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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
279/335

TRACK 28

メメント・モリ



 ヴォルターはイカダの隅に引っかかっていた防水仕様の新聞を拾い上げ、一面の記事に目を落とした。


〜レイヴン初飛行!空飛ぶ船!赤い軌跡を青空に刻む!〜


(あいつ…本当に成功させたのか、大したもんだ)


 五年前まではオールドメディアの一つとして人々に敬遠されていた新聞も、今となっては主流に戻りつつある。

 情報を発信する物は何でも貴重だ、遠くの場所で起こった事でも把握が容易であり、こちらから遠くへ情報を送ることもできる。

 けれど、今のヴォルターにとっては無用な長物である。

 一通り読み終えた後、陸師府に追いかけ回されているヴォルターが海へ捨て、人通りが少ない群道へと姿を消していった。



 ヴォルターは逃げていた。

 自分の過去から。

 周囲の視線から。

 成すべき事から。

 自分の心から。

 だからなのか、呑気な顔をして群道を歩く他人がムカついてしょうがなかった。

 道端に落ちているゴミもムカついてしょうがない。

 道を譲ろうとしない相手もムカついてしょうがない。

 立派な佇まいを見せるビルのシルエットもムカついてしょうがない。

 賑やかな通りを照らす人工灯もムカついてしょうがない。

 ──何よりも、人殺しの汚名を被ってまで任務を遂行した自分に対して、何のお礼も謝罪もしない政府の人間がムカついてしょうがなかった。

 ヴォルターは気付いていないが強い破壊衝動を持っていた。けれどその気持ちに気が付かず(自分の心から逃げているから)、何か良く分からない不快感を抑えるのがやっとだった。

 だから余裕が無かった。

 けれど他人の敵意には敏感だった。


「………」


 ヴォルターは今、馬鹿騒ぎを見せているバーのすぐ横の群道にいた。店内から漏れ出る鬱陶しい光りがイカダの道を照らし、誰とも知らぬ影が踊り狂っている。その複数ある影のうち、微動だにしていないものがあった、ヴォルターは不審に思った。

 そろりと店内の様子を窺う、殆どの客はヴォルターに気付いていない、だが二人組みの客は店の外に視線を向けており、その先には自分がいた。


「〜〜〜」

「〜〜〜」


 その二人組みの客と目が合ったように感じ、その後二人はひそひそと会話しているように感じられた。

 不快だった、ただの思い込みに過ぎないがヴォルターはその二人組みの客も、怯えている自分自身も不快に思った。

 反対側のビルに店舗は入っていない、がらんどうのフロアがそこにあるだけだ、そこにもバーの汚い光りが入り込んでいる。

 フロアの隅には全く光りが入り込まず、薄暗い闇があった。──その闇の中できらりと何かが光り、ヴォルターは慌てて歩み出した。

 この海に飲まれた街で馬鹿騒ぎを見せる連中を、ヴォルターは逞しいと感じ、そして呑気で羨ましいと感じていた。


(ああ…まただ、また思考がループしていやがる…)


 堂々巡りの思考。他人を羨む心と蔑む心。尊敬と軽蔑。天国と地獄。

 どうにもならない、出口が見つからない思考を前にヴォルターは考える事を放棄して煙草に火を付けた。

 誰も通らない群道の道半ば、ヴォルターは人知れず紫煙を燻らせる。

 真っ黒いビルの合間を白い煙が通り空へ伸びていく。風は吹いていないはずなのに、己の心中を表すように煙が掻き乱されていた。





〜レイヴン初飛行!空飛ぶ船!赤い軌跡を青空に刻む!〜


「──これは一体何なんだ説明してみせろ!あの女は我々と手を切ってこんなくだらない事をしていたと言うのか?!」


「も、申し訳ありません…説得はしたのですが──「行け!何度でも行け!あの女からレイヴンを奪ってこい!人々にとって大事なシルキーを我欲の為に使っているんだぞ!こんな愚行が許されるはずがない!」


 陸師府の老人は若い男にそう何度も吠え立て、報告に来させておいて早々に下がらせていた。

 陸師府の円卓には元陸軍幹部、元医師会の有力者、そして内閣府に在籍していた元高官たちが揃っていた。

 権力者の溜まり場のような所だ。

 元陸軍幹部の男が言う。


「レイヴンはその軍事力に物を言わせて国内のシルキーを独占しています。人々の為と言って武力を有していますが、さすがにこれは目に余ります」


 さらに元医師会の男が発言した。


「今となってはシルキーは医療に最も必要な物です。それをこんな──」男が防水新聞に目を落とし、「こんな事に利用するだなんて、一体いくつのシルキーが無駄になった事でしょうか。これだけの船を作れるのなら、その数に見合った人々を救えたはずです」


