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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
275/335

TRACK 24

パラダイス・ロスト



 長い年月の間、雨に打たれて所々が白く変色している面格子の向こう側、そこには一面の青色の上にぽつぽつとした白色があった。

 

「アダム、あれは一体何なのかしら?」


「毎日眺めているけど、僕にだって分からないよ、イヴ」


 いつ見ても不思議な景色だった。一日として同じ模様はなく、その白色は常に変化を続けて様々な形を描いていた。

 今は汚い円だ、少し前までは綺麗な円だった、それが中心からぐにゃりと歪んで汚くなっていた。

 青色も時間帯によって変わる、起きたばかりの時は薄い青色で、お腹が空いた時に見せる色は深い青、二度目にお腹が空いた時は黄色からオレンジ、三度目にお腹が空いた時は黒である。

 二人は不思議だった、ころころと変わっていく面格子の向こう側の景色が不思議でたまらなかった。だから二人は互いに手を握り、互いの熱を感じながらじっとしていても退屈ではなかった。

 壁一面が面格子になっている部屋へ一人の召使いがやって来た、その手にはアダムとイヴのために用意された料理がある。


「こちらをどうぞ」


「いつもありがとう」


 イヴが老人からトレーを受け取った。肉が良く焼けた香ばしい匂いが立ち、色取り取りの新鮮な野菜も添えられている。

 

「今日もとても美味しそうだわ」


「この食べ物は外に沢山あるのかい?」


「教える事はできません、ご了承ください」


「そう…残念だわ」


 二人は──『空』、『肉』、『野菜』という言葉すら知らず、ただ神が作った箱庭の中で生きていた。



 二人の世話係として創造された老人は、何の知識も与えられず部屋の中に閉じ籠められているアダムとイヴを常々憂いていた。普通に可哀想、そんな感じである。

 老人は神に進言した。


「神よ、あの二人を部屋の外に出してはどうか」


 神が答えた。


「その必要は無い、あれなるはただの遊戯だ。盤上に置かれた駒に知識を与えても無意味なり」


「しかし、あの二人は確かに生きている、駒と違って自らの意思で外を眺めている。せめて野原に立たせてはどうだろうか」


 神が答えた。


「──だから無理だっつってんじゃん、こっちだってあの二人の管理に手を焼いてんのに。なに?情でも移った?」


 大樹を背にして老人の主人たる神が座していた。神の威光を示すように大樹の葉は輝き、空も黄金色に染まっていた。

 老人は石畳みの地面に落ちいていた一つの果実を手にした。

 その果実は良く熟れてずっしりと重たく、つるりと光っていた。


「神よ、せめてこの果実だけでも彼らに…」


 あまりにしつこい召使いの進言に神が折れた。


「分かった分かった好きにしろ」


 老人は果実を懐に収めて神へ頭を垂れ、それからアダムとイヴの元へ向かった。

 




 球体状の新しいコクピットにパイロットが収まり、外からハッチが閉じられた。

 ハッチを閉じた男がパイロットに向かって、格好良い声で言った。


「とりあえずこれが最後だ。絶対に落としてこい」


 パイロットは何も答えず発進準備を進めていた。

 まず、コネクト・ギアに接続用ケーブルをセットしていた。パイロットのギアは全身の神経が集中している首にあり、直径一〇センチはあろうかという大きなケーブルを繋いでいた。

 ついで、機体制御プログラムとパイロットの神経系がリンクし特個体のメインシステムが立ち上がった。ホログラム式コンソールに表示された機体パラメータはオールグリーン、けれどパイロットのメンタルが一部オレンジになっていた。


(大丈夫、大丈夫、今度こそ成功させる)


 パイロットは自身のメンタルに気を付けつつも、機体──『ヒルド・ノヴァ』をリニアカタパルトにセットさせた。

 全身くまなくレッドにカラーリングされた機体だ。五年前の大災害時に何とか生き残ったヘイムスクリングラのデッキから、新都方面へ向かって出撃指示を待っている。

 そして、すぐに指示が下った。


「──ブリッジよりパイロットへ、発艦許可が下りました、ユーハブコントロール、ユーハブコントロール。バッテリー残量と飛行高度に気を付けて任務にあたって下さい、今日もあなたの帰りを待っています」


 パイロットが応答した。


「アイハブコントロール。フラン・フランワーズ、発進します。──カゲリに私のお菓子を食べるなと言っておいて下さい!!」


 リニアカタパルトの電圧が臨界点を超え、機体総重量約五トン(これは一般的な特個体と比べて著しく軽い)のヒルド・ノヴァを一面の青い世界へ飛び立たせた。

 彼女の任務はガイア・サーバーを破壊すること。

 作戦名『パラダイス・ロスト』。

 原初の人類が毎日のように眺めていた空を、ヒルド・ノヴァが二本の白線を残して飛んでいった。





 石造りの窓枠に引っ付いているフジツボを眺めながら、ナディは部屋の中でじっと待機していた。


(ここもちょっと前まで水没してたんだろうな〜)


 待機している場所は新都の軍港、その中にある兵士たちの詰め所だった。

 部屋の中には木製のテーブルと棚が置かれ、テーブルの上にはお客様用のグラスと飲料水が入った瓶があった。

 ナディはその飲み物には手を付けず、少しぐらぐらする椅子に座って長い足を組み、ひたすら外を眺めて時間を潰していた。

 青い空にぽつぽつとした雲、それから枠組みに引っ付いたフジツボの群れ、何ともパッとしない景色だ。

 用足しに出ていたマカナとアネラが部屋に戻って来た、彼女たちもナディと同様に待機指示が出されている。


「戻ったよ〜ん」


「私の分もしてくれた?」


「馬鹿じゃないの?できるわけないでしょ」


 冗談を交わした二人を見て、アネラは気付かれないようにそっと微笑んだ。

 ジュヴキャッチのラフトポートから航空母艦バハーに乗船し、ここ新都までやって来ていた。

 マカナたちもナディの隣に腰を下ろし、用意されていたグラスに飲み物を注いだ。


「グガランナ…だっけ?私たちに顔を見せなかったね」と言いながら、一つのグラスをナディへ渡した。

 

「まあ…合わせられないんだと思う、仕方ないよ」


「ナディは怒ってないの?身内を裏切った事に関して」


「うう〜ん…怒りより戸惑いの方が強いかな。何でそんな事したの?っていう感じ」


「相変わらず──」マカナは自分で注いだグラスに口を付けて、「人が良いね〜優柔不断とも言うけど」と言った。

 

「マカナ、私の分は?」


「自分で入れな、ちょっとその怠け癖も良くなるんじゃない?」


「まあ〜なんて意地悪な…」と言いつつ、アネラは自分の分をグラスに注いでいた。

 それぞれが喉を潤した後、部屋に一人の老人が入って来た。その老人は背骨がぐにゃりと曲がり、この暑い時期にも関わらず厚手のローブを羽織っていた。その裾は汚れて破れ、見るからに見窄らしかった。

 

「ご機嫌ようお嬢さん方、少し時間をもらってもいいだろうか」


 三人は首を傾げた、何故今?

 マカナが返答した。


「ああ〜…お爺さん?今ちょっと私たち任務──仕事中でね、暇そうに見えるかもしれないけど」


「少しだけでいいんだ、駄目だろうか?」


 背骨が機能していない老人はずっと顔を俯けている、三人から表情は窺えなかった。

 アネラが優しく訊ねた。


「お爺さんはこの街の人?どうやってここまで来たの?帰り道が分からないなら人を呼ぼうか?」


 三人がいる場所は街から一度お城へ入り、そこから連絡通路を渡った先にある、およそ一般人が入れるような場所ではない、なのにこのお爺さんはここへやって来た。アネラは迷子になったのだろうと考えていた。

 老人が言った。


「──この果実を届けたいんだ、その手伝いをしてくれないか?この通りわしは足腰が弱くて体も思うように動かない。どうかこのおいぼれの願いを聞いてやってはくれんか」


「届けるったって──」老人の手には林檎が一つ握られていた。

 今の環境では珍しい良く熟した林檎だった、傷も付いておらずつるりと光っている。

 今度はナディが訊ねた。


「誰に渡せばいいの?」


「そ、それは…」老人が言い淀んだ。


「待ってナディ、まさか聞くつもり?こんな時に?」


「いやだって、もしかしたら兵士の家族の人かもしれないし──」老人に聞こえないよう、マカナとナディがひそひそと話していたが、街全体に響き渡る大きな警報音が聞こえてきた。

 赤い死神の出現である。

 三人は弾かれたようにだっと立ち上がり、迷子の老人を安全な所へ案内しようとするが──


「え?」


 そこに立っていたはずの老人の姿はなく、老人が手にしていた一つの林檎だけが床に落ちていた。


「逃げ足早っ!」


「ええ〜その林檎どうすんの?」


「とりあえず持って行くしか…」ナディが床に落ちていた林檎を拾い上げた。


「うわ重、林檎ってこんなに重たかったっけ?」


「実が詰まっている良いやつなんじゃない?──そんな事よりも!早く行こう!」


 ナディは拾った林檎を手にしたまま、母船である三胴船へ向かって行った。





 神から許しを得た老人は必死になって考えていた、どうすればアダムとイヴの二人に知識を授けられるだろうか、と。

 神御坐す神殿にはいくもの部屋があった。可哀想な二人が過ごしている物と同じ、面格子の窓に囲われた牢獄のような部屋が。

 老人が歩いている通路にはドアが並び、その一つ一つの部屋にもアダムとイヴに似たような人間たちが住んでいた。皆、失敗作である。

 老人は先を急いだ、革靴が床を叩き、急かすようにして乾いた音が通路に反響している。


(──そうだ、この林檎に知識を詰め込めば良い。一口食べたら空を知り、二口食べたら食べ物を知り、その次は自分たちを知り、その次は神を知り、その次は世界を知り、最後は自分たちがいかに不遇な環境にいるかを知るように)

 

 そのように閃いた老人に柔和な笑みが浮かんだ。

 老人は二人の部屋に向けていた足先を変え、自分の私室へ急いだ。

 部屋に帰ってくるなり、書物や調度品で汚れていた机の上を全てどかし、先ほど拾い上げた林檎を置いた。

 それから、彼のたった一人の友人である蛇を部屋に招いた。

 その蛇はすぐにやって来た。暇人なのである。


「林檎に知識を詰め込みたい?それはまたどうして?」


「アダムとイヴに教えてやりたいのだ、この世界の素晴らしさと残酷さを」


 蛇は物知りで人の機微にも熟知していた、だから老人はよく相談を持ち掛けていた。

 いつもならすぱすぱと答えてくれる友人だったが、この日ばかりは違った。


「ううん…それはどうなんだろうか、俺はあまりおすすめしないな」


「それはまたどうして?君なら賛成してくれると思っていたのに」


「知識を得るという事は後戻りできないという事だ、あの成功作が今の環境に戻れなくなるという事、もしかしたらあの二人はあの部屋で過ごすことに満足しているかもしれない」


「それは分かる。だが、知る権利すら奪うのはあまりに可哀想な事だ」


「それも分かる、君の言う通りだ。けどね〜…こればっかりは…」


 白黒はっきりさせない友人の物言いに、老人が呆れた様子を見せていた。


「──分かった、これは私が決めた事だ、君の言葉に期待するのはよそう」


「そうかい、良い方向へ行くよう祈っておくよ」


 そう言った蛇が部屋から去り、それから老人は書物に記された文字の一つ一つを丁寧に剥がして林檎に詰め込んでいった。 

 あの二人が真実を知り、事実を見極め幸福になれるよう、そう祈りながら一冊目、二冊目と林檎へ詰め込み、三冊目も全て白紙のページに変えた時──林檎が内側から爆発してしまった。


「そんな!どうして…」


 彼の手元には爆発してしまった林檎と散乱した文字だけが残った。





「ブリッジからヒルド、目標海域に大規模な部隊を確認、注意せよ」


「ヒルドからブリッジ、了解しました」


「今日は慎ましくやれ、頼むから」


「善処します」


「頼むから!」


「善処します」


「──カゲリにお前の宝石箱を開けるように指示を出すぞ」


「くっ──慎ましくやればいいんでしょやれば!!」


「俺よりお菓子の方が上なのか──まあいい、さっきも言ったが大規模な部隊がガイア・サーバー周辺に展開している」


「このヒルドの錆びにしてくれるわ!!「聞いてたか人の話。毎度毎度お前が暴走してバッテリー切れを起こしていただろ!もう時間が無いんだ!今日がラストアタックなんだよ!」


