TRACK 25
ワールズ・ガールズ・ガーデンズ
炎天下。太陽から降り注ぐ光りはウルフラグのビル群を照らし、海を照らし、イカダの上に建てられ家々を照らしていた。
ビルとビルの合間に設けられた群道を人々が大粒の汗を流しながら歩いている、その中を一人の女性が人垣を縫うようにして走っており、一抱えはする紙袋を持って先を急いでいた。
その女性が群道沿いに建てられた一軒の家に入った。
「お、お待たせ」
急いでいた女性は持っていた紙袋をテーブルの上にどんと置き、荒い息を落ち着かせた。
「ふう〜…」
走っていたせいだろう、女性の衣服は水浴びをした直後のようにびしょびしょで肌に張り付いており、大人特有のボディラインを露出していた。
家の中にはもう一人いた、その人も女性であり、彼女の帰りを今か今かと待っていた。けれど人見知りする性格をしており、話す言葉は辿々しいものだった。
「お、お帰り…い、いつもありがとう…」
「まだ慣れない?知り合って結構経つと思うんだけど」
「こ、これでも頑張ってる方…私は誰かと打ち解けるまで数百年はかかるから…」
「それ私死んでるじゃん」
椅子の上で膝を抱えて帰りを待っていた女性が、紙袋の中身を漁りながら言った。
「──ガイア・サーバーの自動修復壁がダウンした」
「…ガチ?」
汗をかいてびしょびしょの女性が着ていた衣服を脱ぎ、適当に放り投げていた。同性しかいないからと彼女は新しい衣服を着ることなく、程よく大きく形が整った乳房を晒しながら椅子に座った。
「ガチ。でも、どのみちだよ、どのみちホワイトウォールは自壊する」
「それ、何とかならないの?」
紙袋の中から好みの食べ物を見つけた女性がぱっと顔を輝かせ、そしてすぐに暗い影を落としていた。
「ホワイトウォールに穴を空けて壁にかかっている水圧の負担を減らすしか…でも、今の私たちにそんな事できるわけないし…」
「そっか…まあ、女二人では無理だよね…」
「このまま黙っているしかないのかな…」
胸ぽいんぽいんの女性は困った、何とかしてあげたいと思うが流石にホワイトウォールを壊せるほどの力はなく、せいぜいがその日暮らしの労働をこなすのがやっとだった。
彼女が言う。
「──まあ、とりあえずご飯を食べなよ、ポセイドン、腹が減っては戦はできぬって言うしさ」
「うん、そうだね…」ポセイドンと呼ばれた彫りの深い女性が答えた。
「いつもありがとう、アキナミ」
アキナミと呼ばれた女性が、優しくふっと微笑んだ。
「どういたしまして」
「そ、それで、この大量のお菓子はなに?ア、アキナミが食べるの?」
「まさか、襲撃に備えるんだよ」
「?」
ナディの親友であり、ライラにとってファーストキスの相手兼恋敵であるアキナミは大災害を生き延びていた。
そして、政府管轄のフリーフォールを唯一所持していなかったポセイドン・タンホイザーはガイア・サーバー復帰後、陸師府に掌握されることなく、けれど行く当ても頼れる当てもなくビル群の中を彷徨いアキナミに拾われていた。
アキナミはポセイドンのことを覚えていたのだ。
その日の夜、アキナミたちが住まう家にアーキアの群れがやって来た。
「お菓子をくれないとイタズラしちゃうぞ〜!」
「はいはい──やれるものやってみろ!」
手作り衣装でアーキアに変装した子供たちが「わ〜!」と家の中に押し寄せ、棚や椅子の下、家具という家具をひっくり返し、「見つけた〜!」とお菓子を手にして喜びの声を上げていた。
襲撃を終えた子供たちが皆満足そうにしながら、その手にお菓子を持って「ありがとう〜!」と言って去って行った。
「はあ〜家中汚されちゃったわ。まあいいか、ついでに掃除しよう」
アキナミが掃除に入ると、アーキアの襲撃に備えて避難していたポセイドンが自室からそろりと出てきた。
「に、人間怖い…あ、あいつらより恐ろしい…ドアガチャされた時はこの世の終わりかと思った…」
「子供相手にびびらなくても…ポセイドンも手伝って」
ひっくり返った椅子を戻し、汚れたテーブルを綺麗にしていく。ポセイドンも素直に彼女のことを手伝った。
