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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
280/335

TRACK 29

フェアプレイ



 観測船の船長を務めるはケンジ・アタラシという人物である。独身。家族は言う事を聞かない犬だけ。

 彼は五年前の大災害を生き延び現在の政府に拾われ、今はこうして何とか職にありついていた。


「全くもって芳しくない」


 彼は過去において、シルキーの第一発見者たるユーサの深海探査船の船長を務めたことがある。その経歴を買われ、陸師府からホワイトウォール近海で観測を続ける船の船長を任されていた。

 

「ああ、ああ、全くもって芳しくない」


 今日も今日とて聳えしは、何の変化も起きない白い壁の群れなり。

 ただ観測し、時折り現れる奴らを捕捉し、レイヴンの観測船へ報せを届ける、それがアタラシの主な日課だった。

 電波が奴らを引き寄せる?彼は一度としてそのような現象を目撃した事はない。

 いつだって現場とお上の意見は食い違う、現場はただ目前の問題に集中し、お上はいつでも現実不可能な理想に集中する。

 アタラシは観測船の甲板に出ており、ホワイトウォールを超えてやって来る異国の風に吹かれていた。

 五年の歳月を経て、大災害を経て、彼の顔にもある程度の精悍さが宿る。だがまだまだ若い、彼は青い海に聳える白い壁に向かって、


「全くもって芳しくないんですけどーーー?!?!」


 と、怒りに任せて吠えた。



「どうするんです船長、レイヴンの奴らガチで帰っちゃいましたけど」

 

「分かっとる」


「私たちだけであいつらに対応するんですか?せいぜい持ってるのは水鉄砲ぐらいですよ」


「それも分かっとる」


「何とかしてレイヴンを呼び戻してくださいよ、あいつらが現れたら俺らお終いですよ?」


「今考えてる」


「──ちっ」


「──おい!今舌打ちした奴誰だ!」


 日が沈み、海に夜がやって来た。アタラシ含む観測船メンバーがいつものように船内食堂に集まり、心許ない食事を囲んでミーティングを行なっている。

 兎にも角にも今はレイヴンである、船の物資も残り少なくなってきたが先ずは自分たちの心配だった。


「…まあいい。新聞記者にはレイヴンへ橋渡しをお願いしている、お願いだから帰らないでくれって」


 アタラシと共に船へ乗り込んでいる乗組員の一人である女性が、「はあ〜〜〜」と溜め息を吐きながら髪の毛をふぁっさふぁっさといじった。


「頼りない船長だこと「舌打ちしたのお前か?「レイヴンのあの怒りよう見たでしょ?私たちが報復対象にならなかっただけでもまだマシってなもんですよ」


 彼女の隣に座っていたもう一人の乗組員である男性も、「全くですよ」と同意を示す。


「もうここはいつ帰港するかの判断でしょ?頭おかしいんじゃないですか?「舌打ちしたのお前か?「お上が現場を顧みないのはいつもの事じゃないですか、何をそんな義理見せてんすか」


 最後の乗組員である男性が「ちっ」と舌打ちしてから、


「さっき舌打ちしたのお前だろ!!「船長は俺たちに死ねと言うんですか?陸師府の為に?レイヴンが帰った時点で俺たちも帰るべきだったんですよ」


 船が波に揺られて一度だけ大きく傾いだ。テーブルに乗せられていた皿が動き、天井の鉄骨に吊るされているLEDランタンがぶららんと揺れる。

 皆、アタラシの返事を待っている。


「──だったら誰があいつらを監視するっていうんだ言ってみろ!俺たちの仕事はなあ、街を守っている事に繋がるんだよ、見てみろこの海を「真っ暗で何も見えないっす「──そういう事じゃねえんだよ!レイヴンが居なくなった今、俺たちが最後の砦なんだよ、俺たちまでここを放棄したら後は街までズドンだ、奴らを止める術がない」


 アタラシが(茶々を入れられながらも)そう言い切った。三人の乗組員は「たまには良い事言うじゃん」みたいな顔をしながら彼のことをじっと見ている。


「だから!あのクソったれ共がレイヴンを怒らせたのが一番納得できねえんだよ!さっさと謝れってんだ!」


「ほんとですよ、お上は一体何を考えてレイヴンを拘束し始めたんですかね」と男性が言い、テーブルの上に置かれた防水新聞に目を落としていた。


「絶対あれですよ、あれ、レイヴンが飛ばした船、それに嫉妬してるんですって」この女性乗組員はスカイシップを船上から目撃していた。

 

