TRACK 35
ブロークン・アストラル
人々の手にネットが戻ったウルフラグの街は様変わりを果たしていた。
まず、お店で物品を買う機会がぐっと減り、代わりにラハムが良く空を飛ぶようになっていた。
ネット販売である。『RAHAZON』という新企業が物品販売から輸送を担い、一気にその名を人々に認知させた。
また、輸送するドローンもお喋りであることから利用者に愛され、リピーターが後を絶たなかった。
次に、数少ない市場には自然栽培された野菜や果物が出現するようになり、ネット通販が再び最盛期を迎えた街でも人の通りが極端に途絶えることがなかった。
ネットの力である。『イカダの上でも作れる野菜 果物』という検索ワードが常に上位を占め、また、動画投稿サイトでは作り方を一からレクチャーする物や失敗例などを紹介したものが再生数を稼ぎ、趣味と実益が見事に合致した動画で溢れ返っていた。
そんな様変わりをした街を、重体から何とか歩ける程度にまで回復したジュディスが行く。空は常にラハムが行き交い、人々は手にした携帯を見やりながら道を行き交う。五年前にあった景色、そして新しく追加された景色がそこにあった。
彼女はゆっくりとした速度で歩き、一つのビルの前で立ち止まった。ポケットに入れていた携帯を取り出しコールする、相手は元総団長のライラだ。
「…………駄目ね、やっぱり出ない」
繋がらなかったので携帯をポケットにしまい、ビルの中へ入った。
レイヴンと陸師府もこの数日間で随分と様変わりした、いや、半ば解体されたと言ってよい。
ライラ・サーストン(偽)を話し合いの場で射殺したとし、陸師府は市民たちから猛抗議を受けて組織を解体。また、レイヴンも総団長を失った事により空中分解しかかっており、統率者を失ったレイヴン兵士たちは散り散りになっていた。
それでも街は回っている、監視、抑止力としてのレイヴンたちが居なくとも街の人たちは何ら困る事なく、寧ろ自発的に動いて活性化に尽力していた。
ライラが言った通りである、ネットを手にした人々がもはや組織の言う事などに耳を傾ける必要もなく、また頼る必要もない。
ビルの中、良く掃除されて綺麗な階段を上ったジュディスが街を見やった。薄雲に覆われた青空の下、ラハムたちが行き交い人々の喧騒が耳に届く。
窓の外から視線を外し、ライラが私室として使っている部屋を目指した。ここは五年前までホテルとして使用されていたビルである、足元は絨毯で覆われ足音が一つも響かない、廊下の途中には椅子などの贅沢品も置かれ、そこはかとなく高級感を演出していた。
ジュディスが部屋の前に立ち、扉をノックした。
「ライラ!いるんでしょ?もう準備が整ったわ、ホワイトウォールへ行きましょう」
しんとした静けさしか返って来ない。もう一度扉をノックする。ん?と思いドアノブを捻ると──
「──おらんやんけ!!あいつ!!」
ジュディスがすぐさま電話をかけた。相手は元ユーサ港付近の街で出航準備を進めていたフレアである。
「フレア!ライラがいないわ!」
「ええ?!どうして?──まさか!」
「そうよ!あいつ一人で行ったんだわ!大人しく寝ておけって言ったのに!──ラハムに応援を頼んで探させて!こっちでも探させるから!」
「わ、分かりました!」
ライラは怪我こそしていなかったが酷い精神状態だった。度重なる疲労とヴォルター・クーラントの死によって精神を大いに病み、とてもではないがホワイトウォールへ突入できる状態ではなかった。
だからジュディスはオールグリーズのメンバーを一旦引き返させ、この街で休息を取らせていたのだ。それがこうして姿を消している、単身でホワイトウォールへ向かったとしか思えなかった。
通話を終えたジュディスが付近を飛んでいた適当なラハムを捕まえ、ライラ捜索の依頼を出した。
「ご利用ありがとうございます〜!」
「──まさかシルキー取るつもりじゃないわよね…?誰のお陰で今のあんたたちがあると思ってんの…?」
ジュディスの脅迫に屈したラハムが、
「い、いつもご、ご贔屓にしてもらっていますので無料で結構です〜!」うわああん!と泣きながら飛び立ち、その後RAHAZON社所有の基地で待機していた一部のラハムたちがウルフラグの空へ散っていった。
結果は発見できず、けれど元ユーサ港の街でライラの目撃情報が上げられた。ジュディスの予想通り一隻の船に乗って出航した後だったらしい。
ジュディスたちもライラの跡を追うようにして、ホワイトウォールへ向かっていった。
*
嵐が去った。ラフトポートの空は青空の手に戻り、晴れやかに広がっている。
突如として侵攻を開始してきた新都の軍はクジラの暴動、並びにガングニール・オリジナルとダンタリオン・マッドの加勢を前にして撤退し、ラフトポートの海から去っていた。
そして、アネラ・マルレーンというナディたちの親友もまた、この世から去っていた。
「…………」
危機が去ったメインポートは喧騒に包まれている、まるでアネラの死に無関心であるように。アネラを知る人たちは鎮痛な面持ちで口を閉ざしているばかりだった。
「…………」
ナディは未だに信じ切れていない、アネラが亡くなったことに、どうして自分の傍にいないのか不思議で堪らなかった。
『アネラは死んだ』と、自分に言い聞かせた時、目から涙が溢れてきた。
「……あぁっ」
その涙を許せない者がいた。
アネラのもう一人の親友である、マカナだった。彼女は新しい機体が手元に届くのを待っていた、けれど、遅かった。
「…何でナディが泣くの?ヴィスタは泣いていないのに、どうしてナディが泣くの?──どうして敵を撃たなかったのよ!!」
