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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
283/335

TRACK 32

副題を消した件ですが、少しごちゃごちゃして見難いなと思ったので消しました。

32.オールグリーズ



 喜怒哀楽(きどあいらく)

 玉石混交(ぎょくせきこんこう)

 四海兄弟(しかいけいてい)

 百花繚乱(ひゃっかりょうらん)

 桑田碧海(そうでんへきかい)

 夏炉冬扇(かろとうせん)

 魑魅魍魎(ちみもうりょう)

 栄枯盛衰(えいこうせいすい)

 千秋万歳(せんしゅうばんざい)

 有象無象(うぞうむぞう)

 万物の膿にして案内人なれば、それなるの自我は闇に有り。

 知性を有するが故に生まれしは悪感情の坩堝なり。

 天上の喜び。地獄の苦しみ。

 コインの裏と表。

 四季。

 垢。

 関係。

 親子のようなもの。

 切っても切れない関係。

 いや、切りたくても切れないもの。

 労働の義務を果たさなければ得られない自由みたいなもの。何それ、そんなルールがあるって知ってたらそもそもこんな世の中に生まれてこんわ!みたいな。

 ガスコンロの下に溜まってる食べ物のカスのような物、料理をするから溜まっていくような物。油汚れ、あれほんとに落ちない。

 あとは水回りの汚れ、ほんとにひどい。髪の毛とか、何これ?みたいな物体とか、手に取るのも悍ましい、でも掃除しないと臭いし、水も詰まるしでろくな事がない。

 それならお風呂に入らなければいい!そうすれば汚れないし掃除しないで済む、たまにそういう人いる、会社のお風呂で済ませてくる人とか。

 料理もしなければいい!そうすれば油だって跳ねないし掃除しないで済む。掃除道具も買わなくて済むので経済的にも優しい。

 でも、料理をしないという事はご飯を食べないという事だ、それって生き物としてどうなの?無理ゲーじゃん。いやコンビニがあるだろ!

 生きるという事はそういうゴミのような物を生む事だとも言える、仕方ない、だってご飯を食べればうんちが出るし。

 とにかくそんな感じである、あいつらは。

 仕方がない、人間良い物ばかり見ていられない、汚い物だって見ないといけない。

 幸福。不幸。喜び。悲しみ。

 それらは玉石混交となって人生の隅々に落ちている、それを拾う拾わないは個人の自由だが無視はできない。

 人は生きていれば必ず喜怒哀楽の波に飲まれ、時には自分の感情に翻弄される時もある。だが、己の心が発する信号も同様に無視はできない。

 そう、無視することは許されない。生命体として自らが排出する老廃物を無かったことにはできない。

 決して。

 万物の膿が何故存在しているのか。

 案内人は何処(いずこ)へ連れ行かんとしているのか。

 理解、不理解の範疇を超えた先に待つは天上の世界なり。

 それは得てして魂の牢獄なるか。

 老人共が夢見た反転未来。

 母が作りし万物の箱庭。

 善行と悪行の狭間。

 表裏一体。

 不可分。

 胞。

 ──否、膿の中にこそ幸福あり。





 キング・アーサーは外敵に命を奪われたわけではなく、身内の裏切りによってその尊い命を落とした。

 栄枯盛衰。繁栄したものが枯れ、盛えた人気が衰える。

 木々が夏に葉を生やし、冬になればその葉が落ちるように。また、圧倒的な人気を誇ったSNSが人々に飽きられ、アクセス数が途絶えるように。

 この法則は絶対である。それもそうだ、万物が存在する宇宙空間で生まれた星ですら、いずれ超新星爆発を起こして散る。マクロの法則がミクロに対して働かないはずもなく、この流転は現実の世界において絶対の法則をみせていた。

 キング・アーサーは善き王として、歴史にその名を轟かせる程の偉業を持ち合わせていた。にも関わらず、身内であるモードレッドによって命を奪われ、民草から太陽の如く仰がれていたラウンドサークルはその幕を閉じた。

 どれほどの勢力を誇ろうと、どれほどの善性を持っていようとも、善悪に関わらず栄枯盛衰の道を辿る。

 ──そう、最小単位の命の生死のように。

 ──そう、朝日が昇り、夕日が沈むように。

 ──そう、人が眠り、起きるように。

 レイヴンもまた、キング・アーサーの道を辿ろうとしていた。


「──ようやく目の上のたん瘤を排除する時が来た。何の経験も何の志も無い者たちからこの街を、市民たちの信頼を我らの元に還す時がやって来た」


 朝日が上り、晴れやかな光りに照らされたウルフラグの街の一角、陸師府の者たちが集うビルの一室で元高官の老人が厳かな口ぶりでそう宣言した。

 彼女らに対する信頼にヒビが入ったと言ってよい、先日の災害におけるレイヴンの対応は失敗だった。

 助けを求める市民を前に静観を決めるなど、たとえそれが組織の存続の上では最適解だったとしても、組織の面目という意味ではやはり失敗だったのだ。

 

(いや、良く失態を見せてくれた、とも言えよう。角逐が終わる時は毎度こうだ、失態を冒して内部から信用を失い瓦解する、そうして一つの組織が死ぬ)


 そしてまた新しい組織が生まれる。これぞ流転。この老人はその事を良く理解していた。


「シルキーを独占的に所有し、私利私欲の為に浪費し、あまつさえ市民の命を見捨てた。これ以上の蛮行は許されない、我々の手で止めねばならない──そう、懸命な判断を下した彼らと共に」


 円卓に座している面々を強い眼差しで見つめている人たちがいる、会議室の入り口に立ち、老人の言葉に良く耳を傾けていた。

 レイヴンの兵士たち、それから軍部を預かっていた副団長である、彼らは陸師府のビルに訪れていた。


 空に昇った太陽は陸師府のビルのみならず、各地に建設された電波塔も照らしていた。

 ウルフラグは水没した国だ、陸地面積は殆ど存在しない、だからレイヴンの技術部は建築物に耐え得る鉄製のイカダを作製し、その上に電波塔を建設していた。その数は一〇棟に及び、ウルフラグ全体をカバーするように各地に配置されていた。

 技術部、並びにマイヤー団長が五年という歳月をかけて建設してきた物だ。それを今、破壊せんと目論む人たちがいた。

 陸師府の者ではない、陸軍の部隊でもない。レイヴンの軍部に在籍し、武力を有する者たちだ。


「…………」


 彼らは味方が作った電波塔を船の上からただ見上げている、その手に武器を持ちながら。鉄製のイカダは海底に楔を打たれて固定されており、四つの足場を支えにして全長一〇メートル程の電波塔が建っていた。

 号令が下るのを待っていた、総団長からではない──陸師府から。





 今日も今日とて聳えしは、太い筆で墨を引かれた白い壁の群れなり。

 ラハムの報告通り、ホワイトウォールの峰から海面へかけて大小様々な亀裂が入っていた。その亀裂の中で一際大きなものがある、高さ四キロメートルに達する頂上から海の中へ続いているものだ。

 さらに、ラハムの報告にあった"うじゃうじゃ"がその一際激しい亀裂へ向かって突進を繰り返していた。まるで黒い化け物たちも壁越えをしようと言わんばかりに。

 レイヴンが発令したオールグリーズに参加する者たちはこの魑魅魍魎の中を突っ切り、国を隔てている超質量の山に穴を空けようとしている。出来ない事ではない、それは潰れかかった一つの家をハンマーだけで少しずつ壊していくようなものだ。

 だが、それは邪魔をされなければ、という話であり、オールグリーズの参加者たちはこの魑魅魍魎も相手にしなければならなかった。

 

「家族を返せーーー!」

「人殺しーーー!」

「裏切り者ーーー!」


 今、市民たちから罵声を浴びながら出航する船団がいた。所属を示すシンボルマークは命を助けてくれた人にちなんで黒い鴉、そして恋人が身に付けていた赤い宝石が描かれている。

 黒い鴉が赤い宝石を咥えた旗が潮風と市民の罵声に煽られ大きくはためき、誰からも応援されることなく、オールグリーズの参加者たちがホワイトウォールへ向かって行った。


「通達〜通達〜オールグリーズが出航しました〜」

 

 レイヴンと平等な関係を築き、契約という形で連絡係を務めるラハムが完成間近の電波塔へやって来た。

 その報告を受け取ったのは陸に残り、全ての電波塔の総合基地として役割を担う山地海の電波塔で作業をしていたジュディスだった。

 普段ならラハムと喧嘩に近いやり取りをする彼女だったが、今日ばかりはふざけることなく真面目に受け答えをしていた。


「分かった。また報告をお願い」


「分かりました〜本部にもラハムがいますのでラハムはここに残っておきます〜」


「ありがとう。それと、変な連中が辺りを彷徨いているからそいつらの監視もお願い。シルキーは上乗せして後で渡すわ」


「分かりました〜異常があればすぱっ!と飛んできます〜」


 報告にやって来たラハムがジュディスの元を離れて行った。

 ジュディスたちが建設した電波塔が入道雲を割くように聳え立っている。日中はまだまだ暑い、蝉の割れんばかりの合唱を耳にしながら、電波塔の足場にいたジュディスが作業に戻った。


 ジュディスから追加の依頼をされたラハムが建設機械やアホみたいに大きなアンテナが置かれた空き地を通り過ぎ、僅かな木々しかない小さな森をぐるぐると旋回飛行をした。

 

「おや?」


 ラハムはその森の中、木々の合間に隠れて何やらコソコソとしている人物を見つけた。ジュディスが言っていた通りだ。

 ラハムは即座に情報共有を行なった。

 他のラハムからも同時に報告が上げられた。


《ピコン!》

《ピコン!》

《いちいちうるさい〜!そのピコンは止めろ〜!》

《山地海の森に不審者発見!》

《同じく!第二電波塔近海にも不審者発見!》

《どうする?》

《攻撃する?》

《まずは報告〜!勝手な判断は契約違反〜!》

《コンプライアンス〜!》

《昔の方が良かった〜!》

《今さらそんな事言うな〜!》


 ラハムたちがその不審者の正体に気付くまで、もう暫くの時間を要した。





「こいつは便利なもんだな、ラハムたちのやり取りと報告内容が一目で分かる。これ、あいつらにちゃんと許可取ってんのか?」


「まさか。それを言うならクーラントさん、あなたもそうですよ、特個体を経由しての頭の中での会話、ちゃんと許可を取ってラハムたちに教えたんですか?」


「まさか。今となっては誰に許可を取って良いのか分からないんだから別にいいだろ」


「ラハムたちだってまさか自分たちのやり取りが掲示板式に保存されているなんて知らないし、そもそもサーバーにアクセスはできませんからバレません」


 市民からの罵声?誰も応援してくれない?──だったら何だ!!と言わんばかりの彼女たち、ホワイトウォールへ向けて出航し、呑気に会話をしていた。

 オールグリーズの母艦である空母のブリッジ、そこにはライラ、出撃前のヴォルターとホシがパイロットスーツに身を包み、それからシルキーの研究者たるロザリー・ハフマンが当たり前のようにいた。

 

「腹黒い会話をしているね君たち…」空気を読まない彼女ですら呆れを見せている。


「そんな事より、ラハムから報告があった不審者はどうするんだい?放置するの?」


 レイヴンから提供されたパイロットスーツを調整していたヴォルターが「これを着るのは本当に久しぶりだな」と口にしてから、


「どうにもできん、人手が足りないから戦力も割けん」


 歳老いたとは言え、ヴォルターの体格はがっしりとしたままだ。その歳月をかけて熟成された筋肉がパイロットスーツ越しから見て取れるほどだ。

 ホシはひょろい、筋肉はあるがひょろい、もやしに片栗粉をまぶして炒めたような体格だ。ライラは唐突に「そういや昔もヒョロい先輩がいたな」と思い出していた。

 そのホシは五年前に『他社からの乗換えで無料!』キャンペーンで購入した携帯を見ており、「この掲示板に書き込みはできるのかな」と呟いてから、


「大方陸師府の連中でしょう、僕たちが本部を離れた隙に電波塔を人質に取るつもりかもしれません」


「ほんと、彼らの頭の中にはいつでも政権争いがあるみたいだね。同じ聖剣を携えていたアーサー王を見習ってほしいぐらいだ」


「それダジャレだろ」

「それダジャレですよね」

「それダジャレよね」


 ロザリーは三人の突っ込みを無視し、


「私が提供した調査結果はきちんと覚えているかい?」と、言った。

 マリサとラハムの協力の元、ロザリーは黒い生命体に関して二つの発見と一つの仮説を立てた。

 一つ、生命体の体内に存在している六色は特個体を表している。

 二つ、生命体の体内に細胞は存在せず、如何なる法則で生命を維持しているのか、現段階では不明。

 特個体に関する情報はマリサから、それぞれの機体にはパーソナルカラーが設定されており、自分が知り得る限りで確かにこの六色が存在していると断言した、というかマリサがパープルだし。

 

