第二十八話 テンペスト・シリンダー
28.a
「テッド、ちょっといい?聞きたいことがあるんだけどさ」
エンジンルームの空調設備が故障してしまい、その修理作業に追われていたが、何とか一息つけた時にアマンナが僕に声をかけてきた。今から休憩スペースに行って軽く食事でもしようかと思っていたけど、呼び止められてしまった。
(どうしてタメ口なの?)
プエラといいアマンナといい、マキナは敬語を使わないのだろうか。いや、グガランナさんは僕に敬語を使ってくれている、とても丁寧な対応だと思いたいけど、あの態度はどちらかと言うと避けているものだろう。
僕が何も言わないことに不審に思ったのか、アマンナが小首をかしげている。
「テッドー、聞こえていますかー」
「あぁうん、ごめんよ、疲れてて少しぼーっとしていたよ、聞きたいことって何?」
コンソール前に置いた椅子に座ったままアマンナに答える。元々ブリッジには椅子なんて物は置いていなかったので、居住区の空いている部屋から持ってきた物だ。
「それより今から休憩するんでしょ?休憩スペースまでわたしも付いて行くよ」
少しぽかんとしてしまった。
「テッドー、聞こえていますかーまたフリーズですかー」
「こら、やめて」
アマンナが僕の顔をぺちぺちと叩いてきたので慌てて振り払う。
中層で初めて見た時は、ナツメさんに飛び膝蹴りを繰り出したのでてっきり粗暴なマキナかと思っていたから、気を使われて驚いてしまった。
「いいよ、今から休憩スペースに行こうか」
「うん」
アマンナが先導して、ブリッジから通路に降りられるエレベーターへと向かった。
◇
カーボン・リベラの街を出発して早々、艦内に警報が鳴り響き何事かと皆んなで慌ててブリッジへ来てみれば、エンジン出力が落ちているとコンソールに警告が出ていた。調べてみて分かったのが空調設備の故障による温度低下が原因だと判明し、昨日の夜から修理作業を始めて未だに直らない。エンジン出力は確保出来たみたいだけど、肝心の空調が壊れたままなので皆んなでローテンションを組んで、エンジンルーム内の設備が凍らないようにお湯をかけている。
確か、今の当番はアマンナとナツメさんだったはず。
「アマンナ、当番はいいの?お湯かける役目だったよね?」
「うん、ジャンケンでナツメに勝ったから、わたしが一人で休憩しているの、言っておくけど先に勝負を仕掛けてきたのはナツメだからね?」
(子供相手に何をやっているんだろう…)
休憩スペースは艦内の中でも割と広い。ブリッジより広いんじゃないだろうか、入り口近くにはフードコートがあるので、そこから好きな食べ物と飲み物を取ってアマンナと一緒に席に座った。
「それで、僕に聞きたいことって何?」
何となく予想はつくけど...
「あー…これは内緒にしてほしい話しなんだけど...アヤメって、テッド達と一緒にいた時はどんな感じだったの?」
アヤメさんと同じ色をした目で僕を見つめ、少し遠慮がちに聞いてくる。
「どうして内緒にしてほしいの?」
「アヤメがね、隊の仕事は嫌だったって言ってたからさ、あんまりわたしが聞いて回っているのは知らない方がいいかなと思って」
また驚いてしまった。てっきり恥ずかしいからと言うと思っていたのに、アマンナはアヤメさんの事を思って内緒にしていてほしいと僕にお願いしたんだ。
「…分かったよ、ここだけの話しにしておくよ」
「ほんと?さっすがテッドは物分かりが良くて助かるよ!」
「…一つ聞いてもいい?どうしてそんなに上から目線なの?」
「上から目線って、わたしが年上だからに決まってんじゃん、わたしがいくつに見えてるの?」
「僕より年下…ん?」
あれ...待てよ確かこの子もマキナなんだよな?見た目通りの年齢なんだろうか...僕の考えを読み取ったようににやりとアマンナが笑っている。
「まだまだだねぇ、テンペスト・シリンダーが建造されてから何年経ってると思う?わたしはマキナなんだよ?」
マキナはテンペスト・シリンダーが建造された時に、一緒に作られたと聞いているから、明らかに僕より年上だ。
「………とんでもなく、おばぁちゃん?」
「何でそうなるの!!」
「僕はこのままでもいいの?敬語とか使った方がいい?」
「もうそんな感じで喋ってる時点で敬語使う気ないよね」
「うん」
こっちの方が気楽でいいし、やっぱりアマンナは僕より年下にしか見えない。僕に妹はいないけど、いたらこんな感じで接していただろうなと思う。
「まぁわたしも改められるのも嫌だから、このままでいいんだけどね」
足を振りながら喋っているのか、椅子が軋む音が聞こえてくる。そういう仕草が子供っぽいんだよ。
「それで、アヤメさんについて何を聞きたいの?」
封がされている食べ物を開けて、トレーに置いているとさっきと変わらない口調で、答えにくい質問をしてきた。
「特殊部隊の人達は、アヤメに仕事を押し付けていたの?」
「それは…」
結果的にそうなってしまった、と言って納得してくれるのだろうか。
「?」
「特殊部隊の人達はね、皆んなナツメさんの言う事を聞かなかったんだよ」
