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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
266/335

TRACK 15

ヒューマン・ビエイヴュア



 人間は不完全な生き物である。具体的には理性と本能のバランスが取れず、時には駄目だと理解していながら、それでも己の本能に突き進むことがある。

 彼女もそうであった。彼女の目的は大災害を経てからたったの一つだけ、それはホワイトウォールを越えることにあった。

 ただ己の目的に邁進し、その絶世たる美貌と一寸の狂いもなく突き進む彼女に心酔しているレイヴンの兵士が、緊張した面持ちで彼女に報告していた。


「総団長、ヴォルター・クーラントを元ユーサ港付近で発見しました」


 次世代の船が停留している桟橋に立つ総団長が端的に訊ねていた。その声音にはおよそ人間らしい色はなく、機械的なものだった。


「身柄は?」

 

「潜伏場所の特定を急いでいます、ローカルルールに縛られているようで滞在している調査員が難航しているようです」


「急がせなさい」


「分かりました」


 そう指示を出した総団長が、通称『スカイシップ』と名前が付いている空飛ぶ船に目を向けた。

 総トン数は一般的な空母より約半分の五万トン、全長も約半分の一五〇メートル程度のその船はとても特徴的な形状をしていた。

 船体の前身部分はまるでムカデのように複数の両翼を携え、後身部分は幾何学的な空洞を形していた。

 スカイシップの設計思想と根本基礎を確立させたジュディスが名付けた『ムカデ翼』には、そうなるざるを得ない理由があり、それは五万トンに及ぶ物体を空へ飛ばすには計一五キロメートルを有する翼が必要である事だった。

 一五キロに達する翼を建造するのは些か非現実かつ達成不可能であり、故にムカデ翼のように複数の翼を用いて揚力を分散させる必要があった。作った本人も「気持ち悪い」と評している。

 次に後身部分の幾何学的構造は、ジェットエンジンの振動問題を解決することにある。ジェットエンジンはタービンを使用している関係上、どうしても不釣り合いな振動が発生してしまい、エンジンそのものにダメージが発生してしまう。また、五万トンに及ぶ巨体を空へ上げるエンジンともなればその出力も常軌を逸したものになり、それに比例するかたちで振動も増大する。

 「いやこんなの無理じゃん」と思想段階でジュディスは諦めかけたが、発生する不釣り合いな振動に全く同じ振動をぶつけて相殺すればいい、というノイズキャンセリング的な閃きを得て幾何学構造を取るかたちとなった。

 総団長の目的はただ一つ、ホワイトウォールを越えることにある。だから『レイヴン』なる民間軍事団体(P.M.O)を設立し、人を集め、シルキーを集め、五年という月日を費やしスカイシップの建造に心血を注いだ。心血を注ぎ過ぎて、ジュディスから「機械人形」と揶揄されていた。

 それでも彼女は周囲の批判も羨望の眼差しも全く気にならなかった。

 

(待ってて、必ず迎えに行くから)


 月光に照らされ、彼女の期待を一身に背負ったスカイシップが夜闇に浮かぶ。

 彼女にとって、壁を越える事以外は全て些末な事だった。



✳︎



 ヴォルターは静かな所を探し求めて街の中を暫く歩いたが、結局見つけることができずガングニールの所まで戻っていた。


(どいつこいつも)


 空母のデッキにもちらほらと人影がある、けれど場所が場所だけに、その声は潮風に流されてヴォルターの元まで届くことはなかった。

 コクピットに戻る前に、ヴォルターはこの街で買った煙草に火を付けた。ビル群で購入する煙草とは違い、濃い味が喉を通り目眩がした。


(……にしても、あの爺さんがこんな所にいたとはな。さすがの伝説も、大災害を前にしたらただの人の子か)


