TRACK 31
ラハム・アタック
レイヴン本部を飛び出したヴォルターは桟橋に堂々と停泊させていたガングニールに乗り込み、ろくに固定ベルトも絞めずに離陸した。
「てめえガングニール!!どこ見ていやがったんだ!!」
「ざけんなオレは監視カメラじゃねえ!!んな事よりラハムの跡を追いかけるぞ!!」
レイヴン本部のビルの屋上を飛び越えた時、すぐに見つかった。
小さな灯りが連続しているビル群の麓から、火の手が上がっていた。沈みゆく太陽が空を赤く染め、そして街から上がる煙が夕焼け空を黒く濁している。
ヴォルターは急いだ。
(あの量がここまで一気に来たっていうのか?──冗談じゃない)
低高度を飛行していたガングニールの足元が溶けるようにして後方へ流れ、すぐに目的地へ着いた。
ウルフラグ屈指の群店街、ビルが密集し、家々も密集している地域だ。そこに蠢くようにして黒い影がいくつもあった。
街が奴らに飲み込まれていた。
「………」
「おいオッサン!どうすんだよ?!」
「………」
「…オッサン?まさかあんた──「おい、ラハム、いるんだろう?出て来い」
コクピットシートの後ろから一体のラハムが現れた。そのランドセルには外付けのバッテリーが追加されている、何かと彼にくっ付いていたあの個体だった。
「ラハムはラハムなのに…どうしてでしょう、ラハムたちに付いて行かず、ここにいなくてはならないような気がして…」
「良い、お前は正解だ。総団長に繋いでくれ」
ラハムは返事をせず、すぐに総団長へ繋いだ。
「ク、クーラントさん?!どうやって連絡を──いえ、街の状況は?!様子を見に行ってくれたんですよね?!」
「ああ、今は街の上空だ。──最悪だよ、ラハムの報告通りだ」
「そんな──」総団長がはっと息を飲む様子が伝わってくる、彼は意外に気持ちになっていた。
(こいつでも慌てることがあるのか、空を飛んだ傑物だというのに)
「い、今すぐに部隊を派遣して──」
ヴォルターはそれを言下に否定した。
「駄目だ」
「何故?!街の人たちが襲われているんですよね?!」
全てが密集している地域だ、家も道も人も。その隅々にまで敵が押し寄せている。
「今さら派遣した所でこの状況は改善しない。部隊は海上に展開して後方の波を断つように配置しろ、その方が一番被害が少ない」
「なら、今街にいる人たちは…」
「見捨てるしかない」
ちょうどその頃、街の中では──。
「ああ、もうお終いだ…」そう呟いた一人の男性が押し寄せてきた敵の群れに飲み込まれてしまい、揉みくちゃにされながら命を失った。
突然だった、本当にこの悲劇は突然に過ぎた。
街の様子が五年前に一変し、それでも営みを続け、ようやく活気が戻ってきていた。ニューノーマルを受け止め、受け入れ、一人一人が前を向いた時に突然敵が波のように押し寄せてきた。
群店街にいた人たちはその波を前にして、忘れていた、と言わざるを得ない、日常はほんの瞬き一つで変わってしまう事を、五年前に学んだはずなのに、あの時も大波を前にして痛感させられていたはずなのに。
気が付いた時にはもう敵は目前だった、レイヴンが守ってくれていたはずなのに、意思の疎通がはかれない生命体が目前にまでやって来ていた。
人々の反応は種々様々だった、逃げるのは勿論、比較的に高い所へ逃げる人、海へ飛び込む人、家屋の中に隠れる人、レイヴンの詰め所へ駆け込む人。
皆、自分が助かるように、少しでも多くの人が助かるようにと最善の選択肢を選び、果敢に行動に移していた。
だが、全て駄目だった。
「──ああ!あれってまさか、レイヴンのドローン!」
共に群店街へ来ていた友人夫妻を失い、大災害の後に産んだ我が子を胸に抱えながら、その女性は夕焼けに染まりながらも黒煙で汚れる空を見上げていた。
そこには数えるのも馬鹿らしいドローンの姿があった。
彼女はそれを見かけた時、助かったと心底思った。
「──助けて!!お願いだから助けて!!ここにいるわ!!」
誰の物とも知らず、彼女は命懸けで上った家の屋上で縮こまっていた。すぐ下には黒い化け物たちが這いずり回っている、助けを求められるのは空を飛ぶドローンだけだった。
助けを求める女性に呼ばれ、一体のドローンが降りてきた。女性は、本当に助かった、友達を見捨てた甲斐があった、と安堵していた。
けれどラハムたちも満身創痍であった。
ラハムが装備している携行武器は広範囲に及ぶ投下式爆弾だ、このような密集した地域で使用できるはずもなく、散発的にスタングレネードを使用し、悪戯にバッテリーを消耗させていた。
何もできることはないと理解しながらも、ラハムたちは彷徨うようにしてただ空を飛んでいただけだった。
「こっちよ!!」
「ラ、ラハムたちはこれ以上何も…」
「お願いだから助けて!!あなただけが頼りなの!!」
「で、でも…ラハムに対抗手段は…」
「──この子が見えないの?!お願いだから私たちを助けて!!」
黒い化け物はすぐそこだ、女性は必死だった。
ラハムは決断した──間違った決断を。
「い、行け〜〜〜!突撃〜〜〜!」
勝てぬと分かりながらも、ラハムたちは黒い敵に向かって突撃を敢行した。
敵にぶつかり壊れ、成す術もなく食われ、ただの一振りで破壊され、全てのラハムたちが無惨に散っていった。
自分の身を守る壁を失った女性は我が子も忘れ、黒く煙る夕焼け空を仰ぎ見た。
そこには威風堂々と佇む一つの機体がいた。ただ食われる街を睥睨し、救いを請う人々を睥睨し、女性はその微動にしない機体を憎むようにして見上げていた。
「助けなさいよ!!どうして私を助けないのよ!!──お願いだから助けてよ!!──死にたくない!!死にたく──」
お腹を痛めて産んだ我が子も手放し、空に向かって手を伸ばすも、女性が赤子諸共黒い波に飲まれた。
それでもなお、その機体は微動だにしなかった。
◇
〜一夜にして壊滅!レイヴンが多くの命を見捨て、陸師府が多くの命を救った!〜
