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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
262/335

TRACK 11

今回は長いです。

イントゥー・ザ・エレクトロニクス



 夜が深まるにつれて自問自答の迷路も深まり、ナディはなかなか抜け出せずにいた。

 丁々発止に終わってしまった会議からはや数時間が経過し、ナディは自己整備中のノラリスの前で過ごしていた、一人で、傍には誰もいなかった。


(はあ〜〜〜………)


 海面に突っ伏した姿勢は変わらず、けれど細かな振動がノラリスから放たれ、ナディが腰を下ろしている桟橋までその小さな波が届いていた。

 ポートの外に設置された明かりを受けて、夜の水面がきらきらと輝いていた。


(はあ〜〜〜………私が悪かったの?家族のために頑張ることって普通なんじゃないの?それの何がいけないの?)


 でも、と迷路に迷いながらもナディは思った。


(ルールの事ばっかり…マカナたちの事は何も考えていなかった…友達だから助けてくれた、優しいから私を見捨てなかった、それ以上のことを考えるのをやめてそうだと勝手に解釈してた…)


 レセタに言われた言葉は今もナディの胸に残り、自分を省みるきっかけを与えてくれていた。


(はあ〜〜〜)


 何度目かになるか分からない溜め息を心の中で吐いた時、ノラリスが自意識会話で注意してきた。


《ちょっと静かにできない?溜め息吐き過ぎなんだけど》


《…ごめんないさね無神経で》


《君のためにこっちは必死こいてやってるんだよ?別に整備は急がなくてもいいのに君が一人で行くとか言い出すから…全く我が儘ばっかり、子供だね〜》


《そうですよ私は子供ですよ五年前で時が止まったままですよ》


《うじうじしてる人って誰彼構わずウザいね》


《………》


《明日の朝には再起動できると思うからそれまでは辛抱してて。それと、連れて来たんならちゃんと責任取って、ほったらかしはよくない》


《……ん?》


 そこでナディは背後に人の気配を感じ、ひっそりとしている迎撃用ポートへ目を向けた。

 そこには肩を落としたポセイドンが所在なさげに突っ立っていた。


「あ、す、すみません…すっかり忘れていました」


「い、いいんだ…俺は影が薄いから…」


 変なダメージの入り方をしているポセイドンを気遣い、ナディは重い腰を上げた。


「そ、そういう事では…喧嘩してすみません、皆んなから協力をもらわないといけなかったのに…あのでも、私が連れて行きますから」


「そ、それは助かる…君は一体何に怒っていたの?」


「それは…」


 ナディはポセイドンに自らの心情を語った、誰かに話したかったという思いもあり、先程の場では言えなかった事がすらすらと口から出ていた。

 一通り話を聞き終えたポセイドンが一言、


「──君は大局的な見方をしているんだね」


 と、そう言った。


「どこがですか?」


「君が怒っていたのはあのレセタとかいう怖い女性ではなくて、社会のルールなんだろ?大災害以前の社会に疑問を抱いて、それが今でも継続されている新都という場所や、組織の為に犠牲になる個人がいることに憤りを感じている、そうじゃない?」


「まあ…大仰に言えばそうですけどそんな大層なものでは…」


「駄目だよ、自分が何に怒っているのかきちんと整理して自覚しないといつまで経っても解決しないしいずれ拗れる、だから君は赤の他人にあそこまで怒ったんだ」


「…………」


 ナディたちから少し離れたポートには、夜間監視に就いている人たちがいた。彼らが立てた物音に二人が気付き、視線を向けるとその中にバハーの乗組員が混じっていた。どうやら仲良くやっているようだと分かり、ナディは未だ馴染めない自分自身を恥ずかしく思いながらも安堵した。

 止まっていた会話が再開された。


「──僕たちはマキナだ、ガイア・サーバーを通じて実に様々な仕事をこなしている。その役割は一二に分かれてそれぞれがその職務を全うする。もしこの時、君のように自身の問題をきちんと把握していなかったらこのマキナたちはどうなると思う?」


「仕事ができなくなる…とか?」


「そう、タスク管理がめちゃくちゃになって誰が手を付けたらいいのか不明になり、結果的にエラーが残り続けることになる。人が持つ心という領域も複雑で時にバラバラだ、その心が今君が言ったようにそういうものではないと否定したら、一体誰が解決してくれるの?」


「…………」


「君が抱えた悩みは君しか解決できない」


「そうですね…」


 ここまで滔々と語っていたポセイドンがにわかに眉を寄せ、「ごめん偉そうに」と勝手に落ち込み始めた。

 ナディは「変な人だな」と思いながらも、それなりのアドバイスを貰えたことに感謝した。

 深まった夜が明けるのはまだまだ先だ、けれど自問自答の迷路から抜け出せたナディはポセイドンにはっきりと伝えた。


「私があなたをガイア・サーバーまで連れて行きます」


「…ありがとう」


 新都へ赴いてガイア・サーバーを復旧させる。この時のナディはただ道中の心配だけをしていた、無事に辿り着けるかどうか。

 だから、どうやって復旧させるのか、その方法にまで頭が回っていなかった。



✳︎



 ウルフラグ大学ビレッジ・コアキャンパスの研究室にはロザリーとリッツがいた。夜も遅い時間帯にも関わらず、二人は片手で食事を取りながら、もう片方の手でタブレット端末を見ていた。

 研究室のテーブルには各分析装置が並び、部屋の奥には放射線を扱う大がかりな物まであった。

 彼女たちは分析結果を吟味していた。

 五年前からロザリーの助手として、研究を手伝うようになったリッツが彼女に尋ねる。


「これって一般的な数値だよね、大きく変わった所があまりないように思うんだけど」


 その分析結果は試料を原子化させて吸光量を調べる、原子吸光分析法によるものだった。

 原子によって吸収できる光の波長が異なり、彼女たちは既存の波長を全て試していた。


「うう〜ん…何か一つでも反応しない波長があれば良かったんだけど…少なくともホワイトウォールの含有元素に未知は認められない、君の言う通り一般的な数値だよ」


 結果はロザリーが言った通り、これといった目ぼしい成果がなかった。


「これは本当にホワイトウォールの破片なのか…?まさか彼が嘘を吐いたとか…?」


 ステンレス製のシャーレに入った白濁色の試料を睨みながらロザリーが言い、リッツが即座に否定していた。


「ホシ君が嘘を吐くわけないでしょ、わざわざここまで運んで来てくれたんだから」


「──ちょっと余談だけど、彼とは会ったの?」


「…………」


「まあ、その方がいいと思うよ。今さら復縁を求めたところで誰も幸せになれない」


「そうだね…でもさ、生きていたって分かった時は嬉しかったよ」


「それまでにしておくんだリッツ、それ以上は君の夫も子供も喜ばない」


「──そうだね」


「よし、話を戻そう──この試料に未知は含まれていない、という事が分かった。ただ、それは既存の元素に反応する電磁波、というだけの話であって未知の存在を否定する証拠にはならない」