「さ、さっきのアレって…ハロウィン、だよね?今はまだ夏だけど」
『トリックオアトリート』、お菓子をくれるかイタズラされるかどちらか選べ!と脅しをかけて家々を襲撃する期間限定イベントである。
「ああそれね、あの子たちはここで生まれたんだよ」
「ここって──」
「皆んな陸を知らない、海しかないこのイカダの街しか知らないの、だからせめて楽しい事をどんどん教えていこうって事でね、ハロウィンをやる事になったんだよ」
「そういう事…アキナミは優しいんだね」
「いや〜ここの群店街の人にはお世話になったから断るに断れなくて」
「ア、アキナミに声をかけられた時も、この世の終わりかと思ったけど「何回終わりが来んねん」
掃除を終えた二人は汗ばんだ体を冷やすため家の外に出た。時間帯もあって群道を行く人の姿もまばらだ、その向こう側にも家々が並び、その後ろには水没を免れたビルが建っていた。
日中はまだまだ死ぬほど暑いが夜は涼しい、火照った体に気持ち良い風が吹き付けていた。
「よ、よく覚えてたね私のこと、ずっと隠れてたのに」
「ん〜なんか見たことあるな〜って思ってさ、それにポセイドンはなんか雰囲気が違うし」
「そ、そうだよね…こんな根暗なやつお日様の下にいてもジメジメしてて迷惑だよね…」
「いや誰もそこまで言ってないよ。──で、これからどうするの?」
アキナミの質問は主語がなかった、けれどポセイドンはすぐに答えていた。
「──他のマキナを探す、もしかしたら皆んなも気付いているかもしれないし」
「連絡は取れない?確か頭の中でびびっとできるんだよね」
ポセイドンはゆっくりと頭を振った。
「それができないの、通信プロトコルに異常があるみたいで固有のチャンネルではできない。ガイア・サーバーにアクセスしても拒絶されるし…」
「でも、自動修復なんたらの事は分かるんだよね?それはどうして?」
「それは…」先程の子供たちが向かいの家から出てきた、その賑やかしい声が去ってからポセイドンが続きを話した。
「ナノ・ジュエルを管理しているサーバーから警告があったの、自動修復壁のリンクが切断されたって、早くなんとかしないと…でも、直ったところでホワイトウォールの崩壊は避けられない…一体どうすれば…」
「…………」
アキナミはここからでは見えない白い絶壁群の方へ視線を向けた、そこにあるのは真っ暗闇に支配された海だけだった。
アキナミも人探しをしたいと考えていた。両親、親友、恋人(?)、沢山だ。
けれどその日暮らしがやっとで少しも進展しておらず、思うように動けていなかった。
暗闇の海から視線を戻し、アキナミは思い悩むマキナに言葉をかけた。
「…なるようにしかならないよ」
「…そうだね」
ポセイドンは俯いたままそう言った。
*
ウルフラグ主要ビル群から南へ移動した先に、レイヴンが管轄する造船所があった。ここでは太陽は沈まず二四時間いつでも明るい、今日も屋外の大型ライトに照らされレイヴン所属の作業員が作業に従事していた。
複数の造船現場を持つ造船所の中でも、一際広いスペースを有する現場があった。そこではレイヴン総団長が直々に監督をしており、もう間も無く全工程を完了しようとしていた。
残る工程は──
「エンジンだけね」
と、レイヴン技術部の団長ジュディスが口にした。
彼女の補佐として(べったり)仕えている副団長ブライが言った。
「カズトヨさんはなんと?」
「そろそろ図面が出来上がるから取りに来いってさ。自分で起こせなかったのは残念だけど、あの人の頭の中身を知れるならそれで良いわ」
ブライは前方に聳えるスカイシップを見上げた。桟橋から望む空飛ぶ船は大型ライトに照らされ、どこか光り輝いているように見えていた。
「あれが空を飛べば…国内の通信網も回復させられるわね…」
「飛べば、ね」
闇夜に浮かぶスカイシップの周りに足場が組まれ、今も作業者が作業を行なっていた。ジュディスが開発した小型のランドスーツも存在し、工具が奏でるかん高い音が響き渡っていた。