胸から胃にかけて、重くて苦しい何かが通り過ぎていくのを我慢しながら答えた。
「それでアヤメばっかり仕事していたの?テッドも言う事を聞いていなかったの?」
「そんな事ないよ!あー…何て言えばいいのかな、」
「うん」
「…ナツメさんは誰よりもアヤメさんのことを信頼していたんだよ」
「ふぅん…?信頼されていたら仕事を押し付けられるの?何か損じゃない?」
アマンナは自分の顎を両手で支えながら、まるで世間話しのように話している。その目に他意は無いように見える、純粋に思っての発言なんだろう。
「ううん…仕事をどう捉えているかによって、損しているか得をしているか、変わってくるからね、僕からは何とも言えないな」
「ううん?そうかな…そうなのか、アヤメは仕事が嫌いだったってこと…?」
僕から目線を外して一人で考え込んでいる。違う、アマンナが聞きたいのはきっと仕事についてではないだろう。
「…ごめん、言いはぐらかしちゃったけど、隊の皆んなは良いようにアヤメさんを使っていたと思う」
「そっか、アヤメは優しいからね」
...また驚いた、てっきり怒ってくるかと思ったのに。
「怒らないの?僕達はアヤメさんに甘えてばっかりだったんだよ?」
「うん、そのおかけでわたし達はアヤメと出会えたから」
微笑むように僕を見つめている。年不相応の笑顔に面食らってしまった。精神年齢もアマンナの方が年上かもしれない。もし、僕がアマンナの立場だったら怒っていただろう、好きな相手が良いように使われていると知ったら誰だって怒るはずだ。
「…大人だねアマンナは、見た目は子供っぽいのに」
「うるさい」
「あいたっ」
デコピンされてしまった...これではまるで僕が弟みたいではないか。
それならいっそのこと、グガランナさんのことを僕から聞いてみようかな。
「アマンナ、僕からもいい?聞きたい事があるんだけどさ」
「グガランナのこと?」
「何で分かるの」
「そりゃ分かるよ、だって滅茶苦茶グガランナに避けられてるもん、テッドが可哀想」
やっぱりそうなのか...避けられているのか...
「どうしてか分かる?嫌っているからって訳でもないよね?」
「うん、グガランナは人見知りが激しいからね、初めて街に来た時もわたしの後ろに隠れてばっかりだったし、テッドみたいに男の人なんて尚更じゃないかな」
「性別が理由で避けれていたのか…」
「ほんとに付いてるの?女の子にしか見えないよ」
「付いてるよ、何なら一緒にシャワールームへ行って確かめてみる?」
冗談で言ったのに、冗談で言ったのに僕ではなく後ろを見たアマンナの視線の意味に気づいてしまい、その場から逃げたくなってしまった。
「テッド…」
「この性欲お化け…」
「あ、アマンナ…」
「お前さん…」
あれ?!嘘でしょ?!全員?!
僕は後ろを見ることもなく、トレーに食べ物を残したまま逃げるように休憩スペースを後にした。
28.b
セットしていた携帯のアラームで目が覚めた、時間帯は早朝も早朝、まだ日も昇っていない。私が使う部屋は建造している土台とは反対側にあるので、作業用の明かりに照らされることもない。部屋の中は薄暗く何も見えないせいで、起きた拍子に何か手で押さえつけてしまったようだ、すぐ隣からくぐもった声が聞こえてきた。
「んぐぅ…」
「また…」
何かもくそもなかった。いつものように私のベッドに潜り込んでいたマギリの体を手で押さえつけてしまったようだ。髪も服も乱れて、モデル顔負けの少し妬ましいその胸が露わになっている。叩いた起こそうかと思ったが、起きたら起きたでまた甘えてくるので今日はそのままにしておく。
ベッドから降りてそこまで狭くもない自分の部屋の出口へと向かう。円形のラグの上には寝る前までマギリと紅茶を飲んで駄弁っていた名残がある、丸型のお盆には空になったティーカップと封を空けて手付かずに残したスナック菓子があった。
お盆を踏まないよう気を付けながら歩いて扉へと向かう、部屋を出てすぐキッチンがあってその向こうにリビングある。少し変わった間取りをしているがこの寮ではこれが一般的らしい。リビングの窓からは土台を建設している明かりが少し入ってくるので、私の部屋よりいくらか明るい。キッチンの右手にあるシャワールームへと入り、入り口近くにあるスイッチを付けて洗面台の前に立つ。そこには、まだ寝ぼけ眼の私の姿が写っている、親友とは違って貧相な胸に体付きもどこか子供っぽい。唯一の自慢があるとすればこの長くて綺麗な髪ぐらいだろうか、そういえば最近知り合った二人も私を真似て同じ髪の色にしていたような気がする。
(やっぱり寝る時は、下着は付けないよね…)
冷たい水で顔を洗いながらふと、そんな事を考えたが一体何の事だか自分でも分からない。見ていた夢にでもそんな子が出てきたのだろうか、私の隣で眠っている女の子が窮屈そうにしていたので、付けていた下着を取ったような、取っていないような...それにさっき起きてきた部屋ではなくもっと大人っぽい部屋だったような、窓を開けると臭いが酷い部屋だったような...そこには知り合った二人と一緒だったような...