「いんや〜凄い光景でしたよマジで!だって飛行機雲って普通白色でしょ?!それなのに赤く光ってましたもん!──かっこよかったな〜」


 女性は自分たちが置かれている状況も忘れ、頬杖を付きながらうっとりとした顔になっている。

 当日、彼女はホワイトウォールの観測任務に就いており、双眼鏡を持って観察していたところ空に赤い筋を残しながら飛んでいるスカイシップを発見したのだ。

 彼女たちは知る由もないが、この赤い筋はシルキーの大波を前にして総団長が「アーイキャンフラーーーイ!」した後のものであり、言わばシルキーの波飛沫である。

 いつものようにミーティングからただの雑談になりかけた時、開け放った丸窓から「ちょいと失礼しますよ〜」と見慣れないどころか喋るドローンが入って来た。


「何奴?!」×4


「お使いで来ました〜ラハムです〜」


「お、お使い…?というか、お前…喋れるのか?」


「常識ですよ?」


 マジか、と四人が顔を見合わせる。


「え、今のウルフラグってこんななの…?」

「海に出るとはこういう事か…時代に遅れるって本当なんだな…」

「科学の進歩は本当に早い…」

「ああ…どうせジョン(※飼い犬こと)はまた俺のこと忘れてるんだろうな…」


 ドローン型ラハムもレイヴンの手によりver.アップされている。以前はこけしのようなデフォルメされた姿だったが、今ではバービー人形くらいのディテールになっている。また、長距離運用も考慮してランドセル型の追加バッテリーも備えており、レイヴン本部からホワイトウォールの距離を航行可能である(往復するだけ)。ちなみにファンだけは今も変わらず足元の四枚の羽だけである。

 バービー人形がランドセルを背負っているような出立ちをしたラハムが「伝言です〜」と言い、録音データを再生した。


「──レイヴン総団長のライラ・サーストンです、この度はあなた方にご迷惑をおかけした事お詫び致します」


 時代の波に乗り遅れている(一部を除く)と嘆いていた乗組員たちが「おお!」と色めき立った。彼らはレイヴンに見捨てられていなかったのだ。


「今、レイヴンでは陸軍の蛮行に対応するため部隊の再編成をしています。従って、数日ホワイトウォールの観測任務を空けることになってしまいますが、真っ先にそちらへ部隊を再派遣するつもりです。それまでの間、そちらに一体のラハムを預けますので連絡用としてご利用ください」


「凄えんだな、お前、あの総団長に信頼されているぞ」


「えへへ〜」


 褒められたラハムは嬉しそうにくるくると回っている、和むそのモーションに乗組員たちもにっこり。

 総団長の録音データはまだ続いている。


「そのラハムにはホワイトウォールの観察任務も言い渡しています。そちらの船に一度寄った後任務に就かせますので、大変恐縮ですが戻り次第バッテリーの充電をお願いしたく思います。なお、このお願いが聞き届けられない場合、そのラハムは海に捨ててください」