ブライは周囲に人影がないことを確認し、ジュディスへそっと近寄った。
「──ブライ」
ジュディスはブライの湿った雰囲気を感じ取り、そっと距離を空けた。案の定、ブライは拗ねた顔付きになっていた。
「ここは職場、そういうの止めてって前に言ったよね」
「──でも、最近は全然会えていなかったし…」
「しょうがないでしょ忙しいんだから」
ジュディスは何かと甘えてこようとするこの歳上に困っていた。
自分から面倒を見るのは良いが、向こうから甘えてこられるのは少し違うように思う、そう考え始めていたジュディスは距離を空けるようになっていた。
「──ほら、早速人がやって来たじゃない」ジュディスはそう言い、桟橋の向こうを見やった。
彼女が言った通り、一人の女性がジュディスたちの所へ向かって歩いているところだった。その足取りは軽やかでしっかりとしており、動きに合わせて茶色の長い髪が左へ右へと揺れている。まるで大災害後の影響を受けていないかのように、生き生きとした女性だった。
ジュディスが彼女の名前を呼んだ、知り合いだった。
「フレア!」
「──ジュディスさん!」
フレアは元から明るかった顔をさらに輝かせ、太陽のようにぱっと笑顔を咲かせた。
「珍しいじゃないこっちに来るなんて」
「まあ、ライラさんに呼び出されまして…」
「そう…」ふっとジュディスの表情が翳り、あまり大きな声を出さずに「ヨルンさんは?」とだけ言った。
五年の歳月が経ち、もう子供ではなくなったフレアが大人びた表情を見せ、「良くはありません」と答えた。
フレアの母親であるヨルンの事をそれとなく知っていたブライは余計な口を挟まず、当事者同士の会話に耳を傾けていた。
「お医者さんが言うにはまだ瞳の色が褪せていないから大丈夫だと…けれど時間の問題だと…」
「そう…」
白化症を罹患した患者はウルフラグ国内でも数多く、ヨルンもその一人に過ぎない。治る見込みがない不治の病として認定され、国民から見放されている傾向にあった。
フレアは母親の看病を続けながらレイヴンの一団員として仕事をこなし、ジュディスたちに面倒を見られながら今日まで過ごしてきた。
姉を失い、母を失いそうになってもなお、フレアの輝きは損なわれることはなく、名の通り周囲に光りを与えていた。
作業が続いていたスカイシップの建造現場の明かりがぱっと落とされ、辺りが一段と暗くなった。夜勤従事者の休憩時間に入ったようだ。
さらに、桟橋の入り口が途端に賑やかになり、ぞろぞろと複数の足音がジュディスたちの元に届いてきた。
その中心には今日も変わらず、冷たいオーラをまとった総団長がいた。その背後にはすっかり困り顔が板についたクランもいた。
「おいでなすったわね、機械人形が」
「ジュディスさん、喧嘩は止めてくださいよ」
「ふん」
「クランもいるみたいね。──ということは、レイヴンの創立者が勢揃いしたってことになるわね」
ジュディスの傍らをしっかりとキープしていたブライが、少し寂しそうにそう言った。
ジュディスはそんな彼女の機微に気付いてはいたが、とくに気を遣うようなことはしなかった。
三人の元に到着したライラが、とくに挨拶を交わすでもなく「乗って」と端的に言った。
人が変わったように冷たくなってしまったライラを心良く思っていないジュディスが、「どこに?」と喧嘩腰に訊ねていた。
「スカイシップに」
「なんで?」
「大事な話がある」
帽子のつばに隠れたライラの瞳はどこまでも澄んでおり、そして冷たい。照明が落とされ、薄暗い中でも総団長の冷たさが皆に伝わっていた。
「ここですればいいでしょうが、というか私とブライはまだ仕事が──「乗って、大事な話なの」
冷たい視線と熱い視線が桟橋の上でぶつかり合う、折れたのはジュディスだった。
「──分かったわよ」
ライラが素早く後ろへ振り返り、お供をさせていた団員たちへ指示を出した。
「この場で待機、私たちが戻って来るまで誰も乗船させないように」
お付きの兵士が完璧な動作で敬礼し、見張りについた。
