TRACK 21
メン・ランナウェイ
『砂上の楼閣』とはよく言ったもので、人という生き物は目先の問題を先送りにして願望ばかりを口にする。
生き残った人たちが住む環境、命を繋ぐ食糧、その他のライフライン、まだまだ整っていないというのに陸師府に集った元高官たちは明るい未来について語っていた。
「──シルキーに関して言えば、このままの推移でいくと向こう五年内には全て駆逐されるはずです。そうなれば、あの日ウルフラグの上空に現れた異形の星は跡形もなく消え去るかと」
陸師府の未来を憂う若い男がそう報告を上げた。老いた男がそれを鼻でふっと笑い、こう付け足した。
「異形の星も市民の胃袋には敵わないという事か、実に滑稽な事だ」
『異形の星』とは、ライラが病室から目撃したスーパーノヴァの卵であり、当時のウルフラグを混乱の極致へ追いやった化け物だった。
彼らは国内に現存するシルキーが何らかの形で異形の星へエネルギーを送っていると考え、それもあと数年内で途絶えると推論を立てていた。
推論はあくまでも推論である、確たる証拠はどこにもない、だというのに老人たちはその推論を信じて明るい未来を目指していた。
その未来とは、シルキーが根絶される事、そして急上昇した海面が正常値まで戻る事、この二つであった。
「異形の星さえ消失すれば、海面も無事に下がる事だろう。それにはまず、シルキーを根絶やしにしなければならない」
五年前まで国家を─曲がりなりにも─支えてきた元高官の老人が厳かに言う、だが、どこまでいっても"たられば"の話である。
特異な環境になっても"だろう"という憶測しか立てられない老人に、若い元軍人の男が辟易しながら報告を続けた。
「…続きまして、レイヴン総団長から先日連絡がありました。指名手配をしていた元厚生省所属のヴォルター・クーラント、並びにホシ・ヒイラギの手配解除、それから…」男がそこで言い淀み、言葉を一旦区切ってから続きを話した。
「それから、今後は人的、食糧的支援の一切を打ち切ると通達がありました」
老人が即座に食い付いた。
「それは何故かね?」
「スカイシップの完成が目前に迫っているから余力が無いそうです──と、言ってはいますが…」
「ふん、こちらの指示に従わず勝手に電波塔を建設していたからであろう、いつかはこうなると思っていたよ、我々も人的被害が無視できないものになってきた」
「元保証局の二人を手配解除した理由については?」
「知らされておりません、そもそも指名手配をした理由も知らされておりませんでしたので…」
「──まあ、アレだろうな…特個体絡みだろう。アレには全ての電子機器にアクセスできる権限がある、他の連中に悪用されないようわざと指名手配をして遠ざけていたのだろう」
「その必要がなくなったという事は…」
「両者の間に何かしらの条約が生まれたか、あるいは保証局の二人がレイヴンに下ったか…そのどちらかでしょう」
「──調べる必要があるな…ザイモン」
ザイモンと呼ばれた若い男が「すぐに手配します」と言い、その場からすぐに離れた。
円卓では老人共が再び何事か話し合いに興じ、ザイモンはゆっくりと観音開きの扉を閉めた。
(どうでも良い事でよくもまああんなにベラベラと…レイヴンに見限られたという事に気付かないのだろうか…)
軍人上がりでさっぱりと刈り込んだ坊主頭をがりがりと掻きむしり、ザイモンが保証局の二人を追うべく行動を開始した。
*
一方、陸師府に目を付けられた事に気付いていない保証局の二人は、変わらず廃船内の食堂で遅い晩飯にありついていた。リッツも変わらず一緒である。
「美味しいね、いつもの事だけど」
ホシがそう褒めると、リッツは何でもないように「そんな事ないよ」と返していた。
「………」
ついこの間までホシはリッツを遠ざけていた、それなのにこの距離間、ヴォルターは「さては何かあったな」と勘繰り、居心地の悪さを感じ取った。
ヴォルターはコピーした海鮮物で作られたパエリアをそそくさと口の中へ放り込み、「煙草が切れていたな…」と適当な嘘を吐いて席を立つ。
テーブルから離れようとしていたヴォルターにリッツが声をかけた。
「なんなら私が買ってきましょうか?買い忘れた物があるのでついでに買ってきますよ」
「なんだ、コンドームでも買ってくるつもりなのか?」
二人が同時に「ぶふっ!」と吹き出し、古典的な反応にヴォルターはいよいよ嫌気が差していた。
「全く…不倫なら他所でやってくれや」
「ふ、不倫じゃありませんから!」
「へ、変な事はしてませんよ!」
「どうだか──自分が欲しい物ぐらい自分で買ってくるわ」
ぎゃあぎゃあと抗議してくる二人を無視し、ヴォルターは食堂を離れてガングニールの元へ向かった。
◇
真っ暗な海の上を一つの光点が進んで行く。それはガングニールが放つものであり、廃船からビル群の方角へ向かっていた。
ヴォルターとガングニールは自意識会話ではなく、コンソールのスピーカー越しに会話をしていた。
「オレを足にするのやめてくんない?」
「じゃあどうやって海を渡れって言うんだよ、無茶言うな」
「オッサンはいいよな〜好きに出歩けて」
「お前の好きなもんも買って来てやるから、それ以上文句を言うな」
「じゃあコンドームを一つ、ホシたちにプレゼントしてやりたい」
「それは面白そうだな」
なんて馬鹿な会話をしつつ、月明かりの下に薄ぼんやりとしたビル群の輝きを視界に収めた時、ガングニールが切り出してきた。
「──なあ、あの廃船ってほんとに誰にも捕捉されてないんだよな?」
「何が言いたい」
「監視されてるっぽいんだけど」
「いつからだ?」
「ついさっきだな、リッツとホシがいちゃつき始めた時から」
「ほんとについさっきだな…」
ヴォルターは操縦桿を微調整しながら目まぐるしく思考を巡らせた、自分たちを監視して一体誰が得をするのか、という事について。
(レイヴン──コールダーが今さら監視するとは思えん。なら陸師府の連中か…けれど奴らは長距離通信を嫌っていたはずだ…なら他の団体か──一体誰だ?)