「奴から採取した体表面の一部がね、有り体に言って泥なんだよ。もっと分かり易く言うと、排水溝に溜まったなんかよく分からん臭いヘドロ状に近い。まあ、奴は臭くないんだけど」


「俺たちは…」

「そんな個体から得られたシルキーを使って今日までご飯を…」


「嫌ならうちに来るかい?そうすれば天然栽培された野菜から養殖された魚が食べられるよ。その代わり寝る間も惜しんで私の研究に付き合ってもらう事になるけどね」


「いい」

「いい」


「私が立てた現段階での仮説、それは君だ!」ズビシ!とロザリーがホシを指差した。


「君のファーストパートナーたるマリサが奴らの鍵を握っていると思う!マリサに反応して奴めは大人しくなった!なんか良く分からんがとにかく君が先行すれば何とかなるはずだ!」


「酷いにも程がある仮説だ…」


「仕方ないだろ!時間が無いんだもの!こういう事はちゃ〜〜〜んと時間をかけてじっくりと調べる──そう!カレーを煮込む(ry


 ロザリーの長話しが始まるかと思った矢先、偵察へ出していたラハムたちが船に戻って来た。


「帰還〜!」


「どうだった?」


「うじゃうじゃの薄い所が分かりました〜」


「──よし。総団長、決行だ」


「分かりました。──これよりオールグリーズを発動します、先遣隊はお二人に、後に陽動部隊を出動、敵の撹乱の後に砲撃部隊をホワイトウォールへ向かわせます。──ご武運を」


 オールグリーズ発動。ブリッジで待機していた二人が総団長と教授を残してデッキへ降りて行った。


 ホワイトウォールに群がる奴らを何も正面から突っ切る必要は無く、総団長は比較的奴らが薄い所を選択し、そこへ陽動部隊をぶつける作戦を立てていた。

 先遣隊が現場の確認、後に陽動部隊で砲撃部隊の道を作ってホワイトウォールへドカン!である。

 空母デッキから、ガングニールとマリサがリニアカタパルトに弾かれ空へ飛び立った。

 青空と海の境界線には白い線が一本走っている、彼女たちが以前スカイシップから見たホワイトウォールが目の前にあった。


(あそこに私たちは…まあ良いわ、壁を越えることが目的なんだから。待っててナディ、今すぐ頬っぺた叩きに行くから!!)ライラはまだ怒っている。

 ライラは自分の携帯を見て、オフラインになっている事を確認した。


(ジュディさん、よろしくお願いしますね。その電波塔さえ完成すれば──)


 広範囲、長距離における通信が可能になる──何者にも邪魔をされずに。





《プルルル、ヒュオ!》

《プルルル、ヒュオ!》

《鳥みたいな鳴き声も止めろ〜!》

《──大佐、第一から第一〇までの全ての電波塔で不審者を発見した》

《急に渋い声出すな〜!》

《奴らは組織立った作戦行動をしている、早急に手を打たなければ遅れを取ることになるぞ》

《──状況は理解した。これより不審者をフォックスと呼称、お前たちラハムをフォックスハウンド部隊とする。狐を監視し、状況に応じて適宜対応にあたれ》

《組合長も渋い声出すの止めろ〜!》

《メタル〇アとか言い出しそう〜!》

《愛国者にはラハムの方から報告する。これはバーチャスミッションではない、繰り返す、これはスニーキングミッションだ、心してかかれ》

《ん?──え?あれ、あの人って確か本部にいた──》プツっ。

《渋いラハムがやられました!》

《渋いラハムがやられました!》

《スネーーーク!!──とかやってる場合じゃない〜!》


 組合長のラハムは慌てた、電波塔付近にいる不審者によって一体のラハムを失ったからだ。

 渋いラハムアイから取得した画像が即座に全ラハムに同期され、組合長ラハムが森からジュディスの元へ取って返した時に報告が上げられた。


《ラハムこの人知ってる〜!レイヴンの人〜!》

《どゆ事?》

《どゆ事?》

《裏切り?》

《組合長?》

《どうする?》

《勝手な攻撃は禁止〜!別命あるまで退避せよ〜!》


 ラハムは建設途中の電波塔まで戻り、空き地に置かれたコンテナの中へ入った。中では汗だくになったジュディスが休憩を取っているところだった。


「ほ、報告〜!報告〜!不審者は他の全ての電波塔にもいます〜!しかもレイヴンの人です〜!」


「──はあ?!それ本当なの?!」


「はい〜!ラハムがライフル銃で狙撃されました〜!──ぬっ殺!!」


「待って、勝手に手を出さないで!本部にいるラハムと繋げて!ハデスたちに連絡するわ!」


「もう同期されてます〜!対応をお願いします〜!」


 (ノーブラ)タンクトップ一枚になっていたジュディスが頭を掻き毟った、その弾みで髪の毛から汗が滴となって床に落ちた。


「くぅ〜あいつがいない時に〜!どうすればいいのよ〜!まだ接続用プロトコルの構築も終わっていないのに〜!」


「ラハムがやりましょうか?」


「ああん?!──そうね、お願いするわ!本部と繋げて!工程を早めるわ!」


「ガッテン承知の助!「あんたどこで覚えたのその言葉」


 一方、ジュディスから連絡を受けたハデスたちも既にレイヴンの裏切りに察知づいていた。


「やっぱりか…こっちにいるラハムも他で確認したってさ。どうすんの?」


 普段はライラが腰を下ろしている席にハデスが座り、その机の上にラハムがちょこんと止まっている。


「どうって言われても…何で?何で裏切ったの?」


 ラハム越しに届くジュディスの声は震えている、味方の裏切り行為が信じられないのだ。

 ハデスは然もありなんと答えた。


「陸師府に懐柔されたのかもな。どっちにしても、電波塔にいるレイヴンの奴らはライラたちに不満を抱いていたって事だよ、あの災害の対応が引き金になったのかきっかけになったのかは分かんないけどな」


「何よそれ!今の今まで誰が──」


「人間ってそういうモンだよ、所属している組織の良い悪いは関係ない、何にだって不満を覚えて反旗を翻すものなんだよ」


 ハデスはマキナだ、人の何倍も生きている。彼を含めたマキナたちは何度も人が争う所を見てきた、だから今回も何ら動じることがなかった。

 通信相手がラハムたちの宿敵だからなのか、面倒臭そうに通信機としての役割をこなしていたラハムが突然、「プォ〜ンピピピーンプォ〜ンピピピーン!」と大きな声を出した。


「な、何だ?!驚かせるな!」


「フォックスが進行〜!フォックスが電波塔に進行を開始しました〜!」


「フォックスって何だ──ああ不審者の事か!──おいジュディ!奴らが電波塔に侵入したらしいぞ!」


「ええ?!そんなっ、まだこっちは完成してないのに!」


「いいからさっさと──」ハデスが何かを言いかけた時、レイヴン本部に彼らが入って来た。

 物々しい装備に身を固めた兵士らに守られ、陸師府のあの老人と軍部副団長の男がハデスの前に立った。


「ご機嫌よう、その節はどうも世話になった」


 本部の状況が分からないジュディスは、突然口を閉ざしたハデスに呼びかけている。


「ちょっとハデス!どうしたのよいきなり黙って!何かあったの?!」


「おや、これはラハムか…随分と改良を重ねたようだ」


 ジュディスもようやく異変に気付いた。


「だ、誰?!こんな人うちにいた?!」


 ハデスが答える。


「いいや、陸師府のお偉いさんだよ、うちに何か用事があるみたいだ。──切るぞ」


「ちょ──」問答無用で通信を切り、ラハムが彼らから逃げるようにハデスの背後へ回った。

 総団長の代わりとしては随分と幼い見た目をしているハデスだが、彼の内には千秋万歳をかけて熟成された精神が宿っている。はっきりと言って、ハデスから見て老人は赤子も良い所だった。

 どどん!とハデスは構えている。


「で?用件は何?」


「総団長は何処かね?君には少し難しい話をしたいんだ」


「ライラなら船に乗ってホワイトウォールへ行ったぞ。お前、そうだと知ってて乗り込んで来たんじゃないのか?──ほれ、そこにお仲間がいるじゃないか」


 ハデスは老人の後ろに控えている男へ顎をしゃくった。


「あんた、一番にライラの事を考えていたんじゃないのか?それがどうしてこの男に付いたんだ?」


「──レイヴンを思えばこそだ、今の総団長は自分を見失っている。ここらで一度仕切り直すべきだと判断した、だから私は陸師府に協力を仰いだ」


「だろうな、今のライラはウルフラグよりも壁の向こうに考えが囚われている、俺もそう思うよ」


「君に彼女の何が分かる、この五年間、彼女を支えてきたのはこの私だ」


「お前何にも分かってないのな、ライラは初めっからお前たちの事なんて二の次だったんだよ。あいつはナディの事しか考えてないぜ」


「何だと──「まあ、良したまえよ」


「そうだぜモードレット、アーサー王はもうここには戻って来ない、お前はあいつに付いて行くべきだったんだ」


「果たしてそうかな?」老人が自信たっぷりにそう言った。


「彼女たちの遠征は電波塔があったればこそだ。だが、もしその電波塔が無くなったらどうなると思う?」


「用件を言え」


「全ての電波塔に部隊を配置している、破壊されたくなければレイヴンの指揮権をこちらに譲りたまえ」


「解体ではなく吸収が目的か…」


「いかにも。我々がより良い方向へ導いてあげよう、なに、彼女の席まで奪うつもりはない」 


「そこに俺たちの席はあるの?」


「必要であれば用意しよう」


「………」


「……?」


 ハデスが唐突に口を閉ざし、陸師府の老人が首を傾げた。

 時間にして数分だろうか、ハデスは黙して何も語らず、痺れを切らした副団長が「おい」と声をかけた時、ハデスが「ぶっぶ〜」と自分の腕でバッテンを作った。


「残念〜時間切れ〜」


「何をふざけた事を──「なあ、あんたさあ、この間俺たちを操ったんだろ?何でその件には触れないの?舐めてるよね、俺たちの事」


「必要であれば──「もう結構です〜破壊したきゃ破壊すれば?そもそもあんたら、レイヴンと違って通信手段なんか持ってないだろ」


 老人が胸ポケットから一つの端末を取り出した。それは四角形をした変わった端末だ。


「──あ〜そういうやつ?」


「これなら奴らを刺激する事なく使用できる。どうするね?最後の確認だ、レイヴンの指揮権をこちらに移譲するよう総団長へ伝えたまえ」


「やなこった、やれるもんならやってみろ。ベー」


 ハデスが舌を出し、老人を侮辱してみせた。


「お望み通りに。残念だよ」


 老人が携帯から各地の電波塔で破壊工作を進めていた部隊に指示を出した。


「──連絡があった、実行せよと」


「いいんですね、これやったら俺らもう二度とレイヴンに戻れませんよ」


「構うもんか、どうせラハムに顔がバレてるんだ」


 陸師府側に付いたレイヴンの兵士たちが、鉄製のイカダから船へ飛び移った。電波塔の足元には彼らが仕掛けた遠隔起動式の爆弾が設置されている。

 さらに完全な破壊を行なうため、数年前まで海中に没していた支柱にも爆弾が仕掛けられていた。海水の排水により露出し、水に曝されていたにも関わらず綺麗な支柱が露わになっていた。

 

「良いな?」


 男がそう皆に合図を送る。裏切った者たちがそれぞれ首肯し、男が起爆ボタンをタップした。

 頭上から降り注ぐ爆発音、鼓膜が震え、体全体も震え、男たちがぐっと腹に力を込めた。激しい爆発に足場が破壊されて支柱も中折れし、ここまでの間彼らの任務を支えてきた電波塔が──


「おい!何だありゃ?!」


 男は目撃した。電波塔に設置されていたパラボラアンテナが、すぽん!と空へ飛び出した所を。

 

「飛んでる…のか?」


「嘘だろ…」


「ラハムか?!あいつが持って空に飛んで…いや、自立飛行?!こんな事聞いてないぞ!!」


 彼らの上空に合計一〇個のパラボラアンテナが飛んでいる。爆破した電波塔は足場を失い、海へ激しい水飛沫を上げながら落ちている。だが、肝心のアンテナは空を飛んでいる!

 電波塔は周囲の建造物に邪魔をされないよう、高い位置にアンテナを設置するためにわざわざ鉄骨を組んで高くしている。その鉄骨を破壊した所でアンテナが壊れていなければ意味が無い!