ライラがブライにも「待機していてください」と言い、彼女の返事も待たずに歩き出していった。
ジュディスはこれ幸いと、ブライから逃げるようにして総団長の跡を追いかけ、フレアとクランは「?」と首を傾げながら続いた。
◇
レイヴン創立者の四人が、処女飛行を目前にした船のブリッジに入った。空を飛ぶことを目的とした船であるため、ブリッジは湾曲した防圧ガラスを設置しており、艦長席から約一八〇度の視界が確保されている。その席の両脇には階段が置かれ、その先に管制官たちの席が用意されていた。
ブリッジに入ったライラが明かりを点ける、LEDに照らされた真新しい席があり、誰もまだ踏み締めていない床が露わになった。どこを見てもぴかぴかで綺麗である、けれどライラはそれらに目もくれず、早速話し始めていた。
「先日、元保証局員のクーラントさんと会った、その時にガングニールのハッキングを使ってナディのことを調べたの」
突然語り出した内容に三人は理解が追い付かず、「はあ?」という顔になっていた。
「結果は──」構うことなく話し続けるライラにジュディスが待ったをかける。
「ちょっと待ちなさいよ、いきなり何の話をしてるの?」
「だから、ナディの話を──「あんた、その話題嫌ってたわよね?それがなんであんたがナディについて話すの?もう諦めたんじゃなかったの?」
冷たい女王の顔にさっと亀裂が入り、三人が先程やったように「はあ?」という表情になった。
「──私が?ナディを諦めた?なんでそうなるんですか?」総団長モードが解除されると、ライラはジュディスに対して敬語を使う。理由は不明。
「あんたがその話題を避けてるからでしょうが!スカイシップの建造に夢中になってあいつの事なんて忘れたんでしょ?違うの?」
「はあ〜〜〜〜〜〜?頭大丈夫ですかジュディ先輩、仕事のし過ぎで頭おかしくなったんじゃないですか?」
「──んだとコラ──」
それから数分の間、ライラとジュディスはブリッジ内で追いかけっこをし、再び元の場所にひいひい言いながら戻って来た。
「はあ…はあ…はあ…はあ…」
「はあ…はあ…はあ…はあ…」
クランが「で?」と、冷たい女王より無慈悲なことを言った。
「話の続きは?」
「ク、クランさん…もう少し待ってあげましょうよ…」
「ま、待って…い、今…息を整えるから…」
クランは表に出していないが、内心ではホッとしていた。ジュディスがライラを嫌うようになったのもナディの話をしなくなったからであり、それはどうやら誤解だという事が分かったのだ。
ふう、と大きく息を吐き、ライラが話を戻した。
「──さっきも言ったけど、クーラントさんにナディの事を調べてもらったの。本当ならこの船であのクソムカつく白い壁を超えて直接調べるつもりだったけど…」
総団長の時は決して言わない砕けた物言いに、クランとフレアがくすっと笑みを溢す。
ライラが宣言した。
「──ナディは生きている、まだ死んでいないわ」
「…それは本当ですか?本当なんですかライラさん」
妹にあたるフレアが笑みを一転させ、怖いくらい真面目な顔付きでそう食い付いていた。
「間違いないわ、私を信じてフレア、あなたのお姉さんは壁の向こうで生きている」
「ああ──」フレアは今日まで姉を失ったと思っていた、それでもめげては駄目だと自分に言い聞かせていた。
その姉が生きていると知り、今日まで自身を支えていた強固なめっきがいとも簡単に剥がれ落ち、その場で膝を付いて嗚咽を漏らし始めていた。
傍らにいたクランがそっと肩を抱く、フレアは彼女の手に縋るようにして、声を出して泣き始めた。
「嘘じゃないでしょうねその話」
「嘘じゃないです、私はナディを迎えに行くため今日までこの船を作り続けていたんです」
「だったらなんでナディの話を避けていたのよ」
「もし、もし誰かが死んでいるかもしれないと言うのが、それを耳にするのが怖かったんです、だから避けていました」
「何よそれ…そういう事は私たちにも言いなさいよ!!」
