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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
277/335

TRACK 26

レイヴン



 体の節々が痛み、歩くのさえやっとのアヤメたちは夜通しカゲリという女性にラフトポート中を連れ回され、解放されたのは朝日が顔を覗かせた時だった。

 見慣れぬ木製の船はまるで水面に落ちた木の葉のよう、絶え間なく揺れるイカダの表面はささくれだったカントゥッチ(フィレンツェの名物)、食いしん坊アマンナが「縦に伸ばしたマドレーヌみたいな家」と呼んだ現地人の家々。

 そのどれもがアヤメにとって新鮮で、顔を覗かせた朝日に照らされ爽やかな影を作っていた。

 だが、アヤメの心は一向に晴れず、発狂したグガランナに回収されてからずっと暗い影を落としている。


(フラン・フラワーズ…私が負けた人の名前…)


 アヤメは初めて負けた。仮想世界で訓練を受けたあの日からこの約一〇余年、一度として負けた事がなかった彼女はこのマリーンに来て初めて辛酸を舐めさせられていた。

 辛い、そしてアヤメは酸っぱい物を口にした時のように顔を顰め続けており、まるで塊を口の中に捩じ込まれたような気分を味わっていた。


「──はあ〜……」


「辛そうだな」とアヤメに声をかけたのはナツメだ、「あんたは朝日か何か?」と言わんばかりに爽やかな顔をしている。負けたくせに。


「そりゃあね…あんな負け方したら…いやぁ〜ねえ〜ほんともう…」アヤメはなりふり構わず頭を掻き毟り、イカダの上に胡座をかいた。よほど負けた事が堪えているらしい。

 そんなアヤメの様子を、ナツメは沢山の小さな網が乗せられている船に腰を下ろしながら眺めていた。ナツメは気付いていないが、その網にも沢山のハフアモアが入れられている、朝日を受けた小さな核は宝石のようであった。


「良い経験ができたじゃないか、勝った喜びは麻痺してしまうが、負けた悔しさはいつまでも胸に残る」


「余裕だね〜…」


「まあ、私は負けた事が何度かあるからな、もう慣れた「麻痺ってんじゃんか」


 アヤメの鋭い突っ込みもなんのその、ナツメはそよ風の如く受け流した。

 さて、ナツメも疲労困憊、いくらハーフマキナとはいえ体はぼろぼろ、けれどこの謎の余裕である。


「プエラがいないからってそんな…そんななの?」


 そう!ナツメの愛する人(疲)は傍にいない、グガランナから謹慎処分を言い渡されていた。普段の白い嵐 (プエラ)であればそんな指示に従うはずもないが、先の戦闘で瞬殺されてしまった事もあり、また自分の不注意で愛する人(命)を命の危険に晒してしまった事を太陽より重く受け止め反省していたのだ。だから素直に聞いていた。

 ナツメは何かから解放されたような、重たい物が肩からなくなったような、とにかくそんな感じで普段通りのグガランナに回収された時からずっとニコニコと笑顔だった。


「ああ、そんなだ、束縛されない事がこんなにも清々しいだなんて知らなかったよ」


「あ、そっ、そうなんだ…(私もあんまり束縛し過ぎないように注意しよう…)


 今のナツメにとって目に映る全てのものが─たとえそれが呑んだくれて死んでいる野郎であったとしても─天からの捧げ物のように尊く見えていた。

 メインポートの船溜り(住民が移動用にしている)で駄弁っていた二人の元にアマンナがやって来た、その手にこんもりと食べ物を携えて。この女は本当に良く食べる。


「いふぁいふぁ〜」


「Zzz…」


 そしてアマンナの後ろには、自動走行モードに切り替え車椅子の上で眠っているフランもいた。任意の相手のすぐ後ろを追従するよう設定できる優れ物だ、なんなら本人の足より役に立つ。

 アマンナはイカのゲソ焼きっぽい串焼きをハムハムしており、二人の前でごっくんした。


「──食べる?」


「いい」

「いい」


 ナツメはアマンナの背後でピタリと止まったフランへ顎をしゃくってみせた。


「お前、なんでその子と一緒なんだ?私たちを負かした相手だぞ」


「いや〜それがね〜二人に会いたいから紹介してほしいって頼まれてさ、私が屋台を見て回った後でならいいよってオッケーしたらこんな時間になってた。──コピー品なのに美味いここが悪い!!」と言いながらアマンナはまた新しい串焼きに手を出していた。

 アヤメは不思議だった、相棒でもあり恋人でもあるアマンナはちっとも悔しそうにしていない事に。

 彼女は素直に訊ねていた、「その人と一緒にいて嫌じゃないのか?」と。

 アマンナの答えは簡素だった、「いや別に」

 けれど続けられた言葉はなかなか正鵠を得ているものだった。


「この子の体を見たら分かるでしょ?半身不随、それだけ激しい戦場か、あるいは命のやり取りに経験があるって証拠だよ。片や私たちはどう?命を賭けた戦いなんてしたことないでしょ?だったら負けるのは道理だよ、この子はどの攻撃が致命傷かきちんと弁えている、だからわざと私たちの攻撃を受けてたんだよ」


「ああ…言われてみれば確かに…」


「アマンナにしてはなかなかの答えだな。うんうん、感心感心」


「──きっしょ」アマンナは思わず、普段と様子が違う、大海原より大らかなナツメにそう暴言を吐き、しかしてアマンナには容赦がない彼女がだっ!と立ち上がり食べ物ごとアマンナを海へ放り投げていた。


 さて、どんちゃん騒ぎを経たジュヴキャッチのメンバーとヴァルキュリアが肝心な話ができたかと言えばそうではなく、朝日が昇った後も彼女たちは再会を喜び合っていた。

 有り体に言って遊んでいた。

 場所はメインポートから変わって、ジュヴキャッチの母船兼ハンガーとして改造された元空母のデッキである。だだっ広くて何も無いそのデッキで彼女たちはバーベキューに興じていた。良く食べ、良く飲む。若さにかまかけて彼女たちは暴飲暴食を繰り返していた。