彼女はその時の状況をウィゴーから聞いていた。
「ナディが撃っていたらアネラは死ななかった!!──あんたがアネラを見殺しにしたようなものよ!!」
「──違う!!「違わない!!躊躇ったからアネラは死んだの!!もう二度と帰って来ないのよ!!」そこでマカナも涙を溢れさせた、「せっかく再会できたのに…また三人一緒になれたのに…どうして…」
ナディは石のように重たくなった体を無理やり動かし、その場から離れた。周りからの視線が銃弾よりも痛く感じられたからだ。
ナディがメインポートから離れた後、ヴィスタがマカナの頬に平手打ちを一つだけ見舞った。
「………」
「………」
乾いた音がポートにこだまする、その一瞬だけ静かになるが、すぐに喧騒が戻った。
ヴィスタが言う。
「今のが友に向かって言う言葉か」
「──でも!!あんただって悔しくないの?!アネラが死んだのよ?!仲直りだってまだしてなかったんでしょ?!」
ヴィスタが厳かに言う。
「人の死は唐突だ、別れは突然やって来る。そして人間はその事を忘れ、大事な事をいつも先延ばしにする。──お前の言う通りだ、仲直りはおろかまともに会話すらできていなかった」
「なら!!「──だからと言って彼女に八つ当たりするのは止めろ!!アネラを目の前で失ったのは彼女なんだぞ?!呑気に島へ戻っていたお前にその悲しみが分かるのか?!」
マカナが強く歯噛みをし、出かかっていた言葉をぐっと飲み込んだ。
彼女もまたナディと同様にひどく取り乱していた、人のせいにして環境のせいにして、自身へ対する怒りから逃げていた。
ヴィスタの言う通りである、あの時三胴船に戻らず、新しい機体を取りに行くと判断したのはマカナ本人である。
それが堪らなく悔しくて、自分でも頭がおかしくなりそうになっていた。
マカナの顔が涙と怒りでひどい有り様になっている、それでもヴィスタが彼女の背中を押した。
「傍にいてやれ、人を失った悲しみは一人で癒せるものじゃない」
「でも…私…」
「まだ任務が残っているのだろう?仕事はこなせ、いいな?」
「………」
マカナもポートから去り、ヴィスタは妹が所属していた班の長を務めていた男と向き合った。
ウィゴーはそこに静かに佇んでいた。
「弁明は?」
「…無いよ、未熟な二人に任せたのは僕の誤った判断だ」
ウィゴーは誤解していた、ナディたち三人の連携が高いばかりに、瀕死になった敵なら簡単に墜とせるだろう、と。
「その誤った判断の代価が妹の命だ」
「…………」
「お前が泣く事だけはこの俺が絶対に許さない。いいな?」
「………っ」
ヴィスタの凄みに当てられたウィゴーは流しかけていた涙を引っ込め、それからポートで一人っきりになった途端、自分の頬を己の拳で殴りつけていた。
◇
重い足取りはいくら動かしても変わらず、皆んなの前から去ったナディは、気が付けば家の前に立っていた。
三人で使っていた家だ。五年の眠りから覚め、我が家として三人で使っていた家。
中へ入ろうかと手を伸ばすが、アネラの存在を少しでも感じたらまた涙が溢れてしまいそうだったので、ナディはゆっくりとその手を下ろしていた。
どうにもならない、人を失った心の穴は絶対に埋まらない、ナディは初めて経験したはずなのに、その事を良く理解していた。
「ここに居たか、カルティアンの娘よ」
彼女に声をかけたのはセバスチャンだ、自分の懐から徐に一枚の下着を取り出し、「か、返そうか?い、一度も使っておらんから綺麗なままだぞ?」とおどけてみせるが、ナディは怒りも笑いもしなかった。
セバスチャンが真剣な顔つきになって言う。
「アネラが死んだそうだな、皆から聞いた」
「…あなたも私を責めに来たんですか?」
「まさか」とセバスチャンが寂しげに笑う、「私も、言うなればお前さんと同類だよ。私も妻を失った、愛する妻に庇われて私は生きている」
「…そう、なんですか?」
「ああ。カルティアンの娘よ、人は死ぬ、呆気なく死ぬ、死別は経験しない限りその唐突の別れを理解することはできない。人はそうやって強くなっていく」
慰めとも取れるセバスチャンの言葉にナディはまた目頭を熱くし、本当は嫌だったけどこの変態爺さんの前で涙を流した。
「だが、私は往生際の悪い男でな、ヒルダにもう一度会う為にこの世界を壊そうとした」
ナディはその言葉を良く理解した、確かにそうだと、もしアネラが戻って来るのなら、世界だって敵に回せそうな気がした。
静かに涙するナディを見つめながら、老人がこう言った。
「──かの世界、人の魂が電子化され保存された世界、この世界の真実。名をガーデン・セル」
「がーでん…せる?」
「そうさ、そこに行けばヒルダともう一度会える、会って何ができるかも検討もつかぬが、きちんとお別れのセッ──挨拶ぐらいはできるだろうと思うてな」
(がーでん…せる…そこに行けばアネラに会える…)
くそ馬鹿げた事を言いかけたセバスチャンが人の気配を感じて背後へ振り返った、そこには滂沱の跡を残したマカナが立っていた。
引き際だと悟り、セバスチャンが「この娘に返しておいてくれ」と下着をマカナへ投げして寄越し、さっさと去って行った。
家の前で見つめ合うナディとマカナ。親友を失った者同士が無言で見つめ合う。
ナディが目元を乱暴に拭った。
「──なに、また怒りに来たの?」
「どうして泣くのを止めるの…?」
「マカナが言ったんでしょ、私のせいでアネラが死んだって」
「ごめん…私も、あの時島へ戻るんじゃなかったって後悔してる…だから八つ当たりした…」
「何で今さらそんな事──」
「ほんと、ごめんね」
引っ込めたはずの涙がまたすぐに出てきた、ナディは顔を俯け、マカナにそっと抱き締められた。