 くるくると回っていたラハムが「NOー!」と叫んだ。鉄の団長はドローンにも容赦しない。

 データの再生が終わり、早速ラハムは任務の為に夜空へ飛び立った。


「海に捨てたりしないからな〜!無事に戻って来いよ〜!」


 アタラシの声援を受けたラハムが、ぐるぐると弧を描きながらホワイトウォールへ向かった。





 自室にいたポセイドンは突然のドアガチャに驚き、手にしていたマグカップを危うく落としかけていた。中にはお気に入りの炭酸飲料が入っている。


「だ、誰?!な、何?!」


 同棲しているアキナミはこんな事しない、ポセイドンは見知らぬ客人かと思ったのだがドアガチャしていたのはそのアキナミだった。


「ポセイドン!ちょっと出て来て!私と一緒に買い物に行こう!」


「え、え〜?こんな時間に?」


 ちらりと見た時計の針はあと数時間で日付を超えようとしていた、決して買い物に出かけるような時間帯ではない。


「そう!今すぐ!──お願いだから付き合って!大変な事になってるの!」


「わ、わ、分かったからガチャガチャするの止めて!今ホラゲー動画見てるところだから!」


「知らんがな──ぬん!」


 分かったと言っているのにアキナミがドアをこじ開け中に進入した。



「ひ、ひどいよ〜アキナミ〜ドア壊さないでよ〜」


「帰ったら直してあげるから。というか、前に分かったって言ってから二時間ぐらい部屋から出てこなかったことがあったでしょ」


「………」


「都合が悪くなったらすぐ黙る」


 ポセイドンはアキナミに手を引かれて夜の群店街を歩く、道行く人は誰も彼女たちに気を払っておらず先を急いでいるようだ。

 というか、皆んなぶつかってくる、まるでこちらが邪魔だと言わんばかりに。

 ポセイドンは参った。


(嫌だな〜人混みって人見知りとか関係なく嫌いなんだよね〜)


 前も後ろも左も右も人人人桃人人人、上空からドローンで撮影したら人が洪水のように映っていることだろう。人いきれにポセイドンは目眩を覚え、今すぐ家に帰りたくなっていた。


「と、というか、何かあったの?こんな時間にこんなに人が沢山いるなんて」


 手を握るアキナミがこちらを見ず、人の波を捌くように歩きながら答えた。


「明日からレイヴンのお店が閉まっちゃうの、だから皆んな今夜中に買い占めようとしてるんだよ」


「ええ〜?どうして?」


「ポセイドン…新聞くらい読みなよ」


「あんなオールドメディア…まあ今は貴重かもしれないけど。そりゃああの大型スーパーみたいな所が閉まるんなら皆んな焦るね」


「言っておくけどポセイドンが好きなジュースもレイヴンのお店にしか売ってないんだからね?」


「ガ、ガチ?!それを早く言ってよ!」


 アキナミたちがよく利用する群店街はウルフラグ屈指の規模を誇り、有り体に言って屋外版ショッピングモールだった。

 ビルからビルに架けられた橋にお店が並び、そのビルの中にもお店があり、海上に浮かんだ一つ一つの舟もお店で、なんなら歩き売りしているお店もあるほど。店内ならぬ店外マップなんぞ勿論なく、初見ではまず全てのお店を回ることはできない。

 そもそも今のウルフラグはお店を出す際に必要な資格も免許も不要であり、いつでもどこでも物品の売買が可能である。

 簡単に言えばシルキーとの物々交換であり、法の監視がなければならず者がうじ虫のように発生するのが道理だ、そこで頼りになるのがレイヴンだ。


「ど、どうしてレイヴンはお店を閉じるの?」


「それがね〜陸軍が馬鹿げた事をしたみたいでね〜その対応に追われてお店を閉めないといけないみたいなの」


「え〜?何それはた迷惑な…」


 レイヴンは街の治安を自主的に担当しており、彼らがならず者の抑え役として機能していた。

 だが、陸軍の蛮行により街の治安を担当していた兵士たちが拘束され、レイヴン本部はその補填と蛮行に対する部隊の再編成を余儀なくされてしまい、結果として全てのレイヴン兵士を招集せざるを得なくなっていた。

 ポセイドンが文句を言ったように人々の陸軍に対する思いは「何しとんじゃわれえ!」であり、好意はほぼ無い、それは却ってレイヴンに対する日頃の感謝と好意を表しているものだった。

 ポセイドンの手を引きながら人の波を捌いていたアキナミが、人々から待ち合わせ場所としてよく利用されている広間に着き、そこでぱっと手を離した。


「ポセイドン!君に重要な任務を言い渡す!」


「あ、あいあいさ〜!」


「その手に持てるだけの食べ物を買ってくるように!よいかね?!君の働きに我々の胃袋事情がかかっている!ひもじい思いをしたくなければ死の物狂いで買ってこ〜〜〜い!!」


「あいあいさ〜〜〜!」


 アキナミの畏まった物言いにポセイドンが素直に返礼し、彼女たちは広間で二手に別れた。

 ポセイドンが先ず向かったのはレイヴンが開く大型店舗だった。そこではほぼ何でも揃う、好きな炭酸飲料から「誰が使うのこんなの?」みたいなマイナーな物品まで、人々から愛されているお店だった。

 ポセイドンは道行く人の数から察し、レイヴンのお店の前に着いた時は「ああやっぱり」と疲れた息を吐いた。


(すんごい人…一人ずつシルキーを一つ貰っただけで億万長者になれそう…)