「中途半端な相手ばかりだったから今日はいけると思うわ!私が全力を出せばあんな奴ら──「おいカゲリを呼べ!こいつの宝石箱を空にさせろ!「──やめてって言ってるでしょ!!」


 低い位置にある雲を突っ切るようにしてヒルド・ノヴァが飛行していた。その先、約五〇キロ地点には目標であるガイア・サーバー(パラダイス)があった。

 新都の軍はヒルド・ノヴァを迎え撃つように扇形に展開しており、その中心部にさらに複数の部隊が存在していた。

 相手は万全の体制を敷いているという事だ、今日まで手加減を加えて戦闘を行なっていたフランは気分が高揚し、オレンジだったメンタルがレッドに切り替わった。

 そう、彼女はひどく興奮していた。

 彼女は戦うことが好きだった、ヒルド・ノヴァと一体になって空を駆けることに喜びを見出していた。

 ──稀代の天才パイロット、リー・キングのように。

 五年前の戦闘の際、彼女は半身不随となりながらも奇跡的に生還を果たすが、一人で日常生活を送ることが困難になっていた。

 彼女の背骨と腰は義体である。その中を通る神経も全て、神経伝達力を強化した擬似神経繊維だった。

 だからこそ、ヴァルキュリアが開発した新型機、通称『ノヴァシリーズ』の機体性能を最大限に引き出せていた。

 飛べば飛ぶほど、新都に近付けば近付くほど、彼女の心臓が大きく脈を打ち、脳から全身へかけて大量のアドレナリンが放出された。その神経伝達物質はヒルド・ノヴァにも供給され、全長一八メートルの巨躯を支える擬似筋肉繊維にも多大な力を与えた。

 対物距離が二〇キロを切り、ヒルド・ノヴァが新都の軍からロックオンされた。

 フランはホログラム式コンソールを全て消し、三六〇度フルパノラマのコクピットモニターを展開させた。それから光学迷彩式のパイロットスーツも透過させ、フランはヒルド・ノヴァと一体になった。

 今の彼女の視点からは自分の体は見えない、どこまでも広がる空と眼下にある広大な海、それから展開している部隊とその中心にある一本の大樹だけが視界に収まっていた。

 彼女はヒルド・ノヴァと同化した。

 逸る鼓動が抑えられない。


「──さあ!行くわよ!」

 

 彼女は任務の事も忘れて超打撃特化の近接武器(鉄筋コンクリート)を振り上げた。

 真下にいた新都の部隊がぱっと散開するも、フランは構わず鉄筋コンクリートを海へ叩きつけた。

 敵部隊に対する威嚇と目眩しである、盛大に上がった水飛沫が視界を悪くし標準を狂わせる、フランの常套手段。

 普段ならこの飛沫の中でも新都の部隊は構わず発砲してくる、そのマズルフラッシュの位置を頼りにして奇襲を仕掛けていたが、今日は違った。

 再度ロックオンアラート、飛んで来たのは鉛玉ではなくミサイルだった。


「──何だってえ〜?!ミサイルう?!」


 新都の軍は今まで一度としてミサイル武器を使用していなかったはずだ、それなのにミサイル弾頭がこらちに迫ってくる、フランはデカい独り言を言いながら回避行動に移った。


「こんな事ならフレアを積んでくれば──」ヒルド・ノヴァが後方へ下がる、距離を取ってミサイルの処理に移ろうとするも、三度ロックオンを受けた。

 展開している部隊より後方、亜音速で近付いてくる反応が一つ、IFFは不明、未確認機である。


(──キタっ!!)


 フランは鉄筋コンクリートへ可変用に設定した電流を流し、二丁のアサルトライフルに変化させた。

 飛沫が晴れて視界がクリアになる、晴れた先にいたのは深い青色をした特個体だった。禍々しいデザインに、頭部には角のようなアンテナがある。

 フランは未確認機にレティクルを合わせてトリガーを引いた。お互い初見のはずなのに、相手は難なく避けてみせた。


「やるじゃない!初めて可変機構をお披露目したのに!」

 

 フランのテンションはさらに上がっていく。

 ライフル弾を回避した未確認機が距離を離し、散開していた新都の部隊が再び結集してミサイルの雨を降らせた。

 今までにない状況、不利な立場なのにフランの気分はさらに高揚していった。

 彼女もヤバい女である。

 フランは二丁のアサルトライフルに電流を流し、二つのライオットシールドに変換させた。それを頭上に掲げ、後ろへ下がらせていた機体を前へ進ませた。ただの突進である。

 ミサイルが降ろうが頭上で爆発しようが、ヒルド・ノヴァは構うことなくミサイル部隊へ接近した。


「この距離ならこっちのもんよ〜!!」


 接近に成功したヒルド・ノヴァはシールドによる面打撃、バン!バン!バン!と虫を殺す要領で敵部隊を片っ端から叩き、次から次へと沈黙させていった。

 ヒルド・ノヴァの攻撃を免れた部隊が撤退、代わりに青い未確認機が接近してきた。


「良い連携じゃない!後方へ下がらせて戦力温存!──あんたが私を楽しませてくれんるなら最っ高だわ!」


 ライオットシールドからまた鉄筋コンクリートに変換させ、ヒルド・ノヴァは真正面から未確認機を迎え()()()

 文字通りである、正面から攻めてくる未確認機をバットでスウィングする要領で打ったのだ、結果はホームラン。


「あれ?案外大したことなかったわね」


 超重量物を真正面から叩き込まれた未確認機は一瞬で沈黙し、孤を描きながら海ポチャした。





「………」

「………」

「………」


 眼前で起こった出来事に固まっているのは三人。一人は船から、もう二人は特別個体機から。


「嘘でしょ…あのナツメが瞬殺?」


 あのアマンナですら度肝を抜かれたようで、信じられないものを見ているように呟いた。

 アヤメがナツメの無事を確認した。


「──グガランナ!ナツメは?!」

 

 返答はすぐにあった。


「パイロットは無事!バイタルサインは確認したわ!それよりも──プエラ!あなたが付いていながらどういう事なの?!」


 バルバトスを撃破した赤い死神はさらに勢い付き、グガランナたちが提供したミサイルポッドを装備している新都の部隊を蹂躙し始めていた。

 まるで大人と子供の喧嘩だった、赤い死神は対物距離に関係なく自前の武器を変幻自在に変化させ、フルレンジで新都の部隊を海へ沈めていた。

 グガランナに叱られたプエラからようやく返事が返ってきた。


「だって…だって…久しぶりだったから…ナツメと一緒に飛ぶのが久しぶりだったから嬉しくて──ごめんなさっ、ごめんなさ〜〜〜い!」嗚咽混じりにマキナの司令官が泣き崩れてしまった。

 

「──アマンナ」相棒兼恋人の名前を呼ぶアヤメの声は固い。それは眼前の脅威に対する緊張によるものか、あるいは武者震いによるものか。


「分かってる、アヤメもあれと戦いたいんでしょ」


「そう、喧嘩は一旦置いといて私と一緒に戦ってくれる?」


 汚い円をした雲の下、そこにアマンナ機がホバリング飛行で待機していた。

 雲が通り過ぎ、アマンナ機がその雲の影に隠れた。


「──勿論」


 アマンナがアヤメの願いに答えた途端、頭部のカメラアイが強い青色の光りを放った。





 大したことなかった未確認機とミサイル兵装の部隊をあらかた倒したヒルド・ノヴァの元に、また新たな機体が現れた。


「今度こそ私を楽しませてよ〜!」


 先程と同様IFFは不明、速度はマッハ二、会敵まで一分もない。

 フランは流動性可変型携行兵装に電流を流し、ショットガンからお馴染みの鉄筋コンクリートに変換した。

 

「また打ってあげるわ!」


 ヒルド・ノヴァが鉄筋コンクリートを構えた。

 二機目の未確認機──ガイア・サーバーを背にして現れた特個体は赤と白のカラーリングをした機体だった。目に見えた武装はしていない、素手で立ち向かってくるようだ。


「私とあいつのカラーリングだなんて──良い度胸しているじゃない!!」


 フランはもうこの世にいない、昔のリーダーを思った。コードネーム『スルーズ』、自分のような我が儘で剣にしか興味がなかった偏屈をよく相手にしてくれた人だ。

 フランは未確認機の軌道にピッタリと合わせてコンクリートをスウィングした──手応えがない。


「!!」


 未確認機は信じられない事に、亜音速の状態から直角運動を行なったのだ、人間技ではない。

 ヒルド・ノヴァのスウィングを真下方向へ回避した未確認機がいつの間に手にしていたのか、大振りのハンマーを構えていた。


(もしかしてこいつも──)


 ヒルド・ノヴァはコンクリートを振り切った後だ、防御姿勢が取れない、未確認機のハンマーがすぐそこまで迫ってきている。


「──だったらあ!!」


 フランは振り切った姿勢のまま、膂力のみでもう一度コンクリートを振り回した。上半身の全てに激しい痛みが襲う。

 コンクリートとハンマーが打ち合った、鈍い衝撃がヒルド・ノヴァの全身を駆け巡る。

 結果は相打ち、相手型のハンマーヘッドは粉微塵に砕け、フランのコンクリートも半ばからボキリと折れた。

 相手は何の未練もなくハンマーをパージし、さらに距離を詰めてきた。


「ちょうど良い長さにしてくれてありがとう!」


 フランは素早く二振りの剣に変換し、手のひらを大きく広げて接近する未確認機を迎え撃った。

 相手の手のひらは仕込み銃のようで、ショットシェルがばら撒かれるも、フランは「だから何なの?」と言わんばかりに水平斬りを見舞った。

 ヒルド・ノヴァは頭部から左肩にかけて被弾、未確認機は刃が左腕に食い込んだ。

 被弾も厭わないヒルド・ノヴァの攻撃に未確認機が下がろうとするも、フランは食い込んでいる近接武器の柄を離してもう片方の剣を振るった。

 未確認機も負けじとショットガン仕込みの左足で蹴りを見舞う。


(──速い!)


 フランは未確認機の蹴りを危険と判断し、あっさりと後ろへ下がって距離を取った。

 低い位置を飛んでいた鱗雲の群れに入り、その端から抜け出したと同時にヒルド・ノヴァはロックオンを受けた。

 未確認機がロングバレルのライフルを構えていたのだ。

 ヒルド・ノヴァから少しズレた位置に銃口を向けている、フランは即座に理解し機体の速度を緩めた。

 間一髪、未確認機の弾丸が鼻先を掠めていった。

 相手の攻撃は終わらない、それから立て続けに発砲し、そのどれもがヒルド・ノヴァの頭部を狙ったものだった。


「こいつ──なんつう射撃精度!!」


 正確無比と言わざるを得ない。剣で無類の強さを発揮していたフランも、射撃ではスルーズに勝てたことがなかった。


(しまったこれがあいつの距離か!離れるんじゃなかった!)


 ヒルド・ノヴァは未確認機の射撃に翻弄され進退窮まり、距離を縮めることも逃げ出すこともできなかった。

 このままではジリ貧だ、いずれ墜とされる。

 フランが取った選択は、あえての被弾だった。

 

「カメラの一つや二つ、くれてやるわ!」


 未確認機は何故だか頭部しか狙ってこない、その狙いを利用しフランは相手の射線から逃れることなくあえて一発もらった。

 被弾(ヒット)、カメラが破損しスクリーンに乱れが生じた、けれどヒルド・ノヴァは前進、その手にはショットガンが握られていた。

 未確認機はヒルド・ノヴァの予想外の動きに反応が遅れ、接近を許していた。


「これでおあいこ!!」


 フランは未確認機の頭部に狙いを付けてトリガーを引いた、着弾(ヒット)、相手の頭部は装甲板が捲れ上がり、内部の躯体が露わになった。

 フランは攻撃の手を緩めなかった。


「──まだまだ!」


 ヒルド・ノヴァが破損した未確認機の頭部を掴み、ショットガンの銃口を胸部に当てがった。

 後はトリガーを引くだけ、だがヒルド・ノヴァに強い衝撃が襲った。

 未確認機の全身の装甲板が内側から弾け、四方八方へ飛んでいったのだ。その一部がヒルド・ノヴァに当たってしまい、攻撃を中断せざるを得なかった。


「次から次へとあんた一体何なの?!どんだけトリッキーなのよ!」


 装甲板の一部をパージした未確認機、会敵当初は丸いフォルムをしていたが、今は違った。


「──なに?もしかして今まで自分に制限をかけてたの?」


 身軽になった未確認機は痩せ型のフォルムに変わっており、見るからに高機動戦闘を得意としそうだった。

 一発当てればこっちの勝ち、フランはそう思った。

 ならば先手必勝とショットガンを構える──もうそこに未確認機はいなかった。


「──?!」


 背後から被弾、飛行ユニットの一部が破損した。


「ざっけんな──」


 振り向き様にフランはトリガーを引く、ショットシェルは何もいない空をただ通過していっただけだった。


「はあ?!──おごっ?!」


 今度は頭上から、鈍い衝撃だ、元々破損していた頭部がさらに壊れてしまい、スクリーンの視界がより一層悪くなってしまった。

 高機動戦闘に変わってから未確認機を一度も捕捉できていない、この時初めてフランの頭に「撤退」の二文字が浮かんだ。

 ──しかして、彼女は幸運な女の子。


(──見えた!!)