 ヴォルターは偶然出会っていた。街の片隅で、ただひっそりと枯れている老人を。

 自分もいつかはああなるのだろうと、己の未来に思いを馳せ、ついでにもう一本の煙草に火を付けようとした時、ガングニールから待ったをかけられた。


《どんだけ吸うんだよ》


《まだ二本目だろうが》


 ヴォルターから見て右方向に駐機されていたガングニールが一人でに立ち上がり、その近くにいた一組のカップルが大慌てで駆け出していた、きっと踏み殺されると勘違いをしたのだろう。


《付けられてんぞオッサン、とっととここから出たい》


《お前が何とかしてくれって頼んだからここまで来たんだぞ》


《それもそうだった。いやでもさ、機体にあれこれ付けられるの我慢にならないゾ》


《──お前それ発信器じゃねえか!》


《さっきの二人組が付けた、立ち上がったら驚いて逃げてったけど》


《煙草ぐらいゆっくりと──まあいいか、さっさとずらかろう》


《ほんと犯罪者のセリフだわそれ》


 カチンときたヴォルターは煙草の火を消さず、火種を咥えたままコクピットに乗り込んだ。すかさずガングニールから「臭えわ!」と抗議を受けるがヴォルターはそれを無視し、コンソールの操作に入った。


「デッキの下にランドスーツ一体──やけに小さいな…まあいい、それから対戦車ロケット弾を構えた兵士が複数。飛んだ後に撃ち落とすつもりだ」


「どうすんの?」


「どうもしねえよ。というか、知ってたんなら先手を打ちやがれってんだ」


「打ったら打ったで余計な事すんなって怒ってたクセに」


「それは確かに」


 ヴォルターが周囲を調べ上げたように、ガングニールはレイヴンに包囲されていた。街中での戦闘は一切が禁止されているため、離陸した直後に攻撃し足止めをする計画だったようだ。

 起動したガングニールは離陸準備には入らずデッキの上を歩き、縁の前で膝を立てて上から覗き込んでいた。


「──っ!!!!」


 メンテナンスデッキに待機していたレイヴンの兵士たちがガングニールの予想外の動きに面食らい、何人かが慌ててロケット弾を構えた。

 ヴォルターはトリガーを引かれるより早く、彼らのリーダー核と思しきランドスーツを片手で捕まえ、易々と持ち上げていた。

 

(ここいらで脅しをかけて──)ヴォルターはそう思い、オープンチャンネルで通信を繋げると、


「離せこらぁー!!私専用のランドスーツが!──こんな所にまでやって来て壊されてたまるかっ!!──離せえーー!!」


(ん?この声は…)


 やたらと威勢の良い言葉が怒涛のように流れ、その声音にヴォルターはある人物を思い出していた。


「その声、ジュディス・マイヤーか。こうしてきちんと話をするのは初めてだな」


「……っ!……あんた、私のこと知ってんの?」


「ああ、お前の両親が教会に通い詰めていただろ?一時期調べていた。そんな事より、俺と取引きしないか?」


「はあ?取引き?」


「ああ、俺を見逃してくれるんならウッズホールの伝説に会わせてやる」


「!」


「お前ら、空飛ぶ船を作っているんだろ?もしかしたら良いアドバイスが貰えるかもしれないぞ」


「………」


 ガングニールの手に収まっていたランドスーツが、ぴたりとその動きを止めた。



 武装を解除したジュディスの側近二名と、それからその本人と一緒にヴォルターは街に戻っていた。

 対面したジュディスは見たことがないフィットスーツに身を包んでおり、その子供らしいボディラインを惜しげもなく晒していた。


「ジロジロ見たら殺す」


「おー怖い怖い。──で、あのランドスーツはなんだ?ひと回り小さいように思うが」


 小さいながらもジュディスは胸を張って答えた。


「あれは私専用のランドスーツ、一から設計して私のためだけに作ったの。言わばハンドメイドのランドスーツ──そう!名付けてランドメイ「──それ以上は言わない方がいい」