 人人人銃人人人。入り口前から入場整理の長蛇の列である、「こいつら暇人か?」と疑いたくなる程の人の量だった。帰りたい。もうやだ。


(で、でもぉ〜あのジュースは〜ジュースだけは〜人生の友なんだよ〜)


 ポセイドンは己の欲求に従い、しゃーなしその列に並ぶことにした。

 「亀の方がまだ早いわ」と世界の中心で叫びたくなるほど行列の進みが遅い中、ポセイドンはその人垣の中でやたらと目立つ人物を見かけた。


(──げっ)


    母

    赤

 人人人大人人人、みたいな感じでトーテムポールの如く肩車をしている人たち、いやマキナたちだ。大学生みたいな格好をしたテンペストがハデスを肩車し、そのハデスはティアマトを肩車している。目立つというレベルではない、変人の域に到達していた。道行く子供たちからきゃいきゃい言われている。


(皆んな無事だったんだ、それは良いんだけど話しかけたくないな、どうしよう。──とりあえず後回しだ──あ)


 監視カメラのように辺りをきょろきょろとしていたティアマトがポセイドンの方へ向かって指を差している。一番上にいた母が下にいるハデスへ報告し、その赤が下にいるテンペストに伝えている。

 早く降りなさい!とか、あともう少し!とか、トーテムポールが漫才を始め、さらに周囲の人たちの視線を集めた。


(え〜私あれに話しかけられるの〜?ちょー嫌なんだけど)


「──見ぃ〜つけた!!」


「ぎゃっ!」


「いやぎゃっやないやん、なんで無視ってんの?あのアホ三人組みが見えとったやろ?」


 ぬっと現れたのはバベル・アキンドだ。


「いやだってあんなのに話しかけられるとか良い迷惑なんだけど」


「それは分かる。元気にしとった?というか何してんのこんな所で、まさかほんまにおるとは思わんかったわ」


「私にも色々あんの、今お世話になっている人がいるから買い出し付き合ってんの」


「買い出し〜?自分マキナやねんからご飯食べんでいいやんか」


「食事は今の私にとって最大の娯楽」


「いや知らんけど。俺ら自分のこと探してたんやで──ほら、観念しい」バベルが変人たちに向かって指を差す、周りの大人たちの助力を得てトーテムポールが解体されていた。ティアマトが抱っこされ、ハデスも(腐)女性に抱っこされ、テンペストは「次ぼく〜!」「わたしも〜!」と子供たちにたかられていた。

 

「どうせなら買い物に付き合ってくんない?」


「なんやて?」


「だから、お世話になった人がいるって言ったでしょ?その人無視ってバイバイするわけにもいかないからさ、買い物がてらに話せばいいでしょ。バベルたちもスーパーが気にならない?」