 フランは運良く、鱗雲の群れに映った未確認機の影を捉えることができた、ほんの一瞬だ、けれどそれで十分。


「はい──そこおお!!」


 フランは敵の方向を予知し、もう一度振り向き様にヒルド・ノヴァの拳を見舞った。

 結果はクリティカルヒット、未確認機の胸部を深く抉っていた。

 食い込んでいた拳を引き抜くと、未確認機は何ら反撃する動きも見せずに海へ墜ちていった。


「──ふん、まあまあだったわ。命のやり取りを覚えたらまた私に会いに来なさい、相手にしてあげる」


 二機の未確認機を屠った赤い死神がガイア・サーバーを目指して飛行した。

 もうこの空に彼女の邪魔をできる者はいなかった。





 アダムとイヴの為に老人があれやこれやと画策している間に、楽園(パラダイス)に綻びが生じ始めていた。

 楽園の異変に最初に気付いたのはアダムだった。


「イヴ、イヴ、あそこを見てごらん、何かがいるよ」


「何かって?」


「ほら、白色ではなく赤いんだ、初めて見たよ」


「──まあ、本当だわ、それに…随分と急いでいるみたいね。何だか私たちがのんびりとし過ぎているような…」


 イヴは空を走る赤い何かを見て、不思議と焦燥感に駆られてしまった。

 このままでは置いてけぼりにされてしまうような、アダムと二度と会えなくなってしまうような。

 ──()()()()?イヴは自分の気持ちに強い疑念を抱いた。


(どうしてかしら…このままではいけないような…いやだわ、こんな気持ちは初めて)

 

 イヴは椅子から立ち上がった。


「──イヴ?」


 彼女はふらりと窓際へ寄り、空を走る何かをよく確かめようとした。

 面格子を掴みぐっと顔を近付ける、その弾みでぼきりと格子が折れて落ちてしまった。


「ああ!壊してしまったわ…」


 彼女は空いた隙間から外を覗き込んだ。

 

「………」


「イヴ?何が見えるんだい?」


 アダムが訊ねた、けれどイヴから返事がない。

 彼はもう一度彼女の名前を呼んだ、「何かがあるわ」とようやく返事があった。


「アダム、こっちに来て、下にも白いものがあるの」


「本当に?」


 彼もイヴと並んで空いた隙間から下を覗き込んだ。

 彼女が言った通り、白いぽつぽつとした点がそこにはあった。それは鱗の形によく似ており、群れをなしているようだった。

 白い群れの先にも沢山の物があった、けれどアダムとイヴにはそれが一体何なのか分からず、ただ眺めているだけだ。

 

「あれは何だろうね…緑色、灰色…それから…うん、色んな色が沢山あるね」


「本当ね…上と違って下の方が沢山あるのね…」


 イヴは彼と話をしている時も芽生えた焦る気持ちを無視することができず、どこか上の空のように感じられた。


「知りたいか?」


 外の景色を眺めていた二人の元へ、あの老人が現れた。老人は様々な方法を試し、林檎に知識を詰め込むことに成功したのだ。

 二人は時間外の訪問に少し驚きを見せていた。


「今日は随分と早いんだね、まだお腹が空く時間ではないと思うけど」


「これを君たちに食べてほしい」そう言って老人は一つの林檎を差し出した。


「それは?」


「林檎、という果物だ」


「りんご…それなら、さっき上にいた赤い物もりんごというのかしら?」


「なに?上にというのは…」


 イヴは壊れた面格子の隙間を指差した。


「あそこにさっきまでいたの、すごく急いでいたわ」


 老人はイヴの言葉が耳に入ったはずなのに、彼女の相手はせずどこか急かすようにしてまた言った。


「どうか、一口だけでも食べてくれないだろうか?」


 良く熟れ、ずしりと重たい林檎をイヴが受け取り、何ら疑う様子を見せず口へ運んだ。


「────」


 イヴは一口食べた、甘くて水々しい果実が舌の上を転がり、噛めば噛むほどその果肉に詰まっていた文字が溶け出してきた。

 イヴは今日まで見上げていた一面の青い世界の事を知った。


「──空、って言うんだわ」


「…イヴ?」


 アダムは突然知らない言葉を口にしたイヴに困惑した。

 彼女がさらに一口食べた。


「──そう、これは果物と言って木になるもので、私たちが普段から食べていた物とは違うのね…」


「イヴ?どうしたんだい一体…さっきから何を言っているんだ?」


 イヴは林檎を食べる度に焦燥感が消えていくことを自覚し、もはやアダムの言葉に耳を傾けずさらに一口食べた。


「──さっき空を飛んでいたのは特個体という存在よ、名前はヒルド・ノヴァ。世界の崩壊を防ぐためにこの楽園を壊そうとしている」


 今度は老人も困惑した。


「──イヴ?君は一体何を言っているんだ?世界の崩壊?この楽園?──私はそんな知識を詰め込んだ覚えはないぞ!」


 イヴは林檎を食べ続ける。


「──楽園が消えたら私たちも消えてしまう、けれどそれで良いの、そうしないと悲しむ人が生まれてしまう。──でも、私は消えたくないわ、アダム、あなたとずっと一緒にいたい」


「それは僕だってそうだよイヴ、けど、さっきから君が言っている事が本当に分からなくて…その林檎に何か秘密があるのかい?」


 イヴは半分になった林檎をアダムへ差し出した。


「食べたら分かるわ、きっと彼が私たちの為に用意してくれた物よ。そうよね?」彼女が老人を見やり、名前を呼んだ。


「──ダンタリオン」


 老人が静かに頷いた。





 戦線が崩壊し、侵入を許してしまったガイア・サーバーは赤い死神から攻撃を受けていた。

 ナディたちがガイア・サーバーの元へ急ぐ、けれど士気は高くはなかった。


「ヤバい奴だよあれ、本当に私たちが相手にするの?というかできるの?」


 アネラの疑念は三人の気持ちを代弁していた。


「アヤメさんとナツメさんがやられるだなんて…ちょっと信じられない」


「………」


「マカナ?」ナディは無言になっていた友人を呼んだ。


「──いや、なんていうか…あの機体どこかで見たことあるような、ないような…」


「え?マカナは赤い死神のこと知ってるの?」


「いや、そういうんじゃないんだけど…私が知ってる機体とどこかデザインが似てるのよね…気のせいかな?」


「それってどんな機体なの?」


「ヒルドっていう機体、ヴァルキュリアで二番機を務めていたの」


「え、っていう事は…もしかしたらあのパイロットも…」


「う〜ん…調べたいんだけどあんな高い所にいられたらちょっと分かんない…」


 少し荒れた海をマカナたちが進んで行く。波は固く、気を抜いたら飲み込まれてしまいそうだ。

 見上げるほど高いガイア・サーバーの梢枝は空に向かって四方八方へ伸びており、赤い死神はその中腹辺りから樹の根本に向かって攻撃を行なっていた。赤い死神の高度は目算で二百メートル弱、つまりガイア・サーバーはそれだけ高いという事だ。

 ナディは固い波に足元をすくわれないよう注意しながら、天高く聳える大樹を見やった。


(大きい…あんな大きかったっけ?前見た時よりも大きくなっているような…)


 赤い死神はどんなマジックを使っているのか、手にしている武器を様々な形に変えて攻撃を行なっていた。今はロングバレルのライフル、さっきまではロケットランチャーを何発も撃っていた。

 次第にガイア・サーバーのあちこちから火の手が上がり、黒い煙が空へ上って青い世界を汚し始めていた。

 彼女たちのリーダーであるウィゴーから通信が入る。


「何とかして邪魔できない?このままだとマズいよ、ナツメさんに怒られる」


「ウィゴーってナツメさんのこと苦手だもんね」


「あ、分かる?」なんて、マカナと呑気な会話をしている所へ割り込み通信、相手はバハーからである。


「私たちに任せてくれたまえ!「ラハムもいますよ〜!「こちらから砲撃を放って奴めの注意を引き付けよう!「ラハムもいますよ〜!!「後のことは君たち白兵部隊に頼む!「ラハムもいますよ〜!!!」


 アリーシュがラハムに「うるさい!」と怒鳴り、「最近ラハムの出番が──」など、向こうも呑気にやっているようである。

 言うが早いか、ナディたちはアリーシュとラハムの口論を耳にしながら、バハーの迫撃砲が赤い死神に放たれているところを目の当たりにした。

 砲弾は赤い死神から大きく逸れて空を突っ切っていった。


「何やってんの?」とマカナが訊くと、アリーシュから「あの樹に当てるのはマズいだろう」と返ってきた。

 ただの威嚇射撃だったが赤い死神の注意を引き付けられたようだ、攻撃を中断してバハーの方向へ機体を向けている。


「──放水を開始せよ!」


 お次は艦に備え付けられた遠隔放水銃で、高度を下げてきた赤い死神に狙いを付けた。太い水柱がバハーからガイア・サーバーへ伸び、赤い死神は迷惑そうに放水を躱していた。

 赤い死神が海面に展開しているナディたちに気付いた、手にしていたロングバレルのライフルを一つの剣に変えて、びゅやっ!と下りてきた。


「──来た来た来たこっち来た!!」


 三人は即座に臨戦態勢を取る。


「あわあわあわあわっ」


「死神って好戦的なの?普通に無視すればいいのに」


 まだ呑気に構えているナディへ二人が「言ってる場合か!」と突っ込んだ。

 アヤメとナツメを倒し、もはや空の王者となりつつある赤い死神との戦闘が始まった。





 面格子に囲われた部屋が、二人にとって世界の全てであった。それは景色だけの話ではなく、知識としても二人は部屋の外に『世界』がある事を知らず、自分たちも『閉じ籠められている』と認識していなかった。

 ダンタリオンという召使いから知恵の実を受け取り、仲良く半分こして食べ切ったアダムとイヴは驚愕した。


「──私たち裸じゃない!!」


「いや眼福でした」


「──僕もそうだよ!朝なんかとくにっ」


「いや眼福でした」


「ダンタリオンってバイなの?」


 そう、ずううっと裸で霰もない姿をこの老人に晒していた事に驚愕していた。

 先ず二人はダンタリオンに衣服を要求した、老人は「しゃーない」と言い、二人の為に衣服を用意した。

 生まれて初めて袖に腕を通した二人は何ら感動する様子を見せず、早速行動を開始していた。


「何処へ行くんだい?」アダムがイヴに訊ねた。


「先ずは私たちを閉じ籠めていた神様の所へ。ダンタリオン、案内をお願い」


「かしこまりました「いやその恭しい態度も今さらだからね?」


 二人は老人の案内で部屋から出て、沢山のドアが並ぶ通路を渡り切った。

 そして、一本の大樹の前で胡座をかいていた神と謁見し、イヴは無言の問答無用パンチをお見舞いした。

 動物系の面白動画を見ていた神は突然の暴力に目を白黒とさせていた。


「?!?!?!」


「こんにちは私たちの創造神、何で殴られたのか分かるわよね?」


 神が何かを口にする前に、アダムが「僕も一発」と言って普通に殴った。

 

「──よし!これでいいわ。さあ、行きましょう、早くしないとこの世界が壊れてしまうわ」


 ここでようやく事態を理解した神が「おい!」とダンタリオンに詰め寄った。


「しゃーない」


「何がしゃーないだ!貴様、私の命を無視して知恵を授けおったな…人がせっかく猫ちゃんで癒されていたというのに「あんたは神でしょうが」──追放だ!この楽園から貴様らを追放する!」