ビル群の船溜りに詰め所を持つレイヴンの索敵範囲ギリギリの所までやって来た。ヴォルターは慎重にガングニールを着水させ、廃棄されてアウトローしか住み着いていない船溜りへと機体を進めた。
「ガング、監視している奴が誰か調べられるか?」
「やっていいのか?自分から網にかかりに行くようなモンだぞ」
ヴォルターは前方に固定していた視線をずらし、もう何も居なくなった海へと向けた。
「今さら網を張った所で小魚の一匹も獲れはせん「ごめん、その比喩よく分かんない…「──ちっ、俺たちにはもう利用価値が無い、だから今さら監視した所で得が無いって事だよ。船を監視している奴の出所が知りたい、それだけだ「だったら最初からそう言えよ、回りくどいオッサンだな〜」
小言ばかり言うガングニールにむかっ腹を立てたヴォルターが、その大きな拳でコンソールをガン!と叩いた。
ガン!と叩いた時にいつもの潜伏場所に到着した、到着したがヴォルターはすぐに違和感を覚えた。
(見張りがいない…何故だ?)
いつもなら、ヴォルターたちを匿う代わりにシルキーやら物資やらを強請ってくるゴロツキが最低一人ぐらいはいるはずなのだ、だがそのゴロツキどころか人の気配もまるでなかった。
「おい、降りないのか?」
「様子がおかしい、いつもならゴロツキの一匹や二匹がいるはずなんだが…」
「もう網にかかったんじゃないのか?」
「そういう皮肉はすぐに出てくるんだな──」と、ヴォルターが冗談を返した時だ、ガングニールの頭部に誰かがぽんと飛び乗ってきた。
その微かな衝撃がヴォルターにも届き、にわかに緊張感が満ちた。
頭部に着陸した何者かの軽い足取りが頭上からカンカンと聞こえる、そしてハッチの外部開閉パネルを操作して強制的に解除を行なった。
コクピットを密閉していた圧縮空気が抜け、外の暑い空気が中になだれてこんでくる、ヴォルターは即座に自動拳銃を構えた。
ハッチを開けたのは驚いた事に小柄な男の子だった──いや、女の子、その両方である。
「まいど!」
「…………」
「あんたがヴォルターやんな?ちょっと探してきてくれへんかって頼まれてな〜それでこうして会いに来たっちゅうわけや。急でごめんやで〜」
「バベル・アキンドか?」
関西弁を使いこなすマキナ、バベル・アキンドは月光を背に受けてコクピットを覗き込んでいたので、ヴォルターからは良く見えなかった。
「それがなんや、あんたに何か関係あんのか?」
「他にもマキナが居たはずだ──お前たちか?俺たちを監視していたのは」
「だから、頼まれたからってさっき言うたやんか。他にもマキナは…おるんちゃう?うちは知らんけどおるんにはおるんやろ」
「一緒に行動していたはずじゃなかったのか?五年前、複数のマキナで探偵事務所を経営していたはずだぞ」
バベルがコクピット内に入り込み、ググッとヴォルターに顔を近づけた。
ヴォルターはこの時、初めてバベルの幼い顔を目の当たりにした。その瞳におよそ感情らしい色はなく、ただのカメラレンズがそこにあった。
「──知らんわそんな話、うちの事知った風に喋るのやめてくれへん?ごっつ腹立つわ」
「…………」
「で?どうすんの?大人しく付いてくる?それとも抵抗する?」
「決まっているだろ──」とヴォルターはバベルの眉間に定めていた銃口を逸らし、レギンスに隠れていた細い右足を撃ち抜いた。
「うっ──」
バベルが態勢を崩したうちにヴォルターがコクピットの外へまろび出る、背後から恨みがましい声が追いかけてきた。
「お前──さすがはラズグリーズの狂犬やで!子供でも遠慮なく撃ちよった!」
ヴォルターはその声を無視し、バベルから──あるいは自分の過去から逃げるように走り出した。
「お前はホンマもんの悪魔やで!いつまでも逃げられると思いなや!」
ヴォルターは懸命に足を動かし続けた。
*
「逃げられたようです、バベルから連絡がありました」
「分かりました、引き続き捜索を続けてください」
『陸師府』という名前は、『陸軍』、『医師会』、『ウルフラグ政府』の文字を一つずつ取ってつけたものである。
陸軍が持つ軍事力、医師会が持つ医療技術、ウルフラグ政府が培った政治力、この三つがかけ合わさった組織であり、ザイモンも当初はこの組織に希望を抱いていた、被災した人たちの助けになる、と。
しかし、蓋を開けてみやれば五年前と何も変わらず、陸軍はシルキーを独占したがり、医師会は組織の沽券に執着し、ウルフラグ政府は他人を動かす事ばかりに頭が取られていた。
ザイモンは思い知った、人は環境が変わった程度では何も変わらないと。
では、どうすべきなのか?今のザイモンにはこの問いに答えられなかった。
レイヴンから提供された水上車にはザイモンと一人の女が乗車していた。黒い髪はどこか蠱惑的で、けれど歳はまだまだ若い、どこかの大学に通っていそうな女である。
ザイモンが女の名前を呼んだ。
「テンペストさん、船の動きはどうですか?」
「まだ勘づかれていないようです、バベルが張った網はまだ生きています」
「分かりました──先手を打ってください、逃げた保証局員が何かしらの連絡をしているはずです」
「分かりました、すぐにハデスを向かわせます」
テンペストがふっと目蓋を閉じ、ザイモンの前で無防備な姿を晒した。
「…………」
ザイモンは手にしている四角形の携帯端末に目を落とした、今は亡き総理大臣の置き土産である。
(まさかこんな物が役に立つだなんて…作った本人もこうなるとは分かっていなかっただろう)
