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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
265/335

TRACK 14

メモリー・シュレッダー



 機械仕掛けの人形は今日も笑わない。


「…………」


 バベルに設えてもらった部屋の中でただひっそりと、時間が流れていくに身を任せていた。

 その人形の名前はプログラム・ガイア、テンペスト・シリンダーの管理者でありマキナたちを束ねる長でもある。

 ポセイドンの尊い犠牲によってサーバーが復旧しても、子供然のマテリアル・コアは自発的に動こうとしなかった。

 バベルは「偽物では?」と疑い始めている始末、それもそのはず、サーバーが復旧し自動修復壁の機能も戻り、この一ヶ月をかけてテンペスト・シリンダー内の不要な海水の排出が続けられているというのに、その管理者にまるで反応が無いのだ。

 ビビットガイドに連れ去られ、魂を抜かれてしまった人のように少女は虚空を見つめ、時間の流れから置き去りにされていた。──何かをただ待っているようにひっそりと。

 新都では今、ある脅威に晒されている、それは神出鬼没に現れガイア・サーバーに害をなそうとする存在だ。

 それでも機械仕掛けの人形は今日も動かない。


「…………」



✳︎



 不吉な音が大海原を駆けて来る。それはコクピットの中からでも聞こえ、新都を守護するパイロットたちを震え上がらせていた。

 

「……はあ……はあ」


 自然と声が出る、あまりの恐怖に、今日まで何人もの仲間が散っていった。


「ああ、くそ…」


 新都守備隊に出撃命令が下ったのはおよそ二〇分前、高機動に優れるラウンドホバーを装着した計八機の特個体がガイア・サーバーを中心に、南東方面に向かって展開していた。

 不吉な音は限って南東から現れる。死神が姿を見せたのはガイア・サーバーが復旧した直後であった。

 襲撃してくる理由は不明、IFFも所属不明、何度通信で呼びかけても一切答えず、問答無用で新都のパイロットたちの命を狩っていく。

 死へのカウントダウンは仲間からもたらされた。


「──反応あり、南東方面五〇キロ地点、会敵までおよそ二分」


「くそっ!」


 死神はマッハ一の速度で移動している、高度制限が課せられた今の戦場では異様な速度だった。

 部隊の先頭に位置していた機体が構えを取り、場が緊張に支配された時、それは現れた。

 不吉な音の正体、それは剥き出しの鉄骨が海面を叩く音だった。鉄骨は特個体と同等の長さを誇っており、そのあまりの重さに担ぐことができず、引き摺るようにして飛行していた。

 

「ってえーーー!」


 部隊長の号令で全機が射撃姿勢を取り、仲間への誤射も厭わず皆が引き金を絞った。

 八機の射撃に見舞われた死神が射線を回避すべく、何の予備動作もなく直角運動を行なった。彼らから見たならば、突然真横にスライドしたような動きだ。


「くそっ、当たらねえ!!」


 あり得ない機体運動に翻弄される部隊、弾は一発も当たらず接近を許してしまった。

 死神から手近い位置にいた機体が最初の犠牲者になった。超重量の鉄骨によるフルスイング、機体の上半身がもぎ取られていた。

 部隊の中に突っ込んできた死神を逃すはずもなく、他の機体が銃口を集中させた。けれど死神はまたしても真上方向へ直角運動を行ない、振り上げた鉄骨を落下と共に他の仲間へ振り下ろしていた。

 特個体の身の丈を越す水の柱が立つ、鉄骨によって押し潰された機体は、断末魔の叫びすら上げられず海に沈んだ。

 

「──ひっ」


 水飛沫で白く煙る視界でも死神の姿が良く見えていた。

 ──それは仲間の命を吸ったからなのか、真っ赤な色をした機体だった。



✳︎



(俺はガキに好かれるたちだったか?)