 そこへテンペストたち三人もポセイドンへ合流した。


「お、お久しぶり、ですね…ポセイドン…」疲れている。

「もう早く帰ろうぜ!なんなんだよ男も女も怖すぎんだろ!」怯えている。

「テンペスト!またやりましょう肩車!」興奮している。

 三者三様の彼女たちが、ポセイドンより後ろに並んでいる人たちへ「すみません」とぺこぺこして列に入れてもらい、結局買い物に付き合うことになった。


 ようやく入ることができたレイヴン経営店はビルのフロアをぶち抜いて作られており、そのフロアでも足りないので非常階段を経由し、上階のフロアも売り場となっていた。


「うんわ〜すんごい量やな〜今日日こんな売り場あらへんで〜」

「これぜーんぶレイヴンが自前で用意してるらしいよ」

「こうして見ると、やっぱレイヴンって凄いんだな」

「良く見えな──は!テンペスト!今こそ肩車を!「嫌です「テンペスト〜お願いよ〜もう一回だけして〜!」


 店内も人人人人人人、超密集状態が形成されており見るからに酸素が薄そうである。

 買い物は戦いである、お店は戦場である。その事をよ〜く理解していたポセイドンは、アキナミに習い畏まった言い方で皆へ指示を出した。


「──諸君!これより散開して物資を買って来るように!よいかね?!ここにいる人は皆敵だと思え!足を踏まれようが肩がぶつかろうが誰も謝ってこない!」


「何やの急に」

「俺シルキー持ってないんだけど」

「まあ、せっかくですから私たちも何か購入しましょうか」

「ふふふ〜♪」※肩車してもらっている。


 ああそうだよねごめんね、なんて言いながらポセイドンはアキナミから預かったシルキーを三人に渡し、そして店内の入り口で別れた。


「──では!諸君の健闘を祈る!」


「あいあいさ〜!」

「あいあいさ〜!」

「ええ、ではまた後ほど」

「あいあいさ〜!」


 ポセイドンは走った、店舗の入り口に置かれている商品棚からもう残弾僅かであるため、愛飲しているジュースの在庫が心配だった。


(翼を授ける!)


 だがしかしこの人の量!走りたくても走れない、ポセイドンは人の隙間に自分の体を捩じ込むようにして進んでいく。

 その道中、付近の話し声が耳に入った。


「本当に迷惑だよ、お陰でこうして買い出ししなくちゃいけない」

「よくレイヴンも黙ったままでいられるわね、私だったら無理だわ」

「──あ!おい!お前──」

「このお店から人を引き上げさせるのも陸軍をコテンパンにするためなんでしょ?早くしてほしいわ〜」


 店内なのになんか一瞬だけ煙草臭かったような気がするけど、今はそんな事よりジュースである。


(着いた!)


 沢山のボトルがずらりと並ぶそのコーナー、飲み物はまだ買い占められていないようで結構残っていた。

 が、しかし。


「ええ〜ん?!うっそ〜〜〜こんな事ってあるの?」


 人見知りポセイドンがデカい独り言を呟くほど衝撃的な展開が待っていた。

 無い!愛飲しているジュースだけがぽっかりと穴を空けたように棚から消え失せていた。

 ポセイドンはさっ!さっ!と辺りを見回し、レイヴンのシンボルマークが刺繍されたエプロン姿の人を探す。

 ちょうど折良く、赤いピアスを咥えたカラスのエプロンを付けている人が近くにいた。


「──ちょっと!ちょっと?!」


 呼ばれたレイヴンの店員がたたたと駆け寄る。


「あ、はいはい、何ですか?」


「ここにあったジュースは?!もう無いの?!」


「あ〜…ここにある分しかないですね〜」


「ええ?とか言ってバックヤードにあるんでしょ?──お願いだから出してくんない?!」ポセイドン必死。


「あ〜まあ…ならお客さんも一緒に来てもらえます?今人手が足りなくてこっちもキツいんすよ」


「行く!」


 ポセイドンが店員の後にホイホイ付いて行く。ポセイドンは内心「ラッキ〜」と思っていた。


(いや〜言ってみるもんだわ、アキナミが言ってた通り)


 バックヤードと言ってもここはただのオフィスフロア、レイヴンの商品在庫は全て屋外に停泊させている舟の上にある。だから彼女たちは一旦外に出る必要があった。

 人混みを掻き分け売り場を離れ、店舗入り口とは違う出入り口に差しかかる、そこで彼女は突然後ろから羽交い締めにされてしまった。


「すみませんが、ご同行願いますね」


「〜〜〜!〜〜〜!」


 ポセイドンは瞬時に理解した、自分が狙われていた事に。


(ああ、ああ、確かにいた、あの人混みの中で銃を持ってた人が…てっきりレイヴンかと)