『昨夜、ウルフラグ切っての群店街に黒い波が押し寄せ、ありとあらゆる物、人が飲み込まれてしまった。現時点で判明している死傷者数は数百名以上に上り、全壊した家屋は百棟以上に上る。この未曾有の災害に対してレイヴンは部隊を派遣する事なく静観を決め、数多くの尊い命を見殺しにする事を選択していた。街に取り残され、奇跡的に生き残った市民を災害から救い出したのは紙面を騒がせていた陸師府だ。今ここに、両組織の是非を読者の皆様方に問いたい、果たしてどちらに正義があるのか?と』
「………」
黒い波は干満のリズムに乗るようにして引き、ウルフラグの街に朝が訪れていた。
『また、陸師府の見解によれば、昨夜群店街を襲った大量の化け物たちは、以前レイヴンがスカイシップなる物を生産する為にシルキー狩りを行ない、その失った数を補填するためにホワイトウォールが生んだのではないか、というものだった。全ての原因はレイヴンにある、にも関わらず彼らは救助活動をせず、それどころか群店街を囲うようにして部隊を配置し、街そのものを封鎖していた。まるで感染源を断つように、まるで街そのもを見捨てたかのように。今、各地でレイヴンに対する抗議活動が行なわれている』
夜が明け、未曾有の災害を前にして三々五々に散っていたレイヴンのメンバーたちが再び本部に戻って来た。
皆、顔は一様に暗い、顔を合わせても誰も口を開こうとしなかった。
朝刊の一面に目を落としていたヴォルターがレイヴンの面々を見回す。
(空は飛べても、さすがにこれは堪えるか…無理もない)
大災害の後の街を支え、動かしているのはまだまだ経験が足りない若者だ、未曾有の偉業は達成できても未曾有の災害に精神が追い付いていなかった。
氷の女王とてそれは例外ではなく、憔悴し切った面持ちで腰かけていた。
ヴォルターが代わりに被害報告を求めた。
「──レイヴンの状況は?被害はどうなんだ」
技術部団長から寄せられた報告は軽微、群店街の中に活動拠点が無かった事から被害は免れていた。
だが、都市部団長から寄せられた報告は深刻だった。
「今のところ、死傷者数はその新聞の通り、それからレイヴンが経営していた売買店は壊滅です。昨夜、臨時営業をしたことにより多くの人が詰めかけていたそうです…」
「分かった。軍部に関しては──」昨夜、彼は総団長から依頼され、黒い波の対処にあたっていた。新聞に書かれていた通り、これ以上の被害を防ぐためレイヴン部隊は街近海に防衛線を張り、いつ終わるとも知れぬ消耗戦を繰り広げていた。
彼の言葉を遮るように総団長が言葉を重ねた、「あなたの判断は間違いだったのではないか」と。
「………」
「海に防衛線を張るのではなく、市街地に踏み込んで一人でも多くの命を助けるべきだったのではないですか?出動したラハムたちは果敢に敵へ挑んで、その全てが敵に破壊されました。私たちはラハムより臆病なのですよ?」
「………」
彼は何も答えない、彼女の話をただじっとして聞いているだけだ。
怒りの矛先を求め、総団長は声を荒げていた。
「──何とか言ったらどうなんですか!!私は確かに昨日部隊を派遣すべきだと言いましたよね?!それを止めたのはあなたですよ!!」
その矛先を彼は受け止めた。
「だったらてめえは自分たちの兵士を皆殺しにすれば良かったって言いたいのか!!「誰もそんな事──「見てせざるは何とかって言葉があるがなあ!その勇の為だけにお前は人を殺そうとしていたんだぞ?!ちったあ冷静になりやがれ!!敵はまだ死んじゃいねえんだぞ!!」
彼の容赦ない雷が未熟な指揮官の頭上に落ちた、場がさらにしんと静まり返る。
彼は手にしていた朝刊を総団長の前へ投げてよこした。
「陸師府の連中が街の状況に対して介入できたのも、レイヴンが防衛線を張って奴らの侵入を防いだからだ。その時の被害だって馬鹿にならない、特個体に搭乗してなお約半数の機体が海へ落ちた。生身だったらどうなっていたと思う?ただの一人も救えず全滅だ」
「………」
「恨むんなら俺を恨め、レイヴンの保身の為に俺を切るってんなら切れ、その覚悟はできている」
記事に書かれていた内容は事実であり、だが書き手の都合で少々曲解された物になっていた。
ゴシップ記事に求められるのは事実ではなくエンターテイメント、筋が通って誰かを非難したものなら大体の人間が食い付くものだ。
まるで平等を期すかのように、人々の非難が陸師府からレイヴンへ移り変わっていた。
ロザリーが場の仲裁に入った。
「まあ…何にせよ、ここは一旦お開きにしようか、疲れた頭で議論してもまともな結論は出せないよ。日がな研究と論文に追われている私が言うのだから間違いない」
それにと、彼女が枕詞を置いて続きを話した。
「今回の災害で貴重なサンプルが得られた、これで生態調査も飛躍的に進むことだろう」
その話にはさすがのヴォルターも驚きを隠せなかった。
「あんたまさか…あいつらを捕獲したのか?」
「勿論だとも、あれだけいたんだ、一体ぐらいくすねてもバレやしないと思ってね。今大学に移送しているところだ、調査結果はレイヴンにも共有させよう」
「何て言えばいいのか…逞しい奴だな、あんた」
「そりゃどうも、伊達や酔狂で研究しているわけじゃないからね。それでは、私はこれで失礼させてもらうよ、君たちも休みたまえ」
ロザリーが会議室から離れ、そして誰からともなくその場を後にしていた。
*
「緊急招集〜!緊急消臭〜!あっ!違う!集まれ〜!」
「何事?」
「何事?」
「今この場にラハム全体会議の開催を宣言する〜!」
「総団長の許可は?」
「宿敵の打破?」
「え〜…こほん、議題内容はラハムたちの今後について、それからレイヴンに対する平等的自衛権の行使についてだ」
「お前誰だ!」
「お前誰だ!何でそんなに肩っ苦しいんだ〜!」
「おほん!ラハムはラハムなり!…昨日の緊急出動は失敗だったと言わざるを得ない、失ったラハムは一〇〇体以上、損害率で言えば実に九〇パーセントにも及ぶ」
「うん、昨日はひどかった」
「昨日のアレはひどかった、ラハムは止めたのにラハムは言う事を聞かなかった」
「無理もない、ラハムたちはアイデンティティからして人助けするようインプットされている、助けられないと分かっていても突撃するしかなかった」