 事の言い出しっぺはアマンナである、「肉食いたくね?」と言い出しジュヴキャッチのメンバーを集めての肉焼き大会。

 基本的に海の民は魚を食べる。肉なんぞ数年近く口にしていなかった海の民は、「肉?!」と己の胃袋の泣き言も無視して肉にありついていた。後が怖い。

 どデカい網を囲んでナディやアヤメたちは車座になっていた。


「そろそろモンローも呼ぶ?」


「まだいいんじゃないですか」とカゲリが言うものだからさらに大事な話し合いが遠のく。


「──それより師匠!いるんなら声かけてくださいよ!」


「ああごめんごめん、ガチで気付かなかった。昔はあんなに小さかったのに、今ではすっかりアダルトロリコンになっちゃって」


「あだると…ろりこん?それは新しいネットスラングというやつですか?「今考えた「さすが師匠…造形が深い…」


「あんたのその訳の分からない言葉の出所はアマンナさんだったわけね…道理でカウネナナイには無い言葉を知っているわけだわ」とフランが言う。


「ナディもやっほ〜久しぶり〜」

「どうも。アマンナさんもオリジンの人だったんですね。というか何度か顔合わせてますよね?」

「アネラもやっほ〜「無視!」

「ちわ」

「すんげえー他人行儀、ウケる」

「あんたたちが私に負けたアヤメとナツメっていう人?どうするここで再戦する?──今でしょ!」

「それ使い方間違ってないか?──止めておくよ、今すぐ再戦したところで君に勝てる気がしない」

「ちょっとフランちゃん後で私とお話ししない?色々教えてほしい事があるんだけど」

「嫌よ、戦いの技術は口で教えてもらうより体で覚えるのが一番効率が良いもの。──今でしょ!「それ言いたいだけだろ」

「それよりオハナは?あの子も来てるんでしょ?」

「あんたに会うのがまだ怖いってさ、ほら、あそこの入り口に立ってあんたのこと見てるでしょ?」

「もうあの子ったら──」とマカナが言い、車座から離れた。

「で、カゲリちゃんたちは何しに来たの?」

「なんだっけ…凄く重要な事を皆さんにお伝えしたくて…なんだっけか…確かガイア・サーバーがどうとか…」

「あんたの記憶力どうなってんの」

「いやあの失礼な司令官が私の胸を触っておきながら残念そうに呟きやがったので」

「それで忘れても良い理由にはならんわ」

 そこでマカナがオハナを連れて車座に戻って来た。

「フラン様…私の事はどうかご内密にと…「いやあれはさすがに無理あんでしょ」

「オハナ様、今ここで昨日から練習していた対マカナ決戦挨拶問答集をお披露目「それ以上言ったら駄目よカゲリ!「止めるの遅くない?」


 グガランナの船から提供された肉が良く焼けて油が爆ぜる音、食欲をそそる香ばしい匂い、それらに包まれながら彼女たちの姦しい声が青空へ上っていく。

 色んな人に囲われながら箸を進めていたナディは突然席を立ち、一人でふらっと皆んなから離れて行った。彼女の行動に気付いたアネラもすっと席を離れ、跡を追いかける。

 ナディはデッキの縁まで移動し、眼下に広がる海とどこまでも広がる空を一人で見やっていた。

 彼女の傍らに立ったアネラが声をかけた。


「どうかしたの?」


 優しく吹く風に髪を靡かせ、ゆっくりとナディがアネラへ向いた。


「ううん、別に何でもないよ。──ただ、お母さんに私は元気にしてるよって伝えたくなってさ」


「そっか。ヨルンおばさん、元気にしてるかな?」


「あの人なら大丈夫でしょ」ナディは事もなげに言う、「何処にいても自分の美貌を利用して好き勝手やってると思うよ」


 あけすけに物を言う親友を見て、アネラはふっと微笑みを浮かべた。

 ナディは母とまた会えることを確信していた──それが根拠の無い自信だと知らずに。





 大災害後の葬儀は決まってその人の遺体を棺に収めて母なる海へ流す。この様式はナディの母であるヨルンも例外ではなく、成長した娘の姿を一度も目にすることなく他界した母の遺体は棺に収められ、今まさに帰ろうとしていた。

 ヨルンの訃報があったのは明け方近く、その報せはフレアの元へ届けられた。


「母が…………亡くなりました…………」


 ライラは信じられなかった。けれどレイヴン本部のビルに姿を現し、憔悴し切ったフレアを見てライラはフレアの報告を否定することができなかった。

 代わりにフレアの肩を抱き、堰が切れるのを待っていた涙を溢れさせ、何度も何度も慰めていた。

 この訃報はレイヴンの創立者たちへ瞬く間に伝えられ、そしてレイヴン管轄の造船所で葬儀が開かれることになった。

 ライラはせめてもの慰めと思い、ウルフラグに存在する花という花を集められるだけ集めて棺へ詰め込み、そして他人は呼ばず創立者たちだけで取り仕切ることにした。

 皆、遠かれ近かれヨルンには世話になっている、だからこそ、棺の中で安らかに眠る姿を見て涙を溢していた。

 

「フレア…」

 

「はい…」


 花が添えられ、けれどその花よりなお美しい母の死に顔を娘たるフレアが見下ろす。ヨルンの顔すぐ横に一輪の花を添え、それから蓋が閉じられた。

 

「…いいわね?」


 潮の流れに乗るよう、後は海へ流すだけだ。

 四人がかりで棺を押し出し派手な着水音が鳴る、それは死者を黄泉へ向かわせ、生者をこの世に留める、死別の音だ。

 四人の手元から離れた棺はしばらくの間、桟橋近くを揺蕩っていたがじきに引き潮に捕まり、沖の方へ向かっていった。

 棺が見えなくなるまで、ライラ、ジュディス、クラン、フレアはじっとして動かず、別れを惜しむように行く末を見守っていた。

 


 最悪のスタートと言えよう。五年の歳月をかけて完成間近のスカイシップの最終工程、ウッズホールの伝説から新型エンジンの図面を受け取り、後はシルキーを駆使して部品を生産し、組み上げるだけだった。

 ジュディスは隣に座るフレアに気付かれないよう、そっと重い溜め息を吐いた。


(油断してた…最後の検診でまだ大丈夫だろうって聞かされてたから…)


 ジュディスとフレア、葬儀を終えた二人は造船所を離れ、病院がある元ユーサ港付近の街へ水上車で向かっていた。

 爽やかな朝だ、空から降りてくる光りはいつにも増して柔らかく、海面を控え目に反射させていた。

 レイヴンが開発した水上車も静かに海面を走る、ひどく遅いによう感じられ、ジュディスはまだ非日常の中にいるような感覚になった。

 造船所を離れて小一時間経った時、遠くに病院を擁する街が見えてきた。禁欲すること自体が悪だと言わんばかりに何事も自由なその街も、今日ばかりはどこかひっそりと佇んでいるように感じられた。

 ジュディスもフレアも喋らない。それだけヨルンの死は、二人のみならず創立者たちに大きな影響を与えていた。


 病室に到着した二人は二手に分かれた、ジュディスはゴーダの所へ、そしてフレアは母の元病室へ。


「ごめん、終わったらすぐに行くから」

 

「はい」


 普段は太陽のように明るいフレアもさすがに母の死を前にして暗く、月の裏側に隠れてしまったようだ。

 フレアと別れたジュディスは先を急ぐ、ウッズホールの伝説が手掛けた新型エンジンの内容は気になるが、今のフレアを放っておく気になれなかったからだ。

 ゴーダが伏せっている病室に着き、ジュディスは一息吐くつもりもなく扉を開けて中へ入る。ゴーダのベッドは変わらず窓際で、初めて来た時とは違って間仕切り用のカーテンが開かれていた。

 窓の外を見やっていたゴーダが彼女に気付く、「来たか」と一言だけ声をかけた。


「連絡を貰いましたので。それで図面の方は?」


「これだ」そう言ってゴーダがサイドテーブルに乗せていたタブレット端末を手にした。

 画面を起こし、製図用のアプリケーションを見たジュディスが一言。


「何じゃこりゃ」


「何じゃこりゃとは何だ!失礼な奴だ!それは生涯一の最高傑作だぞ!──まあ、今まで何度も最高傑作を作ってきたがの」


 ゴーダは周りを憚らずがははは!と笑い声を上げた。

 ジュディスは画面に釘付けになっている。


(何このボールみたいなエンジン…ファンは一つしか無いのにノズルは全部で三六…はあ?燃焼室とタービンの位置も従来の物とはまるで違う…)


 従来のジェットエンジンでは、空気を取り込むファンと燃焼を終えた空気を排出するノズルは必ずセットになっている。また、取り込んだ空気と燃料をがっちゃんこしてエネルギーに変換する燃焼室はタービンないしターボの近くにある。エンジンと呼ばれる内熱機関の原理は、空気とガスで爆発を起こし、そのエネルギーを使ってタービンを回転させて推進力に換える、これが一般的である。

