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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
270/335

TRACK 19

リブレアンワールディリア・2



 空想量子によって築かれた世界に太陽が昇った。あなたはその光りで目を覚まし、ゆっくりと起き上がる。

 果てもなく広がる空平線、色とりどりの雲が空を駆け、爽やかな風が吹き付ける。それらの景色を眺めた後、あなたは空腹と喉の渇きを覚え、その場に立ち上がった。眠っていた場所は屋外、ベッドのように柔らかい草の上だった。

 あなたは家の庭で眠っていたのだ、庭を囲う柵の向こうには道があり、あなたの背後には家がある。


→家の中に入る。

→道を辿る。

→とりあえず二度寝する。


 あなたは庭から離れて柵を越え、のどかに続く道を辿ることにした。

 人が生むイマジネーションにも質量が存在し、その僅かな質量が有する引力によって引き寄せられたのが空想量子である。

 とりあえず量子さえあれば何とかなる、どんな物でも再現できる、それが一二の母が一人娘に送ったプレゼントであった。本人は嫌がっていたが。

 その無限大に存在する空想量子によって紡がれた道は林立する木々の合間を抜け、急勾配な坂道へ続いていた。あなたは迷うことなく歩みを進め、えっちらおっちらと坂道を下り始める。

 空腹にはキツい坂だ、それでもあなたは食べ物を得るため頑張って下りた。

 頑張って下りた先には、茂みに囲われた一つの湖があった。その湖畔にはプラスチック容器に入れられたエビフライが大量に並べられ、一人の女がもしゃもしゃと食べていた。

 その女があなたに気付いた。


「ごめん、先に食べてる」


 あなたは、別にいいよと答えながら彼女と並んで腰を下ろし、未開封のエビフライ盛り合わせに手を伸ばした。


「いや〜向こうに行ってきたからお腹が空いちゃって、というかあなたが捨てたエビフライの尻尾を見ちゃったから私も何だか食べたくなっちゃって」


 あなたは彼女の喋り方に疑問を抱いた、初めて会った時と比べて随分と砕けているように感じたからだ。


→「喋り方が変わってるけど何かあった?」と訊ねる。

→「あなたも今日からエビフライ好きを名乗るといい!」と言う。

→「向こうってどこ?」と訊ねる。


 エビフライ好きを名乗るといい!と言うと、彼女から「いやそこまで好きではない」と否定の言葉が返ってきた。


「あっち行ったりこっち行ったりするのほんと大変、あの時きちんとサーバーと接続できていれば楽できたはずなんだけどね」


 彼女はあなたと違ってエビフライの尻尾もむしゃむしゃと食べていた。エビフライの尻尾ってゴキブリの羽と同じらしいよ、と教えてあげると彼女は咽せていた。


「──最悪…何でそんな事言うの?」

 

→「何となく」と答える。

→「何となく」と答える。

→「何となく」と答える。


「あれバグった?同じ選択肢しかないじゃん。まあいいか、あなたはただの繋ぎ役なんだし…」


 彼女の言葉にあなたは食事の手を止め、じっと見入った。彼女があなたの視線に気付き、彼女も食事の手を止めた。


「言ってなかった?言ってなかったわね。ライラ・コールダー、この人間だけは何をどう頑張っても手出しができないの。だからあなたを作った、ナディ・ゼー・カルティアンが所有していた携帯端末を基にしてね。がっかりした?自分の出生を聞いて」


 あなたは首を小さく横に振った。


「あそう?ならいいけど。ライラ・コールダーは生まれてくる前に遺伝子操作を受けていてね、メラニン色素が著しく欠乏しているの、だからこっちからアクセスできない、他の人間は皆んなできているのに」


→何故ライラ・コールダーにアクセスする必要があるの?

→携帯端末から生まれたの?私は一体何なの?

→ナディ・ゼー・カルティアンってどんな人なの?


 あなたはそれらの質問を口にせず飲み込み、代わりにタルタルソースがふんだんに付けられたエビフライを飲み込んだ。さくっとした衣とエビフライのぷりっとした食感が舌を刺激し、あなたは満足した。


「ライラ・コールダーもウルフラグの息がかかっている可能性が高い、こっちのコンキリオはヴァルヴエンドの所属だけど決して信頼しているわけじゃない、だからネクスト・チルドレンの計画を進めていたわけだし…」


 あなたは勝手に話を進める彼女に困惑し、やっぱり訊きたい事を訊くことにした。

 まず一つ目。


「どうしてアクセスする必要があるかって?そうね、理由は二つあるわ。一つ目は記憶と人格のアーカイブ化、二つ目は監視装置の調査ね。一つ目はレガトゥムの保管に必要な事だし、二つ目はガイア・サーバーと接続するために必要な事だから」