「まーたやられてんじゃん、可哀想に」

「僕たちが出て何とかなる相手なんですかね?」


 バベル、それからマギリとテッドが乗っているボートが海の上を滑る。強い潮の香りの中に、焼け焦げた臭いも混じっていた。

 彼らから見て北東方面には小さく見える軍艦が一隻浮かんでおり、現在も戦闘中であった。

 彼らは出動しているダルシアンから要請がかかり、バベルの運転でノウティリスへ向かっているところだった。

 子供のお守りを任されたと一人不貞腐れるバベルに気付かず、マギリとテッドはしきりに海へ視線を注いでいた。


「ほんと、海って中も外も広いんですね。僕たちの故郷には大きな湖しかありませんでしたから」


「いや、仮想世界の時にもあったでしょ、泳いだりしてなかったけど」


「それもそうでしたね」


 テッドと名乗る少年然とした男は、一見すれば女の子のようにも見える。

 マギリと名乗る女は、太陽光に反射させたその髪を紫色に光らせ、常に飄々とした態度を見せていた。

 バベルにとってはこれが初対面である、けれど二人の事情については概ね理解していた。

 ──死んだはずである、けれどこうして生きている。


(ペルソナエスタっつう技術が上にあるのは知っているが…現実の世界にも介入できるもんなのか?どっちにしても薄ら寒い)


 ボートに積んであった無線機に反応があった、操縦していたバベルに代わってテッドが応答した。


「はい、こちらテッドです」


 相手はダルシアンからだった。


「こちらの戦線はもう間もなく崩れる、すぐにでも出動してくれ」


 答えたのはマギリだった。


「それが人に物を頼む態度なの?私らのお陰で無線機やらレーダー類が使えるようになったのに?それはないんじゃないのかな〜」


「──どちらにせよ、サーバーが落とされたら困るのは君たちではないのか?」


「ええ?別にそんな事ないけど」


(──そうなのか?なら何の為に接触してきたんだ)


 何も無い海原をボートが進んで行く、バベルたちの先にあるのは水平線のみだが、数百メートル前で何かが浮上してきた。


(ノウティリス、あん時のジジイの船か…)


 潜水艦のようで潜水艦ではない、ノウティリスの艦上部には特個体の離着陸場となっている四方形の甲板があり、そこに二機の特個体が駐機されていた。

 両機とも訓練用に開発された人型機でありデザインも統一されている、区別できるのは肩部に施されたアートだけだった。


「あれがお前らの機体か」


「そう、一三番が私。で、アネモネの花が描かれているのがテッド」


 バベルが操縦するボートがノウティリスに近付き、外付けタラップのすぐ下に接舷された。

 そのタラップにマギリが手を伸ばした。


「あんたも来る?」


「あ?どこに?──中に乗れってか?興味ないからさっさと行け」


「え、興味ないの?このテンペスト・シリンダーの全てを掌握できる船なのに?」


「こんなみみっちい所を支配して何になる」


「何になるって、興味ないんなら別にいいけど…」


「さっさと行け」


 二人はバベルの反応に首を傾げ、タラップを上っていった。

 それから暫くして、駐機されていた人型機が起動し、低い高度を飛びながら北東方面へ向かっていった。

 バベルの目的は概念の支配であり、人の生活圏の支配ではない。

 概念の支配とは、イデオロギーの破壊であり、メジャーとマイナーの逆転である。

 バベルからしてみれば、ノウティリスも結局のところは()()()()()()()側の存在であり、彼が目指しているのはその()()()側だった。

 バベルがボートのエンジンを起こし、来た道を引き返していた。


(確かに、ノウティリスという船を調べたらいくらか分かることもあるんだろうが、それは結局のところ編纂された情報でしかない、俺だってそうする)


 彼は知っているのだ、プロメテウス・ガイアから見たこの地球の景色を。



✳︎



 カウネナナイと比べて()()水位の下がりが悪いウルフラグでは、ビルの上層部に住む人たちとビルの足元で暮らす人たちとの間で衝突が起こっていた。

 第一から第三ビル群まで目当ての人物を探し回っていたヴォルターは、どこか辟易とした様子で煙草をふかしていた。

 誰もいない船溜まりのその隅っこには、いくつもの吸い殻が落ちていた。


(どこへ行っても喧嘩ばっかり)