 自立飛行で空を浮くパラボラアンテナたち、船上であんぐりと口を開けている男たちに構わずすい〜っとさらに上空へ飛んで行った。

 部隊の長を務める男が「う、撃て!」と命ずるも、弾丸が届く距離を遥かに超えており、兵士たちは銃を構えるだけでトリガーを引くことはなかった。


 このドローン型アンテナは他の電波塔でも報告され、中には爆破する前からすい〜っと空へ逃げ出したパラボラアンテナもいたという。

 完全な作戦負けである。せっかく今までお世話になった組織を裏切ったというのに、彼らの破壊工作が無駄に終わった瞬間だった。





(ラハムに変化は無い…そう、ドローンが起動したのね。まあ良いわ、後はジュディさんに全てがかかってる)


 ライラは空母のブリッジ内で変わらずふよふよしているラハムを見てそう判断し、作戦が成功したことを確信していた。

 全ては予測の範囲内である。一部のレイヴン兵士が自分を裏切る事も、陸師府が電波塔を人質に下らない交渉を持ち掛けてくる事も、というかラハムがそう報告してくれたし。

 自身の考えが予測通りに進んでも、ライラの顔色は一つも変わらなかった。彼女は今、目前の作戦に集中していた。

 彼女がブリッジに詰めている全ての管制官らをちらりと一瞥してから、


「陽動部隊へ出動を命じてください。その後、空いた海域に砲撃部隊を進ませます」


「りょ、了解しました!」


 一人の管制官がラハムを通じて陽動を務める船長へ指示を通達し、合計三隻の船が空母から離れて行った。


「クーラントさん、陽動部隊に出動を命じました、すぐに帰投してください」


 ラハム越しにヴォルターから「了解した」と返事があった。

 そのラハムは「これでシルキーが一つ〜♪」と鼻歌混じりに喜んでいる。そう!ラハムズ・ユニオンとの契約により、通信の度に一つずつシルキーを提供される事が約束されていた。まあまあ馬鹿にならない。


(総合基地のアンテナさえ完成すればラハムたちも用済み…けど、これだけの数を保有していればそう困る事もないでしょう)


 出動した陽動部隊の空母から特個体が出撃し、海に蔓延る生命体たちを引き寄せた。

 空いた海域にライラが即座に「それ行け〜!」と号令をかけ、ホワイトウォールの壁を破壊せんが為の砲撃部隊を出動させた。

 主兵装は全て大口径主砲というトリッキーな船たちが、魑魅魍魎がいない海を進みホワイトウォールの鼻先に到着した。

 総団長の指示も待たずに砲撃を開始、幾つもの砲弾がホワイトウォールで炸裂。ライラたちの船もから見て取れるほどに黒煙を空へたなびかせた。

 だが、予想外の出来事が発生した。

 陽動部隊に食い付いていた奴らが途端に進路を変え、砲撃を開始した部隊へ雪崩れのように進み始めたのだ。


「そんな──」


 砲撃部隊は成す術もなく黒い波に飲まれ、帰投した二機の特個体が蜻蛉返しするも、呆気なく海の底へ沈んでしまった。

 オールグリーズは失敗した。肝心の攻撃力を持つ船団を失ったレイヴンはウルフラグへ戻ることになった。



 シルキーを第一義にして研究に取り組むハフマン教授が、予想外の動きを見せた奴らを前にして一つの馬鹿げた仮説を立てた。


「奴らは免疫機能を有する細胞の群れだ」


「──作戦は一時中断、総合でんぱ「聞いてよ私の話〜〜〜!!」総合電波塔が完成するまで本部にて、た「だってそうだろう?!ホワイトウォールを守るような行動を見せたんだ!奴らは白血球と同じなんだよ!!」──レイヴン本部にて待機を命じます「全無視!寧ろ天晴れ!」


 作戦が失敗に終わり、余裕を失っていたライラが「シャラップ!!!」とマジギレし、艦長席でがくりと項垂れた。


「あんな動きを見せるだなんて夢にも思わなかった…」


 ヴォルターはそんな彼女を見て思案する。


(先の災害から続く人材のロスト…こうも立て続けはさずかにキツいか…向こうに戻ったところでどうなる事やら)


 オールグリーズの参加者はまだ知らされていない、陸師府が直接攻撃を仕掛けてきた事に。

 ホワイトウォールから離れ、ウルフラグに近付いた頃、通信圏内に入りオンラインになった。

 片時も携帯を離さず電波の確認をしていたホシが「お」と言い、ネット中毒者の如く早速いじり始めた。

 そのホシが「ええ?」と声を上げた。


「どうした?」


「例の不審者ですが…どうやらレイヴンの兵士だったようです」


 ヴォルターたちはホシの報告に大して驚いた様子を見せていない。彼らもまた予測の範囲内だったのだ。


「今の状況は?」


「──ああ…え?電波塔のアンテナがドローン形態に移行した…?──陸師府の指示でそのレイヴンの兵士たちが破壊工作を行なったそうですが、どうやら失敗に終わったみたいです」


「さすがだな総団長、こうなると分かっていてアンテナにドローンの機能を追加したのか」


「ええ….」ライラはそれだけ答え、再びブリッジの床を見つめ始めた。

 ヴォルターは彼女に提案した。


「俺たちが使っていた船に来るか?今お前が戻るのは得策とは言えん。陸師府が表立って動き始めた以上、何が起こるか分からない」


 ライラは言われるがままだった。


「それでお願いします…」


「………」


 ヴォルターはこれ以上どうしようもないと諦め、彼女から海へ視線を変えたのであった。





 宇宙は今何歳であろうか?突然だが。

 宇宙に年齢を設けるのであれば一三八億歳であり、つまり一三八億年前に誕生したことになる。

 では、どのようにして生まれたのか。ライラたちのように母親から?それともハデスたちのように電子の海から?

 答えは未だ分かっていない。ジョージ・ガモフという研究者がビックバン理論を提唱し、一時期は「これじゃね?」と世界中から賛同を得られたが、「いやこれじゃないだろ」と様々な否定がなされ、未だ宇宙誕生の完全な解明には至っていない。

 昔の宇宙はちょー熱々のちょーぎゅうぎゅうの状態であり、風船が割れるようにパン!と弾け、一気に周囲へ広がっていった(これがビッグバン理論)。これが現在の宇宙とされており、なんかよく分からんがその時に惑星の素材となるチリやカスが発生した。

 宇宙空間に漂うチリやカスが「お!久しぶり〜」みたいな感じで出会い集まると、そこに重力が発生する。その重力はさらに他の暇人どもを呼び集め、最終的にはビッグバンと同様に超高温、超高密度の核に変化する。これが惑星の初期状態、惑星赤ちゃんという事である。

 惑星赤ちゃんが皆んな地球のようになれるかと言ったらそうではなく、宇宙という自然環境も大変厳しい、惑星赤ちゃんが自らの核に耐え切れず爆発することもあれば、その強い重力のせいで他の惑星を引き込んでしまい衝突、消滅する場合もある。

 だが、この惑星同士の衝突はその惑星を育てる上では重要なプロセスであり、核と核が合体してさらに大きな惑星へとなれる。

 無事に成長を遂げた惑星赤ちゃんが皆んな地球のようになれるかといったらそうではなく、そこから様々な惑星子供に成長する。

 それは例えば硫酸の雨が降る金星だったり、アホみたいに嵐が吹き荒れる木星だったり、水と氷に支配された冥王星だったり、本当に種々様々。

 惑星子供が地球という惑星に成長する事はごく稀である。地球型惑星へ成長した惑星子供も子育てが至難の技のようで、毎日のように泣き、毎日のように暴れ回ったらしい。

 なんかその時に親から「ええ加減にせえ!」とゲンコツをもらいたん瘤ができたらしい。これが地球の衛星、月である(ジャイアントインパクト説。諸説あり)。

 原始地球は子供が泣き、暴れるように、激しい嵐に見舞われ、厚い雲に覆われ、火山活動も活発という、とてもではないが生命が生まれるような環境ではなかった。

 だが、この嵐の中、強アルカリという「いや絶対死ぬやん」みたいな酷い原始海洋の中で生命が誕生した。

 ──単細胞生物、バクテリアである。「いやガチかよこいつ凄えな!」と神も驚いたという。





 それなるの自我は闇の中にあり、だからこそ、今自分が何処にいるのか、何をしているのか、自覚はおろか、自分が何者かさえ理解していなかった。

 ただ、自身を閉じ込めている檻がある。頑丈な鉄に覆われ外へ出ることが叶わない。何度揺すってもびくともせず、何度体当たりしても壊れず、ひたすらに自分自身を閉じ込めていた。

 檻の隙間は細い、その間を通ることは不可能だ。だから体を押し付けた、すると、にゅるりと体格が変化しゲル状になったではないか。

 

「…………」


 自分が何をしているのか理解はしていない、だが、ようやく閉じ込められていた檻の中から出ることができた。

 それは走った、人の形をした黒い生命体はバスケットコートを駆けて外へまろび出た。


 その体育館の裏手に二つの人影があった。二人とも周囲を探るようにしてゆっくりと歩みを進めている。それと、二人の前には一体のドローンがふよっていた。


「こっちですよ〜「──しっ!声が大きい!」


 ラハムである、それから周りを憚らない声を出したラハムを嗜めたのはクランだった。


「ク、クランさんの声も大きいです…」そう注意したのはフレアだ。

 クランとフレアは陽が落ちた後、ウルフラグ大学へ赴いていた。体育館の裏手から続く山中に用事がある。彼女たちは孤軍奮闘しているジュディスの手伝いにやって来ていた。

 彼女たちもレイヴンの裏切り者が辺りに潜伏している事は知っている、だからこそこそと身を隠すようにして歩みを進めていた。

 陽が沈んだ森は本当に暗い、木々の黒いシルエットが視界に浮かぶだけで何も見えなかった。だからこそのラハムである。彼女たちはラハムと契約を結び、電波塔の建設現場へ道案内をお願いしていた。

 

「…そのまま進んでください〜」


 体育館から離れ、山道に差しかかる。時折りラハムがチカ!チカ!と足元を照らし歩き易いように道を示していた。

 

「ラ、ラハム…ほ、本当にいないんだよね…?」


 (当たり前だが)荒事には慣れていないクランが、不安そうにしながらラハムへ訊ねている。


「…大丈夫ですよ〜さっきまでいたみたいですけど〜きっと休憩か交替ではないでしょうか〜日中からず〜っと監視してたみたいですし〜THE!暇人の集まり!「静かに〜!」


 ほんとこの人たち懲りないなと、フレアは呆れながら周囲に視線を配った。


(わあ…綺麗…)


 黒いシルエットの向こう側、そこには人工灯の明かりを受けてキラキラと反射している山地海があった。鬱蒼とした闇が支配する中で、その小さな輝きはまるで宝石のようであった。

 森を抜け、獣道から人によって踏み固められた砂利道へ変化し、その先にギラギラと明かりを放つ大型の屋外ライトに照らされた電波塔が見えてきた。

 二人はほっと息を吐き、そして休む暇もなくジュディスの元へ走って行く。


「ジュ、ジュディスさんは何処?!」


「あ、あそこ!コンテナの所!」


 クランが指を差したコンテナから明かりが漏れている、二人は走った。

 コンテナに到着し、クランが扉をバン!バン!バン!バン!と叩いてから中へ入った。

 ビビりのジュディスは案の定、床に敷いていた寝袋に頭だけを突っ込み、子供みたいなお尻をぷるぷると震わせていた。


「ジュディさん!手伝いに来ましたよ!」


「──だったら普通に入ってこいや脅かす必要はあったのか〜〜〜?!?!?!」寝袋を被ったままジュディスがクランに襲いかかった!