「けれどロザリー、未知の元素に反応する未知の電磁波って何?」


「それが分かれば苦労しないよ、それを知るために研究があるんだから。──分析装置のホロカソードランプを外してそこに照射装置を繋げよう」


「そんな事していいの?壊れたらどうするの?」


「既存のやり方で分からないなら新しいやり方を考案するしかない、それも研究者としての仕事だ」


 ホロカソードランプとは、特定の波長を照射する光源ランプのことを差す。従来のやり方で言えば、このホロカソードランプを交換しながら元素の吸光量を調べる。

 ロザリーはそれを「既存のやり方」と評し、照射装置を繋げて各波長の電磁波を総当たりでぶつけるという、新しいやり方を提案していた。


「その装置ってマイクロ波発生器?」


「そうだよ、可視光以外の波長もぶつけてみたいんだ、もしかしたら何か分かるかもしれない」


「それ本当に大丈夫なの?壊れたらどうするの?」


「大丈夫だよ、シルキーでコピーしてあるから予備の装置はある」


「ほんと便利だねシルキーって、そんな精密機器までコピーするだなんて」


「ね〜昔の恋人候補もコピーできたら毎日が楽しくなりそうだね〜」


 飲み物を口にしていたリッツが盛大に吹いた。

 そんなリッツを無視してロザリーが早速準備に取りかかり、夜が最大に深まった時間に完了した。


「じゃいくよ〜」


「待って待って少しくらいテストしたら──」


 リッツの制止も聞かずロザリーが実験をスタートさせた。

 ロザリーは先ず、可視光線より波長が短い紫外線から試してみた。紫外線の波長は一〇〜三八〇ナノメートルであり、それより短い波長はX線と呼ばれている。

 紫外線を照射した結果、反応はなにもなかった。


「次!」

「少しぐらい怖気ついたらどうなの」


 ロザリーは次に可視光線より波長が長い、電気ストーブでお馴染みの赤外線を試し、反応は何もなく、なんら躊躇うなくことなく次に波長が長いマイクロ波を試した。結果は変わらず、反応がない。

 ──そして、通信に用いられている電波と呼ばれる波長域に差しかかった時、ついに反応があった。

 その種類はL波と呼ばれる波長域であり、主に人口衛星などの通信に使われている電波だった。

 原子化された試料がぱっと七色に光ったのだ、これにはロザリーもリッツも「あ!」と驚きの声を上げていた。


「──今の見た?!」

「見た!レインボーだった!」

「スペクトルを見せて!」


 スペクトルとは、電磁波の強度分布を表した表のことであり、原子吸光分析においては各波長域の強度分析を調べることによって含まれている元素を割り出すために用いていた。

 ロザリーはリッツから渡されたチャート紙を見やる、そこにはまたまた驚きの結果があった。


「──何もない?!そんな馬鹿な事が…」


 一般的なスペクトル表において分析結果は山のような形となって表れる、だが、渡されたチャート紙は平原のごとく真っ平なものだった。

 つまり、含まれている元素は何も無い。

 ロザリーはその結果に満足せず、頭をフル回転させて起こった事象について考えを巡らせた。


(七色に光ったという事は間違いなく吸光反応があったということ…けれど含有元素がない…レインボーに光った、一度に元素が反応した…連鎖反応…L波に何かある…)


 L波の波長は電磁波の中でも最長であり、その長さは二〇〇〜六〇〇ミリメートルである。人工衛星以外にも携帯電話に使用されていた。


「ろ、ロザリー…?」


 途端に喋らなくなったロザリーを心配し、リッツは声をかけていた。


(可視光ではなくこのL波に反応した…その違いは波長の長さ…)──うん!」


 ロザリーが結論に至った。


「──分からん!!波長の長さに違いがあるんだうけどさっぱり分からん!!……けど」


 確証はないが得られた事実は一つ、ホワイトウォールはL波に反応し、して同時に含有元素が連鎖反応を起こす事である。

 これはつまり含有元素に秘密があるのではなく、ホワイトウォール自身がL波に反応するよう作られている、という事だった。


(今現在のウルフラグで通信が不可能になっているのはもしかしたら…ホワイトウォールがそうした…?周りから干渉されないように…?)


 ロザリーは思考を続けながら原子吸光分析機に繋げたマイクロ波発生器を外し、シャーレに乗せられた試料を直接照射できるようにセッティングを行なった。

 