「すみません、私だって強くないんです」
小さな団長はその場で地団駄を踏んだ、生意気で頼れる後輩に勘違いを起こし、今日まで一方的に嫌っていた自分に対して。
「──私だって大して変わんないわよ、皆んなだってそうよ、あんたがレイヴンをここまで大きくした事は素直に尊敬しているし凄いと今でも思ってる。でもちょっとぐらいは私たちを頼ってくれてもいいじゃない」
「すみませんでした…ジュディ先輩にそんな度量があったなんて知らなくて──」追いかけっこ第二戦の開幕である。「んだとコラあああ!!」と、ジュディスがブリッジにこだまするほど大きな声を上げ、再びライラを追いかけ始めた。
*
疲れた体にはお酒が一番──そう言って、新都の任務を終えてラフトポートに戻って来たナディたちはしこたまお酒を呑み、全員二日酔いで朝を迎えていた。頭痛い。
酷い胸焼けと吐き気を感じ、ナディが目を覚ました。
「うぅ…きぼぢわるい…」
体を起こすと胃袋に溜まっていたアルコールが喉まで迫り上がってきたが、根性で何とか堪えて辺りを見回す。ナディの周囲にも似たような死骸がいくつも転がっていた。
何をどれだけ呑んだのかなんてちっとも覚えていない、ナディは起き上がることを諦め、もう一度固い床に体を預けた。
メインポートのお食事処へヴィスタがやって来た、ナディたちが二日酔いで全滅している所だ。彼は死骸を睥睨した後に、一人ずつお尻を蹴飛ばして回った、男女問わずの問答無用である。
「──いたあ?!」
「あたた?!」
「え、な、なに?!」
「んむぅ?!」
「──っ?!……Zzz…」
ヴィスタは腹が立って腹が立って仕方がなかった、昨日もアーキアの迎撃にあたっており、朝日が顔を出した今し方にようやく終えた直後である。
蹴り飛ばしても起きなかったウィゴーの大きな耳たぶを掴み、無理やり起き上がらせた。
「──いたたたた?!ジュディスちゃん痛いよ!もっと優しくして!!」
「生憎と俺はジュディスではない」
「ん…?ああ、ヴィスタ…ん?ここどこ?」
ヴィスタは掴んで離したウィゴーの耳たぶをもう一度掴み引き寄せ、「ラフトポートだこの呑んだくれがっ!!!!」と大ボリュームでキレた。
◇
「お前ら俺に報告せず酒に走るとは…」
(お尻痛い…)
ヴィスタに尻を蹴飛ばされ、無理やり起こされたナディたちはいつかの会議室にいた。皆、胡座をかいて座っている、下着が見えようがお構いなしだ。
そんな霰もない女性陣の姿にヴィスタは目もくれず(そもそも興味がない)、新都で起こった出来事について報告を求めた。
一応ナディたちのリーダーを務めていたウィゴーが首を捻りながら「なんだっけ…」と呟き、それから話し始めた。
「失敗…になるのかな…いや、どうなんだろうか…」
「何があったんだ?」
ガイア・サーバーの顛末を真近で見ていたナディが口を開いた。
「かくかくうまうま」
「馬鹿にしてるのか?──それは文章で示す略語であって口にするものじゃない!」
ナディがヴィスタにマジギレされ、周囲にいた何人かが顔を俯けて笑いを堪えている。
「えっと…私もよく分かってないけど…なんか、自動修復壁?のプログラムがどうのこうので…アダムとイヴっていう人格があって…それで大きな船に乗り込んで最後は星?みたいなものに丸呑みにされてた」
「お前は一体何を言ってるんだ?かくかくうまうまと同義だぞ?」
「──仕方ないでしょ!見たまんま伝えただけだし!」
ガイア・サーバーから帰還し、ウィゴーたちにも同じ説明をしたが同じ反応が返ってきた。「え、結局どういう事なの?」と皆が煙に巻かれたようになり、その後は復帰したノウティリスから追いかけ回され、撃墜されたアヤメとナツメの無事を確認する暇もなく彼女たちは新都から逃げ出していた。
任務は成功したのか失敗したのか誰にも分からず、「このモヤモヤは酒で流そうぜ!」と相なって今朝に至る。誰も悪くない。
話を聞き終えたヴィスタがあからさまな溜め息を吐いた。