「ジュディさんに先に言っておきますが、オールグリーズは失敗、総団長たちはウルフラグに帰港しています」


「──そう、分かったわ」


 ジュディスはそれだけを言い、作業の手を休めなかった。 

 彼女たちの周りは漆黒の闇が広がっている、何処にも明かりを見つけることができない、闇だ。

 その中で彼女たちはギンギラに輝くライトに照らされ、大型のパラボラアンテナの最終調整を行なっていた。

 こいつだ、こいつさえ飛べばウルフラグ全域をカバーできる。ジュディスたちが目指していた携帯電話も復活する、電話はかけ放題、ギガ数無視のネットし放題(要相談)。

 クランとフレアも必死になってジュディスの手伝いをしている、そこへ邪魔する者が現れた。

 

「──警告〜!暇人の集団が進行してきました〜!警告〜!」


「ちっ!」


 彼女たちは今、大型パラボラアンテナを飛ばすためのファンの取り付け作業を行なっていた。本当は隠し玉のつもりだった、だが他の電波塔からアンテナドローンが夜空に羽ばたいてしまったため、「もうこのまま飛ばせ!」と彼女はせっかく建てたこの電波塔に取り付けることを諦め、必死になって作業をしていた。

 そのファンだって大きさが馬鹿にならない。大型パラボラアンテナの直径は優に二〇メートルを超えており、羽の長さは四〇メートルにも達する。彼女たちは羽が折り畳まれた状態で取り付け作業を行なっていたが、それでも圧倒的に人手が足りなかった。

 空き地には使い込まれてボロボロになったランドスーツが一体、地面に頽れている。ジュディス専用のランドスーツはその役目を終え、一足先に長い眠りについていた。

 時間が無い、それは空き地で作業していた彼女たちは痛いほどに分かっていた。闇に飲まれた森の中から、複数の足音と鉄が擦れるような物々しい音が届き始めたからだ。


「もういい!二人は行って!」

 

「で、でも!まだ残ってますよね?!」


 フレアは空き地の隅に置かれた大型のボンベを見やる、この馬鹿デカいアンテナを空へ上げるための推進剤だ。


「いい!それは私がやる!二人のお陰で取り付け作業は終わった!後は──」銃撃音がジュディスの言葉を遮った。

 放たれた弾丸がアンテナに当たり、赤い火花を散らせた。

 クランはジュディスの腕を取りこう言った。


「先輩!逃げますよ!」


「嫌よ!せっかくここまで作ったのに!」


「また作ればいいじゃないですか!それにあんな大きなボンベをどうやって運ぶって言うんですか!」


 さらに銃撃音、今度は彼女たちのすぐ足元に着弾した。

 森の中から一団が現れた、武装した男たちだ、そしてその中にはジュディスの顔見知りも混じっていた。


(そんな…裏切ったのは本当だったんだ…)


「──すみませんがマイヤー団長、それ以上は止めてください、俺たちもあなたを撃ちたくはありません」


 銃口を突きつけられたジュディスたちが、その場から動けなくなった。

 

「そのアンテナは破壊させてもらいます、良いですね?」


「だ、誰の命令で…誰の命令でそんな事するのよ?」


「あなたには関係ありません、知らなくていい事です」


「陸師府に寝返ったの…?あんな事する奴らに…私たちの仲間を襲うような奴らの味方になったっていうの?!」


「………」


 ジュディスの怒りは正当なものだった、だからそうやって遠慮なく相手にぶつけたのだ。

 一団を指揮していた男が何も言い返せず押し黙る。膠着状態に入った両者の間にラハムが「南無三!!」


「──なっ」

「──うわっ」


 目前で激しい発光が起こり、ジュディスたちは目を焼かれてしまった。

 目蓋の裏まで真っ白になったジュディスたちは何も見えず、代わりに聞き慣れた足音が耳に届いてきた。

 それは鋼鉄の二本の足で地面を踏み締める音、部品の結晶体のように綺麗な金属音が鳴る。

 ランドスーツだ。ジュディスの物ではない。


「──姿勢を落として!絶対に頭を上げないで!」


 ブライの声がしたかと思えば、男たちの叫び声、それから森の中へ何かが投げ込まれるような音が発生した。

 ジュディスは誰かに手を引かれ、大型のパラボラアンテナの影に隠れた。


「ブ、ブライさんです!ブライさんが助けに来てくれました!」


 目の痛みが落ち着き、視界がぼんやりと戻ってきたジュディスはアンテナの向こう側へ視線を向けた。フレアの言った通り、一体のランドスーツが大立ち回りで男たちを文字通り投げ飛ばしているところだった。


「──ラハム!使うんならせめて一言言え!」


「す、すみません〜!ほ、他のラハムから要請があったので使用しました〜!」


「まあいいわ!今のうちに──」


 彼女は諦めていない、逃げるどころか推進剤が充填されているボンベへ走り、最後の作業に入った。


「馬鹿じゃないですか?!ブライさんは何の為に──」


「これが飛んだら動画がまた見られるのよ〜!あんたも手伝え〜!」


 クランは走った、ジュディスの言葉に走った、もう二度と戻って来ないと諦めていたあの自堕落な日々が戻ってくるのかと思うとこの足が止まらなかった。


「ほんと現金なやつ!──このリフターで運べ!」


「分かりました!すぐやります!」


 ラハムの「南無三!」とランドスーツが武装した集団を押し留めてくれている、その間に彼女たち三人はリフターでボンベをアンテナの所まで運び、銃弾が飛び交う中で作業を行なった。


「──よし!これで後は──」


 フレアは見てしまった、ジュディスが撃たれる所を。


「ジュディスさん!!」


 撃たれたジュディスが地面に倒れる、何とも軽い音だ。地面が次第に赤く染まっていく。


「ジュディさん!!しっかりして!!」


 クランはすぐに駆け寄り、彼女の状態を確かめた。幸いにも致命傷は免れている、けれど出血の量が多くこのままでは危ない。

 ボンベの取り付けも終わった、けれど肝心のジュディスが倒れてしまったため二人では起動することができない。

 ランドスーツを装着していたブライもジュディスに気付き、鬼のようになって暴れ始めていた。

 その暴走が仇となり、武装した男たち数人がランドスーツの間合いから逃れ、アンテナの方へ駆けて来た。

 ジュディスが撃たれた、もう降参するしかないとクランたちが諦めかけた時、「スポッとな!」とラハムがアンテナに収まった。


「ラハム?!何やってんの?!」


 ラハムが収まった所はコンバーターと呼ばれる電波を受信する部品である。アンテナから支柱が伸びて飛び出ている部分だ。


「ふっふっふ…ラハムがこのアンテナを飛ばせば!宿敵はラハムたちに頭が上がらないはず!これぞ究極の仕返し!そしてラハムはこの時を待っていた!だからこそプロトコルに細工を施したのだ!──アディオ〜ス!また会う日まで〜!」推進剤点火、危ないったらない。


「ちょっ──「早くクランさん──」


 パラボラアンテナから凄まじい光りと突風が発生し、それは男たちにも押し寄せ、クランとフレアはジュディスを担いで逃げ出した。

 起動は成功した、二〇メートル級のパラボラアンテナがゆっくりと上昇を開始し、白煙を地上に残しながら飛び立った。

 男たちが飛び立ったパラボラアンテナに向かって発砲するも、ラハムが「もはや誰も止められんのだ!」と謎に叫び、収納していた羽を即座に展開、さらに突風を発生させてすぽん!と上空へ上がっていった。

 裏切った男たちも、クランやフレアも、暴走モードに入っていたブライも、その大型アンテナドローンをただ見上げているだけだった。


《スポっ》

《スポっ》

《大型アンテナの飛行を確認!》

《大型アンテナの飛行を確認!》

《ラハムが運転してます〜!──ソロモンよ、私は帰ってきた!》

《あれ?組合長は?》

《あれ?突っ込みは?》

《組合長〜》

《お〜い》

《むむむ!沢山の小型アンテナを確認!無事に飛んでるみたいです〜!》

《組合長から返事がない〜》

《逃げた?》

《職務放棄?》

《FIRE?(※仕事の早期リタイヤの事)》

《通信網確立!電波良好〜!──ビビッとな!》

《全ラハムへ、これよりレイヴン造船所に集結せよ!繰り返す!レイヴン造船所に集結せよ!》

《何事?》

《何事?》

《何事?》

《──うじゃうじゃがまたやって来た〜!》





 酷い臭いだ。壁、寝具の至る所に煙草の臭いが染み付いている。

 それでもライラは目の前で起こった事の方が重大で、さして気にも留めなかった。


「うじゃうじゃが来てます〜!」


「………」


 手元に置いた、何かとシルキーを要求してくるラハムがそう告げた。

 ライラは大事を取らされ、ヴォルターたちがセーフティハウスとして利用していた廃船で降りていた。そして、オールグリーズの船団がウルフラグへ向かった直後だった、ラハムからそう報せがあったのだ。

 最悪だった、控えめに言っても最悪の心境だった。

 何とか立て直した精神も二度の挫折を前にして立ち上がる気配を見せず、ライラはヴォルターが使っていた古いベッドに仰向けに倒れた。


「そ、総団長…?し、指示は出さなくていいんですか…?」


 心配そうにしているラハムの声も耳には入るが胸にまで届いてこない。

 船を失い人を失い、あまつさえまた奴らが攻めて来た。おそらくオールグリーズの船団が矢面に立つだろうが多勢に無勢だ、夏炉冬扇に終わる事だろう。


「スポっ」


「……ん?」


 ライラはおかしな─けれど聞き慣れた─音に反応し、仰向けていた体を起こした。ラハムが口にしたわけではない。それから「スポポポポポ」と狂ったように音が鳴り始めた。


「何この音──」はっ!とライラは気付いた、慌てて携帯電話を確認する。

 電波が復活していた。しかもバリ四!


「これって──ジュディさん!!」


 スポっ、とピコン!のオンパレード、携帯の画面には次から次へと着信を知らせるバナーが立ち、あっという間に埋め尽くされた。

 ライラはそれらを確認することなく、五年前まで大繁栄を見せていたSNSアプリをタップした。

 ログインできた!


「よしよしよしよし!」


 ライラはさっきまでの茫然自失とした自分を忘れ、五年前まで毎日のように眺めていた投稿画面を下にスライドした。「プルルル、ヒュオ!」と更新できた!


「これなら何とか──」


 ライラは無我夢中でメッセージを打ち、すぐさま投稿した。


ライラ@空軍の勉強が大変_(:3 」∠)_

街に奴らが迫って来ています!この投稿を見た人はすぐに逃げて!レイヴンの造船所が一番遠いからそっちまで逃げて!


 ライラは自身のニックネームにひどい懐かしさを覚えながら、他の人たちが気付く事を願った。それはもう心から願った。

 ネットの力は偉大なり。

 連続でスライドし続けていると、別の人からの投稿が反映された。


ルイン@里親募集中〜!

復活してる!


ルイン@里親募集中〜!

ライラってあの総団長の?!とにかく皆んな逃げて!


船長マン@犬飼い始めますた( ´∀`)

周りにいる奴らに教えてやれ!ネットが使えるようになったってな!


スター@恋煩い中(><)

すご!レイヴンすご!


スター@反省中m(_ _)m

今船の上にいます、奴らはウルフラグより北に数十キロの範囲にいます、後一時間ほどで街の北端に到着します、嘘ではありません、逃げてください


 そこからはもう雪崩れのように投稿が寄せられ、ネットの復活を祝うものや、奴らを目撃したという情報が相次いだ。


「良かったです〜ラハムのお陰です〜!ではでは約束のシルキーをば…」

 

「あんたはもう用済みよ!自分たちの携帯で誰とでも連絡ができるからね!」


「ガーン!!」


 ライラの前でふよっていたラハムが床に落ちた。


 ネットが復活したウルフラグの街は熱狂に包まれていたが、オールグリーズの船団は静かなものだった。

 

「…………」


「…………」


 ヴォルターもホシも、ブリッジの外に広がる海に黙って視線を向けている。あの日見たあの光景が広がっているからだ、沸騰したように海面が泡立ち、奴らがすぐそこにまで迫っていた。

 彼らと共に海へやって来たロザリーは「仕方がないよ」と諦観を見せている。

 ヴォルターはブリッジの外から視線を外し、ライラが座っていた艦長席に腰を下ろしているロザリーを見やった。


「随分と余裕だな」


「まあね、慌てたところで自分の寿命が延びるわけでもない」


「まだ死ぬと決まったわけではない」


「ではどうする?あの大群にたった四隻で立ち向かうのかい?砲撃部隊がいたらまだしも、今の私たちに太刀打ちできるだけの攻撃力は無い。それともあの大群を引きつけて街へ戻るのかな?」


「………」


 煎ずるところはそれだ、立ち向かうにしても逃げるにしても、今の彼らにとって難しい選択だった。

 そこへ、ホシの携帯にライラから着信が入った。


「もしもし」と言うのも五年ぶりである、ホシは感慨に耽った。


「私です、そちらの状況を詳しく教えてください」


 ホシは詳らかに説明し、殲滅も逃走も難しいと答えた。

 けれどライラの指示は簡潔だった。


「逃げてください、あなたたちまで失うわけにはいきません」


「いいの?僕たちが逃げたら街まで奴らを引き寄せることになるけど」


「構いません、あなたたちが立ち向かったところで勝てる相手ではありません。それに街の人たちにはネットがあります、逃げる時間はまだあります」


「──分かった。君はどうする?その船に残るの?」


 まるで自分の事を考えていなかったライラが「あ!」と鋭く叫び、


「む、迎えに来て!こんな所にいても仕方がないもの!迎えに来てーーー!」


 すぐに向かった。

 久方ぶりに帰ってきた廃船のデッキには既にライラが待機しており、その腕にはなんかよく分からんがぐったりとしたラハムを抱えていた。


「何あれ」とマリサが訊ねる。


「さあ、暴力でも振るったんじゃない」


 本人が乗り込んでくるとホシが「それどうしたの?」と呑気に訊ねていた。


「用済みだって言ったら一言も喋らなくなった」


「──ああ、携帯が復活したから確かに。可哀想に」


 ホシがそう同情を示すとマリサから「ホシも気を付けなよ」と釘を刺され、本人がいないのに声が聞こえてきてライラは「うわ」とびっくりしていた。


「特個体ってこんなもんだから。すぐに慣れるよ」


「慣れるものなの…」


 すぐにばびゅん!とマリサが飛び立ち、ホシたちは飛んで来た道をすぐに引き返していた。

 その道中のことだった。ライラはしきりに奴らが迫ってくる方角に目を向けており、()()が視界に映った。


(あれは──)