それから二人はウィゴーが迎えに来るまでの間、三人で一緒に過ごした家の前で泣き続けていた。
*
ウルフラグの市民たちが野菜や果物の栽培に手を出したのは、何もネットが戻ってきたからではない、ホワイトウォール周辺に生息していた奴らの姿が忽然として消えたからだった。
シルキー不足が懸念され、このままではいずれ底を突いてしまうとネットでも予測されるようになり、来る食糧難に備えて野菜などの栽培を開始していたのだ。
その海を、奴らが居なくなった絶海を進んで行く一つの船があった。乗っているのはライラただ一人、船を操縦しているのはアタラシだった。
「おいお前さん…本当に一人で行くつもなのか?」
「にゃ〜う〜」
「危険ですよ、サーストンさん。せめて仲間の人たちが来るのを待つのが…」
そして、アタラシと共に乗船していたのはお隣さんで動物好きなルインという女性と、そのルインの傍を片時も離れようとしない少し足が悪い猫だった。
「いいえ大丈夫です、ただ抜けるだけですから」
「抜けたところでどうするんだ?」
ライラは一つのバックバッグを背負っており、その中から一体のドローンを取り出した、ラハムではない、ラハムはシルキーがかかる。
「こいつを付近の街まで飛ばします、そうすれば向こうもホワイトウォールの異変に気付くでしょう」
「いやでも…」ライラの算段はあまりに向こう見ずだ、とても成功するとは思えない。
それに何よりライラの顔色が酷かった、まるでゾンビのようだと、アタラシは思った。
(何が一体そこまでそうさせるのか…)
程なくして船がホワイトウォールの絶壁前に差しかかり、既に事前調査として派遣されていた船団が見えてきた。崩壊がひと段落したホワイトウォールの山裾には足場が組まれ、中を調査する人たちの道として利用されていた。今もヘッドライトを装着した一段が足場を通り、ホワイトウォールの中へ入って行くところだった。
「それに彼らもいますから、あの人たちと共に向かいます」
「そ、それならいいが…」
「にゃ〜う〜にゃ〜う〜」
その猫はライラのことを心配でもしているのか、執拗に自分の体を足に擦り付けていた。
ライラがゆっくりとしゃがみ、「大丈夫だからね」と頭をひと撫でした後、立ち上がったがよろめいてしまった。
「サーストンさん──「大丈夫ですから、心配は要りません」
二人と一匹の心配を振り切り、ライラは到着したホワイトウォールへ降りて行った。
*
流した涙の量が一目で分かる程、顔を赤く晴らした三人がウィゴーの自宅に集まっていた。
「…良し、仕事はまだ残ってる、今からホワイトウォールへ行って取る物取ったらすぐに帰る。いいね?」
声を出せばまた涙が出てきそうだったので、ナディとマカナはこくりと頷いただけだった。
「それと一つ言わなくちゃいけない事がある、アネラちゃんを失ったのは僕のせいでもある。僕は君たちを過信していた、けれど戦場に慣れているのはマカナちゃんだけだった、だから今度から二度とあんな真似はしない」
「…分かった」
「…それで良いと思う」
「それから、班員の補充はしない、僕が断った、それもいいね?暫くは三人で仕事をこなすよ」
「分かった」
「いいよ」
「──良し!それじゃあ行こうか、モンローに連絡を入れてくるよ」
ウィゴーはそう明るく声を出すが瞳にはまだまだ涙が残っている。
そんな気が弱いはずの大男を見送った後、マカナはナディに話しかけていた。
「向こうに渡らなくていいの?」
「え?それはどういう…」
「ウルフラグ、友達がいるんでしょ?それにフレアだっているし、会えるうちに会った方がいいよ」
何故、とまでは言わない、二人とも親友の死を受け入れたばかりだ、だから最後まで言わない。
「でも、いいのかな…向こうに渡るなんて一言も言ってこなかったし」
「別にいいでしょそれくらい、待たせておけば良いのよ」
「うんまあ…それなら…」
「私たちも行こう」
「うん」
二人も椅子から腰を上げ、床下に設置されている梯子を下りて行った。
ラフトポートに停泊していた三胴船とヘイムスクリングラの桟橋に、ホワイトウォールへ向かう一団が彼女たちの事を待っていた。その中にはラフトポートの姉御として、皆から信頼を集めているレセタも混じっていた。
レセタがナディたちの肩を叩いた。
「しっかりやんな、アネラは先に海へ還って一休みしているだけだよ。どうせあんたたちも海へ還るんだから、そん時にまたお喋りでもすればいいさ」
レセタの励ましは人の死に慣れているものだった、その分あけすけで、けれど重みがあるものだった。
マカナがはらりと涙を一つだけ溢し、それから「分かった」と言った。
ナディはレセタに向かって「行ってきます」と言った。
「ああ、あんたたちまで死んだら容赦しないからね、あの世で休めると思わないように」
レセタがにやりと笑いながらそう励まし、二人の背中をばしん!と叩いた。
たたらを踏むようにして二人が歩き出し、その二人をモンローが迎えた。
「マイハニーよ──「喋らないで」………」
こいつは一体どんな神経をしているんだ?ナディはそう思い、モンローを一言で切って捨てた。
切って捨てられたモンローは頭を─痒くもないのに─ガリガリと掻き、女漁りから帰って来たセバスチャンから「空気読め」と嗜まれていた。
「童貞野郎に女の事で諭される日が来るとはな」
「今は巫山戯て良い時ではない、今は黙って優しく抱き締める時だ。そうすればあの乳房の柔らかさも堪能できたというのに…勿体無い男だ」
「──確かに!お前賢いな!!」船へ向かったはずのナディたちがウィゴーを引き連れて戻って来た!