 だが、ゴーダが考案した新型エンジンは従来の物とは全く異なり、既存のルールを全無視した物になっていた。

 さすがの(自称)秀才ジュディスも図面を見ただけでは理解することすらできなかった。


「──これでどうやって作れって言うのよ!」


 技術部団長は思っていた事をそのまま口にした。

 せっかく作ってやったのに「ありがとう」をすっ飛ばして「どうやって作れって言うのよ!」と文句を言われたゴーダも文句で応戦した。


「──お前さんが書けって言ったんだろ!!」

「誰もこんな奇想天外なエンジンの図面を書けなんて言ってないわよ!これ実証試験もまだなんでしょ?!」

「当たり前だろうが昨日書けたばかりなのに!それを作って実証機も作って試験するのはお前たちの役目だ!」

「ざけんじゃないわよこっちはもう船は出来上がってんの!それもたった一隻!こんなクソふざけたエンジン乗せられるか!」

「んだと──貴様はいつもいつもわしに喧嘩ばかり売りおってからに!尊敬してるのか馬鹿にしたいのかどっちなんだ!」

「だーかーらー!私ももうあの頃とは違うの!責任ある立場に就いてるの!成功する見込みがない実験をしていられるほど身軽じゃなくなったのよ!──分かれ!」

「はっ!そうやって人は責任を言い訳にして夢を捨てていくもんだ──お前さんの馬鹿げた夢は今でも覚えているぞ!海を潜って空を飛ぶ馬鹿げた船を作りたいんだろ!だったらそれに見合うだけの馬鹿げたエンジンが必要だろうに!それがそれだ!!」


 彼女は頭に血が上って気付いていないがゴーダは彼女の事を思い出していた。


「──ジュディス」ゴーダがはっきりと彼女の名前を呼んだ。


「それを使って船を空へ上げてみせろ、わしですらなし得なかった事だ」


(──ああ…この人…)


 そこでようやく彼女も気付いた、自分の事を思い出してくれたことに。


「お前は今から伝説を超えるんだ、いいや超えてみせろ。そしてわしに最高の土産を持たせてくれ、あの世にいる連中に自慢してやろう」


「ゴーダさん…」


 ヨルンの死でもう枯れたと思っていた涙が一粒だけ、ジュディスの瞳からはらりと溢れる。彼女はたったそれだけで気持ち切り替え、もう死にゆく伝説を強く睨んだ。


「──やってやるわよ!完成させて空を飛んで!ああ先に死ぬんじゃなかったってあんたを後悔させてやる!」


 今度はもう怒らず、ゴーダは豪快に笑い飛ばした。


「その意気だ生意気な娘っこめ!このわしを後悔させたら一人前と認めてやろう!」


「今認めなさいよ!どうせすぐ死ぬんでしょ?!」


 今度は怒った。


「──なんだとこの不謹慎者め!床に伏せっている老人に向かって言う台詞か!──行け!とっとと行け!」


 まるで野良犬を追い払うようにしてゴーダはしっしっとやり、ジュディスはさっと踵を返して病室を出る。

 出るまでの間、彼女は一度も振り返らなかった、その胸に伝説から預かった一つの端末を抱えて。



 ──申し訳ありません、私たちがついておきながら…それに、早々に引き取ってもらった事も、あなたに言う事ではありませんが、病室が空くのを待っている患者が沢山いるのです


 誰もいない、誰かがいた気配を残す病室でフレアは母の遺品を片付けていた。

 

(ほんとだよ…遺族に向かって言う台詞…?)


 人を失う痛みはあまりに強大で、人を失う悲しみはあまりに深くて、フレアは自分の気持ちを持て余していた。

 だから良かったのかもしれない、ただ淡々と部屋の片付けをするのは意識を逸らすのにちょうど良いし、いっ時でも喪失感を忘れることができるから。

 フレアにとって、ヨルンは本当の母ではない。生前は一度もその事を口にされることはなく、またフレアも本当の母について訊ねたことは一度もなかった。母と姉がいる、それがフレアにとって当たり前の日常であったし、一度失った日常でもあった。

 誰かが開けっ放しにしていた窓から風が入り込む、その柔らかい感触にフレアは連れられ俯けていた面をそっと上げる。

 ──誰かが開けた?誰が開けたんだ?


(お母さんは動けなかったはずなのに…他の人かな…?)


 そこへ折良くヨルンの看護をしていた女性が入って来た。


「私もお手伝いします」


「──あ、ありがとうございます」


 片付けは殆ど終わっていた、だからフレアは荷物の運び出しをお願いしていた。

 病室から出て、フレアはそれとなく女性へ訊ねてみた。


「昨日、窓を開けましたか?母は一人で立ち上がれなかったはずなんですけど…さっき窓が開きっ放しだったので気になって」


「──いいえ、私が昨日最後に会った時は閉まっていたはずですが…」と言い、女性があっと思い出していた。


「そういえば昨日、ヨルンさんのお見舞いに来られた方がいました」


「え?誰なんですか?」


「男性の方でしたよ」


 フレアはその場で足を止める、良く清掃された床からきゅっと音が鳴った。


「名前は?」


「──いえ、同郷の方だと思ったのでお名前はまでは…」


 思いがけない返答に女性も足を止め、後ろにいたフレアへ振り返った。

 

「──もしかしたら、迎えられたのかもしれませんね」


 白化症を罹患した人は頻繁に幻覚を見るようになる、その相手はその人にとって慣れ親しんだ人物であり、女性看護士はその話をよく耳にしていた。

 だから感覚が麻痺していたのだろう、昨夜遅くに見かけた男性を不審に思わず、女性は他の患者たちと同様だと自分の中で結論付けていた。

 けれどフレアは違った。


(確かにお母さんのことだから色んな男の人に唾をつけていたんだろうけど…この人も見かけたんならその人は幻覚じゃないよね?)

 

 悶々した気持ちを新たに抱えたフレアが歩き出す。船内通路の十字路に差しかかり、図面を受け取りに行っていたジュディスと合流した。

 ──フレアは彗星が走って来たと勘違いを起こした。


「──フレア!!さっさと戻るわよ!!」


「え、え?」


 この元気は一体なんだ、ついさっきまで自分と同じように項垂れていたはずなのに。

 ジュディスの目は燦々と輝き、その小さな体が内側から弾けそうなほど溌剌としていた。


「ゴーダさんから図面はこの私が預かった!私は今から伝説を超える!船を空へ飛ばす!あんたの悲しみもまとめて空へ上げてやるから協力しなさい!──壁を超えてあんたの情けない姉を連れ戻しに行くわよ!!」


 フレアはその輝きに触れ、ぶわわと胸に火が灯った。落ち込んでいた気分がジュディスの溌剌さに当てられ霧散し、月の裏側に隠れていた太陽が顔を覗かせた。


(ああ…ジュディスさんが傍にいてくれて本当に良かった…)


 フレアは思う。太陽だってたまには元気を失くしてしまう時があるだろう、その時は暗闇を駆け抜けて来た彗星の熱と光りに触れ、一瞬たりとも歩みを止めないその勇敢さに力を分け与えてもらうのだ。

 だから太陽は輝き続ける、フレアが笑うように。


「はい!私も手伝います!」


 外の光りが届かない薄暗い船内通路の中で、フレアの顔に太陽が昇った。





(ん?──んん?一体何があったの?)とライラは首を傾げる。葬儀を終え、病院へ向かった時は確かに暗い顔をしていたのに、戻って来たジュディスとフレアは別人か?と言わんばかりに明るい顔になっていた。本当に別人じゃないのか?