 ジュディスは五年前、シルキーの襲撃を受けた第二港の復興作業に加わり、そこでランドスーツに搭乗しようとしたのだが、身長が低いことを理由に断念した経緯があった。

 その時の悔しさをバネにして一から自分の手でランドスーツを作り上げ、こうして機械の着ぐるみを手にしていたのである。


「で?カズトヨさんはどこにいるの?嘘じゃないでしょうね」


「嘘だったら背中を撃ってもいいぞ」


「武器を奪っておいてよくもまあ…」


「俺が奪ったんじゃない。──こっちだ」


 もはや動くことはもうない空母からヴォルターたちが歩き出し、夜がふけても賑やかしい街へ繰り出していた。

 空母から街の中心へ続く一本の道はとても広く、言わばこの街の目抜き通りになっている。その目抜き通りから蜘蛛の巣のように道が伸び、大小様々な船へ続いた。

 ジュディスはヴォルターの背中を追いかけながら、滅多に来ない街の様子をしきりに眺めている。総団長から「ヴォルターを捕まえてこい、何のためにランドスーツの製造を許可したと思っているのか」という、パワハラ指示を受けていなければ、ジュディスは今日もここへは来なかっただろう。


(だからと言って感謝はしないけどね!)


 ジュディスを信奉している一人の兵士が、(彼女のボディラインをきちんと眺めてから)そっと耳打ちしていた。


「…信用して大丈夫なのですか?まさかこのまま煙に撒くつもりでは…」


「…どっちにしたってもう尻尾は掴んだんだから大丈夫でしょ。それより今はカズトヨさんに会うのが先よ、まさかこんな所にいただなんて」


「…団長がそう言うのであればお供しますが、やはりこの街は下品ですよ、道行く人が全員こちらを見てきます」


 その兵士の言う通り、男女を問わずほとんどの人間がジュディスに熱い視線を送っていた。悪い意味の。ここは性別もなければ法的な年齢制限もない。

 ジュディスは、通り過ぎた一組の男性カップルへ中指を突き立てながら兵士に言った。


「あんたたちも似たようなもんでしょうが」


「──っ!」

「──っ!」


「私は別にいいけどね、ブライが黙っちゃいないわよ」


「………」

「………」


 案内役をしているヴォルターは「ロリコン!」などとイジられているがガン無視だった。

 ヴォルターたちは目抜き通りから一本の小道へ入り、イカダの上に建てられた家屋が並ぶ通りを歩く。松明やカンテラの灯りはあるがどこか薄暗く、少し変わった雰囲気に包まれた場所だった。

 ヴォルターたちはそれらを無視して突っ切り、視界が開けた場所に出た。

 まだ続く小道の先には一隻の船が浮かんでおり、それを見つけたジュディスがはっと息を飲んだ。


「あの船は…」


「いつかの深海探査船だ、あの中にゴーダ・カズトヨがいる。あそこは病院になっているようでな、まだ善良な市民たちが病人の介護を行なっている」


 セントエルモが発足し、初めての深海探査に赴いたその船は五年前と変わらないようで、けれどどこか朽ち始めているようにも見え、ジュディスは一時の間感慨にふけった。

 ジュディスが初めてゴーダと仕事をした船だ、何も思わないはずはない。

 

「…行きましょう」


 船へ続く道に灯りはなく、病院に灯った電灯がヴォルターたちの足元を照らしていた。

 まるで三途の川だと、ヴォルターは不謹慎ながらもそう思った。



✳︎



 ヴォルターとジュディスたちがゴーダ・カズトヨの元へ向かっている間、主要ビル群に位置するレイヴンの本部では会議が開かれていた。

 所謂定例会議で、ここでは街の治安維持を務める軍部、通信機などの開発を行ないジュディスが団長を務める技術部、市民たちの居住、食糧関係を担う都市部の者たちが報告を行なう場だった。