マキナ専用に製造した携帯端末"フリーフォール"、これには一般的な端末と違ってある細工がなされていた。
それは超距離用通信電波、"L波"を用いていない、というものだ。
特個体(マリーンに限らず)はこのL波を用いて電子機器にアクセスする仕組みを持っている、クトウとマクレーンは厚生省の邪魔が入らないよう、このL波を遮断した携帯端末を製造してマキナたちに持たせていた。
つまり、マキナたちはウルフラグ政府が用意した専用の電波を使って連絡を取っていたという事であり、この特殊な電波を政府が独占的に管理していた。
ウルフラグに居るマキナ、テンペスト・ガイア、ティアマト・カマリイ、ハデス・ニエレ、バベル・アキンドはこの電波の囲いの中に囚われていると言っていい──ガイア・サーバーから離れ、彼らの奴隷に成り下がっていた。
主に陸師府が使用しているビルの足元に停車していた水上車がゆっくりと進み始め、夜の海へ漕ぎ出した。向かう場所は元陸軍の兵士たちが詰めている港である、これから張った網の回収に向かうのだ。
ザイモンはゆっくりと流れていく外の景色から視線を外し、隣に座るテンペスト・ガイアに目を向けた。
「………」
凡そ人の物とは思えない、芸術品のような横顔がビルの明かりに照らされているのが見えた。どのパーツを取っても完璧で、ザイモンは暫くの間見惚れてしまった。
水上車がビル群を抜け、少し離れた位置に港の篝火が見えた時だった、すぐ隣から何かの破裂音が聞こえた。
「──何だ?!」
ザイモンが隣を確認する、テンペスト・ガイアが口を驚愕の形に歪めて絶命していた。
「何があった?!」
水上車の運転手が「分かりません、急に倒れました!」とだけ答え、パニックになりかけている自分の手を必死になって抑えていた。
何者かによる狙撃を疑ったザイモンはテンペスト・ガイアの頭に触れてみるが、どこにも銃創らしきものは見つからなかった。
(何故急に倒れるんだ…?何があったんだ…?)
*
(ざまあみろってんだ)
廃船は廃船である、それ以外の何物でもない。壊れているのであれば電子機器の類も一切が使えず、誰にも捕捉されないはずである。
しかし、マキナはこの限りではない。そのテンペスト・シリンダー内の全ての情報を扱う者にとって、いくら廃船であったとしても捕捉する事は容易であり、位置を特定する事は朝飯だった。
バベル・アキンドによって捕捉されていた廃船にテンペスト・ガイアが監視用プロトコルを構築し、船内のマスターコンソールにハッキングを仕掛けていた時だった、マリサが逆にハッキングを仕掛けて相手の電脳を焼き切ったのである。
特個体にハッキング戦を仕掛けて勝てる道理があるはずもなく、テンペスト・ガイアはものの数秒で脳死していた。
電脳戦に勝利を収めたマリサは即座に素粒子流体で自身の体を構築し、船内へ向かって走って行った。
「何で私が──あんなだらしない男なんかの為に!」
文句は言いつつも足は動く、動くものは仕方がない、あの女はどうしてやろうか、などと考えながらマリサはホシの元へ向かった。
デッキから船内へ入り、マリサは迷わずホシの自室へ向かった。その間も船内を確認し、異常がないか調べる。
何体か見知らぬドローンが紛れ込んでいた、大きさはテニスボールほどで数は複数、丸い胴体に蜘蛛のような足が付いている。
マリサはそのドローンを何体か踏み潰し、人が寝泊まりする居住エリアに進入した。
角を曲がった途端だ、前方から鋭く小さな発射音が鳴り、マリサは百パーセントの勘で避けてみせた。
「──?!?!」
先程のドローンだ、胴体から小さな銃口が覗いており一本の硝煙を上らせていた。
「問答無用かよ!──いや先に攻撃したの私だけど──ガングニール!!」
言葉にする必要はないが、マリサは室内にいるホシたちにも気付かせるようにわざと大声を上げた。
《──んだよ!こっちだって忙しいんだよ!》
ガングニールからすぐに応答があった事に安堵し、マリサは仲違いしている事を一旦脇に置いた。
《何か変なのに絡まれてるんだけど?!何か知らないの?!誰なのこいつら!》
《はあ〜?!そっちもかよ!オレたちもバベルっつうマキナから逃げてる最中なんだよ!》
《バベルっ?!バベルってどっちのバベル?!》
《男女のバベル!マジで見た目だけじゃ分からない変な奴!》
《まさか──マリーンのマキナに狙われてるの私たち?!さっきもハッキングされたから逆に相手の脳を焼いてやったばかりなんだけど!》
《よく分かんないけど対処できるんならそっちは任せたぞ!こっちは大変なんだよ!》
《状況は?!》と、会話をしつつもマリサはドローンを一体ずつ踏み潰している。これだけ騒いでいるのに部屋の中が静かなのは一体どういう事だろうか。
《銃を持った奴らがわらわら!オッサンも歳だからいつ捕まるか《──うるせんだよ!!きゃんきゃん喚くな頭に響く!》
《ヴォルター!あんた一体何やったらそんな事になるのよ!もうレイヴンから指名手配は解除されたんじゃないの?!》
《俺が知るか馬鹿たれ向こうに訊けえ!──そっちはお前に任せた!──切る!》
「──ちょ!」
自意識通信が一方的に切られてしまい、ほんの数秒呆気に取られてしまったがマリサはすぐに復帰した。
あらかたドローンを始末し、マリサは腹を括って室内へ飛び込んだ。もし最中だったらどうしようと、ここに来て初心な乙女心が発動していたのだ。やった事ないし。見ただけで恥ずかしい思いをしそうだ。
心配が杞憂で終わってくれなかった。
二人はまさしく真っ最中だ。
