダルシアンに向かってジュディスが、
「ジュヴキャッチとの間に確執だが因縁だかがあるのは知っていますけど、そういうのは後にしてくだい。あなたもその正装に袖を通してこの場に参列しているわけですから、ハワイの為に尽力してください」と言い切った。
言い切られたダルシアンが「う、うむ」と返し、会議が続けられた。
(情けない…私が目指していた世界をこの若者たちが──はあ〜この場でいるだけで恥ずかしい…)
というかバベルは?あいつは何処へ行ったんだ?
(散々敵対してきたというのに、輪の中に入れてもらうこの屈辱…しかし──しかし!どうしようもない、この流れに逆らう事はできん…)
ダルシアンが面を下げながら、会議室内にいる他の人たちにあまり見られぬよう、さっ!と見回した。やはりバベルの姿がない。
(何処へ行ったんだ奴は──!!)
その際、一番目を合わしたくなかった相手と合ってしまった。その相手というのがナディ・サーストンである。
彼から右斜め前に座っていた彼女が、目が合った時に小さくお辞儀をしてきた。
(あいつ頭おかしいんじゃないのか、私が昔何をしたのかもう忘れたのか?)
そして、その隣に座っていたライラ・サーストンとも目が合ってしまい、ダルシアンは視線上の戦場から早々に退散を余儀なくされていた。
ライラ・サーストン。大災害後のウルフラグを復興へ導いた立役者とされ、ジュヴキャッチ内でも大いに注目を集めていた人物。それからレガトゥムへ渡り、奇跡的に帰還を果たした人物でもある。
数ヶ月前までは枯れ木のような女だったが今は違う、ダルシアンはオーラだけでここまで人を圧倒するのかと、見る度に恐れを抱いていた。
何よりもあの瞳だ、七色に光る瞳はおよそ生身の人間とは思えない。本人の美貌もさることながら、その性格もさることながらその全てを象徴するかのようなあの瞳。恐ろしく──そして美しかった。
──それを手にしたナディ・サーストンがダルシアンにとって一番の恐怖だった。逆立ちしたって彼女に逆らうことはないだろう。というか普通に無理。
(年貢の納め時か…どうやら死に場所を逃したようだ…)
ふうとダルシアンが重たく息を吐き、机の上に乗せていた議案書が微かに動いた。
けれど、悪い事ばかりではない。
ダルシアンがうだうだと考え事をしている間に、議会進行役がジュディスからドレッドヘア姿の女性に変わっていた。彼女の名前はレセタという。
「新都から移住してきた人たちの振り分けは大方終わったわ。けれど快く思っていない人たちがまだまだいるみたいで、この議会に何とかしてほしいって要望が届いてる」
新都での生活は息詰まりを見せていた、市民たちの機星教軍に対する忠誠心も底を突きかけており、ダルシアンにとって悩みの種であった。
だが、ラフトポートが新都の受け入れを決定し、その悩みの種が綺麗さっぱりと無くなったのである。
敵対していたはずなのに、この円環会議に集ったメンバーたちは針の筵に座らされている新都の市民たちに心を配り、まるで自分の事のように悩んでいる。仲を深めるための催し物を次から次へと提案していた。
ダルシアンは焦った、新都を代表している自分を置いてけぼりにして議論が白熱してしまっている。このままではさすがにまずいと思い、彼がちょー遠慮しながら発言した。
「あっ、その〜…少しいいだろうか」
マキナを含めた全員がダルシアンに視線を集中させた。その視線の多さに彼は胃が締め付けられるような思いを味わった。
「さすがにいきなり和解することは難しいように思う、ラフトポートもそうだが新都にも家族を失った者たちがいる。こういった事は時間をかけてゆっくりと──」それみたことかと、ダルシアンは思った。案の定、ジュヴキャッチのリーダーが噛み付いてきた。
「誰のせいだと思っているんだ?ノラリスの件から始まり、強奪を目的とした侵攻を仕掛けてきたのはお前たちだろうに」
「それは分かっている、だがお前たちのやり方は些か急だ。──私がここに馴染めていないように、新都の民もここに馴染むための時間が必要なんだ」
「──それもそうね、あんたの言う通りだと思うわ「…ちょっとジュディスちゃん!歳上に向かって何て口の聞き方「じゃ、ラフトポートと新都の架け橋役はあなたに任せていいかしら?」