 彼らが衝突している原因は、水位が下がったことにより使用可能になったフロアである。互いに自分たちに所有権があると主張し、互いに譲ろうとしなかった。

 こういう時こそ治安維持を努めるレイヴンの出番なのだが、不思議とその姿を見せていない。


(いつもなら常在している奴らがいると思うんだが…まあいいか)


 実りが無さそうな喧騒からヴォルターは背を向けて、一人ひっそりとその場を後にしていた。



 ガングニールからの依頼は奪われた船を取り戻すことであり、特個体について詳しい人物は限られている。

 ヴォルターが探していた人物は沖田きよみだ、ひょんな事から保証局入りを果たした男、特個体に限らず実に様々な知識を持っていた。

 ビル群から離れたヴォルターはガングニールに搭乗して、一路元ユーサ方面へ向かった。

 海面から頭を出したビルの群れを抜けるとそこは、水平線の彼方まで続く青い世界だった。


「ホント、なんもねえのな」


「全部海の底に沈んだからな」


「なあ、ビル群で暮らしている人たちはいいとして…それ以外の人らはどうやって生活してるんだ?」


「それを今から見せてやるよ、黙って飛べ」


「はいはい」


 ガングニールが飛行している高度は約六〇〇メートル前後、それ以上高度を上げると空気中のナノルーターがエンジン内に入り込み、ストールを起こしてしまう。

 六〇〇メートルでも特個体を運用するには十分な高度ではあるが、ホワイトウォールを超えるには至らない、その精神的な圧迫感がウルフラグ人を包んでいた。

 ビル群から抜けて飛行すること半時間ほど、ガングニールたちの前方の海に薄い茶色の染みが現れた。


「何だありゃ」

 

「あれが街だよ、ユーサ港の上に築かれた船とイカダの街」


 茶色の染みだと思われていたものは全部イカダであり、そのイカダの合間には沢山の船が係留されていた。

 小さな漁猟船から大きな工船や母船まで、使える物は何でも使うと言わんばかりに船とイカダが合体した街だった。

 街の名前はない。ビル群のやり方に異を唱えた人たちが集まり作られた所だ、だから固有名詞を持たず、色んな人たちを出迎えていた。

 その名もなき街に近付いていくうちに、ガングニールはある事に気付いた。


「──そういやオッサン、追われてんだろ、あの街にレイヴンはいないのか?」


「大丈夫だ、あそこは──まあ所謂中立地域でな、レイヴンも陸師府もいないんだ」


「だったら何であの街に住まないんだ?」


「あそこは駄目だ、色々と開放的過ぎる」


「はあ…良く分かんねえけど」


 もう目前にまで迫っていた名もなき街の、一際大きい船の甲板を目指し、ガングニールが高度を下げていった。


 そして、ヴォルターは街に着いて早々、腕を上げる羽目になってしまった。


「間違いありません!この男です!」


(──ちっ)


「年貢の納め時だな〜旦那、今日まで俺たちに迷惑をかけやがって!これで総団長も喜ぶぞ〜」


 ガングニールから降機し、元海軍の空母デッキから船内へ足を踏み入れた途端だった、懐に拳銃を隠し持っていたレイヴンの兵士がヴォルターを目敏く見つけ、他の市民らの前で堂々と誰何していた。

 二人組の男性がニヤついた笑みを浮かべている、体格は細く、とても軍に従事していたとは思えない。

 手にしている銃をひけらかしながら男が言った。


「ここを張ってた甲斐があったぜ、これでようやく俺たちも一人前だな。──さあ!両手を頭の後ろで組むんだ!下手なコトしたらズドン!だからな!」


 ヴォルターは一切動じず「やってみろ」と言った。


「なあに〜?これが目に入らないのか?」


「撃ちたければ撃て、撃った瞬間今度はお前たちがお尋ね者だ。ここのルールを知ってるだろ?武器の使用はおろか、持ち込むことすら禁止されているんだぞ」


「だったらなんだ──「それに、総団長が直々に追いかけている俺を撃ち殺したらどうなるか、馬鹿なお前でも分かるだろ。挙げ句にこの街で迷惑をかけたとなれば、果たしてその総団長とやらがお前たちを助けに来るかどうか」