「──ふざけんなあんたらこっちは必死こいてここまでやって来たのに〜〜〜!!」
「?!?!」
「?!?!」
「人妻に手を出すってあんたどんだけ腐ってんの?!信じられない!」
「ちょ、ちょっと待ってこれは誤解だから──「ベッドの上で裸で抱き合う意味が他にあるの?!「ま、待ってマリサ!私もちゃんと説明──「あんたなんかに下の名前で呼ばれる筋合いは無い!」と修羅場を繰り広げている間にも、マリサが踏み潰したはずのドローンが次から次へと室内に入ってきた。無限湧き状態である。それでもマリサの怒りはホシに向けられていた。
「あんたが!この人を振って!私を選んで!くれたんじゃ!ないの!」とドローンを足で踏みながら怒っている。
そして、ホシが自分の裸体を隠そうともせずこう言い切った。
「リッツは体外受精だったんだ!!このお腹に子供はいない!!」
マリサはホシが口にした言葉の意味を理解するのに数秒を要し、ぽかんと口を開けた後、
「──だったら何だそれが今言う言い訳か〜!!どのみち手出してじゃん!この屑!ろくでなし!信じられない!信じられない!私には手を出さなかったくせに!」
怒りと嫉妬が混じった結局嫉妬の文句を言い放っていた。
まさしく真っ最中に乱入され、何が何やらと混乱していたホシもカチンと頭に来てしまい、つい言い返してしまった。
「マリサはえっちできないだろ!」
「………」
「僕にだって性欲ぐらいあるんだぞ!」
「…えっちできるし」
「え?できるの?「ちょっと待って何の話してるの?」
真顔で食い付いたホシにリッツがさすがに待ったをかけた。
そうこうしているうちにも侵入ドローンがその数を増やしており、全くもって穏便には見えない銃口を三人に突きつけながら包囲網を完成させようとしていた。
マリサが手近にいたドローンを踏み潰す、「ホシもこうなりたくなかったら私の言う事を聞いて!」と脅しをかけた。
「怖…マリサってほんとすぐ癇癪起こすよね…」
「なんだと〜〜〜?」
「その点リッツはいつも温厚だし、少しは見習いなよ」
「なんだと?!」とマリサが踏み潰されて壊れたドローンをホシに向かって投げつけた。「危ないだろ!」とホシがリッツを庇うものだからマリサはさらに腹を立て、まだ生きているドローンまで投げ始めた。
「このろくでなし!人妻に手を出した屑男!あの夜から何にも変わってない!呑んだくれの方がまだマシだよ!」
「マリサには分からないだろ?!昔振った相手が結婚して僕の所にやって来て一緒に寝るこのザマア展開!「あんたの方がザマアだわ!「僕は大した人間じゃない!こんな誘惑に勝てる人間がいたら紹介してほしいぐらいだよ!」
一体何の喧嘩をしているのか分からない二人の元へ、ザイモンから指示を受けたハデス・ニエレがやって来た。
自分の存在に気付かない三人に向かって、ハデスが開けっ放しになっていた扉をノックした。
「もしも〜し」
「?!」×3
「修羅場ってるところ悪いけど、俺に付き合ってくれない?あんたたちに会いたがっている人がいるんだ」
今さらのように慌て出す三人、しかしハデスは複数の兵士も引き連れていた。
今度は足で踏み潰せない相手から銃口を突きつけられる、さすがのマリサも身動ぎ一つできなかった。
「あんたらに恨みはないけどね、こっちも仕事なんだわ」
「さっき、この船にハッキングを仕掛けたきたのはあんたの仲間?」マリサの質問にハデスが他人事のように答えた。
「そうなんじゃない?生憎と俺たち前の記憶がすっからかんだからさ、きっと他のマキナがやったんだと思う、誰か知らんけど。やったの?」
「やった、脳を焼いた」
「そりゃ無駄なこって」
「どういう意味?」
「俺たちに死は訪れない、きっと今頃新しいマテリアルをこさえて再覚醒しているはず」
「でしょうね、こっちもただの時間稼ぎのつもりだったし」
「それがこれなの?」ふっとハデスが馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
(ようやく)ようやく服を着たホシが臨戦態勢を整えた、ちゃっかりとリッツを庇っている事にマリサはまた腹を立てそうになったが、「こんな男どうでもいい」と気持ちを一旦落ち着かせて再びハデスに集中した。
「諦めなって、もうあんたら包囲されてるんだから。俺たちから逃げられてもどうせすぐに捕まるよ」
「なら、捕まる前に教えてくれるかな?どうして僕たちを捕まえに来たの?」
「さあね、ザイモンっていう陸師府の男が俺たちを起こしてあんたを捕まえてほしいって言ってきたんだわ」
「理由も聞かずにあんたはその指示に従ってるの?」
マリサの問いにハデスがまた他人事のように答えた。
「そうじゃない?他にやる事もないしさ、ただの暇潰しかな」
マリサはハデスが口にした『ザイモン』という名前をガイア・サーバーのデータベースで調べてみた。検索結果はすぐに出た。
(──あった。元陸軍参謀部所属、階級は中尉…バラン・ウィンカーの部下…ジョン・グリーンとも面識がある…ノヴァウィルスに精通している節がある…そんな男に命令されてホシを捕まえに来た?きな臭いにも程がある…)
「もしも〜し」
マリサは即座にハデスを手にかけることを選んだ、ガイア・サーバーへアクセスしてハデスへアクセスを試みる。しかし位置情報のレイヤーに差し掛かった時、見えない壁に弾かれた。
「?!」
「──ああ、なに?俺にハッキングしようとした?残念、これのお陰で俺たちは無事なの」と言ってハデスが四角形の携帯端末を掲げてみせた。
ホシが小さな声で「あれはフリーフォール…」と口にし、マリサは凡その合点がいった。