 若い男を追い出した元高官の老人が口にした、「超えてはならないラインを超えた」と。

 さらに続けて発言した。


「聞く所によれば、レイヴンはホワイトウォールを目指していたそうだ。我々の観測船に乗船している観測員が目撃したよ、ホワイトウォールの上空で赤い筋を残しながら空を飛んでいたとね」


「何故ホワイトウォールを目指していたのでしょうか」


「さらにだ、以前政府が国民に対して提供したラハムがマキナを探し回っていたと報告を受けた。そのマキナたちの中には──」老人が元陸軍の男を睨め付け、「君の部下も混じっていたそうじゃないか」と言った。


「ザイモン・グレーテル、ですか」


「そうだ、音信不通になって暫く経つ、そんな男がマキナと共に行動し、レイヴンが持つ造船所へ向かったとも報告を受けた」


「──待ってください、グレーテルの件は既に報告したはずです、我々陸軍は彼の離反に一切関与していないと」


「そうかね?空飛ぶ船とは何とも魅力的ではないか。鞍替えする相手としてもレイヴンは良い物件だよ」


 元高官の老人は陸軍の事を疑っている、彼らもザイモン・グレーテルと同様に陸師府から離れるのではないかと。

 権力を持つ人間は良く理解しているのだ、己の地位を維持する為には何にもまして地盤固めが必要である事を。だから老人は円卓の場で嫌疑をかけ、ふるいにかけようとした。何とも姑息な手段だが実に有効な手である。

 元陸軍の男は焦りを見せた。

 

「我々にそのような考えはありません、グレーテルも指名手配しているところです」


「レイヴンの組織情報が欲しいからだろう」


「まさか」と男が鼻で笑うが円卓に彼の味方をする人間はいない。皆、自分に疑いがかからぬよう、じっとしているのだ。

 元陸軍の男が観念したように言った。降りかかった火の粉は払わねばならない。


「──分かりました、我々の方でレイヴン総団長の身柄を押さえます。どちらにせよ、関係破棄の件について問い質せねばなりませんから」


「では、よろしく頼む」


 男はしてやられたと後悔するが後の祭りだ、老人は始めから陸軍を動かすつもりでいたのだ。

 こうして今日も砂城では、味方同士で相手の手綱を引き合う。

 彼らの城には『信頼』という柱は無く、『疑う』という土台しかなかった。





「オッサン」


「………」


「そこの構ってちゃんオッサン、陸軍に動きがあったぞ」


「だったら何だ」


「オッサンのこと本格的に捕まえようとしているんじゃないのか?」


「どうでもいい」


「はあ〜ヤダヤダもう、働かないおじさんってほんとにいるんだな、めんどくさいったらないよ」


「だったら俺から離れろ、いい加減鬱陶しいんだよ」


 ガングニールの声がぷつりと途絶え、彼女を映していた壊れたモニターも消えていた。

 何処とも知れぬビルの中、潜伏場所になっているオフィスフロアの一角に彼はいた。

 ガングニールは何処かへ行ってしまったようだ、耳につくほどのしじまが訪れ、ヴォルターは強い孤独感を感じた。

 ヴォルターは腰を下ろしていたオフィスチェアから立ち上がり、窓ガラスの破片が散らばるフロアを横切った。がしゃり、がしゃりと破片を踏む音が足元から鳴る、やがて窓際に着き、ヴォルターは街を見下ろした。


「…………」


 群店街は今日も賑わいを見せていた。海に飲まれたこの街をニューノーマルと受け止め、今日の営みに精を出している。

 またぞろいつもの思考がループしかけた時、群店街の警備についていたレイヴンの兵士が視界に入った。その男は街に馴染みがあるのか、道行く人と言葉を交わしている。


(あれは…あいつが言っていた事は本当だったのか)


 向かいのビルとの切れ間に見えていたレイヴンの兵士、その向かいのビルの反対側に武装した陸軍の一個小隊が現れた。彼らは真っ直ぐに歩みを進めており、道行く人たちに煙たい視線を向けられている。

 一個小隊が向かいのビルに隠れた次の瞬間、街の人と会話をしていたレイヴンの兵士が突然倒れてしまった。


(──ああ?)