 次に二つ目。


「あなたの存在は何かって?そうね…生殖行為による生命体では無いことだけは確かね。けど、それが何?これから先は仮想世界がホームグラウンドになるんだし、私だって言うなればあなたと一緒よ。生命体の出生にえっちも電子も関係ないわ」


 最後に三つ目。


「どんな人かって訊かれてもね…単に彼女と一番仲が良さそうだったしプライベート端末を手放したから回収しただけだし…あなたの方が詳しいんじゃないの?前にピメリアって人を見たでしょ?あれはあなたの──というより、あなたの基になった端末から再現されたものよ」


 あなたの質問にきちんと答えた彼女がエビフライの衣で汚れた手をぱんぱんと叩き、その場に立ち上がった。あなたは何だか置いていかれそうな気がしたので、あなたも食事の手を止めて慌てて立ち上がった。


「ゆっくりしなさいな、起きたばかりでしょう?私はまだまだやる事があるからお先に失礼するわ」


 あなたは彼女の手を取ろうと腕を伸ばすが、「やめて」と彼女に拒まれてしまった。


「そういうの好きじゃないわ。私だって誰かに甘えたことがないのに、そんな事されてもどう対応すればいいか分からない」


 あなたは仕方なく、一度浮かせた腰をまたその場に下ろした。


「それにここはレガトゥムよ?無から有を生み出せる所、死を恐れた哀れな老人共が夢見た世界、誰かに甘えたいのならあなたがその相手を生み出せばいい」

 

→ここって寂しい所なんだね。


「………どうして?どうしてそう思うの?」


→だって、自分が思った通りにしか世界が動かないから。


「それの何が寂しいの?それって誰もが神のようになれるって事なんだよ、ここに訪れた人は須く万能感を獲得するんだよ?それの何が寂しいの?」


→この世界に飽きてしまったらどうなるの?


「………………」


 彼女はあなたの言葉を聞いて、何かに気付いたような顔をして、けれどすぐにそれを否定するように首を振っていた。


「神は自分が創造した世界に飽きたりしない、だから大丈夫、あなたの指摘は正鵠を得ていないわ」


 髪を無造作に伸ばし─それは髪を切ってくれる人が傍にいないから─へんてこな服装をした─それは注意してくれる人が傍にいないから─彼女は、自らが生み出した存在であるあなたに背を向けて一人で歩き出した。

