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テンペスト・シリンダー  作者: tokusin
第二.五章
260/335

TRACK 9

キャッチ・ザ・シャイン!



 掴むべき栄光は高い高い壁の先にある。その壁を越えることは決して容易ではない、だから誰にでも掴めるものではない。

 その事を彼女はまだよく理解していなかった、手を伸ばすその原動力はおよそ個人的なものであり、簡単な障害を前にして脆くも崩れ去る。

 栄光を掴むことは容易ではない。

 一人であればなおのこと──。



 朝焼けに包まれたジュヴキャッチのラフトポートは早朝から騒がしかった、新都からやって来た人たちの受け入れが本格的に始められたからである。

 友人と喧嘩をしてちょっぴり目元が赤いマカナもその受け入れ準備に加わっていた。


「なんだ、ナディと喧嘩したんだろ?部屋で泣いていてもいいんだぜ」

 

 彼女と一緒にいたミガイがそう揶揄う、朝焼けの光りに照らされ、なんとも憎たらしい顔が輝いていた。


「うっさい」


「へいへい、元気があってよろしいことで──これで日用品は足りるのか?」


 ミガイの手元には雑多な日用品が入った木箱があった、これから移住者たちに配布する予定だ。


「足りなかったらコピーすればいいでしょ、レセタがそのやり方も教えないと駄目だって言ってたし」


「濾過器は?」


「今からそれを私が用意すんの、分かった?」


「へいへい」


「後でレセタの所へ行きなさいよ、まだ話をしてないんでしょ」


「てめえに言われる筋合いはねえよ、大人の恋愛に首突っ込むな」


「恋愛て…」


 レセタはこのポート内で人々の生活をサポートしている人物であり、ミガイやヴィスタらと同様の発言力を持っていた、言わば女性の代表を務めているリーダーだった。

 マカナはこの女性のことがあまり好きではなかった。


(ナディの看病を真っ先に反対してきたし…)


 マカナはミガイの元から離れ、住民が利用している共同の大型倉庫へ足を向けた。

 低い位置から現れた太陽が徐々に昇り始め、イカダの道を照らしている。たった数年前に興された道だが、色んな人が踏み締めたせいで所々が既に傷んでいた。

 マカナはその道を歩きながら倉庫を目指す、沖では狩猟隊が出ており計四機の特個体がハリエ方面へ向けて波乗りをしていた。


(ナディも私たちに加わってくれたら狩りに出られる…けどナディは…嫌なんだろうな)


 昨夜、マカナが怒った理由はこれだ、ナディと一緒にポートを盛り上げたかったのだ。でも本人は嫌がりあまつさえウルフラグへ戻りたいと言い出した、マカナは自分の願いを全否定されたような気分になってしまった。