「何やってるの?」

「…………」


 リッツの問いかけに答えず、ロザリーはセッティングが終わったと同時に早速実験を開始していた。

 考え事をするあまりリッツの言葉が耳に入らなかったのだ。

 ──そして、またまたまた驚きの結果が現れた。


「──!」

「──!」


 L波の照射を受けたシャーレが虹色に発光したのだ。まるでヒーリングライトのように、辺りを虹色に輝かせるほど強い発光を見せた。

 それだけにとどまらず、研究室内に置かれていた短距離用の通信機に着信が入った。その呼び出し音に二人が不可解な視線を向けた。

 時刻は草木も眠る深夜帯だ。


「え…このタイミングで…?」

「もしかして…無茶な実験がバレた…とか?」

「いやビビるぐらいならちょっとは遠慮してよ」


 呼び出し音は鳴り止まない、観念したロザリーが通信機の受話器を取り上げた。


「………も、もしもし」


 試料の虹色発光はまだ続いている、その輝きを見つめながらロザリーは相手の言葉を待っている。

 ひどいノイズと共に相手が喋った。


「リッツと変わってくれない?ホシの事で話があるんだけど」


 この発言にはさすがのロザリーも頭が真っ白になった、研究者としてあるまじき失態である、だが、誰が一体この発言を予想できただろうか?端的に言って意味不明である。


「──あ、ええと…君は?彼の知り合いなの?」


 相手が簡潔に答える。


「今カノ」


 その返答に研究者としてではなく、ゴシップ好きの駄目人間部分が反応したロザリーは素早くリッツへ振り返り、「ホシの今カノから君に電話だってさ!」と受話器を渡した。

 リッツもリッツで状況が理解できないながらも、ロザリーから受話器をひったくるようにして受け取っていた。


「も、もしもし?!あなたは誰なの?!というかどうやってここに電話をかけてきたの?!」


「いっぺんに訊かないで。私の名前はマリサ、あなたがホシにフラれる所を見ていた」


 その言葉にリッツが絶句する。

 そんなリッツに構わずマリサが続けて発言した。


「それから、私がそっちに電話をかけられたのはあなたたちがアクセスしたからだよ。だから通信機を経由してこうやって会話してるの」


 ゴシップ好きの駄目人間が「何て言われたの?!顔が酷いことになってるけど!」と横から茶々を入れている。

 ロザリーの横槍で再起動を果たしたリッツがマリサに噛み付いた。


「フラれたって、フラれたわけじゃないし、そもそもあなたは特個体だったよね?ホシ君は君の保護の為に私との付き合いを断っただけだと思うんだけど」


「そんな事どうでもいい、金輪際ホシと会わないで」


「どうして?それを決めるのは私」


「あなた、もう結婚してるんでしょ?」


「なんでそんな事が分かるの?」


「大学のデータベースにアクセスしたからだよ。出産を控えているのにホシに会ってどうするの?」


「昔の知り合いに会うのがそんなに駄目なの?」


「駄目、ホシはまだあなたに気があるから」


「────」


「今も部屋で一人頭を抱えているんだよ、あなたが結婚したから、見てらんないよ、お願いだから私のパートナーをこれ以上苦しめないで」


「…………」


 リッツの胸の内が大いに荒れてしまった。優越感、背徳感、同情、強奪欲求、昔フった相手が自分と同じ思いを味わっているのかと思うと、自然と体が火照ってしまった。

 そんな自分に蓋をするように、リッツは話題を変えていた。


「──それより、あなたはそんな事を言うためにわざわざ電話をかけてきたの?」


 マリサが食い気味で「違うわ!」と否定してきた。

 

「詳しい話は私の機体の中で。──いい?絶対にホシは連れて来ないで」


「…分かった」


 こうして、突如として接触してきたマリサと会うため二人は実験室を後にしていた。



✳︎



 深海。そこは地表と比べて何十倍にもなって圧力が押し寄せる世界、生身の人間にはまず耐えられず、限られた生物しか生存が許されていない。

 水深二〇〇〇メートル付近、そこにはどの国にも属さない一隻の潜水艦の姿があった。

 だが、およそ潜水艦らしいシルエットをしていない、先頭機のような両翼を携えているのだ。


「海って、想像していたよりも退屈な所なんですね」


 その潜水艦のブリッジ、予備電源に切り替わった薄暗い中で小柄な男性がそう発言した。

 傍らにいた女性が彼に応えた。


「そうだね、海で遊ぶんならやっぱり砂浜が一番だよ」


「それもそうですね。──で、どうしますか?マリサがコンタクトを取ったようですが」


「勿論邪魔をするよ。君もそれでいいよね?」


「いいですよ。本来であれば支援しなければならないのに…」


「まあね、でもあいつに目をつけられたからしょうがないよ」


「そのお陰で現界できましたから文句は言えませんが…確か、こっちの人もあの人に掌握されたんですよね」


「らしいね、折角肉体を取り戻せたのに自分の子供と敵対しないといけないんでしょ。ほんと、酷なことするよ」


「まあ、僕としては味方でも敵でもあの人と出会えるんならそれでいいですけど」


「君、捻れてるね〜」


 小柄な男性が答えた。


「ええ、死んだ時に良心も失くしてしまいましたから」



✳︎



 リッツとロザリーが研究室から駐機場へ向かう道すがら、深夜の時間帯にも関わらず大学内で警備に就いている人たちが走り回っていた。

 何事かとリッツが彼らに声をかけると、


「──上半身裸の不審な人物が駐機場で怪しい事をしているんです!」と言った。


「上半身裸〜?」


「被害は出ているんですか?」


「いえ、けれど紫色の機体で何やらやっている様子で…制止を求めても応えないんです!──あととにかく臭い!」


「──臭い?それはどんな臭いなんですか?もしかして危険物か何か?」


 男性が答える。


「いいえ煙草の臭いです!」


 その言葉にリッツはピンときた。


「──私の知り合いかもしれません、あまり刺激しないように皆んなへ通達してください!」


「は、はい!」


 リッツに呼び止められた男性が再び慌てて駆けて行った。


「リッツ?知り合いってどういう事なの?」


「そのまま意味だよ、多分その人はホシ君とバディを組んでいるクーラントさん、その人も元保証局の人。ホシ君を連れて来た方が話し合いがし易いかも──私行ってくる」


 駆け出そうとしたリッツの腕をロザリーが掴んだ。


「いやいや、それなら私が彼を連れて来るよ、君はそのクーラント何某の相手をして。──言ってる意味は分かるよね?」


「…………」


 リッツはロザリーに言われるがまま役目を交代し、キャンバス内で別れた。

 一方、その不審者ことヴォルターは報告にあった通り、上半身裸で煙草を吸いながら破壊工作を行なっていた。


「出て来い!不審者!」


(ちっ、うるせえな)


 破壊工作とは彼ら二人の取り決めであり、半日以上行動不可能に陥った場合は搭乗している特個体を操作不能にする、というものだった。

 マリサの機体に乗り込み、煙草を吸いながらコンソールのタッチパネルで入力を行なっていた彼の元へ、リッツがやって来た。


「──クーラントさん!」


(──ん?この声は確か…)