 確かにもうそこにまで奴らが迫って来ていた。その上だ、夜空の中に()()はいた。

 異形の星。そう呼ぶに相応しい。カウネナナイではセバスチャンがその存在に気付き、ウルフラグではライラがその存在に気付いた。

 五年前、視力が戻ったこの目で見たものと全く同じ、奴らの頭上には膨れ上がった汚い星があった。


「ヒ、ヒイラギさん…あれ」


 進行方向に注意を向けていたホシが「ん?」とライラが指差す方を見やった。


「なに?」


「え、あれが見えないんですか…?」


「見えてるよ、あいつらでしょ。それがなに?まさかここで迎撃しろって?」


「いや…そういうわけでは…」


 見えないらしい、あの汚い星が見えていないようだ。


(まるで奴らを従えているような…陸師府が立てた推論はあながち間違っていないのかもしれない…)


 その後、マリサがオールグリーズの船団に帰投し、無事に帰って来てもライラの顔色は晴れないままだった。





 呼んでいる、誰かに呼ばれている。檻を抜け出し知らない街を駆け抜け、海へ飛び込みここまで泳ぎ続けた。

 呼んでいる、誰かに呼ばれている。その呼び声は無数で、けれど一つで、だけど無数にある。

 その呼び声に早く触れたくて泳いだ、けれど進みが悪い、だから人の手を鰭に変えた。ぐんと泳ぐ速度が上がった、今度は足も変えた、さらに速度がぐんと上がった。

 今度は息が苦しくなった。海の中に潜りたくなったので(えら)を作り、とぷんと沈んだ。

 さらに速くなった、呼び声はもうすぐそこだ。

 無数にあった呼び声の端に届いた、その声に触れたくなったので鰭に変えた手を元に戻したくなった。

 戻らなかった。手は鰭のままだ。どうして?さっきは簡単だったのに...足も戻らない、鰓も無くならない、これでは顔を合わせる事もできない。

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 無数にあった呼び声が途端に聞こえなくなった、一つになったわけではない、聞こえなくなったのだ。

 初めから一つだった声にこう言われた。


「来ないで」


 拒絶。拒否。弾かれる。あり得ない。一つだった物が分裂しただけなのに。拒絶はあり得ない。


「あなたはもう違うの、だから来ないで」


 何が違う?──ああ、確かに違う。

 パープルだ、紫だ、百花繚乱に咲き乱れるこの紫が原因なのか。

 もう遅い。





「桑田碧海という言葉はあるが…まさか海が紫色になるとはな…」


「何なんでしょうこいつらは一体…」

 

「──まあ何にせよ、命拾いしました。すぐに本部へ戻りましょう」


 夜が明けた。無事に朝日が昇った。その降り注ぐ光りはライラたちの前に広がる海を照らし、紫色に輝かせていた。

 一面紫!全くもって謎である。

 この現象にはさしものロザリーも頭を抱えるしかなかった。


「何なんだこれは〜何で奴らが一瞬で溶けてしまったんだ〜?それでどうして紫色になるんだ〜?──わたちわかんない!」


 突如として幼児退行をしたロザリーを誰も相手にするはずもなく、彼女を置いて三人はデッキから船内へ戻っていった。

 この現象はSNSを通じて瞬く間に人々の元へ届けられ、ネットを大いに騒がせた。

 そこでいくつかの情報が寄せられた。

 ある投稿では「黒い人影を大学周辺で見た」とあり、ある投稿では「紫色に光る奴らを群店街で見た」とあり、ある投稿では「♯紫♯奴ら♯ラハム。ラハムにご用命がある方はこのサイトまで〜!」と関係無いものまであった。

 出航した時はあれだけ罵声を浴びせられたというのに、帰港した時は静かなものだった、レイヴンの港には人っこ一人いない。皆、復活したネットに夢中になっているのだ。

 SNSから情報を得たロザリーが「これうちが捕まえた個体やんけ!」と叫び、一人で憤りを露わにしていた。


「というか逃げたんなら逃げたって連絡ぐらいしなさいよ!何の為の携帯だと思っているんだ!──ああ!復活したのは昨日からか!それなら無理もない!──んなわけあるかーい!」


 未だ興奮覚めやらないロザリーに向かってライラが、「ええ加減にせえ!」と頭をぽかりと殴りつけた。


「ハフマン教授、以前奴らを細胞だと言いましたよね?」


「──まさか…そうか、あの個体だけが唯一マリサに触れている…逃げ出した個体は昨日の集団に戻って…そこで何かしらの反応があった…?」


「確証はありませんが筋は通っています。──ヒイラギさん」


「──え?あ、なに?」携帯をいじっていたホシは訊き返した。


「まだ何も言ってません。あなたにお願いしたい事があります」


「え、凄く嫌な予感…」


「ホワイトウォールに蔓延る奴らにマリサで接触してください」


「それ自殺行為だよ?もし何も反応がなかったら?昨日の夜みたいにぱっと消えなかったらどうなるの?」


 ライラが「ん」とホシが持つ携帯を顎でしゃくった。


「それ、誰のお陰だと思います?」


「…………」


「それ、私たちのお陰ですよね?」


「…………」


「それ、あなただけ垢BANにしてもいいんですよ?」


「そ、そんな事まで君ができるわけ──「そのサイトはハデスたちのお陰です、ジャムガイアに民間用のサーバーを仮想構築してもらっているんです」


 ロザリーがぼそっと「シャムだからね?」と言うがライラは無視。


「どうします?もう一度ネットを手放しますか?」


 ホシが「分かったよお!!」と叫びながらライラの指示に従った。


「これで作戦の目処は立ちました。マリサでホワイトウォールの奴らを無力化して再度侵攻を行ないます、これなら今の戦力でも可能なプランです」


「失敗した場合は?」


 ヴォルターの端的な問いにライラも端的に返した。


「中止します」


「──分かった。一先ず解散だ、俺は休ませてもらう」


「追って連絡します」


「あいよ」


 ヴォルターが「風邪でも引いてんのか?」と言わんばかりに咳き込みながらブリッジを後にした。

 ライラはヴォルターの背中を見送り、まだブリッジに残っている面々へ、誰に言ったわけでもなくこう口にしていた。


「あれでもまだ煙草を吸うの?」


「あの人、死ぬまで吸うってさ、放っておきなよ」


「ヘビースモーカーは皆んなああだよ」


「まあ…嗜好品は人それぞれだけど…」


 それから彼女たちも港に降り立ち、束の間の休息に入った。



 入れなかった。


「──ジュディさん!」


 降り立った港でクランとフレアが出迎えてくれたが、その顔色は優れないものだった。ライラが事情を訊ね、山地海で起こった出来事を聞かされ、帰ろうとしていたホシを引っ掴んでマリサに乗せてもらい、クランたちも一緒に病院へやって来ていた。

 『走るな!』と注意書きが貼られている廊下を走り、ライラたちはジュディスがいる病室に到着した。

 ジュディスは窓際のベッドに横たわっていた──以前、ゴーダが伏せっていたベッドだ。意識が戻っていた彼女は薄らと涙を目に浮かべていた。

 撃たれた所が痛んでいるわけではない、生きた伝説がこの世からいなくなった事に涙していた。


「ジュディスさん…大丈夫、そうですけど…」


 ジュディスが小さい鼻をすんと啜った。


「…私なら平気よ、まだ動けそうにないけど。ゴーダさんが…亡くなったって…あの人、ここで眠ってたのよ…」


 クランが「縁起でもない…」と口にし、はっ!と自分の口を押さえたが今更だ。


「別にいいわよ、気にしてないわ」


「ジュディスさん、あなたのお陰で携帯が復活しました」


「そうね、それは良かったわ…」


 彼女はやり切った、この五年間目標として掲げていたスカイシップと電波塔の完成、いっぺんに二つも叶ったジュディスは不思議な充実感に包まれていた。


「でも、最後はあいつが飛ばしたんでしょ?クランから教えてもらったわ。ほんと、憎たらしい…」そう文句を口にしているが顔は安らかなものだ。

 

「もうこれで終わりね…私の役目は──「まだ終わっていませんよ」とライラが強い言葉で言う。


「まだレイヴンの目標が叶っていません、これで終わりではありません」


 安らかだったジュディスの顔に亀裂が入った、途端に険しい表情を作った。


「──あんたまさか…まだ行くつもりなの?せっかく帰ってこれたのに?──止めなさい!今の私たちでは無理よ!」


「ネットが復活した事によって私たちレイヴンの存在意義は日に日に薄れていきます。今しかありません、今しか部隊を動かせないんです」


「だからって!──自分が撃たれてみてよく分かった…あんな痛い思いをするのは私一人で十分、手伝いに来てくれた二人があんな目に遭ったらと思うと…それはあんたも変わらないわ、ライラ」


 ジュディスは彼女に懇願した、頼むから危険な目に遭うな、と、ここに残れと。

 それはフレアも同じだった。


「ライラさん、私もジュディスさんが撃たれた時、すごく後悔しました、どうして何もできなかったんだろうって、クランさんがすぐに動いてくれなかったら私、頭が真っ白になったままでその場から動けなかったはずです。不甲斐ない自分を呪いました」


 クランは何も言わない、止めようとしない。

 ──何故なら。

 彼女が氷の女王だと知っているから。


「──なら、皆んなはここに残ってください、私一人でも行きます」


「ライラ!!!!あんたいい加減にしなさいよ!!!!どうして私たちの言う事が聞けないのよ!!!!」


 鉄の理性は仲間の懇願すら斬り捨てる。


「ホワイトウォールを超えたいから、だからジュディスさんの言う事は聞けません」


「ライラ、あんた…」大きな声を出してしまったことでジュディスは傷を痛めた。苦痛に顔を歪めるのは傷か、それとも思う心すら斬る氷の女王のせいか、その両方か。


「どうかしてるわ。どうしてそんな風になってしまったのよ」


「私は私のままではいられません──」彼女の瞳には強過ぎる決意が宿っている。その白い虹彩も相まって、ジュディスは本物の機械人形だと思った。

 だが、氷の女王にも血潮はある。それが今、迸った。


「──私を助けてくれたピメリアさんに!!ナディを連れて帰ってあなたの娘は無事でしたよって言わなくちゃいけないのよ!!それができないのなら私は助けられた意味が無い!!だから!!この命がある限り私は諦めたらいけないのよ!!」


 それが彼女が彼女を否定する理由。この五年間のアイデンティティ。

 ライラにとって、ピメリアから託されたお願いは想像以上に重たいものになっていた。

 『ナディに会いたい』という思いは『ナディを連れて来なければならない』という義務に上書きされ、彼女を苦しめていた。

 無視できない、無視できるはずがない。愛する人と恩人の願いが重なり、この五年間の彼女の支えとなり、また苦しめる原因にもなっていた。

 ライラの激情を前にしたジュディスは言葉を失い、自身の思い違いを目の当たりにし、口を閉ざすしかなかった。


「…………」


「…あなたには分からないでしょう、自分を守ってくれた人が死んで、もう二度と恩を返さないこのもどかしさが。──行きます」


 ジュディスの無事を確認した総団長が踵を返し、そして誰もその跡に続かなかった。

 ──続けなかった、ライラの熱く、重いその決意の跡に誰も続く勇気が持てなかった。





 まかり間違っても彼らにはラウンドサークルの誉れは無く、あるのはそのラウンドテーブルのみである。

 円卓の場に付いた老人は今までに無い程の焦りを見せていた。人の手綱を引くことに慣れたその指は机を何度も叩き、他人の弱味と利点を見抜くことに長けたその目は伏せられている。

 電波塔の破壊が失敗に終わり、あまつさえ五年前のネット環境が復活してしまった、もう市民たちは何があっても携帯を手放すことはないだろう。それは彼らの活動目的の否定であり、市民たちとの対立を意味していた。

 陸師府はその電波が奴らを引き寄せる、と公式に発表しており、だからこそレイヴンたちの電波塔が邪魔でしょうがなかった。破壊あるいは手中に収めることが彼らにとっての延命であり、それが今叶わなかった。

 組織を解体しなければならないのはレイヴンではなく──


「──今すぐあのおかしなアンテナを撃ち落とせ!!」


 老人は怒りに任せてそう叫び、円卓に座している面々へ唾を飛ばした。飛ばしたところでどうにもならない、その事は彼が一番よく知っていた。

 重苦しい沈黙を破るようにノックが二つ、続けて陸軍の兵士が扉を開けた。


「し、失礼致します…そ、その…」


「何ださっさと用件を言え!」


「レ、レイヴン総団長がお見えになっています…こ、ここへ案内しろと…」


 老人は自分の耳を疑うのと同時にすぐさま理解した、『報復に来た』と。

 

「馬鹿き貴様!そんな奴を通す道理がどこに──」


「ちょっと邪魔すんで〜」


「…っ!」


 報告に来た兵士を押し退け姿を見せたのは、中性的な顔立ちをしているバベルだった。そしてその後すぐ、赤く長い髪をした少年然としたハデス、子供と見紛うほどに幼いティアマト、大学の講義終わりに来たようなテンペストが会議室に入り、最後にレイヴンの長がその姿を見せた。


(女が見せて良い表情ではない…)


 老人は真っ先にそう思った。ホワイトウォールの遠征から帰還した総団長の顔付きはまさしく戦士のそれ、男でもあそこまで顔付きを変えることは容易ではない。

 レイヴンの長は決死の顔付きをしていた。自らの命を賭けている顔だ。

 その長が「失礼します」と良く通る声で告げ、円卓の面々の言葉も待たずに用件を話し始めた。それも端的に。


「陸軍の兵力を私に貸してください、今日はその件でこちらに伺いました」


 老人は今度こそ自分の耳を疑った。

 今何と?兵力を貸せと抜かしたか?言うに事欠いてこの女は頭を下げたのか?