 けれど、喧嘩した相手は寝たきりなどではなくいつでも言葉を交わすことができる、五年間に及ぶ自分たちの看病が実を結んだ証拠だった。

 受け入れが一通り終わったらナディの所へ行こう、この時のマカナはそう呑気に考えていた。



✳︎



 静電気を発する珈琲豆でも挽いているのだろうか、ナディはそう思いながら重たい目蓋を開けた。


「──いたたた…体が痛い…」


 コクピットの中で目を覚ましたナディはどこから異音が発生しているのか調べようとした。その異音はパチパチ、ガリガリ、今まで耳にしたことがない音である。

 コクピットから外へ出たナディは、椅子に座って鉛筆削りのような道具を使っているウィゴーの姿を見つけた。


「…おはようございます」


「おはよう、機嫌も直って何よりだよ」


「いやそれはどうでしょう…何やってるんですか?」


 痛む体を引きずりナディはウィゴーの元へ寄り、そう尋ねた。

 ウィゴーはハンドルをくるくると回しながらその質問に答えていた。


「濾過器だよ、これでハフアモアを洗ってるの、見たことない?」


「ハフアモアを…洗う?何ですかそれ、新都の人はそんな事してませんでしたけど…」


 鉛筆削りだと思っていた道具は二〇センチ四方の箱型で上部にはロート、それからハンドルが備え付けられていた。


「こうやって綺麗にしないと白化症にかかってしまうんだよ、だからハフアモアを使って食べ物をコピーする前はこうして洗うの」


「口にする時だけ、なんですか?」


「そうだよ、ナディちゃんが昨日食べたご飯もこうやって濾過したハフアモアから作られたんだ」


「へえ〜〜〜中はどうなっているんですか?なんかパチパチ鳴ってますけど」


「磁石じゃない?ハフアモアと磁石が擦れているから、それで静電気が発生しているんだと思う」


「ふ〜ん…レンチンした方が早いような気もしますけど…」


「マイクロ波はさすがにヤバいんじゃない?」


「そのヤバさの基準が良く分かりませんけど…」


 一通り作業を終えたウィゴーが濾過器を逆さまにし、中に入っていたハフアモアを取り出した。見た目の変化はあまり見受けられない、鈍い銀色の光りを放っているだけだ。

 そのハフアモアを細かな網目がある袋に詰めながら、ウィゴーがナディに尋ねていた。


「ねえナディちゃん、ジュディスちゃんと最後に会ったのはいつ?」


「え、ジュディス……先輩ですか?」


 その名前を聞き、口にした時ナディは目眩がするような懐かしさに襲われた。


「そう、ジュディスちゃんにもお世話になったからこれでも気にしているんだ」


「ジュディ先輩は…出航前に会ったきりなので…その時は元気にしていましたけど…」


「そっか、生きていてくれていると嬉しいんだけどね」


「そりゃ勿論…ウィゴーさんはウルフラグへ行くつもりなんですね」


「今じゃないけどね、必ず行くつもりだよ」


「そうですか…」


 その言葉がナディを後押しした。

 それからウィゴーは交代のため格納庫を後にし、そしてポート全体に警報が鳴り響いたのはすぐのことだった。


「教軍だ!教軍の船がこっちに向かって来ているぞ!」


 その報告を持ってきたのは四人編成を絶対とする狩猟隊からだった。彼らはハリエ方面へ向かい、その途中で教軍の艦隊を発見し来た道を引き返していた。

 報告を受けたヴィスタは顔色一つ変えず、すぐさま全パイロットに出動要請をかけた。


「教軍の狙いは間違いなくノラリスだ。こちらから手を出すな、防衛線を敷いてポートに近づけさせるな」


 そしてまた新しい報告が彼の元へ、そのノラリスが格納庫から姿を消したというものだった。

 さすがのヴィスタも色めきだった。


「何い?!ノラリスが──いなくなった?!」


「ああ!いねえ!きっと交代の隙を突いて──カルティアンの娘は?!姿を見かけたか?!」


 ヴィスタは教軍の出現よりノラリスがいなくなったことに頭を取られ、ポート内をくまなく探し回った。

 結果、ナディの姿も見当たらなかった。

 移住者の受け入れを進めていたミガイとマカナも捜索に加わっており、ヴィスタの元に戻って吠えていた。


「あのバカ女!本当に一人で行きやがった!信じられねえ!」


「ミガイ!ナディの悪口言ったら承知しないよ!──それよりヴィスタ!どうすんの?!」


「どうもしない!行き先はホワイトウォールだ!すぐに追いかけさせないと──」


「教軍の奴らに勘付かれたらどうする?!確実にパクられるぞ?!」


「くそっ、何だってこんな時にまた──」


 メインポートのど真ん中で話し合う三人の元へ一人の女性が駆けてきた。


「──ヴィスタ!ミガイもいるじゃない!大変よ軍の船が──」


 レセタだ、色鮮やかなドレッドヘアがポートの上をかける風に靡いていた。

 彼女は防衛線を構築しているパイロットから教軍の動向を知り、ジュヴキャッチのリーダーたちを探していたのだ。


「軍がどうした?!動きがあったのか?!」


 走り回ってせいでかいた汗が彼女の額に張り付いている、息を整える暇もなく言った。


「あったも何も軍の船から特個体が出て行ったって!ホワイトウォールの方へ向かったって言ってたわよ!」


「何い?!…ノラリスの動きが向こうに知られているのか…?」


 レセタがシャツのボタンを何個か開け、汗ばんだ胸元を露わにした、シャツをはためかせながら息を整えている。


「ふう…どっちでもいいけど、今すぐパイロットたちを下がらせて、ノラリスという機体が目的ならこれ以上刺激させるような真似はしなくないいでしょ?」


「何を言って──「パイロットの中には出産を控えた奥さんがいる旦那もいるの、言っている意味が分かるでしょ?」


「いやそれはそうだが…」


 レセタはジュヴキャッチの中で市民寄りの考えを持ち、戦闘行為などに関する決定には否定的な立場を取っていた。

 だからこそ「不用意な戦闘は止めろ」とヴィスタたちに進言したのだ。


「ノラリスを諦めろと?」


「そう言ったつもりだけど?たった一機の特個体の為にポート全体が危険な目に晒されるの?それは賢明な判断とは言えないでしょ」


 マカナが反論する。


「レセタ、それならパイロットのことも諦めろって?それ本気で言ってるの?」


「そうよ。だから何?」


「…………」

 