思い出そうとしてもまるで思い出せない夢の話しなので、考えるのをやめた。シャワールームを出てリビングに置きっぱなしにしていたフード付きの上着を羽織る。リビングの強化プラスチックで作られた青いテーブルの上には、やりかけのレポートが保存されたタブレットが置かれている。わざわざ早起きしてきたのも、こいつを片付けるためだ。
「今日が提出期限だから早くやんないと…」
自分に気合いを入れるためにも独りごちて、青いテーブルの前に置かれたソファにどかっと腰を下ろし、明かりをつけるためにシーリングライトに手をかざす。
「ええと…まずは…」
時間帯に合わせて自動調節してくれた少し薄暗い明かりの中、手元にあるタブレットには次世代型AIについての講義内容が記載された電子ノートが映し出されている。今、建造されている土台が完成した後はその中で人類が暮らしていけるよう、サポートをしてくれる支援AIの開発が進められているのだ。そのAIは全部で十一個のアプリから成り立ち、一つのシステムが管理するように設計されている。そのシステム名が、
「プログラム・ガイア…ガイアって何だっけ…」
確かギリシア神話に出てきたような気がするけど、自分は工学部なので神話体系までいちいち覚えていない。それに今から仕上げるレポートはアプリの内の一つ、土壌や食料に関する支援を行うアプリを考察するものだ。ギリシア神話は関係ないと半ば言い訳するようにタブレットのキーボード操作を始める。フリックで文字を打ち込んでいる時、頭が激しく脈を打つように痛みが走った。
「ーーーいったぁ…」
ここ最近、唐突に痛みがはしるようになった。頭痛がしている間は何も出来ない、というより何かを考えることすら出来なくなってしまう。痛みを堪えている時は決まって、オレンジ色の光がぼんやりと頭の中に浮かび上がってくるのだ。身に覚えもない光景に困惑しながらもひたすら痛みが引くのを待つ。
「…はぁ、薬、どこだっけ…」
頭痛に悩まされることが多くなったとマギリに相談したら薬を買ってきてくれたことがあった、市販の薬や病院で貰ったものは効かないのにマギリから貰った薬は不思議とよく効いてくれる。
台所に立ち、マギリとお揃いで買ったマグカップに水を汲んでいると蛇口に写るマギリの姿が見えて瞬間的に振り向いた。驚きながら後ろを見やると、部屋の引き戸を開けて何も言わずにただ立っているマギリがそこにいた。その視線は気づかわしげで、今から怒られるような子供の顔をしている。
「びっくりしたぁマギリ驚かさないでよ」
「…頭、大丈夫?まだ痛む?」
「うん、まぁ少しは落ち着いたかな」
まだ寝ぼけているのだろうか、片言で私を気づかうように声をかける。
「…そっか…」
ごめんね、と聞こえたような気がしたが気のせいだろう。ついでだからマギリの分も何か淹れてあげようともう一つのマグカップを取る。
「何か飲む?」
「うん」
「うわちょっと」
インスタントコーヒーの袋を取って効きが強すぎるチャックを開けていると、マギリが後ろから抱きついてきた。あと少しで袋の中身をぶち撒けるところだったので少し冷やりとしてしまった。私の背中に顔を当てて何やらもごもごと言っている、お腹あたりで手を組んでべったりと張り付いてしまった。あの妬ましい胸も一緒に押し付けられているので、マギリの分に砂糖は入れないことにした。
「ほら離れないとコーヒー飲めないよ」
「んむぅ…」
湯沸かし器がうちには無いのでいつもレンチンだ。たまにタイマーを間違えて激熱のコーヒーが出来てしまうが、洗い物が面倒だと言って購入は長いこと見送られている。
「もう離れないなら一つ持って」
「えぇこれ砂糖入ってないじゃん」
「その胸が悪い」
「関係あるの?」
ぶつぶつ言うマギリと一緒に寮備え付けの電子レンジにマグカップを二つ入れる。程よい温度になるよう苦労して検証と実験を重ねた付箋が貼られた位置までタイマーを回す。
「後はお願いしてもいい?私レポート片付けないといけないから」
「んむぅ…」
私の背中に顔を押し当てたままリビングのソファまでちょこちょこと付いてくる。ソファに腰を下ろしたと同時に言ったマギリの言葉に理解が追いつかず、まだ寝ぼけているのかとさえ思った。
「昨日の…女の人、覚えてる?」
「うん?女の人?」
「そう、ドラゴンに変わった人のこと」
「………は?何それ?夢の話し?」
「覚えてないの?」
勝手に私の膝を枕にしたマギリが見上げてくる。
「覚えてないもなにも、そんな人いるわけないでしょ、ゲームの話しならレポートが終わってからね」
「…そっか、あの食堂にいた女の子は?」
さっきから何の話しをしているのかさっぱりだ。昨日は嫌がる私を連れて激辛ラーメンを食べに行ったではないか。
「昨日は食堂じゃなくてラーメン屋さんでしょ、まだ寝ぼけてるの?」
「…………そっか」
納得がいかないのか、まだ何か言いたそうなマギリの頭にタブレットを置いてレポートの続きを始める。
「えぇー私は机ではありませんよ」
「私も枕になった覚えはありません」
もう、と言いながらもそのままにしている。どれだけ私の膝を枕にしたいのか、膝の裏に手を挟み込み本格的に寝入ってしまった。仕方がないのでマギリの頭からタブレットを持ち上げ、ソファにもたれかかりながらフリック操作を続ける。
(えーとなんだっけか…あ、そうそう)
アプリの考察をしていたんだ、新しい土地では自給自足の生活を始めないといけないので第一次産業に分類される農業や畜産、水産などを管理して効率良く作業が出来るように支援してもらうのが主な役割だ。アプリ名はティアマト、出典はメソポタミア神話から、次世代の神々を生み出したとされている原初の海の女神...だったかな。さすがに自分に割り当てられたアプリ名のルーツぐらいは知っている。後に夫を殺されてしまい戦争を始めてしまった話しは度肝を抜かれたが。
「そんなことより…」