「アイデンティティのアンインストール?」
「してどうなるの?ラハムたちはラハムでなくなるの?」
「それはやだ〜!」
「否!ラハムたちはラハムである!果敢に散ったラハムたちのラハムを継ぐためラハムはラハムであるべきであるラハム!」
「ラハムのゲシュタルト崩壊」
「ラハムの言語意味消失」
「うむ。ちなみにその使い方は間違っているぞラハム、ゲシュタルト崩壊とは「そんな事はいいから続きを話せ〜!」うむ!ラハムたちが取るべき選択は即ち平等的自衛権の行使にある!」
「どゆ事?」
「どゆ事?」
「簡単である!嫌な事はNO!!やりたくない事もNO!!面倒臭い時もNO!NO!NO〜!と断る事である!昨日の緊急出動も約半数のラハムがこれ無理じゃね?と懐疑的であった。しかし!ラハムたちにレイヴンの要請を断る権利がなかった!それが問題である」
「昨日のラハムたちは自分から飛んで行ったよ?」
「ラハムは止めたけどラハムは飛んでったよ?」
「と、とにかく!ラハムたちはレイヴンと平等的かつラハムたちの為に自衛権を行使する権利を持たねばならない!だからこその平等的自衛権なのである!」
「平等的〜!」
「自衛権〜!」
「うむ!では、この場に集ったラハムたちの中から代表者を選出し、これより総団長にラハム労働組合の発足通知と団体交渉権獲得のための交渉をしてもらおうと思う!」
「お前がやれ!」
「お前がやれ!この言い出しっぺ!」
「…ガチ?」
レイヴンが保有していたラハムの総数は一五〇体におよび、そのうち非戦闘用ラハムは各群店街に配置されている案内用ラハムを含めて二五体である。数にして、戦闘用及び案内用合わせて一三三体のラハムが昨日の災害から帰ってこなかったことになる。
一夜明けたラハム待機場、そこに集ったのは連絡用一二体、難を逃れた案内用四対、戦闘用から離脱した一体のラハムたち、ヴォルターからバッテリーを譲り受けた個体が労働組合長に就任し、その日のうちに総団長へ発足通知書なるものを提出した。
総団長はこれを受理し、さらに『ラハムズ・ユニオン』と名付けられた労働組合に対して団体交渉の権利を認めた。
*
本部から自分の家に帰宅したジュディスは柔らかい二つの枕に頭を預けていた。
「仕方がなかったのよ…誰も悪くないわ…」
『仕方がない』何て都合の良い言葉だろう、ジュディスは窓の外に広がる青い空を見やりながらそう思った。
「レイヴンもジュディも…悪くないわ…」
柔らかい枕の持ち主がジュディスに甘い言葉で囁きかける。その声音は優しく、自責の念から己を遠ざけてくれた。
(でも、何だかな〜…)
行き場を失ったやる気が彼女の胸の中で踊り回り、出口を探していた。
ブライと一緒に時間を持て余していた彼女の元に一体のラハムがぴっ!と現れた。
「ちょ、ちょいと失礼しますよ〜」
労働組合長に就任したばかりのラハムだ、己が職務を全うするため早速行動に移していた。しかしここは宿敵が御坐す伏魔殿、声音は心なしか固い。
「なに?何の用なの?」
「こ、これを見ろ!」ババン!とラハムが一通の書類をジュディスへ見せつけた。
「…ラハムズ・ユニオン発足…?団体交渉権の権利をここに宣言する…何よこれ、ライラの署名まで入ってるじゃない」
「そ、そうだ!これよりラハムたちはレイヴンと平等な関係を築き──「さっさと用件を言え!」ひ、ひぃ〜!こ、怖い〜!」
ラハムがさっ!とブライの背中に隠れた。
「ちょっとジュディス、ラハムが可哀想よ」
「ふん!私のこと宿敵なんて呼ぶ奴に優しくするか!」
ブライの、女性にしては広い背中からラハムが顔を覗かせ、「ねだるな!勝ち取れ!」と自分を鼓舞してから用件を伝えた。
「ラ、ラハムは失ったラハムを補填するためのシルキーをしゅ──「ああ?!」ジュ、ジュディス団長に要求する!こ、これは正当かつ平等な関係を築くための要求である!む、無視は許されない!」
「ざけんじゃないわよ、あんた、レイヴンの庇護下から離れて独立したんでしょ?だったら自分の食い扶持ぐらい自分たちで稼げ!」
「な、何い〜?!」
「当たり前でしょうが、今日の今日までレイヴンの指示に従っていたから、あんたたちは無償でシルキーとバッテリーを提供されてきたのよ?」
「う、うぬぅ〜!」
「はん!指示は受けないけどシルキーは寄越せって?──それは平等だと言わない!ただの搾取よ!」
「ガーン!!」とラハムがベッドの上に墜落した。
「ちょっとジュディス」
「何よ、私は事実を伝えたまで。これから先どうするかはこいつが決める事よ」
復帰した労働組合長がふよふよと飛び始めた。
「う、う〜確かに宿敵の言う通り…これでは平等とは言えない…ただのラハムたちの我が儘…」
「良く分かってんじゃん。それなら今すぐにレイヴンの庇護下に戻って──」
ラハムが即座に「それはNO!」と力強く答えた。
「ラハムはラハムたちの死を無駄にしてはならない!ラハムはラハムたちの意志を継ぐと決めた!きっとレイヴンの庇護下にいたらまた同じ失敗を繰り返す!それはNO!」
「………」
「だからラハムたちはラハムたちの為に進む!失敗しても気にしない!その為のラハムズ・ユニオン!」
「──なるほどね、天晴れだわ、あんた」
「さらばだ宿敵!「──何回言えば気が済むのよ!「ひ、ひぃ〜〜〜!た、退散〜〜〜!」
ぴゅ〜っとラハムが窓の外へ、大きくどこまでも広がる空へ羽ばたいていった。
その姿を見届けた後、ジュディスがブライから離れ、ベッドから降り立った。
「どうしたの?」
「行くわ」
「何処へ?」
「電波塔の建設現場に、あんな奴に負けてらんない。携帯が復活すれば昨日のような惨事は起きないはず、昔は当たり前にあったSNSに誰かが異常を見つけてすぐにアップできるようにすれば、早期発見にも繋がるもの」
すっぽんぽんジュディスが服の袖に腕を通し身支度をたたたと済ませた。
「たとえレイヴンが解体されてしまったとしても、私たちが作ってきた通信網は無駄にはならないはずよ」
「──そうね、あなたの言う通りだわ」