 ヴォルターは義眼のカメラレンズを調整し、望遠モードに切り替える。視界いっぱいに映ったレイヴンの兵士は小刻みに震えており、思うように体が動かせないようだ。そこへ陸軍の一個小隊が姿を見せ、驚いた事にその兵士を拘束してみせた。


「何をやっているんだあいつら、レイヴンに喧嘩を売って──」ヴォルターは防水新聞の記事を思い出した。


(まさか、レイヴンを攻撃するつもりでいるのか?空飛ぶ船が原因で?)


 有り得る話だ。レイヴンが開発した空飛ぶ船を陸師府が脅威と認定し、無力化を図る。

 あるいは、その技術力と製造力の略奪。

 無理からぬ事ではある、それだけレイヴンが達成した事は偉業であることを示す。それを欲し、嫉妬し、略奪行為に走るのはいつも権力者だ。

 ヴォルターは心底嫌気が差した、そんな政府の犬になっていたのかと、俺はそんな所に頭を下げてほしかったのか、と。

 レイヴンを拘束した一個小隊が、街の人たちの視線に晒されながら早々に去って行く。中には陸軍へ抗議している人たちもいた。けれどそれらを無視し、一個小隊は来た道を引き返していった。



 陸軍によるレイヴン襲撃は街の至る所で発生し、街の人々を困惑させ、そして怒りを買っていた。

 昨日の夜、ヴォルターが目撃した一件だけではなかったのだ。

 

「号外〜!号外〜!陸軍ご乱心〜!」


 翌日、ヴォルターは潜伏場所から一番近い目抜き通りへ訪れており、道のど真ん中に立って声を張り上げる新聞の売り子へそっと近付ていた。顔がバレぬよう、さっと新聞を受け取りその場を後にする。

 目抜き通りから裏手に入り、人がやって来ないことを確認してから防水新聞に目を落とした。


〜陸軍ご乱心!空飛ぶ船に嫉妬か?!レイヴンに対する一方的な暴力が人々の反感を買う!〜


(こいつはまた…)


 ビルの壁と民家の壁に挟まれた道だ、太陽が昇ったばかりだというのに薄暗く、今日は一段と激しく揺れるイカダに足を取られながらヴォルターは記事を読んだ。


『とある筋から入手した情報によると、我々の生活を支えてくれているレイヴンが陸師府に対して一方的に協力関係破棄の通達を行なったそうだ。その具体的な理由は明らかにされておらず、陸師府側もレイヴンに対して説明を求めているようである』


 ヴォルターは記事から目を離さずポケットに手を入れ煙草を取り出し、慣れた手付きで火を付けた。


『また、今回レイヴンが成し遂げた歴史的偉業に関して陸師府側は、「この為に関係破棄したとなれば、それは我々に対する不誠実な対応であり、またレイヴンが支えている国民に対する裏切り行為でもある」と、強い言葉で非難しているようだ。以上の事から、レイヴンと陸師府の間に強い軋轢が生じ、昨日街の人々を騒がせたレイヴン襲撃に至ったものと考えられる』


 全ては憶測の域を出ない語り口である。だが、その筋は確かに通っているし読み手を楽しませる記事としては十分だった。

 記事を読み終えたヴォルターは、考え事をしながら空を見上げた。


(昨日のあれは確かに一方的だった…だが、奴らは殺しはしなかった…壊滅ではなく内部情報の取得を目的した…つまりは関係者の捕縛──ああ、狙われているのは俺じゃなくてあいつか)


 一つの結論に至った、陸師府が今追いかけているのは自分ではなく、レイヴンを束ねるライラ・サーストンである事に。


(まあ…俺には関係の無い事だ、あいつなら上手くやるだろう)