 飾り気も何もないカンパニーフロアのその一角に、長机を並べただけの簡素な会議場だ。だが、総団長を前にした各部の面々は緊張した面持ちで腰をかけていた。

 その席に身を置いているクラン・アーチー都市部団長は、周りに気付かれないようふうと細く息を吐いた。大抵の場合、報告は都市部から始まるからである、今日もそうであった。

 軍帽を脱ぎ、刃物のように鋭い視線を放つ総団長がクランに報告を求めた。


「始めましょう。──水位低下による居住可能エリアの調査は?」

 

「は、はいぃ…だ、大体は完了していますが…ビルの上層部に住む人たちが、ですね…」


 歯切れの悪いクランの報告に、総団長が居合斬りのごとく「何?」と訊ねていた。


「い、いえ!その、ここは自分たちの場所だから他所の人間に渡すつもりはないと言って、私たちに非協力的でして…徴収するつもりならもうレイヴンに協力はしないと…」


 ビルの上層部に住む人間たちは、元々の所有者であったり政府高官の人間だったりする。

 資源が乏しい中で新しいリソースを得られたら誰だって自分の物にしようとするし、他人にそう易々と明け渡したりはしない。

 また、レイヴンはあくまでも自発的に治安維持を務めているだけで何ら法的根拠はなく、そんな彼らに対して強行手段を取れないでいた。

 レイヴンの女性陣の中でも一際身長が高く、人の目を惹く外見を持つクランはより一層縮こまった姿勢で総団長の言葉を待っていた。

 人見知りは変わらずだが、それでも他人と上手くコミュニケーションを取る術は学んでいた。そんな彼女が総団長を前にしてしどろもどろになっていたのは緊張からくるものではなく、ある種の"恐怖"だった。

 はっきりと言って()()総団長は怖い、それがクランの正直な感想だった。

 その総団長が口を開いた。


「──状況は分かりました。明日以降、こちらの調査を拒むのであれば、一切の援助を打ち切ると通達してください」


 その指示には縮こまっていたクランも「ええ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。


「え、で、ですが、そんな事をすれば、私たちも…この場所だけでなく、軍部の拠点になっているビルや船舶も全部没収されてしまうかもしれないのですよ?」


「構いません、元より私たちは彼らの為の団体はありませんので。──では次に…」


 現在のウルフラグは紙幣経済が成り立っておらず、故に協力関係というものは全て互いの"信頼"だけで成立していた。

 レイヴンは街の治安維持と対シルキーとしとの兵力を貸与する代わりに、主要ビル群から活動するための場所を提供されていた。

 お互い多少の不満はあれど、お金のやり取りがあればある程度は我慢できるもの、しかし、お金が無価値となった今となってはその方法も存在せず、少しの不信感が関係に亀裂を走らせる。

 総団長は自ら主要ビル群との関係を断つと宣言した。

 実に潔く理に適っている、が、人情味というものがまるでなかった。


(ちょっと待って〜場所を代えるんだったら今ある在庫はどうやって移せば…ああ、ああ、大変な事になったな〜)


 総団長の血も涙もない指示に対し、クランは五年前から良き先輩としてあり続けるジュディスによく愚痴をこぼしていた。けれど今日はその先輩の姿がなく、代わりに副団長が参加していた。

 副団長であるブライ・クリントンがそのジュディスについて、総団長に苦言を呈していた。


「団長を駒のように使うのはやめてもらえないかしら?彼女の認可がなければ進められない仕事がたんまりと残っているのに」


 真正面から文句を言われても、総団長は小揺るぎもしなかった。


「そういう約束ですから。当時は今ほど資源が乏しかった、にも関わらずランドスーツを新調したいと進言してきたのは向こうです。認可する代わりにこちらの指示に従ってもらうと約束しましたし、それは向こうも了承済みです」