「…………」


 無言で火花を散らす二人にヴィスタが割って入った。


「教軍の目的がハッキリとしない以上は防衛線の解体はしない、だが、これ以上のパイロットは投入しないと約束しよう」


「──それでいい。私は皆んなの避難に入るから、お願いだからドンパチしないでよ」


 レセタがそう言い、マカナに一瞥をくれてから去って行った。

 ヴィスタが二人に指示を出す。


「マカナはウィゴーとアネラと共にノラリスの追跡、ミガイは出動している機体を再編成した後教軍へコンタクトを取れ、向こうの目的を調べる」


「そうしよう」

「分かった」


 こうしてジュヴキャッチの首脳陣がそれぞれに散り対応に移った。


 一方ダルシアンが率いる機星教軍は、密偵からの報告を受けてノラリスの追跡を行なっていた。


「潜り込ませていた兵士の状況は?」


 ダルシアンはいずれコクアのメンバーが逃げ出すと踏み、その内部に密偵を放っていた。


「まだ怪しまれていないと報告を受けました」


「ならばよい」


「バハーはどうしますか?」


「ノラリスを捕獲してからだ、今は放っておけ」


「ポートより特個体が接近中、数は四、武装しています。いかがしますか?」


「無視しろ──エンジン起こせ、我々もノラリスの跡を追いかける」


 今日の海は荒れている、白い波が幾重にも立ちダルシアンたちが乗る船にも押し寄せていた。その中を悠々と進んでくる特個体が四機いた、ミガイ率いるジュヴキャッチの小隊だった。

 先頭にいた機体が教軍の船に向かってライトの明滅による合図を送った、その内容は"敵対の意志無し"である。

 碇を上げて進み始めた教軍の船にジュヴキャッチの小隊が追従を始め、どう対応すべきかと下士官が再びダルシアンへ指示を求めた。


「──撃て、邪魔だ」


 無慈悲な指示は素早く砲撃手に伝達され、ジュヴキャッチに対して無警告による攻撃が開始された。

 海上に大小一つずつの火花が散る、一つは船の火器、もう一つは攻撃を受けたジュヴキャッチの機体だった。

 戦い方のルールなどあったものではない、何の秩序も矜持もない攻撃を前にして、ミガイたちジュヴキャッチは転進せざるを得なかった。


「──クソったれが!!」


 たったの一瞬で仲間を失ったミガイがコクピットの中で吠えるが、その言葉は誰にも届かなかった。



✳︎



 ジュヴキャッチの拠点となっているラフトポートはハリエより南、新都から見て南西方面に位置している。そこからウルフラグとの国境線、つまりホワイトウォールが存在している海域まで距離にして約数百キロあり、約四〇ノットで進む特個体であれば数時間を要した。

 その決して短くはない距離をものともせず、荒れた海をナディは突っ切っていた。

 彼女の心はもうウルフラグに向いていた、"早く帰りたい"、"早く皆んなの無事を確かめたい"、激烈なノスタルジアに支配された彼女の頭はウルフラグの事でいっぱいになっていた。

 無接触オンライン通信を通じてノラリスはナディのことを気にかけていた。


「ナディ、我が儘はこれで最後にしてほしい。いいね?」


 ナディは慣れないアタッチメントデッキの操作に集中しており返事を返さない、玉のような汗が顎から滴り落ちていた。


「君はジュヴキャッチの人たちの気遣いを棒に振ってまでここまでやって来た、それは分かっているよね?」


 ノラリスの進行方向に対して二時の方面から一際高い波が押し寄せてきた、小さなものであれば足を取られることはないが、数メートルを越すようであればその限りではない。二〇センチ大の石を自転車の車輪で踏みつけるようなものだ、殆どの人はその石を避けて通るはずだ。