「──え」
「いいわよね?そこら辺のデリケートな部分は私たちには分からないもの、ましてや隣国だった相手にとやかく言われても良い気持ちはしないだろうし」
「ま、まあ…私でよければ…「はいオッケー。じゃあ次は…」
(ええ〜うそ〜んそんなあっさり私に役目を与えるのか…?私の理解が追い付いていないだけなのか…?ニューノーマルとは随分と柔らかいんだな…)
仲間に入れてもらったものの、てっきり仲間外れにされると思っていたダルシアンは肩透かしを食らったような、若者たちの柔軟さに目を白黒させるような、とにかく価値観の違いに面食らいながら会議を続けたのであった。
*
ヴァルヴエンドから出航した三隻の飛行艦がアジア大陸を渡り、北太平洋に入った。雲の下に隠れていた大地が青い海へと変わり、エラム級航空母艦の客室から外を眺めていたミーティアが、不機嫌そうにはっと息を吐いた。
(どうしてこの私がこんな遠征に…)
彼女が乗船している飛行艦の前にはべヒストゥン級護衛艦が二隻先行していた。エンジンの青白いアフターバーナーが線を引くようにして空に残り、彼女は外の景色からその残光に視線を変えた。
彼女は伝説の歌姫である。数々の戦場を渡り、その声で兵士たちを鼓舞し、勝利へと導いてきた。
先日の戦いでも、彼女が所属する『ブリッジホープ』の歌声がユニバースへ轟き、ヴァルヴエンドを危機から救っていた。
だが、ミーティアは先日の戦いで亡くした妹の事をまだ引きずっている、決して派遣部隊に付いて行くような心境ではなかった。
しかし、状況が彼女の休息を許さなかった。
第三テンペスト・シリンダーから二つの流星が地球の大空へ飛び出してきた。あってはならない事態に星管連盟がヴァルヴエンドの軍へ出動要請を下し、それを軍が受理した。せっかく甚大な被害を出しながら街を救ったというのに、これでは元の木阿弥だった、だから彼女も軍の要請に応え、こうして第三テンペスト・シリンダーへ向かっていた。
(セブンス・マザーの出所を調べる…私は歌う者であって探偵ではない──だけど…)
空に輝く七つの色。この世のものとは思えない七色の瞬き。
彼女はその輝きに目を奪われた──いや、ヴァルヴエンドに住む者たちが等しく心を奪われた。
セブンス・マザー。未知の超常現象。ヴァルヴエンドの学者たちにも説明できない地球の輝き。
その秘密がマリーンにある。彼女たちはそのように考えていた。
「ホクレレ…あなたまで死ぬ必要はなかったというのに──」
母なる地球が見せた七日間の奇跡、その光りの中に亡くなった妹の魂も還ったと、ミーティアはそう考えていた。
先行していた護衛艦が雲の中に突入し、ミーティアが乗船する空母もそれに続いた。一面白く煙たい世界に変わってしまい、ミーティアは窓の外から視線を外した。
彼女の口から重い溜め息が吐かれ、ある名前を呟いた。
「──アンジュ」
アンジュ・ハイゼッタ。ブリッジホープが指定した、専属の導歌曲芸飛行部隊に所属していたパイロットの名前である。また、彼女の妹であり同部隊に所属していたホクレレの恋人でもあった女性。──そして、ミーティアにとって忘れ難い友人だった。
何故なら、アンジュと喧嘩別れをしていたからだった。
周囲から居丈高と言われ、「たまにはごめんなさいと口にしたらどうなの!」と言われるほど自信家の彼女でも、アンジュの死は深く、また重たい杭となって胸に刺さっていた。
(どうして私はあの時あんな事を…歌が届くかも分からない、あの宇宙へ行くと知りながら…)
アンジュ・ハイゼッタのみならず先日出撃した部隊は全て未帰還、全員の死亡が確認されていた。
その命を引き換えにしてステージへ上がったからだった。
だから──母なる地球が奇跡を起こしたのだと、ミーティア・グランデはそのように考えていた。
*
セブンス・マザーを引き起こした本人にその自覚は全くなく、会議が終わったナディは人の目から逃れるようにしてその場を後にしていた。
木目が入った安っぽい扉を開けて外へ出る、廊下はひっそりと静まり返っており人の姿はなかった。
(──ほっ…)
音を立てないようにそっと扉を閉める──が、すぐに内側から開けられた。