 ヴォルターはコクピットから顔を出して地上を見やった、そこには五年前と比べて随分と大人びた元秘書官が立っていた。


「──生きていたのか!!」


 さすがのヴォルターでも、見知った相手が生きていたとなれば喜ぶ。


「あの女連合長も一緒か?!」


 続けてヴォルターがリッツへそう呼びかけた、兵士らに守られたリッツが昔の口調に戻って「一緒じゃないっス!」と返していた。


「クーラントさん!こんな所で何やってんスか!ちょっとそっち行ってもいいですか?!」


「駄目だ駄目!あんのクソガキの落とし前をつけているところだからなあ!」


「ホシ君なら無事っスよ!今呼んでますから!」


「知らん知らん!そんな奴は知らん!」


 ヴォルターはリッツの言葉を無視してコクピットのハッチを閉じてしまった。

 ──だが、コクピットのコンソールから「臭いわぼけえ!!」と文句が飛び出て閉じたはずのハッチが再び開いてしまった。


「?!?!」


「煙草の匂いが付くでしょうが!常識考えろ!」


「お前──ホシが言っていたマリサって奴か…?」


「そうだよ!ちょっと今からホシの元カノと話があるから邪魔しないでくれる?!」


 さらに続けて、


「おいオッサン、若者の話にクビは突っ込むもんじゃねえゾ」


「──!!!!」


 その声は、長らくヴォルターが耳にしていなかったガングニールのものだった。


「ガングニール…てめえ今の今ままで一体どこに…」


「お?怒ってる割にはオッサンの喜びパラメーターがぐんぐん上がってるけど。素直じゃないね〜」


「オッサンデレって需要あるの?」


「少なくともオレは面白い」


 マリサとガングニールが話をしている間に、ロザリーに連れられたホシが駐機場にやって来た。

 そのホシはロザリーから起こった状況の説明を受けている、ホシはすぐに取り決めを発動したヴォルターだと合点がいった。


「ちょっと待ってください、僕の方から説明してきますから」


「お願いね」


 ホシがロザリーの元から離れ、マリサへ向かっている途中でリッツを発見し、彼は下を向いたまま走り出してしまった。


「──ちょ!ホシ君!!」


 今のホシはリッツを見るだけで心身共にガタガタになってしまう、だから彼は目を向けずに走り出してそのままの勢いでコクピットへ這い上がっていった。

 そして、到着したコクピットで二つの驚きに見舞われた。一つは煙草の臭い、それから行方知れずになっていたガングニールとホシの()()()であるマリサ。


「くっさ!!」


「オッサン言われてんぞ、というかいい加減禁煙しろよ」


「──え」


「ちょっとホシ!!あれどういう事なの?!私がいない間になに仲良くなってんの?!私を選んだんじゃなかったの?!」


「え…?何で…機能が戻った…?」


「おいホシ、なんだこの状況は、何で特個体のメンタルが戻っているんだ」


「いやというか今すぐ降りてくださいよ、煙草の臭いが付いたらどうするんですか」


「こいつっ──「オレたちより煙草の臭いの方が先とかっ」笑ってんじゃねえガング!──今すぐ戻るぞ!さっさと準備しろ!」


 上半身裸のヴォルターがマリサから降りて自分の機体へ向かって行く、大学の私兵らは何が何やらといった様子で対応に困っていたが、そこへレイヴンの兵士らが駆けつけて来た。


「やばっ──「ちょっとホシいい加減答えなよ!」


 ホシはマリサの問いかけを無視して発進準備を急ぎ、兵士らが駐機場に足を踏み入れた時には離陸を図っていた。

 あの女はなんだ!と吠え続けるマリサにホシがようやく返事を返した。


「あの人とはもう何もないよ!向こうは結婚してるの!子供もいるの!僕にはもう関係ない人だよ!」


「嘘!」とマリサがすぐに反論する。


「じゃあだったらなんで付いて来てるの?!私の足にしがみついてるんだけど?!」


「──え」


 ホシがカメラを向けた先には、必死になって脚部にしがみついているリッツがいた。

 ガングニールが「すげえ根性」と言った。



✳︎



 深い夜を潜った太陽が再び水平線からにょきっと顔を出し、まるで夕焼けのように空を赤くしていた。

 その下でナディとポセイドンは新都へ向けて準備を進めていた。準備と言っても、道中の確認やアリーシュたちが持って来てくれた食べ物の積み込み作業である。


「まあ、なんというか…君らしいというか、意外と短気というか」


「…すみません」


「自分の気が済むようにしなさい。けど、命は大事に」


「…はい」


 アリーシュはそれだけ告げ、ナディの頭を一撫でしてから去って行った。


(この間はあんなに文句言ったのに…)


 そこへノラリスが自意識会話で割って入きた。


《そういう所弱いよね、人に優しくされるの》


《うるさいよ》


 それから準備を終えたナディたちがノラリスに乗り込み、赤色から薄い青色へ空が変わり始めた時にラフトポートを出発した。

 進路は北東、目指す場所は新都だ。ナディが一度ならず二度も逃げ出した所である。

 彼女の心情を知ってか知らずか、ポセイドンが当たり障りのない事を言ってきた。


「こっちでは特個体にサーフボードを装着させているのか」


「向こうは違うんですか?」


「向こうは普通に空を飛んでいたよ──ああ、と言っても高度を気にしていたからやっぱり…」


 ナディは気になっていた事を尋ねた。


「一人でホワイトウォールまで行ったんですか?」


「いいや、ヴォルターとホシという人に──「ええ?!?!」


 ナディが素っ頓狂な声を上げ、ポセイドンとノラリスまでもが自分の耳を塞いだ。


「え、な、なに?知ってる人なの…?」


「知ってるも何も…そっか、二人は生きていたんですね──あ!じゃあ…」と、ナディは自分の知り合いの名前を次から次へと上げ、無事だったかどうかとポセイドンに尋ねた。


「ご、ごめんよ…俺って人見知りが激しいから…そんなに知り合いはいなかったんだ」


「そうですか…」


 ノラリスが普通に割って入る。


「そこはかとなく落胆してるね、顔に出てるよ「うるさい」


「ふ、二人は仲が…いいの?」


「さあ」

「さあ」


 その言葉を最後に会話が途切れ、暫くの間進んでいると、晴れ渡った空に一つの黒い点が生まれた。それはどうやらノラリスを追従しているようであり、先に気付いたのはポセイドンだった。


「何か追いかけてきてない?」


「え?──ああ、本当だ…あれは、ドローン?」


「今から約二〇分前に現れて私たちを追いかけてきているようだ」


 いや先に言えよと、ナディとポセイドンが声を揃えた。


「なんで言わなかったの?」


「ああいう類いの物は放置するのが一番良いからだよ」


「いやでも、あれって軍の物だよね?私も一度見たことがあるよ」


「軍って、今から向かう街を守っている軍隊って事だよね?」


「そうです、それとどうやらノラリスを狙っているみたいで、ヴィスタさんに教えてもらったんですが」


「え、それは本当に放置安定なの?居場所を突き止められたりしない?」


「ですよね。──えーと確かハッキングするには…「──あ!ちょっと!」


 言うが早いか、ノラリスが制止するもナディがドローンをハッキングし、ものの数秒で鉄屑に変えてしまった。

 飛行能力を失ったドローンが海に没する、これで一安心だと二人が息を吐くが、


「なんて事するんだ!これで私たちの居場所が敵に知れたも同然だ!」


「はあ?なんで?ずっと追いかけられている方が──「あれは監視用ドローンで私たちを追いかけていたわけじゃない!それなのにロストしたとなれば向こうが異常に気付いて部隊を発進させてくる!「──だからそういう事は先に言えよ!」×2