「みゃ〜…みゃ〜…」


 考え事をしていたヴォルターの足元に大災害を生き延びた野良猫が近寄ってきた。その猫は痩せ細っており体はひどく汚れている、鳴き声も力弱いものだ。

 ヴォルターは──


「──うるさいんだよあっちに行け!!」


 思考を邪魔された事に腹を立て、今にも倒れそうな野良猫を蹴り飛ばしていた。

 蹴られた野良猫がイカダの道を転げ回る、やがて止まり、必死になって立ち上がった。


「ふしゅ〜〜〜しゅ〜〜〜」


 満身創痍のはずなのに、ヴォルターに蹴られて酷いダメージを負ったはずなのに、その野良猫は蹴り飛ばしたならず者を命懸けで威嚇してみせた。


「…………」


「──しゃあああっ!!」


 野良猫はそう鳴いた後、引きずる足でその場を去り、そしてすぐに街の人に拾われていた。

 野良猫を抱えた人がヴォルターに気付いた。


「あれ…あの人って…」


 目抜き通りに立つその人は凝視しており、ヴォルターはその視線から逃れるように踵を返していた。



 踵を返したところで向かう先は海しかない、だからヴォルターはその海に飛び込み人の目につかぬようひっそりと泳ぎ、寂れた桟橋を選んで海から上がっていた。

 固い木の板に寝転ぶ、見上げる空は快晴、赤い軌跡どころか雲一つない。

 晴天が己を曝け出し、逃げることをもう許さなかった。

 ──惨めだった。自分のことが堪らなく惨めだった。

 嫌な事から逃げ、自分から逃げ、世を疎み、身近にいた人に八つ当たりをし、知人を見捨て、助けを求めてきた猫を蹴り、人にバレぬよう海をひっそりと泳ぐ自分のことが堪らなく惨めだった。

 涙だって出やしない、自身の為に流れる涙すら出やしない。

 ヴォルターは思った。


(あんな畜生ですら命懸けで威嚇するんだ…俺はどうだ?何をしていた?)


 逃げていただけだ。自分の心から逃げ出した事が全ての始まりだ。


(俺はどうしたい?何を成し遂げたら自分を許せる?)


 ──答えは一つだけ。

 初めから答えは自分の心にあった、それを無視していただけだ、だから彼は迷い、自分自身を見失っていた。

 『恥ずかしい』、『信じられない』、『馬鹿ばかしい』、それらの思いが自分の気持ちに蓋をしていた事に今気が付いた。

 ──ようやく気が付いた。

 ──ようやく彼は自身の心を認めた。


(この命を──誰かの為に使いたい。無駄に救われたこの命を、たった一人でもいいから、俺の命を誰かの為に使いたい)


 たとえその先に『死』(メメント・モリ)が待っていようとも。

 ヴォルターの決断の時。


(レイヴンの所へ行くべきだ、あいつにこの事を知らせるべきだ)


 誰もいない日陰の中、太陽の光りすら差さない桟橋でヴォルターは人知れず立ち上がった。

 もう二度と、この膝が折れることはないだろう。

 野良猫を蹴り飛ばしたその足で、ヴォルターは他人の為に歩き出した。





「あ、クーラントさん、こんにちは」


「こ、こんにちは…」


「珍しいですね、あなたの方から来るだなんて。──あ、茶でもしばかれます?」


「し、しば…?」


「ああいえね、バベルっていうマキナが変な言葉を使うもんですからつい覚えてしまって──どうかしました?」


「ああ…いや、思っていたより普通だと思って…」


「普通って何ですか?──」そこでレイヴンの総団長が通路の奥に向かって、「お客さーん!お茶用意してー!」と、何とも呑気な大声を出していた。

 ヴォルターは面食らう。ライラの態度に思い違いをしていたか?と、速攻で自分の決意を疑った。そういう所が駄目である。


(俺の思い過ごしか…?もっと緊迫した雰囲気かと…こいつらだって新聞ぐらいは目を通しているだろうに…)


 やって来たのはレイヴン本部、主要ビル群が建ち並ぶど真ん中、そこでヴォルターは狐に包まれたような気分になっていた。

 出迎えてくれた総団長も以前とはまるで雰囲気が違う、不健康そうな面は変わらずだが、取っ付き易い感じがあった。

 ヴォルターはつい、本人に向かって「お前はライラ・サーストンだよな?」と訊ねていた。

 総団長が口元に手を当ててお上品に笑う、そういう仕草が彼を困惑させるとも知らずに。


「やだ〜何言ってるんですかほんともう〜変な人ですね〜」


「いやお前が変に見えるんだが…大丈夫か?」


 そこでライラがすん...と真顔になりこう言った。


「──今ちょっとキャラクリ中なんで。私も色々と考えがあるんです、大丈夫か?とか茶々入れるの止めてください」


 そう言う総団長の顔は真面目そのもの。


(きゃ、きゃらくりって何だ?「そ、それは悪かった…」


「──で?何しに来た系ですか?エンジョイ系?それともガチ系?「お前それはさすがに無理してないか?言葉遣いが変だぞ」


 そこへ、ライラに言われた通りお茶を用意してきたバベルが彼たちの元へやって来た。けれどその手にはタブレット端末がある。


「まいどまいど〜!これが次期新型エンジンの図面やで〜!」


「ありがとう〜!──って違うわ!私はお茶を用意してって言ったの!誰も新しい図面を寄越せだなんて言ってないわよ!」


「………」

「………」


(ん?何故見つめ合うんだこの二人)