「向こう、向こうって、他人事みたいに──まあいいわ。次、団長に指示を出す時があればこちらにも一報ください、何かと調整しなければなりませんので」


「分かりました」


「次に、建設を進めている新型電波塔の進捗状況ですが、陸師府の横槍もあって想定したスケジュールをこなせておりません」


「スケジュールの修正をお願いします」


「──いえ、私たちを守っていただければ済む話なのですが」


「そのような余力はありません。スケジュールの修正と、それに伴う使用予定のシルキー量を再計算してください、よろしいですね?」


 『陸師府』は陸軍、医師会、政府によって再編成された国家中枢機関であり、彼らの目的はホワイトウォールの究明並びに都市の復興だった。

 また、彼らが掲げる自論としてホワイトウォールは従来の電波に反応し、人々を襲うシルキーを生み出しているとして、レイヴン技術部が進めている新型電波塔の建設に反対の意を示していた。ここ最近では彼らの動きがより過激になり、散発的な戦闘行動も発生していた。

 まだ死者は出ていないが時間の問題である、ブライはそれを苦慮して総団長に進言するが、すげなく断られていた。

 総団長に負けない銃口のような視線をぶつけ、ブライが引き下がった。


「…分かりました」


 レイヴン本部の会議はいつもこう、総団長がただ淡々と話を進め、思慮するいとまも見せず冷淡に判断し合理的な指示を出していく。

 最後はレイヴンの核を担っている軍部だった。軍部を預かっているのは大災害後にレイヴンへ入団した男性であり、その眉は滑り台のように下がっていた。


「軍部からは…先程話に上がった陸師府について、一部の兵士が捕虜として連行されて未だに返還の話が付いておりません」


「何故捕虜に?」


「その電波塔の建設現場に現れて、過激とも言える抗議活動を行なっていたのですが、その場に居合わせた兵士らが仲裁に入りそのまま戦闘状況に突入しました」


 電波塔の建設が行われていたのはウルフラグ大学が保有する山間であり、位置的には元国会議事堂に近い場所だった。

 電波がシルキーを呼び寄せるとし、建設現場に現れた陸師府の者たちは抗議を行なっていたが、レイヴンが話し合いに応じないことを理由に攻撃行動を開始し、突発的な戦闘に陥った。

 レイヴンの兵士は身を呈して技術部の作業者たちを守ったことになる、軍部から指示された作戦行動ではない、言わば英雄的な状況判断である。

 軍部の団長は連行されてしまった兵士たちを心配し、総団長へ返還要求をするよう依頼するが──。


「ですので、総団長の方から陸師府へ抗議して兵士たちの──「必要ありません」


 総団長の返事に皆が呆気に取られ、皆が聞き間違いだろうと思い、次の言葉を待った。


「今、スカイシップに手を取られている以上、人を割くことはできません。元より彼らは自ら志願してレイヴンへ来たのです、誰も命を預けろと言った覚えはありません「──あなたねえ!!」


 ブライが総団長に噛み付いた。


「曲がりなりにも命を懸けた人たちにその言葉は無いでしょう!!そんな人たちを見捨てるだなんて!!人としてどうなの?!恥ずかしくないの?!」


 人としての在りようを問われた総団長は、それでも一切の揺らぎを見せず淡々と答えていた。


「私の目的は始めからスカイシップの建造です、その為には人を組織し効率良く技術と資源を集める必要があった、だからレイヴンを立ち上げた。人の保護も、食糧の確保も、安全の提供も全ては副産物に過ぎません。私の決定に異論があるなら、あなたが人を組織して助けに行ってあげてください」