脱線しかけた思考を再び考察に戻す。ティアマトを用いて得られるであろう第一次産業の生産量や、起こり得る不具合などあれこれとタブレットに文字を起こしていく。箇条書きでまとめて一息ついた時に朝日が部屋に差し込んでいることに気づいた。少し冷めてしまったコーヒーを一口啜ってから、膝の上で微睡んでいたマギリを見やる。私に後頭部を向けて起きているのか眠っているのか分からない頭を撫でてあげると、びくりと体を震わせた。
「起きてるじゃん、もう朝だよ」
「ぐぅ、ぐぅ」
寝たフリを始めたマギリを叩き起こして大学へ向かう準備をした。
◇
少し機嫌の悪いマギリと一緒に大学へと向かう。寮から駅までは歩きだ、遠くもなければ近くもない中途半端な距離だからバスを使わずいつも歩いている。
寮があるのは土台を建設している関係者がいるベッドタウンのすぐそばで、周りには一軒家やら高層マンションやら比較的に新しい建物が目立つ。私達が通っている大学と建設中の土台がある駅は別々なので、最寄駅も違ってくる。通勤している人達はこれまた新しい駅を利用しているが、通学している私達は古い駅を使っているのだ。理不尽。
寮のエントランスから出て、ゴールドクレストと呼ばれるスギの仲間に挟まれた道を歩いて通りに出る。左手には一軒家が立ち並び、新しい駅へと続いている。右手に行けば田んぼ道が続いていて寂れて何もない古い駅へと行けるのだ。
少し前を行くマギリの後に続き私も田んぼ道に入る、親友のレポート具合が気になったのでまだ起こされたことに拗ねている背中に声をかけた。
「マギリは課題終わったの?」
「…」
返事がない。はぁと溜息をついて甘えん坊の隣に並ぶ。
「まだ怒ってるの?ほら、これでいい?」
「…まぁ」
大人びた顔をしかめながらも口がへにゃりと歪む、本当に怒っていたのか。私より少し大きくて温かい左手に自分の右手を重ねて、指を絡めるように手を繋ぐ。
「で、レポートは?」
「…とっくに出来てるよ、考察のところは面倒だったけどね」
徐々に機嫌が戻りつつある親友の表情に安心しながら会話を続ける。
「やっぱり?私もめんどくさかったよ、生産量とか計算しないといけなかったしさ」
「私らはまだマシじゃないかな、天候管理のアプリに課題が当たった人達なんて計算ばっかりだって聞いたし、名前なんだっけ、確かラムウだったと思うけど」
「雷を操る神様だっけ?」
「召喚獣じゃなかった?」
「いやそれはゲームの話しでしょ」
他愛のない会話を続けながら田んぼ道を歩く。左手には遠くに建設中の土台とその手前に玩具のような隣町のビル群が見えている。右手には使われなくなって久しい古い家屋がぽつぽつと並びその後ろには小さな山がある。
見るとはなしに土台を見ながら他のアプリについて話しを続ける。
「ウイルスバスターのアプリが厄介なんでしょ、私の友達嘆いてたよ」
「どうして?」
「どこの誰があんなところにサイバー攻撃仕掛けてくるんだって言ってさ、そもそも考察のしようがないって」
「あーまぁ確かに、アプリ名はオーディン?」
「そうそう、縁起でもないってさらに愚痴ってたよ死を象徴しているんだよね、確か」
「ん?戦神じゃなかった?何か神話の類いが多いからいちいち覚えてらんない」
田んぼ道を通り過ぎてふと、違和感を覚えた。いつも閉まっているはずのシャッターが開いているのだ、確かここは写真屋さんだったはず。恐る恐る中を覗いてみると埃が目立つ店内の中には誰もいない。入り口近くに壁掛けされた、日に焼けて白っぽくなってしまった小さな女の子の写真がやたらと目に入ってきた。
私と同じように覗き込んでいたマギリにも確認を取った。
「ここって、閉まってたよね?いつも」
「…うん、何で今さらシャッター開けるんだろ」
「?」
「あ、ううん何でもない、行こっか」
よく分からない言葉を発したマギリに手を引かれその場を後にした。
寂しい通りに入ってさらに違和感が押し寄せてきた、いや違和感どころではない。いつもは人がまばらな通りには沢山の通勤客や学生の姿があった。新聞を片手に持ってバス停で待っている年配の人や、友達とふざけ合いながら楽しそうに駅方面へ歩いている学生達、それに車の数も多い。口を開けてぽかんとしているマギリも驚いているようだ、まぁ私もなんだが。
「…何があったの、ここってこんなに人多くなかったよね」
「あ、うん…これは覚えているんだね」
これは?さっきから言葉使いがおかしくない?
「ねぇマギリ、さっきから何を言ってるの?写真屋さんでも変なこと言ってたよね」
私の言葉に慌てて被りを振っている。
「ううん、何でもない、何でもないから」
マギリの反応に訝しみながらも周りの人達と一緒に駅方面へと歩いて行く。
でもどうして急に...もしかして向こうの新しい駅が何かのトラブルで使えなくなったとか?それなら何となく理解は出来るけど...
マギリが強く、私の手を握ってきたので親友も不安がっているのかと思い強く握り返してあげた。
28.c
異変というものは何かに紐付けられて起こるものなのだろうか。確かに朝からおかしな事ばかり起こっていたので、マギリが講義を受けていた部屋に入った途端、嫌な予感がしたのは偶然ではないだろう。いや、予感なんてものではない講義室にいた全員が入ったきた私を見たのだ、まだ講義が終わっていなのかと思ったが遠くにいる学生らは帰り支度を始めているのでそうではないらしい。
壇上に立っていたとても綺麗な教授が私の名前を呼んだので恐る恐る前に行く途中、視界の隅で何かが動くのを捉えた。
「アヤメさん、少しいいかしら?」
「は、はぁ…何でしょうか」
動いたのはどうやらマギリらしい。見知った学生の背中から紫色の髪とこちらを伺うようにチラチラと、まるで小動物のように動いているのが見えた。
後ろばかり見ている私に向かって教授がとんでもない事をお願いしてきた。
「今週末に建設中の土台へ見学に行こうと思うのだけど、その班長をお願いしてもいいかしら」
「は?」
少しウェーブがかかった黒髪を後ろで束ねて、べっこうと言うのだろうか、黄色と茶色がうねうねしたような変わった眼鏡をかけている顔でさも当たり前のように言ってきた。
何故私が?