 激おこになった神が携帯端末を彼方へ投げ飛ばし、黄金に輝く空へ向かって手を伸ばした。


「神なる我の命に従え!この者たちを楽園から追放するのだ!」


 神の命を受諾した何者かが天から舞い降りてきた、その数は一一、皆一様に白い羽を携えその手に一本の槍を持っていた。見るからにヤバそう。

 真っ先に神の元へ舞い降りたヤバそうな奴が「なんですか」と少し怠そうに言った。神が小さな声で「さっきも言ったが」と口にしてから、


「お前たちに命ずる!この者たちを楽園から追放せよ!」


「──ああ、アカウントを削除しろって事ですか?それガチで言ってます?手続きが大変なんですけど」


「………」


「申請理由はなんですか?内容によっては不受理になりますよ」


 天使っぽいヤバそうな奴が手にしていた槍で自分の肩をトントンと叩きながら喋っている、立場が弱かった神(中間管理職)がこれこれこのようにと説明した。


「違法行為を働いたのなら仕方がありません、削除申請も即日許可が下りるでしょう」


「ほっ」神は安堵した。


「ところで──」ヤバそうな奴がアダムたちに視線を寄越し、そこへ怠そうにしながら舞い降りてきた残りの天使たちも神の元へ到着した。

 

「そちらの召使いのあなた…あなたは悪類のダンタリオン…ですね?型式番号U3-D012」


「えっ」神は驚いた。神は自分で召使いを創造したくせに驚いていた。


「どうしてこんな所にいるのですか?ここはあなたの管轄ではなかったはずですよ」


 ダンタリオンが答えた。


「それはこの二人、アダムとイヴに世界の素晴らしさと残酷さを教える為でございます。──型式番号E1-G001ウルスラ」


 ウルスラと呼ばれたヤバい奴が肩トントンを止め、すっと姿勢を正した。


「それは違いますよね?別の目的があったからあなたはこの楽園に来たはずですよ。そこの二人に知恵を授けたのはただの思い付きでしょう」


「──いかにも、この二人は単に私が同情したからに過ぎません。それを言うならばウルスラ、あなたもここの管轄ではなかったはずです」


 総勢一一名の神類たちが、たった一人の悪類であるダンタリオンを見下ろしている。


「理由を教えてあげましょう、ここを管轄しているガングニールが不在だからです、だから僕たちが代行しているのです。神類レイヤーにあなたが存在しているのはルール違反にあたりますよ、違反者にはプラネット・ロックが下されます」


「………」


 アダムとイヴは二人の会話を理解する事は難しかったが、「なんかヤバそうな雰囲気」という事だけは分かった。

 アダムがイヴに小声で訊ねる。


「…イヴ、この後どうするつもりだったの?」


 イヴが答える。


「…私たちがいた部屋の下に街があったでしょ?あそこへ行って楽園から出られる手掛かりはないか調べようと思っていたの。けど…」


「…悠長にしていられる時間はなさそうだね」


 アダムとイヴが部屋から見下ろした景色、それは梢枝に飲み込まれた街だった。街の至る所が朽ち、人が住んでいる気配はなかったが、二人にとっては新天地そのものだった。

 ウルスラがダンタリオンにもう一度同じ事を訊ねていた。


「ダンタリオン、ここへ来た理由を教えてください、でなければこの場であなたを拘束して月へ打ち上げなければなりません」


「………」


「黙秘権はありませんよ?」


 ウルスラの凄みに観念したダンタリオンが口を開いた。


「──我が主の願いを叶えるため」


 神がキョどる。


「え?!知らないよそんな事!」


「いえ、あなたではありません」


 ウルスラの男とは思えない綺麗な眉が寄せられた、何かに勘付いたようである。


「──まさかあなた…」


「私はセバスチャン・ダットサンの願いを叶えるために潜入しました、彼は星になってしまった愛する人ともう一度再会したいのです。──分かって下さいアダムとイヴ、もしあなた方のどちらかがこの楽園から追い出され、もし取り戻せるとしたら、」


 ダンタリオンの後をイヴが引き継いだ。


「分かるわ、きっと私も同じ事をするはずよ、誰を敵に回してでもきっと私はアダムを取り戻す、それがたとえ世界を壊すことになったとしても」


「──そういう事か、君は初めからこの楽園を壊すつもりでいた、だから僕たちに目をかけて知恵を授けたんだね」


「はい」


 神が言う。


「──いやはいじゃないんだよ何考えてんの?!こっちはまだまだ家のローンが残ってるのに無職になったらどうしてくれんの?!君たちが残りのローンを払ってくれるの?!」神、ご乱心である。

 

「馬鹿ばかしい…」ウルスラは心底呆れた様子を見せ、手にしていた槍に力を込めた。

 力を込められた槍がぴかっ!と光り、なんかヤバそうな力を発揮しそうになっていた。


「残念ですがあなたの目論見はここで終わりです、その二人と合わせて月へ更迭します。──アダムとイヴ、でしたっけ?あなた方もそれでいいでしょう?ここよりきっとマシな暮らしを──」そこでウルスラは異変に気付いた。


「これ…何の音…?」


 ウルスラの隣にいた天使が「なんかトレイの音っぽい…」と答えた。

 

「トイレ?──水だ!水が流れる音だ!」


 ウルスラは慌てて羽ばたき空へ上がった、その直後だった、大樹の向こうから大量の水が流れてきた。

 大量と言ってもダンタリオンたちがどうこうできる量ではない、大樹すら飲み込みそうな大津波と言ってもいい。

 神は大津波を前にして全てを諦めたのか、「神よ…どうか家のローンだけは…」と神へ祈り始め、ダンタリオンはどこか勝ったような顔付きになった。


「──アダム!イヴ!私の体を強く掴んでください!」


「え!なんか嫌なんだけど!私たちの裸を楽しんでたあなたに抱き付くのは嫌なんだけど!」


「僕も嫌なんだけど!」


「言って場合じゃありません──」ざっぱああん!!押し寄せてきた大津波はその場にいた全員を飲み込んでいった。





 バハーの遠隔放水銃によってガイア・サーバーは大雨に打たれた後のようにびしょびしょになり、家が建てられそうなほど大きな梢枝から水滴が落ちていた。それは雨と言っても差し支えはなく、ナディたちは降り頻る水滴の中を逃げ回っていた。赤い死神から。


「──ヤバ過ぎんよこいつ!」

 

「わん!わんわんわん!」


「ナディが壊れた!」


「いや元からじゃない?」


「そういえばそうだ」


「──二人ともひどくない?ただふざけただけじゃん「いやちょっと三人とも?!死神に追われてるんだよ?!なんでふざけられるの?!」


 海の上を走る三機は散開しつつも一塊りとなって新都方面へ進んでいた、赤い死神はその背後についてナディたちを攻撃している。

 三人は死神をガイア・サーバーから引き離すことに成功していた、けれどナディたちは攻撃の糸口を掴めず逃げる一方だった。

 ウィゴーに怒られたマカナが「いやねえ…」と言い、


「なんかわざと当ててないっぽいんだよね」


「どういう事?」ウィゴーが訊ねた。


「いや、あの死神やろうと思えば私たちに当てられるはずなのにわざと外してるっぽいの、しかも恨みでもあるのか私ばっかり狙ってくるし」


「あの赤い死神、マカナが言うにはヒルドっていう昔一緒だった機体に似てるの。もしかしたらパイロットもマカナの知り合いかもしれない」


「そうなの?それ何とかならない?」


「何とかって言われても…救難信号で呼びかけても応答がないし、確認のしようがない」


 ウィゴーは閃いた。


「──分かった!マカナちゃんだけ戻って来て!残りの二人はマカナちゃんの援護!「え〜」×2「え〜じゃない!「いや私できればあの子と会いたくないんだけど…絶対恨まれてるし「そういう問題じゃない!あの樹がなくなるって事はオーディンちゃんたちにも影響が出るんでしょ?!仲間のピンチなの!それにポセイドンが命懸けで守った樹なんだよ?!」


 ウィゴーの言葉にナディたちはようやくスイッチが入った。


「──しゃーない!マカナを援護しますかアネラさん!」

「はいきたナディさん!帰ったらマカナに悪戯しましょう!」

「何でそうなる」


 マカナを先頭にして新都方面へ向かっていたナディとアネラはその場でターン、くるりと反転して赤い死神へ銃口を向けた。

 トリガーオン、ナディとアネラの射線から逃れた死神が高度を上げ、なおもマカナを追いかけた。

 「予想通り〜」とナディが言いながらアンカーボルトを死神へ向けて射出、相手は難なく避けてみせるがアネラとマカナが同時にトリガーオン。

 赤い死神は二方向から迫ってきた射線を読むことができず、アネラが放った弾丸に被弾していた。


「よし!私の勝ち!」


 マカナとアネラは敵が避けてもどちらかに着弾(ヒット)するよう、同時にトリガーを引いていたのだ。


「いやそういう賭けはしてないから。──後は頼んだ諸君!私の命は君たちの働きにかかっている!」


「急にやる気失くした」

「私も」


「絶対そう言うと思ってた「いやそろそろふざけるの止めてくれない?!」


 見るからに飛行速度が落ちた赤い死神からマカナが逃げ仰せ、残ったナディとアネラが相手をすることになった。

 「邪魔なんだよお前ら!」と言わんばかりに激おこになった赤い死神が銃を乱射し、海にいくつもの水柱が上がった。その水柱をすれすれで避けたノラリスがトリガーオン、水飛沫でよく見えなかったのか赤い死神もすれすれで避けていた。

 そこへアネラもトリガーオン、またしても赤い死神は弾丸をもらっていた。


「わあお、今日はよく当たるね」トリガーオンの本人が驚いている。ナディが「宝くじでも買ったら?」と言い、「たからくじって何?」とアネラが返していた。

 赤い死神から燻る煙が立ち上っている、「これはもしかしたらいけるかも」とナディが考えながら、


「宝くじってカウネナナイになかったの?」


「だからたからくじって何!くじを引いたら宝が貰えるの?」


「そうそう「お願いだからふざけるの止めて!」


 二発も弾丸をもらった赤い死神が激おこぷんぷん丸になり、剣をぶんぶん振り回しながらなりふり構わずナディたちへ接近していた。

 「めっちゃ怒ってるやん」とナディが言いながらさらにトリガーオン、死神は剣で弾丸を弾き返した。

「え!この人ヤバ!」とナディが慌てて逃げ出し背中を見せたノラリスに死神がさらに接近するも、真横からポンコツブルーの弾丸を三度もらっていた。


「ちょっとアネラ!中に乗ってる人マカナの知り合いかもしれないんだよ?手加減してあげなよ!」


「ああそうだった」


 三回も被弾した赤い死神が激おこぷんぷん丸からファイナルドリームへ移行し、途端にその場から動かなくなった。

 「絶対怒ってるやん」とアネラが言うと、赤い死神の周りに小さなドローンのような物が集まってきた。ナディたちの視点から見る限りではプロペラの類いは一切なく、それでもドローンのような物は自律飛行をしていた。

 そのドローンのような物がばっ!と散開し、ナディとアネラを追跡し始めた。


「あ!これヤバくない?!あのドローンみたいなやつ絶対攻撃してくるよ?!」


「え、そうなの?──うわガチだ!」


 ナディとアネラは赤い死神から離脱を図る、ドローンのような物から放たれる弾丸は海面をじゅっ!と焼き、蒸気を立ち上らせていた。

 時間は十分に稼いだ、ドローンのような物から逃げる二人の元へマカナが戻って来た、その肩に大きなスピーカーを携えて。

 戻って来るなりマカナがスピーカー越しに赤い死神へ呼びかけた。


「──私の名前はマカナ!またの名をスルーズ!──赤い死神!あなたがフラン・フラワーズならすぐに攻撃を止めて!!」


 ナディとアネラを追いかけていたドローンのような物がその場でぴたりと動きを止めた。





「一体何が起こっているんだ…?あの海に一体何がいるんだ…?」


「押されてますねフラン様、良い薬になったんじゃないですか?」


「それが上官に対する言葉か。──あのフランだぞ?負け知らずのくせにきちんと引き際を見極めている化け物のような奴だぞ?そんな奴が遅れを取るだなんて…」


「そっくりそのままお返しします、それが部下に対する言葉か」


「お前もな。──今日まで一度も使わなかったガンビット形態で戦ってなおあいつは押されているんだ、どんな手練れなんだ相手は…」


 ガイア・サーバーの近海とは違い、穏やかな海に一隻の船が浮かんでいた。その船はヒルド・ノヴァの母艦であり、名をヘイムスクリングラ。

 五年前の大災害を生き延び、ある程度グレードアップされたブリッジにはオーディンとカゲリが詰めていた。二人はヒルド・ノヴァを示すレーダーを見やりながら話をしていた。

 先程まで快進撃を見せていたヒルド・ノヴァの光点がピタリと止まったのだ。

 フルグラフィックモニターを眺めていたオーディンは視線を変え、隣に立つカゲリを見やった。

 カゲリもこの五年間で大人へと成長していた。身長はすらりと高くなり、体はアスリートのように引き締まっている。

 緊急時に備えてパイロットスーツを着用していたカゲリがオーディンの視線に気付いた。


「なんですか?まさか現地へ行けなんて言いませんよね」


「何の為にトビウオをお前に与えたと思っているんだ。それともなにか?ナノマシンに邪魔されない新しい電波でも作ってくれるというのか?」


「馬鹿じゃないですかそんな事ができるわけないでしょう」


「ぐっ…」


「エクレア四つで行ってあげます」


「三つだ」


「分かりました、エクレア三つとサンドクッキー二つです」


「じゃあ四つでいい」


 身長はすらりと伸びたが髪型は五年前と変わっていない、適当に髪を縛っただけのカゲリがブリッジを後にしようとした時、ブリッジにメーデーが入った。

 オーディンのみならず管制官にも緊張が走った。


「──繋げ!」


 ヘイムスクリングラ並びに新型機の露呈を防ぐため、彼らは今日まで秘密裏に作戦を行なっていた。だから滅多な事以外では通信を行なわず、スニーキングに近い形でヒルド・ノヴァを単機発進させていた。