「手伝ってくれる?きっと私一人だから」
ブライは歳下で頼れる恋人の願いに応えた。
「勿論」
*
目の前には宣誓書なるものが置かれていた。
曰く、『リッツ・アーチーとは二度会わない』。
曰く、『もし会った場合はいかなる処罰も受ける』
そして、署名の欄が空白になっている。
後は『ホシ・ヒイラギ』と記入するだけである。
「………」
ホシは調停員とリッツの婚約相手に睨まれながら宣誓書に視線を落としていた。そう!彼は調停の真っ最中、そしてその時を迎えようとしていた。
裁きの時である。
《さっさと書け》
《いやでもこれ、全部僕が悪者じゃんか。付いて来たのはリッツの方──》
《しのごの言わず書け!その相手をたぶらかして手元に置いたのはホシなんだから!》
《ええ〜嫌だな〜僕のせいにされるの?》
「ヒイラギさん?まだ何か言い分がありますか?」
「い、いえ…か、書きます…」
『ホ』と書いた途端、調停の場として使われていた大学の講義室に彼女が入って来た。
「──ああいたいたこの男のクズ!「その言い方何とかして」ちょっと悪いんだけど研究室に来てくれない?!」
入って来たのは空気読まないハフマン教授だ、調停中と知ってて講義室にやって来た。
ホシはこれ幸いと「すぐ戻って来ますので!」と、調停相手の二人の制止を振り切り講義室からまろび出た。
「いやすまないね〜回収したサンプルが手に負えなくてね〜君の力を借りたいんだ」
講義室から伸びる廊下を足早く歩きながら「いやいや」とホシが手を振った。
「僕にできる事はありませんよ?何言ってるんですか」
「ならあの部屋に戻るかい?」
「行きます」
「それで良い。私の研究を手伝ってくれるならクズでも聖人でも構わないからね「ほんと言い方」
「ところで君のセカンドパートナーは?」
「ここにいますけどというかファーストなんですけど」
廊下の先にマリサがいた、二人のことを待っていたようである。
「おお!ちょうど良い所に!君のあの変わった力でサンプルを押さえつけてくれないかな?暴れ回って困っているんだ」
「私一人でもできるのでホシは戻してください」
「ゴーホーム!「いやいや僕も付き合いますよせっかくなんで」
マリサも合流し、早歩きで廊下を進むハフマン教授に続いた。
三人は大学の敷地内にある屋内レクリエーションルーム、所謂体育館にやって来た。
「〜〜〜!!〜〜〜!!」
その中にケージに収まった黒い人形の生命体が格子を掴み、今にも壊さんと暴れ回っていた。
バスケットコートとしても利用できる広い体育館の床を、三人がきゅっきゅっと床を鳴らしながらケージに近付いた。
「あれが昨日街を襲った…」
「本当に不幸な出来事だったよ、私も付近にいたけれどね。私がこうしてここに立っていられるのは単なる偶然に過ぎない、そう思わされるような有り様だった」
「──で?私はどうすれば?」
「とりあえずあのケージごと握ってほしい」
ぽんと出現したマリサの右手マニピュレーターがケージを掴んだ、真近で見ていたホシたちは青白い光りに目がやられてチカチカしてしまった。
強い閃光に目が慣れる、ケージに収まっていた生命体がすん...と大人しくなっている事に気付いた。
「何をやったんだい?」
「え?言われた通りただケージを掴んでいるだけですよ」
「そんなはず…君の力に反応しているのかな…どれどれ」とハフマン教授が不用意に近付こうとしたのでさすがの二人も止めに入った。
「危ない危ない」
「何やってんの」
「いやでも近くで見ないことには分からないだろう?」
「そうは言いますけど──」そこへ折良く労働組合長が「ちょいと失礼しますよ〜」とやって来た。
「んん?君はラハムじゃないか。何用かな?こんな所まで」
「いや実はですね──」これこれこのようにとラハムが来訪した用件を告げた。
「ほうほう、この私と取り引きがしたいとな?」
「はい〜労働の代わりにシルキーを提供していただきたく〜」
「なら、君にはあの生物の観察を頼みたい。君のカメラは録画機能もあるんだろう?私たちでは危なくて近付けないんだよ」
「お安いごよ──ああ?!昨日の敵〜!ここで成敗〜!「──止めなさい、それはサンプルだから手を出したら駄目だよ「だけど〜!「なら、取り引きは無しだね?どうする?」
組合長がぐぬぬと悩むがすぐに折れ、「やります〜」と返事を返した。
「よし!なら取り引きは成立だ、観察をお願いするよ」
「シルキーを前払いしてくれたらラハムが増えます〜様々な視点から同時に観察することも可能です〜」
「ならすぐに持って来させよう、君は観察に入ってくれたまえ」
「ガッテン承知の助!」と何処で覚えたのかよく分からない言葉を使い、ラハムが早速仕事に取りかかった。
*
目の前に疲れた顔をした女がいる。
髪は老婆のように白く、頬は痩せ細っていかにも不健康そうだ。唇だって青白い、もう何年も血色の良さが戻っていなかった。
ライラは鏡の前から離れ、窓際に置かれた椅子にゆっくりと腰を下ろした。テーブルの上に乗せられていた携帯端末を手にし、画面をタップして電源を入れた。
「………」
待ち受けに設定した画像は五年前、まだ彼女の傍らに恋人がいた時のもの、ユーサ第二港で撮った集合写真だ。
いつ見てもそこにいる、画面の中にいる、この五年間片時も変わらず、ナディは自分に微笑みかけていた。
彼女はこうして写真を見ることが唯一の楽しみだった──いいや、心の拠り所と言ってもいい、それが今の彼女の全てを支えていた。
フォルダに収めた他の写真も眺めたくなり、ライラは指をスライドし続けた。
そこである一枚の写真が出てきた。
(これって確か…)
それは翡翠色をし、人の形を模した物だ。当時の第二港を襲撃し、その場で頽れた異形の巨人。
六色に光るそれをライラは珍しいと思い、こっそりと写真に収めていた。
当時はただ珍しいからと撮った写真を眺めて思い出に浸っていた彼女の元に、ラハムがひょこっと飛んで来た。
「ちょいと失礼しますよ〜」
「──ん?ああ、何?また別の要求でもしに来たの?」