「………」男がようやく状況を理解できたようだ、ごくりと唾を飲み込んだ。


「ここに法律はない、誰を殺しても罪に問われることはないし誰に殺されても文句は言えない「いやそりゃ殺されたら喋れないし…「それでも秩序が保たれているのは何故だと思う?」


「………」

「………」


 ヴォルターたちの周りにいつの間にか人だかりができていた、皆解放的な服装に身を包み、事の成り行きを楽しみながら見守っている。

 ヴォルターはその人だかりの中に目当ての人物を見つけ、早々にこの話し合いに蹴りをつけた。

 質問され、黙っていた片方の男をその凶器と言わんばかりの拳で殴りつけたのだ。


「──ぐふぇっ?!?!」


 思っていた通り軽かった男の体が呆気なく宙を舞い、床に着地するまでに気絶していた。


「──皆んなお前たちと違って喧嘩しないように上手く立ち回っているからだよ。早死にしたくなけりゃ喧嘩を売る相手を選ぶんだな」


 ヴォルターの拳と決め台詞に観衆たちが囃し立てる、その下らない声を遮りながらヴォルターは人だかりの中へ身を投じた。

 

「おい!待てコラ!!」


「──あらやだ!」


 何故か、一人の女を連れて逃げようとしていたオカマの腕を取った。

 五年ぶりに再会した沖田きよみは変わらずで、蛍光色の半袖シャツを裸の上から羽織り、下はパレオにハーフパンツ姿、すっかり色褪せてしまった髪の色は地毛なのか、くすんだ灰色になっていた。

 そして沖田は室内にも関わらず、咥え煙草をしていた。



「記憶が失くなった?」


「ええそうよ、この子、大災害を前にしてひどいショック状態に陥ってね、五年前までの記憶はおろか自分が何者からすら覚えていないわ」


「あなたは私のことを知っているの?」


「………いや、まあ…こいつから聞かされた程度の事なら」


「そう。あ、あまり気にしないでね、これでも今の生活は気に入っているから。毎日刺激的で呼吸しているだけで幸せだから」


「まあでも、向こうに戻ればすぐにセラピーを受けられるし、今だけのバカンスだと割り切って私も楽しんでいるわ。──で、私に何か用かしら、希代の盗人さん」


 場所は変わって、街が一望ができる部屋の中に移っていた。

 ヴォルターたちの視界には船とイカダが入り乱れた街の景色が見えており、絶えず人が行き来を繰り返していた。

 

「お前に聞きたいことがあって来た。──星と星を行き来する船についてだ」


「それで?何を知りたいの?」


「今、その船が人の手に渡ってしまったみたいでな、取り戻す方法を探しているんだよ」


「とても困っているようには見えないけど」


「俺が、じゃなくてガングニールが困っている、と言えばいいか?」


「そういうことね。あなたには拾ってもらった恩があるから応えてあげたいけど…知ったらもう後戻りができなくなるわよ。それでもいいの?」


「具体的には?」


「このマリーンから退去しなければならなくなる」


「──ああ、この筒の外の話に繋がっているのか」


 生憎とヴォルターの隣にはいつもの相棒の姿がなく、今は一人だった。

 またこういう展開になるのかと、ヴォルターはどこか諦めた気持ちになって話の続きを促した。


「話してくれ、信じる信じないはこっちが決めることだ」


「それもそうね」


 沖田が薄く微笑み、濃い煙を吐き出してから話し始めた。


「文字通りノウティリスは星と星を行き来できるように設計された有人船で、数は全部で六つ存在しているわ」


「他にもあるのか?」


「そうよ、この船は同時に各テンペスト・シリンダーに配備された特別個体機を管理している役割もあるから。世界で建造されたテンペスト・シリンダーは一二、船は六機を管理している、二つに一つね」


「で、星と星というのは?」


「この地球から、特別個体機のサーバーが設置されている月、という事よ。聞いたことはないかしら、特別個体機がプラネット・アローンと呼ばれていることを。彼らはこの地球上で独立した存在になるのよ、だからプラネット・アローン」