 だがここは海の上だ、そう簡単に避けることは難しい。


「──っ?!」


 斜め右方向から押し寄せてきた波にボードがすくわれてしまい、危うくバランスを崩しかけた。

 冷たい汗が背中を伝ったがそれでも彼女の決意は変わらない、それこそ焼石に水程度だった。

 ノラリスから見てパイロットのメンタルは酷く荒れている、眼前に広がる海のように、ほんの一時でも安定することがなかった。

 それに言葉だって一つも返そうとしない、はっきりと言ってそれはあまりに傍若無人の振る舞いだった。


(それだけ彼女は…災害に巻き込まれてから初めて衝突する壁だ、あのポートにいた人間たちも何人かは無謀な船出を試みていた)


 その結果は言うまでなく、家族や恋人を探しに出かけた殆どの人が戻ってこなかった。

 距離にして約半分、片時も休むことなく進み続けていたナディたちの前にそれは蜃気楼の如く姿を見せた。


「あれが──ホワイトウォール…?」


「そうだ、あれが白い絶壁群、両国間を隔てている謎の建築物だ」


「建築…?誰かが作ったって事なの?」


「私はそう考えている、決して自然現象ではあるまい」


「それはそうだけど…」


 水平線の彼方から白いもやが空へ向かって延び、ナディは最初は雲だと思っていた。

 だが、その白いもやはその場から動こうとはせずただそこに存在し、近付くにつれて大きさを増していった。

 

「本当に大きい…それに端から端へびっしりと…」


 コクピットの半分はもう既にホワイトウォールで埋まっていた、それも途切れることなく右から左へずらりと並んでいた。


「どうやってあれが作られたの?いつ頃皆んなは気付いたの?」


「少なくとも大災害後だろう、誰が発見したのかは今となっては分からない。──ただ、私が考えるにあれは海中に潜んでいたノヴァウィルスの暴発現象ではないかと思われる」


「まあ、それぐらいしか思い当たらないもんね…──アラート!」


 コンソールにアラートの文字が浮かび、ナディは咄嗟に首を捻って後方を確認した。コクピットの隅に、真っ直ぐこちらに向かってくる機体がギリギリ見えていた。


「照合が終わった、あれは機星教軍の機体だ。私が狙いなのだろう」


 ナディの手に力が込められる、だが操縦桿は反応せず途端に重たくなった。


「──ノラリス!「駄目だめ、今の君に操縦は任せられないよ」


 ノラリスがナディから機体コントロールを奪ったのだ、操作権限が()()に移されパイロットは何も出来なくなってしまった。


「ここまで来たんだからホワイトウォールまで行って!お願いだから!」


「何をするつもりなの?ここからでもあの異様な高さが視認できるでしょ?もう十分だと判断するが」


 ノラリスは機体の進行方向を変え、大きく弧を描くように転進を図った。その動きをなぞるようにして教軍の特個体らも続いている。


「十分じゃない!まだ試していない!もしかしたらあの山を越えられるかもしれないのに!」


「ナディ、諦めて」


「────っ!!」


 激情に駆られたナディは、必要な認証シークエンスを飛ばして星間管理システムにアクセスを試みた。


「──なっ?!?!」


《現バージョンではアクセスが出来ません、OSの更新を行なってください》


 コンソールから発せられる自動音声にナディが唾を飛ばした。


「やり方教えろ!!「駄目だめ!!《認証システムのレイヤーを下げてください》「あれえ?!これ私の言う事を聞かないぞ?!「そのやり方も教えろ!!レイヤーって何?!《デバイスの操作権限を仮から本意へ移行させる事です》「言っている意味が分かんないんだけど!!どうすればいいのかって聞いてるでしょ?!《実行しますか?》


 ナディとノラリスが声を揃えた。


「イエス!!」

「ノー!!」


《レイヤー移行の承認が得られました、デバイスの操作権限を本意へ移行します。──OSの更新が終了しました、再度アクセスを行なってください》


 ナディ本人は知る由もないが、これで彼女の独断によるハッキングが可能になった。仮解放における権限では機体側、この時で言えばノラリスの承認が得られない限り対象にハッキングすることはできないが、本意の権限ではその承認が不要になる。

 つまり、ナディはノラリスのハッキング能力を文字通りその手中に収めたことになるが本人はその事を露とも知らず、もう一度星間管理システムにアクセスしていた。


「何でオッケー出したのこのコンソール!私の言う事全無視するって前代未聞なんですけど──ああ!もしかしてガングニールたちがイジったああ?!」


 システムにアクセスし操作権限を得たナディは、"コマンド"と呼ばれるノラリスだけが持つ唯一の項目を飛ばし、端に表示されていたセッティング欄に移動した。

 