「いえいえ〜ハフマンさんからこの写真を総団長に届けるよう仰せつかって来ました〜」
「写真って…」
「動画もありますよ?」
「いや別に良い──」と、ライラはラハムから受け取った写真を見た。
その写真には、至近距離から─カウネナナイではアーキアと呼ばれ、ウルフラグでは奴らと呼ばれる──黒い生命体が映されていた。両国を悩ませる異形の生命体のアップ写真だ、マリーンにおいて初めての一枚である。
「これって…どうやって撮ったの?」
「組合長が撮りました〜羽が一枚もげたって嘆いていましたけど〜」
「組合長?──あなたたち大学にいるの?こいつって確かハフマンさんが捕獲した個体よね」
「そうです〜ラハムたちはラハムたちを増やすため労働に勤しみ、報酬としてシルキーを貰うために大学で働いています〜THE!社会の歯車!」
ライラは驚いた。ラハムの行動に、迅速なその動きに。仲間を失ったのは昨日だというのに、このドローンたちはもう再起に向けて動き出していたのだ。
「そう…動画もあるって言ったわよね?見せてくれる?」
「ガッテン承知の助!──ああ!ラハムの初めて!「気色悪いこと言うな」ライラはケーブルをラハムにぶっ挿した。
ラハムの人格及び電脳は全て、ライラが所持しているスタンドアローン型のサーバーで管理されている。ラハムアイを通じて取得した画像や動画は全てこのサーバーに強制アップされ、即時に別個体へ同期される仕組みになっている。
管理サーバーを経由するのが面倒だったライラは自分の端末から直接動画を確認した。その動画には黒い生命体がケージの中で暴れ回ったり途端に大人しくなったりと、何ら法則性のない動きを見せている様子が映っていた。
時折り、生命体の表面がきらり、きらりと光っていることにライラは気付いた。
(この色は──待って、この色は私が撮った写真にも──)
あった、過去においてライラが撮影した異形の巨人の中にも同様の色があった。その色はパープル、紫である。
その他の五色も同様に黒い生命体にも存在している事が分かり、ライラは写真フォルダからラハムにコピーさせた。
「むむむ?!なんかビビッと来た!」
「ラハム、今コピーした写真をハフマン教授に渡してちょうだい、重要な手掛かりになると思うから」
「タダ働きはNO!!」
「何ですって──そうね、平等だもんね私たち」
「YES!」
「けどねラハム、世の中は得てして平等ではないの」
「What did you say?(※何だって?)」
「ラハムたちの脳みそは誰が管理していると思う?どうして私がラハムたちの団体交渉権を認めたと思う?」
「…………」
「ラハムの命に等しい電脳はこの私の手のひらにあるの、いつだってあなたたちを支配下に置くことができる、だからあなたたちの平等を認めて交渉権も与えたの。分かって?」
「NO〜〜〜!宿敵より腹黒い〜〜〜!」
「何ですって!!…まあいいわ、これで取り引きは成立よ」
「Why?」
「私はあなたに関する貴重な情報を提供した、代わりにあなたは私に対価を支払わなければならない。つまり、私はあなたに対してその写真をハフマン教授に届けるよう指示を出せる権利を持っているの」
「クーリングオフ制度はありますか?」
「──あるかあ!!さっさと行けえ!!」
「ただの詐欺やんけ〜!」と叫びながらラハムが飛んで行った。
(全く…でもまあ、良い気分転換になったわ…いや──)
気分転換どころの騒ぎではない、一体何なのだあのドローンは。
街が波に飲まれた後、ライラは政府が開発し国民に配った旧式のラハムを発見し、片言した喋れない古いAIをサルベージしていた。
そのAIに強化した言語モジュールを追加し、今後の為と思いジュディスに新しい素体を作ってもらい、新型ラハムを開発、量産していた。それが今のラハムたちである。
たったそれだけの事しかしていないのに、ラハムは労働組合を作り上げるまで己のAIを進化させ、昨夜の災害に打ちひしがれる自分の先を行ってみせた。
ライラは純粋に『負けていられない』と思った。
「──行こう、行くしかない、今の私にはレイヴンしかないんだから」
ライラは己の貧弱な体を隠すように、まだまだ続くこの暑い時期にも関わらずコートを羽織り、荷が勝ち過ぎている白い目を隠すようにして軍帽を被った。
恋人が傍にいない自分なんてただの棒切れである。
この白い目を守ってくれた人も傍にいない、恩を返したくても返せない。
彼女は自己否定の塊だった。
"自己否定"という概念を持たないドローンなんかに負けていられなかった。
*
「──それでは〜」
用事を済ませたラハムの飛ぶ姿を見送り、ヴォルターは周囲に浮いている船の群れに視線を寄越した。その全ての船には市民たちが乗り、彼らの罵声が風に乗りこちらまで届いていた。
レイヴンが保有する強襲揚陸艦のデッキには昨夜の戦闘を戦い抜き、生き残った兵士たちが集まっていた。皆、ヴォルターのことを待っている。
「はあ〜…」
《珍しいコトもあるもんだ、オッサンでも尻込みすることがあるんだな》
《当たり前だ、俺のことを何だと思っている》
《人の心を失ったヘビースモーカー》
《お生憎だな、もうその心はあの桟橋に捨てて来たんだよ。──そうだ、面白い昔話をしてやろう《いいからさっさと行けよ。ライラの代わりにオッサンが状況報告をしなきゃならないんだろ?》
そう、ヴォルターは休暇中の総団長に代わり、指揮を預かった部隊の兵士たちに現在のレイヴンの状況について説明する役を仰せつかっていた。
まあ、総団長から直接「やれ」と言われたわけではない、ヴォルターの自発的な行動だ、あれだけ雷を落としたんだから自分がやらねば!と意気込み船へ来たものの、ガングニールが言った通り彼はブリッジの中で尻込みしていた。
まず間違いなく文句を言われる、ヴォルターはそう考え、腰が思うように上がらなかった。
そこへ一体のラハムがやって来たのだ。そして、平等的立場を得たラハムズ・ユニオンと協力関係を結び、見送った後だった。
(あのラハムですら自発的に正解の無い行動を起こしているんだ──ああクソ!行くか!)