「元々、別の大学で見学が予定されていたのだけど一枠空きが出来たみたいでね、今回のアプリレポートで良い点数を出した人と他一名を連れて行こうと思っているの」
何だその中途半端な選考対象。それにそんなメンツで私が班長をしろと言うのか?
綺麗な人の後ろには講義の内容がびっしりと書かれた電子黒板があり、とても几帳面な字で書かれているのが見える。その電子黒板の隅っこには学生が書いたレポートも何枚か画像が表示されていた、マギリの名前はどこにもない。
突然の事に頭が追いつかず苦しまぎれに頭のつむじ辺りをぽりぽりとかく。あーとかうーとか言いながら結局、熱い視線に耐え切れず渋々了承してしまった。
「わか、分かりました…」
「ありがとう、今日は時間あるかしら?自分の講義が終わったら職員棟まで来なさい、そこで軽く打ち合わせをしましょう」
そう言って、職員用タブレットを片手に颯爽と講義室を出て行った。
私は振り返り、未だ隠れている親友の名前を大声で呼んだ。びくりと肩を震わせておっかなびっくりの体で顔をこちらに向けてきた、何故バレないのと思ったのか。
「マギリ!説明して!」
「えぇ?!何で私なの?!」
◇
場所は変わって、本館にある多目的部屋と呼ばれている学生が自由に使える部屋の中だ。別称は遊び部屋。半透明の壁は中から自由に透過率を変えることが出来るのでもっぱら遊びやらいかがわしいことやらに使われることが多い。真面目に使っているのは私達ぐらいではないだろうか。
マギリと私、そしてマギリが隠れていた学生とその友達の四人で部屋を占拠していた。テーブルの上には皆んなの携帯が置かれ、それぞれが買ってきた菓子パンの袋だったり紙パックのジュースだっりお菓子だったり、私の心の中とは違い、テーブルの上は大変賑わっている。
ここに泥縄で集まった四人は今週末に行われる建設中の土台を見学するにあたって、テーマを考えて決めないといけないのだ。大学側もタダで見せるつもりはないらしい、きっちりと必修単位に組み込んできた。
(何て面倒くさいことに…)
自分から立候補するならまだ納得は出来る、けど私はマギリが始めた口喧嘩にただ巻き込まれただけなのだ、当の本人は穏やかではない私の心を知ってか知らずか他の学生二人とお菓子をつまみながら駄弁っている。
「いやぁ災難だったねぇマギリ、私らの文句を代表して言ってくれただけなのにさ」
「そうだよ、あの寮に住んでみればあの教授だって私らの言いたい事が分かるはずだよ、まっはく」
マギリは手元にあったやたらと辛いポテトチップスを食べながら喋っている。睨め付けていた私を気づかってか一人の学生が声をかけてくれた。
「まぁでも、一番災難だったのはアヤメさんかな、マギリを迎えにきただけなのに班長に任命されちゃって」
肩に切り揃えられた綺麗で真っ直ぐな髪をした学生だ、私はあまり喋ったことがない。私と同じ金の髪をしている。その子が飲んでいた紙パックのジュースを私に差し出してきた。飲めということだろうか。
「いやいや、さすがにそこまでしらもうのは…」
「でも、顔がすっごく不機嫌だったから」
よく見ているなこの子、その通りだ。
その気づかいに観念して飲みかけだがせっかくの好意に甘えようと思い、ジュースに手を伸ばすとマギリに叩かれてしまった。手がヒリヒリする、それにいきなり叩いてきたので少しムカっとしてしまった。
「何?」
「そんなの飲まなくていいよ、乞食なの?」
「乞食ってマギリ酷くないかぁ?気づかってあげただけだろう〜」
マギリの隣にいた学生が場の空気を茶化すように悪戯をしている。痛い痛いと言うその顔が何だか見ていられなくて目を背けてしまう。同じ髪の色をした学生と目が合い、分かってくれているような気がしたので少しだけ落ち着くことが出来た。
その子がタブレットを取り出しながら、提出したレポートを見せ合いっこしようと提案してきた。
「アヤメさんはどんなレポートを書いたの?私は家畜や生き物達の管理をするアプリだったんだ」
「へぇー難しそうだね、私は食糧に関するアプリだよ、名前はティアマト、あ、えーと…あなたの名前は?」
「ふふ、何度も会ってるのに名前を聞いてくるなんてアヤメさんは面白いね、私のアプリ名はディアボロスって言うんだよ」
いやそっちの名前じゃ...それに何度も会ってるって人違いではなく?