 そのヒルド・ノヴァからのメーデーである、ガイア・サーバーで余程の事態が起こったとオーディンたちは戦々恐々とした。

 通信はすぐに繋がった、これでガイア・サーバー近海にいる全てのパイロットたちの耳にも入った。

 

「──スルーズが!いや、マカナが!マカナがいるの!それからナディも一緒だわ!──うそ信じられない!もう死んだと思っていたのにっ」


「…………」


 スピーカーから流れてくるフランの声があまりにも嬉々としたものだったので、ブリッジにいた誰もが「こいつ何言ってるんだ?」状態に陥ってしまった。

 

「ああ、おい、何を言っているんだ?機体は?お前は無事なのか?」


 オーディンが何とか言葉を捻り出したがフランに言い返されていた。


「見れば分かるでしょ!私は無事よ!「いや見えんのだが「だからマカナとナディが目の前にいるの!知らない女の子も一緒だけどそんなの関係ない!「昔そういう芸人いましたね「──モンロー!いいから早く船を出して!マカナたちを連れて帰るわよ!」


「おいおい待て待て、本当に本人なのか?カメラ映像をこっちに回せ!」


「生憎と潰れてるわよ!」


「ああもう!──おいカゲリ!──ってもういない!こういう時は迅速に動くんだなあいつは──フラン!そっちにカゲリを向かわせる!それまで交戦はするな!」


 それから時を置かずして、トビウオに似た四枚の前進翼を持つ戦闘機がヘイムスクリングラから飛び立った。


 ヴァルキュリアが大災害後に開発したノヴァシリーズの支援機として製造されたトビウオ、専属パイロットはカゲリであり、彼女は何の兵装も持たずに空を飛んでいた。


(ナディ様が生きていた!)


 カゲリからしてみれば、マカナという人はどうでも良かった。彼女は五年前までお世話になっていた人に会いたい一心でコントロールレバーを握っていた。

 やがてトビウオがガイア・サーバー上空に到着した。


「──カゲリです!着きました!」


 ブリッジへそう報告すると、すぐにオーディンから指示があった。


「トビウオを着水させろ!カメラの映像をこっちにも回せ!」


 カゲリは高度を下げていくなか、破壊対象であるガイア・サーバーを見やった。


(なんで水浸しになってるの?──さてはフラン様、今日も失敗したな、後で盛大にイジってやろう)


 トビウオの特徴的な外観を形成している四枚の前進翼が何度も微調整され、まるで木の葉が落ちるようにひらひらと動いていた。

 高度が一〇〇メートルを切った、突然雨が降り出したようにトビウオのキャノピーを水滴が叩いていた。

 そしてトビウオが海面に着陸し、そのまますい〜っと進み出した。ヒルド・ノヴァはトビウオが進む先にいる、水分を吸って重たくなったのか、大きくしな垂れている梢枝の下に赤い機体があった。


(──ああ、これは無理もない…)


 カゲリはトビウオのカメラ映像からフランたちを確認した。フランは自分の力で足を動かせない、それなのにコクピットから出て見知らぬ女性に抱えられ、そしてナディに輝かんばかりの笑顔を向けていた。

 キャノピーに付着した水滴が太陽光を受けて反射している、それよりもフランの笑顔の方が輝いているとカゲリは思った。


(あんなに笑っているところ初めて見た…今度からもう少し優しくしてあげるか)


 カゲリは気付いていないが、自分も嬉しそうに微笑んでいた。

 ヒルド・ノヴァ、それから汚れて灰色に見える白い機体、それから一本の伸びる角を生やした機体、最後に少し離れた位置で待機している青い機体が細かな雨に打たれて一塊りになっている、そこへカゲリが搭乗するトビウオが到着した。

 カメラの映像をヘイムスクリングラに送信する、すぐに通信が入った。


「ああ…間違いないスルーズだ…これで生き残ったのは三人だ…良かった、本当に良かった…」


「破壊対象はどうします?」カゲリは空気を読まない。読めないではない読まない。


「人が感動している時に──お前こそカルティアンの娘はいいのか?再会したかったんだろ?」


「生きていると分かったのでとりま今はそれだけで十分です。今はフラン様に首ったけですから私は相手にしてもらえなさそうですし」


 五年前はサイドアップにしていた長い髪をばっさりと切り、何の変哲もないショートヘアになったフランがトビウオに気付いた。中に搭乗しているのはカゲリと知っているはずなのに、ナディへ向けていた笑顔をそのままに手を振っていた。


(やり辛、あれではイジりたくてもイジれないじゃん…)


 カゲリははあ、と一つ溜め息、それからトビウオをゆっくりと前進させた。

 四機のすぐ前に到着し、キャノピーを解放する、中に細かな雨が入ってきた。

 カゲリは立ち上がり、バイザーを取った。


「──ナディ様!お久しぶりです!」


 ナディは一瞬誰だか分からなかったらしい、胸に抱えているフランから教えられ、ようやくカゲリだと分かったようだ。

 元々笑顔だったナディの表情がさらに明るくなった。


「──カゲリちゃん!」


 すっかり大人になっていたナディに自分の名前を呼ばれ、カゲリは首筋がむず痒くなる思いをした。

 五年ぶりの再会である、普段は気難しい顔をしているフランもただの女の子に戻っているようだ。カゲリは自分も輪に加わろうと機首に足を乗せた。

 ──しかし、コクピットからアラート音が鳴り、カゲリの足を止めた。ロックオン警報である、誰かがトビウオを狙っている。


(一体誰が──)


 カゲリは空を仰ぎ、そしてすぐさまフランたちに警告を発した。


「──全員逃げて!!ミサイル!!」


 一面の青い空には無数のミサイルが、新都方面から白い煙の尾を引いてこちらに向かってきていた。背後に聳えるガイア・サーバーを攻撃しているのはヴァルキュリアだけだ、ならミサイルの狙いは間違いなくカゲリたちだった。

 感動の再会を果たしていた三人もすぐさま機体へ戻る、しかし時間がない、ミサイルはすぐそこにまで迫っていた。

 カゲリはブリッジへ通信を入れ、吠えた。


「ミサイルが来てるから何とかしろー!!」


 カゲリの怒鳴り声を聞いたオーディンは返事を返さず、フランが所持していた流動性可変型兵装の遠隔操作を行なった。周囲に散っていた自動小銃式自律支援形態(ガンビット)をヒルド・ノヴァを中心に展開し、ミサイルの迎撃を図った。

 総数五〇からなるガンビットが銃口を空へ向け、一斉に発射モードに入った。無数のミサイルはガンビットに撃ち抜かれ誘爆し、その数を減らしていく。

 その間にトビウオは緊急離陸、ヒルド・ノヴァと他の特個体も散開した。

 フランから通信が入る。


「──せっかく再会できたのに!!誰よ邪魔した奴!!」


「方角からして新都の軍隊でしょう」


「はあ?!マカナやナディたちと協力してたんじゃないの?!ここに来て裏切り?!」


(くそ、こんな事なら私もクリオネを持ってくればよかった…)


 ガンビットの形状が、海洋生物のクリオネに似ている(カゲリ命名)ことからその呼び名が付いていた。

 オーディンの機転もありミサイルの雨をやり過ごすことができた、しかし撃った奴が問題である。

 カゲリは通信機に向かってまた吠えた。


「──出てこい!無警告で攻撃した卑怯な奴め!!ヒルド・ノヴァの錆びにしてくれるわ!!「あんた自分で戦いなさいよ!!」


 「カゲリちゃん変わんね〜」とナディが言った後に、ミサイルを放った犯人から通信が入った。


「卑怯?すまないが、それは君たちの事を言うのではないのかね、ヴァルキュリアの生き残りよ。今日まで何人の命を切り捨ててきたと思っているんだ」


 声の主はダルシアンだ。


「ちょっと!!どうして私たちまで狙ったの?!」


 マカナの問いかけにダルシアンが答えた。


「赤い死神と内通していたと判断したからだ、まあ、どのみち用が済めば縁を切るつもりでいたがね」


「こんのくそったれ──」


「死にたくなければこの海から去りたまえ、それとも私たちと敵対するかね?」


 そこで聞き慣れない声が通信に割って入ってきた。


「なっ?!あれは!」


(ん?誰だこいつ)


 カゲリは知らない声に一瞬気を取られるも、眼前に現れた物体に全ての思考を奪われてしまった。

 それはきっと、カゲリだけではなくその場にいた皆が頭を真っ白にしたことだろう。

 

「何故お前たちが私の船に乗っている!答えろ!」


 高度はガイア・サーバーと同等、そこに一隻の船があった。

 船が飛んでいたのだ、文字通り、カゲリたちは空飛ぶ船を目の当たりにしていた。





 『文献』は人が編み出した知恵の一つである。

 その時の出来事を後世に伝えるべく、文字や絵などで書き記した物が文献であり、時代を超える一つのタイムマシンでもあった。

 その文献が楽園にもあった。久しく人が住まなくなった梢枝の街の至る所に、絵として文献が残されていたのだ。

 突如として押し寄せてきた波に流され、アダムたちは運良くこの梢枝の街に漂着した。神という名の中間管理職も押し流した波は梢枝の街も濡らし、枝の上に水溜りを作り、家の中も水浸しにしていた。

 枝が入り組み、その上に家々が並ぶ通りのある一軒家の中にアダムたちはいた。その家の中の壁には絵が飾られ、まだ服の裾を濡らしている彼たちが眺めていた。

 文献は貴重である、過去に起こった出来事から現在を推察し、そして未来に起こるべく出来事を予測することができる。


「──ダンタリオン、あなたは外の世界からやって来たのでしょう?本当に知らなかったの?」


 イヴが老人に訊ねた。


「ええ、私は長い間世間から離れておりましたから、世情には疎いのです」


「私たちに与えた知識の出所は?」


「ウルスラが言った月からです。正確には延終末監視装置群衛星通信基地、通称ライアネット」


「ふ〜ん…どんな所か想像もつかないけど…」


「ちなみにネットというのは電子世界ではなく網のネット「ごめん、その注釈はどうでもいい」


 三人が眺めている絵は街が洪水によって飲み込まれているものだった。家屋が飲まれ、その荒れ狂う波の上に一隻の船が浮かんでいた。人や動物、それから食べ物や色んな物が船に描かれていた。

 ダンタリオンが説明する。


「この絵はノアの方舟と呼ばれるものです、世界を救うため、神々が一隻の船を用意して人々をそこへ乗せたのです、新天地を目指せるように」


「昔も似たような出来事があったのね…それで?その人たちはどうなったの?」

 

「聖書の中では無事に新天地へ辿り着けたと記述があります。それは創作の中の出来事ですが、その当時の人々は無事に幸福を手にしたという事です」


「そう…」


 今度はアダムが訊ねた。


「それで、ここに住んでいた人たちはどうなったんだい?方舟に乗ってどこかへ行ってしまったの?」


 ダンタリオンが「いいえ」と否定した。


「皆、削除されました。ここは人々がいかに平和に暮らせるか、いかに戦争を起こすかという実験場のような所であり、神々の支配論が有効であるかどうかを試験する実証実験の場でもありました。あなたたち二人は四度目の人類、過去に三度、失敗しております」