「うわうわマジで?!だから飛べないって何度も──「私はまだ飛んでない!こんな所にまで来て諦められない!お願いだから分かってよ──ノラリス!!」


 その悲痛とも呼べる叫びにノラリスがついに折れ、機体の操作権限が再びパイロットに戻った。


「──いいよもう好きにしなよ、海面に叩きつけられても知らないからね──ふん!」


 操作権限を得たナディはノラリスの言葉を無視し、ほぼ感覚だけでカットバックを行なった。


「──っ?!」


 少ない円運動だけでボードの向きを変える技だ、初心者とは思えない動きにノラリスは肝が冷えた。


(言わんこっちゃない!絶対いつか失敗するぞこれ!)


 素早く転進したノラリスの動きに教軍の特個体らは遅れを取り、あっという間に引き離されてしまった。

 ぐんぐんと機体のスピードを上げていく、サーフボードが持つ速度性能を軽く超え、速度は約五〇ノットに差しかかろうとしていた。

 ホワイトウォールは見上げるほどに高い、コクピットの視点から頂上が見切れていた。

 もうナディのことは無視しようと決めていたノラリスだったが、前方にアーキアの姿を認めたため声を荒げていた。


「前方にアーキア多数!ホワイトウォールが奴らの巣だっていうのは本当だったのか……え、聞いてる?!何で速度上げるの!」


「うるさい!静かにしてて!」


「それが──それが心配している人に向かって言う台詞?!私はいいが君は下手すれば死んでしまうんだぞ?!」


「ノラリスは人じゃないでしょうが!!」


「──なっ」


 出現したアーキアはどれも大型だ、それぞれ別の個体だがどれも十数メートルの体格を有している。けれどナディは速度を緩めずなおも突っ込んだ。

 ノラリスの跡を追いかけていた教軍の特個体もアーキアを前にして尻込みを見せ、徐々に速度を緩め始めていた。

 ノラリスとアーキアの距離が百メートルを切り、そのまま体当たりでもかますのかと思われたがナディはエンジン出力を上げて、アタッチメントデッキから飛行ユニットにエネルギーを回した。

 ノラリスが「南無三!」と吠えたと同時に機体が持ち上がり、それから白煙を盛大に吐きながら空へ飛び始めた。

 大型アーキアの頭を越え、それでもホワイトウォールの頂きはその距離をちっとも変えない。


(お願い!あそこまで──届いて!!)


 暴れる操縦桿を握り締め、ナディはただただ頂きを目指した。ノラリスの機体は海面から白煙をたなびかせ、ぐんと高度を上げていく。後方からその様子を眺めていた教軍のパイロットたちが本当にこのまま越えるのではないか──と、思われたがマリーンの空は無情だった。

 ストールの警告、燃焼に必要な空気不足によるエンジンの異常が起こったのだ。


(そんな──)


 続けてノラリスからも冷徹な"終了宣言"がなされた。


「──これ以上の飛行は機体に著しい損傷を与えると判断、エンジン出力カット、パイロットの保護システムを稼働、現高度からの落下による生存確率は約六〇パーセント──覚悟するように」