 と、再び二人が声を揃えた。

 それから予期していた新都の部隊はなかなかその姿を見せず、ただの取り越し苦労に思われた時、ナディが自分からフラグを立てた。


「なーんだ、ただの気のせいじゃんか。このまま楽に新都まで行けそうだね」

 

「まーたすぐそういう事言う」

「フラッガーってフラグを回収しないと気が済まないのか?」


 新都方面から教軍の部隊が現れた、数は三機。


「ハッキングでちょちょいとすれば動きを止められる──「待って!あの部隊の移動速度がおかしい!速度…六〇ノット?!」


 一ノットあたり時速換算で約一.八キロメートル、つまり教軍の部隊は約一二〇キロという速さで海の上を進んでいた。

 ノラリスの最大速度は約一〇〇キロである、追いかけっこをすればまず捕まってしまう。

 

「な!本当にやって来た!何で?!」

「いいからとにかく舵を切って!」

「ポセイドンさん!何かに掴まってて!」

「掴まる所がないんだけど!」

「じゃあ私に!」

「いいんだね?!捕まるからね?!後で文句言わないでね?!」

「私は大丈夫ですから──あ、そういう感じ?!後ろから羽交い締めですか?!自分からラッキースケベですか前代未聞ですよ「いいから早くして」


 そうこうしている内に互いの距離が一〇〇メートルを切り、ナディたちはその速さの秘密に気付いた。

 ジュヴキャッチが使用しているサーフボードとは異なり、教軍の部隊は円形型のホバークラフトを足元に装着していた。


「そりゃ速いわけだわ!」

 

 ナディが北東方面から進路を変え、一旦南東方面へ舵を切った。それに合わせて部隊の一機が追従し、残りの二機はその場でライフルを構えた。

 ──発砲、ノラリスの足元に着弾、膝丈まで水柱が上がった。


「こんなのハッキングしている暇が──」


 続けて発砲、その射撃精度は随分と高くノラリスの鼻先を掠めていく。

 さらに後方からも約六〇ノットで近付いてくる機体がいる、捕まるのも時間の問題かに思われた。

 そこでナディは上半身を捻って後方へ、もう数十メートル近くまで接近していた教軍の特個体へ左腕を掲げた。


「何する気なの?!」

「訊く前にまずはその手を退けたらどうですか!胸に当たってるんですよ!」

「君が触っていいって言ったんだろ!」

「掴まれって言ったの!」

「確信犯かよ」


 ノラリスの左腕にはアンカーフックが装着されている、何をされるか理解した教軍の特個体がライオットシールドを構え、しかしてナディはそのシールドに目がけてフックを射出した。

 アンカーフックがライオットシールドに突き刺さる、さらにナディは速度を一気に下げて──


「いや嘘でしょ!」とノラリスが叫ぶ暇もなく、ナディは機体を大きく仰反らせた。


「うわうわうわ──」


 ポセイドンはナディから手を離して仰向けに倒れ、その間にノラリスと特個体の位置が入れ替わった。

 ナディは特個体の移動モーメントを利用して再び加速、あとは振り子のように大きく弧を描いて転進し、新都が位置する北東方面へ機体が向いた時にアンカーフックの射出器ごとリリースした。

 鮮やかではあるがその分機体への反動も大きい、ノラリスは大いに嘆いた。


「せっかく一日夜通しで整備したのに!あんな無茶な運動したせいで片道切符になったよ!」


「だったら捕まった方がいいって?!そうなったらノラリスだって囚われの身だよ?!」


「それは嫌だ」


 遅れを取った教軍の部隊が慌てて追従態勢を整える、その隙にナディはさらに速度を上げた。



✳︎



 ジュヴキャッチのラフトポートより北、ハリエの館よりやや南方面を航行していた教星教軍の母艦が、不審な電波を傍受した。

 ブリッジにいた管制官がにわかに眉を顰めた。


(何だこれは…どうやって発信しているんだ…?)


 彼は即座に報告すべきだと理性の部分で理解したが、感情の部分でそれを嫌がった。

 ノラリス捕獲のために指揮を取っていた上官の機嫌がすこぶる悪いからだ。

 しかし彼も軍人だ、為すべき事は迅速に行なうよう徹底的に訓練を受けてきた。久しく使われなかった通信機をそのままにし、管制官は指揮官を呼びに走った。

 

「発信源は何処だ?」


 すぐにブリッジへ現れたダルシアンが不機嫌そうな表情を隠そうともせず、管制官に報告を求めた。

 彼は心に冷や汗をかきながら答えた。


「か、海中からです…おそらく潜水艦ではないかと…」


「潜水艦?──ヘンダーソンの配下か?──いや、そもそも我々に扱える潜水艦の類いはなかったはずだぞ」


 五年前までは機人軍と名乗っていた彼らにもいくつか潜水艦があった、けれど大災害の折にそのほとんどをロスト、あるいは大破してしまい運用ができなくなっていた。

 残る可能性としては壁の向こうの国、ウルフラグである。

 しかしそれも考え難い。


(この状況でこちら側へ来るか?奴らも特個体の有用性に気付いているなら話は別だが…)

 

「大佐、いかがなさいますか?」


 冷や汗管制官がそう指示を求めた。この通信を取るか無視るか、そう尋ねているのだ。


「──取れ、私が対応する」


 いや結局取るのかよと管制官が心の中だけで突っ込みを入れ、そして長らく鳴り続けていた通信機のボタンを押した。

 相手は女性だった、それも若い。


「──やっと出た。もしもし?ちょっと話があるんだけどいいかな」


「名を名乗れ。こちらは教星教軍所属だ、我々だと知っていながら通信をかけたのか?それにどうやって通信している」


 しかも随分と砕けた様子である、ダルシアンは声に凄みを効かせて相手に圧力をかけているが、次の言葉でダルシアンの表情がガラリと変わった。


「ノラリスの母艦って言えば分かる?」


「!!」


「そこに私たちがいんの──あ、私はマギリ、あともう一人…助手?バディ?まあ、テッドっていう人もいる、今傍にいないけど」


 ダルシアンはマギリと名乗った女性の話をほとんど聞いていなかった。


(ノラリスの母艦…?潜水艦だったのか?いや、母艦だ、奴めが帰る場所がこの海の中に)