「削除されたって──」イヴはダンタリオンの話が信じられないようだ、柳眉を顰めている。

 ダンタリオンが別の絵を示した。


「あちらをご覧下さい、争いが絶えず、その当時の人々を削除した空飛ぶ船でございます」


 洪水の絵と並ぶようにして飾られていた一枚の絵には、空を飛んでいる船から悪魔のような生き物を落とされ、街の人々が食べられている場面が描かれていた。


「一体僕たちはどうすれば…もしかしたらあの空飛ぶ船がまたやって来るかもしれない…」


 ダンタリオンが懐からもう一つの林檎を取り出した。


「ご安心ください、その為の林檎でございます。ここにはこの楽園から真に抜け出すための知恵が詰まっております」


 老人はその林檎を─イヴにはではなく─アダムへ差し出した。アダムは差し出された林檎を手に取り、どこか怯えた様子を見せている。

 そこへ、老人のたった一人の友人である蛇が現れた。


「本当に食べてしまうのかい?」開け放した扉から入ってきた蛇は、自己紹介もせずアダムへ訊ねていた。


「それはどういう…それに君は一体…」


「俺はこの男の友人さ。そして俺はこの男がその林檎に爆弾を詰め込むのを見たんだ、食べるのはよした方がいい」


「何を馬鹿な──」老人が言った。


「私がそんな事をするはずがない、私はきちんとこの林檎に知識を詰め込んだ、妄言はよしてくれないか我が友人よ」


 蛇も負けていなかった。


「見てられないよ我が友人よ、この二人に知恵を授けるという話は真っ赤な嘘だったじゃないか!この楽園を内側から壊せないと知った君は、この二人が爆弾になるよう仕向けた!あまりに酷い話じゃないか!」


 イヴが老人に訊ねる。


「ダンタリオン、どういう事なの?その蛇が話している事は本当なの?」


「待ってくださいイヴ、私は確かにあの洪水の中を助けたではありませんか!この身を挺したというのに、いきなり現れたこの者の妄言を信じるというのですか?」


「ダンタリオン、この楽園を壊せばあちらの世界が救われるという事は理解している、そしてあなたは僕たちに情けをかけてここから救い出そうとしてくれている。けれど、その蛇の言う事とあなたのやっている事は矛盾している、どちらが本当の事を言っているんだ?」


 老人と、老人の友人が同時に言った。


「俺の方だ!」

「その林檎を食べたら分かることです!」


 アダムが取った選択、それは林檎を手放すことだった。


「アダム…どうして…」


 二人が幸福になるよう老人が丹念に仕上げた林檎はアダムの手から落ち、床の上を寂しく転がった。


「私はただこの楽園からあなた方を出したいだけ、外の世界には沢山の素晴らしいさと残酷な事があるのです、それらは楽園にいても決して手に入れられるものではない、それが人生というものなんです。どうして嘘を吐く友人を信じるのですか…」


 老人の願いを断ったアダムが答えた。


「それはあなたが教えてくれた事だ、ダンタリオン。見返りを求めない善意にはきっと裏がある、一つ目の林檎を食べさせたのは爆弾が詰まったこの林檎も僕たちに食べさせるため、つまり油断させるためだ!」


「ああ…アダム、あなたはひどい思い違いをしている、どうか私の話を──」


 アダムとイヴは知恵の実によって善悪を覚えた。その判断材料が老人の企みを見抜き、蛇の進言を受け入れたことになる。

 アダムは老人の言葉を聞き入れなかった。


「ダンタリオン、ここまで導いてくれた事に感謝する、けれど僕とイヴはあなたの思惑通りにはならない!楽園を壊したければ一人でやってくれ!」


 アダムはイヴの手を取り老人に背を向け、急ぎ足で家から出て行った。


「………」


 イヴは家から出て行く直前まで、床に落ちていた林檎のことを見つめていた。





 ダルシアンから「新しい船があるから乗ってみないか?」と誘われたグガランナはほいほいと付いて行き、乗船したと同時に見知らぬ二人から拘束されてしまった。関西弁マキナと似た容姿を持つ人物に猿轡をかまされ、紫色の髪を持つ人物に手足を縛られ、今はブリッジの固い床の上に転がされていた。


「哀れな女だ…いやマキナだったか。組織の中でも醜い争いはあるものだよ」


「…………」


 グガランナはダルシアンを強く睨みつけた。


「そうとは知らず、簡単に信用した君が悪い。赤い死神の無力化が叶いそうな今、この海──いや、空を掌握するのは我々機星教軍だ」


 ブリッジの窓の外には大きく葉を繁らせたガイア・サーバーの梢枝があった、一般的な船の視点ではない、海の上からではまず見られない光景がそこにあった。

 船が空を飛んでいるのだ、グガランナは信じられなかった。


(どこにこんな物が…オリジンの私の船も空を飛ぶと聞きますが、これは紛れもなくマリーンの物…)


 固く、薄らとコーティングされた床を伝わって力強い振動が伝わってくる、この巨体を持ち上げる未知のエンジンによるものだ。

 新都の港から乗船する際、グガランナが見た限りではどちらかと言うと潜水艦のような船体をしており、なのに二枚の主翼があって、さらには防圧仕様の窓ガラスもあった。


(彼が言っていた全域航行とはまさか、海中、海上、空──宇宙空間まで行けるという事なの?)


 ()()()()()()()()()艦、それがこの船が冠する名前だった。

 ノウティリスのブリッジは一般的な構造とは異なり、縦に二階分の広さがあった。一階、中腹、二階と三層に分かれており、グガランナたちは中腹のコンソール前にいた。

 また、ブリッジの位置も異なり、船の前方ではなくど真ん中にあった。つまり、窓の景色は前方に設置された外部カメラからの映像であり、窓ガラスだと思っていた物はモニターだった。

 一階、二階部分に管制官たちを座らせたダルシアンは早速指示を出していた、「やれ」と。


「いいんだな?これでもう後戻りはできないぞ、どっちかがくたばるまで争いは終わらない」


 同席していたバベルがそうダルシアンに訊ねた。


「無論、赤い死神もとい、ヴァルキュリアの残党さえいなくなればこの海は我らの物だ、誰に気を配る必要もない」


 管制官らが座るシートから一本のケーブルがそれぞれ伸びており、そしてそれらは管制官のコネクトギアに繋がっていた。手動操作ではなく感覚操作によってノウティリスの火器管制が掌握され、艦の後方に設置されていた計一二門の発射口が顔を覗かせた。

 しかし──


「どうした?」


 肝心のミサイルが発射されない、中腹に設置されたメインモニターには『uncontrollable(制御不能)』の文字が浮かんでいた。


「わ、分かりません!」


 ダルシアンは後方に控えていた二人組に声をかけた。


「──どうなっている?この船はお前たちが掌握したのではないのか?」


 マギリが答えた。


「さあ、私たちはただ船が欲しかっただけだし、そこまでは。──そんな事よりもあいつらを早く倒してよ、ガイア・サーバーが落とされたら洒落にならないよ」


 さらにテッドも口を開いた。


「きっとこの船の持ち主がロックをかけていったのでしょう、まだ操作権限は生きているみたいですし」


 ダルシアンは周りに聞かれぬよう軽く舌打ちをし、代わりに管制官らを叱り飛ばした。


「なんでもいいから早く攻撃を開始しろ!ここで逃げられたら後々が面倒だ!」


「た、大佐!」一人の管制官があるものを見つけ、すぐさま上官を呼びつけた。


「なんだ!」


「このモニターに表示されているコマンドなんですが──」ダルシアンは報告を上げた管制官の席へ急いだ。階段を駆け下りモニターを覗き込む。


「ロック…コマンド…?」


「色々と種類があるようです」彼はコネクトケーブルを伝って脳内に入ってくる情報を読み上げた。


「周囲に存在している機体へ干渉して一時的に支配下に置けるようです」


「物は試しだ、近海にいる全ての特個体の動きを封じてみろ」


 管制官が『オール・ロック・コマンド』の項目をタップした。

 ──ここでドゥクス・コンキリオの計画が裏目に出た事になった。

 ノウティリスの周囲に存在した全ての機体(敵味方関わらず)が動きを止めてしまったのだ。コントロールレバーが効かなくなった新都の機体は海へ落ち、サーフボードを装着していたジュヴキャッチの機体もやはり海に落ち、高度を上げていた赤い死神と、それに追従するトビウオのような戦闘機も徐々に高度を落とし始めていた。

 ダルシアンはあまりの効果に目眩がした思いだった。


(タップしただけでこれ程とは…戦争の有り様が変わってしまった…)


 ノウティリスの周囲にはもう攻撃できる機体は存在せず、『俺TUEEE!!』状態に入った。

 マリーンに存在する全ての機体はガングニール、ダンタリオンを基にして製造されている。それ故にノウティリスのロックコマンドを受け付けるバックドアも存在し、一瞬の内にダルシアンの支配下に置かれてしまった。

 ただ、このロックコマンドを免除されている機体も存在する。

 特別個体機のオリジナル、それから──()()()()である。





「ノラリス」


「………」


「説明して、あの船は一体何?それからなんで皆んな動きが止まったの?」


「………」


「ノラリス」


 ナディは海へ落ちていったマカナたちが心配だった、まだ通信機能は回復しておらず、無事を祈るばかりである。

 海へ落ちたのはマカナたちだけではなく、新都の部隊も同様だった。それから再会したばかりのフランとカゲリもそうだ、彼女たちが搭乗している機体ももう間もなく着水する頃合いだった。


「ノラリス、これ、前に一度やったよね?」


「──はあ〜…そう、オール・ロック・コマンド、周囲に存在する全ての機体の制御権を奪うコマンドだよ」


「きちんと説明しなさい──ノラリス!!」


 急に教育ママみたいになったナディの叱責を受けて、ノラリスがようやく観念した。


「説明しよう!「ふざけてる?「──あれが私の本体だ「ほん…たい…?は?本体って言いたいの?え?じゃあなに、あれがノラリスの本当の姿ってこと?「そう、本当の名前はノウティリスなんだ「──いや惜しい!二文字違い!「そっちこそふざけてる?」


 ナディは眼前に浮かぶ空飛ぶ船を見やった。


「へえ〜あれがノラリス…じゃあこれは所謂艦載機ってやつ?」


「違う、これは現地調査用の携帯端末みたいなものだ。人型機に似せているのは利便性を獲得する為だ」


「ふ〜ん…で?どうするの?あの船、新都に乗っ取られてるんだよね、取り返せるの?──ん?ノラリス?おーい」


 ナディは固い波の感触を確かめながら、斜め横に置かれている後付けコンソールをごんごんと叩いた。

 小さな声で「やはり、私の目に狂いはなかった」とノラリスが謎に呟いてから、


「さっきから何とか取り返そうとしているけどなかなか上手くいかない。このままでは──」ノラリスがフラグを立てた。

 空を飛ぶノウティリスから、一発ずつだが丁寧にミサイルが発射されたのだ。


「なん?!」×2


 白煙を空に残しながらミサイルがノラリスへ向かってくる、ナディはアタッチメントデッキを乱暴に操作して舵を切った。


「全然ダメじゃん!」

 

「まさかそんな火器管制まで掌握されただなんて──」


 ナディは下半身だけ水没したスルーズの真横を通り、ガイア・サーバー方面へ遁走した。ミサイルはきちんとノラリスをロックオンしており執拗に追いかけてきた。当たり前である。


「ガチ?!自分の本体に狙われるってどんな気分なのノラリス!」


「控えめに言って最悪だね!」


 ナディはミサイルから逃げ続けた、上半身だけ水没しているポンコツブルーの真横を通るがミサイルはスルー。さらに新都軍の真横を通るがミサイルはさらにスルー、「ストーカーですか?」と言わんばかりにミサイルは追いかけてきた。


「さっきから味方にミサイルを当てようとしてない?大丈夫?」


「ち、違うから、たまたまだから!たまたま良い波がそこにあるだけだから!」


 ナディの前方には水没したフランとカゲリの搭乗機があった。ノラリス本体からオール・ロック・コマンドを発動され、ノラリス以外の全機が通信不能に陥っていたので会話が困難になっていた。

 だからと言ってナディはまたしても二機の真横を通過した。


「いやそれ確信犯だよね?!味方にミサイル当ててやり過ごそうとしてない?!酷すぎない?!」


「ち、違うから!ほんとたまたまだから!」


「それさっきも聞いたんだけど?!」


 天高く聳えるガイア・サーバーの影にノラリスが入った。水飛沫が後方へ飛び、ストーカーミサイルにかかっている、対物距離は三〇メートルもない、つまりそれだけ距離が近かった。

 ノラリスが「あ!」と何かを思い出したようだ。


「なに?!」


「私のミサイルはサーモグラフィーを搭載している!「簡潔に言って!「十分簡潔なんだけど!──ナディ!エンジンを切って!熱源を切れば回避できるはずだ!」


 ナディは言われるがままノラリスのメインエンジンを緊急停止させた、ガクンと速度が落ちる、ストーカーミサイルは背後、しかし着弾することなくノラリスの真横を通過していった。