 彼女の目の前には身包みを剥がされロープで縛られている人が床に倒れている、そしてエプロンを着用していた人がそのエプロンを外して海へ投げ捨てていた。

 ポセイドンを後ろから拘束している人が言った。


「ポセイドン・タンホイザーですね、皆がお待ちです。──どうか我々をお救いください」


 それはウルフラグの事なのか、それとも不遇な環境に置かれている自分たちの事なのか、今のポセイドンには判断できない事だった。





 観測船の夜はとくにやる事がなく、ワッチなどの夜勤業務もないため、乗組員たちはそれぞれが眠くなるまで食堂で過ごすのが日課となっていた。

 日によって過ごす内容は異なる、持ち込んだカードゲームをやったり、お酒を飲んだり、男三人が女一人に口説きにかかったり、今日は雑談だった。

 話題は船長が飼っているジョンだった。


「あのバカ犬と来たら、俺が帰って来ても尻尾の一つも振らないんだぞ」


「しょっちゅう家を空ける飼い主に愛想を尽かしたんでしょ」


「今ジョンはどうしてるんです?船長って確か年齢イコール童貞でしたよね」


「その言い方何とかならんのか。──お隣さんにな、動物好きな人がいるからその人に預けてる」


「その人は女性なの?」


「そうだが?」


「もうその人と結婚すりゃいいじゃないですか、他人の犬預かってくれる人なんてそういないですよ」


「いやあ〜…その人あちこちで動物拾ってくる人だからな〜…獣臭くてかなわん。俺、ペット臭い人無理なんだわ」


 じゃあ何で犬飼ってんだよ!と三人から突っ込みが入る。そこへ、観察任務に出ていたラハムが丸窓からすい〜っと戻って来た。


「お!帰って来たか!」


「ただいまです〜もうお腹ペコリーヌです〜」


「よしよし待ってろ、今充電してやるからな…」 


 ソーラー式の携帯型発電機からケーブルを伸ばし、ラハムのランドセルに挿してやる。ラハムが「くっふぅ〜仕事終わりの充電は格別だぜ…」とおっさん臭いことを口にしてから、「ヤバいです〜」と言った。


「な、何が?」


「ホワイトウォール、ヤバいです〜」


「どうヤバいの?」


「亀裂があちこちに入ってます〜このままだとそのうちぱっかりといきそうです〜」


 乗組員たちはラハムの報告に「ん?」と首を傾げた。


「何で亀裂が入るんだ?」

「さあ…奴らが大量発生したから…とかですかね」

「ねえラハムちゃん、あいつらはいた?」


「あいつら、というのが良く分からないです〜」


 女性乗組員は以前に奴らを撮影した画像をラハムに見せてやった。

 ラハムが「あ!」と鋭く声を上げた。


「この生物、ホワイトウォールに向かって突進してました〜」


「…数は?」


「え〜計測していなかったのでうじゃうじゃという擬音語が適しています〜」


 船内が静かになった、乗組員たちは何も言葉を口にせず、ラハムの報告を吟味している。

 アタラシ決断の時。


「──ラハム、充電が終わり次第レイヴン本部に戻ってくれ」


 戻って来たばかりのラハムが「ガチかよ!」と叫ぶ。


「ラハム、これは重要な仕事だ、お前が見た生き物は街を蹂躙する、総団長に報告して至急部隊を派遣してもらうように通達してくれ」


「皆さん方はどうされるのですか〜?皆さんも危ないのでは〜?」


「俺はここに残る、水鉄砲で少しでも奴らの侵攻を食い止めるつもりだ」


「待って、あいつらはホワイトウォールに向かってるんでしょ?何もこっちに来るって決まったわけじゃ…」


「まあ、その通りだがな、何が起こるかは分からん、それでも俺はここに残るよ。お前たちは好きにしろ、ボートならまだ残っている」


 三人が「じゃあそれなら」とあっさりアタラシを見捨てた。


「ガチかよ!──お前らほんと人情ってもんがねえな!!」


「いつの時代の話してんすか、そういう美徳の押し売りは時代遅れですよ」


「くう〜最近の若者は歳上に厳しい…」


「残ってほしいなら残ってって言いなよ、何でそんな他人の気遣いを当てにするような言い方するのよ」


「確かに」×2


「あ、その、残ってもらえませんか?一人は心細いし、水鉄砲も一人で動かすのしんどいので…」


 三人の乗組員が「しゃーない」と言い、アタラシの元に残ることを選んだ。


「ガチ?案外良い奴らだったりする?」


「帰りますよ?」×3


「ああ、嘘うそ。あんがとね」


「──充電完了!フルチャージ!ラハムは行きます!」


 充電を終えたラハムがばびゅん!と丸窓から飛び、そしてすぐにばびゅん!と戻って来た。


「何だ?忘れ物か?」


 ラハムが言った。


「こ、こ、こここっちにうじゃうじゃが来ています〜!ヤバいです〜!」


「……マジ?」×4


 一方、ホワイトウォール近海にて。そこには複数の武装船がいた。


「──船長!前方に奴らが展開しています!──け、計測不能!か、数え切れません!」


 その武装船はレイヴンの物ではなく、陸師府の物だった。

 