 ライラは造船所から場所を移し、新型エンジンの製造に入るためレイヴン保有の工船に赴いていた。ここではウルフラグ国内に流通している約五〇パーセントに及ぶ食料品、日用品、その他諸々をシルキーを利用して生産しており、彼女は生産ラインを一括管理しているブリッジにいた。そこへジュディスとフレアが目を輝かせながら戻って来たのだ。


「あ、その、大丈夫?」ライラは二人の正気を疑った、悲しみに暮れるあまり頭がおかしくなったのかと思ったのだ。

 けれど違った。ジュディスが「かくかくしかじか!」と病院であった経緯を話し、ライラもその話を聞いて納得した。


(あのカズトヨさんにそう言われたら…そりゃやる気にもなるね。フレアをジュディ先輩とくっ付けて正解だった)


 ライラは生産ラインのシルキー量を調節しており、分割した物を新型エンジンに割り当てるつもりでいた。

 その量も決して馬鹿にはならない、この船で作られる物全てが今を生きる人たちの糧であり、たとえレイヴン総団長であったとしてもそう何度も行える事ではない。

 失敗は許されない。スカイシップを文字通り空へ飛ばす。その為の『レイヴン』である。

 ライラはジュディスから端末を預かった。


「これですか?」


「そう、アプリの中に図面があるから見てみて」


 ライラはさっと図面を一瞥し、すぐにジュディスへ返していた。


「ガチで意味分からん。──シルキーの必要量を調べて私に報告してください」


「もうやったわよ」


「ガチ?さすが先輩、秀才を自称するだけはある……」と言い、もう一度返してもらいライラが画面を覗き込む。

 ライラはぎょえええ!と仰天した、文字通り「ぎょえええ!」と口にしていた。


「だ、大丈夫?ちょっと休む?」ちょっと馬鹿にされたので文句を言ってやろうと思っていたジュディスも心配になった。


「──何ですかこの量!!半年分て──え?!しかもこれで全部品の三分の一?!全部で一年半分のシルキーが要るんですか?!」


「しゃーない」


「しゃーなくないわ!どうすんですかこんだけの量!一月分割くのにどれだけ苦労したと思ってるんですか!」


 二人が病室へ向かっていた間、ライラはライラで現在消費されている食料品等を一から調べ上げ、供給が上回っている物品からちょっとずつシルキーを割くという、とんでもなく地味な作業を続けていたのだ。

 数時間やって分割できたシルキー量は一月分、けれど新型エンジンに必要な量はその約一八倍、労働時間にして休み無しで二日とちょっとである。そりゃ誰でも「ぎょえええ!」と言う。


「ええ…ガチ?やる?いやあ、できない事ではないけどさすがにこれは面倒臭いな…」とライラは自問自答を呟く。

 そこへフレアが提案した。


「陸師府の分を回すのはどうですか?確かこの間契約を切ったんですよね?」


「あんたも鬼ね〜」

「フレアも鬼ね」


「いや何でですか、クランさんも陸師府の資材管理が大変だって言ってましたし、それにそもそも専用で生産する必要もないってライラさんが言ってたじゃないですか」


「──よし!ほんとは条件付きだったけど切ろう!そうすればすぐに必要量を確保できる!」


 それから、レイヴンの工船に陸師府の関係者が来たのは数時間後の事だった。即実行。


「総団長!この通達の意味を問いたい!」


「意味とは?」


「──っ」


 ライラは「別人ですか?」と言わんばかりに態度を変えていた。氷の女王復活。

 絶対零度の視線と、端的な返しを受けた男性が言葉を詰まらせるも、すぐに態勢を立て直した。


「──な、何故協力関係を破棄するのですか!我々はあなた方の活動に必要な場所を提供している!何ら落ち度はない!それなのにこれは──」そう捲し立てる関係者へライラが一言。


「こちらの事情が変わったのです、ただそれだけの事です」


「じ、事情って──電波塔建設に関する摩擦の事を言っているのですか?確かにお互いに人的被害は出ていますが、それに関してはあなた方にも落ち度が──」ライラの冷凍ビーム炸裂。


「いいえ、違います」


 総団長としての彼女は一切の妥協、歩み寄り、理解、納得を示さない。こうだと言ったらこうである、月の女王から下賜された鉄の理性は身内ですら容赦なく斬り捨てる。だからジュディスたちもほとほと困り果てていたのだ。

 

「私がここを立ち上げたのはスカイシップを造船することです。特定の団体、人物を保護するためではありません」


 総団長がそう言い切った。

 同席していたジュディスやフレアは慣れっこである、「ああはいはい」みたいな感じ、しかし陸師府の者はそうもいかなかった。


「ですが!現にレイヴンは国内のライフラインに深く関わっている!それを今さら無かったことにすると言うのですか?!──それはただの裏切り行為だ!」と、男性が破壊光線の如くズビシ!と論破を試みるも、


「協力関係を断つのはあなた方陸師府のみです、国民に対する裏切り行為ではありません」


 鋭利かつ的確に総団長が斬り返す、男性はなおも食い下がる。


(この通知を取り消さないと俺の住む家がなくなるんだよ!!)


 そう!男性は陸師府の老人たちから「取り消しできるまで帰ってくるな!」と言われていた。

 彼は知らない、総団長モードに入ったライラがあのピメリア・レイヴンクローを超すほどのネゴシエート能力を持つ事を。単に人の話を聞かないとも言う。

 男性が声音を落とし、アプローチを変えた。


「…お恥ずかしい限りですが、我々陸師府はレイヴンに強く依存しています。ここでいきなり支援を断ち切られたとなれば、おそらく生活もままならない者も出てくることでしょう。それでもなお関係を切るというのですか?」


「切ります、そもそもレイヴンに陸師府の面倒を見る義務はありません、あなた方が勝手に依存しているだけです」


「──なんの猶予も無く支援を切るというのですか?!」


「前に通達したはずです。これ以上レイヴンに対して非協力であれば一切の支援を断ち切るとお伝えしています」


「──我々に不手際はなかったはずだ!あれから衝突も起こっていない!」


「事情が変わったとお伝えしたはずです、今し方」


「それならば!こちらとしても支援を断ち切らせていただく!あなた方に提供している港!ビル!その全ての所有権、使用権を陸師府に移転する!」


「構いませんよ、もう既に撤収指示は出しています」本当である。男性が「え?」と間抜けな声を出した。

 まるで大人と子供の喧嘩だった、ジュディスとフレアは改めてライラという名の総団長の怖さ、面倒臭さを目の当たりにし、そして頼もしさを感じていた。

 ジュディスがフレアにそっと耳打ちする。


「…ライラって、敵ならダルいけど味方なら頼もしい奴ね、今初めて知ったわ」

「…ジュディさん、普段から喧嘩ばっかりしてましたからね」


 地獄の沙汰まで聞き分ける耳を持つ総団長がきっ!と二人を睨め付ける、ジュディスとフレアは余計なとばっちりを食らわないようきっ!と口を閉じた。

 男性はそれでもなお言い募った、もはや懇願の域に達していた、話し合いの度を越している。


「あの、お願いですから支援を続けてください…このままでは帰るに帰れないんです…お願いします…家に泊めてくれる家族もいないんです…」お願いしますぅ〜と男性は土下座まで敢行した。

 パンピーであればこれで心根がぐらつく、「さすがに言い過ぎたかな」「ちょっとぐらいなら良いかな」みたいな感じで。

 しかして土下座の相手は総団長。鉄の理性で味方を斬り捨てるほどの斬れ味である、外様の人間であればなおさら、容赦がなかった。


「知った事ではありません、あなた方のその甘えは親に対して向けるものです。いい加減自立の道を探して一人立ちしてください、我々レイヴンもいつまでも有り続ける存在ではありませんから。よろしいですね?支援は切らせていただきます」


「…………」


(おっかねえ〜)

(ライラさん怖〜)