 そこでバベルがささっ!とヴォルターに体を寄せた。その身のこなしにヴォルターは体をびくつかせる。


「…なあ、おっさんもおかしいと思えへん?ライラって初めて()うた時こんなじゃなかってんで、なんで当たり前のように突っ込んでんの?」


「あ、ああ…というか、お前…」


「ん?なに?なんでそんな見つめてんの?」


 そう!ヴォルターは以前バベルの足を撃っている、報復されると思いびくびくしていた。


「──まあええわ、お茶ならちゃーんと部屋に用意してあるから。あ、あとその煙草臭いのなんとかしてな、ティアマトとハデスが嫌がるで」


「す、すまない…」


 無視られても一向に怯まない鉄の団長も、ヴォルターの様子に気付いた。


「クーラントさん?私も人のこと言えないですけど今日様子が変ですよ?「自覚はあるのかよ「さっきから謝ってばかりですし──ああ、クーラントさんもキャラ変中?お互い苦労しますね「苦労しているのは事実だが多分お前とは違う」


 レイヴン本部が収まる主要ビルの中は綺麗なものだ、きちんと清掃の手が行き届き、ガラス片の一つたりとて落ちていないというか現に今も男が箒とちり取りを持って掃除している。

 その男がヴォルターにぺこりと頭を下げた、ヴォルターもぺこりと頭を下げる。


(な、なんなんだここは…どの街よりものほほんとしていやがる…)


 ヴォルターは応接室に通された。五年前と変わらない様式美がそこにはあり、ソファにローテーブル、観葉植物に毛の長いラグ、タイムスリップしたような感覚になった。

 ヴォルターたちが腰を下ろす、そこへ一度しめた扉がばん!と開き、先頭にいたハデスが「煙草臭っ!」と叫んで扉をばん!と閉めていた。


「………」


「まあ、臭いですね」


「窓、開けてくれないか…」


「煙草やめたらええんと違うの?シルキーだって馬鹿にならんのやろ?」


「──んな事はどうでもいい。サーストン、お前随分と呑気だな、巷で何が起こっているのか知らないのか?」


「知らないとでも?」


「レイヴンが陸軍に襲われているのは知っているんだな?俺が今日ここに来たのはその件についてだ」


「何でしょう」


 様子がおかしかった総団長もさすがに真面目な話し合いの時はきちんとしている、その事に安心したヴォルターが続きを話した。


「狙われているのはお前だよ、サーストン。その事を教えたくてここまで足を運んだんだ」


「私が…?それならどうして彼らは直接ここへ来ないんです?」


「外堀を壊すためだ、それと現場の兵士から内部情報を聞き出すため」


「直接来ないのは報復を恐れて…時間をかけているのは──それだけ本気?」


「ああ、所謂ガチってやつだ、陸師府はガチでレイヴンを解体しにかかっている」


「…………」


 ヴォルターから見て総団長の目に悲壮感は無い、黙っているのは内容を吟味し頭の中で対策を練っているからだろう。ヴォルターはこの若い統率者を頼もしいと感じていた。


「俺に何かできることはあるか?」


 考え事をしていたライラが(・_・)みたいな顔付きになった。真顔である。


「なんだ?」


「──ああいえ…」ライラが小さな声で「そうか…人が変わるってこういう事なのか…」と謎に呟いてから、


「それなら、人探しをお願いしてもいいですか?」


「人探し?」


 会話の成り行きを─アプリゲームをしながら─見守っていたバベルが口を挟んできた。


「そ、ポセイドン・タンホイザーって知ってる?俺ら今そいつんこと探してんねん」


「探すもなにも、お前たちはマキナだろうに、位置情報の同期ぐらいお手のものじゃないのか?」


「あーちゃうちゃう、今ちょっと変なことになっててそれができひんのよ、だから地道に探してんねん」


「まあ…良く分からんが、そいつを探せばいいんだな?」


「はい、今はそっちに人を割いている状況なので部隊を呼び戻して再編成します」


「分かった、俺の方で捜索を進めよう」そこで三度扉が開かれた。

 入って来たのはテンペスト・ガイアだ、「煙草臭っ!」とも言わず、丁寧な挨拶をしてから部屋の中に入って来る。


(テンペスト・ガイア、マキナを束ねる者か…実質現場のトップと言ったところか…ん?)