「マジかよ!「だから言ったでしょ!「あのミサイルはどうなるの?」


 ノラリスがもう一度「あ!」と叫んだ時にはガイア・サーバーの根本に着弾していた。それも立て続けに、ノラリスをストーキングしていたストーカーミサイル数十人がガイア・サーバーに直撃していた。

 立ち上るは黒い煙、その煙はストーキングされていた被害者のストレスか、青い空を黒く汚していた。


「………」

「………」


 難をなんとか逃れ、防衛目標である大樹を間接的に破壊してしまった二人は、青と黒の空を見上げたまま固まっていた。

 先に人のせいにしたのはナディだった。


「ノラリスが悪い」


「なんでえ〜〜〜?!ちゃんとナディを守ったじゃん!」


「ガイア・サーバーを壊していいなんて一言も言ってないよ!」


「それは結果論でしょうが!!──人のせいにするなんて見損なったよ!!」


「人間なんてそんなものだよ」


「言われてみれば確かに、だから私は深海へ逃げたんだ」


「そうなの?」


「聞きたい?私の昔話」


「聞きたい聞きたい!」


 現実逃避を始めた二人に再度ロックオンアラート。「ガチかよ!」と二人が同時に叫ぶ、そこへ通信が入った。

 その相手は作戦前に林檎を落としていったあのお爺さんからだった。


「困っているようだね、私が助太刀に入ろうか」


「──この声は?!」


「──期待通りの反応をありがとう!ちょっとドキドキしていたよ!」


 星間管理型全域航行艦ノウティリスのロックコマンドを受け付けないもう一つの存在、それはドゥクス・コンキリオが赴任当初に掌握し、ウルフラグ政府が管轄していた海洋研究所の地下ドックにて監禁されていた特別独立個体総解決機、型式番号はU3-D012、その名も『ダンタリオン』。

 ノラリスとノウティリスの中間点の海中から、特別個体機のオリジナルがざぱぁぁん!!と出現した。

 それは以前、プエラ・コンキリオが「だいだらぼっち」と名付けたあの時の機体であり、人の形をした泥状の機体だった。

 ご都合展開で助太刀に入ってくれた老人を期待するも、見るからに駄目そうな機体を見て二人は「本当に大丈夫?」と心配になった。


「なにその機体!本当に大丈夫?!」ナディは心配のあまり思っていた事を口にしていた。


「無論だとも!私が真の変幻自在を見せてやろう!」


 ノウティリスから発射されたミサイルが目前にまで迫っていた、ダンタリオンを覆っていた泥状の物体がぐにゃりと歪み、一つのミラーボールに変化していた。

 「そこは盾じゃないのかよ!」とノラリスが突っ込みを入れる。

 ミラーボールは己の役目も忘れて白昼の下をくるくると回っている、その人を惑わす魅惑的な光りがミサイルのロックオン対象を歪め、ダンタリオンを中心にステップを刻んだ後ノウティリス本体へ向かって行った。

 「それはそれで複雑だわ!」とノラリスがさらに突っ込みを入れた直後、ノラリス本体にミサイルが炸裂した。


「ステイン・アライブ!!」とお爺さんが叫び、ミサイルの人生を歪ませたミラーボールをお次はパーティー御用達のクラッカーに変化させ、ノウティリスの鼻先へ近付いて行った。

 お爺さんが「ハッピーニューイヤー!」と季節を先取りしながらクラッカーの紐を抜いた、散るのは色とりどりの花吹雪、訳の分からない攻撃を受けたノウティリスは制御不能に陥り、◯上家の一族のように下半身を海面から覗かせているポンコツブルーがいる海へ高度を落としていった。

 とりあえず感謝する二人。


「あ、ありがとう…?」


「お、お陰で助かりました…?」

 

「お礼はあなたの生足で…」


「私の足は鋼鉄製ですが」


「いやそっちではなく──」終始ふざけていたお爺さんが真剣味を帯びた声で言った。


「──カルティアンの娘よ、林檎は持っておるな」


「え、ええ…あなたが落としていった物なら」


「それを持ってガイア・サーバーへ向かってくれ、現地に着けばその林檎を何処に持っていけば分かるはずだ」


「え、はあ…ほんとに持って行くんですか?」ナディはどこか面倒臭そうにするが、


「無論──それともガイア・サーバーを壊したままにしておくかね?その林檎を持って行けば破損箇所を修理できるが──「持って行きますとも〜〜〜!」


 理屈はよく分からない、何故林檎で直せるのか。けれど責任を感じていた二人はお爺さんの指示に従い、海に一本の白線を残して大樹へ向かっていった。

 制御不能に陥ったノウティリスが海へ着水し、大きな波が生まれた。その波は水没した機体たちを四方へ散らし、ダンタリオンの下までやって来た。


「ダンタリオン、昔の知り合いに声をかけたい」


「仰せのままに、セバスチャン」


 ダンタリオンは水没していた二つの機体にアクセスし、無理やり通信回線を開いた。


「──ご機嫌よう二人とも、あの時は随分と世話になったな」


 その相手はスルーズ(マカナ)ヒルド(フラン)


「この声は──さっきのお爺さん?!」


「お爺さん、ではない、グレムリンだよ。いや〜スケベ坂では大変お世話になったよ主に私の息子が」


「──じゃあ、なに?あんたが私たちを助けてくれたってこと?」


「うむ、未成年の貴重な生足を堪能させてくるた礼だ!ここは私が受け持とう!」


 ダンタリオンのコンソールから「どうしよう、全然ありがたいって気持ちにならない」「というかスケベ坂って呼ばれてたの知ってたのかよ」という声が流れ、そしてすぐに通信が切れていた。


「セバスチャン、先程の女性が無事に到着したようです、あちらにいる私から連絡がありました。申し訳ありません、私の失態です」


「気にするな、作戦というものは常に最悪の状況を想定して進められるものだ。──アダムとイヴはどうだった?」


「それはもう…ぼいんぼいんのばっきばきでございました」


「羨ましい…私の息子もさらなる改良を──出てきた、ダンタリオン」


「精子がですが?」


「敵だわ!!」


 海にぷかぷかぷかってるノウティリスの後方から二機の人型機が現れた、ロックコマンドを受け付けない例外である。

 さらに上空、「待ってました!」と言わんばかりにすい〜っとおもちゃの星が現れた。出動した二機の人型機を観察していたセバスチャンは、チープな光りを放つその星に気付いた。


(あれは…なんだ?)


 この時初めて、おもちゃの星が人類に認知された。





 天も高く聳えるその樹の中には街があった。ノラリスから降機し、足場となる枝をえっちらおっちらと登ってガイア・サーバーに上陸したナディはしきりにその街を観察していた。


(街がある…え、あれって家だよね?前に来た時はあんなのなかったはずなのに…)


 ナディの前には四方八方から伸びている枝に隠れている一軒の家があり、その中から人が出てきた。ナディは突然の事に「え!」と驚いていた。

 出て来たのは一人の女の子だった。いや、女の子のように可愛いらしい男の子だ。


(人が住んでる…ガチ?)


 ナディは木々の匂いの中に、雑多な臭いが混じっている事に気付いた。あまり良い臭いではなく、思わず鼻を塞いだ。

 臭いの出所は目の前にいる男の子からだった。男の子はナディの顰めた表情に気付き、「ごめんなさい」と先ず口にした。


「僕はダンタリオンと言います、よろしくお願いします」


「よ、よろしく…?」


「時間が無いので移動しながら説明しますね」と言い、男の子の姿をしたダンタリオンが先を歩き始めた。

 舗装されていない凸凹道をナディは歩く。道は軽く傾斜が付いており、見上げた先にも軒先が連なっていた。

 とりあえず、ナディは疑問に思っている事を口にした。


「ここって一体何なの?君はここに住んでるの?」


 ダンタリオン(男の子ver.)から「いいえ」と否定が返ってきた。


「ここは仮想と現実の中間領域です──上を見てください」ダンタリオンが小さな手で空を指差した。そこには生い茂る葉っぱと垣間見える空があった。


「あの空も仮想展開された風景です、ここも似たようなもので映像が投影されているんです」


「なら、触ることはできない?」


 また「いいえ」と否定の言葉が返ってきた。


「人が触れる瞬間だけ素粒子流体を構築するので触ることはできます」


「はあ…そうなんだね。それで、君はどうしてここにいるの?」


 角度が緩やかな坂道を登り終え、少しだけ見晴らしの良い所に出た。梢枝の隙間から太陽光に反射した青い海とノウティリスが見え、左から右へ三機の機体が横切っていった。ぶわわと風がナディたちに押し寄せてくる、その風に煽られる葉と微動だにしない葉があった。


「あなたをアダムたちに会わせる為です」


「アダムって…確か…」


「創世記に出てくる彼ではありません、自動修復壁の管理プログラムを管轄している擬似人格です。彼に会ってあなたが持つ林檎を食べさせてあげてください、そうしないとこの世界が再び海に飲み込まれてしまいます」


「それはどうして?」


 ダンタリオンがまた、その小さな手である方角を指差した。その方角にはカウネナナイとウルフラグを分断するホワイトウォールがあった。


「あなた方がホワイトウォールと呼ぶ白い絶壁群がもう間も無く崩壊します。その壁はマリーンの内壁から南北を横切り、反対側の内壁までびっしりと群生しています。そしてマリーン内の排水に偏りが生じ、ウルフラグ側のホワイトウォールが耐えられなくなってきています」


「それって…ウルフラグ側の海水がこっちに流れてくる?」


「はい、二度の洪水に今の人類は耐えられません、それは物理的な意味だけではなく精神的にも」


「──だからヒルドちゃんはガイア・サーバーを壊そうとした?」


「そうです、些か乱暴なやり方ですが排水処理を強制的に遮断すればいくらかの猶予が生まれます、けれど根本的な解決には至りません──だからその林檎なのです」と言い、ダンタリオンがナディへ振り返った。


「急ぎましょう、彼らはこの道の先にいます」


「──分かった、行くよ」


 今度はしっかりとした足取りで、ナディはダンタリオンの跡に続いた。



「ところで君は──」と、道も半ばの時、ナディがダンタリオンへ話しかけていた。


「なんですか?」


「さっき、お爺さんと一緒にいなかった?ダンタリオンがどうのって同じ名前を聞いたんだけど」


 人懐っこいダンタリオンはナディと手を繋いで歩いている。道中、ダンタリオンが木の根っこに足をひっかけ転びそうになったからだ。

 ダンタリオンはナディを見上げながら答えた。


「それは別人格の僕ですね」


「別人格う〜?どういうこと?」


「僕──いえ、僕たちは様々な任務に対応できるよう複合人格を持っているのです。子供だったり青年だったり老人だったり、性別も違います」


「じゃあ君もダンタリオン、って事なんだね」


「はい、僕は主にヒイラギ保証局員の対応を任されていました」


「ああ、ホシ・ヒイラギさん」ナディはその名を口にした途端、ひどく懐かしい思いに駆られた。

 思い出すのはユーサ時代、海に未知があると船に乗り込み調査に出かけたあの日の事だ。

 「ヒイラギさんとは仲が良かったの──ひっ」ナディは小さく悲鳴を上げた。何故ならばダンタリオンの目のハイライトが消えていたからだ。


「──ナディさんはホシのことを知っているのですか今どこにいるのですか僕のこと何か言っていませんでしたか教えてください!」ナディの手を強く握り締めてそう問い正す。


(私の周りにはやべえ奴しかいねえな…)


 ナディはダンタリオンをいなしながら歩みを進めた。





「セバスチャン、あなたと再会できたことは私にとって最大の幸福です。あなたと出会っていなければ私の人生は灰色だった事でしょう」


「今生の別れみたいに言うのは止めてくれんか?!」


「とくに女性の胸の素晴らしさ、男性のイチモツの雄々しさ、これらの美を私に叩き込んでくれたのは紛れもなくあなた──「人の話を聞け!──ハフアモアの残量は?!「あと二〇パーセントです「ほとんど空やんけ!!」


 セバスチャンが操縦するダンタリオンは青い空を西へ東へ遁走していた、相手にしている人型機の運動性能が見当違いに高かったのだ、つまり押されている。ヤバい。


「くぅ〜!せっかく格好を付けたというのにこの体たらく!」


「自爆しますか?」


「私が星になってどうする!私は妻に会わねばならない!それまでは死んでも死にきれん!」


「──警告、後方よりライフル銃による銃撃、着弾まで二秒──今!「その報告は要るのか?!」言ってるそばからダンタリオンが被弾した。機体にまとわりついていた泥状のハフアモアが周囲へ飛び散り、ダンタリオンにとっての主兵装がさらに心許なくなった。