「それのお陰ね…私がハッキングできないのは…」
「そ、だから諦めて?」
ハデスが合図のために手を挙げた、傍らにいた兵士たちが銃のセーフティーを解除し三人へにじり寄る。
マリサが再びハッキングを試みる、今時銃火器の一つ一つにもICタグが装着されているものだ。「撃てるものなら撃ってみて」と言い、マリサがハデスに特攻を仕掛けた。
「──マリサ!」
「──私の事はいいから早く逃げて!!」
「──トリガーがっ?!引けない!」
マリサの試みは成功した、ハッキングによってトリガーはロックされ、兵士たちは攻撃手段を失った。
けれどマリサたちは不運だった、この場に居合わせた兵士たちは皆、熟練した猛者たちだったのだ。
「──ホシ君!!」
ホシの手近にいた一人の兵士が己の拳で即座に応戦を開始した。リッツはホシを守るべく盾になることを選び、鍛え抜かれた兵士の拳を自ら受けにいった。
「リッツ!!」
「ホシ!!」
ハデスを体当たりで吹っ飛ばしたマリサがホシの腕を取り、部屋からまろび出る。外の通路にはうじゃうじゃと侵入ドローンがいたがその全てを蹴散らした。
「待って!リッツが──「諦めて!どのみち彼女はもう人様のもの!ダブルの意味で諦めろ!」
マリサは甲板に待機させていた機体を起こし、オートパイロットで自分たちの元へ引き寄せた。
シャムフレアエンジン、擬似的に太陽核反応を再現させた×××の最新型エンジンのタービン音が壁の向こうに聞こえ始め、マリサは適当な扉を開け放って外へ出た。
ぶわわと暑い空気が押し寄せる、それは何も熱帯夜の風だけではなく、燃焼を終えた圧縮空気の熱さでもあった。
月光の下に己の機体があった。曲線で構成されたパープルの人型機、己のジェラシーを表すようにギラギラと明かりを放っていた。
「乗れ!!!!」
マリサは駄目な男の襟首を掴み、コクピットの中へ放り込んだ。
*
蒸し暑い夜の温度が嘘のように、ここは冷んやりと涼しかった。
マテリアル・ポッドから身体を起こしたテンペスト・ガイアがバイタルチェックに入った、電脳系、神経系、繊維筋肉系、各種内蔵器官に異常は見られない、あるとすれば記録領域。
(──この空白は…最後に居たのは探偵事務所のはず…前のマテリアルが破損した?)
記憶領域の空白部分はわずか数時間ばかり、それ以前は五年前の大災害に被災した時のものだ。
テンペスト・ガイアは裸体のままポッドルーム内を歩き、他のマキナの確認に入った。
タイタニス以外のマキナの無事が確認できた、無事と言ってもエモート・コアの稼働が確認できただけで現在の状況までは分からない。
(向こうに渡った皆んなは無事…とくに異常は示していない)
それにはグガランナ・ガイアも含まれる、管制官を射殺したはずの彼女も、マテリアル・コアを管理するポッド上では何ら異常は見受けられなかった。
(こっちの皆んな──私と同じ、電脳の一部に異常がある…)
一方、ウルフラグにいる他三名のマキナには異常が見受けられた。テンペスト・ガイアと同様、記憶領域にわずかなエラーがあった。
(何かあったと見るべきだわ、こちら側の私たちが同時にエラーを起こすだなんて──それよりも)
彼女はガイア・サーバーにアクセスし、自らの権能を使って知り合いの安否確認を行なった。
そして、テンペスト・ガイアは一人目から打ちひしがれることとなった。
「ああ…ピメリア…」
自身を暗い電子の海から引っ張り上げ、ごった返すの人の世界を連れ回して、沢山のメモリーを与えてくれた彼女が死亡していた事が分かった。
両足に力が入らずその場で膝を折ってしまい、テンペスト・ガイアは暗い海の底へ引きずられてしまいそうになった。
彼女はこの事をグガランナ・ガイアにも告げるべきだと判断し、折れそうになっている自分の気持ちを叱咤してコールした。
──すぐに繋がった。
「テンペスト・ガイア、ようやく目覚めたのね」
「…そういうあなたはもう起きていたのですね、今はどちらに?」
「カウネナナイよ──そう呼んでもいいのか分からない程に国が海の底に沈んでしまったけれど」
「お一人ですか?」
「いいえ、プログラム・ガイアも一緒よ」
「そうですか…グガランナ、あなたに報告すべき事があります、どうか心を強くして聞いてください」
「何かしら?」
「ピメリアが死亡しました、きっとあの日の災害に巻き込まれたのでしょう…」
テンペスト・ガイアはマテリアル・コアの異常を疑った。
「そう」
「────え?」
「報告はそれだけかしら?」
「…グガランナ?」
「今、立て込んでてね、ドゥクスの差し金か、ガイア・サーバーに攻撃を仕掛けている部隊がいるの、その対処に追われているから」
「グガランナ?」
「なにかしら?」そう言う彼女はとても自然体のように思えた。強がっているようには聞こえない、それが何より異常だとテンペスト・ガイアは思った。
「──何でもありません」
「そう。切るわね」
通話が切れ、濃い静けさがテンペスト・ガイアを包んだ。
(あれだけピメリアに…一体何が──いや、私が眠っている間に何かがあった)
彼女はマキナを束ねる司令官である。
(迅速にかつ的確に、問題対処に移りましょう)
彼女は(全裸のまま)迅速に介入を開始した。
(先ずは私たちに何が起こったのか、調べるべきだわ)
*
走る。逃げる。ヴォルターは背後から迫り来る兵士たちから必死になって逃げていた、指名手配をされてから今日が一番の逃走劇である。
(解除されてから今日が一番って!どんな皮肉だ!)