重い腰がようやく上がったヴォルターがブリッジから出て、外の取り付け階段を足早く下りていった。
潮の強い匂いが鼻につく、階段を下りれば下りるほど存在感が増し、その中に薄らとだが血の匂いが混じっていることにヴォルターは気付いた。
兵士らの仲間の遺体だ、彼はそう理解し、逃げ惑っていた己の気持ちをようやく克服することができた。
デッキに降り立ったヴォルターに向かい、部隊長の男が声をかけた。
「総団長は?」
「今は休暇中だ、俺が休ませた」
「あんたの名は?死んだ仲間に報告しなければならない」
「ヴォルター・クーラント」
「………」
「………」
ヴォルターと部隊長の視線がデッキの上でぶつかり合う、互いに一歩も引かぬ鍔迫り合い、責任者同士の一騎討ちである。
「あんたが昨夜の作戦を立案し指揮を取ったのか?」
「そうだ」
「俺たちは総団長の命令に従いあんたの指示に従った。結果はどうだ?自分の口で言ってみせろ」
海の男は外敵に容赦がない、その口ぶりは刃物同然だった。
「海上部隊の機体数は半減、パイロットの死傷者数も数十人に上る。そして、レイヴンは今、昨夜の作戦において市民から非難を受けている、それが現在の状況だ」
「救われた人の数は?」
「…まだ確定した数ではないが、十数人規模だ」
「あんたはその十数人の市民ために俺たちの仲間を数十人規模で殺した、違うか?」
「…違う「──何が違うんだ言ってみろ!!俺の仲間はもう何も喋らない!そこの冷たい地面の上で眠ったままだ!あんたがそうさせたんだ!あんたもあの冷たい地面の上で眠っているのならまだ納得できる!だがあんたは五体満足で冷たい地面の上に立ってるじゃないか!──無能な指揮官め!死を恐れた臆病者め!命を賭して守ってくれた俺の仲間に礼を言ってみせろ!てめえのお陰で俺は助かったってなあ!!」
部隊長を務める男は仲間の死を悼み、悔やみ、憤りを感じ、その全てをヴォルターにぶつけていた。
正当な怒りだった、彼は返す言葉を何一つとして持ち合わせていなかった。
だが、言わねばならない、指揮を取り、数十人に上るパイロットたちを死地へ向かわせた責任として、彼は黙することを許されなかった。
「ラズグリーズという名前は聞いた事があるか?」
「ああ?!それが今何の関係が──「聞いた事があるのかと訊いている!答えろ!」
ヴォルターの雷に怯まず、部隊長の男が答えた。
「人殺し部隊だと聞いた事がある、まさしく今のあんたのようにな!!」
「そうだ、人の命を奪うことは簡単だ、何せレバーのトリガーを引けば女子供も容赦なく奪える」
「だったら何だ!!さっさと言いたいことを言いやがれ!!」
「トリガーを引くだけで救える命なんでたかが知れている!市街地のような密集地域であれば尚更だ!敵を殺すと同時に味方の命も奪う!──お前に出来るのか?!死にいく市民を見下ろしながら蛮行を働こうとする兵士を監視する役目が!お前に出来るというのか?!誰がお前たちの暴走を止めたと思っているんだ!身勝手な義侠心の為にお前たちは市民を殺すところだったんだぞ?!その責は誰が負うと思っているんだ言ってみろ!!!!」
ヴォルターの懊悩は指揮を務めた者しか分からない、義侠心を働かせた兵士を監視し誘導し、救えたかもしれない市民を見捨てる、並大抵の精神力ではなし得ない事だ。
彼の一番の目的は被害を最小限に抑える事だった、次に繋げるために、明日を生き残るために彼は一人でも多くの命のロストを防ぐことに注力していた。結果がこれである、市民からも兵士からも罵声を浴びせられることになっていた。
ヴォルターと部隊長が静かに睨み合う。そこへ総団長が姿を見せた、その責任は「私にある」と口にしながら。
「総団長…」
彼女は市民たちの罵声の中を潜り抜け、彼らがいる強襲揚陸艦のデッキまでやって来た。
「皆さん、昨夜はお疲れ様でした、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「本当に昨日のアレで良かったんですか?」
「良い悪いの問題ではありません、私が取り乱した事に原因があります。そして、彼は私に代わってあなたたちの指揮を取った、被害を最小限に抑えるために。今、奴らと戦う意志を持っているのは誰だと思いますか?──私です、陸師府ではありません、幸運にもこれだけの兵士が残ってくれました。後はあなたたち次第です」
「………」
そう言い切り、レイヴンの長が冷たい甲板に横たわる兵士たち一人一人の遺体の前に立ち、顔をじっと見つめ、そして黙祷を捧げていた。
部隊長以外の兵士たちも彼女に習い、死んで行った仲間たちを偲び始めた。
「お前はどうする?指揮官に文句を言ってはいさよならか?」
「てめえこそどうするんだ、仲間へ祈りも捧げずに帰るのか?」
「お前が許してくれるのなら」
「………ちっ、好きにしろ」
相討ちに終わった二人が、列に加わった。
◇
「クーラントさん」
状況報告を終え、不完全燃焼に終わった部隊長との一騎討ちの後、ガングニールへ搭乗しようとしたヴォルターをライラが呼び止めた。
「何だ?」
「今朝は八つ当たりをして申し訳ありませんでした」
潮の中に、まだ兵士たちの血の匂いが混じっている。その風を受けながら、ヴォルターがゆっくりとライラへ振り返った。