ナディの跡を追いかけてきたウィゴーだ。
「──ああ、びっくりした」
「ちょ、ナディちゃん?もう帰っちゃうの?この後皆んなで親睦パーティーをしようかって話になってるんだけど」
「無理無理無理無理。せっかくライラを生贄にして出て来たのに」
「それでも恋人なの…」
ウィゴーが後ろ手に扉を閉めてナディを見下ろす。絶世の美貌と人の目を惹く髪をした彼女の眉が困ったように下げられていた。
「直帰する感じ?」
「え、うん、まあ…家に帰るつもり」
「なら僕が送るよ。それくらいは良いでしょ?」
「うん、まあ」とナディが困った笑みを浮かべたまま了承し、ウィゴーが先に歩き出した。
この二人は同じ部隊にいるのでよく顔を合わせる、そのせいもあって早い段階でわだかまりが解消されていた。
けれど他の人は違った、ナディにとってラフトポートにいる人々は皆『謝罪対象』であり、歩いているだけで気を遣う存在だった。
誰もいない、秋らしい空気に包まれた廊下を歩く。冷んやりとした風が開け放った窓から入り込み、二人の頬を撫でていく。
ちょっと気まずい空気に耐えかねたナディがウィゴーに話しかけた。
「フレアとカゲリちゃんは船?」
「うん?そうだよ、今日は当番の日だからね。まあ、あの二人なら大丈夫でしょ」
ウィゴー班のメンバーは五人編成である。ウィゴー、マカナ、ナディ、それから、ヴァルキュリアの助力もあって改良されたスカイシップ改め、『レイヴン』と名付けられた彼らの飛行空母に詰めているフレアとカゲリだ。
困ったように下がっていたナディの眉が徐々に持ち上がり始め、ここにはいない妹のことを想った。
「本当に大丈夫なの?カゲリちゃんってフレアのこと遠ざけてるよね」
「そうは言っても当番なんだから仕方がないよ。それにあの二人は連携が上手に取れているからね、どこかのスカイダンサーと違って先走ったりしないし」
「マカナはあれで自信家だからね〜」
(えーまさかの自覚なし?)
到着したエレベーターに二人が乗り込み、二人は雑談を交わしながらビルを後にした。
*
ラフトポート軍港。彼らの母船はそのまま残り、その周囲にいくつもの船が停泊できる桟橋が設けられ、何なら地対空砲も複数構えており、何なら司令塔もにょきっと生えるほどちょー進化を遂げていた。
母船の傍に建った司令塔を囲うようにぐるりと軍港が栄え、秋の柔らかい陽射しに照らされている。薄い桃色の空の下、銀に輝くラフトポートの防衛線、ここまで拡張した理由は全て外敵に対する為だった。
レイヴンのブリッジに詰めているカゲリは退屈そうにしながら艦長席にぐて〜っと座っていた。
「暇にゃん」
ブリッジ内には他にも複数の管制官が詰めている、その管制官らはカゲリのにゃん言を無視して業務に集中していた。
カゲリが座る艦長席からでもピンク色に染まった空が見える。空気中のナノマシンが開花し空を染め上げた時は「この世の終わりだ!」と騒いだものだが、今となってはもう慣れた。発情期を迎えた雲が空を飛んでる、と思えばどうということはない。
「──いや、発情期はピンクではなく紫色かな──にゃ〜ん、にゃ〜ん──そういえばマリサって人は?あの人年中発情期みたいな色してたよね」
カゲリのにゃん言に耐えかねた一人の管制官が彼女に答えた。
「ヒイラギという人と一緒じゃないの?確かパートナーとか言ってたよね」
「あ〜あの子供に飼われてる駄目人間の極地にいるような人か。あの人ってスミスって人とも恋人なんでしょ、凄いねウルフラグ人、貞操観念がまるでない」
「いや、ウルフラグという括りはやめてほしいんだけど…」ちなこの人も同郷である。
雑談を交わしていた管制官が別の人から「仕事しろ」と嗜まれ、そそくさと自分の席へ戻っていった。
またしても暇になったカゲリがにゃんにゃんにゃんにゃん言い始め、「暇は人を駄目にする!」と叫んだ時、ブリッジにフレアが入って来た。
「何が駄目にするの?」
「──え、いえ、何でもありません」
「ブリッジから猫の鳴き声が聞こえてきたんだけど、もしかして中に入ってる?」
「え、いえ、猫はいません」
何人かの管制官がカゲリの返事にくすくすと笑みを溢す。