◇
「我が家臣よ、安心せい、アネラはお前さんらのことを恨んではおらぬ、この余が断言しよう」
「オーディンちゃん…」
「──きっともっと戦いたかったと悔やんでいるに違いない!その気持ち分かる分かるぞ!」と、あらぬ勘違いをしているオーディンの頭をディアボロスが叩いた。
「誰でも彼でもお前と一緒にするな、アネラは戦闘狂ではなかった」
「うむ!そうだった!──ウィゴーよ、お前さんが船を空けている間にあれこれとグレードアップをしたから「──またやったの?!どこいじったの!!「え!何でそんなに怒ってるの?!今回は真面目にやったのに!マカナの新しい機体は陸地では使用できないんだよ?!」
三胴船のブリッジに入るなり、オーディンが賑やかしく三人を迎えた。ウィゴーはオーディンの首根っこを掴み、「鎧が脱げるからその持ち方止めろ〜!」と、暴れる戦神と共に入って来たばかりのブリッジを後にした。
残った二人にディアボロスがクジラの件を報告した。
「あのクジラだが、また消息を絶った、今は行方知れずだ」
「あのクジラ──」ナディはあの時、勝手な真似をしてフォローしてくれた事を思い出して胸を痛めるが、ぐっと堪えて続きを話した。
「…あのクジラって一体何だったの?」
「分からない、だが、僕から見る限りではどうやらノウティリスに執着しているようだった。他の船へ興味は示さず、ひたすらノウティリスに接近していた」
「それって…どういう事なの?──確か、ナディがアンカーボルトを打って、それで急に動き出したんだよね?」
「うん、そうだけど…ノラリスはガングニールとダンタリオンが関係しているかも、とは言ってた」
「そうか…ダンタリオンに付着しているハフアモアと同じ物があのクジラにも付いていたかもしれないが…今となっては確かめようが無い。今はとにかくホワイトウォールへ向かおう、そこで何か分かるかもしれない」
それから程なくし、三胴船とヘイムスクリングラがラフトポートから出航した。
ホワイトウォールが無事だと知ったポートの住民たちは喜び、止めていたタスクを再開してポート作りに精を出していた、だからメインポートが騒がしかったのだ。
船が港を離れた後、ヘイムスクリングラからヘルフィヨトゥルがスルーズ・ナルーをその腹に抱えて飛び立った。マカナの機体を三胴船へ移すのだ。
その様子を甲板に出ていたナディたちが見上げている、空には紫色の大鷲が白い機体を抱えて飛んでいた、圧巻と言える光景だった。
「あれがマカナの新しい機体?」
「そう、波を意味するナルーを冠した機体、スルーズ・ナルー」
「何て言うか…怖そう」
「私もそう思う、純白さはもう欠片も残ってないよ」
特個体を大きく越える大鷲の姿もそうだが、空力抵抗を目的した鋭利なピラーがふんだんに使われている機体はどことなく悪者のような印象があった、故に怖い。
頭部のみならず、腕部や脚部にもピラーが装着されており、何より両足の側面から脹脛にかけて伸びる一対の羽が禍々しかった。
ヘルフィヨトゥルが高度を下げ、残り五〇メートルを切った時、まだまだ海面は先だというのにスルーズ・ナルーをリリースした。
「え!」
「まあ見てて」
落下してくるスルーズ・ナルーが脚部を下に向け、それから両足に伸びる一対の羽を足下に展開した。それはサーフボードであり、空中で展開して見事海の上に着水してみせた。
「は〜」
「あの機体は海上と空中戦に特化した機体で、ああやってサーフボードを収納したり展開したりする事ができるの。随分とトリッキーな機体だけどね」
スルーズ・ナルーの脚部には足の裏にまで伸びるレールがあった、サーフボードの収納と展開を目的した物だ、だから陸地では使用できない、レールが地面と機体の重さで歪んでしまうからだ。
空から海へ着水し、華麗、とまではいかなくとも波に乗っていたスルーズ・ナルーが三胴船の空間部分に吸い込まれていった。オーディンが追加した新たな水上カタパルトである、そこがスルーズ・ナルー専用のハンガー兼カタパルトだった。
「あれってオートパイロットも付いてるの?」
「ううん、誰かが乗ってるんじゃない?」
ナディたちは水上カタパルトへ向かった。
甲板から増設された渡り板の向こうには、痛みに耐えているかのように沈んだ顔をしているカゲリが、ヘルメットを脇に抱えて立っていた。彼女がスルーズ・ナルーの操縦を行なっていたのだ。
渡り板を通り、ナディたちがカゲリの前に立つと、「アネラ様の事は大変残念でした」と謝辞を述べた。
「うん…」
「私はこれからもあなた方に付いて行く所存です、何なりとご下命ください」
「ありがとう、心強いよ」
「つかれましてはお菓子などいただけたら──「何がつかれましてなの?」冗談を放ったカゲリの頭をナディが小突く。
「いえ、こういう事はきちんと報酬のやり取りをしないといけませんから。労働には対価を!馴れ合いは良くありません!」
「どうせモンローからも貰ってきたんでしょ?違うの?」
「…………」※頬っぺたにクリームを付けた状態で手をぶんぶんと振っている。
「──全く…あんたってほんと図太いわよね。いいわ、私の部屋に取りに来て」
いやっほ〜いとカゲリがマカナの跡に続き、取り残されたナディは水上カタパルトに駐機されたスルーズ・ナルーを見やった。
正義の味方には見えない機体を眺めていると、渡り板がぎしぎしと揺れる音がした。ナディが振り返ると、ラハムがびくりと体を震わせ足を止めていた。
「ラハム…」
ラハムの顔にも痛みがある。皆、アネラを失って痛みを抱えていた、それはマキナとて例外ではなかった。
「すみません…何と声をかけたら良いのか分からなくて…」
「いいよ、さっきまで取り乱してたし…」
「ラハムは、あんな機体を貰っておきながらアネラさんをお守りすることができませんでした…」
「それは船を守るようにって指示を受けていたからでしょ?でも、ありがとう」
「え…?それはどうして…お礼を言われるような事は何も…」