 全力土下座でもライラの言い分をひっくり返せなかった男性が、がっくりと肩を落として帰って行った。



「──さあやるわよ!!──ジュディさん!!お願いしますねほんと!!」


「任されろ!!」


「ライラさんが元に戻ったのかと心配しました!」


「え?元に戻るもなにも、さっきのあれ素だったんだけど」


「………」

「………」


「急な無言止めろ」


 無事に陸師府を追い返したライラたちは早速新型エンジンの部品製造に取り掛かっていた。

 「くわばらくわばら」と言いつつジュディスはゴーダから授かった図面を元に部品を一つずつに区切り、大災害後に開発した3Dプリンターにイメージ画像をインストールした。

 このプリンターは優れ物、シルキーさえあれば何でも作れる(シルキー消費量一.五倍)、ジュディス専用ランドスーツもこれ(製造期間三ヶ月)、スカイシップもこれである(何でもあり)。

 だが欠点もある、そう!一台しかない。それなのにライラたちは全く新しいエンジンを部品の一つから作ろうとしている。普通に無理ゲーである。

 ライラは新型エンジンの製造期間をざっと計算してみた。年数にして一〇。


「三十路超えとるわ!!」


「っ?!」

「っ?!」


「船本体より時間がかかるってどういう事なの?!」


「ライラが壊れた」

「無理もありません」


 「ああはいはい」みたいな感じでご乱心の総団長を無視し、二人はちまちまと部品を分割してピクチャーへ変換している。

 一通り(全工程の〇.〇〇五パーセント)作業を終えたジュディスが「待って」と言う。


「ガチでこんな事一〇年も続けるの?」


 ライラが突っ込む。


「さっきもそう言ったでしょうが」


「──3Dプリンターを増やせば解決じゃない?!こんな事ちまちまやってられんわ!」


「どこに!そんな!シルキーが!あると!思ってるんですか!」とライラが机をばんばんと叩きながら言う、「コピー数が増えれば増えるほど消費量も上がっていくんですよ?せっかくあいつらから回収したっていうのに全部ぱあだわ!」


 やいのやいのとやっている所へ、都市部団長たるクランがブリッジへ入って来た。


「ライラさん…急な撤収指示ほんと止めてもらえませんかね…人って移動するだけでも大変なんですよ?私が一から教えてあげましょうか…?「ご、ごめん…」


 陸師府所有の港などから撤収の現場指示にあたっていたクランの顔つきはそれはもう酷いものだった。懇願しに来た関係者の男性も言ったように、突然の打ち切りアンド撤収だったため現場でも摩擦が生じ、クランは相手側の責任者から「この人でなし!!」とボロクソに言われて来たのだ。そりゃ顔にも出る。

 だが、クランは「おや?」と思う、あの総団長が素直に頭を下げたではないか。


「ライラさん頭大丈夫なんですか?「聞き方何とかしろ「いやだってジュディさん、ライラさんが素直に謝ったから」


「わ、私ってそんなだったの?」


「え、自覚なかったんですか?定例会議のライラさんって機械人形みたいに人の暖かみがまるで感じられませんでしたよ」


「クラン、さっき聞いたんだけど、それ、素だってさ」


「うわあ…」


「引くの止めて」


 ブリッジの戦況机を三人が囲み、自前のタブレット端末でちまちま何かやっている事にクランが興味を持った。


「何やってるんですか?人が仕事してる時にゲーム?」


「あんたはいちいち文句を言わないと気が済まないのか」ジュディスが「なるなるうまうま!」と説明してやると、またぞろクランが文句を口にした。


「それをたったの三人でえ〜?人を集めればいいじゃないですか何考えてるんですか?そんなアホな事するぐらいなら人でなしライラさんの方がまだマシですよ」


「人でなしって…私ってそこまでだったの…?」


「お、あの総団長にダメージ入ってる」

「クリティカル?」

「即死じゃない?」


「死んどらんわ!──クラン!撤収させた人をここに集めてライン従事の再編成を命令します!作業方法はジュディスさんから指示してもらうわ!「私がすんのかよ」


 いつものように、けれどいつもとは違うライラの指示、クランは昔に戻ったような気分になった。


「分かりました、職無しになった有象無象をここへ連れて来ます「ほんと言い方」


 クランは人見知りである、書いて字の如く、彼女は誰が何を得意とし苦手とするか、把握しているのである。全員は無理でもぱっと見で「この人はこんな感じっぽい」と見抜き、その人に適した職場を今日まで斡旋してきた。そして、今日まで一度も文句を言われた事がない。

 クランは工船に人を集め、その中から端末操作が得意そうな人を選び、ライラたちの作業にあたらせた。人数にしてざっと数百人規模、これで作業スピードが約数百倍まで上がった事になる。

 陽が水平線の向こうへ沈み、夜の帷が下り始めてくる。空が明るみ始めた頃はヨルンの遺体を棺に収め、海へ帰した彼女たちであったが、陽が沈んだ頃にはその悲しみを忘れたかのように、新型エンジンの製造作業に没頭していた。

 クランの手腕のお陰もあり、たった一日で製造に必要なパーツの細分化、ピクチャー変換を終える事ができた。

 けれど問題はまだまだある。



「シルキーの量がまだ何にも解決していないわ」


「朝から何なの…」

「おはようございます…ふわあ…」

「まだ、朝は来ていない…Zzz…」


 翌る日。ブリッジに泊まり込みで作業をし、そのまま眠っていた彼女たちを朝日が照らしていた。

 今日は良く晴れている、澄んだ太陽の光りは何をも満遍なく照らし、二度寝を決め込んだクランの寝顔をちりちりと焼いていた。

 いの一番に起きたライラがそのように口にし、釣られて起き出したジュディスは嫌そうに顔を顰めていた。


「シルキーはそっちで何とかして…こっちは組み立てる場所の確保や実証試験もしないとダメだから…もう何なの朝から…ふわあ〜」


「問題はまだまだ山積みね、とりあえず…一狩り行くか!」とライラが言い、速攻で全レイヴンへ収集指示を出した。

 レイヴン総団長直々の招集指示である、彼女の美貌に羨望と劣情を抱くウルフラグの野朗共はすぐに集まり、工船を中心に部隊を展開していた。その数はざっと三〇近くはあり、現存する武装団体(カウネナナイ側も含む)では随一である。

 ライラがブリッジから全部隊へ討伐指示を下した。


「──全レイヴンへ通達します、これよりホワイトウォールにて奴らを討伐し、シルキーを確保してください。この作戦はレイヴンの存在意義がかかった重要なものです、どうかよろしくお願いします」


 「あの総団長がお願いしますと頭を下げたぞ〜!」と違う方向で感動したレイヴン部隊が我先にと船を漕ぎ出し、ホワイトウォールへ向かって行った。

 帰って来たのはお昼前だった。

 一狩りして得られたシルキーの量にライラは満足した。


「──よし!これで何とかなる!」


 量にして約三年分である、尋常ではない量だ、もしかしたらホワイトウォール周辺のアーキアが根絶されたかもしれない。

 ちなみに、レイヴンが得たシルキーの量はナディたちの山モドキ換算で約三倍である。ひいひい言いながらようやく山モドキを討伐したナディたちとは違い、レイヴンはたったの数時間でそれを上回る量を獲得したのだ。

 しかし、ナディたちもナディたちで負けてはいない。総数一二〇機からなるマリーンの最強軍事団体が獲得した量のたとえ三分の一であったとしても、ナディたちはたった一個小隊でそれを獲得してみせたのだ(数日かかったが)。

 また、セレン三人衆の連携能力は赤い死神もといヒルド・ノヴァのパイロット、稀代の天才の後を継いだフラン・フラワーズをも凌駕する。

 この両陣営が衝突した時、果たしてどちらに軍配が上がるのか、それは神のみぞ知るところである。

 一狩り終えて意気揚々と帰港するレイヴン部隊の姿は、工船の作業場で早速組み立て作業を行なっていたジュディスが「ラグナロクが始まった!」と騒ぎ立てるほど圧巻だったと言う。