「──よくわからない、グガランナに報告を求めるとしよう。──この呑んだくれ共め!次こんな醜態晒したら今後酒類の提供は禁止するからな!!」
徹夜明けで機嫌がすこぶる悪いヴィスタがそう締め括り、こういう時だけは息が合う皆んなが一斉に「ごめんなさい」をした。
ガイア・サーバーに攻撃を仕掛けていた赤い死神あらため、ヒルド・ノヴァが所属するヴァルキュリアがジュヴキャッチのラフトポートにやって来たのはその日のお昼頃だった。
ポート中に響き渡るサイレンの音に、ようやく眠りに付いたヴィスタが叩き起こされ、ようやく二日酔いから回復したナディたちも「何事か?!」と騒然とした。
イベントポートに群がる人たち、皆んな威風堂々と海を渡ってくる船に圧倒されていた。
ナディたちも船の前に到着し、マカナが鋭く「あ!」と声を上げた。武装して待機していたメンバーに「あれは違うから!」と声をかけて回っている。
「あれって…」
ナディとアネラはその船に見覚えがあった、戦乙女の母船、ヘイムスクリングラ。
「名前なんだっけ…へ、へ〜リングラとかいう奴だよね」
「──ヘイムスクリングラ!!──皆んな大丈夫だから!あの船は敵じゃないわ!」
マカナの言葉に安心したポートの人々がいよいよ野次馬に徹し、小さな子供まで集まったきたところでヘイムスクリングラから一機の戦闘機がびゅや!と飛んできた。
四枚の主翼を持つ変わった機体だ、これも見覚えがある、というか昨日見た。
「カゲリちゃんだ!」
戦闘機がイベントポートの上空に差しかかり、そこからゆっくりと高度を落としていく。
海に着水した時にコクピット内に二人いることが分かり、しかも狭い機内なのに器用に喧嘩しているではないか。
一人はヘルメット姿のパイロット、もう一人は二つのアンテナを耳のように生やした大柄なロボットだった。
「あれ、あの人って…」
「もしかして…」
その人にもナディたちは見覚えがあった。
キャノピーが開くとやっぱり喧嘩していた二人の声がポート中に響いた。
「──世の中にはなあ!私みたいな絶壁を愛してくれる人がいるんだ!世のロリコン愛好家に謝れ!この女ったらしが!子供は眼中にないってか!」
「それが当たり前なんだよ!お前は一体何にキレてるんだ!胸に手が当たったから謝っただけだろ!」
「大事な胸を筋肉に変えてどうするんだ?って言ったよね?!」
「すまない、本当にがっかりしたからつい本音が…」などと、馬鹿げた内容で喧嘩をしていたのはカゲリ、それから今も昔も変わらずヴァルキュリアを預かるオーディンだった。
締まらない登場の仕方をした司令官が微妙な空気を放ちながらポートに降り立った。
「あ〜…ヴァルキュリアのオーディンだ、故あってここに来た「もう誰もあなたになびかないですからね。女漁り?「違うわ馬鹿たれ!!」
「なんなんだこいつらは」みたいな空気になり、人だかりの中にいたナディはこれなら声をかけても大丈夫だろうと思い「カゲリちゃ〜ん」と手を振って挨拶した。
「──ナディ様!「あいたっ?!」
カゲリは司令官の脛を器用に蹴っ飛ばしてから駆け出し、桟橋の上を駆けた。そして、アネラたちと一緒にいたナディに勢いを殺さず抱きついていた。
「久しぶ──ぶっふぅ?!」
「なんかエネルギーの塊みたいな子」
「ご無事で何よりです〜!こんなに大きくなって私は嬉しいです!」
「謎の親目線」
イベントポートにいた男共が「おお…」と響めく。セレン三人衆はポート内でも高嶺の花として知られており、お近付きになりたくてもなれない野郎共がごまんといる。それなのにカゲリはいとも簡単に懐へ飛び込んでいた。
「俺たちも勉強せねば…」と野郎共が感心しているところへ、早速挑戦者が。
「──あなたは、オーディンさん、ですよね」
「………」
ナディたちの前にオーディンがぬっと近寄っていた。ナディとアネラにとっては因縁深い、とまではいかなくとも浅からぬ関係を持つ人物だ。
オーディンは無言である、ナディの胸にひしと頭を埋めているカゲリを睨んでいるように見える。
「え、ええっと…?」