 ブライは絶望した、話が通じない、ここまで人は合理的になれるのかと、まるで宇宙人と会話している気分になっていた。


「あなた…いずれ自分の周りから人がいなくなるわよ、それでいいの?」


「構いません、この団体の名前はその人との約束があったから頂戴したんです──失礼します」


 総団長はそう答え、一本の電話が入ったので自ら席を立った。

 彼女を呼び止める者は誰もいなかった。

 月光に照らされた、総団長の白い髪の輝きだけが場に残った。



✳︎



 病院になっている元深海探査船には入館時間というものはなく、いつでも誰でも出入りが許されていた。

 桟橋から伸びる渡り板は船体部分へ直接繋がっており、不細工な穴が大きく開けられていた。そこがこの病院の正面玄関である。


「何よあの穴」


「足が悪い老人に階段を上らせるわけにもいかないんだろ」


「ああ、そういうこと。どうしてあんたが病院へ?はじめからカズトヨさんがいるって知ってたの?」


「まさか、今日の寝床を探してウロウロしていたらここに来て、それで偶然見かけたんだよ」


「元気そうにしてた?」


「自分の目で確かめろ」


 渡り板を渡って船内へ、主推進機関が収まる機関制御室に入った。ジュディスが初めて受け持った現場だ、五年前の記憶が洪水のように押し寄せてきた。


(懐かしい、ポンプが壊れてオイル漏れがあったんだっけ…まさかこんな事になるなんて…)


 ジュディスは五年前の記憶にふけりながらヴォルターの跡に続く、今日まで逃げ続けていた盗人は船内を勝手知ったると言わんばかりに進んでいく。

 機関室から船内通路へ出て、ヴォルターは立ち止まる素振りも見せず食堂へ足を運んだ。

 食堂の入り口前でようやく止まり、顎をしゃくってみせた。


「ほら、ここだ、食堂が病床になっている」


「…………」


 ジュディスと付き添いの兵士たちは、明らかな『死の臭い』を感じ取った。この病床に希望はなく、あるのは天国への階段だけだった。

 季節は夏だというのに、目抜き通りはあれだけ熱気に包まれて蒸し暑かったというのに、ここだけはひんやりと冷たく、また恐ろしいほど静かだった。

 自然と声を落としてジュディスが訊ねていた。


「…勝手に入っていいの?」


「ああ、何かあったらブリッジに詰めている看護師の所へ行けばいい──ま、俺も今日説明を受けたばかりだから本当かどうかは知らんが」


 ヴォルターが一歩足を踏み入れ、ジュディスたちがその跡に続いた。

 広い食堂は無造作に置かれたパーティションで区切られており、その白いカーテンの向こうには確かに人の気配があった。

 あるカーテンの前を通り過ぎた時、ジュディスは隙間越しに患者を見てしまった。


(白い…)


 人は歳を重ねれば白髪化するものだ、けれどその度を越した老人がベッドに横たわっており、その人がゴーダではないことにジュディスは安堵を覚えた。

 髪も皮膚も何もかも白色になっていた老人は薄暗い天井に視線を固定し、ただ胸を上下させているだけだった、意識があるのかどうかも怪しい。

 食堂の隅、壁際に工具類が雑然と置かれたパーティションの前でヴォルターが立ち止まった。

 ジュディスは訊かずともここにゴーダがいることを理解した、彼が愛用していた工具たちがそれを示している。

 カーテンをゆっくりと開くと、ジュディスはひゅっと息を飲んだ。


(──びっくりした…)


 ゴーダは起きていたのだ、そしてカーテンが開かれるのを待っていたのか、じっと見つめていたので目が合った。


「…何だ?」


 ウッズホールの伝説と謳われた男、ゴーダ・カズトヨも人の子だ、怒鳴れば雷よりうるさいと言われた声もなりを潜め、ぼそりと言葉を呟いただけだった。

 全身を枯れ木のように細くさせたゴーダの姿に、ジュディスは軽いショックを覚えながらも声をかけた。


「…ここにカズトヨさんがいると聞いて、様子を見に来ました。体の具合はどうですか?」


「お前さんは…誰なんだ…?ああ、リーサーの子供か…?」


 ジュディスは強いショックを覚えた。

 ゴーダはもうジュディスのことを忘れていた。


(…………)