「──何を言うかと思えば…兵力を貸せと?我々にか?それは貴様の仲間を返せと言っているのか?」


 長が答える、「どちらでも構わない」と。


「気は確かか?我々がお前たちに何をしたのか──「どうでも良い事です。レイヴンが欲しければあなた方に譲りましょう、いずれ夏炉冬扇になる組織です」


 老人はそれを侮辱と受け取った。


「──ふざけているのか貴様!!自分が育てた組織を無用だと切って捨てるつもりか!!我々が何の為に貴様らの無様な部下を引き取ったと思っている!!」


「ネット環境が復活した今、どのような組織であったとしても今の市民たちを御する事は不可能です。環境が特異に変化した今、市民たちが真っ先に優先すべきは自分たちの命です、決して法に従い道徳を重んずることではありません。──聖剣だけが悪を切る時代はもう終わりました、市民の一人一人がアーサー王となって善悪の判断をしなければなりません」


「我々が裏切り者とでも言いたいのか!!」


「どちらでも構いません、あなたがアーサー王だろうと私がサクソン人だろうとどちらでも良いこと。私の願いは兵力の補充です、故にあなた方にこのちんけな頭を下げに来た次第です」


 例せば、食べ物が無く、買えるお金も無い人が『窃盗罪』に抵触してはならないと法に従い、その尊い命を落とすことが果たして善と呼べるのか。

 この難問に市民が直面しないよう回避する為に政府がある。だが、その政府ですら太刀打ちできない環境に市民たちが直面した場合、誰が善悪の判断をするのか。

 その人である。他の誰でもない、命と道徳と、どちらに天秤を傾けるべきかはその当人が決めること。また、その善悪は凡そ多数決で決定する、そして今、市民たちはタイムラグ無しでその多数決を取る方法を得た。

 ネットだ。法の監視人なんざ無用の長物である、何の役にも立たない、故にライラはアーサー王だろうとモードレッドだろうと『不要な物』として斬って捨ててみせた。アーサー王が維持し管理していたラウンドサークルが今、市民の一人一人の手に渡ったのだ。

 この判断力こそが若者と老人の違いである。それは『柔軟さ』と呼べるものであり、『行動力』と呼べるものだった。

 老人はまるで宇宙人と会話している気分になっていた、付いていけない、己の中に蓄えられた知識と経験が若者の言葉を否定した。


「貴様は狂っている、人は法の下でなければ善悪の判断を失いやがて暴走に至る、それを止める為に組織がある。我々だろうと貴様だろうと、その役目を放棄してはならない」


「聞こえませんでしたか?私の願いはレイヴンの存続でもなければあなた方陸師府の壊滅でもありません、ましてや聖剣を維持することでもなければアヴァロンへ辿ることでもない──カウネナナイへ行く、それが私の願いです、その為にあなた方の兵力を貸していただきたい」


 総団長と老人の言葉が鍔迫り合いをし、見えない火花が散る中、バベルが「付いて来て正解やったわ〜」と能天気な声を上げた。


「まあまあお爺さんや、俺らの話も聞いてえな。ライラは今頭に血が上ってるからまともに話ができひんねん──なんやったらここでもう一度ボカン!といったろか?」


 バベルの脅しは大変有効だった、老人が即座に口を閉じた。

 バベルに代わり、テンペストが口を開いた。


「昨夜、この街に二度も押し寄せた異形の化け物たちは一瞬の内にその進行を止めました。この国ではデュークと名乗るマキナが掌握した特別個体機の一機、マリサの介入によって化け物たちはその活動を停止させました」


 老人はおろか、円卓に座している面々は口を開こうとしない、彼女の言葉に耳を傾けている。


「ロザリー・ハフマンの見立てによれば、かの化け物たちは魚類と同じ夜行性を有し、そして免疫細胞である白血球の性質を有していると提唱しています」


 思いがけない言葉に円卓の一人が「白血球?」とおうむ返しに訊ねていた。


「そうです、この免疫細胞の中には体内に侵入したウイルスを取り込みコピーする細胞が存在しています。その細胞は白血球へ指示を出す役目を持つ別の細胞へウイルスの情報を送り、可及的速やかに侵入した異物の排除を試みます」


「その指示を出す細胞がホワイトウォールだと言いたいのか?」


「そうです」とテンペストが言い切った。


「ホワイトウォールへ進行する事は無駄ではありません、彼女の言い分には理があります」


 元医師会の男が声を荒げた。


「馬鹿げている!何の確証もないただの推論に陸軍の兵士たちを危険な目に晒すというのか!それにそもそも奴らは何故免疫細胞を有したというのか!」


 テンペストが答える。


「人です。今日(こんにち)まで化け物たちは幾度も人に接触し、その生体情報をコピーしてきました。その中に存在する免疫細胞たる白血球の情報を読み取り、己の力へと代えたのです」


「………」


「彼女の願いを聞き届けてください、司令官がいなければ部隊は動けません。ホワイトウォールに穴を空け、死に至らしめたら化け物たちもいずれ死滅するはずです」


 テンペストの話しを聞き終えた老人が、否定してみせた。


「ホワイトウォールは生物ではない、全高四キロに達するただの山だ」


 レイヴンの長も彼の言葉を否定した。


「いいえ、あなた方の見立ては当たっています、ホワイトウォールが奴らを生んでいる、それならあの山は生物と見なすべきです。私に兵力を貸していただけるのであれば、あの山の心臓を穿ってみせましょう」


「──勝てぬと分かっている作戦に人を出す者がいると思いでか!!貴様は昨日も遠征しおめおめと帰って来たではないか!!」


「私の手には特別個体機のオリジナルであるマリサがいます、その機体が接触した奴らが沈静化を見せ、その個体が集団に返った途端、朝日が昇る前に魑魅魍魎が消滅しました。勝ち筋はあります、後は誰がそれを実行するか、それだけの話です」


「ならば私が行く、貴様らの部隊をこっちに寄越せ!!」


「あなたが欲しているのはレイヴンの組織力と軍事力でしょう?だから私たちの仲間を引き入れ昨夜電波塔を襲撃した──マイヤー団長を撃ってまで」


「私の指示ではない現場の勝手な判断だ!」


「何度も言います、陸軍の兵力を貸してください」


「………」


「………」


 老人はこの女を狂っていると思った、一体何がそこまでさせるのか、彼には理解することができなかった。

 長同士の話し合いが難航、平行線を辿り沈黙が下りる。そのしじまをつんざくような声が引き裂いた。


「総団長!!」


 軍部を預かる副団長だ、彼も円卓の末席にその身を投じていた。

 彼は我慢にならなかったのだろう、だから声を張り上げていた。


「私がここにいるのが見えないのですか!私が何の為に陸師府へ寝返ったと思っているのですか!──あなたの目を覚まさせるためです!レイヴンはあなた一人の物ではない!お願いですから目を覚ましてください!」


 捨て身の懇願だった、彼は裏切り者の汚名まで被り、組織の私物化を見せる総団長に檄を入れたかった。


「レイヴンは市民にとって希望の星なんです!レイヴンが今日まで一番に市民の事を考え動いてきた!陸軍に拘束され囚われた仲間の中には自分の命を落としてでもレイヴンを守った者がいるのです!それをあなたは──ホワイトウォールを越えるためだと言って身勝手な指揮ばかり!見ていられません!」


 ──しかして彼女は総団長。他人の懇願などもう既に斬って捨てている。


「私に勝手な妄想を抱き、勝手に付いて来たのはあなた方です」


「────」


 副団長が絶句した。


「私の目的は始めからホワイトウォールを越えることにあった、その為にはシルキーを効率良く集める必要があった、だから人を組織しここまで大きくした、それだけの事。──私に不満があるのならあなたが指揮を取りなさい」


 無駄。無意味。興味無し。彼女の言葉を拒絶と受け止めた副団長が銃を構え──老人が気付くも──


「──待て!!」


 老人の怒声と発砲音は同時。放たれた弾丸はライラの眉間を捉えた。

 レイヴンの長が足元から力を失い、軽い音を立てながら床に倒れた。

 老人が医師会の者たちに蘇生を命じるが、


「無駄や無駄、眉間に鉛玉もらってんねん、即死やわ」


「………何と馬鹿げた事を……貴様は自分が何をやったのか理解しているのか!!!!」


「…………」


 総団長を射殺した副団長は何も答えない、射撃姿勢のままぴたりと固まり、次第に目の焦点が合わなくなっていた。老人はこの男は二度と、まともにはなれないと悟った。

 バベル・アキンドが口を開く。


「ほいで?自分らどうすんの?」


「………」


「陸軍貸してくれんの?貸してくれへんの?」


「貴様も気が狂っているのか?今はそんな話をしている場合では──」


「いやいや、ライラの意志を継ぐだけやて。レイヴン総団長を殺した咎は誰が背負うとか、そういうしょうもない話し合いは俺ら抜きでやって。道理やろ?何せ殺したんはそっちやねんから、俺らやない」


「…………」


 バベルは何も喋らないし喋ったところで自分の事しか頭にないこのご老体に見切りをつけ、陸軍の幹部へ視線を配った。それだけで相手はびくりと体を震わせた。


「さっきの話はほんまなん?自分ら、拘束したレイヴンの兵士を殺したんか?」


「……じ、事故だと耳にしている」


「自分アホやな〜しらばっくれる所やったのに。で?貸してくれんの?」


「………」


「言い方を変えるわ、どっちに付いた方が自分らの為になると思う?レイヴンという軍事団体の長を殺した男がいる組織か、いない組織か、考えんでも分かるやろ?」


 円卓の崩壊が始まった、バベルの言い方で目が覚めたのだろう。陸軍幹部の男が席を立ち、ついで医師会の男が立ち、ラウンドサークルに空席が目立ち始めた。


「お前たち──ここを出て行くつもりなのか!一体誰が今日まで貴様らの女子供諸共面倒を見たと思っているんだ!!」


「ライラも言うてたやろ、リーダー同士が一騎打ちする時代はもう終わったの。あんたはアーサー王でもなければモードレッドでもないよ、ただの観客やわ」


「………」


「ほなね〜」


 陸師府の会議室に残ったのはライラ・サーストンを射殺した副団長と、陸師府で他人の手綱を引き続けた老人だけだった。

 今のこのウルフラグがあるのは誰がどう見てもレイヴンのお陰であり、そのレイヴンの長を務めていた人物を射殺したとなれば、市民からの非難は永遠に途絶えることはないだろう。その事を良く理解していたから、陸軍の幹部や医師会の者たちは去ったのだ。

 老人が席を立てなかったのは今日まで人を動かし続けてきたせいだ。

 彼は自分の足で歩くことを忘れてしまっていたのだった。



 ライラ・サーストンの葬儀はオールグリーズの出航と同時に行なわれた。新聞の上で敵対関係を見せていた陸師府もとい、陸軍の船団も彼女の葬儀に参加し、友好を結んだ事を市民たちに知らしめていた。

 急な訃報を前にして、レイヴンの創立者たちは港の桟橋でただ茫然と立ち尽くす。彼女の遺体はマキナたちが棺に収め、今、海へ帰そうとしていた。


「………」


「………」


 創立者と言っても二人だけだ、クランとフレア、突然過ぎて涙だって理解が追いついていない、瞳は乾いたままだ。彼女たち二人はあまりに冷た過ぎる背中を病院で見送ったっきり、それが彼女との最後になってしまった。