《んな事言ってる場合か!──前の角からも来るぞ!海へ飛び込め!》
ガングニールのアドバイス通り、ビルの裏手に築かれたイカダの道の先、ビルの角から複数の男たちが現れた。逃げ場なしと判断したヴォルターは即座に海へ飛び込んだ。
「──馬鹿が!夜の海へ飛び込んだぞ!」
生身の人間であれば、何の明かりも持たずに夜の海へ飛び込むのは自殺行為であろう。
(こちとら裸眼じゃねえんだよ!!)
ヴォルターは義眼のサーモグラフィーを起こしマッピングを行なった。幸い周囲には大きな障害物はなく、少し泳いだ先に窓ガラスが割れた別のビルがあった。
海中からビル内へ進入し、酸素を求めて浮上した。
「──はぁっ!危なかった…」
ヴォルターが顔を上げた場所は誰かの個室のようであり、彼のすぐ傍にはボロボロになった小さなベッドがあった。
どうやら集合住宅の一室のようであり、ヴォルターはそろりと海の中から這い上がった。
勿論電気系統は死んでいるので室内は暗い、ヴォルターはサーモグラフィーを起こしたまま室内をぐるりを見回した。
──さすがはラズグリーズの狂犬やで!子供でも遠慮なく撃ちよった!
「──ちっ」
先ほど、バベルに言われた台詞が脳内でリフレインする、ヴォルターがいた場所は子供部屋だった。
彼は周囲に誰も居ないことを良い事に──長年溜まり続けていた鬱憤を、誰にも言えなかった言い訳を口にした。
「──誰が子供を殺したくて殺す奴がいる!!俺たちだって騙されたんだよ!!」
言い訳は言い訳だ、それでヴォルターたちが背負った咎が軽くなるわけでも、ましてや無くなるわけでもない。
全てはお国の為だった、当時のセレンは禁止条約に含まれている核を保有しているとし、ヴォルターたちの目的はその核を無力化する事にあった。
全ては政府からの指示だった。こちらの要請に従わない場合は、武力を持って無力化しろとの指示があった──たとえ民間人がいたとしても。
彼は軍人だった、だからその指示に従った、それが全てだ。
「…………」
だから何だと言う?政府のせいにしたところでこの胸に蟠る怒りは消えない、収まらない、保証局に鞍替えする事を選び、再び政府の犬となって日々労働に励んでもちっとも晴れやしなかった。
それでも彼は歩むことを止めなかった、今もそうだ、己の死に場所を求めて足を動かす。
今ではない、この命を費やすのは決して今ではなかった。
◇
「何だありゃ」
ヴォルターは集合住宅の屋上にいた、そこから街の様子を眺めていた。黒くて濃い夜空が広がり、月の明かりがよく届いていた。
街には小さな光りがいくつも存在し、群店街の中をくまなく行き来しているようだった、まるで蛍のように。
《ありゃラハムだな、きっとオッサンのことを捜しているんだろ》
《傍迷惑な…となると、ティアマト・カマリイも絡んでいるのか》
《そうだろうな、つまりオレたちは今マキナを敵に回して逃げていることになる。あっちも大変らしいし》
《何故そうなった?マキナが俺たちを追いかける理由が分からない》
《ちょっと待ってろ》そう言ってガングニールが沈黙し、ヴォルターが屋上から移動を開始したあたりで再び戻って来た。
《陸師府が絡んでいるみたいだな、マリサに教えてもらったよ》
《陸師府?》
《ああ、ホシを捉えに来たハデスがザイモンっつう男の名前を口にした、こいつは元陸軍の男で今は陸師府に在籍しているらしい》
屋上からビル内に入り、夜空と同じ濃い闇が広がる非常階段をヴォルターが下りていく。
《何でもいい、ここから逃げるのが先決だ──おい、マリサのように機体をオートパイロットで呼び出せないのか?》
ガングニールからすぐに返事はなく、ヴォルターは朽ちた階段を下り続けた。
この集合住宅は誰かの根城になっているようで、所々に人が住んでいる気配があった。それらに気を配りながらヴォルターは歩みを進め、誰かが後付けで建設したらしい、すぐ隣のビルへ渡れる連絡通路の前に到着した。
その通路はリビングの窓をぶち破った先に建設されており、ヴォルターの足元には人が残していったゴミが散乱していた。
《おい、聞こえているのか》
ガングニールからようやく返事があった。すぐに答えなかったのには理由があった。
《オッサン、マキナになる覚悟はある?》
《はあ?》
《オッサンがマキナになればオレをもっと自由に扱える、そういう決まりなんだよ》
《性能に制限がかけられているという事か?》
《そうなる》
《…………》
ヴォルターはゴミを蹴散らし、再び歩き始めた。
《──遠慮しておくよ、自力で港まで戻る》
ガングニールは何も返事を返さなかった。
熱帯夜の風にさらされた連絡通路は蒸し暑かった、ヴォルターの足元には群店街が広がっており、その熱気も届いているのかもしれない。
彼は足元に広がる街を見やった、沢山の人が行き交い、その間をラハムたちがくまなく飛び回っている。
ビルの谷間にいるからだろう、ラハムの音声が反響して彼の元にも届いてきた。
「ヴォルターは大災害を引き起こした重要参考人です、見かけた方はラハムまでお知らせください。ヴォルターは大災害を引き起こした重要参考人です、見かけた方はラハムまでお知らせください。ヴォルターは…」
ラハムの言葉を耳にした途端、外の熱気が気にならないほどに体の内側から熱くなり、ごうごうと鳴っていた風切り音も聞こえなくなった。
「何だそりゃ──」
《ひでえ話しだ…人探しの為にそこまでウソを吐くっていうのか?》
あんなもの、人的に起こせるはずがない、それなのにヴォルターは事実無根の罪を喧伝されてしまい、重罪人に仕立て上げられそうになっていた。