 一先ずシルキーの問題を片付けたライラは、早速行動を開始していた。


「3Dプリンターを量産せよ!!」


 そう号令をかけ、有象無象の無職共を動かしせっせとプリンターをコピーさせていく。

 しかし即問題発生。

 現場責任を突然任されてしまった有象無象の一人がたたたとブリッジに入って来た。


「そ、総団長!」


「なんや!」別の作業をしていたライラは邪魔された事に腹を立て、そう一言返す。


「し、失敗しました!」


「は?何を?」


「と、とにかく来てください!」と、現場責任者が来たばかりのブリッジを後にし、ライラがその跡に続く。

 工船内、釣った魚を加工するラインを改造し、食料品などをコピー量産している現場には「どこから持って来たんや」と言わんばかりに馬鹿デカい一つの機械がどどんと置かれていた。

 その機械はスケールは違えど3Dプリンターである。

 

「ま、まさか…まさかっ」


「す、すみません…工程を間違えてしまって…」


 質量保存の法則に則り、コピー対象に必要なシルキー量が決まる(魚の切り身なら二個、携帯端末なら一〇個、特個体なら一〇〇〇〇個、みたいな感じ)。

 一先ず必要量を調べるためにもレイヴン部隊が獲ってきた獲りたてほやほやのシルキーの山に、現場責任者はコピー対象を突っ込んだのだ。彼の考えではそれでぽんと同じ大きさの3Dプリンターがコピーされると思っていた。そこから数を調べようと考えていた。

 しかし違った。


「〜〜〜!〜〜〜!」


「あ!あ!す、すみません!」


 ライラが(>△<)みたいな顔をしながら彼の背中をばしばしと叩いている。


「──どうすんのよ!!あんな馬鹿デカい3Dプリンターなんか使い物にならないじゃない!!シルキーだってタダじゃないのよ!!」


「すみません!すみません!」と言ってはいるがどことなく嬉しそうにしている責任者。


「あ〜あ〜どうすんのよこれ〜マジで邪魔だわ〜コピー品からシルキーを還元する方法ってないのかしら──馬鹿!」


「えへ、す、すみません」


「──クビ」


「──え?」


 コンプライアンスなんぞ海の底に沈んだわ、と言わんばかりの世の中である、ライラは一方的に解雇通知を告げ、彼の弁明も聞かずにさっと現場から離れて行く。


(ああもう最悪!あんなデカいプリンターじゃあ小さな部品の量産には向かないだろうし…というか損失分を早く補填しないと生産計画が…)


 現場を離れてブリッジへ戻る途中、ライラはジュディスに呼び止められた。

 考え事を邪魔されたライラが「なんや!」と怒りながら振り返る、そこにはお手製のランドスーツを着用し、見慣れぬ機械を手にしていたジュディスが立っていた。


「はあ〜〜〜?!それ着用する時はTPOを弁えろって言いましたよね私?!何でこんな所で着用してんすか!!」


「んな事どうでもいいからこれ見なさいよ!早速作ったの!新型エンジンの燃焼室!」


「私が見ても分かりませんよ!!」


「しかもこれ!この大きさだけで酸化剤の貯蔵室なのよ!信じられない!」と言うその大きさ、ランドスーツを着用してなお一抱えするものだった。

 ライラはシルキーの損失をぱん!と忘れ、はてと首を捻った。貯蔵室がどんなものか知る由もないが、ジュディスの言い方からするに新型エンジンはもっと大きな物らしい。


「──ねえ先輩、新型エンジンの大きさってどれくらいなんですか?」


「え?直径二〇メートルだけどそれがなに?」


「二〇メートルぅぅ〜〜〜??はいぃぃ?」


「そんな事より!これ凄くない?!誰も作ったことがないのに私はたった数時間で組み立てたのよ!」


「知らんがな!」


「──褒めてよ!もっと私を褒めてよ!!」


「何で高さのこと黙ってたんですか!!」


「図面に書いてあったでしょうが」


「何処で組み立てるんですか?そんなデカい物を作る場所なんてありませんよ?」


「そんなの、陸師府の連中に頼めば──」そこで彼女は思い出す、昨日、縁を切ったばかりだということを。

 二人は船内通路で揃って天を仰いだ。


「Oh…」

「Oh…」


「──忘れてたわガチで!そうよどうすんのよ組み立て現場!ここじゃ狭過ぎて無理よ!」


「最悪のタイミングで関係切っちゃったわ…今さらどの面下げても断られるでしょうし…」


「あんたが考え無しで関係を切るから!」


「なんだと──誰のお陰で新型エンジンの製造ができると思ってるの!!」


「誰のお陰で夢が叶うと思ってんのよ!殆ど私の案でしょうが!」


「誰のお陰でその夢を追いかけられると思ってんの!人と資源は私のお陰でしょうが!」


「なんだとこの冷徹女が…」

「やるのかこの無計画馬鹿が…」


 睨み合う二人、爆ぜる火花、そこへやって来るフレアとクラン。


「フレアちゃん、無視しよ無視、ぜったい面倒事に巻き込まれるよ」


「クランさん…身内なんですから助け合いましょうよ…」


 フレアがどうかしたんですか?と声をかける、二人が「かくかくしかじか!」「なるなるうまうま!」と互いを罵り合いながら喧嘩に至った理由と所持している問題点を的確かつ端的に説明した。

 フレアが答える。


「──こういう時マキナの方がいたら…確か、何とかネットにいつでもアクセスできるんですよね?そこで新型エンジンを組み上げて、そのファイルを失敗したプリンターで出力すればシルキーも無駄にはなりません」


「それだ!」

「それだ!」


「そうよマキナの何とか何とか「記憶力ヤバ過ぎ「──仮想世界で完成させればそのまま実証実験もできる!フレアあんた良い事言うじゃない〜!──クランは後で覚えておけ」


「でもどうやってマキナを探すんですか?言っておきますけどこの五年間一度も見たことないですよ」


「あのポンコツドローンが何体か残ってたでしょ?あいつに探させるわよ!」


「そんな上手くいきますかね〜」とクランが苦言を呈するがすぐに見つかった。

 工船から放ったラハムが戻って来たのはたったの一時間、「見つかりました〜」と流暢に喋りながら、ブリッジの開け放った窓から帰還した。


「ガチかよ!」×4


「こっちに向かってます〜」


「あんたもやればできるじゃない!初めて感心したわ!」


「──ちっ」


「あ?あんた今舌打ちした?見ない間に随分と人間臭くなったものね──その羽もいでやる!!」


「人類の敵!ラハムの宿敵!」


「なんだとお?!」と、賑やかにやっている所へ、船をぎこぎこ漕ぎ、とてとて歩いて彼女たちがブリッジにやって来た。


「まあ、とても賑やかな所ですね…」

「まいど!」

「──ジュディスお前!五年経っても身長全然変わんねえじゃねえか!」

「──まあまあまあまあ!ライラにジュディス!フレアにクラン!皆んなおっきくなったわね〜!」と、皆んなのお母さん天使ティアマト・カマリイがだっと駆け出し、ライラのお腹辺りに抱きついた。