何だか腑に落ちないが向こうは気を良くしているので何度も名前を聞くわけにもいかない、そのまま会話を続けることにした。その内思い出すだろう。
「…ディアボロスってどういう意味?何かの神話に出てくるの?」
「ううん、神話じゃなくてギリシア語で悪魔って意味らしいよ」
「へ?それだけ?それに悪魔って…」
「ね、何だか縁起が悪い名前だよね」
この子が出してくれたお菓子を私もパクつきながら、変わった名前のアプリについて会話を続ける。
「どうしてディアボロスって名前にしたんだろう?何か知ってる?」
「ううん、けど私が思うにね…これ、読んでもらえる?」
そう、手渡されたタブレットには丸字の字体で書かれた考察がズラリと並んでいた。
「えーとなになに…ディアボロスの名前についていくつかの考えを示したい、一つに生存種の管理という大役を任された彼には神話に出てくる神の名前は必要無いと考える、何故なら彼に必要なのは神に匹敵する威厳ではなくどこまでも怜悧冷徹に事を対処するちかふぁ?!」
「もう!声に出して読まないで!心の中で読んで!」
顔を赤くし慌てて私のほっぺたをむにむにして止めてくる。確かにこんな神様がいたら家畜も大変だろう、全く怖くないのだ、好き勝手に生きてしまうだけだ。いやそういうことでなく。
「ごめんごめん、でも良く出来てるね読みやすくて分かりやすいし」
ようやく和やかな気持ちになれたというのにマギリの言葉で一気に氷点下まで冷え切ってしまった。顔はまるで虫を見るような目だ。
「さっきから何やってんの、ベタベタするぐらいなら帰りなよ」
「ご、ごめん、そんなつもりじゃ」
「いいよ謝らなくて、マギリが始めた喧嘩が原因なんだし、ここにいる皆んな被害者みたいなもんだよ」
「それとこれと何か関係あるの?」
「ないと思うの?マギリが教授に建設用の明かりがウザいって言ったのがそもそもの原因なんでしょ?」
「私は悪くないよ、あの教授がやたらと褒めてくるから現実教えてやったんだよ、そんなにいいものじゃないって」
「何でそんなに上から目線なの?そんなに強気に出るならレポートで良い点取ってから文句言えば良かったじゃん、選抜された他一名ってマギリのことでしょ」
「じゃあ何か、レポートで良い点取ったからその子とイチャついてんの?意味分かんない」
「はぁ?マギリの方こそ意味分かんない、誰もそんな話ししてないでしょ」
「…」
「…」
「…あぁ、私ら、お邪魔…だったかな」
「…」
健気にも場を和まそうと茶化すがそんなに効果は無かったようだ、四人共黙ってしまい、とてもじゃないが打ち合わせをする雰囲気ではなかった。
テーブルの上に置いた自分の携帯を取り、そのまま部屋を後にする。
「アヤメさん!どこに行くの?」
「教授の所に行って断ってくるよ」
遊び部屋を出るとそこには小さな橋が架けられていて、上を見上げると吹き抜けの天井が見える。天井の上には昨日マギリとベンチで座って駄弁っていたあの庭園がある。両隣には私と同じく背丈の鉄柵があり恐らく転落防止用だろう、下を覗き込むと一階のメインロビーが見えるはずだ、今は見たりしないが。
橋を足早に通り過ぎてそのまま職員棟へと足を向けた、受けた話しを断わるのは気が引けるが仕方ない。
◇
駄目だった。熱烈に引き止められてしまった。
場所はさらに変わって、職員棟の中にある教授室と呼ばれる個室のような所。部屋の大きさは講義室の四分の一ぐらい、壁の一面は電子黒板になっていて今は何も書かれていない。その前に小さなガラステーブルとコの字型に配置されたソファが置かれており、後ろには見たこともない観葉植物が飾られている。私が座っている斜向かいに黒髪を解いて少しリラックスしていた教授が熱い視線を私に向けていた。
「いいアヤメさん、こんなチャンスは滅多に訪れるものではないの、考え直してちょうだい」
べっこうの眼鏡も外して茶色の瞳を力強く私に向けてくる。引く気は全くないようだ。
「いえでも、それなら私ではなく別の学生に行ってもらっても問題はないのではないでしょうか」
考えていた言い訳をすらすらと言う。
「…本音を言うわね、私は是非、アヤメさんに見学してほしいの、今から住むであろう場所がどんな所なのか、本当に今私達人類が抱えている問題を解決するに足る場所なのか、貴女の目で確かめて来てほしいのよ」
何だその大それた理由は、私にそこまでの覚悟は無い。
ガラステーブルに置かれたべっこう眼鏡の縁がちかちかと点滅している。視力補正ではなく眼鏡型の端末だったようだ、教授の目は見ていられないので代わりにべっこう眼鏡を見ながら苦し紛れに質問する。
「どうして、私なんでしょうか…他にも優秀な学生は、」
言い切る前に私の言葉に被せるように答える。
「それはね、この大学で唯一アヤメさんだけが外縁問題に触れていたからよ」
その言葉にはっとして顔を上げる、私と教授の視線がぶつかり思わす黙ってしまった、教授の目がとても真摯だったから。
「アヤメさんは疑問に思っているのよね?住む所を無くしてしまった大切な人を匿っただけで逮捕されて、自死を推奨されることに」
...そうだ。
「…はい、おかしいと思います」
「けどね、今のこの世界ではそれが当たり前なの、どうしてか分かる?」
まるでマンツーマンの授業のようだ。その異常な制度についてもレポートに考察してあった。
「…資源が足りないからですよね?資源と言っても色々な種類がありますが、生きていく上で必要な物がこの世界には既に足りていない」