 ヴォルターは気付いた、バベルとライラの様子が変わっている事に。


「………」

「………」


 タブレット端末をいじっていたバベルはそのタブレット端末をささ!と隠して背筋をピン、ライラもクールな顔付きではなくどこか怯えた様子で背筋をピン、ヴォルターも二人に習って何故だか背筋ピンをしてしまった。

 テンペスト・ガイアがライラのすぐ横に腰を下ろす。心なしか、ライラがさらに緊張したように見えた。


(なんなんだ?この女に弱味でも握られているのか?──あの総団長がか?)


「初めましてヴォルター・クーラントさん、私はテンペスト・ガイアと申します、以後お見知り置きを」


「あ、ああ。こいつとは何かと縁があってな、それを頼りに来させてもらった」


「今日はお一人ですか?確かあともう一人いらっしゃいましたよね」


「色々とあってな、今は別行動中だ」嘘である。会う気がないのでマリサからの連絡を無視っているだけである。


「そうですか」


 そこで会話が途切れる。

 ヴォルターとテンペストが言葉を交わしている間、二人は一切口を開かなかった、背筋ピンの視線固定、微動だにしていない。


(ああなにか?サーストンの様子がおかしくなった原因はこいつにあるのか?)


 当たらずも遠からず。

 互いの間合いを測るような沈黙が流れた後、テンペスト・ガイアの方から口を開いた。


「クーラントさん、私は正直に申し上げてあなたの来訪には驚いています」


「………」


 含んだ物言いをしている、心に余裕は戻っても敵意に対してはまだまだ敏感だ、ヴォルターの表情がすっと変化した、有り体に言って目前にいるマキナを凝視している。

 睨みを効かせて相手の心意を引き出そうとしたが、ヴォルターはすぐに諦めていた。

 この女は人間ではない。人であれば、瞳に己の心情が投影されるものだ、打算、策略、恐怖、逡巡。だが、この女の瞳には何も投影されていない、ただ自分と同じようにカメラレンズが眼窩(がんか)に収まっているだけだった。


「何が言いたい」


 ヴォルターの強い物言いにマキナが即座に言葉を返す。


「覚えていないのですか?そんなはずはないでしょう」


「このバベルとかいう子供の事か?」


 まさか自分の名前を呼ばれると思っていなかったのか、バベルがぶるりと体を震わせた。

 その様子を見て、ヴォルターはある一つの結論に至った。


(あの時の事は…覚えていない?そんな事があるか?俺は確かに足を撃った──もう治っている?──その体を換えたのか、その時に記憶も…)


「謝罪すべきではありませんか?曲がりなりにもあなたはバベルに向かって発砲したのですよ?」


 背筋ピンでガクブルってた二人が「え!」と鋭く声を上げた。


「そうなん?!」

「クーラントさん?!いくら腹が立つからって撃つのはさすがに」

「いやちょっと待ちいよ腹立つってなんやねん!そもそもこのおっさんと会うんは今日が初やで?!」

「でもあんた、ちょっとだけ記憶が無いんでしょ?その時にどうせ撃たれるような事言ったんでしょ」

「全部俺のせいかーーーい!信用なしーーー!」


 賑やかしく漫才を始める二人、ヴォルターは「まあそうだな」とライラに同意を示した。


「え?ガチ?俺そん時に何て言うてたの?」


 ヴォルターがあの日の夜の事を話してやった。

 話しを聞き終えたバベルが見るからにしゅんとなった。


「すんません…そりゃ撃たれて当然です…人の古傷を抉るような真似するなんて、いくら操られてたからって自分が許せへん…」


「ああ…いや…」


 ヴォルターは困惑した、まさか全力で謝ってくるなんて思っていなかったからだ。と、同時に自分の狭量さを痛感させられていた。

 たかだか昔の事で何もここまで敏感にならなくとも、と。


「──待て、今なんと言った?操られていた?」


「え?あ、はいそうです、俺らマキナは陸師府に操られとったんです、こいつも──」バベルがテンペストをズビシと指差し、「例外じゃありません」


「なら、ティアマト・カマリイは…あのマキナもそうだったのか?」


「はい、そうですよ。あいつは確か…どっか高い所から落ちてマテリアルが大破したはず…ほんで俺らは陸師府に置き土産っちゅう事で、二度こんな真似すんなよ言うてあいつらの前で頭ボカン!ですわ、それで体はこの通りサラピンに換わってるんです」