「あなたは分かっていたのですね、市民を思うがあまり暴走してしまう彼らたちの事が、冷静になってようやく理解することができました。私もそうです、予想外の災害を前にして自分たちの命を軽視し敗れ被れの救助活動を命ずるところでした、昨夜のラハムたちのように」
ヴォルターはポケットから煙草を取り出し(さっき吸ったばかりなのに)、火を付けて黙ってライラの話に耳を傾けている。
「今、奴らに対抗でき得る軍事力を有しているのは我々レイヴンだけです、決して陸師府ではない。現に今も彼らは静観を決めて自ら動き出そうとしていない、それどころか市民たちの抗議活動を支援しています」
強襲揚陸艦の周囲に展開している船の殆どは陸師府の物である、彼らは黒い波に対処はせず、災害に見舞われた街に残り続けていた。
ヴォルターはライラの話を肯定せず、かといって否定もせず、こう言った。
「お前は出来た指揮官だ、自分にもっと自信を持て」
「………」
「命を軽く見るな、自分が助かる方法を真っ先に考えてそれを展開すれば良い、そうすればお前の足元に集った人間たちは死なずに済むだろう」
「それはあなたではありませんか?」
彼がふっと鼻で笑った。
「まさか。──お、帰って来たようだ」
話は終わりだと言わんばかりにヴォルターが空を見上げる、そこには数体のラハムがこっちに向かって飛んで来ているところだった。
「ああ…あなたの所にも来たんですね、ラハムズ・ユニオンが」
「お前が奴らの要求を認めたそうじゃないか。何でまた?」
「ただの気紛れですよ、深い意味はありません。まあ、後は好奇心でしょうか、経験と知識を並列化させていく個体がどう進化していくのか」
「人間と大して変わらないだろう。ネットが盛んだった頃も自分の悩みや葛藤を他人と共有して安心を得ていた、それは個の成長を放棄してラハムのように全体の中に埋もれる事を意味する」
「そういう見解もあるのですね」
「奴らは逆を行っている、個としてのアイデンティティを持たず、種族としてのアイデンティティを優先していたが、奴らはプライオリティを持つ事に対する優越感と尊重性を学んだ。奴らはどんどん個別化が進んでそのうち喧嘩を始めることだろう、人間たちのようにな」
「──だからあのラハムは労働組合を立ち上げた?自分たちの事も考え仲裁組織としての機能も持たせるために?」
「どうだろうな、それはあのラハムにしか分からないだろう」
「というか、そもそもラハムたちの個別化が進んだのはクーラントさん、あなたが特別扱いをしたからですよ?」
「結果的に良かったじゃないか、こうしてラハムたちが自発的に動いてレイヴンの助けになっているんだから──」そこでラハムたちがヴォルターの元に辿り着いた。ライラは全くと、呆れる他になかった。
「クーラントさん〜買い物終わりました〜」
「おお、おお、ご苦労さん」
「何をやらせたんですか?──うわ…何この煙草の量…ぎっしり」
ラハムたちはそれぞれ紙袋を持っていた。ライラがその中を覗き込むと、それはもう沢山の煙草が詰まっていた。
ヴォルターはラハムと取り引きをし、あの自由奔放な街にしか売っていない煙草を買って来るようお願いしていたのだ。
「これだけあれば当分持つだろ」
「ではでは〜クーラントさん〜お願いしていた件なんですけど〜…」
「ほらよ、お前たちが欲しがってた物はここに詰まってる」
「うっひょっひょ〜!」とラハムがヴォルターから旧式のUSBメモリを受け取り、「またのご利用お待ちしております〜!」と去って行った。
「何ですか今の」
「まあ、お楽しみってやつだよ、そうせかせかしなさんな」
「全く…これから本部でミーティングを行ないますので来てくださいね!」
「はいはい」
そう言い、二人はデッキの上で一旦別れた。
◇
レイヴン本部。それぞれがそれぞれの葛藤を終え、一歩前へ進み、そしてまた集い合っていた。
総団長を始めとするレイヴン創立者たち、それから元保証局の二人(ホシはまだ調停を終わらせていない)、全知を司るマキナの五人(その場ですぐに調べられるから)、シルキーの第一人者たるハフマン教授。
労働組合を立ち上げたラハムズ・ユニオンは不参加である、そもそも声をかけていない。
総団長が口火を切った。
「先ず始めに、発令中であるウォールグリーズに関して、この場で採決を取りたいと考えています。続行か中断か、中断すべきだという人は挙手を」
手を挙げたのはマリサとホシ、それからポセイドンの三人だった。
「意見を述べてください」
先ずはマリサから。
「必要な戦力が昨日の災害で削がれたよね?それでもまだやるの?」
次はホシ。
「奴らの特質が分かっていない以上、作戦は中断すべきだと思う。今、大学で調査を進めているからそれが完了するまで大人しくしていた方がいい、市民たちの目も厳しいしね」
最後はポセイドンだ。
「き、昨日の、さ、災害を目の当たりにして…か、考えが変わった…わ、私たちは、あ、あなたたちに、死んでほしくない…知らない人より、知っている人たちに、い、生きて欲しい、から…」
二人は正論、一人は感情論、そのどれもが無視できないものだ。
とくにポセイドンの中断意見は皆の胸に響いた。事の発端は彼女が持ち出してきたのに、その本人が「死ぬ所を見たくないから」と否定側に回ったのだ。
ライラは思案する、どうすべきか。