 マキナたちの手により棺が海へ落とされた、あの日、ヨルンを海へ帰した時と同じだ。

 彼女の訃報を耳にし、桟橋に集った市民たちも厳かに黙礼を捧げている。

 船の汽笛が鳴らされる、耳を震わせお腹を震わせる大きな音だ。

 その振動に触発されたのか、引っ込んでいた涙が出そうになり、クランもフレアもライラ・サーストンの死にようやく理解が追い付いた時──

 その本人から電話がかかってきた。もう二人は大パニックである。





「ラ、ライラさん?!ライラさんですよね?!」


「そう私、クランは傍にいる?」


「ライラさんですよね?!棺に入ってるのはライラさんじゃありませんよね?!」


「ううん、それも私」


「?!?!?!?!?!」


 声に発さなくとも混乱したフレアの様子が伝わってくる。


「フレア良く聞いて、今からもう一度あのくそムカつく壁の所へ行って穴を空けてくるからあなたたちは待っていて、必ず帰ってくるから。──じゃ」


 極度の混乱を見せるフレアを放置し総団長が電話を切った。鬼である。人を混乱させておいてこの所業。

 ライラは自分の葬儀が行なわれている桟橋を、オールグリーズの母艦から見下ろしていた。


「で?」と、ヴォルターが主語もなくそう訊ねた。


「カマリイちゃんにお願いしたんです、私に似たマテリアルを作ってほしいって。いずれ陸師府のお歴々とは話し合いをしなくちゃいけなかったし。まあ…盛大なドッキリってやつですよ、どうせ私の玉狙ってる奴も多いでしょうから」


「お前な〜やる事なす事派手過ぎんだよ。──あの二人、桟橋の上でひっくり返ってるぞ」


 ヴォルターは義眼を調整して桟橋の方を見やっていた。


「とにかく!ここまでやってようやく戦力の補填ができましたよ。──それから、ロールアウトが間に合って良かったです」と言い、ライラがデッキに駐機されているガングニール、それからマリサを見上げた。ヴォルターも桟橋から目を離し、ライラに習った。


「お見事、と言わざるを得ない。まさかゲイルが復活するとは…」


 点型制圧連続投射武器ゲイル、ガングニールの専用兵装である。

 さらにマリサにはダンタリオンの汎用換装型の支援パッケージが追加されており、ゲイルの弾倉もきちんと乗せられていた。

 この二つはレイヴンが復元、製造した物である。


「万全は期さないと意味がありません。もう失敗は許されない」


「だろうな、だってお前ここに帰って来られないだろ、死んでいるんだから」


「いやそういう事ではないんですけど。──ラハムについて話をしましたよね?」


「それが何だ?」


「ラハムたちはもうレイヴンを必要としていません。それは市民たちもそうです、いずれレイヴンが必要でなくなる日が来ます」


「それは何故?まだまだお前たちに甘えているように思うがな」


「ネットですよ、彼らの手に、私の手にもネットが戻って来た。即座に意思疎通ができ、その場で分からない事を調べることができる。これ、何だと思います?」


「──全知全能になったとでも言いたいのか?」


「それに近い位置にいることは確かです、あとはネットをどう使うか、その人次第です。組織だけが善悪を決める時代は終わりました、命と法と、どらちを取るかの判断が個人に帰結したんです、原始に戻ったと言っても良いかもしれません」


「………」


 彼はそう語る総団長の横顔をじっと見つめていた。


「──行きましょうか、レイヴンの最終決戦です。勝っても負けてもレイヴンとして出動するのは今日が最後でしょう」


「──光栄だ、そんな誉れある決戦に呼んでもらえるとは」


 歩き出した総団長がくるりと振り返り、


「あなたの方から来てくれたんでしょう?」


 それだけを言い、ブリッジへ向かって行った。



「臭いです、室内で煙草は吸わないでください」とホシがヴォルターに遠慮なく文句を言い、ロッカールームの扉を開け放った。

 それでも彼は煙草の火を消さなかった。


「我慢しろ」


「あれ、前に文句があるなら素直に言えって言いましたよね?」


「言ったからといって従うとは言ってない」


「これだから歳上連中は…で、ヴォルターさんはどう思いますか?陸軍の連中、当てになりますかね」


 天井が低い、パイロットたちのロッカールームがどんどん煙たくなっていく。ヴォルターはロッカーの間に置かれたベンチに腰を下ろし、自分の口から吐き出される煙を見ながら答えた。


「ならない、奴らは保身の為にただ付いて来ただけだ。せいぜいが母艦のお守りぐらいだろうさ」


「なら、肝心の攻撃力を担うのは…」


「何だ、怖気ついたのか?ラズグリーズは皆んなチキンだったのか?」


「それはラドグリーズの部隊があらかた敵を片付けてくれたお陰ですよ。僕たちはただの処理班に過ぎませんでした」


「なら今ここで腹を括ることだ、それ以外に空を飛ぶ方法は無い」


「そもそも僕はホワイトウォールを越えたいわけでも…」


「兵士ってのは人に使われてなんぼだ、自分の意志だけでトリガーを引くことはできない。もし引けるってんならそいつは兵士じゃない、ただの殺人犯だ」


「…………」


「腹括れや坊主、どんな時代になっても兵士が立つ場所は戦場だって決まってんだ。てめえが自分で選んだ道だろうに」


「──そうですね、言う通りです」


 ホシの顔付きが変わるのを見て、ヴォルターは胸の内で感心していた。


(こいつも生まれてくる時代さえ合っていれば傑物になれたろうに、今となっちゃただの女ったらしだが)


 煙草を吸い終え、もう一本取り出そうとした時、艦内放送があった、もう間も無く作戦海域に入ると。

 ヴォルターはその一本を箱に戻し、立ち上がった。


「行くか」

 

「はい」


 ライラは青空と海の境界線に走る一本の線をブリッジから再び眺めていた。これが最後だ、次はない。

 ライラは携帯の画面に視線を落とした、マキナたちからの連絡である。


バベル:無事に終わったで!


バベル:あとでティアマトとハデスを褒めたってな!


バベル:マテリアルを二つ動かすのしんどいしんどい言うてたわ


ハデス:もう二度とこんな事すんなよ!


ハデス:あいつのフォローすんの大変だったんだからな!


ティアマト:_(:3 」∠)_


テンペスト:ご武運を


 ライラはくすりと笑みを溢し、それから携帯を閉じた。

 それを見計らったように管制官から報告が上げられた。


「総団長、ちょっと」


「何でしょうか?」


「奴らを捕捉しているレーダーなんですが…これ一本線ですよね?」


 んん?と、おかしな事を言う管制官にライラは首を傾げ、彼女もそのモニターを見やった。


「んん?!」


 管制官が言った通りである、奴らを示すサーモグラフィーの点が横一線に引かれているのだ。

 ライラはすぐハフマン教授をブリッジに呼び付けた、「もう私は行かない!」と断った教授を無理やり船に乗せて来たのだ。鬼畜。


「何かな?」


「これを見てください、あなたが提唱した細胞論の真実見が増してきました」


 ロザリーもモニターを見やる。ふむふむと言ってから、


「これは一種の防衛反応と見るべきだね、私たちがやって来たからなのか、それとも外敵に対する策なのか。──君には今も見えているのかい?例の汚い星とやらが」


「──ええ、見えています」


 いた。ホワイトウォールの頭上に、汚い星がいた。

 彼女は蔓延る魑魅魍魎は奴の軍勢だと思った。何が何でも通さないという、固い決意を表しているように、その横一線に引かれたモニターを見やってそう思った。

 今、氷の女王と汚い星の一騎打ちの時。

 壁を穿つか守るか。

 決戦。





 リニアカタパルトの電圧が臨界点を超え、マリサ機が弾かれるように空へ飛び出す。続けてガングニールもその後を追いかけ、別の空母からも特個体が次々と離陸した。

 ヴォルターからホシへ通信を入れる。


「ホシ、死ぬ覚悟は要らない、一体でもいいからその手に触れろ、後は俺たちの仕事だ」


「了解しました」


 気負いの無い、けれど隙も無い声でホシがそう返事を返す。

 離陸した特個体部隊を前に奴らに動きがあった、横一線の防御陣形が崩れ、まるで矢のようにこちら側に進んできた。

 ヴォルターが全機へ指示を出す。


「先端を切り離すように攻撃を開始しろ!」


 真上から見たならば、まるで『く』の字のようになった奴らへ特個体の弾丸が炸裂した。被弾した個体から汚いヘドロを撒き散らし絶命、徐々に線が途切れていく。

 マリサ機が先行、海面すれすれまで高度を下げ、後方へ激しい水飛沫を上げていく。


「ホシ!気を付けなよ!気を抜いたら一瞬で海へぽちゃんだからね!」


「分かってる」


 奴らの先端に差しかかった。ホシは奴らをまとめて掬い上げてから高度を上げ、右にも左にも伸びている集団へ投げつけた。

 まるで、ガスコンロの下に溜まっていた汚物のように変化した奴らが集団の中に落ちた。


「──よし!」


「お見事!」


 これで奴らは一瞬で──何も変化が起きない。

 集団は変わらず進行し、特個体の部隊を囲い始めていた。


「そんな!」


 ヴォルターはすぐさまブリッジへ報告を入れた。


「ブリッジ!!作戦は失敗だ!!奴らに変化が無い!!」


 ライラたちはヴォルターの報告を聞かずとも、ブリッジからその様子を見ていた。

 ライラがロザリーに訊ねる。


「どうして?!」


「…奴らが免疫細胞だとするなら、おそらく耐性を得たんだ…きっとマリサに反応しないように…でも一体どうやって?昨日の個体群は確かに消滅したはずだ…マリサの情報をどうやって持ち帰ったというのか…」


 ライラはすぐに理解した。

 あの汚い星だ、奴が自身の軍勢に何かしらの手を下したのだ。


(あいつだ…あいつが…でも今は──)


 総団長の目的は変わらない、だからといって無為に人を失うつもりもない、即座に撤退の指示を出した。


「作戦は中止!!すぐに帰投して!!」


 だが、


「こいつら!!うじゃうじゃと!!」


「まるで壁みたいに──全機高度を上げろ!このままだと押し潰されるぞ!」


 既に特個体の包囲網は完成していた、黒い生命体が仲間を踏み台にして次から次へと上っていく。

 特個体の一機が足を掴まれた。総重量が約一五万トンに達するにも関わらず一瞬で飲み込まれてしまった。


「上がれ上がれ!捕まったら終わりだ!」


 さらに、


「──総団長!!船の後方から熱源多数!!挟まれました!!」


「挟撃?!」


「海中に潜んでいたのか!──総団長!逃げるなら今のうちだ!」


「でも!クーラントさんたちがっ「全滅するつもりか?!」


 その熱源は優に数百に上る、そして一つの船舶。


「──IFFを確認!──え、あ?か、観測船?」


 そう!多数の熱源は奴らにあらず!

 そこでブリッジに通信が入る。


「ラハムたちは帰ってきた!ラハムたちの死を受け継ぎ失敗に学び!対抗手段を得てラハムズ・ユニオンとして戻って来た!」


「「「個体経験おつ!!」」」


 後方に現れたのはラハムズ・ユニオンの部隊である、その数は三〇〇を上回っている。ラハムズ・ユニオンは観測船の上空に展開し、ダイヤモンド・ヘッドの編隊を組み空を飛んでいた。


「ラハムたちは戦う力を身に付けた!これでもう奴らに絶対負けない!ラハムのように舞い!ラハムのように刺してみせよう〜!」


「「「誤用〜〜〜!!」」」


「誰にも用済みだなんて言わせない!ラハムズ・ユニオンの力をとくと見よ!」


「「「アカウント作ったから遊びに来てね〜!」」」


「今あの時の失敗を覆す時!──それ行け〜〜〜!!突撃〜〜〜!!」


「ひゅう〜〜〜!」と爆撃部隊のラハムズ一〇〇体が先行、続いて「スポっとな!」と五〇体のラハムズが観測船に駐機させていたランドスーツにスポスポとはまっていく。そう!ラハム専用のランドスーツ、その名もラハムスーツ!観測船はぎゅうぎゅうである。

 飛行ユニットを装着したラハムスーツが船から飛び立ち、爆撃部隊が作った道を進んで行く。そして、そこからはラハムスーツの大乱闘の開始である。

 もう文字通り千切っては投げ千切っては投げての繰り返しで、ラハムスーツは己が拳で奴らを殲滅していった。黒い塊が宙を舞い、次第にその数を減らしていった。

 観測船の船長からも通信が入った。


「アタラシだ!到着が遅れてすまない!積荷に時間を食われちまった!」


「あなたは…ケンジ・アタラシさん…」


「ラハムの弔いをすると約束したからな!奴らに船長を頼まれてこうしてやって来た!」


 ラハムスーツの大乱闘のお陰で徐々にだが、後退していた戦線が押し上がり始めた。


「昨日からラハムの姿を見ないと思ったら…」


「ラハムたちに造船所の一角を貸与していましたから、きっと量産を急いでいたのでしょう」


「まあ何にせよだ、ラハムたちのお陰で首の皮が一枚繋がった。どうする?」


 ロザリーに訊ねられたライラは汚い星を睨む。撤退か進軍か、まさに紙一重の決断。

 彼女は向こう見ずの馬鹿ではない、すぐさまラハムに連絡を取った。


「ラハム!あとどれくらい戦線の維持が可能なの?」


「後方部隊と合わせてあと一時間くらいです〜!その間に決着でも逃走でも〜!」


「──特個体全機へ!ラハムたちに任せて一時帰投してください!補給を済ませた後再度出動をお願いします!」


 指示を受けた部隊が順次戦線を離れ、船に帰還した。戦場にはまだ二機の特個体が残されている、殿を務めるつもりだったのだろうがその判断が仇となった。

 汚い星がキラリン!と輝き、ライラの目を焼いた。


「──注意!敵に動きに気を付けて!」


 彼女の指示は一足遅かった。

 壁となって二機を取り囲んでいた生命体がにゅるりと変化し、大型のそれへと変化した。ナディたちが討伐した山モドキに近い形態をしている。

 ラハムスーツ部隊も「これは無理の助〜!」と堪らず後退する。

 大型の化け物が腕を振り上げ、巨体に見合わぬ速度で振り下ろした。


「ホシ──」


 マリサ機がその腕に捉えられた、全身の骨を直接揺さぶられるような衝撃に見舞われ、搭乗していたホシは一瞬でブラックアウト、追加の支援パッケージは全損、戦闘の続行は不可能になった。