「こんなに立派になって、私は嬉しいわ」


「カマリイちゃん…」


「皆んなも、こんなに大変な世の中になったのに元気にやっているなんて立派よ」


「ああ…」×3


 レイヴンの創立者たちは小さなお母さん天使を前にして跪いた。そう!ヨルンを亡くした直後という事もあり、皆母の愛情に飢えていたのだ。

 創立者たちが小さなお手手によしよしされた後、空気読んで待っていたテンペスト・ガイアが一人の男性を紹介した。

 名をザイモンという、軍人上がりの元陸師府の関係者である。


「失礼致します、私はザイモンと申します、以後お見知り置きを」


 髪は短く整えられてさっぱりしている、男性なのにまつ毛が長い人だった。


「あんたもマキナなの?」


 お母さんチャージを済ませたジュディスがそう訊ねた、ザイモンは微妙な顔つきをしながら「違います」と否定した。当然である。


「実は──」とザイモンが端的に己の状況を語り、マキナたちと行動を共にしている理由を説明した。


「へえ〜陸師府に疑問を抱いている奴もいるのね、皆んな性根が腐ってんのかと思ってたわ」


「ジュディさん、その毒舌はクランの特権ですよ「──ライラさん?!」


「相変わらず漫才やってんなこいつら」

「自分もやってたやろ、ティアマトと」

「やってないけど?!」


 テンペスト・ガイアがくすくすとお上品に笑みを溢し、それから用件を訊ねていた。


「──それで、私たちを探していた理由は何でしょうか?」


 ジュディスが「かくうま!」とちょー簡単に説明した。


「──ナビウス・ネットで新型エンジンの組み立てと実証実験、ですか」


「できる?」


「ええ、可能ですよ、そのエンジンの図面ないし仕様書があればすぐにでも」


「ガチ?!」×3

「フレア、あなたも本当に大きくなったわね〜「ありがとうカマリイちゃ〜ん」


 テンペスト・ガイアの解答にレイヴンの創立者たちは色めき立つが(一部を除く)、ですが、と切り返したのはテンペスト・ガイアではなくザイモンだった。


「無償というわけにはいきません。我々もその船に乗せていただきたい、所謂協力関係というものです」


「──何故?」氷の女王瞬誕、ぱっと鋭利な仮面を被りザイモンを睨んだ。

 ザイモンはライラの冷凍ビームに怯むことなく理由を告げた。


「ホワイトウォールを調べ上げたい、それも組織の力を借りずに彼女たちと一緒にだ」

 

 ザイモンの身なりは随分と汚い、陸師府で支給されている制服に袖を通しているが、どこもぼろぼろで、けれど本人は精悍な顔付きで、ライラも一目で分かるほどの決意を持っていた。

 ザイモンが続ける。


「あなた方の目的がホワイトウォールを超えることなら、私たちも一緒に連れて行ってほしい、ただそれだけだ。──まあ、私はただ提案しかできないが、決めるのは彼女たちだ」


「テンペストさん、あなたの意見は?」


「私も彼の意見に賛成です。今日までイカダの街を転々としてきましたがやはり私たちだけで調べるには限界があります、どうかご助力していただければ」


 人見知りキングのクランが頑張って、それはもう頑張って自分はもう大人になったんだぞ!と胸を張るように、テンペスト・ガイアへ質問した。


「あ、そ、そのですね、理由を、聞いても…」


「何のですか?」


「──すみません何でもないです」


 即失敗即撤退。


「メンタル弱──どうしてそこまでしてホワイトウォールを調べるのかって訊きたいの」


 こういう時だけ先輩を頼るクランは小さなジュディスの肩を掴み、同意を示すようにぶんぶんと首を縦に振っていた。


「それに関しては…お話が少々長くなりますのでまたの機会に致しましょう。──サーストンさん、協力関係は成立という事でよろしいですね?」


 マキナのトップツーたるテンペスト・ガイアがライラへ向かって手を差し出した。

 レイヴンの総団長がその手に応じた。


「──ええ、よろしくお願いします」


 総団長の目元は変わらず厳しいものだ、けれど友好を示すように口角をにいっと上げてみせた。

 側から見たらニヒルの笑いをしたライラにテンペスト・ガイアは、


(──はあ!ピメリアに似ています!)ドキドキとしてしまった。



 時は夕暮れ、時は金なり。善は急げ、いや買い占めろ!と、いっ時も作業の手を止めない彼女たちのエンジン製造は続く。

 マキナを招き、新型エンジンの仮想製造と実証実験を依頼したレイヴン創立者たちは、もう沈み始めている太陽に「え?もうこんな時間?」と驚きながら眺め、束の間の休息を取っていた。

 場所は変わらず工船のブリッジ、もはや彼女たちの溜まり場となりつつあるブリッジ、そこでは計四人のマキナたちが椅子に腰を下ろして目蓋を閉じ瞑想していた。いや違う、ナビウス・ネットにアクセスして依頼をこなしているのだ。

 休息と言ってもとくにやる事がなかったライラは、ティアマト・カマリイの頭を優しく撫でていた。


「本当に上手くいくかな?なんか不安になってきた…」


「珍しい、鉄の団長でもそんな弱音を吐くのね「鉄って言うの止めてもらえません?」


 ライラは不安に駆られていた、五年という歳月を費やしたスカイシップの完成を間近にして。

 もし飛ばなかったら...もし船が壊れてしまったら...もし超えられなかったら...時間が経つにつれ、工程が消化されていくにつれ、不安という名の種がぐんぐんと成長し、ライラの胸の中を掻きむしっていた。

 水平線にお尻が浸かった太陽からの赤い光りがブリッジ内に届く、ティアマト・カマリイの幼い顔を赤く染め、中性的な顔立ちをしているバベル・アキンドの髪も赤く染め、元々赤いハデス・ニエレはさらに赤くなっている。

 ライラは、初めて会うテンペスト・ガイアをそっと盗み見た。


(私のこと、サーストンって呼んだの…この人が初めてだ…)


 静かでありながら存在感が強く、丁寧でありながら隙が無い、ライラが抱いたテンペスト・ガイアの第一印象である。

 彼女は夕暮れに染まらず、ひたひたと忍び寄っている影の中にいた。マキナ三人から一歩引いた位置に座っており、ただ目蓋を閉じている。

 そう、ライラはこのマキナがただ目蓋を閉じているだけだと感じていた。他のマキナは意識がこちらに無いのが一目で分かる、けれどテンペスト・ガイアは違う、ただ視界をシャットアウトしているだけで、自分たちを監視していると思っていた。

 

「あんたも何か食べる?今のうちに食べておかないと身がもたないわよ」


 珍しくジュディスがそうライラを気遣い声をかける、けれど普段から小食な彼女は空腹を感じておらず、「私は大丈夫です」と、テンペスト・ガイアを見つめながら答えた。


「あそう?ならいいけど、ちょっと席を外すわね」


 そう言い、ジュディスとフレア、クランはブリッジを後にし船内にある食堂へ向かった。

 その時だった、三人がブリッジを後にした瞬間、テンペスト・ガイアの目蓋がぱちりと開いた。ライラはやっぱりと思った。


「──私に何か用でしょうか」


 ライラは精一杯の強がりを発動し、先んじて彼女へ声をかけた。

 マキナが答える。


「はい、あなたに聞きたい事があります」


 マキナは先を越されても眉一つ動かさない。彼女はレイヴン総団長と二人っきりになるのを待っていた。


「ピメリアの最後を教えてください」


 ライラはそう訊ねられ、そして返答に困った。確かにこのマキナはピメリアの最後の時に居なかったはずである、それなのにライラへ直接訊ねてきた。


(このマキナは他のマキナの権能を使用する事ができる…つまりは全能)


「………」


「………」


 レイヴン総団長──いや、ライラ・サーストンは己の観察眼と推察力をフル活用し、目の前に居る全能神に近いマキナの内心を読んだ。だが、何一つとして読めない、分からない、こんな経験は初めてである。

 知らずのうちに握り締めていた拳の中がじっとりと汗をかいている、ライラは自分が焦っている事を自覚し、それから答えた。


「ピメリアさんは私を庇って死にました」


 マキナは即座に質問を重ねた。


「その時に何か言っていませんでしたか?」


「…ナディのことを、私に頼むと言いました」


「そうですか」


「………」


「………」


 テンペスト・ガイアは夕暮れが差さない影の中に居る、だからこそライラから良く見えていた、彼女の瞳が薄く点滅し続けていることに。


(この人…他のマキナたちは集中してナビウス・ネットにアクセスしているのに…私と会話しながら依頼をこなしているんだわ…)