「ラハムも悲しんでくれているから、だからだよ」
「……ナディさ〜〜〜ん!!」
甘えん坊マキナは何処までいっても甘えん坊だ。ラハムはナディにしがみ付き、溜めていた涙を落としていた。
そうして、ナディたちはホワイトウォールへ到着した。
*
モンローはこの時初めてホワイトウォールを真近で目にしていた。
(あれが件の絶壁群か…白い、というよりただ反射して色を隠しているように見える…)
艦長席のモニターに映し出されたホワイトウォールの壁は、雑多な色に塗れてただ白く見えているだけ、モンローはそのように捉えていた。
スルーズ・ナルーの移送を終えたオハナと(頬っぺたにチョコを付けた)カゲリがブリッジに戻って来た。
「──ご苦労」
「私たちはどうするんですか?マカナ様たちの護衛でしょうか」
「いい、この船で待機だ、ホワイトウォールの周辺にはアーキアが大量に生息している──と、聞いていたが…」
「レーダーに反応はありませんよ?レーダーの見方も忘れたんですか?もう艦長辞めたらどうなんですか「渡したエクレアを返してもらうぞ「もう胃袋の中です。取れるものなら取ってみろ」
ああ止めろ〜!このセクハラモンロー!などとやり合っている所へセバスチャンがブリッジに入って来た。彼の数々の卑猥な言動を知る女性管制官らが即座に銃を構えた。
「ここまでひどい歓迎のされ方は初めてだ…「自業自得という言葉をその眉間に教えてあげましょうか?」(下着を盗まれた)管制官の一人が撃鉄を上げた。変態はそれを無視した。
「──モンロー、支度をしろ、お前さんも出るんだ」
「何故?」
「ハンガーに来い。来れば分かる」
「……?」
有無言わせぬ物言いにモンローは興味を惹かれブリッジを後にした。
「何があったんだ?」
「見れば分かると言ったろう」
「──それよりマイハニーの御神体は何処にある?まさか使っていないだろうな」
「お前さんはほんと…あの席から離れると途端に馬鹿になるな。──ラインバッハの娘へ返した」
「それは一体どんな変態プレイなんだ?使用済みの下着を本人ではなくその友人に返したというのか?」
「──それはそれで興奮しそうなシチュエーションだな、今度試してみよう」などと馬鹿なやり取りをしている間にハンガーに到着した。
モンローは一瞬だけ、カメラが壊れたのかと勘違いをしてしまった。
「これは…」
「ホワイトウォールに近付けば近付くほど反応が強くなり、今となってはこうして光っておる。色はオレンジ、そしてブラウン、あのクジラと同じさ。あの壁の中に何か秘密があるはずだ」
デッキから船内の格納庫に移されたダンタリオン・マッドが淡い光りを周囲へ放っていた、まるでヒーリングライトのようだ、生きているかのように明滅を繰り返している。
さらに良く見やれば、光っているのは機体に付着した汚泥状のハフアモアだった。
「モンローよ、どう思う?」
「どう、と言われてもな…ハフアモアとは…一体何なのだ?」
セバスチャンが秘匿事項に関する事を詳らかに話した。
「ハフアモアとはカウネナナイが名付けた名前で、正式な名前はノヴァ・ウイルスと言う。それはここではないテンペスト・シリンダーから感染し、ここで現界を果たし、私たちの世界に介入した存在」
「…………」
「その結果はご覧の通り、ガイア・サーバーに接触して世界を海の中に沈めてみせた。──一つ言えることは、五年前は光っておらなんだ、だが、今はこうして光っている。おそらくはダンタリオンとお前さんの機体に反応を示しているのだろう」
「その秘密があの壁の中にあると?」
「私はそう思っている、だから私も彼女たちに付いて行く。お前さんも来い」
「…いいだろう、俺も出発の準備をしよう」
モンローが寝そべる機体から離れ、セバスチャンから「コンドームを忘れるなよ!」と冗談を飛ばされたが耳に入っていなかった。
三胴船とヘイムスクリングラからそれぞれ一隻のボートが海へ漕ぎ出し、仰ぎ見るほどに大きな山の麓へ向かって行った。前にここへ訪れた時は大型のアーキアに囲まれ、とてもではないが周りを見ている余裕はなかった。だからナディは改めて見上げる山に圧倒され、親友の死で痛んだ心を一時でも忘れることができた。
(大きい…私はこんな山を越えようと…)
ノラリスが自意識会話で割り込んできた。ノラリスは三胴船のハンガーで待機ナウである。
《そうだ、あの時も君は無茶をして死にかけていたんだ》
《ごめんってば、今は反省してる》
《だと良いけど》
ボートがしっかりと前へ進んで行く。心無しか冷んやりとした風に煽られ、ナディの髪が大きくはためている。
《ねえノラリス、どうしてあの時私を止めたの?》
ポンコツブルーが燃え上がった時だ、その時は機体制御にロックをかけてコントロールを一時奪ったが、その後はすぐに返していた。──だからあの時アネラを撃った兵士も海へ還ったのだ。
《危険だと判断したからだ、それに──いや、何でもないよ》
《そう…その後すぐ動けるようになったのは?私にコントロールを返したよね》
もうナディたちからの位置では山の頂上は見えない、代わりに歪に穿たれた穴が大きく見えてきた。
《君たちの戦いだからだ、私がそこまで介入する権利は無いし立場でも無い》
《…なら、私が反撃されていたら?》
《それも君の人生だ。私は神ではないよ》
《そう…》
自分から割って入ってきておいて、ノラリスの方から口を閉ざしていた。
ナディたちが乗るボートがホワイトウォールの山肌に到着した。瓦礫が落ち、何とか登れそうではあった。
「じゃあ今からあの穴へ行こう、皆んな気を付けて」
ボートを手近にあった瓦礫に寄せ、それぞれがその上へ登った。
ホワイトウォールの山肌に当たった風が下り、そして穴の中からも強い風が吹いていた、きっと冷たいのは向こうから渡ってきたものだろう。
あの向こうへ行けばウルフラグに帰れる、ナディは目覚めた時の事を思い出していた。
(あの穴の向こうに帰っていたら…アネラが死ぬことはなかったのかな──いいやいいや!)