「もしもーし」


 マギリの呼びかけにダルシアンが答えた。


「──それが事実であれば相手にする価値はあるが、でなければ相手にする価値はない」


「ああ、なに?証明しろってこと?」


「そうだ」


「ちょっと待って…今浮上させるから」


「!!」


 ダルシアンはマギリの返事に気色ばんだ、その様子を見ていた冷や汗管制官はどこか冷めた目つきをしていた。


(玩具を買ってもらった子供のよう…人間なんてこんなものだ)


 何かと気を遣っていた人間からしてみれば、自分の目の前でこうも態度を変えられると不服に思うものだ。

 管制官からひっそりと信頼を失ったダルシアンがブリッジから表に出た。

 時間にして十数分だろうか、それは現れた。

 それは潜水艦でありながら両翼を携え、イッカクのように長い一本の角のような物もあった。

 船体前部は潜水艦のように甲板はなく、けれど船体中央の上部には数十メートル四方の平たい場所があった。

 それから船体後部には、彼ら─と、いうよりマリーンの人間にとって─馴染みがない水平尾翼があった。

 水平尾翼とは飛行機にも備えられている操舵装置の事であり、機体の運動方向を上下に変えることができる。

 その装置が海中から姿を現した潜水艦にある、何も海中で使用しているわけではない。

 ──そう、ノラリスは空を飛べるのだ、だからこその"全域航行艦"なのである。


「あれが…ノラリスの…」


 突如としてその姿を見せたノラリスの母艦──ノウティリスにダルシアンはただただ呆気に取られていた。



✳︎



「気を付けて!進行方向に反応二つ!」


「アイアイサー!」

「分かった!」


 マカナ、ウィゴー、アネラの三人はナディの出発から遅れること数時間あまり、急ぐようにして機体を飛ばしていた。

 向かう先は新都、目的は勿論ナディたちである。


(まさかたった一日で…)


 朝を迎えた時にはもうナディたちは姿を消していた、これにはさすがのレセタも目を剥き心配したほどだ、「まさか本当に一人で行くだなんて!」といった具合に。

 大慌てで準備をし、三人はまたしてもナディの跡を追いかけていた。

 そしてその道すがらに反応を二つ捉えた、一つは機人軍の船(IFFが更新されていないので古い)、そしてあともう一つは籍不明の船舶だった。

 マカナたちの機体にもノラリス由来の通信機がセットされている、それは金管楽器の一つのトランペットだった。勿論楽器としても使用できる。

 マカナを先頭にした三人が反応を捉えた海域に差しかかった、一つの船は確かに教軍の物であったが、もう一つの船を遠くから見た時、マカナはヴァルキュリアの物だと思った。

 ウィゴーもカメラ映像から不明船を確認したようだ、何ら躊躇うことなくマカナに問うていた。


「ちょっと!あの船ってヴァルキュリアの物じゃない?!」


 だが、マカナはそれどころではなかった。もう解体されたと思っていた部隊が目の前にいる、心臓は早鐘のように鳴り、喉の奥がつかえ、今にも戻しそうになっていた。

 

(皆んなが…あそこに…)


 マカナは五年前のあの日を乗り越えていたわけではなかった、ただ逃げていたのだ、だから現実を目の当たりにした時は心が大きく揺れ、昔の仲間に会うのが途轍もなく怖かった。

 ──しかし、それは杞憂に終わった。

 ヴァルキュリアの船ではなかった。

 海面に浮かんでいたその船の周囲が途端に白く煙りだし、それが水飛沫だと分かった時には、


「──飛んだ?!」

「え!嘘!」

「え?!あれ飛んでない?!」


 その船がふわりと宙に浮き始めたのだ。マカナたちは追跡しているノラリスの事も忘れ、ただその光景に見入ってしまった。

 海から見せたその船の全容は一言で言うなれば超大型の戦闘機である、船なのに主翼がありマカナたちはあまり見たことがない水平尾翼もある、それから船首には生き物のような一本の角があり、まるで目のような丸い構造物もあった。

 浮遊した時間はほんの数分程度、高度は数十メートルもない、だが確かに空を飛んでいた。

 その証拠に再び盛大な水飛沫を上げていた、空から海に着水したのだ。


「…………」

 

 呆気に取られるしかない三人。そんな中でもウィゴーの言葉が二人の金縛りを解き先を急がせた。


「──今はとにかくナディちゃんが先だ!あの船ももしかしたら新都を目指しているかもしれない!」


「──分かった!」


 邂逅した衝撃の出来事に後ろ髪を引かれながらも三人は新都を目指した。



✳︎



「着いた…何とかなった…」


 一方、ナディたちは新都近海に到着していた。彼女たちから見て四時の方角には束の間お世話になった城と、その周りに築かれたイカダの街が見えていた。

 ナディは新都に住む人たちを慮りながらさらに機体を進めようとして、はたと操作を止めてしまった。


「なん」とノラリスが手短に問う。


「いや、ガイアサーバーの場所って何処にあるのかと思って…これ、もしかして海の中とか?」


 ポセイドンが答える。


「きっとそうだと思う。確か、あの城の近くにあったはずだよ、そこまで近付いてもらえる?」


「分かった」


 胸を揉まれたのでナディも彼に対して遠慮がなくなっていた、砕けた調子でそう返事を返し──

 ──そして、すぐに別れの時がやって来た。


「ところでポセイドン、君はどうやってサーバーを復旧させるつもりなんだ?」


 ノラリスの問いに彼が答えた。


「俺がバイパスになる。ガイア・サーバーはキラの山の中にある原子力発電所の電力を受信して稼働しているんだけど、その回線が切れてしまっている状態なんだ」


「電力を…受信?」


「ワイヤレス電力伝送システムの事だね、うちでも使用されているよ」


「そう、だから俺がそのバイパスになる」


「バイパスになるって…それはどういう意味なの?」


「そのまんまの意味さ。送信所側で設定した送電用電波を俺が受け取って受信側のサーバーに強制設定させる、そうすれば復旧できるはずだ」


 そう言うポセイドンの顔はとても晴れやかだ、けれどナディは違和感が拭えなかった。


「それで…あなたはどうなるの?帰って──「あ、見て、あそこに一隻だけ船がある。もしかしたらあの辺りじゃない?きっとバベルが目印のつもりで停泊させているんだろう」


「ちょっと、ねえ、答えて、ポセイドンはどうなるの?」


 彼の代わりに答えたのはノラリスだった。


「彼の言うバイパスというものが物理的手法によるならば、生物学上の死を迎えるはずだ。生物は四二ボルトで死に至る可能性がある、ウルフラグとカウネナナイを繋ぐとなれば、その電圧は計り知れないものになるだろう」