政府の為に民間人にまで手を出したというのに、今はその政府に濡れ衣を着せられそうになっていた。
どこまでも身勝手である。
ヴォルターは追われている事も忘れ、声の限りに叫んだ。
「──ざけんじゃねええ!!!!」
ヴォルターの怒りは足元の街にまでよく届いた、人々が一斉に顔を上げ、ラハムたちも反応してすぐさまやって来た。
ふよふよと呑気に飛んできた一体のラハムをヴォルターが鷲掴みにし、こう言った。
「俺を今すぐ連れて行け、もうどこにも逃げたりはしない」
その後はラハムを無造作に投げつけ、一仕事を終えたラハムたちが「わー」とどこかへ行ってしまった。
そしてすぐにやって来た、ラハムの生みの親であるマキナ、ティアマト・カマリイが集合住宅の向かい側のビルから姿を見せた。
「あなたがヴォルター・クーラントね、陸師府から捜索願いが出されているわ」
「捜索願いだあ?あんな下らない嘘を吐いて探し回ることが捜索だって?」
「…………」
「お前に文句を言っても仕方がない、お前たちのボスに会わせろ」
「逃げないのね、バベルから報告があったけど、あなたは子供相手でも容赦しないと」
「…………」
「あなたは本当に子供でも殺せる人なの?」
「そう見えるか?」
「見えないわ」
ティアマト・カマリイが吹きさらしの連絡通路に足を踏み入れた。その長過ぎる髪が風にあおられ、大きくはためいた。
「どうしてバベルを撃ったの?」
「捕まりそうになったからだ、それ以外の理由はない」
「バベルが生身の子供だったら?あなたはそれでも撃ったの?」
「相手の出方による、撃ちはしないが殴りはするかもしれない」
「それは普通の大人でもする事よ、躾だと言って手を出す人は沢山いる」
「何が言いたい?この問答に意味はあるのか?」
「私が政府に対してあなたの弁明を行なう、あなたは決して子供を殺すような非情な人ではないと」
「何故そこまでする?お前の何の得があるっていうんだ?」
「私は母だもの」ティアマト・カマリイがそう言った。
彼女はフリーフォールで操られていたとしても、母であった。
「あなたもこのテンペスト・シリンダーで生きている、私にとって子も同然、子を庇うのは親の務め、何かおかしな所はあって?」
「今さら…俺の罪が晴れたところで何になるっていうんだ」
「少なくともあなたは救われる、母が子を救うのは当然の義務だから」
「…………」
「だから──」ティアマト・カマリイがさらに足を一歩踏み出した、だが、持ち上げた足が地面に着くことはなく、体が大きく傾いだ次の瞬間には連絡通路から落ちてしまった。
彼女の小さな体は群店街まで真っ逆様、突然の事に人々が大きく響めき、さっと離れていく。
「一体何が──《おいオッサン!今すぐその場から離れろ!》
街の人々が一斉に顔を上げ、皆がヴォルターの存在に気付いた。
一人の男が声を張り上げた。
「──あいつだ!あいつが突き落としたんだ!」
それから連鎖反応のように街の人々がヴォルターを非難した。人殺し、子供を殺した、それらの言葉は鉛の弾丸より鋭くヴォルターの胸を穿った。
ヴォルターは街の人々に対して否定しようとするが、ガングニールに止められてしまった。
《誰もオッサンの言う事なんて信じやしない!それにあいつはマキナだ!体を見ればすぐ異変に気付くはずだ!──いいから今は逃げろって!》
「──くそっ!!」
ヴォルターは一度は括った肚を諦め、さらなる逃走劇に身をやつした。
*
「捕まえたのは女一人?──貴様は一体何をしてきたんだ!マキナを与えてやったというのにこの体たらくは何だ?!」
「──申し訳ございません」
陸師府の元に戻ったザイモンは深々と頭を下げた。
(関係者の一人を捕まえたんだ、十分な手柄じゃないのか)
ザイモンは怒鳴りつける男に見えないよう歯軋りをした。
「全く使えん男だ…マキナの亡骸はお前が処理しておけ!」
「承知しました」
「まあいい、その女をここに呼べ、情報を聞き出す」
彼らに捕縛されたリッツが、兵士に引き連れられてすぐにやって来た。
円卓を囲んでいた男たちがリッツに不躾な視線を送っている、男所帯の組織にとってリッツは見栄えの良い花に見えたことだろう。
座して動こうとしない老人の一人が口火を切った。
「元保証局員のヴォルター・クーラント、並びにホシ・ヒイラギという名前に聞き覚えは?」
「………」
兵士の拳を受けて頬が赤く腫れているリッツが老人を睨んだ、睨んだだけで口を開こうとしなかった。
「ザイモン、彼女の名前を」
「──リッツ・アーチー、元大統領補佐官の一人で現在は大学に在籍しています」
「大学に?それがどうしてまた保証局員の元に居たんだ?」
円卓を囲う者たちが再びリッツに視線を向けた、それでも彼女は口を割ろうとしなかった。
「──こちらは君に対して質問している、やましい事がなければ答えていただきたい」
「………」
それでも彼女は何ら話そうとしない。
「──ザイモン、彼女は大学で何をしていたのかね?」
「大学にはロザリー・ハフマンという教授が在籍し、彼女はシルキーの第一人者として知られています。彼女もこの教授と共に研究に参加していたと聞き及んでいますが、具体的な事は分かりません」
「シルキーの研究、それから特個体を有する保証局員と行動を共にしていた…」
老人が考え事をしながらこつこつとテーブルを指で叩いている。
「レイヴンからの協力関係解除の通達──大学側も我々を見捨てるつもりでいる?」
検討外れも甚だしいのだが、老人はそのように結論付けた。
老人はそうだと思い込み、さらに話を続けた。