「ええそうよ、食べ物にしてもライフラインにしても、住む土地そのものも、圧倒的に足りていない、それもこれも百年前にウルフラグが開発したマントリングポールのせいよ」
南極に設置したマントリングポールの役目は、地球のマントルよりさらに奥、外核と呼ばれる超高温の液体金属を組み上げるものだ。設置当初は順調に組み上げが成功し、一時の資源の足しにはなった。けれど、組み上げ中の事故により外核から上にあたる地層に予期せぬ穴が空いてしまい、溢れ出る高温の液体を止める事が出来なくなってしまった。
「貴女も知っている通り、百年前の南極事故を契機にして世界中の至るプレートから高温の液体が溢れるようになってしまったわ、そして今のようなドームを形成してその中で私達人類は暮らしているの」
溢れ出る高温の液体、言うなればマグマが地形を変貌させてしまい住む場所が次々と失われてしまった。止める方法も見つからず地球の強大ともいえる自然の力に翻弄されて次第に止める事を諦め、マグマの浸食を防ぐ防護壁を築きその中で暮らすようになっていく。だが、それでもマグマの侵食を止める事が出来ず防護壁も建てた地盤から崩壊していく現象が起こり始めた。さらに防護壁近くに住んでいる人から順番に自死を迫られる問題と、崩れていく防護壁をまとめて私達は外縁問題と呼んでいる。
「防護壁に最も近い人から住処を追われ、国の施設に収容されてある時、自死を迫られる、もう貴方に渡す食べ物がないからと理不尽にも死ねと言われる」
元々この世界は生きていくために必要な資源が逼迫していたのだ、それを解決するために開発されたはずのマントリングポールに今度は住む場所まで追われてしまう。人も国も世界も、どうする事も出来なかった。
「そこで計画されて開発が進められて建造が開始されたのが、今週末に貴女達が向かう、」
教授が言わんとしている事が分かったので、代わりに私がその名前を口にした。
「テンペスト・シリンダー、ですよね」
28.d
空一面の灰色の下には工事現場が広がっている。作りかけで放置されたような現場には、アームが錆びてしまった重機や同じように錆びだらけで積み重ねられた鉄製の建築素材が点在している。私の正面には足場が組まれた建築途中のものもある、あれはビルだろうか、長方形の形をして足場にかけられた防音シートの隙間からかろうじて見えるのはむき出しのコンクリートだ。それと私の真下には、艦体を着陸させる時に潰してしまった工事現場の事務所に使われていたプレハブ小屋の残骸も見えている。
壊れた空調設備が未だに修理出来ず、カーボン・リベラの隅っこにあるこのなり損ないの街に艦体を下ろして修理に専念することにしたのだ。
雨が降ってきたのか、ブリッジ前通路のガラスにぽつぽと水滴がつき始めている。空にはどこにも切れ目がない、綺麗に塗られたような曇り空が広がっていて単調作業で疲れてしまった私の心と体を幾分かリラックスさせてくれた。
街ですらない建設途中で放置された現場を眺めながら、お湯を設備にかけて回るだけの精神にくる単調作業から現実逃避をしていると後ろから声をかけられた。振り向くとそこにはバスタオルと着替えの服を持ったグガランナが立っていた。
「良ければ今からどうですか?少しは疲れが取れると思いますよ」
「シャワーか?それならもう浴びたよ」
「いいえ、シャワーより体も心もあったまるものですよ」
何だそれ。だが作業に戻りたくなかった私はグガランナのふんになって後を付いて行った。
◇
「天国だ…」
「ふふ、気に入ってもらえたようで嬉しいです」
「はぁ…二度と出られないような気がしてきた…」
「ええ本当に、とくに疲れている時に入るお風呂は格別ですからね」
「お前のマテリアルには何でもあるんだな…」
「ふふふ」
私は今、天国に浸かっている。白く濁ったお湯の中に体を沈めてものの数分で体も心も温かくなり、お湯と一緒に頭の中もふやけてしまったようだ。さっきまでの暗い気持ちは湯気と共に天井に付けられた換気扇に吸い込まれてしまった。気持ちが良い。
随分とリラックスした気持ちでふと疑問に思ったことをそのまま口にする。
「お前は私を嫌っているのではないか?いいのかこんな所に連れて来てもらって」
お湯に髪の毛が浸からないようにするためか、グガランナは小さなタオルで頭をぐるぐる巻きにしている。端正な顔立ちと透き通るようなうなじや首元が丸見えになっている。少し目線を下げたまま私の疑問に答えくれた。
「まぁ正直に言いますと、アヤメに口づけされたその唇を切り落としたいと思っていますが…」
怖っ。そんな事を考えていたのか。
「言っておくが向こうからだからな、私からは何もしていない」
「くっ!まさか自慢されるとは…」
その端正な顔を歪めて悔しがっている、その表情を見て少しだけ勝ったような気分になったのは気のせいではないだろう。湯船の上に出していた握り拳を解いて再び私を見る...どうして視線を下げたままなんだ?
「まぁその件はいいとして…私はナツメさんと仲良くなりたかったからなんです、急なお話しで驚かれると思いますが」
「びっくり」
「ふふふ、ナツメさんも冗談を言われるのですね」
「…理由を聞いてもいいか?お前が大事にしているのはアヤメだけなんだろう?」
少し体が熱くなってきたので、お湯が入っている菱型の浴槽の淵に両腕を上げて引っかける。肩と胸あたりが多少は涼しくなった。すると、グガランナが少し下げていた視線をあからさまに外して私を見ずに話しを続ける。こいつまさか...