頭をぶんぶんと振って有り得ない可能性を頭から排除した、いくら考えても意味は無いからだ。
ホワイトウォールの調査へ来た一団がゆっくりと瓦礫を登って行く。
*
「──マイヤー団長!ちょうど良い所に!」
「何?どうかしたの?」
ライラに遅れてジュディスたちもホワイトウォールへ到着していた。彼女たちは先遣隊が持参して来た移動式のコンテナの中にいた。
ここではホワイトウォールの調査状況の記録や調査員の物資などが保管されており、その中には携行式の自動拳銃、自動小銃もあった。
「管理していた銃器が一つ紛失しているんです!まだ犯人は見つかっていません!」
「な──」ジュディスはすぐに合点がいった。
(ライラだ…ここに来て銃をパクって行ったんだわ…)
ここは奴らの総本山、まだ穴の中で奴らの目撃情報は無いが、調査団が護身の為にと銃器も持って来ていた、その一つが失くなっている。
レイヴンが空中分解していると分かっていても、ここにいる人たちの多くが技術部に所属していた事もあり、ジュディスを団長と呼び慕っている。その団長が「大丈夫」だと根拠の無い太鼓判を押してきたので調査員は訳が分からなかった。
「な、何がですか?団長も中へ入られるんですよね?」
「そうよ、でも大丈夫だから、私たちにも銃を渡してちょうだい」
「いやしかし──「いいから、そいつは間違いなく誰かを撃つためにパクったんじゃない、断言する」
「………」
調査員はジュディスの背後へちらりと視線を寄越す、そこにはクラン、フレア、それからホシがいた。
女世帯なら絶対断ろうと思っていた調査員も、ホシの姿を見て「ま、まあ…」と不承不承といった体で銃器を持って来るよう別の調査員へ指示を出していた。
「ありがとう」
「ホワイトウォールの中は電波が通っていません、携帯を使いたければ──」調査員が机の上にマップを広げ、それぞれ山の外へ通ずる道を差し示した。彼らが今日までマッピングした貴重な内部情報である、ジュディスは有り難くそれを受け取った。
「──分かった。それより中はどうなっているの?」
「それはご自身の目で確かめてください、ネタバレは良くありませんから」
「?」
調査団の現地本部として使われているコンテナから出たジュディスたちは、とくにお喋りをするでもなく足場を通り、ホワイトウォールの中へ入っていった。
◇
「…………」×4
皆、それぞれヘッドライトを装着し、周囲を照らしている。けれどその必要は無さそうである。
ガタガタと揺れる足場にビビりながら内部へ突入した直後は確かに暗かった。でも今は明るい。何故?分からない!
天井に穴が空いている?違う、そうではない、この明るさは人工的なものだ。
「ど、どうなってんのよ…これ…」
「え、や、い、今時の山って…こんな感じなの…?」
「信じられない…」
「あれって…信号ですよね…」
信号。車の往来を制限し事故を防ぐ物、一般的には道路に設置されている物だ、それが山の中にあった。
信号だけではなく、街路樹もあり、ガードレールもあり、お店があってビルもあった。
ジュディスたちが五年前に失くした街の風景である、それが目の前に広がっていた。しかも電気も通ってる!
ジュディスはホシに詰め寄った。
「ど、どどどどうなってんのよ!!「痛い痛い痛い!「あ、あんたここを通ったんでしょ?!何でその時に言わなかったのよ!!「あの時はそれどころじゃなかったんだよ!!」
入り口から続いていた穴を通り抜けた途端にこれだった、誰も理解できるはずもなく、けれどあの調査員が「ネタバレは駄目!」と言っていた理由は理解できた。
穴の入り口から続く『止まれ』の文字、その先から何処からか切り取ってきたような街が広がっていた。
「何なのよここ…」
「まるで岩肌から削って出来たような──電気通ってるんですけど!!」クランも今気付いた。
「こ、こんな所をライラさんは一人で…?」
フレアの言葉に皆がはっ!と我に帰り、急いで進軍を開始していた。
「こうしちゃいられない!早くあいつと合流しないと!」
「とにかく彼女の痕跡を探そう、ここまで一本道だったから他所へは行ってないはずだよ」
信号機に近付くにつれ、その三色の点灯が目に入る、クランが言ったように信号機の根元は山と同化しているように見えるが、確かに電気が通っている。何じゃこりゃ?状態だ。
ホシに促され三人が歩みを進めた。足の裏に伝わる感触は先程通ってきた凸凹道ではなく、きちんとしたアスファルトの物だ。
道路沿いに並ぶ建物も皆しっかりしており、今も誰かが使っていそうな気配が十二分にあった、けれどここは山の中だ、それも五年の間誰も訪れたことがない──はずである。
「フ、フレアちゃん?!何処行くの?!」
道路を真っ直ぐ進んでいた三人から、いつの間にかフレアだけが離れており、彼女は街路樹の向こうに立つ建物へふらふらと進んでいた。それに気付いたクランが彼女を腕を掴み引き止めていた。
フレアは心無しか上の空といったような表情になっており、「あそこにお母さんが…」とか細い声で言った。
「居ない居ない居ない!何言ってんの?!」×3
「え、でも──ん?あれ?何で私腕掴んでいるんですか?」
フレアが正気に戻ったようである。しかし今度はホシの様子がおかしくなっていた。
「あれ、あそこのレストランで女の人が…」
「怖い怖い怖い!居ないよ?!」×3