「ホワイトウォールから生まれるあの化け物は知っているね?奴らは我々が使用していた電波を元にして活動をしている節がある、だから陸師府として電波塔の再建に反対していたわけだし、これ以上の被害は市民の存亡に関わる」
「それが何か?」この時初めてリッツは口を開いたが、この聞き方が良くなかった。
老人はリッツたち、レイヴンや大学が化け物や陸師府の意向を無視した何かしらの企てを行なっていると捉え、誤解を招くこととなった。
「──本当に分かっているのかね君たちは、何をしようとしているのか知らないが、これ以上市民たちを危険な目に遭わせるわけにはいかない」
「何を言って──あの二人の事を勝手に追いかけて勝手に私を連れて来たのはそっちでしょう?!」
「我々が保証局員を探していたのはレイヴンに指名手配されていた理由を訊く為だった、それがまさかこんな陰謀に出会すとは」
「はあ?!陰謀?!」
「そうだろう?シルキーを研究し精通している君が特個体を有する彼らと接触したのは、我々には言えない企てないし何かしらの計画があったからだ。それに加えて今日まで協力関係を築いていたレイヴンから一方的な解除通達、これを疑わない者はいない」
リッツは心底信じられないように何度か被りを振り、黙秘を貫いていた理由について語った、が、今さらだった。
「私が黙っていたのはホシ君たちに迷惑がかからないようにするため!あなたたちが追いかける理由が分からなかったから黙っていただけよ!」
「そうだろうとも、我々も君たちの陰謀に気付けなかった、お互い様だ」
リッツが「あんた頭おかしいんじゃないの?!」と遠慮なく罵倒し、ザイモンも心の中で激しく同意した。
「彼女を案内してやってくれ、重要な参考人だ。それから現時刻をもって保証局員の二人を本格的に指名手配、それと大学側に現在の研究内容を全て詳らかにするよう通達しなさい」
殴られ、連れて行かれ、一方的に悪者扱いを受けたリッツは大変頭にきていたので、会議室から去る間際に「誰があんたらみたいなおかしい連中に研究内容を明け渡すか!」と吠えていた。
老人の面の皮も大変厚い、リッツの罵倒も立板に水で何ら効き目はなかった。
騒々しいリッツが退出し、円卓を囲んだ老人たちが大学側へ対する措置を検討している時、こんこんと軽やかなノック音が鳴った。来客である。
「誰かね?」
部屋に入って来たのはザイモンから指示を受け、ヴォルターたちを追っていたハデスとバベルだった。
ザイモンは訝しむ、ここへ来てほしいと指示を出した覚えがなかったからだ。
「…何かご用でしょうか?」
彼がそう訊ねる、するとマキナの二人がほぼ同じタイミングで首を捻り、ザイモンに視線を向けた。
まるで人形だ、その不気味な仕草にザイモンのみならず円卓を囲っていた老人たちも肝を冷やした。
そこへラハムが一体、ふよふよと入ってきた。そして、そのラハムが喋り始めた。
「ご機嫌よう皆様方、このような形でお話しすることを大変残念に思います」
(この声は──テンペストさん?!)
ザイモンはマキナがどういった存在か知識として頭には入っていた、しかし、目の前で死なれて半日も経たないうちに本人の声を耳にするのはやはり衝撃が勝った。
老人がそれは何故かと問うた。
「何が残念なのかね?」
「私が使用していたマテリアル・コアの稼働停止原因が脳死とありました、しかし私には覚えがありません」
会議室にいた皆が沈黙した。
「何か知っているのではありませんか?」
それは質問ではなく確認の意味が濃かった。
先程まではリッツが固く口を閉ざしていたが、今度は彼らが口を閉ざす番だった。
無言を肯定と捉えたテンペスト・ガイアが、怒気を孕んだ声で続きを話した。
「──話さなくても構いません、先程ティアマト・カマリイから証言が取れました。私たちを利用し、特殊安全保証局のヴォルター・クーラント、それからホシ・ヒイラギの両名の捜索を行なっていたのですよね?彼女の子機であるこの子のカメラ映像から証拠も抑えてあります」
「…………」
「あなた方は私たちマキナに一体何をしたのか、その自覚はありますか?」
老人たちの面の皮は大変厚い、テンペスト・ガイアに悟られないよう冷や汗は流しているが表情に変化はなかった。
「記憶領域に細工を行ない証拠を残さないその汚い手口、私がティアマト・カマリイをマテリアル・コアから強制的に切り離さなければ証言が取れなかったことでしょう」
「………」
「黙して語らず、ですか。良いでしょう、これは私からのプレゼントです、どうかお受け取りください」
ボン!と、人形に成り果てていたハデスとバベルの頭部が爆発を起こした。電脳の肉片、人工血液やらが周囲に飛び散り、老人たちの顔にもかかった。
二つの骸がその場にごとりと落ちる。
「二度と私たちに手を出さぬよう、よろしくお願い致しますね。これでも私はマキナの司令官を務めています、あなた方がこのような手を下すというのであればこちらもそれ相応の対応をしなければなりません。──それでは」
びゅううん!とラハムが凄い速度でその場から飛び去っていった。
その後、会議室は紛糾し、肉片や血に塗れた老人は顔を真っ赤にしてザイモンを怒鳴りつけていた。お前のせいだ、お前のせいだと何度も罵り、全てを若い男のせいにしていた。
これが彼らが築いた大災害後の城である、まさしく『砂上の楼閣』であり今にも崩れそうになっていた。
若い男、ザイモンは決意した。
(──去ろう、こんな所に何の未練もない)
そして男は会議室から去り、陸師府から去り、自分の手でウルフラグで一体何が起ころうとしているのか、調べることにした。
マキナたちと合流できたのは翌日のことであった。