 ナディの視点からホワイトウォールの頂きが見えていた、だが、がくんと操縦桿がロックされたかと思えばあっという間に失速し、遥か先にある海面に視線が切り替わっていた。



✳︎



「マイヤー団長!──マイヤー団長は何処だ?!」


「うん?どうしたんだそんなに慌てて」


 ウルフラグ領のホワイトウォール真近、レイヴンが所有する観測船のブリッジに一人の観測員が駆け込んできた。


「どうしたんだじゃない!壁の向こうから白い煙が上がっているんだ!」


「──何いい?!煙いい?!」


「あれは間違いなく飛行機雲だ!誰かが壁のすぐ向こう側にいる!」


「マジか!!」ブリッジに待機していた管制官がすぐさま船内専用の小型通信機を立ち上げ、レイヴンの一角を担う団長を呼び出していた。

 その団長はパンを片手にすぐやって来た、名前はジュディス・マイヤー。


「ふぉれはほんふぉうなの?!」


「間違いありません!これがその画像です!」


 ツナギ姿のジュディスは残っていたパンを口の中に放り込み、観測員から渡されたタブレット端末の画面を見やった。


「ごっくん──確かにそうみたいね…誰かが飛行テストを行なったって事?カウネナナイはこっちと違って飛行ができるのかしら」


「それは分かりません、ただ、あの壁を越えてきた機体は今のところ確認されておりません」


「つまり失敗したって事…?ああもう!この画像だけじゃ判断できない!」


「総団長に報告しますか?」


 ジュディスは全てを諦めたかのような、諦観の顔付きをしてきっぱりと言った。


「無駄よ、あんな冷たい人間に報告したって検討の価値無しって棄却されるわ」


「そうですか…我々はまだお会いしたことがないので…」


「会うだけ無駄──それよりもドローンを飛ばしてギリギリまで近付いて、もしかしたら他に何か分かる事があるかもしれない」


「分かりました」


 ジュディスはレイヴンの創設者の一人であり、主に開発や製造を担当する技術部の団長を務めていた。

 彼女は五年の月日を経てもその可憐な容姿は変わらず、小さな体でレイヴンのみならずウルフラグ全域の通信網を復活させようと日夜奮闘を続けていた。

 そんな彼女に技術部の人間たちは大災害後の暗く落ち込んだ気持ちを吹っ飛ばされ、半ば信奉する形で跡に続いていた。

 短距離間の通信機を開発したのも彼女だ、その功績は大きくレイヴン内でも高く評価されていた。

 けれど、彼女はレイヴン内からの評価を少しも喜んでいなかった。

 ジュディスの目標はただ一つ、彼女との約束を果たす事。


(絶対空を飛んでやる、そんでもってあの怠け者を連れ戻してやる!)


 ジュディスはブリッジから高い高い空を見上げ、自身の心に住まう名高い船長に誓いを立てたのであった。



✳︎



 生きていた、ナディは何とか生きていた。

 コクピット内は厚い保護クッションに覆われて身動きが取れない、けれど息苦しいことはなく、着水時の衝撃でいくらか気を失っていたがすぐに意識が回復していた。

 彼女は無気力感に苛まれていた、自分の指一つ動かす気にはなれなかった、だからこの狭苦しさはちょうどいい、そう思っていた。


(駄目だった…届かなかった…)


 ノラリスからの言葉もない、コクピット内は空調機器の細かな駆動音だけが流れていた。

 ここからどうしたものかと、果たして自分はポートへ帰ることができるのかと思案している時、誰かが機体を上ってくる足音が聞こえてきた。

 もしかしたら教軍のパイロットかもしれない、ナディはそう考えた。

 しかし、違った。

 外からハッチが開かれ、分厚いクッションをかき分けて手を伸ばしてきたのはびしょ濡れの男性だった。


「へ、平気か…?だ、大丈夫か…?」


「あなたは…」


 その男性はカウネナナイ人のように彫りが深く、ウルフラグ人のように白い肌を持っている男性だった。それに格好もどこかおかしい、パイロットスーツではなく普段着だった。


「お、俺は…ま、マキナだ、名前はポセイドンという、ホワイトウォールを抜けて途方に暮れていた時に君の機体が空から落ちてくるのが──ひっ?!」


 ナディはポセイドンの言葉も途中でその腕をがしっ!と掴んだ。

 ホワイトウォールを抜けて?


「今何て言いました?ホワイトウォールを抜けてきた?」


「あ、ああ…そうだ、ウルフラグからこっちに抜けて来たんだ…もっとも、その道はもう閉ざされちゃったけど…」


「……………」


 ポセイドンは人見知りをする、だからポセイドンも自分の言いたい事でいっぱいいっぱいだった。

 訳も分からず感極まって涙を流していたナディに向かってこう言った。


「お、俺をガイア・サーバーへ、つ、連れて行ってくれないか?」


「…連れて行って、どうするんですか?」


「サーバーを復旧させる、そうすればこの状況がいくらかマシになるかもしれない、何も変わらないかもしれない…だから、試したいんだ」


「…………」


 ナディはポセイドンの言葉に淡い光りを見出した。


 ──それは掴めなかった栄光の代わりかもしれない、それは行き場を失った感情の吐け口かもしれない。

 けれど、ナディの無謀な挑戦がポセイドンを引き合わせた、それは消えようのない事実であった。

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