ついさっきまでぐてぐてしていたカゲリはまるで出来の良い下士官のようにビシっ!と直立し、目線は天井に固定して受け答えをしていた。
フレア・ウォーカー。カゲリも受けたことがあるヴァルキュリアの育成課程をたった一月(一月!!)で修了した化け物パイロット、本土にいる教官たちも「これ以上教える事がない」とフレアをラフトポートへ追い返す始末だった。
フレアは天才だった、紛うことなく天賦の才を持つ、鋼鉄の天使に愛されたパイロット。神様だって「ちょっとやり過ぎたわ」と反省しているに違いない、それほどまでに操縦技能の習得スピードがマヂありえんてぃだった。
まあ、だから、というわけでもないがカゲリはフレアの事がちょー苦手だった。なんかもう全体的に無理?みたいな、局所的だったらまあなんとかってレベル、でも基本的に無理なのは変わらない。
(この人冗談が通じないからな〜フラン様みたいにすぐ突っ込んでくれるわけじゃないからやり難い)
とにかくカゲリはフレアと馬が合わず、苦手を意識を持っていた。
二人は当番に当たっていたので共にパイロットスーツ姿である。カゲリはきゅっ、きゅっ、きゅっ、とスポーティーな体付きをしているがフレアは違う。まさしくぼんっ、きゅっ、ぼんっである。男女問わずパイロットスーツを着用したフレアは人の目を惹きつけさせていた。
艦長席でにゃんにゃんしていたカゲリが、しゅば!っと立ったのを目撃していたフレアが彼女に訊ねた。
「どこに行こうとしてたの?」
「あ、いえ、エクレアを摘みに…」
「…………」
(あ、しまったついいつもの癖で冗談を)
「カウネナナイにはそういう花があるの?」
(なんでやねん!エクレアはお菓子だわ!)──ああ、いえ…トイレに…」
「分かった」
あははは、なんて苦笑いをしながらカゲリがブリッジから出て、本人は知る由もないが以前と比べて随分と広くなった艦内廊下を歩く。
配線や配管をきちんと壁や天井の中に隠し、余裕を持って人とすれ違えるほど広い廊下を暫く歩いた後、カゲリが(´Д` )ぶあ〜と息を吐いた。
「もうやだなんなのあの人ガチでやりづらいんだけど。ナディ様の妹だから容赦してあげてるけど」
廊下は綺麗になった、けれどおトイレは配管剥き出しのどこの工事現場やねんみたいな所だ。そこでカゲリはオリジンの二人と出会した。
「──お、カゲリちゃんじゃん」
「ちわです」
「こんにちはぐらい言えないのか」
アヤメとナツメ、彼女たちも友情出演としてラフトポートの軍港に籍を置き、日々業務に就いていた。
欲しかった突っ込みをようやく貰えたカゲリが「そうそう、そういうのが欲しかったんですよ」と言った。
「何の話?」
「いや実はですね──」
カゲリがフレアの話をすると、アヤメとナツメが暗い過去を思い出したかのように渋い顔付きになった。
「フレアちゃんね〜…」
「あの子ね〜…」
「何ですか、何かあったんですか?」
「いやあの子、化け物じゃん、その実力を見せられてコテンパンにやられたというか…」
「簡単に言えば自信を失くしたんだよ私たち」
「自信持ってたんですか?フラン様にボコボコにやられたのに?」
※用を足しながら三人はずっと会話をしている。
カゲリの暴言にナツメが個室の扉をバコン!と叩いた。
「こわ」
「お前はほんとに口が悪いな「お菓子をくれたらすぐ良くなりますよ「ほんと君って冗談ばっかり言うよね「いいえ真実です」
用を足し終えた三人が手を洗ってぴ!ぴ!とし、トイレから出てきた所で仕事の合図が鳴った。
アラート。マリーンの外からまたしても敵がやって来たのだ。
「まーた、ほんと懲りない…」
「じゃ、私たちは街の防衛に入るからカゲリちゃんよろしくね〜」
「しっかりしろよ」
「カツラ被ってる人にそんな事言われたくない」
「?!?!」
ナツメが自分の頭を両手で触り、短くてさっぱりとした髪を弄っている。
「いやバレていないとでも?たまに襟足出てますよ」
なんかモジモジし始めたナツメの口が文句を言おうかとモニョモニョし結局、
「──しっかりしろよ!!」
と、ナツメがそう言い、アヤメと一緒にその場から離れて行った。
(というか、あの二人いつまでここにいるんだろ、もう用事は無いはずだよね?)