ナディがおずおずといった体で声をかけると、オーディンが優雅な仕草でその場で膝をつき、こう宣った。
「──俺と結婚してくれないか?お前はどの女よりも美しい」
「…………」
ガチ求婚。ナディの美貌に頭がやられた根っからの女ったらしは、人の目も憚らず高嶺の花に手を伸ばしていた。
マカナが武装していたメンバーに「全力でやれええ!」と号令をかけ、一時イベントポートが戦場と化した。
◇
何をしに来たのか良く分からないカウネナナイ一の遊撃部隊を迎えたジュヴキャッチのラフトポート、まだまだハフアモアも余っているという事もあり食べ物を量産して彼らに振る舞い、お祭りのように賑やかな騒ぎを見せていた。
ガチ求婚したオーディンはポートから追い出され、船のブリッジで待機中である(禁固とも言う)、五年ぶりに再会を果たしたフランはマカナとナディに挟まれ顔を綻ばせていた。
「むひひ〜」
「なんちゅう笑い方」
ナディもフランと再会することができて喜んでいる、ただ、彼女は車椅子に座っていた。
「足が悪いの?」
「ん〜?そりゃあね、奇跡的な生還だったから、でもこれ自分で選んだ道だから気にしないで。──とくにマカナ、さっきから気にし過ぎだから」
「そうは言っても…」
「私の背骨と腰は義体、本当なら車椅子を使わないで済むようにできたんだけど、特個体に全振りしたの」
「全振りってまさか──あなたねえ〜」とマカナはフランの真意に気付き、心底呆れたように溜め息を吐いた。
車椅子に座っている彼女が手を空へ向かって大きく伸ばした。その先には、もうそろそろ出番がなくなる大きな入道雲があった。
「空を飛びたい、それも思いっ切りにね!義体は特個体用にチューニングされた特別仕様、だからマカナ、私はあなたのことを恨んでなんかない」
ヴァルキュリアと再会を果たしてもなお、マカナはどこか暗い翳を落としていた。けれど、フランにそう励まされ、ようやく笑顔が彼女に戻った。
「──あっそ、それならいいよ。またいつか勝負しましょう」
「いいねそれ!受けて立つわ!」
「フランちゃんも変わんね〜」
「むひひ〜」
子供っぽい笑い方をしているがフランも立派な淑女である、けれど彼女はナディとマカナの手を握って体を右へ左へ揺すって喜びを表現していた。
フランが「あ!」と何かを思い出したようだ。
「そういやあの変な機体はナディたちの仲間なの?青い奴とトリッキーな奴」
「──ああ、あの二人なら…どこだろ、確かこっちに来てるはずなんだけど──あ、いたいた、カゲリちゃんに捕まってるっぽい」
ナディたちはお食事処前に展開された屋台の前で話しており、一つの人垣を越え、その先にオリジンメンバーに絡んでいるカゲリがいた。彼女は「フラン様に負けたんですよね?」と突っかかり、「私があの戦闘狂に取り計らってあげましょう」といちゃもんをつけてあれやこれやと奢らせようとしていた。
「あの子ほんと誰にでも物怖じしないわね」マカナが感心した様子を見せる。
「あれは絶対将来化け物になるわ」フランも同意し、「うんうん」とナディも首肯していた。
「で?結局フランたちはどうしてこっちにやって来たの?ただ友好を深めに来ただけ?」
「なんだっけ、凄い大事な話があったんだけどモンローのせいで忘れた」
「モンローって誰」
「ヒュー・モンロー、オーディンの本名よ。ほんとあいつったら船内の女性陣に悪戯ばっかりしてトラブルばっかり起こすんだから、みーんな見放してるわ」
「へえ〜フランがね〜あれだけ格好良いって言ってたのにね〜」
「それはマカナもじゃない」
「まあ確かに」
ヴァルキュリア談義が始まり、会話についていけないナディは二人からそっと離れ、カゲリの元へ向かっ──えず、背後から忍び寄ってきたラハムにゲットされていた。
「──ナディさんゲットだぜ!!」
「ああもうびっくりさせないでよラハム」
「ちょっとナディさんこっちに──」ラハムが抱きしめたままずるずるとナディを引っ張る。
「な、なに?」
「ラハムには手が負えません、オハナさんという方の話を聞いてください!お酒を勧めたらそのまま呑んだくれて泣き上戸になって収集がつきません!」