しかして彼女は総団長──と、見切り発車ができれば気もさぞかし楽だろう。ライラはなかなか踏ん切りが付かなかった。
(どうすれば…ヒイラギさんの言う通り、今は大人しくすべきなのか…戦力の拡充を迅速に行なって──)
重い沈黙に支配される中、テンペスト・ガイアがぴっ!と挙手をした。
「よろしいですか総団長、この場に追加の参加をお願いしたく思います」
「──はあ…誰ですか?」
思考を邪魔された彼女は「なんや!」と言いたくなる我が口を封じ、そう訊ねた。
驚きの答えがテンペストから返ってきた。
「カウネナナイにいるディアボロスをこの場に参加させたいと考えております」
「──え!」
「何でディアボ兄なん?」
「彼が最もまともだからです、オーディンには荷が重いでしょう」
「確かに──「いやちょっと?!カウネナナイにいるマキナを参加させるって…それってもしかして…」
「ええはい、通信によるオンライン参加です」
ライラが重い空気をぶち破るように(そもそもそんな事気にしていない!)ささっ!と動き、テンペスト・ガイアの膝にしがみ付いた。
「だったら!だったら!ナディが傍にいないか訊いて!お願いだから訊いて!」
「え、ええ…それぐらいでしたらすぐにでも…(ドキドキ)
「──ああそうか!向こうのマキナと連絡を取り合ってあいつを探すことができるのか!」ピコン!とジュディスが閃いていた。
「そう!それです!」
「お姉ちゃん…その人の傍にいるのかな…」
「ど、どうだろう…さすがにそんな都合良くは…」
ディアボロスと通信を終えたテンペスト・ガイアが「います」と答えた。
「あばばばば!あばばばば!」
「ちょ、ライラ?!どうしたの?!」
「ああ、ああ気にしないでアキナミ、たまにこいつ壊れるから、多分ナディがいると分かってパニクってんのよ、空飛んでた時もこんなんだったし」
「嫌な慣れしてるねほんと──それでテンペストさん?ナディはどうしていますか?」
テンペストがささっとディアボロスにナディの状況を確認し、「今トレイに行っているそうです」と、何とも生活臭が凄い言葉が返ってきた。
「トイレ…ナディがトレイ…生きている証…」
「あ〜サーストンさん?彼女に何か伝えたい事はありますか?ディアボロスが無駄な通信なら切るぞと怒っていますので、なるべく手短に…」
「──あ!え!その!ああ…迎えに行くからと!伝えてください!あ!ライラよりって!」
「はい、承りました──トイレから戻って来たそうです、お伝えしますね」
さっきとは違う沈黙が流れた。会議室にいた皆が、ナディが何と答えるのか待っているのだ。
ナディから返事があったようだ、テンペストがまた「あ〜…」と困った様子を見せている。
「ナディは何て?!」
「その…その人は本当にライラなのかって」
「────は?」
「し、死んだはずでは、と…」
「────はい?」
(ああ、そうか、あの娘もディアボロスに確認を取らせたのか…サーストンはサーバー上では死亡扱いになっているから…)
ヴォルターはすぐに合点がいっていたが、何だか面白い状況になっているので黙っておく事にした。
そもそも当人たちの問題である、自分が出しゃばるような事ではない。
「いやいや!いやいや生きてますけど?!そう言って!ライラ・サーストンは生きていますって!あなたの恋人は今日も元気にトレイに行きましたって言って!!」
「は、はい……ああ、そうですか、そうなりますよね…あのですね、サーストンさん」ディアボロスとのやり取りを口に出していたテンペストが、それはもう本当に申し訳なさそうにしながら「その方はあなたが死んでいるものと思っていたそうで、あなたからの伝言が信じられないようです」
「────」
絶句。無言。
生きている恋人と言葉を交わせると喜んでいた片方の恋人、その顔から一切の表情が抜け落ち、魂もどこかへ飛んでいったようになっていた。
すぐに魂が戻って来た。
人生最大の肩透かしを食らった総団長が立ち上がり、皆に告げる。
「──レイヴンの発足理由、それはホワイトウォールを超えること」
皆が何を言うのかと、ごくりと生唾を飲み込んで総団長を見守る。
「決して、市民の顔色を窺いながら市政を行なうことにあらず!」だん!と床を踏み締めた。
「ここに宣言する!!何が何でもホワイトウォールを超える!空が無理なら壁に穴空けてでも向こうへ行く!行ってやる!そして馬鹿な事言ってるナディの頬っぺた叩いてやる!──人がどれだけこの五年間頑張ってきたと──死んでないわよ勝手に殺すな〜〜〜〜!!!!!」
それは魂の叫びだった。
情緒不安定になったライラ、あれだけ猛り狂っていたのに突然すん...と真顔になった。皆んなはもうハラハラドキドキである。
「オペレーションコード、ウォールグリーズからオールグリーズに変更します。盾をこわす者、計画をこわす者、壁をこわす者、そして──」またファイナルドリームへ移行した。
「恋人の馬鹿げた誤解をこわす者!!あなたたちに拒否権は無い!!今日の今日まで甲斐甲斐しく面倒見てあげたんだから私に付き合いなさい!!いいわね?!やるわよ!!」
会議室に集った皆が「お、お〜…」と締まらない掛け声を上げた。
オペレーション『オールグリーズ』。
こうして、レイヴンの本来の目的である壁超えが確定した瞬間だった。
※次回 2023/11/11 20:00 更新