「聞いたことあるようなないような…じゃあ、船が奪われたのはその月とやらも関係しているということなのか?」


「おそらくそうでしょうね。ただ、その奪われたというのがどういう状況なのか、教えてほしいところではあるけど」


(おいおい、その月という所まで行けってことにはならねえだろうな…)


 ヴォルターは自意識会話でガングニールを呼び出した。


《おい》


《聞いてるよ、話せばいいんだろ》


 部屋の中に置かれていたモニターがぶんと一人でに電源が点き、三人がそれぞれ驚いていた。

 モニターに映ったのは垂れ目の女の子、ガングニールだった。


「何これ!どういう仕組みなの?!ただの骨董品だったモニターが点くだなんて!」


 モニターにしがみつくようにして沖田がはしゃいでいる、ガングニールは「うげえ」と顔を顰めて若干引いていた。


「せ、説明してもいいか…?」


「どうぞ!」


「オレたちの船を乗っ取ったのはマギリとテッドという二人組だ、そしておそらくこの二人は第一テンペスト・シリンダーの人間」


「どうしてそうだと分かるの?」


「ディアボロスに確認を取ったんだがこっちのリストに乗っていなかったらしい。それと、メラニンコントロールも反応がなかったんだってさ」


 ヴォルターがおうむ返しをするように「メラニンコントロール?」と訊ね、沖田が答えた。


「メラニンコントロールは無接触型インターフェースのことよ。あなたの脳にも特個体と通信するためのインプラントがあるでしょ?メラニンコントロールはそれが必要ないのよ」


「何だそりゃ、まるで夢のような技術──」


 ここでヴォルターは理解した、沖田が後戻りできないと言った意味を。


「そういう事かよ…この筒の外にはそういった技術があるって事か」


「そうよ。──で、ガングニールちゃん、船の状況は?」


「カウネナナイにいる、それからオレたちが知らない機体を積み込んでいるみたい」


「ダンタリオンとマリサは?」


「ダンタリオンはオレが起きた時にはもういなかった。マリサは…」


「それだそれ、結局お前たちの間に何があったんだ?」


 モニターに映っているガングニールが頭をガリガリと掻いて、言葉を選んでいる様子を見せていた。

 やがて口を開いた。


「…マリーンの稼働が始まったばかりの時、ドゥクスの事で対立したことがあったんだ。ガングニールとダンタリオンは彼に付くべきだと言って、マリサはそれに反対した」


「ただの喧嘩別れってことか?」


「ただの喧嘩別れでも二千年も経てば禍根になるんだよ」


「どうしてドゥクスの事で対立したのかしら「それ今重要なことか?「問題解決の上でカウンセリングは重要な事よ」


「──自分たちの役目を放棄する時が来たって、ドゥクスはそう言ってた。それで、その役目を継がせるべきだって」


(何の話だかさっぱり分からん)


 ヴォルターより煙草を吸う沖田がまた新しく火を付け、それに釣られてヴォルターも煙草に火を付けていた。ここには健康促進法などと呼ばれるルールは存在しない。


「なら、マリサはその事に関して異論を唱えてあなたたちと対立したってこと?」


「そうなると思う」


「何で他人事なんだよ」


「だってオレコピーだし、当の本人たちはカウネナナイ側のどっかにいるはずだぞ、確か人工島だったはず」


「ややこしいなお前たちの関係」


「ドゥクスがややこしくしたんだよ、だからオレが生まれたのもあるんだけどさ」


 この街に集った人たちの手によって作られた部屋に、束の間の沈黙が下りた。

 隣の部屋から嬌声が聞こえ、外からも聞こえ、上半身裸の女が間違えてヴォルターたちの部屋に入ろうとしていた。「あ、揉め事中?」と、女はニヤニヤ笑いながらすぐに扉を閉めていた。

 常在しているレイヴンがいないにも関わらず、ヴォルターがこの街に住みたがらない理由がこれだった。性的な快楽が最大の娯楽として受け入られているこの街に"品"というものを感じられなかったのだ。