「運の悪い…予定通り特個体を出動させよ、所定の位置にて通信機器を起動後、奴らの動きを確認した後に撤収だ。──急げよ!」


 陸師府が掌握した元海軍の空母デッキから特個体が夜空へ飛び立つ、まるで彼らの動きを監視するように月の女王が雲の上に浮かんでいた。

 

「高度計に注意、シルキーを吸い込むなよ」


 部隊長が各隊員へ注意を飛ばす。

 彼らの視界には夜空を切り取るようにホワイトウォールのシルエットがある、それから海上に蠢く複数の影、まるで海が沸騰し泡立っているかのようだった。

 

「隊長、これ…全部あいつらなんでしょ?放っておいていいんですか?」


「構うな、俺たちでは対処できない」


 ちょうど、陸師府管轄の観測船の上を通過した。蠢く影から一キロメートルも無い、彼らは目と鼻の先にいた。

 隊長機に追従する隊員は誰もがあの船は危ないと思っていたが、どうする事もできなかった。

 部隊が所定の位置に着いた、目前は白い壁ならぬ黒い壁、そして下には蠢く影、彼らは見捨てた観測船の事も忘れて「早く離脱したい」と、恐怖に駆られていた。

 到着後、部隊長は母船に一報を入れる事なく通信機の起動に入る。

 彼らの任務はホワイトウォールから発生するアーキアの生態調査だった。レイヴンが引き上げた事による穴埋めでもなければ、観測船の救助活動でもない、陸師府のレゾンデートル(存在意義)のためだけに彼らはホワイトウォールまで足を運んでいた、いいや、運ばされていた。

 ここで陸師府が推察している事象の事実確認が取れれば、レイヴンはアーキアを街に呼び寄せる団体となり、ひいては地位の失墜が叶う。


(寝覚めの悪い──)


 部隊長が通信機を起動した、これにより数キロ圏内の船に対して双方向の連絡が可能になった。

 彼はその通信対象を母船ではなく──


「──聞こえているかそこの観測船!奴らがすぐそこにまで迫っている!今すぐこの海域から離脱しろ!」


 だが、時を同じくして、


「隊長!すぐに高度を──」

「撃て撃て撃て撃て!隊長を死なせるな──」


(なっ──)


 一方、突然の通信を受け取ったアタラシはブリッジからその様子を目撃していた。


「ああ、嘘だろ、特個体が食われちまった…」


 海面に蠢いていた影が柱となって宙へ伸び、低高度を飛行していた特個体に襲いかかったのだ。

 アタラシは堪らず通信機に向かって呼びかけた。


「おい!聞こえているか!返事しろ!」


 返事はあった、注意を呼びかけたパイロットからではなく別の隊員から。


「──いいから早く逃げろって!隊長の命を無駄にするな!」


「──くそっ」


 アタラシは船内に異常を報せる警報を鳴らし、手にしていた双眼鏡を投げるようにして手放していた。

 彼は奴らの監視を行なっていたのだ、そこへ折も良く通信が入り、そして一つの命が食われる瞬間に立ち会っていた。

 彼は乗組員たちが「水鉄砲」と呼ぶ遠隔放水銃がある甲板へ走った、少しでも彼らの助けになればとの思いで走った。

 船内の通路でアタラシは就寝に入った乗組員たちと合流した。


「やっぱりか!」


「何がやっぱりだ!」


「やっぱり来ると思ったわ!──寝てらんねえ!」


 パジャマ姿の彼らがアタラシの指示も聞かずに甲板へ飛び出す。


「おい!お前らは逃げろ!陸師府の部隊があいつらに食われちまったんだぞ?!」


「何処へ逃げろっていうの?!ボートで走った所ですぐに追いつかれるわよ!」


「ラハムも手伝いますよ〜!」


「ほんと出来た歳下だわ──」アタラシも彼らの背中を追いかけ甲板に出た。

 熱い、もう夏が過ぎようとしているこの季節にはそぐわない熱風が彼らを吹きつけた。

 乗組員たちが水鉄砲の準備に入る、設置されている遠隔放水銃は旧式の物で起動前に貯蔵タンクを加圧する必要があった。

 乗組員たちが手慣れた様子で準備を進め、彼らにバッテリーを分け与えてもらったラハムが夜空へ飛び立った。


「何処へ行く?!」


「船長!いいからあんたもホース持てや!すぐそこまで来てんぞ!!」


 遠隔放水銃の他に、消防活動にも用いられている手動式の放水ホースも甲板に設置されていた。一人の乗組員が言ったように蠢く影が目前にまで迫って来ている、空では生き残った特個体のマズルフラッシュが輝き、ホワイトウォールの海が一時騒然と化していた。