 ライラは「こいつは化け物だ!」と叫びたい衝動に駆られた。

 テンペスト・ガイアは他のマキナと一線を画している、ライラの背中に悪寒が走った。


(私が氷の女王?鋭利冷徹?とんでもない、この人こそ真の女王だわ…)


 "冷たい"、"温かい"という概念を知っているからこそ、ライラは己の態度を人によって使い分けることができる。けれど目の前にいる化け物は違う、彼女は使い分ける必要もない程に、アイデンティティから"冷たい"存在だった。

 会話の間が開き、ライラが「もう止めてください」と根負けしそうになった時、テンペスト・ガイアが口を開いた。


「あなたは何の為にホワイトウォールを越えようとしているのですか?」


「……私が愛した、たった一人の為にです」


「あなたはピメリアに助けられた命をピメリア以外の為に使うと言うのですね」


「……っ」


 ライラは返す言葉を失った。


「それはピメリアに対して些か失礼ではありませんか?あなたが管轄する軍事団体の名前を、ピメリアから頂戴したのも後ろめたさがあったからではありませんか?」


 汗が止まらない、動悸も早まる一方だ。

 鉄の理性は身内すら斬り捨てる、その通りだ、だからライラは自分自身の迷い、後ろめたさすら斬って捨ててみせた、そうでなければ口を開くことができなかった。


「──いいえ、私の命の恩人が、ナディを頼むと言ったからこの命をその為に使っているのです、ピメリアさんに対する裏切りではありません」


「そうですか──良く分かりました、あなたがピメリアの死に応えている事を。安心しました」


(は──)ライラは相手が自身に対して納得を示してくれたことに、ひどい安心感を覚えた。握り締めていた手がぱっと開き、不規則だった呼吸が整う。

 真の女王の瞳がなりを潜め、人ではない証である虹彩の明滅が終了した。それと同時に他のマキナたちも目覚め、食事に出ていた三人とザイモンもブリッジへ戻って来た。


「お〜ちょうどええ時に戻って来たな〜もう終わったで〜」


「ガチ?」時間にして一時間も無い、バベル・アキンドが終了報告をした通り、マキナたちは仮想世界で新型エンジンの組み立てと実証実験を終わらせていた。

 ジュディスが報告求める。


「どうだった?!」


「まずはその口に付いた食べカスなんとかしいよ、身長と相まって子供にしか見えへんよ──ああ?!なんや止め──ああ!!」馬鹿にされたジュディスが自分の口回りをバベルの顔という顔に擦り付けた。


「ああ…うちのバージンが…」


「ふん!二度と子供っぽいとか言うんじゃないわよ」


「いやでも…痴女に襲われてるみたいでちょっと興奮した。──よし!俺に変更や!」


「あなたの性自認は性欲によって変えてるの?」


「そんな事より!どうだったの?!」


 テンペスト・ガイアが答えた。


「組み立てた新型エンジンは3Dプリンターで出力できるよう、ファイルを最適化している所です」


「起動は?」


「確認しました。ウッズホールの伝説はその名に負けない物を作り上げたと言わざるを得ません、本来であればまだ到達すべきでない技術領域です」


 ジュディスは「おお…」と改めてゴーダの凄さを思い知り、クランとフレアは「おお…」とあの面倒臭そうなエンジンのパーツ類を一瞬で組み上げたことに感動し、ライラは「おお…」と皆んながあのテンペスト・ガイアと普通に会話していることに感心していた。

 異口同音、異意同音の「おお…」を受けたマキナたちは照れ臭そうにてれてれする。


「よし!後はプリンターでプリントアウトするだけね!」


 てれてれしていた四人がぱっと顔を曇らせ、「ほんまにやるんか?」とバベル・アキンドが言う。

 

「何か問題が?」そう問うたのは(口の回りにチョコが付いてる)ザイモンだ。


「あれはただの暴れ馬やで、起動した後は自壊するまで止まらん」


「はあ?そんなはずは──ゴーダさんが作ったのよ?失敗作だったってこと?」


「そういう訳やない、エンジンとしての性能はう──俺が保証する!「今うちって言いかけただろ「ただなあ〜出力が高過ぎてガワが合わんのやわ「男の子になったり女の子になったり大変ね「マリーンにある機体や船、あと他色んなやつに乗せて試運転してみたけど全部アカンかったで「もうお前自分のことバベルって呼べよ」


 「人が喋ってる時にちょいちょいうるさいんじゃあ!!」とバベルがキレて、ハデスとティアマトを追いかけ始めた。

 子供マキナ三人がブリッジ内を追いかけっこしている傍ら、保護者みたいな感じになりつつあるテンペスト・ガイアが後を引き継いだ。


「──バベルが報告した通りです、本当にあのエンジンを使うおつもりですか?」


「既存の船が合っていないっていう事でしょ?それならこれは?」と、ジュディスがマイタブレットをテンペスト・ガイアへ渡した。

 そこにはスカイシップの隅々まで設計された図面があった。


「これは──見たことがありません…この船に乗せるためのエンジンだと?」


「そうよ、こっちも説明不足で悪かったわ、その図面はゴーダさんにも預けていてね、言わば新型エンジンはこの船専用の物なの」


 理解が早いテンペスト・ガイアが「すぐに試験してみます」と言い、走り回っていた三人の襟首を掴んで所定の位置に座らせた。無言で。


「無言止め〜や〜普通に怖いねん」

「あいつ絶対教育ママタイプだよな、片付けしてなかっただけヒステリックにキレそう」

「駄目よテンペスト、ちゃんと愛情を持って接しないと子は育たないわ」


「三人とも、ナビウス・ネットを同期させてくださいね、すぐに終わらせます」


 ちーんと四人が目蓋を閉じ、「さっきと似たような時間がかかるでしょ」とライラが席を外そうと立ったその瞬間、かっ!と四人が目蓋を開けた。


「終わりました」


「ガチかよ!!」×5


「いえ、終わったというより、試験不可でした」


「不可?失敗ではなく不可?」


「いや〜バベルあんな警告文見たの初めてやわ〜」

「切断とか、同期不安定とか、そういうアラートなら俺も見たことあるけど…社外秘って何だ?」

「読んで字の如くよね…何かの会社でシークレット扱いを受けているという──ああやだあ!バベル髪を引っ張らないでちょうだい!」

「人がボケてんのに突っ込めや!!」


「社外秘って何よ、私は盗んでないわよ?全部自分のオリジナルなのよ?」


 テンペスト・ガイアが答える。


「はい、ですが──あなたが作った船は社外秘というアラートに阻まれて再現することができませんでした。私も初めて──そう、言い換えるなら生まれて初めて見た警告文です」


 太陽の頭も水平線に沈み、ブリッジ内が暗くなった。

 

「ジュディさんがカズトヨさんに依頼したエンジンはスカイシップ専用の物、そしてマキナのナビウス・ネットで再現できない代物…」


 できる事なら、仮想世界内でも船に搭載した状態でエンジンの試運転をしたかった、けれど何らかの事情により再現が叶わず、残る道は一つしかない。

 レイヴンをまとめる総団長の決断の時。


「──3Dプリンターから出力後、スカイシップへ取り付け作業を進めさせます」


「ガチ?」×8


「ガチです──一発勝負、処女飛行とエンジンの試験運用を同時に行ないます」


 その日、ブリッジの戦況机には計八枚の遺書が置かれていたという。

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