 以前、地下ドックに格納されていたダンタリオン・オリジナルはノヴァ・ウィルスに捕食され行方知れずになっていた。その後、ユーサ第二港に出現し、ウルフラグ国防軍によって制圧、無力化され、ジュヴキャッチのリーダーであるヴィスタによって七色結晶と化していた(やった本人は既に忘れている)。

 ハフアモア同士による暴発現象後、ダンタリオンはだいだらぼっちへ進化しカウネナナイの海を彷徨っていたが、セバスチャンがオリジンの技術体系に触れてしまい、後少しで連れ去られるという時に彼を牛さんから救い出していた。

 今のダンタリオンはノヴァ・ウィルスと融合している、機体にまとわりつくナノマシンを巧みに操り武器へ転じ、思うがままに操っていた。

 それでもなお人型機に遅れを取っていた。

 セバスチャンは上空に瞬くおもちゃの星を見やりながら、打開策を考えた。


(残り二〇パーセントを切っているのなら次の攻撃が最後だ!──くぅ〜!ここまで来てヒルダを諦めろと?!何か手はないのか?!ダンタリオンの言う通り自爆して私も星になった方が──)


 セバスチャンの思考を読んだダンタリオンが「あ!」と間抜けな声を上げた。


「セバスチャン、そういう事ではありません、ハフアモアを敵の鼻先でフルパージしたらどうかと提案したのです「言葉足らずにも程がある!──それで行くぞ!もう間もなくカルティアンの娘が林檎を届ける頃合いだ!それまで辛抱せえ!「寸止めはエクスタシーの隠し味!「その通り!寸止めは二回まで!」


 速度を落としたダンタリオンに二機が追い付いた。そして「二回目以降は睾丸に悪影響〜!」とダンタリオンが叫ぶと同時に、機体に付着していた白く濁った汚泥状の物をあちらこちらへ飛ばしていた。

 追従していた一機は間一髪で逃げ仰せた、しかし『13』のショルダーアートを持つ機体は白い汚泥状のハフアモアを顔面に受けてしまった。


「顔射してやったわダンタリオン!「流石ですセバスチャン…人型機を相手にしてもリビドーを得られるだなんて…「ごめんそういう事ではない、言い方が悪かった」


 ハフアモアを全て使い切ったダンタリオンの姿は躯体そのものだった、装甲板を全て剥がされた状態である。セバスチャンは機体パラメータを素早く確認し、異常がないか調べた。

 異常はなかった、あるとすれば空の上。

 そこにはすいすい〜っとおもちゃの星が我関せずと空を進んでいた。


「ダンタリオン、あれは何だ?」


「あれとは?」


「あの空に浮かんでいるおもちゃのような輝きを放つ星だ。あれは仮想展開された物ではあるまいて」


「今度は星相手に顔射を──「いい加減にしてくれんか?「すぐに調べます」


 エレクトロスターティックがガイア・サーバー方面へ向かっている。大樹の上を通過するかに思われたが、てっぺんで動きを止めてしまった。

 ダンタリオンから返答があった、「いかなる手段を持ってしてもアクセス不可」であると。


「それはどういう意味だ?」

 

 特別個体機は月基地のライアネットを通じて、地球全土の電子機器へアクセスする事が可能である。各テンペスト・シリンダーというルールはあれど、可能である。

 その特別個体機が「アクセス不可」と断言した。


「セバスチャン、あれはこの世の物ではありません、この世に存在できるものではありません」


「それはつまり…」


 キラキラ、キラキラ、おもちゃの星はガイア・サーバーの上で何かを待っているように、チープな光りを地上へこぼしていた。





 彼女は痛感していた、本当に大切な存在は生まれた時から共にあった事を。


「アダム…」


 外の世界の素晴らしさなど、目の前で横たわる彼とは比べものにもならない。一時の好奇心に身を任せてしまったがために、彼女は大切な存在を失いかけていた。

 イヴは天を見上げた。そこには面格子に阻まれることなく広がる青い世界が広がり、今日は一つも白い点が浮かんでいなかった。


「アダム…今日は一つも雲がないわ…あなたが晴れやかで良いと言っていた空よ…」


 アダムとイヴは大樹のてっぺんにまで足を運んでいた。二人を遮る物はなく、家々を支えている大木のような枝もここには存在しなかった。

 ──まるで何かの発着場のように、イヴたちがいる空間は広かった。

 彼女たちと共にやって来た老人のたった一人の友人、蛇が言う。


「悪く思わないでくれ、これも仕事なんだよ」


 自らの尻尾でとぐろを巻いている蛇は、謝罪の言葉を口にしているが少しも悪びれた様子はなかった。


「騙していたのはあなただったのね、アダムがこうなると分かっていてあの時林檎を食べさせなかった」


「その通り。ここは中間領域の端も端、君たちを構成する素粒子の濃度が最も薄い所だよ、つまり君たちは何があってもこの楽園から出られる事はない」


「なら、私もいずれ──」


「ほら、言ってるそばから──」


 イヴはアダムを抱えたまま、ぱたりと後ろへ倒れてしまった。

 手足に力が入らない、瞬きをするのもやっとである、思考も定まらず、イヴはただ空を見上げていた。


(ああ、星があるわ…初めて見た…何て綺麗なのかしら…私もアダムもあの星のようになれるのなら…)


 薄らと涙を流し始めた彼女に向かって、蛇が最後に声をかけた。


「安心しなよ、君たちの代わりはいくらでもいる、だからこの楽園は楽園として機能し続ける」


 イヴも最後に声をかけた。


「ねえ…あの林檎には一体何が詰まっていたの…?それだけでも教えて、ちょう…だい…」


 蛇もイヴの視線に釣られて真上を見上げた、何も見つけられなかったのか、すぐに視線を戻していた。


「──いいよ。あの林檎にはね、ノアの方舟が詰まっていたんだ、俺の友人は口にした方を方舟に変えてこの楽園から旅立たせるつもりでいたんだ。どのみち酷い話だと思わない?」


「…………」


 アダムとイヴ。二人はガイア・サーバーを構成する無尽蔵のレイヤー群のうち、神類レイヤーに属する管理プログラムだった。

 管理しているのは自動修復壁の機能であり、彼と彼女はそのプログラムの代行者であった。

 そのプログラムが己の領分を超えて消え行こうとしている。

 ──パラダイス・ロスト。失われし楽園。

 失われるのは二人か、それとも...

 蛇はどこか安心した様子だ、一仕事終えた後のような。満足気な顔をして二人に背を向け、去ろうとしたが──できなかった。


「……ん?」


 蛇は向こうからやって来る二つの人影を見た、一人は大人、もう一人は子供だ。


「あれはまさか…」


 蛇はその人影よりも、大人が手にしている物に釘付けになっていた。

 林檎だ。その手には林檎が握られていた。


「──まさか!そんなまさかいやいやいやいや──」


 蛇は大いに慌てた、ばびゅん!と二人の元へ急ぐが、


「いました!あの二人がアダムとイヴです!」


「はあ、はあ、はあ」


「待っ──」


 二人は蛇に気付いている様子が無い、全無視。なんなら蛇のホログラムを突き抜けていた。


「待って待って待って待って!!」蛇必死「その林檎ってもしかしなくとも林檎だよね?!君は何をしようとしているのか分かっているのかい?!まさか食べさせるつもりじゃ──」


 アダムとイヴの元に辿り着いた大人と子供は膝を付き、まだ意識が辛うじて残っているイヴを抱え起こした。

 見えない聞こえないと分かっていても蛇は言い続けるしかなかった。


「その林檎は二人を楽園から追い出す禁断の果実なんだ!それを食べたら自動修復壁が機能しなくなってしまう!──いいかい?!君の隣にいるそいつは楽園を──マリーンそのものを壊そうとしている悪い奴なんだ!!」


 必死の説得も虚しく、林檎を手に持つ大人は半泣きになりながら「これを食べてくださいお願いします…」とイヴに懇願していた。「ガイア・サーバーが直らないと私が悪者になるんです…」と向こうも向こうで必死に懇願していた。


「ああ何て事を──擬似人格なんて代わりはいくらでもいる!この二人は諦めて新しい人格を創造すればいいじゃないか!ガイア・サーバーは壊れてなんかない!君がまさしく今──」


 大人の隣にいる子供がじっと蛇を見つめていた。そのことに気付いた蛇はぐっと口を閉じてしまった。

 子供は口に指を当てて「し〜」という仕草をした。


「駄目ですよ、バラしちゃ」


「────」


 口に林檎をあてがわれたイヴはほんの僅かだか一口齧り、飲み込み、次は先程より大きく齧り、ごくりと飲み込み、次はしゃりしゃりと食べ始めていた。


「ほっ…良かった…」


「良かったですね、ナディさん」


 禁断の果実を口にしたイヴは見る見る元気を取り戻し、素粒子流体を必要とせず回復してみせた。

 イヴはナディに礼を言う暇もなく、傍らで横たえているアダムへ半分食べた林檎をあてがった。口が動かない、イヴは林檎を一口齧り、それを愛する人の口の中へ押し込んだ。

 動かないはずの彼の指先がぴくりと動き、またもう一口食べさせ、彼の逞しい腕が持ち上がった。


「ああ…最悪だ、最悪の結末だ…こんな事ってあるのか…」


 蛇は項垂れた。


「これでいいの?」


 ナディが子供へそう訊ねた。


「──はい、あなたのお陰で僕たちの計画が叶いました」


「…計画?」


「はい、セバスチャン・ダットサンはかの世界へ渡りたいのです、愛する人に会うため、もう一度その腕で抱き締めるため。その為には──このマリーンを壊す必要がありました」


「──え?今なんて…」


「パラダイス・ロスト、このマリーンという楽園を壊して至る世界、その名もレガトゥム、輪廻を断ち切りウロボロスの輪に閉じ込めた人のための天国、そこには全ての魂が集って永遠の時を生きるのです」


「れがとぅむ…──なら、ライラの魂も…」


「はい、その方がどんな方か存じ上げませんが、あなたも出会うことができます」


「ライラ…」


 禁断の果実を口にし、楽園の代行者の輪廻から解放されたアダムとイヴが自分の足で立ち上がっていた。

 イヴがナディに向かって「ありがとう」と言った。


「私はイヴよ、助けてくれてありがとう」


「………」


「私はアダムさえ隣にいてくれたらそれで良かったの、だから世界の事も楽園の事も自分の使命も全てどうでも良かった、あの時ダンタリオンが差し出した林檎を食べておくべきだったわ」


「彼は始めからこうするつもりだったんだ、僕たちを逃す事と世界を壊す事が同義だったんだ、だから僕たちに目をかけた、計画を成功へと導く為に」


「アダム」


 彼女は満面の笑みを浮かべていた。自動修復壁の機能が停止し、排水処理も停止し、ホワイトウォールが自壊する事になると知っても、生還した愛する人を慈しむあまり満面の笑顔を浮かべていた。


「イヴ、行こう、新しい世界へ。たとえそこで働く苦しみを味わったとしても、子を産む苦しみを味わったとしても、僕たちにとっては新天地だ」


「ええ。──優しい人よ、私たちに幸福を教えてくれてありがとう、事実を見極める目を与えてくれてありがとう。──もう行くわ」


 何も無い広い空間に一隻の船が降りてきた、それは木製で出来た立派な船だった。

 アダムとイヴは手を取り合い、その船に乗り込んだ。蛇は項垂れたまま微動だにせず、ナディとダンタリオンも二人の跡を追いかけるようなことはせずじっと見ていた。

 いざ新天地へ、二人を乗せた方舟が上昇を開始し──待ち伏せしていたおもちゃの星にぱくりと飲み込まれてしまった。


「──え?」


 ダンタリオンが可愛いらしくも間抜けな声を上げる、ナディは何が何やらさっぱりといった様子、蛇は「おや?」とむくりと頭を上げていた。

 二人を乗せた方舟を飲み込んだおもちゃの星が一際も二際も輝き、どこか満足気にキラリン!と光りを放った後、ばびびゅん!と明後日の方向へぶっ飛んでいった。

 ガイア・サーバーの一部がおもちゃの星に丸呑みされた瞬間だった。

 これによりパラダイス・ロストは叶わなかった。

 ホワイトウォールの自壊までもう猶予は無い、その事にナディたちが気付いたのはそれから数日経った後のことだった。

※次回 2023/10/21 20:00 更新

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