「なんかスゴいのが入ってきたな」


「ここはそういう街だからね。セックスをジェンダーレスで楽しめるわよ」


「お前が広めたんじゃねえだろうな」


「さあ、どうでしょうね。──話が脱線したけど、おそらくノウティリスの主導権を取り戻すには管理機体からのアクセスが必要だと思うわ」


「オレがやっても駄目だったぞ」


「どうしてアクセスさせるんだ?」


「六機がアクセスしてもエラーが出たとなれば、ノウティリスを管理しているサーバーにも報せが届くでしょう?──まあ後は何とかなるんじゃない?」


「急に適当だなあ!」


「しょうがないじゃない!私だってそこまで詳しくないんだから!」


 話し合いは終わりだと言わんばかりにヴォルターが席を立った、隣から届く他人の喘ぎ声に我慢の限界が来ていた。


「お前はまずマリサと仲直りするこった、話はそれからだってことだよ」


「え〜マジか…オレじゃないオレがした喧嘩の仲直りをするのか──うわうわっえっ人がいるのにそういう事するの?」


 プツンとモニターの電源が切れ、ヴォルターが扉を閉めた時にはもう沖田たちも盛り始めていた。



✳︎



 記憶。それはその人が歩んで来た人生の軌跡であり、都度消去が行われているにせよ、死ぬまで蓄積され続けるものだ。

 良い思い出ばかりではない、辛い記憶、苦しい記憶、恥ずかしい記憶、種々様々だ。

 それらは玉石混交となって脳にしまわれ、その人を苦しめることもあれば助くこともある。

 これに例外は存在しない、全ての人間がそうであるようにマカナもまた、五年前の記憶に苦しめられていた。

 

(手が痛い…)


 彼女がいるのはお決まりの迎撃用ポート、ウィゴー班を筆頭にポートの人間たちが総出となって作業をしていた。

 銀髪頭の少女が、工具を手にしてマカナの所へやって来た。


「こら!ぼうっとしとらんで手を動かさんか!」


「──ああごめん!」


「お山の大将に一泡吹かせるのだろう?!この余が手を貸すのだから絶対成功させるぞい!」


 小さな胸を張るオーディンの手にも工具が握られており、彼女たちはマキナの力を借りて三胴船のグレードアップを行なっていた。

 具体的にはトーイングボートを廃止し、船内に特個体用のリニアカタパルトを設置する。これにより三胴船の移動速度を確保しつつ、特個体のリリースを安全に行えるようになる。

 もはやグレードアップの域を超えて船そのものを一から作り直す作業であった。

 暗い記憶を振り切るように、マカナはオーディンに話しかけた。


「──ああ、本当にいいの?ここまで協力してもらって。君たちに何のメリットもないような気がするけど」


「気にするな!可愛い家臣の為に将が人肌脱ぐのは世のことわり!それにだ、そのミガイとかいう者に馬鹿にされ続けるのも腹が立つだろう?」


「それは確かに」


「──分かったならさっさと手を動かせ!人手が足りんのだ!」


 オイルに塗れたオーディンの手がマカナの腕を掴み、絶賛建造中の船へ引き連れて行った。



「いいですか!このシリンダーの中にピストンが入りますから、まずは中に入れた状態でロックボルトを締めてください!次に──」


 五年前と変わらず、けれどどこか頼もしくなっていたラハムが矢継ぎ早に作業指示を出している。集まった人たちはただ言われるがままに作業を続けていた。

 三胴船は別の名で『トリマラン』あるいは『ダブルアウトリガー』と呼ばれており、作業場になっている桟橋から、まるで洞窟のようにぽっかりと穴が空いた船底が見えていた。


(何か怖い)


 マカナも作業に加わり、それから暫く汗を流し続けた。

 時間にして一時間程だろうか、人々が出す喧騒の中からはっきりとした声で誰かが「スルーズ」と言った。


「…っ!」


 耳にした途端、マカナは作業の手を止めて特個体を押し出す大がかりなピストンから視線を外し、周囲を見やった。

 ──人だかりが切れるその隅っこで、新型三胴船の影が落ちている桟橋で誰かが動いたような気がした。その人物は頭からフードを被っており顔が良く見えなかった。

 