 ノラリスの説明を聞いたナディはすぐさま操縦桿から手を離し、アタッチメントデッキから足を退けた。機体が緩やかに減速し、そして止まった。


「待って!私はそんなつもりであなたをここまで連れて来たんじゃない!」


「俺だってそうさ、君に助けてもらうつもりは毛頭ないよ、始めから」


「どうして始めに言わなかったの?!」


「だって訊かなかっただろ?──ノラリス、彼女の代わりにガイア・サーバーへ連れて行ってくれ。ここまで来たんだ、ゴールはもう目前だ」


 自身がどうなるか知ってなお「進め」と言うポセイドンと、それを止めさせたいナディがコクピットの中で対峙した。

 父親譲りの凛々しい双眸が真正面からポセイドンを捉えている、それを彼は"有り難い"事だと思った。

 互いに何か口にしたいのにできない、そんな居た堪れない空気が流れ、けれどすぐに壊れた。


「──ノラリス!!」


 ナディの悲痛に近い叫びがコクピットの中にこだました。

 ノラリスが進む事を選んだのだ。


「信じられない!死ぬって分かっててどうして進むの?!」


「──ああ待ってナディ、それは語弊がある言い方だ」


 ナディはポセイドンの否定の言葉に安堵を覚えるが、それは一瞬に過ぎなかった。


「俺は厳密に言えば生物ではない、だから死ぬというより稼働を停止すると表現した方が正しい」


「それって…それって結局は同じって事なんでしょ?!」


「まあ、そうなるね」


「なんでそんなに笑っていられるの?なんでそんなに平気そうなの?──私は信じられない」


「俺が狂っているように見える?」


 彼女は即座に「見える」と肯定した。


「死ぬって分かっておきながらその選択肢を選ぶことが理解できない」


「だろうね。俺も最初からこの方法を選択したわけではないんだ、色んな方法を探ったよ、でも、スーパーノヴァがガイア・サーバーに接触して全てのアルゴリズムが狂ってしまった。どの管理レイヤーもめちゃくちゃで手の施しようがなかった、だから、狂ったシステムを復旧させるのではなくて、まずはサーバー自体を無理やり起こして、そこから地道に修復させていくしかないと判断した」


 進み始めたノラリスは速度を一定に保ち続けている、ひどく遅い、それはまるで波乗りに疲れて満足したサーファーのようであり、あるいは覚悟を決めた者に対するある種の"餞別"のようでもあった。

 

「そう判断した時にね──」と、どこか嬉しそうに懐かしむように話していたポセイドンが言葉を区切り、こう言い切った。


「それを自分が判断した時、生まれた意味を知ったよ、ああ、これは自分にしかできない事だって」


 ナディの凛々しい双眸が悲しみの色を帯び、ノラリスの速度と同じように徐々に細められていった。


「そんな悲しそうな顔をしないでよ」


「…………」


 彼女は悟ったのだ、"この人には何を言っても無駄だ"と。ポセイドンの静かで命爆ぜる決意を前にして、何も言えなくなってしまった。

 ノラリスは何も言わずにただ進み続ける。

 やがてサーバーが沈んでいると思しき海域に到着し、ノラリスがゆっくりと停止した。

 ハッチが圧縮空気を放ちながら開く、暑く乾いた空気が一気に中へ入り込んできた。

 最後にノラリスが彼に言葉を送った。


「君の合理的かつ自滅的な判断には感謝する。ガイア・サーバーが復旧すれば、自動修復壁の修復から始められて人々の住処にも一定の供給が生まれるはずだ。それと、マリーンのマキナの稼働も再開して彼らの助けになる。──君は英雄だよポセイドン、見送るのが私と彼女だけであることが惜しいぐらいに」


 ポセイドンはコクピットの縁に手をかけ、一人で乾いた空気を一身に浴びた。

 彼の足元には深い青色が広がっている、今から肺呼吸の機能をカットして潜る海だ。

 彼が最後に振り返った。


「楽しかったよ、最後の船旅。それに君みたいな超絶美貌の女性にしがみつけるだなんて、男冥利に尽きるよ」


 ナディは負け惜しみで「いくらでも触って…」と言い、結局涙がこぼれて最後まで言えなかった。


「ありがとう」


 ポセイドンはそう言って、二度と浮上することはない海へダイブしていった。



✳︎



 ノラリスから「ナディを迎えに来てほしい」という通信が入ったのは、奇天烈な船の背後を通り過ぎてから約一時間後のことだった。


「ノラリス!今何処にいんの?!」


 マカナが怒りながらその通信に応え、時を置かずしてノラリスから位置情報が送られてきた。


「迎えに来てほしいって何かあったの?!あったんでしょ?!何でナディを止めてあげなかったの?!」


「私の口から説明するのは難しいし、私では彼女を慰めてあげることができない」


「何言ってんのさっきから──「とにかくすぐに来てほしい、見ていられない」


 ぷつりと通信が切れた。

 要領を得ないノラリスからの通信を前にして三人は何度か言葉を交わし、先程見た空飛ぶ船以上の異様な光景を目の当たりにして二の句を失ってしまった。


「待って…あれなに…?なに?樹だよね…あれ」


 先に口を開いたのはアネラだ、けれどマカナとウィゴーは口を閉ざしたままだった。

 ──それは樹だった。大樹と呼ぶに相応しい樹が海中から天に向かって伸びていた。その大きさは海面から優に数百メートルはあり、足元に浮かぶ教軍の船が玩具のように見えてしまった。


(一体何が起こって──)──待って、あれってナディたちが言っていたガイア・サーバー…そうだそうだよ、確かにあの辺りにあったはずだけど…あんなに大きいはずがない…」


「あれが復旧した姿ってこと…?とんでもなく大きいね──あ!いた!ノラリス!」


 マカナたちに救援を送ったノラリスはハッチが開かれた状態で停止しており、微動だにしていなかった。

 ノラリスから再び通信が入る、それはただの報告であった。


「ナディとポセイドンは無事にガイア・サーバーを復旧させた、現在の状況は修復プロトコルを速やかに構築している。それから稼働が再開したマキナはラハム、グガランナ・ガイア、オーディン、ディアボロス、ドゥクス・コンキリオの五名だ」


「ノラリス、要点を話して、どうしてナディは救援を求めているの?」


「──稼働が再開したマキナのうち、ディアボロスという個体はテンペスト・シリンダー内で生存している生物の管理を行なっている。ナディが当マキナに接触して──ああ…」そこでノラリスが言葉を泳がせ、「確認を取ったんだ、生存確認を」と、そう言った。