「いや知らん!それはラハムのイベント!」
酒が振る舞われている所で美女同士の組んず解れつが始まった、辺りに男や女も関係なく「混ぜてくれ〜!」と二人を囃し立て、より一層ポート内が賑やかしくなっていった。
誰もヴァルキュリアがやって来た理由も気にかけずに、みーんな酔い潰れるまで祭りを楽しんでいた。
*
太陽が沈み、空も海も暗黒に覆われた時間、桟橋の上を一人の男が歩いていた。ゆっくり、一歩ずつ、その足取りには自信があり、けれど迷いもあった。
男が向かう先には一隻の船があり、大きく不細工に空けられた穴があった。桟橋からその穴を通って船内へ入るための入り口だ。
男が穴を通って中へ入り、人の気配はするが誰もいない船内通路を一人ゆっくりと歩く。
(──ん、誰か来るようだ…)
男は何も侵入して悪さをしようなどと考えていない、けれど目深に被ったフードはさすがに怪しまれると思い、さっと払った。
歳は四〇代くらいであろうか、子供の純真さを忘れ、青年の世に対する怒りにも慣れ、己が成すべき事を良く理解した中年の顔付きをしていた。端的に言ってカウネナナイ人である、肌は浅黒く、さっぱりと整えられた髪は黒い。それから右耳には娘と同じ、赤いピアスが付けられていた。
前方からやって来たのは、ボランティアとして船に詰めている看護士の女性だった。男は気さくにその女性を呼び止めた。
「やあ、夜分遅くにすまない、見舞いに来たんだ」
「そうですか」女性は男の言葉を疑っている様子はない。
「その方のお名前は?」
「ヨルンだ」と、男が口にした。
波に飲まれ、街は建物と人を失い、人も家族と家を失い、それでもこの世界で生きている。
世界を管理している、と、のぼせ上がっている老人共の庭で生きるマリーンの人々を男は心から憂いていた。
そして、生涯でたった一人愛した女が、こんな世界の隅っこのような、庭の端に貯められた雑草の中にいるような、寂れた部屋に置かれたベッドで横たわっていることが、男は何より堪えていた。
看護士に案内してもらった部屋に入り、男がそっと声をかける。
「ヨルン…起きているか?」
「……ああ、ティダ…やっと、戻って来たのね…」
白化症に罹ったヨルンの髪は真っ白だった、手足も細く、思うように食事が取れていない証拠だった。
ヨルンは朧げながらも、ベッドの傍らに立つ男が誰かすぐに分かった。愛した男が居ると分かった彼女は、安堵感が胸いっぱいに広がっていくのを感じていた。
「すまなかった…ずっと一人にさせて」
「ナディが…ナディが、帰ってこないの…」
「あの子なら大丈夫だ、僕がこの目で見てきたよ」
「本当…に?本当なの…?」すぐそこに広がる海のように、暗く翳っていたヨルンの瞳に光りが差した。
「ああ、君と良く似て、けれど目元は僕にそっくりで、君が嫉妬しそうなほど美人になっていたよ。あれは将来きっと苦労するだろうね」
「そう…そう…そうなのね…」
ヨルンはこの目で娘を見るまで生き続けるつもりでいた、たとえ訳の分からない病気に罹ろうとも。だが、愛する男から娘の様子を聞かされたヨルンは、自分の中で何かが切れたのが分かった。
光りが差した瞳、虹彩部分がさっと白色に転じ、一粒の涙が溢れ落ちる。
(よし、これでいい)
ティダは最後の砦でもあった瞳の白化を確認し、愛する女からそっと離れた。
「ヨルン、先に向かっていてほしい、すぐに追いつくよ」
ヨルンが最後にこう言った。
「分かった…待ってるわ…」
夜の当直にあたっていた看護師は来た道を必死になって引き返していた。先程、ティダが声をかけた女性だ。
(そんなどうして!さっきまでは──)
病室で床に伏せっている患者の一人の心拍が停止したのだ、だから彼女は先を急いでいた。
入った病室は、
「──ヨルンさん!ヨルンさん!」
誰もいない病室、開け放たれた窓から入り込む蒸し暑い風が、息絶えたヨルンの髪を優しく揺らしている。
一児の母は安らかな寝顔でこの世を去っていた。