「…………」


 マカナはとてもじゃないが、その人物を追いかける気にはなれなかった。

 再び作業に戻る、だが、頭の中は五年前の事でいっぱいになってしまった。


(もし、私があの時出撃しなければ…あるいは軍人になることを選んでいなかったら…リンやスザク、フラン、オハナが死ぬことは…)


 もしも、という考えがどうしても頭を過り、ふつふつと湧き起こる暗い気持ちを制御することができなかった。

 今が充実すればするほど、マカナはそういった考えに囚われてしまい、だからこそナディの看病を頑張っていた部分もあった。

 暗い考えが暴走してしまった頭を引きずりながらも作業に戻るが、後ろから声をかけられた。


「いた!マカナ!」


「──ああもうびっくりした。なに?」


 声をかけてきたのは、上は水着だけの姿になっているナディだった。この世のものとは思えない綺麗な谷間と、陶器のような滑らかな肢体が露わになっている。マカナと同じ桟橋で作業している男性の誰もが釘付けになっていた。


(こいつら、ナディが目当てじゃないだろうな…)


「なにじゃないよ、何してんのこんな所で!」


「見れば分かるでしょ私も作業を手伝ってるの!」


「そういうのは他の皆んなに任せればいいんだから!──双子山遠征はマカナが言い出しっぺでしょ!」と言い、ナディがマカナの腕を取った。


「会議的な話?!そういうのはナディでもいいんじゃ──「それだけじゃなくて、マカナたちは空飛ぶ船を見たんでしょ?ノラリスがその話を聞きたがっているから「アネラがいるでしょ?!「アネラがいると思う?!今日もサボって行方をくらましたわ!」


 昔はそうでもなかったが、今となってはナディの方が上背がある、だからマカナは力負けしそうになっていた。

 だから、つい声を荒げてしまった。


「──もうリーダーはやりたくないの!お願いだから!」


 彼女の金切り声は作業場を通り過ぎ、一瞬だけしじまに支配された。それから何事もなかったように喧騒が戻った。


「…何かあったの?」


「…別に、なんでもない」


「何かあったんでしょ。言って、私、もうマカナと喧嘩はしたくない」


「………」


「今じゃなくていいからさ」


「…それは分かった、でも今は一人にしてほしい」


「分かった」


 ナディが踵を返しかけた時、マカナが呼び止めていた。


「──ねえ、ナディはもう吹っ切れたの?」


 そう訊ねると、ナディの目がふっと翳った。


(──あ、違うんだ…)


 ナディの答えは予想通りだった。


「ううん、その最中だよ」


 また明るさを取り戻したナディが今度こそ踵を返し、建造中の三胴船へ向かって行った。

 マカナはその軽やかな足取りを羨ましく眺めていた。



✳︎



 新都に現れた死神は、決して少なくはない人を犠牲にしてから姿を消していた。

 ガイア・サーバー周辺には黒い煙が燻っている。それはまるで、無理やり命を狩られた仲間たちの嘆きのようにも見えていた。

 何故、死神がガイア・サーバーへ襲撃を仕掛けるのか、誰にも分からない。分からないこそパイロットたちの士気は低下し、混乱が恐怖を増長させていた。

 ──それでも機械仕掛けの人形は嘆きの息すら漏らさず、今日も一人でただひっそりと過ごしている。


「…………」


 そんな機械仕掛けの人形の足元に、一匹の動物がやって来た。長い鼻、それから白の毛色に黒のまだら模様を持つアリクイの赤ちゃんだ。

 アリクイの赤ちゃんは鼻を鳴らしながらプログラム・ガイアの足元に寄り、そして興味を失くしたように部屋の隅へ移動していた。

 アリクイの赤ちゃんも今となってはただの動物だ、知性を宿した雰囲気はまるでない。

 その赤ちゃんを連れて来たのが──


「こんな所にいたのね、探したわ、ガイア」


 ──五年前、セントエルモ・コクアのメンバーを射殺し、場を混乱に陥れたグガランナ・ガイアだった。


「…………」


 今日まで笑わなかった機械仕掛けの人形が、にたあっと微笑んだ。

※次回 2023/7/15 20:00 更新

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