 あなたは生まれたばかりであまり良く分かっていない部分がある、だから自分の思いを上手く言葉に変換することができなかった。

 怪我をする、病気になる、嫌な事だ。

 誰かと喧嘩する、仲間はずれにされる、これも嫌な事だ。

 嫌な事は嫌だ、誰もがそうだ、誰だって不幸になりたくはない。

 そしてここは──『死』が存在しない世界、まるで生まれてきた事自体を否定しているかのような世界。


「………それってなんだかなあ〜」


 あなたが呟いた言葉は誰に聞かれるでもなく、けれど確かに空気を震わせながら空へ上っていった。



 湖畔に並べられていたエビフライを全て平らげたあなたは暇を持て余していた。

 さすがに食べ過ぎたようだ、お腹が重たく動ける気になれない。だからあなたは見上げている空を見つめながら、「全部たこ焼きになれ」と念じた。

 するとどうだろう、空に上っていた一つ一つの雲が本当にたこ焼きになってしまった。

 面白い、イマジネーションの味をしめたあなたは次から次へと雲を様々な物に変換し、やがてすぐに飽きてしまった。

 胃もたれがおさまったあなたは体を起こし、湖を覗き込んだ。生き物が存在しないただの水溜まりは寂しいものだったが、あなたはある事を試してみた。


「ナディ・ゼー・カルティアンってどんな人か、教えて」


 すると、ただの水溜まりだった水面に変化が起こった。

 ある人の顔が映し出されたのだ。その人は女性で薄らと汗をかいている、肌の色は黒くて髪も黒い、眉間にしわが寄っていて何かに集中しているようだ。


「声も聞かせて」


 あなたがそう言うと、水面からモニターに早変わりした湖から声が届き始めた。


「──この曲も良いな、イントロが最高に良い…」


 曲を聴いているようだ、良く見れば彼女はヘッドホンを装着していた。

 水面に姿は映っていないが、男性の声も届いてきた。


「ナディ、そろそろ出撃だ、ヘッドホンを外してほしい」


「おっけー」


「本当にそんな事で機体コントロールが向上するの?騙されてない?」


「それはウィゴーさんに言って。でも、波は一つじゃないって分かったから、その事に気付けたのは良い事じゃない?」


「結果が伴えばね「──何だとう?!」


 二人の気の置けないやり取りを聞いて、あなたはふふと笑みを溢した。

 あなたは生まれて初めて笑みを溢した。

 モニターの映像は彼女を捉え続けている、けれど彼女が一体何をしているのか分からない、あなたは湖に状況を訊ねた。


「この人は何をしているの?」


 モニターの映像が切り替わった。ここと違って青一色の空の下、海に一隻の船が浮かんでおり凄い勢いで進んでいた。

 また映像が切り替わった、そこは海から二つの山が露出している所であり、その間に小山のような超巨大生物がいた。

 言葉による説明はなく、映像による説明を受けたあなたはもう一度湖に訊ねた。


「もしかして、この人は今からあの大きな生き物を倒しに行くの?」


「b!」サムズアップの絵がモニターに表示された。どうやら正解らしい。


「あなたは喋れないの?」


 あなたの質問に返事はなく、湖はただナディの姿を映していただけだった。

 

(どういう世界なんだろう…あんな大きな生き物がいて、それと戦って…こっちよりよっぽど異世界っぽい)


 興味が湧いたあなたは、ライラ・コールダーという人物についても知りたくなり、また湖に語りかけた。


「ライラ・コールダーって人を映して」


 先程はぱぱっ!と水面からモニターに変化したのに、今回はそうもいかなかった。生き物がいない寂しい湖がそこにあるばかりで、湖はライラ・コールダーという人物を映してくれなかった。


(あれ、どうしてだろう──ああ、さっきの人がメラニンがどうのこうのって…ここから接続できないんだ)


 ならば仕方ない、と一度諦めたあなたはいや待てよ、とすぐに考え直して次の質問をした。


「ライラ・コールダーのすぐ傍にいる人を映して」


 成功した。水面から再びモニターに変わり、ある部屋の中を映し出した。

 そこは病室だった。恐ろしく清潔で、あなたの目の前に広がっている湖のように、生の息吹が感じられない場所だった。

 誰の視点かは分からない、ひどく朧気で今にも眠ってしまいそうな、何度も瞬きを繰り返している人だった。


(この人が…ライラ・コールダー…)


 病室のベッドに横たわった人の視点から見るライラ・コールダーは、とても白かった。肌も髪も瞳の色も、全て白かった。

 そして細かった、寿命を迎えようとしている老人のように腕が細く、今にも倒れてしまいそうな人だった。

 声が届く。


「ヨルンさん…ナディは生きています、あの壁の向こうで生きています。だから、もう少しだけ持ち堪えてください…お願いですから」


 震えていた、ライラの声は震えていた、懇願するように。

 あなたは理解した、ベッドに横たわっている人はきっとライラにとって大切な人で、そしてその人が今にも消え入りそうになっている事を。


「絶対にあなたの前に連れて来ますから、だから病気になんか負けないでください」


 生老病死がある世界。あなたは何て不幸な事なんだろう、と思った。

 

「遅くなってすみません、スカイシップの建造が終わればまた報告に来ますから。──それでは、失礼します」


 モニターに向かって一礼をしたライラが去って行く。

 細い体を隠すように厚手のコートを羽織り、軍帽を目深に被って横たわった人の元から離れて行く──逃げるようにして。


「──ライラ」


 あなたは驚いた。病に伏し、命の灯火が消えいかんとしているにはあまりに覇気があったからだ。

 呼び止められたライラの肩がびくりと大きく震えた。


「あなたが私にした約束、覚えているわ」

 

「…………」


「何があっても連れて帰って来る、あなたはそう言って深海へ出かけていった」


「……はい」


「いつになったら戻って来るの?私が産んだたった一人の子供なのに…」


「…………」


「あなたには分からないでしょう、娘を失う母親の気持ちなんて」


「いえ、そんな事は…」


「お願い、もう長くは保たない、自分でも分かる。お願い、ライラ…あの子を…お願いだから…」


 覇気があった声も段々とか細くなり、やがて目蓋が閉じられた。

 映像を見終わったあなたは考えた、一所懸命に考えた。

 死が存在しない世界、けれど他者との関わりも存在しない世界。

 死が存在する世界、けれど他者との関わりがある世界。

 自己完結した世界において、享受し得る喜びも悲しみも一人分で済む。

 無限大に広がっていく世界において、抱える悲しみや絶望は永遠に無くなることがない。

 果たして、どちらが良いのだろう?

 生死は表裏一体、喜びと悲しみも表裏一体。

 

 あなたは考えた、考え続けた。

 果たしてどちらが幸せなのだろう、と。

※次回 2023/9/23 20:00 更新

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