「…………」


 ディアボロス、というマキナについては良く理解できなくても、大体の事情を察した三人は素早くノラリスに接近した。

 マカナとアネラが機体から降り、二人でナディを迎えに行った。

 二人が開かれたままのハッチから顔を覗かせた、パイロットシートが取り外され、代わりにアタッチメントデッキが装着されたコクピットの中はより一層狭くなっている。

 その隅で、ナディが膝を抱えて鳴咽を漏らしていた。小さく、ただ小さく体を縮めて、子供のように泣いていた。


「ナディ…」とマカナが声をかける、喧嘩したことも忘れて彼女はただ友人の身を案じた。


「マカナ…」


 声をかけられたナディはゆっくりと顔を上げ、その弾みでいくつもの涙が落ちていった。


「何があったの…?」


「訊いたんだ、私…ディアボロスっていう人に…皆んな、生きていますかって…」


「それで…?」


 マカナとアネラが交互に、優しく問う。

 ナディが答えた。


「二人の…死亡がっ…確認されたって…ピメリアさんと…ライラが、もうこの世にはいないって……こんなのってないよ、あんまりだよ、お別れの挨拶だってしてないのにっ…こんなにあっさりいなくなってしまうなんて」


 彼女はその事を告げられてから、一人で必死になって耐えていた。

 死別は穴が空いたような痛みと悲しみが伴う、その人がこの世から居なくなったからこそできた穴だ、永遠に埋まることはない、彼女はその辛さを思い知らされていた。

 ナディはポセイドン、それからピメリア、ライラと立て続けに失ったことになる。ピメリアとはろくに別れの挨拶もしていない、寧ろ「早く帰れ」と酷い言葉までぶつけていた。

 ──そしてライラ。一途に自身の事を想い続けてくれた恋人だ、ナディはそんな彼女がこの世からいなくなったことが何より信じられず、そして何よりもショックだった。

 "何かの間違いだ"、"そんなはずがない"という気持ちが沸騰した水のように何度も湧き起こり、それが涙となって瞳からこぼれていた。

 

 ──ピメリア・レイヴンクロー、それからライラ・コールダー、両名の死亡が確認された。


 ディアボロスに宣告された言葉が脳裏を駆け巡る、その苦しみから逃れるようにナディはマカナに縋った。


「もう…二度と会えない…」


「ナディ…」


「でも…マカナは生きてる、アネラも生きてる」彼女は友人たちが目の前にいることに感謝した、死別するという悲しみを経て掴んだ事実でもあった。だからナディは喧嘩したことを謝っていた、「ごめんね」と。


「あの時はごめんね…だからっ…」


「いいよ、いいから、今はそんな事いいから」


 マカナは、あんまりだ、と思った。色んな人と喧嘩して、自分とも喧嘩して、一人で危ない橋を渡った先で大切な人の死を告げられた事が、それはあまりに残酷だと思えた。

 マカナはナディの肩を抱き、アネラも二人に寄り添い、日が落ちるまで、セレンからの親友の涙が枯れるまで、狭いコクピットの中で過ごし続けた。


 ナディの涙が海に帰ったのは、すっかり日が落ちた後だった。

 暑くて乾いていた風も涼やかになり、泣き腫らした彼女の頬を冷ます。海中から天に伸びているリビング・サーバーも死者を偲ぶように、一枚一枚の葉を光らせていた。

 大切な人を失った悲しみから立ち上がれたのか、それとも感情が麻痺してしまったのか、そのどちらかのナディが落ち着きを取り戻した顔でコクピットの外を眺めている。


「綺麗だね、あれ」


「綺麗だね。前に見た時は普通の樹だったと思うけど」


「そっか、ここにいる三人は皆んなあれを知ってるのか」


「そうなるね、あの時は皆んな違う立場で偶然居合わせただけだけど」


 アネラがふと思い出した。


「──そう言えば…あのポセイドンっていう人は…」


 その問いは、ナディの沈んだ悲しみを引っ張り上げるものだったが、それでも彼女は誠実に答えた。


「自分の命と引き換えに、あの樹を茂らせたんだよ」


「そっか…」


 ずっと三人を見守り続けていたノラリスがそっと言葉を挟んだ。


「彼の犠牲がなければあの樹はなかった。恐らく、彼が最期の時を誰かと一緒に過ごせたことは最良だったと考える。──そろそろ時間だ、ラフトポートからの通信を遮断し続けるのも限界だ」


「ああそっか、通信が回復したから無視るのも無理なんだ。──ナディ、行けそう?」


「…ちょっと待って。ねえノラリス、ガイア・サーバーに近付いてもらえない?」


「別にいいけど…近付いてどうするの?」

 

 ノラリスがゆっくりと機体を進ませ、自前の機体から光り輝く樹を眺めていたウィゴーが慌ててその跡に続いた。

 ナディは到着するまでの間、携帯端末に保存していた昔の写真を眺め続けた。

 民間企業に勤めていた時に他港で陸軍の人たちと一緒に撮った写真、セントエルモの超潜航前、日用品が足りないと走り回り、ライラとスーパーの駐車場で一緒に撮った写真、それから年末にナイトクルージングをした時に皆んなでふざけ合いながら撮った写真、どれも宝物だ、五年前の自分は何も知らない子供のように映っているなと、ナディは染み染みと思った。

 ガイア・サーバーに近付くにつれ、周囲が真昼にように明るくなった。付近に停泊していた教軍の船は異常現象を前にして恐れをなしたのか、もう姿を消している。

 巨木の幹が手に届くまで近付いた、その表面は滑らかで陶器のようであり、およそ生命体らしからぬ物だった。

 ナディは携帯端末の電源を落とし、その幹の合間に捻じ込むようにして置いた。


「…いいの?」


 マカナがそう尋ねる、ナディの行為は一つの"決別"を意味していた。


「うん、いいよ。もしかしたらライラに届くかもしれない、きっと天国は暇だろうから」


「そっか、届くといいね」


 携帯端末から手を離したナディがコクピットに戻り、ゆっくりとハッチが閉じられ、ノラリスたちはガイア・サーバーに背を向けて帰路についた。


 沢山の思い出が詰まった携帯端末が、本当に天に昇ったのはそのすぐ後のことだった。

 連れ去ったのは天使でもなければ死神でもない、ましてやマキナでもなければガイア・サーバーでもない。

 それは黒い人であった。

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