クランが遠慮なくホシを引っ叩いた。彼も正気に戻ったが今度は手を上げたクランがホシの胸倉を掴んだまま、
「あ…あそこの公園でジュディさんが…」
「本人目の前にいるんだけど?!」×3
最後はジュディスだ、全員様子がおかしくなっていた。
「あ!ネモ船長だ…ネモ船長がブランコで遊んでる…」
皆んな反撃されるのが怖かったからジュディスだけ放置である。
クランがとりあえず彼女の首根っこを捕まえながら、「これどういう事なんでしょう」と目の前の現象に疑問を呈していた。
「分からない、それぞれ何かが見えて、そして他の人には見えていない。ちなみになんだけど」ホシが街中にある公園を指差し、「あそこにネモ船長はいないよね?」と二人に訊ねた。二人は「うん」と同意した。
「じゃあ、あの看板は見えていますか?」とフレアがビルの屋上に設置された、綺麗な女性がモデルを務める美容関係の看板を指差した。
クランは「何それ」と言い、ホシは「見える」と言った。
今度はホシが「あそこの信号で女性が立っているのは見える?」と訊ね、二人から「また頭がおかしくなってるやんけ!」とまた頭を叩かれていた。
「──は!居ない…僕好みの女性だったのに…」
「何なのここ…ジュディさんはまだ頭がバグったままだし」ジュディスは未だに「ネモ船長〜」と口にしながら公園へ行こうとしていた。
観念したクランがジュディスの頭を叩き、そしてすぐにはっ!と正気に戻っていた。
「──え、なに?あれ、私寝てたの?あんまり意識がなかったんだけど」
「皆んなそうですよ、皆んな幻覚を見て正気を失っていたんです」
「ええ?いやでもフレアもホシも見たし──誰が私の頭を叩いたの?」
フレアとホシが無言でクランを指差し、そしてジュディスは無言でハンマーパンチをお見舞いしていた。
「いや嘘でしょ助けたのに!!──いった〜リスの皮を被ったライオン健在だわほんと…骨に響く打撃は止めてくださいよガチで…」
「ふん!──状況を整理しましょう。あんたたちはここが街に見えているわよね?」
三人からイエスと返事が返ってくる。
「それで、所々の細かい景色がそれぞれ違って見える?」
三人からまたイエスと返事が返ってきた。
まあ整理した所でここが何なのか、どういった所かまでは分からない。
「とにかく全員はぐれないようにしよう。いいね?」
ホシの提案に反対するはずもなく、三人がイエスと答え、慎重に道路を進み始めた。
*
「…………」
それは山肌の中で頽れていた。
「ああ、ガングニール…お前だったのか…」
それはあちこちが壊れ、人としての形を何とか留めていた特個体だった。
瓦礫を登り切り、空いた穴の手前で皆が休憩を取っている時だった。モンローは山肌に引っかかるようにして倒れていた見慣れた機体を見つけ、他の者たちに告げず離れてやって来ていた。
ガングニールだ。ウルフラグで搭乗した事がある機体。
そして、モンローを変えた存在でもある。
自分に見切りを付け、目の前の女性たちを恐れ、それでも焦がれ、手当たり次第に体を重ねて自暴自棄に生きていたあの頃。モンローはガングニールと出会い、口は悪いのに誰よりも心配してくれたあの声に救われていた。
彼はその時に自信を得ていた(まあ、どのみち手癖の悪さは治らなかったが)。
モンローは焼け焦げ、頽れたまま山と同化してしまいそうになっているガングニールの機体を前にして、猛烈に声が聞きたくなっていた。
機体へよじ登りコクピットの中へ入る。
(パイロットの遺体がない、国へ帰ったのか)
モンローは後ろへ倒れるように傾いているコクピットシートに腰を沈め、床に落ちていた一本の吸い殻を見つけた。ここには邪魔な物だとモンローはそれを拾い上げ、コクピットの外へ投げ捨てた。
《ガングニール、聞こえるか?俺だ、モンローだ》
ガングニールから返答は無い。
《ガングニール!モンローだ!お前に自分を捨てるなと注意されたダサい男だ!》
ガングニールから返答は無い。
モンローはコクピットシートの後ろからコネクトケーブルを引っ張り出した。けれど、肝心の接続端子が焼けたように爛れて無くなっていた。
(まさか──後任のパイロットは緊急起動で…)
モンローは死んだパイロットを想った。どれ程の決意でこの山に穴を空けたというのか、並大抵の覚悟ではまず無理である、モンローは吸い殻を投げ捨てたことに後悔した。
モンローはそれからも何度か呼びかけ、諦め、それから自身の頸椎から一本のケーブルを引っ張り出した。
直接繋いで自身がどうなってしまうのか、全くの未知である。特個体のメインシステムに触れた途端、ファイヤーウォールに脳を焼かれてしまうかもしれない、あるいは機体制御プログラムと自身の身体制御システムが同期してしまい、二度と動かなくなるかもしれない。
だが、彼は未知に触れる事に慣れていた。女性の鋭利な冷たさと比べたら、温かい声を放つガングニールは神である。
彼はケーブルをコンソールに直接繋いだ。
「………っ」
懸念していた脳死も身体のバグも発生しなかった。
もう一度、彼は呼びかけた。
《ガングニール、聞こえるか?》
聞こえた、彼女の声だ。
《…誰だ?オッサンか…?》
モンローは脳のど真ん中から快楽物質が放出されたことが分かった、有り体に言って、目眩がするような安堵感に包まれた。
《違う、俺だ、ヒュー・モンローだ。覚えていないか?》