「もちろんアヤメは大切な人ですが、それ以外には全く興味が無いという訳ではないんです、元々下層にいた私達は人間と出会うために逃げ出したようなものなので、話せる機会があるなら話してみたいんです」
陶器のような滑らかな肩にお湯をすくってかけている。こいつがマキナだからだろうか、私と同じ時間湯船に浸かっているはずなのに、赤くならないその肌を不思議に思いながらさらに質問する。
「どうして逃げ出したんだ?」
答えにくい質問かと思ったがあっさりと返ってきた。今度は少しだけ私の方を見ながらゆっくりと答える。
「他のマキナ達に見切りをつけたからです、最後に覚醒した私を放置して誰も相手にしてくれなかったから、どうせなら人間に賭けてみようと思ってアマンナと一緒に逃げ出したんです」
あれ、マキナだから赤くならないと思ったのに次第に顔が赤くなっていくではないか。
上げていた腕を下ろして湯船に浸けて思った事をそのまま伝える。
「甘えん坊なんだな、お前達は」
「…どこが、でしょうか」
「誰にも相手にしてもらえないから、拗ねて出て行ったんだろう?まるで子供の家出みたいだと思ってな」
「…」
「私ら人間だってそうさ、誰彼構わず相手にしてくれる訳じゃない、自分から声をかけて仲良くなっていくしかない、たまにはアヤメみたいなお人好しもいるが皆んながそうじゃない、寂しくても誰も相手にしてもらえない辛さは皆んなが知っていることさ」
「…そう、なのですね…」
「あぁ、だからお前はラッキーだったと思うぞ、初めて出会ったのがあのアヤメで、それ以外の人間だったら迷わず撃たれていただろうからな」
「それは…はい、私もそう思います、本当に彼女で良かった…」
最後の方は私にではなく自分に言い聞かせるように呟いている。
「アヤメは大丈夫なのか?何だか別のマキナに連れて行かれたとかなんとか、随分とお前が取り乱していたと聞いたが」
すると、はぁ!とか言いながら手で顔を覆い体をくねらせている。恥ずかしがっているのか。
「わ、忘れてください!いいえ!聞かなかったことにしてください!あの時の私はどうかしていました…」
顔を隠したまま言い訳を始める。さすがに熱くなってきたので湯船から上がり腰あたりの高さに鏡が並ぶ少し奥、ちょうど二人分座れるベンチがあったので、タオルで体を隠すこともなくそのままペタペタと足音を鳴らしながら向かう。座ったベンチは冷んやりとしていて気持ち良く、お尻から火照った体が冷えていくようだ。
手持ち無沙汰ならぬ足持ち無沙汰で踵をタイルてつけてぷらぷらとさせながら、アヤメが置かれている状況をグガランナに確認する。
「あいつは今、ていまあとというマキナに治療してもらっているんだよな?アヤメの具合いとか分かるのか?」
「…」
返事が返ってこないので見ていた自分の爪先から上向いてグガランナを見やる。
「グガランナ?」
「…あぁはい、そうです、アヤメはティアマトに保護されているので問題ありません、彼女とも連絡が取れるので当分は心配ないかと思います」
彼女ってどっちだ、多分マキナの方だろう。こっちを見ずに答えたグガランナにいい加減突っ込んでやろうと思い、その場で仁王立ちになる。初めて入るお風呂に少し羽目を外しているのかもしれない。
「グガランナ!こっちを見ろ!何でさっきから目を背けるんだ!失礼だろう!」
「ばっ、何で堂々と立っているのですか!少しは隠してください!」
一瞬だけ振り返り私の裸を見てまた目を逸らす。恥ずかしがる理由が分からない。それにお前、隙をついて見ているだろうに、バレバレだ。
「お互い女なんだから気にする必要はないだろう?それにさっきお前、私の胸をガン見してただろ」
「して、してませんよ!ただ、ちょっと羨ましいなと思って、」
「はぁ?私の体が?それを言うならお前の方がよっぽと羨ましいよ、出るところは出てるし、まさに理想的って感じだな」
体も冷えてしまったので再び湯船へと足を向ける。今度はグガランナの斜向かいではなくその隣へ浸かるべく、こっちを見ずに喋っているのをいいことに足音も立てずに近づいていく。
「そ、それを言うならナツメさんこそ、理想的な体ですよ、無駄な脂肪は一切付いていませんし、女性らしい体付きをされていますし、まぁ胸は確かに…」
私の地雷を堂々と踏み抜いたので遠慮なく湯船に漬かり、驚いたグガランナの体に抱きついてやった。顔は真っ赤、目は見開き口もぽかんだ。
「ならぁ、お前の胸はどんなもんか触らせてみろぉ」
「な、ナツメさん!ふざ、ふざけないで!」
「なぁに言ってんだよグガランナ、せっかく裸を見せ合っているんだからスキンシップぐらい当たり前だろう?お前もそのつもりで私を誘ったんだろうが」
私から逃げようとするグガランナを後ろから抱きつき、その豊かなお山を二つ揉んでやる。
「誤解!そんなつもりで誘ってない!やぁ!胸!!」
もうそれは必死に逃げようとするグガランナが面白くついふざけ過ぎてしまい、お風呂の入り口に立っていた小さな弾丸に気づくことが出来なかった。
ふと顔を上げてみると、いつものお下げ髪を解いたアマンナが小さな胸を揺らしながらずんずんとこちらに歩いてくる、その顔は柳眉を釣り上げていた。
「アマンナ!助けて!」
「他人聞きの悪い!待て!アマンナ!これはただのスキンシップ、」
片手を上げて止まるように言うが、
「グガランナから離れろぉ!!!!」
「まっ!!ぐうえ!!!」
…気づいた時にはアマンナのお尻を湯船の底から見上げていて、一瞬前の視界には綺麗な膝頭が映っていた。
あの時とは違い、止めてくれるアヤメもいないので小さな弾丸をもろに食らってしまったようだ。