 アタラシと乗組員が放水ホースを手に持ち、甲板の手すりに手をかけた奴らに向かって水をぶち撒けた。


「あっぶねえ!間一髪だぜ!」


 放水ホースの放水量は一分間でお風呂二杯分、そして距離は二〇〜三〇メートルに達する、そんなもの至近距離から受けたらどんな生物でも吹っ飛ぶ。

 夜空へ旅立ち旋回飛行をしていたラハムが「南無三!!」と渋い声を放ち、特個体のマズルフラッシュにも劣らない強烈な光りを放った。所謂スタングレネード、ラハムを心配して様子を見守っていたアタラシは、思わず直視してしまい視界が焼けてしまった。


「てめえこらあ!そういう事は先に言え!」


「あ!目が焼かれるので見ないでくださいね〜!「もう遅いわ!」


「それでは皆さん!またお会いしましょ──」


「ああ?!」×4


 スタングレネードは著しくバッテリーを消費する、ラハムはそうだと分かった上で、彼らを守るために使用した。

 言葉も途中でぷつりと途絶え、バッテリー切れを起こしたラハムが海面へ落ちていった。

 そして、ラハムが作った時間で乗組員たちは遠隔放水銃の起動準備を終え、怒りと憎しみを込めて辺り一面に水をぶち撒けた。


「てめえらこらあ!ラハムを殺しやがって〜!!」


 凄まじい水流が奴らを押し流す。


「船長!ボサっとしてないで船を動かせよ!」


「ああ!──ラハム!絶対てめえの弔い合戦をしてやるからなあ!」


 アタラシはブリッジへ走った。


 さらに一方、レイヴン本部のラハム待機場にて。


「ラハムがやられました!」

「ラハムがやられました!」

「何奴?」

「ラハムの宿敵?」

「宿敵は造船所ですよ?」

「何奴?」

「場所はホワイトウォール〜!」

「ラハムは総団長の所へ行きます!」

「ラハムは造船所へ行きます!」

「ラハムは念の為宿敵を確認してきます!」

「第一種戦闘配置〜!ラハムに続け〜!」


「お〜〜〜!」と数えるのも馬鹿らしいラハムがレイヴン本部から飛び立ち、月の女王の明かりを受けていくつもの黒いシルエットを夜空に浮かび上がらせた。





(ああん?何だありゃ…夜鳥か…?いや、あの飛び方は…ドローンか…?)


 あと少しという所でポセイドン・タンホイザーを逃してしまったヴォルターは、群店街から離れ、またいつものように人の目に付かない群道で煙草に火を付けていた。

 そこはいつかのバーのすぐ横、今日も今日とて店内では馬鹿騒ぎを見せる客たちがいる。けれど、ヴォルターはそれらに目もくれず、黒いシルエットが東から北へ向かって横切るのを見上げていた。


(あの方角はレイヴンの本部か…向かった先は北方面…ホワイトウォールか──何かあったのか)


 ヴォルターは煙草を吸い切ることなく地面に落とし、踵で中途半端に消してからさっと歩き出した。

 彼はレイヴン本部へ行き、状況を確認するつもりでいた。しかし、ヴォルターが歩く道の先には武装した集団が立っていた。

 陸軍である、彼らは群店街でヴォルターを発見し、跡を追いかけていたのだ。


「ヴォルター・クーラント、ですね。我々と共に陸師府へご同行願いたい」


「………」


 無視。


「手荒な真似はしたくありません。もう一度言います、陸師府へご同行願います」


「………」


 無視。

 ヴォルターは何ら構う事なく歩みを進め、集団の一人が銃を構えようが足を止めなかった。


「──グリームニル」


「…っ」


 前方を塞ぐ男が発した言葉に、ヴォルターの足がぴたりと止まった。


「その件について、陸師府からあなたにお伝えしたい事があるそうです」


「………」


 『グリームニル』。それはヴォルターという一人の男の人生を狂わせた、過去において政府から発令された作戦名だった。

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