「子供がこんな時間に出歩くもんじゃない…早く帰りなさい…」


 一緒に新型の探査船を作ったはずなのに、決して短くはない時間を過ごしたはずなのに、忘れられてしまったことに対する深い悲しみと戦いながら、なおもジュディスは言葉を続けた。


「──いいえ、私は子供ではありません。あなたにお願いがあって来ました」


「何だ…?」


「今、私たちは空飛ぶ船を作っているんです。ただ、やはり問題ばかりであなたのお力をお借りできればと」


 ゴーダの目に強い光りが宿った。


「──空を飛ぶ船?船は海を行くものだろう、そりゃあべこべな物を作ろうとしているんだから問題も起こるさ」


「五万トンに及ぶ船体を支える複数翼と、エンジンの振動を相殺させる装置も作りました、ただ──「エンジンがその出力に耐えられんのだろう?──はっ!当たり前だ、ジェットエンジンですら振動に耐えられんのに」


 ゴーダは話を聞いただけで問題点をズバリと言い当てていた。

 それに、ぼそぼそと喋っていた声にも元気が戻っていた。


(やっぱりこの人は伝説だわ)


 惜しむらくは自分の事を忘れてしまったこと、けれどジュディスはそれでもいいと気持ちを改めた。


「解決する良い知恵はありませんか?」


「設計図は?」


「今手元にありません」


「だったら持って来い!わしが死ぬ前にな!いつ三途の川を渡るから分からんぞ!──あっはっはっ!」


「不謹慎なじじいだ…」


「おい!お前さんの名前は?」


 ジュディスは止めを刺されたような気分で自分の名前を告げた。


「──よく分かった!──さあとっとと出て行け!今から忙しくなるんだから邪魔だ邪魔!」


 途端に元気になったゴーダが皆を追い払い、しゃっ!とカーテンを閉めてしまった。

 食堂を後にし、ヴォルターはジュディスに声をかけていた。


「まあなんだ、老人が人を忘れるのは世の常だ、お前に思い入れがなかったとか、そういう事ではないと思うぞ」


「──なに、気遣ってんの?やめてよね、そんな事されたらさすがに心苦しいわ」


「何がだ?」


「──悪く思わないで」


「──!!」


 ヴォルターは誰もいないはずの船内通路に複数の気配を察知し、既に包囲されていることを理解した。


「お前…」


「年貢の納め時よ、いっぺんこの辺りであいつと話してみたら?」


「あいつ…?総団長のことか?」


「そうよ」


「知り合いなのか?」


「会ってみれば分かるわよ」


 それから、病院を預かる医師と共に武装したレイヴンの兵士が現れ、ヴォルターはいよいよ観念した。病院にも関わらず武器を持ち出した人を前にして、さすがに抵抗する気が失せてしまったのだ。

 兵士に拘束され、ヴォルターはジュディスに背を向けて歩き出した。

 約束した相手に裏切られたというのに文句の一つも言わずに。


「…………」


 ジュディスは声をかけるべきどうか悩み、結局口を閉ざしていた。



 総団長は空母デッキ、ガングニールの前にいた。


「……………」


 夜空に浮かぶ月が彼女を良く照らしている、だからその白い髪が輝いていた。死を待つ老人とは似て非なるもので、一本一本が生に溢れているようでさえあった。

 両手を後ろで縛られた状態でヴォルターがここまで連行され、その総団長の美貌に束の間見惚れてしまった。


「……お前だったのか」


 駐機姿勢を取るガングニールを眺めていた総団長がヴォルターに気付き、その白い双眸を向けた。

 ──軍帽を取った。


「ご無沙汰しております、クーラントさん」


「ライラ・コールダー…生きていたんだな…」


 五年の歳月を経て、少女から大人に成長した彼女がにこりとも微笑むことなく答えた。


「いいえ、私の名前はライラ・サーストンです。その女は五年前に死にました」


 月よりなお冷たい彼女の瞳に、ヴォルターは薄ら寒い思いをした。

※次回 2023/7/29 20:00 更新

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