カゲリも自分の機体へ向かうべく、彼女たちとは反対の方へ歩き出した。
*
静謐に満ちた北太平洋を渡り、絶海の中に佇む超巨大建築物を初めて目の当たりにしたミーティアはしばし言葉を失い、それから派遣部隊のデブリーフィングに参加した。
自室の椅子に腰を下ろしてガイドカメラに視線を合わせる。接続用ビームが照射され、網膜を通り抜けて神経系を通る電気パルスと繋がった。
「もう会議は始まっているかしら」
殺風景な士官室の景色が一瞬で変わり、彼女の視界に軍服姿の男性が現れた。その男性が「あなたをお待ちしていました」と発言し、失礼にならない程度に軽く目礼した。
「海の中に佇む姿に見惚れていたわ、過酷な自然の中でも人の強さがそこにあった。とても良い景色だったわ」
「そうですか。──すぐに始まります」
遅れてごめんなさいと言えよと思いながら、その男性が待機している上官たちへ連絡を取り、すぐに他の人たちも姿を見せた。
仮想会議室の場所はアクセスする度に切り替わる、前回はライブ会場だったが今回は赤道上エレベーターのハンガーだった。
本作戦の指揮を取る艦長が早々に口を開いた、彼の背後には恐れを抱くほど大きなかなとこ雲があった。
「もう間も無くマリーンへ到着する、露払いをさせている先遣隊から現地のマキナとコンタクトが取れたと連絡があった、今度こそ無傷で潜入できるだろう」
「本当に大丈夫なの?スカイルビッシュは?」
『スカイルビッシュ』とは、ナディが駆るノラリスに付いた二つ名である。他には『角付き』、『板付き』、『空汚し』などなど。
ナディの戦闘能力は彼らヴァルヴエンドの者たちを大いに困らせ、そして恐怖に陥れていた。
「今回の目的は戦闘ではない──あなただ、伝説の歌姫よ」
ミーティアが綺麗な眉を顰めて自分の顔を指差した。
「私?ソロで歌えって?」
「違う、あなたには交渉の場に立ってもらいたい。我々はマリーンの住人たちを懐柔しに来たのだ、宥和的と言っても良い」
「向こうが立つの?今日まで何度も戦ってきた相手なのに?」
「そうなるようこちらで仕組んだ──レポートを読んでいないのか?事前に周知した内容のはずなんだが…」
「興味がなかったから目を通していないわ」
「………」
これは駄目だ、と艦長が小さく被りを振った。
呆れられているというのにミーティアは全く気にした様子を見せず微笑んだ。
「向こうの人と話ができるのね、それはそれで楽しみだわ」
「…………」
伝説と謳われるだけの彼女だ、会議に遅れるわレポートを読んでいないわ、そんな苛立ちすら掻き消してしまうほどの笑顔で艦長たちを魅了した。
程なくして三隻の船がマリーン上空に到着し、ゆっくりと降下していった。タイタニスによって建造されたアメリカ方面のテンペスト・シリンダー、その天井部には穴が空けられ黒い空間を覗かせている。本来であれば即座に修理される状態だが、状況が大きく異なっていた。『第四次懸念事項』として星管連盟が認定し、ヴァルヴエンドの介入が決定したのだ。
穴の周囲に立てられたビーコンに従い、三隻の船が内部へ進入する。まるで排水口の中へ入っていくようだ、青と赤の誘導灯が薄暗い筒の中へと続いていた。壁面にはどろっとした水垢の汚れではなく、夥しい数のケーブルがあった。水垢に塗れた人の髪の毛に見えなくもない、見ていて気分が良くなるような景色ではなかった。
三隻の船が順調に降下を続け、先頭にいた護衛艦が穴を抜け出した時、先遣隊から通信が入った。
「お疲れ様です。IFFの偽装は完了しています、出動した現地の部隊が撤退を開始しました」
「よろしい。では、手筈通りに合流ポイントへ」
「了解」
通信を終えた護衛艦艦長が窓の外へ視線を向ける、そこには今まで見たことがない景色が広がっていた。
「──本当に汚い空だ」
青い空間に揺蕩う桃色の雲。遠くに煙っている空は青色と桃色が混同し、現実の世界とは思えない空模様になっていた。
こうして、ヴァルヴエンドの派遣部隊が労せずマリーン内へ侵入し、会談の場を設けるべく準備に入った。
その準備を手伝ったのが、バベルとゼウスの二人だった。
※次回2023/12/30 20:00 年内最後の更新です。