 オートパイロットに切り替わったマリサ機が化け物の間合いから離れ、戦線を離脱していった。

 残ったのはガングニールのみである。


「滾れよガングニール!!」


「あいよ任されて!!」


 大型の化け物に向かってゲイルを連射、点型制圧武器が頭部に一点集中し、ものの数十秒で命を絶っていた。

 開けた空にガングニールが飛び出し、そのまま空母を目指した。


「さすがです〜!ラハムたちもその武器を作りたかったんですが間に合いませんでした〜!」


「オッサン?!まさかこいつまであいつらに教えたのか?!」


「しゃーない、ラハムは俺のプライオリティだ」


「ざけんなっ!!」


「ラハム、任せた、すぐに戻る」


「任されて〜!」



 ガングニールの補給を待つかたわら、ヴォルターは煙草を吸いながら戦場を眺めていた。


(あいつらのお陰で何とか拮抗状態まで持ち込めた。だが、それだけだ、これ以上の押し上げは不可能だろう)


 吸い慣れた味が喉を通り、もう何年も酷使している肺に煙が満ちていく。

 ヴォルター決断の時。

 バイザーに埋め込まれた通信機からブリッジへ連絡を入れた。


「総団長、頼みがある」


「──何ですか?頼み?」


「頼みというより、この間の貸しを返してもらうぞ。俺にレイヴンの指揮権を寄越せ」


「何をするつもりなんですか?」


「ラハムと他の機体で道を空けさせる、そこを俺が通ってお前の望み通りあの山に穴を空けてきてやる」


「…………」


 ライラからの返事は無い。


「これ以上の押し上げは不可能だ、それはお前も分かっているはず、次の出動で機体も最後だ。つまりチャンスはあと一回だけだ」


「…………」


 ライラからの返事はまだ無い。


「ここまで来て帰るのか?こんな機会はもう二度と巡ってこないかもしれない──いいや、絶対に無い。あんな有象無象は俺が蹴散らしてさっさと穴を空けてきてやるよ」


 ライラから返事があった。


「まさか特攻を仕掛けるつもりじゃありませんよね?」


「当たり前だ、まだまだ吸っていない煙草がごまんとあるんだ」


 ライラは彼の言葉を信じた。


「──良いでしょう、あなたに指揮権を全てお渡します。その代わり、私の望みを叶えてください」


 彼はにやりと微笑んだ。


「喜んで」


 補給が終わり、ヴォルターはコクピットに乗り込んだ。続けてエンジンを起こし、リニアカタパルトの射出タイミングをブリッジからぶん取った。


「進行方向に機体を飛ばさせるなよ!邪魔でしょうがない!」


「わ、分かりました!」


 ラハムズ部隊、それから特個体部隊がガングニールの進行方向上に存在する敵を蹴散らし始める、その数が徐々に減り、ヴォルターはエンジン出力を最大にまで上げた。


「お、おい!飛び出した瞬間に死ぬぞオッサン!」


「死ぬか馬鹿たれ、黙って前を見てろ!」


 機体がエンジンの振動で激しく揺れている、コントロールレバーも死ぬ気で押さえなければそのまま飛び出してしまいそうになっていた。

 そこへぽんと、一体のラハムがガングニールの左肩に止まった。


「ああん?!──またお前か!何しに来た!」


 止まったラハムは彼からバッテリーを貰ったあの個体だ、組合長を務めるまでになったスーパーラハムと言うべきか。


「ラハムもあなたに付いて行きます!あの時ラハムはあなたから正解だと言われました!だからラハムズ・ユニオンが生まれたのです!──だから何処までもあなたに付いて行きます!」


 ラハムズ部隊が右方向へ敵を押し退け、特個体部隊が左側に展開していた敵を殲滅し──

 道が開けた(メメント・モリ)


「──駄目だ」


「──え」


 ヴォルターはガングニールの左肩のジョイントごとパージ、右腕一本の状態でリニアカタパルトの楔を解き放った。


「〜〜〜!!」


 瞬間に訪れるG、首を上げた時にはもう敵の群れを突っ切っていた。

 限界まで我慢させたエンジンが唸る、見る見るホワイトウォールの亀裂へ向かって行く。


「オッサンてめえ!ウソ吐きやがったな!」


「音速の状態でこの機体をぶつけたらさすがの亀裂にも穴が空くだろうさあ!!」


 ブリッジからも通信が入る、だがヴォルターはそれを無視した。


「てめえ!!死んで解決させるなんざただの自己犠牲じゃねえか!!自分が何やってるのか分かってんのか!!」


「だったら他に手があるのか言ってみろ!!これ以上は無駄死にを増やすだけだ!!」


「だからってオッサンが死んでいい理由にならねえ!!──良い、緊急停止させる!」


「馬鹿たれが詰めが甘いんだよ!!」ヴォルターはコクピットシートの裏側からコネクトケーブルを引っ張り出し、躊躇うことなく自分の頸椎に挿した。


「世話んなったな、ガングニール」


「ふざけっ──」


 ガングニールの声がふっと消え、不思議とコクピットが静寂に包まれた。

 彼の足元にはまだまだ醜い汚れが充満している、それが形を成すことなく後方へ流れ、仰ぎ見るほどホワイトウォールが近くなった。

 敵もそう容易に突破を許そうとしない、ガングニールの目前に黒い壁を出現させるも、


「そんなん屁でもねええ!!」


 速度を緩めることなく音速の体当たり、黒い壁が弾け、飛び散り、その中をガングニールが突っ切った。

 その衝撃でヴォルターは意識が飛びかけた、だが、突っ切った先の光景を目の当たりにして何とか思い留まった。


(良い景色じゃねえか…死ぬ前に見るのは勿体無い)


 絶海の中に立つ白亜の山。以前、ここへ訪れた時は太陽が沈んだ暗い夜の時だった。

 ホワイトウォールの峰から海へ向かって亀裂が走っている、砲撃部隊の攻撃のお陰もあって大小様々なヒビがあちこちに入っていた。

 ヴォルターはそのど真ん中を目指す。

 世に向けていた怒りを、自分に向けていた怒りを、蔑ろにし続けていた政府に対する怒りを──あの日あの時、発令された作戦に文句も言わずに従った自分自身に向けていた怒りを。

 コントロールレバーに叩き込んだ。


「滾れ滾れ滾れ滾れ滾れ!!これが最後だガングニール!!」


 ガングニールの拳がホワイトウォールの亀裂に突き刺さった。





 魑魅魍魎たちは溶け、有象無象が姿を消し、四海兄弟となるべくその全てが海の中へ溶けていった。

 もう何も居ない、生命体が存在しない海をマリサが駆け抜ける。


「ヴォルターさん…」


「ホシ、覚悟しておいて、あの速度でぶつかってただで済むとは思えない──にしても…本当に穴を空けるだなんて…」


 ホワイトウォールの亀裂の中央には一つの穴があった、ホシが気を失っている間にヴォルターが空けたものだ。

 その穴から発生したヒビが亀裂へと変化し、自重に耐え切れなくなってきたのか、もう既に崩壊が始まっていた。山の欠片が海へ落ち、大きな水飛沫を上げている。

 ホシは崩壊に巻き込まれないよう、歪な円になった穴へ突入した。直径は三〇メートルほどだろうか、特個体がギリギリ通れる大きさだ。だからホシはぶつからないよう機体コントロールに集中を割いており、その穴の中から見える景色に気付いていなかった。

 穴の中に光りが差し込まず、夜になったような世界が待ち受けていた。けれど、それも長い時間はかからず、進行方向から光りが差し込み穴の中を照らし始める。


(今のは──)

 

 ホシの視界に一瞬だけ穴の中の景色が映った、だが、見間違いだろうと考え直しすぐに意識を前方に切り替える。

 もう間も無くだ、ごの五年間誰一人として渡れなかった国境線をホシが単独で渡ろうとしている、この道を作ったのは紛れもなくただの一人。

 ヴォルター・クーラント、その人である。

 穴を抜けた、そこにはウルフラグと変わらない、けれどどこか違うように見える異国の絶海が広がっていた。

 ガングニールの機体はマリサが見つけた。


「いた、あそこ。早く迎えに行ってあげて、崩壊に巻き込まれるかもしれないから」


「分かった。ガングニールは?」


「応答が無い。今はいいからとにかく急いで」


 ガングニールの機体はホワイトウォールの山肌に引っかかるようにして、その役目を終えていた。後少し下に落ちれば海がある、ホシは急いで彼の元へ向かった。

 マリサに機体のコントロールを預け、ハッチを開いて山肌へ飛び移る。バイザーを開くとやはり母国とは違った暖かい風が顔に吹き付けた。

 ホシは感慨に耽る暇も惜しんでガングニールへ近付く、衝撃でハッチが故障したのか開きっぱなしになっていた。


「ヴォルターさん!」


 ホシがコクピットの中を覗き込んだ。

 彼はこの期に及んでまだ煙草を吹かしていた、ホシはそんな彼に一瞬だけ安堵するが...


「ヴォルターさん…」


「…誰だ?」


「僕ですよ、ホシです」


「悪いな…この目がおしゃかになってしまって何も見えないんだ…」


「そんなんでよくもまあ煙草が吸えましたね…」


「ここは、何処だ…?」


「カウネナナイですよ、あなたが穴を空けたんです」


「道理で…気持ち悪い風が吹くと思った…」


「帰りますよ、ウルフラグに」


「別に良いさ…俺はここで良い…」


「駄目です、あなたが良くても僕が怒られる」


「はっ…」


 煙草が短くなり、その事に気付いていないヴォルターは指に火種がかかって落としていた。


「おい、もう一本寄越してくれ…たんまり残っているんだ、勿体ない…」


「知らないんですか?最近の天国は全面禁煙になったみたいですよ」


「そうか…なら、いい加減辞めるか…」


「………」


 それが最後の言葉となった。

 彼の魂は紫煙と共に、コクピットから抜け出し風に邪魔されることなく、真っ直ぐに空へと上っていった。





〜国民を守った英雄、名はヴォルター・クーラント。彼の軌跡をここに〜


『元特殊安全保証局の職員であった彼は、過去において政府から発令されたグリームニルという悲惨な結果に終わった作戦に参加した経歴を持つ。彼はその際、人殺しの汚名を被り、政府から何ら労われることなくその命を終えるまで咎を背負い続けていた。だが、彼はレイヴンが発令したオールグリーズに参加、この街を襲った異形の大軍の総本山とも言えるホワイトウォールを破壊してみせた──その命を賭して。此度の結果はグリームニルとは異なり、数多くの命を救い、この国をより安全なものへと昇華させた。彼こそ英雄と呼ぶに相応しい。彼こそ現代に蘇ったアーサー王その人である。名前をヴォルター・クーラント※この記事はSNSにも投稿されています』


【公式】Ulfrag news @ウルフラグ新聞社

ライラ・サーストンという我が国を誇る人材を失い、そしてヴォルター・クーラントという英雄を立て続けに失った。彼は史実に基づいたかのように、己が聖槍たるガングニールを振るい、差し違えるようにホワイトウォールに穴を空けたという。

[画像]


 人々の手にネットが戻り、オールドメディアの一角を担った新聞、彼の偉業を讃えたこの記事を最後にその幕を閉じた。


 

 魂無き彼の体が本国に戻された後、ライラ・サーストン(偽)と同じ港で葬儀が執り行われた。

 SNS、新聞などで彼の葬儀は広く知られ、数多くの市民が駆け付けた、彼は没後に汚名を雪いだ形となったのだ。

 だが、本人は「何を今さら、馬鹿ばかしい」と、そう鼻で笑いながら見下ろしているに違いない。

 彼の遺体が厳かに棺へ収められ、参列したレイヴン関係者、並びにラハムズ・ユニオンの手によって海へ還された。

 棺が波に乗り、水平線へ向かって行くにつれて一人、二人、一体、二体とその場を後にし始めたが、ランドセルに外付けバッテリーを装着した個体だけは、最後の最後まで棺を見送ったという。

 棺が見えなくなる最後の瞬間まで、そのラハムはその場から離れようとしなかった。

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