《知らない…そんな人知らない…なあ、アンタ、オッサンがどうなったか知らないか?》
《…オッサンてのは誰だ?》
《ヴォルター・クーラント、オレの相棒で…死なせたくなかった人…》
快楽物質が即座に寸断され、モンローの心に激しい嫉妬の渦が巻き起こった。
(ヴォルター・クーラント…それがこの山に穴を空けた傑物の名前か…)
《知らない…だが、調べる事はできる》
モンローは嘘を吐いた、彼は嘘を吐くことにも慣れていた。
《ホントか…?オッサンの声が聞こえなくなって暫く経つんだ心配なんだ!調べてくれるのか?》
モンローは、それこそ血反吐を吐く思いで嘘を重ねた。
《──ああ、俺が調べてやる、だからこんな所に居ないで付いて来い》
《分かった。アンタ、モンローって言ったな?覚えておくよ》
《…ああ》
彼は理解していた、メンタル・コアはパイロットが替わる度に記憶が消去される事を。それでもモンローは彼女の声を手放したくなかった。
◇
「──ん?あれ、あの人何処行ったの?」
「ん?誰のこと?」
「ナディの婚約相手」
「冗談は止めて、マカナの下着をお爺さんに差し出すよ「すぐにください!!脱ぎたてほやほや欲しいです!」ウィゴーがそれこそ、親の仇を取るようにセバスチャンの頭を叩いた。
「暴力が多くないかね君たちは!!突っ込みに暴力は必要無いんだよ?!知ってた?!「次、ふざけたら容赦しませんので「いやそもそも冗談を先に言ったのは炎タイプであって私ではないんだが…」
「ほんと、この爺さんは口を開けばえっちな事ばかり言うの…ほれ、余の体で満足するが良い」
ウィゴーたちに付いて来ていたオーディンが、未だに「鎧だ!」と言い張る薄っぺらい水着を捲ってちら、ちらっとセバスチャンへ見せつけていた。しかし、
「いや、子供に欲情するほど落ちぶれておらんわ。早くその胸をしまいなさい「なんだって〜〜〜?!?!」素で注意を受けたオーディンが逆ギレし、セバスチャンへ突っかかった。
そこへ行方を晦ましていたモンローが皆の元へ戻って来た。
「なんだ随分と賑やかな、さては俺のマイハニーを口説いていたな?それは良くない、ナディの体は俺の物だ!「お前は本物の屑だな、さすがの私ももうちっと言葉を選ぶぞ」
モンローが戻って来たところで(ちなみに誰も彼の心配をしていなかった)皆が固い岩肌から腰を上げ、歩みを再開していた。
向こう側へ通ずる穴は目前だ。ウィゴーたちは落ちていた適当な瓦礫の破片を拾い上げ、その穴を見上げた。
「ナディちゃん、向こうへ渡りたいんだよね?マカナちゃんから聞いたよ」
「う、うん…できればで良いんだけど…」
「良い──」良いよと言いかけたウィゴーの言葉に重ねるように、モンローが「構わない」と口にした、その声には不思議と力が宿っていた。
「い、いいんですか?」
「ああ、俺も向こうに用事がある──いや、今し方用事ができた」
「そ、そうですか…」
彼の顔には表情が無い、けれど声には彼の内心が宿る。ふざけた様子は見受けられない、けれど彼はすぐにふざけてみせた。
「──マイハニーとの式を挙げる会場の下見もしなければいけないからな!何ならベッドの上で永遠の愛を誓いあっても──ヴィシャス!お前がショットガンを持って来たのは俺を撃つ為か?!「当たり前でしょうが、ナディちゃんに指一本でも触れたらその頭を柘榴に変えるよ「お前さんも怖い男だの〜」
(あれ、この人…もしかしてわざとふざけてる…?)
モンローという人となりが分かっても、ナディはその事を口にすることはなかった。
ウィゴーたちもホワイトウォールの穴の中へ入って行った。
再会の時は近い、すぐそこにまで迫っていた。
*
ライラは懸命に走っていた。もつれる足を無理やり動かして懸命に走っていた。
(ナディ──ナディ!──ナディ!!)
彼女は恋人に会えば全てが報われると思っていた、いいや、そう自分に言い聞かせていた。
ピメリアの死から、ヴォルターの死から、自身を苦しみから解放してくれると信じていた。
もう限界だった、二人の死を前にして精神は崩壊しかかっており、だからライラは周囲の景色に目もくれずにただ走った。
街を抜け、森林を抜け、高速道路を抜け、見たこともない路地裏を抜け、ただの洞窟を走り、今は駅構内の階段を駆け上っていた。かつてウルフラグに存在した駅ではない、何処とも知れぬ場所を駆け抜けていた。
(ナディ、ナディ、ナディ!!早く会わせて!!お願い!!ナディ!!)
階段を駆け上がり、もうとっくに壊れている肺へ酸素を送り込み、いつ倒れてもおかしくない体に鞭を打ちライラは走った。
「──ああ…」
だが、体は正直だった、これ以上無理をすれば身体に悪影響が出るとし、無理やり脳からの信号を脊髄で止めていた。ライラはつんのめるようにして固い床の上に倒れてしまった。
「ナディ…ナディ…何処にいるの…?」
意識が朦朧としている、それでも彼女は恋人の姿を探した。
駅構内に温かい、ウルフラグとは違う風をライラは感じ取った、すぐそこだと思った、出口が近い。
その事に安堵したライラは、手放したくなかった意識を眠りの向こう側へ手放した。
大丈夫、もうすぐ会える、ナディに会える、自分を救ってくれる恋人に出会える。
そう言い聞かせて、ライラは束の間の眠りについた。
再会の時は近い、もう目前にまで迫っていた。