 バベルの話しを聞き終えたヴォルターはテンペスト・ガイアに視線を注いだ。先程は何の反応も示さなかったが今度は違った、明らかに目が泳いでいた。

 この女、イニシアティブを握るためヴォルターをはめようとしていたのだ。


「どういう事か自分の口で説明しろ」


「そ、それはですね…え、え〜とですね…」


「てめえはその事情を知っておきながら、俺に一方的に謝罪させようとしていたな?それがどういう事か分かってんのか?」


「す、すみません…」


「すみませんじゃねえんだよきっちりと説明しろって言ってんだよ!!」


 雷を落とされたテンペストはいよいよ肩を落とし、それからもヴォルターに怒鳴られながら自身の浅はかな企てを説明していた。

 二人の話し合いが終わるまで、ライラとバベルはヴォルターに対して熱い視線を送っていたという、危うく部屋に入りかけた清掃員からの証言である。



「クーラントさん…とても勉強になりました…」

「おっさん──いや旦那!またいつでもうちに来てください、選りすぐりの菓子を用意しておきます〜」


(気持ち悪い奴らだな)


 来た時と違い、二人の距離間は明らかに近かった。ヴォルターは後ろへ下がる、二人はそれでも距離を詰めてくる。


「あのテンペスト・ガイアをあそこまで言い負かすだなんて…」

「ほんまですよ、あのテンペストがあない縮こまるだなんて…旦那は俺らの救世主!メシア!」


「止めろ馬鹿たれ。──俺はそろそろ行くぞ、世話になった」


 応接室から離れ、ヴォルターたちは本部の入り口に立っていた。空は朝と変わらず雲が一つもない、けれど朝と違ってヴォルターは晴れやかな気持ちで眺めていた。

 本部の入り口として増設された桟橋に一台の水上車が停車した、中から慌ただしく降りてきたのは若い新聞記者だ。ハンチング帽を被った男性がたたたと三人の脇を通り、「あ!」とライラを見つめていたが、謎にそのまま本部の方へ駆けて行った。

 ヤバい光りを目に湛えていた総団長が新聞記者の背中を見送り、そしてキリリと表情を変えて空を見上げていたヴォルターに向かって手を差し出した。


「良ければうちに入りませんか?あなたが所有するガングニールも魅力的ですが、何よりあなた自身のその遠慮なく相手を叱り付ける度量、それから先を見越す先見性、若い人が集うレイヴンに足りない物です、どうか私たちの助けになってください」


 ヴォルターはすぐに断っていた。


「そのつもりはない、俺は自分の為にここへ来たんだ、お前もそのうちの一人に過ぎない」


「そうですか…」総団長が残念そうに手を下ろす。

 だが、とヴォルターが言葉を継いだ。


「これからも何かと世話になると思う、まあ、そん時はよろしく頼むわ。持ちつ持たれつってやつだよ」


「ええ、いつでも」


 氷の女王らしからぬ、とても自然な笑みをライラが浮かべ、ヴォルターはそれを背に受けて歩き出した。





「異常なまでに口を割りません、皆、何かに怯えているようにさえ見えます」


「一人ぐらい死なせても構わない、何が何でも内部情報を吐かせるんだ」


「いえ…それがもう…」


「いい、さっさと海へ帰せ」


「わ、分かりました」


 陸師府の管轄になっても組織の体質はさほど変わっておらず、陸軍の下士官が船内へ走って行った。

 陸軍に拘束され、独居房として使用されている船の中でレイヴンの一人が死亡した。陸軍からの激しい尋問を前にしても口を割ることなく、己が命を散らしてレイヴンを守った。

 船を預かる士官は不思議でしょうがなかった。


(レイヴンに一体何があるっていうんだ?そこまでして守るものなのか?さっさと吐けば命は助かったというのに)


 彼は知らない、レイヴンを束ねる鉄の団長の恐ろしさを。身内すら斬り捨てると、現場の一兵士でも知っている事である。

 ただ、だからと言って口を割らなかったわけではない、尋問を受けて死亡した兵士に限らず、皆レイヴンに希望を持っていた。

 壊してはならない、真に人々の為に活動するレイヴンを壊してはならない。その鉄にも似た決意が、拘束され牢屋に入れられている兵士たちを固く結束させていた。

 

 その結束を前にして困惑しているのは何も陸軍だけではなく、円卓に集う有力者たちも同様であった。

 レイヴンが独自で開発、展開している通信網は主要ビル群のみならず、元ユーサ港近海の街まで連絡が行き届き、ヨルンやゴーダが入院していた病院のレイヴンを引き上げさせていた。

 人材は貴重である、どんな世の中になっても人手があるという事はそれだけ恵まれている証だ。

 病院の警備を担当していたレイヴンが引き上げことにより医師たちは人事編成を余儀なくされ、現場責任を務める担当医師は強い言葉で陸師府を非難していた。


「どうしてくれるんだ!病院の運営は人の善意によって行われている!日中夜問わず警備をしてくれたレイヴンを怒らせるだなんて正気の沙汰じゃない!彼らの代わりがいると思うな!」


 彼は怒っていた、当たり前である。患者に対して治療を行なう医師と看護をする者たちと同じくらい、病院そのものを守る警備員は重要な存在であるからだ。

 陸軍の拘束作戦は病院のみならず、各地に多大な影響を与えていた。

 シルキーの研究ならびに山地海を有し、今のウルフラグにとって大変貴重な天然海洋生物の養殖、保護を行なっている大学側からも非難声明が出された。


「何を考えている?何故レイヴンに対してそのような愚行が働けるというのか。正直に申し上げて、あなた方の今日(こんにち)までの功績は彼らの足元にも及ばない。直ちに中断せよ、さもなくば陸師府所有の山地海を即刻埋め立てる」(ロザリー・ハフマンによる声明)


 彼女もまた怒っていた、それはもう怒っていた、大事な助手(リッツの事)が帰って来ないわ研究は進まないわで大変イライラしていたという。

 また、ホワイトウォール周辺に展開している観測船群のうち、陸師府所轄の船を預かる船長からも非難されていた。非難轟々とはまさにこの事。


「我々海に出る者にとって、横の繋がりというものは命綱に等しいものである。それを陸の人間が理解する事は難しいことだと十分承知している。だが、だからと言って我々の命綱に手をかけることそれ即ち万死に値するレベルだから今すぐレイヴンに謝れこのクソったれどもめ!」

 

 たった半日でこの騒ぎ。最初は丁寧な言葉遣いをしていた船長も後半はガチギレするほど。

 このように、陸師府が陸軍に対して指示した作戦は各地から大 顰蹙(ひんしゅく)を買う結果となり、陸師府に対する信用が底を突きかけていた。

 ここで踵を返し、謝罪ないし誠意ある態度を取れるのならザイモン・グレーテルも離反などしなかったであろう。

 各地から非難を浴びた陸師府が次のように公式声明を発表した。


「現在のウルフラグのライフラインを支える民間軍事団体レイヴンに、シルキーの私的利用と独占的管理体制が認められた。我々陸師府はこの件に関して強い非難を表すると共に、レイヴンに対して即時組織改変と透明性のある組織管理を要求する」


 謝罪の言葉など一つもなく、寧ろ悪いのはレイヴンの方だ、と捉えられても不思議ではない声明を出した。

 そう!頭が固い老人共は「悪いのは周りの奴ら!」の精神で、誰からも支持されない行政を突き進もうとしていた。

 「謝ったら負け」の考え方である、そういう事ではないのにそうしてしまう、そもそも今のウルフラグは誰が良い悪いで改善できる環境ではない。

 この一件でレイヴンと陸師府の軋轢がナイアガラの滝より深く、星の運行より確定的となった。

 


 非難の雨が降り続ける陸師府所有のビルの中、国民から見捨てられそうになっている円卓では話し合いが進められていた。

 彼らが集結し、発足した当初の目的について、今こそ一丸となって取り組むべきだと円卓メンバーは熱く語っていた。


「ホワイトウォールから発生している奴らは全て、人々が使用していた通信用電波に引き寄せられている。この事を証明できれば、国民もレイヴンの実態に気が付くことだろう」


「だから我々が電波塔の再建設に反対していた事も理解してくれるはずです、このままではウルフラグが奴らに飲まれてしまいます」


「いかにも。一時中断していた保証局員の捜索を再開し、ならびに、フリーフォールを所有していなかったもう一人のマキナの捜索も開始すべきだ」


「そのマキナの名前は…」


「ポセイドン・タンホイザー。貴重なマキナだ、丁重に出迎えるように」


 円卓が動き出す、己が名誉にかけて。

 それはキング・アーサーが最も毛嫌いした戦いであった。

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